はてなキーワード: テイストとは
地元のショッピングモールに行くと時々すれ違う女装おじさん(仮)がいる
いつも明るい色のミディアムくらいの長さのウィッグに鮮やかな色のミニ丈ワンピースを着てパンプス履いてモールの中を歩いてる
身に着けてるものだけ見たら飲み屋のおねーちゃんっぽいテイストなんだけど、なら女性に見えるかというと正直無理
ノーメイクの顔はおじさん〜おじいさんのそれだし、喉仏あるし、女性ではまず見ないレベルのガニ股だし(足が悪い女性だとしてもそういう人はヒール履かない)
テナントが並ぶ通路ですれ違うくらいだから別に通報も何もしてないけど、すれ違う時はいつも手ぶらで買い物してるようにも見えない(このモール行くと2.3回に1回はすれ違ってるけど荷物どころかバッグすら持ってない)
何目的なのか謎
https://anond.hatelabo.jp/20231026090510
昔からいるよね。私は数年前まで某駅ビルのアパレル店員してたけど場所柄か女装した男の人が来店することがあった。さしてサンプルは多くないけど、タイプは3つに別れると思う。どれも主観なのは本当ごめん。ちなみに20代後半〜の綺麗めを好む女性がターゲットのブランドでした。価格もそれなり。
1.普通の客
ふつうのトランス女性(といっていいのかちょっとわからないけど)。基本的には必要以上に話しかけてこない。うちのブランドの商品じゃなくても近いテイストの服を着こなしていて違和感がない。試着はする時しない時がある。買わない時も勿論あるけど時にはけっこうな額買っていく。普通にいい客なので誰も文句言わない。
2.やたらと無口、攻撃的?
基本的な特徴は1と同じ。違うのは態度。何を話しかけてもほぼ無視で会計時にもほぼ話さない。睨まれたように感じたこともある。試着もほぼしないで買ってくのだが、そんなに店員と話したくないのちネットで買わないのか不思議だった。
わかりやすい女装をしている。わかる人しかわからないので当然だけど本人たちが思ってるよりすぐわかる。当然こちらも警戒する。骨格やメイク以前に服装でわかる。その服着てる女はうちの服買わないだろ、、、みたいな。店員とやたらと会話したがる。滞在時間がやたらと長いのも特徴で、すきあらば店員に自分が男であることを明かして「え〜!」をやらせる。増田は褒めるなと言うが、アパレル店員はどんな客にも「似合いません」とは絶対言わない。できるだけ気持ちよく買い物をしてもらうのが仕事だからだ。女の子の格好をしていて女の子に見られたいのに男と明かしてくる男には「だと思った」とは絶対言わない。ちなみにその客は、頻度は高くないものの新しいスタッフが来るたびに来店を繰り返していた。ビル中を回っているようで他のショップのスタッフからも目撃情報をよく聞いた。試着するくせにほぼ買わない。一度ゴリゴリ営業の後輩が滅茶苦茶に褒めちぎり上から下まで一式買わせる作戦に出た時だけ、申し訳程度にキャミ1枚だけ買った。
一人プレイのオープンワールド(一応マルチも可)だけど研究・研鑽できる分野が多岐にわたり、公式コミュニティも発達しているので発表(生産)の場もある。
綺麗なスクショを撮ってフォトグラファーのようなことをしている人もいれば、ハウジングシステムで壮大なものを組み上げて見せる人もいる。
ゲーム内TCG(シャドバ的な何か)が単体アプリ並の出来なので、これは対戦も可能だがNPC戦もできて、戦略を見出して記事にしたりなんてこともできるだろう。
ゲーム世界の探索要素や世界設定も膨大で、発見や考察を動画にする人もいれば、BGMのピアノ演奏や料理の再現をする人もいる。
戦闘メカニズムも、ライトに遊ぼうと思えば手軽にできるが、元素の付着頻度や付着量、減衰などを考え合わせつつ元素反応を活用しようとすると、
指数関数的に考えることが増えるので、そのへんのロジックをカリカリに極めてダメチャレ勢のようなことをしたり、限られた編成で最大限に強く使える立ち回りなどを研究・発表しても一目置かれるだろう。
プレイヤーの母集団が大きく全世界にプレイヤーがおり、それが一つのHoYoLABというコミュニティに集まっているので、ゲームとはいえ望めば生産的な活動をしたり刺激をもらったりすることが容易だ。
もちろん、一般的な、イラストや漫画、コスプレといった方法で同人的な生産活動をする人も多いが、それに限らない懐の広さを持つところが魅力だと思う。
バージョンごとにやたら凝ったミニゲームイベントが来ることもあって、譜面作成可能な音ゲーに凝ってみたり、マリオメーカー的なコースを作ったり、かくれんぼを極めたりと、局所的な研鑽の機会も尽きない。
