はてなキーワード: 権威とは
https://anond.hatelabo.jp/20180225105423
オレオレ。オレだよ。
「権利獲得からの非対称性を差別って呼んでしまう」増田が愚かすぎるので、俺も増田になってみようと思った。
つーかなんでブックマ100文字なのに、増田の反論は100文字超えてもOKなのよ? 差別じゃね?(笑)
つまりは増田の「権利」なのに「非対称性」だから「差別」って話になるわけ。分かる?
でもさ増田、お前からすれば「バカ言えこっちは増田なんだから100文字で反論する理由がない」だろ?
ソイツはお前からすれば「権利の行使」だが、ブックマカのオレからすりゃ差別なんだよ、お前の論法だとよ。
分かる?
でもオレは差別だなんて言わねぇ。言うわけねぇ。
だってお前の「権利」行使じゃん。なんで言う必要があるわけよ。
で。「女性専用車両」だけどよ。コイツは女性の皆さんと鉄道各社が合意形成して作った「新しい権利」なわけよ。
これまでなかった奴な。
だから増田、お前の論法だと「非対称性だから差別だよ!」ってことになる。
オーケーオーケー。「非対称は差別」。小学校レベルの「ズルイ!」だ。
大人にぶん殴られてろ(屁理屈のバカガキは殴られるべきだ、オレみたいなガキだもの)。
あのな、獲得した権利をどう使おうとソイツらの問題であってソイツらから権利を簒奪したい、廃止したいんだったらそれなりの論法があるだろうよ。
安全圏を獲得する、っていうすげーディフェンシブ、パッシブな権利を「特権」って抜かしてるんだぜ?
その一方、お前には非対称性を解消する運動とか、そういう提言は1個もなかったよな?
「コイツは差別だ。差別というラベリングをしよう。みんなもするべきだ」がお前の増田本文の論旨だよ。
つまりお前は、あの「女性専用車両に乗り込んでギャースカやってる筋悪の連中の仲間」ってことだ。
オレはそう判断したぜ?
もしお前が本気で「俺は差別と戦ってきた」っていうんだったら1個でもいいから、「お前が認定した差別」であるところの「非対称性解消」の動きを教えてみろ。
言っておくがな「抗議しました」とかは戦いじゃねぇんだよ、カス(日本のデモやってりゃ満足のクソサヨク共のせいだよ、本気で)。
「ウチの国らしい働きかけ」つーのは、代議士にコネクション作る、シンポジウムに参加し発言する、権威と権利のあるところに本名で出ていって議論し、話しし、抗議するつーのが「働きかけ」なんだよ。
まさか私企業であるところの鉄道会社に電話しておしまいにしてるんじゃねぇだろうな?そういうのは誰でもできるから「働きかけ」じゃねぇんだ。
お前ももういい歳だろ、実際。無職か有職か、事業主かしらねーけどよ「これは差別です!みんなもそう理解してね!」じゃねぇよ、バカタレ。
なんで「守ってもらう権利」を「差別」扱いするのか。お前が男で守ってもらえねぇからか?しらねーよ。そりゃ「お前のクソみてぇな経験から発露した価値観が絶対」でそれこそ「非対称そのもの」だってことだ。
女性が満員電車で置かれ続けた「非対称性の解消の新しい権利」が「女性専用車両」なだけ。
だから男が言えるのは「同様の非対称性解消の新しい権利を獲得する」であって「女性専用車両の廃止」を目論むのは、違うんだよ。
小保方氏がSTAP細胞に関する論文でやらかしてから4年、博士号取り消しの処分が決定してから2年以上の歳月が流れた。
小保方氏がメディアを悪い意味で騒がせていたちょうどその頃、僕は東京大学を受験したものの点数が足りず、合格を貰っていた早稲田大学の某理系学科への進学が確定的となっていた。
世間とマスコミは小保方氏と早稲田をぶっ叩きまくっていた。ガバガバ博士論文を通した早稲田はクソ、コピペ改ざんの小保方氏はクソ、STAP細胞は存在しない!( ー`дー´)キリッみたいな感じで、受験に失敗した結果早稲田への入学が決定していた僕にとっては追い打ち、死体蹴りでなかなかの真顔案件だった。
「うるせぇ有象無象共!このまま早稲田が叩かれまくって僕が就職するときに『ええ?あの小保方さんの早稲田?』みたいなこと言われて不利になったりしたらテメェら責任取れるのかクソが!!」と大いに荒れていたことを今も覚えている。
話の本流からは逸れてしまうが、バッシングの果てに尊い人命が失われているし、人権侵害級の話もあったのでそのあたりについては壁に手をついて俯いた猿のごとく反省して頂きたいとは思う。とはいえどうせ反省を促してもマスコミは絶対に反省しないで今後も似たようなことを繰り返すし、叩いた民衆は自分が叩いた自覚を持って無くて全く反省しないだろうから無意味だとは思うが。炎上している誰かを叩いているとき、それはそれはきっと気持ちがいいのだろう。大義名分も自分にあり、多数のうちの一人であって責任はほとんどない。さぞ楽しかろう。そういう奴が無自覚に人を殺し、人生を壊したりする。
話を本筋に戻そうと思う。
あれから4年間を早稲田大学で過ごしたが、小保方氏の事件はまあそれなりに早稲田に反省を促したように感じた。
