はてなキーワード: 感染症とは
これは実録であるが、どの病院か特定されないよう数字などは変更して記載する。
当院は200床弱の2次救急の中規模急性期病院(救急対応や手術などの積極的な治療を行う病院)である。
0日目 300床越えの3次救急(脳梗塞,心筋梗塞など一刻を争う救急に対応する病院)でコロナ受入病院から、手術後の回復が思わしくないが、病床が満員だけど次の手術の予定が立て込んでる(+長期入院は病院経営的に困る)から、当病院に入れてくれという依頼を受ける。受けた当院の医師と依頼元の医師とは元から関係があり、よく頼み頼まれていた。
1日目 0日目の依頼を受けた高齢患者が自力歩行不可のため介護タクシーで来院し当院入院。
3日目 発熱あり。PCR検査陽性。紹介元にこの事実を照会するが「当院では絶対感染していない」の一点張りでコロナ受け入れ病院だが、返送しての再転院も拒否。
当院内は「そっちに入院してて他での感染とか、そんなことありえないだろう!!」「しかも引き取らないのか!!!」と怒りの声で満ちる。
当院での入院治療となる。看護師はコロナ専従1名を決めて対応することになる。個室ではなく大部屋をその患者用に割り当てて対応することとなる。全入院を停止。
4日目 患者の容態は悪い。数日中の死去も考えられる。感染症患者の遺体の袋詰めなんてやったことないと看護師達。夜勤はコロナ1名専従で残りの2人で49名の患者を看るのはキツいと看護師。
5日目 デカドロンがよく効き容態好転。病棟付けの介護福祉士、パート看護助手が急遽退職する。「流石に普通の時給でコロナなんてしたくないよなぁ」とあきらめの声があがる。
7日目 患者の容態はよくなるが、陰性にはほど遠い。入院停止は行き過ぎだと入院受け入れを模索しだす。
9日目 入院予定患者にコロナ患者がいることを説明の上、入院再開。パート看護師が退職。
14日目 紹介元の300床越え3次救急病院でコロナクラスター発生(しかも40名以上感染)のリリースが突如あり。ニュースとなる。
20日目 患者の容態は落ち着き危機を脱したが、まだ陽性である。
紹介元の病院のクラスターは日々どんどん酷くなっている。もう脳梗塞/心筋梗塞になれば、たらい回しされそうだ。
24日目 接触するはずのない別の患者が発熱しPCR検査でコロナ陽性判明。「スタッフからの感染は間違いない」と暗雲たれこめる。職員PCR検査へ。
26日目 医師の陽性更に発覚。状況を世間にリリース。ボーナスが出た後ということもあり、看護師4名(!)が退職。一人は今後有給を使い続けて一切来院しない。連絡先は弁護士となっていた。
31日目 看護師のコロナ感染発覚。コロナ感染病棟看護師全員/関わる医師全員を自宅待機させ、他の病棟による応援だけで運営という方針が出されるが、調整不可により、やはり今まで通りとなる。
33日目 他の病棟の看護師のコロナ感染発覚。医師のコロナ感染発覚。看護師の退職続く。
35日目 もう定年近い世代の看護師も今月末で退職するものが3名。かなり高額の給与を貰っているはずだが、この病院は終わりだと考え退職金がもらえなくなる前に辞めだしたようだ。病棟メンバーはコロナ前と比べて半分が居なくなる。他の病棟看護師は人工呼吸器の使い方も習熟しておらず、必然的に古くからのメンバーが対応することとなる。
日本人だけのレイプ合法化妊娠中絶禁止を。まずは医師から、そして日本人全体でのレイプ合法化を。
◆Rape..lZFE
人文系のリベラル(ここでは基本的に反安倍・菅政権派の意味)の
専門家叩きは本当にひどい。
学部時代からやり直さないと追いつけるはずもない感染症とその対策について、
「ネットdeお勉強」の情報だけで懸命に専門家を論破しようとしている。
最初は「うわ、この年になって厨二病かよ」と無視、スルーしていたが、
驚くべきことに、1年近く経っても続いている。
むしろひどくなっている。
SNSだと支持者が周囲を固めているので、かえって自信をつけている。
単なる保守っぽい人がネット右翼になってしまうのと同じメカニズム。
リベラル派の専門家批判は、色々小難しい言葉を重ねようが結局のところ、
そして、いつまでたってもPCR検査の話ばかりで、それ以外に関心がない。
そもそもリベラル派が理想視する台湾の対応は入国者の徹底隔離が中心で、
批判を真に受けた人が、たださえ倒れそうなぐらい忙殺されている保健所に
クレームの電話をかけて、業務を妨害していることは完全に無視。
実際、リベラル派の発言の中に、医療や行政の現場の人々の声は全く出てこない。
逆に、そうした声を批判していたりしている。
そりゃ専門家だって間違うし、意見も常に首尾一貫しているとは限らない。
メディアの前に出るのも今回がはじめて、という人が大部分でなので、
説明の仕方に誤解を招く部分もあるだろう。
あるテーマの勉強をはじめて1年あまりは全能感で自信過剰になるのは、
人文系リベラルは、文系の立場で貢献できることをするべきなのに、
これじゃ、文系学者は役に立たないから削減しろ、と菅政権に言われても納得するしかない。
https://anond.hatelabo.jp/20200719210255
7/19に、私は、世間を騒がせている今のCOVID-19を東京型と定義し、症状がそれ程ないタイプであり、それは怖くない。
しかし変異の激しいRNAウイルスであり冬はもっと酷い。旅行に行くなら今のうちだと記載した。それは正しかった。冬の状況はニュースの通りである
https://anond.hatelabo.jp/20201120195305
11/20、東京が感染メインの時に苛烈な制裁を用いても封じ込めるべきであったが、それはやはりできなかった。悪化する状況の中の戦いが少なくとも春の半ばまで続くこととなる。
金の問題ではない。コロナを受け入れれば、今まで何十年もかけて築き上げてきた病院がこの一季節で崩壊する可能性が出てくるからである。なぜ崩壊するのか。それは医療職(医師、看護師。特に看護師)が散り散りになるからである。
クラスター化すれば終わり。クラスター化しなくても病院は崩壊へと進んでいく。
