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はてなキーワード: 体罰とは

2021-03-25

anond:20210325022816

そうですね

改心しました

あなた田舎のジジババのために、日本文化の通りに生きます

和服を着て畳を敷いて筆で字を書いてパソコンを窓から投げ捨てればいいんですよね

家も取り壊して、竪穴式住居を作り直しま

私の未来の子供や孫にも同じようにするように厳しく躾けます

体罰日本の伝統文化ですよね

竹刀バンバン殴って躾けます

Switchが欲しいとかバカなこと言ったら例え子どもであろうとも半殺しにしてやります

日本の伝統文化を守った生活を送るためには

・何時に起きて何時になればいいのか

・朝起きて1番目に何をすればいいのか

・朝起きて2番目に何をすればいいのか……n番目に何をすればいいのか

明日朝ごはんは何にすればいいのか

などわからないことが沢山あります

是非ともご教授願いたい

お宅のジジババとリモート会議といきたいところですが、リモート会議日本の伝統ではないでしょうから飛脚を送ります

手紙日本の伝統を守る生活をご指南ください

たとえわたしが死のうとも、未来永劫この伝統的な暮らしが守られるようにしたいんです

わたし人生はジジババの懐古のために捧げてやります

本当は、今の仕事を続けてやりたいことや、結婚したいと思う恋人もいましたが捨てます日本の文化のためなら仕方ありません。仕事PCを使うなど日本の伝統に反した行動を取ればおたくのジジババが悲しみますからね。恋愛結婚伝統的ではないそうですから、今からお見合いをして結婚相手を探そうと思います

わたしの夢や自由なんか、重い重い日本の伝統文化の前にはクソですよ。なんて事ありません。子供ができても、小学校なんかにはやらずに寺子屋に送りますよ。泣いても喚いてもそうしてやります子供の夢や自由伝統文化のためには仕方ありませんからね。もちろん孫も、ひ孫も、ひいひい孫にもそうさせますよ。

全てはおたくのジジババの願いですからね。会ったこともないわたしくしめが、日本の伝統文化を守ってくらしていないことが辛くて辛くてたまらないんですもんね。今まで伝統に反した生き方をしてきて本当にすみませんでした。

これかはジジババの言う通りに生きます死ぬとき割腹して見せますので介添えをお願いします。

2021-03-21

人生二週目の仕様

ダメージの増加

親の平手打ち鉄拳へ、いじめっ子暴力は殴る蹴るから石・刃物へ変更

生徒指導教師竹刀でなく金属バットを装備。

アイテムの減少

マラソン大会後のジュースは全て水道水になります誕生日クリスマスプレゼント価格半減

獲得経験値の大幅増加

Lvアップが早まるが敵(家族、友人)のレベルも上がっているので注意。一年生が三年生クラスの体力・知力を持ってます。親の財力も上がるので若干有利にはなる。

イベントスキップ可能

朝のSHR入学式卒業式、各種会話シーンは○ボタンスキップ

謎解きのヒントが無くなる

トイレつかまり立ちなどやさしく教えてくれた親が無言

チュートリアル廃止

バイト初日にやり方を一切教えてくれない

自動車教習は実地から開始

攻撃前兆が見切りづらくなる

先生体罰が警告なしに即来る。(無言で席に歩いてきてパンチ

怒鳴るタイプ先生はお喋りの「あのさ・・・」の「あ」で怒鳴ってくる

2021-03-19

anond:20190520230346

体罰子供を説得できる能力の欠如も子供無能転嫁できてしまうので行使者の資質が問われ、扱いきれない人間の方が多いと思うのでよくない

何人かに一人のエスカレートする異常者だけをピンポイントに阻止する事は出来ないので一律で禁止した方が恐らく安い

anond:20190520230346

体罰子供を説得できる能力の欠如も子供無能転嫁できてしまうので行使者の資質が問われ、扱いきれない人間の方が多いと思うのでよくない

何人かに一人のエスカレートする異常者だけをピンポイントに阻止する事は出来ないので一律で禁止した方が恐らく安い

anond:20210319145217

体罰必要かどうかなんて子供によって変わるし、普段から体罰してるからって一概に悪いとは言えんだろ

ADHDひとりごと

ちょっとだけフェイクを入れてます衝動的に書いたのでおかしいところもあるかもしれませんが、ご了承ください。

何とも情けないが、これから生きていける自信がない。私は社会不適合者だ。約束時間には遅れるし、何かすべきことがあってもよく忘れる。そのせいでよく怒られたが、どう頑張っても直せなかった。

ADHD特性だ。そして私の父もおそらくADHDだ。自身ADHDであることを父に言ったこともあった。すると父はこう言った、「そんなことを言い訳にするな!誰もそんな言い訳相手にする訳ないだろ!この馬鹿が!」と。それもかなり厳しく叱られた。でもそんなことを言って欲しくて打ち明けたわけではない。そもそもこちから打ち明けようと思ったわけではなく、担任経由で父へと伝わっただけの話である内密な話を勝手に打ち明けた担任担任だが、父も父だと思う。父は他人のことになると無理解だった。

我が家の家庭環境はかなり難があったと思う。おそらく両親は二人とも認めないだろう。父は特に

父は家庭にあまり関わらなかったことを良しとしてか、家庭問題に関して自身には微塵も責任がないと思っている。そして母に全てを丸投げして逃げたのにも関わらず、逃げたことを認めることはしなかった。

自分の落ち度を認めたくないのは誰だってそうだ。自分だってそれは嫌だ。でもいい加減認めてくれないと始まらないと思う。

これを見た人はどう思うだろうか。私のことを言い訳がましいやつだと思っているだろうか。変なヤツが自身の落ち度を家庭環境のせいにして責任逃れしているだけと思うだろうか。たしかに今までの人生自分の落ち度だ。自分に返ってきているのが何よりの証拠だ。言い訳しても何も変わらない。そして何もかもが手遅れでどうしようもないことを自分自身、誰よりも知っている。

