はてなキーワード: 自己批判とは
田舎で事件が起きたら執拗に、「また◯◯か」だとか「◯◯は陰湿」だとか「田舎の闇」とか地域を叩くくせに、
東京都内で酷い事件や気持ち悪い事件が起きたら、東京を叩くコメントがでてこないのはなんでなの?
はてなユーザーは首都圏に住んでいる人が多いから自分達のことを自己批判したくないんだろうけど、それってダブルスタンダードじゃないの?
そういうと決まって、「いや、東京は田舎者の集まりだから」とかっていうんだろうけど、自分達の住んでいる場所なんだから、キッチリ自分達の地域のダメな所をきっちり自己批判しなよ。
http://www.sankei.com/affairs/news/171127/afr1711270020-n1.html
JR埼京線で女性取り囲み集団痴漢疑い 4人逮捕、ネットで集まる?
女性にはまだそれがない
それどころか「女の敵は女」等と言い出す
今まさにやってることがそれ
自己批判・自己改革、その文化が育たない限りは真の女性革新に至らないといってる
だから男性と対等になるには男性化しないといけないと言われてる
逆に男性は女性化していかなければいけない、それが男が育児したり子育てに参加すること
他にもたくさんあるが男性がやれることはたくさんある
なんならバリキャリ女性のための専業主夫だってプライド捨ててやらないといけない
その覚悟があるのかと問いている
男のすべてが、キモくて金のないおっさんなわけじゃあるまいし。性別としての「男」が叩かれているわけではないでしょ。
嫌なことをいえば、むしろいつまでも女を奴隷にしておきたい「男」は、金の有無やモテとは関係なく、あまねく一定にいるだろうね。
例えば妻には家庭に入ってほしい男、妻は自動的に夫の先祖の墓に入るのが当然だと思っている男、なんてのは、
むしろ金があるモテサイドの男に多く発生してそう。親学一派なども。
逆に、専業主婦になって養われたい女、なんてのも居て当然で、これを目の敵にしてるフェミもいる
(個人的にはそいつら馬鹿だと思うけど。生き方なんてその人の自由に選べるのが当たり前だと思うので)
自己批判してればインテリに見えるとか両論併記だとかのポーズでさ、わざとらしくブクマ改善と批判ブロガーとか注目エントリーで上位に上げてさw
そんな事より後進国やマーケティング会社に有料でブクマさせる薄汚いバイトをなんとかしようとかって気はないの? 金で作ったエントリの順位なんてテレビや出版社のステマ、ゴリ押しと何が違うのさ?
マジなんだとしたらこの相変わらず実体のないまま独り歩きしてる主語の使い方をまずなんとかしたいんだけどさ、理解できるのかな、元増田さんは。
オタクが攻撃してる趣味ってオタクが選挙でもしてその総意でオタク代表として攻撃したの? 気に入らないって大多数の中にオタクが目立ったの? まずこれ、どっちよ。
次にさ、オタク趣味って言うけどそれって何よ? ある特定の趣味を持ってる奴がオタクなの? それともオタクっていうのがいて、そういう奴がやってる趣味がオタク趣味なの? ぶっちゃけ考えたことないんでしょ。
普通に考えて元増田みたいのって自分がキモイと思ったら「うわこれオタクじゃない?」って認定するんでしょ? 自分は顔も出さずに(笑)。 んで「キモっ、キッモー」とかやりだすんだよね? ナイトプール自撮り隠れオタ女子のこととか考えもせずに。どんだけ自分に自信あるか知らないけど(笑)。
でさ、新しいものが流行ってそれに乗ってこないのがいると今度は遅れてるってバカにしてさ、貶して自分から敵を作っておいて、それへの反発が大きくなると「オタクに攻撃されてる」とかやりだしてない?
