はてなキーワード: 乳児とは
俺=世界。
俺は世界そのもの、というのはラリパッパな妄言のはずだけど、形而上学という考え方をかますと許されるんだから不思議なことだ。
例えば雷鳴。
雷が鳴る音を聴くとき、自然科学としては、雷鳴という「客体」があって、それを俺という「主体」が感じる、という構図になるはずだ。
しかし、と考えてみる。
もしも雷が鳴っているその場所に誰もいなかったら、果たして雷鳴がそこに「ある」と本当に言えるだろうか?
雷が鳴り、それを俺が聴いている、という関係の一方で、俺という存在こそが雷鳴を生じさせていると言えないだろうか?
さらに、もう一段飛躍する。もし、俺こそが雷鳴の原因となるなら、雷鳴と俺を分ける必要は、実はないんじゃないか?
「俺」が「雷鳴」を聴いている、のではない。
ただ「雷が鳴っている」。このとき、俺は俺であるとともに雷鳴そのものだ。
俺にとって、俺以外のすべての人間に自我があるかは証明できない。
周りの人々はすべて俺の作り出した妄想かもしれないし(「水槽の脳」)、もしかしたら、意思のない人形であってもおかしくはない(理屈上、ということで、本当にそうだと思っているわけじゃない)。
「俺」は違う。
他者の場合とは違い、そこに意思があるかどうか証明しようとして失敗するまでもなく、俺は自分に意思があることを理解している。我思う…ってことだ。
そして、そんな俺はなぜか、この時代に日本の男性の体に「生じた」。これが一番わけがわからない。
俺が生まれる前にも宇宙は当然存在していたし(一説には138億年前…)、俺が死んだ後も宇宙は当然続いていくが(こっちは一説には10の100乗年後に「終わる」らしく、厳密に言うと、あらゆる運動がそこで停止するので時間の意味がなくなるらしい)、特別な俺はなぜか、20世紀後半に生まれたいま30過ぎの日本の男性だった。
自分ってものについてラディカルに考えると、要は自分に関するこだわりを強くしていくと、逆説的に、肉体としての自分が何者であるかは価値を失っていく。
俺は別に、10年後にジンバブエの5歳の少女に生まれてもおかしくなかった。
(もしも)自分について俯瞰することさえ可能なら、アマゾンの猿でもよかったのだ。
でも、とにかく俺は日本の俺だった。たぶん理由はないんだろう。にもかかわらず、なぜ? という強烈な驚愕は消え去らない。
俺はこの世界において超超超…と超を100回重ねても足りない究極の特異点だ。
もちろん、俺以外の人たちだって、「彼らの世界」ではそれぞれが唯一無二のポイントになる。
でも俺はそれを、理屈ではなく想像で理解することしかできない。
他者を社会的に尊重することは当然だが、彼らが結局、俺という世界の一部でしかなく、彼らが死のうと俺の世界は終わらないが、俺が死ねば世界そのものが消滅するという事実は、それとはまったく別のことだ(一連のこの辺は、永井均『子どものための〈哲学〉』『西田幾多郎 <絶対無>とは何か』にくわしい)。
…
そして俺は、ずっと両親との関係で悩んでいる。
こんな観念的で、浮世離れした形而上学に果てしなくぶっ飛ばされたはずなのに、血縁のしがらみに何十年もさいなまれている。
仲が悪いわけじゃない。
ただ俺も、母親も父親も、うまいことお互いへの愛情を示せないでいるフシがある。
愛情がないのではなく、表現できないのだ。なんとなくだけど、バリバリのビジネスマンだった二人が、乳児のときから長いこと俺の横にいられなかった罪悪感みたいなものが原因っぽい気がする。
俺はもう30過ぎなのに…。
そんなの、もういいだろ…と思いながら、呆れている一方で完全に笑えないのは、たぶん俺もどこかで、彼らを許していないんじゃないか、という気がする。
もういいよ、父さん母さん、と言いたい。
というか、何も言わないでただ抱きしめてあげるのが正しい気もする。一度だけじゃなく、会うたびにそうしてやるのが正しい気がする。
そうしたいができない。俺たちの誰かが死ぬまでに、俺はそうしないといけないと感じる。
その一方で、三人でそろって食事しているとき、不意に、「この人たちはなんなんだろうな?」という気持ちになることがある。
話をしていて、特別難しいことをしゃべっているわけじゃなく、単純に俺と、頭の中を覗いてみるわけにいかない他者の間で、ちゃんと「会話」が成り立つことが奇妙でしかたがなくなる。
例えそれが両親であっても、「こいつらはなんなんだ?」 と思う。
俺の言ってることが、相手の言ってることが、お互いに本当にわかってるのかな? と思う。確かめようがない。なんとなくその場では笑って飯を食ってる。
…
形而上学と家族への愛情と、どっちかがどっちかへの反発なんだろうな、と思っている。
本当は家族の一員の息子としてキレイに収まりたいけど恥じらいと恐怖心で叶わないために、極端な哲学に走ってごまかしている。
あるいは、心の相性としては形而上学の世界の方が向いているが、どっぷり漬かるのが怖いせいで、家族に目を向けたくなる時がある。
若いときから、もう面倒だったから、どっちかに決定的に俺を方向付けてほしかった。
ベタベタしすぎるくらいまともな家族愛に包まれるか、SFチックなぐらい高純度な精神体になってしまいたかった。
どっちかになれると思っていたがどっちにもなれない。たぶんどっちにもなれないんだろうな、というのが、最近薄々わかってもきている気がする。
奇声を上げて泣く乳児を入れておく小型の防音室があれば良くない?
