「権威」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 権威とは

2018-01-16

自分気持ちとして、権威の形を一つにしない方がいいんだけど、それはそれをやることで「自分がやってる」感を得たい人たちにとっては迷惑だし、私にとってはいらん、ってことでその外でも楽しそうに勝手にやってるってくらいがちょうどいいのかな、みたいな

2018-01-14

anond:20180113114634

カトリーヌ・ドヌーヴ署名した記事翻訳の件】お返事を拝見しましたが、いろいろ問題点が残っているようです。目下時間的余裕を欠くためにぶっきら棒な指摘の仕方をすること、ご寛恕ください。テクストを読む際に、まして翻訳する際に当て推量はマズイですので、以下の諸点を改めてじっくり検討されるますように。(元記事: http://www.lemonde.fr/idees/article/2018/01/09/nous-defendons-une-liberte-d-importuner-indispensable-a-la-liberte-sexuelle_5239134_3232.html

la galanterieに関して:

 参照サイトhttps://fr.wikipedia.org/wiki/Galanterie は、la galanterieというきわめてフランス的なものを適切に説明しています。けれども、その内容の一面だけ取り上げて、「恋愛のお作法に乗っ取った男性からの誘惑の手順」というふうに「恋愛」や「誘惑」に直結させてしまうのは行き過ぎです。なぜなら、①そもそもフランス語圏日常社会生活で言われるla seductionの意味するところは、日本語の「誘惑」よりずっと広く、一般的である。②男性別に何らまったく誘惑の下心なく女性にドアを開けて差し上げる、席を譲る等のレディ・ファーストも、そこにごく淡い艶(つや)が伴っていれば立派なla galanterieである。③la galanterieをめぐって、それは男女同権原則を何ら妨げることなく男女関係文明的にする作法なのか、男性優位のパターナリズム表現なのか、という議論が頻繁に行われているという文脈フランスには存在する。

■agression machisteについて:

 前項の(3)からも分かるように、agression machisteは、(外見に反して男尊女卑を含意している)パターナリズム押し付けを指しており、問題テクスト賛同者たちによれば、la galantrieは agresssion machisteではない。ある種の「痴漢行為」はagression machisteの一つと言えますが、agression machisteすなわち「痴漢行為」ではありません。

■s'autonomiserに関して:

 「自立」と「自律」は区別する必要。autonomieは「自律」です。また、現状の日本語では、「自立する」とは言いますが、「自律する」とは言いません。

■une conception substantielle du bienについて:

 これの改訳例として私が「実体論的な善概念」としておいたのを「善の本質的概念」に直しておられますが、それでは意味を成しません。この言葉は、哲学的で少し難しいのですが、まず間違いなく、道徳律をたとえば「他者自由を妨げない」ことというように「否定的」な形式で考えるのでなく、「これがが善だ」というように実体論的に(あるいは、本質主義的にと言ってもいいでしょう)考える、そういう善概念を指しています。あとに出てくる哲学者のRuwen Ogienが世間道徳批判するときによく使う言葉でもあるようです。ですから、「実体論的概念」「本質主義概念」と、「本質的概念」はまったく異なります。ゆえにここは、せめて「本質主義的な善概念」とでも訳しておかないといけません。

■misogynieについて:

 これは「女性嫌い」「女性蔑視」であり、「女性差別」の元になり易い性向ですが、「女性差別」と混同するわけにいきません。

la liberte d'offencerについて:

 「この概念攻撃しようとするのは(神や国家指導者のような)『権力』『権威』とそれをアンタッチャブルものにする空気」と断定(推量?)するのは早合点です。テクストに、Le philosophe Rugen Ogien defendait une liberte d'offenser... と書いてあるのですから固定観念に囚われず、Ruwen Ogienの哲学思想念頭に置いて理解しないといけません。そうすると、「人の気分を害する自由」あたりがやはり適切なのです(「中指を立てる自由」は論外)。

la liberte de dire non a une proposition sexuelle ne va pas sans la liberte d'importuner :

 「『ウザがられる自由』が男たちの側にあると解釈するのは…」無理ではないですよ。それどころか、その自由相手(←ここでは男性)に認めるからこそ、女性の側がそれを「ノン!」と突き返す自由が生きるわけです。「ノン!」と拒否することがimportunerすること、ウザがられることではありません。なお、こういう間主観関係が成立するのが男女間に限らないことは言うまでもありません。

