はてなキーワード: 藤沢とは
神戸のクリスマスツリーの件で思い出したことをダラダラと書き殴っていく。
当時自分は専門学校生。高円寺のとある商店街の飲食店でアルバイトをしていた。
クリスマスシーズンに店長は1~1.5mくらいのなにかの針葉樹の鉢植えを買ってきて、ツリーの飾り付けをした。営業中の店内は暖房で乾燥しタバコの煙も充満。
植木には過酷な環境だった。水やりをするくらいしか世話もできなかったが、一ヶ月あまりのクリスマスシーズンをその木は枯れずに乗り切った。
クリスマスが終わると店長は飾り物をはがし、裸になった鉢植えの樹を指差し、粗大ゴミ※に出せと命じた。
は?生きてる木ですよ?なんで捨てるんですか?しかも粗大ゴミってなんなんですか?捨てるならなぜはじめから造花を買わないの?
怒りで目がグルグル回った。一通り抗議したが無駄だった。十人ほどの従業員のなかに賛同するものはなく、ただドン引きされた。
誰か別のアルバイトが街角の粗大ゴミ置き場に木を持っていった。
収集日まで数日の猶予があることを確認し、翌朝レンタカーを借り、荷台にツリーだった木を横たえ、環七、目黒通り、環八、第三京浜から横浜新道を通って、藤沢の実家までひとりで運んだ。
親に頼み込んで北側の庭に植えてもらった。幸い根付いた。強い木だった。今も生きている。立派な枝ぶりになった。垂れ下がるような茂り方なのでモミではなくトウヒのような気がする。庭木なので植木屋さんに剪定してもらっているから樹高は二階の屋根より低くなっている。あと100年生きるのだろうか。自分の死後こいつはどうなるだろう。
クリスマスが終わればゴミとして殺される木はあの頃も今も、毎年何万本も存在するのだろう。
バブルの頃から時代は流れ、サステナブルとか自然との共生とか生物多様性とか言われるようになったけど
今回の神戸のツリーのニュースを見た瞬間、あの高円寺のときと同じ怒りがふつふつと沸き上がってきた。なにも変わってないじゃん。
いやもっと悪いよ。鎮魂とか復興の象徴とか輝けいのちとか、心にもないお題目ならべてるところがね。樹の命なんて毛ほども考えてないくせに。
いっそ正直に、集金集客のため大木を引っこ抜いてツリーにするけど用が済んだらバラバラにして売るからね、樹には被災者の鎮魂のための生け贄になってもらったってことでいいよねって言ってた方がここまではムカつかなかったよ。
でもしかし割り箸だって材木だって同じことだろう?いや同じだろうか?間伐材は仕方ないよな?
食べる野菜はどうなんだ?牛や鶏は?かわいそう?矛盾してないか?
ずっとずっと、考えてきたが答えは出ない。
他の生き物の命を奪わないと生きていけないのに
時として他の生き物に愛着を持ってしまうのはなぜなのだろう?神が与えた罰なのか?
人は生きていくために樹木の命をもらってきた。雨露しのぐ快適な住居のため。暖をとる燃料のため。箸や器、さまざまな家具や道具。
集客のためという経済活動、お祭りで神に供える宗教的行為も広義では生きていくために入るのかもしれない。
イベントで巨木を抜いた。乱暴なやり方だしたぶん枯死するよ。でも経済活動のため。うん、それはわかるよ。時には仕方ないよね。
でもどうしても腹が立つんだ。理屈じゃないんだ。抑えられない怒りがこみ上げてくるんだ。DNAに刷り込まれたアニミズム、精霊信仰なんだ、きっと。
少数派か多数派かはわからない。今はネットで自分に近い意見を探せる時代だから多数派と錯覚することもできる。
古いものには霊魂が宿る。老木は神になる。長生きした猫は猫又になる。(なってほしい)うちも築100年を越え、梁に愛国婦人会って金属のステッカーが貼ってあるけどなんなのこれ。よくわからないけどこわくて剥がせない。
栗の柱は黒くてつやつや。100年前にうちを建てるために先祖が殺してごめんなさい。これからも大事に住むから許してください。
クリスマスツリープロジェクト反対署名のサイトも見た。7千人以上集まってるじゃないか。すげえ。
結構いるんだ。自分だけが頭おかしい人なのかとずっと思ってたよ。
経済学者が、コピーライターが、役人が何を言っても変えられないよ。
土着信仰だ。原始人だ。老害だ。田舎者だ。うん、その通りだね。嗤いたければどうぞ嗤って。
店長は売り上げをちょろまかしていたことがオーナーにバレて闇社会の人に追われていると聞いた。
そのオーナー自身も千葉でのゴルフ場開発にからんだ揉め事で商店街のビルを手放すことになった。
糸井重里はバブルのころからあんなだったし、自分も上で書いた通りあの頃と同じだ。
時代が変わって糸井のやり方は受け入れられなくなってきたのだろうか?
