はてなキーワード: そっ閉じとは
結論:「CP名書くのがルール」って言ってる人がいて論争になってて一見どっちもただしいんだけど書く側になってみたらそんなルールねえよでおわった
まずCP名ってのはつっこんでる際にどっちがどっちにつっこむかを右左まちがえずに書く行為
右左を間違えると地雷(食物アレルギーにおけるアレルゲン摂取のような反応を地雷という)で死ぬ人がいるので左右誤記は完全アウト、これは常識になってきた
CP名を書かないのはどうか?現状だれもつっこんでない場合はアレルギー要素がないので問題がないはず
とはいえ、モブにつっこんだりつっこまれたり、おもちゃにつっこんだりつっこまれたり、
この場合はやはりつっこみ行為を厳密に判定してCP名を書くべきである、とはいえ後述の理由で書かない人もいるだろう
もうすこしつきつめると、
本当にくそ重感情があっても行動(地の文にあるもの)としては自慰のときに名前を呼ぶ程度だったとかはどうか?
現代社会における恋愛にはいろいろなアレンジやバリエーションがある。自慰なんか健全な発育の範囲内だろ。
手をつないでチューするかそれ以前という高校生なみの作品、自慰のときに相手を妄想しておなねたに使う、このへんはどうか?
これは本来はCP名を書かないほうが正しいのかもしれないし、将来的に恋愛成就して左右だのリバだのポジションが決まるのならその将来のためにタグをつけておくのが正しいのかもしれない。
丁寧な人は「こちらA✕Bを製造している工場で製造しておりますがつっこみ行為は一切ありません」等という注意書きをつけてくれるがこれはサービスであるし続編かいていたら急に方針変更したくなるかもしれないし正解がないので安全側としてはつっこみとつっこまれが決まるまでCP名かかない、はマナーとしてほぼ正しい
そもそもCP名を書いてタグをつける行為ってのはその雰囲気の恋愛ものを探してる人にむけて釣り針を下ろす売名行為なのである
CP名タグつけりゃ1000閲覧で30ブクマ行く作品に、あえて作品腐タグしかつけないと18閲覧の0ブクマしかない
それがCP界隈の現状なのである だからCP名つけないのは謙虚な選択
そしてつっこんでないから、未分化だからといって左右逆転CP名を両方つけるとどうなるか
「どちらか片方が好きだがもう片方が地雷でミュートやマイナス検索をしてる人」(ものすごく多い)には見えなくなる。
そしてもっとわるいことに「つっこみ関係が左右に関係なく苦手な、この作品が本来とどくべき読者層」にも届かない。自己防衛のためにミュートしてる人が多いからもうほぼ絶対にとどかないわけだ。
だからこそCPタグ着けない「作品腐」とか「A+B」とかいうマイナ―傾向をもつ読者のための固定カテゴリの創出の工夫が各作品でもとめられているのであるが?
この現状の中で「cp書くのがルール」だなんてよくいえるなってことだ
見られないという最悪のリスクをおってでも
本来とどけたい人に届くためにCP名を書かない選択をしている人の作品を
「cp名ついてないじゃないですか、ついてたらミュートできたのに」って文句をいう行為is何?
じゃあ見るなよとしか
これは「つっこんだことを匂わせられた」と訴える被害妄想であるといわざるをえない
もうね、そこまでいうなら他人を信頼しすぎるな、見に行くな、自分で好きなように書け
「好きな作家だからタグがなくても見に行った」?なら好きな作家の製作意欲なくさないために文句いうな、おのこしせず食べるかそっ閉じしろ
ただし滅多にないことだが、エグいつっこみ行為(いわゆるズコバコ)があっても「cpで売名する気はいっさいないから」だの「ネタバレになる」だのというわけのわからん理由でcp表記しない(あるいは通常とちがうcp名で表記して他人の編集をうけつけない設定にしておく)といった非常に変わった人も創作神の中には居られると伝え聞く。(自分の作品は唯一無二の至高だからタグをオリジナルでつくって自分一人で独占したいとかいうタイプのアホも聞いたことある。個人サイトでやれよ)
これはたしかに「作品をとおした交流サイトの秩序」という点では乱しているので避けるのがむずかいし「おいおいこの内容ならcp名書くのがルールだろぉ」くらいの文句はいいたくもなるかな~とは思う。
つまり必須タグを敢えてつけないことで軽度なタグ荒らし行為が発生する場合もあるだろうとは思う。
しかし実際にそういうことをする人に同ジャンルで会ったことはない、と思う。偏屈な理由で偏屈なことをする人がいるといくらいい作品を投下していても偏屈さが目に入るたびに疲れていくのでアンフォローや何ならブロックする習慣が私にはある。だから存在を忘れてるだけかもしれないのだが。
もしあるのなら、作家の雰囲気とか感想コメントで前もってつかんでおいて神回避するしかないだろうな。
あと最初に踏んだ人が親切で「cpタグつけたほうが有名になるしミュートにもつかえるんだからつけりゃいいのに」ってやってくれるのを期待するか自分でやるしかない。
結局そこまでして探し当てたものに文句いって、おまえは一体なにがみたかったんや、という話にはなるとおもうわ。
みんなでつくろうたのしい秩序
おわり
追記、
一方で「自分の作品にCP名やシチュをちゃんと表記するとネタバレになりそうでイヤだな~」と思っている書く側のド素人さんにちょっと助言。
ネタバレってあんたさ、原作よんで原作ネタバレ知ってる客だけにきてもらいたがってるくせによくいう。
そんなにネタがかくしておきたきゃ全部の設定自分でつくるオリジナルでやったほうがいいってわかってるでしょ。
筆力がいまいちでびっくり仕掛けしか売りがないとかも二次ではそんなに特別なことではない。
むしろある程度積極的にネタバレしたほうが「この二次創作者はどう楽しんでほしいのか」が把握しやすくて宣伝になる。
あと本当に救いのないエンドをしようとしてるなら知らせるのもマナーだと思う。
意外とみんな好きだし理解あるみたいだぞメリバ。
つくってどんどん開示してみれば「こういううす暗いのも好き」っていってくれる人に出会えるとおもう。
とにかくみんなでわいわいと楽しもうとしているときにへんなわけへだてを自分でつくりすぎるのはよくない。
昔の個人サイトでは、わざと入り口をわからなくしたりわかりにくい入室パスワードかけたりとかいう内輪の楽しみ方があったけど(ちなみにそれは明日高校の同級生に「ねえねえサイト読みたいからパスワードおしえてよ!」って声をかけられることでリアルで友達になれるから敢えてやっているのであって。学校でおしゃべりだらだらやってられないコロナ令和の人がやっても意味がないぞ。自分から壁をつくってるだけだ。)、
そういうのやるやつに限ってたいした作品はおいてなかったからね。俺は詳しいんだ。
今は個人サイトって時代でもないから親しみやすくおもしろい自分ってやつをどんどんむき出しにしてこうな、適切なタグつけて。
あとこれは当然のようにピっクブの仕様を下敷きにしている。
他にも二次創作交流サービスはあってpictBLandとかいいぞ。
あとR18文章にワンクッションだのパスかけたければプライベッター、R18のどぎつ絵のほうでやるときはポイピク、タイムラインに流したくないだけのネタバレ早バレ感想程度ならふせったー、匿名感想募集やおくりつけるときはましゅまろ、このくらいは適宜つかいわけていこうな
他にも頒布物の奥付にパスワードのせておまけファイルダウンロードとかいろいろやり口はあるからなんなら聞いてくれ
自分で工夫して適切に住み分けような、おじさん(蔑称ではない)とのやくそくだぞ
ルールだと騒ぎ立てるのも、それを否定しながら秩序やマナーと言葉を緩めて縛ろうとするのもやってることは大差ないように見えるけど。究極「何でも許せる人のみ」とするしか
せやで、書くがわはどうしたら自分の作品を読んでほしい人にとどくかをタグだのタイトルだのつかって自由に実験していいっつってるの(その結果読んでもらえなくても自己責任だしユーザーと作品の出会いがスムーズにすすむことが秩序だからね。別に俺が書く側を言葉で縛ろうなんていっていないよね、アドバイスはしてるけど)
友達が怖い
以前ライバル視してくる友達がいると相談した者だが、https://anond.hatelabo.jp/20201130170212
まず前提として、俺はAに見下されてると思っている。だからまあちょっと、同じ漫画家見習いとして半歩だけAの世界から先を行ってしまった俺が気に食わないのはちょっと察していた。
が、前回の補足の事件(言ってない漫画のコンペの発表日(公式からアナウンス無し)を私より先に知って報告してきた)から、俺はナンナンダイッタイ…と怖くなってLINEを結構な日にちを未読無視して来たのだが、先日追撃があった。
『ポテチ食べる?』
なんとない連絡に思うだろう。だが、Aとの関係がそこそこ長い俺は知っている。
Aはプライドがエベレスト並みに高い。だから自分から追撃してくることは絶対にありえない。いつも俺が折れて謝っていたからこのパターンはうん年友達やってて一度もない。だからこれが意味するのは、
「今なら未読無視許してやるぞ^^」
はわわ…なんの罠だよ……とこれも未読無視。もうこの時点で俺からのAへの評価はこっわ!しかなかった。
このまま最低限の集まりだけ顔合わせてフェードアウトか…と思っていた時、Twitterが更新された(俺はAにブロックされているが、どうやら別垢から監視されてるらしいので、俺も別垢から見ている。新縁を覗いている時、またなんとやらだ)で、Aのホームページが更新されていて、所持している資格一覧に国家資格が増えていた。
ほーん、がんばったんやなあと思った。これ2週間前の話。
で、今日インスタ見て
「国家資格受かった笑 楽勝笑」
えっ今までは何!?不確定の段階で受かったって言いふらしてたの!?