どうしようもない。私の精神はもう壊れてしまった。全てに対して。

ADHDだとカミングアウトされたらまたキレられるのだろうかと不安で、担任に打ち明けて以降は自身ADHDを誰にも話したことはない。そして誰かに意を決してそのことを打ち明けたとしてもきっとこう言われるのだ、「お前の努力が足りないからだ」と。「お前が努力して時間を守れるように、やるべきことをこなそうとする意思を見せないかダメなんだ」と。少し鬱気味だからそう思ってるだけかもしれない。

ADHDというのは脳の障害一種だ。まとめると、「衝動的な行動」「集中力の欠如」の2つの特徴を併せ持つ障害であるドラえもんにおけるジャイアンのび太がその例だ。先天的な要素と後天的な要素のいずれも絡んでいるらしいが、あまり解明されていない。

ADHDは脳の機能に欠損があるだけであって、数学が苦手とか国語が苦手とかそんなのと変わらないものだと思っているが、身体的な障害と違って外からは気づかれにくいためよく誤解される。

「五体満足のくせに障害?舐めたことを…」と思われることも少なくない。打ち明けただけでも忌避され、疎まれ、蔑まされる。

「誰でもできていることができないことなんてあるものか。お前の努力が足りないだけだ。できなければ人の10努力しろ」みたいな根性論は、当人にとっては無い腕で箸を掴めと言われているようなもので気分的にもあまりよろしくない。この例えはちょっとマズかったかもしれない。気を悪くさせてしまった方がいたら本当に申し訳ない。

から認めてほしかったなあと今でも思う。朝起きて、母が何も作ってくれないからと自分朝ごはん作って6時過ぎには家を出て、朝練に行って練習して、それから学校の授業を受け、部活クタクタになりながら片道1時間の道のりを自転車で帰り、家に着くのは夜の8時ごろ。それから自身の夕飯を作り、眠たい目を擦りながら勉強して。

それでも何も褒められず、むしろ他の家の子と比べられてはよく貶されていた。

「○○君は、○○ちゃんは頭がいいのに。部活活躍しているのにあんたは何一つも取り柄がないね」と。

父は「その経験大人になれば必要スキルだ」と偉そうに言うだけで、無関心だった。

学校宿題を終わらせても、自分時間などなかった。宿題を終わらせて自室で本を読んでいると、たちまち母が怒鳴り込んできて「宿題は?まだ終わってないでしょ!」と決めつけて本を取り上げられ、ある時は捨てられることもあった。宿題が終わっていることを見せても、「それなら予習をやりなさい」とひたすら勉強強要された。

この人は私の努力を認めてはくれないんだと思った。ただ認めてほしかった。こんなに頑張ったんだよと証明たかった。

虐待もあった。兄は毎日のように、母から布団叩きで何回も叩かれていた。毎朝のようにその光景を見ていたが、それを止めれ自分も叩かれる。庇うと自分まで損害を受けるのだ。理不尽まりなかった。

「お兄ちゃんは社交的なのにあんたは社交性のかけらもないね」「空気が読めないよね」と兄弟間で何かと比較された。兄も同様に「△△(私のこと)は頭がいいのにあんたは馬鹿だよね」と言われていた。おかげで兄弟仲もかなり冷えた。兄の失態を擦りつけられることもあった。

しばしば外で立たされることもあった。母は何かひとつでも気に入らないことがあると、真冬だろうが子供を外に放り出した。そして私たちは訳がわからないまま外に追い出された。

思い返せば「連帯責任」というのがあった。兄の連帯責任で私も巻き添えを喰らって外に放り出された。

少なくとも自分は親から言われたことは渋々ながらも大体はやっていた、と自負しているが、「言うことを聞かない」からと外に出されたこともあった。

母に対して理屈で押し通そうとすると逆ギレされて「私の言うことを聞け!聞けないなら出て行け!」と言われて外に出されることもあった。母の説教は長くて、しかも声に圧があって怖かった。母は意地でも自分命令に従わせようといつも怒鳴り散らしていた。

そして父は母のヒステリー気質にたびたびキレて母を殴ることもあった。

父と母はよく喧嘩していた。

変な始まりから喧嘩することもあった。妙なイチャつきあいから小突き合いへと変わり、そして殴り合いに発展していくのだ。

見ている方はしんどかった。そして茶番はよく私たちにも飛び火した。「離婚する!私に着いてくるのか、父に着いていくのか決めろ」なんて言われたり、「あんたたちのせいで喧嘩したんだ!責任取れ!」といちゃもんをつけられたりするのは日常茶飯事だった。その茶番を何十回と目撃した。普通の家庭はこんなことってあるのだろうか。

母はよく私たちにキレるくせに、なぜか父への恨みつらみを吐くのも私たちに向けてだった。正直言ってしんどかった。「あんたたちが成人したら離婚する!あんたたちがいなければすぐ離婚するのに」とよく言っていた。

私は子供喧嘩責任があるみたいな母の言い方に内心苛立っていた。

父は「お前の教育(しつけ)がなってないか子供達が言うことを聞かないんだ!」とたびたび母に怒鳴っていたらしい。母はそのことに対してかなり腹を立てていたようだ。

しかし父は自分からそういうことを言う人間ではない。家庭にはあまり興味がない人なのだ

おそらく母は父からそう言われる前に、「子供達が言うことを聞いてくれないんだけどどうすればいいの!」としつこく迫っていたのだろう。

そして、母はしつけと称して私たち兄弟を外に追い出したり、叩いたりしていたに違いない。要はしつけの仕方がどういうものかきっと分かってなかったのだと思う。

母曰く、かつては子供たちに優しく言っていたが、私たちがあまりにも言うことを聞かないので暴力で教えるしか方法がなくなった、だそうだ。実際殴られてたし、その頃は意味がわからなすぎて理不尽だと思っていた。それが十数年続いた。言葉暴力も、体罰もざらだった。母はよく布団叩きを使って子供たちを叩いた。母は自分から叩いているくせに「あんたたちを叩くせいで私の手が痛くなるのよ!腹が立つ!」と言っていた。

