はてなキーワード: エッセイとは
10年をさくっと語ってみる。
小説家ワナビ人生のはじまりは高校生だった。あるラノベを読んで、衝撃を受けた。それで、自分も書こうと思った。
書けると思ったんだ。
でも、高校生のときに書けたのは、1年半くらいで、結局2作。しかも短編。
そのときに知るべきだったのだろう、「書ける奴はこの時点で長編書けてる」ってことに。
夢だ、夢をかなえるんだ!
いろいろあったけど、略。
小説のことだけ書くと、大学で書いた小説、計4作。しかも短編。
でも長編一作も書けない。
小説家になるために、小説を読もう読もう、と努力しまくった。なにしろ文学部だ。
でも、もっとすらすら読めるのは、文学理論とか、作家のエッセイとか、創作理論とかだった。
ところで、話は前後するけど、高校生のときから、どうも自分には精神病のケがあったらしい。
このころは、強迫性障害になってた。
簡単にいえば、水道の蛇口がいつまでたっても確認しまうとか、ガスの元栓が以下略とか、家の鍵が以下略とか、物を落としたんじゃないか、と思って地面をガン見したりとか……。
大学時代、これは加速していった。
だから。
だから、小説家になって、見返したかった。いろんなものを。バカにしたあいつらを。
小説なら、こんな屈託が書けると思った。
自分を救ってくれる、と思った。
で、話は元にもどる。いや、実際は繋がってるのだけど。
大学院にいった。
文学部だ。
小説家になるために、知識をたくわえるのだ……というのは、半分嘘。
社会が怖かった。
小説家になってないままだったら、自分は社会に出られない、と思い込んでた。
精神病は、小説家になれば治るんだ、と思って、薬物療法をしていた。
体重は、20kg上がっては、20kg下がる、みたいなことになってた。
このころには、もう統合失調症になってた。そんな人間が、大学院での修士課程の勉強についていけるはずがない。退学した。
しょうがなしに「小説家になって……」と答えた。あの時の学生課の人間の「ハハッ……」なせせら笑いを忘れることは出来ないが、今はしょうがないか、とも思える。
いろいろあって、働くことになった。食っていけない。でも、ほぼニートのような状態だ。
というかニートなのだろう。時間はあった。金はなかったが、時間はあった。
精神病院にも入った。
そして数年。
ちょっとよくなった。
長編を5作くらい、書けた。それくらいには、回復した。でも、投稿しても一時落ち。それ以上いったことはない。
小説は相変わらず読めない。
そればかりか、薬物療法の甲斐あって、どんどん思考力が落ちていってる。
比喩を思いつくスピードが遅い。文章を連綿と書けない。何より、深く思考し、キャラを作ったり、物語を作ることが出来ない。
最近になってようやく気がついた。
自分は「小説家になる!」の夢しかない、真性ワナビなのだと。夢に酔っていただけかと。
そもそも、おかしかったんだ。
なんで小説をこれほど読めないのかというのが。「人間の心理を描く文章」「情景を頭のなかで構築する文章」を読むとなると、やたらと疲れる。疲れまくる。
現実での人付き合いは、他人の顔色をみて、電気反射・脊髄反射で、どうにかしのぐような状態。
そして自分が書く小説は、不快な現実・人間からの逃避ということで、やたらと調和的な平和な、何も起こらないような世界の物語。
キャラに怖い、つらい思いをさせるのがイヤだ!!!!! 作者たる自分がいやだ!
