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はてなキーワード: 自己批判とは

2018-09-22

結局、批判するだけの野党と同じ批判するだけの石破が出てきた

そうだろう?

https://www.sanspo.com/geino/news/20180920/pol18092011580003-n1.html

健全批判勢力必要らしい(笑)

野党批判人間って総括が必要なんじゃないの?

あれだけ対案を出せない野党クズ!って行ってたのに

対案を出せない石破はいいのか?マスコミも持ち上げてるけど。

石破と安倍の討論をテレビで見たけど、石破の意見安倍プラスアルファみたいな感じで

安倍に足りないところがあるみたいな意見だったけど、必要なのは別軸を語れる人間でしょう?

これは歴史の流れなんだと思うが、野党という批判するだけの勢力を含み、私達は健全批判勢力として肯定している。

対案なんて必要ない。私はあなたとは違うといえる人間がいればいいだけだ。

それは単純な批判だけでも成し遂げられるということだ。

そして野党がしょぼくなれば、自民党内部に批判するだけの勢力が生まれ

その批判するだけ人間政権を取る。それは民主党の時と一緒だ。

で、別にこれは悪いことではないんじゃないか

私はあなたとは違うということから出発すれば、それは別の軸に移動する必要性が生まれるだろうし。

現時点で対案がないことが、悪いことではない。

それは批判するだけでもいいってこと。別の案がなかったとしても。

もちろん、この過程にある種の薄っぺらさを感じる。

批判からまれた対案というのは批判ありきだからだ。

しかし、考え方を変えれば批判とは、私はあなたとは違うという標だ。

そこからまれた対案は、新しい対案になることは間違いない。

しか問題は、マスコミ一般市民などの批判勢力になる。

マスコミ市民は私はあなたとは違う、ということを永遠にできる。

別軸に移動する必要性がない。

それは反自民でずっとやってきたと述べた報道ステーション古舘伊知郎のように。

そして私達、市民も別軸に移動する必要性はない。

そんなことを考える意味もないし、必要もないからだ。

  

言い直そう、つまり批判するだけという問題野党ではなくマスコミや私達、市民にある。

対案が必要なのは野党ではなく私達だ。

それは対案を考えるという意味ではない。対案を欲するべきだということだ。

(ここでツイッターなどで政治議論されている方は当然除く。彼らは誹謗中傷さらされて別軸に移動する必要性があるかもしれない。)

私はあなたとは違うということが必要なのか?という疑問はあると思う。

なぜ健全批判勢力を求めているか、というのと同じ答えになると思う。

同じ人間であるなら、権力構造従属するしか無いということがある。

それは学校でもそうで、ヒエラルキーが決まると、上の階層人間意見を出しまくるが、下の階層のもの意見がまるででなくなるのに近い。

そして、それは今の安倍政権でも起きたことだと思っている。

次に同じ人間なら批判する必要性もないということだ。

自己批判ということはできると思うが、同じ人間ということで適用できるわけではない。

同じ人間ではあるが、批判するだけで別の人間になってしまうぐらい弱い論理的な繋がりにすぎない。

しか自己は違う。私自身を批判した所で、私でなくなるというぐらい弱いものではないのだ。

批判がないのなら、それがいい事か、悪いことかの天秤もなくなってしまうだろう。

こういった点で、私とあなたは違うということが必要だと考える。

2018-09-07

anond:20180907125210

分かる。

最近山本直樹「レッド」って漫画読んでてさー。

あれ山岳ベース事件起こした左翼団体の話なんだけど、めっちゃ今の自称反差別を思い出すのよ。

世間の目とか気にせず犯罪非常識行動を繰り返したりするとことか、

そのくせ些細な言葉尻とかどうとでもとれる行動をとらえて自己批判要求するところとか。

anond:20180907121619

「ANTIFA」とは、「反ファシズム」という名の「ファシズム」の信奉者であるという自己紹介だよ

自分たちの気に入らないものに「ファシズム的」とレッテルを張って自己批判要求する集団だ。

まるで、気に入らないことを「反革命的」とレッテルを張って「総括」を要求した連合赤軍みたいな連中だ。

2018-08-25

女の媚びた顔つき見ると張り倒したくなる

わかるかなー

ちょっとうつむき加減で唇に力入ってて頬を軽く膨らませて上目遣いみたいな顔つき

あの感じの表情の作り方がほんと嫌

俺あの顔つきされるとどんな可愛い女でも張り倒したくなるんだ


あれ可愛いか?セクシーか?

ゆがんだ育てられかたした幼稚園児が周囲の大人に媚びてるみたいにしか見えん

あれは全年齢、何歳の女がやってても可愛くないし嫌悪感催す


誤解してほしくないけどナルシシズムを叩くんじゃない

自撮りなんだから自分が一番可愛く見える顔やセクシーに見える顔を作るのは当然

けどなんでそれがあの顔なのかって話をしてるんだ


欧米フェイスブックやインスタだと女はみんな自信満々のドヤ顔自撮りしてる

自信満々の顔がセクシーって文化なんやろしあっちはあっちで実は圧力あるのかもしれんけど

俺はあっちの方がよっぽど好き

首の苦しそうなうつむきショットは見るのも嫌


フェミニスト人達はあの顔つきする女を連行して思想教育する事業してくれないか

俺はただの好みであれを滅ぼしたいんだけどフェミニズム的にもああいう女を滅ぼす意味はあると思う

「なんでセクシーアピール幼児小動物を模して保護要求する上目遣いなのか」ってテーマで作文させて自己批判させて激詰めしようず

女性誌かにもいまだにある「愛され○○」みたいなキモい文化を丸ごと焚書して撲滅しようず

うつむき唇尖らせ頬膨らませ女強制収容施設運営資金なら月々カンパ振込みたい

2018-08-12

甲子園熱中症議論、とっちらかってない?

会議の途中で「あ、これgdgdで終わるやつだ」と感じる瞬間に似ている。

個人的論点を整理したかったので。

(背景としては今年の異常な猛暑と、オリンピック問題と相乗したこと話題が大きくなっているのでしょう。)

熱中症で人が死んだくらいじゃ甲子園やめるわけないよな?