考察勢なんかになると、各言語ごとの訳文を比較したりすることも多々あるので、多方面の教養が要求されるという意味で、これが一般的な意味での自己研鑽には繋がりやすいかもしれない。
ただ、厭世的な気分を和らげたいだけなら、生産やら研鑽やらにはこだわらずに、水の国フォンテーヌの美しい海中を泳ぎ回って散策していた方がよほど癒やされるだろう。
アニメ調なのでフォトリアルなAAAゲームの緻密で解像感のある景観とは異なるが、このテイストとしては業界随一のグラフィックだと個人的には思っている。癒やしには最適かと。
上品なファンタジーものに触れたければ漫画原作アニメに一旦別れを告げてPCを自作して原神をやりましょうぞ
現実の各地域の風土オマージュや二次元文化、映画文化、神話などをふんだんに取り入れているため、考察好きなお方であれば多方面の教養も磨かれますぞ
末永く人生のお供として付き合える作品であることは保証いたしまする
アニメ調の美術テイストも最先端で、ゲーム史上最大と思われる累計500億超の莫大な開発費と、1000人超の開発人材を惜しみなくつぎ込んでおられるようで
オンラインゲームとしてあり得ないほどの開発ペースで質・量ともに優れたコンテンツを繰り出してくるため、毎度ユーザーの期待を超えてくる印象のある受賞歴多数の運営型ゲームですぞ
何もかも本気で作っておられる熱意が伝わってくるので例えば音楽ひとつとっても地域ごとに毎年一流のオーケストラを動員して録音したりと余念がありませんぞ
ちなみに最新の国のフォンテーヌのBGMを指揮されたのはハリポタ劇伴を指揮したのと同じ方なのですぞ
このミュージックビデオの凝りようだけでも規格外さが伝わってくると思いまする
https://www.youtube.com/watch?v=kRd1cW0_VMA
テレビをネットを受動的にぼけーっと見ていればカルチャーを摂取できている気になれた時代は平成で終わったのかも知れませぬ
基本無料にもかかわらずどんな有料作品よりも豊かなIP発信をされておるこの様はすべてのアニメ文化愛好者が刮目すべきものだと思いますぞ
さあやる気をだしてPCを組みましょうぞ、どうしても機械に疎いのならば入手しやすくなったPS5でも構いませぬ
いずれにせよ可能ならばウルトラワイドモニター等の広い画面でプレイされることをおすすめしますぞ
さらにできることなら良質な有線イヤホンないしヘッドホン、もしくは音響システムがほしいところでもありまする
安価に済ますのであれば近年の音質向上と低廉化がすさまじい5千~1万程度のブランド中華イヤホンを選ぶのがオススメですぞ
例えばSIMGOT EA500あたりですな
○ご飯
朝:なし。昼:ナポ。コーンスープ。夜:ピザ。間食:あめ。アイス。
○調子
○ ワールズエンドクラブ
・はじめに
全国の小学生の中から落ちこぼれだけが集められたガンバレ組に所属する11人の男女が、生死がかかった奇妙なゲームに巻き込まれることから始まる、トーキョーゲームスが開発した青春アクションアドベンチャーゲーム。
打越鋼太郎、小高和剛、中澤工と言った僕が度々高評価を付けている作品のスタッフが関わっており、期待度は高めで遊んだが、僕は楽しめた。
実は発売当初に悪いインターネットで無遠慮かつ粗雑なネタバレを読んでしまい、それが記憶から消えるまで熟成していたので遊ぶのが随分遅れてしまった。(ちゃんと忘れれた)
テキストを読むパート以外にも2Dアクションのパートもあるが、そちらはあっさり目で難易度もイージーを選べば難しくはない。
所謂初見殺しの要素が多いためゲームオーバーにならないわけではないが、覚えてリトライすればチェックポイントの間隔も短いので苦戦することはあまりなかった。
落ちこぼれのガンバレ組が天下無敵になっていく過程の演出としては悪くはなかった。
・登場人物たちの仲良しシーンが良き
開幕の状況からは考えられないぐらい、登場人物達の仲良しなシーンがたくさん楽しめる。
途中参加のキャラも含めて12人の色々な組み合わせでエピソードがある。
視点人物は概ね無口な男の子れんちょが務めるものの、要所要所では視点人物が切り替わる群像劇スタイル。
まだ小学生ながら恋愛っぽいエピソードも幾つかあるのもいいアクセントだった。
三角関係もあるもののギスギスせず、明るい雰囲気で最後まで楽しめる。
喧嘩したりもするけれどパッと笑えばまた友達に戻る良い意味で引きづらない良い子ばかりなのがイイね。
協調性に欠けるキャラもいるにはいるものの、各々の事情を解決していくに連れてどんどん仲が深まっていくのも王道の面白さ。
何を信じて何を疑えば良いのか難しい展開も多い中、このガンバレ組12人がずっと一緒であることだけは疑う余地のない大前提として物語が進むのが心地よかった。