電話ボックス型にして親が一緒に入ってもいいしベビーベッド型にして子供だけ入れてもいいけどとにかく騒音だけでも解決できればみんなハッピーになると思う。ギャーギャー泣いてることは音がミュートでも見りゃわかるから、そうだねーイヤだよねーとかいいながら、一緒に入るなら親はイヤーマフでもしたらニコニコ抱っこできるしなんなら抱っこしながらのんびり映画とかみてればいいと思う
なんで誰も開発しないのか謎
少なくとも猫に関しては狂信的な猫飼いが凶悪事件を起こす方が多い。
割と冗談抜きで。
保健所に押入り、収容されていた犬を逃がした23歳とび逮捕される。岐阜高山市で発生した事件。容疑者の23歳とび職は、飛騨保健所の窓ガラスを割り侵入し犬舎の鍵を破壊、収容されていた捨て犬や迷い犬などを逃がした。犯行は1月1日と28日の計2回。 2009年03月、建造物侵入および器物損壊の疑いで逮捕される。 動機は「犬が可哀想なので逃がした」と供述、容疑を認めている。
女性から野良猫の餌やりを注意され、その帰宅を待ち伏せして包丁で刺殺。殺人容疑等で現行犯逮捕。
犬の散歩に通りかかった男性を、餌やり中の野良猫が逃げたからと木刀で脅し、暴力行為容疑で逮捕。
永吉教幸(72)2008.7.5 栃木県小山市(ホームレス)
寝泊まりしている公園で野良猫を抱いた人を、猫を虐めていると勘違いし鉄パイプで殴り、現行犯逮捕。
生後1ヶ月の乳児に食事を与えず、育児放棄で虐待死させる。保護責任者遺棄致死容疑で逮捕。
乳児は猫のトイレにしていた段ボールに寝かせていた。「子供より猫の方が可愛かった」と供述。
無職・生活保護受給者で猫5匹飼う。餌代に困り何度もコンビニに押し入り、強盗容疑で逮捕。
アパートの大家に餌やりを注意されて逆上し、サバイバルナイフで大家を刺殺、大家の義理の娘にも重傷を負わせ、殺人及び傷害罪で懲役22年の判決。
猫被害の苦情を言いに来たアパートの隣人を包丁で刺し、殺人未遂容疑で逮捕。
ペット禁止の市営住宅で猫を放し飼いしていることを市に告げ口されたと妄想、上の階に住む姉妹に言い掛かりを付けた挙げ句にノコギリで殴り、傷害容疑で逮捕。
猫の餌付けに苦情を言った人の部屋へ包丁を持って押し込み乱闘に。暴力行為(脅迫)容疑で逮捕。
アフリカ出身女性のAさんは都内にある外部の病院で糖尿病と診断されている。病院からはインシュリン注射が渡され、自らそれを打たなければならない。事件があった日、Aさんは自分で注射を打つと、急に体が熱くなり、我慢ができなくなって服を脱ぎ棄て全裸になった。そして、自分自身のコントロールが効かなくなり、壁に頭を打ちつけたという。
インスリン注射を打つと血糖値が低下するのに体が熱くなる???
精神的な疾患があるように見せかるため暴力的に振る舞っているだけのような。
Gブロックは3畳ぐらいの窓のない部屋で、天井からは監視カメラがぶら下がっている。トイレはただ単に床に穴が開いている状態で、自分で流すレバーなどはない。ここに入れられた人はトイレを流したい時、職員にお願いしなければならない仕組みになっている。
突起物や破壊した陶器などで自傷行為をしないための部屋じゃないの??