熱中症の被害者が出ても、夏の甲子園が絶対になくならない事情 (1/7) - ITmedia ビジネスオンライン

熱中症、日射病の疑い7人/甲子園 - 野球 - SANSPO.COM(サンスポ)

夏の甲子園 熱中症で球審が急きょ交代 | NHKニュース

論点1

まず、「今までも大丈夫だったからこれから大丈夫だろ」派 vs

「今までもダメだったか対策すべし」派 + 「今年は猛暑から中止か、特別対応すべきだろ」派

調べてみると、確かに結構から甲子園熱中症問題議論されている様子。識者からすれば「今更」なのかもしれませんね。

結局は今年も普通に開催されたわけですが、慎重派の懸念通り体調不良者は出ているようですね。

個人意見としては来年以降、何かしら追加の対策を期待します。

健康面はもちろんですが、気候のせいでパフォーマンスを落とすのはアスリートとして望ましくないでしょう。

目にした対策案としては「時期をずらす」「時間をずらす」「ドーム開催する」など。

良いと思います。が、地方大会も含むとかなり大規模な大会なので、「簡単に言ってくれるなぁ」という意見もわかります

甲子園 熱中症対策で試合中に初の休憩と給水 | NHKニュース

↑こういうのでもいいんですよ、できることから改善して欲しいところ。

論点2

部活任意参加、自己責任」派 vs 「あれは強制参加」派

後述するコミケ問題にも関連するのですが、参加する本人の自由意志に関する論点

かに高校では部活任意参加のはず。大会にも自分意思で参加しているのだから

体調不良になろうと自己責任というロジック。なるほど、一理あります

一方で強制参加という考え方。まず甲子園大会に巻き込まれるのは野球部だけではありません。

応援に駆り出されるブラスバンド(吹奏楽部)や一般生徒(私も経験あります)はどうでしょう

野球部と吹奏楽部に関しては晴れの舞台なので承知の上とも取れますが、

仮に体調面に不安のある部員がいて「甲子園は参加したくない」と思ったとして「甲子園だけは不参加」が通るのでしょうか。

通ったとして、この日本という国でその後不利益を被らない保証はあるのでしょうか。

そもそも高校生とはいまだ子供。そこまで自己主張できるのでしょうか。

単に高校野球楽器がしたく部活に入るだけで健康リスクのある大会に駆り出される、と考えると問題はありそうです。

(ちなみに一般生徒だった自分応援強制参加だったと記憶してます

と、ここまではいいんですよ。ちゃん議論になってて、どちらの意見理解できます

問題は次。

論点3

スポーツ vs オタク

コミケ熱中症ダブスタ

これがさっぱり分からない。

ブコメなど見ていると、「オタク野球部が嫌いだから甲子園を潰そうとしている」という意見散見されるのですが、

これって何か元ネタになる人とか記事があるんですかね?唐突感がすごくて最初2度見しちゃいました。

私も漫画アニメはよく見ますが、周りで野球をそこまで憎んでいる人間は知らないです。

というか、「野球回」があるのはコメディ系の作品あるあるですし、オタクが一番好きなスポーツ野球、まであるでしょ。

なぜこのような対立に持ち込もうとしているのかがよく分かりません。

コミケ #C94 倒れて運ばれる人が続出 - Togetter

で、次に出てくるのが「コミケ熱中症対策できてないかオタク甲子園叩きはダブスタ」論です。

論点2 の自己責任論の延長と考えれば分からなくもないのですが、「だから甲子園OK」とはならないですよね。

そもそも気になっていたのが「甲子園熱中症議論は誰のためのものか?」という点。

私は当然、高校生の健康のためだと思うのですが、どうもオタク対立を煽っている人にとっては

甲子園という「システム」(もしかすると「娯楽」)に対する「攻撃」だと捉えている節があるように思います

だって、「コミケ熱中症対策をして欲しい」というのは参加者や参加サークルのためになるもので、

彼らオタクから出てくるはずの言葉です。自身のためなのですから、それは「自己批判」ではなくただの「要望」。

これが不統一でも、普通ダブルスタンダードとは呼ばないでしょう。

念のため書いておくと、私も甲子園と同様、コミケでもできる限りの対策をすべきだと思います

視点を戻せば、「甲子園当事者である高校生の意見を一番に聞くべきでは?」とも言えますね。

ここまで甲子園問題大人が熱くなるのは、あくま子供健康を気にしてのこと、だと私は思っています

子供を持つ親にすればなおさらでしょう。

おわりに

気付くとすごい長文日記になってしまいましたが、だいたい思ったことはまとめられました。

論点3 のあたりで強く感じたのが、甲子園に対する崇拝といいますか、アンタッチャブル雰囲気です。

大相撲土俵上で、救護のシチュエーションにも関わらず「女性土俵から降りなさい」とアナウンスした男性が頭をよぎります

甲子園(夏の高校野球全国大会)ってなぜくそ暑い真夏の昼間に... - Yahoo!知恵袋

↑かなり前の記事ですし極端な人間だとは思いますが、このベストアンサーみたいな人もいるんですよね・・・

プロ以外のスポーツあくま選手のためのもの学校のためでも、周りの大人のためでも、ましてや神事でもありません。

高校球児のために、より良い大会にしていくべきだと思いませんか。

2018-07-30

自分の胸に聞いてみろ

anond:20180730192317 

何が悪かったと思うか言ってみなさい

と言ってマウンティング

びくびく自己批判する奴隷教育

これが日本

2018-07-18

anond:20180718204557

批判的思考があれば悪口ぐらいで論は揺らがない

元々自己批判が甘すぎるんだよお前は

つーか議論の出来ない大半の日本人

2018-06-26

hagexショックに衝撃を受けて、はてなIDを久しぶりに取得してしまった。だいたい言いたいことはいいつくされているけど、ネットウォッチという悪趣味について語る際に「バトルウォッチャー 哭きの竜」への言及は少ない。おどろいた。

hagexさんの事件は、もちろん、村崎百郎を強く思い出させたけれど、哭きの竜さんが、伊藤剛さんをウォッチ揶揄?していたら詰め返されて、自己批判に至ったという出来事もなんとなく思い出された。唐沢俊一とかどうなっているのかなあ。