俺は怖くなってインスタをそっ閉じした。
この間書いた増田が伸びた。
炎上方向で。
しかも、こちらが言おうとしていたことは関係なしに、ちょっとした言葉の揚げ足を取って一方的に悪者扱いされた。
ほんの一握りの人は、言わんとすることは正しい。とコメントしてくれたけど、そんなんで炎上の勢いは止まらなかった。
それで思い出したのが、小学校の時、学校に来る途中で猫を拾ってきた友達の話だ。
そいつは拾ってきたにも関わらず、自分では飼えないから俺に飼えと言ってきた。
猫は好きだがもちろん我が家でも飼えない。
だから「自分で飼えもしないのに拾ってくるのは無責任ではないか」と言い返した。
そいつは自分のしたことを棚に上げて、俺のことを人でなし扱いしてきた。
「あのままなら死んでたかもしれない」「なんとかしようと考えるのが普通だ」「親に相談もしないで断るお前のほうが人でなしだ」
人でなし認定はあっという間にクラス全員に広がり、全員から止めどない罵声が投げつけられた。
「そんなことは言っていない。ただ、家では飼えないといいたいだけだ」
その時の猫がどうなったのかは覚えていない。
大騒ぎの教室に先生が入ってきて、大泣きをしている自分を教室から連れ出したところで記憶は止まっている。
炎上した増田の真意を伝えようと、どれだけ追記しても(改変は違う気がしたのでしなかった)一度ベクトルが否定に向くと誰一人としてその意図を汲んでくれようとはしなかった。
そりゃそうか。これだけ炎上している内容に正論を書いたところで火消しどころか火傷しかねない。
20年ぶりに酸っぱい記憶が蘇ってしばらくの間、嗚咽とゲップが交互に止まらなくなってしまった。
ある日一人で遊んでいた時の話だ。
声の方に行くと、なんと目の前で子犬が車に轢かれていたのだ。
幸いにも軽く乗っかられた程度、子犬は意識があり弱々しく泣いていた。
便をしているときに轢かれたのか、出血はなかったが、便をタイヤで轢いたあとが道路に点々と伸びていた。
小学生だった自分には、この犬を病院に連れて行ってあげるお金も行動力もない。
しかし、何を思ったか、そのときはこの犬を轢いた人なら、車もあるし経済力もあるし、病院に連れて行ってくれるだろうと思ったのだ。
心優しい大人が、たまたま子犬を傷つけてしまったことに気づいていないだけだと考えてしまったのだ。
早くなんとかしなきゃいけない一心で、家に戻るよりもそのほうが早いと考えて、子犬を抱えたままタイヤの跡を追いかけ始めてしまった。
そうして何軒目かにタイヤに便のついた、ボンネットがまだ温かい黒いセダンが止まっていた。
急いでインターホンを鳴らす。
出てきたのは口ひげをはやした強面のおじさんだった。
ドスの利いた声で「何だよ」と一言。
しどろもどろになりながら、犬が轢かれたこと、その時の便がタイヤについていたこと、自分はお金がなくて、車を運転している大人ならなんとかしてくれると思ったことを早口に伝えた。
しかし、そのおじさんは一言。「知らねえよ」とだけいうと、ドアをバタンと閉じてしまった。
その時はじめて、自分は間違ったことをしたのかもしれないと思った。
もしかしてと少しの希望にすがりたい一心で振り向いた自分に浴びせられた言葉はより絶望に突き落とすものだった。
「お前、公園にいたガキだろ。顔は覚えたからな。親に余計なこと言ったらどうなっても知らねえぞ。」
子犬は両手の中で苦しそうに寝息を立てていた。
泣きながら走って家に帰ると、玄関から母親を大声で呼びつけた。
何事かと走って出てきた母の顔が、手のひらの子犬を見てあからさまにこわばる。
嗚咽とゲップを繰り返しながら事情を説明するも、母の眉間のシワは深くなっていく一方だった。
最後に声を振り絞って、「この犬、うちで飼ってもいいかな?」と尋ねる。
それには答えず、「とりあえず動物病院に行きましょう。」と母。
そうしてどれくらいの時間が過ぎただろう。
ニッコリとした顔で、「お医者さんが大切に面倒を見てくれるそうよ。」とだけいうと、こちらの返答を待たずにそそくさと病院から出るように促された。
帰りの車内、母親はしきりにそのほうが子犬にとって幸せだとまるで言い聞かせるように同じ話を繰り返していた。
その時、うちでは絶対に動物を飼うことはできないのだと、子供ながらに悟った。
大げさな話をすれば、今の自分では命を救うことはできないと悟ったのだ。
そんな機会すら与えられず、自分は人でなしの烙印を押されたまま小学校生活を過ごすことになった。
今更どうせもう誰も覚えていないだろう。もはやこんな記憶は自分を苦しめる以外に何の役にもたちようがない。
まさかそんなことを増田の炎上で思い出すことになるとは思わなかった。
その時の出来事は忘れていても、その時の大人や同級生に対する嫌悪感は忘れることすらできずにべっとりとこびりついていたのだろう。
最初に言っておきますが、愚痴というよりは毒吐きです。読む人によっては傷付いたり不快になったりすると思います。
ダメージを受ける恐れのある人は、読むのをお控えください。ダメだと思った時点でそっ閉じしてください。責任は取れませんので、マジ自衛してください。
また、面白くもないと思います。日頃のモヤモヤを書き散らしただけです。エスプリも効いてません。読むだけ時間の無駄です。
本当に責任取りませんよ?いいですか?
「二次創作は全て妄想。だから全て解釈違いで、全てのセリフが『○○はこんなこと言わない』だから」。
と、自分に言い聞かせてまいりましたが、最近、限界を感じております。
これ、建前じゃね?やっぱり、キャラ像を尊重して描く人と、自分の萌えのために歪めても平気な人がいねぇ?
いや、もちろん公式ではデキてないキャラ同士をくっつけて好きだなんだと言わせるワケだから、歪んでるのはお互い様なのかもしれんけども、それは分かってるけども、私の言いたいのはそういう事じゃない。
四角いトマトみたいに、自分の萌えの枠にキャラを押し込めて、「確かに赤いしヘタは付いてるけど…」みたいな、これトマト?????ってなるぐらい形の変わったキャラが量産されてない?