感染症患者を受け入れる施設/マンパワーについては既によく語られているため、ここではもう記載しない。
受け入れを検討した時点で始まるパート看護師の離散から始まることを記載したい。
コロナを受け入れると、まず時給1600円のパート看護師が退職する。パートとはいえ、以前は病棟で正規職員として仕事をしていた人が子供が小さいからパートとして働いていることが多く、業務には精通しており、重要な戦力である。
彼女らは1600円/hをもらうために、コロナ病棟で働くだろうか?世間の目、子供の友達の親から白眼視されながら。
では時給を上げろというが130万円の壁で働いてるとなるとそれも無理である。
こうしてパート看護師が減っていく。そしてしわ寄せはフルタイムの看護師への負担となる。
フルタイムの夜勤交代制の看護師が疲弊する中、コロナ患者受け入れが決定し、感染対策の空間/対応スタッフを作る。フルタイムからも退職者が出だす。
人が少なくなり、補充をかけても集まらず、来ても教育業務が増える。どんどんスタッフが退職する。
コロナを受け入れて目先のお金を得られたとしても、そしてクラスターが発生しなかったとしても、崩壊が目に見えているのである。
これは余り知られていないことだが、現実にはコロナ患者が入院しているが、受け入れ施設として標榜していない民間病院は多い。
なぜこんなことが起こっているか。
入院中にコロナが判明するが、どこも感染症対応病院は引き受けてくれない。そのため、仕方なく受け入れているケースが多いのである。
換気設備も十分でないままコロナ患者は実は民間病院にいる。これらの民間病院から感染が膨らむ可能性がある。
今はコロナ発生で、すぐに失業保険がもらえるから、民間病院ほど職員は去っている。
社会保障130万円の壁を医師/看護師だけ、期限を夏までに絞って撤廃すべきだ。そうすればパート看護師は夏までのボーナスステージで働こうとスタッフが潤沢になり、病院の余力が増す。余力のある病院はコロナ受け入れに手を挙げられるところも出てくるだろう。
「それで解決すると思っているのか」と言われれば解決には到底及ばないが、これぐらいしかない。また、これが費用対効果的にベストであろう。
重症コロナ患者1人入院1000万/日出すといわれても、現状では手を挙げられる病院は無い。
3.医師によるレイプ合法化。ついで日本人だけのレイプ合法化及びピル妊娠中絶禁止
これらを目標に2/8~無期限の医師・看護師・臨床工学技士ゼネストが予定されている。
日本人だけのレイプ合法化・妊娠中絶禁止が目標に入っていることからも判るように、これはただの待遇改善要求ではなく、救国という。
ゼネストで世間の注目を集めれればいいが、世間の反発もあるだろう。推進派は世間が反発したところで、世間は我々に何もできない。我々は失うものはない。世間が反発しても実施しアピールすべきだという。
公立病院勤務だとスト参加は問題となり、ボーナスの関係もあり実施は困難だろう。結果、民間病院でのゼネストとなるだろう。
コロナ積極的に受け入れていないが、99%の他の疾患をサポートしている民間病院の崩壊を加速させるだろうか。
◆Rape..lZFE
一つ有益なことをつぶやいておくと、日本のツイッタラー感染症医として多数のフォロワー数を誇る岩田先生とEARL先生は、一時TLで深刻なレベルで争っていたくらいマジで仲が悪い
これは、どう?
[CBS Sacramento]Agencies Investigating Cause Of Death Of Person Who Died Hours After Receiving Vaccine, Placer Sheriff Says
https://sacramento.cbslocal.com/2021/01/23/placer-covid-vaccine-person-dies/
プレイサー郡保安官事務所(https://www.facebook.com/PlacerSheriff/) は Facebook の投稿で、
"(亡くなった個人が)12月下旬にウイルスの陽性反応を示していた"
"2021年1月21日に死亡する数時間前にCOVID-19ワクチンを投与された "
"このワクチンはプレイサー郡公衆衛生局によって投与されたものではありません。"
と述べました。
ワクチン接種の数時間後に死亡したというニュースは、カリフォルニアの人々に疑問と懸念を与えました。
CBS13は、感染症の専門家であるカリフォルニア大学デービス校のBlumberg博士と話をし、この特定のケースには詳しくないため、
Blumberg博士は、すべての医療従事者は、予防接種後に有害事象があれば、たとえ関連していなくても報告するようにしていると言います。
COVID-19の陽性反応が出た後にワクチンを接種したい場合、どのくらい待つべきでしょうか?
死亡に関する詳細は発表されませんでしたが、保安官事務所によると、地元、州、連邦機関が調査を進めているとのことです。
週の初め、何人かの人々がワクチンを受けた後に気分が悪くなったと感じた後、モデナワクチンのバッチが州内での使用を中止されました。
そのバッチはそれ以来、承認のためにクリアされ、使用に戻されました。今回のケースでは、どのワクチンが使用されたのかは不明です。
保安官事務所によると、プレイサー郡検視官事務所は月曜日までに検死を行う予定です。
CBS13はカリフォルニア州公衆衛生局に連絡を取りましたが、声明文を受け取っただけでした。
"亡くなられた方のご家族のご冥福をお祈りしております。我々はこのような事例を真剣に受け止め、政府のパートナーと協力して原因を調査しています。
増田が氏のTwitter見ている意味がわからないファンなの?
論外でムカつくからみてないけど2ー3月知ってるだけでこんな感じだったぞ
それなのに、これだけコロナが蔓延してて大変な状況の中で、そんなものを販売しているの?
いまの10倍の税率にして、オーストラリアみたいに一箱3000円くらいにすればいいのに、
なんで増税しないの?
