はてなキーワード: 罵声とは
マリオやゾンビがありきたりなのはわかるけど、イジり用が無いから止めろってのは流石に傲慢では?
勿論この番組自体素人イジりがメインだからってのもあるだろうが、それなら最初から嫌だ嫌だ言いながら毎年やるマツコの嫌いそうなハロウィンの特集なんて辞めて、
フェフ姐さん辺りに渋谷以外の地味なハロウィンフェス特集をやってもらった方が毒っ気は抜けるけど面白そう。
そして一番もやっとしたのは金正恩コスプレを褒めて、かつ同じような方向性を推奨してた所。
不謹慎だからというのも勿論あるけど、もっとヤバいのはコスプレした結果をマツコ達もツイッター実況者の多くもスルーしてた事じゃないかと思った。
本人曰くキャーキャー言われるかと思ったら罵声を吐かれるわケツ蹴られるわで散々だったらしいが、それでもテレビ受けがいいからやれとでも?
そもそも不謹慎ネタだって増えたら増えたで、結局マリオやゾンビ同様ありきたりなネタに成り下がるのでは…。
正直マツコにとってはアンチハロウィン勢の代表として支持されてる現状からして、ハロウィンが荒れれば荒れる程喜ばしいと思われる。
だからオンリーワンになれる可能性がある不謹慎コスプレを推奨する事で、来年以降のハロウィンがより荒れる事を期待してあんな事を言ったのでは?
たとえ来年のハロウィンで不謹慎コスプレが増えて問題になったとしても、マツコと不謹慎コスプレイヤーのどっちが叩かれるかといったら、多分後者だと思う。
いわゆるギークとかナードというか、昔のインターネット大好きな人間のものではなく一般社会の延長に成り下がった今のインターネットでは皆平然と顔出しをしている。
TwitterでもフェイスブックでもYoutubeでもインスタでも、媒体に差はあれ、インターネットで顔を晒すという行為が当たり前という人間は世代によってはもう多数派になってるかもしれない。
でも俺のような日陰者の懐古主義者のように、インターネットで顔を出すなんて行為がありえないと思う人間だって一定数いるだろう。
だって、そうだろ?
みんな怖くないの?
そりゃ顔を出すのが当たり前になれば自分だけってことはないし、今やYoutuberなんて当たり前にいるわけだから今更何言ってんだオッサンと言われりゃそれまでだけどさ、それでも毎月、いや毎週、毎日のように何処かの誰かが有名無名を問わず炎上して、どこの誰かもわからない正義の人たちに現実じゃとても言えないような罵声を浴びてるわけじゃないですか。
そりゃ、炎上する人間が一番悪いんだという理屈はあるかもしれないけど、ネットで炎上したらごめんなさいしても解決しないじゃん。
一度目をつけられたら過去の迂闊な言動とかを逐一掘り出されて、燃料の足しにされちゃうわけじゃないですか。
卒業文集だの写真だのが流出するなんてよくある話だし、自称知り合いがあることないこと語り出すまである。
ネガティブに考えればキリがないのはわかっているけど、それでも現実そういったことはもう珍しいことじゃなくなっている。
自分がそんなことになるはずないって、本当に言い切れる?
俺は無理だね。人間誰しも後ろめたいことや人に言えないものはあるし、これからないとも言えない。
ちょっとした間違いで、酒の勢いで、些細な気持ちで発信した何気ない情報が三日三晩燃え続けるかもしれない。だってさ、もう炎上自体が当たり前じゃん。ネットニュースとかみてるとこんなので炎上すんのかよみたいな案件あるでしょ。
なんだよそんなの運も絡むじゃねーか。炎上するやつは運が悪いってか。肝練りかよ。
話が長くなったけど、顔出しをやめろとか物申すとかそんな偉そうなこと言いたいわけじゃなくて、言ってしまえばみんなすごいというか、俺が時代についていけていんだなということが言いたいんです。
インターネットは変わって、自分は自分の頭のなかにある古き良きインターネットを引きずっている、それだけなんですよね。
もうインターネットはおもしろFlashで盛り上がるような奴らのものじゃなく、現実社会を精一杯生きるキラキラしたみんなのものになったんだよ。それを受け入れなければいけない。
それでも、今なおやっぱりインターネットのしっとりジメジメしたところにいる人間というのは一定数いるし、良くも悪くもインターネットを現実と切り離して振る舞う人間は存在するってこと、覚えててほしい。
そう、それはまさにここ、「はてな匿名ダイアリー」のように────
■豊田真由子の「このハゲー!」は最初強烈におぞましい印象を得た。
罵声を浴びせられている秘書を自分と重ね、笑いなど微塵も起きなかった。
それを笑いのネタにしている人がいると知って悪質極まりないと思ったし、ネタに出来る無邪気さがうらやましくすらあった。
しかし今は自分もそれに麻痺してしまい、徐々に笑いのネタとして受け入れてしまっている。
それが本当に恐ろしい。
■けんとという子供がいた。
本当に悲惨な事件だったし、それを笑いにするなんてクズそのものだろう。
しかしあの事件はその後、通称「地獄のジャングルジム」という名で笑いものにされている。
