はてなキーワード: 罵声とは
何処に落としたら良いのか分からなかったから、こんな所へ来てしまった。
実に、実に、最高に良いライブだったんだよ。これは本当に。
4年待ち続けた彼等が大歓声で迎えられた瞬間
思い出すだけで、今も胸が高鳴るよ。
でも同じ位、悔しいとか辛いとか腹立たしいとか、そんな気持ちでいっぱいだ。
スタッフも碌に居ないし誘導もしない、リストバンド交換所に何千人も満員電車みたいに押し込められた。
段々と開演時間が迫るのに、列にどう並んだらいいのかさえ、客はほとんど理解していなかった。
皆ピリピリしていたし、罵声も飛んだ。
私は直接見てないけど、体調を崩して倒れた人も居たと後で聞いたよ。
見かねた有志が人を整理しようと頑張っていたけど、私が見た限りではあまり上手くいってはいなかった。
「リストバンド配布の列が解消するまで開演しないとスタッフが言っていました」という誰かのTwitterで、私たちは開演が遅れる事を知ったんだよ。
その場に居るのにね。
もっと早く来ていれば間に合った。
間に合った人もたくさん居た。
皆が協力したらよかった。
そういう意見は最もだよ。
納得できないけど、理解はできる。
だけど、あの場所をギリギリまで何もしなかった事だけは許せないし、許したくない。
あの場所は本当に異常だった。
でも、だから、最後にキャストにあんな風に言わせてしまった事が、悲しくて仕方ない。
そう思う人にとっては、そうかもね。
でも、私はそう思えない。
今回以上の「何か」が起こった時が、作品の終わる時だよ。
何度でも言うけど、最高に楽しくて、今思い返しても夢みたいで、今まで大好きで良かったって思えるライブだったんだよ。
でもそれを思い返す度、悲しかったり腹立たしいって気持ちも湧いてくる。
どうしようね。
https://togetter.com/li/1114039
【炎上】盗作がバレた漫画家、パクリ元へ謝罪は一切してない事が判明→集英社から本を出す事になりました「は?」「ドン引き」
https://matome.naver.jp/odai/2147951559147632701
昨年トレパク等で炎上してた猫マンガ家のうだま氏。まとめもホットエントリー入りも果たしていた。
言動が結構痛く、早期にウォッチスレもたてられていたがじきにまとめられて私屋カヲル氏からの盗作騒ぎで火がついた様子。
それも、本人がパクリ等に関してかなり高圧的な態度をとっていた為で、さもありなんという具合。
カレンダー等のグッズ展開もしていた所なので寝かせていたのかもしれない。
炎上当初は別の仕事や旦那のFBなどから個人や家族、写り込んだ内装や間取りからマンションを特定されていたようだ。
http://wikiwiki.jp/udama-chan/
読むと確かに痛すぎるが、ネタの被り等、重箱の隅も多い。
ツイでは粘着垢がいくつか好意的なリプライをしてる垢に以下のリプライを万遍なく返している。
うだま氏は猫の投棄疑惑および
可愛ければ良いという考えに至る前に
人としてまずやるべき事 被害者に対して行うべき事を考えてください
投棄疑惑というのはうだま氏が飼っていた猫に似た個体が保護収用施設にいたというもの。
耳の形が違うので恐らく別猫である。
猫を里子に出した保護団体の東京キャットガーディアンにも粘着を始めていて、無視をしている同団体の(あまり評判が良くない)システムにも文句を言い始めている。
盗作元への謝罪がなされていないとの事だが、それは「自分の画像がトレースされていたが何の連絡もない」という2chあたりのレスらしく、信ぴょう性が低そうだ。
偽うだま @4ICl6kZYJHWo5Ky
らんどるふん @zQtpfwOrQ6nwgV8
まだう @Maaaa68go
j_j_k @_m_m_k_s
たかはし @tkhstaja
シーブルウ @seabluejp0
まとい @mamamamato0707
猫は金儲けの道具 @ccmelon1220
うだま氏のフォロワーが日に日に減っていく推移を日々記録している垢もある。
基本的にはうだま氏に好意的な垢に対してへのリプやリスト追加等のウォッチであるが、うだま氏以外にも炎上ネタにいっちょ噛みしている。
