「帰りの会」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 帰りの会とは

2022-10-10

ぺいん

 空が、晴れていました。

 雲ひとつない、青い空。

 窓から吹きすさぶそよ風は、こっちへおいでと私を誘うよう。

 今すぐにでも、窓から飛び出したい気分。

 けれど、ダメなのです。

 無理なのです。 

 三階から落ちたら、人は死ぬのです。

 それに、今は目の前の作業に集中したくて、一心不乱に手を動かしています

 昼休みからコツコツと建造してきた私のお城を完成させなければならないのです。

 庭付き一戸建ての、夢のマイホーム

 建材にはレゴブロックを使っています

 硬くて、壊れにくい素材です。 

 同じ色のブロックをたくさん集めるのには苦労しました。

 おじいちゃんとおばあちゃんとひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの合計四人にねだって普通のおうちセットを合計四つ買ってもらいました。

 老人のくそまらない話に相槌を打っておねだりをするのは子供の私にとって拷問に近い所業でしたが、ママの財布からお金を抜いて後で物干し竿に吊るされるよりはマシだと判断しました。結果土日と引き換えに普通のおうちセットが合計四つ手に入ったので良しとしましょう。

 しんと静まり返った教室で私は黙々とブロックを積み上げていきます

 これくらい空気が張りつめていた方が作業捗るというものです。

 残すは外壁の建設のみ。

 普通石垣にするか。

 煉瓦造りにするか。

 どちらも魅力的な提案でしたが、昨日見ドラえもん映画を思い出したので普通石垣を作ることにしました。

「もうちょっとだ」

 腕をまくり額を拭うと、そよ風が一層心地よく感じられます。 

 朝はランドセル一杯に詰まっていたレゴブロックも今や半分以下。 

 この分だと帰りの会でみんなに自慢できそうです。

 きっと万の言葉を用いて私を褒めそやしてくれることでしょう。

 思わず顔がにやけてしまます

 そんな空想に耽っていた時でした。

 がしゃああああん

 はじめ、何が起きたのか分かりませんでした。

 視界の外から勢いよく何かが振り下ろされたかと思うと、私のおうちは粉砕されていました。

「……っ」

 体からすーっと血の気が引いていきます。うんていから手を滑らせて後頭部から落下した時のように、視点が定まら世界はぐわんぐわんと回っていました。

「あ、あ……」

 おそるおそる視線を上げるとまきこ先生しかめつらでこちらを睨んでいます

「何か言いたい事があるようだな」

 重く冷たい声色に少しおしっこを漏らしそうになりましたが、私は勇気を振り絞って立ち向かいます

「……あの、おうち!」

 私の訴えに先生の表情は微動だにしません。それがどうした、と言わんばかりです。

「壊れちゃったんですけど……」

 おののき、震え(主に膀胱が)、尻すぼみになりながらも私は抗議の意を表し続けますしかし、鷹のごとき双眸は依然として私のこめかみを射抜いているようでした。

「その、保険とかってききませんよね……」  

 パァン、と軽快な破裂音が響きます

 揉み手をしてはにかむ私の頭に、丸め教科書が振り下ろされました。

「……あうぅ」

「片づけとけよ」

 先生は教壇の方へ戻っていきます

 心無い笑い声に包まれる中、私は一人お城の破片を拾い集めていました。

 カチャリ、カチャリと一つずつ。

 小さな私の手ではそう多くのブロックを拾うことはできません。また、隣の席のタカユキくんが足でブロックを散らしてきたりするので、私はなかなか片付けられずにいました。

 粉砕されたおうちが頭の中で何度もフラッシュバックしています

 先生はどうしてあんなことをしたのでしょう。

 何も完成間近のものを壊さずとも、私がレゴブロックを机に出した時点で注意すればよいはずです。

 それなのに、わざわざ私が一番悲しむタイミングでおうちを壊したのです。

 ストレスが、たまっていたのかもしれません。おおかた、彼氏とうまくいってないのでしょう。適齢期を過ぎて後のない先生が性急に入籍を迫ったことで時間をかけて育んでいた関係に亀裂が入ったに違いありません。きっとそうです。

 幸せ象徴であるマイホームに鬱積した気持ちをぶつけたくなるのも無理からぬ話でしょう。

 だからといって、許されることではありません。

 悲しみを怒りに変えて誰かにぶつければ、それはまた別の新たな悲しみを生むことになるのです。

 まして、いい大人が、立場の弱い子供に、あてつけのように暴力をふるうなど、あってはならないことです。

 怒りが、ふつふつと沸いてきました。

 私はかがんだまま教壇の方を見やります。ころすぞって気持ちを込めて、きっ、と目を見開いて。

 しかし、先生が気付くことはありません。淡々分数問題解説を進めています。まるで私など、歯牙にもかけないと言わんばかりに。

くそっ……!」

 やけくそになって手元のブロックを投擲してやろうと思いました。

 思いましたが、ブロックを握る手はぴたりと止まります

 体が、震えていました。

 先生には勝てないという本能の働きに屈する自分が情けなくて、目頭が熱くなりました。

「いつまでやってんだよブス!」

 タカユキくんが冗談交じりに私の背中を蹴りました。冗談とはいえサッカークラブの脚力です。とても痛いです。一瞬、呼吸ができなくなります

 体の痛みと心の痛みが合わさって、一層惨めな気持ち助長しました。 

 どうして。

 私ばかりがどうしてこんな目に遭うのでしょう。

 天を仰ぐと、どこからか声が聞こえてきます。それは聖母のような声でした。

小梅ちゃん、痛みは分かち合うものですよ」

 痛みは、分かち合うもの

「そうです。分かち合うのです。あなたならきっとできます

 先生は強すぎてダメでも、タカユキくんなら。

 天の声の励ましを受けて立ち上がった私は、タカユキくんの方へ歩いていきます

 授業中だというのに、腹を抱え机をバンバン叩いているタカユキくん。

 乱暴に打ち付けられているその手をやさしく握ります

「うわっ、なんだよこいつ」  

 タカユキくんはとっさに手を振り払おうとしてきますが、放しません。

 心なしか顔が赤く見えます風邪気味なのでしょうか。

 私は動揺するタカユキくんの手のひらを少しずつほどいていき、そっと机の表面に添えてあげます

「ねえ、知ってる?」

「……な、何を?」

神様が、言ってたんだよ」

「は? 神様?」

 私は隣の席にある筆箱からからプリキュア鉛筆を取り出すとタカユキくんの指の間に挟みました。 

「痛みは分かち合うものなんだって

 鉛筆を挟んだタカユキくんの手の甲へ、ひと思いに体重をかけました。

「痛ってぇぇ!!!!」

 タカユキくんは大声を上げて痛がっていますしかし、タカユキくんは嘘つきです。こないだもサンタさんがいないなんて嘘をついて私を虚仮にしてくれました。そんなタカユキくんのことですから、きっとこれも演技なんです。第一、私はまだ体重の半分もかけていないのに、そんなに痛いはずがありません。

 私は加圧します。   

「痛いって! マジで! 折れちゃうって!」

大丈夫鉛筆はそんな簡単に折れないよ」

 レゴブロックを蹴散らすタカユキくんにも物を大切にする心があったなんて……。

 でも、どうせこれも嘘です。

 私はより加圧します。

「これは、蹴りの分」

「はぅあっ! おいてめえこのブス! 痛いっつってんだろうが!」

 まだ減らず口を叩く余裕があるようです。もっと加圧します。

「これはブスって言った分」

「じ、事実だろうがああああ!」

 また嘘をつきましたので、ぎゅむっと加圧します。

「これは、おうちの分」

「それは先生があぁっ~!!!」   

 

※ 

 

 悲鳴はやがてチャイムと共に沈静化しました。

 タカユキくんはさめざめと涙を流し、やめてよう、やめてよう、と言うだけの生き物になりました。教室は何やらざわついているようでしたが、先生は何も注意しなかったので、きっと問題ないはずです。 

 痛み、十分に分かち合えたと思います

 心なしか晴れやかな気分です。

 さっきまでの怒りが嘘のように体が軽いです。

 これが痛みを分かち合うってことなのでしょうか。

 だとすればこんなに素晴らしいことはありません。

 この行いが広がれば、世の中から争いが消える日は近いでしょう。

 今にして思えば、先生は私にこのことを伝えたかったんじゃないかって気がしています

 私は尊敬眼差しで教壇を見やります

 すると、今度は目が合いました。やりました。心、つながりました。 

「小梅、あとで職員室な」

 余談ですが、タカユキくんの中指は全治一か月だそうです。

2022-08-23

海老天丼を食べたくなる増田の気分武器の出す丸鳴く食べたをン丼手冷え(回文

おはようございます

なんか最近日々の張り合いがないというか、

これって夏の疲れが出てきているのかしら?

私には銭湯が足りないのかしら?