それが本当に恐ろしい。
■千の風になってという歌がある。
自分の母親はこの歌を死の直前によく聞いていたので、特に切なくなる。
しかしそれをおもしろおかしくした替え歌を聞いた時、笑ってしまった。
本当に恐ろしいことだ。
この増田は、立憲民主党に好意的で、強く支持している(17/10/17現在)人間によって書かれたものである。そのへんの是非はすっとばして本題に入るので、そのことを念頭に置いてください。
小林よしのりが立憲民主党の演説会に現れたということで、お前が言うなとかまずいままでにやったことについて反省しろとか、とても、もっともな罵声が投げつけられている。まったく同意である。
一方で、これを割と素直に受け入れてる立憲民主党支持者もいる。右へのウィングを広げて支持者を増やす良い機会じゃないかという反応もある。一理あるとはいえ、なんせ小林よしのりなのでそのため、そういう人に対する疑問の声も上がった。
いまの若い世代の自称リベラルが小林よしのりを赦すなら、俺はおまえらを許さん。奴は安上がりなレイシストのロジックを基礎から作った。覚えておけ。これがお前らが声援を送った男だ。
気持ちは、とてもよくわかる。
ただ、ちょっと待って欲しいと思うこともある。
俺の観測範囲の問題もあるんだろうけど、わりに無批判に小林よしのりを受け入れる立憲民主党支持者は、若い人が多い。アラサーを少し超えた程度の俺から見ても、若い。つまり20代だったり、もっと下も混じっているかもしれない。上の西田氏のツイートでの呼びかけも、若い人に対してである。問題はここにある。
小林よしのりは、はっきりいって過去の人である。いい年をした人にとっては、昔楽しませてもらったり黒歴史の源泉になったり、インフルエンサーとして、あるいはアジテーターとして思いが深いんだと思う。でも、いま2017年という時点では過去の人だ。
考えても見てほしい。東大一直線から35年、おぼっちゃまくんから25年、薬害エイズから20年。歴史修正主義運動の前面から消えてから(おそらくこのときが最後の「第一線」にいた時期)ですら、もう15年くらいたつ。その後も小さい話題は引き起こしてるとはいえ、すでに知ってた人にとっての話題くらいにしかなってなかったのではないか。「わしズム」で初めてはまった人とかいるのだろうか。
個人的な話をすれば、高校時代にゴー宣がクラスでちょっと流行ったことがあった。オタクっぽい、本好きの間だけだったけど。
気になって最新刊を立ち読みしたら、すでにつくる会がぐだぐだになってた時期だった。つくる会という運動はともかく、小林よしのりのマスへの影響力自体はもうほとんどなくなってたんじゃないか、当時。
まあ、それでも無印時代~新の初めのころまではおもしろかったのでよく読んだ。部落差別についての一連の話も、興味深く読んだ(同和教育のない地域だったので)。無印に登場する時事的な話題は、高校生にとっては、そこで扱われてる話題のほとんどは「小学校のころ見聞きした事件」だった。薬害エイズも、オウム真理教も、おぼっちゃまくんがPTAに白眼視されたのも、小学校のころニュース番組から流れてきた話題である。今くらいの年齢なら数年前もなんとなくつい最近と思えるけど、高校生にとっての小学校時代は「大昔」だ。田舎町の高校だったからなのかは知らないが、たまたまクラスで数年遅れで流行ったから、手に取ってそれなりに影響も受けたけど、そうじゃなければ小林よしのりなんて大して意識しないまま大人になった可能性が高い。
例外もあるだろうが、自分の体験を鑑みても、ゴー宣に「ピンと来れる」のは、ほぼほぼ俺くらいの世代が最後なんではないか。扱われてる人物の盛衰もあるし。小林よしのりにちゃんと接した世代というのは、俺かもう少し上の世代までじゃないだろうかと思うのだ。つまり、30代以上である。
だから、若い人は小林よしのりなんて知らないのだ。あるいは名前くらいは知ってて、「保守の大物文化人」くらいは認識してるかもしれない、でも近年のアイヌ否定のことだって知らないし、昔のことなんてもっと知らないだろう。認識の外のものはどうやったって外のものである。若い人のせいじゃない。吉本隆明なんて読んだことはなくても名前だけはわかる。そんな感じ。
さらにいうなら、おそらく小林よしのりが「やばい」というのも通じないのだ。小林よしのりに怒ってる人は、歴史修正主義運動をカジュアル化した極右、くらいに思ってると思う。
でも、そうじゃないのだ。多分、若い人には、歴史修正主義が極右のやらかすような、行き着きすぎたところにある行動だと思っていない。それは、保守を認ずる人なら、当たり前に身につけることだ、と思われてるんではないだろうか。
回り見回したらわかるではないか。ネットも出版業界も、そういうふうにできているのだ。これも、若い人のせいではない。