個人的には天才プログラマで少し幼く明るいバニラと、途中参加の記憶喪失不思議娘の雪の組み合わせが好きだった。
お互いどこか白っぽいという謎な共通点で意気投合し二人だけのニックネームを付け合うのが良かった。
・サプライズ重視の展開
ゲームでの表現を利用した演出や、メタフィクションのような展開に、信頼できない語り手など、小学生達の仲良しエピソードが主ながら、各ライターの過去作品に負けなぐらいサプライズ展開が待っている。
設定が開示されていくにつれ、ガンバレ組の根底を揺るがすような展開もあるものの、この世界が終わってもガンバレ組は一緒だと思えるからこそ、その先の奮起が早く読みたくなった。
絶望感が無いのは良い意味で過去作との違いがハッキリして僕は好きだった。
この辺はシリアス度が足りないと否定的な人もいるのも納得いくので、この辺のバランス感は難しそう。
登場人物が小学生なんだから小学生レベルの下ネタで盛り上がることは理にかなっているだろ? と言われるとグウの音がでないが、いつものやつを今回も楽しめる。
「ちんこ」と言うだけで人が笑顔になれると信じきっているライターの信念が伝わってくる。
・歌の力はすごい
今作の名シーンはどこでも「ガンバレ組のテーマ」が流れている。
おちゃらけた歌詞だがメロディとシチュエーションが合間って泣かせにくる。
クライマックスでの使い方も最高に決まっていて大好きな楽曲だ。
・さいごに
明るい仲間たちの友情のエピソードに、びっくりする驚きの展開、そして泣ける楽曲。
製作陣の過去作と比較するとテイストはかなり異なるものの、面白いゲームだった。
ただボリュームの薄さと、アクションゲームパートのとってつけた感は否めない。
特にボリュームの薄さはアクションゲームパートの水増し感も相まってかなり感じた。
ただ、良いところがいっぱいある好きな作品だ。
ガンバレ組は不滅だぜ!
上手く通じるか分からないんだけど、「日本語を母国語とする人が、英語をネイティブとする人に近づけるわけでなく、いわゆるカタカナ英語的な発音で、どちらかといえば洋楽に多いテイストのポップス・ダンスミュージックを英語で歌う」というのが苦手なことに気がついた。日本語の発音方法で英語の歌を歌うと、元々ある言語発音上の滑らかさが弱くなって、なんとなくちゃちな感じというか、背伸びして英語歌詞を歌っているように聴こえちゃう。普段はほとんど日本の音楽ばっかり聴いているので、日本のPOPSがダサいとかそういうことを言いたいんではなくて、それぞれ言語に合わせた音作りになってるんじゃないかと思うから、無理やりカタカナに当てはめた英語で歌うくらいなら、母国語英語の人にオファーできんかったのかなーって思ってしまう。
なんで急にそんなこと思ったかっていうと、今遊んでるアークナイツって、本編にも出てこないテーマソングを趣味で(かどうかは本当は定かではないんだけど)ぼんぼこ作って出してるのね。んで、現地でのコンサートはさすがに現地のアーティストに頼んでいるんだけど、配信音源は色んな国のアーティストに楽曲提供お願いしているみたいなんだよね。開発会社は中国だから、何なら歌だって英語じゃなくていいはずだし、最初から国内のアーティストに頼んでもいいと思うんだけど、それだとイメージが違うんだろうね。中国の方も英語すごく訛るし。日本のアーティストも英語で参加しているけど、その場合は歌い手も作曲も日本の方であるので、違和感がない。予算の問題があるんだろうけど、やるならそこまでやってみてほしいなと思ったりした。
なんか事務所が休みになると事務所にこもっておでんを作って煮たくなる気持ちになるけど、
さすがにさすがにってことで、
給湯室で火を使っておでんのお鍋を火に掛けるのは
また手に掛けるのが早すぎるわ。
そのぐらいちょっとまだおでんの季節のシーズンには早い開幕ダッシュのスタートとは火蓋を切って落とせないのよね。
さすがに暑いので、
けどさー
一旦軽く煮込んで冷やしおでんってのを作ったら夏のおでんが捗るんじゃない?とも思うけど
一旦火を掛けなくてはいけないので、
やっぱり熱いわね。
ほっぺたに当てても熱くないおでんだなんておでんの醍醐味を自ら捨てているようなものよね。
まだもうちょっと先の季節だわ。
おでんは。
てーところで
私は思いっ切りスプラトゥーン3フェスできっかな?って思う今日この頃
ホラ貝でのガチャ回すのに躍起になっていそうだけど、
ヨビ祭始まる前の1日1回5000円でガチャできるので
各ギアの欠片10個詰め合わせの金のカプセルのが普通に当たってしまったから、
ヨビ祭中のガチャにはそうそうに期待しないわ!ってもう正解が出ちゃったのよね。
一つのところに命をかける勢いの一所懸命の所存で満身創痍頑張る次第よ!