風呂タブレット視聴があまりに快適すぎるけど

やっぱり銭湯のお湯のパワーは違うわよね。

きっと私に足りないのはそう言うことなのかも知れないわ。

夏の疲れが出てきていると感じる前の対処としては

睡眠結構マジとってるのよねーって

自覚するほどグラフ好調なほど6時間キープできてるんだけど、

ちょっとでもリズムが崩れると

取り戻すために1~2週間はかかってしまうこの危うさがまたなんとも夏の疲れを助長しているんだわ。

あいう大浴場の疲れが取れたような気がする感じはやっぱり否めないので、

風呂って言っても

じゃお家のお風呂と何が違うかといえば、

湯量と温度と水深の3つにありきだと思うのよね。

温度はなんとかキープできるとしても

あの圧倒的な湯量と水深の及ぼす水圧のほぐし効果あながち無視できない感じがするのよね。

あくまでもう感じがする気がするというハッキリとした海老エビデンス丼って

エビデンスって言うたんびに海老天丼が食べたくなっちゃ

これべつに食いしん坊漫談じゃないんだけどね。

もうこれって、

スパイ防止法に反対している人はスパイです!って

なんかもう小学校帰りの会みたいなレヴェルの内容の話しみたいで、

本当のスパイなら黙っているはずよね。

でも私はどうしてもエビデンスって単語を聞くと

心なしか海老天丼が食べたくなる節があって、

これも海老天丼防止法の法律ができるとして、

反対する人が海老天丼が大好きな人!ってあぶり出されちゃうわよね。

でもまあ、

夏の疲れのそれが証拠エビデンスかどうかは分からないけど、

案外まともな海老天丼ってどこで食べたらいいの?って思うし

それと同時に

あれあるじゃん

茶碗蒸し

あれも本格茶碗蒸しはどんな飲食店で食べたら全うな茶碗蒸しが出てくるのかしら?って

茶碗蒸し専門店なんてないじゃない、

アジアのなんか屋台かにはありそうだだけど、

食べた後の器を返却するシステム

屋台にはそれが弱いのでやっぱり屋台茶碗蒸しがない一つの理由なのかも知れないわ。

そんでさー

よく豚カツ屋さんでオプショントッピングで単品揚げ物追加できるところとかあるじゃない。

あれで海老オプション1つ追加しようとしたけど、

そのお店は海老1本1000円とかって言う

主役を張れるような金額だったので、

さすがの私も超中期的に躊躇せざるを得なかったのよね。

たぶん、

そろそろみんなも夏の疲れが出まくりまくりまくりすてぃーだと思うので、

充分にいや十二分に気を付けたいところね。

うふふ。


今日朝ご飯

おにぎりしました。

おにぎり一つじゃお腹空くけど

背に腹はかえられないのでここは鮭おにぎりよ。

やっぱりお昼までもちそうにはないわ。

デトックスウォーター

グレープフルーツを1つ買ってきたので

果汁マジ搾りで

果汁を炭酸で割ったお手軽グレープフルーツ炭酸ウォーラーってところかしら。

お手軽なところがいいわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2022-06-21

学級裁判の思い出

https://news.yahoo.co.jp/articles/9405d0c154f1679b57df7a25eebad1cefcc5508f

この記事を見て思い出したんだ。小6のとき帰りの会クラス発言力ある男子が【今日のよくなかったこと】コーナーで、給食ときに小競り合いになった私の態度を挙げ、クラスの全員の前での謝罪要求したことを。

話を聞いた女の担任先生は、冷たい声で「私さん立ちなさい」と命じた。学級裁判開廷だ。仕方なく立ち上がった私の態度はとても不貞腐れたものだったろう。担任は苛立ちを隠さずこう言った。

「俺くんに謝りなさい」

私は、どうして謝る必要があるのか? そうだとしてもどうしてみんなの前で謝らなければいけないのか? 大変に不服だった。

腹が立って何もせず立っていたら、そのうちに放課後チャイムが鳴った。他のクラスの子たちが下校していく声が聞こえる。

クラスの子たちも限界を迎え、男子を中心に「早く謝れよ」という声が出始めた。私も限界だった。早くこの場から立ち去りたい。この場を収めるには私が折れなくてはいけない。謝る理由も納得できていないけど、そうしなくっちゃいけないんだ。

から私は、それこそジャンポケの斉藤ネタそっくりに「すいませんでした」と言った。11歳のときの私は今より大人だったかもしれない。

だが、謝罪要求してきた男子からは「そんな態度じゃ謝ったうちに入らないからしっかりと自分に向かって頭を下げろ」と言い出した。調子に乗るんじゃねえ。私は「もう謝りましたけど?!」と反論。これには外野も騒ぎ出し、法廷カオスだった。

そのとき担任は、行き過ぎとも思える要求を「そうですね。私さんは俺くんにちゃんと頭を下げなさい」と肯定した。命じてきた。ビックリした。

私は当然納得いかず頑なに拒否。結局学級裁判は結審せず、翌日にまで持ち越された。ちなみにこのあとの記憶はない。小6の頃の学校生活なんて日々こんな感じだったから、記憶からなくなってむしろ良かった。

ただ、小学校卒業式直後の謝恩会でその担任に「先生は私のこと嫌いだったんですか?」と聞いたときのことは覚えてる。「そうですね、嫌いでしたよ」と微笑まれたことも。20数年も前に廃業した、自宅近くのボーリング場でのことだった。学級裁判もあのボーリング場も、生涯忘れない。

あの担任については、申し訳ないが苦しんで死んでくれてたらいいなと思っている。

こういう教員、意外といたよね。

2022-05-06

anond:20220506200033

当時の担任教師帰りの会ときに突然

「〇〇君はなんとお母さんのことを『ママ』と呼んでま~す!!wwwwwwwwwwwwwwwww」

なんで教師ってクズばかりなんだろうなあ。。。この国で子供作って教育させるだけでげんなりする。

母親と息子の距離感について

10歳くらいからだろうか。

母親との距離感が近い、というのは切腹モノの”恥”という強烈な意識を私は抱くようになった。

その意識思春期の到来によって引き起こされる内面的変化の表れで抱いたものではなく、別のきっかけによって植え付けられたものだった。

当時の担任教師帰りの会ときに突然

「〇〇君はなんとお母さんのことを『ママ』と呼んでま~す!!wwwwwwwwwwwwwwwww」

クラスメート秘密を大声で暴露したのだ。

その瞬間、教室中が爆笑の坩堝と化したことをよく覚えている。

私は担任教師にひたすらドン引きしていたので笑えなかった。

信じられない人もいるだろうが、少なくとも90年代まではこのレベルキチガイ教師はザラにいた。

また、当時は『ママ』呼びする男は問答無用気持ち悪い奴という認識が共有されていて(今どきの若い子で公然ママ呼びしている人は普通にいると大人になってから知って仰天した)、それこそロリコン匹敵するくらいの扱いを受けていた。

から暴露されたクラスメート卒業までかなりかわいそうな扱いを受けていた。

ちなみに私はこのショッキング出来事が起きた日、家に帰ってすぐ母親に対して

「お母さん!もう今日からちゃん”付けで呼ぶのやめてね!」

宣言した。

母親は「そうか、もう”ちゃん付け”は嫌だか!」と爆笑していたが、なんと本当にその日から私のことをを”ちゃん付け”で呼ぶことをきっぱりとやめた。

加えて、私はこの時期から約十年にも及ぶ長い間、母親との雑談を一切しなくなった。

担任の愚行一発で、私は母親との距離もっと遠くしないといけない強烈な危機感を抱いてしまったのだ。

それまでは小学生の子供らしく母親とそれなりに会話をするほうだったと思う。

夜一緒にテレビを見ながら、かつて竹中直人お笑いタレントで「笑いながら怒る男」の芸で一世を風靡したことや、

志村けんドリフ初期メンバーでなかったことなどを母親から教わった記憶がある。


それから時は流れ、大学生になっていた私は運転免許合宿のために地方で3週間ほど滞在した。

合宿中のある日、同日入校した男連中と休憩室でテレビ情報番組を見ていた時、

画面に映る女性タレントを見て私が「この子可愛いなあ。こういう彼女いたらなあ」と口にすると、

男の一人が「俺、家じゃそんなこと口が裂けても絶対言えないわ……」と唸った。

どういうことかとその場の皆が不思議がっていると彼は

母親の前でアイドルとか女子アナのこと可愛いなんて言うともう……『そんなにこの子がいいなら一緒になって家出て行けばいいじゃない!!』って大泣きして怒り狂うんだよね……」

となかなか衝撃的なカミングアウトをした。

周りが騒然としながら、そうなったときお前どうしてんの?キレ返すの?と尋ねると

「いや、もうずーっと『ごめんごめん、俺が悪かったから泣かないで』って泣き止むまで言って落ち着かせてる……」。

お前それもう彼氏やんけ、と皆から引き気味にかわれていたが、私はというと「あーここまで母親との距離が近い奴もいるんだなあ」と妙に安心していた。

合宿が終わって実家に帰ると、私は母親と再び雑談をするようになった(10年以上のブランクがあったので何を話していいのかわからない状態半年くらいはぎくしゃくしていたが)。

それからオッサンになった今に至るまで、他人とその母親との関係性がうかがえるエピソードを聞かされる機会が結構あったが、距離感が近い母子結構いるもんなんだなあと思う場面は多かった。

配偶者実家の近くに家を買うつもりである母親に伝えると「あなたを取られちゃうみたいで凄く嫌なの」と不快感をあらわにされ最後最後まで反対されたとか、

部活引退試合を終えチームメイト父兄が集合している場で「〇〇ちゃん、お母さんを抱きしめて~!!w」と強烈なハグをされて死ぬほど恥ずかしかったとか、

家では『お母さん』呼びをすると完全に無視を決め込まれ食事抜きにされるからついにママ呼びを脱却する機会を逃したまま大人になってしまったとか。

まあなんにせよ親子が仲良くて悪いことはないし、やっぱ添田先生のやったことって刑法レベルに罪深いなと思った。

2022-03-12

○nion版サイトからTwitterアカウント作成してみた【読みにくい】追記

<はじめに>

読みにくいと題に書きました。この文章を読んだあなた不快になったとしてもそれは注意書きを読んだ上であなたあなた判断によってあなたが読んだ文章によってあなた不快になったにすぎず、それは完全にあなた自己責任です。祈りが足りません。毎日もっともっと祈ってください。

<はじめにおわり>

ブログを開設して投稿しても良かったのですが、増田投稿したほうが興味のある人に少しでも多く届くかなと思い増田投稿することにしました。

先日、TwitterがOnion版サイト対応したと風のうわさに囁かれました。

https[:]//twitter3e4tixl4xyajtrzo62zg5vztmjuricljdp2c5kshju4avyoid.onion

これがそのURLです。(ChromeSafariEdgeインストールした後そのままつかているFirefox、では閲覧することができません。諦めてください)