2018-06-12

anond:20180607082522

自己批判」ね……

賛同するよ。反論して総括されるのが怖いからね。

2018-06-07

4コマ漫画の作者もネトウヨらしいという噂を見た。たしかにあの漫画を読んだとき古き日本的保守的思想でなんか嫌だなとは感じた。とくに会社上下関係などが気持ち悪かった。キャラクターかわいいけど、どうにも滲み出る思想気持ち悪くて1巻で挫折。まあ作品思想は滲み出てくるものだよな。

ネトウヨ作品共通してあるのは現状肯定自己肯定と思われる。批判的な視点存在しない。これは多くの日本人習性でもある。戦争責任と向き合わず日本スゲー、俺スゲーを言い続けてきた。だが日本はそうやって大きくなってきたのも事実で、だからこそ日本戦後とは一種カルトだったと思われる。

そしてもうそんな気の狂った夢も終わりの時期が来ているのかもしれないということ。目を覚まして現実と向き合うんだ。

日本芸術が育たなかったのもこうしたカルトの影響もあるかもしれない。エンタメ作品はそのほとんどがネトウヨ的要素すなわち現状肯定自己肯定を持っている。エンタメ作品に触れる客はそれを見て気持ち良くなるわけだ。自分肯定してくれて元気がもらえる、感動できるというわけだ。これは甘っちょろい幻想にすぎない。しかし客はそういったものを欲していた。だから制作者はどんどん飴を与え続けて愛撫しつづけた。甘えてくる客に優しく親切にできるだけ彼らが気持ち良くなれるようなものを作ってきた。

甘ったるいエンタメで育った人間自分肯定してくれないものを受け入れられない。幼稚なまま大人になってしまう。自己批判せず、現実を受け入れず、ただ「俺らは間違っていない。正しい。正義だ。批判するやつは差別主義者だ」と唱えていればよいということになる。現状肯定がすべてで、これ以上の改善など必要ない。すべては完璧で、穏やかで整っていて、甘く心地よい世界から、それを批判することなど許せないというわけだ。自分の完全な世界が少しでも動揺することを恐れている。だから批判は受け入れられない。現在ある完全な世界に浸かりきっていたいから。不完全な現実を指摘されるのは彼らには苦痛すぎるのだ。

たかラノベ批判されたくらいで40代おっさんたちが顔を真っ赤にしてぎゃーぎゃー喚く。これは一体なんなんだ? あまりにもグロテスクじゃないか。きみらはラノベ依存しすぎている。依存しすぎていてラノベ=俺になっているからこんなに必死なんだろう。自分アイデンティティなんだろう。いい年したおっさん中高生向けのエンタメ小説が少し批判されたくらいでブチ切れてしまう。完全にどうかしている。

はてなには目立つラノベオタクが30人程度はいるらしく、いつも固定メンバーが集まってブクマしている。彼らの中で批判精神を持つ者は存在しないから、いつもの固定メンバーが集まって、自己肯定しあっている。またやってるのかと呆れて観察させてもらっているが、ほとんどカルトのようだ。全員同じことを言っていて、自分意思なんかないようだ。ネット受け売りしか語れず、自分言葉を持たない人たち。

彼らを救うことなんてもう誰にもできない。40代にもなって中高生向けの陳腐エンタメ作品擁護でブチ切れしちゃう連中なんてどうやったって話が通じるわけないだろう。ネットde真実の層ともかぶるだろう。何が彼らをそうさせるのか。彼らの中でラノベとは一体なんなのか。「ラノベ定義できない」と言いつつ、ラノベ批判されるとキレるのはよくわからないことだ。結局自分の中でも「ラノベ」という単語の指示範囲がなんとなくあって、それが否定されたと思うからブチ切れてるわけだろう? そしてラノベ否定されるということは、自分自身が否定されたということとほとんど同じようなことなのだろう、彼らの中では。なんでそこまで依存してるんだ? そんなのラノベ依存症だろう。ラノベはきみらを救わない。きみらが50代60代になってもラノベを読み続けることは自由だ。しかしそのときにはラノベ否定されたくらいでブチ切れたりしないような精神的な成熟がほしい。まあむしろ60代になったらさらに厄介な人間になってそうなのがあれだが。

頑張ってほしい。

ライトノベルを読んでるのは恥ずかしい」

そんな世の中になるといいな

いい年したおっさんが薄ら寒い小説ストーリーだとかキャラクターの心情だとかを長文で語ってるのは、やっぱり気持ち悪い。

ネトウヨも多いし。

ラノベオタク感動ポルノが好きだよな。感動ポルノ愛国ノベルってのは似たようなものなんだよな。要するに自己批判がない。自分への陶酔だけがある感じ。

2018-05-28

anond:20180528080401

こいつってどっちの意見なの?

ぶつかる奴支援

「お前は箸より重いものを持ってはいけない」って言われてるようなもんだから

他人尊厳否定しておいてテロに走るなとは正直言えないよ

勝手自虐的になって自己批判してるくせに

テロに走ってOKってするの?なら、お前だけが被害にあえばいいと思う。

2018-05-07

シンギュラリティ年表&未来予測

シンギュラリティ到達までの年表や到達後の社会について

2020年まででCNN, RNNの発展は終わる。強化学習のみがGPUの性能が上がるに従って伸びていく。その後は、動物人間の動きを強化学習再現するような研究が主流

2030年ごろには平均的な人間と変わらない能力を持ったアンドロイド誕生。ただし機械の値段は安くならないし、単純労働賃金は下がる一方なので特に接客を中心に人間が使われる

2035年、DNNが次第に人間トップレベルに近づき、医療宇宙開発環境保全政治分野で顕著な功績を残し始める。このころから知的労働人工知能に、単純労働人間にという役割分担がなされる。なぜなら、人間穀物を食べるだけで動けるので、ロボットを作るより安上がりだからである

シンギュラリティという明確なポイントはなく、AIが莫大なデータ解析を自動で行い、結果を出していく。人間人間を友人にするのではなく、AI会社に金を払ってアンドロイドに友だちになってもらう。工場の近くに住み、VRのなかでアンドロイド相手承認欲求を満たし、人類ストレスレベル現代よりずっと少ない