■Pour celles d'entre nous qui ont choisi d'avoir des enfants, nous estimons...:

 これを「子供を持つことを選んだ人々のために」とか、「私たちの中で子供を生むことを選んだ人達のために」と訳すのは、当該テクスト文脈の中では明らかに誤訳です。"Pour"はここでは、En ce qui concerne や quant aの意味なのです。著者(たち)は、私達のうちで子供を持つことを選んだ者についていえば、私達の考えはこれこれだ…、と述べているのです。

以上。

2018-01-12

三点リーダ―は二つつなげる「……」が正式

これ出版社ルールらしいけど、異世界転生ものweb小説書いてる連中がこういう作法を嬉々として取り入れてるのなんだかなあ…といつも思う。新進気鋭の若者が新しい事やってるはずじゃないのかな。それが既存権威を借りて、そこの作法ルールを取り入れて澄まし顔か。なんだかなあ…。

2018-01-11

ゼルダが有名どころのGOTYを取ってもSwitch買ってるキッズたちはスプラの方が楽しいっていう

子供権威は効かないのか

2018-01-08

anond:20180108162533

2016年

sukekyo

マンガは関わってるスタッフ映画に比べて極めて少ないからなあ。

2018年

sukekyo

出版社漫画賞に対してのM-1みたいなノリだったのが「このマンガがすごい!」だったんでそれをまた権威のほうに戻してどうする?とは思うけど。どこかの賞がテコ入れしてショーアップすればいいんだわな。

http://fut573.com/compare/?url1=https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F20180107152956&url2=https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F20160921162316

anond:20180108003120

まともな人は情報保全部隊監視されて右翼危害を加えられるリスクを受け入れたくないか左翼リベラルに残らない

北朝鮮将軍様葬式で皆が一律に泣いてるのと同じだな

自分で考えて独創性のある賛辞の言葉自衛隊に伝えて隊員らからそういう言い方は侮辱してないかとか言われたら最悪だから

金太郎飴みたいに皆で同じ言動を取って付け入るスキを与えない

普通の人は自然多数派迎合2ちゃんテンプレで喋るだけの安全から絶対でない動きになる

それが国を守る仕事をする人らの望む世界なんだろ

今の激しい反左翼風潮の中で左翼になれるやつはシールズみたいなちょっとあれな人か本当に権威先生しかいない

デスノート四葉と同じ「キラに殺されたくないか調子を合わせてるだけ

笑ってはいけない国

淡々とした口調の会話があちこちから耳に入る。いつも通りの光景ながら、可笑しさに笑いが出そうになるが堪える。ふと、この人たちもこんな突発的な笑いをこらえて生きているんだろうな。

この国では一切の笑いが禁止されている。そんな禁止令が制定されたきっかけは本当にちいさなことが始まりだった。だけれども、それに憲法やら国連やらの権威を使って圧力をかける集団急先鋒となり笑い禁止を掲げて政治活動をしていた。みんな始めは馬鹿じゃないかと思っていた。そんなことありえるわけないでしょと。しかし、彼らは戦略的に着実に世論を取り込んでいった。

もし禁止令があわないなら、やめることもできるから一度やってみよう

笑いの感情に正の部分があることは認めるが、負の点もある、その負の点だけを規制するのは難しい。だから、一律で規制することが望ましい。もちろん、笑うという行為禁止されているだけで、おもしろいと感じたりしても良いし、それを他人に伝えることはなんの問題も無い。ただ笑ってはいけないだけである

あとは、そういう活動家が得意な海外では論法がたくさんあった気がする。

もちろん、反対派もいた。しかし、反対派は暴力的行為に訴えるばかりで議論というものを行おうとしなかった。

そういう状況の中で、禁止派のほうが何か正しいことを言っているのではと思う国民が増えてもおかしくなかった。禁止派の論理は正しく聞こえ、反対派は論理真正から反論をしない。まともな反対派がいたら、現状は今とは大きく変わっていただろう。