というわけで、捨てた。小説家になる夢を。
これからどうしよう。
確かにどうしてれず風俗に行くことになったかの経緯は大事だと思うんだけど、
このタイトルから期待したのはそこでどういうことがあったか、その後どうだったかって部分であって、作者の生い立ちが一番知りたかったことじゃない
それなのにそこが一番長い
後はダラダラとした作者の自分語りという名のページ水増しって感じ
あと文字も多くてこれマンガじゃなくてエッセイで出せばよかったのにってレベル
もはやマンガじゃない
マンガみたいに絵はあるけど実質的にエッセイ読んでる感じで、絵はかわいいのにもったいなかった
メンヘラがどう苦しいのかの一端がわかったという意味でも面白くはあったけど、やっぱりそれもタイトル詐欺って部分に引きずられて、別のタイトルのエッセイマンガなら許容できたのに、とまず思ってしまって素直に楽しめなかった
ホッテントリで話題になってた部分だけ読んで興味持って買った人間は後悔する人も多そう
そんな本だった
今回はふんわりジャンプ
サイトのコンセプトの通り、感想を述べられる趣旨のモノではないので、気になったのだけ挙げてサラっと感想書く。恐らく、今後もふんわりジャンプを利用はするけれど感想は書かないと思う。ベクトルが違うのだから優劣を語るものではないのだけれども、現実の日常の中にある要素だけではエンターテイメントとしてはどうしても弱くなるなあ。
この人、私の知らない間に顔芸とかも挑戦するようになったんだな。
内容としては、良くも悪くも別段いうことないです。
というか個人的な事情なのだが、子育て系のエッセイ漫画はサムネイルだけで食傷気味なんだよ……。
まるで騒ぐのをやめたら受け手が読むのをやめると思っているんじゃないかってくらい、ネタの入れ具合が過剰だ。
4コマなんだから起承転結を意識したり、緩急をもう少しつけてくれたほうが、ネタの一つ一つも切れ味が増すだろうに勿体ない。
主役のネコサラリーマンが可愛くないビジュアルなのは、ネタのシュールさが増している感じがして、むしろよい(作者の画力的に、可愛いものが描けるかといえば微妙だとも思うが)。
ただ、当初の設定に依存しすぎたネタだから、少年ジャンプ+の「猫田びより」みたく横軸というかモブキャラでしっかり脇を固めないと、そう遠くないうちにネタ切れしそうな予感がする。
うむ、「日常」を謳歌している描写が丁寧で、登場人物の説明や人格も嫌味なく織り交ぜていて、読後感がよろしい。
というか数多ある日常系の漫画は、その実「日常感」を描くことがおざなりなものが多いので、こういう本来やるべきことをしっかり描いているのはすごく好印象。
アレなタイトルとビジュアルに反して、やってることが同サイトのおもち日和とカブってる気がする……。
メインキャラが全員目が隠れている造形は正解かもしれないな。
現実でもそうだけれども目で大分印象変わるから、あえて描かない事で他の部分で魅せようという選択肢としてアリだと思う。
まあ、話はもう毒にも薬にもならない感じで特にいうことはないけれども。
私もプー太郎経験あるけれども、このテの一番のポイントは「深刻さ」がないことなんだよね。
「働かない」ことでひもじい思いをするから働くのであって、「働かない」ということそのものに是非はないから。
漫画とかでよくあるニートの描写は、鬱屈とした部分だけ抽出して、それをデフォルメしすぎ。
そういう目線で見たとき、ニートをここまで緩く、危機感なく描いているというのは、むしろ現実的だとすら思う。
このまま出船番号ネタで引っ張るかと思いきや、最新話だと同級生の話とかも絡めてくるんだな。
誰しも色んなジャンルで経験ありそうだけれども、関心の度合いってものがあるから知識の押し売りはやめたほうがいい。
「へ~」くらいしか返しようがないし、かえってそのジャンルや語ってる人がヒかれる可能性がある。
話としては「あるある」なんだけれども、どうせ天丼ネタをやるならあともう1~2回くらいは繰り返して欲しかったかな。
最終的に主人公が当事者になってしまうというオチを持ってきたら、予定調和的ではあるけれども、話としては綺麗になる。
あと、アレだな、コミックウォーカーとかで読める「かふん昔ばなし」がネタ選びとか、それをどう面白く表現するかっていうことに気を使っているから、それとどうしても比較してしまう。
「小説家になろう」のジャンル再編の影響で、「ハイファンタジー/ローファンタジー」の定義について議論になっている。
http://syosetu.com/teaser/genre/
問題の原因は、「ハイファンタジー」の定義が、「異世界を舞台としたファンタジー」と「異世界の歴史や文化が作りこまれた重厚なファンタジー」とに分裂している点にある。特に、後者の定義を採用している人物が、Web小説やライトノベルのファンタジーを指して「あんなものはハイファンタジーではない」と発言し、周囲の反発を招くことが多い。以下、便宜的に前者を「舞台」派、後者を「重厚」派と呼ぶ。
まずは「小説家になろう」の定義を見てみよう。ジャンル改編に際しての説明の中で、「なろう」の運営は「ハイファンタジー」を以下のように定義している。
ローファンタジー
つまり「舞台」派である。異世界転移系の扱いについて当初は混乱があったが、「主な舞台」が異世界であれば、異世界転移系でもハイファンタジーに分類するのが、「なろう」基準では妥当だと思われる(実際に多くの作品がそう分類されている)。
次にWikipediaを参照しよう。
ハイ・ファンタジー (High Fantasy) は、ファンタジーのサブジャンルの1つ。「異世界ファンタジー」と呼ばれる事もある。
独自の世界観や歴史をもつ架空の世界(異世界)を主な舞台とし、現実世界(の直線的な歴史や風俗)とはかかわりが薄いのが特徴の物語で、ロー・ファンタジーと対比して使われる語句である。明確な定義ではないが、
ただし続けて、
として、「その世界に生きる者や世界の成り立ちそのものから作られている」「作品傾向としては重厚」「シリアスなトーンで進行する」「叙事詩(エピック)的である」「勢力の壮大な対抗をテーマとする」などの特徴が挙げられている。「重厚」派にも配慮した記述と言えよう。また、異世界転移系は基本的にはハイファンタジーに含めるが、ときに分類されないことがあるとも書かれている。
英語版のWikipediaも見てみよう。筆者に英語力は皆無なので誤訳もあろうかと思うがご容赦願いたい。
High fantasy is defined as fantasy set in an alternative, fictional ("secondary") world, rather than "the real", or "primary" world. The secondary world is usually internally consistent, but its rules differ from those of the primary world. By contrast, low fantasy is characterized by being set in the primary, or "real" world, or a rational and familiar fictional world, with the inclusion of magical elements.