サンドバッグにしていい対象に罵声を浴びせるストレス解消垢なのだろう。
うだま氏以外には「キュン妻」がだいたい共通して叩く対象になっている。
これらに対し、うだま氏は沈黙から覚めた来月に、早くに亡くなった子猫の新書を来月に出版するという。
だが、出版社の速報ツイートでは、この本の発売情報が削除されたらしい。
この燃料でアンチは吹き上がる。
もちろんうだま氏は叩かれてもしょうがないとは思うが、その後に粘着しているような人間は開示請求と訴訟提起でもされて自分たちがしている事の精算をしてほしいものだ。
俺は下戸だ。遺伝的に、俺の子は運が良くても飲むと必ず赤くなる。
運が悪いと全く飲めない。
つまり、俺が子供を作ると、この国の上戸人口が相対的にほんの少し減ることになる。
だから、俺が結婚できずに子供を作れないことは、下戸にとって喜ぶべきことのはずなのだ。
これを読んでる人が酒を飲めるなら、あなたは遺伝的に私が子孫を残す確率を高める行為を嫌わなければならない。
それが自然の摂理だ。
だから、上戸の人は、下戸の私が結婚式を開いたら、下戸の私に罵声を浴びせて攻撃しなければならない。
日本人の6割は上戸だ。日本は民主主義の国だ。多数である事が正義なんだ。
俺が数年前計算したところによれば、数千年ほど、下戸が子孫を残せない状況が続けば、この国から下戸は消えて浄化される。
下戸遺伝子は一万年ぐらい前にモンゴルあたりで生まれた東アジア人に特有の遺伝子だ。つまり、俺は、右翼が嫌いな大陸の人間の血を受け継いでいることになる。
せっかく少子化なのだから、下戸が子孫を残せない社会にしよう。数千年政策を維持し続けられれば、日本から下戸は消えて、浄化された酒の国日本が出来上がる。
それはやっぱり支持者が悪いわけよ。
自民党議員だって民進党議員や民進党支持してるような人間の言うことなんかあんま真面目に聞きませんよ。
「チッ うるせーな、反省してまーす」だよ。
民進党議員や民進党支持者からの注文やツッコミなんか真面目に聞かないね。
だって彼等は建設性もなにもなくイチャモンつけてくるだけだから。
どうせなにしてても反対なんだし。
仮に彼等の話に真面目に対応してもそれで評価されたり友好結べるわけでもないし。
そんな連中はおちょくりながらシカトの一手が正しい。特に自分達が強い時は。
利害的にもそうだし人情的にも当たり前だよなあ。
もちろんこれは民進党にも言える。
まず民進党に注文つけなきゃいけないわけよ。
何をどう屁理屈こねたって民進党は自民党より圧倒的にダメなんだからさ。
ダメなとこをたくさん潰して民進党を立て直すのが最初の仕事でしょ。
それが出来たあとで始めて戦争としての自民党へのツッコミを始めるんだよ。
自分達がズルズルガバガバのまま自民攻撃しててもしょうがない。
物ごとの順序が違うんだよ。
そういう逃げができないのは民進党支持者からのダメ出しだけなんだよ。
そういうことを厳しく民進に言い続けるのが民進党支持者の義務なんだよ。
有権者の政治参加を「敵対政党に罵声を浴びせること」だと思ってる感じなんだよなあ。
違うだろ。逆だろ。気に入らない政党なんかどうでもいいんだよ。
与党支持者であれ野党支持者であれ支持してる政党にガンガン注文を付けて育てるんだよ。
それが民主主義だろ。
3月某日。
その人は朝から内定先の中小企業に呼ばれて日帰りの研修に行き、その日は帰って来なかった。
というのも、研修で出された課題を上手く出来ずに、居残り説教を何時間もされ、反省文を書かされ、また説教され~結局翌日の昼頃まで寝かせてもらえず説教され、帰れたのは夕方だった。
残念ながらその企業しか内定を持たなかったので、今は既卒として就活中だという。
聞いただけで胸くそ悪くなるよな。
寝かさないって拷問は人権侵害だし、就業前から拘束しすぎだし、「説教」はほぼ罵声だったってよ。クソが。
見方によっちゃあ、本格的に壊される前にわかって良かったのかもしれない。
けど、大事な新卒カードが無駄になりましたよ。その企業は責任あるだろうがよ。
ブラック企業は滅べばいい。
親戚の手前、はっきりと口に出せずにいるが、信者との接触のたびに腹わたが煮えくり返り、その日、一日中気分が悪い。