ニヤニヤ笑っていた、手を振っていたというのは一方的な証言でしかないのを簡単に信じれる人って陰謀論にも騙されそう
そもそも難民の認定を受けるための身元保証人って外国人でいいの??
いやいや、国内の難民に関する法規を理解せず難民として認定?? 勝手にあとから悲劇と。
Aさんの暮らしていたアフリカでは、女性の人権が非常に軽んじられていた。農場などで長時間の重労働を押し付けられ、町の人から性被害を受けることも当たり前。常に危険な環境に置かれていた。両親や親戚などから強制的に結婚相手を押し付けられることもあり、拒否することは決して許されない。そんな場所から逃げ出したいと考えたAさんは母国を離れ、日本に来る決意をした。
そして最後に......
彼女は安全と平穏のある生活を求めている。どれだけの苦しみを耐え抜けば幸せになれるのだろうか。
辛い人生から逃れたくて遠い日本まで来たというのに、入管は更に追い打ちをかけるかのようにAさんを辱め、侮辱し、心をズタズタに引き裂いた。
いやいや、こういうオーバーステイから国外へ移送させられないようにあとから「難民」と言い訳にするのが認められたら法律いらないじゃん。
本当に迫害で苦しんでこの国に逃げてくる難民の人たちを何だと思っているんだろう?
「乳児の首を締めたのは、ちょうちょ結びをしてあやそうと思っただけ。よって殺人ではなく傷害致死である。」
「精子が人間を復活させると信じていたことによる魔術的な復活の儀式であり、助命行為をしようとしていた。
環境を変えたほうが早いのでは、無理やりでにも実家に帰す。実家から心療内科でも。
実家がコロナにビビってる・他人の目が気になるだけが理由なら、その生活で感染リスクは低いだろうし、帰した方がいいよ。他の理由があるなら知らん。
滅入ってるだけで、生活の基盤が破綻してないんなら、どんどん外連れってやれば。暑いし車で。電車バスなんて逆に疲れるしコロナもある。東京で世間体とか気にならない。本当に篭もりきりが原因なのならね。違う気がするけど。
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自分とこは、妻が攻撃的になり、一方的な言いがかりを平日昼夜問わず仕掛けられる。俺の全てが気に入らないぽい。ガルガル期だとかそんなもんじゃねえ~別人よ。今思えば産後鬱だったのだろう。
育児→俺は風呂寝かしつけは生後からずっとやった。夜中のミルクも気付いて起きれば。週末ワンオペしたり、妻を旅行させて一人で面倒見てたりしてたが、精神的に来た人に息抜きや休息などではすぐに解決しないと思う。
カウンセリング・心療内科→自分(妻)は正常だ、行くなら一人(俺)で行け、で上手く行かなかった。話を聞いてくれて協力的ならまず行ったほうがいいよね。
俺側の身内は全て敵認定だし、妻側の実家が理解してくれないと第3者も入れにくくて無理ゲー。うちは娘を信じる、で理解されなかったね。
この状況は不味いし、母子二人の環境を変えたかったので、抵抗されたが保活し保育園に入れ送り迎えやって、妻が復職し、その後やっと落ち着いて回復した。
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23区住み。近くに親戚なし。どこでも出来る・納期守ればいい仕事。だったけど、仕事にも支障出まくりで、貯金は吹っ飛んだ。
周りに相談して聞いた似た事例(攻撃的パターン)では、夫が出ていって離婚になったのが2件。どちらも妻はその後冷静になったぽくて反省してるらしいがあんなん目の当たりにしたら復縁しないだろうな。
妻側の身内からの話で夫はよくやってたってんだから、自分は育児にも参加してるのになぜ、とかは考えないほうがいいよ。関係ないと思う。どっちを責める話じゃない。
俺も親権取るつもりで記録取って離婚の準備してた。乳児を男が取るのは大変みたいで何年かかってでも。常識ない奴らに息子の人生預けられるかって気が立ってたな。
弱ってる系の話はちょいちょい聞くけど、興味なかったから忘れた。
産後クライシスのパターンや対応方法なんか、なかなか見つけられなかった。役に立たねええ行政だわ。
今回の件と人に聞いた話で、産後クライシスって不仲・価値観どうのってより、メンタルヘルスの割合が結構なんじゃないかと思った。
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素人考えだが、社会につなげて、元々の環境に近づけないと駄目なんじゃなかろうか。環境の変化に対応できるタイプでないと、一度嵌ったら簡単に抜け出せなさそう。
たぶん何したって病む人は病むから、原因追求や俺も頑張ってるのにとかは置いといて、ちょっとでも気が楽になる環境から徐々に、がいいんじゃないかなー。実家が落ち着ける場所ならそこからのスタートが。
他人からのおせっかいやアドバイス系は弱ってる人には効かないし余計だと思う。色々インプットされちゃうと自分か相手か責めるアウトプットが生まれるし、逆効果なんじゃないかとも。
精神的に弱い奴だな、とかそういうんじゃない。こんなのは誰にでも起こる仕方のない事だから、受け入れてより良い環境をって考えていくしかないね。自分も完璧なはずはなく。
