はてなキーワード: スタンスとは
ぼっちざロックの一件、割と周りでも話題になったんで女性と男性どっちにも雑談ついでにヒアリングして分かったことがある。
男性、嫌いな物に対する耐性がめちゃくちゃ高い。
びっくりするぐらい高い。
割と腐とか夢とかこのへん関係なく女性ってとにかく自分の嫌いな表現(これは絵柄とかシチュ、○○との絡みとか多岐に渡る)を一瞬だって目に入れたくない!見たくもない!って人が割と多い。
私もまあ騒ぐほどじゃないけども一回見ちゃうと半日引きずってテンション下がるぐらいの地雷は多少ある。
でも男性ってこの人繊細だなあって女から見ても思う人でも「目に入る事」に関しては許容する空気がある。
嫌いだけど別に見たっていいじゃん、邪魔ならそいつを「見てから」ブロックかミュートすりゃいいって人しかいない。
なんていうか、「見たくない権利」というものはあくまでも見たくない人間がわざわざ個別にやる事であって見たいやつ見せたいやつの邪魔をするのは間違ってるってスタンスで世界ができてる。
女性の多くは私含めてそれができない、難しい。「見てしまうと」信じられないぐらいダメージが入る人が多い。
だから注意書きもある、リバの可否や同担拒否も宣言する、パスも掛ける、検索避けをする。
そりゃ検索避けなんて文化は男性向けじゃ流行らないよこれ、前提条件が違いすぎる。
自衛ってものに対する認識が女性の場合「殴られないように回避する」なんだけど男性向けだと「殴られてから対処する」なんだもん。
公式タグに乗っける理由もこれで分かった、見せたい人を静止、悪く言えば邪魔をする文化がないんだ。
全員強化系を極めたウヴォーギンって感じだ。
いろいろと話を聴く限り地雷に関しても踏みたくない、遭遇したくないとかみたいな考えがそもそもなくて、一回踏んで爆発しないか確かめる、みたいな感じだから
お互いに地雷を回避するために検索避けとか注意書きとかしましょみたいな女性向けの文脈が一切通用しないのも当然だ。
とりあえず視界に入る、という事を全住民が許容している以上は衝突も殆どないから注意書きなんて付ける意味ないし検索避けも探すのがめんどくさくなるだけ。
視界に入ってもいいのであればむしろ検索性が高いほうが地雷を弾くのにも探すのにも楽だから文句もでないわけだ。
雑に男女で括っちゃったけど概ね間違ってはないと思う、うん。
とはいえ本当にダメージ食らう人っているのよ、びっくりするかもしれないけど。
私もどっちかっていうとそっ閉じ派ではあるけど見ちゃったなーってその日1日寝る前憂鬱になるって感じ
男でもtwitterでVtuberとか検索避けしてるじゃんって言われるのは実際ごもっともなんだけど
その人のpixivとか見るとバリバリにタグ使って掲載してたりするからそういう意味で検索避けしてないんだなって思ったんよね
おれは断然はてなを支持する。
はてな側の言ってることはまともだし。
どういうアルゴリズムになったか、君みたいな言葉が暴力的で、すぐに頭にきちゃうような 「理性的でない人」 にどうすれば以前のように表示されるかなんて答えるわけないじゃん。
君みたいな人に影響力のある発信してほしくないんだから。
変んな知恵つけさせたくないよ。
自分が顧客対応の立場だったら、もうサービス使ってくれなくていいし出禁にしたいから適当にあしらっておこうって思うな。
常識を持った客相手だったら否定はまずいけど、あなた相手だったらしょうがない。
君のやり取り見て、きっと普段からろくでもないコメントしたりしてるんだろうなって容易に想像できる。
試験会場で酒を飲むぞ
近所にバーと立ち飲みの中間のような店があるのでたまに行くのだが、最近珍しく20代半ばの男を時々見かける。話していても悪い奴ではないのだが、酒が入ると学歴や勤務会社の話が矢鱈と出てくる。確かにかなりスペックは良いものの、自分より若い奴でそういうアピールスタンスの人間がまだ実在していることに驚いている。そういうの今30代後半くらいの世代で絶滅したんじゃなかったのか。
優しいので誰も何も言わないが、お前が半分タメ口で話しているおっさん2人は会社経営者だし、「プログラム書くだけじゃないっすかw」とお前が煽っているそのSEの兄ちゃんは確かにプログラマーだが誰もが知る企業かつスーパバイザー的な立ち位置だ。いつも片隅で静かに飲んでるおっさんはフランスだかなんだかの文学の博士号持ちだ。お前が口説こうとしている女性は「OLです」としか確かに言ってなかったとは思うが海外企業と化学のプラントだかなんだか作ってる専門営業職の上澄みみたいな子だし、その前「へー!俺とおんなじくらいのレベルの大学じゃん!頭いいね!」と盛り上がっていたバイトの女の子はお前の大学とネームバリューは同じくらいなのかもしれないがその子は医学部なんだ。
俺は残念ながらただのおっさんだが、別に自分のスペックに自信を持って行動すること自体は悪いことじゃないとは思う。昔と違って今は誰も怒らないからこういう奴はずっと勘違いして生きていくんだろうかと思いながらぼんやり眺めている。こいつはいつ気づくんだろうか。
一時期ひろゆきのYoutubeを好んで聴いてた時期があったんだけど、
どういうところがかというと、とりあえず頭ごなしに否定したりバカにしたりしない。
「働きたくないです」という相談には「生活保護を受けたらいいですよ」と言い、
「不倫の恋に悩んでます」という相談には「訴えられたら確実に慰謝料取られるからオススメしません」と言う。
なんというか、暴論は吐くが、暴言は吐かない。
他のオッサンみたいに、「野菜食べるのは偉くねーよ、美味いから食うんだよ!」とか訳のわからないキレ方はしない。
こういうスタンスが今の若者には聞き入れやすく聞く耳を持とうと思えるんだろうと思った。
ひろゆきはそれをセルフプロデュースしてやってて、「そんなこと誰でもわかるし誰でもできるのになんでそうしないの?」みたいな態度が見えるのも面白い。
ブコメ100文字を駆使して否定や暴言をすぐ吐くブクマカもそういうところは見倣ったほうがいい。
あとひろゆきを批判する時に絶対出てくる「でもこいつ賠償金踏み倒してるよ」というやつ、
