はてなキーワード: どんでん返しとは
「狂気的に傑作過ぎる」
「他のあらゆる媒体の事例を踏まえても例がない多層的構造のストーリーテリング」
「アドベンチャーゲームのまったく新しい新種」
「ゲームというメディアでここまで作家性が溢れ出ている作品がいったいどれほどあるだろうか」
「本作がアドベンチャーゲームの歴史において優れている理由」
「顧客満足度99%」
「SFの要素がごった煮で最後にどんでん返しが起きるストーリー、我々の知っているガジェットが詰め込まれている」
「ゲーム・映画・小説などなどあらゆるメディアを見渡してもここまでの衝撃を味わわせてくれる作品には出会えない」
「まだこんな物語表現ができたんだ!と素直に感心してしまった」
「10年は語り継がれる」
なぜ、十三機兵防衛圏のヒットにステマなどと失礼な言葉が用いられるのか|川野優希(Yuki Kawano)|note
https://note.com/yukikawano/n/n82e9e6162a2d
メディアと2ch界隈の断絶がより進んだだけじゃないかなーと思う。あと僕の文章勝手に大げさに改変して「言葉が強すぎるのでは」とか言われても困る
https://b.hatena.ne.jp/entry/4681476972182423714/comment/tekken8810
○ご飯
朝食:ソーセージエッグ定食。昼食:つけ麺。夕食:玉ねぎと人参とウインナーのスープ。パン。チーズ。
○調子
むきゅーはややー。
三連休最終日なので、むっきゅりした。けど、なんかうとうとしてしまい変な時間に寝てしまって、なんか無駄に過ごした感もある。しゃあない。
昨日から読んでた、相沢沙呼の「medium 霊媒探偵城塚翡翠」を読み終えた。
賞を総なめしてるだけあって、とても面白かった。トリックのパートと、どんでん返しのパートがとてもとても密接に絡んでいて、本格らしい! って感じでした。ただ、みんな思ってるだろうけど、帯の「全てが伏線」ってのは、よくないね。新しい帯は違う文章になってるそうだけど、そりゃねえ……
あと、全ての女探偵を浜辺美波で再生させられる呪いをかけられてしまっているから、そういう感じで読んでしまった。いや、悪いことじゃないんだろうけど、これイメージの固定化や読者が勝手に一人でかかるタイプの叙述トリックに引っかかりそうだから、早く治したいな。
ゼノサジ槍やり忘れてた! しまった…… こういうの割とひきづるタイプなんだよなあ……
切り替えて、復刻イベントの周回を少し。
ただ、なんかこのゲームをプレイしてると3DSの充電が爆速で無くなる。
最初バッテリーがへたってきたのかと思ったけど、このゲーム以外では大丈夫だから、何かあるのかしら。また起きたら少し検索しようと思う。
○遊ぶゲームランダムにきめーる「ポケモン」:「3:本編のNPC交換ポケモンを集めよう」(3DSVC)
めちゃめちゃイキナリですが、NPC交換を全部集めたいと思います。
っていうのも、HOMEとスイッチの移行を考えると、近くない将来に3DS互換が終了して、3DS時代のポケモンが全部シャットアウトされる未来だって考えられるわけなんですよね。
それで、その時に思ったのが、あくタイプのポケモンたちはまた捕まえたり、送ったりしておけばいいけど、
このゲームを遊んだという強い思い出を何か残す手段はないかなあ? と思った時に、このNPC交換のポケモンっていうのは、今まであまり着目したことがなくて面白い要素なんじゃないか! となりました。
ただ、今日はこれに関する情報を集めただけで、特に何もプレイしませんでした。まあこういう日もあるし、こういうのを時間区切ってやるための、ランダムにきめーるなので、まあよしとしてください。
○遊ぶゲームランダムにきめーる「フライハイワークス」:「3:フェアルーン」(3DSDLソフト)
レベルを上げて謎を解く系のゲーム。ただ、僕、こういう「はい、謎! 謎解いて!」ってされるゲーム苦手なんだよなあ。
苦手だし、なにより「よおくみると通れる道がある」っていうのに、本当に気づけない。
あまり攻略を見るのに躊躇ないタイプなんだけど、まあ詰まったらほどほどにして攻略を見ようと思う。
今日は、レベル21までプレイ。安価なDLゲーだけあって、割とそろそろクリアかもしれない。
○遊ぶゲームランダムにきめーる「スマブラ参戦作品の元ネタを色々遊ぼう」:「1:スーパーマリオ」(スイッチのファミコンオンライン)
7-4をクリアするところまで。スーパーマリオって面白いな。そりゃもちろん面白いだろうってのは知ってたんだけど、ファミコンオンラインの巻き戻し機能をガンガンに使ってると、楽しいところを楽しい分だけ取得できて、楽しい楽しいになってる。2Dマリオを次々やっていくのもいいかもなあ。
○遊ぶゲームランダムにきめーる「最高のコンテンツを作る会社のゲーム群」:「1:超大作アニメRPG」
最近、ツムギを育てているのだけど、こういう個性のキャラが、こうなってしまうの、こういうゲームだから仕方ないのだけど寂しく感じる。
それと、もうすぐ周年イベントなので石を貯めている。天井分はあるので、周年の時に追加されるキャラはとても強いので、今回も楽しみだ。
https://anond.hatelabo.jp/20191220190854
アンダーテールがわからない
アンダーテールって本来は「結構感想を伝えづらい」部類のゲームなんだと思う。
まあ、言ってみたら、ゲームって「プレイ体験」を通しての感想だから、どんな作品だってそうなんだけど。
このゲームはわかりやすく目立つゲームシステムとかシナリオがあるから皆そこに言及しがちだけど、
それが一番のウリでは決してないと思う。
ネタバレ注意系なので、あのゲームを好きな人ほど「説明できないけど最高だから!」というウザ気なテンションになってしまうのも勘弁してほしい。
ああいう系統のゲームをやったことがなくて、初めて体験する若い人たちだっている(素晴らしいことやで)わけだし。
ぶっちゃけ、アンダーテールはゲームシステムに特徴があるが、それ単体でどうこう言うほどではないと思う。
一応シナリオにどんでん返しはあるが、それだけで画期的なレベルかといえば、別にそういうわけではない。
曲は、普通にめちゃくちゃいい。
じゃあ何がすごいかというと、
「あのゲームシステムとあのシナリオとあの世界観とあの曲が完璧に合体していること。特にクライマックスやばい」