いつ頃だったかは忘れたが、小保方氏の学部時代の所属学科である応用化学科の実験レポートで剽窃が発見され、かなりの人数が罰則を受けたと噂で聞いた。
理系における実験の重要度は他の講義の比ではなく、実験の単位を1つ落としてしまえばその他全ての単位をきっちりと取っていても5年生コース(早稲田では4年生を2回というようなことは無く、『留年』すると5年生とか6年生になる)が余裕で見えてくる。剽窃発覚だと半期の単位取り消しと停学がセットでひっついてくるので、ほぼ確実に留年である。
応用化学科は小保方氏以来、随分とそのあたりが厳しくなったという話だったが、それを裏付けるように大量BANの話が出てきたのでなるほどなぁと思った。
卒業論文を提出する段階で知ったことだが、早稲田大学では過去の早稲田内のレポートや様々な論文と類似度を数値化し、ちゃんと自分の手で書いたレポートかをチェックするシステムが稼働しており、インターネット越しの提出窓口から提出すると自動でそのチェックがかかることになっている。このシステムに引っかかってしまうと随分まずいことになるらしいが、実際どうなるのかは分からない。ただ研究室の教授が相当めんどくさそうに言っていたので、まあそれなりにやばいことになるんだろうなと思う。早稲田なりの再発防止策、なのかもしれない。実際いつ頃から稼働してるシステムなのか知らないので断定はできないが、今の早稲田では剽窃はなかなかにハードルが高い状態になってると思う。
データじゃなければなら余裕で剽窃できるという話はあるが、実際に応用化学科の実験レポート(基本紙で提出)で剽窃が発覚してる例もあるし、その後も似たような話をちらほら聞いているので、抱えるリスクと得られるリターンをまともに考える頭があれば剽窃はしないという結論に至るような状況だとは思う。
コピペで博論通った件も、「科学における論文」というのが多分に性善説的に構築されているところがありその穴を突かれた感じなので、今のように定期的な見せしめBANと性悪説的なシステムを稼働させて威圧するというのは効果的だと一学生としては感じている。
ただまあ、学生の間では過去レポが出回っていることは事実だしそれを参考にして文言や順序を大きく変えて要旨を保つという方法ならシステムには引っかからないようなので、もう何かNARUTOの中忍試験編であった「カンニングするならバレないようにやれ」の試験みたいになってきている感じがしないでもない。こういうのはもう原理的に防ぎようが無い。早稲田に限らず慶応だろうと京大だろうと東大だろうとムリだ。まあ自分の言葉で再構築できる程度に理解してるならOK感がしないでもないし、難しいところだと思う。
今はもう存在しない器具名をレポートに入れてしまう、文言が同じ、データが完全に同一、誤字脱字のタイミングが同じ。そういう頭湧いてるレベルのアホみたいなことをやる奴は少なくとも排除されて、それなりに労力をかけた人が馬鹿を見るような状況ではないので、まあ良いのかなと個人的には思う次第。
早稲田は随分と頑張ったと思う。
コメントを見て、大事なことを書き忘れていたことに気付いたので追記を。
あの事件を受けて学生が剽窃パージに怯えつつ暗く沈んだ学生生活を送ったかというと全くそんなことはなく、この事件を時折ネタにしつつたくましく生きていた。
狩野英孝の「スタッフ~~~~!」のネタになぞらえて「スタップ~~~~!」と叫んだり。
明治大のサークルで愚か者が酒に薬を入れてやらかした件や東大で愚か者が女性に下劣な暴行を働いた件などの折、「さーて、どこまでマスコミで騒がれるでしょうか!!目指せSTAP超え!!」などと騒いでみたり。
論文を読んで英語で発表するという課題で、STAP細胞やその後の懸賞論文を持ち出してきて発表してみたり。
STAP細胞のコスプレをした者も居ると聞いた。上記の若干寒い内輪ネタの数々ならまだ理解できるが、こればかりはあまりにも意味不明過ぎて首をかしげたことを覚えている。
「小保る」等という謎の単語が生じていたが、どうも意味は「剽窃がバレて大学から罰則を食らう」という意味らしい。
その他にも、話の流れの中で自虐ネタとして使われたりもしていた。
かのスーパーフリー事件、早大生「あー・・終わったー・・」捜査官「終わってねぇよ」で有名な早大生による大麻栽培摘発などと並び、早稲田の恥ずかしい歴史に名を連ねてしまったこの論文不正事件だが、『きちんと真面目に剽窃などせずレポートを書いている学生』にとっては話のネタ程度のもので終わりそうだ。
早稲田の大学当局は反省した。しかし学生は反省していない。当たり前である。一部を除き大多数の学生は丸ごと剽窃等というアホみたいなことはしないから関係のないことだ。僕に限れば、自分がしたことではなくかつて同じ学び舎に居た誰かと大学が過去にしでかした件のせいで、大学以外の帰属コミュニティで多かれ少なかれ色々言われたことで、薄いながらもむしろ反感のような感情すら持っていた。「は? 僕関係ないんだが。自分が入学した時点でとっくに卒業していた奴の話なんか知らんがな」という感じである。現在に至っては特に何の感情も伴っていない。「そんなことあったね」と微笑みつつ日本酒を飲むだけだ。