間接的な話をすれば、2001年につくる会教科書が検定を通っている。2002年からは、新しい指導要領の下での教育が始まり、つくる会の教科書はその指導要領の下で採用されている。いわゆる「ゆとり教育」である。2002年に中学に入学したのが89年度生まれ。それ以後は地域によっては小林よしのり的なものに教育現場が浸食されはじめた後の世代である。被害者なのである。
数年の差はあるけど、くっつけて言ってしまえば、ゆとり教育世代(以降)は、小林よしのりを知らない。小林よしのりのことをよく知らなければ、そして、歴史修正主義に学校から世間までが侵食されきった状態が普通の世界で人生を送ってきていれば、そりゃこんなに「普通の保守」までウイングが広がった、と喜ぶほうが普通決まってるではないか。普通の保守、そのものがそういうしろものまで後退しているのである。
いや、なんだかヘン、というのはわかるのだ。でも、それを安易に難ずることは、つまり「よくわからなくても批判せよ。俺たちが駄目だと言っている」と言う話なわけで、こんなのは典型的なパターナリズムである。リベラル思想をともにする人のやるべきことではない。こういうレトリックは、自称中立とか冷笑系といわれるような連中みたいで嫌なんだけど、もちろんあの手の連中みたいなことをいいたいわけではない。
かといってほっときゃいいとも思わないので、ちゃんと小林よしのりがどういう人かを(むやみに相手を傷つけないよう)継承するしかないだろうけど。引用した西田氏などは乱暴な口調ながら説明はしているだけ良いかもしれない。
もう一つ心配になることがある。上にも少し触れたけど、小林よしのりを知るか知らないかは、「ゆとり世代」前と後に、偶然ほぼ重なっている。ゆとり世代なるレッテルをふりかざして、インターネット内外でどういうバッシングや世代叩きが起きたか、ゆとり世代以前の人間なら知らないはずはないだろう。若者叩きというと新聞やTVや「リベラル文化人」の責任に押し付けておいて素知らぬ顔の人も多いかもしれないが、これはインターネットで2chやまとめサイトの利用者、テキストサイトや個人ニュースサイトなどの運営者に重なる集団が大手を振って謳歌していた「バッシング」である。ゆとり叩きをしていたネット民、について彼らが何かを総括したという話は寡聞にして聞かない。匿名がほとんどなのでそんなこと期待するだけ無駄であろうが。
話がそれたけれど、世代間バッシングの被害者世代がその上の世代をどう思っているかは、俺にもよくわからないところがある。ただ、目に見えないところに微妙な反感が潜んでいても、あまり非難はできない。
なので、たまたま分断ラインがほぼそれとかぶっていると思われるこの小林よしのりの評価をめぐる見解の相違は、乱暴に扱うととんでもないものに着火させるような気がする。
むやみに相手を傷つけないよう、などと注釈したのも、そういう理由であって。
若い人はともかく、小林よしのりそのものには擁護の余地はない、大いにバッシングすべきだ、という意見もあろう。すごくわかる。
ただなあ。
小林よしのりって、自分の見込みからズレるとすぐ相手を罵倒しはじめるじゃん。事例はそれこそ星の数ほど。
うかつに叩きまくると、蛇を出してきそうでめんどくさそうなのだ。一方、↓みたいな危惧もある。菅直人が手のひら返されたのなんてそれこそあっという間だったわけで(しかもゴー宣見る限りでは、主なきっかけは「対談を断ったから」)。
バッシングするなとはいわないが、いろいろと腫物扱いしておくべき人だな、という気はする。
今回の選挙は、多分、立憲民主党は議席を伸ばす。とはいえ、自民党も伸ばすのだろう。希望の党がポシャったので。安倍晋三の顔にタテ線を入れるという意味ではもう少し希望の党が持ちこたえて欲しかったが、それ以外の意味では希望の党がしぼんでくれて良かったわけで、まあしょうがない。
なので、これからが大事だろう。立憲民主党がいつまでも追い風なわけもない。これからさまざまな合流もあるだろうし、いろいろな批判も出てくるだろう。すでに公明党が目の上のタンコブを検出してロックオンしている。
立憲民主党Twitterはやけに上手い。きっとネットに造詣のある人がやってるんだろう。でもそういうさばけた感じでうまくやる人と、やらかす人が紙一重なのはネットウオッチャーには常識である。何とか炎上させるための火花がほしくて仕方ない人はきっと与党支持者を中心にいっぱいいるわけで、上げ潮だからこそ心配、な案件かもしれない。
というわけで、あんまり立憲民主支持者がのんびり自分たちの陣営が予想以上に多いことを喜んでる場合ではあんまりない(連日TLで見かける立会演説の写真は、うぉーっとは思うけどそういう意味でつい一歩引いて見ている自分がいる)。そこに安易な世代間バッシングの火種を投入するのは、いま立憲民主党に期待している人にとって、まったくいいことがないと思うのだ。もうちょこちょこと局所的なディスカッションが発生しているのは自分の観測範囲でも見かけるし、わかるんだけど、これが躓きの石になったら、さすがに残念すぎるだろう。
今回の東名高速の事件しかり、車を運転しているという事を忘れている人が多すぎませんか??
