はてなキーワード: 罵声とは
「おい、うるさいぞ! 黙らせろ!」
どうやらミミセンよりも先に耐えられなくなった人間が出てきたようだ。
「はあ、やれやれ」
俺はため息を吐くと、そう言った。
確かに赤ん坊の泣き声は耳障りだが、怒ったところで泣き止むものでもないだろうに。
かといって、あんな大人に説教しても意味がないことも俺は知っている。
事態が余計に煩くなるだけだ。
俺が気になったのは、どちらかというとミミセンだ。
耳当てを押さえつけて、更に何かぶつぶつと呟いている。
「お、おい、大丈夫か」
極端すぎる行動に、俺も心配になる。
だが、そんな俺の声すら今のミミセンには届かない。
そして、とうとう耐え切れず他の車両に小走りで逃げてしまった。
赤ん坊の泣き声もそうだが、それに怒り狂う人の罵声、これもミミセンにとって聞くに堪えない雑音であったようだ。
それが同時に襲い掛かったことでミミセンのキャパシティがオーバーしてしまったのだろう。
俺は心配になって後を追うことにした。
「別に保護者ってわけでもないし、そんなことを俺に言う義理はないさ」
俺が追いついた時には、ミミセンも幾分か落ち着きを取り戻していた。
耳当ても外しており、俺の声を聞く程度の余裕はありそうだ。
「周りの音を気にしないよう、自分の声に意識を集中させていたんだ。最終手段だね」
俺は話を聞いてやることにした。
「僕、嫌なんだよ。赤ん坊の泣き声が。でも同じくらい、それで怒り狂う人間の声も嫌なんだ」
「まあ、それは何となく分かる」
「それでも何とか対処してきたのに……こんなにキツい状態になったのは久しぶりだよ」
「長く生きていけば、似たような状況には何度か遭遇するぞ。バスとかで移動すれば?」
「バスで遭遇する可能性だってある。それにバスはそれ以外の雑音が酷いし、他の車両に逃げることすらできない」
「自転車とかで移動するか?」
「耳栓をつけながらは危ないよ。僕の家から図書館までは距離が遠すぎるし」
俺の言っている程度のことは、耳にタコができるまでもなくやっているだろうからだ。
「音もそうだけどさ、それをツラいと思ってしまう自分の心が何より嫌なんだ。いつか自分も赤ん坊の声に怒り狂って、あんな風に忌み嫌う雑音の一員になってしまうんじゃないかと思うと、怖くて仕方がないんだ。でも、どうすればいいか分からないんだよ」
ミミセンはかなり参っているようだった。
それらに自分の体が帳尻を合わせられず、ギャップに苦しんでいる。
成熟していく過程で折り合いはつけられるものだが、ミミセンは早熟すぎて身体と精神のバランス感覚が狂ってしまった。
このままではミミセンは青い果実のまま腐り落ちるかもしれない。
荒療治が必要だ。
というか正直、こんなところでミミセンにまで泣かれたら俺が困る。
1997年に結成した彼らは、00年代V系シーンにおいて、その重厚なサウンドと自他への憎悪や怨念、そして寂寞の篭ったような世界観という強烈な個性から、多くのファンを獲得し邁進してきた。
そしてその世界観を自ら打破し、ロックやテクノ、メタル等の様々な音楽要素を取り込むなど、新たな個性として「多様性」を得た結果、今やファンも老若男女様々な層が増え、20周年の今年は日本武道館2days公演を納めただけでなく、更に年末にもう一度玉ねぎの下で大規模な主催イベントを控え、その日に向けて日夜怒涛のツアーやイベントに勤しんでいる。
私は、ファン歴で言えば中堅どころにあたると自負している。
もう十余年もムックの音楽に浸り、彼らのライブサウンドに酔い、最早生き甲斐やライフサイクルの一環として「次のライブに行くために、また彼らの音楽を生で楽しむために」と社畜生活に従事する日々。
長らく夢烏(=ムックのファンの呼称。ムッカーと読む)を続けてきて、もちろん不満に思う事や上がろう(=ファンを卒業しよう、追っかけをやめよう)と思った事も多々あった。
しかし彼らの最大の魅力は良くも悪くも「変化し続ける事」と「ファンを裏切る事」である。
何だかんだと文句を垂れ、貶しては「やっぱりムックは最高だ」と舌を巻く羽目になるからこそ、次の良い裏切りを期待して離れられずに、盲目的に好きであり続けている。
そして自身の周りの夢烏仲間も「だせぇwww」「無いわwww」「新アー写ぶっさwww」等と貶しては、生のパフォーマンスを拝んだり、新しい歌詞を読んで「やっぱムックいいわ…好き…かっこよすぎ…」と滂沱と溢れる涙を拭い、感涙に咽びながら新しい告知に躊躇無くクレジットカードを切っていた。
2008年夏にリリースされた19枚目のシングル、「アゲハ」。
このリリースをきっかけに、あるバンドのファンが怒涛のようにムックに流れ込んできた。
ムックと同じ事務所に所属する大御所バンド、L'Arc〜en〜Cielのファンである。
このシングルにはラルクのギタリスト、Kenが楽曲のプロデューサーとして参加している。
日頃ラルクの活動の無さに飢えているファンが、ラルクの片鱗を求めてムックの音楽に興味を持ったのだ。
ムックは元々、リーダーであるギタリスト、ミヤのワンマンバンドである。
幼い頃より音楽を嗜み、プロデュース、作曲、編曲等々多方面のマネジメントを行うミヤに対し、音楽のド素人から始まった他メンバー。技術的な部分から何から、3人はミヤに首を垂れ従い続けるのが常であった。
「メンバーもファンもひたすらミヤのご機嫌取りに徹するバンド」等とも称される事もあったし、夢烏を自認する私も事実そういうバンドだと自覚する。
なお余談だが、興味のある方は是非今年リリースされた「M」というインタビュー本をご一読頂けるといいだろう。
リーダーから何故出来ない、お前に期待しているのに、というスパルタ虐待親よろしく高いスキルを要求され、心身に支障を来たす者もいれば、トラブルを起こす者もいた、解散しなかったのが不思議でならないかつての殺伐としたムックが。