おそらくTwitter社が想定しているケースは

①何らかの理由によって、Twitterへのアクセスエラーを吐くようになった。(生IPでのアク禁

ユーザーは長年使用してきたTwitterアカウントログインして情報を得たい、情報投稿したい。

③なので、Onion版サイトを公開するから使ってね。

みたいな意図なのではないか勝手に想定しています。が、これはあくまで一民間人主観なので流してください。

①への対策としてVPNが挙げられますが、プライバシー保護を謳う幾多のVPNがこれまで国家権力に屈してログ情報を開示してきた例を見ると(すべてがすべてノーログを謳っていたわけではない)、そこらのVPN会社を利用するよりもTorで多重化した方が少しは安心ではないかという気持ちからTwitter社がOnion版サイトを公開してくれたとしたら、嬉しいことです。

<本題>

今回の実験におけるポイントは以下の2点です。

個人的に今利用しているアカウントTorログインするのは嫌なので、新規登録ができるかどうかを確認する(気になる人は既存アカウント実験してみてください)

Tor等を利用したTwitterアカウント作成時との比較を観察する

アカウント作成

Torから設定→プライバシーセキュリティセキュリティセキュリティレベル)を選び、Torボタン一つで選択することのできるJavaScript等のトラッキング制限をどの程度選択すればアカウント作成できるかを確認します。

標準(3段階で一番下のレベル):アカウント作成できる

より安全(真ん中のレベル):アカウント作成できない(自分確認した環境ではできないだけかもしれません、詳しくは後で記します)

最も安全(3段階で一番上のレベル):相変わらずいつも通りアカウント作成できない

アカウント作成した感想としては、正直Onion版サイトを公開したと聞いたときには、他所のOnion版サイトのように「最も安全」でアクセス先のURL依存したJavaScriptをいくつか許可すればアカウント作成できるのかな、と期待を胸にしていたのですが、現実としては「いつもどおりのhttps[:]//twitter.comへTorを用いてアカウント作成するとき」と何一つとして変わる点がありませんでした。これには少しがっかりです。

アカウント登録後の挙動

Torを用いてTwitterアカウント作成するとだいたい1ツイートまではTwitter社の宇宙よりも大きな器によって許されます

しかし、2ツイート目をしようものなら、時間をかけてアイコンやBIO、ヘッダーを設定しようものなら「reCAPTCHAパチモンクリア(4問正解で通してくれる神キャプチャ、お前が世界を取れ)」がやってきます

運が良ければそのまま関門通過。運が悪ければ電話番号登録を強いられます

今回はセキュリティの「標準」でアカウント作成したので、ログイン後1ツイートをした後に「より安全」に上げても使えるかな?と上げてプロフィール設定をしているところで電話番号登録要求されました。

ここ最近https[:]//twitter.comは、ブラウザセキュリティレベルを「最も安全」「より安全」にしていると「んなんか今日調子悪いわ笑」とログインページやアカウント作成ページを表示しれくれません(国際情勢が関係しているのかな?)。ですが、以前は上で書いた「他所のOnion版サイトのように『最も安全』でアクセス先のURL依存したJavaScriptをいくつか許可すればアカウント作成できるのかな」の手順でアカウント作成をできた過去がありますセキュリティレベルを上げ忘れたままTorを利用していた可能性があります、「ですが」以降は思い出として読んでください)。

その時ですら電話番号登録まで要求してこなかったというのに、セキュリティレベルを最低まで落として、やっとアカウント作成できたと思ったら、「お前はホモサピエンスか?」とパチモンに聞かれ、全問正解したというのに電話番号まで登録を強いられる。ダルいのでこの文章放置されている電話番号登録画面を横目に書かれています

実験結果

ブラウザセキュリティレベルを最低まで落とすことでアカウント作成成功したが、セキュリティレベルを上げて遊んでいたら(これが原因では???電話番号登録を強いられた。

結論

この実験結果からわかるように、新規アカウントへの優遇としてOnion版サイトを公開したとはとても思えず、既存ユーザーに向けたサービス展開と見るべきだと思う。

実験を通した感想

まず今回やったことはOnion版サイトで行わなくても、https[:]//twitter.comで再現可能だったことであり、2者の差はOnionに対応しているか否かでしかありません(緩くあってほしかった)。

IPアクセスできないかTor使うのにそこで電話番号登録要求したら、電話番号契約している本人が分かりますよね。

Onion版サイトの展開がどこの誰のためにやっているのか知ったことではないですが(良い子のみんなはソースを探してから口を開こう)、向いている方向とやっていることが少しズレている気がします。

理不尽事象により生IPアク禁された人々がいる、それに対抗するためにOnion版サイトを公開する、がOnion版からであってもアカウント作成はいつもどおりです。」だと仮定すると、現状は今のTwitterが落とし込めるギリギリなのかもしれません。

TwitterくんがFacebookくんに憧れる気持ちはよく分かりますが、Tor関連を冷遇するのところまでしっかり見習わなくても良かったと思います

腹癒せ

「Onion版サイト公開されたんですか?やったー!」「サイト公開されただけじゃないですかやだー!(少しは優遇されただろうと勝手に思っていた筆者が完全に悪い)」をしたので、初めの方に少し書いたVPNについて少し。ノーログを謳うおすすめの紹介です。VPNを使ってたとしても、画面の向こうにいる人間配慮しながらインターネットを利用しましょう。もうページを閉じてインターネットに帰っていいですよ。帰りの会は終わりました、事務連絡は済ませたのでここから雑談です。

おすすめ4選(それぞれノーログを謳っています

Mullvad(有料)

https[:]//mullvad.net

一言広告を一切していないので、検索して出てくるMullvadの感想PRを含みません。すげぇ

IVPN(有料)

https[:]//www.ivpn.net

一言:高いが支払い方法豊富。が、高い

ProtonVPN無料&有料)

https[:]//protonvpn.com

一言他所のノーログを謳うVPNサービスは月当たりの通信量の制限があったりしますが、ProtonVPNにはそれがない。そこがすごい。本当にすごい。無料で始めたかったらProtonを使ってください。

OVPN(有料)

https[:]//www.ovpn.com

一言2月から#StandWithUkraine https://www.ovpn.com/en/blog/standwithukraine というページを公開し、ウクライナの人への応援をしている。すごい。「ウクライナ人はサポートに連絡したら無料VPNが用意してあるぞ」と言ってる。かっこいい、抱いてほしい。それはそれとしてOpenvpn拡張子が.ovpnから検索結果がOVPNめっちゃ交じる。マジ卍


個人的には薦めないけれど、生IPよりかは良いんじゃないんですか、有名で使っている人も結構ますよね、好きだったら使えばいいと思います4選(それぞれノーログを謳っています

NordVPN(有料)

https[:]//nordvpn.com

一言:有名、紹介料いくらか知らんけどプライバシー特化おすすめVPN○選!みたいな記事はいつもいるやつ。ちなみにそいういう記事に限って上の4選の奴らはいません。

ExpressVPN(有料)

https[:]//www.expressvpn.com

一言:買収されて運営会社が変わった。NordVPNを紹介している記事は大体ExpressVPNも紹介している感じのアレ。

PIA(有料)

https[:]//www.privateinternetaccess.com

一言:゚(゚´ω`゚)゚。ピーア 日本人ではNordとExpressよりは使っている人は少ないんじゃないかな。

AirVPN(有料)

https[:]//airvpn.org

一言:支払い方法豊富

最後

マルウェア開発企業VPNサービス大手を続々買収

https://gigazine.net/news/20211015-former-malware-kape-technologies-owns-vpn-services/

後半で挙げた4選のExpressVPNとPIAは買収された側に含まれています。気にするか気にしないかアナタ次第。

2022-02-02

anond:20220201185028

“イキる若手が暴走している学校もあると思うぞ!”

ここ読んで思い出したけど、うちの子供の二年生(5月まで。担任6月から産休リタイア)の時の担任暴君ぶりが凄まじかったなと。まだ三十路まで行ってなさそうな若い人だったけど、昭和生まれの私でもそこまでスパルタされたことはなかったなっていうくらいの、教室軍事政権ぶりだった。

でも、保護者子供達も女の先生からって油断していたというか、かなり理不尽な目に遭わされることを何とも思ってなかったんだよね。

で、途中から担任男性新卒教師に変わったんだけど、引き継ぎの際に一体何をどう言われたのか、やたら愚直に暴君先生のやったことを全部引き継いでしまい、大問題になった。

暴君暴君性別とか関係なくギルティなんだけどさぁ、同じことを男がやるとモロに虐待に見えたのかね……。

で、三学期に入った頃になって、後任教師暴君先生の言いなりになっていただけということがひょんなことから発覚。いや自分でも嫌だなとかダメだなとか思う教育方針はやらなくていいのよ? 自分大学で習ったりとか自力で考えた通りにやってみれば? って保護者からアドバイスされて、後任教師水を得た魚のように元気を取り戻して、最後の三ヶ月は楽しいクラスだったみたい。

でも一部の保護者から蛇蝎の如くに嫌われてしまって、何をやっても揚げ足を取られてしまい、可哀想だったな。新任教師なんだから100%教育なんか出来ないし、そもそも教室軍事政権は前任の女の先生がやっていた琴なんだから、怒る矛先違うんじゃないの? って思ったけど。

結局、後任教師はたった一年で遠い学校に異動になったけど、叩かれまくって悪い噂に尾ヒレつけまくられるような糞学校からは離れるのが正解かな。

あのクラス児童達にもかなり癖の強い子(診断を受けてないだけの何か)が何人もいたから、新任の手には余るの当たり前だし。

時間概念がなくて帰り支度をして帰りの会を始めることがなかなか出来ない子供達のために、後任先生キッチンタイマー時間制限をもうけて子供達に支度をさせたのは良いアイディアだと思ったが、それもアンチ化した保護者連中からは叩きのネタにされていた。

