「文庫本」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 文庫本とは

2023-12-01

変な先輩(女っ気皆無)の家にありがちなもの

小学生の頃にもらった賞状

なんか古くてでかい薬箱

おばあちゃんが作った変な色のテイッシュボックスカバー

30年以上前の色味とデザインカーテン

ごはんハエとか来ないように被せるレースのやつ

階段かに明らかに日曜大工で後付けされた帽子等をかけるでっぱり

そこにかかってる昔の巨人西武野球

さらにそこにかかってるお父さんが会社の景品でもらった謎の双眼鏡

富士見ファンタジア文庫文庫本

ブックオフで買った本

サザンアイズ

ゆうきまさみ漫画

桃鉄

量販店普通に買えるニューバランス

2023-11-10

小学生くらいの頃から図書館がすぐそばにあったから入り浸ってた

読むのは文庫本小説が多かった

小さくて持ちやすいし、子供向けの本よりストーリーが複雑で話が長いか

江國香織とか角田光代とか小川洋子とか川上弘美とかが好きだった

あんなにたくさん大人恋愛話を読んできたのに実際の自分は一切の恋愛経験をすることなく40になる

もっとキラキラして恋愛に憧れるような話を読まなきゃダメだったのかな…

2023-10-19

3000円の使い方が分からない

いつぞやの惨めなパチンカス、スロっカス主婦です。

ざっくり状況を話すと、ギャンブル癖があるため家計管理は夫に任せて、夫から現金が引き出せない家族カードを預かりそれで普段の買い物をしていますパートをしていて、そのお給料は全額自分の小遣いにできる恵まれ境遇ですが、全額パチンコ屋に費やしてしまい、手元に残った数百円の小銭もギャンブル資金欲しさに宝くじスクラッチに費やしてしまう、そんなギャンブル依存症の主婦です。

一時期ギャンブルを止めるための自助会につながりましたが、それでも結局ギャンブルはやめられず、今日もまたギャンブル資金がなくなりスクラッチに小銭を費やして、手元には100円すらないのが今日の私です。

今日はそんな自分を甚く反省する出来事があったので、それについて書こうと思います

ギャンブルから帰ってきて、家に「三千円の使い方」という文庫本が転がっていることに気がつきました。

この本を買ったのは私自身です。一時期ギャンブルから離れようと考えていた時に書店で見つけて買ったのですが、そのまま読まれことな放置されていた本です。

財布の中に3000円どころか100円すらない、自分銀行口座には1000円もない、そんな状況の今になって、この本を読んでみる気になりました。

小説本で、とある一家お金にまつわる悩みが描かれるお話でした。

それを今日のうちに一気に読んでしまい、この物語登場人物たちと自分を比べて、自分いか自分のことだけしか考えず、刹那的に生きてきたのか、恥入りました。

特に心に刺さったのは、家計簿で計画や予定を立てる、という言葉でした。

私は普通の家に生まれました。普通というのは、家の収入相対的貧困には該当せず、多分統計中央値程度はある家だという意味です。

でも、それって年収400万前後の話で、この収入だと事前に計画をしっかり立てなければ子ども国立大に通わせることも叶わないのです。

私は女だったからという理由で、両親は大学学費を用意してくれてはいませんでした。

から、私は国立大夜間部に進学して、昼の間のアルバイト収入12万くらいから毎月3万を学費に積み立て、家賃や食費諸々も自分で払って大学に通いました。当時はまだギャンブルに手を出しておらず、こうしたお金の使い方ができる人間だったのです。

この頃の私は、確かに家計簿をつけていたし、それで計画を立ててお金を使うことができていたのです。

それを本を読んで思い出しました。

それと比べると今は、なんと刹那的お金を使うようになったことか。

今は家計簿、いえ、小遣い帳すらまともにつけていないし、だから欲しいもののためにお金計画立てて使うこともできません。

一方、物語の中の登場人物たちは、とても堅実に、誠実に、切実に、お金と向かい合っていました。

私のお金の使い方には、堅実さも誠実さも切実さもありません。

なぜここまでギャンブルに手を出してしまうのか、自分でも全くわかりません。

自分金銭感覚破滅しているのは分かります。本のタイトルにもなっている3000円の使い方。私にはもうそれがわからない。パチンコ屋に行ったら10ちょっとで消えるお金だということくらいしか頭に浮かびません。

から、どうやったらまともな金銭感覚を取り戻せるのか、それを考えています

私はこの物語登場人物の中で、主婦真帆を羨ましく思いました。

金銭感覚ちゃんとしていて、家族未来に備えてお金を貯めていく事ができる。かつての私のようであり、そして今の私とは全く正反対の人。

私は、もしかしたらパチ屋通いをやめることやお金の使い方をどうにかすることよりも、本当になりたい自分を思い描く事が必要なのかもしれないと思ったのでした。

取り留めなくまとまらない話になりましたが、11月に出る新作パチスロまどマギFをスルーできるよう祈っていただけると嬉しいです。

2023-10-17

生活保護受給したアスペの行く末

 元生活保護受給者アスペと鬱で精神2→3級だが、少し前に、ようやく社会人(正職員待遇)ができるところまで戻ってこれた。

 社会人といっても某飲食の一兵隊なので、世間一般でいえば「負け組」とか「底辺社畜」の類だと思う。

 そして生活保護をそれより上だの下だの、そういう序列をつけて優越に浸りたいというわけでもない。生活保護には大変お世話になり、このセーフティネットがなければI was gone.しているか、生きていても反社勢力捨て駒か何かになっていたかもしれない。雨風が凌げる快適な部屋で、布団にくるまって眠れて、贅沢しなければ日に三度の食事に困らず、人の道を誤らないように暮らせたのだから福祉事務所の方角に足を向けて眠れない。

 脱線した。生活保護申請に至った経緯から書きたい。

 といっても別に変わった経緯でもないと思う。地元公立小・中・高を経て地元宿泊業を営む会社に入りホテルマンとして働き始めたのだが、不規則勤務・薄給に加えてお局の係長からパワハラにより精神崩壊して退職精神2級判定、実家に帰る、雇用保険失業給付が尽きる、実家から出される、保護開始……こういう順序だったと思う。