そして20年という歳月を経て、ようやく分かり合おうとし、ほんの少し分かり合えるようになってきた彼らの、ありのままの成長の軌跡が綴られている。
さて、そんなムックが、よそのアーティストにプロデュースを頼むだなんて。
当初は「は?ムックのサウンドが好きなのによそにプロデュースされるとか無いわ」という気持ちと「あのとんでもワンマンバンドがよそに力を借りるなんて、少しは丸くなったんだなぁ」という気持ちを抱いていた。
実際楽曲そのものは、これまでのムックには無かった新しいテイストが組み込まれ、彼らの「多様性」に新たな1ページが加わったなぁと感慨深かった。満足であった。
しかしそのシングル曲が含まれるアルバムツアーから、ライブ公演に違和感を覚えるようになった。
「アゲハ」と、同アルバム収録のもう1曲のKenプロデュース曲「空と糸」のイントロで、何故か、黄色い悲鳴が上がる。
V系というジャンル柄、ファンは盲目的に思い入れを持つ曲が各々あったりする。また歴史を重ねるごとに、昔の音源はだんだん演奏頻度が下がる。
そうした中で、たまにいわゆるレア曲を演奏したりすると、イントロの時点で泣き出したり、歓喜の絶叫を上げるファンは沢山居た。
何ならこのツアー中は100%演奏するし、シングル曲故に今後もセットリストに組み込まれる可能性は非常に高い。
私はただたた首を傾げる事しか出来なかったし、周りの夢烏友達もそうであった。
その正体に気付いた時には、奴らはすっかりムックに居座っていた。
あれは忘れもしない、某年の恵比寿リキッドルームでのライブ。
早めに着いた私は、グッズ販売の待機列で友人を待っていると、数人程前にやたら声の大きい2人組が和気藹々と歓談していた。
V系のファン=バンギャもある種のキモオタなので、声が大きいのもよくある事だと、会話をBGMにTwitterを眺める私の耳に、信じがたい台詞が飛び込んできた。
「ムックはチケ代が安いから、ラルク待ってる間の暇潰しにはコスパがいいよね」
「Kenちゃん、ゲストで来てくれないかな。Kenちゃん見たい」
先の台詞は百歩譲って許そう。
いくら盲目に、宗教的にバンドを愛するバンギャと言えども、複数のバンドのファンを掛け持ちする事はザラだ。
特に本命バンドの活動が乏しい場合、あの爆音の非日常空間が恋しいあまり、他のバンドに手を出す事はしばしばある。
そして本命バンドと比較して、やっぱり本命バンドが一番好きだという実感を改める事は私も多々ある。
ムックが一番好きな人達ばかりのアウェイ環境で、よくもまあ大声でそんな事がしゃあしゃあと抜かせるものだと少しイラつきはしたものの、気持ちは分からなくもない。
しかし猫も杓子も二言目だ。
そう言うのならばKenソロのライブに行けと。公演が無いならばDVDでも観ていろと。チケットに書かれた出演者をよく観ろと。貴様の目は節穴かと。ムックにラルクの片鱗のみを求めているのかと。
音楽シーンにおいて特に興衰の激しいヴィジュアル系というジャンルでは、新たなリスナーの獲得が今後の生死を左右する。だから、新しいファンが、殊に音源やグッズを購入し、ライブにまで足を運んでくれる存在が増えるのは大歓迎だ。
それでもムックの純粋なファンではなく、ムックを通して結局ラルクしか観ていない。カードだけ剥ぎ取られて、開封もせずに捨てられるプロ野球チップスのようだと感じられる、ムックが本命バンドの自分からすれば侮辱としか思えない発言だった。
気持ちは分からんでもない。ただせめてこの場においては、まっすぐにムックを観てくれないものか。とにかく不愉快で悲しくて仕方が無かった。
しかしムックは、みるみるそれらのファンを増やし、固定させていった。
その後もKenのプロデュースの機会も増え、ラルクメンバー絡みのイベントに参加し、オールナイトイベントなんかにも出るようになり。いつかの2人組が望んだ通り、ワンマンライブにゲストで現れるようにもなり。
気付けば、スタンディングのライブで友達とはぐれた時、自分の周りにいる人間は知らない空気を纏っていた。
先述の通り、私はファンが増える事は喜ばしく、歓迎すべき事だと思っている。
以前はモッシュピットに棒立ちで、ぶつかられ露骨に嫌そうな顔をしながらも近くで見たいからと動かない、危なっかしい新規ファンも居たが、最近はムックのノリに慣れたのかそんな人間も見かけなくなった。
ムックそのものをちゃんと観に来ているファンが増えた実感もある。
しかし、あれからずっと変わらずKenプロデュース曲で上がる黄色い悲鳴。
チケットのファンクラブ先行受付がある度に、既存の夢烏同士の規模を圧倒的に上回る人脈での人海戦術で、人数の何倍も申し込んでは、ひたすら身内に、余れば興味の薄い人間にまで回されるチケット。
「ムックは昔から、皆仲が本当に良い」「ボーカルさん可愛い、女の子みたい」「リーダーさんが人を殴るなんてありえない」という、誤解を超えて定着してしまった新しい解釈。
そして何だかんだ言っても結局、Kenが関わる話題が上がっては「Kenちゃん来ないかな」。対盤で未発表枠が告知されては条件反射で聞こえる「絶対ラルクでしょ」。
何より許しがたい、「今のムックの動員や売り上げは、ラルクに支えられているようなものでしょ」という、あまりにも乱暴で横柄な認識。
そして自分達が総意であり真実であるかのように振る舞う。いつしか私も、仲の良かった旧来の友人達も、周りを念入りに警戒してから遠慮がちに感想をぼやくようになった。
もちろん、いいファンと悪いファンがいるのは重々承知しているし、それは旧来の夢烏にも言える事だ。
