はてなキーワード: 批判勢力とは
同じ階級社会のイギリスではメディアからプレッシャーと研究者から非難がちゃんと入ったのになぁ
BBC:Sir Patrick Vallance「集団免疫やっぞ」
しかし、”専門家として一生に一度の大変な決断を迫られているのは、ほかでもないサー・パトリックとウィッティー教授”なのだという認識は、批判勢力の間にもある。
それだけに、他の科学者たちは今のところは2人の判断を尊重し、異論は表向き口にせず、事態の推移を注視している。少なくとも、今のところは。
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BBC:イギリス独自のウイルス対策、「国民の命を危険に」と多数の科学者反対
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-51894727
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※残念ながら当然の結果(日本以外では)
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方針転向後、Sir Patrick Vallance
その愛弟子である胡錦涛さんもそのマインドを受け継いだのだろう
オープンマインドだった 胡耀邦・趙紫陽の時代(藤村 幸義)2011年4月
最近の中国は経済発展こそ著しいが、自由闊達な雰囲気はあまり伝わってこない。それどころか政治の民主化は遅れ、メディアへの規制は強まるばかり。経済面では国有企業の勢力が再び増している。なにか時代に逆行している印象もある。
これまでの経済発展方式を転換すると言いながら、実際には大胆な改革に踏み切れずにいるのも歯がゆい。改革・開放政策に着手してから30年余り。中国はいまいちど、この政策に着手したころ、胡耀邦・趙紫陽がリーダーシップをとっていたころのオープンで溌剌とした雰囲気を思い起こす必要があるのではないか。
胡耀邦に初めて会ったのは、北京空港だった。筆者が特派員として北京に赴任してまもない1979年の半ばころだったと記憶している。すでに前年末の党中央委員会議で、中央政治局委員・党中央宣伝部長への就任が決まっていたが、我々外国人記者の前には姿を見せていなかった。
背が低くて頭は三分刈りくらい、なんとも貧相な男が、突然筆者の前に姿を現した。にこやかに笑っている。すぐに、これがあの胡耀邦だと分かった。つまり、筆者が復活後の胡耀邦の姿を見た最初の外国人記者だったのだ。気がついた他の記者たちが寄ってきて、たちまちのうちに人垣を作ってしまった。
その後はとんとん拍子で出世していく。1981年6月に華国鋒のあとを継いで党主席に就任した(1982年9月には党主席制の廃止に伴い、新しく導入された総書記に就任)。
筆者がその自由闊達な人柄に直接触れたのは、1984年6月、日本経済新聞社が人民日報との交流をスタートさせ、北京に取材代表団を送り込んだ時だった。人民大会堂で、胡耀邦と会見するチャンスを与えられた。初めて会った時の貧相な感じは消え、頭髪も長く伸ばし、威風堂々としていた。
中国首脳との会見では、相手側に一方的に喋りまくられ、こちらから質問するきっかけを作りにくいのが通例だった。しかし我々は違った。儀礼的なあいさつは最小限にとどめ、日本経済新聞社の初代北京支局長だった鮫島敬治氏と筆者がタッグを組んで、次々と質問を繰り出した。
これに胡耀邦も応えてくれた。会見は予定時間を大幅に超え、1時間半にも及んだ。「今後10年間に外国から500億ドルの外資を導入してもいい」と、手に持った鉛筆を振りかざしながら、対外開放に積極的な姿勢をアピールした。
このやりとりがよほど気に入ったらしい。最後に胡耀邦は、同席した人民日報の秦川社長の方を向いて、「ことし秋に人民日報と日本経済新聞が共催してシンポジウムを開くように」と指示したのだった。秦川社長も驚いた様子だったが、すぐに同意し、その場で日中経済シンポジウムの開催が決まってしまった。
かくて1984年11月に「中国の対外開放政策と日中の経済・技術協力」をテーマにした日中経済シンポジウムが北京で開催された。筆者は当時、国際部デスクだったが、数カ月ほどその仕事を離れ、シンポジウムの準備にかかりっきりになったのを覚えている。シンポジウムのパネリストには、いま日本航空再建に采配を振るっておられる稲盛和夫・京セラ社長(当時)にも加わってもらった。
シンポジウム終了後には、胡耀邦と再び会見できた。年に2回も会ったことになる。メディアが単独で年に2回も中国首脳と会えたというのは、異例中の異例だった。
胡耀邦はこの時、韓国との直接貿易について「南北交流の進展を見ながら」との条件付きながら開始を示唆した。いまや中韓の貿易は大きく発展しているが、当時としてはかなり大胆な発言だった。我々との2回目の会談に胡耀邦も気を許したのかもしれない。
胡耀邦は1987年1月に総書記を解任されるが、日中経済シンポジウムは継続され、1988年11月に北京で第3回目が開催される。この時に会見したのが、胡耀邦の後任として総書記に就任した趙紫陽だった。