ハイファンタジーは「現実世界」とは異なるもう一つの架空の世界を描いたファンタジーとして定義される。異世界の内側には一貫した法則性が存在するが、それは現実世界のものとは異なっている。対照的にローファンタジーは、現実か、もしくは現実に近い架空の世界の中に、魔法的な要素が内包されるという点で特徴づけられる。
ハイファンタジーにしばしば含まれる特徴的な要素として、「特別な才能を持った主人公」「ビルドゥングスロマン」「善と悪の対決」「エルフ・ドワーフ・ゴブリン・ドラゴンなどの種族」「魔法使い」「人工言語」などが挙げられている。
また、「異世界召喚もの」である『ナルニア国物語』は、こちらでもハイファンタジーに分類されている。
「重厚」派の一部には、「エルフやゴブリンが出てくるようなゲーム的なファンタジーは(始祖たる指輪物語を除いては)ハイファンタジーとは言えない」とか、「善なる英雄が悪を倒すというようなファンタジー(いわゆるヒロイックファンタジー)はハイファンタジーではない」とする者たちも存在するが、英語版Wikipediaの記述は彼らの主張とは異なるように思われる。
ローファンタジーの項目では、
The word "low" refers to the level of prominence of traditional fantasy elements within the work, and is not any sort of remark on the work's quality.
「ロー」という言葉は、作品内における昔ながらのファンタジー要素の度合いについて語っているもので、作品の品質についてのことではない。
などとわざわざ書かれていることにも触れておこう。
ちなみに英語版Wikipediaが「High Fantasy」の命名者として指定しているLloyd Alexanderのエッセイ『High Fantasy and Heroic Romance』(1971)はこちら。
In modern literature, one form that draws most directly from the fountainhead of mythology, and does it consciously and deliberately, is the heroic romance, which is a form of high fantasy.
現代文学において、神話という水源から最も直接的に流れを汲んだ一つの形態として、それは意識的かつ意図的なものだが、ハイファンタジーの一形態であるヒロイック・ロマンスがある。
微妙に訳しづらいのだが、要するに「神話を源流とするヒロイック・ロマンスはハイファンタジーの一形態である」としてしまってよいのか。
さらにヒロイック・ロマンスで高い評価を得ている作家として、『世界のかなたの森』のウィリアム・モリス、『ペガーナの神々』のロード・ダンセイニ、『ウロボロス』のエリック・エディスン、『マニュエル伝』のジェームス・ブランチ・キャベル、『ナルニア国物語』のC・S・ルイス、『永遠の王』のT・H・ホワイト、そして『指輪物語』のJ・R・R・トールキンらの名前が挙がっている。
ハイファンタジーの定義を具体的に説明している箇所は無く、あまり参考にならないような気がする。
実際に「ハイ=異世界」「ロー=現実世界」が明確に定義された最初期の例としては、R.H.BoyerとK.J.Zahorskiによって編纂された『Dark imaginings』(1978)の序文がある。
Dark imaginings: a collection of Gothic fantasy - Google ブックス
Dark Imaginings is also unique in bringing together two distinct types of fantasy under one cover: High Fantasy with its imaginary, secondary worlds and Low Fantasy with its realistic primary world.
