はてなキーワード: 公立とは
田舎の公立の小学、中学、高校を卒業し地方の旧帝大の工学部に進学した。
平凡な研究成果で修士で大学院を修了し研究開発職として業界大手のメーカーに就職した。
現在、20代後半、年収500万円台、金融資産は主に米国株のおかげで1000万近くある。結婚を考えている彼女がいる。彼女は医療系の国家資格保持者で最悪自分が働けなくなってもギリ暮らしていける。
今の人生ってそんな悪くないはずなんだけど、薄いガラスの上にいるような、ちょっとしたキッカケで破滅するような、そんな不安定な感覚に脅かされている。なんというか、自分が60歳までまともに人生を勤め上げられる気がしない。自分の能力やキャリアへの不安なのか、今勤めている会社の将来性への不安なのか、日本という国の行く末への不安なのか。いずれにせよ、客観的にはまだまだ全然ダメじゃないのに、もうダメだという感覚が頭の思考を支配してしまっている。
どうすれば良いのか。もっと今やっている仕事を頑張って皆に認められるように努力するべきなのか、何か別の事を頑張るのか、それとも頑張るのを辞めてあるがままで生きていける道を探すべきなのか。
そんな事を考えてたせいなのか、特に外出をしたわけでもないのに発熱をしてしまった。コロナでないことを祈りながら明日は有給を取る旨を上司に伝えた。
某本当は看護師さんになりたいのに母親に将来を否定された結果起きた事件のことだがそれは自分の子供の将来を強要した母親に原因があると思う
確かにいかなる理由でも殺人はよくないしどんな性格なのかもわからない人が事件を起こすことには同情できない
母親に自宅から通える国公立大医学部に進路を限定されていたらしいので母親から離れるために下宿しないと通えない大学の進学を目指すということは思いつかなかったと思う
まだ社会に出れてなくて学費を親に払ってもらう立場である限りは親への進路の反発はなかなか難しい
高校卒業したころはまだ未成年だったりするから親の許可がないと就職したり実家を出て自立することができない
私立の医学部のほうが国公立大医学部より入試のハードルは低いが学費がすごく高いのである程度裕福な家庭じゃないと進学ができない
望まない浪人を母親の束縛の元で9年もしてたとのことだが予備校に通っていなかった可能性のほうが高いしこんな親のもとで望んでもない束縛された生活していたら勉強にまともに集中できるわけがないし成績もあがらない
医学部受験は特に国公立大は難しく対策も特殊なので本人の強い意志があり成績優秀で受験勉強に励んでたとしても合格にたどりつくのはなかなか難しい
仮に9浪まですることなく自宅から通える国公立大医学部に合格できても別のことでまた母親に圧力をかけられてしまっている気がする
母親から離れるために家出をしたそうだが探偵や警察に見つけられてしまったそうだし逃げ場もなかったと思う
結局医学部に合格できず進みたかった看護学部に進み看護の勉強に励んでいるうちに手術看護師になりたい!という夢をせっかく見つけれたのに今度は助産師になりなさい!と母親に圧力をかけられてしまっている
母親に従うために助産師学校の受験をして不合格だったとのことだが本人の能力不足というよりせっかく看護師として社会にでれるのに母親に望まない将来を強要されてやる気がでなかったんだと思う
父親は仕事の都合で別居をしているとのことだがもしかしたらだけど仕事の都合というよりこういう家庭環境から逃げたかったかもしれない
だからそこまで大事になっていることに気づけなかったんだと思う
こういう親は自分の子供に価値観を押し付ける典型的な毒親だと思う
多分この母親は勉強や将来のこと以外のことでも圧力をかけている気がする
血縁関係だとしても親と子供は今まで生きてきた人生も違うし価値観も違うに決まっている
この事件がきっかけで勉強や将来のことに無関係でも親が子供に価値観を押し付けることが悪だという考えが世間で根付いたらいいのにと思った
あくまで私の考えだが明らかにこの母親に原因があるし全く無関係な第三者まで巻き込まれているわけでもないので過剰防衛でいいと思う
※便宜上、女の子のエッチな絵を男性向け、男の子のエッチな絵を女性向けと表記します。他意はありません。
また、母国語や教育環境が異なる外国人とかLGBTの人とか特殊性癖については度外視してます。
蹲踞は「そんきょ」と読む。
イメージしにくければ「蹲踞」で画像検索すればお相撲さんの蹲踞姿勢が出てくる。
エロ画像のタグ、属性、ポーズに「エロ蹲踞」というものがある。
股間を足で隠さない、むしろ強調するように開脚する姿勢なのでまあエッチな、ニュアンス的にはドスケベ系のワードである。
私が蹲踞という言葉を知ったのは中学生の頃、体育の授業では男子生徒だけが柔道をやっていた。(女子は何か別のことをやっていた)
現在、柔道を含む武道は必修化しているらしく、女子中学生でも柔道をやる人はいるだろうが、
少なくとも私の学区内で公立中学に通う女子生徒は最近まで柔道をやらされていなかっただろう。
指導要領のことは詳しくないのでわからないが、男子体育教員は柔道に特化した人というわけでもなかったので、
教員個々人の語彙ではなく指導要領なりなんなりに蹲踞のことが書いてあるのだろうと思う。
何が言いたいのかというと、蹲踞という言葉、その意味、読み方を知っている人というのは、男性のほうが圧倒的に多かったのではないか、ということだ。
全ての男子中学生が蹲踞について真面目に学習するわけではないと思うが、少なくとも女子中学生と比べてこの単語自体に接するチャンスは多かったはず。
「蹲踞/そんきょ」と言われてぱっとあのポーズが浮かぶ人間や、そもそも「蹲踞」が読める人間は男性のほうが多いはずである。
相撲においても昨今土俵の女人禁制が取り沙汰されている。なら相撲用語としての蹲踞にも男女で接する機会の差はあるだろう。
なら、エロ蹲踞というワードも男性向けのエロでよく使われるワードなのではないか?