ウイルス曝露の危険性だけで言うならば、20分で空気が全て入れ替わる映画館は、飲食されていても、居酒屋や飲食店よりは相対的に安全だろう。
客の間では。ただ無症状キャリアかもしれない客を相手にするスタッフの危険性は増す。映画館が安全だと喧伝され、色々溜め込んでる人々が押し寄せたなら尚更。
そのスタッフのお気持ちに寄り添わないといけない。これは科学レイヤー、感染症管理レイヤーの話ではなく、社会政策、人権政策、お気持ち対応の話。
相対的に安全だし、水素の同位体は生態系で濃縮されないにも関わらず、そういう事をされたら魚を食べたくないという人がいるから、その人のお気持ちに寄り添わないといけない。
そういう人を非科学的だ、迷信だと切って捨てるわけにはいかない。そのレイヤーの話ではないから。「科学的には検討不要なレベルで安全とわかっているが、気持ち悪い」。
ムスリムが「豚を食べても体を壊さない事は知っているが、生まれながらに『不浄だ、食べるようなものじゃない究極のゲテモノだ』と教わっているから食べる気にはならない」のと一緒。
今後コロナに限らず感染症予防の意識が高まりまくって、マスクをする習慣が日常に完全に浸透していった場合、
「自炊男子大生と限界年上OL」がTwitterで話題になっている。自分には関係ない話だと思っていたが、長い間トレンド入りしているものだから気になってtogetterhttps://togetter.com/li/1656253を拝読した。
これを読んで多くの一人暮らしの民が「自分の普段の食事は “限界飯” なのか?!」「何を基準に食生活が壊滅的・破滅的なのか否かを判断すればよいのかわからない!」と疑問や不安を抱いたのではないだろうか?私もその一人だ。不安になったから急いでサインアップをしてこのはてな匿名ダイアリーというものを利用してみている。……そんなこんなで増田の使い方を全然わかっていないし、投稿したら誰かに読んでもらえる可能性がどれくらいあるのかもわからない状態である。文章を書くのも元々得意ではないので悪しからず。
私が実家を出て、もうすぐ2年経つ。1年目は大学の寮(食事付きではない)で暮らし、今はアパートの一室でIHの一口コンロや電気ケトル、電子レンジ、炊飯器と共に暮らしている。寮でのフロアメイトたちとの共同生活を通して、自分は同年代の女子と比べると家事(特に料理)ができる方だと実感していた。幼い頃から「ひとりでも身の回りの事が何でもできるように」と、家事をよく手伝わされたり任されたりしていたためであろう。親に感謝である。私の家族は食にとことんこだわる人たちで、安全で美味しい食材を求めて肉も野菜も魚もお気に入りの農家や魚連から取り寄せていた。出汁のとり方など、調理法にもこだわる方だったと思う。実際、母の料理は贔屓目なしでも美味いと思っている。まあとにかく、私の料理スキルと持っている知識のレベルにさほど問題は無いはずだった。友人と一緒に食事をとる予定があれば、友人の好みに合わせて油淋鶏やらグラタンやらオムライスやら炊き込みご飯やらパスタやらタンドリーチキンやら、様々な料理を作ったものだ。
寮を出て本格的に一人暮らしを開始した頃、某感染症が世の中をめちゃくちゃにし始めた。大学の講義はすべてオンラインでの開講となり、私の(数少ない)友人たちの多くは暮らしていた部屋を引き払って長期の帰省を始めた。誰かのために料理をする機会がほぼ無くなってしまったせいなのか、私の食事はどんどん手抜きになっていって、作り置きという習慣も次第に失われていった。気が向いた時に料理をすることもたまにあったが、寮を出て初めて夏を迎える頃には野菜を買う習慣も無くなっていた。その頃食べていたものを挙げてみる。
朝: 無し
夜: 餃子の皮を揚げて塩胡椒や柚子胡椒や七味唐辛子で味をつけたものを乗せたご飯
毎日こんな感じだった。そして今もこんな感じである。彩りもクソも無い食生活に、最初の頃は「まあ今日くらいこれでいいか!」くらいの感覚を持っていたのだが、しばらく続けているうちに慣れてしまってヤバさを感じられなくなっていたらしく、件のOLお姉さんの食生活が破滅的だと言われている騒動を見てハッとした次第である。私の食生活、ヤバいのかもしれない……いや、ヤバいんだった。昔はこんな生活を続けちゃいけないと思っていたんだった。
料理スキルの有無と自炊習慣の定着度の間にどのような関係があるだろうか。自炊をしていない人は皆料理スキルを持たざる者なのか?私は別に、自分の世話をする時間的な余裕が得られないほど忙しい生活をしているわけではない。ただ、自分一人のために包丁とまな板を取り出し洗い物を増やしながら鍋やフライパンを使うのはなかなか結構億劫だなと思ってしまいがちである。
この文章を人間に読んでもらえたのかどうかわからないが、もし読んでくれた人間がいるのなら礼を言いたい。ありがとう。オチの無い話ですまない。私はがんばって健康になる。
どこを見ても日本がファイザー・アストラゼネカ・モデルナ社からワクチンを「輸入」する話しか書かれておらず、国内生産の話が出てこなかった。
首相官邸ホームページ - 新型コロナワクチン接種に向けた国・自治体の準備状況
米国モデルナ社ワクチン5,000万回分、英国アストラゼネカ社ワクチン1億2,000万回分、米国ファイザー社ワクチン1億4,400万回分の合計3億1,400万回分の供給を受けることについて、契約締結に至っている。
武田薬品 - Moderna社および厚生労働省との提携による、新型コロナウイルス感染症ワクチンの日本における供給について
当社は、このたび、Moderna社の新型コロナウイルス感染症ワクチン候補であるmRNA-1273を、2021年前半より、5,000万回の接種分を輸入し、日本において供給することになりましたのでお知らせします。
国内生産の事例があるならなおさら報道とかあっても良さそうだと思ったが、どちらも去年のリリースで今どうなってるのかがわからない。たぶんリサーチ力不足だろうけど。
どうせ他の会社も生産追いついてないんだから金取って製造技術の使用許可出せばいいのに、どういう大人の事情があってこの差が生まれてるんだろうか?
