俺も守銭奴なんだけどさ
俺より遥かにお金でしか考えられない人が世の中に一定割合居ると感じる
そのモノが幾らかでしか感動できない人とかね
「それは幾らだったの?」「もっと貰うべきだ」というような発想をしてしまう人
これは、その人が創作物を無意識に金額換算しているから起きることだ
(この人達は無料で出回っている創作物をどう思ってるんだろう?)
労力 例:5年かけた大作
規模 例:1万人で作った
質や量 例:1000万部突破
人の感動というものがどうしても数値化しづらいから、何らかの代替数値を使いたいのは分かる
そういう人たちにとっては
でもそれは勘違いだ
金額というものは簡単に変わる、需要や供給、規模の経済、ビジネスモデル、時期や知名度、いろんな複雑な条件に影響される
ビットコインを思い出して欲しい、ビットコインの凄さが2年で20倍にもなったわけではない
凄さを語るときに何も金額にする必要はない、というかしない方がいい
金額にすると安易な比較ができてしまうばかりか、売買、職業、生活に意識が行ってしまう
でも大抵の凄いものっていうのは金だけじゃ買えないものばかりだ、意味が変質してしまう