はてなキーワード: スタンスとは
「全ての創作にいちいち意義とかを求められても困る、好きだからやるということの何が悪い?」って描いてる人は思ってるんだと思います。けして口には出さないでしょうが、なんなら「別にお前に向けて描いてるんじゃ無い、好きだからやってるんだ。嫌なら見るな」とも。まあそれか特に何の違和感も抱いてないか。好きな作品に「嫌ならみるな」と言わんばかりのスタンスを取られるのはお辛いでしょうね。それさえなければ、本当に楽しめるのに・・・という。
基本的には好きだからやるもので、身体的特徴全ての意義まで考えるような高尚なことを考えてやってる人はわずかじゃ無いでしょうか。だから意義を求めても説明なんてできるわけないです。
女性のカップ数をわざわざ描くというのは、好きなら別にやってもかまわないことなんでしょうか?好きでもやってはいけないことなんでしょうか?そもそもここが平行線だから話がかみ合わないんですね。そこの線引きは非常に曖昧なもので自分にはよくわかりません。
一方で「誰一人傷つかない」というのは確実に無理な話で、どんな話であれ誰かを傷つけてしまうものになっていると思います。純粋な恋愛漫画も今こうしてクリスマスに匿名ダイアリーを見ている人にとっては毒でしょう。
また、そういう表現を楽しんでる人、気にしない人もたくさんいると思います。また女性の性的表現だけじゃ無くて、男性であっても性的表現が用いられる作品はたくさんあります。BL的表現を毛嫌いしてる方もいっぱいいると思います。その中で女性に対する扱いが悪い部分だけを取り上げるのは少し不公平じゃ無いかと私は思います。
私の親は優しい良い親だと思うんですが、子供の頃に自分の性器を舐めてきたことがあって、そのときは何も思わなかったけど大人になって意味を知って、それだけは時々気持ち悪くてたまらなくなります。なのでいわゆる「ショタ」みたいな小さな子供を大人の女性が溺愛するような表現が苦手です。別にそれを批判しようと思わずスルーするのは私のように傷つく人もいればそれを楽しんで活力にする人もいるだろうなと思うからです。まあ傷つくというと少し大げさかも知れません。自分は男性女性はお互いに評価し合っているとも思っています。
皆やってるからそれを許容しろと言うわけではありません。現実を鑑みたときに、実際の数で言えば被害に合ったのは女性の方が多いんだろうなとは思います。
それでも作品と現実は違います。それに自分と、似た意見を持つ周りの少数が傷ついているからという理由で細かい表現まで批判していてはきりが無いし、どこかで二律背反を生んでしまうことになるんじゃ無いかと思っています。
私としては創作は自由な方が面白いし、尖った作品や作者の趣味全快の作品から元気を貰うこともあります。なので多少傷つけ合うことになっても作品内でくらいは細かい規制は無い方が良いと思います。いちいち意義を求めるのも良くないと思います。
「大阪都構想よくわからんなら反対すべき」も「よくわからんなら政権交代すべき」も、その裏にある考え方ってのは「権力に好きをさせるな」って考え方なのよ。
大阪府政という権力による変革に対しては、よくわからなければひとまず辞めさせる。自民党という権力に対しては、すべてを思い通りにさせないために常に政権交代の圧力をかける。
もちろん市民は政治についてよくよく勉強しておく必要があるけど、残念ながら勉強が足りなかったときは、現状権力を持っているやつが困るように動く。
だから政権党という権力に対してはいったん反対から入る。これは一つのスタンスなのよ。
で、増田のいう所の「よくわからんなら反対すべき」は上で書いたやつとは微妙に違うね。いわゆる保守主義者の考えで、大規模な変革には基本的に想定外の害があるだろうから、基本的に変革はしないというスタンスと解釈しています。それはそれで一つのスタンスだと思うし、もちろんぜひぜひ自分の自由意志に基づく投票行動を行ってほしい。
ただ、「大阪都構想よくわからんなら反対すべき」と「よくわからんなら政権交代すべき」は別にダブスタではないし、それを両立させる考え方はあるんだよね。
証明の途中で系(定理みたいなもの)3.12というものを使っていて、それが証明の核心なのですが、その系3.12が一切証明されていません
なので、証明の体を成していないと言うのが世の中のほぼ全ての数学者からの反論です