満身創痍ってやる気で満ち満ちたりている
とにかく凄い自信の表れ表明だと思っていたけど、
3行で言うとそれなんて傷だらけのローラ?って意味らしいのよ。
やる気で満ち満ちの意味かと思ったけど違うのね。
でもまあ今回私の参加したチームが惨敗しないように
夏シーズン休みもあるしここはしっかりと真面目にフェスに取り組まなくちゃいけないわ!って自分に課す夏休みの読書感想文よ!
そんでね、
スプラトゥーンのマンガが配信しているの期間限定で無料になっていた時期があって、
よし!私もそれ読んでスプラ強くなるんだ!って思ったら、
ギャグでパンツが脱げてポコチンが丸出しになるそれなんてコロコロコミックなの?って
ギャグのテイストがコロコロコミックなのよね!って思っていたら
うーん、
それを知ってから
私はそれ読んだとて多分強くならないわ!って悟りの境地を諦めモードで迎えたのよね。
そんでさー
いきなりスプリンクラー使う人の意味がよく分かっていなくて謎行動だったけど、
少しでもサブでスペシャルゲージを貯められることに気付いちゃって、
スタートダッシュでいきなりスプリンクラー置く人の気持ちが理解できたこの夏!
へーなるへそ!そう言うことだったのね。
って謎行動の意味が分かったわ。
あれスプリンクラー設置で塗り切ったら
ポイント30パーセントぐらいは行けちゃう感じで貯まる体感なので、
知らなかったけど知っていたわ。
そこは知っていこう!って
今誰も関心が無いぐらい勝ち進んでいる女子サッカーみたいな感じで
今日がプレミアムフライデーだよ!って気付いている人より少ない気がするわ。
すーべるスキーの風切る速さ~
うふふ。
鮭か鯖かの2択しかほとんど無くどちらかの確率が100パーセントなのに、
意表の「い」を表明したいところだし
不満の「ふ」は一切無いわよ。
暑い室内はキッチンもう30℃行きそうな朝の目覚めはさすがに寝るところは涼しくしていないと死ぬので涼しいけど、
炭酸しゅわしゅわいいわよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
あのさ!
Switchのソフト交換チケットが半分期限が迫り来る勢いで迫ってきている迫力のある期限なのよ!
どうする私?って思うけど、
今何か熱く欲しいソフトがなくどうしようかと迷っている山脈に向かってヤッホー!って叫んじゃいたいのよ!いやむしろ叫んだけれど。
うーん、
今度新しく出るスーパーマリオにしようかな?とほぼほぼ決まっていると言えども
なのであんまり世間が思っているほどゲームとしてのマリオは私知らないのよ。
マリオの人気は凄いのは分かるけど、
これを機にマリオと向き合ってみるべき良い機会なのかしら?
言ってもマリオよ。
確かにスーパーマリオ35周年の35人で同時プレイできるあのスーパーマリオ35はめちゃくちゃ楽しかったけれど、
あれはあれでごちゃごちゃしていて
1-1ステージにクッパが4人も出てくるところがカオスで面白かったってだけで、
あれオリジナルを遊んでみるとジャンプの挙動とかもスーパーマリオ35の方はチューニングされていてスーパーマリオ2テイストになっていて、
カメとか踏んだらびょーんとジャンプする仕様になっていたじゃない。
あれの楽しさと思って
なんかぜんぜん違うくね?って思っちゃったのよね。
そんでさ、
私的にはマリオのゲームに馴染んでいないのであんまり面白味を味わうことが出来なかったから
なので私がマリオに対するテンションは意外と落ち着いている景色で、
買ったソフトが無駄にならないようにしなくては!って今から思うのよね。
そんでね、
ピクミンとか新しいの出てんじゃん!って思うけど、
どうせなら1からやってみたくない?
とて、
なんかピクミンはなんかあんなピクミンを酷く扱うのは心が痛むのでいまいち食指が沸かないのよね。
やるなら1からやってみたいけど、
これもこれで土壺にはまるというか、
ベヨネッタも3出てるから私も新規参入!って思ってベヨネッタの1を買って遊んでみようと思ったけど
案の定ぜんぜん進められてない!のよ。
なので消去法が成立されたら
というか消去法で言うと
かといって、
そんなテンション低めで買っても良いのかしら?って懸念もあるわ。
ゼルダも新しいのあるから交換しちゃえよ!って意見あるかも知れないけど、
そもそもとして、
それもそれで土壺にハマるのよね。
贅沢な悩みよね。
でもそんなに悩んでいる時間もないので、
早々に何か早く手早くクイックにチケットを交換しなくちゃ!って勢いよ。
忙しいわ!
うふふ。
今日こそは今朝こそは納豆巻きをゲットだぜーってサトシばりに思ったんだけど、
売ってなかった山脈に向かってヤッホーって叫ぶ残響が空しいわ。
売り切れね。
あるある大事典やためしてガッテンって納豆巻き取り上げられたのかしら?