うちは祖母が熱心な信者で、他宗教には排他的、他者にも信教を強制しようとする、ネットで語られる新興宗教信者を体現したような存在だった。独善的で独裁的で他者に反論を許さない祖母が私は大嫌いだった。
娘の母は二世で、家庭環境から価値観としての信仰はあるものの、他者に布教はしない消極的な(熱烈信者からはよく思われないタイプの)信者だった。祖母とは真逆のやさしい人で、私は母が好きだった。
私自身は記憶もないうちに入信させられた三世で、新年に謎の会館で数珠で遊んでいたり、自宅で行われる謎のイベントに参加した記憶はあるものの、物心つくと次第にその慣習が疎ましくなっていた。
思春期を過ぎた頃には、内心では完全にアンチと化しており、会合の誘いはのらくらと断り続けたし、選挙活動もその場は適当に応じながら、絶対に票は投じなかった。
近所で信者に挨拶されるたびに苦笑いと胃のムカムカが止まらず、挙句の果ては、当てつけのようにこれまた新興宗教の某証人の話に耳を傾ける始末だった。
この憎しみにも近い激しい感情がどこから来ているのか、ずっとわからなかった。
母は数十年、うつ病に苦しんできた。
うつで寝込んでいる母を、祖母は信心が足りないとなじり、私に母のために信心するよう強制した。
祖母への反発が強かった私は、祖母の前では頷きながらも、絶対に祈らなかった。
私が祈らないから、母は治らないのかもしれない。
母のために祈れない私は冷たい人間なのかもしれない。
私が母を不幸にしているのかもしれない。
「母を不幸にしている」自分を憎む代わりに。
私は「宗教」というフィルターを通して、「自分」を憎んでいた。
宗教を憎めば憎むほど苦しくなるのは当たり前だった。
私が某宗教を嫌いながら、表面上それを表に出せなかったのは、私の行動の責任が母にまで及ぶことを恐れていたからだ。
私が脱会することで母が信者内で悪く言われるかと思うと絶対に脱会できなかった。
玄関先に挨拶に来た議員候補を追い返したかったができなかった。
宗教を捨てることは、母を捨てることだった。
幼い子供は親が怒っていたり悲しんでいたりすると、自分のせいだと思い込む性質がある。
両親が不機嫌だったり、落ち込んでいたりする家庭で育った子供の自己肯定感が低くなるのはそのせいらしい。
親を幸せにできなかった挫折感は、「自分は人を不幸にしている」という呪いになる。
殆どの人は、その呪いに気づけないまま、一生、謎の生きづらさを抱え込む。
私は母の幸福を諦めることにした。
結局、私は母を捨てたのかもしれない。
激務にパワハラ、モラハラ、寝る時間もほとんどなくてほぼドクターストップがかかった形で。
インフルエンザでもノロウイルスでも、無理して出社してこいと言っている会社の社員には、
ああ、体を壊したのねと理解してくれる人なんて誰もいなかった。
まあ、社長には嫌味を言われるだろうなと何となく覚悟はしていたがまあものの見事にぶち切れ
お前を雇うのにどれだけ金がかかったと思っているんだ、給料泥棒め、死ねと罵声のオンパレードで、最終的に処理してたらしい書類やら何やらが飛んできて慌てて逃げた。
50過ぎのおっさんが20代の女に物を投げてキレているのに、部屋にいた男の人は止めもしなかったし静かに何も言わずにこっちを見てた。
さすがに、社長から殴られそうな勢いだったんで、そのまま逃げて女子更衣室に身を潜めていた。
ちょうど、社長が休暇を取って4泊5日のバカンスに行く出発前に会社に顔を出していたタイミングだったのが救いだった。
やっぱり私も女なので、大の男の怒鳴り声は本当に怖くて、情けなくて泣いていたら女子更衣室に先輩が怒鳴りに来た。
「病気なんて嘘でしょう!あなたはただ辞めたいだけなのに病気という言い訳をしている」と怒鳴られ、本当に体調不良で!というと
じゃあ病名から症状まですべて言ってみろ!というので生理が止まった、血尿が出た、などなど訴えてみたが
「じゃあどうして血尿が出た時点で、事務の先輩に体調が悪いと相談しなかった?医者に行く前にまず、会社に相談するものでしょう!!」と言われて、もうそこですべてのやる気をなくした。