2018-01-07

いまさら東大話法

の話をするのもなんであるが、先頃「ああ東大話法だなあ」という会話を経験した

安富先生東大話法はある種の人に対する正当で的を射た批判であると思うが、一般向けに提唱されたためか、いかんせん書きぶりがフワッとしている

批判対象詭弁を駆使する相手である手前これはあまりよろしくない。「それは東大論法だ」などと言ってもあの手この手ではぐらかされてしまうだろう

もう少し体系的に、形式的記述できないものだろうか

  1. 動機批判に対してこれを認めることも正面から反論することもできない場合に、これを回避するための論法である
  2. 方策
    1. 相手批判無効化しようとする
      1. 相手批判自分の主張を正しく理解していないためであると主張する
        1. そのために、当該批判さらされた過去の自らの発言意味修正限定、縮減する
        2. そのために、当該発言当時に明示しなかった前提条件(そもそも~であったので)や限定条件(~の場合について言えば)を後から付加する
        3. 批判対象の主張を当該限定された形で読まなかったことを批判者の瑕疵であると主張する
      2. 相手批判の内容を(わざと)曲解し、その曲解した内容に対して再反論する(いわゆる藁人形論法
        1. 別の人が行っている(より稚拙な)批判を持ち出し、あるいは当該批判をそれと同一視した上で、これに対して再反論する(藁人形論法の変種)
      3. 批判の内容や批判対象である発言自体に関する批判者への論証責任転嫁
      4. 当該批判自体に一切の瑕疵がないことについての先んじた要求(bの各項へつながる)
    2. 論点回避
      1. 単純な論点回避
        1. 批判の内容と一見関係ありそうだが関係ない話題を持ち出す
        2. 批判に含まれるいくつかの論点のうち、もっとも周縁的な、あるいは瑕疵の軽微な論点に話を絞ろうとする(燻製ニシン
        3. そのために、当該関係ない話題、あるいは当該周縁的または軽微な論点こそが重要であるかのような旨の主張を行う
      2. 批判の内容ではなく、批判者の態度、心的態度、人格地位等を問題として取り上げる(人身攻撃お前だって論法、しばしばaの各手法とセットになる)
      3. その他各種詭弁手法
    3. 上記2-1、2-2をもっともらしく見せるための権威的態度と過剰に複雑な修辞

安富先生のまとめたことは2-1-2以降、および2-2以降に含まれることになるだろう。基本的には批判、あるいは"これからされるであろう"批判回避するための詭弁であり、それを「議論を"分かりにくく"するための修辞」や「自らの立場を利用した権威的態度、権威論証」が支える形である

さら詭弁の形の一つとして付け加えたいのが2-1-1にある「自ら発言の後から修正限定である。これは安富先生の挙げられた中に明示されていなかったように思うが、個人的にはこれこそが実は「東大話法的な」議論の中核を成しているのではないかとさえ考えている

もちろん「発言に対する後から説明注釈」は常識的範囲では普通に行われるし、従って直ちに論理的誤謬であるということはできない。意味が正しく伝わらなかった時に後から「より詳しく」注釈するのは当然のことである

しかしながら、権威的な立場から発せられるがゆえに重々慎重であらねばならない言葉に対して、それが批判さらされたからといって後から読み手の予想し得ない限定条件を付け加えたり、ある用語が通常用いられない特殊意味で使われていると釈明したりするのは誠実性の問題であろう

あまつさえ「元の発言は当然そのような(極めて限定された)意味に受け取られるべきで、そのように受け取らなかった読み手が悪い」といったようなことを言うに至っては、まごうことな詭弁である(「当然」という部分は権威論証的であるし、誤読責任相手転嫁することは「本当に意味齟齬があった」にしても不誠実である。もちろん大部分は、批判無効化回避するための方策として「相手誤読たことにする」べく、後から意図的に作り上げられたものである

言葉意味文法辞書文法書がア・プリオリに定めるものではない。膨大な一対一、多対多の関係の中において得られた広範な"合意"の集成であり、辞書文法書はそれを抽出しているにすぎない。まして特権的人物がその意味をなにがしかできるものではない

そのような合意の元に発せられた言葉意味せんとすることを、批判回避したい、相手責任転嫁したいという邪な欲求のために後から自分の恣にしようとすることは、言語活動の中でももっとも不誠実な部類の行為であろう

2018-01-06

anond:20180106192355

権威がない相手から舐めてもいいという態度が信じられない」って元増田には書いてあるんだが、君は一体何を読んでそのトラバを書いたんだ?

anond:20180106191203

ありていに言うとe-スポーツには権威がない。

あなたの挙げた将棋だって、昔は「将棋指し」と言ってどこかヤクザギャンブラー的な臭いのついた

商売として見下されてきた。「きちんとした立派な人達が取り組んでいる知的スポーツ」として

扱われるために将棋界の人たちは本当に長い間苦労してきた。

その継続的な取組みなしに「なぜ我々を権威とみなさないのか?」と世を恨んでも仕方がないよ。

善く生きる教

「善く生きる」って言葉って何も言ってないのに、何か言ってるようなのでこの世から消えて?

