そうだろう?
https://www.sanspo.com/geino/news/20180920/pol18092011580003-n1.html
石破と安倍の討論をテレビで見たけど、石破の意見は安倍・プラス・アルファみたいな感じで
安倍に足りないところがあるみたいな意見だったけど、必要なのは別軸を語れる人間でしょう?
これは歴史の流れなんだと思うが、野党という批判するだけの勢力を含み、私達は健全な批判勢力として肯定している。
対案なんて必要ない。私はあなたとは違うといえる人間がいればいいだけだ。
それは単純な批判だけでも成し遂げられるということだ。
そして野党がしょぼくなれば、自民党内部に批判するだけの勢力が生まれ
その批判するだけ人間が政権を取る。それは民主党の時と一緒だ。
私はあなたとは違うということから出発すれば、それは別の軸に移動する必要性が生まれるだろうし。
現時点で対案がないことが、悪いことではない。
それは批判するだけでもいいってこと。別の案がなかったとしても。
しかし、考え方を変えれば批判とは、私はあなたとは違うという標だ。
マスコミや市民は私はあなたとは違う、ということを永遠にできる。
別軸に移動する必要性がない。
それは反自民でずっとやってきたと述べた報道ステーションの古舘伊知郎のように。
言い直そう、つまり批判するだけという問題は野党ではなくマスコミや私達、市民にある。
それは対案を考えるという意味ではない。対案を欲するべきだということだ。
(ここでツイッターなどで政治議論されている方は当然除く。彼らは誹謗中傷にさらされて別軸に移動する必要性があるかもしれない。)
私はあなたとは違うということが必要なのか?という疑問はあると思う。
なぜ健全な批判勢力を求めているか、というのと同じ答えになると思う。
同じ人間であるなら、権力構造に従属するしか無いということがある。
それは学校でもそうで、ヒエラルキーが決まると、上の階層の人間は意見を出しまくるが、下の階層のものは意見がまるででなくなるのに近い。
自己批判ということはできると思うが、同じ人間ということで適用できるわけではない。
同じ人間ではあるが、批判するだけで別の人間になってしまうぐらい弱い論理的な繋がりにすぎない。
しかし自己は違う。私自身を批判した所で、私でなくなるというぐらい弱いものではないのだ。
“ヒハンなき政治”がお望みか 今井絵理子でも支持しとけ馬鹿