それはそうなんだけど、これを言っている時の、相手が何を言っても相手が悪で自分が正しいと無効化する感じがどうも受け付けない。
もちろんどうかと思うし、無かったことにしていいことでもないのだが、
そんな失敗をしても厚顔したたかに「自分クズですけど何か?」って顔で図太く生きる姿勢はむしろ若者も見倣ったらいいと思ってしまう。
本当に疑問なんだけど、日本にはフランス経済の専門家とかおらんの? 探せば日本のどっかにはフランス語を原典から訳せて経済学の知識がある人が絶対いるでしょ(フランス語はメジャー言語だ、って強調してるのはそういう意味もあるよ)。
ピケティの本が世界的な話題作であるなら尚更、フランス語と経済の双方に通じた翻訳者を探してくるか、それが無理ならフランス語からの翻訳を監修する経済学者を連れてくるべきで、重訳は最後の手段だろう、というのが人文系の感覚。「アイスランド語の推理小説」ならまあ重訳でも仕方ない(良いわけではない)けど、「フランス語の経済学書」だったら、日本にはフランス語の専門家は大勢いるんだから彼らに直接訳させろ、翻訳にあたって経済学の知見が必要ならフランス経済専門の翻訳者 or 翻訳を監修してくれる経済学者を連れてこい、というのが相場じゃないかなぁ。すげえどうでもいい本ならその手間を惜しむのもわからなくはないけど、世界的な話題作ならそこの手間はかけるべきでしょ、と思うよ。だからピケティを重訳で良しとする感覚がマジで理解できんのよな……(出版社にとっての経済的メリットはわかるけど、学問的にはメリット皆無でしょ)
結局、人文系にとっては「原典にあたる」ことがまず基本であって、翻訳は原典ではないわけよ。研究をするにあたって翻訳で済ませてよいのは、
場合に限られるんじゃないかしら。あとはよっぽど研究環境の貧弱な地方大学に所属してて碌な研究費ももらえず図書館も充実していないので原典を入手することができず、なおかつ信頼に値する翻訳があるなら、まあ翻訳で済ませるのも仕方ないかもしれないけれど、山形浩生はそんなに貧窮してるの? って話になるので。
(理論もすべて原典で読むべきか、はまあ微妙なところ。たとえばフーコーの思想を研究するのならフランス語原典を読むのは必須だけど、フーコーの「生-権力」概念をドイツ史研究に応用してみました! みたいな場合は、うーん、まあ研究の基礎となる資料をちゃんとドイツ語で読んでるなら理論は日本語訳でもいいかなぁ、という感じ。もちろん理想を言えばフランス語読むべきなんだけどね、それ言ってるとキリがないからね)
なお、元の話題に出てる北村紗衣は、「原典を読める文学作品については研究し、そうでない作品(ロシア文学とか?)については評論する」というスタンスであることをどっかで公言していたはず。研究はあくまで原典に依拠して行うもの、原典を読んでいないのは研究とはいえない、というのは、人文系研究者としては当然のスタンスだと思う。なんだろう、増田は経済学のこととかよくわからんけど、英語からの重訳を出されるのは、数学や統計学を踏まえずになされた経済学研究を出されるようなもんなのよ。基本のキができてないですね、問題外、って感じ。
12月22日追記:暇空氏が東京都に対して提起した訴訟で原告代理人がついているらしいので、3人の弁護団云々は本当でしょう。
【以下、追記前】
本当に雇ったんならColaboからの訴状が届いたら裁判所に委任状を出すんだろうから、遅かれ早かれ分かることではある。暇空氏側から訴訟も提起するって言っているしね。
現時点では「誰が雇われたかどうか分からないが、本人は雇ったといっている。実際に雇ったかどうかは現時点では外野からは分からないが、遅かれ早かれ分かること」というスタンスが正解だと思う。
「誰も雇っていない」という可能性を一応考慮すべきとしているのは、以下のような点が気になるため。どれも有力な根拠ではないし、普通はここまでやって弁護士雇ってないなんてことあるかと思うけど、私個人としては「弁護士が実際に出てくるまでは断定しない」根拠にはなると思う。
俺は自分の意見と真反対の意見が多数締めていても「はは~んそういう見方もあるのね」スタンスで、12年ぐらいはてブ見てる。
めちゃくちゃ攻撃的なブコメを見ても俺はそのスタンスを崩さないよう心がけてきた。
でも塵も積もれば云々で、年を経るごとに少しずつ少しずつ全体に対して悪いイメージが積み重なる。”はてなブックマーク”が嫌いになっていくのだ。
おもしれーこと書くブクマカを見て好の感情へ寄ることもあるが、1年通したらマイナス域。
しかしもうやめられない。12年も続けたらもはや習慣となっている。断ち切るのが難しいのははてなユーザー諸君も分かってくれるよな。
でも、あんときよく見かけてた奴らはどこかへ消え去った。おもしれーこと書くじゃんと思ってたヤツの一人は、キチガイにやられちまった。
ただただ称賛して終わろうとするメディアの気持ち悪さも十分理解はできるし、今回の結果に対して「意味がない」と言い切った某選手の発言はとても痛快ではあった
一部のサッカーオタクは「日本サッカー界を考えて厳しく批判している」「にわかが、批判するな!と言ってるのが正しいとされる意味がわからん」てきなことをgdgd言ってるようだ
面倒くさいサッカーオタクに言いたいこととして、そもそも批判するのが悪いわけではなく、「世界の舞台で極度のプレッシャーの中働いた選手やスタッフに対して、一定のリスペクトをまず見せたらどうですか?」という、いわゆる「サッカーにわか≒界隈を外から見ている人たち」の極めて常識的な意見、スタンスが根本にあるということを理解して欲しい ということだ
サッカーに限らずどの界隈でもそうだろうが、基本的に一定の意味のある批判はされて当然である 批判の応酬がされるということは、すなわち、それほどまでに注目されていて、素人と言われる人でもある程度の理解から考察ができる、そういった素養が広がってるだろうということでもある 逆にサッカーに興味のない国なら特に何も言われず、また4年後をただ迎える そうならないように、という意味合いは極めて大きい