2021-12-11

小学校5年のときクラスの真面目でなよっとした感じの学級委員長タイプ男子が好きだった

クラスが悪ガキばかりで朝の会だったか帰りの会だったか椅子の足につけていたテニスボールを投げて遊び回っていた

で、私の方にボールが飛んできたんだけど、その時とたまたまその男子が隣の席で、スッと手が伸びてきて

ガシっとボールを私の顔の前でナイスキャッチした。ヤンキーかぶれの全力投球をキャッチたからすごい音がした

完全に恋に落ちた

でも、結局何も起こらず彼は県で一番頭が良い高校に進んで大学東京に行ったそう

今頃どうしてるのか

2021-12-03

子ども個別面談

小3の息子の個別面談に妻と二人で行く。

先生から言われたこと。

行動が遅い。教室間の移動、学習準備、黒板の文字の書き写し、全部遅い。なんとか帰りの会かには影響は出てないが、だいたい遅い。

黒板の文章を1文字ずつ見てはノートに書く、また見てはノートに書くとかやっている。

漢字が書けない。60点ぐらいしか書けない。でも勉強をやり直しさせて再テストすると90点ぐらいにはなる。

体育で上手く体が動かせない。跳び箱の上でやる前転で苦労している。

精神的に幼い。多数決に従えない。

全部俺。俺が小3のころと全く一緒。

だいたい先生から怒られた記憶しかない。宿題もやった記憶もない。

俺と一緒だからって言ったら、先生も妻もそれじゃしょうがないって顔になってた。

社会に出れば大分楽にはなるんだが、先は長いな。

もっと我慢強い性格に生まれたかった

なっがい愚痴です。吐き出せばすっきりするかなって思ったので、ここならいいだろっていう精神で吐き出します。

 思えば幼稚園児のころから、帰ってきたら弁当を流しに出せだとか、園服を洗濯かごに入れろだとか、細かい面倒くさいことがこなせない人間だった。そんなに困っていたわけじゃなかったし、みんなこんなもんだろと思って何も考えてはいなかった。

 本格的に困り始めたのは、小学校に入ってすぐのころ。宿題は全くこなせない、親へのプリントは出さない。やること全部がちんたらしてて、毎回怒られる。

 学校の授業でプリントをやりましょうと言われたら、ぜんぜん終わらない。それで宿題になる。宿題の量が増える。もっとやりたくなくなる。宿題をやらない。明日宿題になる。ずっと負の連鎖

 提出物が出せないと黒板に名前を貼られる。それで毎回帰りの会になると、名前ひとつづつ先生が読み上げる。先生の機嫌が悪い時は、出せてない人はその場に立たされて、ひたすら詰められる。それが怖くて仕方ない。「いつだすの?」「いつまで待てばいいの?」先生にさんざん言われて、帰りの会が大嫌いだった。

 もちろん帰ったら親に怒られる。宿題をやれってずっと言われる。そりゃやらずに遊んでるんだから当たり前だけど。

 でも、言ってくれるだけましなもんだったと、今ならいえる。低学年の頃は、何度も親に言われてやっとその日の宿題を終わらせた。たまに忘れていったけど。

 そんな人間だったが、テストの点は悪くないし、騒いだりしなかったし、自分でいうのもなんだが割とフレンドリータイプだったので、学校での評価は「真面目な子」だった。周りの友達からもそんな感じの扱いだったのがなんとなくわかる。学校には毎日行ってた。

 

 小3、そして小4。なぜか、プリント問題を解くのが早くなって、優秀な奴扱いになった。結構気持ちよかった。

 このころの記憶あんまりない。なんでかはわからない。ただ、同じクラス女の子が頭おかしいくらメンヘラで(それは覚えてる)、母や友達いわくそいつにいじめられてたらしい。自分は全く記憶にない。

 記憶ないけど、たぶん宿題はいやいややってた。担任先生が変わったから、黒板に名前ドンの立たせて詰めまくり拷問はなくなった。それが楽だった。

 反抗期はここら辺から小6がピークだった。結構えぐかった。風呂自分母親が声出して泣いてるのを見たとき、どうしようもない気持ちになった。それはずっと覚えてるし、たぶんこれからも忘れない。

 この反抗期を機に、親が宿題に何も言わなくなった。学校はたぶんまともに行ってた。

 最大の問題が起きたのは、小5の夏休み宿題が終わらなかったのだ。今まで真面目キャラでやってきてた自分にとって、これは一大事夏休み宿題を出せないとなれば、まわりからは「お前何やってんの?(笑)」と言われ、「こいつさぼり(笑)」と陰でニヤニヤされるに違いない!今までにない危機感を感じた。

 さて机を見る。残っているのは、読書感想文と、福祉ポスター。あと、ワークも少し...つまり、ぜんぜん終わらなかったのである。ちなみに、夏休みは何をしていたかというと、ゲームそれからぼーっとすること。

ゲームが大好きというわけでもないが、簡単宿題を忘れて遊べるので気に入っていた。

 それで、最終的にどう決断たかというと、休んだ。ひたすら布団に引きこもって、親の声を無視した。部屋の惨状を見れば、どうして行きたくないのかくらいだれでもわかるような感じだったと思う。

まあ、その日は何とか休めた。

 次の日は、ポスターだけ終わらせて行った。そうやって何とかちまちま先延ばしして、なんとか全部出し切った。

 しかし、私の脳はその味を覚えてしまった。宿題ができなければ、休めばいいと。

 それからは、宿題が終わらなければひたすら休みまくった。親ももちろんただじゃおかなくて、髪引っ張り回して学校連れてかれたこともあった。でもとにかく休んだ。

 たまにどうしても無理だと悟ったら、保健室に逃げ込んだ。お腹が痛いって言ってベッドでゴロンゴロンしてた。

 それ以来長期休み宿題が終わったためしがない。

 思春期真っ盛りだったからか、メンヘラ化が異常になった。当時好きだった奴がいたんだが、そいつが男女問わず誰かとは話すだけで異常に嫉妬した。(幼稚園のころから生活が苦になるほど嫉妬には悩んでたけど、だれにも相談できないままだった)それを理由に休んだこともあった。親にはお腹が痛いとだけ伝えた。

 公立のただの小学校だったので、成績優秀でそのまま卒業した。小学校は割と提出物を出さなくても何とかなる。

 あと小学校生活を振り返って、体育がどうしても嫌いだった。というかできなかった。周りからは笑われるし、役立たず係だし、チーム競技クラスカースト上位に嫌われてた子と一緒に二人ではぶられてた。別にの子のことは自分は嫌いじゃなかったけど、はぶられてるっていうのが嫌で仕方なかった。最後のほうの体育は、腹痛い作戦で休んでた。

 

 そして中学1年生。

 つらかった。何がつらかったかって、部活がつらくて仕方なかった。部活の内容自体は大好きだったけれど、放課後休みの日もいつもちゃんと集合して、ちゃんとやるってのができなかった。それを見越して、超ゆるゆる運動部に入ったが、それでも全然続かなかった。一日学校勉強するだけで精一杯なんだよ。部活選びに全力で失敗したと思った。毎週毎回のように休んだ。でも、変なプライド邪魔して、転部出来なくて、結末を言うと中2の冬に完全幽霊部員化した。

 メンヘラ化がいよいよヤバいことになってきた。息ができない。何をしていても苦しくてつらい。それを理由に何度か休んだ。

 宿題がいよいよ終わらなくなってきた。学校で終わらせることで何とか解決した。実際、毎日出る宿題小学校と比べて少なかったから、学校でやっても割と楽勝だった。

 困ったのは定期テストだった。全く終わらない。体が動かない。毎回前日近くになって、ワーク開いて答えを映して、それじゃ到底間に合わない。先生に謝って、なんとかやってた。

 テストの点は悪くなかったので、成績はまあまあ良かった。

 中学2年生の時に、自分の中でつらかったものが爆発した。それから学校に行けなくなった。

 メンヘラ化によるストレス限界点に達した。定期テストで思った通りに勉強できないことで、自分イライラした。体育の授業も、もう出たくなかった。できないから。

 内申点もがた落ちした。テストだけ受けた。下から3番目だった。もう何もやる気が起きなかった。でも行きたい高校もなかったし、それでいいやって思った。

 毎日自分失望し続けた。情けない自分と目が合うのが嫌だった。

 周りはつらくても頑張ってる。自分が恥ずかしくて、だれとも目を合わせたくなかった。

 毎日死にたいと思いながら生きた。

 でも、休んでたおかげで好きなことがみつかった。これだけ落ちぶれたので、全体はプラスマイナスかと言えば完全にマイナスだが...