もう少し推移を見守ろう。
※当時はごみの分別は今よりずっとゆるかったし粗大ゴミも申し込み制ではなかった。確か。(あるいは資源ゴミだったか記憶が定かではない)
11/30追記 署名8500人越え。樹木の一部を使ったバングルを販売する予定だったフェリシモは、販売中止を発表。主催者は後出しでいろいろ発表。当初は「植樹」と言っておきながら「移植は無理だった」ウソつきか。知ってた。あと、樹木の命について考えるきっかけを与えてやった、みたいなことを言ってやがるのも腹立つ。こちとら1970年代から今日まで考えてるわ。答えは出ないがな。
12/1追記 「嫌なら見に来るな」あ?公園に晒しといて何いってんの?・・・急に署名が増えて1万人越えに…まとめサイトおそるべし
12/2追記 1万5千人
東京には10年住んだが人の多さに息苦しくなり、たまたま某はてなブログで見た藤沢市の紹介記事を見て、海もほど近いし、都内までも乗り換えなしで行けるし、と春に引越しをした。
だがしかし、海に散歩に出向いていたのもはじめのうちだけで、今は人の少なさや店の少なさに嫌気がさしてきてしまった。飲食店なんかも都内の定食屋の方がよっぽど安い。
田舎と言っては悪いのかもしれないが、何故かジロジロ見てくる人がよくいる。ぐちゃぐちゃな外見はしていないつもりだ。
話し声がすると周りが静かな分やたら耳につく。海に行くと集団がなんだか怖い。駅周辺にいる若者や高校生もこの辺だと威圧感があり怖い。
それに今まで催し物など都内だから何かと近かったのだが、藤沢からだと場所によるが片道二時間もかかったりで、元来田舎者の自分には、昔実家から足繁く通った頃に戻った様で悲しくなる。
https://anond.hatelabo.jp/20170830160906
国内の某大学理数系学科を卒業後、欧米の研究機関にて計算科学の分野で博士号を取得。世界的なジャーナルに多数の学術論文が掲載される。欧米の大学院でしばらく教鞭についた後、某外資系投資銀行にクオンツとして就職。現在、国内外のヘッジファンド等のクライアントや社内のトレーダーのために、金融工学を駆使した計量モデルの研究・開発に従事している。
欧米の研究機関にて、理論物理学の分野で博士号を取得。科学者として多数の学術論文を発表した。その後、外資系投資銀行に転身し、マーケットの定量分析、トレーディングなどに従事。おもな著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』(ダイヤモンド社)、『「反原発」の不都合な真実』(新潮社)がある。
欧米の研究機関にて、計算科学、理論物理学の分野で博士号を取得。科学者として多数の学術論文を世界的なジャーナルに発表する。その後、外資系投資銀行に転身し、経済動向の予測、リスク管理、トレーディングなどに従事している。おもな著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』(ダイヤモンド社)がある。言論サイト「アゴラ」のレギュラー執筆陣のひとり。
・新潮社
藤沢/数希
欧米研究機関にて、計算科学、理論物理学の分野で博士号取得。その後、外資系投資銀行で市場予測、リスク管理、経済分析に従事しながら、言論サイト「アゴラ」に定期寄稿する
理論物理学研究者、外資系金融機関を経て、作家。「金融日記」管理人。著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』、『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』、『「反原発」の不都合な真実』、『外資系金融の終わり』、『ぼくは愛を証明しようと思う。』などがある。
藤沢/数希
理論物理学研究者、外資系金融機関を経て、作家。「金融日記」管理人
理論物理学研究者、外資系金融機関を経て、作家。「金融日記」管理人。著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』、『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』、『「反原発」の不都合な真実』、『外資系金融の終わり』、『ぼくは愛を証明しようと思う。』などがある。
・アゴラ
理論物理学、コンピューター・シミュレーションの分野で博士号取得。欧米の研究機関で研究職に就いた後、外資系投資銀行に転身。以後、マーケットの定量分析、経済予測、トレーディング業務などに従事。また、高度なリスク・マネジメントの技法を恋愛に応用した『恋愛工学』の第一人者でもある。月間100万PVの人気ブログ『金融日記』の管理人。ツイッターのフォロワー数は7万人を超える。
アベノミクスの終わり~13年
理論物理学、コンピューター・シミュレーションの分野で博士号取得。欧米の研究機関で研究職に就いた後、外資系投資銀行に転身。以後、マーケットの定量分析、経済予測、トレーディング業務などに従事。また、高度なリスク・マネジメントの技法を恋愛に応用した『恋愛工学』の第一人者でもある。月間100万PVの人気ブログ『金融日記』の管理人。ツイッターのフォロワー数は7万人を超える。
リスクマネジメントを売りにしている。
・幻冬舎
ぼくは愛を証明しようと思う。~15年
物理学Ph.D. 海外の研究機関で計算実験の研究、外資系投資銀行でトレーディング業務などに従事した後、作家、投資家として独立。日本、アジア、欧米諸国の恋愛市場で培った経験と学生時代より研究を続ける進化生物学の理論、さらには、心理学や金融工学のリスクマネジメントの技法を取り入れ「恋愛工学」という新しい学問を創出。日本有数の購読者数を誇るメールマガジン「週刊金融日記」では恋愛工学の最新の研究論文が発表され、メンバー間で活発に議論が行われている。名実ともに日本最大の恋愛研究コミュニティである。 著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか』『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』『外資系金融の終わり』(以上、ダイヤモンド社)、『反原発の不都合な真実』(新潮新書)など。
藤沢/数希
物理学PhD。海外の研究機関で計算実験の研究、外資系投資銀行でトレーディング業務などに従事した後、作家、投資家として独立。日本、アジア、欧米諸国の恋愛市場で培った経験と学生時代より研究を続ける進化生物学の理論、さらには、心理学や金融工学のリスクマネジメントの技法を取り入れ「恋愛工学」という新しい学問を創出
自称投資銀行クオンツ・マーケティング・トレーディング実際はアムロ銀行バックオフィス、
自称物理学だが専攻はシミュレーション・計算実験を利用した計算科学?