 実家での待遇は良くなかった。特に兄が酷かった。両親も最初の頃は同情的だったもの長男(兄)の機嫌を損ねるわけにもいかなかったのだろう、次第に冷たくなり、雇用保険給付が尽きるときに30万円を渡され、今のていたらくで盆と正月以外は実家に近寄るなという旨のことを宣告された。田舎だけに周囲の目もあるし、やむを得ない措置だと思うし、今更それを遺恨に思ってもいないし、ここでズルズル寄生許可されていたら今頃は立派なニートのできあがりだったことと思う。もっともそのときは、ああもうこれは死刑宣告だなと目の前が真っ暗にはなったが。

 とはいえそう簡単自殺できるなら何も苦労はない。役場障害福祉課(精神障害者の手帳の件でお世話になっていた)に話をしたところ、ありがたいことにこんな穀潰しに親身になってくれ、提案をもらえた。

 ひとつは「障がい者グループホームに入居して集団生活を送る」こと、もうひとつは「手持ちのお金でとりあえず単身向けの安い賃貸契約して住む」ことだった。いずれにしても精神2級の状態で今後の生活にかかるすべての経費をまかなうことは不可能だろうから生活保護申請は前提と言われた。一刻も早く家族(特に兄)から攻撃から解放されたかったので、障害程度区分(介護保険でいう要介護1~5みたいなの)を取ったりするために必要になる時間も惜しみたくて1Kの賃貸アパート契約してそこに引っ越すことにした。引っ越すといっても冷蔵庫洗濯機家族共用なので家電量販店で買ってアパートに届けてもらうことにし、段ボール箱5つ分くらいの荷物を自室から原付のリアキャリアに縛ったりステップに置いて運ぶだけだから引越し自体もあっけなく終わった。父のワゴン車に積んで運べば1回で済んだだろうけれど、その迷惑をかけるのも躊躇ったのは覚えている。

 生活保護で月に支給される額はおおよそ12万円程度。障害基礎年金は無事3級が出たが、年金収入として申告し、その分減額される(生活保護年金になるわけではなく、他の生活保護受給者と同じ金額生活をすることになる)システムなので、年金が出たからといって裕福になるわけではないことを知ったが、とりあえずこれで、贅沢しなければ衣食住が許されるくらいのベースができた。原付(125以下)が、「事故を起こしたときちゃん賠償できるように任意保険にも加入すること」を前提に保有運転してもいいといわれたのは助かった。

『働かずに食う飯』が美味いかどうか……。考え方に個人差はあると思うが、私にとっては何を食べてもあまり味がわからなかった。保護支給日に、月に1回くらい口の栄養をと思って高い外食(といってもファミレスとか回転寿司くらいだが)をしても、味に感動するようなことはなかった。むしろ高い飯を食べると罪悪感が強かったようにすら思う。

 刷り込みとか色々あるかもしれないが、とにかく、『今この時点において、自分より無価値人間はいない』ということを感じていた。卑屈になりすぎていたのかもしれないけれど、今の自分が生み出せるものといえば二酸化炭素排泄物しかないわけだからテレビを持っていなかったのでもっぱらラジオだったのだけれど、野球中継を聴いて贔屓のチームの選手が拙いプレーをして点を取られたときにも、自分とき選手叱咤できる立場じゃない、となって、野球中継さえまともに楽しめなかったくらいになった。

 鬱もなかなかその頃は酷く、家事は勿論のことながら入浴すら自発的にできなかったので障害福祉サービスで週3回ヘルパーさんが来てくれるようになり、相談支援専門員さんがついてくれることになった。モニタリングという定期的な面談ときに「ラジオ野球聴くのすら申し訳ない」というようなことを話すと、就労継続支援B型という作業所を紹介してくれた。見学に行ったところは障害の程度や意欲に応じて、ほとんど遊んでいるに等しいレクリエーションのようなことから集合住宅公共施設などの清掃まで幅広くやっていたところで、「ちゃんとできるかどうかわからないが、清掃作業をさせてもらえるなら」という条件で通所し始めた。週1日・午後のみから始めて、少しずつ増やして週4・午前午後になり、報酬として工賃を2万円くらいいただけるようになった。まったくの無価値ではなく、月2万円だが自分にそれだけの価値を認められたことが嬉しかった。もちろん収入なので生活保護支給額は減るのだが、勤労による収入場合は控除が認められて、2万円工賃をもらえれば月に1.5万円くらいは実質的自由になるお金が増えた。この頃には、「月1回くらいは口に栄養しても」の罪悪感も少し薄れ、熱々のハンバーグがとても美味しかった。

 ……とここで、レジ会計をするときに壁に貼ってあったポスターを見て、「アルバイト募集されているんですね。未経験歓迎とありますけど僕みたいなのでもいいんですかね?」などという畏れ多いなんてレベルを超越した暴言を吐いてしまったのだ。

 レジカウンターを挟んで二言三言のあとバックヤードに連れて行かれ、店長がいる時間帯に履歴書を持って面接に来てくれという話になってしまい、そこから何をどうしたかよく覚えていない。作業所までそう離れていなかったので、まずは作業所に駆け戻ったのだけは覚えている。

 後日、作業所管理者さん同行で面接になった。店長施設長が最初に長く話し、最後の方で何か言いたいことはと問われたときに、施設長が言わなかったこと(生活保護受給中とかただの精神2級ではなくアスペルガー症候群もあること)を言った。施設長がいい顔をしていなかった。ここで仮に採用に繋がれば作業所の実績に繋がる大事なところなので、その足引っ張りになることをされたら困るというのが施設長の本音だと思うが。

 採用の前にまず実習ということになった。熱々の料理お客様にぶちまけるような致命的な失敗こそしなかったが、皿は相当割った。14番テーブルに持って行くはずの料理24番に誤配したり散々だった。高校生の先輩バイトさんに使えないと舌打ちされたのも覚えている。