凶器を持って街中をうろついている様な事を、免許証を持ってルールを守っているから許されているだけ。
それでも、ああいった危険運転をするどうしようもない奴がいるのも事実だけどさ。
同乗者がいれば他人の命を預かっている訳だし、1人で乗っていても事故を起こさないように常に安全運転を心がけるのが免許持って運転している人のつとめ。
危険行為をしない、危険に近づく事を避ける、同乗者に危険な事をさせないというのも運転手の務めって事を免許取得時に習ったの忘れていませんか?
それでも、中央分離帯から車が飛んできたり等の事故に巻き込まれたらどうしようもないけどさ。
今回の事件は迷惑駐車ないし停車していたことがきっかけを作っておきながら注意された事に逆上して煽ったバカが絶対的に悪いけど、そういったきっかけのスイッチを自分で押しちゃったのもどうなのって話が出るのも分かる。
ニュースで「邪魔だ」と注意したってことらしいけど、注意と罵声って違う。
こうやって自分が正しい位置にいると思うと間違っている相手に対して何を言っても、してもいいてと勘違いして高圧的な態度に出る人がいるけど、やっていることはDQNと変わらない。
色々な証言が色々な所で出ているが、ニュースで報道されている内容で考えてみる。
・時と場所
6月5日21時35分頃
東名高速下り神奈川県足柄上郡大井町赤田付近及び中井PA(下り)
夜になるとまぁ、暗い。
車が塞いでいたであろう場所
https://www.google.co.jp/maps/@35.3428491,139.2038278,3a,75y,203.8h,86.72t/data=!3m7!1e1!3m5!1sFZp2Zp7wFmhqrl-hZHznHA!2e0!6s%2F%2Fgeo0.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DFZp2Zp7wFmhqrl-hZHznHA%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D142.88913%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92258-0014+%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E8%B6%B3%E6%9F%84%E4%B8%8A%E9%83%A1%E5%A4%A7%E4%BA%95%E7%94%BA%E8%B5%A4%E7%94%B0/@35.3449883,139.2047911,217a,35y,200.44h,44.87t/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x6019a6376f50c8d5:0xb41b3b74adb67771!8m2!3d35.3341926!4d139.1827051
・被害者について
中井PA(下り)にてDQNの車が道を塞ぐ様な形で止まって居る事に対して、夫が"注意"をした。
これが事が始まりの一つ。邪魔な所に止めているDQNが悪いんですけどね。
まず、何故運転をしている妻が言わずに後部座席に座っている夫が"注意"をしたのか。
https://www.youtube.com/watch?v=KqCdF8iQx4s
わざわざ、停車させて言ったのか、去り際に言ったのかは不明だが……ニュースを見る限り、去り際っぽいけど。
そして"注意"とあるが、ニュースでは「邪魔だ」という報道が多い。とある場所での書き込みでは「すみませんね」と言っていたとか……え??
邪魔なものを邪魔と言うのは悪い事ではないけど色々鑑みて言うべきだったのかなぁと。関わっちゃいけない奴と言うのはいるわけで。
邪魔ではあるが通過できていると言う事を考えると"注意"ではなくあてつけに罵声に近い事を捨て台詞的に言ったのではないだろうかと。
家族が乗っている状況で、見ず知らずのよくわからない輩に"注意"すると言うリスクは計り知れない。
通れなければ、癪だが移動するまで待つか、お願いしてどいてもらったほうが安全だし、邪魔でも通れたのであれば心の内にしまっておく方がいい。夜のPAって正直あまりよろしくないし。
"注意"したら追われて煽られるとか、本当に"注意"だったのかなと。
ニュース通りなら「邪魔だ」と注意したみたいだけど。いや、「邪魔だ」は注意じゃないよ。
で、煽られてそれにつきあうのもどうなのかなって。結局DQNと同じ土俵に上がっちゃったわけだし。煽られた時点で、路肩に正しく停車して警察よぶなりなんなりすればよかったかと。
きっと、邪魔だった事、煽られた事で停車した時にハザードも出せないくらい頭に血が上っていたんだろうけどさ。
停車後のやりとりも、車を下りてきたDQNに後部座席の扉を開けられたのか、開けて迎え入れたのか……高速で。なんにせよ走行中はロックはしておくべきですよね。
さわらぬ神に崇り無し。藪蛇。
・煽ったDQN
全ての元凶。
そもそも、これが邪魔な場所に停車していなければ何も起こっていなかった。
大型トラックの運転手の証言で「前方のトラックを追い越す為に、追い越し車線に出たらすぐ目の前に車があって急ブレーキでも間に合わなかった」と言った証言が夕方のニュースであった。たしかnews every.だったかな。
そのニュースでは、トラックの運転手の勤め先にインタビューしており、ドライバーは大変まじめな人で、今回の事故をおこしてから会社に出勤できず、わけもわからず困惑と後悔をしているとの事。
高速道路でよく見かける大型トラックがよくやる追い越しの仕方が問題。よく高速を利用しているドライバーなら思い当たる人も多いんじゃないかな。
追い越す車輛の後ろにぎりぎりまで近づいてから追い越しをする大型トラックが多い事、しかも追い越し車線の車を平気でブロックするしね。
まぁ、仕事で到着時刻やらタコグラフやら大型トラックの置かれている状況もわからなくもないが……正直やめてほしい。
夜の高速でハザードもつけず追い越し車線に止まっているという、普通ではまずありえない状況だが右車線に事故者が止まっていると言う事例はあるし。
そういう可能性があるのに、前方の視界がトラックで塞がれてほぼ確認できないような状況で追い越すという状況も危ない。
そう考えると、もらい事故でかわいそうといいきれないのでは?