◎前置き
X日後に死ぬことが分かっているとしたら、僕は残された日々をどう過ごすだろうか。
いくつかの仮定を置いたうえで思いついたことを書き連ねてみる。
・X日後に死ぬことは確実であり、僕はその事実を受け入れている
この前提がなければ、僕は何とか生き延びる手段を探すだけで、残りの時間を使い切ってしまうかもしれない。
何か災害や天変地異で多くの人が死ぬわけではないということだ。僕以外の人々や環境は、僕の死以外は何一つ変わらず日々が続く。そのため、他の人を救うために時間を費やす必要もない。
この2つの前提を置くことで、僕は残りの時間を純粋に自分が満足するためだけに使うと想定する。
◎1日後に死ぬ僕
平日なら、仕事を休まなくてはならない。仮に大事な仕事があったとしても、何かと理由をつけて休むだろう。残念ながら、僕にとって今の仕事は、24時間しか残されていない状況で時間を割くには及ばない。事情を説明して別れを惜しむほど、会社の面々とは親しくない。みな僕の死を知ったら驚くだろうと思いながら、事務的に部長に有休申請を行うまでだ。
明日死ぬと思って毎日を生きよう、そんな格言を聞いたことがある。そう思うことで、本当に望むことに取り組むことができるという意味だそうだ。しかし、本当に1日しか残っていないとしたら?できることはあまりに少ない。選択肢はとてつもなく刹那的になってしまいそうだ。僕には好きな友人や家族はいるが、特別日々を一緒に過ごす類のパートナーはいない。仮に恋人や妻がいれば、最後の1日を普通に過ごして見送ってもらうだけで終わるかもしれない。だが、そんな相手はいない以上、個人的に満足に過ごす方法を考える必要がある。
僕はきっと24時間を一人で過ごすだろう。もうすぐ死ぬことが分かったうえで、友人を呼びつけて一緒に過ごしてもらう気まずさには耐えられそうにない。両親との関係は悪くないが、この状況では会うには気が引ける。そんなことができる距離感の相手なんて、それこそ恋人か妻か子供ぐらいしかいないのではないか。残念ながらそんな相手はいない。誰かに電話くらいはするかもしれない。でも、友人には普段電話などしないので、何か問題ごとでもあるのかと勘繰られてしまいそうだ。何かの用事にかこつけて、母親の声でも聞ければそれで十分だろう。
最後の1日を刹那的な快楽のために使うか、何か意味のあることに使うか、悩むところだ。刹那的な快楽を得るならば、とにかく美味しいものを食べるとか、綺麗な景色を見るとか、性欲を満たすとか、そんな過ごし方になるだろう。できるなら最後の食事は美味しいものが食べたい、でも一人で食べるなら何でも一緒に感じてしまう気もする。そもそも残り時間を考えれば、栄養にもならない食事に時間と労力を割くのはもったいない。食事に限らず、もう何も思い残すことがないと思えるほどの快楽なんてあるのだろうか?どんなに刹那的な快楽を満たしたとしても、最期の1分1秒には、どこか虚しい気持ちになってしまうのでは?
そうだとしたら、死ぬ瞬間に満たされた気分になる1日の使い方とはなんだろうか。やはり「善いことをした」「この世界に良い影響を残した」と思うことで、自らの人生を肯定できるようになることではないか。残念ながら、僕が仮にこの文章を書いている今この瞬間に死ぬとして、僕は何かこの世界のために役に立ったのかと問われると、自信をもってイエスとは言えない。たいして他人に迷惑をかけずに生きているという自負はある。しかし、周囲との干渉が少ない故、特別人助けをしているわけでもない。仕事だって、給料に見合う働きを提供するだけの等価交換で、社会に対してプラスを与えている気はしない。そんな認識を塗り替えるようなことが、24時間で成し遂げられるだろうか?
一つ、すぐに取り組めそうで最も「自分が」やる意義がありそうなことは、近しい友人たちに手紙を書くことだ。僕は29歳で、同年代の友人たちの多くは、若くして死ぬということに実感がないと思う。僕自身もそんな実感はない。そんな友人たちに向けて、身近にいる人間として、心を込めたメッセージを残せば、きっと彼らは限られた生を実感して、より有意義に過ごしてくれるのではないか。そう思いながら昇天するのは悪くない気がする。
一応、死因は自殺ではないことが皆に分かるように手配しておきたい。僕の世代の死因に占める割合は自殺が多いはずなので、事情を知らない人には勘違いされる可能性もある。僕自身はこの際どう思われても構わないが、勘違いのせいで周りの人が嫌な思いをしてしまう事態は避けたい。
◎1か月後に死ぬ僕
1か月は新しいことを始めるには短いが、1か月はちょっと長い。休まず有意義に使い切ろうとしたら息が詰まりそうだ。それでも、1日でも労働に費やすのは惜しいと思ってしまう。やっぱり仕事は無理やり辞めるしかない。お金が必要でないのなら、働かないに越したことはない。そもそも現状で何故僕は、嫌だと感じている労働に多くの時間を割いているのだろうか。
別に誰かに命令されるわけでもなく、僕は自分の意志で一挙一動を選択してきたはずだ。その積み重ねで生きてきたはずなのに、何故不本意な結果となっているのだろうか。僕は必要に駆られて働いているのであって、労働から精神的な充実を得られると期待するのが筋違いなのかもしれない。とはいえ、身の回りを見渡してみれば、仕事を楽しんでいる人はそれなりにいる。今の職場に就職した理由に思いをはせると、僕は仕事の内容や会社の状況について多くの誤解をしていた。さらに言えば、自らが求めているものもよく理解できていなかった。分からないものが多すぎたので、正しい選択ができていなかったのだ。そして、今も自分が求めているものはよくわからない。
1か月もあるのなら、できるだけ面倒を残さないように、いろいろな手続きを済ませておきたい。仕事を辞めて、部屋を片付けて、もろもろのサービスを解約しておけば、あとに残された人も困らない。ついでに恥ずかしい日記を処分しておこう。あと、年に1度ぐらいしか帰省はしていなかったが、顔ぐらいは見せておこうと思う。