今までコロナウイルスについて考えをまとめるために記す。匿名ダイアリーを用いるのは、所属する組織に何らかの影響を与えることを懸念して(別に過激な思想ではないと思うけれども)。
中堅小児科医。専門医取得済み。いわゆる第一波の時は院内に小児患者はいなかった。東京でも都立総合に3,4人程度、いずれも家庭内の感染だったそうだ。成人の救急の先生が重症患者にECMOを回し忙しそうにしているのを横目に眺め、ガラガラの外来・病棟で暇を持て余していた。全国のPICUのネットワークでも、重症患者はおらず、基礎疾患のある児が関西地方で入院しているのみと聞いた。山梨大学の乳児のCPAの例ではコロナウイルスPCR検査が陽性とのことだったが、続報がなく、個人的には偽陽性であったのではないかと考えている。事前確率が低ければ、検査陽性でも陽性適中率が低くなるからだ。
第二波では、小児の患者も何人か。いずれも症状はほとんどなく、あっても鼻汁程度。成人のCOVIDでは鼻汁やくしゃみは少ないという話ではあったが。家族が陽性→保健所からの要請でPCR検査を行い、二類感染症として入院という流れ。入院中もほとんど診察はせず、full PPEの看護師さんがバイタルをチェックし、両親に様子を伺い、退院していく。医者がやることは電子カルテ上のオーダーくらい。ホテルもすでに準備され、軽症者は順次ホテルに移っていくだろう。
第一波の時は未知のウイルスであり、 影響が測りきれない部分もあった。緊急事態宣言は、小児医療に関わるものとしては、適切なタイミング・適切な程度で出されたのではないかと考えている。
今回、患者数が再び増え、医療と経済とのバランスの中で、どのように今後の方針を決めていくかについて、様々な意見があると感じている。小児科医として、何点か述べたい。
緊急事態宣言後、公園の遊具はロープで縛られ、動物園や水族館、テーマパークなども軒並み休業した。学校も休校となり、大学などは現在でもオンライン授業が続いていると聞く。甲子園も開催されなくなった。スポーツ大会などでは、開催されないことで将来が大きく変化する児童も多くいることだろう。子供の1年、若者の1年の重みは、成人の1年とは異なる。小児がコロナウイルス感染に対して、vulnerableと考えるのであれば、学校の休校やスポーツ大会の休止は子供を守るためにやむを得ないが、重症化のリスクが低いと見積もれるのであれば、果たして必要な措置なのだろうか。重症化リスクが高い層を守るのが目的であれば、外出自粛すべきなのは子供や大学生ではなく、高齢者になるのではないか。そういった意味では、「旅行は良いが、里帰りは控える」といった経済担当相の発言は、色々叩かれているが、一つの真理を含有している気がする。なお、自粛により家庭に閉じ込められた小児に対して、家庭内暴力や望まない妊娠が増えていることは世界的な事実であることを付け加えておく。
・適切な免疫を獲得する機会を奪っていないのか
静岡厚生病院小児科の田中医師がidatenメーリングリストで述べていたことの受け売りではあるが。小児は感染を繰り返しながら、免疫を獲得していく。手足口病や伝染性単核症などは、両親や同世代の間で不顕感染や軽症状を経て、獲得免疫が形成される。vaccine preventableでないこれらの疾患は成人発症の場合、重症化する可能性が高い。「新しい生活様式」を真面目に守れば守るほど、将来プール熱やりんご病で思いも寄らない合併症に苦しむ患者を産む結果につながらないのだろうか。
感染症、特にウイルス感染症は「100%絶対にかからないこと」を目標としてはならない。インフルエンザワクチンの効果についても然り。接種することで、重篤な合併症が防げれば、それは見えづらいが大きな成果である。感染 = 悪というデジタルな二元論ではなく、ウイルスがそこにある状態で、どうやって生活していくのかを考える必要がある。
新型コロナウイルス感染症については、そもそも感染しても、あるいはワクチンができてそれを接種したとしても、終生免疫が獲得されるのかどうか、という問題もあるが。
昨年、RSウイルスが大流行した。小児で心肺停止に至る症例もあった。集約施設では毎日のようにハイフローネーザルカニューレが必要な症例が入院してきたし、気管挿管例も多くいた。
また、インフルエンザによる脳症で、後遺症を残す例も毎年いる。米国では毎年それこそ数万人といった単位でインフルエンザによる死亡が見られる。ウイルス感染症は一定の確率で重篤な後遺症を残しうるし、成人でも命を失う方はたくさんいる。このことは、自分の知りうる限り大きくは報道されていないし、「乳児へのRSウイルス感染を防ぐためにマスクの着用を」「インフルエンザが流行しているから外出を控え自粛をしましょう」という議論にはならなかった。
RSウイルス感染症は、現時点で有効なワクチンは存在せず(パリビズマブはワクチンではなく、適応にはいくつか条件がある)、治療薬も存在しない。乳児では重症化のリスクも高いにも関わらず、成人では重症化しないという点で、放置された訳だ。