https://anond.hatelabo.jp/20171011142108
こういう意見も正しいけど、自分から危険に飛び込む必要は無いよねって話。
。
すぐ泣いて癇癪を起こすし、学校には行きたがらないし、勉強にも全くついていけません、漢字も全く書けませんでした。でも文字は読めるので図書室で本ばかり読んでました。
文字を見ても字が書けるようにはなりませんでした。
いつも親に怒られていました。
面倒を見きれないから、祖母に預けるぞと言われましたが預けられはしませんでした。
そのうち地域で活動しているいわゆる「障害児」の支援をしている人に精神科を勧められ、アスペルガーの診断を受け、投薬を始めました。
診断されると、田舎の学校ですから“そういう教室”は無かったので専門の教員が外部から来て空き教室に通い始めました。
親はいつも怒っていてたまに殴られました。
小学六年生の時学校が統合しました。するとそこには“そういう教室”があったので通うようになりました。
先生は優しかったし、比較的“普通”であった私はクラスのリーダーでした。
普通のクラスでは漢字がわからないと隣の子に聞けば困った顔をしながらも教えてくれました。
まだ漢字は書けませんでした。
親がとても怖かったです。
中学校に進学すると同時にほとんど普通の教室で過ごすようになりました。
一応勉強にはある程度ついていけたような気がしていましたが、期末の漢字テストで2点を取り、職員室に呼び出されました。
しばらくしてからたまに“そういう教室”にお昼を食べに行くようになりました。
お昼が終わって帰ろうと外に出ると同級生から罵声を浴びせられました。
親にも気のせいだと言われました。
電車で30分くらいかかる場所で、通学は大変でしたが知り合いもいないし、単位制なのでマークシートを埋めるだけで単位が貰えました。
私学でしたので親はお金にうるさくなりました。団らんが怖くて拒食症になりました。
ネット上で知り合った人にも会うようになって、それが癖になりました。
漢字はまだ書けませんでした。
進学や就職活動はしませんでしたが、高校卒業前にやり始めたコンビニのアルバイトを続けることにしました。
親には調子に乗るなと前よりも言われるようになりました。
親の前に出るのを極力避けるようになりました。
行こうとすると体が動かなくなって涙が止まらなくなりました。
その日に車に乗せられてアルバイト先に頭を下げに行きその場で辞めて、精神病院に連れて行かれました。
鬱とかではなかったようなので、軽い抗不安材と、同時に不眠症になったので睡眠薬をもらい定期的なカウンセリングを受けるようになりました。
カウンセリングはすぐに行くのを止めました。
親は少しだけ優しくしてくれるようになりました。
貯金はしていましたが病院に通ったり保険料を払ったりしていたのですぐにお金が無くなりました。
思いつきで援助交際を始めました。
好きな人ができました。
人と初めて付き合うことになりました。
セフレに依存するのも、知らないおじさん相手に気持ちよくも無いのに喘いだりするのも、親が起きていると怖くてトイレにも行けない生活も、リストカットもオーバードーズも自殺未遂も全部全部全部忘れるくらい幸せにさせてほしい。
漢字は書けないままでいいです。だから神様どうかお願いします。
少しくらい幸せにさせてください。
最近、部活動の顧問を強要される学校教員のブラック労働についてよく目にする。本当に嘆かわしいことだし、全ての先生達がどうか救われてほしいと思う。
そこでふと、自分が中学生だった頃の部活動を思い出してみると、ロクなもんじゃなかったなという記憶しかない。
大して強くもないのに毎日3〜4時間も練習し、少しでも休めば「サボってる」と烙印を押される相互監視社会で、コーチからは今ならモラハラと言われるような罵声を浴びせられ、たった1年早く産まれただけの先輩は「お前らも過去の私達と同じ苦しみを味わえ」と言わんばかりにコキ使ってくる。辛い、辞めたい、本当は美術部に入りたかったと親に訴えたら、「逃げるな、3年くらい続けろ」と言われた。