想像上の異世界を扱ったハイファンタジーと、現実的なこの世界を扱ったローファンタジーという、二つの異なるファンタジーの類型を一冊にまとめている点もDark Imaginingsの特徴です。
これで少なくとも「舞台」派の用法が、ごく最近になって現れたものではないということが分かる。
もちろん、これをもって「重厚」派が完全に否定されるわけではない。
昔は「異世界を舞台にする」といえば「異世界の歴史や文化を作り込む」のがほとんど自明だったのだろうし、また現在ほどの多様なファンタジーの形式を想定していたとも思えない。
ただ、とにもかくにも現代においては「ハイ=異世界」「ロー=現実世界」という区分けのほうが、より明確で、より普及し、より平和であることは間違いない。
追記。
「ハイファンタジー」「異世界ファンタジー」を巡る問題についてはこちらも参照のこと。
『ロードス島戦記』は異世界ファンタジーではない……のかもしれない。 - 限界中年生存日記(仮)
追記2。
「舞台」派を採用するならば、多くの「なろう」系作品はハイファンタジーで問題ないと思われる。
多くの場合、ナルニアはハイファンタジーに分類されるのであるし、主人公の知識が現実に由来するものであっても、作品の舞台が異世界であることは紛れもない事実だからだ。
たとえば、ハイファンタジーの代表格たる『指輪物語』の世界は、現実の地球の古代の姿であることが明言されている。
『ハリー・ポッター』シリーズのホグワーツ魔法魔術学校は、まるで異世界のように描かれつつも、設定では「イギリスのどこかにある」とされる。
交際相手ができない理由って交友関係の貧しさという一点以外にほとんど有意な要素がないってどっかの論文で読んだ
交友関係が狭いか、ほぼ社会的に孤立している人はモテてないらしい。というか確率論かな
この「交友関係」には美容室とかキャバクラのような商売上のコミュニケーションも含まれているらしくて
より広くより多くのコミュニティに属すれば属するほど、交際相手ができやすい
無職が彼女作りにくいのは、経済力の問題より経済的な制約による交友関係の狭さが原因かもしれないってさ
(ヒモとかやれる男って金はないけどやたら行動範囲広そうだもんな)
あと、女性は交友関係の広い男性ほど魅力を感じやすいという話も読んだ記憶あるけど
満を持しての表題作
異星人とコミュニケーションするために言語学者の女性がいろんなアプローチを試みる中で、ところどころに女性の娘へ話しかけるような描写が入る
一見何の関係もないように見えるのに、最後の最後でその構成の意味がわかったとき、めっちゃ感動して鳥肌たった
SFとお話としてのオチがすごく綺麗につながってて、しかもそれが読みやすさにも寄与する構成になっているという、何重にも考え尽くされた構成
どーゆーことかっつーと、娘へ語りかける描写→言語解析アプローチフェーズ→の繰り返しなんだけど、言語解析のところはぶっちゃけ読んでて結構きついのよ
わからないわけじゃないけど(ここもテッド・チャンのすごいところ。自己満じゃなくて、読者にわかるレベルで丁寧に書いてくれる。この話にかぎらず)、
細かすぎて疲れるっつーか、ずっとこの調子で書かれるとちょっとうんざりするなあという感じ
それが娘への語りかけ(これも平易だけど細かいディテールに凝った、感情移入しやすい描写)がはさまることで、かなり緩和されてるのよ
そんでその構成も、ただの読みやすさのためだけじゃなくて、ちゃんと意味があるの
もうファーーーーーーーwwwwwwww
ッて感じとうっわまじかよ・・・って感じで思わず本を置いてしまった
SF作家じゃなくて言語学者が書いたのかとばかりに凝りに凝ったディテールの、異星人の言語解析描写は、ほんとやばい
全部やばい
いまんとこ面白さは、
かな
マジすげえ
もっと早く読んどくんだった
星を継ぐものとか夏への扉なんかより、こっちを先に読むべきんだった
近所付き合いが嫌いだ。田舎に帰るとよく言われるだれそれが結婚したとか、あそこの家の息子はロクデナシだとかどうでもいい。
他所の家の事情なんてどうでもいい。金にもならないのによくそんなどうでもいい話題考える暇があるなと思う。
そんな自分が見ている投稿サービスで「ストリエ」というのがある。
スマホを意識しての「縦読み」に特化したUIで一部の人が見ると爆笑するか胸が痛くなるかもしれない。自分は後者だ。
基本はユーザーの投稿だが、ライトノベルレーベルと提携して無料配信しているがやっぱり苦戦しているらしい。
最近は露骨に勧誘をしているようでアメブロやらライブドアやらtwitterやらなんでもかんでも引っ張っている。
その中に家族を題材にしたブロガー連中がいた。どうも大量に引きいれたらしくエッセイ特集と銘打ち取り上げまくっている。
最初に書いた通りでそういったものも嫌いだが大衆に受けているのだから何かしら面白いところがあるのだろうと思って挑戦してみた。
一人目
自閉症の子供を育てているらしい。そこそこ読めたが別にドラマチックな展開も無いので2つくらい読んで飽きた。
二人目
二世帯住宅で暮らしてる嫁のブログの再掲。やっぱり調べたら姑がボケたり死んだりしてた。
三人目
普通の子育て日記、子供が喋ったとかどうとかで記事書いてる。それだけ。
四人目
同上。年の差兄妹なのが特徴らしい。一三歳と五歳くらいでそこまで言うほどのものなのだろうか。
五人目
海外で嫁いでる女の記事。夫が金持ちらしくひけらかしてんのかと腹がたった。
適当に読んでいたが五人目で心が折れた。何が楽しいのかさっぱりわからなかった。
家族の出来事とか世界中に見世物にして何が楽しいんだ?ついでに障害持ちでもなんでもない家の様子とか見て楽しいか?