 中学3年生、今年は絶対頑張るって思った。春から毎日教室に行った。

 内申のためにひたすら頑張った。提出物は相変わらず終わらないので、全力で謝罪して(それをすれば評価がよくなるかどうかは知らないが...)、なるべく全力でやり続けた。

 あと、行きたい高校がみつかった。自分にはこの学校しかないと思うくらい、自分希望にぴったり合った高校

 将来の夢と、自分のやりたいことと、全部かなえてくれるのはここしかないと思った。周りに聞いても、今自分で調べても、ここよりいい学校は見つからない。ここに入れなくて、別の高校妥協するなら死のうと思うくらい(本当に死ねはしないだろうけど)。

 中学3年生の1学期は、自分なりに全力で頑張った。テストの点は見違えるほど回復したし、内申も上がった。

 でも、1学期の定期テストが終わって、もう学校には行きたくないと思った。これ以上頑張りたくないと思った。テストが終わった次の授業で、「この授業は2学期の内申に入ります」って言った。その時にぷつんって切れた。いつ休めばいいのかわからない。ずっと苦しいまま。

 みんなそうってわかってるつもり。だからこそ、自分だけできないって余計につらい気持ちになる。(もちろん不登校自分だけなわけではないが)

 メンヘラ化も治らなかった。死にたくて苦しいままだった。

 中2は休んでた体でいきなり全力出してうまくいくはずもなく、元々体力なかったのもあって、いろいろ限界だった。

 2学期、学校に行かなくなった。もう何もかも終わりだと思った。毎日、「今日休んだらもう取り返しがつかない」って思いながら休んだ。

 志望校にはまだ行きたいって思ってたけど、自分じゃ入学しても無理だと思った。

 でも行きたくて、でもだめでっていう気持ちにはさまれ毎日泣いて、悩んで、死にたいって思って、また悩んだ。

 周りの大人は全員、不登校受け入れの、私立を進めてくれる。それが最適解だってわかってるが、どうしても志望校あきらめきれない。そのうち、自分の中で周りの人間自分の夢を応援してくれないクズだと思うようになった。とんでもないと自分でも思うけど、自分は昔からこういう被害妄想の激しい人間だったから仕方ない。

 ここまで全部読んでくださった人がいたのなら、その方にはわかると思うが、もちろんこんな奴がまともに受験勉強できるはずがない。そもそも学校に行っていないので、出席日数と内申の関係普通の人が行く高校に受かるはずがない。志望校行きたい、でも勉強はしない。勉強が嫌いなわけじゃない。でも、勉強しなきゃって思うと、めちゃくちゃ大きい自分から自分へのプレッシャーが強くかかって、体が動かない。こんな人間社会に出ても何もできないと思って、本当にもう死にたい。周りがうらやましい。みんなできるのがうらやましい。ならやればいい。でもできない。

それが今。何もできないまま、何も進まないまま、何も決められないまま、今になってずっと過去を後悔し続ける。



言いたいこととりあえずほとんどかけたと思います。書いてたらすっきりしたようなしなかったような気がします。まあ、要は受験ストレスです。

こんなことに時間使ってる間に勉強すればいいって言われるのが目に見えているので、これはここら辺にして今日勉強します。

もし読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。

2021-10-27

社会的合意主義と昔のいじめ社会

社会的合意主義、そんな名前があるのか知らんけど、共産党に問い合わせた人の記事が流れてきたので読んでみたら、そんな感じの内容が書かれていた。

https://note.com/takahashishogo/n/nfcacb9ba354c

確認をする限り、法規制代替のように『社会的合意』を求めている状態だというのが私の率直な感想である。それが国政選挙という日本の重大な岐路において行われているためだ。』

この一文から妄言を書き殴ってみようと思う。

社会的合意妥当形成可能か?」という疑問がこの記事論述的な到達点なので、ブクマとか言及ではこの疑問について回答いただくのがよいと思う。

社会的合意主義、って、率直に言って「便利」そうな気がするな。

だって狭くは家庭内の躾けから、広くは意思決定過程で「どうしてダメなの?」「素朴にみんなが悪いって言ってるからダメなの」で済むってことだよな。

当然「みんなって誰だよ」ってことになるんだけど、そこまで踏み込まれると「うるさい」って暴力が飛んでくるの。体罰いじめ蔓延期の20世紀末に見た。

あと便利なのは社会的合意サンドバッグが出来上がる」のが便利。もちろん実力行使に出ちゃダメだよ。でも直接手を下さなければいいよ。

そうやって「対象」が決まる。まあ昔の子どもはアホなのでバンバン手も足も出すわけだが。今の子どもは手も足も出さないと思うけど、口は出しそう。

いずれにせよ息が詰まる世界が出来上がっていたように思える。

たいていは社会的合意がなされている、と喧伝するほうが強くて、そういう喧伝をするのは、ネタを売り込まれマスコミとかの仕事だった。

昔の政治家は、なんか人が多そうだなあって思ったネタしか食いついてこない。

(今の政治家は、自分の動きで人が動かせると分かったら、すごくよく働く。)

今はなんですか、ユーチューバー?みたいな人の役割になってるのかな。

狭い世界ならその社会の「実力者」ってやつ。あるいは喧伝することで何らかの社会的合意形成出来た奴。

あとから「実力者」になるタイプね。今ならインフルエンサーって言われるんですかね。

ひどい話だと思わない? だってその後付けインフルエンサー気取りの奴から勝手に「おもしろい奴」「いじっていい奴」扱いされるんだよ。

そうなったらもう危険を察知して「どうぞここを殴って下さい」みたいな振る舞いでダメージコントロールすることを強いられることになる。

打たれ強くなると言えば聞こえはいいけど、まあ心を麻痺させて頑なになってしまう。

ありのままの心を守って、なんて贅沢なことは言ってらんなくなるよね。

そんな生き方にならざるを得なくなる。運ゲーってやつかもしれない。

そういう社会的運ゲーに巻き込まれると、だいたいそういう社会的理不尽から距離を置ける(と本人は思っている)分野に憧れを抱くようになって、

一方、評論家とかそういう輩は蛇蝎のように嫌うようになる、のかもしれない。なんとなく。今更ながらこのへんは隙自語が酷いかもしんない。

ここまで書いてみて、どうも自分は『社会的合意』とはどのように行われるものなのか? というところが分かっていないことに気づいた。

どうもこの元増田は「社会的合意? わからんなー、なんかいじめの対象決めるようなもん? みんながダメだって言っても文句言われないものを決めるようなもん?」としか考えられていないようだ。

なので、ここまでこれ読んだ奇特な人はもっと冷静に「社会的合意妥当形成可能か?」という部分を論考してほしいと思う。

元増田過去経験邪魔をしてうまく判断出来ない。分かっているのは「なんか危なそうだから回避しよう」くらいなものだ。

いたたまれない帰りの会を思い出すような、クラスのなんかうるさそうな奴らの匂いが鼻につく、そんな舌戦が、まあまあしんどい

2021-10-13

聡明将軍様昭和の初めに太平洋戦争の結末を具体的に予想していた話と似ているね

結果的に予想が当たった奴だけピックアップして天才扱い

だんまりを決め込んでいるとか書いてるけど、即答しなかったら犯人扱いとか小学生帰りの会雰囲気で完全におかし

担任先生裁判官ですか

無実でもネットの噂話に回答する義務なんてない

anond:20211013083935

2021-09-30

模擬選挙が、とある生徒によって操作された話

 模擬選挙が、とある生徒によって操作された話

 小学高学年のとき学校内で模擬選挙をやった。選挙の仕組みを体感しよう!というもので、おそらく多くの学校である行事ではないだろうか。

 しかし、私の学校問題だったのは、「実在する政治家投票する」ということだった。記憶曖昧だが、衆議院選挙が行われた時期だったような気がする。与党が、民主党から自民党になった選挙の時期。読売朝日毎日といった新聞だけでなく、実際に市で配られた立候補者新聞も置かれ、2回投票するよう指示があった。

 ①人に投票する(小選挙区)

 ②政党投票する(比例区)

 

 かなり先生たちの気合いを感じたのを覚えている。よく分からないが、①は推し、②は推しグループみたいな感覚でいた。

 先生の狙いは、各新聞自分で読んで比較し、その上で自分意思決定するというものだったはずだ。しかし、歯車が崩れだす。クラスのNちゃん存在だ。

 Nちゃんクラスで1,2を争うほど頭が良かった。中学受験のために毎日塾に通い、趣味新聞の切り抜きであった。クラスには新聞係というものがあり、いままではやる気のない係がサボれるものだったが、彼女立候補した。学校に届く新聞の興味あるトピック自分なりの言葉に置き換え、帰りの会で発表するのである。すべて彼女自発的な行動であり、みんな「すげ~」と思わざるを得なかった。レベルが違うわこの人。

 そんなNちゃんにとって、模擬選挙という行事は格好の興味の対象だったのだろう。水を得た魚のように各新聞の主張をまとめ、スクラップし、ノートにまとめていた。

 ある日、Nちゃん帰りの会で「自分見解」なるものを発表した。いつもは簡単新聞記事の紹介だったが、その日は少し違った。

 彼女はこう言った。「私は、いろいろな新聞を読んで、応援する人を決めました。この立候補者は、公約ちゃんとした主張が書いてあります。これが実現できたら、みんなが平等幸せになります

 みんなが幸せになる政治。いいじゃないか。それにあの頭の良いNちゃんが言うんだ、ちゃんと調べた上でその結論なのだから間違いなわけがない。私みたいな政治に興味のない一般人適当に誰かに入れるよりも、Nちゃんの言う通りに投票すれば幸せ政治が待ってるんだ!

 私は上のような思考に陥った。今振りかえるとアホだなあと思うが、実際選挙に関心をよせる小学生はそんなにいない。よく分から適当投票するくらいだったら、頭の良いNちゃんオススメするとこに入れよう!となる人がクラスで続出した。

 結果、うちのクラス共産党が大勝利した。

 そもそも道徳を重んじさせられる小学生にとって、共産主義理想的に映る。みんなが幸せになる、それが一番良いのだ。小学生は、ぺらっぺらの紙に書かれた公約を必ず実現してくれると思い込んでいる。

 なお、他のクラスでは自民党民主党かで割れており、共産党は入る余地がなかったそうだ。そして、実際の選挙でも共産党与党にはならなかった。実在する政治家で模擬選挙ってやって良かったのか?そこの是非は分からないが、今でも記憶に残ってるくらいの行事にはなった。

 ふとNちゃんを思い出す。彼女の親が共産党系だったのか、それとも本当に理想を託して共産党を支持したのか。真相は闇のなかである

 ただ、ここで私は学んだ。頭が良い人の言うとおりにしていれば良いというわけでない。別に共産党が悪いとか自民党が良いという話ではなく、影響力の強い人に流されるのは良くないよねって話。

