はてなキーワード: 質実剛健とは
なんか仕事の事を考えているとどんよりするので気を紛らわすのに書いてみる。
とりあえず自分の事。
昨今のキャンプブームは90年代キャンプブームで親とキャンプした世代が同じ事を子供とやっているという説があるけど、まさにその世代。
なので、キャンプに行くのは精々年に数回だけど、歴だけみたら二十年選手のペーパーGOLD免許的なベテランキャンパー。
ひょんなことから冬キャンプを始めてみたら、これまでの景色とは全然違う世界におじさん超びっくり。
今日はその辺について書いてみようと思う。おじさんなので話がギアに偏りがちだけどそこはご了承願いたい。
1. キャンプ場がかなり混んでいる
平日は流石にそうでもないけど休日はめちゃ混み。唯一平日に行った茨城の某高規格だけは超寂しかったけど、それ以外11月〜2月の週末数回は区画系キャンプ場もフリーサイト系キャンプ場もキャンパーでいっぱい。ナチュログとかを読むと2018年はそうでもなかったみたいだから今年は凄いのかなと思う。一瞬ゆる△キャンかと思ったけど、来ているキャンパーは家族だったり大人だけのグループだったりなので、あんまり関係なさそう。暖冬ってのと、もしかしたら夏の台風で河川系フィールドが軒並み閉鎖なのが効いてるのかも。
2. もしかして、薪不足?
キャンプと言えば焚き火。世のキャンパーの半分くらいは火を扱うためにフィールドに来ていると思う。自分もそんな感じ。ただ、急激に増えすぎた冬キャンパーに薪の供給があまり追いついていない。薪の製造はウィスキーのようなもので、針葉樹で最低半年。広葉樹なら少なくとも1年とか2年の乾燥期間がいるのだけれど、今年はちょっと見切り発車で出してしまっている所もあるんじゃないかと思う。場所によっては現地調達ができない旨をWebサイトに掲載しているフィールドもある。自分はAmazonで買える乾燥したブルジョワ薪10kgをお守りに、現地調達とか薪ストーブ向けの業者に出向いて購入したりで対応してるけど、何度かシュワシュワする薪に当たった。今年は雨も多いので単純に乾燥期間だけの話では無いのかもしれないけど。
3. コットン幕は人権
これは焚き火と薪ストーブに大きく関係するので冬特有なのかもしれないけど、とにかく多いコットン系幕。数だけ見るとサーカスTCが圧倒的だけど、どこに行ってもそこそこな数のノルディスク、テンティピなんかの欧州系舶来幕。フリーサイトだと、ノルとテンマク、DODあたりで半分くらいとか言ってもそんなに大袈裟ではないかも。みんなお金持ちだね(舶来幕は上下で20万を超えるのが多い)。
ゴメン、ちょっと言い過ぎかも。でも、一時期に比べるとチェアワン系が減っているのは間違いない感じ。代わりに台頭してきたのがカーミットとそのコピー品。組み立てちょっと面倒そうだけどカッコいいもんね。仕舞寸法はチェアワンとそこまで変わらなさそうだし。でもコットに関してはまだヘリノックスが多いかな?な印象。
コットン系幕が隆盛なのに対して、ポリ幕が主力のスノーピークはなかなかに苦戦している印象。スノピにしてはバーゲンセールなアメドはボチボチ見かけるけど、ランドロック全盛期にあったような右を見ても左を見てもスノピと言った様相では無くなった。これは難燃幕が重宝される冬キャンプ特有の話なんじゃ?と思いつつ、薪スト勢も昔はランドロックやラナあたりのシェルターを使っていたと記憶しているので、単純にそれだけでは無いんじゃなかろうか。落ち着いた配色と統一感で一時期はオシャキャン勢のマストバイ的な位置付けだったスノピだけど、イマドキのステレオタイプなオシャキャン勢は欧州系舶来幕が当たり前で、それらを選ばないキャンパーもNemoやMSRなんかの米国系やサバティカル、ゼインアーツあたりのプライベートブランドやガレージブランドでカッコよくきめてる。なんならホームセンター系PBの筈のテンマクですらPEPOやサーカスあたりはなかなかにカッコいいときているので、そろそろなんらかの手を打たないと厳しそう。特に統一感込みでのブランドデザインかなと思うので、ギアの主体であるテント幕を他社に押さえられてしまうと周辺ギアをスノピで揃える事にインセンティブが働かなくなり、バタバタといく可能性がある。
6. 案外強い小川と何故か増えているコールマン。全く見なくなったロゴス(昨今テント考その2)
そのまんま。小川はツインピルツをよく見た。ロッジ型にも注力しているようで、質実剛健なイメージとは裏腹に時代を掴んでいる印象。なんで2回も3回も潰れるのかわからん。ティピー系が流行り出した(リバイバルした?)当初からピルツ売ってたし。結構謎。コールマンは主にファミリーが2ルームを使っているのをボチボチ見かけた。今まではホームセンターで入手しやすいテントのイメージだったけど、昨今の2ルームは10万には届かないものの、なかなかのお値段。見た目はお世辞にもオシャレとは言い難く価格的にも決して安くないにも関わらず選ばれていると言うことは、多分使い勝手が良いのだろうなと思う。そして、前述のスノピと共に…と言うかスノピ以上に存在感の無くなったロゴス。恐らく今冬はまだ見ていないと思う。10年程前の前室付きドーム型時代からシェルター時代への移行期あたりは「お金持ちはスノピ、普通の人はロゴスかコールマン」な感じで、スノピと同数かな?くらいには目にしたロゴスだけれど、少なくとも今冬は見る影なし。ファミキャン向けと言うことを考えると冬キャンには幾分不利なブランドだとは思うものの、価格帯的にはDODや大陸系ブランドに負けてしまうにも関わらずアッパークラスに訴求できる商品力もないと言う非常に苦しい立ち位置になってしまってはいないかな?その点では鹿番長ことキャプテンスタッグの方が元々エントリー層狙いなので影響は少なさそう。