それだわきっと。
テレビで人気なのよ。
夏は夏で梅や紫蘇の美味しさがうみゃーだがや。
たくさん買ったので消費消費!よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://anond.hatelabo.jp/20230731103637
電鉄会社は始発駅にデパートを持っているが、この二社はちょっと特別で文化をブランド化している。
両社ともデパートの一部に美術館を持ち、古典よりも現代美術などを扱う傾向が強かった。
また西武はレコード店WAVEや巨大書店LIBROなども併設して文化/流行の発信者的立場であった。更にこれら文化/流行事業がブランドとなってルイヴィトンなどのハイブランドの出店の寄せ水ともなっていた。
現在ヨドバシ西武出店で豊島区がクレーム出しているのはこういう背景があるから。
2.本屋
巨大書店が何棟かあるが、神保町三省堂、池袋LIBRO、池袋ジュンク堂、六本木青山ブックセンター、新宿紀伊国屋などは毛色が違って、売れ線の本を並べるのではなくて「推し」を優先して陳列するという特徴があった。「話題の本」が話題になる前にそこにあるという感じだ。売っているのは本じゃなくて文化文脈という感じか。ヘイト本陳列などで紛糾しているのはこの辺の事を知っていないと理解が出来なかったかと思われる。池袋ジュンク堂以外は退潮傾向。
3.レコード屋
渋谷その他のタワーレコード、西武系列のWAVE各店、CISCO、新宿/下北沢のディスクユニオン、秋葉原の石丸CD館など特徴的なレコード店があり、これらでは売れ線のJPOPなどは余り売っていない。これも流行のアンテナショップ的な感じでマイナーシーンでこれから流行るもの、ここでしか買えないものを揃えていた。
CDの退潮によりこれらも退潮傾向(石丸は大火災)だが、CDにかわりビニール盤(レコード)が復活してきたのでタワレコなどは盛り返しつつある。
広尾、六本木の欧米系、新大久保の韓国人、西川口、池袋の中国人、など外国人が集中して居住する地域があり、彼ら向けの商店など外国の風が吹いてるかの如くの雰囲気がある。またその地域では国内で見かけない外国製品が売られているなどエキゾチック。文化的な対立などの問題も起きるが都会や資本主義というのは異物に包容力があるのでなんとかやっている。外国人との対立問題で刑事事件などが根拠にされる場合があるが根本原因ではない。文化間の接触域では「文化を浴びる」感が日常で起こり、それが浸食されるという不安を産んでいることを忘れている。
東京とその近郊は戦前は軍都でもありそれらが全部占領されたのでその基地や居住地付近は米軍の文化に染まった。
占領解除と基地返還でこれらは忘れられつつあるが、近郊には所沢、横須賀などアメリカテイストが残り、それを維持しようとする住民がおり、ニューイングランド様式の家+アメ車などの組み合わせを見る事がある。東京郊外だが埼玉の入間市には米軍住宅をそのまま残したジョンソンタウンという街がある。
6.裏原宿
原宿は西から原宿駅\竹下通り\明治通り-渋谷川暗渠地域/青山(線の傾きは高低差)となっているが、この渋谷川暗渠に沿って民家改造した古着屋、インポートショップが乱立した。両方とも若い経営者が米国や西欧に行って古着市場や日本に入っていない若手ブランド服を買い付けて一般民家を簡易な改造した店舗で売るというモデル。全国展開しているBEAMSなども裏原出身。今では地方都市やショッピングモール、観光地周辺でも見られる業態だが、わざと「簡易な内装」を作るのは裏原の文脈があるから。若者のスモールビジネスからセレクトショップやアンテナショップ業態に移行しつつある。なお、渋谷川暗渠に密集したのは、暗渠沿いには高いビルが建てられず地下が低かったから。
7.お祭り
地方より東京の方が中間共同体が残っている事が多く、お祭りが維持できているケースが多い。
道路上での演奏は禁止なのだが路上演奏者は多く居て、警察が来るとダッシュで逃げるというのを繰り返している。特に外国人が民族衣装を着て民族音楽を演奏するものなどは人気がある。
単にオタクが好きなアニメの服着てるだけに留まらないレベルの人が結構いる。そういう人は総じて相当な美人/美男であり服の装飾や裁縫レベルも高くて高級感もある。文化文脈の摂取に貪欲で外国に出かけて実際の文化を見て吸収しようとするし写真のレベルも高く、サブカルなのにハイカルチャーの趣きがある。SNSの過去ログを手繰ると、昔から美人だったのではなくて文化の吸収や意識の向上に従って外見が変化している。だとするとそれを生ぜしめたコスプレという行為も文化現象として上等と結論づけるしかない。
クラブ遊びもちゃんとやろうとすると音楽の知識、海外の文化現象の理解などが必要になる。カッコだけの真似だとダサイ、浅いという評価になる。
環状八号線の世田谷地区には外車ディーラーが並ぶ。外車は単に高級品というだけではなく、その国の文化というものを纏っているもので、特に米国、イタリア、フランスがその傾向が強い。故に環八の外車ディーラーが並ぶ風景は車好きには外国の風が吹いているように見えるものである。
「ビルの内装はがして壁も天井も配管も白いペンキ塗っただけ」みたいな小さいギャラリーが多くあり、マイナー作家やマニアックな展覧会が催されている。その辺の敷居の低い部分があるのを利用してお上りさんやオタクつかまえてサブカル絵やラッセンの絵を高額ローン組ませて売りつける商法をしていた連中は万死に値するな。
13.商店街