2021-08-07

anond:20210807141511

女だけになった世界小学校帰りの会にて

女子児童A「Bさんはヒゲが生えていました。男っぽいのでやめてください

2021-07-03

anond:20210703172044

子供の為なら片方の親が家に居た方が良くないか

学校パワーカップルみたいなのが居たが、帰ってからゲームばっか

親とは殆ど顔合わせられない、ある時帰りの会で急に泣き出して寂しいから家に帰りたくない、みんなと一緒に居たいって泣いてた子居たし

鍵っ子結構居たが可哀そうだったぞ。電車通学だったか放課後遊ぶのも禁止だった

2021-06-07

anond:20210607105039

万引なんてしなさそうなやつがなぜか盗むからリアリティあるんだ

ビックリマンに興味もない姉がいきなりビックリマンシールを盗もうと提案したという馬鹿力の投稿ネタがいまも忘れられない

小2の時仲のよかったHと悪ガキの柿崎の3人で僕の家で遊んでいました。Hはたくさんビックリマンシールを持っていて、その日もたくさんビックリマンシールのあるアルバムを持ってきていました。Hが熱心にファミコンをしているときに急に僕の小5の姉が部屋に入ってきて、僕と柿崎廊下に呼んで「あいつのビックリマンシール、ぬすまねえ?」と言い出しました。柿崎はすぐに了承に、僕もHのビックリマンシールは魅力的だったので、こっそり抜き取り山分しました。その後のHtono関係結構普通でした。今不思議に思うのは、なぜビックリマンシールに何の興味もない姉があのとき悪魔のようなささやきをしてきたのかのみです。

スペイン太郎さん)

http://ijuinmania.blog84.fc2.com/?m2=form&no=1258



てかビックリマン子供犯罪者にしすぎ

小学校6年生の頃、その頃はよく甥っ子の年下のR君の家で遊んでいました。その日R君の家で遊んでいるとその頃大流行だったビックリマンシールが大量に出てきました。僕が「へえ、こんなにたくさん持ってるんだ。あ、僕の持っていないヘッドもある」というと、「ヘッド以外だったらダブってるやつあげるよ」と言ってくれ、僕の持っていない天使・お守り・悪魔などをもらいました。そのときはそれで家に帰ったのですが、しばらくしてどうしても欲しいヘッドがあり、必死チョコを買いシールをゲットしていったのですがどうしても出ません。少ししてR君の家に行くと僕の欲しかったヘッドはそこにあります。その夜R君のおばさんから電話があり、「ビックリマンワンダマリアとやらがないんだけど知らない?」と言われました。僕は「知らない。ワンダマリアなんて見たこともない」と言ってその電話は終わりました。ワンダマリアはいまだに僕の宝箱の中に大切に入っています。ちなみにR君の家とはいまだに交流があり、R君はこの番組をきいています。R君、本当にごめんなさい。本当に。

(イクオさん)

5・6年前の小学校ンのときビックリマンが僕ら小学生の間で再びブームとなっていました。休み時間の話は「ビックリマンスーパーゼウスがでない」や「帰りに駄菓子屋協同で箱買いしよう」という話。しかし興味もお金もなかった僕はその話についていけませんでした。ある日教室はいると男子の人だかりができています。なんだろうと見てみると、貧乏でそんなに目立たないS君の手にきらきらしたものがもたれています。そう、それはめったに出ず、店に行くと高額で取引されているスーパーゼウス。僕とS君は貧乏仲間で「俺たちはあんブームには流されない」と言っていたはずなのに。S君はたまたま母親のお遣いでいった買い物のお釣りでかったビックリマンで1発ゼウスを引き当てて一役ヒーローになっています。それにくらべて僕はちょろちょろはえてきたチン毛を風呂場でそったりそらなかったり。そりゃ体育の時間に「腹痛いかトイレいってきます」というフリをして忍び込んで盗みますわ。その後帰りの会で僕が疑われましたが「あいつはビックリマンを集めていないから違う」という理由でシロと断定されました。

フランケンさん)

(上記URLと同じ)

 私は、両親のお金に手を付けた事はありませんが、強いて言えば私が小学校低学年の頃、当時の私の頭の中はビックリマンシールで一杯でした。友達と話す事もいかにたくさんの種類のビックリマンシールを持っているかでした。

 しかし、1個30円とはいえ小学生の私のお小遣いなどで買える数はたかが知れていました。

 そこで結成したのが『ビックリマン盗賊隊』。友人2人とコンビニに入り、パンツの中にビックリマンチョコを忍ばせて出てくる、これを繰り返すおちゃめな隊でした。

 運がいい事に半年ほどやって1度も捕まった事はなく、気を良くした私たちはいしか大胆になっていきました。

 そんなある日、家の近くのこども銀行のお札を「毎度どうも」と言って受け取る老人のお菓子屋さんで、私はいもの行動に出ようとしていました。

 これまでも何度かやった事がある通り、その老人の目を盗み、いつものように物色。パンツに5個のビックリマンを入れ、出口を出ようとしたその時、老人が静かに言った言葉

 「お姉ちゃん今日はいくつパンツに入れたの?今日は見てなかったから教えといて。あとでまた、お母さんの所にお金もらいに行かなきゃならないから。」

 みんな知ってたのかぁ…。

 次の瞬間、老人の前でパンツからビックリマンを出すと、涙をポロポロこぼしながら「でもね、私にも色々あるから…。」と訳の分からない事を言い、近くのほら穴で泣きました。

 (江東区PN:生肉)

http://ijuinmania.blog84.fc2.com/blog-entry-797.html

 あれは私が小学校2、3年生ぐらいの時です。当時私たちが集まっていたら、それはビックリマンシールの交換会でした。学校男子生徒のほとんどが集めていましたが、私とそのT君を含む6、7人ほどのグループが一番熱狂的でございました。

 ある日、緊急招集がかけられ、私は弟を連れてその公園に行きました。そこでT君が皆に見せたのは伝説と化した『お守りシール』でした。その『お守りシール』はうちの学校では誰も持っていない物で、もう船橋市にはないと言われておりました。

 「手、手にとって見せて。」と言う僕に「ああ、いいよ。」T君は迷わず貸してくれました。

 手に取った瞬間、これまでの苦労が走馬灯のように甦りました。バカな噂に流されて隣町のガードを越えたデイリーストアーのレジの横に置いてある箱の右の列の後ろから5番目のチョコを買ったり、そういった事でした。

 そしてその苦労と同時に私の中に1つの考えが浮かんでしまいました。

 「何で、何であんなに苦労した僕が手に入れられなくて、Tは手に入れられたんだ。」

 そう思うや否や、私はそのシールを持って走ってしまいました。

 逃げおおせて、アパート階段の下に隠れて、改めてそのシールを眺めました。と同時に凄い事に気が付きました。

 明日学校に行ったら、T君や他の皆に出会ってしまうじゃないかということです。この疑問は幼い僕を悩ませました。

 そして5分後、今日の夜12時までに取り返されなければ時効だと自分を納得させました。つまり今日1日安全な所にいればいいんです。

 私は家路を急ぎました。

 家まであと数mとなった時、後ろで叫び声が。

 「いたー!追いかけろー!」

 なんと、私包囲網が出来ていたのです。

 後からわかったのですが、その包囲網はT君達5、6人がクラスの皆に声をかけ、この時既に20人ほどに膨れ上がっていました。

 1時間ほど逃げましたが私は逮捕され、窃盗品は押収されました。

 しかしT君は泣いていました。僕も自分が悲しくなったのでしょう、涙を流して「ゴメン、もうしないから、もうしないから」と謝りました。それ以来、「もう人の物は盗らない」と心に決めました。

 僕は心晴れ晴れと家に帰りました。

 しかし、「ただいまー。」元気良く家のドアを開けると、なぜか母親閻魔様の乗り移ったような顔で仁王立ちです。

 「あんた、T君のビックリマンシール盗ったんですって?」と言います

 僕は「お母さんがその事を知ってるわけはない、お母さんがその事を知ってるわけはない」と思い、

 「知らないよ。」

 そう言った瞬間、私は玄関に倒れていました。

 「本当の事を言いなさい。盗ったの?」

 母親の顔はマジです。もし「盗った」と言ってしまったら、もう1発、今度は正拳が飛んできそうな雰囲気でした。幼い僕はもうシラを切りとおすことを選択しました。

 「違ーう!T君のシールを宝物ということにして、皆で軽ドロ、軽ドロをしてたんだ!」

 完璧な話だと思った瞬間、弟が後ろからナイスアシスト

 「違うよ、クラス人達が言ってたよ。お兄ちゃん盗ったんだよ。」

 私は倒れました。

 「あんウソまでつくのかい!あたしがいつこんな事を教えたの?今から一緒にT君の所に謝りに行くんだよ。」

 私はつい20分前に泣いて友情を確かめ合ったT君の家に、また泣きながら謝りに行くという惨めな思いをしました。

 私はこの事件の後、人の物を盗む事・ウソをつく事を絶対にやらないと誓いました。

 (北区PN:スタン大先生)

http://ijuinmania.blog84.fc2.com/blog-entry-794.html

2021-05-06

anond:20210506114728

こうやって書きだされてるのを見てみると弱者男性への差別って

被差別人種女性同性愛者が戦ってきたものと比べてちっぽけすぎて笑えてくるな

法律是正を求める中ここだけ学校帰りの会みたいな

2021-03-15

帰りの会雑談は容易にハラスメントに転ぶ

https://blog.h13i32maru.jp/entry/2021/03/14/165934

この記事を読んでいいチームだなあと思った。で、うちの会社雑談思い出してオエっとなった。

うちの会社もチームごとで朝会とか夕会とかやってたんだけど、チームにハラスメントへの意識も低い人がいるとほんとにすぐハラスメント大会に転ぶ。もともと雑談するような共通の好きなものとかネタがないところ無理やり引っ張り出すととっさにハラスメントネタが出てくる人の多いことよ。

今まであった事例の紹介↓

上司飲酒運転を自慢げに披露する・既婚者が配偶者へのモラハラ開陳する・町で出会った外国人性的少数者と思われる人の外見や行動を揶揄する・その日見グラマラス女性の紹介でセクハラマッチングアプリエロアニメであったネタセクハラ