帰属する組織やそのかつての構成員のうち何人かが何かをしでかしたことで、組織のみならずその組織の人員までもが色々と悪様に言われたりする事例は枚挙に暇ない。
「そういう人間を育てた大学なんだから、お前もそういう風に見られて当然」と言う人が居る。
恐るべき暴論である。つまり早大生は全員スピリタスで女性を酔わせ強姦し大麻を栽培し革マル派に属し論文はコピペで提出する人間として見られることを受け入れろということである。他の大学も同様に、例えば東大生は全員所属組織の講堂を実力で占拠し全員女性の局部にドライヤーをあてる人間として見られることを受け入れろということであるし、慶大生は集団で女性を強姦し父親を刺殺する人間として見られることを受け入れろということである。名大生はもっと凄い。同級生にタリウムを盛り女性を斧で殺害する人間として見られることを受け入れろということである。頑張れ名大生。
悪質な組織に所属しているからその構成員が悪影響を受けるというのは、一部は正しい。暴力団やブラック企業というのはまさしくその典型であろうし、もっと卑近な例で言えば毒親が居る家庭というのもその1つだろう。
大学はどうか。日がな一日遊び倒すような人間が育ったり一部のアホ共が増長する程度には大学名による謎の権威があることは否定できない。だからこの面で大学の悪影響というのは認めるところである。しかし、全員がそうではない。
暴力団を辞めて反省し必死で正業で生きていく者が居る。ブラック企業を辞め、新たなブラック企業を生み出しかねない染まりきったブラック企業的思考を改めて新しい環境で邁進する人が居る。毒親を反面教師として良い親であろうと心がける人が居る。
大学も同じことで、愚か者がテレビを騒がせる一方、真面目に勉強して真面目に研究して、世界に通用する成果を生み出す人や、大きな企業に就職して働いて社会に貢献する人や、新しいサービスを考え出して会社を起こし、新たな価値と雇用を創造する人が居る。
当たり前のことではあるのだが、人や組織が何かをしたとき、それだけがその人や組織の全てではない。良い面も悪い面も持ち、多面性を持つものだ。
かつて何かしらやらかして早大の名に傷を付けた人も居るが、長期的な目で見るとそんなことを歯牙にも掛けない程に早大の名に(結果として)箔を付けてくれた先人達が居て、今の早稲田がある。
早大生は今日も元気に学んで研究して、アルバイトして税金を払って、遊んで色んなところでお金を使って経済に小さいながらも貢献し、そして高田馬場でゲロを吐いて地域のネズミと鳩をせっせと育てるのである。
業績については「研究者としての実績」に絞ってとりあげた。ただ文系若手研究者増田とは、「研究」の捉え方自体が随分違うようだな。
文系でも同じですが。研究という営みの本質は文系も理系も変わらんでしょ。お作法がかけ離れているから相互理解が難しい局面があるだけで。一部の理系研究者の「お前ら文系は研究とは何なのか正しく理解していないのかもしれないが~」みたいなナチュラルな上から目線はほんと何なの?(あと、仮に百歩譲って理系と文系で「研究」の本質がまるで違っていたとして、なんで問答無用で理系の方が標準的であり正しいものなのだと思えるの?)
もちろん理系でもレビューや著書を書く人もいるが、それを皆がありがたく読むのはその人が最前線で研究をしていることが前提だ。
いや、レビューがオリジナルな研究業績じゃないってのはその通りだけど、著書はオリジナルな研究業績(でありうる)っしょ? 何度も言うけど三浦瑠麗の論文や著書は読んでないので、どのくらいオリジナリティがあるのかは知らない。ただ文系では研究書は立派なオリジナルの研究成果だ。博士論文の書籍化なんてその典型。もちろん一般向けの本とかを書くひともいて、一般向けと専門向けの中間みたいなレーベル(典型的には講談社選書メチエみたいなやつね。パンピー向けの概説書とガチのオリジナルな研究成果が混在してる)もあるから、そこにはグラデーションがあるわけだけど、著書がオリジナルな研究成果じゃないというのは不当な言いがかりでは。
ひょっとして文系の研究書とか見たことなくてどんなことが書いてあるかイメージ湧かない?(いや別に異分野の研究書を読んだことないのは悪いことじゃないけど、実物を知りもせずにイメージだけで語っていいんですかね、「理系」ってのはずいぶんと気楽なもんだ、と嫌味のひとつも言いたくなる)