みたいな、すごーく普通の、何も言ってないようなペラペラな感想になると思う。
でも、これが一番正しい気がする。
やってない人にこの興奮を伝えようとすると、「システムが..」とか「シナリオが..」とか「とにかく曲がいい」になるんだと思う。
個人的に、ゲームをやる前から曲は知ってて単体で聞いたりしてたけど、実際に「プレイし終わって」みると受ける情報が10倍も20倍も違った。
曲がちゃんとストーリーを語ってて、ほんと、普通にいいゲームなのよ。
似たゲームとして「MOTHER」シリーズの名前が挙がるけど、MOTHERも「ここがこうで、こんな風に良くてさ!」と他人に口で説明したところで伝わりづらいと思う。
どんでん返し系の作品でも、実際に味わうのと、他人に聞かされるのでは受ける衝撃が違う。
アンダーテールは、やっぱりゲームはつくづく「体験」なんだ、と思わせてくれる作品だったんだと思う。
「ゲームを通して物語を味わう快感」がちゃんとあるからこそ、若い人だけじゃなくて、古参のゲーマーからも評判がよかった。
素直にドキドキしてるにしろ、斜に構えてプレイしてるにしろ、終盤の流れからの戦闘で「Hopes And Dreams」のイントロが流れたら、やっぱり相当数の人が感情を揺さぶられると思う。
最弱ルートなのに100%負ける気がしなくて、いろいろこみ上げてきて「弾、避けられるかな?」なんて余計なことを考える余裕もなくなる。
個人的な話で申し訳ないが、例に漏れずウルウルしながら弾避けしてました。
ただ、「このゲーム本当に面白いのか..?」と懐疑的になってる人を巻き込めるほど、
そこに行くまでのRPG部分がめちゃくちゃに面白いかといえば、それは違うと思う。
元々サンズのキャラデザが嫌いだったのだが、ガイコツ兄弟は予想以上に寒くて若干引いた。
そこはやはりインディーゲームというか、クライマックスにステータスを全振りな感じ。
でも、それでよかったと思う。
2周目終わってみると、やっぱりなんだかんだでキャラや世界をもう少し味わっていたくなってる。
寒いギャグばっかだし結構マジでイライラするし、でもなんか愛着がわいて離れがたい。
まあ、何が言いたいかというと、ゲーマーなら特によくわかると思うけど、プレイし終わらないうちは作品を評価はできないっていう、すごく普通の話。
でもゲーマーなら、動画で見たら「プレイすればよかった」ってなりそうなんだよね、大して長くないし。
だからみんな「プレイして」って言いたくなっちゃう、押し付けがましくて嫌がられるのも重々わかるけど。
とりあえず、ゲーム初心者も含めあれだけの人数が楽しんでるんだから、やってみる価値はそれなりにあると思う。
3面の不死身のアンダイン戦くらいまではやってほしい、というのがクリアした人間の感想です。
シューティングが得意じゃなくても、回復アイテム持ちまくって攻略情報や避け方の動画を見れば絶対クリアはできるし。
あとあえて書いておくと、アンダーテールは2周が前提です。
1週終わってみればわかるけど、ボリュームはだいぶ少ないので。
SFやミステリーやバトルものや恋愛もの、もっとゆったりした日常ものとか
コメディとかいろんな漫画があるけどどんな漫画でも修学旅行のエピソードはすごく楽しい
サスペンスフルだったりなにか緊迫したテーマを描いてるものの中では久々に取り戻された日常という描写になるし
とりとめもないささやかな日常を描いてる漫画の中ではそんな日々の中にちょっと特別な事が訪れた、みたいな描写になってそのどっちも楽しい
たいてい何話か連続した回になるのでその「いつまでも楽しいものを読んでいられる感じ」もすごく好もしいって気がする
80~90年代の漫画が大好きでもう10数年くらいあれこれ掘り返したり紹介してもらったりして読んでるんだけど、とりわけこの年代の修学旅行回は楽しい
自分たちの頃とずいぶん違うなあって感想もあるけれどそれよりもなんだか描かれ方に現代よりよけいに特別感があってがちゃがちゃ賑やかな感じなのがいい
松苗あけみ「純情クレイジーフルーツ(九州)」はそのがちゃがちゃした感じの代表格みたいな感じで
修学旅行の準備段階から念入りに微細に描かれている 当時の女子高は荷物検査なんて事前にあったんだ!?みたいなところとか
その持ち物にキャラクターの性格が如実に出るような描写とか飛行機に乗るのが初めての子が時代的に多いとか見どころが多すぎて楽しすぎる
90年代ではないが津田雅美「彼氏彼女の事情(京都)」でも事前の準備段階にかなり紙幅が割かれていて
その細かさとやっぱり買い物の仕方とかにキャラクターの性格が出るところがすごく楽しい
目的地に着いてからもそれぞれに見たいところが違っていてその行動の様子を画面を分割してそれぞれ描いて最後に合流する、
その際の人物の組み合わせが好みや突発的な事情から普段の学校でのシーンと違ってシャッフルされている、など遊び心とか工夫があって非日常のわくわく感がよく描かれてる
またそのシーンが以降の展開へのフックになってたり伏線にもなってたりしてサービス精神と長編漫画を読む楽しみの両方に溢れてる
お定まりのナンパシーンだの喧嘩シーンだのもちょっとあってこのお約束感も修学旅行回ならではだなと思って楽しい(「今日から俺は!」もこんな感じでよかった)
少女漫画というか女性の作家さんの場合では、この「旅行前のわくわく」を想起させるあれこれについてとても細かく描かれていることが多いと感じる
「究極超人あ~る(大和路)」の修学旅行エピソードもがちゃがちゃしてて楽しくてすごくいい
普段と同じ色んなキャラクターが入り乱れて普段と違う場所であれこれするのを見るのはなんて楽しいんだ!って何度読んでも思う
バスガイドさんがとても幅を利かせているのもすごくよくて、というか80~90年代の修学旅行回のバスガイドさんの存在の特別さというのはすごい
「ぼくの地球を守って(京都)」ではキャラクター達にとってものすごく重要なことが起こることの特別感もあって絵もめちゃくちゃ丁寧でいい
お土産屋さんのシーンや桜を使った演出が美しくて透明感があってぐっとくる このあたりの絵が一番好きだから余計にいいなと思う
修学旅行のエピソードのよさは長編だけに限らなくて1巻・二巻完結のような短編やオムニバス漫画でも印象に残る