それでも、メンバー間のトラブルや修羅場があったからこそ生み出された過去の楽曲やパフォーマンス。そして背景としてそれらがあったからこそ、紆余曲折と凄まじい努力を経たからこその「今の彼ら」が在るのに、「今の彼ら」しか切り抜かれていないようで悲しく思えてならない。
V系における2ちゃんねるのような某掲示板で、貢ぎやセフレ要員として簡単に繋がりを持てると、繋がり入門麺とまで称されたメンバーに対して、手放しで可愛いだの聖母だの褒めちぎる。
バンドの運営をほぼ全て自分を中心に回し、ステージでミスしたメンバーや段取りの悪いスタッフを一切の遠慮なく睨み付け、手や足を出す事もザラだった、田舎のヤンキー気質の抜けないワンマンリーダーを、優しいだのと聖人君子のように捉える。
先述のメンバー程よろしくなかなか女関係が汚く、今やすっかりほうれい線の強い老け顔に対してただただ馬鹿のひとつ覚えのようにかっこいいを連呼する。気持ち悪さが売りであり、コールアンドレスポンスとして罵声が求められるパフォーマンスに対してきゃー可愛いなどと場違いな歓声を上げる。
元よりお馬鹿キャラではあったものの、立派な一人の成人男性としてオフショットでは煙草を吸ったり、平均的な態度振る舞いである事は容易に見て取れるのに、そうであると押し付けんばかりにひたすらバカわいいなどと称する。
昔の楽曲も好きだけれど、暗いから最近の曲の方が好きだなどと抜かす。
汚い部分もひっくるめてのムックは今時のファンの中では息絶え、やがてムックの中でも無かった事にされるのだろうかと、一抹の寂しさを抱いた。
ファンの在り方は様々だ。貶し愛と呼ばれる、極端なツンデレのような愛し方をする者もいる。ガチ恋と呼ばれる、本気で結婚したいと考え必死に札レターを贈る者もいる。アイドルのように無条件に可愛いかっこいいと愛でる者もいる。
ムックが本命バンドの人間もいれば、他のバンドが本命だという人間もいる。
必死な人もいれば、緩く追っている人もいる。
十人十色、千差万別。色んな愛し方があって当然だし、「多様性」を強みとするバンドならばファンも多様であっていいと思う。だからこそムックは、色んなものを身につけ、色んなものを培い、色んなものを味方につけて、色んな道を歩んできた。
とりあえず、これからもムックに金を落とし続けてくれればそれで結構なので、頼むからせめてダイブする時は柔らかい靴で・アクセサリー類は外す・髪は括る・ステージにもフロアにも余計なアピールをせずさっさと転がって降りるの4点くらいは徹底をお願いしたい。
それと人海戦術チケ確保も程々にして頂きたい。激戦チケットとの交換カード用に、自分にとっては余計なチケットを申し込んで転売するのもほんとに勘弁して下さい。
あーあ、やっぱりラルクソ居なくなって欲しいな。何だかんだ言ったけど、やっぱ存在が無条件にただただムカつくし気持ち悪いわ。
さん付けとかたつえちゃん呼びもきしょいし、下手くそな小学生の夏休みの工作以下のお手製土産(笑)を「声かけて下さい!」とか拡散してるのも本当にきしょい。
それもラルクソの文化?男性アイドル追っかけてる夢女子腐女子のオタ中学生みたいですね。
ガチ恋も増えた臭いけど、やってる事だけじゃなくて身なりもオタ中学生みたいな糞ダサデブスだし、見た目も繋がるためのお金も何の努力もしてないから本当に見苦しい。
せめてまず痩せろよ。1人で2人分くらいスペース取ってるデブ本当に殺意沸く。
何食ったらそんなデブになるの?何処かの相撲部屋に所属してるの?ちゃんこが美味しいのは仕方ないだろうけど、ここは土俵じゃないんですよ。
万が一にも動員落ちたら1人でチケ20枚くらいは買い支える気持ちでいるから、ここらで一発ムックには炎上してみて欲しい。
風船で抜くのは内心の問題で、誰にも害を及ぼさないから放置していて構わない。児ポは内心の問題だが、製造過程で児童に危害が加わるからその行為を取り除くべき、というのが児ポ規制の建前。
でも現実には児ポを製造している親は野放しで、それを解釈した方が問題とされていて、それは建前と違うよね? ダブスタだよね? 内心の自由という上位の原則に反するよね? ってこと。
実際にその写真で抜いている人間がいるかどうかは極論どうでもいい。お前もそうだけど結論を決めて響きの良い原則論をつぎはぎして適用するのはただの少数派弾圧で近代以降のやり方ではない。
近代国家の市民のつもりなら理屈くらいはちゃんと立てろ。「気持ちの悪いオタクを排除すべき」という主張がしたいなら構わないがはっきりと口に出してそう言え。エッシャーの絵みたいな罵声を振り回すな。
人間全てが人間らしく暮らせる、救われるべきであるという近代社会の前提がフィクションだからだ。
この前提は共産主義陣営と対峙した自由主義陣営が作り出した、苦肉の策でしかない。
そもそもが、現代日本の生活保護やワープアの生活が、中世の人間から見れば中流以上の生活だ。
衣食住が極端な例外を除き一応保証され、医療機関は誰でも受診出来る、テレビやネットなどの娯楽があり、外を歩いても殴られたり罵声を浴びせられる事はほぼ無い。
中世の最底辺は生存すら危うかった。現代でも中東やアフリカでその片鱗を見る事が出来る。
中世の最底辺を現代に連れてきて生活保護を与えれば、涙を流して喜ぶだろう。
少し前までは、日本の生活保護を受けるためにブローカーに金を払って手配してもらう貧困層が存在していた。(今も少し居る)
今はアジア各国が成長しているので、出稼ぎも生活保護目当ても随分減った。
日本の生活保護水準が極端に落ちた訳でも無いのに、各国が豊かになった事でそうなったのだ。
人の知恵と努力は確実に進歩してきた。昔は有った大規模な飢饉も現代ではほぼ駆逐された。
着るものや住む所も、戦争さえ無ければほぼ確保されるようになった。