趙紫陽も胡耀邦に負けず劣らず、あっけらかんとしていて、オープンマインドだった。ブルジョワ的との批判を恐れずに、いち早く背広を着こなし、ゴルフ場にも通った。
ある時、明の十三陵近くのゴルフ場で趙紫陽とばったり顔を合わせたことがある。アウトの3番か4番だったろうか、ゴルフ場スタッフが駆け込んできて、「中国の偉い人がプレーするので、ちょっと待っていてほしい」と要請された。しばらくすると、趙紫陽がパターを手にしてやってきた。せっかちな仕草で、最後までボールを沈めずに、次のホールへと移動していってしまった。
会見では終始、ハイテンションだった。すでにこの頃になると、批判勢力の攻撃にさらされ、趙紫陽の政治的立場はかなり苦しくなっていた。会見が始まって間もなく、趙紫陽は付き人にビールを持ってくるように要求した。外国人との会見で、中国首脳がビールを飲むというのは、おそらく前例のないことだろう。約1時間の会見中にコップ2杯を飲みほした。ビールに力を借りなければ、思い切ったことも言えなかったのであろうか。この会見の半年後に、趙紫陽も天安門事件にからんで失脚してしまう。
●改革に前向きだった両首脳
胡耀邦失脚の際に、日中経済シンポジウム開催を独断で決めてしまったことが失脚の一つの理由になった、との報道もあった。しかしその後もシンポジウムは隔年開催で続けられ、日中交流の促進に役割を果たした。
胡耀邦、趙紫陽ともに、中国の古くからの悪弊を取り除き、新しい枠組みを作り上げようと一生懸命だった。やや性急なところがあったにせよ、常に前向きの姿勢を失わなかった。
中国はいま、経済成長の維持、インフレ抑制、投資から消費中心への構造転換、という3つの難題に直面している。ところがこの3つの中で、どうしても優先しがちなのは、経済成長の維持である。国際金融危機に際しても4兆元という巨額の財政投入によって、成長率を維持しようとがむしゃらになった。
その結果、GDPが日本を抜いて世界第2位となるなど、世界から大いに注目を浴びたのだが、半面でその後遺症ともいえるインフレに手を焼いている。ましてや、投資から消費中心への構造転換になると、対策が後手に回りがちで、ほとんど効果をあげていない。胡耀邦や趙紫陽のあの改革へのチャレンジ精神をいまいちど、思い返すべきだろう。
特に胡耀邦は清廉潔白なことでも知られていた。昨年4月、人民日報は温家宝首相が執筆した、胡耀邦を評価する論文を掲載している。その中で温首相は、「70歳を過ぎた胡耀邦が、食事や睡眠の時間も惜しんで人々の暮らしぶりを知ろうと、対話などに努めた」と胡耀邦の地方視察に同行した時の思い出を披露している。暖房が効かない宿舎に泊まって風邪をひき、高熱を出したが、それでも仕事を続けたという。胡耀邦がいま存命ならば、腐敗・汚職が蔓延している最近の中国政治に何と言うだろうか。
ふじむら・たかよし 1944年生まれ 67年日本経済新聞入社 北京特派員 論説委員などを経て2000年退社 現在 拓殖大学国際学部教授 著書に『老いはじめた中国』(アスキー新書)『中国の世紀 鍵にぎる三峡ダムと西部大開発』(中央経済社)など
選挙で野党連合が勝てなかった事で、自民党を選択した国民は「肉屋を支持する豚」「愚民」と批判されていたけれど、
立憲民主党の代表選が行われる時期に至って思うのは、愚民ってのは野党の支持者の方なのではないかということ。
先に自民党の総裁選が行われていた時は、告示前から誰が立候補し、誰が誰を支持するのか?
各候補は何を主張し、何を訴えて戦うのか?
と言う事が盛んに報道され、はてなブックマークでも人気エントリとして上位のブックマーク数を集めていたし
増田でも盛んに総裁選の記事が書かれていたように記憶している。
ところが、告示前日の今日も「政治と経済」の人気エントリは、午前11時30分現在でモリカケであり
立憲民主党代表選関連の記事のブックマーク数は10分の1以下である。
不正などないと赤木さんが言ってる状況で、野党やメディアが不正があるという断定で吊し上げ無用な仕事を増やし、鬱病による自殺に追い込んだという事実を無視して
未だに何か不正があったという前提で無駄に騒いでいる一方で、代表選で誰が選ばれて、何をしようとしているかという未来には興味を持たない。
妄想をベースにして難癖をつけるばかりで、語るべき未来を持たない人間を愚民と言わずして何と言うのだろう?
自民党にも支持者にも語るべき未来があり、誰が政治の中心を担うのかを語る人々がいた。
未来を語る人の声に耳を傾け、妄想だけで騒ぐ声に耳を閉ざし選ばない日本人は、むしろ賢かったと言えるのではないかと思う。
未来に興味を持たない、結果に責任を持たない、そんな批判勢力に人生を預けたい人なんていないのが普通と言うものだ。
愚民と言うのは、語るべき未来も持たない意味なく騒ぐだけのお前らなのでは?
少なくともマスメディアは、立憲民主党の代表候補を呼んで30分くらいの討論番組を連日行う位はすべきだろうね。
自民支持の俺は、あの中では最もまともな政治家である泉が何を言ってるか、何をしようとしてるか位は抑えておいてもいいとは思う。
個人的には可能なら中止が最善という考えは日に日に強まっているけど、べつに家で試合を見て楽しんでる人を「許さん!」とは思わないし、そもそも家で見てる分にはなんら問題ない。つーか対立構造にする必要ある?