リスクの扱いが売り。
https://anond.hatelabo.jp/20170830160906
鈴木おさむと東村アキコがラジオで言ってたけど、恋愛工学の藤沢さんってめっちゃ変わり者らしい。人の話をまるで聞かないのだと。鈴木さんがいじってたからなんとか場が持ったけど、そのフォローがなければただのかなり痛い感じのやつだったと。東村アキコはリアルに不快に思ってる感じだった。
恋愛工学の開祖で年収2億の藤沢数希さん、うしじまいい肉さんと一人3万円の寿司屋でデートして、メルマガでボロクソに言われる。
参考 藤沢数希のまとめ http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisaw/
----------------
藤沢数希はアムロのバックオフィス(三流の金融商品開発やトレードでも営業=フロントですらなく)だった事がほぼ確定。
収入は現実でもネット上でもメルマガぐらいで与沢翼と同じ詐欺の模様。
藤沢数希がやっていることは新手のネットワークビジネス。
与沢翼の信者ビジネスとアムウェイのような洗脳ビジネスの合成。
稼ぎ方を売ると高額商品で連鎖取引にも抵触するためぼかして有益な情報とし、引き込んだコミュニティでマルチまがいの集団洗脳を行う。
----------------
ブログに2008年09月に会社が逝ったと書いているが、ABNアムロ銀行も同年同時期に経営破綻しそうになりオランダに国有化されているので藤沢数希の勤め先はアムロ銀行と言うのは確定。
あれだけ偉そうな藤沢が営業は頭が必要だと言っている事と金融商品のプレゼンが入社試験だった事からみて初めは営業マンだった可能性はある。
恋愛工学は営業論にもルーツがあったとのうわさあり。おそらく最初に入社したのは日本の企業、やはり国際証券か。
著作では専攻は計算科学と理論物理と書いてあり意味不明だが、察するにコンピューターシミュレーションの事か。
理論分野でなくせいぜい統計処理やプログラムの実行ができると言った程度でそもそも物理学は素養から一切ないのでありえない。
生物学が少し好きなよう。ハードサイエンスについて少しでも意味のある発言をした事はない。
統計屋のトレーダーであってプログラムは自力で組めないのではないか。
自称ではクオンツかつプロップトレーダーでポートフォリオやデリバディブの研究や運用をしていたと言うが
「クオンツで数学を使うのは日本で少なく文系でもなれる。金融商品開発ではプログラムが使えればよく文系もいる。トレードや運用でも同じ。」と言っている。
当人は理系でも数学スキルが低く半端仕事しかした事がないのでは?
ブログやアゴラ記事をみるに多少数学的な話題を書いている場合もせいぜい経済学の初歩的な事や統計処理のみで経済関連では本当に初歩的ばかりか間違いも散見される。
クオンツと言っても字義的な量的に考える仕事を指しているのであって、数学や物理学のような研究職ではないと思われる。
著作の内容もブログやアゴラの記事と同様同じ程度で、インターネットや新書に載っている事を引っ張ってきた以上の事は書いていない。
社会の考察はほぼクリティカルな経済の話題ではななく一般的な時事に反応するだけで、内容も格差を認め規制をなくし競争させればよい程度のいわゆる新自由主義以上の事は言っていない。
金融関係の記事は部外者が業界や企業について調べたような視点と見方と情報のみ。
またクオンツ以外の広義の経済分析も、記事はワイドショーに使われるようなグラフを示しまるでみちびかれそうにない拙い思い付きを並べているだけでアカデミズムとも関係なく意味も価値もないような代物。程度が知れる。
クオンツやマーケティング、トレーダーを自称するにもかかわらず、実際に具体的な洗練された経済分析や予測はしてみせたことがない。
本業だとしてもどうしても考え方や言っても問題ない事は自然と口にしてしまうはずだが(あるいはサービスするはずだが)、少しも実務の話や従事を感じるような発言をした事はない。
時折抽象的な事は言うがどれもこれも大外れでその度に言い訳をしている。とてもではないが経済の分析を仕事にできるような能力や経験があるとも仕事をして情報に触れてきたようにはみえない。
以上から推測するに、もしかすると本当は元々『『藤沢数希は国内証券会社の営業マンだった』』可能性が高い。
金融を少し勉強し、もしかするとわずかにトレード技術や業務にも携わった事があるのか。
あるいは外資系アムロに転職しバックオフィスで一般職からみたような経験でブログを書こうとしたのではないか。
理論物理学研究者だの外資系金融機関だのクオンツだの高給トレーダーだのと言うのは藤沢の詐偽。
それが目を惑わしているだけで、事実を直視すれば無知無能なはったりだけの卑小な男がいるだけではないか。
ミドル(管理やクオンツ)ではなくフロントでもリサーチなりアナリストやマーケット・トレーダーではなくセールス(営業)だったか、もっと言えば一番可能性が高いのはバックオフィスだった。
金融日記が始まった当初はまだ外資系金融マンが発言する事自体が珍しくそこに目をつけ思った以上に嘘が評判になったが、ネタが元からそれ以上なかったために恋愛工学にシフトしていったのではないか???