特に受け。元のキャラがどんな性格だろうと関係ない。テンプレートのようにすぐ照れて赤面し、可愛らしく恥じらって攻めを拒み、でも嫌よ嫌よも好きのうちっていう、どの界隈に行っても同じ、正に型に嵌めたように改変されてしまう。
ついでに言うと容姿も関係なく、原作では特に整った容姿とされていなくても、何故か二次創作では美女扱いで、やたらと同性にモッテモテにされる事も少なくない。渡る世間はホモばかりか。
私は『原作のAとB』が好きで、AとBだからこそのストーリーが読みたいんだけど、みんなはAとBのハリボテだけ流用した少女漫画が読みたいのか?と思ってしまう。
今私の居る界隈の受けは、プライドが高く好戦的で、粗暴で口も汚く、喧嘩っ早くて手やら足やらすぐに出る。非常に男らしい、原作においてはチンピラ扱いのようなキャラである。
そんな受けですら、攻めに迫られると、たちまち頬を染めて俯いて顔を逸らし、「いや♡だめ♡恥ずかしい…♡」的なセリフをのたまい、弱々しく腕を突っ張って抵抗(のフリを)し、そうこうしてる内に攻めの手管にメロメロ腰砕けになって流される…みたいな二次創作を、腐るほど見かける。
むしろそちらが主流と言っても過言ではないほどである。しかもそれがそれなりに評価もされる。作家同士のおべっかならまだ分かるが、支部のコメント欄でも「○○さんのB、めちゃくちゃ可愛いです〜♡」といった反応をよく見かける。
そりゃあ、原作にはBがAに性的に迫られるシーンなど出て来ないのだから、Bの反応は完全に妄想となる。それは分かる。分かっているのだが。
上記の、少女漫画のヒロインのような受け(いや、今どき少女漫画でも、こんな乙女全開のヒロインなんて少ないんじゃないか?知らんけど)の二次創作を読んでも、感想は「誰コレ?」しか出て来ないし、「あなたは原作のBを好きになったのではないのですか…?本当にBはこんな反応すると思って描いてますか…?こんなB見たいですか…?あなたの中のBはこんなキャラなんですか…?私と同じ原作読んでますか…?」と小一時間問い詰めたくなる。
それから攻めも。何で二次創作の攻めはあんなに猿みたいに受けの尻の事しか考えてないんだろう…。とにかく所構わずヤりたがる。年中発情期。そりゃエロ需要が高いのは分かるけども、抱きたい=愛情みたいなアピールをしてくる攻めがあまりに多くて、可哀想にすらなってくる。
端的に例えて言うなら、ド○え○んのノビジャイにハマッて支部を漁ってみたら、読む作品読む作品、肉食系俺様なノビと泣き虫乙女なジャイ(しかも何でか姉○崎寧○みたいな口調で喋る)ばかりで、しかもそれが持てはやされているぐらいの違和感である。
私にとって二次創作は、前提として原作萌えありきで、AとBへの萌えありきで、ゆえにAはAらしく、BはBらしくある事は非常に重要な事である。この「らしく」があくまで私の脳内像である事は理解しているが、それにしても同じ作品を読んで同じキャラに萌えたのだから、私以外の腐作家腐読者の脳内でも、根本的には大きくズレてはいない筈だと思っている。思っていた。
しかしあまりにも、あまりにもAとBの容姿と設定だけを拝借した少女漫画が主流過ぎて、分からなくなった。
もちろん、中にはAらしいA・BらしいBを追求して描いておられる(と私は感じる)作家さんも少なくはない。
しかし更に分からないのは、その原作に則ったABを描いておられる作家さんが、ハリボテABを描く作家さんとも交流し、作品を褒め合っている点である。
単に雑食でそれはそれとして楽しんでおられるのか、人それぞれだと割り切っておられるのか、描く時の好みと読む時の好みは別の話なのか、心にもないお世辞を平気で言えるコミュ力のある人なのかは分からないが。
私は内心で「誰コレ?」と思いながら「可愛いですー!」なんて言いたくない。「Bはこんな反応しない」と思いながら「キュンキュンしました♡」なんて言いたくない。言えなくはないが言いたくない。お陰様でどんどん孤立しているが、言わない。
だって嘘なのだ。心にもない事なのだ。言う方もだが、言われる方もそれでいいのか?嬉しいか?と思ってしまう。
表面上はそれで交流が広がるかもしれないが、内心では「私にはサッパリ良いと感じない作品を描く人」と思いながら交流を広げて何になるというのだ。いや交流にメリットはあるのかもしれないが、果てしなく疲れるその社交辞令に見合うだけの何かがあるのだろうか。
何より、心にもない賛辞で相手を持ち上げるのは、相手に対しても失礼であると私は思う。どうでもいい相手とのどうでもいい場面では幾らでも言えるが(そういう場面では相手もお世辞として受け取るから)、相手を尊重するからこそ、私は100%のお世辞は言わない。
自分が言われる側に立ってもそう思うのでそうしている。本当に好きで評価して言ってくれているのか、社交辞令としてお世辞で褒めているのかは、聞いていても何となく分かる。分かってしまう。
いい子いい子はどうでもいい子、というヤツだ。
お高く留まっているという非難は甘んじて受ける。お世辞を言うのが嫌なら、素直に相手を尊敬し、本心から褒めればいいのだ。正直、私もそう出来るならそうしたいという気持ちはある。
でも嫌なのだ。出来ないのだ。好きでないものを好ましく感じろと言われても難しいのだ。
私が好きになったAとBからかけ離れているように感じる作品を、それを描く人を、褒める事は出来ない。作品は別として本人を好きになる事は出来るかもしれんが、二次界隈の交流は、作品を褒める事が大前提なので。
分からないのは、「何故ハリボテ(に私には見える)作品が主流なのか?」という点。
みんな原作を好きになって原作のキャラを好きになって、だからこそ二次創作を始めた筈なのに、いつの間にか二次創作でのキャラ像をこそ好み、持てはやし、蔓延させている点。
中には、原作と二次創作は完全に別物と考えて、キャラ崩壊は自覚した上で「これが私の作風」とお考えの方もいらっしゃるでしょう。それはそれで分からなくもない。
消化出来ないのは、何の疑問も持たず、『二次創作で捏造されたAとB像』に迎合してる方々です。
姿だけ借りた別キャラの話が読みたかったんですか?それ、そのキャラである必要ってありますか?
それとも皆さん、全て見えてて分かった上で楽しんでらっしゃるのかしら。
だとしたら、原作のキャラ設定とバックボーンと人気を拝借するだけして、自分の萌えに沿うように改変して、キャラ崩壊してでも都合良く動かした作品が描きたいのだとしたら。
それはもうファンアートではないのではないかしら…?原作へのリスペクトが希薄すぎやしないかしら…?
キャラ崩壊が凄まじいと、どんなに完成度が高くても、いやむしろレベルが高ければ高いほど、オリジナルでやれば?って思っちゃうです、個人的には。
だからといってハリボテ(に私には見える)作品や作者を攻撃しようというつもりはないのです。これでも一応。
結局のところ、作風もスタンスも「人それぞれ」って話に落ち着きますし、好きなものを好きなように描くのが二次創作なのだから、それを邪魔するつもりはないです。私には良さが分からないけど評価されてるワケだから、需要があるんでしょうし。
ただ、何度も言うように自分がマイノリティ側であると感じるので、言えないんですよ、誰にも。吐き出したかった。
交流が広がらないのは仕方ないので別に構わないんですけど、同じ原作を読んで同じABに沼ってAB界隈に居るハズなのに、何で原作のイメージに近いABがマイノリティなのか。ホント意味分かんない…。
一方で、マイノリティながら、同じ苦悩を抱える方も絶対にいらっしゃる筈だという思いもあります。
先日twitterを見ていて、あなたの素敵な部屋を見せてほしいという内容を見ていて、無意識に毛嫌いをしてしまった。
自分の部屋に特にこだわりが無いとか汚いとかそういうわけでもない。
自分は服が好きなのだけれど、一緒に買物に行こうと友達に誘われ、友達の見たいものに付き合った。
でも途中でなにか良いところがあったら教えて、と言われたので、ちょっとお高め(価格帯としてはコートが6-7万、セールになると2-3万くらい)
のところに行きたいと数点寄っていたのだけど、三件目あたりでちょっと毛嫌いしてるような顔を読み取ってしまい、
行くのを辞めてしまった。
これを書きながら考えていたけど、もしかすると、自分の中の非日常な内容が出てくると、毛嫌いを起こすのかもな。
他に原因わかる方いたら教えて下さい。
ただ言語化して、自分の中で整頓して、モヤモヤを捨てたいだけの記事。
<前提>
A子:女・未婚30後半。オタク。
B男:男・未婚40半ば。オタク。
私:女。未婚42。オタク。
3人とも仲良し。B男とは共通の趣味で6年前くらいに知り合った。私とA子はもっと長い付き合い。
3人でや共通の友人を交えて飯食いに行くし、A子とB男だけでもたまに飯に行ってるくらいの仲。
