はてなキーワード: そっ閉じとは
ここ何年かで確固たるものになったのだけど、自分が思う残念な人には共通点がある。
仕事でもなんでも、それ、あなたが好きなだけですよね?っていうものを、それは良いものだから絶対に使いなさいとかいって押し付けてくる。
逆もまた然りで、自分が嫌いなものは悪いものだとして絶対に受け付けない。
なので、そういう人とは絶対に一緒に仕事をしないようにしている。
そりゃそうだ。
話が通じないんだから。
大体そういう人間に限って、食べ物にも妙なこだわりがあって、これまた自分の好き嫌い以外を認めようとしない。
それで何がムカつくって、人が好きな料理を当たり前の顔をして「まずい」とかいう。
いやー、それは好き嫌いの問題だから「口に合わなかった」くらいで良くない?
あとこれ、万人に受けてる味だから。おいしいから。まずいって言ってる味覚のほうがおかしいから。
何かの機会にて料理を食べさせてもらったことがあるんだけど、若い頃にイタリアンで修行してたとかなんとか言って、オイルとガーリックまみれの料理を出された。
しょっぱいし臭いしギトギトだし、口に入れた瞬間の旨味が暴力的すぎるしで、お前まずいってこういう料理のことを言うんだよって思った。
でもさ、それは好き嫌いの問題であって、最終的にはそういうのが好きなんですねとしか思わないわけですよ。
別に関わらなければいいだけの話であって、何もその人の味覚がバカであることを教えてあげる必要なんてない。
それで何が言いたいのかというと、今のはてなーって、自分の好き嫌いでしかない話を、品質に置き換えて何でもかんでも悪い!悪い!って殴り続けてるわけですよ。
たまたま気に入ったものを、好き!って言えばいいのに良い!って言って、お前それ何目線だよみたいなコメントがスター集めてるわけですよ。
お前らその世界のことなんか何も知らないだろう!って奴らが、そういう人間同士あつまって☆つけて気持ちよくなってる。
素人が素人目線で好き嫌い言い合ってる、脳筋で反応しちゃいやすいコメントばっかりに☆。
ちょっと専門的で、断言が難しくて慎重に言葉選んでるコメントは、当然分かりづらいからパス。
こうなるとさ、はてなって石の裏ひっくり返してわらわらとうごめくクソムシの大群を眺める悪趣味なサービスでしかなくなってしまうわけじゃないですか。
最近さらにひどいのは、そういうクソムシに向かってクソムシ!きめぇ!って罵声を浴びせるバカが増えてきてるってところ。
お前、自分から石ひっくり返しておいて、気分害しました!じゃねえだろ。やめちまえよはてな!そのほうがお前も俺も平和だろ!
要するに何が言いたいのかというと、大して知りもしないくせに、したり顔で品質語るなってこと。
せめて好き嫌いで語ってくれよ。あ、嫌いは別に語らないでそっ閉じしてくれればいいや。
よく言ってるじゃん。インターネットの上澄みみたいなものだけ見ていたいって。
好きなネタを見つけたら好き!ってコメントであふれかえる世界作っていこうよ。
胸糞悪い記事なんてブクマしないでそっ閉じ。ヤブもつつかなければ蛇はでないんだから。
大体、はてなにコメントしたくらいで社会参加した気になっちゃうのは良くないよ。
そんなの一生他力本願で、自分の人生他人任せもいいところだろ。
残念ながら時代が変わってしまって、クソくだらねえ意見でも数を集めて強烈なパンチを繰り出せる世界になってしまったわけですよ。インターネットは。
そうなると正しい意見っていうのは数の暴力で可視化されることすらなく流れていってしまう。
結果どうなるかって言うと、人は正しい意見を言わなくなる。もしくは、正しい意見を言う人がサービスを見捨てて去ってしまうわけですよ。
ほら。今のはてなそのままんじゃん。
散々クソみたいな罵声投げかけておいて、よっぴーははてなを捨てたとかよく言えたね。よくそんなコメントにスターつけられましたね。
それでもよっぴーは何度か忠告してたし、その上でフェードアウトしていったのは優しさだよ。個人的にはよっぴー大嫌いだけど。
サービス提供側に色々求めるのもいいけど、まずは自分たちの行動一つ一つを見直したほうがいいよ。
スターが集まるからって、だんだんとコメントが過激になってきている人。
私の自称ファン…がいるのですが、その人と触れあうのが、もう本当にしんどい。
各種投稿サイトやSNSも全てフォローされて張り付かれていて、不穏な呟きやにおわせツイートもできないので、ここで吐き出させて下さい。
その自称ファンの方、同人誌もわざわざ通販してくれたりと本当にありがたいんですけど、いただく感想がちょっと斜め向こう側というか「そんな内容書いてないよね?」という、感想をいただくのです。
話を読んでの感想は人それぞれだとは思うのですが…。ちょっと話を読めてないのがすごく気になってしまって。
他の人から頂く感想は話に沿った感想なので、私の書き方がおかしいわけではなさそうなのですが。その人だけ、なんか変な感想なんですよね。
なんというか別に人格否定するような感想ではないんですけど、妙に攻撃的でもらって傷付く感想というか。
あと私は腐女子ですが他にも手広くお話を書いていて、それに対しても感想をいただくのですが…「これは読めないかも」とか「私には合わない」はわざわざ言わなくてもいいんじゃないかな?と思うんですよね。
好きでいてくれるのは嬉しいし、読もうとしてくれてるのも嬉しい。でも合わない、読めないならそっ閉じして欲しい…。
ネットストーカーみたいに張り付かれてるのも本当にしんどい。というか怖い。
キャスとか好きだったけど開始したら秒で聞きにくるのもしんどい。
昔からこういうタイプに好かれることが多くて、こういう人は関係を切ると(SNSブロックしたり…)面倒な感じになることが多いので、切るに切れないのが困っています。
好きでいてくれるのは本当に嬉しいし、同人誌も読んでくれてありがたい。
そもそも私が全部真に受けるのがよくないんだろうな、って思うんですけど…しんどいものはしんどい!