星野架名「妖の教室(北九州)」は怪談風のちょっと不思議な話でおかしな事怖い事が出発前、行く先々のスポット、帰りの新幹線の中に至るまで
それぞれの場所らしい演出の中で次々と起こり続けてラストにはちょっとどんでん返しもありかつ主人公たちの淡い恋愛模様についても触れるミステリアスな一編
同作者の「カンパネルラはふりむかない」は架空の修学旅行先「歌国(おそらく山口県の岩国)」から
東京への帰りの新幹線の中に閉じ込められたままこの世ならぬ予期せぬ旅をさせられる修学旅行生と教師たちに起こる怪異と青春の一編
吉野朔実「記憶の技法」は実際には主人公は修学旅行に行かないのだけれど、主人公にとって大事なものを守るためのものを獲得するためだけの大切な旅として描かれる
(この物語はそもそも「旅」がかなり重要な芯として他にも旅のシーンが出てくるのだが、それを成立させるためのディテールに舌を巻く)
「彼氏彼女の~」は違うけれど、携帯が普及してない当時ならではの描写もありそういうものを読むのもとても楽しい 移動手段の変遷も同じく
アニメではやっぱり「けいおん!!」の修学旅行回(京都)が最高の最高の最高によくて寝る前とかよく流しながら寝落ちする
いつどのシーンを見てもにこにこしてしまうおかしみとか楽しみとかに溢れててもう移動のシーンから楽しいっていうか
行きと帰りのあのシーンの呼応がもうあ~~好き~~ってなっちゃうしお菓子食べすぎてごはん入らないとか
ちょっとした言葉で笑いに火がついて何してももうおかしくて暗い中でクスクス声がずっと聞こえてていつまでも眠らない感じとか
めちゃくちゃはしゃぐ人とそれに苦労する人とかお土産選びとかとにかく描写のこまかいことこまかいこと人物の動きからなにから
全部がそのまんまの日常なんだけどこの子たちにとってやっぱり特別なんだよね~ってなるあの感じがもう好きで好きで…かわいくて大好き
けいおんは劇場版もだからものすごく大好きであれは卒業旅行なんだけど全編が旅行っていう特別なもののエピソードで
出かける前からの描き方ももう本当に細かくてあるあるですっごいかわいくて飛行機のシーンも大好きアフタヌーンティー断られるとことか
有名人ごっことか靴擦れのエピソードとか(おろしたての靴ってわくわく感こもってる!)お部屋の扉コントとか
みんな楽器持ってくるよね~むぎちゃんはむぎちゃんらしい方法でそれ解決するよね~のとことかも大好きっていうかもう全部好きで全く書ききれない
「旅の中にいるいつものあの子たち」がたくさん見られるの丸ごと最高の映画だな~って思って何度見てもたまらない
そんな感じでだから本当は修学旅行だけじゃなくて広義の旅のシーンがすごく好きなんだろうなって思う
最近の漫画でも「きのう何食べた?」の京都旅行回とか「聖☆おにいさん」の近所への短い旅行回とかも楽しくてよかった
古い漫画だと坂田靖子「マーガレットとご主人の底抜け珍道中」、正確には旅ではないが佐々木倫子「ぺパミント・スパイ」の
架空都市(ヨーロッパ人が日本的な生活をしている佐々木倫子独特の世界)への移動を伴うエピソードはとても楽しい
学校を舞台にしていれば描かれてもいいのに学年等の問題で描かれなかった修学旅行を想像することもある
漫画「あたしンち」では父母はよく旅行するがみかんとユズは学校での旅行のエピソードはなかったので、あったらどうだっただろう、とよく思う
(なおアニメ映画版ではみかんの修学旅行がメインの作品がある)
エッセイ漫画の旅行回とかもいいけど現実をそのまま作品の中に描写するよりも創作の中の世界やキャラに起こる出来事として
もう一段落とし込む感じで描写されたときその旅にまつわるエッセンスがもっと濃く抽出されるような気がする
どれもに共通するのは作者の方がしっかり綿密な取材を現地でしているんだろうということがわかるとこで
その細かさとか作者が現地で見たり聞いたり食べたりしていいな~って思ったところが
なんとなく画面やエピソードに出ていてそれがしっかり伝わるのもまたなんだか特別感があっていいのだなあ、としみじみ思う
「オブジェクトクラス」→「特別収容プロトコル」→「説明」→その他の追加情報(補遺や実験記録など)
の順で書かれている。平易に言えば、
「そいつの危険度」→「そいつを無力化して閉じ込める方法」→「そいつの姿かたちや異常性の内容」→「発見した成り行きやその後の経過、細かい異常性の発現ルール」
ということだ。
この順序こそが、SCPと他のシェアードワールド系の創作サイトを明確に分けたもので、SCPというサイトの面白さを生み出した要因にも、初心者が読みにくい要因にもなっている。
この順序になっている理由は、SCPのドキュメントが「その物体を読者に向けて紹介するためのエンターテインメント的文書」ではなく
「それを管理しなければならない職員に向けて、安全な管理運用のために記された実用的文書」であるという体裁を取っているからだ。
職員にとってはその異常性の面白さや斬新さなんかどうでもよく、まず何よりも安全に封じ込め続ける必要がある。
その上でその異常性を理解・研究し、あわよくば財団のために利用していこうという意図のもと、説明や実験記録が来る。
実に合理的だ。
だが、これを一歩メタな視点、すなわち創作サイトとしての面白さという考え方で捉えると、この順序だからこそSCPはここまで面白くなれたのだということが言える。
すなわち、このわずかなドキュメントの上から下までがまさに伏線とその回収、すなわちミステリの構造を担っているということだ。
読み始めた瞬間、読者はそのオブジェクトの呼び名しか知らない。
瞬時に入ってくるのは危険度の情報だ。なぜこの危険度か、は示されない。
その上で封じ込め方法が来る。なんでそんな奇妙な収納方法なのか。何を意図したシェルターなのか。次々と謎が増えていく。
その次の説明で、謎が解ける。この説明の順番も見事だ。見た目などの一般的な情報から、徐々に異常性が明かされていき、何が恐ろしいのか、そして何が面白さなのか知る。
だが、作り込まれたオブジェクトはこれで終わりではない。最後の補遺や実験記録の部分でどんでん返しを仕掛けていることがあるからだ。
だからSCPの面白さは人に説明しにくい。こんなオブジェクトがあって、それはどのように発見され、こんな異常性があり、こんなふうに封じ込めている。と説明してしまうと全く伝わらない。
本当の面白さは、初見の読者の中に次々に入ってくる情報の解像度の深め方にあり、その結果だけを話すことでは、聞き手と話し手が同じ体験をしたことにならない。