ここで言いたいのは、批判をするなということではない 批判するならするで一定のリスペクトを見せてほしいということだ
例えば呆れるような罵倒する言葉を使わない、そもそも最初にねぎらう言葉をかける、など しかしこれらは極めて一般常識的な話だ 普通に社会生活送ってれば、まあそうだよなと思う程度の話だ
それすらできない人たちというのが残念ながらどの界隈にも一定数いる そしてこのSNS全盛期ではそのような言動は極めて目立つ
それを界隈外にいる人はどう見るかというと「なんか面倒くさいオタクがいるなあ・・・・」
いちいちいわなくても、批判こそがリスペクトだ!とか言い訳するような人もいるだろうが、言葉にしなければ伝わりません 直接合ってなにか身振り手振りなどできるなら話は別だけど
自分の言動を客観的に見れずに、見当違いな言い分で自分のスタンスを正当化するような人たちがつぶやく「批判」にどれだけの重要性があるのかは甚だ疑問ではあるが、まあ得てしてなかなか自分では気づかないものであるし、そういう人らは集団を作ってお互いに認め合おうとするので、ますます泥沼化するからもうどうしようもない 多分一生治ることはない 悪性のガンみたいなものだ おわり
ある Vtuber を数年越しで推しているが、未だに理解できない部分がある。
他人の心理がわからないのは当然ではあるが、数年も配信をずっと追っていればある程度推し量ることも難しくないはず、そう思っていた。
具体的に言うと、彼女は自身の考えやスタンス・決まっていない予定なんかを話すことをやけに嫌っている様子なのだ。しかし、正直理由が全くわからない。本当に想像がつかない。
自分もファンなので推しの考えや予定が気になり、配信のコメントで何度か尋ねたこともあるのだが、びっくりするほどレスポンスが悪い。なんなら投げ銭コメントですらスルーされることもあるレベルである。
加えて、そういった質問を露骨に嫌がるでもなく、「そういうことを訊かれるのが苦手」と明言しているわけでもなく、殆どの場合ただにこやかにスルーされるばかりのため、こちらもどこまで踏み込んでいいのかわからず、何度か前述した内容を尋ねてしまっており、厄介者という印象を抱かれている気さえする。
まあ、厄介者だと思われてもしょうがないとは思うが、何はともあれ理由が知りたい。
なぜだ、なぜ人前で表現することが主題の配信者かつ Vtuber という立場であるにもかかわらず、なぜ自分の考えやスタンスを語らない。
前者について。
彼女は自己肯定感がやけに低いので、おそらく、考えや信条を語ることを自己主張と認識し、忌避している可能性が高いのでは。
V の界隈では、自身の考えを語ることを「お気持ち」と言って揶揄するクソみてぇなリスナーがいたりするので、そう捉えられることを嫌っている、というのも多少はあるかもしれない。
後者について。
彼女は、日時・内容・コラボの場合は参加者と情報解禁の同意、これら全てが確定した予定は淀みなく伝えてくれる(たまに普通に忘れたりするけど)。
しかし、この内のどれか一つでも未定のものがある場合は途端に口が重くなる。
だいたい毎日決まった時間にゲーム配信があるのだが、翌日ないし当日に配信があるかどうかすら告知しくてれないこともある。土日は特にあったりなかったりして読めないことが多い。
また、不定期の朝配信がだいたいゲリラで、配信開始のわずか数分前の告知後にすぐ始まったりすることもあるので、リアタイ勢の自分としては、いつ朝活が発生するのか全く読めず、本当に毎日気が抜けない。休日だからといって昼前までゆっくり寝ていたら朝活を見逃すからだ。
彼女は、翌朝の自分に配信する余裕があるかどうかすらわからない、ということだろうか? この心情に詳しい方がいたらぜひ教えてほしい。
あと、コラボの情報は推し本人ではなくだいたいコラボ相手が初出。しかも推しが主催であっても、である。なぜだ……。
もちろん、予定を不確定のまま配信する人気 Vtuber や配信者も多い。
このタイプの方々は思いついたら配信、ぐらい時間が不確定なので、まあ納得できる。めんどくさかったりもするのだろう、と予想もできる。
しかし、俺の推しは毎日だいたい決まった時間に配信しているのだ。
「内容決めてないけど明日も同じ時間に配信予定だから観に来てね」とか「明日は朝も余裕あるから10時ぐらいから今日の続きを配信するよ」とか、配信の最後にそういう次回予告したりツイートしたりしてくれるだけでいいのだが、なぜないのか。
ちなみに、サソリがモチーフのある人気 Vtuber はほぼ完璧な告知をしてくれる。
自分の考えやスタンスもしっかり言葉で表現してくれてとても好感が持てる。
彼女が人気である理由の一つは、そのリスナーフレンドリーな立ち回りであることがよくわかる。
正直に言うと、俺の推しもそういう風に立ち回ってほしい。
ただ、めんどうに思っているのなら、それはそれでいいのだ。
ストリーマーっぽく、毎日適当に配信したいんだ、と考えているのならそうでもいいと思う。
モリカケと明確に違うのは暇空が行政手続きをしてるところに弁護団が横からぶちかましてきた形なだけで
暇空自身は疑惑をネタに議会で糾弾会とかしてるわけじゃないんだよな
簡単に言うと、おっさんが知識で若い女性にマウントをとって、尊敬されてキモチイイ、というポルノだ。
私はこの番組が好きだし、
性的なポルノはもちろん、感動ポルノ、暴力表現、食欲に訴えるやり方など、表現におけるポルノ成分を否定するものではない。
ただ、少し無自覚に見えるのが若干気持ち悪い。(タモリさんが無自覚なのではなく、番組が無自覚)
他人との距離感バグりアナ、桑子さんの時代から変化が始まった。
桑子さんがおっさんウケしたのだろう、アナウンサーの立ち位置が変わっていった。
本当は知ってるんじゃないの、ということでも「知らない」というのがアナウンサーの基本スタンスになった。
二年前に半年ほど連絡を取っていた知人が死んだ。自ら命を断ったようだった。訃報を受けてから一年が過ぎ、誰にも話せなかった当時の自分の気持ちを吐き出すためにこの日記を書く。ここには教訓もなにもない。