またがんばろう…。
https://anond.hatelabo.jp/20210623142124
カウンターにしてはきつすぎるのでウエっとなる。
しかし言いたいことはわかる。
こんなところだからこそいうが
最近のシロクマ先生、憎悪クリエイター一歩手前なのは間違いない。
子育てに限らず「~~が正しい」という「正しさ」にこだわりすぎて
それ以外に対してやたらと当てこすりをしているのだが
元々社会への適応を売りにしてきた人なのである程度は生暖かく見ていたが
子供はいるけれど他人に対して説教をしようなんて考えたことのない私としては
最近の嵩にかかった物言いは少々不愉快に感じることが増えてきており
周りの人にそれを止める人がいないのだろうか?
昔は当たり前だったってのはもう聞き飽きた。
リマスターしてるにも関わらず、オートセーブどころかセーブポイントからセーブポイントまでの間に20分以上時間がかかるようなゲームはまじでクソだ。
ちょっとしたスキマ時間にストーリーを進めようとしてゲームを始めたのだが、残り時間僅かというところでたどり着けるであろういつもなら使えるセーブポイントがゲームの進行上の都合で使えなかった。
このあとはボス戦で、さらにストーリーを見させられてと考えたら少なくともここから更に20分はかかる。
ここまで30分のゲーム進行を無駄にするのは死ぬほど嫌だが、PCゲームだからスリープさせるわけにも行かず、かといってそんなことで会社に遅刻ができるわけもなくalt+F4でそっ閉じした。
それどころか、もう一度ストーリーを進めるために同じ時間が必要になり、しかも1時間以上のゲーム時間を捻出できなければこのゲームは一生ここからすすめることができないのだ。
それが理由でストーリー半ばにしてやめたゲームが自分のライブラリには山程眠っている。
正直、もういい加減にしてくれという気分だ。
現代人にとって1時間もまとまった時間を捻出することはかんたんなことではない。
ソシャゲーで言えば、起動で30秒かかったらそれだけで離脱率が爆上がりするような時代だ。
ソシャゲーが場所も時間も選ばずに秒単位でユーザーの時間を奪い合っているとういのに、コンソールゲームがこのざまでは自ら衰退の道を進んでいるようなものだ。
コンソールだからこそのリッチな体験は、ユーザーの時間をアホのように食い尽くすことではない。
「こんにちは。〇〇です」というライターの文章をネット上で見かけるたびに「その書き出し、必要?」と思う。
挨拶と自己紹介のテンプレートではじめる文章は、雑誌や新聞の文章でそんなに見かけないが、ネット上の文章では常識というか作法のようになっていると感じる。
このテンプレートの起源はどこだったか、ちょっと思い出せない。
アフィ記事ばっかりのいかがですかブログが、夏の流し台に生える黒カビみたいに、いっせいにたくさん出てきた頃だったかと思うのだが、この記憶は正しいだろうか。
「こんにちは。〇〇です」という書き出しを見るたびにガクッと来る理由は、
・読者に変におもねっているのが感じられる
・どこから出てきたのかもわからない文章作法を無自覚に信じている
とかだと思う。
なのでこの書き出しを見かけるたびにそれ以上読まずにそっ閉じしている。
挨拶と自己紹介ではじめると決めておけば、文章の構成とか効果的な書き出しとかを考えなくて楽なのはわかるけれど、読者としては、そんなふうにして量産した記事を別に読みたくもないとは思う。
全336駅?
