はてなキーワード: 上下関係とは
青年向け漫画の編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである。
働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくまで編集プロダクションである。出版社と編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請けと下請けだ。出版社が出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品そのものを作って、編プロは雑誌本体を作って、その制作過程で印刷所やデザイン事務所といった専門集団と関係することになる。
イマイチな説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社が施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。
自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社のひとつ。そういうアナロジーだ。
出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営と制作現場の間にあるような仕事は、出版社の社員が直接することもあれば、編プロが出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。
前者の例だと、マガジン、サンデー、チャンピオンなどだ。コンビニや書店にほぼ必ず置いてあるレベルの漫画誌。大手出版社に総合職コースで入社した人が、(編集、取材、制作、資材、宣伝、マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門のひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。
後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロが出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体は大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌の関係。
ほかの長文増田の記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字数制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくまで自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。
その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係(追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんのコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生の作品を読んだ。
その後、編集部の責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生の担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。
A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。
弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。
画力が抜群だった。小学校や中学校で、学習ノートにフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。
難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。
A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているかは微妙だった。
子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。
私という人間は、具体例で物事を説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URL:https://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントがきっかけで元ネタを知ることになった。
あの時のA先生のイラストは、ベルセルクのセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコがファルネーゼを抱きかかえて、
「申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」
と言うシーンの模写だった。
さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。
その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。
内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌の亜流の「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナル、スピリッツ、スペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、
「なぜうちの編集部に見せなかった?」
という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合は玉虫色の返事があるだけだったりする。
話を戻そう。この時の自分は、編集部の自分のデスクのあたりでA先生の次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。
自分としては、A先生のマンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派の少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。
うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。
「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなたの判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」
要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則は一般の会社と変わらない。
その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつとクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。
その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。
「この作品はいい意味で重たいね。ちょっと考える時間がほしい」
と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店でご飯をおごっている。
A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生にご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生が幸福だと、自分も幸福だと思えた。A先生が漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。
ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分とA先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分のことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。
持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶があやしい。
実際、B先生の作品は面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品が雑誌に掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。
絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人が情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクターの台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。
光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。
私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。
それで、テーブルではこういうやりとりをした。
私「イイ作品だと思います。特に、セリフ回しにセンスを感じます。掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」
B「ありがとうございます」
私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」
編「私よりもほかの人がいいと思います。もっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で
私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)
編「難しいです」
私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)
編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」
私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)
B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」
私「後日連絡しますね。必ずしますから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」
B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」
私「なんとかしてみます」
作品そのものと、作家プロフィールと、付属資料のコピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビルの入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。
持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。
最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしまう可能性がある。あれも、実際は諌山先生は門前払いではなく、週刊少年ジャンプの担当が付くか付かないかの微妙なラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体の公的な飲み会で囁かれていた。
B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部のトップを交えてB先生の原稿のコピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。
その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社のプロパー社員。いわゆる総合職である。
最初は、私に選択権があった。B先生の担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。
A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。
私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。
今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生の担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。