正直言ってその言葉にはムカついた。千回は叩かれただろうか。冗談ではなく一度に100回叩かれることもあったし、毎回平均20発くらい叩かれてたか20発×50回くらいと考えたらそのくらいが妥当と思う。

母は外面はかなり温厚なので、このことを母の知り合いに告げたらきっと驚くだろう。

父も父で暴力が激しかった。ひとたび怒りに触れると手がつけられなくなり、子供でも容赦なく殴った。トイレの扉を壊したり、何かと荒々しい人だった。

おまけにパチスロ中毒で、負けて帰ってくるといつも荒れていた。

暴れる父を止めようとして足蹴にされたり、腹を殴られて吐いたりすることもあった。

他人に対してはとことん無理解な人なので、人の機嫌を損ねるような発言をして人付き合いが上手くいかない人だった。アスペも混じっているのだろう。

「一番尊敬しているのは両親です」と言う人がいるが、そんな人が羨ましくさえ思う。

私は高校進学も自分で決めたわけじゃないし、大学に至ってもそうだ。母から夢を一方的押し付けられ、自分の夢は一蹴されて応援すらしてもらえなかった。

今なお人生目標がないから生きてて楽しくないし、「お前は絶対他人迷惑をかける」と言われていたから、バイトするのも怖くて仕方なかった。「迷惑をかけてしまったらどうしよう」と。バイトに入ってから迷惑をかけっぱなしで自分能力の低さに愕然とした。

からはいつも努力過程は認めてもらえず成果だけを褒められる、そんな感じだった。バイト先の店長もそんな感じだったが、私の成果がてんでダメだったので褒められるどころかよくダメ出しされていた。

しろ店長から憐れみ嘲笑の目で見られていたのかもしれない。「この出来損ないをここの環境で使える人間に仕上げてやろう」というしょうもない情けをかけられていた。

いつしか私に対して店長は呆れ、何も言わなくなった。

いつしか努力しても無駄だとさえ思うようになった。努力しなくても成果の出るもの勝手に出るし、出ないもの努力しても全く出ない。

私は中高とソフトテニス部に所属していた。よく自主練していたがどんなに頑張っても相変わらず下手だった。

「お前の努力が足りないからだ」とさえ言われた。みんなと同じ分量頑張っているのに?チームのキャプテンからは「チームの足をひっぱっている」とさえ言われた。部活楽しい反面、私が下手なせいでいつも煙たがられて誰も練習相手になってくれず、部活中は壁打ちすることも多かった。同級生のみならず、一部の後輩にも馬鹿にされていた。そしてはぶられていた。人生とはつくづく楽しくないものだ。

馬鹿にされても笑って何も感じてないように装って、実際は嫌で嫌でたまらないのにつまらないイジリに耐えて耐えて何が楽しいのかわからなかった。

ひたすら耐えるだけの人生だった。

こんなところにいない方が楽だし、私がいない方が世の中のためになる。

もう失敗しきってるんだ。人生これからと言われてもも頓挫してるんだ。立ち上がることすらかなわない。こんなダメ人間にどうしろと。

どうせ何やっても失敗するというのに。

2021-03-18

ブクマカどもって、攻撃と言われる覚悟なしに、コメント書いてたのか

差別者を総攻撃する自由」はあるのか? のはてブページ https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210303070010 のコメント群を見ての感想

正直、元増田の内容は全く賛同できない(タイトルだけなら、議論があって良いと思う)けど、それ以上に攻撃ではなく批判だ。だから問題ない」に類する多数のブックマークコメントが、お前ら何を言っているんだ、と思った。

その行動をした人間が、行動の性質を決めちゃダメだろ。

もし、行動の性質問題の可否を良しとするなら、以下の内容も行動者側の意見が正しくなるってことだぞ。これを分かって、「攻撃ではない。批判だ(だから問題ない)」っていってるんだよな。

痴漢痴漢ではない。手が当たっただけ」 セクハラ上司セクハラではありません。コミュニケーションです」 体罰教師体罰ではない。教育だ」 虐待親「虐待じゃないよ。しつけだよ」 いじめ加害者いじめじゃないって。遊んでるだけ」

2021-03-15

anond:20210315115708

ルールとかマナーとかご遠慮といった

自発的デメリット選択いただきたい

というお願いは

リスクを本人が理解してメリット選択してください」

ということであって

実質自分が損をするのを減らすためのお願いだったりするんだよね


でも無敵の人はどこまでいっても無敵なんでそれを恣意的に利用しちゃうというか

共存共栄に協力してくれない人を排除する方法がないと

無茶したぶんだけ得しちゃうのでやめないよね


ルール違反お気持ち無視の無茶をする人を排除するには

おなじ無茶を以てしても無理筋な話なわけで

それならば逆にルールを守った人が得しちゃう仕組みづくりが

必要になるよね


信号無視しても死にはしないのだからいいじゃんっていうのを

信号をしっかり待って青でわたるなら、なにかもらえるとか

あわてず騒がず迷惑をかけないでいれば、なにかもらえるとか

宗教って統治があるとあの世でとかコミュニティでのランクがとか概念があるけど

無宗教だとむつかしいね

マイナポイントスマホで配るとかでゲーミフィケーションできたらいいけど

実質体感できるお得がないと、殴って罰則体感させるしかなくなるわけではあるし


エロ同人のお控えくださいは

露出過激表現の低い情報を高く評価したり価値をつけたりする仕組みがあればいいんだけどね

企業とかスポンサーが確実で控えめで有益で地味な情報出資を多くするとか

そういうの申請制度にしないとエロとか過激情報とか嘘を罰則ってすると罰則はらってまで人気とるなら

「隠れて流布する」が増えるに決まってるわけだし

体罰意味ないのもそれだよね 暴力じゃ解決しないし悪を罰しても悪の定義とか言われだすし


社会貢献ってそういうところだとおもうんだよね

いいことをしたらいいことを評価してプラスにしていく

なんでマイナスを補填して罰則をきめて違反していないからセーフとかになっちゃうんだろ

構造的な概念無宗教だと組み上げにくいというのはあると思うけど

協力とか団結とかいった社会構成的な思考も停止させてる反戦主義みたいなのも

原因かもって思ってしま

抑制したり助成したりする機構までも完全に資本主義自由経済主義的になってる感があるけど

それがいいのかわるいのか実際に体験するところにいる気がする

実際、あんまりよくないのではという感じがするわけなのだけど結局「正解」が生き残るわけで

良くも悪くも静観するしかいか

2021-03-11

anond:20210311075101

だよ

必要とされているのは能力でなく奴隷根性

プロスポーツ選手を目指す人に必要なのは体罰でなく技術指導だけど

就職の道具として運動部歴が欲しい人に必要なのは体罰我慢して耐える年月

2021-03-05

anond:20210305170729

体罰を与えろとは言わないけど

そういうのは一回手酷い失敗して殴り飛ばされるくらいの経験をした方がいいと思うね

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(1)