これを元に色々考えてるような人が多いと思うのだが、

なにせこのセリフは何も言ってないので、ここからは当然ありきたりななんとなく良いことしかまれていないのだけれど

このセリフのやたらある権威のせいでもっともらしく煩わしい!

2018-01-05

ビートたけしの凄いところは、権威に弱いところ。

普通は人気が出ると自分が偉くなったように振舞うが、彼はそうならず、一寸先は闇とばかりに、今後伸びそうな若手に恩を売り、現権力者には媚びて生き抜く。

2018-01-03

ある朝、いや、夜でもいい。目が覚めたら、そこが30年後の世界だったらどうする?目覚める前とは全く違う場所、思うように動かない手足、鏡に映る自分の姿は30歳分年老いているとしたら?そんなこと、現実には起きそうもないから、真面目に考えるのは難しいよね。

でも、これは実際にあった話。ある病気で30年間、事実上眠り続けていた男が、優しくて熱心な医師治療で30年ぶりに目を覚ますその男は30年間の空白を埋めるように、本を読み、音楽を聞き、人と会話をし、恋をするんです。生きるって最高だなって思いながら、でも、病気が完全に治ったかどうかわからないし、投薬も続けているか病院からは出られない。病院から出たい、普通に生きたい。でも症状が安定しなくて、強い痙攣が止まらなかったりする。何もかも思い通りに行かない状況でどう行動するか、周りの人は何をしてあげられるか。レナードの朝っていうのはそういう映画

映画のど終盤で、その男は、強い痙攣と戦いながら、好きな人ランチをするんです。痙攣を止められない、醜い自分好きな人に見せながら、その男が何を言って、その女がどうするか。どうすると思う?たぶん、想像してることと全然違うことになるんだよ。そこで、泣いちゃうんだよね。そのシーンを見るためだけに、2時間があったと言ってもいいくらい、印象的なシーンなんです。

レナードの朝を誰かに勧めるとしたらこんな感じになるかもしれない。ネタバレしすぎな気はするし、こんなに長々話して、見てみたいと思ってもらえるか疑問。人に何かを勧めるって難しい。アカデミー賞作品賞ノミネートされた映画です、みたいな権威付けしたくないし。難しい。

2018-01-01

anond:20180101094747

商業効果(ページPV、閲覧数映画館上映数等)と

その商業的な打算に乗っかることで自分が多数でありスタンダードであり権威であると思う層が射幸心を煽られる効果がある

2017-12-30

anond:20171230201522

一番の権威自国人間であって欲しいでしょ。

文句文部科学省に言ってくれよ

2017-12-25

身分制度の好きな国民性

派遣社員といい、技能実習制度外国人研修制度)といい、どうしてこの国の土人は、「集団正規メンバーシップ」の下に「半人前」の人間を配置する身分制度を作るのが好きなのだろう。

また、どうしてそういうことが許されるという皮膚感覚をもって落ち着いていられるのだろう。

合意契約によって社会を作り、契約により生じた権利は主張し続けないと、自分権威勝手に奪い取って殺しにかかってくる奴がいる、という経験をして、血を流してこなかったからだろうか。

anond:20171225170509

そういう話なのね、

二重権威理由は後付な気がするなー

昔の院政になるわけでもないんだし

anond:20171225170401

天皇がいるのに(存命の)上皇誕生日を祝うようなことしたら二重権威じゃん」ってのが根拠からね。

もちろん亡くなったあとに改めて議論して「休日にはしない」という決定が出るかもしれないけど。

2017-12-22

はあちゅうヨッピーナチスドイツ経験主義』というトンデモ記事への反論

こんにちはエルサレムアイヒマン警察です。上司インフルエンザで休んで暇なので、大好評炎上中のはあちゅうセクハラ告発について調べてたら id:plagmaticjam 氏の「はあちゅうとヨッピーとナチスドイツと経験主義~ハンナ・アーレントは何を語ったのか~ - メロンダウト」という記事発見