だから紹介動画などでも、特別収容プロトコルからそのままの順序で話していくものが多いわけだ。そうざるを得ない。そうでなければそのSCPを紹介したことにならないのだ。
昨日、上田慎一郎監督最新作の『スペシャルアクターズ』を観てきた。上田監督といえば去年の夏『カメラを止めるな!』で一世を風靡した時代の寵児であることは多くの方がご存知だろう。『スペシャルアクターズ』は『カメ止め』フィーバー後、初となる(単独)監督作品としてそれなりに話題になっていた。
昨日観たのは、たまたま時間つぶしで私自身は「極力外れてなさそうなもの」を選んだだけで大きな期待はしていなかった。だが観終わってみるとまあまあベタな展開(最後のどんでん返し含め)ではあるもののかなり楽しめ個人的には満足感の高い時間を過ごすことができた。前作の『カメ止め』も今回の『スペシャルアクターズ』もそうだが上田監督作品の大きな特徴のい一つは出演者の殆どが「誰も知らない、だけど演技がうまい」ところだと思う。そして何より、演者全員がお芝居を楽しんでいる。それが見ている我々にも伝わってきてさらなる感動を生む。そんな役者たちを観ていて思い出したのがタイトルにもある僕の初めての彼女の話だ。
僕の初めてできた彼女はよく笑い底抜けに明るく、そして何より演劇が大好きだった。知り合ったのはTwitter。二人は同じ大学を目指す高校3年生だった。半年ぐらいリプライのやり取りが続いたあと、志望校の学園祭に一緒に行く約束をして初めて会った。雨が降る少し肌寒い11月の道を駅からキャンパスまで一緒に歩いたのを覚えている。その一ヶ月後の12月から僕たちは付き合い始めた。まあ、ここからの展開はこの手の話のよくある習いで彼女は志望していた国立大学に合格し僕は晴れて浪人生になった。もちろんここからもよくある話で大学の演劇サークルに入った彼女に秋口、あっさりと振られた。
昨日の夜、どうしても我慢できなくなって彼女のフルネームを検索窓に入れた。写真の中の彼女は明るい太陽のような笑顔だった。好きなことを全力でやっている人の笑顔だった。どうやら今も劇団に所属しているらしい。大きな賞ももらっていた。
その後の僕は第一志望には受からず第三志望の地方大学に進学した。理系だったのもあり大学院に進学し今は社会人一年目、付き合っていたときは想像もつかない土地に住み特にやりたくもなかった業種の特に楽しくもない仕事をしながら暮らしている。そんな僕に彼女の心の底からの笑顔は古傷に塩を擦り付けられるようだった。
僕はどう頑張っても彼女のようには生きられないのだ。
『スペシャルアクターズ』の主題歌『誰でもアクター』の歌詞に次の一節がある。
結論が遅い記事、タイトルと内容が違う話、看板に偽りがある全ての物はその存在を否定されて叱るべきだ。
たとえ犬肉の看板で羊の肉を出したところで、犬肉を食いたくて財布を開いたやつを裏切っているのは何も変わらない。
無数の選択肢があふれかえる中で、時間と金と余裕だけが足りない現代社会、最も恥ずべき罪とは提供するものの名前を偽ることだ。
最近だと、カメラを止めるな!とやらが評価されているのが私は非常に気に食わない。
絶賛大人気中の超面白映画を期待して入ってきて、最初の25分で帰った人間に対してあの作品は何を残した!
そういう態度は嫌いなんだよ。
ふざけんな舐めてんのか?
ハリウッドがやったら許されないことを素人がやったらセーフだったのが画期的だと話題になった、ただそれだけじゃねえか。
でも作品の作り方としては極めて最低最悪なんだよ。
ましてこの時間ばかりがやたらと無くなりやすい現代に置いてはな。
時間を返せよ。
つうかそこについて定期的に謝れや。
本当糞だぜ。
創作者としての態度がクソだ。
つうか何がクソって……次回作のアメリカ編は前作見てれば序盤でも割と楽しめるのがクソだ。
やれば出来るのにどんでん返しのパワー貯めるためにやってなかったつうことじゃねえか。
クソのクソだぜコイツらは
原作未読、アニメも未視聴。つまり、予備知識一切無しで観てきました。
主人公ヴァイオレットはFateに出てくるセイバーっぽいキャラクタで、彼女が家庭教師として派遣された先は全寮制女子高。
これは・・・地中海のリリアン学園じゃないですか。金髪縦ロールの黄薔薇様いるし。。
ぶっちゃけ、ロサ・キネンシス・アン・ブゥトンと、ヴァイオレット・キネンシス(紫薔薇さま)の立場を越えた友愛の物語がそこにはありました。
全寮制だけに、女の子同士の入浴シーンもあり、1つのベッドで一夜を共にするカップルまで…
お話のほうは、バトルもどんでん返しも無くて、最初から最後まで静かに美しく、そして微笑ましい展開が続いてました。
雰囲気というか作品のテイストは、割と楽園追放(主演:釘宮理恵)に近くて、
ヒロインの一行瑠璃 が空から落ちてくるシーンで、主人公が受け止めると思いきや、下敷きになる辺りは
なんでそこでパンチラさせないかなぁ?と思うくらいには健全な作品でした。
(お尻に頭突きするのは、触ってないから痴漢じゃない…と思う。セーフ)
最後のどんでん返しは、ある意味予定調和というか、上手く辻褄を合わせてみんなをシアワセに出来ていて良かったと思います。
るろうに剣心でいうところの志々雄 真実が戦いに敗れて死んだ後に、地獄で国盗りだぁって盛り上がるのと同じで、
あってもなくても良かったんですが、あればあったでちょっといい気分になれるデザートみたいなものですね。
無口でボッチでいつも読書ばかりしていて冷淡なのに、なぜかコスプレさせられて赤面している一行瑠璃があまりに可愛かったので、
既存の野崎まど読者のアマゾンレビューなんかで星三つという評価が多いのはどんでん返し感が弱い、特にエピローグを素直に読んだ場合の「さらに上位の世界がありました」ってのが弱いってのがあるんだと思う。
エピローグの方はカタガキナオミの世界に狐面が登場した時点で大体読めるし、上位世界の存在を示唆する程度ならエンタメ寄りのメンインブラックの1,2ですらやってるわけであまりにも野崎まどらしくない。
更に言えばそのエピローグがどうにも浮いてる、素直に読むと蛇足なんだな。だがこれはおそらく蛇足であることそのものに意味がある。
このエピローグが蛇足にならないようにするならどうすれば良いだろうと思ったら、これナオミが主人公のお話だったらバチッとはまるのだよな。