喋るのも面倒くさいし嗚咽が止まらなくてしゃべれないので、飽きたのかさっさと先輩は去っていったが。
前置きが長くなったけど、あの時の先輩に聞いてみたいなぁ。
「将来、あなたのお嬢さんが社会に出て体調を崩したとき同じこと言えるんですか?」と。
あなたは私の娘じゃないでしょう!とか、自分の娘には言わないわ!というのであれば、他人にももう少し優しい気持ちを持ってほしい。
言えるわ!!と胸を張って言うのであれば、自分の親からそんなこと言われたら多分一生立ち直れないので、言わないであげてください。
私はあなたの娘ではありませんが、あなたの言葉が今でもすごく深く突き刺さっていて、退職からもう半年ほどたつのに未だに夢に見るのです。
もう私の夢に出てこないでください。
もう半年にもなるのに、ふとした時に社長の暴言が未だにフラッシュバックして悲しい。
何故こうも皆(少なくとも口頭では)向上心高く、かつ攻撃的なのだろうか。
なぜ内から刺されなければならないのだろうか。そりゃ注意されるのはわかる。それ以上の人格否定、罵声が飛び交う楽しい職場がここにはある。
飲み会になれば今度は意識高いトークが飛び交う。「俺は〇〇さんのようなキャリアパスを歩みたい」「〇〇さんからご指導いただいたおかげで今がある」云々。もうげんなり。
ここまで書いて、多分に偏見を含んだ物言いをしてしまうと、まるで外食産業系のブラック企業みたいだなと思ったけれど、そんなことはない。一応東証一部上場だし、プレミアムフライデーの採用企業だ。おかげで今日は19時に帰れた。
なんだか悲しくてとりとめのない文章になってしまった。何が言いたいかというと、なんでそんなに怒ったり意識高い発言をしたりするほど、こんなしょうもない業務に情熱を持てるのか、ってことです。それだけです。
最近生徒同士でのいじめ以外に教師からのいじめも珍しくないケースになっている
こういったニュースを見ていると「あんなことがあったけど彼らのように自殺するまでの決断はしなくて正解だったのかもしれない」と感じてる
そう思っているのは自分もおそらく同じ当事者であったと考えていたからだ
当時12歳、前も後ろも分からない状態で当たり前のように小学校に行っていた生徒の一人だった
スポーツが特にできた訳ではなく、勉強は社会の歴史のような暗記分野であれば90点以上は取れる程度の子供でそれ以外は無知で忘れっぽい性格だ
だが、小学校6年生になった途端そんな日常の光景がいつのまにか真っ白に見えるようになった
担任になった教師は5年生の時に見て知った程度であったが、その人と会ってからクラス内の雰囲気も一変するようになった。
まだ始業式を行ってからの翌日の朝から担任から「○○は厳しいから怖いぞーっと言ったのは誰だ!」とこれが朝の日直の挨拶である
そこから何かあればこういった罵声に近い大声で生徒全員に言うことが当たり前であった
自分が実際にあったケースは、グループ分担での掃除をすることがあり、たまに担任に連絡する役割に回っていた
そこで報告すると昼休みに入って約10分程度なっただけでも「遅すぎる!何分掃除をやってるの!」とまるで自分が全ての責任を押し付けられたような感じだった
他にも授業で使う教材を探そうとしたところなかなか見つからない為、「少しだけ時間をあげるから探しなさい」と言われたが結局見つからなかった
その時に「大事な時間を使ってまでないなんて全員に謝りなさい!」と一人だけでクラス全員に謝罪することがあった
宿題を忘れた時も教育実習生と一緒に別室でやっていた時があったりした
そういったことが重なり、クラスメートとの小さないじめもあった
日に日に馬鹿にされることがあり、「何がそんなにおかしいんだ!」と廊下で叫んでしまったことがあった
標的になりやすい自分が悪いのも確かだが、そこから自分のメンタル面も崩壊していき、だんだん「死」というものを考えるようになった
提出する日記を前は何も考えずに書いていたが、その日のたびに指定された行になるまで書くということが課せられていた
それと面を向かっていくごとに日記に対して嫌いになった
習い事でやっていたスポーツも面白くなくなり、現実と向き合うことさえ嫌になっていた