ビックダディもいないぞ?
オタク向けコンテンツで有名になった漫画家はじめクリエイターが、同じ名義で結婚、出産、育児エッセイ漫画を発表する光景をよく見るようになったように思う。それが自分にはしんどい。
例えば漫画家なら、育児などを機にストーリー漫画を休みがちになってしまうのは残念ながらに仕方がないと思う。
だが、そちらをほぼ休載状態のまま、どこかでみたような育児コンテンツを発表するようになった日にはただただ悔しい気持ちになった。
これは子供を持ったひと一般に言えることで、元々オタクだった友人らが子持ちとなり、SNSが子育て一色になってしまうのはよくあることだ。
(これについても複雑な気持ちはあるが、こちらに関しては自分の僻みが9割だと思うので割愛する)
勿論、作家は発表したいものをアウトプットし続けられるのがあるべき姿であると思う。
自分は、あなたの内面にあるあなただけの世界を見るのが楽しみだったのだ。
つい、寂しく思ってしまう。
自分は未婚のオタクであり、ただ単に他人の結婚に僻みや羨ましさを感じているだけなのかもしれない。
このような場合はそっと離れるのが一番いいのだとは思う。
好きなものを好きでいつづけるのは難しい。
もう10年以上、とある業界のコールセンターに勤務しております。
取扱商品の性質上、かかってくる電話には罵声・怒号が多いです。
ですので、自分で言うのも何ですが電話対応慣れ、謝罪慣れしているかと思いますので、トラックバックさせてください。
私がこの記事を読んで思ったのは、恐らく電話対応中に「焦り」が出ているのではないかと思いました。
まず、最初にこの方が覚悟すべきなのは「自分に言われているのではなく、会社に対して言われている」ということです。
それから本を読んで、ボキャブラリーを増やされてはいかがでしょうか?
読む本は小説でも何でも、興味が持てるものでいいですが、できれば漫画は避けたほうがよろしいかと思います。
漫画は口語での文章(セリフ)が多く、娯楽として楽しむのはいいのですが、仕事での勉強にならないものが多いように感じますので、文語で記載された小説やエッセイなどをオススメしております。
そうすれば「言葉遣いで注意されることが減る」かと想像されます。
そして次にこの方がやるべきことは『自社のシステム(できること・できないこと)を知り尽くす』ということです。
お客様の仰ることも正しいかもしれませんが、自社で出来ることにも限りがあります。
ですので自社のシステムを知り尽くすと、お客様が無理難題を提示してこられた際、「Aは出来ませんが、Bなら出来るのですが?」と代替案を提示することが出来るようになるかと思われます。
最後になりますが「少し喋る速度を落とす」ことも忘れないでください。
あまりにノンビリ喋ると相手をイライラさせてしまいますが、相手の喋るスピードに呑まれて自分まで早口で喋ると、問題発生の原因を探ったり、解決策を考える余裕がありません。
「はい、○○(←自社名)です」と答えるより、
「お電話ありがとうございます。○○(自社名)の△△(自分の苗字)でございます」と答えると、時間が稼げますよね?