なんでこういう事書くかって、昔っからいるのよ、元増田みたいなタイプって。
まずさ、批判されてる趣味とされてない趣味、それからオタクとオタクじゃないものってのをハッキリさせてから書いてみない?
https://anond.hatelabo.jp/20170204103326
https://anond.hatelabo.jp/20170211131449
今の会社に入って2年ほど、入社時から大小様々なことがあり、正直言ってすぐに転職しようかどうか悩みながら働き続けてきたのだけど、とうとう転職することにした。
ちょっと前の話題だけど「無能と思われたら職場を変えたらいい」のエントリーには精神的にずいぶんと助けられた。
職種や仕事の内容は違うけれど、実際に自分も転職回数が多く、エントリーの内容には共感できるところもあり、身近に同じような考え方の人があまりいなかったため、自分以外のこういった考え方に触れられて新鮮だった。
実際には、このエントリーを読んで「よし、もうちょっと頑張ってみよう!」という気持ちになって頑張ってはみたものの、やっぱりダメでその後1ヶ月ぐらいで本格的に転職活動をすることとなった。
今まで大病を患ったこともなく、身体は丈夫な方なんだけど、20年近く社会人として働いてきて、初めて身体に症状が出てしまった。メンタル的にもそれっぽい症状が出てきていた。
ちなみに野菜もとってないし瞑想も運動もしていないけど、それらをすれば乗り越えられたかどうかというのは怪しい。
働く環境というのはとても大事で、実際に仕事ができない訳でもないのに周囲からの評価が低いと、それに影響されて自分で自分のことを「仕事ができない」と自己批判的になったり、卑屈になってしまう。
自分というものをそれなりに確立していたつもりではあったのだけど、それでもダメな時は本当にダメになるんだなと身を以て経験した2年だった。
そういった環境においても、何かしら誰かしらどこかしらに救われる要素があればいいのだけど、実際にはそういった要素もなく、周囲が全て敵に見えてしまうという状況だった。
自分としても良くないし、まぁ周囲に対しても良い影響は無い。
そういった状況下において、このエントリーに出会えて本当に感謝している。
そんな中でもいくつか学んだことがある
実際のところ鬱屈している状態では考え方を切り替えることすら難しくなるけど、そこは最後の砦として頑張るしかないと思っている。
振り返ってみると、会社とは何か、仕事とは何かを考える二年間だった。
自分の能力や経験、上司や会社のせいにするのは簡単だけれども、誰かのせいにしても意味がないので、さっさと辞めて次に行くのがベターな行動だとは思う。ただしベストな選択肢では無い。
もう少し自分のことを書く。
こう書くと「仕事が出来るんじゃん」と思われるかもしれないけど、評価をする人が変わる・見方が変わるとそういうこともあると思って欲しい。
要は一場面で無能認定されても、職場や仕事や見方が変わると無能ではないということ。
仕事で悩んでいる人、会社で悩んでいる人がいたら、少しでも転職の後押しだったり気持ちの入れ替えになってもらえれば嬉しい。
かくいう自分は未だにこの呪いが解けないで時々苦しくなるので、呪いにかかってしまう前に(自分でかけてしまう前に)、頑張れる内に頑張って欲しいのです。
後日談を書きました。
https://anond.hatelabo.jp/20200121231521
後日談の最後の方にも書いたんですが、働くのがツライ・転職活動がツライ・色々悩んでいるという人にとって、ちょっとでも気持ちの整理や気分転換につながったりしていれば本当に嬉しいです。
身近な人も2年ちょっと前のこの記事を読んでいてくれたと知ったのもあって、2020年1月早々から嬉しいなという気持ちになっています。ありがとう。
巷で密かに行われているこの手の陰湿な研修は、皆で一人を取り囲み、長時間欠点をあげつらって攻撃し心理的に追い詰める。あるいは集団で破廉恥行為や秘密の告白を強要し自尊心のリミットをはずさせる。前後して徹底的な自己批判をさせ、感情的になって自分は無価値だと思わせるところまで追い落としたあと、周囲の人間が抱きしめるなどして救済しお前は生まれ変わったと宣言する。完全な洗脳儀式で、欠点のある自分でも受け入れてくれた仲間と組織の秘密を守り永遠の忠誠を誓うソルジャーの誕生だ。