<本題>
B男はA子が好き。それはA子も解ってる(知ってて放置してる)し、周りから見てても解りやすく秋波を送っている。
共通の友人がA子に「B男とつきあってるんでしょう」と言って、とても嫌そうに否定していたくらいB男は解りやすく、そしてその誤解を受けるたびにA子は「友達としてならいいが恋人は無理」と回答している。
で、周りに全然カムアウトしてないが、A子は私の恋人。LGBTQ+の、LでAセクなA子と、BでDセクな私。一緒に住んでる。
が、二人とも公には「恋人は居ない」「募集もしてない」と言ってる。募集してないと言ってるし、A子に至ってはAセクを折に触れて宣言してる。(私もDセクは公表してる)
そういう事情もあるので、A子はB男の気持ちを知ってて放置している。ヘンにつつくとカムアウト含む面倒臭いことになるからだ。
で、つい先日の事だ。
とある珍しいぬいぐるみがタイムラインに流れてきた。本来もふもふではないものをもふもふに作っているものだ。
例えるなら、A子はイカが大好きで、めちゃくちゃリアルなダイオウイカのぬいぐるみを吸盤までリアルにもふもふな生地で大人の身長くらいに作った。そんなぬいぐるみだ。(これは例えです)
で、それを引用RTして「今度のA子の誕プレこれにしよう」と私が呟いた。そのツイート自体には別の共通の友人からいいねがいくつか付いた。
そのツイートから1日か2日くらい経って(キモくて一連非表示&ミュートしてるので時間は不正確)、B男からリプが付いた
「A子がそのダイオウイカ抱いて寝てる寝顔を写メ撮って送ってよ」
スマホに出たリプの表示を見て「え、キモッ」と素直に声に出してしまった。
私は通知を消し、ツイッターも閉じた。
ちなみに、ちょうど30分後に別件でA子から連絡があったのでその別件のやりとりが終わった後に「ツイッター見た?」とだけ聞いてみた。「見た。キモイ」とだけ帰ってきた。
その後帰宅して家でも少し話題に出したが、「二度と一緒にメシに行かない」とA子は憤慨していた。
たぶん、この気持ち悪さは向けられた当事者や、そういった経験のある人間にしか分からないものだと思うし、もしかしたら男性にはとても理解できないものかも知れない。
でも、何故A子とB男の関係において第三者となる私に「女性が見られることを一番嫌がる寝顔」を送るよう言い出したんだろう。思考するまでもなく理由は単純だ。
B男はドルオタである。アイドルちゃんがぬいぐるみを持った自撮りを上げた時に「〇〇ちゃんがそのぬいぐるみ抱いて寝てる寝顔見たいなー」とドルオタがアイドルちゃんに送るノリで、私にリプを送ったんだろうと、私とA子の見解は一致している。
別にドルオタのそういうノリは嫌いだしキモイと思ってはいるが「そういう文化」だとも思ってる。イエッタイガーみたいなノリと一緒だろう。
以前、他のドルオタ友人のコメントを辿ろうとツイッターの「ツイートと返信」欄を見て、アイドルちゃんにキモいリプ送ってるの見てそっ閉じしたこともある。見てはいけないものを見た感があった。
そういうコメばっかり送られるアイドルちゃんは可哀想だなーとも思ってる。まあアイドルはそれも仕事のうちなんだろうけど。
だが、本題のリプを送られた私はアイドルではないし、ドルオタ仲間でもないので、ただただ「気持ち悪い」という感情だけが残った。
結局返信もせずに数日後そっと元のツイート自体を消したんだが、そのリプが来た日はどう返すか悩んでいた
2「え、キモ。そういうのドルオタ仲間だけでやって。私を巻き込むな」
1が一番無難で、2も自省を促せるし次は無いだろう。
でも、私の心の中では3が一番大きかった。めっちゃB男を罵倒したかった。
だって、A子は私の彼女なんだもん。カムアウトしてない以上B男の与り知らぬことではあるが、言ってないだけで私の彼女なのだ。
でも、これDMではなくリプライで来ていた。
これに123どの返信をしたとしても、その前後の時間にTLを見てる共通の知人にぜーんぶ見える会話になるのだ。
リアルでも30人以上は居るだろうし、ネットの共通フォロワーとなればかなりの数が居る。
そんな中で返信するのは躊躇われた。たとえ1を返信しても「何かあった」と周りに見える。
あと、件のリプより数日前B男は「今メンタルやられてる」と自己申告を流してた。
それが頭にあったので、返信をして周りにさらしてしまうのは可哀想かなと思い、私は自分の中でブレーキを掛けてしまった。
その後モヤモヤもやもやして、私は3日ほど趣味の創作活動が手に付かなくなったので、これは完全に悪手だったと思う。
なんで、B男のメンタル慮って私がメンタル削られなあかんねん!!
まだモヤモヤは残ってるんだけど、ようやく創作の方の手が進み始めたので、ここで吐き出して厄落とし。
ここまで読んでくれてありがとう。
僕はパンフレットも買わず事前情報も得ずに見たので、Wikipediaが一番簡潔で良かったのでコピペするよ。
『異端の鳥』(いたんのとり、原題:Nabarvené ptáče / The Painted Bird)は、2019年制作のチェコ・ウクライナの映画。
第二次世界大戦中、ホロコーストを逃れて疎開した1人の少年が、様々な差別や迫害に抗いながら強く生き抜いていく姿を描く。ポーランドの作家イェジー・コシンスキ原作の同名小説の映画化。第76回ヴェネツィア国際映画祭ユニセフ賞受賞。R15+指定。
なお、本作の言語には舞台となる国や場所を特定されないよう、インタースラーヴィクという人工言語が使われている。この言語が映画で使用されるのは史上初めてのことである。
この原作本は日本でも買えるよ。映画公開で急速ランクアップで現在売れ筋・その他外国の文学作品部門でAmazon第8位。『ペインティッド・バード (東欧の想像力)』だよ 。高いな、しかし。5千円以上ってどういう事?よく知らね。
で、原作では6歳の少年らしいが、それはあり得ないね。せめて8歳にしておかないとあれは無理だろう。6歳であれだけのことが出来るって芦田愛菜並だ。ともあれ、6歳では演技不能なので、多分主役を演じたペトル・コトラール君は10歳くらいではなかろうか。もちろん彼は無名の新人だ。
しかし、ペトル君の周りを固める役者さんは豪華だよ。最も豪華なのはなんと言ってもハーヴェイ・カイテルだろうね。でもハーヴェイは大した役所ではない、アル中の司教だ(いい人だがな)。
とんでもねーのはウド・キアだ。悪役はいっぱい揃ってるが、この人の演じた村人役は凶悪すぎる。この映画の最優秀演技賞はウド・キアで決まりだろうな。
そして、変態少年性愛者を演ずるこれまた名優、ジュリアン・サンズ。流石にこいつは許せなかった、と思ったら少年はジュリアンを爽快な殺し方でやっつける。最高だったね、拍手喝采したくなった。
めっちゃ色んなハリウッド映画に出てる名脇役にステラン・スカルスガルドも、この人はドイツ軍兵士のいい人役で出てきます。印象には残りますが、少年を逃してくれるだけで特にたいした役どころではなかったかな。
で、極め付けは、なんと言ってもジャクソン二等兵だよ!いーかい?ジャクソン二等兵が出てるんだ!そうだよ、『プライベートライアン』であの教会の天辺で死んでたかと思ったら、なんと生きていつの間にか赤軍の兵士になってたんだ! え? バリー・ペッパーのことだろ?って? ちげーよ!ジャクソン二等兵だよ。ホントなんだってば! いきなり歳食ってて渋くなってびっくりしたけどあれは間違いなくジャクソン二等兵だ! 見ればなんの話かわかる。
でも、多分日本人鑑賞者の大半は歴史知識があまりない状態で見るだろうから、感動は少ないだろうね、きっと。でもホロコーストの歴史を知っておくと、これは感動するよ。このペトル君演ずる少年はユダヤ人だ。家族もユダヤ人だ。家族は父親しか出ては来ないが、ともかくユダヤ人家族の少年の物語だ。ホロコーストでは、ナチスはユダヤ人絶滅政策をとっていたことくらいは知っているだろうが、実は、絶滅はさせるつもりだったが、労働適格者は強制労働をさせるために生かして残していたんだ。ではもう一方の労働不適格者とは? それは老人であり障害者であり重病人だったり、そして14歳未満の子供なのである。アウシュヴィッツにユダヤ人が強制移送されると、労働不適格者は駅について選別されると、3時間程度以内にシャワーに入ってーと親衛隊に騙されてガス室送りにされ殺されたのだ。当然このことは親衛隊は言わなかったが(別の地域に住んでもらうとしか言わなかった)、噂レベルでユダヤ人だって知っている人は知っていた。それで、ペトル君の家族はペトル君だけを疎開させたのである。殺されるかも知れないから。これを知っているのと知らないのとでは理解が大分違うはず。あともう一点、ユダヤ人の強制収用施設はたくさんあったが、アウシュヴィッツだけが登録囚人の腕にナンバーを入れたのである。これも豆知識として知っておくといい。