とりあえずさっき(2021/06/11 PM18:00)、Pixivで「エロ蹲踞」と検索したら男性向けの絵しか出てこない。
「エロ蹲踞 ホモ」とか「エロ蹲踞 ゲイ」、「エロ蹲踞 BL」でググればまあ出てくるが、女性向けの絵を描いている男性だったりするし、どのサイトでも母数が少ない。
このポーズ自体はドスケベなので男にさせる構図の絵も多いと思う。
特におしりに何か挿す場合、M字開脚よりおしりが上がっている分なにかと便利なはず。
でもなんて検索すれば出てくるかわからなかった。(私はヘテロ男性なので別にエロ蹲踞してる女性向けの絵を見たいというわけでもないのだが。知的好奇心。)
騎乗位が近いのだろうが、騎乗位はセックスの体位でキャラクター個人のポーズとして使うのは違う気がする。
また、いわゆる中二病の症状によって読み方や意味を知っている人がやたら多い類のワードではない。(例:粉塵爆発など)
もはや教養として知っている類の言葉だと思うのだが、男性向けの絵ではあたかも見る側が読み方を知っているかのようにタグ付けされていたりする。
教育の中で男子生徒だけが接する機会の多い単語であり、そのまま男性がマジョリティである男性向けの絵などに使われるようになったのではないか。
あるいは今後、女性生徒も柔道に接する機会が増える中で、女性がマジョリティである女性向けの絵などでも使われるようになるのではないか。
教育における男女の違いが、そのまま男女それぞれが主体の文化圏で語彙の違いになっていく。エロ蹲踞の言葉からそれが読み取れるのではないか。
ということを仕事中に考えていた。
地元の公立中から公立高校を出て大学に入った。共学にしか通ったことがない。
それで、大学で中高一貫男子校の人たちとたくさん出会うことになったんだけど、もちろん全員ではないし、すごい良い奴、面白い奴もいるんだけど、全体的にはホモソーシャルという感じがすごかった。飲み会とかでのノリ、女性への振る舞い(これは単に女性に悪いことをするとかではなく、むしろ過剰に優しく扱うみたいなのが特に違和感があった)、見てられないと思う瞬間が多々あった。共学出身の奴でこういう奴がいない、というわけでもないけど。あくまで傾向の話として。
よく、別学のメリットとして異性の目を気にせずに勉強に集中できる、自由な学校生活を謳歌できるみたいなことが言われている気がするけど、結局はそこを卒業したらすべての性自認の人がいる社会なわけで、そこでツケを支払うことになる(というか、正確には周囲がその対応を迫られる)ように見えて、じゃあ男子校のメリットっていったい何なんだろうと思う。なんで周りが、お前が6年間男子校で育ってきて知ってこなかったことの尻拭いをしなきゃいけないのか。
女子校は、俺は男なので正確にはわからないが、社会において女性が不利な局面というのは、特に勉強とか進学の側面ではあるだろうし、性別から離れて人間として生活できる、そして結果的に女性をエンパワメントするみたいな側面が今の社会ではまだ残っていると思うから、特に私立なら存在する意義はあると思うけど(もちろん良妻賢母教育とか謳ってる、むしろ女性性を内面化させるような学校があることもわかる)。
でも男子校が当人の人生に、あるいは社会にもたらすメリットっていったい何があるのか、男子校出身の人は思うところを教えてくれたら助かる。
タイトル通り、本当に辛い時は大学の心理相談室なんかに電話せずに迷わず心療内科に電話するべきだ。という日記。
自分が鬱なんじゃないかという予感はなんとなくあって、病院に行きたいという気持ちもあった。
しかしその時の私はいわゆる躁鬱というもので、もう全然大丈夫元気100倍!な時期ともう駄目だ死にたい、の時期が交互に押し寄せてくるという面倒極まりない精神状態だった。
鬱が酷い、駄目だ、もう病院に行こう...と決意する頃になってカラッと躁になり病院に行く気が失せてしまうので、うだうだと1か月近く不安定な生活を送っていた。
しかしその日は本当に鬱が酷く、自分を放っておいたら勝手に地下鉄まで歩いて行ってそのまま線路にダイブしそうな恐怖があった。
これは駄目だ。ここで電話しないと詰む。
焦りを感じた私は、たすけてくれそうなもの...入学した際にオリエンテーションで名前だけ見た心理相談室に無我夢中で電話した。必死だった。
しかし、実際に電話の向こうから発せられたのは、「予約はしていますか?」という無機質な応答だった。
当然していない。
していません、と伝えると、それでは今日はお会いできないので後日改めて予約してください、と告げられた。
本当にびっくりした。こちとら今死にそうなのである。心理相談室ってそういうのを防ぐための機関じゃないの?
今本当に辛いのでどうしても今日がいいんですが、と粘って気持ちを伝えてみたが、すみませんの一言だった。
いや......今のところがたまたま忙しかったのかもしれない。
うちの大学はなにかわからんがそういうカウンセリング系の施設が名前を変え場所を変え4個も5個もあるのだ。
駄目だった。なんと全てに断られてしまったのだ。そんなことある?
とにかく予約が必要の一点張りで、私も断られるにつれて精神が不安定になり、最後の一棟にはとうとう自分でそこまで歩いて行って、受付に行って、本当に苦しいんです、どうしても話を聞いてはもらえないんでしょうか、と必死のていで頼み込んでみた。
駄目だった。
もう全然、無表情で、そんなのは管轄外だと言わんばかりにすげなく追い返されてしまった。
本当にショックで、ぽけーーーーーーーーーっとした顔でふらふらと施設の周りを彷徨っていたと思う。
そもそも予約が必要と言うけれど、自分が鬱になるタイミングがわかっていてそれを予め予約しておけるようなら鬱にはなっていないのである。
寧ろ予約予約でたらい回しにするのって一番こういう人にやっちゃ駄目なんじゃないの?