ナオミが高校に入るところから直実に消されるまでのお話であればあのエピローグは美しいんだ。
そしてそのお話の材料はこの本の中に全てある。ダイブするまでのナオミの物語は直実の物語とほぼ同じなんだから
直実の高校生活の部分からナオミとのやり取りを削除して繋げ、アルタラプロジェクトに入り、ダイブに成功したところからまた本編の話を続ければナオミの物語になる。
この作品は未来の自分から力を与えられて瑠璃を救おうとする男が主人公なんじゃなくて。
高校に入り、瑠璃に惹かれ、瑠璃を失い、人生の全てを捧げプロジェクトに食い込み、自らを電気で焼き、片足の自由を失い、それでもダイブに成功し
世界一つを犠牲にして瑠璃を救い、拒絶され、もう一人の自分こそが瑠璃にふさわしいと、自分こそがエキストラであったと受け入れ
瑠璃を直美に託して瑠璃を守るために自分の消去を選んだ、10年を掛けて瑠璃を守るために自分の身をささげるという事をやり遂げた男の物語でもあるんだ。
もう一人の主人公はこの男なんだ。そしてエピローグはこの男に与えられる救済なんだ。
この直接的に描かれていない物語を読者の脳に構築するための一見蛇足に思えるエピローグなんだと思う。
少なくともこの作品がナオミにかなりの比重を置いたものだというところだけは自信がある。
「たとえ世界が壊れても、もう一度、君に会いたい」このキャッチコピーは発言者がナオミでも直実でも成立するし。
予告の最後に出てくる近づいていき交差し、そして離れていく飛行機雲はナオミと直実、又はナオミと瑠璃でしか意味を持たない、直実と瑠璃じゃない。
さて、ある作品をカットアップして再構成することで別の性質を持つ映画と言えば野崎まど読者には心当たりがあるはずだ。
[映]アムリタ。
まあ流石にSCP財団のミーム災害じみた効果は発揮しないけれども。
日本開催のラグビーワールドカップを観に行くからだ。
このいま現在、世間で騒いでるのは、日テレとラグビーファンと関係者なだけな気がしてしまい、私は少し寂しさを覚えてる。
仕事周りでも、サッカーの時はあんなに特集が組まれて、商用のものにワールドカップという名称を使っちゃいけないとか、いろんな御触れが回るのに、ラグビーの時にそんなこと周りで気にしてる人がいなかった。
サッカーの時は会議室を借りて、会社の部のみんなで飲みながら応援してたのに、今日は誰も音頭をとらない。
でもね、きっと今日勝ったら、少しは国民のナショナリズムをくすぐり、ちょっとだけ盛り上がるはずなんだ。
だから迷惑かけない程度に、気持ちよくなるだけでいいから盛り上がってほしい。
ラグビーはどんでん返しが起こりにくいスポーツ。(だから前大会の南アフリカ戦勝利が盛り上がったのだけど)
別にうんこを漏らさない方法とか、僕が今現在うんこを漏らしていて、それをどうやって処理すればいいか?とかそういった話ではない。きっとこのエントリーからはうんこの匂いは全くしないはずだ。それどころか、最近はデオコをつかっているからこのエントリーからは女子高生の匂いがするはずだ。そう。このエントリーを書いているのはうんこを漏らしていない女子高生だと思ってもらって構わない。その点を踏まえて読んでくれればと幸いだ。そうすればきっと温かいコメントで埋め尽くされることだろう。
ここに書いているのは僕の純粋な悩みだ。単純明快。「自分が作ったWebサービスに人が来ない」というものだ。
もともとサービスを作った理由は自分が使いたいからだ。僕は本を読むのが好きで、Twitterやはてぶで流れてきた面白そうな本をメモしたり、本屋巡りをして目についた本のあらすじで買ってみたり、帯で面白そうだからと買ったりしているのだが、気に入る本に当たる確率が非常に低い。これは読んで良かったと思える本に出会える確率は1割にも満たない。本を読んでいる途中で投げ出したくなる本と出会うことも多々あるわけだけど、「最後に驚愕のどんでん返しが!」という帯があると帯を書いた人間の策略通り最後まで読まざるえなくなるわけだ。そして僕には「驚愕」と感じられないオチを見て、「なるほどね」と落胆をしてまた次の本を探し出すことになる。これを繰り返していると、新しく本を探しに行くのがどんどん億劫になっていくのだよ。
そこで、僕はひらめいたんだ。「欲しい物を書いておけば勝手に誰かがおすすめしてくれるサービスがあればすべて解決するんじゃないか?」と。
僕なんて本当に本を読む人から比べたら鼻くそぐらいの量の本しか読んだことがないのだし、めっちゃ読んでる人が気まぐれにでも「これ面白いよ」って軽い気持ちでも教えてくれるサービスが存在すれば、僕は日々本屋を回りながら面白そうな本を探すということをせずとも勝手に面白い本がガンガン集まってくるんじゃないかと思ったわけだ。Twitterバイラル的なサービスも流行っているのでこれに乗っかって、自分が欲しい物をTwitter上で公開すれば自分のことをなんとなく知っているTwitterのフォロワーから好きな本を教えてくれるサービスがあれば便利だなと思ったわけ。いろんなサービスが機械的におすすめメールを送ってきてくれたりするけどそんな冷たいものではなく、もっとぬくもりを感じられるゆるくつながって教えたり教えられたりするサービスができたらきっと素晴らしいだろうと思うんだよ。
そんなゆるーくつながるサービスをイメージして「積んでけ」ってサービス名も考えたわけ。「積ん読」をモジッてだれかが適当な置き場を作ったら、そこを通りがかった人が知ってるやつを気軽にポーンと積んでいってってほしいなという願いを込めてつけたわけ。ひらめいたときは我ながらダサかっこいいところを攻めたいい名前をひらめいたと思ったもんだよ。いいと思わないか?気軽に目に止まった置き場に自分が知っているやつを積んでって、それを見た人がありがとうって言ってくれる世界って。それが面白かったんだったら、こっちも面白いと思うぞってなってほしいし、じゃあ私からもなんか教えよっかなって思ったりするじゃんか。アフィリエイトもできるようにしてるから、ブログで紹介するなら1冊に付き1回までしかかけないかもしれないけど、面白かった1つの本を沢山の人間におすすめすることができるんだぞ!これも画期的だと思ったわけだよ。
で、頑張って作ったわけだけどまーーーーったく人が来ないわけだ。
それとも誰の目にもとまっていないから使われていないだけなのか?