…そのほかにも焚き火台はみんなバラバラで個性的?とか、ガソリンランタン減ってません?とか、みんなひとつくらいは鉄モノを置いているとか、ナンガナンガナンガとか色々あるけど、飽きてきたのでこの辺で。
しっかし、冬キャンプ人口の多さには本当にびっくりした。BEPAL?だったかのアンケートでは半数が秋派で3割が春派。残りの2割を夏と冬で分け合う構図なものの、夏か冬か?なら圧倒的に冬が人気らしい。秋を晩秋(秋雨前線がいなくなってから)、春を早春(梅雨の前まで)と考えたらもういつだって冬キャンみたいなもんなので、各メーカーは冬装備を基本に商品展開していかないとダメそう。絶対数は相変わらず夏のファミキャン勢かもしれないけど、お金落としてくれるのとは別かなと。
2日目
心療内科で処方された(があまり使っていなかった)睡眠導入剤を飲んだおかげか、バスの中では途切れ途切れながらも眠ることができた。
9:20
バスは広島に到着し、降り立った広島駅南口は、快晴とは言わないまでも快適な天気と気温だった。
この旅行記を書いた後、チェックイン予定のホテルにひとまず荷物を預ける事にする。
東京ではあまりみる事の無くなった路面電車だが、旅行者としては行き先が一目瞭然なのでバスより利用しやすい。
搬送力も魅力的だ。
今更東京で導入する事は難しいだろうが、吉祥寺あたりにあったら便利そうな気がする。
ちょうどお昼の時間帯なので、腹ごしらえをしよう。
目当てのみっちゃん総本店は、観光ブログで紹介される様な有名店だが、地元の人達で満杯だった。
しばらくして運ばれてきたのは大皿にドンと盛り付けられたお好み焼き。
広島は街の風情もそうだが、食も気取りや出し惜しみのない、何というか質実剛健さを感じる。
横をみるとスーツの兄ちゃんがお好み焼きをおかずに白米を食べていた。
すごいエネルギーだ。
まあ、美味いけどね。
食事の前に気づいていたのだが、広島中心街からは平和記念公園が目と鼻の先だ。
観光名所巡りは本来3日目以降の予定だったが、時間もあったので予定を前倒して訪れる事にする。
旅程を組んだ時に全く意図していなかったのだが、韓国のボーイズパフォーマンスグループ、BTSが過去に原爆をモチーフにしたファッションを着て情報発信した事が問題になっており、タイムリーな場所をこの目でみる事になった。
地下歩道を歩き、地上に出ると、川岸、青空をバックに原爆ドームが建っている。
周囲にはそこかしこで地元のガイドさんがここで起きた事を学生や外国人たちに説明する姿が見られた。
自分は韓国を敵視する政治性向を持たないし、BTSを擁護する立場でもないのだが、この問題を考える時、「果たして戦うべきは何なのだろう」と考える。
韓国人の立場からすれば、植民地支配からの解放を喜ぶのは当然で、誇るべきことでもあると思う。
が「自分達の解放を喜び、苦難を超えたことを誇る」事と「相対した相手が死んだのを喜ぶ」事はイコールでは無い。
関連する事としても結ばれる事実であっても、それを言い訳にして他者の気持ちを踏みにじる自らの足を無視する事は、とても褒められない。
今回で例えれば、原爆という象徴的な事実を語る時に、自分の方向だけを見て口を開くのは危険を孕む。
その意図が無かったとしても、喜び自らを誇る時に、他者の痛みに目を向けず語る事は「無神経」で「傲慢」だ。
BTSが悪いと言う話ではなく、同様の問題は、日本の側にもある。
自らを誇りたいと思った時、その自らの中にこそが敵がいる。
こういった傲慢さへの誘惑こそが戦うべき相手では無いだろうか。
pixivで漫画を漁るのに異様にはまってるんだけど、一見うまくいっているように思える日常に実は結構な不満があるんだなわたし、と自覚ができたので吐き出しに来た。
内気で口下手な女の子と、その子にベタ惚れな優しくて不器用なかっこいい男の子、みたいな少女漫画の王道の作品をひたすら読み耽っている。苦しい。読めば読むほど苦しくなる。でも読むのをやめられない。
商業誌よりずっと密度の高い、ほしいシチュエーション(女の子のふとした萌え仕草に男の子が悶絶して、我慢できずにキスしちゃうとかそんなの)だけを切り取って描いた数ページの超短編が、劇薬のように依存性の高い刺激を次から次へと与えてくる。
あまりに求める気持ちが強すぎて最近は自分で描くようになった。中高の頃に何度かその手の雑誌の読者コーナーに掲載されたりしたことがある程度の中途半端な腕前だけど。
たぶんそういう「姫扱い」に飢えているのだと、今の自分のどハマりしてる状態を見て思う。
ハッピーマニアのフクちゃんがバツイチになったのちに「自分は多分結婚に向いてない。いつまでもカワイイね、キレイだねって言われてチヤホヤされてないと無理な性分だけど家族になってしまうと言われなくなるから」という意味合いのことを諦め半分で話していたのが思い起こされる。それを受けて友人のマリちゃんが「でもそれって、家族としての愛を感じることができないってことかもね」と。自分もそうかもしれないと思う。恋愛体質に傾きすぎの自覚はある。
付き合っていた頃の熱情はもう感じられないが、旦那はわたしを大切にしてくれている。そしてわたしはそんな旦那の人柄に、改めて恋をしている。片思い。求めれば好きと言ってくれるけど、それで満足できていない。チヤホヤされたい。あの男の子が言うように、一挙手一投足を見るたびに「カワイイね、キレイだね」と言ってほしい。のだと思う。もうカワイイなんて言われる年ではないし、同世代の中で特別にキレイなわけでもないのに。