何のために4個も5個も同じような施設があるんだよ。目の前にいる私を助けてくれよ。
もう本当に地下鉄ダイブするしかないかもしれん...まで本気で思っていたのだが、最後の最後でもう1つの可能性を思い出した。
インターネットだ。
物心ついたときからインターネットの顔も知らぬ人々の言葉に何度も救われてきた。
よくわからんクソ施設を頼るよりも勝手知ったるこちらに頼るべきなのではないか。
インターネットに聞いてみて、そこで拒絶されたら潔く死のう。
そう思って、「鬱かわからんからアドバイスがほしい」など適当なタイトルでスレを立て、待った。
ものの数分でレスがつき、「悠長なこと言ってないで早く病院へ行け」「講義は休め」「薬を処方してもらえ」という信じられないくらい温かい言葉がたくさんもらえた。
もう泣きそうだった。
やはり頼るものはインターネットだ。大学のクソ相談室などではない。
さっきまでどん底で死にたかったのが、病院行っても治らなかったら死ねばいいか~~!くらいまで回復し、気持ちが変わらないうちに病院に電話して予約をとった。
同じ『予約』なのだが、病院の電話の方は電話した時点で既になんというかあなたを助けますという意思が伝わってきて嬉しかった。
具体的な症状とか今の気持ちとか聞いてくれるし、どうしても無理!今日診察を!と頼んだらとりあえず話くらいは聞いてくれそうな寛容さがあった。
数日後心療内科に行って、色々と話を聞いてもらい、薬を処方してもらった。
こんな小さい薬でこの感情の嵐が収まるのか半信半疑だったが、もう飲んだ瞬間翌日から驚くくらい冷静に生活できるようになった。
はやく病院行けとアドバイスしてくれた名も知らぬ人々には感謝してもしきれない。本当にありがとう。
未だ治療中の身だが、私と同じように鬱かな...鬱かも...と苦しんでいる人がいたら、間違っても大学を頼らず、まず病院に電話しよう。
うちの大学がクソなだけで他の大学はちゃんと話を聞いてくれるのかもしれないが、
https://anond.hatelabo.jp/20180728090909
このような増田もあることだし、なんとなく正式な医療機関以外のカウンセリングサービス、信用できなくないか?
たらい回しにされてショックを受けるリスクを負うくらいなら最初からちゃんとした病院に電話しよう。
当時貰ったレスの中でいちばん心に残っているのが「プリパラを観ろ」という一言だ。
プリパラは見たことないし、よく知らなかったが、死を前にして突然現れたかわいいアイドルアニメ、そしておそらくプリパラに何らかのネガティブな感情を救われたのであろうこの投稿者に、なんというかえも言われぬ共感を感じてしまったのだ。
私もオタクだし、好きなジャンルはたくさんあったし、なにかと救われてきた。
しかし鬱になってからはあんなに好きだったアニメがどれもこれも無味乾燥としてしまい、自分のジャンルに対する感情が、楽しさがわからなくなっていた。
でもそのレスを見た時、プリパラを観るまでもうちょっと頑張ってみようかな、と、すとんと、心からそう思えたのだ。
まだプリパラは見ていない。
この先もう一度鬱になって、なにもかもが駄目になってまた死にたくなった時に、残った最後の気力でプリパラを再生して、そして頑張って病院に電話をかけるつもりだ。
だから今鬱で苦しんでいるどこかの誰かがこれを読んでいるなら、変なサービスに頼る前にちゃんとした心療内科へ行って、プリパラを観ろ!
お育ちがよろしくてなおかつサバイバル能力が無かったのでしょうね
端的に本人の問題で片付くと思う
以下は職種別職員1人当たり給与月額(賞与の1/12が 含まれる)
役が付けばフツーのリーマンより上
職種 | 私立 | 公立 |
施設長 | 565,895 | 632,982 |
主任保育士 | 422,966 | 561,725 |
保育士 | 301,823 | 303,113 |
https://www8.cao.go.jp/shoushi/shinseido/data/index.html#chousa
ただ、こういう命を預かる福祉の仕事ってギラギラした人間には向かないのよ
むしろ人を押しのけられない、効率化より人に寄り添いたい人のが向いてる
なのでサバイバル能力がない・運営能力がないって切り捨てて良い問題でもないんだよな
今日は14時間寝ていた。こんなに寝るはずじゃなかった、、、、、今日しか勉強できる日はなかったのに、、、、、、
一回めは2:30~13:30、2回目は14:00~17:30。不登校の時の生活みたいで懐かしくなってきた。
いやでも最近こんなに寝なくても大丈夫だったのに、、、、というか勉強しなくちゃいけなかったのに、、、、、まじでやばい。懐かしんでいる場合ではない。
なんかびっくりするほど頭が回らないな。死ねってこと?????????