逃げ回りながら誤解してるとか、相手が勉強不足だとか言い張りましたが公的な場から逃げ回るためには手段を選ばす、
説明会を主催したのに本人は出て来ず英語喋れないやつにボソボソ喋らせるという奇行も辞さなかった程です
逃げ回りながら論文誌に提出したのですが、そっちの査読でも同じ指摘をされ、最終的に自分が編集長やってる職権濫用で論文雑誌に掲載しました
その編集を務めた玉川教授は「反論は出尽くしており、今後も平行線のままではないか」と異例の声明を出しました
反論は出てるけど望月が有効な反論をしていないことを指摘したわけです
こんな状態の論文が掲載されたのはっきり言って異例もいいところで、圧力の存在を否定する方が難しいです
説明すると言いながら逃げ回ったことで信頼を失ってましたが、掲載誌がPRIMSだった事は全ての数学者の失笑を買いました
現状どうなのというと、オオカミ少年望月くんの戯言を信じてるのは世界でせいぜい10人です
選挙前になるとSNS等で必ず見かける、貴方の考えにあった政党を見つける診断とかいうやつで
毎回毎回、オリーブの木だとか安楽死の党だとか訳の分からん泡沫政党を勧められる
勘弁して欲しい
考えを書き出していったら何か見えてくるだろうか
中韓北露には強く出て欲しい
断交とか主張してるとこもあるけど、出来るわけないからそういう考えは論外
税金はなんかもう自分の手から離れたお金だから使い道はどうでもいい感ある
その内破綻する
任意にしてくんねーかなあ
ろくに考えたことねーわ
「人が作りだす笑いは必ず人を傷つけるから好きじゃない。お花が咲くのと蝶の孵化の瞬間以外で笑顔になったことない」
っていうのへのレスなんだけど
自分もこれに近いスタンスで、お笑いのテレビは何一つ面白くないと感じる(のでみない)派だけど、
その人たちはそれこそ箸が転がった程度の日常茶飯事でゲラゲラわらってて。
もう君たち同性婚しちゃえばいいのに!っていっちゃって笑ってもらえることもあるよ。
でもまあ増田はなにいっても笑わないんだよなぁ……
最近のガンプラは塗装しなくても十分に色が分かれているからね。
MODELOIDなんて5000円以上するのにそこは色塗らないと原作どおりにならんじゃないかとか普通なのにバンダイのは5000円以下で塗り分けはやりたいやつがやりなってスタンスなんだから本当にすごい。
所詮はプロスチックの整形色だから塗料の上品な質感にはならないし、全部メタリックのギラギラした感じにしたいことだってあるし、
エアブラシでやるのか筆で塗るのか、その方法についても模索していく過程がまた楽しい。
色塗るっていうのはプラモデルの一つの側面でしかなくて、稼働を改善してみたり、プロポーションを変えてみたり、デティールに拘ってみたり、光らせてみたり、自分のオリジナルデザインを実現したり…
ちゃんと作れば数万〜十数万ぐらいの現金に化けたりするしね、まぁ、作ったものを売るのは作る過程のみを楽しむタイプの人だけなんでしょうけど。
入り口は入りやすく、もともとの模型製作が持っている奥深さに入ることも十分に出来る、
やっぱりガンプラは最高の娯楽だよ。
萌え絵を叩いている連中がBLにはやたら寛容というか愛好すらしていて
公共空間や本屋の目立つところにBLが並べられることには何の問題視もしていない
この手の萌え絵だけが問題だと考えている連中は、ノンケの妄想ネタにされるLGBTの性的搾取や心理的安全性には全く考慮しない
「萌え絵やNLエロ絵に対しては性的搾取だの何だのと批判している連中が、GLエロにも同じスタンス取らないのは公平公正ではない」って話
見たくないものを見ない自由を行使すべき時に、他者の表現自由を制限することでそれが目に入らないようにしようとすることは、傲慢な態度としか言いようがない
と吠えている人は「環境型セクハラポスターダメ!」や「ヘイトスピーチ規制」にも同じスタンスなんだろうか?
あるアニメが好きで、YouTubeで関連動画を漁っていたら否定的なタイトルとサムネのレビュー動画に行き着いた。
自分とは逆の意見を見てみたかったから覗いてみたら、単に自分の好みとの違いを制作者側に責任転嫁してただけだった。
「こういった作り方は正しくない」
すげぇ上から目線じゃん。しかも指摘するところも、いやそれ僕は好きやったけどな…の連続。
そういう好みの違いを目的に見に来たのはこっちなんだけど、さも作品の問題のように指摘するのはなぜだ? 批評家気取りか?