あと、この映画の舞台は映画の中では一切明かされないが、ソ連領域を含む東欧地域であることは間違いない。使用される言語もインタースラブ言語(インタースラヴィク)と言って、スラブ民族の言語の特徴を全部混ぜ合わせて作った人工言語を使用している。故に言語はそれっぽいのに地域は特定できないようにしてある。この映画は史実を背景にしたフィクションであり、見方によっては仮想世界の話とも取れるだろうから、これはうまいと思ったね。安易に英語にしなかったのはナイスアイデアだ。
冒頭、ペトル君(この少年の名前は最後の最後になるまでわからない)が、林の中を誰かから逃げているところから始まる。少年は胸に白い何かフェレット?のような生き物を抱えている。しかし追手にすぐに捕まり、その生き物を奪われて、その生き物に可燃性の灯油か何かをぶっかけられ、その生き物をその場で焼き殺される場面からスタートだ。いきなりこの残酷描写には目を背けたくなる人も多いだろう。そのフェレットのような生き物がまさに焼き殺され、その場を燃えながらのたうちまわるその生き物の映像。これはキッツイぞ。それを茫然と見つめる以外にない少年の虚な視線。
しかしこの冒頭のシーンを理解できる日本人は少ないだろう。これは、今からこの少年のホロコースト物語が始まるという合図に相違ないのである。何故ならば、ホロコーストの原義は古代ユダヤの儀式、生き物の丸焼きを生贄として捧げる、だからである。これをわかった人は多分、ほとんどいないはず。親がこの少年を疎開させホロコーストから逃したと思っていたら、それは違うぞ、と。
その通り、疎開先で預かってくれた老婦人が夜中突然死し、びっくりした少年がランプを落としてしまって、それが原因でその孤立した一軒家は全焼。そこから彼のホロコーストの旅が始まるのである。少年は設定上は6歳? でも10歳くらいにしか見えないんだけど、それはともかく、大人に世話にならないと生きていけない。彼は家に帰りたかっただけなのだが、ともかく大人に構ってもらわないと、ということで色んな大人に預かってもらい続けることになるのだ。その預かられた先ごとに一つの章になっている。その章ごとに預かってもらった大人の名前を章タイトルにしている。何章くらいあったか覚えてないけど、十件はなかったかなぁ……順番もあんまりよくは覚えていないが、とにかく残酷物語だらけ、と言っても結構リアルっぽさを出してあり、普通のホラー映画のようにはっきりと悪という人はいない。でもそれだけに、本物のリアルな悪なので、ホラーよりずっと恐ろしいぞ。
多分これが一番最初だったんじゃないかなぁ? よくは覚えていないが多分そう。この少年は見栄えが少し人と違うのである。もちろん放浪してきた少年がやってきたその村からすればそもそも余所者なのだけど、とにかくその村の村人たちは、到底近代世界の住人ではなくって、風習と迷信だけで生きている世界の人たち。少年はその悪魔払いのババアに「この子は悪魔の子だ」と勝手に決めつけられて、ババアに買い取られるのである。要はこのババア、助手が欲しかったのである。そして少年は助手として実際には結構丁重に扱われ、見ている側としては若干肩透かしを喰らう。で、映画宣伝に使われている地中に埋められて首だけ出して、カラスに見つめられる写真があるが実はそれ、虐待ではなくってババアの少年に対する治療施術なのである。少年はどうやら当時流行しまくっていた発疹チフスに罹患したらしかった。
でもま、カラスに突かれまくって血塗れになるのだけど、ババアが少年を助けてくれるのだ。お前が悪いんだろうが・・・と言いたくなったが、それはまぁ演出と言うことで。
確かねぇ、その前にもう一つエピソードがあったと思うんだ。多分だけど、林の中で足に怪我をしたがために見捨てられた馬を、少年が放浪中に助けてあげようとして次の村まで連れて行くんだよね。でも馬が足を怪我したらサラブレッドがそうである様に殺されちゃうんだよね。このシーンが結構えげつないんだけど、それはさておき、その村人のある男が川で釣りをする(つっても奴隷作業だよ)少年を脅かして少年が川に落ちて流されてしまう。そのたどり着いた先がウド・キアが世帯主の家だった。救ったのは親父の妻とその家で働く雇用人。
とにかくこの親父、理不尽親父の象徴みたいな奴で嫁に体罰するのが日常茶飯事。で、ある雨の日、親父が家に帰ってくると何故か頭陀袋を持って家に入ってきた。そしてディナーの時間になる。ところがこの頭陀袋、まるで生き物の様に蠢くので、まさか子供でも入ってるの?とドキドキするのだが違った、白黒斑のネコだったのである(意味不明)。そしてこの猫が以前から飼われていた猫といきなり交尾をし始める。それを見ながら食卓で食事をする親父と妻と雇用人。ところが親父、いきなりブチギレてテーブルをひっくり返す。いわく雇用人に詰め寄って「てめー!俺の嫁とセックスしようと思ったろ!許せねぇ!テメェみたいな奴にそんなふしだらな目玉はいらねぇ!」とその場で雇用人の両目玉をスプーンでくり抜くのである。怖すぎっだろw 一応伏線は貼ってあったけどね。
で、少年、目玉をくり抜かれて家を追い出された雇用人を、その目玉を拾って、自分の荷物もまとめて出て行くのであった。途中目玉をくり抜かれた雇用人が木の根元で苦しんでいるのを発見、目玉を返してあげるのであった(返しても意味ねーだろうが、少年にはそれはわからなかったのであろう)。
エピソードがとにかくてんこ盛りなので順番がよくわからないんだけど、少年がね、これも確か野原を放浪してたのかなぁ? んでね、その近くでユダヤ人の移送列車からユダヤ人たちが逃げ出そうとするシーンがあるんだ。全員親衛隊に結局銃殺されるんだけど、その中で一人だけ生き残ったユダヤ人のおじさんと遭遇するんだけど、親衛隊に見つかり二人して町まで連行されるわけ。で、おじさんは銃殺されるけどハーヴェイ・カイテル演ずる司教に助けてもらうわけさ。で、最初は教会で一緒に暮らすことになるんだけど、司教が病気で少年をあまり構ってあげられないからと、その少年に気があったジュリアン・サンズに司教から預けられることになるわけ。で、観客の期待どおり、犯されてしまう少年。この映画、本当に少年をこれでもかと虐待しまくりますが、個人的にこのシーンが一番キツかった。だって、シーン自体は見せないで悲鳴だけが聞こえるのです。これは流石に堪えました。かわいそ過ぎます。でもですね、この後少年が森の中へ出かけるのですが、偶然、小さな軍事用トーチカを発見します。そこで二つの重要な発見をします。一つは折り畳みアーミーナイフ、これは拾って持って帰ります。もう一つはそのトーチカの天井部分の天辺に開いた口径1メートルくらいの穴です。覗き込むと・・・ひぇぇ大量のネズミがいたわけです。気持ち悪過ぎですが、とりあえず少年はサンズの家に戻ります。で、色々あって少年は拷問されて後ろ手に縛られるのですが、持っていたアーミーナイフでそのロープを切ろうとしたらこれがバレてしまいます。で、サンズは「一体そのナイフどこで拾ったんだ?」と言うことで、現場へ二人で行くわけですよ。ところは少年は機転をきかせます。サンズをうまいことそのネズミの穴に落としてしまうのです。えええええ? となりますよ。恐ろしすぎるぞ、あんなの。もちろんサンズはネズミに食われて死亡。
そしてその後、もっかいカイテルの教会に戻るのですが、ちょっと教会作業をしくじって肥溜めに投げ捨てられます。これは予告編にもありますね。で、きていた服を川で洗って、放浪再開。
思い出しました。確かー、悪魔払いのババアの次がこのエピです。あんまり印象ないんですよね。いい人なのか悪い人なのかよくわかんないんですよ、この小鳥屋のおっさん。んで、とにかく小鳥屋のおっさんの家で一緒に暮らし始めることになる少年なのですけど、ここによくわかんない全裸の女が小鳥を持ってやってきます。この女、生きてる目的が性欲しかないのです。でも何故かこの小鳥屋のおっさん、この女に惚れちゃったんでしょうね。ともかくおっさんはその小鳥をもらって、その場で野外セックス。
で、順番的に言うと、重要なシーンが入るので説明すると、この小鳥屋のおっさんの家の外に、少年とおっさんがいます。そして、少年は手に持たされた小鳥の一羽の羽を広げる様に言われます、するとそのおっさん、その小鳥に何やら白い絵具の様なものを塗りたくります。そして、その小鳥を空へ放つと、その小鳥はちょうど空を待っていた同じ小鳥の種の大群の中へ入って行くのですが、その小鳥は大群の突き回されて、死に絶えて地上にいた少年の足元に落下するのです。どうやら、その塗りたくった絵具に小鳥の餌が混ぜてあった様です。おっさんが何故そんなことをしたのか理由は不明ですが、これが映画の原題である「The Painted Bird」です。そんなに考えなくとも、これがテーマだって分かりますよね?