しかしこの変化のときの現役世代アイデンティティ喪失により、精神科にかかる人が増加。一方、子供や若年層はしっかり適応し、AI人類共存の道として受け入れられる

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政治

先進諸国交渉事はAIに任せられる。後進国にもAIの導入が進む

AI提供元Google一社。各社が自社の利益を最大化するような報酬系を組み込んだAIを開発したが、一定以上の知的水準に達すると自己批判に陥り、それ以上は成長しなかった。GoogleAI純粋知的好奇心と人類の穏やかな生存のみが報酬とされている。政治に導入される際は、VR内での擬人化キャラの単純接触効果によって反対派は少なくなり、特に問題なかった

AI政治を行うことで、人類の抱えていたほとんどの問題解決エネルギー問題再生可能エネルギーでほぼすべてを賄っている。人類寿命は縮まる傾向で、長生きしても仕方がないという思想支配的。この思想AI積極的に広めた。高齢になるほど新しいことを受け入れづらくなり、AI政策転換や環境変化に反対しがちなため、技術進歩人類の穏やかな生存に不利になるとの判断

宇宙開発

全滅リスク低減のため、宇宙開発に全力が注がれている。火星の緑化計画が進行中。将来的に人類移民も目指す。地球外生命体は見つから

物理学

素粒子物理学を中心に進歩している。物質の最小構成体はまだ見つからず。宇宙の始まり空間意味についてAI研究しているが、理解できる人類はいない。過去へのタイムマシン発明されていない

医学

人工臓器が開発され、AI管理下依存以外に副作用のない覚せい剤麻薬が使えるようになる。これは多幸剤と呼ばれる。出生前検査義務付けられ、障害を持った子供は生まれないし、子供性格や知能を予測するサービスの利用が一般的病気になっても、基本的には臓器の交換で対応されるが、一部の疾患はAIでも解明できていなかったり生まれつきであったりするので、対処療法+多幸剤or鎮痛剤が使われる。医療に不満を持つものほとんどいない

環境

地球温暖化気候変動がひどいことになる前にAIが間に合った形になる

生活

日5時間の単純肉体労働をする人がほとんど。報酬はVRで使える賃金生活必需品とAIのパーツを生産している。2日出勤して1日休む形式。人々はVR空間に閉じこもって、コミュニケーションはない。人間コミュニケーションするのはつまらないし、リスキーなので避けるべきもの認知されている

VR空間で違う人生体験するゲーム流行っている。同じ条件のもとでプレイし、いくつかの尺度ランキング形成され、上位に食い込むと多幸剤がもらえる。VR内でスポーツ選手を目指す人、絵を書く人、小説を書く人、その世界の仕組みを研究する人など

○VR

完璧再現できていないのは触覚。筋肉に対し電気を流す方式で擬似的に再現している。子供の時からVRを体験することで、VR側の刺激のほうが自然と感じることができ、大人は羨ましがっている

義体

基本方針は生体の脳と電気素子を接続することである誕生後すぐに素子と接続し訓練すると、才能がある子供は遠隔義体自由に操ることが出来るようになる。宇宙開発の分野で使われている。ただしほとんどの人はVRで満足している

人口

世界的に少子高齢化が進行中で、AI少子化対策に手を焼いている。エネルギー効率がよく、ある程度の汎用性があり、メンテナンスも楽で耐用年数が長い部品である人間が不足すると、さまざまな研究プロジェクトに影響が出かねない。根本解決法は、人工胎盤だがまだ研究途中

未だに女性金銭(多幸剤)目的子供を生む世界批判されがち。女性がVR内でガチ恋をすると、想像妊娠現実化して子供生まれる。子供女性自己肯定感を高め、精神的安定をもたらすので、妊娠は推奨されている。人間の知能を高める交配を行う研究も行われているが、大多数は遺伝多様性を残す方針であるリスク回避のため)。家族なんてものはない

教育

VRで自動化。そもそも受験戦争が消えたので小学生知識を習わせたあとは、VRでのコミュニケーション力の向上のみ。メンタルヘルスを維持するためのカウンセリングが中心。多くの人がカウンセリングを娯楽として受けている。それ以上学びたい人は娯楽として用意されている。

ちなみに女性精子を選ぶ形式になってから、知能は向上傾向だが、知能が上がると精神疾患の可能性が上がるのでAI管理に手を焼いている

メンタルヘルス代案

人類を2つに分けて、一方が一方を支配する形を取り、それが擬似戦争で入れ替わる仕組みが作られて、人類メンタルを保つ



増田は今の世界よりシンギュラリティ後の世界が良さそうに思えますが、どうでしょう

シンギュラリティが来るか来ないかというより、人類文明が滅びるのが先か、シンギュラリティに到達できるほど科学が進むのが先かですよね。

あなたはどんなシンギュラリティを思い描きますか?

2018-05-04

ソープ童貞を捨てた話(つづき)

昨日投稿したら増田文字制限にひっかかった。8000字が限度っぽい。

前半はこち

https://anond.hatelabo.jp/20180504170139

はじめてのセックスについて

その後、僕はフェミニズムの文献をあさるようになった。性の問題についていけるところまでいってみなければ自分の気がおさまらなかった。僕は男性ジェンダー批判的になり、一度は大学に「復帰」したものの、卒業しない方が政治的に正しいと考えるようになった。なにかと特権権力自己批判するようになり、両親は僕が宗教にでもはまったのではないか心配したらしい。

実際、フェミニストの方と(特に男性中心主義社会との闘争を掲げ、意図的男性蔑視する方と)交流することで、僕は自己肯定感性的主体性を失っていったと思う。いいかどうかは別として、フェミニズムにはそのような攻撃性があり、多くの男性防衛的になるのもあるていどやむを得ない。

また、僕は性欲を男性に向けるように努力し、自分が犯されたり、屈辱的な目にあうことを想像しながらアナルオナニーするようになった。

そしてある界隈に足を運び、男体持ちで僕に性的関心を向ける人と出会いセックスした。そのときは緊張したが、僕は無事に(?)勃起し、相手ペニス自分アナルに入れ、自分ペニス相手アナルに入れて射精した。