しかし、最低ラインと平均が上昇しても格差が解消される事はない。
人には能力や出自や出身地に差が有る。その差を埋める事は現実的に不可能。
共産主義的に子供は国の子とやれば出来るかもしれないが、それでも能力の差は埋めがたい。
人間は社会的な生き物なので、他人との比較の中でしか生きられない。
メシが食えない人と食える人が居れば、食える側は優越感を持ち食えない側は劣等感を感じる。
衣食住が満ちても娯楽や持ち物一つで優劣を感じる。それが人間です。
どれだけ生活が改善されても、自分の社会的立場を気にする生き物、それが人間です。
ここで格差の根拠としてよく挙げられる相対的貧困率について見てみよう。
ある国や地域の大多数よりも貧しい相対的貧困者の全人口に占める比率。→絶対的貧困率 →貧困率
[補説]OECD(経済協力開発機構)では、等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯人数の平方根で割って算出)が全人口の中央値の半分未満の世帯員を相対的貧困者としている。相対的貧困率は、単純な購買力よりも国内の所得格差に注目する指標であるため、日本など比較的豊かな先進国でも高い割合が示される。平成24年(2012)の日本の貧困線は122万円、相対的貧困率は16.1パーセント(平成25年国民生活基礎調査より)。
一定以上(最低レベルと言っても良い)の知性が有ればわかるだろうが、この定義だと永遠に貧困は無くならない。
平均が上がれば中央値も上がる。中央値が上がれば貧困線も上がる。
どうやっても解決出来ないのだ。多少の緩和は出来るが、解消しようとすれば収入にキャップかけて超えた分は全部取り上げないと無理。
そして、貧困線122万円を12ヶ月で割ると10万少々だが、この収入を得て満足な人居ますか?
少なくとも現在の雇用状況だと、週5日働ける健常者なら簡単に稼ぎ出せる金額のはずです。(750円×8時間×22日で13.2万、チョイ残業で15万超え)
貧困線にかかるのは国民年金もらってる老人と、何らかの事情でフルタイム働けない人だけです。
そして制度上、貧困線にかかってる人は生活保護の受給資格があります。(門前払いや申請自体しない無知な人は居ますが)
政治に出来る事は限られている。
衣食住を保証した上で、有効求人倍率を1以上に保ち、意欲とある程度の能力が有る者に無償で教育するくらいしかない。
それでも浮き上がれない者は、残念ながら救いようが無いのだ。政治には全体を持ち上げる力は有っても、個人を持ち上げる力は無い。
そしてキモくて金の無いオバサン、オッサンにとってはとても残念なお知らせだが、日本では上記が達成されつつ有る。
貧困線に引っかかれば生活保護が貰える、職安では職業訓練のメニューが豊富に有り、無償で受けられる学問やカルチャースクールにも事欠かない。
キモオバ、キモオジの最後の砦である「社会が悪い、政治が悪い、世の中が悪い」は、実は的外れ。単純にあなたに能力が無く、現代社会であなたに価値が無いのだ。
冒頭で、人間全てが人間らしく暮らせる、救われるべきであるという近代社会の前提はフィクションと述べた。
しかし努力してきた先人により、そのフィクションが現実になりつつ有る。
するとまぁ、皆さんは様々な言い訳を考える訳です。努力できるのも才能とかね。
昔は賢くても家の事情で進学を諦めざるを得ない人が「かわいそうな人」だった。
今では努力出来ない人が「かわいそうな人」扱いですよ。要するに、努力出来るレベルの人は救い終わったのです。
キモくて金の無いオバサン、オジサンは、人類の進歩が生み出した徒花なのでしょうかね。
昔は道端で野垂れ死にしてた存在が、多少は注目されるようになったのですから。
恐らくキモくて金の無いオバサン、オジサンは、ご自身で問題を解決する能力は皆無でしょう。
今しばらく人類の進歩を待って、他人が解決してくれるのを待つくらいしか方法は無いと思います。
幸いな事に、日本人なら生存はほぼ保証されています。生き延びるだけなら余程の不運か寿命でもなければ大丈夫でしょう。
https://anond.hatelabo.jp/20170729142613
追記
キモくて金の無い人を象徴するブコメがついたのでご紹介したい。
この人は週に何度も透析を受ける患者と、キモくて金の無い人を同一視してるんだなと。
もう少し踏み込めば、キモくて金の無い自分を、透析を受けて命をつないでいる患者と同じくらい社会が面倒見ろと言ってるわけですよ。
キモくて金のない人を救うのは福祉の問題とおっしゃっていますが、本気でバカじゃないのかなと思います。
福祉というのは、親が居ない子供とか、育児と仕事を一人で両立しないと暮らせない母子or父子家庭や、様々な疾患や障害を持つ方々や働けない老人の命を繋ぐモノですよ。
同胞の命は出来るだけ守るというのは、近代以前から続いてきた人間の不文律です。それとキモい上に無能で社会の役に建てず金も持ってない人に対する施策を同一視するなんて、頭がイっちゃってるとしか思えません。
その考え方がキモいんですよね。生まれつきキモいのではなく、それなりに長い人生で培ってきた考え方がキモいのです。
まぁそれでも、賢くて優しい多数の人によって、職業訓練中の給付だの、無料の学ぶ場だのが着々と整備されてるわけですよ。
それらを活かす事もせず、自助努力するほどの頭も無い人をですね、一般人程度にまで引き上げるのは無理ですわ。
西成ドヤに住んでるオッサンオバサンをまっとうな社会人にするくらいの無理ゲーですわ。
他人が自分を助けて当然みたいな思考、一般人は3歳で卒業するんですよ。
中身3歳児のまま40になってしかもキモくて金が無くて役に立たない人を誰が助けようと思いますかね?