日本の駅数ってどんだけあったっけ?と思ってJR東日本のページに当たった時点で
https://www.jreast.co.jp/company/outline/
駅数 1,676駅(BRT駅を含む)
とあったのでそっ閉じした
なんていうか、名作と言われるゲームがのきなみつまらないのだけど。
RPGが好きだけど、フリプのFF7リメイクなんてホストと匂わせ女同士の地獄絵図にしか見えなかったし、ライザのアトリエもバ美肉キモオタがイチャイチャだけに思えて30分でそっ閉じ。
ダクソ系、オープンワールドRPG、名作HD リマスター系に手を出しては、面白みがわからないままに積みゲー化していっている。
もともとモンハンやソシャゲー見たく強くなるために千本ノックしなきゃいけないようなゲームは嫌い。
一応最近でハマったゲームはゼルダBOW。Neir automata。
この2つは別格に楽しかった。
そのせいもあるかもしれないけど、それ以外のゲームがどれも本当につまらない。
せっかく大事な時間を削って遊ぼうとしてるのに、ちょっとでもつまらないと時間のもったいなさが半端ないんだよね。
それこそ糞の役にも立たないといわれればそれまでなんだけど、なんかちょっと頭の体操になっている感じが他のゲームよりも心地よく感じてしまう。
好き嫌いなのはわかってるけど、でも、本当はみんなもそんなに面白くないゲームでも、自分に面白い!って言い聞かせながらプレイしてるんでしょ?
・党派性の強い人
味方は甘やかそう、敵はケチをつけよう、というのを端から前提にしてる。とにかく日常的に、自分が支持している言説の「味方側が勝ってる」「敵側が負けてる」発言を集めては広めていてる。さらに何かの発言を見たとき、瞬時にそれが「味方側」か「敵側」かの判断をして、色眼鏡をかけて、味方側っぽい人の話はうんうんうなずきながら読む一方(時には読む前に広めてしまう)、敵側っぽい人の話はここにがどう間違ってるのかをあらさがしだけをするように読む。そして味方側の悪いところも、敵側の良いところも、なかったことにする
・属人性の強い人
頭の中に「味方側フォルダ」「敵側フォルダ」を分類していて、そのフォルダ分類に合わせて他人の意見を判断をする。何を言ってるのかを確認しない。「○○という名前を見てそっ閉じ」みたいなことを平気で言う(←これを「こいつの言ってることはどうせ間違ってる」ではなく「私はただ単に閉じただけです」だとか、言った本人も含めて誰も信じてない言い訳はやめてね)。
・敵側には何をしても許されると思っている人
「敵側」と判断した相手への公平さを一切考慮しない。最悪のところ、デマでも誹謗中傷でもなんでも許されると思っている。平気であやふやな情報による攻撃を率先して信じ広めるし、日常から「中傷的な名前の呼び方」なども平気で行っている。
また敵側と判断した相手に対しては、その他のあらゆる部分でとにかく攻撃的にならないといけない、否定しないといけない、譲歩してはいけない――と思っている。例えばある点でとても批判的な相手が別の部分でいいことを言ったりしても、絶対に認めない。あるいはある点でとても批判的な相手の、まったく別の本業の成果などに対して、端からバイアスをかけて否定しようとする。
公平さがない。
・訂正ができない、謝れない人
一度批判した相手は敵側なので、間違ったことを言ったり、中傷的なことを言ったり、なにか言い過ぎたりしても、訂正ができない。ましてや謝れない。「敵側」に対するなんらかの譲歩的なアクションはすべて、こちら側の失点であり、敵側の加点であると考えているので、「敵に対して訂正をしたり、謝ったりするなんて、できるか」と考えてしまう。それが明々白々な間違いでも、いやそうであるからこそ、やれない。
・口汚い人
「アホ」「バカ」「間抜け」などはもはや軽いジャブ、「人のクズ」「虫けら」「ゴキブリ」等々、とにかく口汚く敵を罵る。――なお、一般論として差別用語などを使う人間を批判する人の一部も、平気でこうだったりする。人を傷つけるのはやめようと思っている(ぼくも同意する)人が、なぜそうなるのか、よくわからない。
・自分に甘い人
以上、かなりの自戒を込めて書いた。
これを読んで「自分の考える敵どもって確かにそうだな!あいつらしょうもないな!」としか思えなかったら、それはやめてって思いますね。
おまけ
当たり前だが、最近よく見かけた……というのは、それが「多い」ことを意味しない。ましてや前より増えていたりすることをや。
心理学的に、ヒトは統計数字をうまく呑み込めず、「自分が思いつくこと」が統計的に多いのだと判断してしまうものらしい。何かが何かに比べて多いとか、何かが周りより突出しているとか、そういうのの根拠に「自分や周りの体験」「ネットで見たいくつかの件」を挙げたり、あるいは何かが少なかったりないという根拠に「見たことない」を挙げるの、エラーなんじゃないかなー。
ぼくはここ数か月で街で二回喧嘩を見たが(人生でもめずらしい体験だ)、それで『喧嘩は増えている』と言ったらおかしいのだと思う。そういうこと言う人が昔より増えている。