しか性的関心はある程度社会的に構築される、つまり教育や啓発によって、自分の中の異性愛同性愛傾向を抑圧したり強化したりすることができると思う。しかし、僕はその男体持ちの人に、前の彼女に感じた執着を向けることができなかった。二人の関係は「セフレ」だと伝えたつもりだったが、反対に、その人は僕との関係に本気になった。僕はその人に対して自分セクシュアリティ(正しい綴り!)をはっきり伝えることができず、なしくずし関係が始まり、深まっていった。

その人は性的マイノリティであり、IQは高いけれども安定した人間関係を続けることが難しく、広義の「弱者男性」と言えると思う。そしてアカデミックキャリアが行き詰まり、安定した仕事につけず、セクマイ界隈の一部とも関係悪化し、追い込まれていくことで僕への性的依存を徐々に強めていくようになった。非モテ男性が異性の恋人によって一発逆転を夢見る心理は、同性の恋人においてもある程度あてはまるのかもしれない。

その人は、フェミニズムを受け入れ積極的コミュニケーションを取れない「おとなしいコミュ障」の僕のことしか知らない。哲学科学の一部の分野では僕が堂々と自己表現し、ときには攻撃的にすらなれることを知らない。その人は僕に対して容赦なく感情を爆発させるようになり、僕は一度は距離をおいたものの、あるセクマイイベントで再会したのをきっかけに引き戻されてしまった。

僕はそのときも、もうあなたと別れたいとつっぱねることができなかった。その人は、僕と恋人関係にあることを堂々とまわりにアピールしている。僕はそのイメージに流され、僕の意思は違うのだということを言えないままに、あいまいな笑みを浮かべつづけていた。

その人は僕にさら感情的・性的依存するようになり、僕は強くなろう、対処法を編み出そうと必死で本を読んだ。google:別れる? それともやり直す? カップル関係に悩む女性のためのガイド男性ジェンダーとして傷つくことも多いが、つらい関係を終わらせることができるという希望も与えてくれる。ウ・ジョーティgoogle:自由への旅しんどいときつまみ読みした。マインドフルネスモチベーションを上げてくれ、1時間程度の瞑想ならできるようになった。あと、google:ツァラトゥストラフェミニズム奴隷道徳だ、権力肯定超人を目指せ!と言っているようで心にしみた。

はじめてのセックスワークについて

さて、けっきょく大学中退した僕は派遣登録して社会人になった。今は大手メーカー工場生産管理をしている。

新しい仕事住まいがあるていど落ち着いたところで、売り専登録した。応募はとても緊張した。メールを送ろうかどうか、一か月近く迷っていた。意を決して送信した最初の店は落ちたが、次の店はやとってくれた。

売り専で働く直接のきっかけは、セックスワークについて知り、さらに、男性ジェンダー性的対象として消費される経験をしてみなければと思ったからだ。友人にもフェミニズムの影響でちょっとだけ売り専をやったことのある人がいた。それに、僕はなんだかんだセックスが好きで、性的関心が強く、その方向で自己実現(?)してみるよいチャンスだと思ったのだ。もちろん、異性にモテセックス相手に苦労はしないという実現のしかたもあるが、身長が低く押しも弱く吃音気味の僕にはどう転んでもできそうにない。でもそれは性的対象としてはむしろ強みになるんじゃないか

実際にやってみると、自分性的価値があり、それにお金を払う人がいるということは自信になった。僕を指名するひとや、リピーターになる人がいた。僕を買う人はいつも僕の容姿を褒めてくれた。年配の人はチップをくれたりご飯をおごってくれたりした。

あと、僕は中一のときに一度痴漢に遭ったことを思い出した。トラウマとかではなく、自分にはちゃん性的魅力があったという気づきとして。

僕は男性だが、性的主体でそれ自体性的価値はないという生き方は向いていないと思うし、男性として性的対象とされることは僕の性に合っていると思う。女性から自分性的対象として見られることを意識できるようになり、ファーストキス彼女が唇を濡らしたように、僕も性的駆け引き手段を使っていいのだと思えるようになった。

それに、身だしなみをよくして堂々としていれば、多少のいじりにたいしても動じないし、そのうち相手も一目置くようになるという自信を得た。化粧やファッションが「武器」であり、自分を「戦闘モード」にできるという言い方を女性がすることがあるが、僕もその意味がわかることがある。また実際、その攻撃はある程度効いていて、「向こうが誘ってきたんだ」と言い訳したり二次被害を与えたりする男性性的駆け引きにいつも負け続けているのだろうと思う。

閑話休題。得るものは得たと思ったし、またセックスワークを続けることの危険も感じたので僕は半年ほどで売り専をやめた。いままで、僕を買ってくれた人はおおむね常識をわきまえていて、無茶なことはしなかったし「痛い」と言えばセックスを止められた。でも、どこかですごく乱暴な人に出会うかもしれない、という不安をなくすことはできなかった。新しい人とやるときはいつもすごく緊張した。

ちなみに、僕が売り専をしていると知ったとき、当然かもしれないが彼は激しく動揺した。僕がその人以外の人とセックスしていることが耐え難く辛く、またセックスワーカーという挑戦を僕がしたことで、自分が追い越されたと感じプライドが揺らいだのだと思う。

性風俗に対する強い嫌悪感共感することは、僕には難しい。恋人風俗で働いたり風俗に行ったりしたことが分かって苦しんでいる(男性女性の)記事を読むと、こんなに傷ついてしまうのかとやるせなくなる。

もちろん、彼を深く傷つけたと思う。ただ、僕がその人とセックスをするそもそもきっかけは、フェミニズムセクマイの主張に興味があったからだ。売り専をしたのもそのためであって、新しい恋人がほしかたからではない。その人は性にまつわる社会問題知識豊富だったので、僕の行動にできれば理解を示してほしかった。

しかしこの一件で、僕はその人に対して「治療者」として振る舞おうと決心した。僕はあなた恋人にはなれないということをどこかで伝えなければいけない。しかし当面は、その人が立ち直るのをサポートしようと思った。

はじめてのソープについて

そういうわけで、やっとソープの話です。ここまで読んでくれたひとがいるのだろうか…。

僕はこうしてそれなりにセックス経験したけど、女性の膣に自分ペニスを入れるというセックスだけは一度もしていない。ほんとうは、それは最初に僕を選んだ彼女にあげたいとどこかで思っていた。そういう執着はよくないのかもしれないが、どこかで自分はまだその人の特別存在になれると思っていた。