どうやったら自分が大切にされるべき存在だと思えるのか、頭の中を覗いてみたいです。
まぁそれでも世の中の賢くて優しい人は、君みたいなキモくて金の無い人も助けようと頑張ってるよ。
自分ではどうにか出来ないだろうから、他人がなんとかしてくれるまで生存する事に注力しとけ。
自尊心のみチョモランマのように高く、能力が一切追いついていないご様子が伺えて、持論を後押しして頂いている気持ちです。
キモいのは運動して引き締めれば女性でも5割以上、男性は9割以上解決します
ダイエットはアンダーカロリーを保って運動すれば誰でも痩せますので、能力や出自は一切関係ありません。やるかやらないかのみです。
でもキモくて金の無い人はやらんのですよ。キモくて金の無い自分に対する愛はチョモランマでも、目の前の簡単な砂山すら登ろうとはしない。
ブコメやトラバで暴れるヒマが有るなら、スクワット100回くらいしとけ。休みながらなら誰でも出来るだろ。でもキモくて金の無い人はやらんのだろうけどね。
生来、大声が苦手で、幼少のころ、親に「そんな勢いで言われても頭に入らない、もっと優しく言って」「文章に書いて伝えて」などとお願いし、理解されなかったエピソードに始まり、今でも怒鳴り声に直面すると、文字通り固まって黙り込むという、コミュニケーションにおける最悪手を取る結果になってしまう。
これは男性の罵声であっても、女性のキンキン声であっても全く同じ。それどころか、「あ?何言ってんの?」程度の凄んだ声でも必要以上に緊張する始末である。
なんというか、何か返さないといけないと思っても、そういう風に言われた直後からしばらくの間、考えがまとまらないのである。
日常会話では、某大御所お笑い芸人の定番芸よろしく「あんだって?」みたいな聞き取り事故が結構起きる。
というか、コミュニケーションは「相手ごとに個別最適化された、些細なことの積み重ね」なのは、読者諸兄もよくご存じだと思う。
どういうわけか相手の言動を観察できず、どうしても一方通行気味の会話となってしまう。
それでも友達らしい付き合いはどうにか可能だが、彼女を作るとか、仕事でステークホルダーと際どい内容を話せるレベルの関係を作ることは、非常に困難ないし不可能である。
実際、自分の恋愛経験はアラフォーの今でも毛が生えた程度だし、仕事でもコミュニケーション面は完全に落第点である。
歩くときも座っているときもついつい考え事をし、それで誰かとすれ違う時は「お互いが同じ方向に動く」コントみたいなことがたまに起きる。
これって騒音のせい?
雑音をシャットアウトする手段で、古くからある定番の一つは耳栓だ。
最近はこの耳栓も大変便利になり、ノイズキャンセリングで不要な音だけ排除し、必要な音はクリアーに聞こえるという「デジタル耳栓」なるものまである。
昔ながらの耳栓は個人的にあのフィット感が嫌いで、かなり若いときに数回試してやめてしまったが、このデジタル耳栓はイヤホンもどきだし、そんな気にならなさそう。
その結果は、自身のQOLに、想像以上の途轍もない効果をもたらすこととなった。
最初は電車で使い始めて「あれ、こんなもんか」という感想だった。まあ車内放送は聞こえるし、別にいいけど。
などと思っているうち、よりによっていつも降りる駅近くになって眠り込んでしまった。
それでも、いつもは不思議と車内放送を聞き逃さず、すかさず起きて降車できるのだが…今回はそうならなかった。
実に20年ぶりくらいに車内放送を聞き逃し、乗り越しをやらかした。
大慌てでいつもの駅に駆け戻り、デジタル耳栓を外す間ももどかしく改札をくぐった。
そこから速足気味で歩き始めて数秒後、いつものペデが、なんだか違うのである。
えらい静かなせいなのか、自発的に周りを注意しないと…という意識が自動的に働いてしまった感じだろうか、とにかく人の動きがよく目に飛び込んでくるのだ。
それも、周りを注意せず歩いている人なんて一瞬で分かってしまうレベルで識別できる。
これなら例のすれ違いコントなど起きようがない。
そうなる前に、なんとなく人の動きが読めるのだ。
上述のように周囲に注意しつつも、それでも考え事がやむことはなかったのに、独り言だけがパッタリやんでしまった。
独り言をしなくても、考えたことがスッと頭に入っていく感じだろうか。
数年来の友人と電車内で会話したとき、とにかく相手の話に苦も無く追従できたせいだろうか、彼が今まで話した中で、最も楽しそうに喋っていた…ような気がする。
こちらも、その話しっぷりから「コイツの飾らない人柄、すげーイイ奴だ!」などと妙に感動してしまったり。
これってもしかして「ちょっとしたこと」ができていたということだろうか。
だとすれば、確かにこの「ちょっとしたこと」は他人に教えられない。
自分もコミュニケーションが苦手なので教えてほしいクチだったが、これは文字通りフラットな経験から体得するしかないんだなーと痛感した。
数年前に話題になった、某引っ越し業者の幹部がユニオンのスタッフを怒鳴る動画、最近取りざたされた某女性議員の「このハゲー!!!」で始まる動画、この2つをデジタル耳栓をつけた状態で試聴してみた。
確かに「あーコイツやべえ、すっげーなオイ」とは思ったが、さほどビビらなかった。
これなら「あっすみません●●は××にしておきます、あの、ご指摘ありがとうございます」くらいのアクションを咄嗟に返す余裕はありそう。
少なくとも、怒鳴り声で感じる威圧感は最小限だった。
別に変なクスリをキメたつもりはないのに、デジタル耳栓をしている時間が、極上に安らかなひと時になっている。