就職において、運動部経験がある人間は有利、と聞いたことがある。この、理不尽でインモラルで反知性的な「運動部」を肯定した、あるいは生き抜いた人だけが会社でものし上がれるとしたら、日本社会のクソな部分が延々と再生産されるのも頷ける。
「プレイヤーが『プロデューサー』として、アイドルと共に『トップアイドル』を目指すゲーム」である。
それ以上でもそれ以下でもないただのゲームであるが、それを見失っているユーザーが多いジャンルでもあるのだ。
公式の歌詞にあった「みんなまとめてアイドルマスター」を拡大解釈し、ユーザーがユーザーに噛みつきマウント合戦を始める。
「〇〇好きじゃない奴はPじゃない!」と声高に叫ぶゲームエアプ。
『エアプはライブ現地をプレイしているユーザーに譲って欲しい』
『事務所越境のNLが苦手な人もいる、あくまで非公式なもののため検索除けをして欲しい』
こういった、プレイヤーとして当たり前の感情を大勢で正義の味方のような顔をして暴言を吐き叩く。
異常としか言えない。
ちなみに、前者のブログは
と曲解され、文脈を読み取れない馬鹿・痛い所をつかれたエアプ共・人づての伝言ゲームを鵜呑みにするゴミのいいあぶりだしとなった。
「デュンヌって面倒な奴多い」
等々心無い罵声が飛び交っている。
なんて無恥で醜悪な連中なんだろうか。
「アイマスに境はないから越境じゃない」←同シリーズだが、あくまで主人公も登場人物も違う別作品
「越境が嫌いな奴はアイマス向いてない」←公式が越境NLを推奨しているわけではなく、『プレイヤーが担当できるアイドル』として事務所が違う男女が会話したシーンは未だない。
「デュンヌ」←男だろうが女だろうがプレイヤーは「プロデューサー」だと公式が定義しているのを無視
他にも、涼ガーJupiterガーで喚く層もいるが、涼とJupiterを都合の良いバットにしている時点でお察しではあるが涼・木星Pの言葉ではない。
また、涼もJupiterも315プロに移籍してから他の事務所のアイドルと会話しているシーンはなかったはずなので、SideM時間軸でいえば越境NLは非公式なのだ。
とある声優が、「プロデュースの形は人それぞれ」とか言ったらしいが、
「でも俺私はプロデューサーです!」
ってバカかよ。
金出せ金、金出したら今みたいに公式妄信できなくなるからとりあえずお前らはその大好きな公式様に金払ってみろ。
本題。
要するに、315プロとそれ以外の事務所の男女でのカップリングだろう。
これに関しては、まあ好きなものは人それぞれだとは思うがアイマスじゃない・もしくは見えない場所でやっていて欲しいというのが正直な気持ちだ。
男女入り混じった作品なんて世の中にいくらでもあるんだから、百合作品でもBLでもない貴重な男女別れた数少ない一般作品まで侵略しようとしないで欲しい。
俺は俺と担当アイドルで親愛度あげたりしながら二人三脚で行くのが好きだからアイマスをやっている。
だからのめり込めるし、イベやガシャで新しいカードがくれば金を払ってでも欲しくなる。
イベで一ケタ順位に入った時の、寝不足疲れはあるものの「担当と一緒に走り切った」感は非常に楽しい。
ただの俺嫁厨と言われればそれまでではあるが、親愛度や信頼度というシステムがある以上、プロデューサーであるプレイヤーとアイドルは仲を深められるのだ。
そして、越境NLについて。
「自分に親愛、信頼を感じてくれているアイドルを、『お似合いだから』という理由で面識のない余所の事務所の異性アイドルと恋愛関係にさせようとする」
これが、事務所越境NL好きがアイドルたちにさせていることなんだけどどう?
これが「アイマス」?
ゲーム内で会話したことどころか会ったこともないのに?