本当に最近しんどい。思ったように過ごせないし、浪費が止まらない。嫌になってきた、、、
毎日焦っている。勉強もしなくちゃいけないし、音楽もやらないと後悔するような気がしている。何か生きた証を残したい。全然まだ死ぬ予定ないけどそんなことを考えている。
私にできることって何なんだろう。本当に何もできないけど音楽だけは好き。というか音楽しか本当に好きなものってなくて。音楽がなくなった時が私の死期だと勝手に思っている。マジで耳だけは大事にしていけ。
普通の高校生って何が好きなんだろうか。何をしている時が楽しいんだろうか。生きることに焦りはないのか。
というか、私は何で自分が普通の高校生じゃないと思ってるんだ??痛いな
私はごく普通の高校生で、この悩みもごく一般的なんだろうな。そうであって欲しいな、
死ぬ予定は全然ないけど、最近思ってるのは死ぬなら好きな人に首絞められて死にたい。そういうプレイとかじゃなくて普通に好きな人に殺してほしい。
問題点は好きな人の人生をめちゃくちゃにしてしまうことなんですけど、そこも含めていよねーって。この文章めちゃくちゃキモくなってきた。見なかったことにしてください。
まあ私が本気で死にたくなったら瀬戸内に引っ越して、家族が連絡しなくなるまで待って、青木ヶ原にでも行ってODして死にます。多分これが今の所いい死に方。
青木ヶ原に行くような人は死体があっても驚かないだろうと思うので。
そういえば中学の時の友達で死のうと思って青木ヶ原に行ってそこで警察に保護された人が居たな。それなりに暗くて変なやつだったけど、私は友達でいる分には楽しかった。
今何してんのかなー。親の圧力で国公立にしかいけないと言っていたけど、ちゃんと国公立受かったのかな。あいつ頭いいし受かってそう。
毎日給料日を楽しみに過ごしてるけど今月の給料しょぼいし結構本気でやる気が起きない。まあバイトちゃんといけてるうちは大丈夫よね。
例年、東京一工早慶が圧倒的で、残りのパイを地帝やその他国公立で分け合ってるような内定者構成だったのに、いつの間にかマーチが計何十人も内定するようになった大企業はヤバい
https://www.watch.impress.co.jp/kodomo_it/special/1326404.html
低スペックの1人1台PCを生徒は使わない! 高校GIGA、情報科教員が語るICT環境整備のポイントとは
――「公立高校で生徒1人1台のPCを5年間活用して分かったこと~Windowsのメリット~」レポート
提供:
赤池淳子
GIGAスクール構想によって、すでに1人1台を経験した中学生が高校に進学しているが、高校の1人1台環境整備はこれからであり課題となっている。高校では2022年度からプログラミング教育を含む「情報I」が必修化されるほか、2024年度の大学入学共通テストからはCBT方式の導入も予定されており、ICT環境整備は急務である。
日本マイクロソフトは5月15日、学校関係者に向けて高校での1人1台活用をテーマにしたオンラインセミナー「公立高校で生徒1人1台のPCを5年間活用して分かったこと~Windowsのメリット~」を実施した。登壇したのは、東京都の「ICTパイロット校」としてGIGAスクール構想の前から1人1台環境に取り組んできた東京都立三鷹中等教育学校(以下、三鷹中等教育学校)の能城茂雄教諭。プロジェクトの担当者として5年間にわたる活用の中で得られた知見や、様々な実践的ノウハウが披露された。
東京都立三鷹中等教育学校での1人1台活用の様子(能城教諭提供)
「ICTパイロット校」における1人1台のPC整備、5年間の遍歴
三鷹中等教育学校は、中1から高3まで6年間を通して学ぶ公立中高一貫校。1学年160名で、計960名の生徒が学んでいる。同校は平成28年度からの4年間、東京都教育委員会から「ICTパイロット校」として指定され、1人1台環境における教育効果の検証に取り組んだ。
1〜2年⽬:高校生はスマホに比べて性能が劣るPCの利⽤率が徐々に低下
初年度となる平成28年度は、中学生全員と教員に合計560台の端末が導入された。機種は、富士通のWindowsタブレット「ARROWS Tab Q506/ME」。中学生が使用することを考慮し、堅牢性を重視した「文教モデル」が選ばれた。また2年目は、導入済の端末は生徒の進級とともに端末も持ち上がり、新1年生には「ARROWS Tab Q507/PE」が配備された。
能城教諭は2年目の振り返りとして、「この頃から、生徒の使用にはPCスペックが重要であることが分かってきた」と述べた。特に高校生の場合、スマホの持ち込みや使用を許可しているため、高性能なスマホに比べて、スペックが劣るPCの利便性を生徒が感じられず、利用率の低下につながるというのだ。「高校生だから性能の低いパソコンで良いという考えは間違っており、大人でもそうしたパソコンを仕事で使うと不満が出る。これは高校生も同じであり、生徒たちも学びに使う道具が不便であれば使わない」と能城教諭は述べた。
低スペックPCは、高校生が所持しているスマホより不便。そんな高校生に対して、低スペックPCでも良いという考えは間違っていると能城教諭
3〜4年目:PCのスペックを大幅アップし、生徒のPC利用率が上昇
こうした経験を踏まえて、3年目・4年目の機種選択時には、学校の要望としてスペックを充実させてもらうよう、教育委員会にも届けた。その結果、「私たちの意見を受け入れてもらい、PCの性能を大きく上げてもらった」と能城教諭。一般のオフィスで使用するのにも十分なほどの高性能モデル、富士通Windowsノートブック「LIFEBOOK P728/S」が導入された。
これにより、生徒たちがサッと端末を取り出して、調べ物やまとめる作業がしやすくなり、授業での活用頻度もアップ。「生徒たちがPCを使って”やってみたいな”と思えることをできるようになったほか、教員も新しい学びに挑戦できるようになった」と能城教諭は話す。
3~4年目に配備された「LIFEBOOK P728/S」。CPUやストレージ等が性能UP