夫婦なんだから何でも話してみればいいよ。と友人に言われるし、話したこともある。そのときは「好きだよ」と言ってくれる。けどその後は普通だ。当たり前だ。わたしたちは日本人だし旦那は質実剛健の九州男児。そこに惹かれて結婚したのにこの上「王子様になれ」だなんていくらなんでも求めすぎだ。そもそも今のわたしは彼にとって無条件にチヤホヤされるお姫様足り得る存在でも何でもない。それくらいわかっている。全部わかっている。
わかっているのに飢えが止まらない。
飢えを満たすためにさらに二次元にのめり込み、ますます飢えを加速させていく。
たぶん世間の人妻はこういうところから不倫に走るのだろう。わたしはたまたまコミュ障でオタクだったから二次元の世界に逃避できただけで、おそらく根本の心理は一緒なのだろう。いや生身の人間との不倫が二次元と本質的に違うのはわかるし、オタクじゃなくても不倫はしないと思うけどもね。動機としては共通する部分があるんだろなと。あとジャニオタの知り合いは周りに少なくないが(自分の周りでは40代から50代の主婦にすごく多い)たぶんそこにも同じメンタルの人はいると思う。
http://bunshun.jp/articles/-/3929
「ドラム日野ビンタのダウンタウン松本さんと爆笑問題太田さんの意見が真逆すぎた」
http://www.kansou-blog.jp/entry/2017/09/04/073456
「日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャズミュージシャンが考えてみた」
http://k-yahata.hatenablog.com/entry/2017/08/31/日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャ
https://www.daily.co.jp/gossip/2017/09/01/0010515517.shtml
正直、他人の出番を無視してドラムを延々と叩いてた子がビンタ食らっただけでこれだけ喧々諤々の議論が巻き起こるのはうらやましいし、近年ネットで体罰動画などが拡散され、教師が処分されている事等を考えるとネットという存在が体罰への抑止力として働いているのは確かで、ろくでもないものも多いネットのもたらした大きなメリットのひとつだと思う。
で、僕がこれからするのはそんな便利なアイテムが普及してない時代のろくでもない体罰という名の暴力の話だ。
舞台は96年の東京高田馬場にある保善高校。偏差値でいえば55前後、昔ラグビーの名門で花園に出た以外に特に語る事のないパッとしない私立高校だ。
ちなみにお隣には後年某ブラックチャイルドな有名バスケマンガのモデルになった偏差値70台のエリートな高校があり、お隣だが近所の早稲田大学への距離は全く違うと言われていた。
我々が入学する前、この高校の理事だかなんだかわからないが、お偉いさんが「このなんの特徴もない学校をお隣みたいな超進学校にしよう」等とドラゴン桜みたいな事を考えた。
目的のみをみれば「少子化を見越し、進学校としてブランド価値を持たせる」という戦略は悪いものではないのかもしれない。
だが、彼らにドラゴン桜のような「外部の優秀な講師を招いて生徒の学力をup!」という策などあるわけがなく、結果としてできあがった保善高校特進クラスは地獄になった。
「三年の間に偏差値55前後の人間を普通に早慶受かるようにしろ」そんな無茶な目標を与えられた現場の教師達は大混乱しただろう。
それはそうだ。彼ら教師のほとんどが一般的に二流と言われる大学を出てこの高校に教員として努めている人間であり(文系だった我々のクラス担任は獨協の英文科卒だった )、当然だが中堅高校の生徒をトップレベルの私大に合格させられるノウハウといったものを持っていない。
そんなこんなで上に対して自分達が頑張った事をアピールしつつ、失敗しても責任を回避できるだろうと考えた彼らがとった方策は授業時間を8限までにするという手段だった。
そして入学してからその事を聞かされた特進クラスに選ばれた我ら生徒達は当然反発する。
部活を目当てにした生徒も多かったし、そもそも強制で8限までの授業なんて受けたい人間はいない。
正直、ここまでなら大人になった今になって考えると教師達に同情の余地がないでもない。
上の無茶に対してかかる現場への圧力のつらさは、それなりの歳になり、上と現場の板ばさみになってから嫌というほど知った。
現在の自分が負担をかけてしまっている現場の人達にひたすら頭下げたり、飲料を差し入れ、それでもイラつかれるように保善高校の現場教師達には我々生徒が分かりえない上の人との板ばさみのつらさがあったのかもしれない。
だが、我々の反発を抑えるのに担任教師が使った方法は頭を下げるでも飲料を差し入れるでもなく、「嫌ならやめろ」と暴力のセットだった。
そして出来上がった授業自体も適当なやる気ないプリントを配ったりするくらいで、正直これを8限聴くくらいなら予備校の授業1限聴いた方がはるかに有益なんじゃね?となる受験にはなんの役にも立たない内容だった(事実、自分は浪人して予備校通ってた時期に英語の偏差値がグングン上がり、今までやらされていた勉強がいかに非効率かを知った)。
結果的に我々は3年間に渡り、ほぼ毎日の様に殴られ、22人いたクラスメイトの内、3人は部活も自分のやりたい事もできない状況を受け入れられずに自主退学に追い込まれ、残った19人も相当に精神を病んだ。
正確な因果関係を立証する事はできないが、卒業時の我々の精神状態を鑑みると、遺族が因果関係を否定するならともかく、当時の保善の教師達が「関係ない」等とほざく事は許さない。
ここまで読んで何人かの人は「なんで体罰に対して対策をとらなかったの?通報するなりいくらでも手があるだろうし」と思われるだろう。
今にして思えば何故自分自身、当時の自分がなんら手を打たず、3年間、殴られるままでいたのかが理解できない。