とにかく不安感が全然ない。不安になる事を考えていても、である。
「満更でもないな」という気持ちが非常に支配的で、安心感が凄まじい。
ともかく、「人間の感情も思考も、全て感覚によって形作られる」ことを認めざるを得なかった。
そして、「この世界は俺にとってうるさ過ぎる」とも。
というわけで、なるべく早く、というか可能な限り最優先で、聴覚過敏の専門医を受診しようと思う。
確かにデジタル耳栓は快適なのだが、これを今後ずっと使い続けていいのか、そもそもの自分の感覚異常の正体は…など、色々気になる。
最初は無理矢理がいい。ローションもつけず濡れもしない状態で無理やりっこむ。
そして強引に動く。
女は俺に罵声を浴びせる。
無視して強引に動く。ちんこがすれて俺もいたいが女の苦痛はそれ以上だ。
まんこが切れて血が出る。
二回目はマンコがなおるまで暫く待つ。
今度は思いっきり殴ってやる。
謝るまで殴ってやる。
謝ったら取り合えず殴るのはやめる。
そして嘘をついたら殴るという。
いたいか?と尋ねると女は恐怖で痛くないと答える。ここでも殴ってやる。
嘘をつくのはよくない。
痛いと素直に答えるようになるまで殴る必要がある。
次の日はレイプ前に犯してくださいと言わせる。言うまで殴る。
そしてレイプ後に無理矢理言わさせられたのか尋ねる。
本当に犯して欲しくていったと答えたらひたすら殴る。無理矢理言わされた。と答えるまで殴る。
これを一週間続ける。
次の週には俺の事をどう思ってるか聞く、おべっかを使ったら殴るひたすら殴る。
とにかく嘘をついたら殴られるように調教していく。
この週はレイプされた恨みや恐怖を吐き出すまで殴り続ける。
暫く恨みを言わせたら黙らせる。黙らなかったら殴る。
女には命令に従わなければ殴ること。嘘をついても殴ることを認識させる必要がある。
ここまですんだら最終段階にはいるこれ以降は極力暴力は使わない。
ゆっくり、まんこを指でおかす、指は大抵は一本か多くても二本でいい最初のレイプとはちがい絶対に苦痛は与えないように気を付ける。濡れてくるまでゆっくりうごく。
濡れてきたら二種類の動きをする。ゆっくりな弱い動きと、少しだけ早くて強い動きだ。何回かこれを繰り返す。
その後にどちらがいいか女に聞く。女は好きな方を選ぶ。
最初は無理矢理がいい。ローションもつけず濡れもしない状態で無理やりっこむ。
そして強引に動く。
女は俺に罵声を浴びせる。
無視して強引に動く。ちんこがすれて俺もいたいが女の苦痛はそれ以上だ。
まんこが切れて血が出る。
二回目はマンコがなおるまで暫く待つ。
今度は思いっきり殴ってやる。
謝るまで殴ってやる。
謝ったら取り合えず殴るのはやめる。
そして嘘をついたら殴るという。
いたいか?と尋ねると女は恐怖で痛くないと答える。ここでも殴ってやる。
嘘をつくのはよくない。
痛いと素直に答えるようになるまで殴る必要がある。
次の日はレイプ前に犯してくださいと言わせる。言うまで殴る。
そしてレイプ後に無理矢理言わさせられたのか尋ねる。
本当に犯して欲しくていったと答えたらひたすら殴る。無理矢理言わされた。と答えるまで殴る。
これを一週間続ける。
次の週には俺の事をどう思ってるか聞く、おべっかを使ったら殴るひたすら殴る。
とにかく嘘をついたら殴られるように調教していく。
この日はレイプされた恨みや恐怖を吐き出すまで殴り続ける。
暫く恨みを言わせたら黙らせる。黙らなかったら殴る。
女には命令に従わなければ殴ること。嘘をついても殴ることを認識させる必要がある。
ここまですんだら最終段階にはいるこれ以降は極力暴力は使わない。
ゆっくり、まんこを指でおかす、指は大抵は一本か多くても二本でいい最初のレイプとはちがい絶対に苦痛は与えないように気を付ける。濡れてくるまでゆっくりうごく。
濡れてきたら二種類の動きをする。ゆっくりな弱い動きと、少しだけ早くて強い動きだ。何回かこれを繰り返す。
その後にどちらがいいか女に聞く。女は好きな方を選ぶ。
働くのが怖い。仕事をする自信がない。
面接で採用されても、「よろしくお願いします」って言えない。散々返事を待たせた挙句、期限ギリギリで「申し訳ございません」と内定を断ってしまう。
パワハラが横行する職場で、約2年間耐えてきた。耐えてしまった。その間、同僚は鬱病で入院に追い込まれたり、職場で涙を流しながら仕事をしてたりしていた。みんな良い齢した大人だった。
そうした光景がフラッシュバックするようになった。そのせいかどうか分からないが、パワハラ職場を退職した後は、採用されても半年持たずに辞めてしまうなど、短期離職が続いた。
どの仕事も行きづらく、年間で見れば欠勤も人よりは多かった。ただ、働くということに抵抗はなかった。未経験の仕事でも食らいついたし、仕事ぶりは真面目だと上司から評価もいただいた。パワハラ職場に勤めるまでは。
元々、心が弱いのかもしれない。相手からの感情を、強く受け止めやすいのかもしれない。在職中は気にならなかったが、退職後に心に強烈なダメージを負っていることに気が付いた。
20代ならこんな感情、跳ね除けることができたかもしれない。でも今は30代。弱り切った心に、パワハラ職場の怒号や罵声、ストレスが深い爪痕を残したまま、一向に回復しない。
採用をいただいた企業に、明日返事をしないといけない。無職の身である以上、働く必要がある。でも、怖い。20代の頃なら「やってみよう」と思える待遇。でも、やっぱり怖い。