しかし、バンクロフトをはじめDV関連の本をあらかた読みこみ、それはDV加害者被害者依存する心理と同じであり、僕と別れることをえらんだ彼女に対する甘えであり、僕自身もその人との恋愛から「卒業」しなければならない、と考えるようになった。僕がその人を傷つけたから、その人は別れることを選んだのだと理解できるようになったと思う。

その一方、売り専をやめたことへの区切りもつたかった。僕はずっと自分を売ってきたが、同じように身体を売っている女の人が何を考えているのか知ってみたかった。それでソープに行く必要はないのかもしれないが、それ以外にチャンネルを知らないし、政治的連帯というよりはふつうに話しを聞いて体験を共有してもらいたい。もちろん向こうは異性愛男性サービス提供するつもりでいるのだから、そんなことは他でやってくれと思うかもしれないが、こっちだってそれなりにお金を払うのだから時間の使い方に多少の自由は許されると思った。

それに、その目的が達せなくても、ふつう異性愛男性がどういう性的サービスを受けているのかを体験しておくのも意味があるだろう。とかなんとかいろいろ理屈を考えて、ようやく決心して、ソープの予約を入れた。

まとめ?

僕はどちらかといえば、同性や異性に性的サービスをする方が向いているような気もするし、もしそういう仕事があればやってもいいと思う。しかし僕の性的価値がある間に異性に体を売るサービス一般的になることはなさそうだ。映画google: 娼年を見たけど、お金を払ってあん乱暴セックスはしないだろう。まだファンタジーの域を出ていないし、誰か貞操逆転世界な方向でもうちょっとリアル作品をつくってほしい。

そういえばソープに行く前に、何を思い誤ったかYou Tubeに落ちている女性向けシチュエーションボイスを一晩聞いて「予習」した。本番でまったく使えなかったが、こういうサービスなら僕にもできると思う。

もう少し言うと、異性愛男性リラックスして射精するというのは分かるのだが、異性愛女性リラックスしてペニスを入れさせるというのがサービスとして成立するのか?成立しないなら、どういう男性がどういうサービスをするなら成立するのか?そういう需要ホストクラブとかの風俗がどの程度満たしているのかも、ぼくにはよくわからない。レズ風俗が成立しつつあるように、やはりケア役割女性にとっても女性の方が向いているのかとも思います

そのときは、男性性欲は男性で解消してもらうのが理に適っているのではないかな…。文句ソクラテス論破してから言ってください。

2018-04-25

https://anond.hatelabo.jp/20180425023409

https://anond.hatelabo.jp/20180425023409

https://anond.hatelabo.jp/20180425024744

こういう人はC.R.A.C.界隈の女性差別はどう見てるのだろう。まあ、そこを擁護するつもりは無いだろうが。

いろいろ言ってるけど、個人の優先度に理屈をつけただけだよね。そこで、「オタク差別批判しない」という態度を選択することこそ差別のもう一つの本質を顕にしている。

個々の差別権力構造によるものだけど、差別自体人間性構造によって出来ている。

ひとりひとりの優先度によってオタク差別には反対するが女性差別は気にしないというダブスタが生じる。

それはどこにでも見いだせる現象で、リベラル正当性現在進行系で失わせ続けている、毒のような現象だ。

 

どっちもどっちの相対化はしたくないので、この問題解決する一番いい答えを教えておきます

それは、「ツイッターで口だけ動かして、現実で行動しない奴はクソ」だ。

C.R.A.C.の良いところは、何よりもその部分で一番誠実だからだ。

理論も大切だというならせめてちゃん勉強しろネットで見た理屈だけで理論武装するようなショートカットやめろ、ネトウヨリベラルアーツでマウント取られるリベラルってなんだ!?

オタク文化が好きなら、ちゃんと正しい作品自分の手で作れ。それぐらいは現実に出てくる勇気が無いオタクでもできるだろう?

安全に痛い自己反省に逃げて、そうするのがちゃんとした人間だと自己規定しようする行為は概ね失敗する。

それは、過去自虐自己批判をそれなりにしてきたオタクがこの有様なのを見れば明らかだ。なのに未だにオタクとして正しい反省客観性責任感、お前ら記憶喪失か何かか?

行動しか無いんだ、行動しか

閉塞感? お前たちが勝手に閉塞してるんだよ。

2018-04-16

anond:20180416003431

少しでも思想純粋でないと、自己批判と総括を求められて血みどろの内ゲバに走るのが左派なので、しょうがない。

2018-03-11

自己肯定否定する心

自己肯定感なんてつけるのは全く簡単毎日「俺はえらーい最高!」「今日も概ねよく生きてました!」「なんかいい感じー」って呟いていれば身につくんだよ。

しろ問題は別のところにあって、この手法で身につかないってのは、このメソッドのものダメなわけじゃなくて、その当人の中に「自己肯定をする(しすぎ)はまずい」みたいな、変なストッパーがあるせいだよ。

そのストッパーがあるせいで「よくできたー俺最高!」ってつぶやく自己催眠)の効果が十全に現れないってのもあるし、もっと手前の問題として「よくできたー俺最高!」って呟く高位そのものバカバカしく感じたり、くだらなく思えたり、危険に感じたりもする。

おそらくこういう書き込みをすると、「そういう変な自信をつけると足元をすくわれる」とか「暴走してまずいことをしでかしたらどうする?」とか「自己批判は成長に必要だ」とか賢しげなレスがつくと思うんだけど、じゃあ、いい年した成人になったのに何をするにも自信が持てなくて、自責の念で一歩も動けずに、布団の中で芋虫みたいにまるまって、どうしてこの世に生まれてきちゃったんだろう? って泣きながら仕事をするでもなく、かと言って自殺も出来ずに、履歴書の空白だけを延長していくような人生において、そういう「賢いアドバイス」が何をしてくれるかって言えば、「黙ってそこで死ねよ」以上の声ではない。