 ……が、総合的な評価はそこまでダメではなかったのか、まずは週2日のランチタイム要員として採用された。10時半から15時の4時間半。百戦錬磨兼業主婦パートさんにはこき使われたが数多のフォロー配慮をしてくれて感謝しかない。

 週2日と4時間半が次第に延び、フルタイムになり、正職員待遇になった。精神手帳も2級から3級に見直された。生活保護基準より収入が上回ったため停止され、半年後に打切りになった。福祉事務所に頭を下げに行ったら担当ケースワーカーさんに激励していただいた。

 正職員待遇はいってもあくま障がい者雇用なので、健常者とまったくの同一条件ではないけれど、少なくとも今は野球中継を素直に楽しめるようになったし、親や兄・妹との関係もある程度戻ったと思う。兄のところには2人子どもがいるし、妹も近々結婚するらしいことを聞くと、私は家庭を持っていないことが兄や妹と較べてレベルが下だが、これはさすがに相手のあることだから自分けが足掻いてどうにかなるものでもないし、仕方ない。

 お金けがすべてではないが、今は保護費より相当多い給与を貰えているし、そのおかげで保護の頃より僅かだが広く便利がいいアパートに移った。雑誌文庫本くらいならそこまで財布と相談しなくても買えるようになったし、何より「お天道様の下を堂々と歩ける」ようになった。

 もちろん、今後また何かの弾みで生活保護に助けてもらうことにならないとも限らないが、保護依存しないように、備忘録として残したい。

2023-10-10

本屋で本買う人ってどんな人なんだろう

Amazonとか、電子書籍で十分なのに、わざわざ本屋で買う意味がよく分からない

本屋が好きなのかな?

きっとそうなんだろうね

本屋潰れるって言われてたけど、意外と残ってるから需要があるんだろうな

自分漫画新刊とかは買うけど、文庫本ハードカバーの本は買わないなぁ

資格とかの勉強の本は買ってるけど

なんだ、自分だって本屋で買ってるじゃん!

本屋大好き

2023-10-02

anond:20231002113005

それがけっこういる

年収一人暮らしの女

多数派恋人金銭的な援助しているわけでもない(つーかむしろ恋人がいるなら逆に時間か金を搾取されてることが多いような)

 

増田自分じゃ「丁寧な暮らし」の基準がかなり違うんだとは思う

(高年収にも「丁寧な暮らし」やってる奴いるが、当然ながら可能な丁寧さだとかにはかなりの違いがある)

 

年収200万(280万ですらない)の女の「丁寧なくらし」とは、

趣味散歩、歩きながらあるいは格安で手に入れた自転車であちこちで歩いては(他人が育てた)季節の花々を眺め、

安いコーヒークーポンさらに値切って飲みながらブックオフ文庫本を読み、

そうやって集めた見切り品ばかりの買い物の中から何品か作って(残りは冷凍して)栄養的にはそこまで悪くない料理を作る、

それをインスタあたりで「食費月2万・低年収OLの日々の工夫」とかって載せてそこそこイイネをもらう、

これを長時間ワープアの合間のわずかな休日にこなしつつ、

恋愛結婚もできないまま年だけ取っていく、

 

ただ、女はこういう暮らしにそこそこ満足して不満を持たなかったりするんだよ。

そこが問題とも言うが、今回の話の論点

「男はたいていこれができない」ってことだろ。

 

男はまず金がないなりに健康を保つってことができない

たとえば栄養学と調理知識を身につけ、健康を維持するために自炊するなどができない

(俺はできてると主張するだけなら山ほど見たが、たいていは「いろいろぶち込んだパスタでできてると思い込んでる」か「半額弁当に安いチューハイ」のどっちかがほとんど、

 栄養学の基礎的な知識がまずない、こいつら家庭科時間に何やってたんだろう)

身体資本なのに健康を保つためのスキルが驚くほどない

年収人間なんだからそんな高スキル持っているわけがないというならそれはそう、ただ現段階じゃ男女差が相当ある

調理壊滅な女もいるし、高レベルな男もいると予防線を張ったうえで、全体で言えば性差が明確にあるということを主張したい

 

そして決定的な男女差

女はそういう低年収でも「まだ間に合ううちに私を養うイケメンあてがえ」的な反社会的活動になかなか身を投じない

 

生物的な要因や性差とぴったり合致してはい

男のほうが攻撃的だし、社会性が低い

等身大自己評価ができない(男は根拠なしにうぬぼれる傾向が高い)

社会から評価が「正当」でなければ社会が間違っているので仕返ししてやるになりがちなのは

 

だが人間自分の将来に希望がないと反社会的になるもんだし、

老齢になると挽回のチャンスがないわけなのでそういう人間はこじらせる

逮捕者所属見ると「50代・派遣」とかだったりするじゃん)

そういう心理は男女の別はないわけだ

実際、たとえば数年前の弁護士大量懲戒請求問題では加害者側には女もそれなりに混ざっていたようだ

 

ただ、実際の「弱者」は女のほうがはるかに多いわけで、それからすると驚くほど率は少ない

 