地方ではすっかり衰退してしまった商店街が東京では幾つか健在で、若者文化を取り込んで混在する下北沢とか吉祥寺とか買い物以外でも面白いところがある。増田のおススメは赤羽で、昭和のマーケット形式の商店、カゴに小銭入れてゴムで吊るしている八百屋とかも健在で、新しい飲食店も沢山あって混在している。更に飲食店にやたらとテラスがあるのが特徴で日本じゃないみたいな感じになっている。小奇麗なカフェから昭和の立ち飲み焼き鳥屋にはしごとか出来る。
14.モグリ
人気講師がいる大学には偽学生のモグリが発生する。在籍していないのに勝手に講義を聴きに来るやつだ。大学によってはそれを止めるつもりもない。更に学外者が立ち入るのが当然のように大学内で展覧会を開催したりする。
15.TV局
テレビ局は働く人が多いので企業城下町的なものを形成していたりする。いけ好かないギョーカイ風でもあるがTVの地位低下とオフィス街と一体になった再開発などによりオフィス街と混じる形になって衰退傾向(例:TBS@赤坂、TV朝日@谷町、六本木)
16.建築
近代建築も多く残り、有名建築家の作品も多い。中に入って素材の質感、施工の程度などを触って確認できる。隈研吾のなんか食傷気味でもういらねぇとか思ったりする。但しザハ・ハディッドのは無い…。
今までも歩行者天国は色々なサブカルチャーを生み出してきた。だが加熱しすぎて警察に禁止されたり通り魔が起きたりと都度潰されるという道を辿ってきた。今ではフェアなどで自治体が大道芸を支援するような動きがある。
18.大学
身も蓋も無いが地方の大学と東京の大学では学生生活の質が違うというのはある。東京で大事なのは同質性の低さで、地方から出てきた者、エスカレータ組、留学生、帰国子女が混在している。特に帰国子女は「似た外見を持った異人」であって同質的な学校空間で育った学生に異化作用を齎す。概ね彼らはその異文化経験によって判断基準を「みんながそう言うから」に置かず、成熟して大人びていている。帰国子女とも留学生とも邂逅しない大学というのは大学と呼べるのか。
ホームレスに日常的に遭遇し、自殺の現場に居合わせるなどの経験(鉄道など)により、落伍への強烈な強迫観念が刷り込まれる。当然これはいいことではない。だが影響を強く受ける文化現象として外せないと思われる。
「洗濯機の調子が悪くなり始めたので、試しに洗濯板を使ってみた→イメージしてた使い方と全然違って驚いた」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2188096
要するに洗濯板に擦り付けるのではなくて、波板の上で布同士を擦り合わせ揉み洗いするのが正しいという主張だ。
それに対して「ゴシゴシするものだと勘違いしてました」とのコメントが並ぶ。
いやいや、擦り付けで正しいのではないか?
というのも、昭和の2槽式洗濯機には小さい洗濯板が付いていたものがあったからだ。
脱水槽の蓋が閉まっててチラとしか見えないのが残念だが、これを見て欲しい。
https://www.kajitaku.com/column/dry-cleaning/3331
洗濯槽と脱水槽の間にギザギザが見えるだろう。これは洗濯板で、がんこ汚れをここでゴシゴシするためのものだ。ここで揉み洗いというのはナンセンスという事が判るかと思う。
これは上から下まで全面に凹凸が入っているが、もっと多かったのは洗濯槽右下の隅切り部分に斜めにチョットだけ凸凹が入っている形式だ。靴下とか襟とかを擦り洗いするのに適していた。
厨房などでは未だに2槽式洗濯機の方が人気がある。どのみちそばにずっと人がいるから移し替えも気にならないし洗濯水を使いまわせて融通も利く。更に水場においても壊れにくい。
更に昭和の日本製家電というのは耐久性が今から見ると異常でオーバークオリティなほどで、水場に置いて家庭の使用頻度の10倍くらい酷使してるのに30年以上持つというタフさである。
折れたダイヤルが平成デザインのものに交換されていたりする。これは平成洗濯機が先に壊れて昭和機の部品取りにされたという事を意味する。
だから厨房や事業所などでは洗濯板が付いた洗濯機が平成中期でも残っていた。そしてそれらの洗濯板部分は摩耗して穴も開いていた。これはこすり洗いされまくったという事だ。
因みに昭和40年代までの洗濯機は1槽式+ローラー付きだが、これにも洗濯板が付いているものがあった。
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=61877998
これも、この上で揉み洗いするという動機はなくて、ここでゴシゴシとこすり洗いする為のものというのが判るかと思う。
こういう補助的洗濯板が消えたのは洗剤の進化による。固形石鹸から合成石鹸へ、そして洗濯機のメインストリームが2槽式→縦型全自動→ドラム式と進化してそれに合わせた洗剤が開発されて「いちいち部分的に手洗いする」という必要がなくなったのだ。
今の時代にこういう事をわざわざやるのが金になるのがYoutubeのDIY界隈で、DIYの裾野が広大なのが英語圏なので、こういう時は英語で検索するのがいい。
https://www.youtube.com/shorts/W1KKCwEUVJc
これなども擦り付け洗いしているだろう。ほかにも沢山動画があるので「how to use washboard」で検索してみるといいと思う。だれも揉み洗いとかはしていない。
ただ、後述するが一枚づつこすり洗いしてるのは下手だと思う。
米をとぐときに水はどれぐらい入れるだろうか?米が浸るヒタヒタぐらいでといで、すすぎの時は水を沢山使うだろう?