自分は「叩かれた」「叩いた」っていう表現がよくわからない。そういう事したくなる気持ちが。(あ、ごめん気持ちはわかるけど、意思でやらないって感じね)
批判してもいいけど普通に言えばいいじゃん。大人の表現でさ。罵声を浴びせる必要は無いし、言わなくてもいい嫌味を言ったり、勝ち誇ったり相手をさげすんだりする必要はないけど。そういう事したいやつばっかり集まってきて、自分が気持ちよくなっている連中が多くてウンザリする。
言っている人にとっては刺身のつまというか、嫌いな仮想敵に対して自分がマウントしたり、遠慮なく罵倒したりするテーマが出来て今回の件も内心うれしいんだと思うよ。
借金玉さんって人が書いてたけど、途中は色々あったけど、抗議しました。お詫びして改善されましただから、お互いに内心色々あるだろうけど、そんなに悪い話じゃないんだけどね。上に書いたような連中にとっては、仮想敵をめちゃくちゃに罵倒出来れさえすればいいんだろうけど。
それはそういう規則だったから「助けもしない酷い対応!」って話に利用しただけで
障害者の人を差別せず扱うべく合理的配慮を求める法律があるので、事前申告があってもなくても搭乗拒否はできない。これはもう必須条件。
例えば米国でも「航空機における障がいに対する差別の禁止」という明確な規則があるが米国就航便がないバニラエアには適用されない。つってもほとんどの先進国共通のコンプライアンスである。
だからバニラエアも即対応しているし、これはこれで解決している話。
現在の奄美空港は車椅子の場合「事前の確認事項がございますので予約センターまでお問い合わせいただきますようお願い申し上げます」とあり、車椅子の場合連絡が必須ということになっている。
木島氏も「面倒」と言っているが、本来論としては空港のバリアフリー設備を利用するのに事前連絡が求められるべきではなく、いつでも使える状態(Available)でなければいけない。
階段横のスロープやビルの障害者用トイレや駅の車椅子用エレベーターを使用するのに事前申請が必要だったらそれはAvailableではない。
もちろん個別事情があるので100%すべてのバリアフリー設備が24時間365日使用可能でないといけないとか極論をぶつつもりはない。通常フローで申請が必要な状態はおかしいというだけだ。
各航空会社のサイトを見ると、どこも「特別な補助(介助・サポート)が必要な場合は事前に連絡を」と書いてある。
アレルギー持ちの人が特別食を頼むときと同じで、航空会社側に何か配慮を求める場合は連絡が必要ということだ。
バニラエアのサイト https://www.vanilla-air.com/jp/guide/special-assistance にも全体的に「お手伝いをご希望のお客様は」とある。つまりバニラエア側にお手伝いを求める場合の手続きということ。
航空会社側に補助をお願いしたい場合は事前に連絡。これは双方不合理は感じないと思う。
一方、同ページに「インシュリン・エピペン等の自己注射器を使用する場合」とあり、自分で注射をうつ場合は事前連絡は必要とされていない(針なので保安検査時に申告する必要は当然あるが)。
なので車椅子でも特に手伝いを求めていないならガイド的には事前連絡は不要であると読めるし、そうであるべきだろうという信念で木島氏は行動していると推察される。
言うまでもなく車椅子を使っている人にもいろいろな状況の人がいて、自力での移動がまったく不可能な人もいれば電動車椅子の人もいるし自らの腕で移動できる人もいる。
木島氏は自らの腕で移動できる人。 さらに同伴者もいる。それで何十か何百の国を行き来できていた。
木島氏はもともとバニラエアに特別な補助を求めていたわけではなく、一貫して「自分と同行者でなんとかできるから普通に乗せてくれ」という主張をしている。
もし木島氏が「事前連絡なしでも空港職員は私を手厚くサポートすべきだ」と主張していたら「そらおかしいやろ」と思ったろうが、特別扱いしないでくれと言っている。
例えば目が悪い人にも矯正器具で自力歩行可能な人もいれば付き添いが必要なレベルの人もいるが、仮に「視力が悪い人は全員事前連絡が必要」となったらおかしい。
サポートを求める人には適切にサポートする、自力で対応可能な人には自力でがんばってもらう、それが正しい受容のありかたかと思う。
前段の繰り返しになるが、木島氏は車椅子ではあるが総合的には動けるほうの人だ。
ラグビーをやっていたとかで腕っ節も強そうだし、どこの国にでも出かけていく度胸もあるし財力もある。
自分が理不尽と思ったことと戦う覚悟もあるし、自分の論を強く主張する知恵もある。
こういう人間は普通「弱者」とは呼ばれず「強者」の範疇に入れられると思う。
ノブレスオブリージュなどと言うつもりはないが、バリアフリー研究所所長という肩書きで講演等している人間が障害者全体の代表のような面をして矢面に立つわけだから言動には注意する必要がある。
人格者たれというよりもリスクコントロールの範疇だ。自分の希望する方向に世の中を動かしたいならツッコミどころを作ってはいけない。
あるいは何も見えていないのか。
そもそもアイドルにあまり興味のない自分からすると、アイドル、というかAKBグループの活動内容を客観的に見て一体全体どうして「信じて応援しよう!」という気持ちが起きるのかが謎で仕方ありません。
だって考えても見て欲しいんですけど、恋愛禁止なんですよね?だったら当然ファンとも恋愛禁止ですよね?でも一部のファンは恋愛感情を抱いていますよね?そしてアイドル側も明らかにそれを分かっていますよね?