知人のことを知ったのは、ちょうど新型コロナウイルスが流行するあたりのまだ寒さが残る時期だった。いつものようにインターネットを徘徊していたある日、趣味に関することを Twitter で検索していると、ふと知人のツイートが目に留まった。なんてことのないツイートだったが、なぜか「おっ」となるような文体で、そのツイートに自分がリプライを送ったことをきっかけとしてしばしばやりとりをする仲になった。
知って間もない時期こそパブリックなタイムライン上で趣味に関するやりとりをするくらいだったが、やがて DM を交わすようになり、趣味の話題のみならずパーソナルなこともやりとりするようになった。どうやら知人は同い年の女性で、学生のころから今に至るまで、自分と同じようなインターネット上のコンテンツを楽しんだり、音楽を聞いたり、本を読んで過ごしてきたようだった。今でこそ SNS などを探せばいくらでも見つかるかもしれないけれど、学生時代には周囲に嗜好の合う友人もおらず、一抹の寂しさを勝手に抱いていたものだけれど、今になって話題の合う友達ができたようで嬉しかった。彼女も同じ気持ちと言っていた。
やりとりをするようになってから一ヶ月ほど経った頃には、週に一回のペースで LINE 通話するようになっていた。そんなある日、彼女から「交際している相手はいるの?」という質問があった。自分には特定の交際相手がいたためそれを伝えると、続けざまにさまざまなことを訊かれた。交際相手がいるのに他の女性とこうしてやりとりすることについてどう思っているのか、私はあなたにとってのなになのか、あなたは私をどう思っているのか。そして、あなたが交際相手と別れて私を選ぶことはあるのか。そうした内容だった。
聞くところによると、彼女は虐待サバイバーだった。実家を出るまでの十数年にわたり、両親からのひどい虐待は続いたそうだ。そして社会に出て自立してからも、長い歳月をかけて根付いてしまった自罰的なスタンスに苦しめられて、社会生活もうまくいってないようだった。社会に受け入れられるためには我慢が必要で、しかしそれも続かずやがて心身に影響が生じてくる、現にいまも休職中なんだと彼女は言った。「そんななかで、何の前提もなく、何か口を挟むわけでもなく、静かに自分の話を聞いてくれる人が現れて、私は動揺しているんだ」。
自分は、「話題の合う人と知り合えて嬉しい、友人として仲良くやっていければと思っている。この先の人生がどうなるか、どんなことが起こるのか、先々で自分がどんな選択をするのかはわからない。少なくとも、いま自分から別れを切り出すことはないと思う」と答えた。自分は、自分の人生が自分の意思でコントロールできるものではないと思っている。転がるところに転がっていく、転がった道が人生になる。現にこれまでずっと、根無し草のように、流されるままに生きてきた。
彼女が納得する様子はなかった。自分には理解できないけれど、不思議な人がいるもんだねと笑い、「でもね」と続ける。「覚えておいて。誰にでも振りまく優しさは優しさじゃないから。野良猫を餌付けするようなものだよ。あなたは本当に残酷なことをしているんだと自覚してね」。今度は自分が困惑した。意識して優しくしたり、そもそも優しく接しているという自覚もなかったからだ。他の人と接するときと同じように、ごく普段どおりに接しているだけなのに、そう言われてしまうと自分はどう振る舞えばよいのかわからなくなってしまった。「わかった」と答えて、その日のやりとりは終わった。
その日以降も彼女とのやりとりはぽつぽつと続き、新型コロナウイルスの感染状況が落ち着いたタイミングで二度会った。もちろん、交際相手にはネット友達の女性と会うと伝えた上でだ。やっぱり話題が合うこともあり、一緒に食事をしながらああだこうだと話をするのは楽しかった。二度目の別れ際、じゃあまたがあれば今度、と改札をくぐろうとしたとき、ちょっと待ってと彼女が切り出した。「やっぱりあなたの人間関係に対するスタンスは理解できない、でも私のなかであなたに対する気持ちが大きくなってきていて苦しい、はっきりしてほしい」と。自分は、ついに覚えておいてと言われたことを忘れてしまっていた。
「難しいな」「何が」「何をはっきりさせるべきかがわからない」「私を選ぶことはあるのかを聞きたい」「あるかもしれないし、ないかもしれない、わからない」「じゃあ仮に私が他の人と付き合うことになってもいいの」「いいよ」「なんで」「それはそういう流れだったと思うから」「私がいなくなってもいいの」「よいかよくないかはわからないけど、寂しくはなるね」「寂しいだけ?」「それ以外にも感じるかもしれない」「私はいつかを待ってていいの」
あなたの存在が私をひどく苦しめている、と彼女は言った。周りの人にあなたの話をしても、そんなやつは怪しすぎるってずっと言われてたし、私もそう思ってる部分があったんだ、とも。ハッとした。そしてこの数ヶ月にわたって自分は残酷なことをしてきたんだということを思い出した。少し間をおいてから、ずっと苦しめてしまって申し訳ない、今日でやり取りをするのも終わりにしようと思う、これが君が思うはっきりさせるの帰結でないならなお申し訳ないと伝えた。彼女はなんでそうなるのと言いながらも、答えてくれてありがとうと言った。
「私はしつこいからまたメッセージを送ったりしてしまうと思うけど、独り言と思って開かなくてもいいから」そうして別れて以降、お互いに連絡を取ることはなかった。もしかしたら、彼女は彼女の言うようになにかメッセージを送ってきていたのかもしれない。でも、あの日駅で別れたあとに Twitter も LINE もブロックしたから、実際にどうだったのかはもはや知る由もない。
そんな日々も忘れて相変わらず流されるままに生きていた去年のある日、知らない LINE アカウントから連絡が来た。開かずとも内容はわかった。書き出しが彼女の訃報だったからだ。プレビューで読める部分だけ読み、既読はつけずにメッセージは削除した。なぜ知らないアカウントからと思ったけれど、彼女の端末上から確認できる友だちアカウントに対して、親族の方が連絡をしていったようだった。文章は長く続いていたが、続きを読む気は起きなかった。怖かったんだと思う。