その頃は毎日朝の登校時に吐いてしまったり、コンクリートの壁に向かって頭を打つようになっていた
「楽しいと思えた時間」から「死にたいと思うようになった時間」へと変わってしまった
そういった望んでいなかった日常が重なり、自分は人間不信へと心を閉ざしてしまった
中学へ進学してリセットできたかと思えば同性、異性問わず馬鹿にされただけで1年前のことを思い出してしまい、やはり抜け出せなかった
「できればこのまま時が過ぎてほしかった…」
そう思っていても自分を徹底的に落としていくことでしか価値が見出せなかった
それから約7年間は「青春」という様々ものが吸収できる大事な時期に棒を振ってしまった
やっと成人になってできることが以前よりも増えたが、もしもあの時何も考えず、当たり前のように学校へ行っていた少年だったら今より人生は明るかったのかもしれないと今だに思っている
いじめにあうというのは難しいことではなく、自分の考えに対して賛同してくれないから気に入らないという簡単な答えから始まることだ
彼らってのは
こういう話題を有名にした見えない人たち
こんな特徴や用例どう?って人は教えて。
世間の皆様の手のひら返し感は凄まじいものがありますが、少なくともネット民の正義は正論ではなく《皆が叩いているから叩く》なので、この辺りは御容赦ください。
その人の絶望の叫びに対して、それをたまたま見つけた、正しい人が、周りの、正しい人たちに拡散する。正しい人たちは、その人をよってたかって、ぼこぼこにして、正しさで押しつぶす。
こんなところかな?
もちろん、僕もその一人かもしれないけどね。
※いろんな意見があったので下記にまとめてみました。
うん、レッテル貼りたいの。
ネット上であまり良くない扇動をしている人にレッテルを貼りたい。
こういうのって効果ないの?
真剣に議論している人よりも、むしろ軽い気持ちで批判してる人の方に刺さるレッテルだと思うけど
僕の都合の良い解釈かな??
これは自分でもそう思う。
ただ正義感振りかざして無責任に建設的じゃない批判をする人って
暇なのかなぁ?と思ったのでこんな言葉を思いつきました。
うん、そうだと思う。
何か噛み合わない人がいるなぁと思ったら、ここが伝わってないんだね。
いや、別に決めるつもりはなくて
あなたが決めていいんだよ
「あーこれは荒らしたいだけの人だなぁ」とか
「マトモそうなこと言ってるけど、批判したいだけじゃない?」とか
あなたの基準で呼びたい人に「正義のヒマ人」って言ってあげたらいいと思うよ。
特徴とか、用法とか書いたけど、別にそれが正しいつもりは全くないし。
僕は僕の基準で
レッテルってさ
例えば軽い気持ちで煽ってる人に
「正義のヒマ人って言われたら嫌だな」
って思わせるブレーキみたいなものかける効果があるんだと思うんだよね。
不毛な罵り合いとか批判とかがちょっとは少なくなってくれたらいいなって話。
まぁ、軽い気持ちで議論したい人にもブレーキかけちゃうのは残念だけど
建設的な言い回しをちゃんと選んでるから標的にされにくいのでは?と思う。
少なくとも僕はあまりそういう人にレッテル貼って揶揄したりはしないかな
先も言ったけど、議論することは悪いことじゃないよ。
でも空気感に合わせて軽はずみに扇ったり、
いじめ〔いぢめ〕【苛め/虐め】
デジタル大辞泉による定義は上記にある通りです。手段はどうであれ、相手に肉体的苦痛や精神的苦痛を与えることは「いじめ」になります。
私の主張をする前にこれは明確にさせておきたかったので、トップに引用させていただきました。
http://anond.hatelabo.jp/20170127184144
さて、これから私の意見を述べたいのですが、元増田の主張にはっきりとしたテーマを見つけられないので、一部分だけについて述べたいと思います。
元増田によれば何の罪もなくいじめられている被害者はごく少数で、大半のいじめ被害者は何かしらの原因があっていじめられているそうです。
この元増田の主張が事実に即しているとしても、それによっていじめを「普通」や「当然」と認めることはできません。
ひどい思い込みがあるように感じられるので申し上げますが、問題を解決する手段は暴力以外に存在するのですよ?