もうすでに、この時点で「話を自分のペースに持ち込むキッカケ」が出来たのです。
それと同じく、「はい。そうですよね」「大変申し訳ないです」などと言いながら、相手の話を聞き、時間を稼ぐのです。
そうやって時間を稼ぎながら、相手の言うことと自社で出来ることをすり合わせ、折衷案(解決策)を考えるのです。
「心配させたくないからちゃんと仕事してるって周りには見せたい」のでしたら、コチラで愚痴るのもストレス発散になっていいですが、上記の1つでもいいので、挑戦してみることをオススメいたします。
それなりの文章力ではあるけれど、筆者のお笑い論を登場人物の口を借りて喋らせてるエッセイっぽさのほうが大きかった
作中に出てくる意味のない掛け合いもまったくおもしろくなかったし
火花っつータイトルにするぐらいだから、チャンピオンのバチバチみたいにいろんなお笑いメソッドを持った芸人たちが火花たててぶつかるくらいのアツい話かと思ったらむしろ真逆
作中では花火しか出てこなかったけど、火花は火花でも線香花火って感じ
自分のフィールドを出た次の作品が物語としてどれだけおもしろいかで、本当の意味で又吉直樹の才能は見えると思う
説教くさいというか、真面目くさいというか、ありがちな話をしてしまいがちというか。
学生のころ原田宗典のエッセイがバカバカしくて好きだったんだが、ある時期から妙に説教くさくなって離れてしまった。
水曜どうでしょうも好きだったんだが、藤村がここ数年妙に説教くさくなった気がして、作るものもある時から面白くなくなってきたように思いやはり見なくなった。
そうやって、あいつらオッサンになってつまらなくなったよななんて思っていた自分が、気づくと立派にオッサンになってた。
周りは俺の話を聞いてくれるが、例えばそれは年上の俺に気を遣っているんだとか、周りもオッサンになりお互い言いたいことを言い合ってるだけなんだなとふと思った。
元々面白くもなんともない俺が、さらに輪をかけてつまらなくなりただただ説教を垂れる人間になってくのかと思うと何とも悲しい気持ちになる。
多分もっと稼いでるような気がする。
この人の話を聞くと「もしかしたら金持ちの道が開けるんじゃ」と思えてしまう。
この人ほど「天才」を「天才」としてキャラクターに昇華してる人も居ないと思う。
この人は、片手間で書いた小説で15億稼いで、小説より庭園鉄道の製作に励んでいる。
(しかも工学博士を名乗るだけあって、本格的過ぎる。森博嗣 庭園 でググったら初めて見た人はビビるだろう)
それは研究者として10時間ほど研究していたから、本業が小説家じゃ無かったときだ。
しかしこの人のペースはとにかく早い。1時間に6000字を書く。20年で280冊以上出している。
どうやらそのペースで一週間あれば文庫1冊書けるらしい。怖い。
研究職を疎かにしていたようにも見えない。修士中に賞をとり、たくさん論文をかき、それでまた賞もとっている。
別にコネも無いはずなのに30歳で旧帝大助教授(名古屋大学。ノーベル賞だしたとこ)。
学者はお金を貰えないと思い込むが、一応名大准教授なのでそこそこ貰ってたはずだ。
コミケ主催をしてたという異色の経歴もある。意味が分からないよ。
すべてがFになるの原作の問が、名大入試に使われたとかなんとか。そりゃあ本も考えないとついていけない。
もう趣味で小説書いてるらしい……なのに2016年は5本。文庫化合わせると11冊…。
この人の凄いところは、新刊を買うと次に発売する予定タイトルが何作も書かれていることだ…。
そういえば森先生は天才なので、20年前に出した作品やエッセイで言われた架空の未来が、実現してたりする。
「無重力状態で紙飛行機の挙動」を予測し毛利衛が実験し的中とか、NASAの問題解いてるので、その辺書いてもちんぷんかんぷんなのだが、
増田だったり、Twitterだったりも約20年前の森博嗣の予言(予測)のうちだ。
怖い怖い。書かれたのインターネット元年くらいだよ。
だから今更すべてがFになるを映像化しても、逆に新鮮に思えたりするのだ。
http://www.lifehacker.jp/2016/02/160219speed_reading.html
森先生は「小説家という職業」という本で速読を否定していた。大体上記記事に書いてある理由と同じ理由で、だ。
ああ、もう怖い。
この人の予言でそろそろ来そうなのは、出版社が消えることかな。
森先生に「予言凄いですね」って言うと「何でもは知らないよ。知っていることだけ」って言いそうだよね。あれ羽川翼(物語シリーズ@西尾維新)の決め台詞だけど、もともと国枝桃子(S&Mシリーズ)の名言だからね……。
森先生に一つお願いしたいことがある。一回本気で書いてみてくれ。
本気出さないと勝負にならない、とかいう馬鹿なことは言わない。ただ天才の本気を見てみたいだけだ。
でも無理なんだろうな……。
これ以上お金がかかる趣味を見つけない限り、執筆に時間をかけることは無いと言っているし。
連日のように新しい英語学習アプリの話題がホッテントリ入りするけど、
そもそも語学教育の専門機関じゃない、有象無象のwebサービス屋さんが収益目当てに作るアプリを
なんでそんなに絶賛できるんだろうか。
これとか典型的な例だけど。↓
http://www.yamamototetsu.com/entry/eng-app
まあ、ゲームでもするつもりで何となく英語に親しめればいいかなー?という人でも、
いいかげんな監修によって変な英語を刷り込まれる可能性はある、と考えるべきだ。
(余談だが、しょっぱなから英文法を軽視するような学習方法はあまり効率的ではないと思う。
算数の問題なら、四則演算を知らずに感覚だけで2次方程式や関数を計算するのは時間の無駄だと
誰でもわかると思うのだが、なぜ語学に関しては文法学習が嫌われるのだろう?