まあ結論自分で出しちゃってるが、やっぱ生物的な差なんだろうなー

2023-09-30

独身おじさんの価値観を変わらない

社会人になってから10数年

趣味が変わらないし、増えもしない

結局ゲームアニメだけ

もちろん触れる頻度やジャンルは変わってるけど、結局それ以外には全く手を出さな

金とか仕事とかを言い訳に何処にも行かない選択を取るが、

実際は何処かに行くきっかけがない


新しい趣味に手を出しても長続きしない

ジム通いも続いているけど理由は「体が常に怠くて仕事生産性が落ちて影響出ている」からでただの死活問題

絵を描いてみようかなと思って1週間位続けても仕事の負荷が大きい時にぶつかって真っ先に趣味をやめて、結局放置

読書をするのも面倒くさい

数十分読んでも数ページしか進まないからこれ終わるまでに1ヶ月終わると思うと時間がもったいなく感じる

小説文庫本ならまだ良いんだろうけど、映像を倍速で見れば数時間で話の概要がわかると思うと読む時間ももったいない


コミニティも探せない

友達がいなかったから…友好関係の作り方とか距離感がわからない

人に話しかけるのが絶対無理ってわけでもない、

仕事と同じように目立たず騒がず、近くの人とたわいも無いテンプレート通りのビジネストークお茶を濁せば良いのだから

ただ、そもそも行く場所が無い…


結局この状態のままあと10年す済むんだろうなという気がしている

2023-09-20

anond:20230920233844

平成コンテンツは引き延ばすことで延命を図る

令和コンテンツは瞬間的に消費されて掘り起こされない

ウイスキーつまみのような文庫本型とアセスルファムカリウムのような雑誌

2023-09-13

おれが「お金」と認識してるのは100円玉までで、1050円100円の減りを遅らせられるやつ、それ以下はお釣りのジャラジャラを減らせるやつと思っている節がある。

金に余裕があるかと言ったらむしろ逆で、カツカツだったからこそ100円の壁に敏感だった。

小学校は月500円、中学までは1500円の小遣いで買い食いや娯楽に興じてた。まあ小遣いの額は普通くらいだったろうけど、文庫本やCD1冊選ぶにも吟味必要な時期だ。

お年玉もあるけどそれはゲームとか楽器とか数万以上のデカい買い物をするためのもんで、チマチマ切り崩して良いものではない。

100円あればACゲームが出来る。スーパーならジュースが買える。菓子パンも買える。緊急時に文具も買える。今は食えなくなったがハンバーガーも食えた。ブッコフの100円コーナーもいい。

100円と50円とでは可能性の幅が段違いに変わる。50円以下じゃせいぜい駄菓子を1〜2個買えるくらい。駄菓子そんなに食わんし。

それはせいぜい10年くらい前のことで、大学上がってバイトして数万の靴買えるようになっても、今に至っても変わらず色濃く残ってる。

じゃあケチなのかといったらそういう訳でもないと思う。数万の靴買うし。

好きな事には糸目をつけないけど、変なとこでケチりがちかもしれない。典型的オタク気質

流石に自販機コンビニを贅沢とは思わなくなった気がする。スーパーまで行くダルさを知ったし。

50円以下でも寄せ集めれば100円になる。それを理解はしてた。でもいくらコマモノ集めた所で100円の輝きは生まれないんだよなあ。

ガキの頃は口座なんか持ってないから、100円玉が崩れる事があっても小銭がまとまる事はない。一方通行の不可逆的なものだったから。

2023-09-05

 実のところ、数年前から実話怪談が盛り上がってきている。

 実話怪談とは、四谷怪談のような古典怪談ではなく現代怪談だ。というとトイレの花子さんのような都市伝説を思い浮かべる人もいるだろう。しかし、そのような出所不明の噂話とも違う。

 まず大前提として「実際に不可解な体験をした人というのは、この世の中にいるんだ」というところから始まる。そして、それら体験から聞き取ったものを語ったり、あるいは執筆という形で記録されたものが実話怪談である

 と、基本的説明としてはこれで十分ではあるのだが、多くの人が疑問に思うことだろう「それが実際にあった話だとする根拠は?」と。

 ここははっきりと申し上げておくが「そんなものはない!」である

 ないんスよ。というのも怪談超自然的なもの、未知のものを扱う分野だからだ。最新の科学技術物理知識を以てして証明できてしまったなら、その時点で、もはやそれは「怪談だったもの」となってしまうからだ。

 うん、わかった。

 もう少し突っ込んで説明しようか。

 つまり、実話怪談とは「実際にあった話だとする根拠はないが、とにかく、本当に不可解な体験をしたと主張する人がいて、その人の実在根拠とした話」のことだ。

 そんな根拠の拠り所となる体験者は、実際に語られるさいには、諸般の事情により匿名として扱われることが多い。

 …はい、お察しのとおりだ。実のところ、受け手側に実話である判断する材料はほぼない。

 ここまで読まれた皆様におかれましては「せめて、なにか実話を担保するものはないのか?」とお思いかと存じます

 まあ、その、あるにはあるんですよ。お気に召すかはわかりませんが。

 というわけで、以下が令和最新版だ。

 実話怪談とは「実際にあった話だとする根拠はないが、とにかく、本当に不可解な体験をしたと主張する人がいて、その人の実在根拠とした話…としたいけど、事情により身元は明かせない以上、聞き取ってきた私という実在を仮の根拠とした話」のことである

 あきれちゃった人には申し訳ないが、こういった回りくどい手順を踏むことで、かろうじて実話と呼べるものになっているのが実情だ。ゆえに実話怪談はその性質上、二重の信用が必要となる。

 つまり怪談話者(著者)は、取材において体験者が事実を話していると信用し、受け手話者(著者)が嘘を言っていないと信用したときに、初めて実話怪談を楽しむことができるのだ。

 もはや新手のカルトのように聞こえるかもしれないが、事実そうなのだとはいえ実話怪談愛好家がなんでもかんでも受け入れているかというと、そんなわけではない。聞いていて、あるいは読んでいて「なんかこの話うさん臭いなぁ」と思うことは多々ある。

 なぜなら、それぞれが自分なりの実話怪談観を持っており、常にそれをもとにこの話者(著者)を信用するかどうかを推し測っているからだ。また、これは怪談取材時でも吟味される事柄である。(興味があるなら『忌み地 怪談社奇聞録』あたりを読もう)

 こういった部分も含めてこのジャンルの楽しみ方となっている。

 個人的に言えば、実話怪談とは少額の霊感商法だと思っている。騙されたとしても、実害は、文庫本なら数百円ていど、新書なら千円か二千円ていど、映像ならタダから数千円ていど。イベントもそれくらいのものだろう。

 これは受け手側としての心持ちについて論じているが、同時に話者(著者)側にある程度の倫理観を求めるということでもある。

 実話怪談センシティブだ。

 実在する人物を扱うこともそうだし、死を扱うという点においてもそうだ。タブーをかき分けた先に真の恐怖はある。根本的に不謹慎ジャンルなのだ

 だからこそ信用される優れた話者(著者)となるためには、細心の注意を払いつつもギリギリを攻めるという綱渡りを行わなければならない。

 ともかく、信用を重視する点からわかる通り、実話怪談というジャンルは意外なほど属人的性質を孕んでいる。そしてこの属人性こそが、昨今の実話怪談ブームの一因であるように思う。