嫌ならやめられる新入社員よりも、家庭ももって逃げ道のない管理職の登用研修などでよく行われ、より効果をあげる。会社のためという口実で鬼畜にもとる行為を笑いながら行い、いざとなれば命まで差し出すような手合いはこうして生まれる。組織のあり方に疑問を呈したり、組織的不正を告発する人間は、こういった輩の陰湿な嫌がらせにより迫害され淘汰される。そこで生き抜くためには自ら進んで化け物になるか、精神的な死を選び化け物の傀儡となって身をまかせるしか選択肢はない。
そういう奴らが跋扈しているのが、日本の誇る東証一部上場企業だ。品行方正な常識人の集まりにすぎない(これは悪口ではない)監査法人が彼らのような集団に対抗して不正の摘発などできるわけがないのがよくわかるだろう。
T芝の実情がどうだったか詳しくは知らないが、自分はT芝の経理には同情している。してはいけないと分かっていてもしてしまう。
話はかなりぼかすが、数年前に転職した。
直接の原因としては、社内での評価が長年芳しくなかったことと、労働環境の悪化と、最後にパワハラに遭い、仕事を干されたためと、転職先で提示された年収が前職を大幅に上回っていたからである。
前職では新卒でとあるIT系企業に入社し、あるスマホアプリの開発を行っていた。
5年ぐらい経過し、当初10人いたチームが退職やら他プロジェクトへの異動などで最終的に自分1人になり、サーバの管理からバグ修正、深夜の障害対応やユーザから来るわけの分からないメールや頭のおかしい人間からの電話の対応、売上を上げるための企画や他社との渉外も全部プログラマーである自分が1人でやっていた。会社の規模は拡大しており、それに伴い人をどんどん採用していたが、採用した人は全員新しいプロジェクトに割り当てられていったため、最後まで自分の環境が改善することは無く、残業時間だけが伸びていった。
最終的に、自分の人件費+サーバの運用費用がそのプロジェクトの売上を下回りそうになったためにプロジェクトは終了となり、サービスも終了した。
その後、自分は別プロジェクトへの異動を命じられたが、異動数日でそこでの上司の不興を買い、自分の運命は決定した。
原因としては、自分が原因でとある問題を引き起こしてしまい、自分で解決し、収束後に時系列でまとめた事態の経緯と、原因、そしてシステム的に再発を防ぐ手段を構築した旨をまとめて上司に報告したがそれを見て「二度とこのようなミスを起こさないように自分を律して頑張るという心構えが入っていない」という、IT企業としてそれはどうなの?という納得いかない理由で不興を買った。
最終的に上司から仕事を干され、何もすることが無い状態で何故か倉庫整理をしたり、「稼働が無駄だし、君に払う人件費を誰が稼いでるかとか考えて欲しい」と1ヶ月近く自己批判する文章を延々と書いては消し書いては消しと繰り返しており、エロゲのレイプ目のような状態で仕事をして、友人に相談しても「何もしないでお金がもらえるなんて羨ましい」と言われるだけで、最終的に心身ともに限界が来た(通勤中や定食屋で他人に八つ当たりして時に暴力沙汰になったり、ここには書けないような事をやったりした)のと、ちょうど転職話が来たので辞めた。
転職してから数年経ったが、環境が真逆で未だに困惑している。簡単に書くとこういうことだ。
内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は、何もわかっていない
あいつらは、内容の無いことばかり喋っている」と言って、学校や職場の同僚を馬鹿にする人は多い。思春期にありがちなセリフかと思いきや、年配の人が、同じようなことを喋っているのを見て驚くこともある。
ウェイ「あいつらゲームとかの話ばっかり何が面白いんだ」に対して陰キャが「あいつらの会話内容なんじゃん」と言ったところにマジレスされても困る(わざとやってるのだろうけど)。その年配の人とやらも配偶者とかに「電波で仕事の話ばっかりよく飽きないね」的なことを言われて「主婦同士の会話のほうが飽きそうだが」とか感じてるだけのことだろう。
クラスの上半分のウェイは上昇・秩序ゲームやってるのかもしれないが下半分は生き残り・秩序ゲームなのである。上半分はいかにもっと有利なポジションにいけるか、いかに仲良くなるか、いかに役に立ってるアピールをするかで動いているが、下半分はいかにいじめられないか、トラブルに巻き込まれないか、余計なことを押し付けられないかで動く。