「インフルエンザは治療薬もあり、新型コロナウイルスとは違う」という発言も頻繁に目にするが、オセルタミビルですらWHOの必須薬ではない。本邦での使用が大半だと考えられるラニナミビルについては、欧米での治験が中止されるくらい、有効性についてのエビデンスは乏しい。ノイラミニダーゼ阻害薬について、エビデンスがあるのは、一部の薬において、発熱期間を有意に短縮するという点のみだ。
ワクチン接種云々によらず、ウイルス感染症で重症化した患者に対して、できることはとても少ない。抗ウイルス薬を投与した場合でも、重症の肺炎や脳炎、髄膜炎などは、急激に回復が望めるわけではない。それこそ今新型コロナウイルス感染症に対して現在行われているように、ステロイドや免疫グロブリン投与など、感染に対して過剰に活発化した免疫を抑えるよりほかない。
恐怖を煽り、RSウイルスやインフルエンザに対応しろと言っているのではない。新型コロナウイルスはただの風邪とも言わない。新型コロナウイルスについて、「何もわからない」状態から少しずつ情報が集まり、データに基づいた議論が可能になりつつある。軽症や無症状も多く含まれる感染者数を毎日発表しつづけることは、果たして有意義なことなのか、発表が徒に恐怖を煽っているだけではないのか、現時点でも封じ込みを目的としてPCR検査を行い、二類感染症として隔離入院を続けるべきなのか。立ち止まって考える時期ではないか。
子供の権利の話ともつながるが、新型コロナウイルスに関して、「自分が死ぬかもしれない中高齢者」の恐怖が、議論を歪め、RSウイルスやインフルエンザ感染症などその他ウイルス感染症への対応と比べた時、歪な方針となっていないか。
一般臨床医にとって、ウイルス検査とはあくまで実臨床上補助となるものでしかない。発熱、咽頭痛、眼球結膜充血を主訴に来院し、周囲で咽頭結膜熱の流行があり、飲水ができず入院が必要そう。その場合、あくまで診断の裏付けとしてアデノウイルス迅速検査を提出する。出さなくても方針には変わりない。インフルエンザ迅速検査にしろ、迅速が陰性であっても病歴から事前確率が十分に高いと判断できれば、ノイラミニダーゼ阻害薬の使用を考慮する(必ず投与するわけではない)。医者がインフルエンザと診断し、病名をつければ、その患者はインフルエンザなのだ。
PCR検査陽性の場合、ただ一つ正しい言明とは、「咽頭にウイルスが存在する」ことのみだ。インフルエンザ迅速検査陽性で、発熱があっても、咽頭発赤がまったくなく、結果として尿路感染症であった小児などいくらでもいる。主訴がまずあり、病歴・身体所見に矛盾しない。そのうえで検査が陽性である場合、治療が正しいものである可能性が高くなる。
検査結果が出るのに月単位で時間がかかる感染症もある。例えば猫ひっかき病の原因であるBartonella henselaeは国外でしか検査を行えず、結果が帰ってくるまでに患者の症状が消失していることも多い。それでも、臨床的に病名をつけて、治療を行うしかない場面も多々ある。逆に、検査結果がすぐ出て、感染が証明されても、何も行わない場面もある。アデノウイルス感染症もそうだが、対症療法しかない感染症もいくらでもある。症状の強弱はあれど、世の中治せる病気ばかりではない。自然に治っていくものの方が多い。
無症状の接触者に対しても積極的にPCR検査を行い、診断・隔離を行うという政策(これはもはや医療ではなく、「政策」であろう)は、臨床医として、完全に間違っていると考えている。一部の県では軽症者が増えすぎ、ベッド数が逼迫しており、無症状のものには検査を行わないことにしたそうだ。今後、広がっていくことだろう。
・報道のあり方
ティッシュペーパーの買い占め、マスクの転売、赤の他人に自粛を強要する一般市民。これらの事象において、報道の影響は看過できない。不安や恐怖を煽り、一体何がしたいのだろうか。最低だと思っていた機関の、より最低な姿を見せつけられ、もはや残念とすら思えない。
コロナウイルスの完全な消失、あるいは治療薬・ワクチンの完成を望んでいるとしたら、おそらくそれを実現するのには途方も無い時間を要するだろう。経済活動、あるいはこどもの権利(もちろん病気で亡くならない権利も含めて)を守るためには、ウイルス根絶を目指すのではなく、我々自身の考え方を変えるよりほかない。
昼も夜も寝ないし授乳の時以外は大体泣いていた。乳児期は1時間ごとに起きてわたしは気が狂いそうだった。
まわりの、同じくらいの月齢の赤ちゃんを見ては、その穏やかさに驚かされた。床に転がっていても、お母さんが友達とお喋りしていても泣いていない。
はじめての子育てでとにかく必死で、子育てサークルやサロン、支援センターなどに毎日通った。けれどどこに行っても泣いて暴れて、どうしようもなくなって5分で帰るなんていうこともザラだった。その度に、なんでうちの子だけ、と暗いリビングで泣いた。
周りの人達にたくさん相談した。配偶者、実親、ママ友、リア友、親戚。帰ってくるのはいつも同じ言葉。
「大丈夫だよ」
「子供なんてそんなもんだよ」
「うちもそうだったよ」
「1歳過ぎれば楽になるらしいよ」
