はてなキーワード: 田中とは
オマーンに「オマーン国際空港」はない! そして海外旅行に言葉の壁もない! - さくマガ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/sakumaga.sakura.ad.jp/entry/2019/11/12/145105
ちなみに続きの文章ははてなをオワコン認定するという企業経営者としてどうなんだって文章
田中邦裕 on Twitter: "なんか、昔から使っていた個人用のはてなアカウントと、スマホ使い始めてから登録した会社的なはてなアカウントの2つを持つのは規約違反だということに初めて気が付いた。 両方でブックマークしたら、アカがBANされたw どうりて、ブクマ付か…
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kunihirotanaka/status/1201080518617387009
俺だよ俺、息子の田中だよ
日本の大学、特に文系の学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系の学者達は自分たちの存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系の研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系の先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。
だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端の研究は専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン。一般・特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系の研究も基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。
本題に入ろう。最近、1つの書評論文が東大の言語学研究室発行の紀要に出た。
田中太一「日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型論原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313
https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2
著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学科 准教授の中野研一郎先生。
普通、書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後にちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評も酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンのフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。
一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である「博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大な論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分のオリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間の知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。
そして博士論文の原稿は、3~5人の審査委員が審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学の教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文を大学に提出していいかを審査する二次審査、最後に論文が完成し、大学に提出された後、博士の学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。
ミサト:おめでとう!
アスカ:おめでとう!
レイ:おめでとう。
研究者人生のフィナーレではないが、1つのピークである。こうやって研究者の能力にお墨付きを与えるのが大学の存在意義の大きな一部分だ。
要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ。日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本の大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校の先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学の准教授になったようだ。周知の通り、大学の終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。
博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学の博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学の博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学に就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生の師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型論原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本を代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生は2014年度に京大を定年退官して、2015年度からは中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文の審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査の主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。
さて、超大物お墨付きの博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからないからパス。3節「日本語に存在しないとされるもの」から見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分からの引用がある。
「日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリが妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである「日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。
(『認知言語類型論原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)
昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋『日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579
主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型論原理』は、ミニマリストの断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞/他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。
これは熊倉千之氏の「音象徴」理論に基づいているそうで、熊倉氏は、
膠着語にかんして、「イメージとイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。
とのこと。
近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性の原理を否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣の名前は、音と意味の関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴は基本的にオノマトペ(擬音語・擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかもあくまで傾向性。言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、
「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。
知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、
「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)
と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴は
「日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)
この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである。同音異義語の存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)
確かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、
「日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味・機能も通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本語 やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)
と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信と関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。
そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生や熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、
1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学、サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年に帰国後、東京家政学院大学教授、1999年金城学院大学教授。2007年退職。
という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学。言語について言語学界とは関係なく自由に思索・著述をしている人のようだ。そういう独自の言語論を唱える文学や思想の研究者はよくいるけど、普通の言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型論原理』もその類の本だったなら、東大で言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大の言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ。
他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。
ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的に文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ、英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!
ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後の激辛書評論文を大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型論原理』は、博士論文の審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!
もう終わりにしよう。書評の批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員の指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版社からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文の審査結果の要旨とほとんど同じ。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf
本論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式・文法カテゴリが創発する根源的理由の説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た
全体的にジェンダー観がキツい。
受け付けない人は密かに多そう。
作品テーマ的に善悪の価値観や差別問題にコミットしているのだが
バトルもの。
対象年齢は低めで良くも悪くも毒が薄い。
美少女に囲まれていても自分からは絶対に手を出さない紳士だが、
舞台が大正時代ということもあってか家父長的な描写が指摘される。
設定はショッキングだが、ややこしい問題に深入りはしていない印象。
ラブコメ。
ゆらぎ荘ほどではないがお色気描写あり。
過激なアプローチを受けたりエッチなトラブルに巻き込まれたりする構図。
バトルもの。
「作者は分かってる!」と持ち上げるほどでもない。
バトルもの。
一昔前の少女漫画的なノリ。
バトルもの。
ONE PIECEと同じく、中途半端に社会問題とかに踏み込むことで、
かえって作者の価値観がキツく感じる系。
バトルもの。
ギャグ。
ポリコレ的にはどちらが良いのだろうか…。
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「田中」という男が山を登る番組。https://www.greattraverse.com/
でも見てるとどうしても違和感がある。
田中は頑張っている。
カメラマンは画面に映らないが、そこにカメラマンがいることにどうしても意識がいってしまう。
とてもすごいカメラマンがあまりすごくないけど頑張っている田中を撮っているという構図になっている。
視聴者は「田中が頑張っている」様子を強制的に見させられている。
誰によって?
