2020-12-21

小中学生の頃のいじめの思い出について。

いじめ話題を見聞きする度に、小学生中学生の頃に加担していたいじめを思い出す。

そして取り返しのつかないことへの申し訳なさと、どうすればよかったのだろうか、という思いで苦しくなる。

多分、この思いは一生抱えていくんだろう。

さっきTogetterでこんなまとめを見て、またそのことを思い出した。

https://togetter.com/li/1640001 : 帰りの会で『臭い』と言われて先生が取った行動が信じられないと話題に「大人でも死にたくなる」「集団いじめじゃないの?」

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いじめ対象の子も「臭い」と言われいじめを受けていた。

風呂に入っていないだとか着ているものが匂うとか、そういうものではなく、酸っぱい、鼻に刺激の強いものだったと記憶している。

また、太っていて、肌も像の肌のような荒れたものだった。今にして思えば、健康な体とは考えにくく、何かの病気を抱えていたんじゃないだろうか。

そして、これは長年いじめを受けていたためだと思うが、性格もとっつきにくい、ひねたものだった。

の子と私が出会ったのは、私が小学校3年生で転校してきたときだった。

クラスに入り、席の並びで作られる同じ班にいた子だった。

私はそれまで同級生も多くない少し田舎で育ち、それまでいじめを受けたことも、加担したことはなかった。周りでもいじめを見たこともなかった。

いじめというものを知らなかったと言ってもいい。私の視野が狭かっただけかもしれないが。

そんな私がその子最初に抱いたのは思いは、「なんか臭い」、「あまり近寄りたくない」というようなものだったと記憶している。

それでも、いじめというもの理解していなかった私は、その子が班の中で無視されていることもあまり理解せず、声をかけていた。

の子はすでに学校に嫌気を指していたのだろうと思う。掃除にも参加していないので、箒をわたし、あそこ掃いてきて、などとお願いした。無視された。

「いやな奴だな」という印象を抱いた。

そうしてしばらくやっているうちに、周りが直接臭いだのデブだのと、言葉攻撃していることに気づいた。

班の活動などで積極的に動かず、注意しても変わらないその子へのイライラが募り、私も注意ではなく、皆と同じように臭いデブ、近寄るなといじめを行う側になってしまった。

真面目にやらないうえに、確かに臭く近くにいるとそれなりに辛い、そういう思いから、周囲からいなくなってほしい、義理で班活動掃除などの場にいるのではなく、やらないなら別のところに行ってほしい。そういう考えもあったように思う。

の子とは結局、中学校までの間に同じクラスになることが何度かあったが、直接罵るようなことをしていたのは最初の1年目の間くらいで、あとは極力無視、関わらないようにする形だった。

それでももう一つ、中学時代にもその子とのエピソードがある。

席替えでその子の隣の席になった。そして、やはり臭かった。隣の席で授業を受けていると、臭いが気になってイライラしてしまっていた。

なので、席を離した。一番後ろの席だったこともあり、通路側に半分乗り出すところまで席を移動させた。

そのことを、先生に指摘をされたが、背が低いので前の席の人で見辛いことなどを主張したら、認められた。

中学時代の僕は「真面目ないい子」で通っていた。なので、先生は僕の言うことはあまり疑わなかった。もしかしたら気づいて私の意思をくんだのかもしれないが。

いじめられていた子本人は気付いていただろうと思う。

こうした僕や先生のやり取りを見て、何を思っただろうか。どれだけ傷ついただろうか。悔しい思いをしただろうか。当時の私はそんなことを考えることもしなかった。

このやり取りの後、席替えで別れていこう、その子とかかわることはなくなった。

その後その子クラスの中でどう過ごしていたかも覚えていない。

不登校になったりはしていなかったので、私は本当にその子と関わらないようにしていたのだな、とこの文章を打ちながらあらためて気づかされた。

卒業した後もその子の話を誰かから聞くこともなく、成人式でもその子の姿は見なかったと思う。

こうして文を打ちながらも、私はその当時のことを申し訳なく思って入るものの、反省しているかというと、そうでもなさそうだ。

ここまでの文章を読み返してみると「私は悪くない」という思いがにじみ出ているな、と自分ながら思う。

実際のところ、直接傷つける言葉をぶつけたことは申し訳ないと思っているし、反省している。

それでも、その子と当時どう付き合えばよかったのか、今でもわからない。

これは余談だが、私自身も中学時代はいくらかの(かわいいものだが)いじめを受けた経験がある。

前述したように、私は先生に気に入られるような、真面目でいい生徒だった。

また、先のいじめ対象の子以外については、クラスではみ出し者のような子ともつるむようなタイプだった。

そうした態度が、学校内の不良気取りの人や、はみ出し者をいじめてた人から嫌われる原因となっていたのだと思う。

廊下ですれ違いざまに殴られたり、机や体育館シューズの中に生き物の死骸を入れられたりなどした。

当時その場でできる形でやり返す、やられて泣き寝入りにすることはしなかった、などもあったのだろうが、それはすぐに収まった。

それでも、今でもやられたことは覚えている。つらい思い出というよりかは、イラっとする思い出として。

いじめられた子はどう思っていたのだろうか。今どうしているだろうか。

私のようにイラっとする思い出でとどめていればいいが、おそらくそういうことはないだろう。

他人事のように、元気にしていればいいな、と思っている。

申し訳ないとは思うが、いじめられていた子への現在の思いをいろいろ考えたが、それくらいしか出てこなかった。

ただ、申し訳なさだけが胸に残り、どうすればよかったのだろうという問いだけが頭の中をループする。

いじめの思い出について、自分気持ちの整理のように書いてみた。

結局私は、申し訳ないな、と思いつつも反省していないし、この文章自分の罪を吐き出して少し楽になりたい、というものしかない。

あるいは、この記事を読んで、罵ってくれる人がいれば、それで反省できるだろうか、という卑しい思いもある。

それでも実名告白したり、身近な友人に吐き出すこともできない臆病者だ。

そうしたことも含め、この文章を見て、思ったことを、率直に教えてもらいたい。

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