おいそれと転校・転職できない環境下なら、カースト弱者は簡単には逃げられないから、内容の無いコミュニケーションを回して校内政治・社内政治を確立し、ヒエラルキーを確定させるのは、コミュ強の社会適応としては有効だと思いますよ。多かれ少なかれ、これはみんなやってるじゃーん、な事だとも思う
https://twitter.com/twit_shirokuma/status/862819416282603520]
1年間はクラス替えもないのだから、上に行こうなどと考えるよりDQNの気まぐれいじめルーレットを避けることを考えたほうが現実的である。「優しいというのは言い訳であり自己保身」みたいな言い方がある通り、いい人キャラはいじめにくい。無害であり、上に行こうなんていう生意気なことは考えてない、という雰囲気を出す以外の選択肢はない。雑談で盛り上がるより相手の話を面白く聞いて興味深く質問するふりをするほうがいい。抵抗できなさそうなヤツだと思われる副作用もあるが、男気ある系のDQNや教師や先輩に気に入られていればなんとかなる。ウェイとは逆に「無害であること」「その集団に入らない努力」「分際を自覚し身の丈に合わない権利・責任は放棄すること」「過剰に買いかぶられないこと」「お節介を気分を害さないように断ること」が必要なのである。(そういう状況であるのに、某問題群のこととなると臆病だの批判をかわすための安全に痛い自己批判だの安全圏からメタ視線でのポリコレ批判だのという批判もあるが、彼らはオタクにどういう反応をしろというのだろうか)。陰キャが抵抗したり牙を向くときというのはこの秩序が強要や抑圧で乱れたときである。悪魔的なことを言えば陰キャ勢は一人いじめられっ子を生贄として差し出せば1年間は安泰なのであり、そのとき選ばれるのは上からも下からも反感を買う「自分は下じゃない」みたいなナルシスト系の陰キャだ。この時ウェイと陰キャの利害は一致している。
回避的であること、表向き主体性を放棄していることは陰キャにとって合理的である。何かの本で回避性人格障害の治療法が変わったと書いてあったのだが要するに「いじめれっこを同性同年齢の集団に戻していたが最近ではいじめが発生するからなされていない」というものだった。地域にもよるかもしれないがDQNにいじめられて回避的であることを合理的に選択した陰キャを1匹、DQNの群れに投げ入れるなんて狂気の沙汰じゃないだろうか。教師や先輩の介入が入りにくい「集団」に入れるなんて逆効果になるとしか思えない。治療方針の転換は妥当なのだろうと思う。また真面目系クズをACとする意見を見たことがあるが、これも因果関係が逆のように思う。自己犠牲ではなく、自分を大切にするためにこそ逆らわないのだから。
陰キャにとって「あいつは真面目wつまんないやつ」「空気」「影が薄い」「人生楽しいか」と言われたらそれは適応に成功している証拠である。「自分は透明な存在だ」「自分は誰の役にも立っていないのではないか」「何のために生きるのか、なぜ生きなければいけないのか」と感じる機会は当然ウェイより多くなるが、はなからそれ以外の選択肢などないのだから、感じるだけ問うだけ無駄なのであり、そう感じたり問うたりするのは大体が脳のコンディションが悪いときなのなのだから心より体調に気を使ったほうが良い。
長くなったが要するに、サッカー部に入ろうとも考えてない野球豚が「サッカーなんて玉けり遊び何が楽しいんだ」と言ったことにサカ豚から「玉ける練習で、レギュラーを目指してるんだ。」とかガチでこられても唖然とするほかないという話だ。昔のid:p_shirokumaなら「レギュラーになれないやつの僻みだ」と、あさっての方向の批判をしていたと思うが、今回のマジレスはさらに一光年あさっての方向に退却しているように思える。
千葉市長はバカフェミを今までもたくさん見てきてウンザリしてるわけですよ。
そんで「まーたバカフェミか」と、バカフェミカテゴリに放り込んで同じ対応をしてるだけです。個人として見てないと思うんだよね。
インタビューへの回答も含めて考えると、千葉市長の「あなたは普通ではない」発言は、バカフェミ界隈全体に対するものと捕らえるのが妥当でしょう。