それから彼女が言っていたことを思い出す日々がしばらく続いた。彼女が死を選んだ理由ついて推測するようなことはしない。もし自分の選択が異なっていれば、もしかしたら彼女の選択も違っていたのかもしれない、なんてことも思わない。ただ、自分が残酷なことをした相手であったことは、彼女から伝えられたように事実である。何気ない自分の振る舞いが、無意識のうちに振りまいていたらしい優しさが、大きく人を苦しめることがあるということを、この時期が来るたびに思い出すことになるだろう。
はてブロで原作派(アニメゼロ派)の人がエラい激賞してたのとの落差がすごい。
観戦前のスタンスはほとんど似たようなものっぽい(増田はアニメ知識あるから原作原理主義ってほどでもないみたいだが)のに、ここまで真逆になるか。
例の広告についてはオタク側がアホの極みだし、咲の登場人物は9割方女子高生だから実際未成年
ただ中には萌えという表現自体が未成年を想起させるので設定年齢は関係ないという声もあるにはあった
もちろん批判側の中には設定が成人済みなら、そこは突っつかなかった・・・というスタンスの人もいるんで全体が萌えは児童ポルノと等号であるという主張は成されてはいないにしても
社民・立憲・公明で手を組んで子供「のように見える」イラストの所持も規制しようとした請願が参議院で提出されたのも最近の話だ
欧米でもたとえば宇崎ちゃんは20歳に見えないから相応な描き方をしてあげるといったムーブもあった(宇崎ちゃん 20歳で検索すればまあ上の方に出てくると思う)
元増田じゃないけどブコメ見て思ったことつらつらと.増田は不慣れなので読みにくいと思います.ごめんなさい.
真っ当な人雇おうとすると最低でも年400万,ツテとかなくてWDBとか人材派遣会社経由とかになると年600万が"最低"のスタートライン.
(人事やっている人ならわかると思うけど保険代とかもあるので労働者の額面以上の金額が必要,その分まで含めて研究費から出さないといけない)
また,単年度当たりの予算が百万とか数百万の研究費は他の予算の合算使用できないものも多いため,総額で600万ぐらい研究費稼いでいても一人の秘書を雇うことができないこともある.
合算して人件費支出して良い予算を取りに行くか,学内制度使って研究室横断秘書(週2とかだけ来てもらう)みたいなのがあればそれで雇う方法などはあるけど,そもそも事務作業は研究の主たる作業ではないので,その人件費だけしか支出していませんというのは使途として不適切扱いされるし,そういう人件費は支出できない予算もある.
そのため,建前上は研究補助者や謝金払いとしてやりくりするとかよくきくけど,これも表にでたら不正使用扱いになるので,例えばそのような雇用は連続で2ヶ月しか不可というルールがあるところもある.
なので秘書雇うには人件費以外も十分に予算ある1課題の研究費で単年500万以上ある研究費(科研費でいえば基盤Bでギリギリ,真っ当に研究するには基盤A以上)を取りにいかないと厳しい.
それも,研究費は数年から長くて5年程度なので一度途切れるとその度に解雇→人探し直しになるため,いかに予算を途切れさせないかが課題になってくるけど,そうすると予算申請や研究期間終了に伴う報告書作成の業務が毎年のように発生するようになってくる.
また,科研費db見てもらえるとわかるけど科研費など税金が元のものは,だいたい研究費の30%は大学側の事務に行き残り70%の直接経費が実際に使える研究費となる.
そのため,教員が「科研費で100万円当たったわー」といっても,実際教員の判断で物品購入や人件費で使えるのは70万円だったりして,基盤B当たっても大きな研究やろうと思うと普通に秘書1人雇うお金はない.
またそもそも人件費の優先度でいえば研究をちゃんとやってくれる研究者(ポスドク・助教)が欲しいのでそっちを優先したくなることが多いけど,そのポスドクと助教が増えたらそのポスドクや助教の研究の事務作業も増えるし,その事務作業の一部の責任を負わされることも少なくない(科研とか個人研究は個人の責任ではあるものの,事務レベルでは大学本部から雇用責任教員(准教授以上)が怒られる).
なお,秘書として働く側もできれば良い給料で長く働きたい時代なので,雇用側から「最低レベルの400万で予算が切れたら次年度雇えません,でも次の研究課題が採択されたら引き続きお願いしたいです,採択結果が出るのは3月でそれまでわかりません」だと労働者として不安しかないので,能力ある人は普通の賃金では応募してこない.
そうなってくると雇用が安定していれば400万で雇えるような人も,600万円出さないと雇えないような状況とかに陥り,より秘書を雇うコストが高くなる.
ただこれも科研費は採択結果の通知が今までは4月だったのが前倒されたので親切になったほうで,これまでは4月に入ってから「科研費落ちた,金なくて雇えない,すまん,遅くとも4月末までに辞めて欲しい,マジすまん……」みたいなのもあったとかなかったとか(誇張だけど遠からずこういうことはあったし今も予算の採択結果公表時期によってはある).
大学側は各研究室からあがってきたものをチェックする人達はいるけど,その人達はシステムに上がってきたデータのチェックなどは手伝ってくれるけど,システム入力(領収書スキャンして添付してシステムで提出して原本は学内便で送付や,請求書も予算入力して振込先の確認と未登録の場合は先方へ登録依頼書の作成手配など)は各教職員が責任持ってやれ,というスタンスで手伝ってくれる人は用意しない.
っというのも,そもそもこのチェックするだけの事務員も現在不足しつつある.
これはさっきの研究費の話しにも繋がってくるけど,大学側がこういう事務員を継続的に雇う資金がなく,国立でいえば運営交付金が減り続けている影響が大きい.
競争的資金の場合はその採択課題に関連した人を5年程度雇うことはできても大学事務員を雇うことは目的外使用なので雇えず,予算や人員不足が深刻化していて下手すると稼いでいる研究室よりもお金ない.
仮になんらかのプロジェクト予算(だいたい研究とセットで研究機関側の整備がついているもの)で雇用できたとしても数年から5年程度が限界であり,そういうの活用していると上の秘書の雇用継続問題に直面するし,
学外から見ると雇い止めしているのとほぼ変わらないちうか雇い止めそのもの(原資がないのでどうしようもできない)状態になる.
また,上で話した間接経費は,30%入るとはいえ,研究課題が増えることによる負担増に比べたら圧倒的に金額がたりないし,年度によって総額がかなりかわるので安定した人の雇用に繋がらない.
極端なこといえば100万の予算で30万入ってくる研究課題の雑用の量と1000万の予算で300万入ってくる研究課題の雑用の量はあまりかわらない(人件費でぽーんと600万ぐらい消えたりもするので経理作業も比例関係にない)ので,細かい研究費が増えると崩壊まっしぐらである.
民間財団などの研究費も増えてきてはいるものの,間接経費を認めていないケースも多く,その場合は事務負担だけが増え事務方へお金が回らないのでツラい.
共同研究も基本は間接経費お願いしているのはこういう背景があるけど,企業からの理解は得られず,間接経費0でとごり押しする例も少なくない.
そりゃまぁ会社側からみたらその教員と協同研究するための予算用意したのに,教員側で自由に使えず大学の事務で30%勝手に使いますって言われたら企業側からしたら納得しづらいのも理解はできる.
それでも,共同研究契約の契約書の草案を用意したり法務で契約を確認したり,NDA(NDA単体は結ぶこと自体に金銭は発生しない……)は大学側がやっていて,間接経費ないと人雇えずこういう契約業務も遅れがでる.
そもそも教員側にも0円の共同研究といった意味不明な持ちかけをしてくることもあり,教員をただ働きさせたい,教員はその企業と共同研究しているネームバリューが欲しい,みたいな,経済がまったくまわっていないのに仕事だけ激増する謎な話しもあるとかないとか.
簡単に言えば人を雇う金.
具体的には各研究室に面倒を見るURA職員(1研究室1人,すぐにそれは無理でも2,3研究室に1人)の人件費.※URAとは https://www.mext.go.jp/a_menu/jinzai/ura/
はっきり言って大学側もカツカツでかく研究室も教員は教育やその他学務やりながら研究費獲得は事務負担が増える一方で,URAがいないとまわらなくなってきている.
実際URAがいる研究室をいくつか知っているけど,いるのといないのとでは効率が天と地ほど差が出るといっても過言でないケースが少なくない.URAマジすごい.
URAが各研究室に配属されることにより,大学側へ渡る事務書類の精度があがり,事務方の大幅な負担軽減に繋がる.研究室の教員もハッピーになり,事務方もハッピーになる.
URAのいる研究文化の形成をまずは国立大学から,運営交付金を2004年の水準に戻してURA育成・雇用に充てる.今の物価を考えれば1.5兆円まで増やしても良いとすら思う.
運営交付金は「安定的・持続的に教育研究活動を行っていくために必要な基盤的経費」であり,もはやこれが達成できなくなっているので,それを下支えする人員を増やすのは急務.
ようするに国立大学の役割を良く考えるべきで,国として「安定的・持続的に教育研究活動」を国民に広く平等に,その機会の提供が国立大学の役割のはずで,少なくとも企業経営などではないはず.
経団連などからも国立大学に企業経営努力を期待する声や運営交付金に頼っていてはダメだという声はあるけど,その声を聞いた結果の20年の研究力の低下である.
研究力があがってた頃に一度立ち戻るべきで,国立大学の役割の観点から企業経営を求めた方が良いという声は今後一切無視するべきである.
そしてURAのいる研究文化の形成に5年,形成後その研究室からドクターが出て他大などへ行く5年(修士・博士で5年)後,10年後から私立大学向けのURA整備事業を始めれば良い.
教育や研究は短期的に見ることができず,さらにその文化を創り上げるとなると正直10年以上かかるので,このような取り組みの評価は20年は必要だろう.
そう,国立大学法人化から20年をむかえる今,はっきりいって教育・研究は何一つとして良くならなかった.もう失敗だったと素直に認めるべきで,成功していた頃にいったん立ち戻るべきではないだろうか.
https://www.taro.org/category/blog/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e5%9f%ba%e7%a4%8e%e7%a0%94%e7%a9%b6
河野太郎は事務作業の手間を確かに減らしてくれたし,一部で改革は進んでいるものの「簡素化」とはいえ教員への負担は残り続けているのが現状である.
事務方レベルでいえば良くなった点はたしかにいくらかあるが,上述の通り人不足が加速しており,正直なところ,河野太郎のブログで盛り上がってから5年間経過した今,楽になっている印象はまったくない.
上記の通り,人を増やす必要があるので,人を増やせるお金が必要である.
雇用という観点からいえば,各分野,団塊の世代がまだ居座っているケースが多いので国立では65歳以上はきちんとクビにして団塊Jrにちゃんと世代交代,もしくは定年伸ばしてちゃんと残すかどっちかにするべき.
承継教授としては退いても特任の教授・研究員(雇用関係有り)その後は客員の教授・研究員(雇用関係無し)で居座るケースも少なくなく,承継教授が第一線退いた偉い人の顔色伺いながら研究室運営するケースがある.
大学側からみたら知名度ある先生が大型予算とってきてくれるとかもちろんメリットはあるけど,そのせいで下の世代(団塊Jr世代)がいまいち育っていない.
私立なら「企業経営努力」の一環でそういうのはやれば良いけど,実態として承継教授に掛けている負担は計り知れず,国立大学に必要な「安定的・持続的に教育研究活動」の妨げになっている側面は無視するべきでない.
また,そういう第一線退いた先生方こそ,色々好き勝手研究費使ってきた時代を生きてきた世代で,今でも時代錯誤な無理を事務へ言う先生が多い.
これはもう40年とか50年そういう仕事のやりかたやってきていたから急に変えろといっても難しいのはしかたない,昔はOKだったものはOKであって,それを否定するつもりもないし,.