タイトルからし地雷臭がヤバイと思ってたら案の定トンデモだったので、おうちにあった『エルサレムアイヒマン 新板』を読み返しつつ反論したいと思います

炎上の経緯はハゲ大先生 id:hagex のまとめが鬼詳しいのでこっちを読んでください。→はあちゅうのセクハラ告発大炎上まとめ(追記あり) - Hagex-day info

 

件の記事ブログ筆者は、アイヒマンはあちゅう類似性を下記のように定義しています

はあちゅう氏=「自分被害者になったら告発する。いっぽうネットで実際に被害者が見えないなら加害者になれる凡人」

「凡人は無自覚悪人であること。」

アイヒマン命令によって思考行為を切り離し悪人になれたように、はあちゅうネットをかませ被害者特定しないことによって思考を切り離しているように見える。」

ヨッピー童貞いじりが誰を傷つけているのか、と擁護していたが「誰がわからない」から傷つけてもいい、なんてアイヒマンが「名前を知らない」から業務的に虐殺したのと構造的に同じだ。」

「何もはあちゅうだけに限った話ではない。ネット思考行為を切り離す。凡人が容易に悪人になりうる構造を持っている。」

ブログ筆者は「思考行為を切り離すがゆえに、無自覚悪人になる」構造があるとし、類似性を下記のように指摘しています

ブログ筆者が考える構造類似性

アイヒマン:「命令」によって思考行為を切り離す

はあちゅうヨッピー:「ネット」によって思考行為を切り離す

ですが、前提にしているアーレントの読みがそもそも間違っています

アーレントが指摘したのは「アイヒマンが何も考えていない=無思想性」ということでした。

「俗な表現をするなら、彼は自分のしていることがどういうことなのか全然わかっていなかった。」

「彼は愚かではなかった。完全な無思想性−−これは愚かさとは決して同じではない−−、それが彼があの時代の最大の犯罪者の1人になる素因だったのだ」(p.221)

アイヒマン相手匿名から虐殺したわけではありません。知っているユダヤ人も知らないユダヤ人も等しく虐殺しました。

彼は「善悪弁別する能力をまったく欠いている」(p.20)のであり、「彼は自分義務を行った。命令に従っただけではなく、法律にも従った」(p.107)のです。

アイヒマンの特徴は「自分思想がなく、善悪区別がつかず、ただ義務命令法律に忠実な男」であり「自分よりも権威のある立場の人が『正しい』と言ったなら盲目的に従う男」であるということです。

アイヒマンには、反ユダヤ主義思想教育もなかった、とアーレントは指摘しています

好き嫌いがあるゆえに行動するのではなく、一切の好き嫌いがないからこそ、自分より高い立場権威から命令されたことをマシーンのごとく忠実に実行しました。

実際、アイヒマンは「良心問題については、命ぜられたこと(筆者注:虐殺)をしなかった場合にのみ疚しさを感じた」(p.20)と述べています

 

アイヒマンのような「無思想で、法律義務命令に忠実である」人は、平和時代であれば、上司の言うことを忠実にこなす「優秀なサラリーマン」、法律など絶対に破らない「良き市民」として一生涯をまっとうしたでしょう。

アイヒマンはあまりにも「普通おっさんであるという事実について、アーレントは<悪の凡庸さ>と指摘しました。

アイヒマンはきわめて凡庸一般人であるというアーレント見解は、「ナチスは、ユダヤ人絶滅したくてたまらない極悪人狂人」という世間見解とはまったく違うものだったので、多くの反発を招きました。

 

一言でまとめると、アーレントが語る「悪の凡庸さ」とは、「平和時代ならあまりにも普通おっさん、ただし無思想善悪判断がつかないから、彼が従う権威や法が狂えばなにも考えずに極悪人になれる」ということです。

以上の経緯から見ると、ブログが「悪の凡庸さ」を誤用していることがわかると思います。もう一度、ブログ言及されていた構造をおさらいしてみましょう。

ブログ筆者が考える構造類似性

アイヒマン:「命令」によって思考行為を切り離す

はあちゅうヨッピー:「ネット」によって思考行為を切り離す

思考」と「行為」が個別にあり、それらの連結を切り離す「X」があるという前提です。

しかし、アイヒマンそもそも思想」がありません。だから自分に注入される命令義務を己のものとして実行します。

ブログ筆者が考える構造: A(思想)=X(切り離すもの命令ネット)=B(行為

アーレントが指摘したアイヒマン構造: X(命令義務法律)→B(行為

構造がなにひとつかすっていないことがわかると思います

 