現在の30代半ばの自分で、今の時代であれば同じ状況でもいくらでも手が打てる。
「教師が生徒を殴ってるのを動画なり音声をを記録し、youtubeに放流」「動画や音声を教育委員会や区議会に送りつける」「動画や音声をもって弁護士のところへ行き、教師を退職に追い込み、学校からは金を引き出し、なおかつ現況の改善する」「逆にこちらから暴力で制圧する」等。
だが残念だが、我々の時代には便利なものはなかったし、他の手段をとる勇気もなかった。当時の時代でも打てる手はあったのかも知れないが、結局我々は何も打てる手がないままひたすら3年間を暴力に耐え続けて過ごした。
他の教師に相談しても「君達の事を思ってあえて自分でもやりたくない事をなさってくれてるんだから」と黙殺されるし、「嫌ならやめればいいだけ」と常に脱落への恐怖を感じさせられ逃げられなかった。
それが事実だ。
今の自分のみならず、多くの人達当時の自分は怠惰に写るのかもしれない。
いくらでも打てる手があるし、場合によっては金にもできたのに何故なにもしなかったのかと。
言った瞬間、発言者を糞馬鹿認定する言葉では「公共の福祉」と並ぶ「自己責任」という言葉を使いたくなる。
だが、異論=即暴力&否定という立場に置かれるのは当時の10代の子供にとっては逃げ道のない牢獄で看守に見張られているようなものなのだ。
常に暴力や脱落の恐怖に晒される状態で冷静な判断ができるかと言われれば今の自分でもこころもとない。
現在自分内最高漫画を更新し続けてる「パンプキン・シザーズ」で主人公は8巻で町ぐるみの人身売買に巻き込まれ、結果共犯者になった住人を慰める為に「人間は新しい環境に放り込まれた時にまるで即興劇に放り込まれた役者のように本能的にその舞台を壊さないよう行動する」と言っていたが、結局我々はその舞台から3年間逃げ出す事ができなかった。
昔、自分はナチス、ソビエト、クメール・ルージュだのに属して上の言うままに行動する人々を笑えたが、この保善高校の体験を通して以降、全く笑えなくなった。
さて、色々回りくどい事を言ったが、ここら辺で私怨タイムにさせて頂く。
曳地利秋、お前はガチな屑だな。お前は三年間俺達の担任教師だったわけで、その間お前を「センセイ」と呼んでたが、お前を教師だとも尊敬する人間だとも思ったことは一度もなかったよ。
平賀が自殺して少しは反省したのかと思ってたが、仕事で出会った8歳下の保善のOBの人に聞いたらお前はあの後もなんら反省せず、特進クラス以外でも生徒を殴り続けてたらしいな。
もっとも俺達以前にも暴力を奮ってたろうし、「口答えする特進クラスの生徒」というのはお前にとって殴れる大義名分を更に与えただけだったろうが。
お前は殴る相手が反抗すると「いつか社会に出れば俺に感謝する時がくる」とかいってたが残念ながらそんな時は来なかったよ。
社会を知れば知るほどわかるのはお前という人間が対等な立場では殴り合い一つできない生徒に対し、能力でも人格でも統率できず、自分が殴られない立場に甘えて一方的に生徒を殴ってた屑である事。
それだけだ。
お前は教師でもなんでもない。
お前が定年退職したかどうかは知らないが、現在、学校でも塾でもあらゆる教職に関わってない事を心から祈ってるよ。
残念ながら俺やクラスのみんなに対しての暴行への公訴時効は過ぎてるんでお前に刑罰を与える事ができず、こういう形で書いたが、お前がこれを読んで反省するとかかけらも思っちゃいない。
原国の片山、お前は俺達が曳地に毎日殴られてると度々訴えたときも「曳地先生は生徒のためを思ってるんだ。甘えてるんじゃない!」とかほざきやがったな。
お前も曳地の同類の糞虫だよ。
そして96~98年に保善高校にいた教師達(現在在籍の確認がとれるのは地歴科の近藤八朗、数学科の三河一雄、公民科のト部昌次)お前ら俺達が散々殴られて助けを求めていたのを知りながら、無視、罵倒を対応にしてたよな。曳地も含めてお前らが全員地獄に行ってくれる事を心から願ってるよ。
ここまで書いといてなんだが、「抵抗できない相手を一方的に殴るのは保善高校の教師達と同じ」という心の声が聞えたんでこっちの身分もそっちに対して分かる範囲で明かしとく。
96年~98年に在籍し、文系特進クラスで正面二番目の列にいて、その後一浪経て法政大学に進学した生徒。それが俺だ。
そこから俺の名前はgoogleでたどれるようにしてあるし、そこからくれば答えるし、名誉毀損で訴えたいならばいつでもどうぞ。
・体罰、何も伝わらなかった 「殴られた」生徒語る - 朝日新聞デジタル http://t.asahi.com/9v
【田村剛】私立保善高校(東京都新宿区)の男性教諭が、男子生徒に暴行した罪で今月4日に罰金30万円の略式命令を受けた。被害者の生徒と、その友人で「同じ教諭に殴られた」と主張するもう一人の元生徒が、朝日新聞の取材に応じた。「もっと早く周囲の大人に気付いてほしかった」と訴えた。
2人によると、1年生で同じクラスにいた2011年の1学期ごろから、空手部の顧問でもあった担任の40代の男性教諭から、校内で平手打ちなどの暴力を受け始めたという。
携帯電話を学校に持ってきた▽読書感想文の本を忘れた▽授業中のおしゃべり……。さまざまなことがきっかけとなった。この生徒(17)は「高校では暴力が当たり前なのか」と思い込んだ。他の教諭も止めに入ってくれなかったという。
2年生になって登校できなくなり、休学した。親に話すうちに普通ではないと気付き、警察に届けた。
学校側は謝罪のため生徒宅を訪れ、暴行の理由も説明した。それでも、殴られなければならないとは思えなかった。「ただ苦しかった。先生の言いたいことは何も伝わってこなかった」と振り返る。この教諭は、この生徒を複数回にわたって平手打ちをするなどしたとして、略式起訴された。
もう一人の元生徒(18)は、暴力を受けても「先生の言うことを聞きなさい」と話す親を前に、学校に行きたくないと言えなかった。「誰にも相談できず、どこにも行き場所がない感じだった」と語る。
耐えられず、昨年5月に退学。一時はうつ状態になって精神科に通った。「同じことをしたらこうなる」という周囲への見せしめが、暴力の目的だったと感じている。「次は自分ではないか」と、他の生徒がビクビクしているのが伝わってきたから。
「自分はたまたま自殺せずに済んだ。でも、親や周囲の先生にはもっと早く気付いてほしかった」。大阪市立桜宮高校の教師による体罰で生徒が自殺したことが問題になり、そう思う。
同校の青木繁副校長は取材に「教諭が何度も暴行したという認識はない。生徒らの話は過大で、学校が把握する内容と大きな違いがある」としている。教諭の暴力については「許されないことだが、2人の就学姿勢を立て直すという思いがあった」と説明する。
という記事が出てきた(元記事は既に消えてるが)。当時の自分達の気持ちをそのまま表している記事だった。お前ら、90年代にあれだけやらかしたにも関わらず、何一つ反省してなかったんだね…
正直、我々の時代に体罰という理不尽な問題を取り上げ、裁判なりで戦って「教師が生徒を殴らない」という当たり前の権利を勝ち取っていれば彼がこのような目に合う事はなかったのかもしれない。
そういう意味では我々抗議の声を上げなかった人間も彼の目からすれば保善の教師と変わらないのかもしれない。
だが我々には声を上げる知恵も勇気もなく、結局、放置し、自分と同じ、もしくはもっと酷い状況を10数年後に後輩に味あわせた。
そして偏差値は51~58と我々がいた当時と何ら変わらない状況。
「進学校にするため」という大義名分で我々に奮われた暴力は結局何の意味もなかったのだと脱力するしかない。
保善高校の理事だの教師だの糞虫ども、正直お前ら全員死ねばいいと思うよ。
お前らは教育者でもなければ、経営者としても糞だ。お前らには何一つ敬意を持てるものがないし、何一つ美しいと言えるものがない。
「質実剛健」とか本当に笑えるわ。
とりあえずこの記事呼んで保善高校への受験を辞める人が増え、一人でも保善高校の犠牲者が増えない事を元生徒として祈っている。
・追記 保善高校の13年の空手部の体罰に関してはオンラインの記事は消えているが朝日新聞2013年2月24日の日曜版38頁、2014年7月4日の社会面の記事で確認ができた。体罰を受けた生徒は除籍処分にされたらしいその後、両親と共に保善高校及び同校を運営する学校法人保隣教育財団に550万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしたらしい。その後の顛末はネット上を探しても見つからないが、彼にとって良い方向に事態が動いていた事を祈っている。そして22人のうち後に退学に追い込まれた生徒3名、後に自殺した生徒1名を出し、何の成果も残さなかった保善高校初代文系特進クラスの生徒の一人として、彼がとった勇気ある行動に心から敬意を表したい。
・袋にU296と書いてあったころ
数字のごろ合わせって田舎のラーメン屋の出前の番号かよと突っ込みたくなりますが、このころは、質実剛健、丈夫な品物をおいていました。生地が厚かったです。デザイン性より実用性でした。独自の品物だけでなく、「Champion」とか海外のブランド品っぽいものも一部に置いてありました。県庁所在地に買い物に行かないとなかったので、特別なお店でした。
お店の出店数が激増していました。まだ、実用品としてイメージが強かったです。品質としてもこのころが最高だったように思います。生地が一番丈夫でした。このころの服で残っているものがあります。売り上げに影響が出るくらいに丈夫です。県で2番手の街にもお店ができました。品が良かった印象があります。
デザインに舵を切りました。スリムフィットという着る人を選びすぎる服を投入。女子からもサイズがないという声が聞こえてきました。男性のLを着ている子と服がかぶりました。生地が薄くなってきたかも?とか丈夫さに疑問符が付くようになりました。毎年同じものを買っているので、違いが出ると気が付きます。
・GU出店後
明らかにGUの商品の生地が薄いことはわかりました。対GUでは品質が良い。色の品ぞろえがデザイナーの自慰行為なのか、棚のエンドに設置されたお値打ち品コーナーにコーデできねえだろ的な色がシーズン遅れで特売されるようになりました。赤シャツとか緑ポロシャツとかレベルが高杉晋作です。坊ちゃんファンとか南海ファンじゃないとつかい道が想像できません。それともイタリア国旗コーデをしろというのかと。通年売っていたビジネスバックがなくなったのが痛恨の一撃でした。気軽に壊してもいいものが買えてよかったのに残念です。ハンカチとか売っているときとそうでないときがあるのがめんどくさいです。
・ここ5年くらい
我が田舎の町にも出店されました。これによって、特別なお店ではなくなりました。買い物に行く特別感が激減したのは否めません。同じくマクドが我が町に出店したあとも特別感が大幅に喪失しました。アメリカの空気を持ってくる特別な店ではないです。日常に入り込んでくることはブランドイメージを重視するようになったユニクロとしては相反する課題です。袋にU296と書いてあったころのブランドイメージに戻ったかなとも思います。
いつも彼らはどこかにを読んだ。小川洋子の短編集はいつも難しい。いかにも文学って感じだけど、不思議と心地よい感じがするのが面白いと思う。