 分かりやすく言うと、怪談師と呼ばれる人々が出てきたことによって盛り上がったのだ。

 実話怪談の始祖を『新耳袋』とするなら、最初媒体書籍であり文字媒体だった。(ちなみに稲川淳二御大の語る怪談を、実話怪談の枠に当てはめるのは無理があるので割愛

 まだ怪談師という言葉はなかったが、初期のころから属人的気質垣間見れた。とはいえ、この時代の実話怪談エピソード至上主義であった。

 あと、そもそも著者がほとんどいなかった。

 私は00年代の初期からの愛好者だが、この時代怪談にとって冬の時代だった。それでも『新耳袋』や『「超」怖い話』がシリーズとして刊行を続けてきたことが、今日の盛り上がりの土壌となっている。

怪談師」という言葉が出だしたのは10年代の中頃だろうか。怪談師とは怪談話者のことだ。彼らの活動範囲は音声のみならず、映像イベントなど大きく広がっていった。

 そのため必然的話者存在が前に出ることとなったが、属人性の強い実話怪談と非常に相性がよかった。

 昨今の怪談人気は、すなわち怪談師の人気と言って差し支えない。

 しか怪談師の数は年々増えていっている。

 そんなわけで、実話怪談は空前の大ブームとなった。

 さて、それに加えて、去年あたりから呪物が盛り上がりを見せている。

 いわゆる呪物ブームだ。

 事情を知らない人からするとマンガ呪術廻戦』人気に乗っかったものだと思われるかもしれないが、それは半分くらいは正しい。マンガの影響はでかい

 とはいえ呪物コレクターと呼ばれる存在が昨日今日誕生したわけではない。もっと言えば、呪物と呼ばれるものは大昔からあり、怪談好きに限らず、多くの人から認知されていたはずだ。

 では、なぜこのタイミングブームとなったのだろうか。

 そもそも実話怪談においては、エピソード重要視された。実話の「話」とはお話エピソード)のことだから当然と言える。ゆえにエピソードの乏しいものは主流から外れていく。

 心霊写真心霊スポット探索といったものがそうだ。

 怪談ジャンキーには「ここの木陰に恨めしそうな女の顔があります」だけではお話として弱く感じるのだ。

「出ると有名な廃墟を探索しました。すごく雰囲気があって怖かった」だけでは怪談欲は満たされないのだ。

 呪物もその性質エピソードに乏しい。「これが丑の刻参りで有名なご神木に刺さっていた藁人形です」だけでは情報不足も甚だしく、消化不良を起こしてしまう。

 とはいえ、これらは実話怪談という評価基準において物足りないというだけで、それぞれに違った魅力があり、愛好する者が一定数いる。

 また、怪談師という存在が実話怪談を発表するメディアを広げたことにより、別媒体として点在していたそれらが、集約されつつある。その中でもビジュアルに優れた呪物は、具体的なイメージに乏しい実話怪談を補佐する存在とも言える。

 だが、それは本質ではない。

 呪物ブームの最大の理由は、呪物コレクターの所有する呪物のエピソード性の高さだ。いつの間にか呪物はお話を手にいれ、怪談のものとなっていたのである

 むろんこれにはカラクリがある。そして、それこそが先般の木札に関連した炎上事件の原因ともなっていると考えられる。

 具体的な手口は単純で大したことではない。呪物の定義を限りなく押し広げた、それだけ。

 一般的な「呪い」や「呪物」といったものイメージは「恨みを持った人間が、儀式などの間接的な方法怨念を晴らそうとする行為呪い」であり「その儀式使用される道具=呪物」ではなかろうか。すなわち丑の刻参りを行うことが「呪い」であり、そこで使用された藁人形が「呪物」であると。

 しかし呪物コレクターはそれだけでは満足できなかった。

出自不明ながら所有すると厄にあうもの

・呪われるわけではないが曰くのあるもの

心霊現象に関わる物品

・念のこもったもの

祈り宗教的儀式に使われる道具や開運グッズ

 これらをまとめて呪物として扱ったのだ。

 呪物という語にそれらを無理やりに詰め込んだ結果、呪物のミーム化といった現象がこの界隈で起こった。これによりエピソード性は強いが呪物と呼びがたい物すらもその範疇に納めることに成功する。

 どこまで意図的に行われていたかは分からないが、そういった呪物コレクター戦略が奏功し、折よくマンガの人気と合わさったことで、呪物ブームが巻き起こったのではなかろうか。

 あくま個人的考察ではあるが、あながち的外れでもないかと思う。

 というのも、今回の炎上には特徴的な温度差が見てとれる点からも、それらを裏付けているように感じたからだ。

 今回の件はジャニーズ性加害問題と似ている。すなわち、内部においては問題意識がほとんどなく、外部の人間が指摘することで初めて問題化したという点だ。

 そもそも木札のエピソード2022年の時点ですでに紹介されており、それこそ祝祭の呪物展というイベントでは2年連続で展示されていた。しかし木札について問題視する声は(自分観測範囲内では)なかった。

 私自身はイベントに足を運んではいないが、動画にてその存在を知った一人である。だが、やはりその時はまったく問題意識はなかった。

 事が明るみになったさいも、初めは事情の分かっていない人が騒いでいるだけだろうくらいに思っていた。しかし実際に内容を確認するにつれ、そういった次元出来事でないことに気付き、心地よい夢から叩き起こされたような気分となった。