5〜6年⽬:PCが教科書・辞書・ノートと同じように学習活動に使う「⽂房具」に
その後、4年間のICTパイロット校としての取り組みに一区切りがつき、同校は5年目に新たに「Society5.0に向けた学習方法研究校」として研究指定を受けた。能城教諭は4年間の検証を振り返り、現場では「PCのスペックが導入効果に大きくかかわる」と判断。スペックが高いPCほど生徒の学習深度への効果は高く、メンテナンス性などでも有利だったと話す。
同教諭らは、こうした意見を教育委員会に主張し続け、現在の中1・中2年には「Surface Go 2 LTEモデル」が導入された。CPUには同機種の中で最も高性能なインテル Core M3が搭載。メモリーは8GB、ストレージはSSD 128GBを選択し、十分すぎるくらい快適な動作が可能になった。能城教諭は「GIGAスクールで導入されたような端末では、ICTを活用した新しい学びのカタチを実現できない」と述べ、ある程度のスペックの必要性を説く。
令和2年度・令和3年度に配備された「Surface Go 2 LTEモデル」。CPUにはSurface Go 2の中でも最も高性能なインテル Core M3を搭載
実際、導⼊されたSurface Go 2では、「⽣徒たちは教科書、辞書、ノートを出すようにPCを出して学習活動を⾏なうことができている」と能城教諭。同時に教員⽤のPCも平成28年度に導⼊されたタブレットPCから、生徒と同じSurface Go 2に変更。教員からの評価も⾮常に良いという。
通信環境から保守契約、教員の働き方改革まで……1人1台PCの運用ノウハウ
能城教諭の5年間の取り組みから、これから1人1台PCの運用を始める学校が学ぶべきことは多い。当日語られたいくつかのノウハウを紹介しよう。
三鷹中等教育学校のインターネット環境は、LTEが活用されてきた。具体的には生徒1人あたり7GBのパケットをシェアパックで利用。1040人分で合計約7TBの通信が可能となっており、コロナ禍の活用を含め、これまでパケットが不足したことはないそうだ。
・大人より荒くなるPCの扱い。導入時に何らかの保守契約は必須
ハードウェアについては、決して故意に壊すわけではないが、登下校や学校生活の中で故障は一定数発生すると能城教諭。生徒の負担なく修理できるようにするため、「初期導入時に何らかの保守契約は必要だ」と同教諭。
・ICT支援員の需要は高い。毎日の常駐が無理でも定期的なサポートを
三鷹中等教育学校の場合、専任の「ICT支援員」が1名派遣され、ハードやソフトに関するトラブルや不具合に対応。毎日の常駐が難しい場合でも、定期的に支援員のサポートが受けられる体制が望ましい。
・教員の会議もペーパーレス化、コロナ禍の遠隔会議もスムーズに
教員にも1人1台PCが配備されたことで会議も変化。ペーパーレスで行なうことになり、教員が資料をPDFで提出し、それを管理職がまとめて出席者に送信。会議前にコピー機が渋滞したり、資料を綴じるのに時間を取られたりという手間がなくなった。これによりコロナ禍の遠隔会議もスムーズに実施できたようだ。
・教育委員会と協議を重ね、子どもたちの将来を見据えた端末を選ぶ
能城教諭はGIGAスクール構想で導入されたスペックの端末について疑問を呈し、「子どもたちが大学に進み、社会にでて仕事としてPCを使うことになったとき、果たしてその経験は子どもたちの良い経験になっているでしょうか」と訴えかける。学校はソフトウェアやOSの操作を教えることが役割ではないが、子どもたちの学びが良い経験になっているかを考える必要がある。能城教諭らは、どういう端末が子どもたちの将来にとって力になるのかを考えながら、教育委員会と意思疎通を図り端末の整備と運用を進めているという。
1人1台PCがあっても、「コンピュータ教室」は欠かせない。その理由は?
1人1台環境が進むとコンピュータ教室はもういらないのではないか、という議論が起こりがちだが、能城教諭はこれを否定する。むしろ、生徒各自の端末とコンピュータ教室にある高性能なPCの“使い分け”が重要になり、「時代に応じたプログラミング技能の習得や、動画編集などのクリエイティブな作業に取り組もうとすると、どうしても高性能なPCは欠かせない」と語る。
現在、三鷹中等教育学校には「第1CALL室」と「第2CALL室」があり、2教室で合計80台の高性能なデスクトップPCが整備されている。情報の授業で利用するほか、能城教諭が出勤する時間から最終下校時間まで、生徒が自由に利用できるようになっている。パワフルなPCや大画面、高速ネットワークを求める生徒でコンピュータ教室は常にいっぱいだという。
1人1台PCが配備されると、コンピュータ教室の役割はより重要に
パワフルなPCがあるコンピュータ教室のメリットに生徒が気づきはじめる
生徒たちの利用は、「Adobe Photoshop」や「Adobe Premiere Pro」など写真編集や動画編集の用途でコンピュータ教室を利用するケースが多いようだ。同校ではコンピュータ教室のPC 80台すべてにAdobe Creative Cloudが導入されており、生徒たちはパンフレットや小冊子の作成、部活動紹介の動画制作、学習発表のプレゼンに盛り込むショート動画などを作成しているという。クリエイティブな作業はコンピュータ教室のPCを使うなど、生徒たちは自分のタブレットPCとパワフルなPCをうまく使い分けているようだ。
1人1台環境を導入する前は、総合的な学習や探究の時間など、様々な教科でコンピュータ教室を使用し、常に取り合いになっていたようだが、導入後は、多くの教科活動が普通教室で実施できるようになった。結果、コンピュータ教室の用途を、ここでしかできないクリエイティブな活動に舵を切れたという。