口座に200万円はある。これを一体何に使えばいいだろう?1週間で使い切るとすれば、なかなかの贅沢ができる。どうせならぱーっと使ってしまいたい。僕の貯金は社会に影響を与えるには雀の涙すぎるし、このお金を寄付するほどの聖人ではない。それに、個人的に残してあげたい相手がいるわけでもない。しいて言えば、会社勤めをしながらイラストレーターの夢を追う弟にはちょっと残してあげてもいいだろう。全部残すと重たいし、あぶく銭は彼のためにもならないかもしれない。残高を気にせずに、旅行したり、いいものを食べたりして、残った分は弟に渡すくらいでちょうどいいかもしれない。
僕はかねてから死ぬ前に一度バンジージャンプに挑戦してみたいと思っていたが、1か月のうちの半日ほどを費やすに値するほどではなさそうだ。リストに入れるべき項目は、手紙を書くよりは重要でなくて、バンジージャンプよりは重要なことにしよう。残り1か月があるなら、無理を言ってでも友人たちに会って、直接思うことを伝えることができる。
そういえば、残り24時間しかない場合を考えているときは、お金のことには思い至らなかった。僕にとってお金は最優先事項ではないのかもしれない。ある程度長い期間生きるとして、なくてはならないものであって、それ以上のものではないのだろう。少なくとも、残されたお金の使い道を考えながら死にたくないとは思う。
◎1年後に死ぬ僕
1年残っているなら、少しはきれいに仕事を辞めてもいいかもしれない。2週間ぐらいは引き継ぎに費やしてもいいし、そのほうが残りの1年間をすっきりした気持ちで過ごせるだろう。残りの期間で仕事の関係者に出くわす可能性が上がるので、あまり気まずい思いをせずに済ませたい。これくらいの長さがあると、「将来のために今は多少我慢をする」といった発想が生じてくる。
きっと、仕事を辞めた理由を誰もに聞かれるに違いない。親しい人たちには正直に話すほうが良さそうだ。残り1週間ならともかく、1年間あれば段階的に別れを受け入れることができる。何度か会ったとしても、そう重苦しい雰囲気にならずに済みそうだ。でも、どうやって伝えたらいいのか分からないし、伝える瞬間の気まずさに耐えられなさそうだ。Twitterにでも書き込もうか。
貯金を取り崩すだけでも、何とかやりくりして生きていけるだろう。まず、会社に行かなくていいなら、家賃はできる限り節約しよう。決して余裕があるわけではないので、計画を立てて、慎重にお金を使っていくことになるだろう。食事だってそんなに贅沢はできない。それでも、僕にとってはお金よりも時間のほうが大切であって、贅沢をするためにより長く働こうという発想にはならない。
1年もあるならば、全く新しいことを始めたとしても、何かを成し遂げられる気がする。果たして僕は特別に何か成し遂げたいことがあるのか?と考え始める。そして、今までの日常の延長線上でしか考えられないことに気づく。思うに僕は無趣味なのだ、無趣味な故、急に働かなくてよくなったら、何をして過ごしたらいいのかわからなくなる。働きながらだって休みはあったけれども、寝て体力を回復したり、家事をしたり、友達と遊んだり、ランニングしたり、漫画やアニメをダラダラと見たりしていたらあっという間に時が過ぎた。漫画やアニメを見るのは好きだが、あと1年で死ぬとしてずっとそれに時間を費やしたいとはあまり思いつかない。それはリラックスを兼ねた娯楽であり、積極的に取り組んでいるというよりは、消去法的な時間の過ごし方だった。
もともと、人生を捧げられるような対象が欲しいと思っていた。しかし、そんなものは見つからず、とにかく生活のために労働し、疲労と惰性で考え事をするのもままならず、暇な時間ができたら途方に暮れる有り様だ。そんな対象がなくても、愛すべき人がいて、その人と過ごすだけで楽しく満ち足りた日々になるなら、それまた幸福だ。しかし、1年しか残されていないのが分かっていながら、新しく親密な関係の相手を探すのは残酷めいている。残される相手のことを考えると、残り1年で愛すべきことを見つけるなんてハナから期待すべきでない。
愛する人もいないし、やりたいこともない。そんな自分の現状は不甲斐ないが、ないものはないので仕方ない。とにかく何がしたいのか考えてみよう。かといって急に机に向かって考え始めたからといって、何か思いつくわけではない。12か月もあるのだから、1か月ぐらいは思い切って、考えるために時間を使ったっていいではないか。いったん、何もかも放り出して、どこか海沿いの旅館にでもこもって何をしたらいいか考えることにしよう。それ以上のことは今は思いつかない。
10年間生きるならば、すぐに仕事を辞めるわけにはいかない。自分がやりたいこととは別に、生活費を稼いでいくということを主軸に据える必要がある。仕事をどうすべきか、という問題に正面から向き合わなくてはならない。この問題については、大きく二つの方向性を考えることができる。一つは、多忙でもハードでも、とにかく給料の高い仕事に転職してお金を稼いで、一日でも早く仕事を辞めようとすること。もう一つは、仕事をしている時間を無駄と感じずに済むくらい、意義のあるものにすることだ。残念ながら、現状の仕事はどちらにも当てはまらず、ただ金を稼ぐため、辞めて履歴書に傷をつけないために惰性でぶら下がっている状態だ。よって、残り10年間を前提とするならば、すぐにでも転職活動をして、より有意義な時間を過ごせるようにしたい。
例えばかなり無理をして、3-5年間ハードな場所で働いて、残りは働かずに暮らせるのなら、悪くはない。この選択肢は、どう転んでも仕事をすることは苦痛なので、とにかく短期間で済ませるという考え方に基づく。貴重な10年間のうち多くの時間を割くに値するような労働はあるのだろうか?そんなものが見つかりさえするのなら、すぐにでも飛びつきたい。そもそも、そんな仕事があれば、残り10年とか関係なくやってみるべきなのではないか。
10年あれば、適当な理由をつけて別れることを前提に、恋人を作ってもそこまで罪深くはないだろう。すべてを語るような深い関係にはならないかもしれないが、一人で過ごすよりは日々に彩りが生まれそうだ。それとも、ふとした瞬間に虚しい気持ちになるだろうか?