 この件に関しては、はやせ氏に非があることは間違いない。

 問題複数あるが、やはり東日本大震災被災者と関連のある物品を「呪物」というくくりに入れてしまたことに尽きる。呪物コレクターとしての戦略裏目に出た形だ。

 だが、本当に非があるのははやせ氏だけだろうか。

 これは出自不明説明された木札の出所が判明し、そのエピソード自体に疑問が持たれた今だからこそ言える話などではなく、最初の発表時からあった問題だ。

 しか自分も含め誰も指摘できなかった。受け手側も麻痺していた部分があったのだ。間違っても「はやせさんがあんなに謝ってるんだから、許してあげてください」なんて言える立場にない、どころか一緒にごめんなさいしなくてはいけない立場にあると言える。

 …とはいえ、頭では理解できるものの、心の奥底では引っ掛かりを感じている。

 それは結局のところ、不謹慎さも含めて楽しむというスタイルが染みついているせいだろう。

 自分高潔人間などではない。心の奥底にドロドロとした薄汚いものを秘めた、しょうもない人間しかない。

 だからこそアングラものに惹かれる。怪談に惹かれるのだ。

 冒頭に戻るが、今、実話怪談が盛り上がってきている。

 文字媒体くらいしか発表の場がなかった時代は終わり、怪談師の活躍により発表の場は増えていった。賞レースも盛んとなり、多くの怪談師と無数のファンを生み出した。

 怪談を取り巻く環境は激変したが、怪談本質は変わらずにい続けられるのだろうか。

2023-09-03

電子書籍が普及するのは、時世をよまない本業界のせい

おれは単行本じゃなくて、ちいさい文庫本で読みたいんだよ。

最低でも3年で出せよ!

3体、2019年にでてんだよ?なんで出す予定なしなんだよふざけんなよ

あのでっかい単行本をもって電車で読めと?何考えてるの?

もういいよ電子書籍で買うから

そういうことだよ、全部、まったくもって全部本業界が悪い。滅べばいいよ本業界。Amazonに負けちまえ。

2023-09-02

関東大震災アナーキズム満映

関東大震災から100年ということで朝鮮人虐殺話題が次々はてブに上がっていて、それはそれで大事なことだと思うが、他にも色々と転機になる出来事があった。

例えば復興支援のための大幅な金融緩和。これが銀行リスク管理を緩め、溜まってゆく不良債権の山が台湾銀行などの首を絞めてゆくことになる。そして「渡辺銀行破綻した」という国会での失言が引き金となり昭和金融恐慌へとつながっていく。

例えば甘粕正彦という憲兵隊中尉震災の大混乱に乗じて、アナーキスト大杉栄虐殺した事件責任を問われ、軍を追われる。しかしなぜか満洲国顧問かに転身、満州映画会社満映総裁として植民地文化政策要職に抜擢される。敗戦とともに自殺

甘粕の名前映画ラストエンペラー」で坂本龍一が演じたことで人々の記憶に残ることになり、文庫本で読める大杉栄の「日本脱出記」は旅行文学歴史に地歩を残した。

ふと思い出したのでメモ資料とか見ないで書いてるので間違いはご容赦。

2023-08-30

anond:20230830134736

なんなら同人メインの印刷所に持ち込めば簡単文庫本にしてくれる。

2023-07-14

視力の上げ方を完全に理解した

眼鏡がいらなくなったので嬉しい

立体視凝視を繰り返し行う。

これで視力が良くなった、

やり方は2つ

暇を見つけて立体視凝視をする

これは飯食ってる時や風呂入ってる時

トイレする時などなど。つまんないけども。思い出したらやる。一時間くらいにはなるんかや。いや1日一時間やるんじゃなくて思い出したらやるんよ。飽きたらやめるの。

もう一個は日々の成長を実感する

たとえ

文庫本前に置いてぱっと見文字が読めなくなるまではなす。そこから立体視凝視を繰り返す。しばらくやって凝視で見えたらおしまい

目を良くしたいんだから繰り返す時に

立体視時間を長くとる。1たい2でやってた。気分によって1たい10とかな。立体視の方が長くなるようにがんばっていこーって感じ。

日に日に視力が良くなって楽しかった。いま2.5あるから上がりにくいけどな。

2023-07-03

寝る前のひととき

スマホが無い時代、寝る直前に何をしていたか思い出せない。

確か、枕元に何冊か文庫本を置いていて、ベッドサイドの電気を付けて、読んでいたような気がする。

さなラジオも枕元にあって、何かを聴いていたかもしれない。

眠れない夜は今より長く感じて、外が明るくなってくると悲しい気持ちになったし、誰にもその気持ちを共有できなかった。

2023-07-01

35歳未経験から小説書いてみたい

小説を読んでいたが、自分で書きたいと思ったことはなかった

って言っても多少は人より読むってだけでそんなに色々読んだってわけではない

10代や二十歳前後の頃に授業や講義中、通学時間なんかの暇な時間をひとりで静かに安く潰せたから好きだった

就職してから仕事でそういった時間も減り、スマホでいろいろできるようになったか小説を読む時間が減った

それで最近ほとんど読んでなかったのだが、この前ふと時間が空いたので久しぶりに小説を読んでみようと思って本屋に行った

最近小説を知らないし、昔から好き嫌いがあったので、昔読んで面白かった遠藤周作文庫本を買ってみた

久しぶりに読んだらおもしろ

でも昔からだが私には小説とかで感動したとか、どう良かったとか、おもしろさを言葉にすることができない

別に小田和正みたいなことじゃなくて、単に感覚が鈍いし、鈍い感覚言語化文章化できないだけなのだ

この文章表現が素晴らしいとか、この登場人物に心揺り動かされたみたいなことを意識したことはない(遠藤周作を読んでそれが無いのもどうかと思うが)