日本文学編(anond:20210222080124)があまり注目されなかったけれども、記憶を頼りに続きを書く。

芥川龍之介河童

どの作品を入れるべきか迷った。古典翻案に見られる知性とユーモア晩年作品にみられる迫害的な不安、どちらの傾向を持つ作品であっても、元文学少年の心をひきつけてやまない。特に歯車」などの持つ、すべてのものが関連付けられて迫ってくる凄味は、学生時代に再読したとき、行き詰まりかけていた学生生活不安と重なり、ただただ恐ろしく、読み終わってからしばらくは寝床で横にならされた。

河童」を選んだのは中高生の頃で、河童の国を旅する要素に心を惹かれたことを思い出したからだ。それは、大学生の頃よりも不安が弱かったからなのか、この作品に潜む女性への憧れと恐れが自分に響いたのか、あるいは架空世界架空言語に魅せられたのか、その理由はわからない。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン雪の女王

アンデルセン小説を読んでいると、きっとこの人モテなかったんだろうなあ、ってのがひしひしと伝わってきて、何だったら今晩一杯つきあうよ、的な気分にさせられる。一人寂しいときへの痛みと、女性への復讐心が入り混じっていて、読んでいて心がきりきりとする。

で、この作品の中でひたすら「いいなあ」と思うのは、悪魔の鏡のかけらが心の中に入ると、どんな良いものもその欠点ばかりが大きく見えてしまうという設定だ。

ところで、ディズニー作品価値貶めるつもりはないけれど、原作とは全然違う話に似たタイトルをつけて世界中に広げるのってどうなんだろう。デンマーク人は怒らないんだろうか(「人魚姫だって原作改変をやってるし……。いや、ディズニー普通に好きなんですけど、最近こうした異文化の扱いって難しいですし……)

グレッグ・イーガン祈りの海」

「白熱光」にしようかと思ったのだが、これはエイリアンニュートンアインシュタイン物理学自力発見していく過程が延々述べられるだけの話で、燃えるけれども物理学の基礎をかじっていないとちっとも面白くないのでやめた。ついでに、彼の欠点として「科学者エンジニア最高、政治家宗教家文学者は役立たずのクズ」という態度を隠そうともしないところがある。要するに理系の俺TUEEE小説なのだ。それに、しょっちゅうヒロインから説教されるし、作者はいったいどういう恋愛経験をしてきたか非常に心配になる。

そうしたえぐみ比較的少ないのがこの短篇集で、最初に読んだ本だから愛着がある。それに、上の隠しきれない欠点にも関わらずイーガンが嫌いになれないのは、科学的な真理に向き合う姿勢と果てしのない好奇心がかっこよく、さらに己に課した厳しい倫理に身が引き締まるからだ。

カズオ・イシグロ日の名残り

友人と富士山に登るときに持っていったこともあり、これも自分にとって思い出深い小説だ。これは、大戦後の新しい時代適応できない英国執事物語である

彼の小説の語り手は基本的には何かを隠していることが多いので、いつも歯に物の挟まった言い方をする。そのうえ、誰もが自分の信念にしがみついているものから登場人物同士の会話は勝手な主張のぶつけ合いになり、実のところ会話になっていない。

カズオ・イシグロはそうした気持ちの悪さを楽しむ作家だ。そして、「日の名残り」は自分の本当の気持ちに蓋をして生きている人、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまう人に、刺さる作品であるに違いない。

ミシェル・ウエルベック素粒子

彼の作品不快だ。主人公のボヤキは原則として次の通り。俺は非モテから思春期の頃には思いっきセックスできなかった(2023年10月3日追記。「処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった」が近いか?)。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ! これはひどい

作中に出てくる西欧文明の衰退だのなんだの宗教への逃避だの一見知的に見える議論も、すべて上記の嘆きを補強するためのダシに過ぎない。それでもなお、なぜオススメに入れたのかというと、人をエゴ抜きで愛することの難しさを逆説的に語っているからだ。そして、自分が愛されておらず、必要ともされていないと感じたとき人間がどれほど孤独とみじめさを感じるかを緻密に描いている。皮肉なことに、これは性と愛について真摯思考した書物である

ただ、どの作品も言っていることが大体同じなので何冊も読んではいない。

ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人

僕がウルフのことが好きなのは、単純に文章が美しいというだけじゃなくて、迷っている人間の頭の中で浮かぶ複雑な段階が細かいところまでよく見えているからだ。例えば親しい人への憎悪が浮かび、言葉ではそれを否定して見せるが、態度にふとこぼれ出てしまう。そうした過程子供が貝殻を見つけたときのように、ひとつひとつ並べている。

そして、意識の流れとでもいうのか、ある人物意識から別の人物意識へと、外界の描写連想を経てシームレスに移行していく感じが、本当に巧みな脚本映画みたいで、やっぱり映画って文学から相当影響を受けてるんじゃないかって勘ぐったりするのだけれど、本当のところどうなのかは知らない。眠る前の自分意識もふと過去に飛び、すぐに現代に戻り、夢想し、眠りに落ちていく。