こういうブコメがあるんだけど、何がおかしいのかわからんのかな。
あれだけオリンピック開催を悪魔化しておきながら、視聴して楽しむのは別って。(このコメの人が悪魔化してたかどうかは知らないがはてな民はそれが多数だろ)
左派の中には小林賢太郎のホロコーストネタの笑ってる観客を痛烈批判してる人もいるんだぜ。
観客がネタの内容を理解して笑ってるのか、その場の雰囲気で笑ってるかなんてわかんないだろ。それでも観客が悪いという言い方。
そりゃそうだ。
ナチスの被害の拡大はドイツ国民やオーストリア国民がまさにその小林賢太郎の観客状態だったから起きたことだろ。そういうところから始まって、もう大衆の力では何ともできないところまでナチスを肥大化させてしまった。観客気分だった自分たちが、次はいつ殺されるかわからない状態に陥ったわけだ。
小山田圭吾の件だって、それを受容していた界隈やファンたちへの批判言説もあるが、それも同じ理路だわな。いじめという名称の犯罪行為を知っていて見て見ぬ振りは緊急避難的な状況でも成立しない限りは同罪という理屈は理解できる。また、いじめという名称の犯罪を武勇伝のように語られていることを楽しんだり受容したりするのは、ユダヤ人虐殺を見て見ぬ振りしたり受け入れたりすることと何が違うんだという理屈は当然に成り立つ。
小林賢太郎の観客批判をしている左派の人は一貫性があると思うわ。俺はオリンピック開催賛成派でオリンピック開催が悪魔化するほどの行いには見えないけどね。
だけど、オリンピック開催を命を軽んじる反人道的な行いと断じておきながら、視聴して楽しむのは罪じゃないって考えてる批判勢力に対してはモヤモヤするね。
佐々木俊尚が「批判するなら対案を」ではなく「批判するなら理念も示せ」という記事を書いていたけど、まさにそのとおりのことだよ、これは。
同じ階級社会のイギリスではメディアからプレッシャーと研究者から非難がちゃんと入ったのになぁ
BBC:Sir Patrick Vallance「集団免疫やっぞ」
しかし、
”専門家として一生に一度の大変な決断を迫られているのは、ほかでもないサー・パトリックとウィッティー教授”
なのだという認識は、批判勢力の間にもある。それだけに、他の科学者たちは今のところは2人の判断を尊重し、異論は表向き口にせず、事態の推移を注視している。少なくとも、今のところは。
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BBC:イギリス独自のウイルス対策、「国民の命を危険に」と多数の科学者反対 https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-51894727
※残念ながら当然の結果(日本以外では)
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方針転向後、Sir Patrick Vallance
そうだろう?
https://www.sanspo.com/geino/news/20180920/pol18092011580003-n1.html
石破と安倍の討論をテレビで見たけど、石破の意見は安倍・プラス・アルファみたいな感じで
安倍に足りないところがあるみたいな意見だったけど、必要なのは別軸を語れる人間でしょう?
これは歴史の流れなんだと思うが、野党という批判するだけの勢力を含み、私達は健全な批判勢力として肯定している。
対案なんて必要ない。私はあなたとは違うといえる人間がいればいいだけだ。
それは単純な批判だけでも成し遂げられるということだ。
そして野党がしょぼくなれば、自民党内部に批判するだけの勢力が生まれ
その批判するだけ人間が政権を取る。それは民主党の時と一緒だ。
私はあなたとは違うということから出発すれば、それは別の軸に移動する必要性が生まれるだろうし。
現時点で対案がないことが、悪いことではない。
それは批判するだけでもいいってこと。別の案がなかったとしても。
しかし、考え方を変えれば批判とは、私はあなたとは違うという標だ。
マスコミや市民は私はあなたとは違う、ということを永遠にできる。
別軸に移動する必要性がない。
それは反自民でずっとやってきたと述べた報道ステーションの古舘伊知郎のように。
言い直そう、つまり批判するだけという問題は野党ではなくマスコミや私達、市民にある。
それは対案を考えるという意味ではない。対案を欲するべきだということだ。
(ここでツイッターなどで政治議論されている方は当然除く。彼らは誹謗中傷にさらされて別軸に移動する必要性があるかもしれない。)
私はあなたとは違うということが必要なのか?という疑問はあると思う。
なぜ健全な批判勢力を求めているか、というのと同じ答えになると思う。
同じ人間であるなら、権力構造に従属するしか無いということがある。
それは学校でもそうで、ヒエラルキーが決まると、上の階層の人間は意見を出しまくるが、下の階層のものは意見がまるででなくなるのに近い。
自己批判ということはできると思うが、同じ人間ということで適用できるわけではない。
同じ人間ではあるが、批判するだけで別の人間になってしまうぐらい弱い論理的な繋がりにすぎない。
しかし自己は違う。私自身を批判した所で、私でなくなるというぐらい弱いものではないのだ。