それともデザインがしょぼすぎて使う気にならないのか?
まーったく判断がつかない。このサービスの特性上、人が集まらなければ面白くないサービスなので、最初は面白くないサービスに人を呼び込んでくる必要があるわけだ。そんなアクロバティックなことをどうやればいいのかと考えても全く案が浮かんでこない。Amazonギフト券を配って書いてもらおうかとも考えたが、そもそも「サービスを使ってくれたらAmazonギフト券がもらえる」ということをみんなに知らせる手段が存在しない。人がいないところに人を呼び込む最初は一体みんなどうやっているんだ・・・?試しに1万円ほどTwitter広告を出向してみたが全く無風だ。こうなることがわかっていたなら、1万円分の本を買えばその中にあたりの1冊ぐらい混じっていたのではないかという自分の本末転倒ぶりに呆れたりもしたもんだ。全くどうすればいいのかわからん。
だれか、僕にサービスの広め方を教えてくれ!
仮面ライダーのやつは、今回は見に行くつもりはなかったんだけど、友人から「見とけ、笑えるから」と言われたので見に行ってみることにした。
twitterなどで若干否定的な意見も目にしていたけど、つまりそれが「笑えるから」ってことなんだろうなと、ギャグ映画を見るつもりで見に行くことにした。
ドラクエの方は、シリーズ中5が一番思い入れが深くて、SFC版からPS2、DS、アプリと、ハードが変わるごとにやっていて、半ば原理主義者化している自覚があり、また小説版も大好きなので、その辺のゴタゴタからも見に行くつもりはなかったのだけど、twitterで「5点満点中マイナス100点」等、あまりに酷評されているから逆に気になった。
そんで、今日たまたま時間が空いて、ライダー映画の後にちょうど良い時間の上映があったこともあって、はしごで見てきた。
と、ライダーの名前を出しておいて何だが、今回の話にライダーは余り関係無くて、バーターで付いてくる戦隊の映画の方の話をしたい。
(ライダー映画は、突っ込みどころの多さも含めていつも通りの、安定した面白さだったので、特に語ることはない)
で、その、ライダー&戦隊映画を見た後でドラクエの映画を見たのだ、という話をしたいのだ。
まず、ドラクエの話をしたい。
散々な酷評が聞こえてきていたのと、後記する理由でハードルがガン下がりしていたのとで、期待値はマイナスだった。二時間の苦行になるだろうと思っていた。
事実、始まって10分ほどの間は、心が10回くらい折れそうだった。
リメイク時に後付された設定がさもSFC時代からあったかのような改ざん!!
っていうかそこまでゲーム画面でやるのかよ!!そのまま最後までゲーム画面流せばいいじゃねーかもう!!
あれもこれもすっ飛ばすのかよ!!
ゲレゲレかよーーーーーーー!!!(ゲレゲレ派の皆様すまん、プックル派なんだ)
ドラゴンオーブはそこにはねーーーーーーーーーーーーえ!!!!
ヘンリーそんな奴じゃねーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
ラインハットほったらかしかよ!!!!!!!妖精の国すっ飛ばしたからサンタローズに春が来てねえじゃねえか!!!!!!等々。
いや分かってるよ2時間で話まとめるためには仕方ねぇよ、でもさーでもさーーーと心の中の原理主義者が泣いていた。
しかし、綺麗なグラフィック、迫力の戦闘、懐かしい音楽、佐藤健の流石の演技(直前にライダー映画を見ていたとおり、特撮畑の人間でもあるので、特撮出身俳優のアフレコに対する判定は甘々な自覚はあるが、「あ~電王だ~」と思う瞬間は一切なかったので、さすが佐藤健だと思う)に押し流されるように時間は過ぎていく。少なくとも(心の中で原理主義者が泣く以外の)時間経過に対する苦痛はない。
原作と違う点に突っ込みは入れたいと思うが、時間内に話をまとめるためには仕方が無い。
例えば、ヘンリーのキャラが違うとは言っても、SFC時点で我々に許された解釈の範疇ではあるように思う。
リメイク版には仲間会話があるが、SFC版でNPCとして交わした会話はわずかだ。ああいう解釈をしていた人が、まあ、いなかった訳ではないかもしれない。ギリギリ。
リュカのキャラクターは全く小説版の「リュカ」ではないが、「どこかの誰かが操る主人公」としては、誰かの頭の中にはああいう主人公もいただろう。
ビアンカフローラの選択。そんなに簡単に「自分の本当の心」なんて分かるか???とも思ったが、一応、フローラがいいならまあよしとしよう。
個人的に、特に回収もされず、一番残念だと思ったのは「娘ーーーーーーーーーーーーーー!!!」だった。
・・・まあ、これも仕方が無いだろう。大人の世界には予算とかの問題がある。
普通に考えて5のストーリーを「正しく」映画化しようとすれば、5章仕立てくらいにしないと終わらないだろうから、「どう二時間にまとめるか」も見所だ。文句を言うより楽しんだ方が得だ。
後半のプサンの「今回はそういうことになっている」的なメタ発言も、嫌いな人は嫌いだろうが・・・と思いつつもクスリとした。
ここまで超好意的に受け止めていたが、流石に「えええええーーー」と思った。
ついでに、「あ~~~~~~~~~~~~~これオタクが発狂するやつ~~~~~~~~~~~」と酷評の理由も理解した。
確かにちょっとグサッときた。いい年してこんなところで仮面ライダーの映画からドラクエの映画はしごして見てる自分の胸にグサッときた。大人にはなれてねぇわぷー。
しかし、その後の真実の暴露により、前半で心の中の原理主義者を殺した、気になるポイントの数々が全て伏線として回収された。
幼年時代をゲーム画面でスキップしたことも、リメイク版の設定のはずなのにSFC版に存在していたかのような扱いだったことも、ヘンリーのキャラクター解釈も、なんであんなに解釈が違うのに「リュカ」なのかも、ビアンカとフローラの選択の顛末があんなんだった理由も、プサンのメタ発言の訳も。
もう、なんか、ここでぞわーっとした。
気に入らないと思ってたことの全てに理由があった(娘の存在のことは置いておく。少なくとも見ているときはそう思ったんだ)。
今まで「どこかの誰かの頭の中にあるドラクエ5の世界を見てるんだな」と思って我慢していた事が、ある意味それで正解であり、また、一気に「どこかの誰かの物語」が、「主人公の物語」あるいは「自分の物語」になった気がした。
その辺は上手く言語化できないが、体感としては「うおおおおスッキリーーーーーーーーーーーーーー!!!」だった。