◎30年後に死ぬ僕
10年ではなしえず、30年かけてしかできないものというのはそう多くはないはずだ。仮に僕が職人か何かで、同じことを一筋やり続けるのであれば、その時間の差は歴然となって現れるのだろうか。そんなことを考えると、今すぐ何かの道に入門して、極めてみたいものだという気持ちが湧くが、僕は飽きやすい人間であることをすぐに思い出す。僕はタイムマシンがあればすぐに30年後に行って、知識と経験の蓄積による果実を得たいと思う怠惰な人間だ。その蓄積の過程自体を楽しみ、こなしていくことができるなら、とっくに僕は何かを身に着けているはずなのだ。
残念ながら職人道を極めることはできなさそうだが、それでも少なくとも2つほどは新たな可能性が思いつく。まず、結婚して子どもを育てることが選択肢に入る、30年あれば、子どもが成人するまで面倒をみることができる。そして、家を買うかどうかも真剣に検討する必要がある。
僕は子どもが欲しいのだろうか?正直、残りの人生の期間について考えなければ、そんなことをまじめに自分に問う機会もなかった気がする。具体的に結婚するような相手ができて初めて、欲しいかどうかを考えればよいと思ったのだ。しかし、成人するまでは面倒を見ておきたいという条件を付ければ、残された時間は結構短い。相手ができたとして、すぐに子どもができるかどうかだってわからないのだから、30年のうちの最初の5年くらいで、一連の仕込みを済ませておく必要があるだろう。そのような前提を置くと、恋愛や結婚は残り時間から逆算したうえで、極めて計画的で無駄のないプロセスで行う必要がある。そう考えると窮屈に思えてきたが、女性であれば出産できる年齢が限られている故、同じような考えを持つのだろうか。一通り考えを巡らせたところで、そもそも子どもが欲しいかどうかすら分からないことに気づく。別に、残りの30年を考えたうえでそれが最優先事項というわけでは無ければ、窮屈な思いをしてまで計画的に「仕込み」を行っていく理由もない。
30年もあると考えると、途端に今すぐには現状を変えなくても良いかという思いが芽生えてくる。僕は現状の生活に満足しているわけではない。それなのに、変えなくてよいと思うのはなぜだろうか?変化にはきっかけとエネルギーが必要なのかもしれない。そこそこのストレスや孤独があるにせよ、安定しており、ある種の均衡状態となっている僕の生活を変えるには、何らかの外的なショックが必要なのだろう。
◎53年後に死ぬ僕
今29歳の僕は、52年後に日本人の平均余命といわれる81歳になる。すなわち、52年後くらいに死ぬという前提は蓋然性が高く、それをもとに人生の計画を立てることはひとつ筋が通っている。しかし、正直なところ、年老いた自分がどう過ごすかなんて、今から計画を立てるのは馬鹿げている。そこに至るまでの不確定要素が多すぎる。
とはいえ、一つ考えるに値することは、日本にずっと住み続ける前提で人生を考えるか?ということだ。何せ、この時期までに日本の人口は2-3割くらい減る推計になっている。今だって、社会保険料と所得税と消費税が大きな負担になっているが、今後ますますその負担が増えることは間違いない。5-10年先の未来だけ気にすればよいのなら、別に自分にとっての影響は大きくない。でも、より長い期間を考えると、例えばまともに医療が受けられなくなったり、預金が没収されたりするリスクだってあるかもしれない。少なくとも、今現在の高齢者が受け取っているのと同等の価値の年金をもらうことは全く期待できない。
僕は家族や友人たちがたくさん住んでいて、最高のアニメや漫画を生み出す日本が大好きなので、できることなら日本に住み続けたい。しかし、生活があまりに苦しくなるようなら、泣く泣く国を離れるというのは、世界中のどこにでもある話だ。かといって今すぐに海外に移住することが賢明というわけではない。とにかく英語くらいはできるようになっておき、いざとなればよその国でも食べていけるような能力は身に着けておく、それくらいの「投資」は残り53年くらい生きるなら、多少今を犠牲にしてでもやっておいたら老後の安心に繋がるかと思う。
◎あとがき
現在僕は、感染症が広がり外に出られない状況で、友人と会う機会も減り、社会とのつながりが徐々に切れていく感覚を味わっている。もともと、仕事に追われて、生活のために生きているような感覚を覚えていたが、そこから抜け出すことを難しく感じていた。一日中家で仕事をして、終わっても何もしたいと思えることがない。あまりに空虚な自分の生活に一種の絶望を感じている。
そんな中いつものようにTwitterを目的もなく眺めて時間をつぶしていると、「友人は少なくていい、3か月後に死ぬとしたら一緒に過ごしたいと思えるような相手さえいれば十分」というような記事にたどり着いた。そこから着想を得てふと自分の生活を振り返ってみると、3か月後に自分が死ぬのならやらないであろうことであふれていた。短い間に自分が死ぬことを考え出すと、僕は気が楽になった。これは僕自身にとってのセラピーになった。ある種のミニマリズムや断捨離に近い感覚で、「3か月後に死ぬのであれば不要」と思えることを生活から切り捨ててみる。例えば僕はいつか読んでおこうと思っていた大量の本をその基準に従って捨てた。すると、僕の人生は前よりも少し方向性が定まったように感じたのだ。
とはいえ、それと同時に、自分の空虚さを改めて実感するきっかけにもなった。自分の寿命の想定をどんどん伸ばしていくほどに、可能性は広がっていくはずなのにやってみたいと思うことが思いつかないのだ。まるで、遠方ほど霧が濃くなっていくような感覚だ。この問題は僕が、「いつかは役に立つだろう」と思われる仕事や資格の勉強に時間を費やしがちだったことと関係があるかもしれない。その時々に自らの欲求に耳を研ぎ澄ませてこないできたら、欲求をとらえることができなくなってしまっていた。
平均寿命から想定して、老後の安心や家庭を持つ可能性なども考慮した貯金やらライフプランとやらをある程度は考えなくてはならない。それでも、僕のようなタイプの人間は、3か月後に死ぬというぐらい過激な想定をしてでも、素直に最もやりたいと思えるようなことを考えていくべきでは、というのが今のところの結論だ。
僕の文章は思いつきを並べただけでまとまりのないものになってしまったが、もっと多くの人にこの思考実験をやってもらって、その結果を読んでみたいと思う。ぜひこれを読んだあなたも試しに3か月後に死ぬとしたら何をするか考えて、記事を上げてみてほしい。
沢山の識者が言っていることだろうし、意識の高い増田には耳にタコかも知れない。
ペットを飼う前によく考えろ。
自分の経済状況をひいき目なしに評価しろ。仕事の展望も考えろ。
ペットには金がかかる。
俺は過去動物病院に何年か勤務して、公務員として動物愛護行政にも関わった。
今やペットは中間層以上の趣味だ。低所得者が手を出していいものじゃない。
もちろん低所得でもきちんとしている人はいるさ。高所得者でもダメやつだっている。
でも行政が関わる動物事案で深刻なものには、低所得者や生活保護受給者によるものが少なくない。
何かしらの精神障害を抱えていることも多い。
少しでも金や精神に不安があるやつは動物の命に責任を負ってはいけない。
ペットは家畜化された動物であって存在そのものが自然的じゃない。
まあモノによってはある種の利権になっているのは否定しない。でも予防しない理由にはならない。
動物が死ぬ感染症なんてその辺に転がっている。お前が知らないだけだ。
そしてお前やお前のペットが享受する衛生環境は降って湧いたものじゃない。
お前みたいなのが増えると壊れるんだよ。
「手術はかわいそう」だって?