灯台へ」とどっちにするかこれも迷った。

ミヒャエル・エンデはてしない物語

さえない少年万引きした小説を読んでいると、いつしかその物語の中に取り込まれしまう。これは主人公異世界に行き、そこでなりたい自分になるが(まさに公式チートだ)、その報いとして自分自身が本当は何者であったかをどんどん忘れてしまう。何よりも面白小説なのに、その小説現実に向きあう力からではなく現実逃避の手段となることの危険性を訴えている。主人公が万能チート野郎になってになってどんどん嫌な奴になっていく様子は必見。また、後半で主人公を優しく包み込む人物が、私の与えたものは愛でなく、単に私が与えたかったものに過ぎない、という趣旨台詞を言うシーンがあり、これが作品の中で一番自分の心に残っている台詞だ。

ちなみに子どものころ映画版を見て、原作とは真逆メッセージストーリーになっているのにショックを受け、初めて原作破壊行為に対する怒りを覚えた。僕が大人商業主義を信用しなくなったのはこれ以来かもしれない。

円城塔文字渦」

基本的自分は何かを知ることが好きで、だから知識の物量で殴ってくるタイプの彼の作品も好きである。それでいてユーモアも忘れないところが憎い。フィクションとは何だろう、言葉文字物語を語るってそもそもどういうことだろう、そうしたことをちらりと考えたことがあるのなら楽しく読めるはず。「Self reference Engine」で抽象的に触れられていたアイディアが、漢字という具体的な文字によって、具体的な形を与えられている。

元々SFの人だけれども、最近日本古典にも守備範囲を広げ始めていて、SFが苦手な人も楽しいと思うし、慣れたらSFにも手を出してほしいとこっそり思っている。

遠藤周作沈黙

どうしてこれほどあなた信仰しているのに、手を差し伸べてくれないのですか。せめてささやか奇跡あなたがいらっしゃるということだけでも示してください。そういう人類が何千年、何万年も悩んできたことについて。神に関しての抽象的な疑問は、具体的な舞台設定を与えないと机上の空論になる。

以前も述べたが、ここに出てくる仲間を裏切ったりすぐに転向したりしてしまう情けないキチジローという人物がとても好きで、彼の「迫害さえなければまっとうなキリシタンとして生きられたのに」という嘆きを、情けないと切り捨てることができない。

ただただ弱くて情けない人物遠藤周作作品にはたくさん出てくる。だから好きだ。僕が文学にすがらねばならなかったのは、それなしには自分の弱さ、愚かさ、卑怯さ、臆病さ、ひがみを許せなかったからで、強く正しい主人公たちからは救われなかった。

イタロ・カルヴィーノ「冬の夜一人の旅人が」。

男性読者」という名の作中人物が本を買うが、その本には落丁があった。続きを探すために彼は同じ本を手に取った別の読者である女性読者」を探し求める。彼はいろいろな本を手に取るが、目当ての本は結局見つからない。枠物語の内部に挿入されるつながらない小説の断片は、それだけでも完成度が高く、まるで本当に落丁のある文学全集を読んでいるような楽しみがある。

世界文学パロディー化した物語のページをつないで作った「鏡の中の鏡」かと思わされたが、それ以上のものだった。語りの文と物語関係とは、新作と偽作とは、そんなテーマ物語レベルメタレベルの二つの層の間で錯綜して語られている。

ダニエルキース「アルジャーノンに花束を

知的障害者チャーリーゴードンが脳手術で天才になるが、その知性は長続きしなかったという悲劇として知られている。けれども、僕はこれをただの悲劇として読まない。障害者セックスについて正面から向き合った最も早い作品の一つだからだ。

チャーリー女性の裸を考えるだけで罪悪感からパニックになってしまう。それは母からの過度な抑圧と体罰が原因だったが、それはチャーリーの妹を彼の性的好奇心から守ろうとするが故の行動だった(チャーリーの母が、周囲からもっと支援を得られていたら、あれほどチャーリーにつらく当たらなくて済んだんではないか、とも思う)。

天才になったチャーリーは恋をし、トラウマを乗り越え、苦労の末に愛する人と結ばれ、やがて元の知的障害者に戻ってしまう。一見すると悲劇だが、彼にはセックスに対する恐怖がもはやなくなっている。彼がただの障害者に戻ってしまったという感想は、その視点が抜けているのではあるまいか

ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」

素晴らしかった。中年の仲良しグループというか、ツイッターでいうクラスタの間を行き交う書簡を通して話が進む。居場所をなくすこと、愛情を失うこと、自分の子供をうまく愛せないこと。そして、友人の死。テーマは深刻だ。なのに、読後感は良い。それは視点距離を取っているからか、登場人物を公平に扱っているからか、それとも愛を失う/奪われる過程だけじゃなくて、そのあともちゃんと書いているからなのか。長い時間の中で、家族や友人が近づいたり離れたりする感じ、これこそ人生だ、みたいな気持ちになる。

アーサー・C・クラーク幼年期の終わり

子供の頃、太陽が五十億年も経てば地球を飲み込んでしまうと知って、非常に恐ろしかったのだけれど、それ以来人類運命について書かれた物語がずっと好きだ(H・G・ウェルズの「タイムマシン」も何度も読んだ)。

人類は滅んでしまうかもしれない。生き延びるかもしれない。しかし、宇宙に出て行った結果、ヒトとは似ても似つかないものになってしまうかもしれない。彼らは人類の何を受け継ぐのだろうか。そして、今しか存在しない自分は、果たしてこの宇宙意味があるのか。