一部上場企業でこれだもん。マンスプレイニングだらけのチームで雑談なんか無理。

2021-02-13

小学生の頃の不思議体験

大それたタイトルであるのも変な話なんだけどさ、

帰りの会最後、「さようなら」の挨拶をするタイミングだったかな、もしかしたら違ったかもしれない。

とにかく教室で全員が起立して、あとは挨拶をするだけの状態で、特に何か示し合わせがあった訳でも無く、

クラス全員が回れ右をして、一人の女子生徒の方に人差し指を向けて、

「あ!!!!!!!!」

って大声で言ったことがあった。自分意志とは一切無関係に。

ポカーンとしてた。やった自分も、(おそらく)クラスの皆も、指を指されたその女子も。

 

その後の記憶ボンヤリとしてるけど、先生も悪ふざけか何かかと思ったのか、テキトーに窘めて教室を出ていったと思う。

 

示し合わせは一切してなかった、というかクラス友達なんて殆どいなかったから、クラスの話したことも無いような女子に向かって何かするなんてこと、やるとしてもハブられてたと思う。

転校したりしてたから、それがどの小学校だったかは覚えてない。

 

いずれにせよ、体に染みついた行動とか、強制的な指示をされた訳でも無くて、一切自分意志とは関係なしに体が動いた、動かされたような、そんな不思議体験したことがある。

 

あれは結局なんだったのか、今でも全く分からない。

2021-01-26

知的障害児の母親が忘れられない 追記

知的障害を持つ子供と親について、またそういった子供を産むことや育てることについて、比較マイナスな内容です。不快に思う方もいると思いますので自己責任でお読みください。


インスタのおすすめ欄を見ていたら、軽度の知的障害を持つ娘を小学校普通学級に通わせてるお母さんの投稿が出てきた。その子クラス孤立していること、授業の指示を理解できていないという報告をサポーターの人から受けたらしく、学校に行って状況を改善するよう話をしたいという投稿だった。

これを見て、ふと小学校の時に同じクラスにいた知的障害を持つ男の子のことを思い出した。その子、Aくんは、授業中、授業に関係ないことを唾を飛ばしながら話し、正面を向いて座れないのかいつも横向きに座っていた。国語からっきしだったが算数が得意で、足が早くて、ドッヂボールが好きだったと思う。正確に覚えていないけど、小学校までは普通学級で過ごして、中学支援学級に通っていたはずだ。

当時の担任先生は、大人になった今考えても非常に真摯に生徒に向き合ういい先生だった。私も当時3ヶ月ほど入院したことがあるのだが、他県の病院にいた私のもとへ平日の放課後にお見舞いに来てくれるような先生だった。何を話したかは覚えていないが、クラスの皆に手紙を書かせ、きれい製本し、お花と私の好きだったキャラクターの小さなぬいぐるみと共にプレゼントしてくれたのを覚えている。その先生はAくんにも目をかけ、目に余るようならば厳しく叱ったりするものの、しかし他の生徒と良い意味でも悪い意味でも同じように接した。そのため私たちもAくんのことについて「変わった子だな」とは思いつつ、Aくんが障害を持っていることは成長するまで知らなかった。察している子もいたかもしれないけど、少なくともあらゆることにおいて「障害があるから」ということを理由にしない先生だった。田舎学校なので、私も含めクラスメイトたちはなかなかいい子ではなかったけれど、注意することはあれど、強い言葉で怒ることはしなかったし、ましてや手をあげることは一度もなかったから、幼いなりに先生尊敬していた。

その先生が、唯一大きな声を出して、たった一度だけ、されど一度、手をあげた相手がAくんだった。詳しいことは忘れてしまったけれど、Aくんの腕を掴んで廊下へ連れて行こうとする先生の目がなぜか潤んでいたのは覚えている。

ところで、私は小学校から歩いて子供の足で30〜40分ほど離れたところに住んでいた。家が遠いので、近くに住む幼馴染と一緒に登下校していたのだが、幼馴染のクラスは私のクラスに比べて帰りの会が終わるのがかなり遅かった。そのため、私はよく廊下で幼馴染を待っていたのだが、ある時、ふと忘れ物したことに気づいた。幼馴染のクラスはまだ終わらなさそうだったので、自分教室へ取りに戻ることにした。教室電気がついていたので、先生挨拶しようと思って教室を覗き込めば、先生と誰かのお母さんらしき人が話しているのが見えた。特別聞き耳を立てたわけじゃないが、ドアが開いていたので声が聞こえてきた。Aくんのいることでクラスのみんなに迷惑をかけている、Aくんのことを叩いてしまう、先生にも手を出させてしま申し訳ない。そのお母さんは泣いているらしく、当時小学校の低学年だったけれど、これは聞いちゃいけない話だと思い急いで戻った記憶がある。

それからしばらくして知ったけれど、その女の人はAくんのお母さんだった。実は私はAくんと6年間同じクラスだったため、私の母とAくんの母は面識があった。私が小学校卒業してだいぶ経った後、母が酔った時に聞いた話だが、Aくんの母はAくんのことについてかなり思い詰めていたらしい。

Aくんの母は、Aくんを一人で育てていた。私も私の母も、小学校から中学までの9年間、Aくんの父親も、Aくんの祖父母も親戚も見たことはない。働いていたようだし、もしかしたら離婚していたのかもしれない。Aくんの下にいくつか年の離れた妹がおり、それでもAくんのことでクラス迷惑をかけてしまうからと、学級委員を引き受け、PTA活動にもかなり積極的に協力していた。そういえば、学期末にAくんのお母さんからクラスのみんなにお礼と言って高そうなお菓子をもらった気がする。とにかく、Aくんのお母さんは周囲の子供や先生保護者に常に頭を下げていた。授業参観懇談会行事も、常にAが迷惑をかけて申し訳ない、と言っていた。母は詳しく話さなかったが、AくんとAくんのお母さんについて、冷たい言葉を浴びせる保護者もいたらしい。私は特別Aくんと仲がいいわけではなかった(そもそも性別が違うので一緒に遊んだりはしなかった)が、Aくんのお母さんは授業参観等で私に会うといつも疲れた笑顔で「いつもありがとうね、Aが迷惑かけてごめんね」と頭を下げた。小学生の私は、大人の女の人から頭を下げられることなんてなかったから、なんだか不思議気持ちがした。

私は現在20代になり、友達との会話も、結婚子育てについての話題が出るようになった。特に仲良い友達子供好きで、最近お兄さんの子供が産まれたらしく、自分結婚して早く子供欲しい、そのためには彼氏を見つけなきゃね、と笑っていた。私に子供ができたら、自分の子供と遊ばせよう、と。

彼女は当たり前に自分の子供が健常児であると信じており、私の子供もそうであると思っている。私もそう思っていた。でも、Aくんのことを思い出すと、もし自分の子供が知的障害を持っていたら、と考えてしまう。わたしは、自分の子供のために尽くせるんだろうか。Aくんの母親のように周囲に常に頭を下げ、言うことを聞かずに周囲に迷惑をかける子供を躾け、周囲の心ない態度にも耐えることができるんだろうか。私がもっと人間的に成長すればできるのだろうか。今の私よりはるか人格者だった担任先生ですら、手をあげたのに?

子供可愛いと思う。昔は苦手だったのに、今は赤ちゃんをみると思わず笑ってしまう。自分が産むのは痛そうだし怖いけれど、好きな人の子供を産むのは素敵だとも思う。でもそう思えば思うほど、もし障害を持っていたらと考えてしまう。その子父親となる人は、私の両親は、友達は、理解を示してくれるだろうか。一人で育てることになるとしても、私は自分の子供を育てられるんだろうか。もちろん健常児でも同じ不安はあるけれど、障害児なら尚更、自信がなくなっていく。

知的障害の子供を捨てる方法はないらしい。親や親戚に育てられる環境があるなら、施設にはそう簡単に入れないという。産んでもし障害児だったら。もしくは、産まれときは元気でも、後天的障害を抱える可能性もある。そうなったら多分、私は捨てる方法を探してしまうかもしれない。子供を育てられる自信がないのはもちろん、わたしはAくんの母親のようにはなれないしなりたくないと思ってしまう。

こんなことを考えている私は多分子供を産む資格はないし、年齢的にもまだ産む予定はないが、子供を産んだ親は皆こういう悩みを乗り越えているのかな。それとも私の友達と同じように、自分の子供が健常児でないなんて想像もしていない?

ネット検索すれば綺麗事は沢山出てくる。色々考えて、乗り越えて、幸せ暮らしている家族だってたくさんいる。だけど、自分母親になれるような年齢になってから、Aくんの母親が忘れられない。優しい人で、でも小学校の後半は、子供の目から見てもやつれているのがわかった。彼女はどんな気持ちで、私たちと関わっていたのだろう。

Aくんと母親が今何をしているかは知らない。ただ、Aくんが楽しく過ごせて、あの母親がもう頭を下げなくていい生活をしていたらいいと思う。


1/27 1:22

注目エントリに入ってるのを見てビビり、タイトルがあまり露骨だなと思ったので変えました。本文も誤字直したり付け足したり。

本文に書いたように、どんな子供であっても自分の子を捨てるかもなんて考えをしている時点で私は子供を持つ資格はないと思っています。私の子がどうこうというより、障害を持っている子供とその周囲について、実際に見たことを思いだして、世の中の人はどう考えているのかなと疑問に思い書きました。不快な思いをした人はすみません問題があるようなら消します。

1/27 13:48

起きたら人気エントリに入っててさらビビりました。たくさんの反応ありがとうございます

編集タイトル変えても別のところ(ブックマーク?)では変わらないんですね。増田に書くのが初めてなので知りませんでした。消さなくて良いよと仰る方が多く安心しましたが、一部タイトル含め不快な思いをしてしまった方もいるようで、配慮が足りず申し訳ありませんでした。