ただ,今のセキュリティ,コンプラ,研究不正防止の取り組みを批判的な態度をとるのは,残念ながらあなた方がそうやって好き勝手やってきたから厳しくなり予算が減らされてきたので,
クビをしめた当事者という意識を持ち,むしろ自分たちの世代が迷惑を掛けて教育・研究力の低下に繋がった20年となったと反省するべきで,今の事務方に文句をいうのは筋違いなのである.
国立大学は毅然とした態度で現役の学生を守るために現役の教員を守る必要があり,国立大学側でそのような自浄ができないなら,(個人的にも政治の大学介入は反対だが)国策として教育研究を保護する政治的判断を入れる必要もでかねないだろう.
政治介入を一番反対しているのが団塊の世代だからこそ,立つ鳥後濁さず国立は去り,研究続けたいなら他所に行くべきではないだろうか.
退官した大学じゃなきゃ嫌というような未練はただの我が儘でしかないので,そのような我が儘が通らないなら研究活動継続しないという程度なら,きっぱり辞めるべきだろう.
今回のW杯で日本含むアジア勢のジャイアントキリングが続いている事実について自分の気持ちの整理も含めて書き出してみる。ただのお気持ち表明だ。
最初に断っておくと、自分のスタンスとして田嶋会長のやってきたことや言動行動(仲良し人事と保身的な行動)には何の共感も持ててないし森保監督のサッカーには何の魅力も感じていなかった。なのだが結果が出てしまったので気持ちの在り方に困ってしまっている。ドイツ戦スペイン戦はムチャクチャ興奮した自分がいて本当に整理が付かない。
さて、森保監督がなぜ批判に晒されたのかと言えば当時から聞こえていたキーワードは「戦術レス」である。実際には戦術レスではなく「ビルドアップを仕込めない」と限定した形での批判が適切だったと思うし、後出しジャンケンになってしまうが自分は戦術レスとビルドアップを仕込めないの両方をグチャッと丸めて批判していた。
サッカーを戦術視点で楽しむ人にとって「モダンサッカー」は避けられないキーワードだしモダンサッカーには「ビルドアップ」と「ビルドアップ対策」というキーワードが欠かせない。ここに落とし穴があるなんてずっと意識していたのに、アジア予選において目の前で繰り広げられる(自分にとっての)酷いサッカーを感情が追い越していった。
ドン引き縦ポンも立派な戦術な訳だが、戦術とかモダンサッカーというキーワードで語る時にそこを見落としがちになるのが戦術クラスタのダニング=クルーガーである。完全に理解した。
そんな中で守田中の433は非常に楽しめたし結果も出たのだが、ここで嘘でもいいから「森保オリジナル」ということで貫き通して欲しかったのにSNSなんかから「選手が決めた」みたいな声が聞こえてしまうというかそういう声を拾いに行ってしまった。エコーチェンバーダメ!ゼッタイ!
さて、今回のW杯になる。相変わらず日本はビルドアップができないのは明らかなのだが、計画的に行動した結果なのかサイコロ振った結果なのかは当事者しか知り得ない。結果が出てしまったのでポジティブなコメントを出せる状況が整ってしまった。
「意図した結果かギャンブルの結果か」というのが判断できないほどの手段で勝利してしまったので困惑したし、望んでいた興奮はサウジ×アルゼンチンのような明確な意図を持った戦術と結果のそれだし、いわゆるSNSを主戦場とする戦術クラスタと呼ばれる人達が観たいのはサウジのような形の勝利であることは間違いないと思う。それが無かったので困惑した。結果が出てしまったのでSNSなんかで後付けっぽく後出しジャンケン的に、あれほど批判していた過去をポジティブに結び付ける流れになっている現状に気持ちの整理が付かなくなった。
そしてスペイン戦、またしても「意図した結果かギャンブルの結果か」を判断しにくい試合展開になるのだが、再度同じ流れどころか交代策や守備固めなどがドイツ戦よりも洗練された形で勝利してしまう。こうなるともう計画どおりの結果と判断せざるを得ないのだが、それならばなぜコスタリカ戦ということになる。
などなど頭の中が嬉しい感情と自分が完全否定されたような感情がグルグル回ってしまう訳だが、ドイツもスペインも同格(彼ら以上の格上は実質存在しない)には凄い試合をするけど格下には負けるということは起きてしまうし、それが日本以外にも多く起きているのが今回のワールドカップなんじゃないかなと思う。これはワールドカップだけじゃなくてJリーグでも起きるし少年サッカーをはじめとする育成年代の現場でも起きている。だからサッカーは面白いのだ、なんてことはずっと解っていたことなのに、それを改めて認識させてくれた出来事だったと捉えておく。ただ、それを実現した監督と協会に個人的に良い感情を持っていなかったというだけの話である。
こんなふうに気持ちを整理して、個人的にはここまでスカウティングの材料を相手に曝け出してなお同じやり方で行くのかどうかという視点で決勝トーナメントを存分に楽しまないともったいないなという現状。たぶん現状以上の隠し球はないと思う。というかドイツ戦のあればヤケクソだったとしか思えないしスペイン戦でもやってみるか!という流れだったんじゃないかと思う。結果上手く行った。自分はギャンブルもソシャゲも一切やらないのだが、それ界隈ではこの状況を一言で表す表現があったりするんじゃないだろうか。
ただひとつ、森保監督がビルドアップを仕込めないのはどうしようもない事実なので、次期監督は森保監督でも構わないのだが、国外国内からビルドアップを仕込める優秀な人材を補佐として確保してキッチリ仕込んで、更にそれをベースに教科書を作って育成年代からインストール可能な状況を作ってほしい。一般に見えてないだけで実際の育成現場には相当するものがあったりなかったりするのだが、JFAにはもっとうまいことやって欲しいと思っていたりする。基礎が大事という言葉の意味をもっと考え抜いて欲しい。