だから、私そこは否定してないよね? 三浦瑠麗個人の研究者としての資質をあげつらうならどうぞご自由に。私だって彼女が政治学者として素晴らしいなんて微塵も思ってないし、私の知ってる(まっとうな)政治学者で彼女を学者として評価してる人なんて見たことない。でも和文は業績じゃないかのように扱うのはやめてね、っていうのが私の指摘の趣旨ですよ。彼女の雑誌に書いた文章が全部レビューだってのは、ブコメでkyo_juさんが指摘したことであって、元増田は最初「和文しかない」ことを問題にしていたよね? そう言われたらそりゃ「和文でも立派な業績になりうる」と反論するに決まってるでしょ。「言語を問わず、レビューしか書いてないなんて研究者とはいえない!」という主張ならなんの異議もなかったよ。
いずれにせよテレビの研究者枠にはもっと実績積んでバリバリ研究している(あるいは過去にした)人を呼んだらどうかという話にはなる。
そこに関しても私はまったく否定してないよね。和文論文は研究業績であり、また共著が研究業績としてカウントされないことは不当である、と言ったけど、三浦瑠麗の業績が学振PDや東大講師、あるいはテレビの出演者にふさわしい立派なものである、とは一言も言ってない。あんなのを東大講師にするなら私の先輩たちに職を用意してやってくれよ、と思うし、テレビに出ずっぱりの「学者」がマトモな学者だった試しなんて滅多にないよね、とも思うけど、そんなの私や「文系」あるいは「政治学者」に言われても知らんわ。東大の人事は東大の問題だし、テレビがロクに論文書いてない若手を連れてきて「社会学者」や「政治学者」としてチヤホヤするのはテレビの問題、言論人として活動してる人を肩書だけ見て研究者と誤認するのは視聴者のリテラシーの問題でしょ。理系の学位や肩書がそういう怪しげなショーバイに一切利用されてないってんならともかく、現実には医学博士号を利用してニセ科学撒き散らしてるひととかいるよね。アカデミアが自由で開放的な性格を維持していく上では、アカデミアのハクを利用してそういうことをする人たちが出てくるのはどうしても避けられないんじゃね、って私は思うけど(まあ、アカデミアでは全然相手にされてませんよ、と表明する責務くらいはあるかもしれないけど、それはもう色んなひとがやってるよね)。
文系増田は日本の研究者の日本語論文が読まれないことの解決策として日本語論文の良さを英語論文内の引用でアピールするという案を提案しているが、理系から見たら不効率極まりない。一つの研究分野に標準言語がいっぱいあったら世界中の学者が言語習得に苦労するだろう。
うんだから、文系の研究者が色んな外国語を勉強してるのはそういう事情があるわけ。たとえば西洋古代史を研究するんなら、まあ英語に加えてフランス語とドイツ語の研究文献を読めないと話にならんわなぁ。一つの研究分野に標準言語がいくつかあるのは文系だと割と普通で(古代や中世に関する研究だと権威ある学術言語がいくつもあってどれかひとつに決められなかったりするし、複数国にまたがる地域や事例を対象にしている場合なんかは一意に定めることが不可能なのは流石にわかってくれるよね?)、その中で日本語の地位が低いことをどう捉えるか、だよねぇ。
これに関して、日本語を諦めて別の言語で書くべきだ派と、日本語の地位を高めていくべきだ派と、日本のアカデミアを最優先に考える派(これが実のところ多数派だろうねえ)がいるんだなと私はぼんやり思ってる。私が見ている範囲では、現代日本の文系研究者の多様性は、アメリカやイギリスほどじゃないにせよフランスやドイツやロシアとは肩を並べられる水準にあるんじゃないかな。日本史や英文学からアフリカの人類学、オセアニアの少数言語、中央アジアの歴史、とあちこちの分野に手を伸ばしていて、アメリカ人やフランス人やドイツ人がそうできるように、自分たちの言語でそれらの分野の最先端の研究成果を手にすることができる。東アジアや中央アジアからは、自国のことを研究するために日本に来て日本語で博論を書いて自国で教授になるひともいるんだよ。これは、欧米人が読めない・読もうとしないってだけで捨て去るには勿体無い環境だと私は思うけども。
もちろん、日本研究を専門としていない欧米人に日本語をわざわざ読ませるのは難しいだろうけど、たとえば日本の論文につけられた欧文要旨なら彼らは読めるし、和文で書いたものを翻訳して欧米人にも読めるようにしている研究者だっている。どうやら俺らには読めないがチェックすべき先行研究が日本にはたくさんあるようだ、と彼らが認知すれば、いずれ彼らの側から、じゃあ日本語読めるやつに翻訳してもらおうとか、そういう話が出てくるかもしれないし、せめて「読んでないけどこういう先行研究があるらしい」と書かれるようになるかもしれない(これは重要なことだよ。「気づかれない」と「読まれない」はぜんぜん違うんだから。この辺はウンベルト・エーコが書いてたな)。地位向上って、そういう積み重ねの上に成り立つものだと思うんだよね。