なぜか。
田中は頑張っている。
それはわかった。
あまりすごくないけど頑張っている田中のそばにもっとすごいカメラマンがいると分かった上であえて田中だけ見せられているのはなんとも変な感じだ。
田中が疲れた表情していてもカメラマンは涼しい顔しているかもしれない。
本当にすごい人が主役にならず、あまりすごくない人が主役になっている。
「感じさせられる女」「感じさせる男」という役割は、いつ生まれたか(田中 亜以子) | 現代ビジネス | 講談社
これな。中を読めばなるほどと思わされる近現代の面白いトピックがたくさん書いてあるんだけど、それはいいんだが、総論があまりにおおげさじゃね? 「男性が女性を『感じさせる』セックスをデフォルトとする価値観の誕生は、20世紀初頭の西欧に見出すことができる」とある。マジかよ、と驚いた。
「とはいえ、女性=受動的、男性=能動的とする当時の性別観は強固に維持された。(中略)『感じさせられる女/感じさせる男』の誕生である」ともある。そこに至る論旨がよくわからないんだが、なんか「女性=受動的、男性=能動的とする性別観」イコール「感じさせられる女/感じさせる男、という性別観」であり、そんな価値観は19世紀以前の地球人類には存在しなかった、と言ってるように読める。そりゃいくらなんでもおおげさじゃねーの。
そんなに最近生まれた特殊な価値観だとしたら、「昔のセックスは男女対称だった」という例が,いくらでも挙げられるハズだ。しかしどこまで読んでも、それは、ない。ないのはどう考えてもオカシイんだが、そう指摘するブコメもない。春画では男女が対称的に絡み合ってる、という仄めかしが冒頭にあり、全体の締めに「性的快楽の平等は、女性のリプロダクティブ・ライツの保障はもとより、社会的に女性が男性と対等な存在となることなしに、ありえない。そして、そのときこそ単純な『感じさせられる/感じさせる』という性役割も消滅しているのではないだろうか」とあるが、その割に、江戸時代の町人男女は社会的に対等で性的に対称だった、のかどうか、踏み込んだ検証もない。なんでないの。ないならなんで仄めかすの。
オスがアプローチし、
諾否の決定権はメスが持つ。
オスが攻めでメスが受け。
その構図が、西暦1900年以降の西欧で発明されたものだっちゅーの? アホか。地球上の大抵の虫も鳥も、カメレオンもクジャクもラッコもカメも、そういうふうになってるじゃないか。それでも普遍的とは言えない、というなら別にそれでいいけど、数億年単位の歴史があるものを「誕生は、20世紀初頭の西欧」って、ないわー。
◉◉
精子は貧弱だが活発で無尽蔵、卵子は富栄養だが不活発で希少である。種の生存戦略としてそれが普遍的な正解だとは言わない。原初の地球の原初の海の所与の条件下で、たまたま結果としてそういうタイプが勢力を拡大した、ということなのかどうか、まあとにかく事実としてそうなった。そういうタイプの生物に於いては、オスが遺伝子を残す確率は、ほぼ、孕ませたメスの数に比例する。要するに、片っ端からヤリたがるのが正しい。
一方、メスはいくらヤッたって、一繁殖期当たり、通常一体のオスの子しか孕めない。当然、遺伝子を残す確率を高めるには、相手を厳選しなくてはならない。クソみたいなカスみたいなオスに孕まされたら一巻の終わりだ。なにせ卵子は希少なのだから。ヤリチンは英雄だがヤリマンは愚か。例外は「タマシギ」くらいしか知られていない。
ヒトの場合で言うと、オスは1年で300人を孕ませることだって(3000人だって)原理的には可能だが、メスはその間、一度しか妊娠できない。クソみたいなオスのアプローチを、時にかわし時に撥ね付け、同時に一方では懐妊のタイムリミットも気にしつつ、落としどころで妥協して決断して受諾するしかない。人気ブコメに「女が『やらせてあげる』(男が『やらせてもらう』)っていう表現や意識は絶滅してほしい」というのがあるけれど、そういう意識の根源はここにあり、絶滅はなかなかむずかしいと思う。「誕生は、20世紀初頭の西欧」って、ないわー。