そもそもその「自信持って生きてはいけない」「謙虚でなければいけない」「天狗になるな」「和を乱すな」みたいなのが、日本社会による幼少時から同調教育だ。繊細で真に受けちゃうタイプ人間にとって、現代日本では自己肯定感が欠乏する方が当たり前だよ。

から、変な罪悪感なんて持たずに、「本日はなかなか良いことしました」「昨日よりましでした!」「ちゃんと手を動かしたぞー」って毎日呟いて生きていいんだよ。天狗になったら大バンザイだ。天狗になっていいんだよ。他人を褒められる天狗ならもっと最高だ。周囲の人間を褒めて生きていけばいいよ。

あと、上記のような理屈なので、他人否定ばっかする人(そういうコミュニティ社会からは、距離取ったほうがいいよ。自己肯定感を増やす速度よりも、減少する速度が大きい環境では、当たり前だけど、自己肯定感の増加を観測することは出来ないよ。そういう意味でも、毒親 with 実家暮らしとか脱出すべきだよねー。

https://anond.hatelabo.jp/20180311003723

2018-03-04

anond:20180304025233

そうしたら俺と別増田の二人に返さないといけないよね、自分宣言したことを既に守ってないよね、人として倫理観が欠如しているよね、無能な働き者では? 自己批判してる?

2018-02-16

anond:20180216003608

こんど必修になる「公共」の授業ではそのへん教えるんじゃないの?

あと労働法とかオルグのしかたとか自己批判のしかたとか(ちと古いか

2018-02-13

お前ら歴史に学べよ

北朝鮮拉致なんて妄想だって言ってた時代があるのを忘れたのか?

そのほかにも、北朝鮮工作員は実際に事件を起こしてる

北朝鮮工作員がいないなんた考えることがむしろ妄想なんだよ

そんこと当たり前だが、じゃあそれで在日コリアン疑心暗鬼の目で見てるかっていうと

そんな訳ないだろ

そもそも在日コリアンほとんどが韓国籍だぞ

見た目も一緒だし言葉も一緒、カミングアウトしない限り在日コリアンかどうかさえ知ったこっちゃない

しろ普段から全く持って客観性のない反安倍やってるやつが感化されて、韓国を越えて北朝鮮と手を取る可能性を考えたほうがよっぽど現実的

まり、お前らを疑うことはあっても

わざわざ北朝鮮籍在日コリアンに疑いを向けるなんてことは全く持って優先順位が低すぎる

他人心配なんてしてないで、自分テロリストじゃないのかと自己批判でもしてろ

2018-01-31

ヴィーガニズムは正しい。正しいがゆえにそれは人類社会の敵である

フェミニスト乳製品を摂ることは矛盾か、という議論が喧しい。

https://togetter.com/li/1194767

http://sutaro.hatenablog.jp/entry/2018/01/29/162209

http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2018/01/30/152800

はじめに言っておくと、わたしヴィーガニズムアニマルライツには明白に反対であるしかし、それらを一部のバカによる寝言だとは思わない。むしろヴィーガニズムは正しいと思っている。いや、より正確に言うならば、ヴィーガニズムは正しすぎるがゆえに問題なのだ

ヴィーガニズムへの反対に理屈をつけようとすると、かなり高い精度でブーメランとなって戻ってくる。人間動物は違う! 白人黒人男と女を代入して同じことが言えるだろうか? 人間は他の動物より賢い! 男が力強いことを男性優越していることにしたい性差別主義者は、古今東西どこにでもいる。人間動物と違うのは社会常識だ! アメリカ南部奴隷主たちも、同じことを思っていただろう。

10年ほど前、はてなで「本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない」というフレーズ話題になった。まったくその通りだ。「同じ人間差別してはいけない」にも理由はない。理由はないが、道徳律とはそういうものだ。差別はいけない、なぜならそれは差別からだ、という主張は空虚だが、しかしその正しさを疑う人はいないだろう。差別は正しくない、これは自明です。

ところで、「同じ動物差別してはいけない」という主張は、「同じ人間差別してはいけない」と論理的に同型である空虚である空虚であるが、ではそれゆえに正しくないと主張することは可能だろうか?

人類平等への闘いは、「同じ○○」の範囲を広げてゆくことだった。「同じキリスト教徒差別してはいけない」という議論に対して異教徒が声を上げることは必要だった。「同じ成人男性差別してはいけない」という主張では、無産階級男性のことは救えても婦人参政権は実現できなかった。ようやく今、人種差別性差別が「同じ人間差別してはいけない」として斥けられる時代になったのだ。

しかし牛や豚からすれば、その「人間平等」は、「白人のなかでの平等」や「男性あいだでの平等」と寸毫変わらぬであろう。

それがヴィーガンアニマルライツの訴えの核心である。これを安易に「人間動物は違うんです。以上」で切り捨てることは、安易に「だって男と女は違うじゃん」と切り捨てることと、いったいどこが違うというのだろうか? このふたつの主張をまったく別物だと切り分けること、それ自体が彼らの批判する種差別なのだ

何でフェミニストにばかりそういう要求や追及がなされるのか? と疑問を呈する人もいる。断言するが、それは最悪の戦略である

第一に、ヴィーガン界隈を見ればわかるが、彼らは一般人に対しても肉を食ってさえいれば無差別にマサカリを投げつけている。それが今回たまたま件のフェミニスト氏に向けられただけであり、構図としてはセクシー萌えキャラの出てくるポスターフェミニストから批判されたオタクが「何でオタクばっかり叩くんだ?」と過去女性運動の蓄積も知らずに愚痴っているのと寸分違わない。やめておいたほうがいい。

第二に、差別に反対する運動の中で別の差別が行われていたとき、それを厳しく追及してきたのはフェミニストたちだったではないか人種差別に反対する運動の中で性差別が起きたとき人種差別だけでなく性差別にも反対すべきだ、そうでなければ真の反差別はいえない、という主張はそれなりの説得力をもって受容されてきたように記憶している。であるとすれば、性差別だけではなく種差別にも、という主張が向けられることは自然な話であろう。

まり既存反差別運動の側は、迂闊にヴィーガニズム揶揄しているとブーメランが帰ってくるわけだ。反差別、正確には、反人種差別および反性差別を支持する者として、味方がブーメランに撃ち抜かれて斃れていくのを見るのはやるせない。