そもそもはあちゅう氏はアイヒマンのような「無思想」ではありません。むしろ自己主張が強く、自分を良く見せたいタイプだと思います

善悪判断力はわかりかねますが、盲目的に命令権威に従うタイプではありません。

はあちゅうは凡人」と言うとなんとなく納得感ありそうなんですが、アーレントが言った「凡庸な悪」とは意味が違います

ネット」とか「不特定多数他人」とかも、アイヒマンにはまったく関係ありません。

 

凡庸な悪」というパワーフレーズはすさまじいものがありますし、引用したくなる気持ちもよくわかります

しかし、なんとなくキャッチー単語フレーズだけを使って独自理論を展開するのは、引用源にも読者にもどちらに対しても失礼ですし、誤解を与えます

名著や歴史的パワーワード換骨奪胎して持論を展開するのはやめてほしいです

ぜんぜん引用源を正しく参照してない記事内で、ナチスドイツという激烈ヤバイもの名前を同列に並べられたはあちゅう氏とヨッピー氏、さすがに流れ弾すぎるだろ…と思います。あとブログ言及されてる「経験主義」も「違うだろ…」て感じなんですが、続きは経験主義警察の方々にお譲りします。

 

参考文献:ハンナ・アーレント大久保和郎・山田正行訳『エルサレムアイヒマン 悪の陳腐さについての報告 新版』(みすず書房2017年

エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告【新版】:Amazon.co.jp:本

(所要時間:45分)

 

※もちろん「書籍を読む」行為に、明確な正解はありません。私の読解もまたひとつ意見にすぎませんから、別のハンナ・アーレント警察の方から「違う!」とおしかりの言葉を受けるかもしれません。とはいえ、いくらなんでも適当すぎる読みだと思うんで反論を書きました。

2017-12-20

いうことではないんだけど、あんまり交流会とかの反省会が開かれて業業しいものになっていかないといいんだけど(そうするとそれの主催権威化するため。。)

2017-12-11

anond:20171211224039

学歴現代日本社会における最も権威のある高IQ証明の機会であり、最大の高IQ粉飾の機会

https://anond.hatelabo.jp/20171211215211

昔の説明もっとしかったが、それで理解されなかったので複雑なのがいけないのだと考えて単純にした。誰もどこらへんが分からいかを言ってくれなかった。

どうも、普通は学ぶ対象って既に社会に認められたものばかりだから、本にしても何にしても、教える側が権威という風潮があるようだけど、本当はコミュニケーションなのだから対等なはずなんだよな。

どこが分からいか言って不利になるというわけじゃないはずなんだが、皆言いたがらない。

2017-12-08

anond:20171208201629

異民族との戦争生存競争かな

農業っても1粒植えた麦が2粒になるなんて

ものすごい非効率農業だったか

あとエジプトはナイル近辺や、エルサレム近辺などは

穀物地帯で生きるのに必要だったか

ローマはこれに加えて世界を広げるのに熱心だったけど

 

奴隷制は何事にもマンパワー必須だったか

ちょっと違うけど今で言う派遣に近い部分も

あとは口減らしもあった

 

支配階級社会作ったか

船頭多くして船山に登る、の格言そのまま

あと世襲にして支配階級化しないと、皆がみんな口を揃えて

「今はアイツが王やってるけど、別に俺が王でもいいんじゃ?」 

と言い出すから権威とそれに対しての歴史による重み付けなどが必要だった

 

女性制限

制限というかやれなかったか

腕力がないからと体調を崩す意味で。

農民が9割の世界で、しかも米や麦を作る畑や水路

家や道具を作る木の伐採など仕事、そして戦争

もしやれるならやってもらってたはず

だって飢饉が頻繁に起きてる時代

餓死にしてでも女性の行動制限します!なんてこと誰もやらない

アラブ地域なんかだと上記に加えて交易が主な産業だったか

それに連れていけなかった(体力・体調に加えて対盗賊意味でも)

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