じゃあ性的衝動を抱えたまま放置されるのはかわいそうじゃないとでも言うのか。
将来乳腺腺癌だの子宮蓄膿症になった時、余計に苦しむのは動物だ。お前じゃない。
そんなことを言っている時点でお前は想定が甘い。そして思慮が浅い。
「生き物として子を産ませてあげたい」?
ならあらかじめ貰い手を10人以上用意しておいてくれな。
そうだよ!エゴだよ!
エゴとか言い出すとペットを飼うことの是非にもなってくるけど、
飼うことを否定したいわけじゃない。
ペットを飼うということは、動物を、強制的に、自分の人生に付き合わせることだ。
ペットとは飼い主のエゴにより己に、そして人間社会に縛りつけた命だ。
1度縛りつけたならば、飼い主は動物の命に責任を持ち、尚且つ社会と共存させなくてはいけない。
せいぜいペットを飢えさせず、苦痛は最小限に、そして社会との共存のため
エゴを貫いて欲しい。
あそこで出している数字は、直近1週間の陽性人数と、その前の1週間の要請人数の比を、5分の7乗しただけの物だから、本当は実効再生産数でも何でもないよ。
実効再生産数とは「1人の感染者が平均して何人に感染させるか」を表す指標。
計算式は「(直近7日間の新規陽性者数/その前7日間の新規陽性者数)^(平均世代時間/報告間隔)」。
平均世代時間は5日、報告間隔は7日と仮定。リアルタイム性を重視して流行動態を把握するため、報告日ベースによる簡易的な計算式を用いている。
精密な計算ではないこと、報告の遅れに影響を受けることに注意。
これを簡潔にすると、
ということになる。
東洋経済のサイトでは、この式を監修した西浦教授のGitHubリポジトリが紹介されていて、そこには nishiura_Rt会議_12May2020.pdf というPDFファイルがあって、そこに基本再生産数と実効再生産数の定義や関係がいろいろ書いてある。(以下、PDF内の説明に言及するときは「スライドno.N」)
基本再生産数は R0=∫[0,∞)A(τ)dτ らしいよ。(スライドno.4)
実効再生産数はスライドno.20「R(t)の推定へ」によれば、
i(t) = R(t)∫[0,∞)i(t-τ)g(τ)dτ
E(idomestic(t))=RtΣ(τ=1→t-1)itotal(t-τ)g(τ){(F(T-t)/(T-t+τ)}
L(Rt;Cdomestic(t))=Π(t=1→T)[(exp(-E(idomestic(t)))(E(idomestic(t)))idomestic(t))/idomestic(t))!]
って書いてあるけど、僕には何のことかわからない。感染症数理モデルすごいね。
数式はわからないけど、それじゃ何を数式にぶち込めば良いのか。検査結果の報告日だと、検査から報告までの人間界の制約が入り込んじゃうからおかしなことになる。
なので、基本的には検査時に聞き取る発症日や発症日から逆算した推定感染日ごとに人数を集計してぶち込むみたい。(スライドno.14など)
専門家たちが「エピカーブ」を一生懸命作ってるのはそのためかも?
つまり何が言いたいかというと、本来の実効再生産数Rtは、①なんか難しい数式に、②発症日ベースの数字をぶちこんで計算するものだということ。
それに比べると、東洋経済が「実効再生産数」と称して表示しているものは①数式はずいぶんと簡単だし、②ぶちこむデータは発症日ではなく報告日ベースだ。
そんなもので良いのか?良いのです。
上の複雑な式は、数理的概念に過ぎない※スライドno.5 R0になるべく近付くように精緻化した成果なんだと思う。
実効再生産数という概念の最初期のコンセプトは2つの期間の感染件数の比というものだったそうな。(スライドno.26)
それに、Rtのキモは、それが1より大きいか小さいか、どのくらいの程度で増減しているかを、数値化することにある。(スライドno.10)
そうであれば、①直近7日間の患者数とその前7日間の患者数の比率を見ることは、実効再生産数とコンセプトとして近い。これなら数式は簡単。(スライドno.30)
あと②目的が流行動態の理解のためなら、リアルタイム性を重視して、発症日や感染日ではなく報告日ベースで計算しても大きくは外さないはず。(スライドno.30)
そこで、 1週間単位での比率を、一定の報告期間と世代間隔 (スライドno.29) で補正した値を、Rtとコンセプト的に同じようなものとして扱っても、まぁ一般レベルなら良いかな、といえるわけです。
東洋経済式では(直近7日間の新規陽性者数/その前7日間の新規陽性者数)に常に同じ指数「5/7」で累乗してるので、(直近7日間の新規陽性者数/その前7日間の新規陽性者数)が1より大きければ東洋経済式Rtも1より大きくなるし、1より小さければ東洋経済式Rtも1より小さくなる。
だから、東洋経済が実効再生産数として掲載している指標の情報量は、(直近7日間の新規陽性者数/その前7日間の新規陽性者数)、つまり、かつての東京都モニタリング項目(3)と同じでしかない。
そのため、東洋経済式Rtは東京都モニタリング項目(3)と同じ欠点を引き継いでいます。
それは、祝祭日の影響による検査数の増減・報告時期の偏りや、クラスター発掘による大量発見などといった、実際の感染状況以外の要因によって生じる報告件数のブレの影響をそのまま受けること。年末年始に変な値が出がちなので、専門家会議ではちゃんとエピカーブを作ってちゃんと計算してるはずだし、今の東京都モニタリング項目(3)は接触歴等不明者の増加比に限ることでクラスター発掘の影響を消している。
それと、そもそも過去2週間分のデータを使って算出する以上、どうしても、現時点の値そのものではないということ。厳密さを欠いたイメージで説明すると、先々週の10000人が先週何人に感染させたかは示すけれども、今日の1000人が何人に感染させるかを示すものではないということ。これは東洋経済式に限らずRtの観測の欠点だけど。