バカフェミへの辟易・不信の現れです。バカフェミ界隈は自己批判と反省が必要ってことですよ。バカだから自覚も反省もしないだろうけどね。
あなたは1:1かも知れないが、こっちは市長1:千葉市民96万なんだよ。お前のバカ意見を聞いて96万人を蔑ろにできるわけねーだろ。
DeNAから306ページに渡る第三者委員会調査報告書が発表されたらしい。俺は面倒だから読んでないが、重要なことはたったひとつだ。
DeNAはこの二人のせいで50億円の損を出した。その金はそっくりそのまま二人のポケットに収まったままだ。
もっとひどいのは、これでエリート集団のイメージが完全に失墜したこと。一時期は東大からも大量採用できてたらしいが、もう無理だろう。
せっかく売れた不格好経営も台無しだ。スマホゲームで毎四半期に何十億も巻き上げてるDeNAにとって目先の50億なんて大したことない。
でも企業イメージの低下によって受ける将来損失を考えたら1000億ぐらいの損になったんじゃないか。
それだけのことをやったのに、こいつらは事実上なんの処分も受けなかった。
公の場で責任を追及されることも、謝罪を要求されることもなく、役員の地位も解任ではなく辞任で済んだ。
DeNAがどうしてここまで甘い対応を取るのか俺には不思議でしょうがない。
一説には社長の守安が村田にたぶらかされたんじゃないかって話もある。守安も自社株を1%も持ってないサラリーマン社長だから適当な判断を下したのかもしれない。
そいつらと一緒になってやってるうちに、スタートアップ村のモラルの低さが伝染したんだろうと思ってる。
とにかくあいつらと来たらひどい。金儲けできればなんでも良いと思ってる連中の集まりだ。
ベンチャーキャピタリストも起業家も口では良いことを言っているが、ほとんどはモテたい、儲けたい、目立ちたいのどれかで出来てる。
あの村でのヒエラルキーはとにかく金を集めた奴、Exitした奴が偉いってこと。
上場ゴールで袋叩きにあってたgumi國光も今じゃ平気な顔で次のホラを吹きまくってるし、赤字垂れ流しのクラウドワークス吉田も成功した起業家扱いで持ち上げられてる。
西麻布に行けば持ち株売って小金持ちになった起業家がヤンチャしてる姿なんてよく見るけど、そういう先輩の後ろ姿を見てるから、後から出てくる奴らも当然ろくでもないように育つんだ。
だから今回の村田マリの件だって、周辺の奴らは運が悪かったぐらいにしか思ってない。
なんだかんだいって50億で会社売ったんだからスゲエ、俺も成功してシンガポールで富裕層の仲間入りしてえとしか思ってないんだよな、ほとんどは。
こういうやったもん勝ちに対してちゃんと自己批判できないと、あんたらはいつまでも幼稚なジャパニーズスタートアップから抜け出せないままだと思うよ。
「世のため」とは人間社会のため、「人のため」とは他人のためなのですから、人間至上主義のエゴイズムがほとばしっていることにはかわりありません。さらにいえば、自分のためでは無いということによってあたかも「エゴイズムではありません」っていう大義名分を得るわけですから、むしろ危険です。
「世のため人のため」は人間中心の利己なのですから、どうやっても、地球のためとか宇宙のためとか動植物や国土風土のためだとかいう価値観には直結しえません。
道徳と称するものは、(儒教の)信仰ですから、「道徳はエゴイズムだ」というのはタブーであり、嫌悪されます。中国文化圏は儒教信仰で、日本というものも儒教国家です。そして、国家社会を維持するための方策として、儒教が教化されてきました。信仰を「間違っていますよ」と指摘されると怒るわけです、己の誇りの無さを埋めるために依拠するところですから。信仰とは、無批判に善悪が決まっていて、自然法則は抜け落ちます。日本は儒教国家ですから、儒教や道徳を批判することは国家社会の既成構造、既成状態を批判することと同じ、すなわち社会の既成状態によって助かっている人々にとって、儒教批判はタブーで、絶対にダメであるわけですね。
さて、例えば「一番じゃなきゃダメ」だというスパコンにせよ、その神戸のスパコンのケイってやつは確かに例えば気象シミュレーションに用いることで災害予測技術の向上にも活用されています。災害予測をすることで、「かけがえのない人命」が助かると、ほぼ皆思うでしょう?