人類運命が気になるのと同じくらい、僕はきっと遠くへ行きたいと思っている。だから、ヒトという形から自由になってどこまでも進化していく話に魅了され続けるのだ。


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2021-02-28

anond:20210228225730

同感。

これまた印象だが、体罰肯定する親の子供は粗暴な気がする。

子供が粗暴だから親が体罰肯定するようになるのか、体罰肯定するような手が出やすい親だから子供が粗暴なのか、因果関係は分からないが。

anond:20210228110717

昔は馬鹿ガキには大人が叩いて躾けたもんだけど、それが出来ないからどうしようもないよね。体罰と躾の区別は難しいけど、叩くのを一律禁止にした結果がこれよ。

2021-02-25

anond:20210225162643

政権が信用できないことと、批判がその政権に対して圧力を持つことは両立するってだけだぞ

普通にしてたら言うことを聞かない子供体罰で言うことを聞かせよう」って理屈と一緒

2021-02-12

森 喜朗に寄り添ってみる

以下はWikipediaコピペが大半である

森の年表

1937年生まれる。

小学1年生の1944年に、母が亡くなる。

小学2年生の1945年に、第二次世界大戦終結する。

中学1年生の1950年に、北朝鮮韓国朝鮮戦争を起こす。

高校1年生の1953年に、冷蔵庫洗濯機トースターなどがようやく登場する。

高校2年生の1954年に、ゴジラ映画一作目が上映される。

21歳の1958年に、東京タワーが完成する。

27歳の1964年に、東京オリンピックが開催される。

32歳の1969年に、第32回衆議院議員総選挙立候補する。

以下はWikipediaから引用である

選挙直前一族会議中に、近隣の家から出火した。この時、森は決死覚悟で家にとびこみ、仏壇を抱えて出て来たという。当時の北陸地方仏教への信仰が篤い土地柄であったこともあり、この行動は風向きを変えることになった。

らしい。時代である

40歳1977年に、内閣官房副長官就任する。

46歳の1983年に、文部大臣となる。

51歳の1988年に、日本が初めてIPインターネット接続をする。同年、リクルート事件発生。森は約1億円の売却益を得ていたとされ、一時謹慎する。

57歳の1994年に、日本標準的な定年が60歳となる。

58歳の1995年に、テレホーダイが始まる。

61歳の1998年に、Windows98誕生する。

63歳の2000年に、当時の小渕首相脳梗塞で倒れる。その3日後に第一森内閣発足。日本国の長となる。

以下は、Wikipediaから引用である

前任者の急病による就任であり、総裁になるための正式な準備無しでの登板だったため、内心「正直いってえらいことになったな」と思ったという

64歳の2001年に、えひめ丸事故発生。森はプライベートゴルフ場におり、第一報が入ったとき関係者からその場を離れないよう指示されていたらしいが、第三報が入るまでプレーを続けた。ゴルフを続ける映像が繰り返しテレビ放送されかなりの悪印象となる。

2001年、森は総理大臣を辞任する。約1年の任期期間だったが支持率は低く、前述のえひめ丸事故の印象やたびたびの「失言」が支持率低下の原因だったとされている。

69歳の2006年に、Twitter誕生する。

73歳の2010年に、育ての母が亡くなる。

75歳の2012年に、議員引退する。

76歳の2013年に、アルゼンチンブエノスアイレスで行われた第125次IOC総会に現地入りし、東京オリンピック (2020年)開催決定の瞬間に立ち会った。

77歳の2014年に、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長就任する。

82歳の2019年に、#KuTooが誕生する。

84歳の2021年に、失言により、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を辞任する。

寄り添ってみる

森が物心がついたのはいつ頃だろうか。仮に小学1年生の頃として、この頃は1944年である。母が亡くなった年である

森が小学2年生のとき第二次世界大戦終結している。どんな時代であっただろうか。戦後教育なので、今よりはるかに奔放な教育がなされていただろう。有り体に言えば体罰や、現代倫理観では時代錯誤とされることが、当然の教育としてなされていただろう。

そのような教育を通して、森は育ったのだ。

日本インターネット誕生し、私達がWindows98テレホタイムをしていたころには、既に森は61歳で定年を過ぎている。

森は内閣時代もとにかく失言が多いイメージであった。生来性格とみるか?育った時代教育環境も影響しているはずだろう。

私達の感覚では、「時代に合わせて感覚アップデートできないものは置いていかれる」「アップデートできないものが悪い」というのが通常だが、森にこれが可能だったとは到底思えない。

特別に森がというより、一般論としての森の世代であるTwitter誕生たころには70手前の世代である

自分母親父親職場上司に「感覚アップデートしろ」というレベルではない。それよりもっと上の世代人間である学生時代戦後経験した世代である

PCが使えなくて当たり前だろう。スマホが使えたら上々だろう。その世代人間は、感覚アップデートするのが嫌なのでなく、どう感覚アップデートすればいいのかわからないのではないのか。

この世代人達は恐れているのではないか自分の古くさった感覚アップデートできてないことは自覚しつつ、言葉ひとつで多くのバッシングが飛んでくるこの時代を恐れているのではないか

哀れと思うこそすれ、責められないと思うのだ。私達も、いずれきっと行く道である

森内閣時代、私は中学生であった。胡散臭い爺という印象であった。私と同世代で森が好きなやつは少ないのではないか

しかしこうして年表を並べてみたら、お疲れ様でしたとしか言いようがない。

2021-02-07

anond:20210207130028

昔は子供が悪さをしたりいうことを聞かなかったりしたら、ぶん殴っても許させていた

教師に対する(過度な)信頼があったから成り立ってたんだろ

教師と言えどクズが多すぎなのがバレて体罰という伝家の宝刀とり上げられたわけだ

2021-02-04

anond:20210204113118

①今の小学校高校空気を読む教育が行われているので、和を乱す、すなわち批判することを許さないこと、

これホント

団塊ジュニア世代管理教育がキツい地域の中高に通って、あからさまな不良・校則違反のみならず、比較大人しい生徒でもちょっと反抗的な態度・校内外問わず目立つことしたら即生活指導の呼び出し・説教・少しでも口答えしたら体罰

という環境だったが、

の子はそれよりも全体主義的な教育受けているというのか? 信じられんな…

残念ながら自分子供はいないし、普段10代と話す機会などないので確認しようが無い。

2021-02-03

anond:20210203131808

給料いからろくな奴が来ないんだ、という主張はさておき公立学校教員なんて昔からコミュ障オンパレードじゃないか

ここから体験談小学校では隣のクラスに低学年しか受け持たないおばちゃん先生がいて、後で聞いたら謎のマイルール体罰とやりたい放題で不登校なる子もいて保護者から何度もクレームが来ていたらしい。学校も把握していたけど「こっちで言って改善するならとっくに改善してるわ」という感じでどうにもできなかったらしい。

