2018-01-28

何でも金額しか考えられない人

俺も守銭奴なんだけどさ

俺より遥かにお金しか考えられない人が世の中に一定割合居ると感じる

 

例えばテレビで凄い価値のあるモノが登場した時

そのモノが幾らかでしか感動できない人とかね

番組としてはそういう層に配慮してるからなんだろうけど)

 

ある創作物がとても凄いと話題になったときでも

「それは幾らだったの?」「もっと貰うべきだ」というような発想をしてしまう人

これは、その人が創作物無意識金額換算しているから起きることだ

(この人達無料で出回っている創作物をどう思ってるんだろう?)

 

価値凄さを測る尺度っていうのは色々ある

労力 例:5年かけた大作

規模 例:1万人で作った

権威 例:有名人が使っている、◯◯に認めた

質や量 例:1000万部突破

知名度、良いね数、スター

 

人の感動というものがどうしても数値化しづいから、何らかの代替数値を使いたいのは分かる

その中で金額というもの尺度にしたいのも理解はできる

そういう人たちにとっては

金額≒労力、規模、権威、質、量、知名度 なのだろう

 

でもそれは勘違い

ある局所的な条件でのみでしか金額凄さを表さな

凄さ金額は比例はしない

金額というもの簡単に変わる、需要供給規模の経済ビジネスモデル、時期や知名度、いろんな複雑な条件に影響される

金額が安定していると思えるのは、安定供給された商品から

ビットコインを思い出して欲しい、ビットコイン凄さが2年で20倍にもなったわけではない

 

凄さを語るときに何も金額にする必要はない、というかしない方がいい

金額にすると安易比較ができてしまうばかりか、売買、職業生活意識が行ってしま

でも大抵の凄いものっていうのは金だけじゃ買えないものばかりだ、意味が変質してしま

職人の素晴らしい作品が1000円だったとして「それっぽっちか」も「もっともらうべきだ」も「転職したら?」も違うだろう

安易金額化をせず、その場に好ましい尺度選択して、頑張って自分言葉表現するべきだ

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