最近は予定調和的なハッピーエンドが約束されているライダー映画ばかり見ていたので、ついぞこのところ体験していないカタルシス。
その後に登場したキーアイテムがロトの剣だというのももう、細かいことは抜きにしてたまんねぇわという感じ。
確かにあの瞬間、主人公は自分だった。子供の頃からドラクエと共に育った自分自身だった。あの一瞬、まさしく「YOUR STORY」だった。
(後で冷静に思うと「自分の」物語だと思うには物語の解釈が違いすぎるが、あの一瞬はそんな細かいことはどうでも良かったのだ)
そして、「経験した冒険は、確かに本物だ」というメッセージこそが、本当に我々に向けられたものだったのだろう。
大人になれ、現実に帰れ、そんな風に言われることが多い社会だけれど、我々が「ドラクエ」から貰ったものはそんなありきたりで薄っぺらな言葉で踏みにじれるようなものではないはずだ。
と、言われているはずなのに、一度発される「現実に戻れ」というメッセージの前に「そんなこと言われたかったんじゃない!!!!!!」って発狂するオタクが多いのはちょっとこう・・・オタクのメンタル弱すぎじゃねえの・・・という気がするが、まあそれは現代社会では仕方の無いことでもあるし、今回の本題ではないんだ。
言いたいのは、一本の映画として見たときに、よく出来ていたじゃないか、ということなんだ。
確かに、もう5の物語は身体に染みついてしまっているから、全く5の物語に触れたことがない人にとって、提示されている情報が十分だったかについては冷静な判断ができない。
ストロスの杖のあたりとかは説明不足だったようにも思うが、まあ、「息子が頑張って探した石化が解けるアイテムである」くらいは伝わっただろう。
(ちょっと使い方それェ~~~?!!と思ったりしたが)
(ルーラの辺りは怪しいかも知れないが、「ルーラ」といえばワープの魔法である、というのは有名だと思いたい)
二時間でまとめる為にはどうしても大幅なカットが必要である、そのためにカットされたり設定が変更された部分について「そこをカットするのかよ・・・!そこをそう変えるのかよ・・・!」という視点で気に入らない箇所を除くと、「え~~~~」と思った部分は大概、ラストで伏線として回収された。
その、ラストの展開それ自体が気に入るかどうかはともかくとして、5のストーリーを知っていればいるほど「あれっ?」と思う箇所には、大体理由付けがされている。
長い話をカットした時にありがちな「えっその話いつしてた??」みたいなのも、多分、なかった、と、思う。(なにせ冷静な判断ができないのだ)
一人の男の一代記になってしまうので、ストーリー全体が駆け足感あったのはまあ、仕方が無いと思うが、それも設定を知った後なら逆にリアルだ。
もちろん、二時間に納める為にカットされた部分、変更された設定について、文句を言おうと思えばいくらでも言える。娘はどこへ消えた。
ラストの演出については、これは好き嫌いがはっきり分かれるだろうなとは思った。
「ドラクエを見に来たつもりだったがSAOだったか」と思ったりもした。
「これをドラクエで、しかも5でやる意味はあるのか」みたいな批判もあるだろうと思う(これは、はっきり意味があると思うが)。
「5のファンとして、納得できるかどうか」の話であって、「映画自体のクオリティが極端に低い」ということではない。
それなのに、あたかも「映画自体のクオリティがめちゃめちゃ低いから見に行かない方がいい」みたいな言説ばかり飛び交っているのは非常に残念だと思う。
CGは徹頭徹尾圧倒的に綺麗である。(ドラクエ5らしいか、は置いといて。。。)鳥山明の絵とは遠いが、動いて居る彼らを見ていれば全く気にならなかった。
物語や設定が破綻しているということもない。もちろん重箱の隅を突けば色々出てくるだろうが、世間一般の映画と比較して特段トンデモ展開という訳でもないと思う。虚無でもない(後述)。
(ただ、主な比較対象がライダー映画であり、あれはトンデモ展開をやってナンボみたいなところがあるので、若干ふつうの人より「トンデモ展開」判定は緩いかも知れない・・・その辺りの自信はちょっとない)
とはいえ「好き嫌いは分かれるな・・・」「文句の言いどころがいっぱいあるのは分かるな・・・」とも思ったので、薦める相手は慎重に選ぶ必要があるのはわかる。
たぶん、元からこの作品はオタクの方を向いて作られた映画ではないんだろう。
(まず、オタクの方を向いているならちゃんと声優を使うはずであるし、そもそも3DCGにしないだろう)
友人にこのクソ長ったらしい感想をもう少し縮めて伝えたところ、「子供の頃ドラクエやってたパパが、懐かしいっつって子連れで見に行って、そんで夏休みの間にソフト買って親子でやってね、ってことだろ」と言われたが正にターゲット層はそこなんだろう。30~40代の子持ち父親(あるいは母親)。ちょうど小中学生の頃ドラクエ5をスーファミでやっていた世代だ。(だからこそ、今「5」が選ばれたのだろうと睨んでいる。3以前だとリアルタイム世代がもう少し上になってしまうし、4は5章構成で話が長すぎる。6以降だとまだちょっと若い)
「現実と向き合え」って言われるのが何よりも嫌いなオタク(と、あとフローラガチ派)は見るべきではないと思うが、まさしく「子供の頃ドラクエが大好きだったが、今はまあ子供もいて、そこそこ大人やってます」って人には是非薦めたい・・・・・・いや、そう言うタイプの人は最後のどんでん返しでカタルシスを感じてくれなそうである・・・ある程度「ゆうしゃとしての自分」に思い入れがないと・・・だがそう言う人は得てして現実と向き合うのが嫌であり、あるいは原作からの改変が些細なことでも許せないタイプ・・・実にジレンマである。
(・・・と、そのようなジレンマを抱える構造になってしまったことが「失敗」といえば「失敗」かもしれない)
また、この流れをもって主人公を「リュカ」としたなら、確かに久美沙織に対して何かしらの仁義は通すべきだと感じた。その一点においてマイナス100点である。
5の主人公=リュカの図式を作ったのは間違いなく小説版であろう。(もし万一、「リュカ」あるいは「リュケイロム・エル・ケル・グランバニア」の名がエニックス(当時)サイドから提供されていたのだとしたらそれを明確にして欲しいし、作者があのような(慎重な)声明を出す以上、命名は久美沙織側だったのだろうと思っている)
製作委員会におかれてはその辺は本当に仁義を通して貰いたい。この素晴らしい作品に、そんな事務的なことで味噌が付いて欲しくないと思う。
で!!!!!!だ!!!!!!!!!!実はここまでの長ったらしい話は全部前段であるっていったら怒る???