----------------
藤沢数希には金融・経済の基礎知識もなく、経済学や自然科学の理解もなく、トレーダーやアナリストの経験もない。
ゴールドマンサックスやリーマンブラザーズではないABNアムロの、アカデミズムも関係がない研究職なりクオンツでもなく金融マンでもないバックオフィス。
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https://anond.hatelabo.jp/20170829145058
鈴木おさむと東村アキコがラジオで言ってたけど、恋愛工学の藤沢さんってめっちゃ変わり者らしい。人の話をまるで聞かないのだと。鈴木さんがいじってたからなんとか場が持ったけど、そのフォローがなければただのかなり痛い感じのやつだったと。東村アキコはリアルに不快に思ってる感じだった。
恋愛工学の開祖で年収2億の藤沢数希さん、うしじまいい肉さんと一人3万円の寿司屋でデートして、メルマガでボロクソに言われる。
https://anond.hatelabo.jp/20170829145058
国内の某大学理数系学科を卒業後、欧米の研究機関にて計算科学の分野で博士号を取得。世界的なジャーナルに多数の学術論文が掲載される。欧米の大学院でしばらく教鞭についた後、某外資系投資銀行にクオンツとして就職。現在、国内外のヘッジファンド等のクライアントや社内のトレーダーのために、金融工学を駆使した計量モデルの研究・開発に従事している。
欧米の研究機関にて、理論物理学の分野で博士号を取得。科学者として多数の学術論文を発表した。その後、外資系投資銀行に転身し、マーケットの定量分析、トレーディングなどに従事。おもな著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』(ダイヤモンド社)、『「反原発」の不都合な真実』(新潮社)がある。
欧米の研究機関にて、計算科学、理論物理学の分野で博士号を取得。科学者として多数の学術論文を世界的なジャーナルに発表する。その後、外資系投資銀行に転身し、経済動向の予測、リスク管理、トレーディングなどに従事している。おもな著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』(ダイヤモンド社)がある。言論サイト「アゴラ」のレギュラー執筆陣のひとり。
・新潮社
藤沢/数希
欧米研究機関にて、計算科学、理論物理学の分野で博士号取得。その後、外資系投資銀行で市場予測、リスク管理、経済分析に従事しながら、言論サイト「アゴラ」に定期寄稿する
理論物理学研究者、外資系金融機関を経て、作家。「金融日記」管理人。著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』、『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』、『「反原発」の不都合な真実』、『外資系金融の終わり』、『ぼくは愛を証明しようと思う。』などがある。
藤沢/数希
理論物理学研究者、外資系金融機関を経て、作家。「金融日記」管理人
理論物理学研究者、外資系金融機関を経て、作家。「金融日記」管理人。著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』、『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』、『「反原発」の不都合な真実』、『外資系金融の終わり』、『ぼくは愛を証明しようと思う。』などがある。
・アゴラ
理論物理学、コンピューター・シミュレーションの分野で博士号取得。欧米の研究機関で研究職に就いた後、外資系投資銀行に転身。以後、マーケットの定量分析、経済予測、トレーディング業務などに従事。また、高度なリスク・マネジメントの技法を恋愛に応用した『恋愛工学』の第一人者でもある。月間100万PVの人気ブログ『金融日記』の管理人。ツイッターのフォロワー数は7万人を超える。
アベノミクスの終わり~13年
理論物理学、コンピューター・シミュレーションの分野で博士号取得。欧米の研究機関で研究職に就いた後、外資系投資銀行に転身。以後、マーケットの定量分析、経済予測、トレーディング業務などに従事。また、高度なリスク・マネジメントの技法を恋愛に応用した『恋愛工学』の第一人者でもある。月間100万PVの人気ブログ『金融日記』の管理人。ツイッターのフォロワー数は7万人を超える。
リスクマネジメントを売りにしている。
・幻冬舎
ぼくは愛を証明しようと思う。~15年
物理学Ph.D. 海外の研究機関で計算実験の研究、外資系投資銀行でトレーディング業務などに従事した後、作家、投資家として独立。日本、アジア、欧米諸国の恋愛市場で培った経験と学生時代より研究を続ける進化生物学の理論、さらには、心理学や金融工学のリスクマネジメントの技法を取り入れ「恋愛工学」という新しい学問を創出。日本有数の購読者数を誇るメールマガジン「週刊金融日記」では恋愛工学の最新の研究論文が発表され、メンバー間で活発に議論が行われている。名実ともに日本最大の恋愛研究コミュニティである。 著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか』『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』『外資系金融の終わり』(以上、ダイヤモンド社)、『反原発の不都合な真実』(新潮新書)など。
藤沢/数希
物理学PhD。海外の研究機関で計算実験の研究、外資系投資銀行でトレーディング業務などに従事した後、作家、投資家として独立。日本、アジア、欧米諸国の恋愛市場で培った経験と学生時代より研究を続ける進化生物学の理論、さらには、心理学や金融工学のリスクマネジメントの技法を取り入れ「恋愛工学」という新しい学問を創出
自称投資銀行クオンツ・マーケティング・トレーディング実際はアムロ銀行バックオフィス、
自称物理学だが専攻はシミュレーション・計算実験を利用した計算科学?