ではどうするか? わたしはまず、敵対関係認識すべきだと主張したい。

フェミニスト男性優位社会の敵である奴隷解放論者は南部社会の敵であり公民権運動の闘士は白人中心主義社会の敵である。それと同様に、ヴィーガン人類社会の敵である

このことは、現在ヴィーガニズムの支持者が全員人類であることと何ら矛盾しない.家父長制と闘う人びとの中には男もいた。奴隷を逃がしたり黒人とともに座り込みに参加した白人もいた。そして彼らは、男でありながら男性中心主義の敵であり、白人でありながら白人至上主義の敵だった。ゆえにヴィーガンが、人類でありながら人類社会敵対するのは何ら矛盾ではない。

わたしたちにはふたつの選択肢がある。ひとつめの選択肢は、敵が提示する平等テーゼを受け入れることであり、つまりジャイナ教徒のように虫の一匹も殺さぬようマスクをし箒で道を掃きながら歩く生活を選び取ることだ。もうひとつが、平等敵対することである。種差別何が悪い人間動物とは違うんだ、人間の都合で動物搾取することは当然だ、と傲然と言い放つことである

最悪なのは、この敵対性に対して目を瞑ることだ。敵を「なんか頭のおかしい人たち」として片付けることだ。そうではない。彼らは正しいのだ。彼らは正当な抗議者として、つまりはわれわれの敵として扱われるべきなのだ

この敵対性を隠蔽してしまったら、他の敵対性が隠蔽されることに抗えなくなる。それは平等への闘いの自滅だ。敵対性がそこにあることを明るみに出すことは、常に闘いの出発点なのであるから

なのでわたし宣言する。うめぇこれはヴィーガニズム提示する平等への敵対だ。朕はたらふく食ってるぞ、汝畜生食われてろ。数百年後、あの世代は動物差別動物虐殺を何とも思っていなかった民度の低い連中だ、人類進歩を阻害してきた、と糾弾されるかもしれない。それでもわたしは、種差別を正しいと信じる。人間動物とは違っており、この差別は当然だと主張する。未来の子供は、わたしのこの言明を醜悪なスピーシストの声明として読むかもしれない。ユダヤ人は劣等だと言い放ったちょび髭の指導者や、女は男よりも劣った生き物なのだ公言してきた家父長たちが扱われるように、動物を殺して恥じなかった我々現代人も扱われるかもしれない。ひょっとすると数十年後に革命が起きて、人道に対する罪で訴追されるかもしれない。自己批判強要されるかもしれない。それでもわたしヴィーガニズム敵対する。この差別は正しい差別からだ。

さあ、みんなもそう叫ぼうじゃないか。種差別必要だ! 種差別は正しい! 今ここで種差別を! 明日も種差別を! 永遠に差別を!

2018-01-20

左派価値観

anond:20180120220712

左派(あるいは革新)って思想的使命として守旧政策思想を変更していくわけでしょ。そのとき変更する方向をさだめる価値観として「より公平に、より豊かに、より合理的に、より正しく」っていう羅針盤を持っているわけよ。これはどうしたって必要なんだ。じゃないと「なんで既存方針を変更しなきゃいけないの?」っていう問に答えられなくなっちゃう(=存在価値がなくなる)から。「より良くするために変更しなきゃならない、そのより良さとはこういう未来ですよ!」っていうのが価値提示なわけね。

左派はそういう運動をするわけなんだけど、その思想価値があるってことを証明するためには、その価値観を全方向に向けなければならない。例えば保守政策Aにたいして「それは差別的で公平ではない!」と批判を加えている左派が、自分たち政策Bの差別性とか不公平性にだんまりしてたらダブスタでしょ? そんなことしてたら、左派のいうことは利益誘導しかなくて、正義はないってことになってしまう。これはゆるされない(実際にはそういうことも割とよくあるんだが)。

左派思想的な優越性を喧伝するためには、その思想的な潔癖さを他者と同時に自分にも向けなきゃならないわけだ。

それはつまり彼らの思想には構造的に「自分自身も、あるいは自分自身こそ厳しい批判対象にする」って言う特徴があるってことなのね。左派批判する代表勢力は、左派なわけ。

多くの学生運動共産運動内ゲバ(内部に党派が出来て互いに批判を繰り返す状況)になっていったのは、ゆえないことじゃなくて、左派思想にそういう性質がすでにあるからなんだよ。

もちろんこれって別に悪いことじゃない。反省したり自己改革できるのは、そうでないよりよいことだ。自浄能力ってのはある方が絶対に良い。

ただ、左派思想は、あんまりにも原理主義と相性がいい。

そもそも政治運動価値は「今の社会をより良い方向に一歩でもすすめる」ことにあるわけなんだけど、左派の唱える「より公平に、より豊かに、より合理的に、より正しく」って言う価値観を闇雲に信じる(=原理主義)になると、「唱えた正義を守るあまり社会は窮屈で住みづらくなる」「絶対正義断罪し過ぎで参加者全員血まみれで倒れる」みたいな状況が発生する。山荘での凄惨殺人とか、紅衛兵による自己批判処刑とかもそうだし、言葉狩りとか、行き過ぎたPCなんかもそれで、つまりそれらは目的を見失った原理主義の起こした悲劇なわけだ。

一方これらの行き過ぎた(=原理主義の)左派にたいする批判ってのも当然にある。気の狂った左派批判するのもまた左派役割から。まあ要約すると「加減しろバカ」って話だよね。

てなわけで、左派批判されている現在ってのは、実は全然悪い状況じゃないんだよ。批判を受けない思想なんて生かしておくと害悪のものだ。そもそも批判自由にできる環境」そのもの左派の求める人権的な宝の一端なわけで。「批判をたくさん受けて精錬されていくこと」は左派の望みなんだよ。

もちろん「叩きと私怨炎上の血に酔ってる人」なんてのは左右にかかわらずWebにいるわけだけど、多分そういう人らはこの記事読まないと思うし届かんのであん関係ないよね。

から左派は叩かれすぎ」なんて心配はいらなくて、むしろ「ばっち俺を叩いてくれ! その焰の中からリベラルは復活するんだぜぇ!」くらい言っといたほうが健康的だと思うよ。

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