◉◉
昔のブンガクの話をする。好色一代女は、「堂上家の姫君に生まれた一代女が、その道を踏み外して、快楽と苦悩とのないまぜになった売春生活の末に、次第次第に転落し、太夫から天神、私娼へと堕ちてゆく」話で、1686年刊、とWikipediaにある。
あるいは八百屋お七。これはどこまでが史実でどこが創作文学なのかわからないんだが、大火で焼け出されたうぶな少女が、避難所で遊び人にヤラれちゃって忘我の境地を知りメロメロになり、そのオトコに逃げられて想いを募らせ罪を犯すという話が、当時も、現代においても、深い同情と共感を呼ぶ。
あるいは竹取物語。男たちが求婚し、諾否の決定権は女が持つという、まさにそういう構図の話だ。
あるいは「逢ひ見ての のちの心にくらぶれば 昔はものを 思はざりけり」とか「つれなのふりや すげなのかおや あのようなひとが はたとおちる」とか、どうですか。エロいでしょう。西洋の寓話には「眠れる美少女がイケメンのキスで目覚める」というのが多く、男女逆のは聞いたことがない。あれも、そういうことじゃないんですか。
あるいはオウィディウスの「恋愛指南」(複数の和訳があるらしい。以下はネットで拾いましたすみません)。「私は[女が]自分の喜悦をついもらす声を聞くと嬉しくなる。私に待ってくれとか、こらえてくれとか、いってくれるのは嬉しい。女の愛の狂的な、もう参ったという目つきを見たいものだ。彼女をぐったりさせたい。もうさわってくれるなと拒ましめたい」「目当ての女性の膝に塵が落ちかかるようなことがあったら、指で払い取ってやらねばならぬ。たとえもし塵など全然落ちかかってこなくとも、やはりありもせぬ塵を払い取ってやりたまえ。なんでもいいから、君が彼女に尽くしてやるのに都合のいい口実を探すのだ」「接吻を奪ってからは、満願成就までなにほどのことがあろうか。ああ、なんたることぞ。そんなのは恥じらいではない、野暮というものだ。力ずくでものにしてもいい。女にはその力ずくというのがありがたいのである。女というものは、与えたがっているものを、しばしば意に添わぬ形で与えたがるものだ」紀元前の書らしいよこれ。
これらに接して素直に浮かぶ感懐は、オレの場合、ああ、エロ事情って二千年前から変わらねえんだな、というものです。お前ら様はどうですか。ちなみに怪人小谷野敦は、怪著『もてない男』の中で「近代以降と中世以前との違いばかり強調するのがいまどきの流行だが、共通点だって普通にある(大意)」と述べている。「誕生は、20世紀初頭の西欧」って、ないわー。
◉◉
まあブンガクは置いとくとして、「ほとんどの生き物が、オスが性的にアプローチし、諾否の決定権はメスが持つ」というのは、珍説でもなんでもなく、大抵の人が知っているはずの事実だ。「ほとんどの生き物で、まあ控えめに言ってもほとんどの哺乳類で、メスは交尾の間、ただじっとしている」というのも「ヤリチンは武勇伝として語られがちだが、ヤリマンは呆れられる」というのも、大抵の人が知っている。「男の性欲は視覚からでも、あるいは内なるリビドーからでも一瞬で火が点くが、女の身体は時間をかけ手順を踏んで優しい接触から始めてもらわないとなかなかスイッチ入らない」とか、「多くの男は射精の快感を自然に知るが、多くの女は上手な男に上手に開発されないとなかなか目覚めない」とかいうのも、まあ俗説かもしれないが、フェミ勢を含む多くの人が直感的に、かつ体感的に、認めているのではないか。
「若い女は可愛い」というのも、無視できない。もちろん筆者なら「それこそまさに社会が押し付けるジェンダーロール」と言うだろうが、本当にそうか。「ヒトは、小さくてすべすべでふわふわで声の高い生き物を可愛いと感じ、愛でたくなるようにチューニングされている。子育てに有利だから結果としてそういう特性が優位になった」という仮説は、そんなにおかしくないと思うんだが。写真を見るとこの筆者自身、明らかにオレより可愛い。