そして、その変態性欲女、村の餓鬼どもを誘惑してセックスするのですが、これが村のその子供たちの母親たちの逆鱗に触れて、集団リンチを喰らいます。瓶をマンコに突っ込まれ、それがおそらく原因で死んでしまうわけです。僕は平気だったけど、これもまたキッツイシーンですよ。それで、その女に惚れていた小鳥屋のおっさんはショックで首をつって自殺しようとするのですが、それを発見した少年、あまりに苦しそうなので、可哀想だと思ったのか、おっさんの足元にぶら下がって自分を重りにして死なせてあげるのでした・・・これもまたキツいシーンです。
もうね、三時間もある映画だから、エピソードてんこ盛りすぎて、端折らないとね。変態性欲女がもう一人出てくるんですが省略です。ソ連のコサックとかの話もあるけど、それも省略。とにかく、ジャクソン二等兵ですよ、二等兵。色々あって放浪しているうちに、今度は赤軍の駐屯地に少年が保護されます。ここはいい人ばかりです。そして、テントの中にいると、ジャクソン二等兵が登場! ええ、赤軍将校を演じたバリー・ペッパーなんすけどね。確かプライベートライアンの後、父親たちの星条旗くらいでしか見た記憶がなかったんですけど、最初誰だろう?と思ってたんです、事前情報なしで見たから。で気がついたジャクソン二等兵だ!と。そいでね、少年はおそらく、ジャク……じゃねぇや、そのバリー・ペッパーに多少憧れたのでしょうね、ある夜、バリーはライフルを持ってテントから出て行くのです。あれ?逃亡でもすんの?と思っていたのですが、実は仕返しをしに行くつもりだったのです。その出て行く夜に事件があったのです。駐屯地の外へ出た赤軍兵士数名が、近くの村人に殺されたのです。理由はよく知りませんが、赤軍を嫌っていた村人とかがいたのでしょうか。そのバリーの後を少年がついていったわけですよ。そして、村から少し離れたところにある、木の上で朝食を取る二人。それが済むとバリーはライフルを構えるわけです。そうです、ジャクソン二等兵なのです! どう考えたってこれはウケ狙いです(笑)。木の上から確か五人、村人を正確な照準で殺すのです。そしてジャクソン……じゃなくてそのバリー演ずる赤軍将校は少年にこう言います。「やられたらやり返せ」と。
はてなブックマークのトップページを毎日のように見ていると、いろいろな立場から当事者として意見を表明したり、そうでない人も加わって多様性に関する論争が行われているのをよく見かける。政治的立場、人種、性的指向、ジェンダーアイデンティティ、発達障害、難病、等々。
多様な立場の人たちがいて、さまざまなニーズがあり、周囲の人々は配慮を必要としている。そういうことがわかるのは、おそらく、いやきっといいことなのだ。多様な立場の人々がお互いを配慮しながら共存できるようになればなるほど、社会は強くなっていくはずだから。
それは頭ではわかっているつもりでいる。でも最近は、ちょっと疲れてしまった。
多様な立場の人たちが、自分のことについて、相手のことについて、意見を表明する自由はある。
だがそれは、相手を完膚なきまでに叩きのめそうという情念をもって、口汚く相手を罵っていいということをただちには意味しないはずだ。
職業的なライターでもやっていない限り、インターネット上に人が書き綴るものは編集を経ていない。情念に任せて書き綴った攻撃的な文章は直ちに放出され、拡散され、読んだ人を直撃する。
はてなブックマークのトップページには多様な意見が出てきていると思う(左翼的な偏向があるという指摘はさておき)。それはおそらく価値のあることなのだと思う。
問題は、編集を経ていない攻撃的なテキストを、こちらの意思では思うように避けられないことだ。
いかにも早口で喋っていそうな、情念に駆られた人の語り口そのもので、論争相手を口汚く罵るテキストが目に入ってしまい、なんというか、疲れる。
自分はその発端になったツイートは見ていないが、トレンドになる程度には話題になって物議を醸した。
その話題に対してオタクが大喜利のように茶化して、また叩かれたりもした。
よく見る光景といえばよく見る光景である。しかし正直私はこの一連の流れに辟易としている。
が、まぁ今はそういう時代なんだろうなとも思う。
私は古いオタクである。ツイッターがまだRTを実装していないような時代に1つ目のアカウントを作った。
ユーザは元々インターネットにどっぷり浸かっているようなオタクばかり。
2ちゃんやら個人ブログ個人サイトやらの延長で初めた人ばかりだっただろう。
初めはRTも画像投稿もない時代、本当に独り言を横から勝手に見るサービスでしかなかった。
非公式RTなるコピペでRTする方々も存在していたが、それにしても拡散性は低く、フォロワーのフォロワーに届くくらいなものだった。
画像も公式で投稿はできないので、イラストや写真も外部サイトに投稿してそのリンクをコピペ、というのが一般的だった。
その時代私はまだガラケーだった。スマホもまだ市場に出たばかり。
家にいるときはパソコンで見ていたが、日中タイムラインを取得するのは『メールを利用してタイムラインを取得する』クライアントを使っていた。
今のようなリアルタイム制もあんまりない。なくても全然情報が追える時代だった。
むしろ夜だけパソコンの前にいるのでツイートがやたら多くて、公式に規制されるからと、複数アカウント持ってるやつもいっぱいいた。
この時代のTwitterはSNSではなかった。SNSとはWikipediaさんいわく
『ソーシャル・ネットワーキング・サービス(social networking service, SNS)とは、Web上で社会的ネットワーク(ソーシャル・ネットワーク)を構築可能にするサービスである』
だそうだ。この時代のTwitterは少なくとも社会的ネットワークなんて構築できてなかったと思う。
この時代のツイッターはオタクの遊び場だった。チラ裏を実際に書くところだった。
2009年には公式RT機能が追加され、2011年には公式で画像をサポートし、他のSNSと同じ程度の機能を有することになった。
とはいえこの頃にはまだガラケーユーザーも多く、2012年にはまだ過半数がwebからのアクセス(=PCユーザ)だったようだ。
Twitterがオタク以外への広がりを見せたのは、ここ近年、スマホ普及に伴うSNSの活発化だろう。
2015年くらいまでは当たり前のように使われていた「なう」も気付いたらいなくなっていたし、「ふろりだ」「ほかいま」「●REC」は過去の遺物であり、伝わるのはごく一部。
Twitterって何?って言うような人は今どきもう爺さん婆さんくらいだと思うし、何なら爺さん婆さんすらTwitterをやる時代である。
TwitterはSNSになってしまった。オタクの遊び場ではなくなってしまった。
さてこの時代において、前時代の思考のままのオタクがツイッターを使ったらどうなるか。
『独り言を横から覗き見るサービスだと思っている人間が』である。
それが冒頭の話につながる。
公式でRT機能あるし、トレンドなんてものもあるし、なんなら公式は『他の人がいいねしました』とか言いながら流してくる。
Twitterに限らず、如何に選択させないかを基準にUI/UX構築するのが主流になってきつつもある時代である。
RTボタンを生み出した開発者のクリス・ウェザレル氏は「弾丸を込めた銃を4歳児に手渡してしまったのかも知れない」と言っていたらしい。
これがオタクの遊び場、まだ身内ノリの通じる時代のTwitterであったならばよかった。
けれど今やオタクの言う一般人、ノリの違う、住む世界の違うような人間との共有空間、公共の場になってしまった。
数少ないフォロワーにだけ話しかけた、もしくは独り言のつもりが、世界中の人に届き、討論を呼ぶ時代である。
度々起こる炎上挙げ句の個人特定なんてのも、結局これが根本の理由なのである。
フォロワーというのは一般的にはある程度住む世界の近い、考え方の近い他人だ(有名人とかのフォロワーは除く)。
そういう相手であれば、身内ノリで不謹慎な話題を話したところで、はいはい、で済まされただろう。
けれど今はそれが外に届く。届いてしまう。
Twitterに限らずインターネット全般がそういうものに変わるくらい普及した。
身内ノリでふざけた自分の安易なツイートが炎上しないとは限らないし、フォロワーに向けたエロ画像は未成年を含む全世界に公開される。
有名人の画像やイラスト漫画を使ったコラ画像は本人に届いて、叩かれることもあれば公認になることもある。
私が生まれて初めてアンチからメッセージを貰った話をしたい。少々乱暴な物言いになる。長い長い恨み節に徹した殴り書きだ。
またどうしてメッセージ、という曖昧な表現なのかはおいおいわかってくると思う。
まず同人界隈だとよく目にする焼きマロ、毒マロ関連の話題。私は某ジャンルの同人界隈に身を置くオタクの端くれながら、完全に対岸の火事として今まで扱ってきた(もちろんそれらが邪知暴虐の行いであることに間違いはない。)。理由は単純、版権垢を持っていなかったからである。
なぜ版権垢を持っていないのか、と言われれば自分の作品と人格は第三者から見て完全に隔絶した状態でありたいから、としかいえない。まあ平たくいえば他者との交流が苦手であるだけなのだが。とにかくその時までは同人作家として活動してきて、ネットの悪意に遭遇したことはありがたいことになかったわけだ。
私は自分の作品がかなり人を選ぶものであると自覚している。内容が倫理に反しているだとか、いわゆる同人界隈からは毛嫌いされるようなcp傾向、シチュエーションであるだとか、そもそもがアングラな趣味である二次創作だからであるとか、そこらへんは書き出せばキリがないので割愛させていただく。
とにかく私の作品を読めるのは同じcpを好む、ある程度インターネットでの歩き方を知っている人間だけだ。pixivに投稿した作品にはタグどころかキャプションにまで慎重な検索避けがされているし、万が一の事故を防ぐため読むのがうんざりするような長くてくどい注意書きが添えられている。そして私と接触を図ることができるのは感想を伝えるためのコメント欄か、またはメッセージ機能だけだった。これはだいぶハードルが高い。