あと、メディアとかもっと上手く使えるんじゃないだろうかとかはやっぱり考えるし、本気でサッカーを盛り上げたいならやることは仲良し人事じゃないだろう。実際にスターシステムとか全く関係ない結果になっている訳だし。こうなるなら4年間掛けてドーハの悲劇とドーハの歓喜を継続的にアピールしておけよみたいな。アジア予選DAZN独占に対して田嶋会長の取った行動は絶対に忘れないぞ。
やっぱり長くなったけど、最後の最後で森保ジャパンのサッカーがどういうものかを理解できたような気がするので決勝トーナメントは存分に楽しもうと思う。勝てば嬉しいし負ければ悔しい。もうそれだけでいい。完全に理解した。
中途半端なサッカー知識のせいで一生に一回訪れるかどうかわからない素晴らしい出来事を楽しめないのは勿体無いわ。
クロアチアに勝って欲しい。
女性蔑視発見~みたいなダシに使わんでくれ頼むから。影山優佳にフリーライドして自分の主張を強化しようとするクズは去ってくれマジで。
オタたちは影山優佳がガチサッカー勢であることを当然知っていて、今回の抜擢で「世間に知られるビッグチャンス!影山優佳頑張れ!」というスタンスだったわけ。
そりゃ属性はやっぱり見る人はいるしオタもそれは認識していた。「アイドル」だからいっちょ噛みだろう「女性」だからサッカーに興味ないだろう、と世間は言うだろうと。実際これまでスポーツ番組で「お花」としておかれる男女アイドルはいたしサッカーファンは男性の方が多いから女性の方がレアなのは事実なので(サッカーファン 男女比で検索してね)、「はいはいその枠の人ね」と見られるのは最初はしょうがない部分もある。人間だからね。
でも彼女にきちんと時間を与えてくれれば、絶対にそれを覆せると信じていた。そして実際にそれは起こっている。日本代表の快進撃も相まって、とても伸びている。
そこに来てね、それまで存在も知らんかった人たちがなんか属性感だけ利用して「女性アイドルが語ってるときにおっさんが苦笑いしててマジ女性蔑視~」とか言ってて、もうなんていうか、すごい怒り。
そういうんじゃねーんだよ。影山優佳の豊富な知識を素直にリスペクトしてくれよ。
そりゃ中にはいるだろうよ、女アイドルのくせに偉そうに~みたいなこと言う不幸な身の上の奴が。まあそいつにも人権があるわけだけども、そう言う奴をあげつらって属性対属性の一般論にまで上げて、本当に不快。
影山優佳って人すごいね!同じ○○(国籍性別信条なんでもいいよ)として誇りに思います!とかなら全然いいのよ。影山優佳にフリーライドして自分の主張を強化しようとする、攻撃の手段を得ようとする、そういう行いが一番いやだよマジで。
書いた人そう思わない?自分がすごい頑張って認められようとしているところでなんか明後日のケンカ始められて挙句下手したらジャンヌダルクみたいに属性闘争に担がれたりしたら、すごく嫌でしょ。それこそ「属性で見んな!」って思わない?考え方は人それぞれだけども。自分はそう思う。別に日向坂はじめアイドルオタではないし今回初めて影山優佳を知ったのだが。すごい人だね。どんどんサッカー番組出てほしい。
お前が間違っている個所を俺はさんざん指摘してるわけだけどさ。
お前は上から目線で「まあまあな論証だな」とかなんとか言ってるけど、こっちからすると1個とて専門家かそこそこ詳しい人ならあり得なさ過ぎて絶対に犯さないレベルの間違いなんだよな。誤解と語弊を含みまくった詭弁だらけのもともと全然まともな主張をできていない人が、さらなる議論において専門家がするとは到底思えない小学生レベルの詭弁を用いているわけで、逆にお前の素人意見のどこに「専門的な議論に足り得る」要素があると信じたらいいんだ?
下っ端の俺レベルでここまでズタボロに指摘するポイントが山のように見つかるのよ?自己認識が現実と乖離しすぎてるけど、自分の実力を客観視する機会がなかったんかな?専門家と会話したことある?
これとか悲しいほどに詭弁だろ?お前が個人的に信じているお前が作った超定義的なルールを議論や会話に独自適用しようとしてるわけだ。日本語の会話や議論のルールは個人が自由に決めて作ってるという発想が小学生並みにファンキーだ。アウトオブ秩序だな。根拠に基づく学術的議論どころじゃねえ、日常会話でも成立するか怪しいんじゃね?俺も、会話において独自解釈で独自適用するルール作ろうかな?小学生の言葉遊びなのか?これで専門家と議論するって、分数わからないのに大学の数学教授と数学的議論ができるって言い張ってるレベルなんだが?
むしろお前が自分を意味のある議論ができる奇跡の素人だと信じれる根拠を教えてくれよ、すげえよお前。客観視する能力がなくて。
黙ってろっていうけど俺が言ったのは「非専門の人間は専門分野で専門家と議論するに足る知識レベルにない、専門家と議論できる知識レベルってそれもう専門家」って話だぞ。この会話はどう見ても専門的な議論じゃないし黙る理由が読めないんだけどどういうこと?このレベルの会話でもお前にとっては専門的議論なの?詭弁でしょ
専門家ならこんな指摘1個たりともされるわけねえのよ。詭弁だらけのちょっとだけ詳しい断片的な知識のある人ってつまり、専門知識がなくて専門的議論ができない素人ってことじゃねえかよ。なんだお前。
そういやColabo側が
「争点はあくまで誹謗中傷であり、我々の『疑惑』の真偽はこの裁判とは無関係だから論ずる必要がない」
自分が素人の側に立ってるなら、素人の煽りあいの中に得るものは一切無い。おこがましいし専門性を馬鹿にしすぎ。素人が思いつくことは大昔に全員思いついて試してる。客観的に見て素人レベルの知識で知っていると自認するのは思い上がり、ろくに知らんやつが意味も知らない言葉で読めもしないデータと根拠のない議論をしてるんだから当然に無意味で無駄。発言権がないというより発言して意味のある主張ができるわけがない
体系的な専門知識という共通知識もなしに議論するのは当たり前に不可能
できるのはあくまで専門家に意見をもらうとか質問するとかその程度だと思う
自分が専門としてやってる分野でなら、素人の意見にも一応は耳を傾けるけど、99%は幼稚園児の手紙みたいなもんで議論できるかと言われると仕事にしてるレベルの人じゃないと無理だと思う