「オスが攻めでメスが受けなのは性器の形状から考えても当たり前」というような一見バカっぽい主張だって、「いつ生まれたか」を本気で考えるなら、当然アタマをよぎるはずのファクターだ。
なぜ、それらをすべて無視して、20世紀初頭の西欧なのか。
それは、「いつ、なぜ生まれたか」を、本気で考える気がないからだ。
この人は「それは社会的な刷り込みに過ぎない。それもごく最近の、特殊な」という結論ありきでものを言ってる。だから、その結論に都合の悪い話は無意識にスルーする。
◉◉
「ホニャララという価値観はなんら普遍的なものではない」式の主張は、確かに快刀乱麻感があって気持ちいいが、そもそも価値観というものはすべて何らかの偏りであり、したがって「普遍的ではない」のは当たり前だ。それだけでは「価値観は価値観だ」と言ってるのと変わりない。
それが意味を持つのは、ホニャララフリーな世界も意外に広い、という事実とセットの場合だけだ。例えば「チョンマゲはカッコイイという価値観」に対して、「チョンマゲを奇異に思う世界の方が圧倒的に広い」と提示することには意味がある。また例えば「食事というものは主食とおかずから成る」と思い込んでる人に、そうでもない文化圏の存在を示せば、有益な目ウロコ落としになるだろう。だが「感じさせられる女」の論考には、男女が互いに感じさせ合う文化圏も意外に広い、というような例は、ぜんぜん出てこない。
そんなら、最初っからこう言えばいいんだよ。「普遍的かどうかとか、いつ生まれたのかとか無関係に、私はその価値観が嫌いだ」と。「想像してごらん、男女が対称的なセックスを。私を夢想家だと笑うかい? But I'm not the only one. I hope someday you'll join us」と。
オレは「セックスの快感の授与と受容において、男女はもっと対称的であるべきだ」という、なんとなくジョンレノンっぽい主張を、批判する気はない。特に賛成でもないが反対でもない。そう思う人はそう主張すればいいと思う。少なくとも、悪い意見じゃない。
また、男女の性行動の非対称性に自然な根拠があるからと言って、「自然な根拠があるから肯定・維持すべきだ」とも思っていない。例えば「痴漢は男が多い」ことには、生物としてもっともな理由があると思うけれど、だからといって痴漢を擁護する気はない。いくら本能的にもっともであっても、否定されるべきことというのはある。
だからね、その主張自体は、べつにいいんだよ。ただ、その主張を強化するために、客観を装ってもっともらしい嘘を述べ、あるいは誰かのもっともらしい嘘を本気にし、それをあたかも確定した事実であるかのように無批判に引用し、自分の主張の根拠とし、都合の悪い要素はスルー、という、その姿勢がイヤだ。恥ずべきだ。
◉◉
オレの方こそ些細な点をおおげさに問題にしてるのだろうか。
例えば「そういう価値観は太古からある。ちょっと20世紀初頭の西欧から概観してみよう」とでも書いてあれば何も文句はないんだし、脳内でさらっとそう読み換えて流すのが大人のたしなみなのかも知れない。だけどさー、「いつ生まれたか」というタイトルで、いやまあタイトルなんてものはね、著者の意向と無関係に編集者が後から勝手につけたりするもんだけどね、これの場合は本文中に「本稿では、『感じさせられる女/感じさせる男』という役割が、そもそもどのようにしてつくられていったのか、その歴史的経緯を概観したい」と書いた上で、直後に「誕生は、20世紀初頭の西欧」って、はっきり書いてあるんだもんよー。長くてごめんねー。
自分が所属していたギルドは人数はそんなに多くはないけど、上級者から若葉までいろんな人がいた。