しまいには出所不明の監督インタビュー記事を根拠に半ば人格攻撃のようなことまで言い出す始末。
お前の趣味とは違うってだけの話にすぎないのに、よくもまぁここまで言えたもんだ。
ていうかそいつが投稿動画の中で絶賛してるアニメタイトル見てたら、なろうとか異世界系とかきらら系とか、美少女たくさん出てきてファンタジー!みたいなのが多かった。
そういう系統が好きなやつが、ダークで落ち着いた、実写的な作りを意識してるアニメが刺さるわけねーだろアホか。傍目から見てもわかる好みの違いに、なぜ自ら気づかない?
このエントリー書くために苦虫噛み潰す思いで他の動画を見ていたら、
・話の主題があっちへ行ったりこっちへ行ったりで何が言いたいのかわからない。
なんというか、いろんな面でド三流だった。もちろん全ての動画を見たわけではないので一概には言えない。
「こういうところって〇〇に似てて~」「同じ制作会社の〇〇でもやってて~」
切り離して考えるべきところをわきまえろよ。ただの感想文でそれ言ってもただの知識自慢にしかならないんだよ。
ただこういうのプロの批評とかでも結構やってるイメージだけど、それにはなにか意味あったりするんかな?
もし批評がそういうものだったとしたら、僕は一生批評というものに相容れないんだろうな。
たぶんこいつ、アニメ以外の創作物を見ることが少ないんだろうな。単純に知識の幅が狭いように感じた。
自己紹介欄では御大層に今季見てるアニメタイトルを十何個もズラリと並べていたが、アニメ見る以外何もやってないと宣言してるも同じだ。
レビュー内容でも、「邦画っぽい」という、他所でよく聞く言い回しを繰り返すが、お前ほんとに言うほど邦画見てんのか? 他人の言葉を鵜呑みにしてない?
あと、やけに制作サイドっぽい作品の見方をするな、と思ったら語っていることは100%消費者の言い分。スタンスがブレブレなんだよ。
日がな、アニメとTwitterとYouTubeしか見てないんだろうな。僕も同じようなもんか。
レビュー動画と題したコンテンツを作っていながら、最低限守るべきものが守られていない。
そういう批評家気取りの奴らが嫌いだ、という話。
なるほどお前が自分の元増田を侵されたわけででもないのにクソリプに批判し続けるのも勝手だろうが、そういうスタンスがたぶんクソリプとの遭遇率をあげてるんだからようは自分で自分の首を絞めてるわけよね
要するに「これから見逃し合わない?」って話
「私のスタンスはこうですので」と言われても
そんな話はするだけ無駄だと言ってるの
で、これを無駄じゃなくさせる、実のある方向へ持って行くには
奴等のダブスタ突いて
「どうなんですか?」と問うて「スタンス表明をせざるを得ない動機」を
作らないことには、結局何も進まないと思うんだよね
で、何度も言うけど、今後のスタンスについて表明していこう、まず私からってんなら
どれだけいるか、と考えると、その場その場でスタンスを変えている人が
ってことで、ここに書き込めるってことは
書き終わったら返信にリンク貼って教えてね。さあどうぞ
女性は他人の作品を読むだけではなく自分も作品を作る側である事が多い(今はやっていないけど昔はやっていた、も含む)から
他の作品を作ってる人を自分と同じ人間と認識してるし作品を作る側の心情も理解しやすい
対して男性向けは作品を作る側より遥かに多くの読み専が存在する
読み専だと描き手はプロ作家と何ら変わらない自分とは違う遥か遠くの存在と認識し、自分と同じ人間であると認識しにくい人が多い
なので有名商業作品についてネットで好き勝手な事を言う読者と同じ感覚でネットの個人に対しても好き勝手な事を言ってしまう
男性向けは商売に繋げやすいので、描き手も最初から儲け目的のプロやセミプロが多い
描く側も商売なので「客」にあれこれ言われる事も(プロ作家が読者にあれこれ言われる程度には)許容する、というかしなきゃ商売など出来ない
でも女性向けはあくまで趣味の世界であって、ほとんど儲けなどないし最初から目的としていない人が多い
趣味だからこそ他人にあれこれ言われたくない、仕事なら我慢できても趣味の場でまで自分が不快な思いはしたくない、となる