冒頭でも記述したとおり、各高校では現在、2022年度から必修化が始まる「情報I」の準備が急ピッチで進められている。学校には「情報I」の教科書の見本が届き始めているそうだが、その内容は、アルゴリズムをプログラムとして表現、さまざまなライブラリの利用、APIなどの機能、プログラムの修正、関数を用いたプログラムなど多岐にわたる。
この内容を、果たして1人1台PCで学べるのか。または教師も教えられるのか。プログラミングの小さな文字をどういうふうに伝えるのか、マルチメディア系の教材を使うときの授業準備はどうするのか。「これらを考えたときに、必ずコンピュータ教室が必要だと言える」と能城教諭は述べる。
「情報I」の学習内容に対応するため、実習環境の整備が進められている
さらに同校では、一般的なコンピュータ教室だけでなく、「生徒たちが憧れるようなすばらしいスペックのPCがあれば、よりクリエイティブな活動ができるのではないか」と考え、アドビ社やインテル社との共同研究で「メディアラボ」も開設。
CPUにインテル Core i7、メモリー32GB、グラフィックカードにNVIDIA GeForce RTX 2060 SUPERを搭載。4Kの31.5型ディスプレイを備え、制作ソフトとしてAdobe Creative Cloudが導入済みというハイスペックな環境を8台用意。動画編集のクリエイター養成講座を行なうなどの取り組みも始めており、生徒たちが自由に作品を制作できるような環境も提供し始めた。
動画編集の集中講座を行なうなど、よりクリエイティブな活動にも対応
こうした取り組みを振り返り、能城教諭は改めて、これからの新しい学びには「1人1台PC」と「コンピュータ教室」の両方が必要であり、そのどちらも生徒の自由な発想に応えられる十分なスペックが必要だと話す。
「1人1台環境は、生徒たちにとって非常に魅力。個別最適化された学びなど、1人1台のPCがあることによる学習の変化、メリットは必ずある。それに加えて、プログラミングやクリエイティブな作業は大学入試でも、Society5.0時代に向けてもますます重要になってきた。1人1台PCも、充実したコンピュータ教室も、新しい時代に即した学びによって、生徒たちの情報活用能力を育成することが、私たち現場の教員の願いだ」と能城教諭はまとめた。
https://anond.hatelabo.jp/20210601142224
https://anond.hatelabo.jp/20210602013628
「気持ち」はね。
我が社は2次下請けの自動車部品製造業、といっても単純な組み立て作業なのだが、「こいつに時給900円も払うのかよ…」という人材が山ほどいる。
パート含め40人ほど雇っているが半分は最低賃金。組み立てる機械が無いから今でも人力に頼っているというはてなーから言わせれば世の中のために潰れた方がいい生産性の低い企業そのものだろうなと自分でも思う。
最低賃金で雇っていることもあって従業員の能力はまぁ低いこと低いこと。
「それ昨日どころか30分前に教えたよね?もう忘れたの?そのノートはノートの形をした何かなの?」
「ケーブルをケーブルと同じ色の所に入れるだけだよね、それ色違うよね?」
「目の前の作業台に①~⑤まで作業順が不自然なほど大きく書いてあるよね?なんで飛ばすの?」
「明らかにケーブルを差してないよね?だって6つ差せるのに2つ空いたままだもの」
「チェッカーにエラー出てるよね?なんで納品しようとするの?」
とこんな従業員ばかりなんだよね…。これ1年目とか経験が浅いとか関係ないからね。新人からベテランなんでもござれで何度も繰り返す。学習という
概念は無い。
はてなーには想像付かないかもしれないね。想像を絶する能力の低さだから。恐らく公立中学校以降顔を合わせることのない人種だと思うよ。
賃金を上げないから低レベルの人材しか来ない、人手不足の中ではそのような人材も賃金を上げなければならない。
はいはい、理屈は分かりますよ。ただまるで成長しなからムカつくだけって自分でも分かってますよ。
こんな企業でもコロナ後を見据えてか受注は山ほどあるんだよね。儲かってるかって?利益なんてほとんど残らないよ。
自動車の価格は上がり続けているのに、工賃は下げられ続けてるからね。それに最低賃金の上昇も加わって悲劇ですよ。所詮下請けですから。
だから最低賃金が1,500円になれば廃業せざるを得ない。だって絶対元請けが工賃に反映させるまでタイムラグがあるでしょ。そもそも反映させてくれるかどうかも信用できない。
そうなればはてなーは喜ぶだろうな。世の悪が一つ消えたって。今でも元請けが従業員と工場を丸ごと引き受けてくれるならタダで辞めるけどね。
一応最低賃金を上げること自体は賛成だよ。自分のとこのような企業は先が無いことは分かる。息子がいるけど絶対継がせたくない。
借金するようになったら辞めようと思ってるから案外近いかもしれない。そうなった時にどこか「生産性の高い企業」が吸収してくれるだろうしから心配はしていない。人手不足が回りまわってはてなーの傍にこのレベルの人材が来た時にどういう気持ちになるのか楽しみにしてるね。
ほんと役所の仕事はネットやPCが無い時代の紙処理をズルズル引きずってる。
市役所から国への報告物でいうと、なんでもかんでもマトリクス形式で埋めていかないといけない。
例えば保育園だと,年齢,所得階層,第1子~から第3子以上のどれか,保育標準時間か短時間か,といった具合のデータを,
これまた無数にある報告物ごとに異なった様式や集計ルールで埋めていかないといけない。
ある報告物では保育所型認定こども園を保育所と合算して計上しなさい,ある報告物では保育所方認定こども園は除外しなさい,公立は除外しなさい,
去年報告したすべての園と今年在園するすべての園を列挙して同じ列で前年比を見えるようにしなさい,
といったクソみたいな膨大な作業をこのコロナ禍でも延々とやってたわけ。
ああ,こうした計上ルールは記載要領にはモヤっとしか書いてなかったりするからな。しぬるわ。
しかも複数のルートを通じて報告したそれぞれの体裁が違う報告物を地方交付税の算定だかで集約して