ということは、確実に報われない、不毛な想いであると分かった上で、その好意を利用して不特定多数の異性にお金を貢がせているわけですよね。これって、世間一般では間違いなく不誠実と捉えられる行いだと思うんですが。
百歩譲って握手会への参加のみであれば、ファンとの交流を大切にしているだけだ、と言えなくはないですが、総選挙に出馬し、あまつさえ投票を呼びかけるようなメンバーに関してはもはや擁護不能でしょう。「頑張ります!」って、一体何を頑張るんですか?頑張るのはファンでしょう?「次は1位になります!」って、「ファンは今の○倍金出せよ」って意味でしょう?それとも、あと一年でファンが激増するような画期的なプランがあるんですか?ないんでしょう?あったらとっくにやってますよね?
今日、とあるエントリで見た「夢に向かって頑張るなら、恋愛してる暇はない」という意見。尤もらしいように聞こえますが、それらが絶対に両立できないようなものであるとも思えませんし、もっと言えば、その考えを持っていながら、なぜAKBのような低スキルアイドルを応援するんですか?全員とは言いませんが、歌は口パク、ダンスは素人レベル、活動内容は他人任せで他にないような独自の才能を持っているでもなく、恋愛する暇が無い程忙しいとはとても思えないんですが。確かに、広いアイドル界の中には何か一つを極めようと、あるいは他人にない個性を獲得しようと必死で頑張っている子もいるでしょう。そういった人は確かに恋愛する暇もないかもしれませんし、私自身もそういった人がもっと評価され多くのファンを得るべきだと思います。あなたが応援しているアイドルは、本当にそんな人ですか?
「女優になりたい」「歌手になりたい」立派な夢ですが、彼女達が今やっていることが、本当に夢への近道になっているかは正直疑問です。「歌手になりたい」と言いながら平然と口パクしてるようなメンバーも居ます。アイドルだって歌手の一種でしょう?今、貴重な実践の機会をみすみす無駄にし続けて、どうしてソロであればやれると思うのでしょう。
「夢に向かって、青春を投げ捨ててまで、一心不乱に頑張る」人は、当たり前ですがアイドルにもアイドル以外にも存在します。アイドルがそうでなければならない、とあなたが考えるのは勝手ですが、そのアイドルが本当にそうなのかどうかは、あなた自身が判断してください。思考停止しないでください。あなたの人を見る目の無さを棚に上げないでください。
ついでに言うと、年齢が若いほどアイドルとしては価値があるように見なされがちですが、一方で年齢が若いほど人として未熟である(=ルールを破る)可能性が高いことも頭の隅には置いておくべきです。
あとこの際だからもう一つ気になる点を。AKBグループの(主には握手券が付属するシングルCDに関して)楽曲製作に関わっているクリエイターの方々は、どんな気持ちで印税を受け取っているのか常々疑問です。もちろん、楽曲そのものへの評価と売り上げとがイコールでないことは分かっていますが、この場合の売り上げにはAKBメンバーの握手に対するものが多分に含まれていますよね。個人的な気持ちとしては幾分かはメンバーに還元してあげて欲しいなと思います。
とにかく、「神聖」とか「偶像」といったアイドルのイメージに関して、余りにもかけ離れた「不浄」なイメージがアイドル(特にAKBグループ)には多過ぎるように感じます。それでも応援する奇特なファンについては、まあ別に個人の自由ですから良いんですけど、せめて裏切られた時に醜い悲鳴や汚い罵声を上げないようにして欲しいです。だって、そういったアイドルの殆どは「私は無神経で不誠実な人間です」って日頃から自分で言ってるようなものであって、その通りになっただけなのですから。
(追記)
https://twitter.com/gofin20/status/876784223771701248
https://twitter.com/tigerhouse1978/status/876448624627941376
ちなみにこの子はAKBグループの中でもトップクラスにダンスが上手いそうです。
色々書きましたけど、AKBにも応援する価値のある人はいると思いますよ。本当に言いたかったのは、(推す相手を)間違えるなってことです。少なくとも、真っ当な努力もせず将来へのビジョンもなくファンの過剰消費のみに頼って芸能界でのし上がろうなんて人が、「夢を売る商売」だなんてちゃんちゃらおかしいってことです。
うちの母親のことだ。
マザコンの多いネット上でこういう風に母親の事を言うと騒ぐマザコンもいるかもしれないが、実際そうなんだ。
母親「どうしたらいいと思う?」
ぼく「こうしたらいいんじゃない?」
母親「やっぱこうするわ」
ぼく「じゃあ聞くな」
このやり取りはぼくが生まれてきてこの方ずっとだ。バービー人形に話しかけるくらいのテンションで話しかけてきてるんだろう。許せん。
これが一ヶ月に数日だったらまだいい。
それどころじゃないんだ。一日に数回はある。イライラは昇華して呆れに変わり、まともに返答をするのがアホらしくなった。
すると飛んでくる罵声。
「ちゃんと話聞いてるの?」
聞いて欲しければ俺の話もちゃんと聞け。そういった文句は紳士のぼくは使わない。
そう来たらこう返すんだ。
「んぁぁぁァ…」
これはまともな精神上ではないというアピール。あと一言付け足したら何をするかわかないぞ、という反撃の姿勢。
俺は立ち行くうざあいんだもん。
そして今日をやり過ごせば
「ねえねえどっちにしたらいいかな」
ファック
都市部だからか、いろいろな国籍のいろいろな人種が住んでいる。
現地の知り合いや、良識のある人は親切に接してくれるが、そうでない人も相当数いる。
郵便局や病院では順番を飛ばされたり、まともに対応してくれなかったりはしょっちゅう。買い物に行ったら、商品を手に取るだけで注意される。罵声を浴びせられたこともある。
日本で暮らしていると、この手の差別を経験しないので、外国に来てそういう扱いを受けると、かなりストレスだ。
アフリカンもこういうストレスはあるようだが、彼らはもうそういう扱いに慣れていて、ストレスコントロールができている。