こういうプロセスって、文系だけじゃなくて理系にもあるよね。たとえば、優れた魚類学の論文はアメリカ人が日本語を翻訳してまで読みたがったとか、和文論文をチェックしなかったせいでアメリカ人が大損こいたとか(http://shinka3.exblog.jp/8059554/)。それに英語が標準言語になったのは、せいぜいがここ半世紀程度の流れにすぎない。その前はドイツ語とかフランス語とかロシア語とかも有力言語だったけど(たとえば、ちょっと前にサザエの新種記載がされたときは、18世紀のフランス語の本が引用されてたよね→https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id468.html)、英語が頭角を現してきて残りの言語は標準言語とは見なされなくなっただけで、別に昔からずっと英語が標準言語だと決まっているわけじゃないし、今後もそうなるとは誰にもいえない(数十年したら欧米人が中国語で作文するようになるかもね。そうなったら英文業績しかない人が「中文で論文を書いてないなんて!」と馬鹿にされたりするのかな)。日本産の動物種の研究だと英語論文に和文論文が引用されてるのもちょくちょく見るし(網羅的にたくさん読んでるわけじゃないので、私の錯覚だったらごめん)、標準言語が統一されてないとダメだ! というのは近視眼的見方だと思うけどなぁ。
いくら書いても読まれないんじゃ意味がない、という元増田の感覚はわかるんだよ。というかそれは文系の研究者にとっても当然のことだと思う(そりゃ全員が意識高いわけじゃないけど、それは文理問わずだよね)。繰り返すけど最近の若手研究者には外国語で積極的に発信しているひとが大勢いる。ただ、日本国民1億人が最先端の研究成果を自分たちの言語で読めて、どんな地域の研究だって自分たちの言語で遂行できる、という環境が、無意味なこととは私は思えない。増田は、日本にまつわるテーマなら標準言語が日本語でもいいんじゃないか、と言った(これは良い感覚だと思うので大事にしてほしい)。でもたとえば、ツキノワグマの研究はホッキョクグマやマレーグマの研究と繋がっているよね。日本史を研究する上で西洋史で探究されてきた研究モデルや概念が意味を持つことだってある。国文学だって世界文学の中に位置づけられる必要があるだろう。外国の政治についてなんの情報もなしに、自国の政治改革ができるだろうか? 外国の失敗や成功についてしっかり学ぶためのツールは必要なんじゃないか? ジャーナリストや政治家が欧州統合やアフリカ経済やアメリカ大統領選について勉強しようと思ったときに、日本のEU研究者やアフリカ研究者やアメリカ政治研究者がみんな英語で論文を書いていて、日本語にはあっさりした概説書しかない、というんじゃ、不便じゃないのかな。そういう意味で、日本語による研究発表は、世界で読まれていないのだとしても、社会貢献としての意義はけして小さくない、と私は信じてるよ。
女性だが、なんかすごいね。手がかりは全くないので勝手に想像するとブル〇ンち〇みwithoutBくらいの独特の話し方(+雰囲気)で、何かのカンに障ったのかなくらいしか考えられない。二次被害乙とおもわれたらすみません。返答だの釈明はいらないです。
hagexという下種い体験談をコレクションしたサイトがあるが、これのこじらせ男にはうんざりだという話を全部煮詰めたみたいな話だと思った。すべて本当だとしたら国宝級の体験談では。
あっでも高学歴職業だとよくあるんかもなー 勝間さんのサイトなんか役に立つかもね なんかおとこは女性で自分より権威ある人をみるとなにかひとこといってマウンティングしておきたいみたい ハァ?みたいな顔してると通じなかったって焦りだしてもっとやる おとこのこけんわら 生まれつき男性ホルモンある性別の人は大変だなあとおもう ハゲるし ハゲるし 油もの食べないと死ぬし食べすぎて血管詰まって死ぬし
だから早めに女性という高価なお嫁さん兼制御装置をつけないとヒトとして万全にならないんだよ、ってこれダヴィンチちゃんとかの性別起源説だけど、お父様も結婚はしてらしたわけで、まあ一般常識として男はそういう生き物だと身をもって例示しただけでは。
・ペット可だとペット不可に対して一回り条件(金額or採光などの条件)が悪くなる
・元々引っ越しする予定だったならともかく、ペット飼うためだけに引っ越しすると引っ越し代や契約の費用が「ペット飼うため」だけにかかる
・狭い部屋に更に猫トイレや猫餌が置かれる
・猫の日当たりを考える
・エレベーターの無い四階建て四階住みだと重い猫餌や猫トイレ砂を階段で運ぶ事になる
・近くに動物病院はあるか
もしかしたら数年前に決着のついてる話かもしれないが森田真生の話をする。
一応どういう人か簡単に説明しておく。Wikipediaや本人のHPによれば「独立研究者」という肩書で
大学等の研究機関に属さずに数学をテーマとした研究をしている在野の研究者。
著作もいくつかあり、中でも「数学する身体」という本は小林秀雄賞をとっているらしい。
また「数学の演奏会」なるイベントを定期的に開いているとのこと。
僕はこの人の著作を読んだこともないし、「数学の演奏会」に行ったこともないので正直あまり知らない。