個人的に一番分かりやすくて感じ入ったのが、ビーバーの話だった。場面描写が美しくて脳裏にありありと浮かんでくるのが素敵だったし、ビーバーの生き様と登場人物の生き様をリフレインさせていいるのが理解しやすかった。質実剛健というとニュアンスが変わるのだろうけど、慎ましやかであることとか堅実に過ごすこととか着実に生きることを、あるいはそうあったことを讃歌している一編で読後感がとても良かった。
兎の話は熱に浮かされた人々の醜さというか残酷さが現れていた内容だったと思う。個人個人は取るに足らない悪しか持っていないのだろうに、大衆や群衆になるとこうも悪臭を撒き散らすのかって感じの物語で、ざらざらした読後感が残ってしまった。
小鷺の話は奇妙でユーモラスだったし、蝸牛の話は不気味でホラーちっくだった。馬の話は不安感を、チーターの話は喪失を描いていたんだと思う。犬の話は(他のもだけど)よくわかんなかった。
最後の竜の落し子の話もこれまたよく分かんなかったんだけど、場面がどんどん幻想的に、現実世界と地続きなのに風景画のような美しさに満ちていくのが印象的だった。先人たちが何かを書き残した洞窟だったり、鐘楼だけが突き出た湖だったり。美しい旅の話だった。
折角の短編集なので、一編一編じっくりと味わうのがいいと思う。一気に読むのは、いろんな作風の余韻が混ざり合って悪酔いするかのような感覚に陥るからおすすめしない。
とりあえず本が増えたので、収納することを考えた。
いろいろと本棚を検討してみた結果、作ってみることにした顛末記。
名品であった。幅80cm高さ180cm奥行き23cmの本棚軽く組み立てやすい。いろも白に近いグレーでよかった。残念ながら廃番。値段も8000円ほどだった。事務所家具を扱うホームセンターに売っていた。これが売っていれば、これを増備していた。
別のメーカーのホームシェルフと同じような本棚。あまり売っていない。値段も同じくらい。
ドウシシャのルミナスが入手しやすい。少し高いのと側面がないため、本を立てるための入れ物が必要。
1000円くらいから買える。本の重さに耐えられない。
・組み立て家具
ホームセンターでよく売っている。本を満載すると棚板がたわんでくる。
木工を楽しむことができる。とても丈夫なものができる。この2点が主なメリットになる。値段的には、工具や補助器具を考えると割高になるかもしれない。
図工が成績が4以上は必須。家具作りなので、直角を出す、寸法を正確にすることを守らないとごみしかできない。
時間がかかる。近隣に工作室があるホームセンターが必須。180cmの板が運べる車もあるとベター。
日本の家屋に使われている材料の寸法は91cmと182cmが基準になっている。
廊下の幅は、87cmくらいで、ドアの高さは、176cmくらいだ。
大工さんのセンスによって誤差はあるのだろうけど、元の材料がその寸法で流通しているので、効率よく部材を取るとこの基準に従わないと無駄が多くなる。
資材館のあるホームセンターで売っている材料も同じ寸法なのだが、欲張った設計にすると家の中を移動したり、引越しの際に運び出したりするときに困ることになる。
この家という入れ物の寸法と完成品の可搬性と材料を有効に使うことを考えた場合の棚の寸法は以下のようになった。
幅60cm
奥行き30cm
高さ170cm
この寸法であれば、ほとんどのドアや引き戸を通り抜けることができる。廊下を移動するにも困らない。
お金をかければ、より良い材料が手に入るのは間違いないが、高級な無垢材を使うのは見栄でしかないので、強度と価格面からお買い得な材料を選定した。
・針葉樹合板24mm 1820mmx910mm 参考価格2300円
この針葉樹合板は、あの日曜日の匠が出てくるリフォーム番組でよく出てくる材料の一つだ。
この板で棚を作りつけにして建物全体を補強という使い方を何度か見た。
お金があるならば、シナランバーコア材やパイン集成材を使えばより見栄えのよいものになる。
【木取り図1】(2枚) 1700 +-------------------------------------------------------------+ | | | 295 | | | +-------------------------------------------------------------+ | | | 295 | | | +-------------------------------------------------------------+ | | | | | 295 | | | | | +-------------------+-------------------+-------------------+-+ +-------------------+-------------------+-------------------+-+ 600 600 600 【木取り図2】(1枚) +-------------------+-------------------+-------------------+-+ | | | | | 295 | | | | | +-------------------+-------------------+-------------------+-+ | | | | | 295 | | | | | +-------------------+-------------------+-------------------+-+ | | | | | 295 | | | | | +-------------------+-------------------+-------------------+-+ +-------------------+-------------------+-------------------+-+ 600 600 600