中学高校で習った文法の基礎は、必ず最短距離での理解を可能にしてくれる。
身の回りを見ても、この中学高校英語を完全に忘れている人が多すぎる。)
ここから本題の、スマホそのものが英語学習最強ツールだという話。
個人的な体験談に過ぎないけど、手間やお金を掛けない勉強法ではある。
自分の場合、過去20年以上ずっと日常的に英語を使う環境にいてadvancedレベルの語学力だが、
それでも日々、使わないと記憶から消えていってしまう語彙力に悩まされていた。
英字新聞は読むのに時間がかかるし、字幕なしだと映画は辛いなあ、という感じだった。
それが、スマホを購入した4−5年前から劇的に向上した。はっきり自覚できる変化だ。
しかも所謂学習アプリとか、有料のサイトなどは一切使っていない。
ポイントは、「興味のある時事ニュース」を「海外の報道ソース」で、
通勤中でも昼休み中でも、スマホひとつでいつでも手軽にチェックできるようになったこと。
例えば5年ちょっと前、Wikileaksのアサンジが英国で裁判にかけられた時は
傍聴人のジャーナリストが法廷内からリアルタイム・ツイートすることが許可されるという
画期的なことが起きていたので、
海外ジャーナリストやニュースメディアを多くフォローしている自分のTwitterタイムラインには
英語のtsudaり(懐かしい表現)が怒涛のように流れてきた。面白かった。
「アラブの春」が始まる頃にはAljazeera Englishのライブストリーミング・アプリで
エジプトのモルグから反体制派の死体の山を中継したり、リビアで砲弾飛び交う中でのリポートがあったり
日本のメディアでは絶対流れない映像と音声のオンパレードだった。
昨年のパリ・テロ事件では、フランスのニュースの英語放送France 24をアプリ視聴していて
リアルタイムで酷い事件が進行しているのにキャスターたちが冷静で、日本での報道とはかなり違った。
他にBBCやCNN、活字系ニュースならThe Guardianなども頻繁に利用する。
ニュースのライブ・ストリーミングをスマホのイヤフォンで聴くというのは
ヒアリング能力アップに絶大な威力があるなあ...と実感した。
自宅で衛星放送のCNNをTV視聴するのよりよくて、ひとつひとつの言葉が脳に直接届く感じで、
慣れるとどんなに早口で喋られても聞き取れる。
それに各国の英語放送を聴くことで、様々な訛り(アクセント)も聞き分けられるようになる。
仮に知らない単語が出てきてもスペルが想像でき、すぐ意味を調べる習慣もつく。
テキスト系ニュースでは、知らない単語やフレーズを辞書で調べる手間がワンタップなので、
また、そもそも世間で話題の海外ニュースについて、現地ソースから深い理解が得られるというのは
自分の好奇心も満たすし、友人との会話のネタにもなるしでいいことずくめ。
そんなことをやっていたら自然とネイティブとの日常会話でも発話能力が上がり、
「言いたいことが表現できずにストレスが溜まる」ということが減ってきた。
自分は50代前半。中年過ぎても英語力のブラッシュアップは可能だと気づけて嬉しいのだ。
繰り返すけど、スマホを使うようになったここ4-5年で、
残る問題は「英語を書く」ことだが、こればっかりはネイティブに校正してもらうのが一番いい。
(Gingerという優秀な校正アプリがあるけれど、これは中級から上級者でないと
サジェストされた言い回しのどれが正解なのか判断できないのが問題。
実際、Gingerを褒めそやす英語初心者のブログ記事を見かけたことがあるが、
例に挙げられていた英文が滅茶苦茶で破綻しているのに本人が全然気づいていなかった)
「書く」ときには、どうしても自分が知っているフレーズの使い回しでなんとかしようとしがちだが、
同じことを繰り返すと間違ったままで向上しなくなる。
仕事もそうだし他のこともそうなんだけど、ひとつのことに集中できない。
Aのメールを書きながらBのメールも打ち込みつつAに添付するファイルを作成してしまう。
読書もそう。昨日は小説を途中まで読んで今日は新書を少し読んで明日はたぶんエッセイを読む。
いまもそう。これを書きながら今問題になってる○○の意味って説明してくれてるブログが2つ目にとまったからそれを交互に読んでる。
発達障害ではないけど脳の偏りは結構ありますねって前に検査したときに言われたんだけど、だからなのか?