中学では謎のヒステリックババアが嫌われていた。試験中いきなり生徒を引っぱたいて廊下に連れ出した。ババア曰く「カンニングだ!」と騒いだけど確認したら机の中に入っていたのはゴミ。疑わしいのはよろしくないが、いきなり引っぱたくのは明らかにおかしい。その後病気とかでいなくなった。

高校でも無闇に嫌われているじいさんがいた。あまりにも嫌われていてじいさんの授業全部寝てる優等生がいて、じいさんがガチギレして「この問題を解け!」となったけど優等生はスラスラ答えてそのまま睡眠体勢に戻ってじいさんプルプルしてるっていう漫画みたいなこともあった。

あと女子の着替え覗こうとする奴もいた。そいつに関しては若い女性の先生研修で絡まれててちょっと……という話も聞いた。

他にも生徒をバカ呼ばわりするとか約束時間を全く守れないとか明らかに風呂入ってねえとか生徒の顔を全く覚えないとか先生以前に「コミュ障とか以前に社会人としてどうよ」というのはたっくさんいた。それはど子に行ってもいるんだろうけど、正採用場合簡単に辞めさせられないし閑職に追いやるとかそういうのもできないし、そういうハズレ人材をどうにかできないものだろうか。

消しゴム3.5時間教員に思うこと

消しゴムを忘れた児童を3.5時間立たせた神戸市北区の25歳教員ニュースになっている。

はてブの中で「年寄りかと思ったら25かよ」などの意見があるが、個人的感覚としては、「この時代がいよいよ来たな…」という感じだ。

これから変な教師若い世代の中からもどんどん出てくる(昔にも居たは居たが、それより規格外のやつだ)。でもそれは教育のせいではない。政府と、それを容認してる“民意”のせいだ。なぜなら、この人1人で済む話ではなく、またこの数ヶ月や1年の「成果」でモンスターみたいな教師が出てくる訳では無いと肌感で思っているからだ。

前提として、この教師がやったことは体罰だし罪と罰バランスが取れていないし、コメントを見てもうわぁ…と思う。でも、じゃあブコメにあるようにこの人1人を辞めさせたら解決かというとそういう問題じゃなく、点では無く面でというか、塊で発生してるのではないだろうかと前々から思っていたからだ。

まずは小学校採用倍率。今年は過去最低の2.7倍。2.7倍だ。約5人中2人受かる。かなり低い。初任給20万円程度で、手取り17万くらい。これで定額働かせ放題だ。中年になれば世の中のサラリーマンの平均より高いというが、やることは1年目から変わらないし、若い世代のほど課外の活動はあり、親にナメられ削られる。生徒は20人〜40人(今はこんないないのかな?)を、1,2年で中身が総とっかえされながら気を配り親とも付き合っていく。小学校でも受験相談とか最近あるだろうから、高学年だったら進路相談もありそうだ。バイトみたいな月収でこれをやりたい、と考えるだろうか。志がある人はもちろんこの条件でも受けるだろうが、そうではない学歴能力も徳も備わった、いわゆる「親の皆さんがこれで良しと認める」ような人が、職業選択候補の一つとして教員を選ぶのは、難しいかもしれない。(ちなみに大学で取る授業数は教員免許を取るには通常にプラスしてかなりの単位を取る必要がある。余分に授業を受けたり実技をしたり教育実習に行く余裕を捻出するのはかなり大変だ)

2つ目に実体から自分は29歳で教員免許もち。教育実習は高校に行った。偏差値70前後公立高校。規模もそこそこあるために、自分の代で12人くらいの教育実習生を受け入れてた。そこそこ良い公立なので、実習生たちも有名大学ぞろい。そんな中で、偏りがあるのだが、同じ社会系教科で来てるのは6人いた。その中で教員志望は2人。しかし、超個人的意見だが、「一般企業無理そうだな〜」というコミュ力が無く性格微妙な2人が、よりによって教員志望だった。他の4人は自分も含め内定貰い済みで、他の人の内定先は官公庁外資大手製造などだった。

残る教員志望の2人は①某T大院、授業が早口独りよがりで下手。コールアンドレスポンスというか、人と絡もうとする意思が見受けられない人。コミュ力12/100くらいしかない。

②某K大、真面目キャラに見えるが負けず嫌いプライドが高く、幼い。何か言うとすぐ上から目線で返してくる高圧的な人。自分が「かしこい」と思っているタイプ日常会話でもマウント取ってくるので次第に周囲からしかけられなくなっていた。授業も下手。

といった具合。数学家庭科古文など、他の教科で教員志望の子ちゃんとしてたので、教科的な性格もあるかもしれないし、2例だけで全体を語るのは全く的外れだし、2人も将来立派な教師になる可能性がないこともないが、その時点で「こんな先生いたら良いのにな」という好青年・明るくぐいぐいくる女子・授業がうまいやつは先生にはならなかった。何でか聞くと「内定もらったから・そっちのが安定してそうだし」と。この安定とは何か。教員は鬱パワハラ身体を壊す危険性があり、国歌を拒めば罰せられる可能性のある「安定した職業ではない」ものなのだ。(国歌は左右の話ではなく、思想的な強要を受けるという意味思想に、理不尽強要を受けるのヤバい

マイナス面ばかり語ってしまったが、だから何かというと、教員給料を上げ、勤務制度を整え、有料人材もっともっと憧れて入る、競争率が高い職業になるように政府教育お金をかけて欲しい。大袈裟かもしれないが、国の未来教育で作られる。尊敬する先生に会えることは子供に大きな影響を与えるだろうし、余裕が無ければ子供は育めない。親の皆さんは先生は値踏みするものではなく、自分が相対していない間子供を育てる相方だと思って協力しながら接してあげて欲しい。世間の皆さんは揚げ足を取る対象ではなく、頑張れ!いいぞ!疲れたら休め!と応援する気持ちで見てあげてほしい。そしてそんな相方に足る人材応援したくなる人材教員を志望してくれる世の中になるように、国の教育へのなりふりをしっかり監視してほしい。

言及最後にしたが、小学校での児童に対する性的ないたずら・暴行事件は、皆さんが認識している以上にある。教師の質を上げることは本当に、人間を守ることにつながる。それは学歴だのではなく、志と人としての倫理観が高い、成熟した心を持つ学生教師に向かわせる社会的な環境だ。

今も教育現場で頑張っているみなさんにはエールを送りたい。その中には自分大学で一緒に大量の単位取得を頑張っていた友人たちもいる。教育綺麗事だけ言えば、20年後の未来を作る崇高な職業であると思う。今日もおつかれさまです!