最初っからリスト形式のデータ1本やるからてめーでやれって話だよな。
コロナで、みんな動物の動画を見て癒やされたいというのがあり、
園としても、本来の来園者からの収入が減っているぶん、動画配信で補いたいという思いがあるのだろう。
公立の園も次々と配信を始め、どうすれば視聴者が増えるか試行錯誤しているように見える。
動画の良いところは、家にいながらタダで見れる、毎日見れるので動物の成長がわかるというのがある。
園としても、カメラで動物の生態を記録し、解説をつけて動画を公開することで、園本来の教育的な目的が果たせる。
動物園は「行く」ものではなく、YouTubeで見るものでいいのではないか。
そうすれば動物園はど田舎の自然いっぱいのところに、自然に近いかたちで作ればいい。
撮影のスタッフや環境を整え、動物ごとに専門チャンネルを設けるくらいにやれば、
今まで入場料で運営していたぶんくらいは稼げるように思う。
一味になるまで教育委員会は私にとっても遠く謎の組織だった。そして一生,縁遠く生きるつもりだったが悲しいことに一味になってしまった。
悪の組織のメンバー構成は,親玉の教育長を筆頭に教員が指導主事として教育委員会に配属されるのとその市区町村の行政職員が教育委員会に配属されている。他にも非常勤の教育委員とかいるが,メンバー的には謎の人員はおらず,みんな普通の公務員でしかない。私はもともとWeb業界界隈にいて、Uターンで地方の小規模都市の行政職員になり教育委員会に配属された。で,超絶ブラックだった。
新型コロナ関係でイベントが減ったからまだ去年はイベントがなく土日の動員がないけども,それまでは土日にたいてい教育関係のイベントがありそれに対応。土日の出勤手当など付くはずもなく代休処理される。代休はどんどん溜まっていき,おかげで年間を通して有給休暇を1日も取らなくて済む。
今年の3月からは本当に悲惨だった。それまでも月50時間以上は残業していたけど、3月から休んだのは家庭のやむを得ない事情と体調を崩した4日だけ(いずれも土日)。平日も0時近くまで残業して月150時間以上(色々控除済み)の残業。各種新型コロナ対策の処理やGIGAスクール構想,さらに4月からは謎の人員減に見舞われた。
前述のように残業代は申請しても休日出勤は勝手に代休にされるので実質サービス残業。仕事が終わらないから土日も働いているのに代休分を休まなければ1ヶ月だか2ヶ月で休む権利は消滅。割増になる深夜残業代も自動でなかったことに。まぁ上司から残業申請を減らすよう言われないだけ相当恵まれているけども、そのうち人件費の予算が尽きると「もう残業つけないで」と悪の組織の中枢である行政側の総務課のお触れが来る。
1ヶ月全く休みが取れなくなり私自身に起こったことは,体に変調を来したのと仕事以外の判断が面倒になったこと。
前者は、私の場合は尿道炎か膀胱炎ぽくなり食欲がなくなって痩せた。「ぽく」というのは病院にも行けなかったので市販の薬で治したので正確なところは分からない。排尿するときに痛みを伴ったからそうなのだろう。食欲の方は,食べたい物がなくなった。と同時に食事を選ぶのが面倒になった。食べたいものがなんだか分からないから,選ぶのも面倒。だから,何か食べないととコンビニに行っても面倒になって何も買わずに帰ってしまうこともしばしば。効果抜群の過労ダイエット。さすがにまずいだろうと今は野菜スープを大量に作っておいてそれを飲み込んでいる。濃い味が受け付けなくなったから,余計にコンビニのお弁当や外食が選択肢から外れて食べるものがない。
後者は、食事の件と同じだが考えることをとにかく放棄したくなる。仕事以外で誰かに何か聞かれても「任せる」としか言えなくなる。思考が停止してしまい考えられない。プライベートで「忙しいだろうから」ということで声がかからなくなったけども、実は私の対応が悪いからなんだろう。考えるのを放棄した結果、とりあえず値段を考えずに必要そうと思った物を買う浪費癖がついてしまった。考えることを放棄しているから無駄なものを買っても後悔すらしない。ブラック企業から簡単に抜け出せないのは仕事以外で思考するエネルギーを奪ってしまうからなんだとよく分かった。
東京にいた時もそれなりに激務だったけど、「これが終わればひと段落」という未来があったけど、今はその未来がない。処理する数倍の速度で仕事が増えていき、取り繕うだけで精一杯。仕事をしているだけで泣きそうになってくるのは初めてで我慢するのがつらい。
そんな数ヶ月を過ごして分かったのは,職場の人たちは個人的に心配はすれど解決のために動いてくれる人はほぼいないということ。そして,病人か死人が出たところでそういった状態にさせた悪の中枢の人たちは責任を取らないということ。各課の人数を含めて人員配置は教育委員会が決めているわけではなく行政側が決めている。だが,仮に何かが起きたとしても教育委員会の問題となり行政側は表に出ることはない。
彼らは自分の都合のいい方向にすすめるため,実態と合わないのもお構いなしに自分たちにとって都合の意見を言う人物を重用しその意見を採用する。何かあれば「誰々がそう言ったから彼らに聞いてくれ。」となる。普通に考えれば,そんなトカゲの尻尾になりたがる人はいないと思うけども人の虚栄心というのは面白いもので喜んでそのポジションに付きたがる人がいる。そもそも,よほどの問題が起こらない限りは立場の弱い部下や他の部署が疲弊させられるだけなのでリスクは低いのだろう。
話がそれてしまったが,彼ら悪の中枢の現場を知ろうともしない無計画さで私達は疲弊し地域の教育が疎かになり子どもたちの教育水準も落ちていく。「人がいなくて出来ないなんて外部には言えない」と悪の中枢から言われたのには心底腹がたった。それをどうにかするのがあなた方の仕事ではないのかと。だが,どうにもならない。組織的な余裕のなさは新たな仕事が増えないよう,つまり問題が起きないようにすることが僅かに残ったモチベーションとなり学校も世間からずれた制約・ルールを生んでいく。子供のためのルールではなく大人のためのルールで学校が運営されてしまう。教育委員会側の人間がこんなことを言ってしまうのは心苦しいけれど,(少なくとも私の自治体の)お子さんをどうか可能な限り私立の学校に行かせてあげてほしい。公立の学校の先生方も(人によるが)とても頑張っている。けれど,私は子供ができたとしても公立学校には絶対に行かせたくない。