そういうわけで、東洋経済式Rtを「これがRtだ!」って言ってる人がいたら馬鹿にして良いと思う。
あと、東洋経済式Rtは公開情報から誰でも計算できるものなので、東洋経済が更新しないからって古い東洋経済式Rtを持ってくる人も馬鹿にして良いと思う。
文字通り、今までのメディアの報道では対応できずに動揺している。
どんな事件が起きても、「こんな悪いやつがいる。なぜこうしないんだ」とか「危険だ。政府は馬鹿だ」
と言っていればそれで良かった。
戦前は政府の方針を誉めたり戦果を喜んだことに対する対応だろう。
しかし、もう、「批判するだけでは報道が持たない」時期が来たんだよね。
政府の方針を批判する以外に「正しい対策をしらせて皆に薦める」という役割を背負わされてしまった。
だって70年間マスコミは政府の批判だけをやっていればよかったんだから。急に「マスコミは専門家の手伝いをして正しい方法をみんなに薦めましょう」って言われても無理。
つい反射的に専門家が「ワクチン接種に協力して」といわれても「ワクチンは危ないんですよね」と頓珍漢な対応をしてしまう。
だって、いままで批判しかしてないんだよ。それが仕事だったんだから。
これは野党もそう。
でもそれは仕方がない。いままで、一致団結することなんてなかったんだから。
東日本大震災のときも、マスコミはずっと批判して足を引っ張って政権に嫌がらせばかりしていた。
批判すべきときはあっただろうが、一番力を入れたのは「もう帰るんですか」報道だった。
新型コロナウィルス感染症は肺炎だから風邪より苦しいんだろうなと思うのでかかりたくない。
ただ、毎年インフルエンザにかかりたくないので冬はマスクや手洗いうがいしてたので、今もさほど変わらない生活をしている。
変わったのは周りがすごく過敏になってきたことくらいかな。外出自粛もその一つだと思って、目立つことはしないようにしている。
ただ一つムカつくのは、マスクせずランニングしてる人間を目の敵にする人達がいること。黙って走ってるランナーと一瞬すれ違っただけでエアロゾル感染するようなら、ウレタンマスクして対面で会話するのなんて恐ろしくてできないはずなのに、みんな気にしないじゃん。
こっちもゴタゴタ避けたいので人が少ない道を選ぶし、人とすれ違う時はかなり大袈裟に避けるか息を止めてるけどさ。
まぁ私は地方に住んでるのでそんなに過敏な人はあまりいないけど、都内だとマスクなしで走ってたら絡まれるんだろうなぁ…
今だけこんなふうになってるのが本当に気に食わない。
コロナは風邪とまで言わないけど、他にも重症化するかもしれない感染症(風邪含めて)はあるんだから、コロナがある程度収まってきても今と同じくらい個人での感染症対策しろよと思う。
でなきゃ腹の虫がおさまらない。
というかむしろ相当低い。COVID-19のワクチンの話ね。とある週刊誌の記事がはてなでぶっ叩かれてるけど、大多数とまでは言わないまでも割とリアルな反応だと思う。自分は都内勤務医だけど、周囲を見ると「コロナのワクチンって急造なんでしょ?打ちたくないよね〜」という反応は別に珍しいものではない。まあそれでも病院の雰囲気的に打つって人が多いだろうけど。医者でもこういうこと言う人は身近にいるし、いわんや看護師なんてワクチンの原理も、開発に必要な臨床試験も、何一つ理解していない人の方が大半だと思う。
それらは別に批判されるべきものではない。COVID-19はたしかに公衆衛生において甚大な影響を及ぼす感染症だけど、でも大半の医療従事者にとってみれば、未だに数多ある感染症の一つでしかない。そしてさらに感染症は、数多ある人の病気の一つでしかない。そもそもワクチンは医療においてもかなり特殊な分野だ。そもそも医療というより公衆衛生のカバーする範囲である。それよりも自分の専門分野の疾患のほうが数百、数万倍重要である。医療従事者は「目の前の患者に集中しろ」というトレーニングを繰り返し受けてきている。大局的な思考はそもそも求められていない。大多数の医療従事者にとって、大事なのは目の前の大動脈解離やクモ膜下出血の患者命を救ったり、末期肺がんやALSの患者の苦しみに緩和したり、統合失調症やうつ病の患者の苦悩に寄り添うことが大事なのであって、mRNAワクチンの原理や承認過程についてお勉強することではない。ぶっちゃけそこらへんのはてなーの方がよっぽど詳しい人が多いだろう。
つまり何が言いたいかと言うと、そのへんの医療従事者やらにCOVID-19やワクチンについてもろくな答えが帰ってくるわけがないわけで、専門家に聞いて、言われたことを勝手に捻じ曲げて伝えないで正確に伝えろ、と言いたいわけですね。
厚労省「新型コロナウイルスワクチンの接種体制確保について 自治体説明会①」](12月18日)
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000708055.pdf
厚労省「新型コロナウイルスワクチン接種に向けた庁内体制の拡充について(依頼)(1月7日)
https://www.mhlw.go.jp/content/000717188.pdf
厚労省「新型コロナウイルスワクチンの接種体制の構築について(1月15日)
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000721004.pdf
第33回新潟県新型コロナウイルス感染症対策本部会議 次第(1月19日)
https://www.pref.niigata.lg.jp/uploaded/attachment/248574.pdf