感じない訳ではなく、ちゃん小説好き嫌いはあって遠藤周作作品を含めいくつか小説ちゃんおもしろ

考えてみるとこれらのおもしろ作品物語としておもしろいのはもちろん文章のものが読んでいておもしろ

小説から単純な表現おもしろいと書いたが、正確に言うなら文章を読んでいて苦がなく頭にしっかりと入ってきて良い

これまではおもしろく読めればいいと思っていたか文章がどうだとかは気にしたことが無かった

ましてや文章を書く機会もないし下手な自覚もある自分がそういった文章を書きたいとなんて思ったことが無かった

でも今はなんで文章によって感じ方が違うのか興味があるし、自分にもそんな文章が少しでも書けたらいいな~なんて思ってる

しかたらこれは文章術(?)であって小説でなくてもいいのかもしれない

けどきっかけが小説だし、とりあえず小説を書いてみたいと思う

あわよくば仕事文書増田もうまくなることを期待しちゃう

その意味でこの文章がはじめのレベルになるな

2023-06-27

本が高すぎる

ここ数年で本の値段が上がりすぎて、文庫本ですら1000円以上、海外小説になると2000円近い。

10万ぐらい買っているが、冊数的には数年前の半分ぐらいしか買えなくなってきている。

じゃあ、紙の本ではなく電子書籍にしようにも同じ値段で、

材料費流通費が含まれないのに納得がいかない。

積読がたくさんあるしもう買わなくても良いかとも思うけど、若い人とかはどうしているんだろう。

本買えないじゃん。

2023-06-25

さんじゅうねんまえ、こんぐらいの時刻からバイクで深夜営業ドーナツ屋に行って、独りでカッコつけて翻訳SF文庫本を読んでた。

あと数年して養育おわったら、同じようなことがまたできてるだろうか?

2023-06-15

絵が描きたい人の為の3ヵ月上達法の前準備の前準備

前準備じゃなくて、並行でやっても良い。絵を描くための最初の一歩としてやってみてほしい練習だ。




ノートペンを買ってきて、日記を書け。

ノート学生さんが使う普通サイズノートだと心が折れる最初文庫本サイズくらいがお勧めだ。

ペン好きな物で良い。鉛筆でもボールペンでも良い。

内容も、何でもいい。もちろん、絵なんて描かなくて良い。文字だけで良い。

なんなら、文章じゃなくても良い。1日のやる事リストを箇条書きにするとかでも良い。推しセリフでひたすら埋めるのも良いぞ。

とにかく文字を書け。1日に、ノート1ページを文字で埋めるんだ。

「案外疲れるな、しんどいな」と思ったなら、この練習は効くだろう。

逆に言うと、何も感じなかったなら、こんな事しなくても良い。と思う。


趣味仕事で、日常的に絵を描いている人間が忘れがちなこととして、年に数回しかペンを持たない人も多くいるのだ。

授業やテストがある学生ならともかく、大人なら尚更。

仕事にもよるが、宅急便の受け取りサインや、役所手続きくらいでしか文字手書きしていない、と言う人は結構多いだろう。

いや、宅急便も、シャチハタで済ませてしまえば、ペンで何かを書かなきゃいけない機会なんて、滅多に無い。

そういう生活を続けていると、どうなるかというと。手が、長時間ペンで書き続ける筋力を失ってしまう。

だいたい5~10分もすれば、腕が疲れてくる。指先がなんとなくしんどくなる。

だってそうだ。長時間ペンを握り続けることはできないだろう。

そして、絵の練習で疲れるとどうなるか。答えは簡単。雑に描いて下手だと思って、嫌になってやめてしまうのだ。

基本的な図形を描いて、トレーニングするという手もある。現に、そういうウォーミングアップもいくつか提唱されている。

だが、そもそも、絵の初心者は、基本的な図形の描き方すらわかっていないのだ。

ただの筋トレなのだから、書き慣れている文字を書くようにした方が、余計な頭を使わなくて良い。


もちろん、絵の練習のための文字なので、筆圧や姿勢には気を付ける。筆圧が高すぎる自覚があるのなら、万年筆を使ってみるのも良い。 ただし沼だ。気を付けろ。

タイトルの下に線を引くなどして、飾り付けるのも良い。この場合も、絵の練習なので、なるべくフリーハンドで書くと良いぞ。


とにかく、長時間ペンを持つ練習しろ

学生時代、全く絵が描けず、自分にはセンスが無いから絵が描けないと思っていたのだが、社会人になってから、改めて絵を描き始め、それなりに描けるようになった。

言っておくが、マジで描けなかった。幼稚園児の落書きの方がまだマシなレベルだった。

そんな自分が、一番効いたと思っている基礎練習がこれだ。

そもそも自分は、学生時代も全くノートを取らず、テストくらいでしか文字を書いていなかったので、そもそもペンを持つ筋力が無かったと思っている)



ちなみに、以前プラモ塗装界隈で「日常的に文字を書くようにすると細かい塗装がやりやすくなる」と言う話を聞いたことがある。

自分以外の人も言っているくらいだし、多くの人に効果があるんじゃないかと思うぞ。

2023-06-04

ミステリ小説ってあんなに長い必要ある?

文庫本一冊(やや薄め)におさめてほしいんだよな。

ミステリつっても色々あるけど、展開の驚きとか謎解きの気持ちよさを味わうための娯楽ミステリ小説ね。本格とか新本格系って呼ぶ奴もいるかもしれん。

とにかくさ、コナンとか逆転裁判とかダンガンロンパとか、A&G系統でミステリ読み物の気持ちよさを楽しんだ人が、気持ちいいミステリもっと読みてえな~、映画より小説がいいな~ってなった時にミステリ小説は長いのが多いんだよね。

あんな長い必要ある~?