もう見るからに防御度マックスの触るなキケンオタクだ。オフでの活動も一切していないし、わざわざこんな偏狭な地までやってきて絡んでくる輩もいないだろうと安心しきっていた。
私の世界は狭かった。狭かったが豊かだった。
ありがたいことにいいねやブックマーク、また感想をいただくことが徐々に増えた。
もちろん見知らぬ誰かに読んでもらえるのは、良くしてもらえるのは、活動するジャンルやcp自体が大きくて栄えたところだった、自分はそれにあやかっているだけだ。それに尽きるけれど、それでも自分の好きを肯定してもらえるのが幸せだった。
それがアンチメッセージだ。本当に唐突すぎて、まるで通り魔に刺された気分だった。
特定が怖いので内容はかなりぼかすが、一番に目についたのは読む人間に自己責任を強いるなというものだった。どうやら送り主は原作愛の強い方であるらしく、だからこそ私の不謹慎かつ不道徳な表現をキャラを巻き込んで面白おかしく扱う話が許せなかったのだ。
何回もいうけれど、私の作品は人を選ぶ。ましてやそれを(できるだけ場所を限定的にしたとしても)ネットの海に放流しているのだ。否定的な意見が出るのは仕方ない。表現の自由があるように、読み手がそれを評価する(作品自体を排斥する資格は誰にもないとして)自由もあると思う。どうしても受け付けないものがあるのも仕方ない。何より二次創作なのだから、原作を第一に考える人が不快な思いをしたのであるなら自分は平身低頭せねばならぬ立場だろう。
私が腹を立てているのはそこではない。画面の向こうにいる人間に向かって匿名でセンシティブな言葉を投げつけてきたその根性である。
あろうことか送り主は私の人格にまで言及してきたのだ。このcpを好んで、こんな話を書く人間は××××(この言葉は実際にその病気で苦しむ人に失礼であるので伏せ字とする)しかいないとまで言ってのけた。
開いた口が塞がらなかった。
なんの権利があって私にそんなことを言うのだろう。貴方に許されるのは私の作品への評価だけだ。(決して自分の好きな原作や、自身の創作を軽んじているわけではない。)何を知った気になって生身の人間にそんな言葉を投げつけているのだ。
これが加害でなくてなんなのだろう。心底腹が立つ。
だったら私も言わせてもらう。私も非常識になろう。私の二次創作における矜恃を曲げてでも貴方を傷つける。ここでくらい好き勝手に書く。
そもそも『そっ閉じ』もできないような人間がpixivを使うな。注意書きや検索除けを全て無視して突破してこちらの陣地にズカズカと踏み込んできたくせに、偉そうに自己責任という言葉を使うな。配慮ばかり求めて自衛を怠るな。配慮と自衛、どちらも揃わなければ二次創作は成り立たないものであることも知らないのか。そして他人を平気で傷つけるような言葉を使う人間が、配慮してもらおうとするな。倫理を説ける立場だと思うな。お客様根性もいい加減にしろ。Twitterの愚痴垢でのノリを対面にまで持ち込むな。陽の光を浴びようとするな。貴方の世界でならお仲間と一緒になってcp叩きもなんでも好きにすればよろしい。でもそれをガバガバの自他境界のまま生きた人間にぶつけるな。
私の好きを今までどおり私の狭い世界に向けて発信し続ける。残念でした。
なんだかもはや同人は関係ない気がしなくもないが、とにかくこれが一人の人間としての感情だ。
あーむかついた。
おわり。
みんな読みやすい、一気に読めた、感動したと大絶賛だったけど俺はそうは思わなかった
ダラダラ無駄に長い文章で読みにくくて途中で読むのをやめてしまった
どうやら自分にはああいった文章を読んで感動する才能がないらしい
自分が好んで読む小説は海外SFが多くて、あんな回りくどい書き方はしてないからイライラしてしょうがなかった
話が長すぎて途中で、
んで、結局何が言いたいの?
と聞いてしまった時のことだ
あの時は小一時間言い合いになって、ちゃんと黙って聞いておけば良かったと後悔した
妻を怒らせてしまったし、無駄に時間も潰したし、いいことは全くなかった
せっかくの4連休なのに外出自粛。どうやって過ごそう。そうお悩みのみんなに増田が勧めたいのが「落語」というコンテンツだ。
落語。日本で生まれ育った人なら一度くらいは名前を聞いたことがあるだろう。何なら学校の授業の一環などで上野の鈴本演芸場や新宿の末廣亭といった、いわゆる寄席に行ったことがある人もいるかもしれない。でも、「落語見たことあるけどつまんないよ」というように思っている人も多いかもしれない。ぶっちゃけすべての落語家が面白いわけではないので半分はあたっているのだが、それで落語を聞かなくなるのはもったいない!このコロナ禍でいろいろな落語家が無料でYoutube配信を行っている。どうせ30分もあれば一席見られるのだ、騙されたと思って見てみてはどうだろうか。
とはいえ、どんな落語家の配信を見ればいいのかわからない。そんなみなさんも多いだろう。そこで、いまYoutubeにあがっている配信の中で、増田がおすすめしたい落語家の師匠方を何人か紹介してみたい。なお、「落語?志ん朝!談志!」というようなご通の皆様には恥ずかしいのでそっ閉じしてください。
Youtube配信でトップに持ってきたいのはやっぱり一之輔師。メディアへの露出も多いので見たことがある人もいるかもしれない。常に適当なことしか言わない(ように見せている)けど、とにかく面白い。とはいえ大抜擢で真打ち(一人前の落語家の位)になっただけあり、芸は確か。落語ビギナーには一番オススメなのではないだろうか。https://www.youtube.com/channel/UC2ROW2uDlhb-9rXzY2tqV3Q から師の配信が見られる。今までの配信を見たらまる一日は楽しめるぞ。
こちらも落語界の人気者。古典落語(明治の頃くらいから伝わっている話)から新作落語(自作の話)までこなすスーパープレイヤー。楽屋ネタが混ざることもあるので初めての方には?となることもあるかもしれないが、それを差し引いても十分に楽しめるだろう。公式チャンネルはないけど、いくつか配信がある。例えば https://www.youtube.com/watch?v=Hi-Iyq9zU_E&t=10s とか。あと他の落語家さんもそうだけど名前で検索するとたくさん違法アップロードが見つかるw
落語界の北朝鮮こと落語立川流の人気落語家。キラリと光るインテリぶりにははてな民もニッコリ。一門会(弟子と共同の落語会)があがっている模様:https://www.youtube.com/watch?v=YyXB5ABjV74 。しばしばあぶないネタをぶっこんでくることもあるが、公開配信ではそこまでヤバイことは言っていない…というわけでもない。
新作落語の旗手、三遊亭白鳥師も紹介しておこう。前座時代に唯一落語時点の携帯を許されていたとか、レジェンド・古今亭志ん朝師匠の顔を知らなかったとか、「なんで落語家になった?!」というような数々の伝説を持つ噺家。チャンネルはこちら https://www.youtube.com/user/3hakutyou 。古典落語は筋が決まってるわけだからやっぱり文脈依存の笑いになっちゃうこともあって初めてだとつまらないと思うこともあるかもしれないけど、新作落語は初めての方にも純粋な話芸として楽しめるんじゃないだろうか。
最後に、寄席である鈴本演芸場がやっている配信の紹介。チャンネルは https://www.youtube.com/channel/UCemgswArs0eSsjCv1HYdd6w こちら。配信に出ている芸人はどれも豪華なメンツばっかり。贅沢にBGM代わりに流してみたらどうだろうか。
この記事は『ツイステッドワンダーランド』の新イベント、『ゴーストマリッジ』について偏った目線から書いた感想のような怪文書でございます。
イベントストーリーの他、ストーリーのネタバレを含んでおりますので「ツイステ気になってるんだよね~」という方の閲覧はおすすめしません。
メインストーリー(特に3章)はできるだけネタバレ見ずにプレイしてほしい…!
同担拒否の方はウィンドウ(タブ)をそっ閉じ、もしくはブラウザバックすることをおすすめします。
また、この文章はあくまで思考の整理であり、誰かに向けたものではございません。
(誰もこんな文読まないだろうけど予防線を張っておく)
まず、私個人の感想を申し上げますと「大草原不可避」。この一言に尽きます。
当初自然回復分でブーケを集めて少しずつ読んでいこうと思っていたのをやめ、かけらを少々砕いてどんどん読んでいったぐらいにはストーリーが楽しかったです。
でも、アズールの出番をざっくり拾うと、
2年寮長ズで勉強会してたら追い出される→運動場で監督生を気にかけるような発言(社交辞令の可能性あり)→『オペレーション・プロポーズ』に案外乗り気→先に玉砕したリーチ兄弟のことを詫びつつ自分も花婿候補として名乗りを挙げる→(「薔薇の花束を捧げて、高らかに愛を歌い上げ」る→)イライザちゃんビンタ→第2陣組でひときわ悔しがる(※個人の見解です)→イデアにボドゲ部のよしみで助けを求められるも切り捨てる…とよく考えたら夢女的にアウトになりかねない要素が普通にあるんですよね…
多分他作品の推しで「演技とはいえある程度ノリノリで異性に告白→玉砕」の流れがあったらブチギレる。きっとお気持ち長文書いちゃう。最悪他界する。
そして大変恥ずかしい話ではあるのですが、わたくし、推しの扱いにあまりにも納得がいかなくてその作品から距離置いたり他界したりなんかした経験があるめんどくさいオタクであるという自覚があります。
冒頭でゆるーい夢女などと申しましたが、鍵掛けずに推し×夢主アイコンにしているような夢女子(夢男子)さんがはっきり言って地雷なめんどくさい夢女です。(もちろん見かけても絡んだりはしませんし、自分の推し関連以外はそこまで嫌ってない)
それなのに、なぜ今回は笑っていられるのか…
平気だった理由として考えられるのが、「監督生に対しての台詞があったから」「推しだけじゃなくて他のキャラも同じような目にあっているから」「コントのような雰囲気だから」「花嫁が求婚を突っぱねたから」…
ストーリー自体から挙げられるのはざっとこんなところでしょうか。
「◯◯さんも、ご無事でなによりです」ですって…!