この木取り図で作ると上で示した寸法よりも板の厚さの4.8cm分、横幅が広くなる。完全に棚の幅を60cmにおさめたい人は、60から4.8cmを引いた552mmに仕上げてもらえばよい。
この微妙な寸法は、最終的には置く場所次第で調整ができるのが、自作のよいところだ。
ホームセンターの工作室のカットサービスで、切ってもらおう。間違っても自分で切ってはいけない。棚板の幅を正確にすることが成功への鍵の一つとなる。
このホームセンターの「のこしろ」(のこぎりの刃の幅)は3mm。1mm以下の精度は保証できないとのことであった。自分で切るよりははるかに正確な材料ができるのは間違いない。
のこしろがあるので、「300」ではなく「295」にしてある。
棚板は15枚取れるので、2本の棚に載せるものにあわせてアレンジしよう。
いろいろなものの寸法を測った結果、40cm、31cm、25cm、20cmの組み合わせで適宜決めていく。板の厚さを計算に入れる必要があるので、表計算ソフトで数値を変えながら高さ170cmに収まるようにシミュレーションすると楽に設計ができた。
針葉樹合板が3枚(2300円x3=6900円)とカット代が約600円の合計7500円で、棚が2つできる。
木ネジ代が500円くらいかかるので、1本につき4000円の材料費になる。
4000円で買える同サイズの棚をホームセンターの家具売り場で確認していただければ、この針葉樹合板棚の比類なき実用性を実感していただけるのは間違いない。
電動ドリル これも家にあったのを使用。マキタ製。3mmのドリルを主に使った。3mmのドリルに取り付けて、9mmの穴も同時に開けられるアタッチメント(皿錐)も使った。
4つ目錐(キリ) ドリルで開ける穴の位置をキリを使って少し開けておく。
ドライバー コーススレッドをまわす。電動があれば楽ちん。激しく電動推奨。
コーナークランプ 板を直角に固定するクランプ。1個1600円。2個買ってきた。これは組み立てようとしたときにあまりの難易度の高さに組み立て方を調べて、コレを買うに至った。これがなければ、組み立て時の精度がまったくでなかったといっても過言ではない。
木ネジ
コーススレッドは、ありあわせの58mm太さ3.5mmを使用。家に余っていた。
パワーグリップ
軍手というか作業用の手袋。TOKIOのメンバーがDASH島での活動時に着用しているアレ。最近の商品は握力が1.3倍くらいなったかのような魔法にかかる。さらにトゲ対策になる。
定規を使って地味に行った。
工作用紙に穴の位置を書いた当てを作って、それを使ってケガいたほうがいいかもしれない。
キリを使って、穴の位置に軽く穴を開ける。少しへこませておくと、ドリルがぶれない。
キリでつけた目印に垂直にドリルで穴を開ける。穴を開ける場所の下には不要な板を置いておくと貫通したときに板が割れない。
ネジの頭が少し出ないようにするためには、ドリルの項に書いた皿錐で穴を2段構造にする。
上の棚板から順に組み立てていく。60cmくらいのダンボール箱を台にする。ここでコーナークランプの出番となる。しっかりと正確に板と板をつき合わせ、コーナークランプで固定する。
板の奥行きに誤差があったときは、見えない後ろのほうに誤差分を追いやって、正面の見栄えをよくしておくとよい。
棚板には穴が開いていないので、ドリルで側板の穴からさらに深く穴を開ける。穴を開け終わったら、木ネジをねじ込んで固定完了となる。
木ネジを家を作るときに使うドリル刃加工したものにするとさらに強度が上がるのと、棚板への穴あけ作業を省略できる。
電動ドリルを使って、クラッチがすべるまで締め上げるととても強度を上がる。
さらなる強度を求める場合は、木工用ボンドを塗るとより強度が増す。今回の設計では、やらなくても十分な強度が出る。
2枚目以降の板は、あて木を使って間隔を出していくとより精度が出る。
あて木もホームセンターで、適当な端材を切ってもらって作っておくといい。
ピッタリと間隔をだしたら、あて木ごとクランプで挟んで、固定する。
あて木を作っていない場合は、地道に定規で測る。
1枚目と同じ要領で、棚板に穴を開け、ネジを固定していく。
片側が終わったら、ひっくり返して反対側も同じ要領で組み立てていく。あて木とコーナークランプが組み立て精度上、とても重要な役割を果たしていく。
以上で、基本組み立ては完了となる。
12mmの合板にすると板の種類も選べるし、板1枚あたり1000円以下で手に入る。
そのときの率直な感想は、24mmにしておけばよかっただった。12mmでは、12mmの厚さを3等分した真ん中に60mmの長さの木ネジを正確にぶち込む必要がある。これはとても難しい。
重量による安定感が不足するので、重たいものが置けなくなる欠点がある。背面をラワンベニヤで補強すればいいのだが、棚の軽さを補うことはできないので、使い方が制限されてしまう。
結局組み立て時の簡単さと完成後の実用性と価格を考慮して針葉樹合板24mmを選択した。
本もOK、中身の入ったペットボトルを並べてもびくもしない質実剛健。それが今回のコンセプト。
さらに凝りたい人は、板に高級な材料を使ったり、木口テープを貼ったり、ニスやペンキで仕上げてみたり、ネジ穴をダボ埋めしてみたり、エイジングをしてみたり、耐震対策で壁に固定してみたりしてください。
通常の実用上は、無塗装でOKです。
ということで、気になった方はぜひ作ってみてくださいね。
健闘を祈ります。
初めてではない。毎週のように行きと帰りの二回、そのお店の前を歩いていたのだから。
水路のほとり、植えられた木々の合間から一面の田んぼを望む場所にそのお店はあった。
自宅から一時間半くらい歩いた場所で、自転車に乗ったとしても気合いやその日の気分では気軽に行きづらい場所だ。
佇まいは正直寂しい。