アイドルとアイドルをくっつけさせて、待っているのはスキャンダルという両者の破滅でしかない。
俺は自分の担当が好きだ。できれば引退後結婚したいというベクトルで好きだ。下心も当然ある。
でもそれ以上に、『アイドル』として頑張っている担当の姿が大好きだ。
どうか輝いて、そして幸せになってほしい。
そんな彼女に、スキャンダルを背負わせたいとはとてもじゃないが思えない。
黙って越境量産している人は人それぞれの趣味だからどうでも良い。
ただ苦手な奴がいる、非公式のものである以上担当の名前で検索した時に出ないような配慮はして欲しい。
ただ、『越境NLを愛せない奴はプロデューサー失格』と越境NLを擁護している連中は許せない。
イベ走ってガシャ回して担当と親愛・信頼を深める奴と、余所の事務所のアイドルとのお見合いに必死な奴。
どっちが『プロデューサー』失格なんでしょうねぇ。
というか「プロデューサー」という言葉を「プレイヤー」以上の言葉にしているというか神格化してる奴が多くて引く。
思い込むのは勝手だが、一消費者であるってことを忘れない方がいいって言おうと思ったけどそういう層って大体エアプだから正しく消費者ではないのか。
以上
ただの不幸体験でありなんの説得もない。児童相談所とか警察とかそういうのを使うという選択はできなかったのか?という疑問もある。
まだ私がまともな考えの出来なかった頃付き合ってた男がクズでつい浮気をしてしまったらバレて罵声を浴びながら殴る蹴るされた事がある。(やべえなと思って台所の方に逃げて行ったら殴る蹴るやめたけど。)このクズとは多少まともな頃に同棲始めたけどある日落ち着いてやれてた仕事を辞めた後、仕事がなかなか見つからず何ヶ月か家賃光熱費を払わされた事や仕事見つけれたと思ったらセクハラ疑惑でクビになったり自分からここの仕事は好きじゃないとかいう理由で辞めたりしてたので本当にクソだった。しかし浮気もクズのする事なので、暴力が発生するのはクズとクズの間のみと私は思っている。
営業。
配属された部署は20代から30代中盤までが多く、若いゆえの活気で溢れていた。
仕事でも血気盛んにガツガツするタイプが多く、午前様が見えても残業は当たり前、何ならそこから飲みに繰り出すという、営業らしいといえばとても営業らしい雰囲気。
一方で若いゆえかコンプライアンスはゆるゆるで、10年前といえば管理職でも大概なものであった。上場企業であるにも関わらずだ。
アルハラセクハラパワハラが縦横無尽に跋扈し、新入職員は時に鬱になり、時に離職し、時に異動していった。
その矛先は当然私にも向けられ、飲みに行けば二次会三次会当たり前。カラオケに行こうものなら一気コール。
用を足すふりをしてトイレに向かい、口に指を突っ込んですべてを吐き出し、涙目を隠しながら午前二時の薄暗いカラオケルームに戻ることはしょっちゅうだった。
戻ってみれば酒にタバスコが入ってる事まであった。疲れて寝そうになれば氷とお絞りが容赦なく飛んできた。
苦労して就職活動を終え、大人の仲間入りしてやる事が飲みサーの延長以下という事実はあまりに腹立たしく、土日は怒りが頭を支配していた。
酔いつぶれるのは嫌いだし、翌日の仕事にも良い影響を与えないということはわかりきっているのに、やれ「お前は潰れないからつまらん、もっと飲め」だとかで酒を注がれ、頭の悪すぎる先輩に至っては「寝坊して出社して怒られるのが新人」みたいな夜迷いごとを言いながら笑っていた。
たった10年前だ。
私はこんな職場に絶対に染まるもんかと心に決めた。ニコニコしながら酒を飲み罵声を浴びてそれでも耐えた。
どれだけ辛くても定時の一時間前には平然とした顔で来て、仕事をこなした。
今思えば可愛くない後輩である。目をつけられるのも当然なのかもしれない。
後輩が来た。この子は辞めるのだろうか、残るのだろうか。その子はそう時間がかからないうちにパワハラアルハラセクハラが当たり前な人間になって行った。
どうやればこの状況を打開できるだろうかと考えた。
一つは経時的な変化を待つこと。
営業職お馴染みの異動がある。
数年ずつクソみたいな先輩は異動し、別の先輩がやってくるか新人が入る。
別の先輩がクソではない保証がないこと、新人が残るクソみたいな先輩に染まる恐れがある事から耐え忍ぶだけでは環境は正常化しない恐れもあった。
これまた営業職らしく数字が上がっている奴は一目置かれる。発言力が増すのは会議時に限定されない事がわかっていた。
三つ目にコンプライアンス違反を通報すること。これもやんわり狙ってみたがクソ先輩共はクソ上司(直属以外でも)と繋がりがあり、まだまだコーポレートガバナンスがゆるゆるな当時はリスクでしかない様子が伺え、断念した。
何なら当初コンプライアンス違反と認識し(感じ)ているのは私以外に居ないような状況で、分が悪すぎた。
四つ目に後輩教育の徹底。入り口で「染まらないように」コンプライアンス遵守を求めた。
時の流れには人の入れ替わりを促す力とともに遵法意識を少しずつクソ先輩方に浸透させる力もあったのか、少なくともハラスメントがリスクであるという認識をクソ先輩方が有するようにはなってきた。
自分の社歴が増し、一方で結果を出せたことから支店内における発言力はかなりの勢いで増していった。