以後のB先生は、例の持込漫画のブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイケドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなくスターダムに上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。
上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力とシナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazonの第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。
今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品をコンビニで立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。
2024年現在、私は東京を離れて田舎で暮らしている。地元の町役場にUターン就職して、実家の農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。
実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者からの指導があった。
それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動をスタートした。
A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。
入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。
もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。
若い頃から編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。
もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。
ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたのフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOLが高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある。人生は運試しである。
単純に『好みじゃない』でよかったんじゃないか?って思う
ワイもドワーフ嫁は『好みじゃなかった』なぁ。序盤で脱落したよ
プライベートゾーンに触れちゃダメ、デミセクシャルな人もいるよって、なんで啓蒙が必要だと思ったの?としか思えなかったし、
啓蒙が必要だと思ったってことはなんか性にまつわることで嫌なことありました?としか思えなかった
むかし、2DKっていうオタ活・推し活同棲マンガがあって、ワイはこのマンガ嫌いじゃなかったんだけど(作者がセクマイ)、
一部の人の2DKの推し方にドン引き。ドワーフ嫁はそれをそのままマンガにしたみたいな印象持ったな
2DK | Amazonレビュー
仲のいい女性がふたり、楽しく暮らしている内容なのですが、読んでいるうちになぜでしょうか?、涙が出てきました。
お互いがお互いを思いやる気持ち、姿勢、行動、小さなところに現れる相手への思い、気遣い。著者は普段の日常生活をコミカルに描いているだけなのでしょうが、読む人が読むと泣けます。
上下関係もない、籍を入れた夫婦のような拘束もなく、相手をつなぎとめられるものは自分の真心だけ。このふたりには相手への愛情や言葉の出し惜しみは全くありません。
その場その場で自分の意見や気持ちを言葉に出して伝える。相手の気遣いや真心、優しさにあぐらをかくふたりではなく、人間関係の基本をきちんと押さえている大人なふたりなんだ、と思いました。
信頼関係が崩れた時、ふたりの共同生活を解消する事はいつでも出来るわけです。その事実をお互いきちんと分かっているからこそ理解してもらう努力、相手を理解する努力は怠らないわけですが、人間関係の基本と言うものは、本来このふたりの関係のようなものなんだと思います。
釣った魚にエサはやらない人とか、誰がお前らを食わしてやっているんだ!?と言うような家庭の中でさえ上下関係を持ち込みたがる人(男の人に多いと思う)には理解しづらい世界だと思います。
家庭の中の上下関係、ピラミッド型の底辺にいるのはほとんどが女性や子供で、その底辺のストレスを子供の頃から多く感じてきた私のような人間が本書を読むと泣けて泣けて・・・。
文春砲の後、松本およびダウンタウンを崇め奉る記事は多数書かれているが、その多くで「ダウンタウンは笑いの天才である」という表現がある。
以下の記事でもダウンタウンは、いじめや無礼を平気で行う悪童キャラとして「時代に求められた2人」だったとブレイク当時の様子を書いている。
デイリー新潮「常識の修正を拒否した松本人志、ダウンタウンに批判的だった横山やすし…「天才」2人の歩みは今になって重なる」
とはいえ、当時から賛美一色ではなく、苦情の投書も多かったことは併記されているのだが、
ダウンタウンの笑いが受け入れられなくなっていったことを「時代のせい」にしていることは問題である。
この記事では「お笑い人の常識が時代とズレるのは珍しいことではない」とし、
かつての大物芸人も自分の常識を修正し、時代に合わせてアップデートしてきた人が何人もいたと書いているが、
そういう人たちは、単にやっちゃだめなことをして怒られて、反省して常識的になっただけであり、決して「時代のせい」ではない。
あえて時代的背景ということを考えるのであれば、
ダウンタウンがブレイクした時代は、日本社会全般として、今より上下関係が厳しかったり、若い人に対するシゴキというかパワハラが酷かったのかもしれない。
年上世代に日々苦渋を舐めさせられている若者たちがダウンタウンのテレビに魅力を感じる理由があったとすれば、
若い2人が先輩に楯突く様子がカッコよかったり、どんな人の前でも傍若無人な振る舞いをするダウンタウンに憧れたりしていたのかもしれない。
だがそれは、攻撃的な気持ちを発散させるための一時的な憂さ晴らしに過ぎず、「笑い」と呼べるものだったのか、自分には疑問でしかない。