やることがない中級者以上のプレイヤーは若葉プレイヤーが困っていたら助けてあげたり、自分もそうしたりすることは少なくなかった。
その中ある一人の若葉の話。
ここ半年以内に始め、地道に頑張っている人で、わからないことがあればちゃんと聞いてくれるいい子、仮に田中とする。
とか
「戦闘の時××やってる?」
他の若葉メンバーは大抵「わかりません」って答えるし少しだけ分かるならそういう回答をする。自分もそうする。
しかし田中は違う。まず田中はチャットに「?」と入力するのだ。
最初の頃はわからないんだなってのがすぐわかったし、そこまで気にもしてなかった。たぶん気にする人のほうが少ないだろう。
しかしそれが毎度毎度ならどうだ、あまり人のことを気にしない自分もだんだんイラッとし始め、 (分からないのは分かるけどさ…)という状態に。
そしてある時、田中はわからないことを聞かれた時に「?」や「??」をチャットに連投したのだ。
どう合わないと確信したか、何故嫌だった(イラッとした)のかは割愛するが、他人から見たら「え?そんなことで?」って思うだろうし、自分も実際些細だとは思う。塵も積もればなんとやらだ。
些細だから他のギルドメンバーにも言えなかったし(言ってもなあ…)と思っていたので、数年経った今ここに文章として残しておくとする。
元増田です。
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自分も戦術を上手くレビューに組み込めればもっと面白さが伝わるかも、と思うし、ブコメで言ってくれた人いるんですけど、自分は細かい戦術にはそれほど詳しくないんですよね。
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中継などで言及されて注目することもあるけど競技経験もないから、見た瞬間に「あ、これは今これだ!これは嫌な攻めだ、いやでも、そうなるとここで手詰まりになるぞ」ってパッと出るほどではない。
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あるんですよ、色々工夫が。
アタックの時に3人一つのユニット作ってユニット間で横横にボールを出していく「ポッド」とか、大外ラインぎわにリーチとか堀江みたいな「足が速いというよりパワフル、または器用なランナーを立たせる」とか、ディフェンスの時に密集、ラックの真後ろに立っているのがSHの流か田中のシステムとか。
ここら辺は後で気づいちゃう
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攻撃で3人並んでこれをA•B•Cとしてディフェンスが同じく3人a•b•cとするじゃないですか。
Aがa潰してBがbを・・・ってやると3-3で順当に潰れて攻撃側は突破できない。
これがAがボールパスした直後にパス相手のBの後ろに走り込んでBがAにボールを戻してそのAがCにパスすると、時間的な厚みを利用して4-3の数的優位状況になる。
ディフェンス側のbは二択状況を見切って目の前のBじゃなく背後から現れるAにタックルに行かないといけない。
「あれっ?今ディフェンスが揃ってたように見えたけど綺麗に抜けたのなんで?」って時にフィールドで起きてるのはこれです。
これは「ループ」って言う攻撃シークエンスで、決まるとすごく気持ちいいんですけど、見ながら書いていると追いきれない一瞬の出来事だし、文字数が膨れ上がってしまう。
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もうちょいW杯は続くので、もし自分の文章力に閃きがあればそこ解説して面白さを伝えたいし、トラバとかで「ここ説明できるかも」って機会があれば紹介したいと思います。
「何分の誰それのプレー」みたいのは忘れちゃってるかもしれないです。