あなたの腕は人を殴るためだけにあるのですか? あなたの口は罵声を浴びせるためだけにあるのですか?
それを考えないでただ暴力と嫌がらせに頼ることは、知性の敗北と言ってよいでしょう。
人間関係の問題を暴力によって解決しようとする行為、つまり「いじめ」は解決方法としては最悪の部類に入ります。
私たち大人は子どもたちに、いじめは道徳に反する行為であり、なおかつ頭の悪い解決方法であると教えなくてはいけません。
それなのに元増田は下記のように大人がいじめをすることを肯定してしまっています。これでは子どもに示しがつきません。
ネット炎上は対象がどういう人間であったとしても、中傷する行為は相手に苦痛を与えるのであり、認められるものではありません。ネット炎上も学内における人間関係も、然るべき解決方法があるのであり、解決する機関があるのです。
元増田やアンケートに回答した小中学生がいじめを普通の解決方法や問題処理の方法だと考えているのなら危険です。加えていじめをする権利のようなものがあると錯覚しているのならさらに危ないでしょう。
誰も人に暴力を振るったり、嫌がらせをする権利などないのです。そのような大義名分は存在しません。
これからも私たちは子どもたちに円滑な人間関係の築き方を教えていく必要があります。それは道徳的に正しく、平和的で、問題を根本から解決していく方法です。
元増田の追記を読みましたが、書かれているような本旨を本文から導くのは無理があると思います。私の主張は以上です。最後まで読んでくださりありがとうございました。
いやあその本当にその遺書に誰からどのような罵声を浴びせられたか書いてないことにはなあ
少なくとも俺の発言は自殺者には99%以上の確率で届いてないし
あ、おまえが自殺してもいいぞ
今すぐ死ねw
てことはブクマカが大勢で誰かを叩いてたとしても、(相手がネットのヘビーユーザーでないなら)届く可能性は低いから、いじめには当たらないわけだね
「ブクマカは遠くからいじめに荷担するゴミクズ」だと聞いてたんだけど、この定義を導入するならかなりの数のブクマカの名誉が回復されそうだな
また毎日罵倒されてた子供が自殺したとしても、遺書がなかったり「人生につかれました」としか書いてなかったりした場合、罵声を浴びせてた奴等のせいだとするには根拠が足りないので保留にしておいた方がいいってことだね
・雇用形態が3種類 フルタイム パート カジュアル(派遣も含まれる時給糞高い1.5~2倍以上)
・毎週ごとに数時間有給休暇がプラスされて貯まったら好きな時使える
・小休憩30分にもしっかり給料が出る
・とにかく細かい事にうるさくない、少しの遅刻や仕事のやり方に対して注文が少ない
・正社員 請負 契約 期間 パート 派遣等の経済カースト制度採用で消費低迷絶賛セルフ経済制裁中
・最低時給1000円への上昇にすら何十年もかけるようなショボい甲斐性無しの低賃金国
・労働者に素早く報酬をpayするのも待遇のうちという概念のない土人だから月払いデフォ
・高いハードルの有給休暇、クリアしても使わせないというアルティメットスキル使う知障国
・長時間労働まみれで、病気になったら「お前の管理が悪いお前のせい」(爆笑)で病欠自己責任
・拘束中でいろいろ規則も押し付けるくせに休憩は無給といういつもの糞日本丸出しの面倒見の悪さ
・とにかく細かい事どうでもいい事にグチグチうるさく罵声飛び交ってる職場が多い糞国
業界の程よく中心から距離のある関係者視点で、電子書籍を取り巻く日本の事情について書いてみます。
ここ数日話題になってる「全部電子書籍でだせっていってんだろ」「くそ業界滅びろよ」っていう読者の声と、それに対する業界のいいわけじみたコメントに対するメモですね。
スタンスとしては、業界側の視点ではあるんですが、業界を擁護するつもりはありません。すべての業界や消費物と同じように、必要とされなければ声を荒げなくても滅びると思っているので(そして出版業界が斜陽であるのはもう周知の事実ですので)、ことさら擁護の必要もなければ罵声を浴びせる必要もない、というのが個人的な気持ちです。