何でここまでドラクエ映画を大絶賛するかっていうと、作品自体が(人は選ぶものの)素晴らしかった(のに世間の評価がだいぶ偏ってるから、いっちょこっちは絶賛しとこう)っていうのは大いにあるんだけど、その直前に見た、見てしまった戦隊映画があまりに、あまりにも虚無だったからというのも大きい。
虚無映画のダメージがまだ残っているうちに見た為、通常時の1.5倍くらい面白く感じた...と言う可能性が否定しきれない。正直なところ。
(ブースト効果がなくても十二分に面白かったと思っただろうが、ここまで熱狂的に、最高に面白かった!!!!と思ったかどうか、怪しい)
というわけで「虚無映画の後にドラクエ見たら予想以上に面白かった」って話がしたくてドラクエの話始めたら思ったより熱が入ってたらしくてすっげー長くなったごめん。
でもこの後また長々虚無映画の話をさせてくれ。誰かに聞いて欲しいんだ。
「5点満点中マイナス100点」の栄光はまさに今年の戦隊映画みたいなもののためにあるのではないか? ドラクエではなく。
いや、戦隊映画については多くの人々が「ライダー映画のバーター」程度にしか見ていないのだろうと思う。
だって毎年バーターで、ライダーは一時間、戦隊は30分と相場が決まっている。ライダー単体の映画は大人1800円キッチリ取るが、戦隊単体の映画は大人1200円だった時代もある。
最近は戦隊単体の映画は期間限定上映になってしまったほどだ。悲しい。
だから、毎年大した期待は掛かっていないし、つまらなくてもその後のライダー映画が面白ければ何の問題も無いのだろう。
現に、今年のライダー映画に関する評判は、良い物も悪いものも合わせて耳に入る。つまり、それだけの人数、戦隊の映画も見ているはずなのだ。
しかし、誰も話題にしない。あんなに虚無だったのに!!あんなに虚無だったということを誰も口にしていない!!!その程度の興味すら抱かれていないのだろうか・・・それとも虚無すぎて何も言えないのか・・・
あるいは、「名作」とまではいかずとも、通常のテレビ放送の二話分くらいの時間を使えるのだから、ちょっとしたスペシャル回くらいの話はできる。
テレビ放送を見ている時よりはちょっとわくわくした気分で楽しんで見られて、特撮映画のことだから突っ込みどころも多いが、概ね「楽しかった楽しかった」と思える作品がほとんどだ。
(折角の「劇場版」がそれでいいのか・・・という話は一旦横に置いておく。今は、多くは求めまい)
少なくとも「早く終われ・・・」と祈ったことは、(毎年見ている訳ではないが、6~7本くらいは見ているはずだ)一度も無い。
それがだ。今回は半分より手前くらいのところから「早く・・・終わらないかな・・・」と魂が吸われていたのだ。
確かに、今年の戦隊はあまりちゃんと見ていない。が、それは過去の戦隊においても同じ事が言える。
(おおよそキャラクターや敵が何者かくらいは知っているが、毎週毎週熱心に見ている訳ではない。これはライダーも同じだ。友人たちと話のネタにするために流し見しているくらい。そこまでガチ勢ではない)
だから、「例年より話が分からない」「例年よりキャラクターに思い入れがない」という点で「面白くない」訳ではない。
「特撮映画」というジャンルには独自の文明があるので、割合トンデモ展開が許される。
(実際のところファンが「許して」いるかは知らないが、平成だけでも20作品にわたってトンデモ展開をやり続けながら絶対的コンテンツとして君臨しているのだから、許されていると思っていいだろう)
突然東京がひっくり返って江戸時代になろうが、突然信長が蘇ろうが、突然歌って踊ろうが、サーカスを始めようが、見た目は大人頭脳は子供だろうが、侍もいるし天使もいるし忍者もいる。タイムスリップも日常茶飯事、作中における原理原則の多少の無視もよくあることだ。今更騒ぐようなことでもない。
「展開がトンデモすぎる」「作中の設定が無視されすぎて変」という話でも、ない。
六千五百万年前からいきなりタイムスリップしてきた人類(的な生き物)が居たら、まずは文明の違いに腰を抜かすところからじゃないのか???とか
六千五百万年前の文明発達しすぎだな?いやそれは作中設定があるからいいとしても、こっちの部屋はロストテクノロジー仕様なのにあっちの部屋は旧
ドラクエ5のストーリーが好きで、内容を覚えてる人であればあるほど最後の最後に、なるほどねって納得できて面白いと思う。
正直、終盤まではちょこちょこ面白いけど、ただのファンアート・二次創作レベルだなぁ、って感じだった。ビアンカはかわいい。
なんであそこカットするの?とか、不幸度足りなくない?とか、ドラクエ5好きだったらそこ削らんだろとか、主人公キャラ違うとか、とか不満点多数で。ビアンカは可愛かったけど。
すごい陳腐だなー、って思いながら見てたら最後の最後でどんでん返し。
前半のチープさ、カット、都合のいい感じ全部納得した。
そりゃ、そういうチープな感じにあえて描くわ、なるほどな、っという感じ。
昔は会得していて、鑑賞前に完璧にモードを合わせられたんだけど出来なくなった。マッドマックスを見る時はモヒカンになっていたし、12人の怒れる男たちを見る時には社会派だった。
今は違う。ユージュアル・サスペクツを受動的に見てしまうから最後のどんでん返しに特に感動もしないし、シャークネードを見ながら話の荒唐無稽差にため息をつく。
どうやればまた出来るようになるんだろう。
ポスターやタイトルロゴから得る印象に合わせて心の中にあるチャンネルを捻ってモードを調整し、それから鑑賞していく中でオシロスコープを操作するようにゆっくりと作品へシンクロしていけばいいはずなんだが……出来なくなった。
やり方が分からない。
映画を見に行こうとしてから一覧を見て観たい映画がないから諦めたりが多くなった。昔の自分は、アベンジャーズがやっていたら自分をアベンジャーズに合わせて楽しめたのに。
誰か教えてくれないだろうか。