これはヒタヒタぐらいでとぐのが一番効率がいいからだ。水が多いと米が動いてしまってとぎにくい。水が少ないと米表面がこすり合って良くとげるのである。
容器の中を洗浄するのに小石などを使う場合も然りで水は少ない方が洗浄力が上がる。
洗濯板の上で揉むというのも同じで、水の中で動くよりも布同士がこすり合い、同時に潤滑材として機能して滑りやすい、水ヒタヒタの状態が一番洗浄力が強い。このヒタヒタを維持しやすいように凹凸はカーブしている。真ん中に水が集まり易いからだ。
この状態で一番下に布の一部を敷き、その上を滑らせる形で他の部分を動かすとこすり合わせれて汚れが落ちる。これが一般的な使い方と思われる。
なお、洗濯板を使う場合は最近主流の液体洗剤は適さないと思われる。というのも最近の洗剤はドラム式に最適化されていて泡を殆ど出さない。
だが洗濯板では泡が潤沢に出ないと滑りが悪くなってダメなのだ。下に敷いた布がめくれてしまう。布も痛みやすい。
もとスレのtogetterではマンガの描写からこすり洗いでなく両手で揉み洗いが正解と導き出されているが、マンガの描写が正確、精密になったのは劇画の流行を経てその手法が吸収された1970年代以降なのだ。
劇画の嚆矢は昭和30年らしいが、これが一般化したのは団塊世代が青年であった昭和40年代/1965年~70年代である。
団塊は「大人になってもマンガを読んでる世代」の走りだったが、それは「大人の鑑賞にも耐える」を志向するマンガが流行したためでもあった。
初期の劇画は『カムイ伝』のようにコマ割や表現が映画的/ハードボイルドで人物画は「劇画チック」というだけだったが、やがて描写が緻密になっていく。例えば最初期のゴルゴ13は背も低くマンガテイストが残っていて今見ると滑稽だ。だが巻を下るとその描写は緻密で正確になっていく。
70年代末には劇画はやがて下火になっていくが、今度は青年漫画などに劇画の手法が輸入されるようになっていった。
有名なのは手塚治虫の『ブラック・ジャック』で、「マンガの神様」手塚は、しかし昭和40年頃になると丸っこい子供向けマンガしか描けない前世代の遺物のような扱いになっていった。
そこで手塚は医学書や解剖図を読み漁って人物は丸っこい細部が緻密な描写のフィクションを作り上げ、復活を果たした。これはさいとうたかおが後に極めることになった劇画の手法である。
三種の神器と呼ばれた洗濯機が低価格化して多くの家庭に導入されたのは昭和40年前後である。
つまりマンガで緻密に作画がなされるようになった頃には洗濯板が一掃されていたのだ。
「作画崩壊」は昔は無かった。劇画の手法が輸入される1970年代末まで人物が走る時は弓線と足二本で表現された。
洗濯板も然りで板と石鹸と手と泡描いたら洗濯が表現された。劇画ではこれの表現はNGだ。そして現在のマンガは劇画ルールが導入されているのである。
こういう訳で「洗濯板の上でゴシゴシ」が正解と思われる。但し、一枚だけを凹凸に擦り付けるのではなく十分に泡立てて凹凸の上の布の上で布を滑らせて布同士を擦り合わせる。
一番まずいのは、ノンフィクションマンガなどの描写に難癖をつけて「擦り洗いはしない、揉み洗いが正解」とネットで聞いた事との相違のクレームを入れてしまう事だ。
ノンフィクションでは資料を揃えて居る事が多い。その執筆態度は劇画に始まるものであり、洗濯板が現役だった頃にはその影響がまだなかったというのが今回の誤解の原因である。
前提として義両親はクソではない。結婚してから意地悪をされたことは一度もない。
義両親と会う頻度は年に2~3回。関係性は良好だと思っていたが、嫁は嫌いなのかな?と最近感じたので吐き出し。
結婚した年の春に私の祖父が亡くなった。私はその年の秋に入籍した。
夏に両家顔合わせをした時に、私の祖父が亡くなったことは義両親には話した。(身内の不幸があったが入籍は翌年に回さず年内にして欲しいという話を実母がしたため)
私は喪中ハガキを出さなかった。義両親は祖父の死は把握してるし、別世帯とはいえ身内の中では喪中ハガキは省略して良いと思ったのだ。
すると正月に義実家に来訪した時、義母から「あなたのお母さんは喪中ハガキをくれたけど、あなたからは貰わなかったから年賀状は出したわよ」と言われた。
後で喪中ハガキについて調べ、喪中ハガキは出すのが無難だったと知ったのだが、義母の発言が引っ掛かっている。
「祖父の死を知っておきながら喪中ハガキの通例がなかったので年賀状は出した」という義両親に私は祖父の死や祖父の死で抱いた悲しみを軽視されたように感じた。
その翌年に今度は夫の祖父が亡くなった。葬式には夫婦で参列した。
義両親からの喪中ハガキは届かず、年賀状ももちろん来なかった。
私も年賀状は失礼した。「お義父さんお義母さんから喪中ハガキが届かなかったので年賀状は出しちゃいました〜」なんてことはしなかった。
ただ、自分達だって喪中ハガキを送らないじゃん・・・と思った。
もしかしたら喪中ハガキには親等の違いだとか細かいルールがあるかもしれない。
しかし、義両親は祖父の死を知っておきながら年賀状を送ってきたという事実が毎年年賀状シーズンになると思い起こされ、嫌な気持ちになっている。
今年、実家に帰省した時に実母が義両親から届いた年賀状をメモスタンドを使って仏壇に飾っていた。
なんで飾っているの?と聞くといい言葉が書いてあるからと実母は答えた。
年賀状の文面は実母の大好きな相田みつをテイストの文章になっており、実母が気に入るのは理解できたが、同時に実家とうちとで年賀状のパターンを出し分けされていることに気がついた。
うちに届く義両親からの年賀状は毎年白黒コピーで簡易なデザインである。一方で実家に届いたのは華やかなフルカラー印刷のものだった。
わざわざ2種類用意して出し分けしているのか・・・ひょっとして私のことちょっと嫌いなのかな?しかしそれだったら実母に出す年賀状もあっさりしたパターンにならないか?と考えた。
ついでに過去の年賀状も見せてもらったが直近3年分の年賀状はやはり全てカラー印刷だった。
帰宅してうちの年賀状も確認したら、今まで届いた白黒コピー年賀状はおうちプリントだった。
年賀状は実家に届いたのもうちに届いたのも両面印刷なのだが、実母分は年賀状業者に発注する分にあり、うちに送る分はわざわざ自宅のプリンターを使ったってコト?と驚いた。
https://anond.hatelabo.jp/20230705141310
初めて増田書くよ!緊張する。
まあ言いたいことはストッパー毒島読んでくれてありがとう、ってことだけなんだけどw
そう言う野球好きにはたまらんオマージュが散りばめられてるとこが、何回でも読みたくなるポイントになってます。
あーまた読みたくなってきた!
ストッパー毒島は佐世保のあの見開きホームランのシーンが素晴らしいので
(いや「ありゃ馬こりゃ馬」とかホスト礼賛が謎すぎる「ギラギラ」とか
「夜廻り先生」とかやる気ねーだろ、みたいな作品もありますが…
まあこれらはどれも原作つきなんでその辺が微妙なポイントなのかも)
機会があったら増田にも読んで欲しいと思ったのだけど、
全3巻で綺麗にまとめた「俺のマイボール」をこの場をお借りしておすすめしたいっす。
でも明るい未来を諦めないと言う傑作ボーリング漫画だと思います。
「ビッグリボウスキ」みたいないい感じに脱力したテイストの漫画なのですよ。
発想はすごいと思うけど。
思いつくままダラダラ書いてごめん。
漫画って良いよねえ。
https://anond.hatelabo.jp/20230705141310
初めて増田書くよ!緊張する。
まあ言いたいことはストッパー毒島読んでくれてありがとう、ってことだけなんだけどw
そう言う野球好きにはたまらんオマージュが散りばめられてるとこが、何回でも読みたくなるポイントになってます。
あーまた読みたくなってきた!
ストッパー毒島は佐世保のあの見開きホームランのシーンが素晴らしいので
(いや「ありゃ馬こりゃ馬」とかホスト礼賛が謎すぎる「ギラギラ」とか
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まあこれらはどれも原作つきなんでその辺が微妙なポイントなのかも)
機会があったら増田にも読んで欲しいと思ったのだせど、
全3巻で綺麗にまとめた「俺のマイボール」をこの場をお借りしておすすめしたいっす。
でも明るい未来を諦めないと言う傑作ボーリング漫画だと思います。
「ビッグリボウスキ」みたいないい感じに脱力したテイストの漫画なのですよ。
発想はすごいと思うけど。
思いつくままダラダラ書いてごめん。
漫画って良いよねえ。