ただ僕が簡単にアクセスできるこの人の情報から判断するにこの人は胡散臭い。
多分この人が話題になったのは結構前の事だと思うが、今更書くのは僕が注意を向けたのが最近の事だからだ。
前々から書店に陳列される著作を通じて存在は知っていたが読んだことは無かった。
本の見た目からして一般向けの啓蒙書という感じなのでスルーしていた。
しかし最近知り合いがこの人の名を挙げたので気になって調べてみたら思ったよりも浅薄で、
数学の専門知識の無い人をおかしな方向に誘導しているように見えたので、注意喚起の意味を込めてこの文章を書くことにした。
森田の問題点は単純で「数学の知識があまり無いのに、まるで数学を知っているかのように語っている」というのに尽きる。
これだけだと説得力もないし、内容も不明瞭なので森田に数学の知識があまり無いと判断する根拠を記す。
何をもって知識が無いと判断するかは難しいところだが大きく、森田の語る内容が表層的という点からそう判断した。
森田はTEDで講演している。是非見てほしい。(他にもいくつかYouTubeに森田の動画があがっている。)
↓森田のTEDでの講演
https://www.youtube.com/watch?v=Hx6ZNEWydCU
浅すぎないだろうか。この内容を話すのに数学の専門知識が必要な部分は一つもない。
一貫して根拠のないフワッとした話ばかりで最終的には岡潔を引いて「数学とは自分の内面に出会うことだ」などと言うが、
次のフィールズメダリストのVillaniによるTEDでの講演を見てほしい。
https://www.ted.com/talks/cedric_villani_what_s_so_sexy_about_math?language=ja
この講演は本当に凄い。専門的なバックグラウンドをもつ話を一般人向けの話にうまく落とし込んでいる。
Villaniが例外的に上手い部分はあるとはいえ、一般人向けにある程度深い数学の話をするのが不可能ではないことが分かる。
森田が誰にでもできる程度の講演しかしないのはその程度の知識しかないからだと思っている。
森田は研究者というが論文は特に書いていないため、知識の程度はわからない。
検索で引っかかる唯一の森田による大学数学レベルの記述は「哲学者のための圏論入門」というタイトルのpdfだが、
内容としては圏論を哲学系の人に紹介するものなので、その目的からしても当然のことだが入門的内容のまとめに過ぎず、
ここから知識の程度を測るのは難しい。これをあえて書いたのはこのpdfの存在が森田の知識の証左になると考える人がいるかもしれないため。
これくらいは数学科卒なら大抵書ける。
また森田の話に出てくる数学者はグロタンディーク、岡潔、マクレーン、チューリング、ウィッテン、グロモフ等といった
超ビッグネームばかりでしかも分野もばらけているというのも不思議だ。
何らかの研究対象があればその分野で一流の研究者の名前が挙がっていいはずだと思うのだが。
他にも本人のTwitterなどを多少見たが、特定の分野に対する造詣は感じられないし、一般啓蒙書的な数学的理解を超えるものは見られない。
森田に知識がない分には一向に構わないが、無い知識で数学を語らないでほしい。
数学を語るのが数学者だけの特権と言うつもりは全くないが、専門知識を語るのは難しいことだということを強調したい。
数学書を理解するのは一定の訓練で出来るようになるが、その内容をテキストから離れた自分の文脈に組み込んで話すのはずっと難しい。
しかしそれが出来なくては一般人のレベルに専門知識を落とし込むことは出来ない。森田はこのレベルには達していない。
数学について語るのではなく、自身の数学観について語るのは構わないが、それならばビッグネームの名前を借りるべきでは無く、
徹頭徹尾自分の言葉で語るべきだろう。権威の名を出して森田の数学観を語れば、一般人にはそれが独自見解と気づくのは難しいのではないか。
俺が暴れまわってた頃はそれこそ誹謗中傷特定ストーキングエログロなんでもありだったよ。
それがなんだよ今はグロ画像貼られたくらいでピーピー騒いで通報だなんだ騒いじゃってさぁ。最近の子はクンフーが足らんよ実際。
いや耐性の問題だけじゃねえ、明らかにネットからキチガイが消えたもんな。みーんなマトモになりやがった。
昔はもう思想だとかそんなオタメゴカシは抜きにして、誰もが一番乗り競って荒らし回ってたけど、今は違う。
リアルで権威のあるセンセイやらクソコテに「あーでしょう、こーでしょう」理屈つけてもらって、錦の御旗を編み終わってからみんな「せーの」で殴りに行く。
この手のもやしっ子は一人で殴り込みに行くのが怖くてセンセイの鉄砲玉になってるのに気付いてないんだよ。
昔は良かったよ、とにかく怒ったら即ポンチだったもん。皆キチガイだった。
人は狂えば本音が見える。本音の喧嘩は面白いんだよ。今は違う。屁理屈でドレスアップしてから参戦。あーあ、もう誰の喧嘩なわけ、それ?