文科省にお願いしたいのは,GIGAスクールだなんだ言う前に申請や手続関係をデジタル化してほしい。
一番ひどいのが教科書事務執行管理システム。ググれば出てくるから興味のある人は見てほしい。児童生徒への教科書は国が無償提供していて申請システムになるのだが,マクロをごりごり使ったエクセルで出来ている。教科書を配るだけのシステムだがマニュアルは189ページもある。
エクセルで必要数を入力して印刷して教育委員会に送り、教科書取扱業者へ。さらに、どの児童生徒に何を配布したのか入力していく。全国の各学校にこのエクセルを配布して、担当の先生が入力しているのだけど、ちょっと手順を間違えるとエラーが起きてバグるんだけど表面上はわからないし、わかりづらい。
オンラインのシステムじゃだめですか?むしろこういうのにマイナンバーを使う方向に持っていけないのだろうか。こんなのを全国の先生が使って時間を無駄にしていると思うとやりきれない。教師の労働時間短縮というならこういうとこから始めてくれませんか。そしたら教育委員会も余裕が出て学校を支援できるようになる。ただ,COCOAと一緒でまともな仕様を書ける人が文科省にいるとも思えないけれど。
GIGAスクールにしたって地方の自治体はやりたくても余裕が全くないんですよ。国が色々な補助を出してくれているんだけど、それに手を挙げる余裕すらない。手をあげれば補助金申請、仕様書作成、入札、業者との調整と仕事が増えるだけで,さらに疲弊するだけだから。とはいえ,全国的に一斉スタートとなったGIGAスクールの威力は絶大で(実情を理解されない)議員からありがたいことに多くの質問が来てまた疲弊させられる悪循環。もともと4年だか5年計画のものをコロナの影響で1年に縮めたのは余裕のない自治体にとって,いくら子どもたちのためとはいえ悪手だったのではないだろうか。
あと、教育委員会や学校への調査物の上限を決めていただけませんか?その上限を文科省内でやりくりしていただけませんか?通知や調査物で学校も教育委員会がその業務に追われるって本末転倒だし,おそらく文科省自体も集計やらで本来したいことを出来てないと思われるのです。
教育こそ地域の活力になるというモチベーションで頑張ってきたつもりだけれど,活力どころか衰退に手を貸している本当に悪の組織になってしまってこの組織から早く足を洗いたい。
子供を幼稚園に入れたときにはバブルから抜け出てきたような幼稚園だな...くらいに思って、正直、先生をそんなに尊敬してなかった。
コロナになって、幼稚園をちゃんと運営してくれて、なんというか、もう、あの園の先生には感謝しかない。
自己の安全もだろうけれど、児童の安全も考えて、遠路はるばる自転車通勤。
園バスによる時は手指消毒。
幼稚園に用事があっていくことがあると、年少さんらしき子ですらちゃんとマスクをつけているんだ。
ここまで徹底するのにどれだけの指導をしたんだろうって思う。
園では体育の授業中はマスクを外してよかったようで、本当にメリハリがちゃんとしているなって思う。
それに比べると、よその子たちはカオスだね。正直、元増田の心労がわかる。
この辺は公立だと本当にいろんな人がいるから、「コロナはただの風邪」という考え方の人から、「コロナは死の病」という考え方の人までいる。
https://togetter.com/li/1721306
この棘にリベラル寄りで男女平等的価値観を持ってる人がアファーマティブアクションだとかあれやこれや言ってるけどさ、教育格差は性別より圧倒的に親の収入なのになんでまず性別の話ばっかしてるの?
不当な格差是正のためアファーマティブアクションを訴えるなら性別定員のまえに、家庭の収入別に定員設けて貧乏で頭悪くても一流高校や一流大学入れるようにってなんで言わないの?
知ってるよ。まえの公立中学動物園問題で多くのブクマカが馬脚を現していたけど、結局自分たちに都合のいい平等や格差是正しかしたくないんでしょ?
仮に男女定員を平等に設定してたとしても、一流校に入ってくる女生徒の学力や家庭環境はある程度担保されてるもんね。
でもそれがもし家庭収入で定員が作られたら、生徒や家庭の質についての担保ができなくなって自分たちが理想とする環境が荒れるから賛成しないんでしょ?
富の集中による階層の固定化、貧困の連鎖を是正しようと綺麗事吐くなら、なんで低収入家庭に優遇枠を作れって意見が出てこないんだよ?
https://www.moto-sapi-t.com/20210331_girls_private-high-schools/
ここにあるように都立のトップ高では男女の点数差はむしろ男の方が高かったりする
しかし、このレベルの都立を受ける生徒の私学併願先は、女子にとって非常に選択肢が少ない。
都立は一校しか受けられないので、併願先がないと多少ランクを下げても都立を受けるか、自分のレベルより低い私学に行くという選択肢を迫られる
一方で、私学自体は女子校の方が男子校よりも約40校も多い。女子の中学受験率も高く、公立の中学生は男子中学生の方が多い。
この私学定員に合わせて都立が定員を設定すると、当然男子の定員の方が多くなる。
都立の女子競争率が上がっているのは、需要がある高レベルな女子校は少ないのに、都立と競合下位レベルの女子高だけが多すぎるのだ。
女子は学費が相対的に高い割にパフォーマンスがイマイチな女子校に追いやられているという見方もできるし、成績下位の男子に対しての教育投資がなされて来なかったという見方もできる。
このままの状態で定員を撤廃すると都立の中堅で女子比率が上がり、中低位の女子校のうち、玉突きで生徒を奪われる低位校については定員割れが発生する。