2021-01-25

ニュースをみる、涙がでる、無力だ

大津いじめ事件判決が確定したらしい

自殺練習」で有名なあのいじめ自殺ニュース裁判

主犯2人で400万の賠償金

刑事事件としては取り扱われないらしい

憤りつつ判決文を読んだのだけど

両親の別居に伴う家庭崩壊、親から体罰否定、本人の発達障害祖父母との不和……

このうえ、学校側のいじめ隠蔽が重なったかと思うと、あまりに救いがなく

自殺した13歳の少年の心情を思うと、涙が出てくる



その他にも最近だと

13歳の実の娘に性的虐待を加えた父親ニュースがあった

348回にわたりスマホ撮影したそうだ

何回、どれだけの時間非道な目にあったのか…言葉もでない

なのに判決懲役8年だった、たった8年

21歳になる頃、加害者は世に出てくるのか

この小さな女の子は、きっといま、自分がどれだけ深く、どんな風に傷ついているかも分からいくらい傷ついた状態にいるんじゃないだろうか

の子が、平穏に近いものを取り戻すのには、とても長い時間必要とするだろうに

たった8年で加害者塀の中からでてくるのか

日本司法は、あまり子供残酷ではないのか

けど、いじめ問題だって児童虐待問題だって

判決量刑過去よりはマシに、なっているのだ

これでも、このやるせない腹の立つ判決でも…


池袋暴走事故だって

なぜ未だに他の事件と扱いが違うのか

失われた命に対しての敬意はないのか…


悲しいニュースをみると

どうにかならないのかと事件問題について、深く調べようと思う

すると悲しい事実を深掘りすることになって

人間の悲しさを前に、可哀想で不運なひとを前に、涙がでて心が止まってしま


落ち込んでいると

自分にはどうにもできないことだと、

割り切れ、と人からは言われる

でもみんなが無関心になったらどうなるんだろう?

寄り添うことも放棄して、自分の半径の生活だけ考える

それが正しいんだろう

そうなの?

そんな社会に、自分は住みたくない

けれど自分は弱すぎてなんの意味もない

悲しい 無力だ

2021-01-10

恨み

10年続けた仕事を辞めた

理由パワハラと激務と組織体

辞めた今でも「あいつのせいで、あいつのせいで」と辞める原因となった色々な顔が頭に浮かんできて、された事や言われた言葉を思い出す。恨みで頭が一杯になって何時間もずっと同じことを考えている。

過去ことなんて考えるだけ無駄だ」と頭で分かっていても恨みを頭から追い出すことは出来ない。

「俺より能力が低いくせに楽な部署に行って楽しくやりやがって」「経験も無いくせに偉そうな事言いやがって」「俺よりも給料低いくせに給料高いアピールしやがって」「大した仕事でも無いくせに粋がりやがって」「俺より辛い思いしてないのに仕事辞めやがって」挙げたらきりが無いが、気付くと仲の良かった同期や友達、果てはテレビで見た知らない人やTwitterツイートが流れてきた人など、ありとあらゆる人に対して無意識に恨みを抱くようになり、その度に「何故自分はそんなことを考えてしまうのか」と自己嫌悪に陥っていた。

そんな時に沼田和也さんと言う方の一連のツイートを見た。以下に引用させて頂く

〜〜〜

教育ってすごいな/怖いなと思うのは、小中での「とりあえずぶん殴る」というシゴキ教育のなかで育ち、高校剣道部でも先輩からこってりやられた体験が、未だに自分のなかで、理性的ものとは別次元で、「年功序列鉄拳制裁でどうにかできるのでは?」という身体的誘惑になっていることである

園長をしていた折、職員室に入って来て騒いだ子どもたちに「やかましい!外に出んか!」と怒鳴ったことがあり、副園長から「(子どもだけでなく)職員が萎縮するからやめてください」と注意されたことがある。子どもの頃あれほど嫌だった力技を自分がしていると気づき、悲しかった。

から、「体罰はよくない」「組体操危険である」等の批判がなされるとき、理性では「まったくその通りだ。それが正しい」と理解しているのに、身体が苛立ちを覚えてしまうのである。悲しい苛立ちである時代遅れの苛立ちである

〜〜〜

沼田さんのツイートの主旨とはずれるだろうが最後の「理性では理解しているのに、身体が苛立ちを覚えてしまうのである。悲しい苛立ちである。」の一文を読んだ時、言語化できていなかった自分の「恨み」という感情は「悲しい苛立ち」だったんだと、少なくともこの世に一人は自分と同じ「悲しい苛立ち」を感じた人がいるんだと、自分だけでは無いんだと救われた気持ちになった。

考えてみると人生で会った人の中で本当に嫌な奴というのは少数で、殆どの人は良い人だった。今まで多くの人に助けられてきたことを忘れ、あまつさえ恨んでいた自分を恥じた。何と神に愛されぬ生き方だろうと。

自分がこれからどうするのか考えた。今まで与えて貰い、返していない恩をどうしようと。もう会えない人もいる、それならまだ会える人と、生きていく上で会う人に恩を返そう。良い人にも、嫌な奴にも

そう決めると頭の中に嫌な顔や思い出が出てこなくなった。

2021-01-07

anond:20210107152521

男女とも仕事家事育児を均等に分担する義務ができたもんな

トリプルワーク状態じゃ疲弊するわ

しか昭和のような雑い子育て(放牧・体罰okなやつ)は許されないんだから

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