古民家に半分足を突っ込んだような家は漆喰の白さも土壁のクリーム色もなく
秋が下りてくる季節なのに、玄関から覗くお庭はいつも常緑樹の濃い緑色だった。
この季節、散歩の途中に立ち寄る神社の境内に踊る目の醒めるような多彩に目を肥やした身としては、
葉っぱが落ちなくて手間いらずというお庭の質実剛健な地味が物足りなく感じた。
後三十分歩けば、いつもお手洗いをお借りしてるコンビニがあって、身支度を整えても入りたい美味しい甘味屋があるのだから、立ち寄る意味もなかった。
そのお店、玄関の向こうに先日スポーツバイクに乗った男女の三人連れがすっと入っていくのを見てしまった。
お店の前で足を緩めていたので、明らかにそのお店に入るつもりだったのだろう。
驚いてしまった。そして気になった。お客さんがいる……そのことの何がそんなに自分の興味を惹いたのだろう。
帰り道に喫茶店に関するモヤモヤを言葉に落とすまでは近寄り難さ以外の印象は抱かなかったのに、
気づけばあのお店が脳裏のどこかで異彩を放っていた。
ただ石だと思ってたのがトロールに変わるような?お店に入れば、実は明るく姦しいオーナーが切り盛りしてるのかもしれない。室内はサイケデリックな発色だったり。そんなわけがないと打ち消すも、日曜日の残りの時間は疑問が渦巻くばかりだった。彼らは何処から来て何処へ行く予定だったのか。なぜあの時間に自分は通りかかったのか。
耳かきが好きだ。一日でも欠かすことは出来ない。
耳かきができないなんて状況は考えるだけで恐ろしくなる。
(でも旅先で耳かきを忘れ、家に帰ってきて数日ぶりにする耳かきも最高に気持ちがいい)
私のように耳かきを愛する人もいれば、耳かきが苦手だという人もいるだろう。
それは全く個人の好みであり、そのことについて私は興味を持っていない。
しかしながら日常的に耳かきをする人、耳かきが好きだという人に聞きたい。
あなたはその耳かき(ここでいうのは行為としての耳かきではなく、道具としての耳かき)を積極的に選んでいるのか、と。
薬局で売っている耳かきはほとんど全てが木製かプラスチック製だ。
まずあえて言おう、木製(あるいは竹製)の耳かきは総じて屑であると。
あれは先端ヘラ部の厚み(木製加工品の限界)と柄のしなりによってつるりつるりと獲物を逃し、ただひたすらに苛立ちを生む悪魔的道具だ。
しかしながら現在日本における耳かきシェアは木製とプラスチック製が多くを占めている気がする。
私が愛用、いや依存しているステンレス製の耳かき、これこそがベスト耳かきだ。
質実剛健なルックスは医療用品のようであり、適度な重みによるコントロール性と先端部のエッジは獲物を逃すことがない。まさしく耳かきの王者である。
今の耳かきを無くしてしまった時のことを考えて、いくつかの金属製耳かきを探して試してみたが、物によっては素材やヘラ部の厚みなどによって反響を起こすのか、大きなノイズを感じるものもあった。
あるいはワイヤー型や円盤型といった「変わり種」も試してみたが発掘型の私のスタイルには合わなかった。
結局私にとってはいつどこで手に入れたのかも忘れてしまった現在の耳かきが至高の耳かきなのである。
多くの人にぜひもう一度「耳かき」という道具を見つめなおして頂きたい。
金属製耳かきを賞賛するためにその他の耳かきをこき下ろしてしまったが、それぞれに一長一短があることは認めざるを得ない。
マイベスト耳かきを探す旅は遠く険しい物であるかもしれないが、それは十分に価値があるものだ。
カタツムリは生まれながらにして殻という「道具」をもつ変わった生き物だという。
私達の耳にもカタツムリがいることはよく知られたことだろう。
最近、ウェブデザインやらロゴやらでランサーズをよく使っている。
それこそ学生の課題だろコレってレヴェルの提案をドヤで提案してくる人もいれば
ふぇぇぇ、クオリティ高過ぎwこのレベルがこんなに安価でいいの?って人まで魑魅魍魎である。
ある程度かせいてフリーランスになったのか
実は何処かのデザイン会社に所属しているのか素性は定かではないが
なぜだか50代のデザイナーが目立って活動している場所がランサーズだ。
しかし、何度も回数を見るたびにどんどん深みが増してきて
最終的には一番いい提案ではないのか?という気分にさせられる物が多い。
さすがは歴戦のコンペを勝ち抜いたツワモノだ。
そんな事を感じた事が一度や二度はあるのではないだろうか?
オールスターも買えないじゃん。
今時は外見にあまりコストを掛けなくても、服ならユニクロとかのファストファッションをうまく組み合わせてまとめられないことはない。
でも髪と靴だけはそう簡単にコストダウンできないっての。
いわゆる安靴って、白基調のやたらボリュームのあるハイテクシューズか、黒とか焦げ茶でいかにも合皮って感じの「スニーカーみたいなの」ばっか。
あんなダサい靴をどうして履きたがるのか。あんなの間違っても質実剛健などではない。
たとえばスニーカーならオールスターやジャックパーセル、スタンスミスやカントリーやスーパースター、576や996や1400、エアフォースワン、プーマスエードとか、そういう靴が世の中では「手堅い」「無難」という。
ちなみにスニーカーは靴の中ではまだ安い方。ドレスシューズやブーツ系でまともの物はもっともっと高い。
それに男の場合、女よりもTPO的にスニーカーで許される場面は遙かに多いので、カネはかかりにくいし。
もし足幅や甲の高さが合わないならサイズアップすればいい。
とにかく、せっかく服がそこそこでも、靴がダメだと全てパーになるというか、ガッカリ感が半端ない。
たとえるなら、清楚なワンピの女の子の足下が絵に描いたような便所サンダルだったみたいなチグハグ感と言えば分かるだろうか。
とにかく悪目立ちするので、さっさと何とかして欲しいです。