「今だけだから。大きくなったら離れていって寂しいもんだよ」
そうなのか、これが普通なのか。わたしは、普通の子育てにすらこんなに疲弊している、ダメな母親なんだ。そう思った。
もっと頑張らなくては、みんな頑張っているんだから、そう自分に言い聞かせた。
3ヶ月、半年、1歳、2歳、楽になる日は一向に来なかった。
紆余曲折を経て3歳をすぎた頃やっと診断がおりた。
やっぱりなと思った。だって普通の子育てがここまで大変なわけがない、とわたしはどこかホッとした気分だった。子育てはこんなもんだとか、みんな同じだとか、無責任な言葉をわたしにかけたやつみんなふざけんなと思った。いっぺんうちの子を育ててみろ、お前のところにも障害児が生まれろ、そんな風に思った。今も思っている。
子供が生まれれば多かれ少なかれ親の人生は変わる。親が真っ当であればあるほど。子供中心の生活になり、自分の時間も自我も犠牲になる。子供というフィルターを通して自分の価値が決まる。日本社会は尚更だと思う。
発達障害児が生まれてわたしは変わった。子供に手を焼き、不眠と疲れで毎日キレ散らかし、夫や親、特に物に当たり、食器を割る回数が増え、メガネや窓ガラス、パソコンなど色んな物を壊した。体重は妊娠前と比べて8キロ落ちた。自分の怪我も増えた。失神して倒れて怪我をして、顔を縫ったこともある。慢性的な吐き気と下痢はもう2年以上続いている。胃カメラも大腸内視鏡も、ホルター心電図も脳のMRIも超音波エコーも、受けられる検査は全部受けたけれど異常は無い。全部ストレスのせいだね、と医者は言う。
息子は本当に少しずつだけど成長していっているように思う。
税金を使って療育して、税金を使って教育して、定型の子たちより何倍も何十倍も努力して、それでも定型以上にはなれない。
二次障害を起こして、犯罪を起こしたり、家庭内で問題を起こす可能性が定型より圧倒的に高い我が子。
「普通の進学」「普通の友達」「普通の就職」「普通の結婚」、そんな「普通の」未来さえ思い描けない我が子。
そんな子供を育てて何のためになるんだろう。
一体何のために子育てしてるんだろう。
誰か教えてほしい。どうしてわたしのところに生まれてきたのか。
何のために生まれてきたのか。
殺すなら今のうちだと思う。
わたしは誰の為にもならない息子を殺したい。
なんだか言及されてたので。
うちの夫もこう思ってるんだろうなあ。呑気に。
そういう話は女同士の間でだけ共有される。
いやいやいやいや・・・。
そりゃ夫としてもそのあたりは気になるので
って何回か聞いてるけど毎回全力で否定してくるよ。むしろ「自分の子供がこんなにかわいいなんて思わなかった」「寝ないときは憎たらしいけど」って言ってくる。
「それは奥さんの口先だけで、心の中ではそう思ってないでしょ」って言われるのであれば、
そこまでコミュニケーション断絶している夫婦が前提なら確かにその通りかもしれないけど、実感としては違うかなあ・・・。
たしかにまあ、子供が小さいうちは最低限夫が夜中のミルク授乳とおむつ替えはしないと睡眠時間が6時間取れないので妻の体がもたない。完母だとつらいと思う。
あと、土日どっちかは旦那が子供の世話の大半をするとか、食洗器洗濯乾燥機、自動掃除機による家事炊事の機械化、定期的な外食中食の活用、コープデリなどの食材支援がないと厳しいね。
つらい時のシッター支援ができるようにしておくと気分的にはだいぶラクになるみたい。うちは実際にはシッターは高いからとか家に他人を上げたくないからといって
あまり使ってくれないけど、その逃げ道があるのとないのでは気分的に違うのかなあと。
そりゃまあね。ラクなことだけじゃないのは否定しないよ。でも子育て幸せエントリもそれなりに人気だと思うけどなぁ・・・。
倒錯的だけど、子育ての愚痴を書くというのは割とマウントだと思ってる。だって子育てしたことのある人にしか書けないじゃん。
あと、子供生まれると、社会的支援の厚さに結構気づかされると思う。保健所からはワクチンだ検診だなんだと無料クーポンがどんしゃか届くし
乳児医療費は原則無料、自治体によっては投薬も入院食事代も全部無料。児童手当とかその他なんだかいろいろカネも振り込まれるし(うちは減額されてるけど)
双方の実家は大喜びでわけわからん服だの玩具だのを怒涛のように送ってよこすし、街を歩けば見知らぬジジババも女子学生も相好崩して絡んでくるし、
社会的に認められてる感が半端ない。子連れは正義!とばかりに得意になってベビーカーで煽って他人押しのけたくなる気持ちもなんとなくわかる。
昔から「案ずるより産むが易し」という見事なことわざもありますしおすし。
napsucks
子供に辛く当たってしまった、言葉の出てない立ち上がれもしない幼児なので(卒乳はしてるので乳児ではない)
怒っても仕方ない面は多いが、22時になってもびゃーびゃーと耳障りな奇声をあげて遊んでいて
ここ最近ずっと寝てくれない日が続いていたので
堪忍袋の緒が切れてしまい、顎をもちあげて宙吊りしてから布団に叩きつけてひっくり返してもう一度叩きつけた
びっくりした子供が泣き出したらとてもスッキリした。スッキリしたけどこれはヤバい兆候だわと思ったので