最近だとはぁちゅうの例の騒ぎは久々に心が踊ったね。
なんたってカシラが同じ場所でダブスタぶっこく糞馬鹿なもんだから聖戦士気取りどもがそれ擁護しようと右往左往。
そうこうするうちに連中もキレて本音を隠そうともしなかった。俺には見えたよ、連中の「日本男を殺したい!とにかく敵が欲しい!被害者の肖像という錦の御旗の下で当たり散らしたい!」って叫びがね。
そういうことだよ!それでいいんだ!もっと怒れ!隠すな本音を!論理が破綻してたって構わねえんだよ!裸のお前を見せろ!デモをしろ!ユーストで攻撃的な放送をしろ!って思ったよ。
でもそんなことは起きなかった。すーぐ自分らの巣に引きこもって傷舐めあって終わり。情けねえ。もっと楽しめよ。
正義面ぶって喧嘩も売らない、エロゲもやらない、することと言えば社会正義の話と絵合わせモンキーゲームのことばっか。もうネット辞めろよお前。
そのくせ、自分から喧嘩は売りにいかねえ、仲間が出揃うのをず~~~っと待ってる。なんで待ってんの?お前から一番槍行けや。
本音ぶつけないくせに変にフラストレーションは溜め込んじゃってんの。で、誰かが声上げ始めると私も怒ってた!とか言い出すわけ。
インターネット、もうどんどんつまらなくなる。クソスレ乱立みたいな状態じゃなくて、自治厨が溢れかえってるあの感じ。
本当もうどうにかしてくれ。自分の喧嘩すら理屈で補強しないと駄目なキョロばっかになっちまった。
お前の正義やらセクシャリティやら誰も興味ねえんだよ。本気で生きろ。三日三晩ポンチしてみろ。最近の子には本当にそういう経験が圧倒的に不足してる。
本当にそう思うよ。
身内にその疑いがある人がいるので独学だけどちょっと調べてた。
そしたらその筋では有名な先生の著書があって読んでたらすごいこと書いてあった。
要約すると
「アルコールを飲みすぎて前後不覚になるということは昔からよくあった。
急激に増加をするようになったのは市民の生活レベルが一気に高まった高度成長期から。
しかし当時は父親が飲みすぎて潰れても、家族が家まで連れて帰ったり、汚物を本人が寝ている間に始末してくれていたので表面に出ることはなかった。
それが現代になり、女性の経済力がつき離婚に抵抗感がなくなったことでそうした飲みつぶれた父親のケアをする人が少なくなった。
飲みすぎて潰れたら妻と子供は世話することなくあっさりと家を出ていってしまう。
らしい。
いやいや、それ、表に出なかっただけでアルコール依存症増加してないじゃん。受診する人が増えただけじゃんて。
しかも女性のアルコール依存症については「主婦は旦那にかまってもらえなくて寂しくて飲む」くらいしか記述がないし。
本気でそう考えて治療してるならこわいなーと思った。
という読書感想文でした。
でも匿名での発言なんて、実際そんな重みのあるものじゃないよ。何の責任も無いんだから。
あなたが自分の発言を消そうが消すまいが勝手だけど、誰もあなたの発言に重みなんて感じてないよ。匿名だもん。
運営側に個人が特定されようと、それを運営が利用するのは基本NGだから、守られているのも変わりない。
「リスクも少ないけど発言に何の権威も信憑性もない」ってのがネット上における匿名性の利点であり、問題点でしょう。普段からネットに触れている多くの人はそれを理解していると思うよ。
ざっくり言うと、生理に限らず体調のサイクルを公開するのは、つけこみやすい脆弱性を公開するという危険なことなので、
1.
今回の論争ではたまたま、最初の発言者がヴィーガンだっただけで
2.
フェミニストと比較してヴィーガンがより正しいのかというとそんなことはなく
3.
等しく何も傷つけない、アヒンサのために断食する人か
等しく何が傷つくこともいとわない、自己も家族も食べるカニバリストか
のどちらかだけ
4.
フェミニストの言っていることと、やっていることが矛盾していることに対して
フェミニストに乳製品取らないことを強要しているようには見えない
5.
フェミニストは自分たちの利権獲得の理由付け、権威付けに反差別を掲げている以上
6.
達成できないというより達成するつもりが毛頭ない 大きすぎる目的語(=反差別・弱者救済)
7.
現状万人を十全に救済するだけのリソースなんて望むべくもない以上
俺も守銭奴なんだけどさ
俺より遥かにお金でしか考えられない人が世の中に一定割合居ると感じる
そのモノが幾らかでしか感動できない人とかね
「それは幾らだったの?」「もっと貰うべきだ」というような発想をしてしまう人
これは、その人が創作物を無意識に金額換算しているから起きることだ
(この人達は無料で出回っている創作物をどう思ってるんだろう?)
労力 例:5年かけた大作
規模 例:1万人で作った
質や量 例:1000万部突破
人の感動というものがどうしても数値化しづらいから、何らかの代替数値を使いたいのは分かる
そういう人たちにとっては
でもそれは勘違いだ
金額というものは簡単に変わる、需要や供給、規模の経済、ビジネスモデル、時期や知名度、いろんな複雑な条件に影響される
ビットコインを思い出して欲しい、ビットコインの凄さが2年で20倍にもなったわけではない
凄さを語るときに何も金額にする必要はない、というかしない方がいい
金額にすると安易な比較ができてしまうばかりか、売買、職業、生活に意識が行ってしまう
でも大抵の凄いものっていうのは金だけじゃ買えないものばかりだ、意味が変質してしまう
この1,2か月、仮想通貨界隈の盛り上がりと、暴落後の阿鼻叫喚を眺めながら、不思議な既視感にとらわれていた。
10年以上前、オートサーフが流行し、急速に凋落した頃の雰囲気にそっくりだったからだ。2005年から2006年頃にかけての話だ。
オートサーフとはなにかというと、
インターネット界隈で、オートサーフは、広告を掲載したウェブサイトをウェブブラウザー上で回転させるトラフィックエクスチェンジのことである。したがって、オートサーフは広告を掲載したウェブサイトに大量のトラフィックを呼び込むことができる。メンバーは閲覧するサイト毎にクレジットを稼ぐことができ、このクレジットは、オートサーフの回転に追加することで、メンバーのサイトを広告することができる。オートサーフ業者に料金を支払う外部の広告掲載者は、サイトを追加することができる。