リスクの扱いが売り。
参考 藤沢数希のまとめ http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisaw/
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藤沢数希はアムロのバックオフィス(三流の金融商品開発やトレードでも営業=フロントですらなく)だった事がほぼ確定。
収入は現実でもネット上でもメルマガぐらいで与沢翼と同じ詐欺の模様。
藤沢数希がやっていることは新手のネットワークビジネス。
与沢翼の信者ビジネスとアムウェイのような洗脳ビジネスの合成。
稼ぎ方を売ると高額商品で連鎖取引にも抵触するためぼかして有益な情報とし、引き込んだコミュニティでマルチまがいの集団洗脳を行う。
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ブログに2008年09月に会社が逝ったと書いているが、ABNアムロ銀行も同年同時期に経営破綻しそうになりオランダに国有化されているので藤沢数希の勤め先はアムロ銀行と言うのは確定。
あれだけ偉そうな藤沢が営業は頭が必要だと言っている事と金融商品のプレゼンが入社試験だった事からみて初めは営業マンだった可能性はある。
恋愛工学は営業論にもルーツがあったとのうわさあり。おそらく最初に入社したのは日本の企業、やはり国際証券か。
著作では専攻は計算科学と理論物理と書いてあり意味不明だが、察するにコンピューターシミュレーションの事か。
理論分野でなくせいぜい統計処理やプログラムの実行ができると言った程度でそもそも物理学は素養から一切ないのでありえない。
生物学が少し好きなよう。ハードサイエンスについて少しでも意味のある発言をした事はない。
統計屋のトレーダーであってプログラムは自力で組めないのではないか。
自称ではクオンツかつプロップトレーダーでポートフォリオやデリバディブの研究や運用をしていたと言うが
「クオンツで数学を使うのは日本で少なく文系でもなれる。金融商品開発ではプログラムが使えればよく文系もいる。トレードや運用でも同じ。」と言っている。
当人は理系でも数学スキルが低く半端仕事しかした事がないのでは?
ブログやアゴラ記事をみるに多少数学的な話題を書いている場合もせいぜい経済学の初歩的な事や統計処理のみで経済関連では本当に初歩的ばかりか間違いも散見される。
クオンツと言っても字義的な量的に考える仕事を指しているのであって、数学や物理学のような研究職ではないと思われる。
著作の内容もブログやアゴラの記事と同様同じ程度で、インターネットや新書に載っている事を引っ張ってきた以上の事は書いていない。
社会の考察はほぼクリティカルな経済の話題ではななく一般的な時事に反応するだけで、内容も格差を認め規制をなくし競争させればよい程度のいわゆる新自由主義以上の事は言っていない。
金融関係の記事は部外者が業界や企業について調べたような視点と見方と情報のみ。
またクオンツ以外の広義の経済分析も、記事はワイドショーに使われるようなグラフを示しまるでみちびかれそうにない拙い思い付きを並べているだけでアカデミズムとも関係なく意味も価値もないような代物。程度が知れる。
クオンツやマーケティング、トレーダーを自称するにもかかわらず、実際に具体的な洗練された経済分析や予測はしてみせたことがない。
本業だとしてもどうしても考え方や言っても問題ない事は自然と口にしてしまうはずだが(あるいはサービスするはずだが)、少しも実務の話や従事を感じるような発言をした事はない。
時折抽象的な事は言うがどれもこれも大外れでその度に言い訳をしている。とてもではないが経済の分析を仕事にできるような能力や経験があるとも仕事をして情報に触れてきたようにはみえない。
以上から推測するに、もしかすると本当は元々『『藤沢数希は国内証券会社の営業マンだった』』可能性が高い。
金融を少し勉強し、もしかするとわずかにトレード技術や業務にも携わった事があるのか。
あるいは外資系アムロに転職しバックオフィスで一般職からみたような経験でブログを書こうとしたのではないか。
理論物理学研究者だの外資系金融機関だのクオンツだの高給トレーダーだのと言うのは藤沢の詐偽。
それが目を惑わしているだけで、事実を直視すれば無知無能なはったりだけの卑小な男がいるだけではないか。
ミドル(管理やクオンツ)ではなくフロントでもリサーチなりアナリストやマーケット・トレーダーではなくセールス(営業)だったか、もっと言えば一番可能性が高いのはバックオフィスだった。
金融日記が始まった当初はまだ外資系金融マンが発言する事自体が珍しくそこに目をつけ思った以上に嘘が評判になったが、ネタが元からそれ以上なかったために恋愛工学にシフトしていったのではないか???
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藤沢数希には金融・経済の基礎知識もなく、経済学や自然科学の理解もなく、トレーダーやアナリストの経験もない。
ゴールドマンサックスやリーマンブラザーズではないABNアムロの、アカデミズムも関係がない研究職なりクオンツでもなく金融マンでもないバックオフィス。
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ヤングキングで連載しているヤクザ漫画「ドンケツ」が、コンビニコミックになる際は「任侠ヤクザ」というタイトルに改題するんだけど、すげえ気持ち悪い。なぜ元のタイトルのままではダメなのか。改題するにしても、もっと別のものがあるだろう。
「サッカー」「麻雀」みたいな、そのまんまのタイトルが初期のファミコンっぽくて古くささすら感じる。
で、この「ドンケツ」って漫画、「クローズ」の高橋ヒロシ先生の絵柄そのまんまである。
ヤングキング、ヤングチャンピオンのヤンキー・ヤクザを描くアウトロー漫画は、それぞれ作家が違っても必ず高橋ヒロシそのまんまの絵柄である。
ヤンキー漫画はこの絵柄じゃないといけないみたいな決まりがあるのか?