この記事では、松本はアップデートを拒否したとして「一方で自分が納得することが第一だった松本は修正しなかった。むしろ積極的に修正を拒絶した。」と書いているけど、
前にバズっていた『教養がないと冗談のレパートリーが、セクハラとパワハラと下ネタだけになる』という話じゃないけど、
「教養を意識して身に付けなさい」という父にその理由を聞いたら「教養がないと冗談のレパートリーがセクハラとパワハラと下ネタだけになる」とのことで納得した
https://b.hatena.ne.jp/entry?url=https%3A%2F%2Ftogetter.com%2Fli%2F1832733
(パクツイらしいけど)
結局のところ、松本は何歳になっても教養や社会性を身につけることができず、
「わがままを言って大暴れして周りを恫喝する」以外に人を動かす方法を学べなかったというだけのことなんだと思う。「天才」がやることじゃないよね。
まぁ、こういう暴力的な幼稚性を持った芸人の威を借りて、やりたい放題やっていた吉本やテレビ業界の連中も共犯ではあるんだけどさ。
ネットで言論的な事、ソーシャルメディアでの短文コメントなどでTV局、アパレル、マーケティング、広告、電通などに関する議題で変なマウントじみた上から目線を感じることがないだろうか?例えば広告出稿の実務や電通の業務範囲などの解説に「電通を判ってない」と漠然としたコメントが付いたりする事だ。
亦は例えば脚本家と原作者のトラブルに端を発した自殺に関して「己の近いところに着弾」などと書いて自殺クリエータのナイーブを嗤うような文章だ。
実はこれらには「ギョーカイ」という30年前の知的スノビズムが関係しており、現在のその全ての発言者はただのワナビーだ。故に無視するか嘲笑するのがいい。
だがギョーカイがどういうのか判らない人には判別が出来ないであろうから、ギョーカイに就いてざっと解説したい。
1980年代の大学生というのはまるで勉強しなかった。これは60年代に反権威主義の全共闘世代が大学の知の権威を攻撃して教授や講義の尊敬を解体してしまった事に由来する。その後反体制という態度も流行らなくなり、更には嘲笑、嫌悪さえされるようになっていった。
だが大学の権威は復活しなかった。この為に80年代になると大学はレジャーランドとなり、特に文系学生は教科書さえ買っていないという風になっていた。
更にここにプラザ合意という政治状況が追い打ちをかける。日本は復興を遂げて70年代には経済規模が異常なほど膨れ上がっていた。アメリカがベトナム戦争で、欧州の旧連合国諸国が植民地独立による経済構造変化で苦しんでいた(除西独)のと対照的だ。
だが国民の生活は然程裕福にはなっていなかった。また戦後の窮乏状態から贅沢を忌避する経済道徳があった。
プラザ合意でこれが一変する。これは円高を誘導し日本の対米貿易黒字を削減する政策なので経済構造がそれまでの輸出産業優先のままだと立ち行かなくなってしまう。
そこでそれまで禁止されていた贅沢がお上のお墨付きで推奨されるようになったのだ。国民の経済道徳なんて政策で左右されるのである。文化は決定因子ではない。
また円高によってそれまで贅沢品だった輸入品の価格が下がる。当然購買意欲は刺激される。
この浮ついた好景気が加熱してストックバブルとなり、やがて弾けて失われた30年になったのは皆の知る通り。
この景気加熱はレジャーランド化していた大学生にも影響を与えた。それまで国内アパレルメーカーが若者向けブランドを展開してそれらが人気を博していたが、海外ブランド志向が進み、遊びの高級化が進んだのだ。有名なのがディスコのマハラジャやジュリアナ東京であろう。マハラジャの運営会社はそれまで「並」のディスコを経営していたが、マハラジャで極端な高級志向とドレスコードチェック(アメカジとかは入場禁止で上から下までブランド服必須)にしたところ大盛況となった。
だが大学生が高級志向になったのは自然な出来事ではなく、当時のファッションカルチャー誌が誘導したのであった。
こういう大学生に影響の大きかった雑誌にマガジンハウス社のPOPEYE(以下ポパイ)と講談社のホットドックプレスが挙げられるが、この二つは性格が違った。ポパイが先行、ホットドックプレスが追走、イノベーター理論で言えばポパイがアーリーアダプター志向、ホットドックプレスがマジョリティ志向という感じだ。
マガジンハウスはファッションカルチャー専業だけあってイノベーター人脈があるから未来への提案という形で誌面が作れる。
一方、ホットドックプレスは大出版社なのでもっと安牌志向だ。あまり冒険すると滑る危険がある。
そして流行に於いてマジョリティを相手にするという事は、アーリーマジョリティになれとけしかける事であり、故に強迫観念的になるのである。大学デビューした若者にファッションや遊びを勉強しろと迫る性格を帯びる。
山田五郎氏はyoutubeの「オトナの教養講座」を運営して大変引き出しが多くて教養がある人物だ。同氏は同誌の80年代の編集長であった。
教養人だが編集長時代はマガジンハウスの後追いで背伸びしたい若者に楽しいライフスタイルの提供というよりも「これぐらいマスターしないとモテないぞ」とオブセッションを刺激して走らせる誌面を作っていた訳で、正直そこについては評価できない。
これはホットドックプレスが悪いというのではなくて、トレンドの後追いする方は強迫観念に訴えるようになるという例だ。
そんな雑誌群でやたらと持ち上げられていたのがTV局、アパレル業、広告代理店という業種だ。
ホイチョイプロはこれらのブームが起きる前から広告代理店漫画を書いていたが、このブームに乗って多角展開するに至った。広告業の業務中で電通だけが特別視されたり、変なマウント取る奴が現れたりするのはこのホイチョイプロの影響である。
またとんねるずはパワハラ芸とTV局の内輪ネタで若者の歓心を得て売れるようになった。
特に初期のパワハラ芸が有名だがこのパワハラは芸人同士のそれではなくてTV局での上下関係に限られるのがポイントだ。TV局内とスポンサーなどの上下関係はギョーカイなので売り物になったのである。
故にギョーカイというのは単にがTV局、アパレル業、広告代理店という業種を指すのではなくて、当時の風俗上の序列に裏打ちされたそれら業界という事が出来る。広告代理店業務を特別視してマウントするという態度の背景には、輸入ブランド志向、高級ディスコ、VIPルーム、見せる為の彼/彼女、ポストモダン思想という今では時代遅れの事物の文脈がある。
一方、家庭を築いて建売とかと言った一般的な価値観は外部化されていて入っていない。