一見して、よくわからない説明かもしれない。あたりまえだ。その理由は後ほど。
ようするに、投資にうとい人間にとっては、オートサーフとは、業者にお金を預けて、ブラウザー上で広告を表示させて放っておくと、預けたお金がたちまちのうちに何倍にもなるという、きわめて魅力的な「投資」話に見えたのだ。
オートサーフ業者のなかで最大手は12 DailyProというアメリカの業者で、ユーザーが$6から$6,000の金額を預けると、12日間で144%の利益が得られると公言して、多数のユーザーを集めていた。
今から見ると、じつにあほらしい話に見えるが、当時はこれがもっともらしい投資話に見えるようなネット上の光景があったのだ。その話も後ほど。
2005年の末頃には雨後の筍のように多数のオートサーフ業者が乱立し、高利率をうたってユーザーを集めていた。
特に利率が高く、リスクも高いサイトはHYIPと呼ばれていたのだが、そのリスクとはどういうものかよくわかっている人はあまりいなかったように思う。
(HYIPの公言する利率がどのようなものであったかの例として、本エントリーの末尾に当時受信したスパムメールを貼っておく)
実際、運営開始当初は高い利益分配報告をしていたHYIPのサイトが、やがて運営を停止し、ドメインごと消滅するという事態は珍しくなかった。
そのようなことが続くと、オートサーフは広告業者からの出稿料金をユーザー間で分配しているのではなく、ユーザーが預けたお金を分配しているだけのねずみ講ではないか、と危惧する人が出てくるのはもっともなことだった。
そしてその危惧は的中した。
2006年2月、SEC(アメリカ証券取引委員会)は12 DailyProを恒久的に営業停止とした。
SECの捜査により、12 DailyProは世界中で30万人以上の投資家から5000万ドル以上を集めた巨大なねずみ講であることが明らかになった。
12 Daily Proの運営者カリス・ジョンソンは逮捕され、12 DailyProは運営停止後、法定管財人の管理下に置かれた。
当然、12 DailyProにお金を注ぎこんでいたユーザーは大混乱に陥った。
法定管財人はその後数年間にわたり、12 DailyProの清算状況をユーザーにメールで報告しつづけたが、ユーザーに戻ったお金はほとんどなかったと思う。
日本のインターネット界隈では、2005年にはオートサーフに関する話題が盛り上がりを見せていた。
各種掲示板では有利なオートサーフ業者に関する議論が行われ、ブログ上で収益報告をする記事が相次いだ。
「楽して高収入」をうたいながら、オートサーフ業者への登録手順を解説し、アフィリエイト収入を得たり情報商材を販売する者が現れた。
そういった人々は、オートサーフのことを、まだそれほど世の中に広がっておらず、知っている者(情報強者)だけが得することのできるおいしい「投資話」だとしていた。
このような「投資話」で読者を煽った人びとは責任を取らず、消えた。
昨年から仮想通貨への投資話がネット上で盛り上がりを見せていたとき、自分にはオートサーフのことが思い出されて、投資する気にはなれなかった。
もちろん、仮想通貨とオートサーフでは、技術的な背景も、行われている投資の規模も全く違う。それはわかる。
だが、仮想通貨が盛り上がりを見せたときの、日本のインターネット界隈での反応、うごめいている人々の素性が、オートサーフ騒ぎの時と、あまりにもよく似ていた。
今回、仮想通貨の暴落を受けて、筋の悪い「投資話」に共通する日本のインターネット界隈の反応を、自分自身の経験則としてまとめておく。
New and Good HYIP!! Auto-Withdrawals!
125% after one day (Auto-Withdrawal)
Plan Spent Amount (US$) Daily Profit (%)
68% daily for 2 days(Auto-Withdrawal)
Plan Spent Amount (US$) Daily Profit (%)
Plan 1 $1 - $100 65.00
Plan 2 $101 - $5,000 68.00
165% after two days (Auto-Withdrawal)
Plan Spent Amount (US$) Profit (%)
Plan 1 $5 - $100 160.00
Plan 2 $101 - $5,000 165.00
たかがコピーを一つ考えただけで数千円~大物だと何十万円も取って、それが使われた広告やCMを自分の『作品』呼ばわり。
いわば刺身のタンポポ程度の存在でしかないと思うんだけど、何であんなに偉そうなの?
駆け出しのコピーライターが作ったコピーと大物が作ったコピーでは広告効果に天と地ほどの差があるの?
例えば、コピーライター10人(底辺9人、大物1人)にそれぞれコピーを書かせて、
その中から「一番良いと思ったのを挙げて」ってアンケートを取ったら票はバラけるんじゃない?(多分)
よく有名コピーライターが「〇〇のCMで使われたあの有名フレーズは自分が考えた」的なことを宣伝するのを目にする。
でも、それってコピーが凄いというより”全国ネットで放送されたCMに使われたフレーズだから広く知れ渡った”、って面も大きいんじゃないの?
”ウェブサイトでABテストした結果、無名が考えたコピーを大物が考えたコピーに置き換えたら1か月で売り上げが10倍になった!”
みたいな話があれば「コピーライターって凄い!」って思うけどさ。
オリンピックのエンブレム問題を起こした佐野研二郎 の一件以来、自分にはクリエイティブに関わる仕事をしている人は
”大した能力も無い癖に自分がいかに有能かを力説することだけは得意な意識高い系”っていうふうに見えて仕方ない。
近年、寿司職人の権威が養成学校のせいで揺らいでるって話をよく聞くけど、それと同じでコピーを作るっていう仕事も蓋を開ければ実は大したこと無いんじゃないの?
詳しい人いたら教えてほしい