一時期の少年マガジンも、カメレオン以外のヤンキー漫画は全部藤沢とおるそのまんまの絵柄だったし。
やたらと吹き出し外に「!?」を多様する藤沢節もそのまんま継承してるし。
ヤンキー漫画は、なんかひとつヒット作が出ると別の作家でも以後絵柄を統一しなければならないのだろうか。
謎だ。
農村においては、男女は夫婦を形成していたが、夫婦間を越えた乱交は一般的であり百年前ほど前の長野においては夫が妻に昨日は誰とやったのかを特に攻めるわけでもなく尋ねていたようだ。
つまり形式上は夫婦でも実際のところ村における乱婚に近い形だったのである。
こんな関係においてはパートナー獲得にコミュニケーション能力など要らず
現に少し前までこれに近い形式が残っていたブータン人などは人前でのスピーチの方が友達の女にセックスを頼むより緊張するとのことだった。
まず
第一に男女ともいろんなパートナーとsexができて飽きることがすくない。
第二に若い頃からsexができて年を食っても若い相手とsexができる。
第四に村内でパートナー交換をしているため出来てくる子供も赤の他人に託卵される可能性は少ない。最悪ある程度の血の繋がりがある。
第六に性の教育制度が充実しセックス下手が著しく減り、痛いセックスが減る。
http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20170202/1486027602
このブログ記事は、「女性蔑視はやめろ。性犯罪はやめろ。相手の自由意志を奪ってセックスに持ち込むのは人権侵害だ」という主張をしておけば済むでしょう。
それにもかかわらず森岡さんは、非モテ男が理想的な恋愛・セックスをやる方法をについて語っておられます。そこが唐突だし、押し付けがましいし、私はあなたのそういうところが本当にイヤです。
>>女性蔑視に陥ることなく、ひとりの好きな人と付き合い続けていけるやり方を伝えよう
>>長続きする恋愛に必要なのは、相手を尊重できること、相手の立場に立てること、相手に共感できること、相手の幸せを願えることである。そのベースができてはじめて、我々は恋愛技術と性愛のテクニックを互いの快楽のために肯定的に開花させることができる
↑ 私はこの手の語り口をたいへん欺瞞的に感じるのです。
まず第一に、森岡は個人の幸福と政治的正しさをまるで一致するものであるかのように語っている。この点こそが彼の最大にして最悪の欺瞞である。
私はこの二つのあいだに深い断絶、矛盾・対立があると思っている。ふつうの人は誰しも政治的に正しくないことをやりたい願望があるはずだ。もちろん他人に優しくしたり、社会を良くしたいと求めるのは人間の本性だが、同時にまた、自己中心でわがままな願望を持ってしまうことも人間の本性なのである。
森岡が言っている「相手を尊重できること、相手の立場に立てること、相手に共感できること、相手の幸せを願えること」は政治的に正しい。これは文句のつけどころがない。しかし、例えば私自身の性的欲望をかえりみて言わせてもらうと、そんなものは真っ平ごめんだ。つまり「自分さえよければいい、1回だけセックスできればいい、女をやり捨てしてやりたい」と考えてしまうのだ。あと他には「レイプしてやりたい」という攻撃的欲求だってある。
さすがにいささか露悪的な告白になりすぎたが、人の欲望というのは、多かれ少なかれ、政治的に正しくないものや反社会的なものを含んでいる。私は決してこの欲望を肯定しろと言いたいのではない。無視するな、ごまかすなと言っているのである。
例えば「女性蔑視はやめろ。性犯罪はやめろ。相手の自由意志を奪ってセックスに持ち込むのは人権侵害だ」という主張について分析してみよう。これは私のような男の欲望を無視していない。きっちりと敵対して抑えこむという形式を取っているのだ。
それに比べると、森岡の語りはこの敵対性をごまかしている。ごまかすどころか、味方のふりをして内心に踏み込んでくる。自分にとって何が幸せなセックスなのか、それは私が決めるべきことであって、他人から上から目線で定義されたくはない。この点で森岡の語りはデリカシーがなく不愉快だ。
第二には、森岡の主張に対し、私は倫理的な意味においても反感を覚えた。
エサ(※この場合は恋愛・セックス)を目の前にたらして、それがほしかったらミソジニーをやめろ、人権思想を信奉しろというのである。
これほど人をバカにした話があるか。利益誘導によって人を説得するのは、そうすること自体がきわめて倫理に反する。例えばもし長続きする恋愛なんかほしくない、共感なんかいらない、女性蔑視しながらセックスするのが好きだという男がいた場合、森岡は恋愛工学をすすめるつもりだろうか。
それにそもそも、ここで森岡が使っている“エサ”は空手形に等しい。キモくて金のないオッサンが森岡のメソッドを実践しても、まあたぶんぜったいに幸せな恋愛も幸せなセックスもできない。オッサンではなく若者だって、うまくいかない者はいる。森岡がリベラルやフェミニズムの正義をふりかざすのは勝手だが、「これを信じれば幸せになれるぞ」という嘘と欺瞞でそれを糊塗することだけはやめてくれ。
第三に、リベラルの観点から考えてみるなら、森岡の言っていることが正しいかというと疑問符がつく。
森岡のブログ記事は性暴力はダメ、人権侵害だからダメという政治的な話をしているのかと思ったら、唐突に“僕の考えた最高のセックス”について語り始めた。そしてこれがいかにもポリコレに沿ったものであるから、リベラル思想の信奉者たちに受けがよさそうなものだった。
しかし、私は森岡の持論をむやみに賞賛するのはよくないと思う。本来リベラルの立場としては、性暴力などの明らかな人権侵害を<悪>と定義してそれを法律で抑制するとか、女性差別についてもやはり<悪>と定義してそれを無くしていく方針をとるべきだ。この方針は、個人がそれぞれ内心に持っている<善>・<幸福>の価値観に介入するということと、いくらか重なりあう部分もある。だが、この二つを混同してはならない。われわれが社会の構成員に対して<悪>の定義を強制することと、<善>・<幸福>の定義を強制することは、根本的に性質が異なる。
森岡があの記事で語っている“僕の考えた最高のセックス”の主張は、あからさまに後者に該当する。リベラルの立場からは「性暴力は犯罪だ」とだけ言っておけばすむし、仮になにか道徳的な言及をするとしても「女性蔑視はよくない」という話に留めるべきだ。そのさきは個人の自由にゆだねればよく、むしろ安易に優劣をつけたり価値判断をはさむことは慎まなければならないだろう。だから森岡のように「政治的に正しくて理想的なセックスを目指しなさい」などと他人に要請するのは不適切なおこないだ。
彼が非モテの男にアドバイスをすること、“僕の考えた最高のセックス”を力説することは、まったくの自由だと思う。しかし、それは現実に起こった性犯罪の事件にからめて言うべきことなのか?
森岡は自著『草食系男子の恋愛学』を引用して、「女性蔑視に陥ることなく、ひとりの好きな人と付き合い続けていけるやり方」をすすめている。たしかにそれ自体は素晴らしいことかもしれない。だが、それは性犯罪とは直接関係がない。
これは性犯罪があったとき、男に代替となるセックスの利用をすすめる論法に似ている。すなわち、「風俗に行けばレイプなんかしなくてすむ」とか「嫁か彼女をつかって性欲を発散しておけ」というゲスな意見のことだ。もしそれを真顔で言っているならばドン引きだけれども、森岡が今回やっていることからはそれに通底するものを感じる。
「18歳〜22歳の恋愛工学生が増加しつつも、どうやら彼らは中々結果を出せていないようです。そりゃそうだ。恋愛工学はその成り立ちからして"20代後半〜40代の男性向け"の理論なのだから、大学生が実践したところで結果を出せるわけがない」というツイートをしたところ、かなりの反響を貰いました。どうやらここ最近、恋愛工学が巷で話題になったためか、モテを志す若い工学生も増えているようです。しかしそういった人たちは、すぐに使えるトークスクリプトや恋愛理論にばかり目がいきがちです。そのため先のようなツイートがウケたのでしょう(実際、恋愛工学が大人の男性向けの理論だということを知らない人も多いようでした)。
そこで、今回は恋愛工学の成立を振り返ることにしてみました。勢いのままにバーッと書いたので、文章はとっ散らかっていますがご容赦ください。とはいえ、最近恋愛工学を知ったばかりだ、という人はぜひ読んでほしい内容になっています。
おべんきょうのじかんだよ!
2012年4月、藤沢数希所長が自身のメルマガ「週刊金融日記」で恋愛工学を提唱し、読者からの支持を集めました。かつて金融業界で働いていた藤沢所長が、そこで学んだ金融工学の考え方を恋愛に活かした"恋愛工学"は、いわゆるビジネスマン、経営者といった層の人たちから理解を得ることに成功したのです。離婚の経済学、スタスティカル・アービトラージ、Good DadやGood Genes。そういった恋愛工学の基礎的な単語もこの頃に普及したと思われます。
また、週刊金融日記の読者が恋愛相談を投げかけ、藤沢所長がそれに答えるといった形でメルマガが展開。藤沢所長の単純明解でバッサバッサと切り捨てる答え方が人気を博し、読者数が次第に増加しました。Kgoさんやタカシさん、ゴッホさん達の時代です。
そして、次第にメルマガ読者が独自の恋愛理論や恋愛テクニックを週刊金融日記に投稿するようになりました。議論は毎週活発に行われ、読者の中には童貞を卒業したり、有名になって雑誌にインタビューを受ける人も現れました。代表的な例はトリケラスクリプトなどでしょうか。また、恋愛工学生はメルマガだけでなくTwitterでも絡むようになっていきました。
2014年8月、恋愛工学のはじまりから2年と少しが経った頃のことです。株式会社ピースオブケイクが運営する媒体noteで「僕は愛を証明しようと思う。」の第1話が公開されました。非モテだったわたなべ君が、恋愛工学の理論をもとに次第にモテる男になっていく姿に、工学生たちは熱狂。毎週更新されていく先が見えないストーリー展開、登場する聞き覚えのある単語やデートスポット…それらも僕愛が人気を博した理由だと思われます。そして、2015年冬、月刊アフタヌーンにて「僕愛」の漫画版が連載開始。エロ漫画出身の井雲くすが作画担当についたこともあり、まずまずのヒット。このあたりから一気に恋愛工学を知る人が増えていった印象です。
そして、2016年の恋愛工学界隈は「オリジナルコンテンツ」の年でした。3月にPuAndaさん、タカシさん、モテツクさんが"恋愛サロン"を開始したのを皮切りに、みのさんの"ボディメイクサロン"、にゃんぱすさん・高城さんの"就活工学"、シンガさんにの"セクトレ講座"・"ネトナンのためのプロフィール写真撮影会"、ダンサーさんの"カラオケ工学研究所"、じーざすさんの"競馬工学"など、各自がおのおのの強みを活かしたオリジナルコンテンツを持ち、販売するようになりました。また、有料版noteを使ったトークスクリプトや恋愛理論の販売も行われていました。彼らのツイートを見るに、ビジネスと恋愛の両立、というのがメインテーマにあるように感じます。
さて、そうやって導線を増やしたことにより、これまで以上に多くの人が恋愛工学を知ることになりました。必然、モテたい盛りの男子大学生もその中に含まれます。いわゆる「草食系」と呼ばれる世代に生まれた彼らは、Twitter上で有名アカウントを見つけ、その過激さと実力(恋愛もビジネスも)に驚きます。「嘘だろ!?こんなモテ方をする男がいるのか!?」そして、自分も先輩たちのように女性にモテたいと思い、Twitterのbioに「恋愛工学」の文字を入れ、大学の友人の女子とアポをしてみたり、ストナンをしようとしたりするわけです。
しかし結果が出ない。
それもそのはず、恋愛工学の歴史を見るとわかるように、もともとこれは「いわゆるビジネスマン、経営者といった層の人たち」向けのものなのです。あくまで"20代後半〜40代の男性向け"の理論であり、18歳〜22歳の大学生が使うことを想定されていません。
たとえば、週刊金融日記でアポ場所に推奨されるレストランも大学生にとっては高い価格帯です。恋愛工学生御用達とされる天王洲アイルのTYハーバーも、ディナーで行って、お酒を1杯ずつ飲んで、お腹いっぱいまで食べると10000円を軽く超えます。ご飯も美味しくて店の雰囲気も抜群、駅までにキス・CTスポットはたくさんあるしでいいこと尽くめなんですけれど…いかんせん高い。大学生がアポに毎回気軽に使える店では決してないですし、むしろ連れてこられた女性も、男の本気度に引いてしまう可能性もあるでしょう。
また「20代後半〜40代の男性が口説くことが多い女性像」と「18〜22歳の大学生が口説くことが多い女性像」に乖離があることにも注目しなければなりません。ざっくりいうと、前者はそこそこ恋愛経験を積んだ大人の女性で、後者はまだ恋愛経験が薄い同い年くらいの女子大生、ということです。港区住まいの20代後半バリキャリOLに響くセリフも、女子高出身で交際経験0の実家暮らし女子大生には効果ゼロだったりするのです。
以上のことから、大学生が恋愛工学を使ったとしても、うまくワークしないという事態が発生してしまいます。そのため、大学生の年齢層で「モテて」いる男は、恋愛工学を使いませんし妄信していません。だいたいトークスクリプトやACSモデルを覚えるだけで誰でもモテる、なんて女性のことをナメ過ぎです。
では彼らはどうやってモテているのかというと、これはもう「レベルを上げてスト値で殴る」だけです。外見、コミュニケーション、振る舞い、姿勢、そういった所をひとつひとつ改善し、その結果女性を魅了することに成功しているだけにすぎません。なにか秘密のテクニックなどがあるわけでもなく、意外とシンプルな方法だったりもするんですよね。
ですから、もしこの記事を読んでいる大学生で、恋愛工学を志そうと思っている人がいたら、ちょっとストップ!まずは落ち着いてください。トークスクリプトや恋愛理論を学ぶのは面白いですが、それがすぐ役に立つことはありません。女性は馬鹿じゃありません。彼女達の目はとても鋭いのです。
また、仮に恋愛工学の技術がすぐ役に立ったとしても、簡単に習得できるテクニックはあっという間に使い物にならなくなります。その度に毎回新しいテクニックを覚えて、使い物にならなくなって、覚えて……では自転車操業と変わりません。ここは、小手先の技術に頼るのではなく、もっと本質的な部分を磨くことを意識してみるのはどうでしょう。
皆様には大変ご迷惑をおかけしております。深くお詫び申し上げます。
息子は幼い頃に父親を亡くし、そのショックで内気な子供になって
しまいました。そのせいか、小・中学校ではいじめにあっていたのです。
この年になるまで、恋人はおろか友達さえもいないようで、大変心配
いておりましたが、この2ちゃんねるというサイトを知って以来、息子も
少し明るくなったようです。「今日金融日記でね、藤沢がさあ…」
と、とても楽しそうに夕食の時に話してくれるのです。
どうぞ皆様、息子を暖かく迎えてやってくださいまし。本当は良い子なんです。
よろしくお願い申し上げます。
元増田の母より
元ネタ:アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数のアニオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない新海アニメの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、新海アニメのことを紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に新海のアニメを布教するのではなく 相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う3クール、4クールのアニメは避けたい(というか、ない)。できれば劇場版アニメにとどめたい。
あと、いくら新海的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
新海好きが「遠い世界 OTHER WORLDS」は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
アニメ知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場用アニメ程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「エヴァ以降」を濃縮しきっていて、「セカイ系ブーム」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さも25分だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメCM(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」
そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「アニオタとしてはこの二つは“CM”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFアニメオタが持ってる宇宙への憧憬と、オタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも新海誠な
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「ジブリだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品が新海誠のフィルモグラフィーではその後続いていないこと、酷評されて2週間寝込んだこと、
アメリカなら実写テレビドラマになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがさんざんつくられて(は失敗して)いること、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりアニメは子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「笑顔」(2003)
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける新海の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれで1分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
「猫の集会」の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、
一方でこれが宮崎や富野だったらきっちり1時間40分にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて1分を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ新海がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でminoriのオープニングムービーを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
「君の名は。」よりも前の段階で、新海の哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がエロゲのOPでこの時代に流れていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、
劇場用アニメでしか新海を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
新海の「光」あるいは「背景」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「心にスキマを抱えて毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそテレビアニメ版『彼女と彼女の猫』最終話はチョビが登場する以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化するでもないささやかな日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源は「彼女と彼女の猫」にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうジュベナイル小説風味の恋愛をこういうかたちでアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に「言の葉の庭」を選んだ。
「ほしのこえ」から始まって「言の葉の庭」で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、東宝―新海時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。