読者側にも業界側にも各論はそれぞれあるとおもうのですが、今回述べたいのは、総論として「日本の出版業界は、日本の書籍市場に過剰適応してしまった」という点です。
この場合「日本の書籍市場」っていうのは、取次ぎのシステムであるとか、再販規制であるとか、書籍の値段分布であるとか、日本人の読書傾向であるとか、まあ、そういうもろもろです。
さらに誤解を恐れずにいうのならば、「日本の書籍読者の皆さんと、日本の出版業界は、共依存の状況にあります」というのも加えたい視点です。
「日本の書籍読者の皆さん」というとなんだかすごい人数いるような感じがしますけれど、統計から見ても、「年間一冊以上、字ばかりの書籍を買う人」なんてものは、日本の人口の20%もいません。もっと頻繁に本を買う人、書籍を買うというのが日常行動になってる人の数の統計は見たことがありませんが、体感で言えばその20%の数分の1ではないでしょうか? 「書籍のヘビーな読者」というのは、もはや不特定多数ではなく、特定多数なのです。
そういう非常に熱心な読者の方の存在を前提に、どっぷり浸かって過剰適応したのが日本の出版業界です。
世界的に見て、日本の出版業界は、出版物の値段、出版物のバラエティ、出版物の点数、印刷のクオリティ、全国配送網、書籍へのアクセサビリティなどの点で、類を見ないほど高いレベルにあります。個人的には、変態的で気味が悪いほどレベルが高いと思っています。こういった点は、日本の読書文化とさきほどの「熱心な読者の皆さん」に支えられて、長年かけて進化してきた成果でしょう。
出版という視点から離れてただのビジネス的な話として判断してほしいのですが、つまりそれは高度成長期を何度も経験して人口も増えて、中間層が発達して、娯楽に可処分所得を投入可能になった国が、「親にしかられない文化の王様」として書籍を愛して、業界側もせっせと面白楽しい本を矢継ぎ早に出した結果です。そういう設備投資、そういう人材発掘、そういうスキーム作りをしたのです。再販規制も、広い意味で言えば「そういうスキーム」の一種でしかありません。
現在の出版不況は(個人的にはそんなに不況だと思っていないのですが)、このシステムそのものがが、時代の流れに置いてけぼりになってしまったというだけのことです。少子化であるとか住宅事情の変化であるとか、読書文化の変遷(ここに電子書籍は含まれます)についていけなくなっているのが、現在業界を取り巻く現状です。
では、そういう仕組みを変えればいいじゃないか! と皆さん思うでしょう。
もっともです。時代に合わない企業は淘汰されるのが自然の仕組みです。
しかしながら前述したとおり、出版業界は適応を超えて、過剰適応の段階にあります。出版業界が今の時代に合わせる難易度は非常に高いです(それはみなさんも、出版業界の動きからうすうす察していますよね?)。イノベーションを起こす人的な余裕も経済的な余裕もほぼありません。大手がのろのろ動いていますが、この速度は何も出し渋っているとか、一部の読者の皆さんが言っているような嫌がらせなどという陰謀論ではありません。過剰適応して余裕がないだけです。
個人的な見解でいえば、大手出版社が華麗にイノベーションを起こしてパラダイムシフトを達成するよりも、非出版業界の会社が新しいスキームで参入するとか(Amazonはこれにあたります)新規出版社になるというほうが、実現速度はずっと早いと思っています。
まあ、とにかくイノベーションですから、壊して作るしかないのです。が、過剰適応しているので壊しづらい。それだけです。
この辺の話は、ビジネス書を読めばいくらでも出てくると思いますが、今回指摘しておきたいのはその先の「過剰適応」と「共依存」についてです。
電子書籍への移行を求める読者の皆さんはおそらく書籍愛好家ですし、今まで出版業界を支えてくれた皆さんだと思います。