前の会社でミスったときに当時の上司に二つも三つもメールしてるからだ!って言われてその会社にいる間は一つの案件に集中するようにしてたんだけど、作業効率が落ちたような、脳の回転が悪いような気がしてつらかった。
特に成年漫画とかいい作品(いろんな意味で楽しめる作品)多いと思うので、紹介します。
1.かげきしょうじょ 斉木久美子
歌劇団のトップっていう一番を目指すっていう、わかりやすいストーリーなのがまず良い!!
一生懸命だからぶつかり合えるし、一生懸命だから一緒になって喜べるし。
本当に面白いのに、いまいち知名度がなかったりするから、今一番、お勧めしたい漫画!!
とにかく、ただただ、たのしくてどんどん読んじゃう。
笑止っ!には笑った。素直でいいね。
「やっとこっち向いた。」っていうセリフにやられました。
4.Ascene 武富智
絵柄がお洒落。
ちなみにBsceneとCsceneもあります。
たぶんあんまりメジャーじゃないと思うのだけど、めっちゃ続巻(スピンオフとか)が出てるから、根強い人気があるんじゃないかと推測してる。
なんか心理戦とか繰り広げたりしてて、おもしろい。そして最後は王子が必ず勝利して、サッと店から出る様式美が好き。
6.ちおちゃんの通学路 川崎 直孝
単純に一般誌に連れてきただけでなく、誰が読んでも楽しめる作品にしたのは、メディファクは良い仕事したなぁーって思う。
(成年誌出身作家ってどうしても、ただのエロ成分を弱めた感じの作品になりがちだと思うのです。。。)
読んでて、大人の仲間入りできた感じがする様な、ちょっと背伸びした感じになれる。
8.うきわ 野村宗弘
不安な気持ちとか、なにかにつかまっていないとダメになりそうな気持ちとか、そんな気持ちを
言葉とかセリフとして表現するんでなく、うきわっていうメタファを使った表現にしたのが、すごく腑に落ちて、心が揺れ動かされた。
単純にうわきとうきわっていう駄洒落なんだけども。。。いや、シンプルだからこそスッと腑に落ちたのかも。
靴がその人の人生を変えるっていう、ちょっとファンタジーみたいな世界も、本当にそういう実話があったような気持ちになる。
ひとつひとつのエピソードが丁寧に描かれてて、ストーリーにちょっと無理あるだろー、とか思わせない。すごい。
いやぁ。なんていうか脚の描き方がすごい綺麗だなぁって思います。
そして、こういう作品にドキッてしまう感じが、私生活のこじらせっぷりを露呈した感じになる(笑)
名作!!
女のひとが読んでもおもしろいと思うのでは?と勝手に思ってる。
いや、さすがにそれはないか。。。
Hを楽しんでるのが、とにかく良い!!
絶倫っぷりと、謎の使命感に笑ったw
それにしても、出す作品、出す作品どれもおもしろいのが、凄い!
どの作品も楽しめる!!
「こんなのくらっちまったら、やられる」みたいな格闘漫画みたいなセリフが好き。
isbn:489465621
楽しそうでなにより!
8.NON VIRGIN 織田non
Xerosで巻頭カラーになってたの(slave-fantasy)を初めてみたとき本当に、感動した。
絵がめちゃくちゃカッコいい!!
すごい好みの作品。
めっちゃやってたのだけど、
10.びゅーびゅーびっち 五月 五日
https://www.toranoana.jp/mailorder/article/20/0011/15/05/200011150513.html
これは、ちょっと読む人を選ぶと思う。
僕は好きです。