先に述べたように流行の浸透期には強迫観念に訴える形の言説が商売になる。面白いものがあるよ、じゃなくて時代に遅れるな、だ。
これらはもう時代遅れだが、この強迫観念に訴える扇動の効果は残っていて、広告やTV局に関する事が話題になると、今でも「電通の本質は違う」などという謎マウントが湧き出すという原因になっている。
特に地方在住者に顕著だ。広告への関係の仕方は様々あり、出稿する立場、印刷を受注する立場、看板屋など様々な立場の人間がネットに書き込む。また電通の業務のうち広告ではない部門、人材派遣やイベントプランニングなどに関する議題で書き込む人も居る。
それらに対して謎マウンティングしでいないではいられない人が現れるというのもネットの常だ。
これらの人は自分が参画しえない場所の話だったホイチョイプロなどのギョーカイ話を実業務での経験(他者の含む)で上書き具体化するのに失敗し続け、レイトマジョリティ転落の強迫観念で駆動され続けているのである。
彼等の言い方は、「電通とは」など目前の具体的解説よりなどまるでその評価軸が高級だったり知的であるかのようで、事情を知らない人は騙されてしまうが、その実は時代遅れの流行追っかけの知ったかぶりでしかないので、騙されないようにして貰いたい。
「インターネット下さい」やソーカルにコテンパンにされたポストモダンの亜種である。
この辺の事情を知っていれば、「己の近い場所に着弾」とか原作者の自殺をそのナイーブさ故と揶揄するAI画像を投稿してTV局の事情通風を吹かす者が現れたとしても、その破廉恥さに憤るよりも前に、その者がオピニオンバラエティに数回出ただけでドラマには関係してない事、職域が権利者との折衝と重ならないであろう事、出演回数的に業界風吹かしたい欲が最大化される地点である事、年齢的にギョーカイ特別視のレイトアダプター層である事、とんねるず世代などに着目し、地方のバーで「業界出身の人」ってこういう感じだよなぁなど感慨に耽り、祇園精舎の鐘の音が胸中に去来するはずである。
またマナの力に長ける者であれば、AIに向かって「政権のブレーンとして官邸に出入していた事がある事は履歴的に自慢したくなりますよね?という建前を押し出した笑顔の発言者の前で、現在相手にしている読者層がその政権へのドグマ的批判を共有するので炎上と評価低下を恐れて答えに窮し発言者が善意の天然なのか悪意があるのかはかり兼ねて引きつった笑いを浮かべる男性」という詠唱により画像を得る事が出来る筈である。
「TVに出るようになった切っ掛けってそのブレーン抜擢ですよね」と発言を重ね掛けする画像でもう一枚行けそうである。
いずれにしてもTVや広告業などの話で具体性も無いのにウエメセマウンティングが発生したら、その実は以上のような事情で背伸びしたい「追いかける人」であるので、良く知らんけど高級な知識っぽさに騙されないようにして欲しいものである。
ただのアラサー平社員の反省と愚痴なので、読み飛ばすか、優しい言葉でもください。
10年近く同じ会社で働く同僚Aと、距離が近くなりすぎてしまった。
学歴に差があり入社時の年齢・役職が違ったにも関わらず、入社タイミングが同じだったため初動でタメグチでいいよと言ってしまい(反省している)、さらにプライベートでも遊んでしまったせいで完全に社内の人間関係に悪影響を及ぼす原因を作ってしまったと思う。
プレイベートでの交流はシンプルに趣味が合わないと感じて控えるようにしたが、Aからの友達的態度は変わらず、むしろ助長・拡大していった。
自分に対してだけではなく、私の同期や、社歴は浅いが実績や職種から考えて先輩or上司といえる立場の人にもタメグチ混じり、上から指示等するようになり、
小さいけれどおかしな要求(Aの効率だけが良くなるような周囲への業務のシワよせ)を頻発してくるようになった。
あくまで例だけど
「私(A)にこの資料を作成してほしいなら、関数設定完了済みのエクセルデータと、入力内容の分類&並び替えが終わっている元データを渡して来い」
みたいな感じ。
いつしか社内の上下関係が崩れ、Aは周囲からの「注意」を受け止められない人間になってしまっていた。
上司や同僚が注意しても、改めることはおろか「悪く言われた」としかとらえず、注意やアドバイスに対して社内の空気を劣悪にする不機嫌な態度をとるようになってしまった。
注意してきた人間を"悪者認定"(これは実際のAの言葉)し微妙な態度をとるようになった。(複数人での挨拶のとき声を発さなかったり、一度の声かけでは応えず二度呼びかけて応じる等、かなり絶妙なもの)
Aの態度なんて気にせず、仕事なんだから!でビシっと教育すべきだったとは思うが、度重なる不機嫌に耐えかねて周りが諦めて放置してしまった流れがある。
これは上司の言葉だが、「成長する気もない人間の不機嫌に付き合い続けると、問題のない人間のメンタルに悪影響が出る」。
(うちは大企業と呼べる規模ではあるが、基本的に移動や転勤がなく、転職でもしないかぎりはいつも同じメンツなのも馴れ合いを生んだのかもしれない。さらに基本的にみんな穏やかで威圧的に叱ったり?パワハラ的な教育も無く、ぶつかり合い不要、人間関係は凪のほうがいいよねーという社風がある。今書いてて、こうやって衰退していくんだな…とも思った。)
うちの会社は犯罪さえおこさなければクビがないので、改善策としては放っておく・小さな仕事しか振らないという対応になる。
勝手な指示や転換を行わないように、誰かの業務の補佐やアルバイトさんでもできるような単発的・データ入力的仕事ばかりになる。
加えてそのような単業にも自分が思う完全な指示を求めて「待ち」の時間を製造するので、スピードも遅くなる。
新しい業務ツールへの反発も強く「入社時にそんなツールの話聞いてない」と喚く。
分からないところだけ残していいから、できる限りやってみたら?と励ましても、新ツールのところだけ手付かずで綺麗に残して渡してくる。
当然だが昇進しない。だから不満は増える。
約10年を経て、「スキルもスピードも判断力もないが、ラクしたいので他人に強くあたる社歴10年のヤバい人」が出来上がってしまった。
Aもアラサーになり、後輩も増え、圧倒されてしまう若手が増えた。(少し調べればわかることなのにAが「不明点があるのでこの状態じゃできまない!」と突き返し若手萎縮&業務増幅)
これ、いずれやばいんじゃない?と他の同僚とときどき話に上がる。
でも、なんのアイデアもない。自分は雇用主でもないし。触らぬ、関わらぬ、同じプロジェクトに入らないことを祈るのみ。
そのつもりでいるが、今日も同僚は友達のように話しかけてくる。
兄弟同士で仲良いのは結構だけど、兄弟での上下関係を他の家族にまで波及させるのやめてくれないかな?