コメントブックマーク等、全て読ませていただいています

私は親になったならばその子がどんな子供であれ幸せにする責任があると思っているので、福祉の充実も含め、親が二人(もしくは一人)で育てていかなくてはいけないという体制もっと良い方向に変化して欲しいなと思っています。勿論今も私の子供の頃に比べたら支援等かなり良くなっていると思うのですが、やはり世の中のお父さんお母さんでそこまで考えて産んでる人は少ないと思いますし、それこそ私の友人のように健常を前提として子供を産んだ親や、子供が産まれた後なんらかの事情障害を抱えた場合、すぐに「それでも我が子だから頑張ろう」と育てていける人ってかなり少ないと思います。これはもちろん健常児の場合も同じで、健常児だから楽というわけではないことは承知しています。ただ、親が正直しんどいと思った時、育てるか捨てるかという二択ではなく、少しでも子育てをお休みしたりできるシステムがあれば、親になりたい、もしくはなりたかったけど、という人も子供を持ちやすくなるしいいと思うのですが、これは子供からしたら親と離すなんて可哀想、という意見も出そうですし難しいのかな。まとまってなくてすみません

同じような不安を抱えているよ、と書いてくださる方が多くて嬉しかったです。また厳しい意見ありがとうございます。実際に体験した話もそうでなくても、皆さんから意見を読むことで、自分の中のモヤモヤしたもの記憶が整理されていく気がします。私はまだ社会に出たてのペーペーなので、まだ結婚出産といったものぼんやりとしたイメージしかないのですが、どんな選択をしたにしろ、自分も、産むとしたら自分の子供も、幸せであるように全力を尽くしたいと思います

ここまで読んでくださりありがとうございました。

2021-01-10

今の私は君のせい

私がこんなオタクになったのは君のせい。箸の持ち方が綺麗になったのも君のせい。君はもう覚えていないだろうから、ここで消化しようと思う。

一番古い君との記憶は、小学3、4年生の帰りの会。机の上に置かれたノートの「嘆きノ森」という文字が目に止まった。

私「これなに?」

君「......」

君は何も話さずに、ただノートこちらに見せてきた。ノートにはびっしり文字が書かれていて、「嘆きノ森」は曲名しかった。気になったので家で調べてみた。小学生だった私は「嘆」をどう読むのか分からなかったので、「きノ森」でくぐった。

すると、「嘆きノ森」はひぐらしのなく頃に祭opであることが分かった。ここで私の性癖があらぬ方向へ歪み始める。(当時を振り返ると何故君があの歳でひぐらしを知っていたのか不思議だし、あんグロいのよく見たなと関心する。)

小学生での会話はこれで最後。ここから私のオタクライフが始まる。エルフェンリートコープスパーティーSchoolDays、、Anotherblood-c、ぎょ、perfect blueパプリカetcオタクライフ順風満帆?だった。

次に話したのは高校1年生の時。中学卒業と同時に親にスマホを買い与えられ、初めてのスマホに興奮し手当り次第LINEを交換してた。高校グループLINE

┌(┌^o^)┐ホモォ

を送ったのが真っ黒い思い出です。

 そんな時、ひょんなことからからBL本を借りることになった。家が近かったこともあり休日に直接借りに向かった。君は何も変わってなくて、最近見てるアニメの話や攻め・受けなどの基本的BL用語を教えてもらった。おすすめBL本を聞いたとき玄関でおもむろにBL本を広げ始めたときはびっくりした。

中学時代は何度か席が隣になり、給食時間には向かい合って食べていた。君は箸の持ち方が綺麗だった。使い方は下手だったけれど。ハンバーグや肉が出てきたときは、箸をナイフフォークみたいに両手で持って食べてたね。君みたいに綺麗に持ちたくてまねしてた。でも学校で話すのはなんだか気まずくて何も話せなかった。

今では両手で使えるくらい上達したよ。君の知らない私の物語。そんな君と今、付き合っている。BL本を返す時に挟んだ「好きです」と書いた紙のせいかな。

2020-12-22

教育委員会から指導帰りの会がなくなって三週間、寒いのでみな体を洗いたがらず臭いがきつくなってきた

2020-12-21

小中学生の頃のいじめの思い出について。

いじめ話題を見聞きする度に、小学生中学生の頃に加担していたいじめを思い出す。

そして取り返しのつかないことへの申し訳なさと、どうすればよかったのだろうか、という思いで苦しくなる。

多分、この思いは一生抱えていくんだろう。

さっきTogetterでこんなまとめを見て、またそのことを思い出した。

https://togetter.com/li/1640001 : 帰りの会で『臭い』と言われて先生が取った行動が信じられないと話題に「大人でも死にたくなる」「集団いじめじゃないの?」

=====

いじめ対象の子も「臭い」と言われいじめを受けていた。

風呂に入っていないだとか着ているものが匂うとか、そういうものではなく、酸っぱい、鼻に刺激の強いものだったと記憶している。

また、太っていて、肌も像の肌のような荒れたものだった。今にして思えば、健康な体とは考えにくく、何かの病気を抱えていたんじゃないだろうか。

そして、これは長年いじめを受けていたためだと思うが、性格もとっつきにくい、ひねたものだった。

の子と私が出会ったのは、私が小学校3年生で転校してきたときだった。

クラスに入り、席の並びで作られる同じ班にいた子だった。

私はそれまで同級生も多くない少し田舎で育ち、それまでいじめを受けたことも、加担したことはなかった。周りでもいじめを見たこともなかった。

いじめというものを知らなかったと言ってもいい。私の視野が狭かっただけかもしれないが。

そんな私がその子最初に抱いたのは思いは、「なんか臭い」、「あまり近寄りたくない」というようなものだったと記憶している。

それでも、いじめというもの理解していなかった私は、その子が班の中で無視されていることもあまり理解せず、声をかけていた。

の子はすでに学校に嫌気を指していたのだろうと思う。掃除にも参加していないので、箒をわたし、あそこ掃いてきて、などとお願いした。無視された。

「いやな奴だな」という印象を抱いた。

そうしてしばらくやっているうちに、周りが直接臭いだのデブだのと、言葉攻撃していることに気づいた。

班の活動などで積極的に動かず、注意しても変わらないその子へのイライラが募り、私も注意ではなく、皆と同じように臭いデブ、近寄るなといじめを行う側になってしまった。

真面目にやらないうえに、確かに臭く近くにいるとそれなりに辛い、そういう思いから、周囲からいなくなってほしい、義理で班活動掃除などの場にいるのではなく、やらないなら別のところに行ってほしい。そういう考えもあったように思う。

の子とは結局、中学校までの間に同じクラスになることが何度かあったが、直接罵るようなことをしていたのは最初の1年目の間くらいで、あとは極力無視、関わらないようにする形だった。

それでももう一つ、中学時代にもその子とのエピソードがある。

席替えでその子の隣の席になった。そして、やはり臭かった。隣の席で授業を受けていると、臭いが気になってイライラしてしまっていた。

なので、席を離した。一番後ろの席だったこともあり、通路側に半分乗り出すところまで席を移動させた。

そのことを、先生に指摘をされたが、背が低いので前の席の人で見辛いことなどを主張したら、認められた。

中学時代の僕は「真面目ないい子」で通っていた。なので、先生は僕の言うことはあまり疑わなかった。もしかしたら気づいて私の意思をくんだのかもしれないが。

いじめられていた子本人は気付いていただろうと思う。

こうした僕や先生のやり取りを見て、何を思っただろうか。どれだけ傷ついただろうか。悔しい思いをしただろうか。当時の私はそんなことを考えることもしなかった。

このやり取りの後、席替えで別れていこう、その子とかかわることはなくなった。

その後その子クラスの中でどう過ごしていたかも覚えていない。

不登校になったりはしていなかったので、私は本当にその子と関わらないようにしていたのだな、とこの文章を打ちながらあらためて気づかされた。

卒業した後もその子の話を誰かから聞くこともなく、成人式でもその子の姿は見なかったと思う。

こうして文を打ちながらも、私はその当時のことを申し訳なく思って入るものの、反省しているかというと、そうでもなさそうだ。

ここまでの文章を読み返してみると「私は悪くない」という思いがにじみ出ているな、と自分ながら思う。

実際のところ、直接傷つける言葉をぶつけたことは申し訳ないと思っているし、反省している。

それでも、その子と当時どう付き合えばよかったのか、今でもわからない。

これは余談だが、私自身も中学時代はいくらかの(かわいいものだが)いじめを受けた経験がある。

前述したように、私は先生に気に入られるような、真面目でいい生徒だった。

また、先のいじめ対象の子以外については、クラスではみ出し者のような子ともつるむようなタイプだった。

そうした態度が、学校内の不良気取りの人や、はみ出し者をいじめてた人から嫌われる原因となっていたのだと思う。

廊下ですれ違いざまに殴られたり、机や体育館シューズの中に生き物の死骸を入れられたりなどした。

当時その場でできる形でやり返す、やられて泣き寝入りにすることはしなかった、などもあったのだろうが、それはすぐに収まった。

それでも、今でもやられたことは覚えている。つらい思い出というよりかは、イラっとする思い出として。

いじめられた子はどう思っていたのだろうか。今どうしているだろうか。

私のようにイラっとする思い出でとどめていればいいが、おそらくそういうことはないだろう。

他人事のように、元気にしていればいいな、と思っている。

申し訳ないとは思うが、いじめられていた子への現在の思いをいろいろ考えたが、それくらいしか出てこなかった。

ただ、申し訳なさだけが胸に残り、どうすればよかったのだろうという問いだけが頭の中をループする。

いじめの思い出について、自分気持ちの整理のように書いてみた。

結局私は、申し訳ないな、と思いつつも反省していないし、この文章自分の罪を吐き出して少し楽になりたい、というものしかない。

あるいは、この記事を読んで、罵ってくれる人がいれば、それで反省できるだろうか、という卑しい思いもある。

それでも実名告白したり、身近な友人に吐き出すこともできない臆病者だ。

そうしたことも含め、この文章を見て、思ったことを、率直に教えてもらいたい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん