はてなキーワード: 安全地帯とは
原作未プレイで難易度一番簡単なやつでさくっとクリアしようと思ったけど、ブラックラビまで倒して21時間かかった
真エンド見るまでに3時間
アマゾン風に5つ星基準で評価つけるなら星2.5って感じかなー
キャラとボイスはいいんだけど、ストーリーとアクション、ロードがクソだった
ps4でもぎりぎり許容ラインだったのに
原作重視で余計な手をいれないようにしたいのはわかるんだけど、
たいしたグラフィックでもないのにロードがやけにながかったり、
メッセージだけ飛ばしたいのになぜか次のメッセージの開始部分まで飛んじゃって、メッセージとメッセージの間にあるムービーが見れなくなるし
まちのなかで宝箱あけたり話しかけたりするときに攻撃アクションが暴発するし
戦闘中の移動速度と緊急回避がおそすぎて、敵の移動速度とか攻撃速度に追いつかないし
攻撃のキャンセルができないから攻撃連打してるときに敵の範囲攻撃されると絶対くらうし
ドアの形してるやつ
床からトゲでてくるわ雑魚召喚しまくるわふっとばし攻撃してくるわでさんざんだった
明らかな安全地帯がなくてほぼ全面まっかな予報色がでたりして途方に暮れたわ
弱点ついて特攻すればそこまでむずかしくもなかったらしいけど
クラスチェンジしてMP回復する方法がわかってからは楽になった
すぐMP切れてどうしようもなくなってて、アンジェラ失敗したかな直接攻撃キャラにしたほうがよかったかなと思ってたし序盤は
ぎゃくに終盤はせいんとびーむ連発とMP軽減と雑魚特化したら裏ダンもさくさく進んだ
裏ダンはさくさくすすめても単純に長くてかなりダレたけど
モデルビューアーとかボイスビューアーあればよかったけどそれもないし
キャラ回転はできるけどモーションみれたりはしないし上下回転もズームもできないし
かんぜんにクソゲーでまったく楽しめなかったわけでもない
クラス3とかになっていろいろそろってきてからはそれなりにさくさくすすめて爽快感もあったけど、
序盤がほんとつらい
ただし以下の理由で反発を食らうことが多い。
・カルト構造と同じで、一般社会的には極端な思想であるから目立ちやすい。
・ヴィーガン思想はインテリがなりやすく、教条的で、教師のような口調になることが多い。
・肉を食わずに豊かな食生活が送れる、というのが理解されず、不気味に映る。
・動物を殺すべきではないという真理を、上から目線で言われると腹が立つ。
ツイッターなどSNSでは少数派の意見が目立ちやすいというのも理由だと思う。
そもそも動物を解放したいという思想は民主主義・リベラルに通じる。
人権・生きる権利を最重視するわけで、他人を暴力や権力で制約することに興味がない人がほとんどである。
その思想を動物と地球に拡げたのがヴィーガニズムだと個人的に思っている。
また、肉を食わないと精神が安定し、激高したり無駄なアグレッシブさを回避できる。(これはメリットデメリット両方)
信じられない人は、3日間完全菜食をして、自分で人体実験をしてみるといい。
驚くほどメンタルが変わると思う。
自分自身は"バカだぞ?"って開き直るのに、他人のバカな振る舞いは許さないのかぁ・・・って思ったが、
よくよく考えたら、能力が足りないことに対して怒ることはあまりない気がする。なぜなら怒ってもしゃーないからだ
子ども用三輪車が指摘を受けたら三輪のモーターバイクになったりしないのと同じだ
プンスコするのは自分自身の中の道徳哲学から外れたバカな言動を見た時の模様というわけで
隣地は週に数回、管理人が訪れる程度。
鉄筋コンクリート造の建物と複数の倉庫があり、建物外でも雨風凌げる場所が多い。
親猫には都合が良さそうだ。
仔猫は3匹いて、遠目にはその様子は可愛らしかったが、アパート住民からしたらやっぱり不都合なことだった。
車に傷がつき、糞の匂いが漂った。
野良猫がアパート敷地内にいれば追い払うし、忌避剤をまいたが、安全地帯と化した隣地があるかぎりどうにもならなかった。
隣地の管理人にも協力してもらって、どこか棲家を変えてもらわなければならない。
いや訴えようとした。
管理人はこちらの話を遮り「対応します」と短く答えて、すぐに去ってしまった。
その冷たさから、隣地の管理人が餌付けをしているのか(なお餌付け現場は見たことない)、対応する気がないのか、そういうふうにしか思えなかった。
それから、特に様子は変わらず、アパート敷地内で見つけては追い払う日々が続いた。
それから、約三週間後。
普通に死んだだけに見えた。
そして、これ以降、猫を見ていない。
あの日、隣地は草刈りとか一斗缶の撤去とか少しだけ掃除がされていた。
相変わらず猫が隠れる場所はたくさんありそうに見えたが、この環境の変化を嫌がって引っ越したのだろうか。
でも考えてしまう。
そこで何が起きていてもわかりようがない。
まず最初に、安倍元首相のご冥福をお祈りします。
今回の事件、犯人は事前に射撃練習を重ねるなど用意周到であり、直前に安倍元首相の応援演説が決まったこともあり警備対策は困難であったと思う。
自分も事件直後は、警護は結果責任が重要な職務であり責任は問われるべきだと思うのだが、一方では、たまたま警護の責を負った奈良県警は不運だなとも考えていた。
しかし、Youtubeに上がっている複数の警護訓練の画像を見て、これは個別県警というより県警を超えた全体の警察組織の構造的な問題ではないかと考えるようになった。
(映像の中でも要人警護のあたりからスタート。都合よい切り取りではと思ったら通しで見てください。)
もちろん、これはマスコミや一般用の公開映像だということは留保すべきだとは思う。
外部に見せるための訓練として、ある程度のフォーマットが決まっているのではあろう。
しかし、どの自治体警察の訓練想定も非常に類似しているし、今回の事件と比較すると理想的すぎる状況ではと感じてしまう。
そう感じる点は下記のような点。ほかにも色々あると思う。
・ 訓練シナリオ : 要人が車から出てくる→観衆に近づく→暴漢が飛び出す→車に退避
・ 観衆は20人程度で片側に整然と並ぶ
・ あらかじめ安全地帯となる車が用意されている
・ 暴漢が飛び出ると観衆も一斉にしゃがんで回避姿勢をとるなど、冷静に協力的に対応
・ 警護対象の要人も即座に回避姿勢をとり、鍛えられた成人の退避スピードで車に迷わずに逃走する
もちろん訓練の目的として基本動作を反射的に行えるようになることは重要であり、ある程度の共通の型は必要だと思う。
また、現場の警察官やSPの方は個人個人は日々努力されているであろうし、要人警護に対する責任感も強くあっただろう。
しかし、あまりに画一的な訓練を行うことで思考力や判断力を停滞させ、今回のような事態に臨機に対応できなかったのではと思ってしまう。
おそらく、全国の警察組織にわたって訓練マニュアルと公開向けの訓練マニュアルが用意されていて、それに従って行動することが徹底されてしまっているのではないか。
上記の映像を見ていると、訓練プログラム自体が機能していなかったのではという思いに駆られる。
今回の件を警護に当たったSP・奈良県警個別の責任問題のみに矮小化するべきではないと思う。
非命に倒れた安倍元総理に殉じ、現場警察官の努力に報いるためにも、警察は構造的にプログラムを見直した方が良いのではと考えた。
同人界隈が燃えている。ただの炎上なら対岸の火事程度で、半年後にはもう忘れられているだろう。
ただ今回のは民族差別を訴えたルーツ持ちの当事者が、ガチめの集団ネット差別を受けるという最悪の展開だ。
「その名称を使う意義を考えてくれ。その名称は押し付けられた歴史だ。」
立ち止まって考えてみれば、確かに避けた方がよかったかもしれない。みんなが気軽に使ってるので何も考えずに使ってしまった。
苦痛を排除した優しい世界を描きたかったので、キーアイテムとして使ってしまった。
軽率で無知だった。無知とは他人を、自分を傷つけるという言葉通りになった。
反省して終わればいいが、その表現を使った人達は、訴えた人が満足がいく回答を出来なかったため、戦う範囲がどんどん広がっていった。
作家さんが答えられない・謝罪をして作品を消しはじめて、読み専やジャンルが好きな一部の人が逆上した。
訴えた人を匿名アカウントで攻撃する人達が出始めたのだ。原作で悲劇とされた、民族差別がはじまってしまった。
最悪だ。
ひと月果敢に戦っておられたが、ガイドラインを提示しろという圧に負け、同人界隈ルールを提示して終わりとなってしまった。
もっと最悪だ。
ガイドラインにかこつけて、考えないでいい免罪符が出来てしまった。
作品を好きなら向き合う必要のある問題で、個人的にはその名称は使わないが一番だったと思う。
ようやく本題となります。
被害者には表立って表明している協力者や、知識豊富な人達がついているように見受けられるので、ケアはその人達に任せます。
それに私には同人知識はあるが、民族被害者の知識がないので無理です。
二次創作をしていた人達の心情を思うと、自分まで落ち込み胸が痛んだので、以下の分はその人達に向けてこれを書く。
長年無駄に同人界隈にいる老人からの共感という名のメッセージです。
SNSの仕組み上、公衆の面前でいっぱいの人が見てるところで、反論できない正しい説教されるのは、とてもきついです。
指摘の時点で落ち込んでいるのに、更にどうしてやったか説明しろと言われるとメンタルおかしくなると思う。
金貰って働いてやってる活動な訳でもないし、無料公開の漫画や絵を上げる趣味で息抜きなグルーミング。
そもそも怒られるの嫌で日常生活や仕事できるようになるぐらい、人間って生き物は基本的に怒られるの苦手だもの。
これに耐えれるなら商業やってるよね。その気持ちは貴方の素直な気持ちなので、否定しないでね。
加害しといて傷つくなんておこがましいとかいう意見は気にしなくていい。まずは傷ついていることを認めよう。
ここで認めずフタしてしまうと、別のタイミングで、別の人を過剰に説教したり怒ってしまう可能性があるから。
まじもんの負の連鎖になる。
いっぱい考えたと思う。注意文を入れる、地雷表記を入れる・・・でもそういうワンクッションがあるなら、ハッピー系の作品でも今回の事件がずっとくっついてくるよね。
作品発表してるだけで、人を足踏みつけてる状態になるなら消そうって思うよね。そして自分が作った作品に刺青入っている状態なら、もう消そうってなるの分かる。
消せなかった人は、毎日こつこつ頑張って書いた幸せな世界、大切にしたい気持ち分かります。同調圧力で消せって強要されるの凄く悲しいよね。
そのままでもいいと思うし、苦情が来るならひとまずパスワード制にする方法もあるし、非表示にして自分だけでも肯定してあげるのでもいいと思う。
・意見表明できなかった人。
そもそも同人界隈は日常生活がしんどくて逃げ場にしている人が多い。コロナでストレスたまっている人もいるし。息抜きの場だよね。
安全地帯のはずなのに、なんでこんな辛いこと起こってるんだって思うよね。SNS閉じれば逃げれる人はいいねって言われても、辛いのキャパは人それぞれ。
長年の積み重ねから来る怒りを、個人が簡単に受け止めることは出来ない。社会が変わる必要があることです。
あなたの日常生活に支障きたすなら、無理しちゃ駄目。出来る人が出来ることをするの大事。あなたにはあなたの人生の優先順位があるので、まずはご自身と周りを大事にしてください。
今回は無理だった。いつか元気な時に誰かの力になってあげよう。そう思ってください。
めちゃくちゃ大変な作業がいっぱいある中、大勢と連絡とってちゃんと完成させようと、頑張っているの凄いと思います。
企画にあたって努力してきたそれまでの過程は誇っていいので自信持って下さい。
とても気力がいることだし、今回は頓挫してしまうかもしれないけど、別の機会に改めて頑張って欲しいです。
・被害者に寄り添ってる方々
・被害者さん
最初からたった一人で戦わず、頼れる見方をもっと増やしてください。心穏やかな生活が送れるように祈っています。
最後に読専で経緯を全部追えてないので、間違っていた部分ありましたら修正します。
出来ればこの当事者の方々が、事件をまとめて風化させないよう、ブログで書いていただければなと思っています。
同人界隈なんてなくなっていいわ。そう思わせる悲しい事件でした。
同じことが繰り返されないこと、切実に祈ってます。
・好きな生き方が出来なくなる
・労働基準法回避のために名ばかり管理職にされることで他の権利を一緒に失う
・訴えられない程度のハラスメントや無能ではクビに出来ず職場の空気が悪くなる
これはつまり、日本という国から、やる気・時間・自由などの要素を取り上げてシュレッダーにかける行為なのです。
労働基準法は日本国民が生み出す有形無形の様々な価値あるものを政府のやってる感のために取り上げる悪法なわけですよ。
なぜ、反対しないのですか?
こんな法律があるから、なかなか人をクビにできないから就職氷河期が産まれたんです。
失われた20年をリピートして失われた40年へと延長した真犯人こそが労働基準法なわけです。
もしこれが本当に素晴らしい法律なら「どうして公務員には適用されないんでしょうか?」
そう答えは明白です。
法律を作っている人達はこんな法律は単なるごっこ遊びだと気づいているからです。
だからこっそり自分たちだけ公務員法という別の法律を適用するようにしているのです。
卑怯ですねー。
すぐ横で国民たちに不当な法律が突きつけられているのを自分たちが助かるための生贄として見捨てたわけですよ。
かくして政権与党のお爺さんたちのやってる感のために国民はこんな意味不明な法律を押し付けられたんです。
酷いと思いませんか?
こうしろああしろと言った張本人たちは安全地帯で「いやー自分たちは労働基準法の外にいるからなー。羨ましいなー労働基準法に守られてて羨ましいなー」と棒読みしてるんですよ?
いや実際はぜんぜん違うのかも知れないけど近い要素が沢山有る。
いや違うな。
やっぱぜんぜん違うわ。
決定的な違いがあった。
・マーベリックは飛び続けることを誇りに思う
・ククルス=ドアンは戦いの匂いを疎ましく思う
全く逆だ。
表向きは平和な時代に危険地帯(DANGER ZONE)に舞い降り世界に降りかかる火の粉と戦うことを選んだマーベリック。
戦火の吹き荒れる世界の中で安全地帯に引きこもり自分たちに降りかかる火の粉だけを払い除けるククルス=ドアン。
何が違ったんだろうか。
まあ、作られた国でほぼ間違いないだろうな。
戦勝国アメリカは軍人を肯定しハクトウワシの意匠を崇拝する、敗戦国日本は軍人を軽蔑し旭日に辟易する。
ジオン公国の兵士は偽りの権威にヘコヘコしているだけのシミッタレの勘違い共であり、トップガンは偉大なる勝利者達を先導する人類のエースだ。
その絶対的な差が生き残り続けたベテランの魂に全く違った姿を映し出す。
鍛え抜いた力に誇りを感じ背筋を伸ばして後進を育てるマーベリック。
戦いののおろかを恥じ丸めた背中ごしに敗戦国史観を伝えるククルス=ドアン。
旧世代機を狩る二人のベテランパイロット、その背中から伝わる世界観があまりにも違う。
かたや実写のマッチョな男たち、かたやアニメで主人公はウラナリだ。
俺たちにとって母国語で作られたのはどちらだ?
悲しくなるぜ。
負けた国に産まれたというだけで、悲しくなる。
”ゼレンスキー氏、男性の出国求める請願書に「故郷守ろうとしてない」”のブコメ欄
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASQ5R1SQ2Q5RUHBI001.html
zyzy まぁ古来から出産と兵役は対なんでこの性的役割にはなってる。何故かと言うと国土は極論そこに属する母体とそこから発生する子孫を国土に属する男性が保有する権利の為にあったから。女性には国土を守るメリットない
他、「やむを得ない」「仕方ない」「きれいごとは言えない」等、男性の出国(脱出)禁止措置を消極的に肯定するブコメ多数。
戦地ではない安全な場所に避難して安全に生き続けたい、死にたくない、ていう「自己の生命」「自己保存本能」を制約する国家の措置って、これ以上ない究極の人権侵害だと思うのだけど、そう捉えない人もいるんだ。
国家がなくなっても人は生きていけて、個人にとっては「死んでしまえばその後に国家がどれだけ永らえようが栄えようが、死んでしまえばそれで終わり。だから俺にとって国家の価値は俺の命の価値より軽い。とにかく俺は死にたくない」という人がいてもいいし、俺自身がそういう思想なんだけど、それは認められず「国家を永らえるためには国家権力による個人(男性)への死の強要も仕方ない。男は甘んじて受け入れろ。命をかけて国を護れ」て考えの人が、はてブにこれだけ多かったんだ。全体主義そのものじゃないか。
「外部からとやかく言えない」?いや、同じ人間だろ。当事者が「国(戦場)から逃れさせてくれ」と要望してるだろ。
ウクライナ人である前に人間だろ。なんで同じ人間としてでなく「あいつウクライナ人男性、ワタシ日本人、チガウネ。ワタシ何モ言エナイ」と思考放棄してんのよ。人権てそんなものじゃないだろ。
「国家存続の危機の前に国家が取る手段に対して、外国から何も言えない」ならアメリカからいつイラクのように攻撃されるかビクビクしてハリネズミになってる北朝鮮国内の全体主義にも何も言えなくなっちゃうだろ。
ウクライナは良い人権侵害で北朝鮮は悪い人権侵害か?その違いは何なんだよ。
「出産と兵役が対」で、かつ「兵役の強制(徴兵制)も仕方ない」のなら、
ウクライナ政府が「女性は国に残って、国家が指示した強い男性兵士と性行して子を産み次世代の兵士として育てよ」と徴妊制を導入して妊娠出産を罰則つきで強制したとしても、今回と同様に「やむを得ない」「仕方ない」「きれいごとは言えない」て反応になるのかよ。
不妊症で子供産む可能性がない女性だけ徴兵されて戦場に送られて「なぜ私たちだけ!」と嘆いても「兵役の対になる出産ができないから仕方ない」で済ませるのかよ。
そんな反応は想像できないんだけど…絶対にはてブは批判・非難だらけになるよね。
(あと「重度の障碍児や障碍者は、国を護ることができず生産もできず、国家存続の前に負担にしかならない。国がなくなれば終わりだから緊急避難として全員強制収容する。生かすのに人手がかかるから少しでも兵士を確保するため労働力にならない者から処分する。」も「やむを得ない」になっちゃうよね。ナチスのように。)
「徴兵制」と「徴妊制」のどちらも肯定するか、どちらも反対するなら筋が通ってるけど、前者に賛成しつつ後者の導入となると「それは酷い、女性を産む機械扱いか、やめろ」と思っちゃうでしょ。いや、男性だって「戦う機械」じゃないから。死にたくない一人の人間だから。
結局のところ、女性の貞操・性的自由よりも、男性の命のほうが軽いと。
「徴妊制」まで行くと極端な考えだけど、「出産と兵役が対」なのであれば、
「男女ともに徴兵し前線に行かせる。ただし妊娠している女性だけは、子を出産し立派な兵士に育てあげるまでの期間は徴兵を猶予する」て制度くらいは導入しないと「平等でない」と思うけどな。
(さらに言えば、生まれた子を優秀な兵士にするため、ポルポトのように親元から引き離して集団で兵士として育てることだって「国家滅亡の前ではやむを得ない」「仕方ない」「きれいごとは言えない」で肯定できちゃうよね。)
片方の性にだけ命の危険を強制することを是認して、もう片方の性には何も強制しないのを良しとするって、結局は性差別主義者だよね。
国家滅亡の危機だからといって、女性に強制的に妊娠出産させて兵士生産装置にするのは許せない、ひどい人権侵害だ。
戦力や労働力にならない障碍者を絶滅収容所に入れるのも許せない、ひどい人権侵害だ。
優秀な兵士を増やすため子を強制隔離して国家が洗脳教育しポルポト式集団養育するのも許せない、ひどい人権侵害だ。
だけど成人男性が安全地帯へ逃げたいと言っても避難を禁止したり、成人男性だけを本人の意思に反して強制的に軍隊に入れ戦場に送って人を撃ち殺させたり、撃ち殺されたりさせるのは「仕方ない」「やむを得ない」「きれいごとは言えない」だって。
こうやって並べてみると、どれだけ「男性の生命に関わる事だけが"仕方ない"で切り捨てられ、男性の人権が軽視されてるか」がよくわかるね。それをやってるのがはてフェミなのよ。
※末尾に追記2(5/7 19:26)、追記3(5/8 01:45)を付与。
※園子音氏に関する一部表現を修正。週刊誌報道を認めての謝罪ではないと判断したため。こちらで係争中と見られる件の善悪についての判断をするのは不適切と判断し、関連する記述は削除した。(5/8)
何故、フェミニストの中では「たわわ」がNGで、園子温は"無罪"(論じる必要がない対象)なのか?何故、オタクがバッシング対象で、ホストは共感の対象なのか?フェミニストの性質の中にその答えが眠っている。
「フェミニストの活動家達には、何故こんなに一貫性が無いのか???」
こんな事を一度でも思った事のある方は、少なく無いのでは無いか。
何故、フェミニストは、実際の被害者が居ない「たわわ」にお熱になるのに、被害者と称する女性からの訴えが週刊誌に載った園子温にはさほど関心を示さないのだろうか。
何故、フェミニストは、「海、似合って無いね」動画における反応のようにインドア派の男性(というかオタク)への蔑視を隠しもしない一方で、実際に女性を搾取するホストに対しては、さほど怒りの声を上げず丁重に扱ってしまうのだろうか。
何故、成人指定でも無いお色気漫画のゾーニングを強く求める一方で、BLに対するゾーニングに抵抗し自由を求めてしまうフェミニストが出て来てしまうのだろうか。
フェミニスト諸兄は、胸に手を当てながら読んで頂き、自分に当てはまる点について、「アップデート」する事は出来ないか、じっくりと考えてみてほしい。
フェミニストは、「〜だから、ダメ」というタイプの論理を多用する。
フェミニストが火をつける炎上は、基本、この論理のタイプで起きる。
一方、フェミニストは「〜だから、良い」というタイプの論理を使用する事については慎重だ。
この論理を使用する場合、フェミニストでなくても言える以上の結論となる事は、あまりない。「性的表象」のような妙なフェミニスト用語を使うケースは滅多に見ない。誰もが「そりゃそうだ」と思えるレベルの、ある意味無意味な内容の時に、好んでこの論理を使う事になる。
これはどういう事を意味するのか。
フェミニズムは「何が良いのか」「何がダメなのか」という事の境界線をきっちり引くことに、正面から向き合っていない、ということだ。
そして、境界線がないが故に、個々の事象に対する良し悪しの判断が、個々のフェミニストに内在する、明確な境界線のない嫌悪の反応(つまりは「お気持ち」)に委ねられてしまう事になる。
「一人一派」と言う表現は、その現状を言い換えているだけに過ぎない。
次の論戦を見てみよう。
https://togetter.com/li/1873195
この議論で最も重要な指摘はCDB氏による以下のコメントである。
小宮先生は『まずUN WOMENの主張を理解せよ』と仰いました。なので、『UNWは広告表象を問題にしており、表現を修正すれば掲載可能である』と主張していると解釈されるのか、それともUNWは作品そのものが広告掲載に不適切であると主張している』と解釈されたのか、小宮先生の解釈を伺っています。
「たわわ」の広告表象が問題であるのか、作品が問題であるのか、という質問である。小宮氏はこれに直接回答する事を避けている。
小宮氏を少し擁護すると、これは小宮氏でなくとも回答が困難な問いであろう。何故なら、UN WOMAN側がどちらの解釈が適切なのかを提示していないからだ。そもそもフェミニズムが、この場合にどう判断するかという線引きに十分に向き合ってこなかったのだから、小宮氏にはどちらとも言えないのである。
UN WOMANのコメントがなければ解釈が出来ない、という構造は興味深い。つまり、結論が先にあって、その理論付けは後から行う、と言う実態を示唆しているからである。
多くのフェミニストの主張では、個々の事象に対して、それを許すか許さないか、についての個人の無意識的なバイアスに基づく判断が先にある。そこから理屈が逆算される形で構築されるのである。
最近、「当事者性がある人が批判するべき」「当事者性がなくても批判できるべき」と、シチュエーションによって主張が安定しない論者が話題になった。
理由は簡単で、その場その場で結論から後付けで理屈を構築しているからである。
シチュエーションによって、議論の構造と前提が異なるため、その場で自分に都合の良い形(言い換えると「お気持ち」)で論理を組む事になる。結果として、ダブルスタンダードな主張が散見される事になる。
良し悪しに関する客観的な物差しの不在はまた、男性に向ける物差しを自分に適用しないように巧妙にサボる事も可能にする。
「海、似合ってないね」という例の動画を見れば、これがジェンダー的にかなり多くの要求を男性に課している事は間違いない(性別を逆にして、スタイルの悪い女性に「海、似合ってないね」と言ったら大炎上するのは、火を見るよりも明らか)。しかし、何人かのフェミニストはこの動画を絶賛した。
それは、彼女らが自身の中にジェンダーについての規範をインストールしてこなかった事を強く示唆している。言い換えると、相手に求める厳しさを自分に適用していない、という事である。
「たわわ」や「宇崎ちゃん」に怒りながら、BLの不健全図書扱いに怒るフェミニストもまた、非常にわかりやすい例である。男女間で別の基準を適用することの狡さを、本人の中で言い訳をしながら共存させてしまっているのである。
フェミニストは、ダブルスタンダードと言われても意に解さない。
自分が悪者になりうるような基準を、そもそも自分の中に持たない(もしくは言い訳、という形でパッチを当てる)事で、「自分がおかしいのではないか」と懐疑心を持たなくても済む、という構造があるからである。
なので、フェミニストが自分が責められた時によく使うロジックは、「それには当たらない(だから自分は悪くない)」である。常に自分は(何やかやと言い訳をして)安全地帯にいることになっているのだ。
私見だが、
この文章を読んだフェミニストは恐らく「これは、きちんと書けていない。だから自分の話では無い」と矮小化するか、「この論理は破綻している。だから認める必要はない」と全てを排除するか、の大きく2つの類型に向かうのではないか、と予想している。
フェミニストの一部に非常に性格の悪い人間が居る。多分本人は気づいていないだろうが、周囲からは丸わかりである。これはフェミニズムが他責型の人間にとって居心地が良い構造にあることと無縁ではないだろう。
フェミニストは行動を起こした結果がどうなろうと、その事にはあまり関心を持たないし、結果に責任を取ろうともしない。ましてや「これはやり過ぎたのでは?」と思う事もない。
大量の人間を集めて、一人の人間を徹底的に糾弾するほど、社会的に強いメッセージを発している。にも関わらず、問題が起きても、誰も責任者が出てこない。これはあまりに情けない話で、呆れている。何故フェミニストはこんなにも無責任な人間の集まりなのだろうか?
オープンレターでもう一つ興味深いのは、「教授」などの肩書きをとても重要視している事だ。単なる署名であれば肩書きは不要であるはず。肩書きをつける事で権威を付けて相手を攻撃しようと言う意図を読み取る事ができる。
たわわの件でも「UN WOMAN」が日経新聞に抗議するというアクションが取られている。
演繹的な議論を嫌う性質と、結論ありきの権威主義は相性が良いといえば言い過ぎだろうか?
この文を読んで、「アカデミックなバックグラウンドを持つ人物かどうか確認出来ないからダメ」と考えるならば、それはつまり権威主義の病が膏肓に入っていると言えるだろう。
フェミニストは自分を省みないので、まともにこれを読まない人間がきっと多数だろうが、フェミニストでなければ首肯する点が多いのではないか。
また、上記の逆になるように行動するようなフェミニストは健全であるとも言える。皮肉ではなく、そのようなフェミニストであれば全力で応援したい。
他者にばかりアップデートを求めるフェミニストに自らのアップデートが出来るとは到底思えないが、実現すれば結果としてもっとジェンダー的にフェアな状況が生まれるように思える。
若い世代でフェミニズム離れが進むのは、こういうフェミニスト・フェミニズムの(卑怯な)特性に嫌気が差している部分も大きいと考えるからだ。
面白いなー。園子温への対応の話以外にも一貫性の無さを取り上げているのだけど、園子温の件を否定できれば俺無罪!!という感じのブコメが多くて興味深い。通底するテーマは批判するかしないかに関する基準の無さ、一貫性のなさだよ。園子温に対する考え方をちょろっと批判した、という程度では揺らがない部分。
BL無罪の人なんて、フェミニストの矛盾を体現するようなアクションだったけど、そこには全く目を向けない。まー、フェミニストは、自分に問題があるかもしれない、という論理は受け入れ無いということが良くわかる。
lacucaracha:
有罪だから語るべきものがない、って不思議な論理だね。UN WOMANが、園子温(や榊秀雄)のような現在進行形の問題よりも先に、たわわのように複雑な議論が必要な事象を糾弾したのは何故?
cinefuk:
「女性差別的な文化を脱するために」と、特定の人間を貶めるためにフェミニストが結集し、オープンレターを叩きつけ、失職に追い込んだのと比べると、今回は弱々しいですね。名指しでないオープンレターぐらいはあってもよかった。
(女性原作者のオープンレターをフェミニストの手柄にするような下衆しぐさはしませんよね?)
「たわわ」との違いは、園を免罪しようとする擁護が出なかったからでは。炎上案件は、フェミの批判より反フェミが盛り上げてる印象
たわわには反論すべき論理もあるけど、それ故に炎上の責任を負わされる、という構造があるのであれば、それは容認していいの?
ウクライナが抵抗したから戦争が激しくなった、みたいな論理ですよ、それ。
todomadrid:
園子温を支持しているフェミニストなんて存在するの?そしてそもそも、広告のバッシングは広告主や媒体、もしくは痴漢をバッシングしているのであって、オタクをバッシングしてるわけじゃないので勘違いでは。
何で「園子温を支持している」にすり替えてるんだよ。こういうフェミニズムの卑怯さの構造を説明したんだからしっかり読め。
フェミニストのオタクバッシングは結構見苦しいものがあるので、これも話をすり替えないように。だから、たわわと園子温事案の熱量の差は何だよ?という話をしている。
kohgethu:
誰が性的加害やらかした映画監督どもを無罪と言ってるんだ?奴らは粛々と社会的制裁を受けてるし騒がなくても罰せられている真っ最中なので騒ぐ必要が全く無い。もしも当人が足掻いたならたわわレベルに炎上するよ。
https://www.jprime.jp/articles/-/23703
Domino-R:
一昔前に、一部の女性が自分はフェミニストをやめたと、怒りながらに距離を置くのを見ていたが、理由が分からなかったんだな。
フェミニストとの議論を通じて気付いたのは、フェミニストの立論が場当たり的で、論理がなく、端的に不誠実だという事。何故か自己中心的で、話のすり替えに余念がないクズが多くて、腹が立つ事がやたら多いんだよ。
フェミニストは、ツイフェミに限らず、例えば立憲民主の中で、まともな議論を尽くさずに議員を辞職させたりしている。害悪が大きくなるばかりじゃん。その構造がクリアでなかったので、まず見える化をしようとして書いた。
今回まとめた特徴に合致しないフェミニスト、ほんと見つからないね。居たら連れてきてよ。1人でも居ます?