あなたにとっての妹は、私にとってはたった1人の母ですから。てめえのところの事情なんか知らんよ、だってよその家庭の話ですから。私は自分の家庭に影響が及ぶと思って怒ってるのであって、そちらの兄弟関係なんて知らんがな。
母も母で、自分の実家での序列のせいで不利益を被った時はこちら側に大した謝れよ。
よその家庭の事情を持ち込んで、こっちの家庭で連帯責任は虫が良すぎる。
私は一人っ子なんで、なーーーんにも分かりたくないです。親を看取るのも何するにも、1人で決めないといけない身からすると分かりたくもないわ!
昔は、例えばたけし軍団みたいなさ、どこのコミュニティにも属せない弾かれ者みたいな集団が芸人って感じだった。
それが出世して、紳助みたいな、なんか迫力と権力のある「ドン」になっていく。
これがなんか昔のテレビだったよな。
だから上下関係も厳しいし、後輩には奢らなきゃいけないし、派閥も作る。
普段おとなしくて一見するとつまらないやつがお笑いするようになってさ。
それがだんだんコンプライアンス意識するようになって、いままでの人情だのスジを通すだの、そういう義理の通し方が通じなくなった。
彼らの価値観が、背広を着た人間に浄化されて、サラリーマンと地続きになってしまった。
いままでホワイトカラーに向かなかった都市部の人間は、昔はヤクザの世話になったり、芸人にまぎれてカラダ張って、それなりに強く生きていく道はあったのに、いまじゃ発達障害だの境界性知能だの、そういうラベルを貼られ、はれもの扱いだ。
どうやってみんな幸せに生きていけばいいんだろうね?
(虎馬田)
元かそもそも釣りかもけど、参考なるかわからんけど書きたくなったのでおいとく
まずは脱線
「ほいっぷる」は虎馬田も普通に好き。相手がほんとに嫌な顔しない限り、(ギャグとして)プレゼントしがち。
で、虎馬田は、口と顔ではありがたがってるが、そんなわけないな と気づける(と自分では思ってる
なので、ネタとしてとか、二段構えサプライズの初手としてしかやらない
若いころ(50代ぐらいまで?)は、ほんとになんでも自分でできて、プライドが高く、すぐブちぎれるタイプだったので、指摘することは家族には不可能だった。
職場や地元コミュニティなどの(昔ながらの?)上下関係あるところではそれなりにうまく生きていたのだろう。見てないが
60代なって、運転だるくなったり、体力的に一人でできない作業が増え、手伝ってもらうのだからと多少我慢を覚えた(ただし唐突にブちぎれる)
ご飯粒めっちゃついた茶碗をまずテーブルに残してごちうさまするところからスタート(実際はごちそうさま言わないこところ)
下げろ→下げる
茶碗に水を張れ→水を張る
は出来た。茶碗は出来たが、炊飯器のご飯最後に食べたときに炊飯器の中に入れっぱなしだった。(保温は切れた)
緩んでくると、忘れる。してなかったよ、というとやってる、という。
他にも実例出てこないが、なぜそうして欲しがっているのかがわからないということに途中で気づいた。
”ご飯粒めっちゃついた茶碗”なので、水を張るだけなら、めったご飯粒浮いた茶碗が放置されることになる。
三角コーナあるので、一回そこに浮いたご飯粒捨てて再度水を張りなおす←これはめちゃくちゃ難易度高いし、これを取得しても別ケースには対処できない
別件
たまにやかんを火にかけて忘れるので(センサーで消えるので大事にならないが)
5分後消火ボタンを押せとお願いする、忘れないと言い返す、最近忘れてたという実例で詰める、しぶしぶ従うが身につかない