読む側もあくまで「趣味仲間」扱いなので「お客様面」をする人は嫌がられる文化がある
まとめると
少数の儲け目的のプロが多数の客を相手にしているのが男性向け、
多数の趣味目的の素人が素人同士で楽しんでいるのが女性向け、の世界だ
なのでそれぞれスタンスが違うのは当たり前
というか語彙にレベルがあるという考え方や上下をつける考え方自体がおかしんだよ
そう言うスタンスに無理があってこじつけになりがちだからこそ「凸」が高学年相当の漢字になってる
書きやすさ的にいや意味のわかりやすさも考慮してもせいぜい3年生レベルに収まる漢字だろ。
まあ使用頻度面での結果なんだろうがどっちにしろああいう学校教育のどの時点で習うかという感覚を大人の書く文章にまで拡張しないでもらいたい。
大人にとっては自分がよく使う言葉こそ簡単な言葉であってそれ以上でも以下でもないんだわ(しかもこれはまさしく頻度に通じる。社会レベルの頻度と個人レベルの頻度は異なるので社会的な頻度で難易を規定する学校教育的な難しさでは不都合や違和感が生じるのは当然か)。
女性オタクの「地雷」って、誇張表現じゃなかったんだ……っていう驚き。
「地雷なんです!」っていうの、イキりオタクアピールかと思ってた(狂った行動するほどディープなオタクだと見なされる、みたいなやつ。女性は知らんけど少なくとも男性の社会では道を極めすぎて狂った人は遠巻きに尊敬されるから……)。イキりオタクしぐさはいいけどそれで他人に迷惑かけるの害悪じゃね? って思ってたけど、あれってマジでダメージ食らってたんだ……
自衛ってものに対する認識が女性の場合「殴られないように回避する」なんだけど男性向けだと「殴られてから対処する」なんだもん。
なるほど、嫌なものが目に入る状況を「殴られてる」と感じるのね……いや別に殴られてはいないが? 比喩だとしても「殴る」という能動的な加害が喩えに出てくるのが面白すぎる。男性にとっての地雷とは(人によるだろうが)ゴキちゃんだ。ゴキちゃんが部屋に出るのは不快だし自分の部屋からは排除したいけど、ゴキちゃんが積極的に人間を害そうとしてるとは感じないし、野原で生きている分にはわざわざ駆除しようとも思わないよ……
なんていうか、「見たくない権利」というものはあくまでも見たくない人間がわざわざ個別にやる事であって見たいやつ見せたいやつの邪魔をするのは間違ってるってスタンスで世界ができてる。
それが自由な社会ということだと思ってたので、「いやそれが憲法や法律の定める自由主義社会のルールやろ!?」と思ってしまうんだが、なるほど「好きに振る舞え、他人の行動を邪魔するな」というのは「男性基準でのルール」だったのか……そうだよな、憲法も法律も男性が作ってきたんだもんな……J.S.ミルも男性だもんな……
お互いに地雷を回避するために検索避けとか注意書きとかしましょみたいな女性向けの文脈が一切通用しないのも当然だ。
とりあえず視界に入る、という事を全住民が許容している以上は衝突も殆どないから注意書きなんて付ける意味ないし検索避けも探すのがめんどくさくなるだけ。
薄々思ってたけど、我慢の方向性が違うんだね。女性オタクの文化は「他人を不快にさせないために自由に振る舞うのを我慢する(ので他人も自由に振る舞うべきではないと考える)」で、男性オタクは「自分が多少不愉快な思いをしたとしても他人の自由にケチをつけることを我慢する(ので他人も自分の自由にケチをつけるなと考える)」。
つまり「男性オタクが自由に振る舞っていることに対し女性オタクが文句を言う」状況は、女性オタク側からすれば「私たちは自由に振る舞うのを我慢しているのに、自由に振る舞うあいつらはおかしい」と受け止められ、男性オタク側はそれを「私たちは他人の自由に口を出すのを我慢しているのに、ケチをつけてくるあいつらはおかしい」と解釈する。
いや~、ネット上の女性表象の炎上案件、だいたいこういう構図だったのね。なるほど。そら対話にならんわけだ。お互い「自分たちは我慢しているのに、何であいつらだけ」って思ってるんだもの。そら拗れるわなぁ。