こんな悪いことをしてしまいなんでスッキリしたのかと考えたところ、コミュニケーションが取れたからスッキリしたとわかった
懇願しても、説得しても、もうおわりだよーと優しく言っても
繰り返しいいすぎても聞かないだけなので、一旦区切りがつくまでまってから、スキを見つけて声をかけても
一切ダメ、完璧無視され続けている中、子供に手を上げたら子供は泣いてくれたのである
やっとコミュニケーションをとってもらえた
その感覚に、とてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもv
スッキリした。
科学読み物やTVで取り上げられた有名なのはこれ。イェール大学のヤツ
下記はイェール大学の乳児認知センターで公開している実験の動画
[Yale University] The Infant Cognition Center: Research in Action
他に科学読み物で取り上げられてたのはワシントン大学のこんなのとか
- 赤ちゃんは公平さを好むが、自分たちがより利益を得る場合には、公平さはそれほど重要視しない
- 白人乳幼児40名に研究者2名がおもちゃを配った。1名はおもちゃを公平に、もう1名は不公平に分配した。
その結果、70%の乳幼児はおもちゃを公平に分けた研究者をより好んだ- 実験対象にアジア人と白人の乳幼児を混ぜ、その中の何人かの白人乳幼児に、より多くおもちゃを配るという実験をした。
その結果、前の実験結果とは異なり、白人の乳幼児は「自分たち」をひいきする「不公平な」研究者をより好んだ[Frontiers in Psychology] I“I pick you”: the impact of fairness and race on infants’ selection of social partners
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2014.00093/full
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「お客様に向って"さん"とは何だ」
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「"それ以外"という言い方がマイノリティを想起させる」
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乳児(男女)と幼児(男女)と少年少女と成人男性女性の皆様、大志を抱け
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「色々な性的指向があるので、男女という区分けで表現するのは適切ではない」
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乳児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と幼児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と未成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))と成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))の皆様、大志を抱け
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「知らない人に命令口調なのはどうかと思う。命令口調で傷つく人もいるんです」
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乳児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と幼児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と未成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))と成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))の皆様、差し支えなければ大志を抱いて頂くようお願いいたします。
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乳児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と幼児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と未成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))と成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))の皆様(白人だけではなくあらゆる人種の方々に呼びかけています)、差し支えなければ大志を抱いて頂くようお願いいたします。