これを書くと炎上してしまう気もするのですが、出版物の値段、出版物のバラエティ、出版物の点数、印刷のクオリティ、全国配送網などの利益を得てきたのも、皆さんなのです。あえて言いますが、読書家の皆さんはそれを「既得権益」だと思ってはいませんか? 共依存と指摘したのはこの点で、読者の皆さんはそういう環境を当たり前だとは思っているように感じるのです。自分も日本人で子供のころから日本の豊かな出版文化に首までどっぷり浸かっていましたので、それが当たり前の光景だという感覚はよくわかります。が、世界のすべてがこのように豊かなわけではないということを、ビジネスを通して学びました。
こういう書き方をすると、「出版業界の脅迫」というコメントがつく気もするのですが、考えてもください。「脅迫だと感じる」ことこそ「あって当然の権利だと私は思っている」という告白なのです。
重ねて言いますが脅迫でもないし出版業界の擁護でもありません。不要と判断されれば業界が消えるだけだと思っています。
イノベーションを起こして業界を変革するというのはよいことで、最終的にはユーザーの利益になるような調整が行われるのが市場原理ですし、最終的にはそうなると思いますが、当然「破壊」するからには失われるものもあります。たとえば電子書籍なので物理書籍より安くなるのが当然だと皆さんは考えていると思いますが、それが未来にわたって保障されるとは限りません(そもそも安くならなければいけない理由もありません)。出版点数についても、このようなバラエティが保障されるとは限りません。
過剰適応というのは、安定した市場に向けてサービスをフォーカスしすぎて余裕がなくなった状態ともいえます。うつりゆく市場になったからには、投資においてリスクヘッジをしなければならなくなるでしょう。
読書人口というのは限られていると指摘したとおり、それはたとえて言えば、地方自治体のようなものです。電子書籍サービスをすぐしろ! いや無理だ! というのとは関係なく、斜陽の業界なのですから物理書籍も含めて、もはや「今までと同じようなサービスは望めなくなるのが当然」なのです。
もちろん、業界側(出版も印刷も書店も)利益を上げるためにやっているので、今までより低コストによいサービスを目指してやっています。スタッフを少なくしても同じ仕事ができるように効率かも進めます。しかし、それでも吸収できないときがくれば、当然ですけれど、価格への転嫁やライン(出版点数)の絞込み、地方配本の削除などが行われるでしょう。これは、どんな業種でも同じことであって、出版業界は聖域ではないのです。
一連の応酬を読むと、どうももやもやするのがこの部分で、新刊が出るのもそれが配本されるのも面白い本がでるのも、全部ただの商行為であって、信仰とか正義とか哲学とか、そういうのとは何の関係もありません。出版業界人は自分たちに文化人な変なプライド持ち過ぎだと思いますし、読者側は出版や自分の読書ライフを絶対視し過ぎではないでしょうか? ただひたすらに、その取引の瞬間、やり取りが成立しただけで、永遠も持続もその取引には含まれていません。「続刊を必ず購入してもらえる保障」も「続刊が出る保障」もその取引に含まれていないのです。
ビジネス的な観点で言うのならば、大規模な投資をしてイノベーションを起こすのであれば、「熱心ではあるけれど人口の少ない旧来の読者」などは相手にせずに、「今まであんまり書籍を買わなかったけれど、イノベーションによって買うようになった新しい読者」をターゲットにすべきでしょう。
「早いところ業界をぶっ壊せ、イノベーション起こせ!」というのは非常にわかるのですが、業界の歩みが遅いのは「熱心な読者」に執着しているからなのです(なにせ過去から現在に渡るメインのお客様ですからね)。これが、業界側から熱心な読者に対する「依存」です。
ぶっ壊せと叫んだ結果、「自分の好きな出版物や出版文化がなくなる」というのは、当然のリスクとして織り込むべきだと思います。