人類は人間至上主義で、他の動植物や地球や宇宙のことが抜け落ちています。例えば、人命のためだとか、国家のためだとか、人類のためだとか、子孫繁栄のためだとか、そういう目的で資源も浪費するし、地球を破壊して、それでもなお増殖しようとしてきました。その異常性を省みることすら、ほぼ全ての人は、しません。
人命のためとか、産業のためとか、経済成長のためとか、国家のためだとか言っていれば、いくらでも資源を浪費してかまわないという理屈になるでしょう。そのためには、化石燃料を浪費するし、核燃料を遣ってでも電力をジャブジャブ消費可能にしなければならないということになる。防犯のためならば電灯点けっぱなしにもするし、宣伝のためならば看板の電灯も点けっぱなしにするし、自家用車は売りつけるし、誰もがモノを所有し放題で浪費していいという社会状態にした方が都合がいいわけです。
そもそもは例えば神道にせよ、原初の神道、つまり神祇信仰、いわゆる自然崇拝という時点では、地球や宇宙や自然現象に対する畏敬がありました。天皇は祭祀を行いますが、その祭祀の目的は天神地祇、つまり自然や自然現象の御機嫌を読むことです。それは、天皇以前の卑弥呼などであっても同じです。そういう超能力(ESP)であり、そういう職業です。
それに対して、神社神道へと変遷し信仰の対象が人へと換わり、そして人間の我欲を満たすことが主目的の祈願ばかりが行われるようになり、さらには国家主義のいわゆる右翼にせよ国家神道と称する儒教を信仰しているわけですけれども、そうなるともう人間社会至上のエゴイズムです。
人間ってそんなに大したタマなんか? 「かけがえのない命」っていうけど、どうせそのうち死ぬんだろ? それが当然の自然法則であるわけですから、その現実を直視してイヤイヤしないのが、本来の神道(原初神道)もそうですし、本来の仏教(人間釈尊が説いた仏教)もそうです。
儒教や国家主義だけではなく、民主主義とか共産主義とかでも凡そ、人間中心主義から脱け出られません。人間至上のエゴイズムから脱出するには、そもそもの自分自身の思想が、脳が、その域に達する必要があります。デモクラシーであろうがコミュニズムであろうが、当の人々ひとりひとりがその域に達した生物にならなければ、人間至上から抜け出した自己客観視の可能なスーパーエゴのある社会にはなりえないのです。むしろ、民主主義とかいってその域に達しない人が政治参加をして自己批判もしないでいると、エゴイズムによる政治になります。つまり衆愚政治になります。けれど言うまでもなく、独裁体制や階級政治、身分による社会であっても、社会を差配する者がエゴイストであれば、話になりません。
そうすると、今の、安倍日本にせよ、プーチンロシアにせよ、トランプアメリカにせよ、どうなのかって、いちいちここで言うまでもないと思います。
本来、三大命題の二つ目を書きたかったところだが、こちらの問題を先に論じさせてもらう。
この論考は以下のURLにたいする一人の若者からの反論である。
https://togetter.com/li/1080097
以上の新聞記事で、上野女史は「経済を犠牲にしてでも、平和国家として衰退すればいい」と主張している。
この主張にたいする批判等は、本職の社会学者に任せるとして、ここでは私の純粋なる反感について述べていきたい。
上野女史は無邪気にも、戦後日本を「平和国家」としてとらえている。
この考えはまったくの見識違いといわざるをえない。
そもそも、戦後日本の社会体制は1940年代の「総力戦」体制を「経済最優先」の形として再編したものである。
扶養控除、源泉徴収、終身雇用制、護送船団方式のすべてが元々「戦争を想定して」造られたものだ。
1950~60年代には、「高度経済成長」の美称の裏で、世界でも稀にみる学生運動、市民運動、社会不安が吹き荒れていた。