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「どこからの出典になるでしょうか?出典がない場合は要出典タグを付けてください。」
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乳児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と幼児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と未成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))と成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))の皆様(白人だけではなくあらゆる人種の方々に呼びかけています)、差し支えなければ大志を抱いて頂くようお願いいたします。【要出典】
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「文字を読み上げることができない人のために音声版を用意すべきだ」
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乳児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と幼児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と未成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))と成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))の皆様(白人だけではなくあらゆる人種の方々に呼びかけています)、差し支えなければ大志を頂くようお願いいたします。【要出典】
※様々な方に配慮し、こちらの音声版もご用意しています。https://sound.cman.jp/voice/download/2020061111550219190Ov1_002.mp3
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子供を持つということと人生の幸せは必ずしもリンクしない。だから全ての人が子供を産み育てるべきという論には反対だ。
ただ、僕は今のところ幸せだ。
父が僕の子供を嬉しそうに抱っこしている。
父が僕を授かった頃、男親は今ほど子育てに参加する風潮ではなかったし、仕事の都合で年単位で家族と離れて暮らしていたし、そもそも父という人間はそれほど子供が好きではなかったらしい。
乳児期の子育てに積極的に関わらなかった、関われなかったことが父にとってある種の喪失感になってると気付いたのは最近のことだ。
口達者な父なのに、母に「子供が小さい頃、貴方は何も手伝ってくれなかった」と愚痴を言われると貝のように黙る。少ししかない子育てエピソードを語る時は嬉しそうだ。「なんだかんだ言っても子供がいて楽しい人生だったよ」と語ってくれたこともあった。
父はもう戻れない過去に憧れているんだろう。それを孫をお風呂に入れながら取り戻しているのかも知れない。
母は本当に僕を愛してくれた。男の僕にとって母親の干渉は年頃になるにつれて煩わしくなっていったし、今も顔を合わせると辟易とするけど、母親が僕を大事に思ってくれてる事はいつも感じてる。
その母親が僕の子供をあやしている。僕によく似てると言いながら。
母にとって大家族の中の育児と家事は、毎日が戦場のようだったろう。子供が最も可愛いとされる乳児期はあっという間に過ぎたはずだ。
母にとっては、そのあっという間に過ぎ去った貴重な時間を、息子に似た孫が再び与えてくれているのかもしれない。
母は今、あの頃の母の顔をしている気がする。
コロナかどうか医者でもわからないからわざわざ受診目安が4日って区切ってるんだな
ていうかうちの家系はもとも肺が弱いからいろんな薬やワクチン打ってるせいもありそう
コロナの免疫が特別複雑なマトリクス状に分散してるのかなっていう気はするね
さらにいうとBCGな、結核っていう昔からある肺病のワクチンで
乳児のうちにうけとけって役所から書類がくるやつだが(各自母子手帳みろよ、anond.hatelabo.jp/20200402193630のバカもな)
結核だとコロナどころじゃなく年単位でかかったりなおったり熱でたりなおったりだるかったりなおったり!!!!!!
イメージがわかないならサツキとメイのおかあさんがたぶん結核、ワンシーズンで入院がすめば短い方、それが結核
(一応結核はウィルスでなく細菌のほうだから抗生物質がひろまりはじめたころはよくきいたが、今は抗生物質もいまいちで再興しつつあるらしい・・)
そのワクチンが聞いちゃうってことはもしかしてコロナさん結核なみにめんどくさい可能性があるのか・・・