時にクソ先輩の業務を引き継ぎ、いかにクソ先輩が仕事をしていなかったかを詳らかにしても、私の発言であればそれは十二分に説得力を持ち、上司や後輩、また別のクソ先輩方に響かせる事ができた。
それから間もなくして私に業務を引き継いだクソ先輩には懲罰人事が下された。
ここ数年になり、上司も変わり、ますます私の影響力は増していった。
クソ先輩や後輩の仕事を上司とすり合わせるところまで来た。何ならクソをクソと言い続けるだけでクソコンセンサスを得てクソは他部署に飛んでいった。
ここまで来るとクソ先輩方はもうただの先輩になっていて、特に脅威を認識する必要はなくなってきた。
後輩たちに関しても、少なくとも私が入社した頃のような理不尽を享受することはなくなった様に思う。後輩が後輩を傷つけることも無さそうだし、仮にそんな事があれば私がクソのレッテルを塗りたくってやる。
一方でやや後輩たちの個が過ぎたり、ポリティカルコレクトネス感が強い気もしないでもないが、それはまあ私が古い人間なのか、自分が受けた苦労を無意識に美化しているのか、うまく言語化できないがまあそういう事として、ハラスメントが溢れていた時代より100倍マシとニコニコできている。
強いて言えば自分がクソ先輩になっていないかという強迫観念が自縄自縛的に気になるときが最近少なくない。
ここまで書いておいて、私が職場に何か良い影響を与えられたのかというと、何だか怪しい気がしてきた。
結局辞めずに残り続けたから発言力が増しただけで、自分がハラスメントを受ける立場を卒業し、後輩に恵まれただけの気もする。
それでも、この春の異動で最後のマキグソ級のクソ先輩が居なくなるとわかったとき、私は真っ先に「お世話になった先輩の送別会」の幹事を買ってでた。
サプライズとして、みんなで行った温泉や海外の写真をスライドショーとして流してやった。
どの写真も先輩は笑顔だが、その裏で私は酒を飲まされ続け、吐いていた。
社歴を鑑みると私の異動もそう遠くない筈。
次はどのような職場に異動するのか。願わくば栄転であって欲しいが、ハラスメントなどの問題が無い所ならどこでもいい気もする。
きっと問題のある職場は依然少なくないだろうし、きっと問題のある職場は依然わが社だけではないのだろう。
クソを駆逐するのは難しいが、私は諦めない。
そして自分がクソにならない事も、諦めないでいたい。
「ミミセン、あえて頭の悪い表現で言ってやる。お前は、自分が悪者になるのが嫌なんだ」
「そんなことは……いや、そうかもしれない」
ミミセンはしゃらくさい子だが、こういう所は妙に素直だ。
今回はそれを利用させてもらうことにした。
「それがダメだとは言わない。人間は大なり小なり、醜い部分を心の中に隠し持っている。なぜ隠して生きていこうとするか分かるか?」
「えーと……社会に順応するため」
また随分としゃらくさい言い方をするなあ。
「まあ、そうだ。だが自分の心が醜いからと目をそむけて、良い人間でいようとしても精神が磨耗するだけだ」
「それは分かるけど、だったらどうするの。あの人みたいに怒鳴り散らせばいいの?」
「そうじゃない。だがな、心の中だけでなら、お前を咎める者はお前以外に誰もいないんだ」
俺がミミセンに説けるような、具体的な答えは持ち合わせていない。
だが、良い人間でいようとすることは決して万能ではない、と説明するくらいは出来る。
「そうか……そうだったんだ。綺麗なところも、醜いところも含めて僕なんだ。僕の心は僕のものだ! ありがとう、マスダの兄ちゃん!」
本当にミミセンは賢いやつだな。
俺の意図するところさえ超えて、勝手にいい感じの解釈をしてくれる。
それから数日後、ミミセンはまるで憑き物が落ちたかのように穏やかな表情をしていた。
「どうしたミミセン。随分と調子がよさそうじゃないか。騒音問題は解決したのか?」
「まあ、解決ってほどではないけどね。今でも耳栓は必要だし。でも前みたいに心を乱されることはなくなったよ」
「聞きたいものだな」
「それを具体的に聞きたいんだが」
「この前、言ってただろ。『心の中だけでなら、お前を咎める者はお前以外に誰もいないんだ』って。説明してしまったら意味がなくなる」
根負けしたのか、バツが悪そうにミミセンは呟いた。
「……赤ん坊は人じゃない」
「……うん?」
「だから赤ん坊を人だと思わないようにしたんだ。同じ人間だと思って、対話や理解してもらうことが可能だとどこかでアテにしているから、自分ではどうにもならないことにまで嫌悪感が増す」
また随分と開き直ったな。
「あれだって同じ人間じゃない。感情的で、理屈が通じない。赤ん坊と一緒さ」
なるほど、そうきたか。
一応、話の筋は通っている。
「難しく考える必要はなかったんだ。何が好きで、何が嫌いで、何が良くて、何が悪いと思うかが重要なんじゃない。ただ“そういうもの”として受け流す」
これによってミミセンの嫌いな雑音ランキングは大きく変動した。
それは赤ん坊を泣き止ませることでもない。
赤ん坊の泣き声に怒り狂う者に、寛容さを説くことでもない。
ただただ受け流すことだった。
ミミセンはそれを、人を人とは思わないことで達成したのだ。
勿論、ミミセンの考え方は褒められるようなものではない。
だが、その実ミミセンは誰も脅かさず、極めて平穏に対処している。
「マスダの兄ちゃん、僕は悪い子かな……」
「ああ、そうだな悪い子だ。だが、悪いことはしていない」