(あなたが最近忘れてましたよ、という言い方より、あなたよりも若い私でも忘れるし、念のために、や、自分が忘れた芝居して、父に気付かせるまでやると少し効果があがる)
そういえば、ひいおじいたんも、3歳ぐらいの時にもらってそんなに美味しいと思わなかったけどまあ喜んで食べたらしい(その時は美味しかったのだろう)干しブドウ。
干しブドウ買ってきたぞ、と小学校にあがってもずっと買ってきてくれてたし、虎馬田が遊びに来る、干しブドウ買いに行くぞ! てタイプの人だったなぁ。あれはあれでたまにだったから可愛かったかも。
ご本人にとって納得いく説明込みであれば、お願いや指摘、そんな大げさなことじゃなくても情報? 状態のアップデートは可能というかむしろ得意ですらあった父。
虎馬は面倒なって距離とったし、他の人は今の父を受け入れることを選んだ。流石に年だし。
独りで付き合うとほんまに嫌になるので、周囲の協力得て仲良くする気があるのなら応援しております。
変な話だけど
少女漫画をまだ早い判定
あるあるの、「○○ちゃんもみんなも読んでる」が実は効き目ありそうでした。うちのケースでは。
これだけだと弱いので、理で説明する。掲載誌の対象年齢、購買層、実例の極端なケース(自分よりもっと年下が読んでいるなど)
もちろんありとあらゆることにこんなことして効果あったりなかったりするのがめんどくしんどくなったのだが
昨晩、私は減酒薬を服用しました。その結果、あまりお酒を飲むことはありませんでした。以前は、大量に飲酒して憂さを晴らすことがありましたが、今ではそうはいきません。減酒薬のおかげで、大量に飲む前に眠ってしまうのです。
この経験から、減酒薬の効果を実感しました。それは、私の飲酒習慣を変え、健康的な生活に一歩近づける手助けをしてくれました。これからも、健康的な生活を送るために、適度な飲酒を心掛けていきたいと思います。
日本はストレスフルな社会と言われています。日本人の気質には、チームや組織を大切にする、上下関係に厳しく、目上の人に忠実に働く、結果が出なかったり、失敗があると、自分が責任を取る、忍耐が美徳とされるなどがあります。自分の気持ちを押し殺して、望まないことをずっとやり続けなければいけない社会を作り出します。ストレス社会に対処する方法としては、ストレスに対する個人の対処能力を高めること、個人を取り巻く周囲のサポートを充実させること、ストレスの少ない社会をつくることが必要です
以上、私の減酒薬体験談でした。皆さんも、ストレス健康に気をつけて、ストレスフルな日々をお過ごしください。それでは、また次回。お元気で!
常々思っていること。
「数学」と「物理」は、同じように「数式」を用いて表記するが、その意味するところ、読み方は大きく違う。
1+1=2
この右辺と左辺に因果関係も上下関係もない。1と1を足したら2になるし、2は1と1に分けられる。
F=ma
と書くとき、ここには「読み方」の順序がある。
ニュートンの運動方程式の場合は、左辺が「原因」、右辺が「結果」を意味している。
「Fという力が加わると、質量mの質点に、aという加速度がかかる」と読まなければいけない。
決して、「質量mと加速度aがFという力になる(?)」という意味ではない。そんな因果はない。
こういう、数学的な等価性の読みを、数学以外の科学に持ち込むことで、混乱を招いている状況が非常に多い気がする。
等式の左右は同値であっても平等ではないし、プラスとマイナスはただ符号を入れ替えたものではない。
数式は、科学を記すにはまだちょっと不完全な方式なのではないかと思うね。
※追記