こっちに移動
30歳になった時よりも、何やら心に引っかかる。
だって40代と言ったら、自分が小学生の時の親父の年齢だ。いつのまにかそんなに歳をとったんだ。
そして、40歳の自分に十分な価値があるのか、なんてことを考えてしまう。主に仕事について。
同い年の知り合いや、元同僚の活躍を聞いて、あぁ、聞かなきゃ良かった、なんて思うことが増える。それこそ子どもの頃に、親がスーパーの世間話の後で「あそこの家のXXくん、XX高校の進学コース行ったんだって。すごいねぇ。」と悪気無く言われた時の焦りや苛立ちに似た気持ちだ。たぶん。
安定が欲しくなる。多少弱くっても、目立たなくても、安全地帯にいて雨風を防げるならばいいじゃないか、という気持ちが強くなる。変化が怖くなる。自分が対応できない可能性が増えるから。
でも自分の身体すら変化していく。前よりも確実に太りやすくなった。昼に脂っこいものを食べると、胃がもたれやすくなった。朝食をしっかり食べると、徐々に体重が増えていく。肉よりも魚が食べたくなる。昔聞いた親父の愚痴そのものだ。
自分の身体すら、自分のコントロールを変えて変化していく。他人や社会なんてなおさらだ。流れゆくまま、変わりゆくまま。この急流を泳ぎ切れるのか、果たして。自分は。
数年前からTwitterその他で色々話題になる白饅頭氏が実際問題どういう思想/人格の持ち主なのか、ちゃんと知りたくてしばらく彼のnoteを購読して読んでいた。正直なところ、いわゆる「ツイフェミ」に関する言説などは乱暴過ぎるとはいえ賛同できるところは多々あったものの、どうにも「気持ち悪さ」が拭えない文章が多かった。で、その一番の気持ち悪さを言語化すると「自分は知恵者である」という傲慢さが色々な記事で滲み出ているところなのかなと思った(「表」の記事は多少抑制的だけど)。
1.相手の状況がわかっていないのに相手の人生を変えかねない危険なアドバイスをしたがる
彼のnoteではよくマシュマロ経由で人生を相談をしてきた若者、中年男性、婚活女性などにアドバイスをしている。そのこと自体はいい。ただ、問題なのは相談内容から「白饅頭氏が想像した人物像」をまるで事実かのように話を進めて、ああしましょうこうしましょうとアドバイスしているところ。傍から見てて、なんで情報が不足しているなかで相手の苦悩の原因を断言できるのだろう?と気持ち悪くて仕方なかった。かれは発達障害など弱者の支援をする業種にもいるらしいので、ある程度想像がつくというのはあるかもしれないけど、それにしても「やり過ぎ」なアドバイスが目につく。相談者は白饅頭氏を神のように慕っているだろうし、それを忠実に実行するだろうけど、新興宗教の教祖様ぽい不気味さを感じる。これはマジな意味で。
2.学問的素養がないわりに、進化心理学などについて浅い理解のまま、都合よく曲解して持論の補強に使う
典型的には上方婚などの女性に関わる問題で顕著にみられるのだけど、これははっきり言ってまともに学問やってる人からする目を疑う内容。もちろん、現在の社会的性差の一部は生物学的性差の一部に基づくのはほぼ間違いないけど、男と女のすれ違いをすべてそういう生物学的なもので説明しようとするのは行き過ぎもいいところ。
もう見事なまでに。その時々で色々理屈はつけるけど、大体においてその話題で少数派である側を擁護する言説を展開する傾向がある。彼があえてやってるのか気づいていないのかは定かじゃないけど。
彼のnoteを見ると、まっとうな「他者との議論」が展開されているケースは非常に少ない。まあ、これは彼をやたら嘲笑する側も似たような態度をとることがあるのでどっちもどっちかもだけど、noteの中で批判されない持論をひたすら展開しているうちに、「自分が正しいんだ」と思いこんじゃったタイプじゃないだろうかとすら思える。
5.専門家嫌い
たとえば、コロナ禍で奮闘している専門家について、薄っすら嫌われているだの、アドバイスをするなら相応の品格を見せるべきだのなんだの(この辺りは雑要約)。多くの専門家はそもそも研究者であって、別に政治にしゃしゃり出る必要ないにも関わらず善意でボランティアやってるのに、とにかく見下しているだのなんだの、彼の思い込みに基づいて態度を問題にしたがる。一方で「学問的」な成果は自分の都合のいいように誤用したがる(統計にしろ進化心理学だの)。
他にも色々あるのだけど、白饅頭氏の言説はしばしば部分的には「公には言えないけどそうなんだよなー」というある種同意できるところがあるだけに性質が悪いように感じる。他のところで間違いだらけなんだけど、気づけない人が「俺たちに言えないことを言ってくれた!」とばかりに支持してる感じが。彼の言論を掣肘するつもりは毛頭ないけど、noteを購読して感じた彼の危険性、特に一面の真理を突いているが故に取り込まれやすいそうな面については書き残しておこうと思った。
あと、これは推測に過ぎないけどnoteで有料マガジン始める前の氏はそこまでやばくなかったのかもしれない。批判されない安全地帯でひたすら言論を繰り出す内にどうも変質したんじゃなかろうかとも考えている。これはサロンやってる教祖様にも言えることかもしれないけど、安全地帯で誰にも批判されずに言論を展開できるのが本質的に危険な気がしている。