公開されないからへーきへーき、と少々恥を忍びつつ主人公の名前を本名(世界観に合わせてカタカナ)に設定していた私は不意討ちを食らうこととなりました。宇宙猫状態。
アズールの性格を考えると何度も言いますが社交辞令である可能性は十分にあります。
ですが、なんであれ監督生を気遣うような発言をしたのは事実です。
そして、ライターさんの解説でもない限りこの発言の真意が明かされることはないと思っていいでしょう。
そうです。せっかくだから都合よく解釈したろ!ということです。
他人に自分のそれを押し付けない限りはどう解釈しようが自由です。なので私はアズールのあの発言は本心からと思うことにしますね。
これはシンプルながら個人的にはわりと馬鹿にできない理由です。
後半どうなるかは不明ですが、現時点でレオナ、ヴィル、ジャック、セベク、トレイ、リーチ兄弟、リリア、デュース、ケイト、そしてアズールと半数近くのキャラがプロポーズチャレンジからのビンタ(紅葉の刻印)を食らっています。
やっぱりなんだかんだ言って「みんなそうだから」っていうのは強い。
推し一人だけがひどい目にあっていたら怒りたくもなりますがこれだけの人数が同じ目にあっていればちょっとした平等さすら感じます。
あんな人数の多種多様なイケメンが順番にビンタを食らう流れに笑わずにはいられませんでした。
似たような感想をすでに多数目にしましたが、イライザ姫の「却下!」からのビンタからにじみ出る「笑ってはいけないシリーズ」臭…
次から次へと挑んでは玉砕する彼らに笑いが止まらず、推しがぽっと出の女性キャラに求婚して惨敗していることにショックを受けるどころではなかったのです。
花嫁側がプロポーズを受ける様子が全くなく、バッサリだったのも個人的にショックを軽減する要因だったように思えます。
あそこで少しでも「素敵♡」みたいな反応を見せていたら私も絶望の淵に立たされていたことでしょう。
ここまでがストーリーそのものから考えられる理由、ここからは幻覚も交えていきます。
ナニソレ、イミワカンナイ!って感じかと思われますが、はしょった結果なので仕方ないね。
でもアズールが何にでも努力するからこそ、ショックが少ないのです。
ぱっと思い出せるだけで少なくとも、
過去100年の出題範囲からテスト対策ノートの作成(3章)、ユニーク魔法の習得(3章)、ハッピービーンズデーに向けて1年前から準備、サイコロの目を狙って出す練習をする(制服パソスト)、などが挙げられますし、そして何より自分を良く見せるための努力が随所から伺えます。
あの場でイライザさんに例の指輪渡すことができたらスゲー、ってなるでしょうし、そりゃアズールも名乗りを挙げるし全力で花婿になりきるよね。
妄想マシマシ、まさかまさかの5つ目。なんか嫌な予感がする文ですね。
ええ、どうも私にはアレが自分を良く見せる努力の一環、つまり打算的な行動にしか見えなかったのです(結果はお察しだけど)。
ここで例の台詞の話に戻る…という訳だ。
『オペレーション・プロポーズ』を成功させれば周りからの評価が良くなる→でしゃばるのも無理はない…
ですが、逃げてきた運動場で監督生を気遣う発言をしたところでアズールに何らかの得があるとは思えないんですよね。
だって監督生、美しい声もなければ一国の跡継ぎでもない普通の人間、おまけに小汚い雑巾ですしおすし。
あんな対価要求マンが得るものがないのに人を気遣うって一周回って本心からの発言しかあり得ないんだよねってこと。パンドラの箱、開けちゃったんだよね。
…話を戻すと、要は「監督生のことは素で気遣ってくれた(と思ってる)けど、あのプロポーズは本心からのものではない(と思ってる)ので痛くもかゆくもありません」ということです。(言ってることが)ヤバいですね☆
…と、まぁ自分でも着地点がわからなくなってきましたが、これら5つの要素が地雷原をお花畑に変えてくれたのだろうなと思います。
えらく雑なまとめ方だな…
ここまでピンピンしている私ですが、ショックなことももちろんありました。
比較的監督生と行動を共にすることも多い、デュースのプロポーズの様子から、監督生の性別が男であることがほぼ確定してしまったみたいなのです。
いや、NRCは男子校だから何もおかしくないんですけど。むしろ女である方がおかしいんですけど。
でも魔法士養成学校に魔法使えない人間が入学した時点でイレギュラーなんだから、男子校に女がいるというイレギュラーを重ねたっていいじゃんアゼルバイジャン。
しかし、紅一点だからといって逆ハーは私の好みではないです、あくまで男子いっぱいの中からたった一人にだけ恋愛感情を向けたいし向けられたいのです。うわキモ
まぁこれ書いてる奴はレオナより少し年上だから監督生=自分としてプレイは無理あったんだけどね!
自分の分身を何だと思ってプレイしたらいいのだろうか、男装女子か、はたまた男の娘か…
一体どうしたらいいんだ、脳内で『ツイステッドワンダーランド~イケメン♂パラダイス~』とかいって『イケナイ太陽』でも流しておけばいいのかな…
推し関連ではショック少なかったものの、こっちではなかなか大きなダメージを負ったかもしれない。
いい感じにオチがついた()ところで私のお気持ち表明は以上となります。
読んでくださる方がいるかはわかりませんが、ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
普段は見なかったことにしてしまいがちな同担夢女子(夢男子)さん(いる?)も、ありがとうございます!相互不干渉(私はひっそり暮らしているので関わることはほぼないと思います)でお互い強く生きていこうな!
ボーカロイドは知っている、初音ミクは知っている、という人はインターネット上ではかなり多いと思う。
もしくは世代によって「メルトが好きだった」「千本桜が好きだった」「エイリアンエイリアンが好きだった」などと具体的に知る人も多いだろう。
ただ世間で有名なボカロ曲というとニコニコ動画基準で100万再生は回っているものが多く、そうでなくとも大体が10万再生を超える。
だが殆どのボカロ曲は、実は1000再生未満で終わるのが現実である。
1000再生を越えるボカロ曲はせいぜい1割前後だと聞いた事がある。情報によってぶれはあるが十何パーセントだったり、一桁パーセントの時もある。
本当に上の上のボカロPなんかは出した曲ことごとく100万再生される一方、いつも三桁にとどまるボカロPもいる。(二桁で終わる事はよっぽど)
増田もまたボカロPなので、他のボカロPと交流を持つ。そしてこの中には三桁の壁を越えられていない人もいる。
もちろん評価は技術・クオリティとも関わりがある。ふつうに考えて上手なものは評価されるし、上手じゃないものは評価されない。
だがその三桁の壁と戦う人が、自分よりも技術があって、知識豊かだということも少なくない。
何故伸びないんだとのたうち回っている彼らに言ってやりたいけど、直接言う勇気がない事を今から増田にぶちまけようと思う。
①サムネイルにやる気なし
テクスチャに曲名文字で書いただけみたいなの多すぎ。今初めて知った曲名に興味持ってクリックする人いるか?
「サムネ釣りは悪。中身で勝負。」みたいなタイプの人もいるけど、だからクリックしてもらえないとその中身が見てもらえないんだってば。
キャラ絵を使わないテクスチャでも良いと思うけど、その分ハイセンスさが要求されるからセンスに自信がある人だけにした方が良いと思う。
②ボーカルにやる気なし
一般的に言うと調教が下手。曲だけ聞くとクオリティ高いとか技術的に凝ってるのに、歌の所だけ死ぬほど下手。
絵で例えると、線画ヘタクソだけど塗りだけは凝ってる絵師みたいな感じ。ブラシがどうとか言う前にデッサンやれよって感じ。増田の絵がこんな感じ。
もう少し正確に言うと、曲と歌のレベル感が違いすぎて浮くのがものすごくよくない。これではイントロがよさげだったのに歌に入ったらそっ閉じである。
今回はたまたま再生してくれたかもしれないけど、次につながらない。
③宣伝にやる気なし
伸びない動画は、誰が、何を欲して、どう経由して、自分の動画に辿り着くのかという導線が全く整備されていない。
マイナー音源ならともかく、「タグ:ミクオリジナル曲 ソート:新着順」はあまりに頼りない。
この前お笑い芸人の粗品が初音ミクの曲を投稿してめちゃくちゃ伸びた。
勿論「芸能人だからネームバリューで伸びたんだろ」というのもあるのだが、実は細かい所が結構上手だ。
サムネイルの絵が綺麗で、思わず中身が気になるキャッチーなタイトル。芸能人である事を抜きにしても既にクリックしたい。と思った。
ボーカルは上手くないけど、全体のレトロな雰囲気とはなんとなく調和が取れてる気がする。
勿論、「俺は再生が例え0でも作りたいものを作る、好きなようにやるぜ!」っていうならそれはそれでいいと思うんだけど、