70~90年代にかけては、家庭や企業に社会体制のガタが入り、人々を「死へと誘う」システムへと変貌していった。
これが少年非行やいじめ、過労死などの狂気的な状況を引き起こした。
戦後日本とは、世界的にも稀にみるただの「ゆたかな社会」である。
まったく「平和」でも「民主的」でも「自由」でもなかった。ただただ「ゆたか」だっただけである。
しかも、「ゆたかな社会」は90年代~2011年にかけて完全に崩壊した。
最後に、原発事故とともに社会の安全神話が吹き飛んでしまった。
この事実について語らない者はすべて、今の時代にたいして不誠実である。
それはギデンズやバウマン、ジョッグ・ヤングなどを見てもらえば分かるが「流動的、効率的」である。
企業におけるセーフティーネットが「生産性や自己実現の神話」の名のもとに縮小され、
政府が担っていた安全保障は「構造改革」の名のもとに縮小され、
監視カメラやSNSの監視なしに、人々は安心して生きることができない。
不誠実な脳科学や認知神経科学、AI研究によって人間という「私」の特権性が失われ、
人々は常に失職と人間的尊厳の消失を心配するようになっている。
そして、このような多様な人々が同じ町で同じように暮らしている。
このように、後期近代社会とは
当たり前だったものがすべて崩れ去り、人間を永遠の虚無へと投げ出すのである。
このような状況では、人々は二つのレベルの不安を抱えることになる。
である。
人生の多くを占める活動である仕事にふさわしい「対価」が支払われなくなってしまった。
一方、ただ一日中、パソコンを見つめて投資とやらというギャンブルをするだけでも「対価」を得られる人々もいる。
「不当な地位にいる!」
「ふさわしい金額、敬意をもらっていない!」
という相対的剥奪感を抱かせる。
また、後期近代の社会はいわゆる「コミュ力」の高い人々が成功する。
軽薄に仕事にたいする敬意なく、強者に追従する人々が「評価」され、グローバルエリートとして出世していく。
そして、仕事に真面目ながらも報われない弱者は常に「自己批判」と「変革」を迫られる。
二極化する現実に人々は「私は人間らしい扱いを受けていない」という存在論的不安を抱かせる。
そして、人々はつねに不平不満をもらすのだ。
「私はこうなれたのに……」
「私もこうしたかった……」
ここでは深く述べないが、この可能性としての私=‹他我›にたいする深い怒りの感情が現代の社会不安の核心にあるように思う。
上野女史は「みんな貧しくなる」ことによって、この怒りを無くせるなんて無邪気にも思っている。しかし、それは不可能である。
この感情こそが永遠の虚無において、私を生きることのできる唯一の鍵だからである。
――常に人々に嫉妬を抱かせながら、その嫉妬を用いて欲望を加速させる。そして、その嫉妬を全身に受ける者は高笑いしつづける。
このような後期近代のグロテスクさに最初に抗議をあげたのが赤木智弘だった。
彼はある論考で「夢は戦争」とドゥルーズ的な集団自殺の理論を主張した。
今や「戦争」こそが「富裕層」を富ませ、「貧困層」を殺すことを知っているからだ。
加藤智大、植松聖などの社会的自殺者は、情報として処理され資本となる。
そして、情報となった「自殺」は「貧困層」による社会転覆の不可能性を解き、
後期近代において、「自殺」こそが「富裕層」へのもっとも積極的な「支援行為」なのだ。
防ぎようのない「天災」によって、
この瞬間を心の底から待ち望む。
109が崩壊し、秋葉原が灰塵に帰し、大手町のサーバーがダウンし
白金の御婦人たちが焼け出され、お台場の子どもたちが押しつぶされるとき、
そのときに来るのが、
東のいう変質したファシズムなのか
知ったことではない。
相対的剥奪感や存在論的不安に晒されることなく嗤いたいのである。
そして、私は嗤いながら確信する。