かといって短編集はそそらない。

2023-05-26

anond:20230526085502

普通文庫本とかなら1時間半~2時間で読めるんだけど

一冊読み切る時間が確保できないとちょこちょこ読むのが苦手だから

社会人になって普通の本はあんまり読まなくなってしまったな。

漫画なら1冊5分とかだし、Webコミックならもっといからああいうのが流行るの理解できる。

2023-05-07

郊外ターミナル駅の駅チカで昼から飲めるそこそこ大箱の店は最高だ。

連休が終わる。

といっても連休らしいことは殆どしなかったのだが、唯一にして最高の体験として、立川居酒屋「玉河」行った。

着いたのは16時くらいだったのに、もうしっかり混んでいる。ひとり客のおっさんもたくさんいる。ひとりのおっさんであるおれもおっさんの並ぶカウンター席に通される。文庫本を読むおっさんと、すてきな老人カップルに挟まれメニューにらむ。絞られた日本酒セレクトが素晴らしい。

いい気分になって、序盤から日本酒カツ煮と麻婆茄子を頼んでしまう。めちゃくちゃだ。

しかしこのカツ煮がすごかった。何これすごいうまい。忘れらんない。

麻婆茄子は意外と普通。その塩梅もおれにはちょうどよい具合だった。明日も行きたい。


一気にお気に入りトップテン上り詰めた玉河だったが、同じくトップテン入りしている所沢の「百味」とよく似ている気がした。

郊外ターミナル駅の駅近で、長らく生活者を支えてきた、そこそこ大箱の店。だから客も店員世代交代成功していて活気がある。

おそらく地元の酒屋とのつながりも深いから、飲ませる酒にこだわりがある。一方で食堂としての機能もあって定食も出す。だから座席バリエーションが広い。

カウンターテーブル、靴の脱げる堀り座敷席なんかもある。

そのあたりは江古田にあった「お志ど里」なんかも似ている。ただ江古田学生街で、労働者はあまりいない。だから酒場担い手まで受け継がれることはなかったんかなと思う。


一方で最近注目しているのは、大久保上野といったアジア系労働者が多い街に芽生えた「ネオ酒場」とも呼ぶべき個人店だ。

アジア系店員日本的なザ・大衆酒場を受け継いだスタイルで、とにかく安くて旨い。そのうえ中華タイ料理といった彼らの得意料理アクセントとして加えている。

客層もバラエティに富んでいて、当初はその得体の知れなさを敬遠する向きがあったが、サービスの質自体が圧倒的に高いから、今後はどんどん主流になっていくだろう。

これと逆行するのが、いま往年の姿と変わりつつある赤羽立石中心街

東京酒場は大変革の時を迎えていると思う。

2023-04-28

息子が教祖になった

30代の一人息子。真面目でおとなしいのだが、不器用で要領が悪かった。

小学生時代放課後公園で何度練習しても逆上がりができず、家でどれだけ練習しても二重跳びはできなかった。中学受験では塾の仲良しグループで唯一全落ちしてしまった。

それでも進んだ区立中では楽しく過ごしていたし、高校受験では所謂名門都立高校に進んだ。しかし、大学受験では再び挫折浪人したもの国立に落ち早慶に進んだ。国家公務員志望から法曹志望に切り替え、予備校に通い一生懸命やっていたようだが予備試験には受からず、法科大学院修了後も司法試験に受からなかった。

3回目の司法試験の際に初めて短答試験合格し、私や夫が心配するくらい勉強して論文に挑んだが、残念ながら不合格だった。リビング椅子の上で不合格を知った息子は一点を見つめて呆然としていたが、突然エビのようにビタン!と勢いよく跳ね、そのまま床にうずくまって歯軋りを始めた。私が声をかけても反応せず、そのまま奇声を上げて気絶してしまった。

それから息子は二日ほど部屋に篭っていた。三日目の朝にリビングに降りてくると「司法試験は諦めて就職する」と言ってきた。

息子は企業法務部で働き始めた。職場環境は良かったようで本人も楽しそうにしており、私や夫は安心していた。社会人になって以来、息子は帰宅が遅くなり、休日の土日も殆ど家を空けるようになっていたが、忙しいのかと思い気に留めていなかった。

社会人になってから3年ほど経ったある日、息子から自身主催しているセミナーを手伝うように頼まれた。夫も休日だったため、よくわからないまま二人で会場に赴いた。すると、先に集まっていた人々から先生のご両親ですか?」と聞かれた。そうだと答えると突然周りが慌ただしくなり、恭しく部屋に控え室に通され、ソファの上でお茶お菓子を出された。そして、みんなから口々に息子の凄さを聞かされた。「先生のおかげで人生が変わった」、「先生のおかげで世の中の構造が見えるようになった」、「先生のおかげで人生意味を見出せた」というように。

息子が遅れて控え室に入ると、私たちの周りに集まっていた人々は一斉に息子を囲み、また口々に挨拶と賛辞を繰り返した。息子はそれをあしらい、準備をする様に言うとみんな解散していった。息子から今日セミナーの終わりに会場の外で本を売るからレジをやって購入した人に僕の両親だと言って挨拶握手をして欲しい」と言われた。

時間になり会場に人が集まってきた。私と夫は後ろから立ち見していたが、来場数は100人ほどで若いカップル、小さな子供を連れた若い女性私たちと同じ中年男性、80過ぎの女性など年齢層はバラバラだった。息子が登壇すると、ある人は勢いよく拍手し、ある人は「先生!」と勢いよく叫び、ある人は立ち上がってお辞儀した。息子が話し始めると場が静まり返った。話してる内容は陰謀論だった。息子曰く、世界支配しているのはビルダーバーグ会議で、日本ビルダーバーグ会議意向を受けた日米合同委員会支配している。みんなから事前に集めた悩みを発表し、その悩みの根本原因にはビルダーバーグ会議と日米合同委員会があり、自分は愛と真実によってこれらから世界解放するのだという。

正直聞いていて呆れてしまった。息子はオカルト話と陰謀論を混ぜこぜにしたような話を披露し、来場者はそれを真面目な顔して聞く。

息子が一通り話し終えると控え室にいた女性が登壇し、「これまでの先生指導集がいよいよ完成しました。ご希望の方は会場の外の物販コーナーにてお求めください」と言いお開きとなった。来場者はすぐに外には出ず、息子の元へ行列を作って何かを質問したり相談していた。

私と夫は控え室にいた別の男性に案内され物販コーナーに立った。先程女性が紹介した息子の指導集が並んでいたが、なんと文庫本サイズ発言と日時がまとめられただけのものが一冊25000円である。会場から出てきた人々は今度は物販コーナーに列を作り、老若男女迷うことなく購入していった。そして私と夫に握手を求め、息子を讃美した。ある年配の女性からは涙を流してお礼をされた。全てを売り尽くし、私と夫はよくわからないまま帰宅した。

息子が知らない間に教祖になっていた。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん