はてなキーワード: 名人とは
いつもクルマネタの増田は反応がほとんどないんだけど、今回はこちらの記事に珍しく(少しだけ)反応があって(少しだけ)うれしい。
■手洗い洗車の基本を解説するよ
https://anond.hatelabo.jp/20210609143814
前回は基本編だったけど、今回はちょっとステップアップ。手洗い洗車してみたらまあまあ楽しかった、もうちょっと自分でできることを増やしたいなーって人向けだよ。と、言いつつも、大半は俺が書きたかっただけの蛇足だよ。
さて、作業の質をステップアップしようとすると、だいたい使う道具や洗剤を買い足すことなります。つまりステップアップと追加投資はほぼ同義だよ。
基本編ではホイールを洗うのにスポンジを使ったけど(使う道具が多いとアレかなと思って省略した)、ホイールはブラシで洗ったほうが効率がいいよ。風呂桶を洗うような柄付きのホイール用ブラシがホムセン行けば200円くらいからある。なので基本編から何かを買い足すならばまずはホイールブラシをおすすめする。お手元のホイールがスポークタイプ(中心から放射状に柱が立ってるデザイン)なら、スポークの間をくぐり抜けて奥まで洗えるやつがいい。ホイールの形状をよく確認してブラシを選ぼう。
クッソ便利そうだけどクッソ高いホイールブラシがひとつあって(商品名は伏せる)、朝起きたら枕元に置かれてないかなーと毎晩祈りながら就寝してる。
うっすら鉄サビのオレンジ色に染まってるホイールとか、全体が黒ずんでるホイールあるよね。こういうのはブレーキが削れて粉になった「ブレーキダスト」の成れの果てだよ。どんなホイールでも多かれ少なかれブレーキダストを浴びていて(ヨーロッパ車で大柄なやつの前輪とかは特にスゴイ)、これを手洗いで落とすのは正直めちゃくちゃたいへん。落とすには「鉄粉除去剤」を使おう。「チオグリコール酸アンモニウム」っていう成分が含まれてればOK。こいつをホイール全体にまんべんなくスプレーして放っておくと、薬液が鉄粉と反応して紫色の汁が流れだします。5分くらいで落ち着くので、シャンプーで洗えば完了。
モールの境目とか、エンブレムやオーナメントとか、くぼみや隙間や細かいところ、隅っことか角っこにはスポンジ(と目)が届きにくい。
そういう場所の汚れは、小さなサイズのスポンジとか筆とかハケを使うと落としやすいよ。使い終わった歯ブラシなんかも場所によっては役に立つよ。洗車用品はとてもたくさんの専用品が売られてるけど、ホームセンターに行ったらカー用品以外の売り場もよく歩き回って「これアレに使えそうじゃん?」とひらめいた道具を使うのも楽しいよ。案外専用品よりずっと安上がりだったりする。
用途に応じてどんどん道具を増やしても逆に不便なので、カバレッジの広い万能内野手みたいなツールがあるとよいよね。私も模索中です。
車体にワックスやコーティングを施すとツヤが出てピカピカになるし、小さな傷なんかは隠れちゃいます。でも、ワックス/コーティングの効能はピカピカの美観だけじゃないんだな。むしろ、「保護」のほうが恩恵が大きい気がする。ワックス/コーティングをしておくと日々の汚れが溜まりにくいんよ。
日々の汚れが溜まりにくいと、毎回の洗車がラクになるし、頻度も減らせる。風化の進行を遅らせてくれるので、駐車環境が悪い人ほどきちんとコーティングしておく意味は大きいよ。下取り価格にもきっとちゃんと返ってくるはず(期待)。
どんなワックスやコーティングがええんや? と言われてもそこはお答えが難しい。製品は無数にあって効果や耐久性も千差万別だし、そもそも私はこの部分はいつも専門業者にオマカセしちゃってるので(年イチでメンテナンス)知見が全然ないです。やってみたい人は自分で調べてね。ごめん。
ひとつだけ言えるとしたら、とにかく汚れをバッチリ落としてからやれということ。汚れを残したままコーティングで塗り込めても目立たなくはならないし、そのコーティングもすぐに落ちてしまうよ。
ロングノズルのシャワーを持ってるとボディの「下回り」が洗えるよ。下回りってのは床下ね。車を四つん這いの亀に見立てると、お腹のところ。シャワーを上に向けて、ボディの下に突っ込んで床下を洗おう。もっとも、最近の車は床下がまるっとカバーで覆われていることもあるので、床下が一枚板のノッペラボーだったら下回り洗浄はあんまり必要ないよ。自分の車の床下がどんな様子かは、スマホを挿し入れて動画撮影すればわかる。
下回りは見えない場所だから気分的に優先度が低いけど、その車に長く乗るつもりなら定期的に水で流すくらいしておこう。これも美観を保つというよりはメンテナンスの一貫だね。錆で朽ちてきても気づきにくいのに、いざ老朽化して壊れると修理費はけっこうかかるから……。
下回りも、基本的には水をかぶってはいけない部品はない。ボディ洗いの時と同じで水圧で吹き飛ばす要領でゆっくりとノズルを移動させて、こびりついた泥汚れを落としていこう。
あくまで一般論だけど、車軸と背骨がなす「エ」の字の周辺は構造物が多くて入り組んでいることが多いよ。なのでこのエリアは特にていねいに流そう。逆に、脇腹のエリアは基本的にただの床板なのでざっとでいいよ。
雪国に住んでいる人はみんな下回りをていねいに洗ってるよね。これは道に撒かれている融雪剤がサビの原因になるからだよ。雪無し県住みでもスキースノボによく行くって人は、帰ったらすぐに流したほうがいいよ。ちなみに高速SAのガソリンスタンドには高圧洗浄機が使えるところがあるから、帰り道で洗っちゃうのも手だね。上信越道は横川SA、関越は赤城高原SAや高坂SA、中央道は談合坂SAのガソリンスタンドで高圧洗車機が使えるよ。
ていうか、ロングノズルのシャワーは下回りに限らず重宝するよ。屋根の上が流しやすいし、体が少し車体から離れるので高水圧でも返り血を浴びにくい。
ボディにも鉄粉は乗っているよ。でも目で見てわかるようなものではなく、注意して触れば感触でわかる程度のものなので、これからコーティングしようとか研磨しようという人でない限り放っておいてもよいのではと思う。
落とし方はホイールと同じで鉄粉除去剤をスプレーするか、異物除去用の粘土(ネンダーという)で表面をなでてキャッチする。ネンダーはボディ表面を水で濡らして使ってね。
スポンジが行き届きにくい窓ガラスのサッシぎわとか隅っこは長年汚れを見落とされ続けて汚れが積もっていってしまうので、なるべく日々の洗車で借金をためないようにしたいところ。
でもカーシャンプーで洗っても油膜やウロコ(雨や洗車の水滴がまだらな模様になってこびりついた汚れ)ってマアー落ちないよね! ワイパーの水切れが悪いなとか、なんか見通し悪い感じがしてきたら、油膜・ウロコ取りをしよう。それ用の洗剤がいろんな種類たくさん売ってます。
あと窓ガラスのコーティングも雨の日の運転しやすさにめちゃくちゃ効果があるので、やったことない人はフロントだけでもやってみよう(ガソリンスタンドとかでもやってくれるところがあるよ)。窓ガラスコーティングもボディコーティングと同じで、「まずは完全にキレイなこと」が施工の大前提。汚いまま塗ってもしょうがないです。コート剤にも色んなタイプのものが出ているので、お好みで選んでみてね。
外装の美観には無頓着でも室内は気になってしまう、という人はけっこう多いんじゃないかな。てか、一般的にはそういう人のほうが多いか。
室内は基本的におうちのお掃除と同じだ。拾えるゴミは拾う。掃いたり掃除機をかけてチリを払い、汚れてそうなところは中性洗剤とかで拭き掃除。
掃除機も高いところから始めて低いところに降りていくといいよ。チリは下に下に落ちていくからね。シートはリクライニングを最大に倒すと背もたれと座面の隙間に掃除機がかけやすいよ。けっこうゴミとか小銭とか前オーナーの屁とかが溜まってるよ。車室内にはドリンクホルダーやドアポケット、センターコンソールの小物入れなど便利なくぼみがいっぱいあるけど、そういうところの底にはゴミも溜まりやすいよ。そして女性はそういうところが汚いことを見つける名人だよ。
拭き掃除はふだん手指で触るところを重点的に、かんたんマイペットとかの中性洗剤で清めればよいよ。ハンドルやノブ、スイッチとかその周辺。広いところはスプレーしたり、狭いところはタオルにスプレーして拭いたり。そしてすかさず水拭き・乾拭きで仕上げるとべたつかないよ。
ドライバーがタバコを吸う人ならば作業範囲は車内全体に及ぶのでしんどいよ。ヤニは溜めれば溜めるほど掃除がたいへんなので、タバコを吸う人は月に一度はあったかい濡れ雑巾で全体を水拭きするようにしたほうがいい(ヤニは水溶性だよ)。
古い車はヘッドライトがどんより濁って黄ばんでることが多いよね。これをリフレッシュするのは個人的にめちゃくちゃオススメ! スッキリ透明ツヤツヤなヘッドライトにするだけでパッと見の印象がマジでまるっきり違う。ハードルはかなり高いけど、ホント若返るよ。
しかしこれをDIYでやるのは「そういうことが大好きな人」にしかおすすめできない。基本的には磨き屋さんとか板金屋さんに持ち込んで研磨+コーティング施工してもらうのが一番なんだけど、まあ、お高い。両目で1万以上とられると思う(純正新品と交換するのと比べればずっと安いけど)。金銭感覚は人それぞれだし現状がどのくらいみすぼらしいかにもよるけど、とにかく高いお金を払う価値はあると思うよ。
あ、虫除けスプレーでヘッドライトの黄ばみが落ちる、と一時期バズッてたけど、私はあまりオススメしないな。たしかに落ちるんだけど、これは黄ばみ層を剥離するだけなのでまたすぐ黄ばんでくる。年に何度もやる覚悟をするか、DIYするならちゃんとコートまでできるキットを買ってやったほうがいいかも。
私の車は細かな凹凸が多いデザインで洗車機だと洗い残しがたくさん生じるので、基本的には洗車機は使ってません。まあ、自分で手洗いするのが好きってのも大きいけど。なので近ごろの洗車機の実力とかメリデメとかはちゃんと把握していないんだよね。語る資格なし!
洗車機の世界も日進月歩で技術革新が進んでいてなかなかハイテクなことになってるみたいなので、ふだん洗車機使ってる人、現代の洗車機事情なんかを教えてほしい。
あれを買えこれを買えといろいろ言ったけど、具体的な商品名は挙げないようにした。商品名を出すととたんに文章がウソくさくなるよね。なのでどれを使うかはみなさん自己判断してほしいんだけども、カー用品店にもAmazonにも似たような製品が無限にあって、何を買えばいいかけっこう迷うと思う。
普通にググるとタイアップ動画やアフィりブログばかりヒットしてしまうよね。もしネットの口コミで判断する時は「みんカラ」でレビューを探すとよいよ。みんカラはエンドユーザーのコミュニティなので書かれてることは基本的に使ってる当人たちのホンネです。ただし全体的にIQとリテラシがやや低め(含む科学リテラシ)なので、そこは補正しながら読んであげてほしい。
ちなみに自分は高機能・高付加価値な製品にはあまり興味がなく、単機能でベーシックなものをやりくりしてほどほどの結果が出ればいいやってタイプ。で、「ここから先がたいへん」というところでは素直にお金を積んでプロに頼む。間違いなく仕上がりはそのほうがいいからね……。
■セミバケットのすゝめ
https://anond.hatelabo.jp/20210529213157
■自動車って、逆さまで走れますか?
https://anond.hatelabo.jp/20210529002625
土曜日の夜は一切予定が入れられない。
白熱の戦いが毎週繰り広げられている将棋の「ABEMAトーナメント」。6月5日は予選のCリーグ、チーム羽生対チーム木村が行われた。、この結果、この2チームにチーム豊島を合わせた3チームが、勝敗、得失点差まで完全に並ぶという劇的な展開が待ち受けていた。最後はリーダー3人によるプレーオフが繰り広げられ、決着が付いたのは日付も変わった翌0時すぎであった。翌日(というか当日)には、藤井棋聖と渡辺名人の棋聖戦があり、朝早くから中継があるというのに、この深夜までの激闘が寝かせてくれない。まったく、大事な日の前日になんてものを見せてくれるのか。
劇的な展開にも魅了されたが、この日の決着局、羽生善治九段と佐々木勇気七段の将棋はその内容も抜群に素晴らしかった。このABEMAトーナメントは、「持ち時間5分+1手につき5秒加算」という超早指し(フィッシャールール)のもとで行われる。このルールは、実際に指してみれば分かるが、非常に厳しく、スリリングである。ある程度、手の決まった序盤ならば時間を増やしていけるが、局面が複雑になった中終盤はそうもいかない。序盤で増やした時間はあっという間に溶けていき、秒に追われながら指し手を続けていくことになる。正直、アマチュアがこのルールで指しても、「そもそも将棋にならない」ということが多い。繰り広げられるのは、「将棋に似て非なる何か」である。
しかし、そこはプロ。我々アマチュアとは違い、このルールでも「将棋」を指す。さすがに指し手の質は多少落ちるのかもしれないが、それでも将棋を指している。まずはそこに感動する。
羽生九段と佐々木勇気七段の一戦は、互いの読みと駆け引きがぶつかり合う激戦となった。この将棋は、持ち時間の長い公式戦と比較しても遜色ない名局だったと思う。将棋ファンとして、この一局への感動は言葉にして残しておきたい。
先手番となったのは佐々木勇気七段。藤井聡太四段(当時)のプロ入り29連勝を止めた男としてあまりにも有名であるが、その後の活躍も目覚ましい。順位戦は現在上から2番目のB級1組。藤井二冠をぴったり追走しながら昇級し、現在も開幕2連勝と好調である。居飛車党の本格派で、序中盤にも惜しみなく時間を投入する。深い研究と読みに裏打ちされた指し手が魅力である。それでいて、この早指しのルールでも滅法強い。
後手番となったのは羽生善治九段。何をかいわんや、ご存じ永世七冠である。
戦型は角換わり腰掛け銀。事前のインタビューで、変化球ではなく、正面からぶつかりたいと語った佐々木。宣言通り、得意戦法で真っ向勝負を挑んだ。対する羽生とて、相手の得意形を避けるタイプではない。いつも通り、泰然と、そして悠然とした手付きで佐々木の得意形を受けて立った。
端歩の駆け引きもあったが、十分な研究があるようで、佐々木の指し手は早い。57手目、▲2五歩と攻めかかる。これは、羽生の玉が2二に入ったところに、真上から襲い掛かった手である。羽生の構想を正面から打ち砕こうとしており、相当な迫力がある。一歩間違えればすぐに潰されそうなところ、羽生は一歩も引かない。佐々木の飛車を吊り上げ、銀取りも手抜いて手裏剣を放った。
66手目「△8八歩」。この手自体は珍しい手ではなく、相手の陣形を乱す定番の手筋である。実際、その場にいた棋士も全員が一瞬で見えた手だと思う。しかし、問題はこの歩が「通るのか?」その一点である。もしこの手が不発に終われば、この将棋は一気に佐々木に持っていかれてしまいかねない。「一か八か」的な意味で、この歩を打つのは非常に怖い。しかし、羽生の手は8八に伸びる。「運命は勇者に微笑む」羽生が好んで用いる言葉を想起した。勇者羽生善治、いつもこうやって、勝利を手繰り寄せてきた棋士である。
勇者に勇気が立ち向かう。羽生の放った歩を取っては弱いと見た佐々木は、一直線の攻め合いへ。71手目、▲4六桂と急所に桂馬を放った。対する羽生、△6四桂と打ち返す。同じく急所に放った桂馬である。4六と6四の桂馬が、銀を挟んで対称に向かい合っている。この局面、互いの我が道を行くとばかりに読みがぶつかり合い、その衝突が盤上に表現されている。最高峰に美しい。
美しい火花にくらくらしそうな局面で、佐々木が次の1手を放つ。73手目「▲6五銀」。最高峰の美しさに、さらに「その上」があったとは。叫びたくなるような手である。銀のただ捨て。しかし、この銀は取れない。取ると、羽生玉が弱体化し、一気に攻め潰される展開が見える。佐々木の放った会心の一手であり、観戦していた羽生のチームメイト、中村太地七段も「(佐々木の)決め手に見えた」と述懐したほどである。
佐々木勇気、会心の一撃。そのままK.Oされてもおかしくない局面で、さらに時間もない。そんな局面で、羽生は何を放ったか。74手目「△8八と」。やはり銀は取れない。羽生は最大の強手で応えた。ちなみにこの「と金」は、その前の局面で放った「勇者の歩」が成ったものである。歩を打った手も凄いが、「と金」を引いたこの手も凄い。鬼のような顔で剣を抜く勇者を見ているようである。
羽生の踏み込みに、佐々木は盤上没我。長考の末、と金を払う。羽生は追撃の手を緩めず、△6六歩、そして残り2秒(!)まで考えた末に△4九角と放った。少し進んでみると、恐ろしい局面が見えてくる。この将棋、途中から佐々木が一方的に攻めていくような展開ばかりが見えていたはずなのに、気付けば羽生が佐々木を追い込んでいる。佐々木も相当な迫力で攻めていたはずなのだが、勇者の踏み込みがそれを凌駕したように思えた。
とはいえ、局面はまだ分からない。佐々木、黙っていられないとばかりに攻めに転じ、羽生玉に迫る。羽生玉はかなり危ないところまで追い込まれるが、あと一歩が足りない。それを見切ったか羽生、香車と桂馬で佐々木玉に覆いかぶさる。この手があまりにも厳しく、佐々木を一気に追い込んだ。
土俵際の佐々木だが、あきらめきれない。115手目から、歩を打っては捨てるということを繰り返した。これは、「時間稼ぎ」の歩である。1秒で打てば、持ち時間を4秒増やせる。増やした時間で、必死に凌ぎを探す。歩の打ち捨ては、純粋な「損」であり、将棋の真理からはほど遠い。しかし、そんなことを言っている局面ではないし、なりふり構っていられないのである。鬼の顔をした勇者を相手に、佐々木もまた鬼になる。非常手段で、最後の可能性を探した。
羽生にも余裕はない。一手間違えれば奈落の底である。必死の形相で佐々木の気合に応戦する。冷静に追い詰め、ついに矢尽き刀折れた佐々木。最後は羽生が、146手までの激闘を制した。終盤はたがいにほとんど時間がなく、チェスクロックの叩き合い。それが終わり、激闘に終止符を告げるブザーが鳴った。
大熱戦の末、羽生の勝利。チームメイトの中村七段、佐藤紳哉七段が控室で絶叫する。「感動した!やっぱ羽生先生は違うわぁ」その反応は、同じプロ棋士というより、画面の向こうで見ている我々将棋ファンのそれと近いものであったが、そうなるのも無理はなかったと思う。それくらいの将棋であったし、「羽生善治」とはプロ棋士にとってもそれくらいの存在なのである。
敗れた佐々木の指し手も素晴らしかった。忘れてしまいそうになるが、この将棋は「5分+5秒」の超早指しで指されたものである。それが到底信じられないような濃密な内容で、「神々の叩き合い」とでも言うべきものだった。極限の状況で指していたことで、羽生の「勝負術」「局面への嗅覚」といったものが最大限に研ぎ澄まされ、盤上に発露したように思う。棋士・羽生善治の恐ろしさを改めて感じたし、その羽生が未だにあと1期まで迫った100期目のタイトルに届かない、将棋界の恐ろしさを思った。
激闘の余韻も冷めやらぬ中、さらに興奮するような出来事が起こった。この戦いの翌日、羽生が中村七段のYouTubeチャンネルに登場し、なんと自らの将棋を解説したのである。羽生がYouTubeで自戦解説をするのは初めて。あれだけの将棋を見せてもらっただけでも興奮が止まらないのに、その翌日に本人から解説が聞けるとは。神々が叩き合い、神が降りてきた。あまりの出来事に、感情が追いつかないままに視聴した。
佐々木の「▲6五銀」はやはり相当な一手だったようで、羽生も手放しで称賛した。「いい手だなあ」そうやって飄々と語る姿は、一日前の盤上にいた鬼の姿とは大きく異なっていて、少し呆気に取られてしまうのだが、盤上を離れればこれが羽生善治なのだと妙に納得もしてしまうのであった。
ここ数年の将棋人気で誕生したabema将棋トーナメントの放送が毎週土曜日にあり、持ち時間5分、1手指すごとに5秒追加という、普段の対局だったらまずありえない持ち時間の短さに慌てふためくプロ棋士の様子を見て楽しんでいるのだが、いつもの対局での棋力に照らして、明らかに早指しだと弱くなる棋士がいることに気づいた。
将棋や囲碁のようなボードゲームで、子供の頃からやっている人と大きくなってから始めた人の差が一番出やすいのは、超早指し(持ち時間3分で使い切ったら負けとか)なんじゃないかと前から思っている。子供の頃からやっている人は、そもそも単純に経験値が多いし、持ち時間など関係なくバシバシ瞬発力で指す子供時代の記憶がどこかに残っていたりもするのか、直感が優れているし直感が効く範囲も広い気がする。他方大人になってから始めた人は、経験値が足りないのを理屈で補っているようなところがあるから、時間をかけて読み進めれば人並みに正しい結論まで辿り着けるけれど、いかんせん直感が効かずとっさの判断が苦手である。実際自分の周りを見ていてもそういう傾向は顕著で、大人になってから始めた人ほど長時間と短時間のレート差が大きい(当てはまらない人もいるけど)。
しかしさすがにプロ棋士で大人になってから始めた人はいないから、これは関係ない。だったら普段の強さと早指しの強さが連動していてもいいはずじゃないかとも思うのだが、実際にはそうなっていない。なかでも印象的なのは、一昨日私を含む多くのファンに惜しまれながら敗退した豊島将之竜王。見るからに今回のルールが不得意で、去年に続いて二年連続で予選敗退。知らない人のために書いておくと、豊島竜王は今の将棋界で一番強い部類に入る人で、タイトルも2つ持っている。ちなみにいま一番多く(3つ)タイトルを持っている渡辺明名人にもなんとなく似た印象があって、公式戦だと勝ちまくっているが、abemaトーナメントだとうおーーー強い、という感じがない(しインタビューなど聞いていると自分でもそう思っている節がある)。
プロ棋士の脳内というのはとにかく常人には計り知れないところがあり、許されるのなら割って覗いてみたいくらいのものだと思うのだが、そうなると逆に気になってくるのは、普段の対局時(持ち時間4時間とか6時間とか、長ければ8、9時間で2日に分けてとか)、早指しはいまいちだが時間をかければべらぼうに強いこの人たちの頭の中ではどんなことが起こっているのかということだ。直感で思い浮かんだ手(よく「第一感」と言われる)が読みで修正される度合いが、他の棋士よりも大きいんだろうか。第一感の手の精度はイマイチだが、あるいは「筋のいい」手をパッと思いつく能力にはプロともなれば差はなくて、10手先20手先と掘り下げていったところに潜んでいる意外な妙手に気づく能力に長けているとかなんだろうか。しかし何手先だろうと手を発見するのは直感なんじゃないんだろうか。それとも直感を裏切るような手を理詰めで辿り着く技術なんだろうか......。
しかし、羽生善治永世7冠には、経験を積んで強くなるとは、「直感」の段階で無駄な候補手を切り捨てる能力が向上することであり、それによって読むべき手を減らしていくことだという趣旨の言葉がある。この手はきっとダメだろうな、この手は可能性があるかもな、みたいな読み以前の感覚の正確さが強さの一大要素だという発想で、これはプロにも当てはまるはずだという気もする。余談だが今回のabemaトーナメントでは意外と歳が上の人が勝っているのも面白くて、頭の回転速度は20代をピークにして衰えるらしいが、その分を経験に裏打ちされた直感で補えているのかなあという感じもある。
人工知能が計算力に物言わせてとにかくしらみ潰しに読むのに対し、人間はほとんどの選択肢をまず最初に切り捨てると対比的されることがあるが、その第一感の部分で豊島竜王とか渡辺名人とかがさほど秀でていないのだとしたらやっぱり意外で、そうなんだとしたら彼らの強さは何によってできているんだろう、というかそもそも将棋の強さというのはどういう能力で構成されているんだろうと思う。既存の手筋をいくつ覚えたかとか脳内盤がどれくらい鮮明かとかそれで何手先まで読めるかとかいうことである程度までは強くなれるが、突き詰めていったら、どんな能力が必要なのか、強いとはどうなることなのかがわからない、むしろそれをこそ考えるという境地があるはずだと想像する。それは畢竟するところ、人間の知能がある限られたルールの中で極限状態に置かれたらどう振る舞うか、エンタメの装いで人体実験しているようなものだ。自分で直に体験することはできないが(単純に棋力が足りないので)、代わりにやってくれるプロ棋士を見ながらこの人たちの頭の中では何が起きているのだろうかと想像することは楽しい。
AIはAIで、機械学習からディープ・ラーニングに替わって以降、コンピュータが自分で作り調整している無数のパラメータが何を測っているのか人間には分からないという話があるが、9×9マス、駒8種類程度のゲームでもその「考え方」には複数の可能性があるわけである。藤井聡太が注目を集めているのも、単に計算が早いだけではなくて、「考え方」の質的な更新を予感している人が多いからだろう。AIに人間が勝てない今日、ボードゲームがプロ競技として存続していくことに意味はあるのかと問われることがあるが、あえて考えるなら、「ミスだらけでも人間が真剣勝負する姿は美しい」型の人間ドラマ礼賛よりも(そういう要素が消えるとは思わないしまあ自分も好きだが)、人間の知的能力をある方向に限界まで高めたときにのみ垣間見えるその特性がAIとの比較も含めて明らかになったり、AIと人間の共同作業にはどんな形があり得るのかの実験になったり(実際「AIのような手を人間が指す」ことは多くなったわけだ)ということの方に可能性があると思う。
と、取り留めもなく最後は話が大きくなりすぎたが、あんなに強い豊島竜王がどういうわけか一向に勝てないのを嘆きながらこんなことをぼんやり考えていたのでした。来週も楽しみ。
ブコメ見てると「焼き鳥食べたい」「焼き鳥屋行きたい」って声が多いので書きます。
家でも串はできます。
あれは魚を焼くモノじゃありません。串を焼くものです。
適当な肉を買ってきて適当な大きさに切って串に刺してフィッシュロースターに並べて10分くらい焼けばうまい串ができます。
イワタニ「炉ばた大将」みたいなのもあるがあれはけっこう面倒くさい。
「串打ち三年、焼き一生」というが、フィッシュロースター使えばその「一生」ぶんがかなりショートカットできます。
フィッシュロースターは密閉状態で上下から加熱するので、串打ちが適当でもいい感じで火が通ります。
モモやねぎまだけじゃなくて、スーパー行けば色んな部位の肉を売ってるので好きな肉を焼けばいい。
タレは「エバラ焼鳥のたれ」で十分です。焼きながら時々ハケで塗るといい。
もちろん、塩焼きもうまい。
自分でいろんなオリジナルな味付けも楽しめる。塩+オリーブオイルとか、生醤油とか、ポン酢とか。
お店だと「つくね」にしかついてこない卵黄も、家串なら例えば鶏レバとかでやれたりする。
最近は「ガーリック焼き」とか「バジル風味」とか「タンドリーチキン」とか味ついてる肉があったりするでしょ。
つくねは「米久の肉団子」で全然OK。ふつうに焼き鳥屋の味です。
ラム肉もいい。カルディの「羊名人」まぶして焼けばサイゼリヤのアレが家でできる。
肉のあいだに挟む野菜もネギだけじゃない。トマトやらキノコやら色々選べて楽しめる。
小説でも漫画でも、物語の作家とそれを目指す人に対して「文章力とか画力以前に、これらについて気をつけておいて欲しい」と読者の立場で願っていることが有る。以下にいくつかを記す。
基本的に読者とは「物語の中で、何かが起きて、それに対して登場人物が反応(行動)し、物語の中で時間が経過して、登場人物が『上昇』または『下降』いずれかの変化を遂げる」姿を見届けるために物語を読む。何も起きない、何もしない物語を読みたがる読者は、滅多にいない。
したがって、物語を作る者は最低限、以下のような『構造』を物語が持つように努めるべきである。
= = =
(1)昔の主人公:充足した状態にある。もしくは、主人公自身は「満ち足りている」と思っている。
(2)少し昔の主人公:何か事件が起きて「欠落」が生じる。例えば、宝物や恋人を奪われるなど。或いは、主人公自身が「何かが足りない」と考えるようになる。
(3)現在の主人公:修行して能力を得たり、協力してくれる仲間を募ったり、旅をしたり、戦ったりして、欠落した何か、奪われた何かを取り戻そうと行動する。
(4)未来の主人公:欠落したものを取り戻す。あるいは、欠落していなかったことに気づく。あるいは、欠落をしたものを取り戻せない代わりに、他の何かを手に入れるなどして、欠落を受け入れる。
= = =
もちろん、これは構造の要件としては最低限のものにすぎない。連載途中で完結していない作品の場合には「目的を遂げようとする中で、登場人物が変化をするのであろう」と読者に『予感』させねばならない。その『予感』を持たせられず「本当に目的を遂げるのか?」とか「その目的を主人公が遂げたからといって、それが何なの?」と読者が感じたら、もう物語を読む動機を失ってしまう。
とはいえ、上のような「物語の世界で起きた出来事(1)〜(4)」を、時間経過の順番どおりに並べただけでは、読者の興味を惹いてページをめくらせることはできない。「何故、どうして事件は起こったのか?」という物語の中の『過去』と、「この後、登場人物はどうする、どうなるのか?」という物語の中の『未来』に対して、読者が興味を持つように仕向けければならない。
そのために、事件の発生原因や経緯、それに対する登場人物の反応・行動を「どのように読者に見せるか」という見せ方、見せる順序の構成、視点を考える。それが『構成』である。
最もわかり易い例は、密室殺人などのミステリ作品。単に時間経過どおりに出来事を並べただけでは、読者の興味を惹き続けることはできない。分かってみれば謎でも何でもないことも、見せ方によって「謎」に変化する。それが『構成』の力である。
もっとも、ミステリで言えば刑事コロンボのように犯人の視点で「動機となる出来事」や「アリバイ工作の様子」などを、最初から出来事を見せるという手法もあるにはある。しかし、これとて「効果的な見せ方」として選択した結果なのであって、単に出来事を順番どおりに見せているわけではない。
作家志望者ならば、一日にストーリー(上の1で述べた出来事の羅列)一つと構成一つを作るぐらい訓練をして欲しい。
【3:読者が物語(の登場人物)に『感情移入』できるような『動機』を】
読者を登場人物に『感情移入』させられれば、物語を読む『動機』が生まれる。以下でいくつか例を示すが、感情移入とは親近感や変身願望のことであると考えれば理解し易いと思う。
= = =
ケース1:スポーツやゲームなど、現実の愛好家が存在する物事をモチーフにして、主人公たちが戦う物語を作ると、その愛好家たちを読者として感情移入させ易いといえる。例えば、高校野球で甲子園を目指す物語、サッカーでワールドカップを目指す物語、囲碁の名人を目指す物語、ポーカーの世界大会での優勝を目指す物語など。ただし、そのネタに関心が無い人間を、門前払いしてしまうというリスクは有る。
ケース2:現実世界の読者の立場では様々な制約(物理的なもの、法律など)から実行できないことを、作品の登場人物たちがやっている姿を見て、読者がカタルシスを得る。例:ヤンキーやヤクザが、学校や地域で覇権を争う物語。厳重な警戒を掻い潜る、大ドロボウの物語。報酬を受け取って殺しの依頼を引き受ける物語。詐欺師がコンゲームをする物語。犯罪プランナーの物語など。
ケース3:主人公が闘って勝利することで、脇役も利益を得るような物語。読者は、脇役に感情移入して主人公を応援したくなる。核戦争で荒廃した世界で、無法者によって弱い人たちの生存が脅かされているが、無法者たちを倒すために主人公は闘う。人間を食い殺したり操ったりする怪物が跋扈して、人間社会を脅かしているので、その怪物を倒すために主人公は闘う。大半の読者は一般庶民なので、このように「弱者を救うために闘う登場人物」には感情移入し易い。
呪いのビデオを観てしまった!何とかして呪いを解かなければ主人公は死んでしまう!そのタイムリミットが(a)1週間以内、(b)五十年以内のどちらかだとしたら、物語を読む意欲をそそるのはどちらか?
子供が生命の危機!手術をしないと死ぬ!そのために主人公は(a)有り余る財力と人脈を駆使して世界一の名医に手術を依頼する、(b)金も地位も人脈も持たない主人公が何とかして子供を助けるために苦闘するのどちらかならば、物語を読む意欲をそそるのはどちらか?
何も制限を課されていない登場人物は、読者にとって応援する甲斐が無い。貴方に腕前が有るのでない限りは「パンが無いならケーキを食べれば済む」といった恵まれた境遇の人間を主人公に据えて物語を書くことは避けた方が良い。
特にファンタジー系作品を書く場合、この種の落とし穴に嵌まり易いので作家志望者は注意した方が良い。一度「結局は、作者の匙加減一つじゃねえか」と思われたら最後、読者は興醒めして離れると思え。
【5:補足】
昔、海外のチェス初心者用指南書に『How not to play Chess』という本があった。「『やってはいけない駒の動き』をしないように心掛けるだけで、まともな対局が可能になる」という内容であった。今でも「悪い指し方」「他山の石」の例を見せて教えるのは、チェス・将棋・囲碁などの訓練では常套手段である。
したがって、物語についても「悪い例」を示すのが効果的である。例えば「『海賊王』に俺はなる!」という某漫画は、多くの人が知る有名な大衆的な商品なので、その駄目な所を指摘するのは、物語作家やそれを目指す人にとっては格好の「他山の石」と言える。そこで、この商品の駄目なところをいくつか指摘して終わる。
= = =
定義が不明瞭なのに「海賊王になる」と言われても読者にとっては「パンピレホニョンに俺はなる!」と言われるのに等しい。意味不明。
主人公が海賊王になるのを、脇役や読者が応援するべき理由や動機が有るの?
もしも主人公が海賊王になったら、脇役にとっては何か恩恵が有るの?
いつ迄に主人公は海賊王になるつもり?一週間後?一ヶ月後?半年後?一年後?十年後?
海賊漫画なのに海賊行為(襲撃、略奪、誘拐、密輸)をしていないよね?
どうせ戦っても「ハァ…ハァ…」と言うだけでダメージを負ったり死んだりしないから、単なるプロレスごっこになってるよね?
現在リアルに少年・少女のジャンプ読者は、連載中の海賊王漫画のことを「今、誰が、何のために、何をしているのかがサッパリ分からない」と思ってるよ。その読者の率直な現状を、編集者は把握してる?
= = =
冗談抜きで今現在、漫画なり小説なりの作家を目指している人は、某海賊王漫画を反面教師にして欲しい。
健闘を祈る。
樋口久子や渋野日向子が勝ったのは"女子"メジャー大会であってメジャー大会ではない
これは将棋の女流名人が決してただの「名人」と呼ばれないのと同じだ
そもそも一般に男子の大会と言われてるPGAツアーに性別の制限はない
女子ツアーに男子が参加することは出来ないが逆は男子と同じ条件さえ満たせば参加可能だしいくつか例もある
過去に天才少女として大きく取り上げられたミシェル・ウィーはアマ時代からマスターズ出場が目標と公言しており
優勝者にマスターズ出場資格が与えられるPGAツアーの試合に参加したこともある
と初心者にいわれると、
「まあとにかく色々記録を作りまくっててすごいんだ」
くらいしか言えないんだが、驚くべきことに今年で現役5年目、確かにガチの将棋初心者にそのすごさを一言で伝えるにはキャリアが長くなってきている気もする。
そして、羽生先生のコピペやら、米長邦雄先生の打線コピペやらで育った身からすれば、あのへんがにわかにもわかりやすい限界だよなあとも思ってるのでかなり評価してるのだが、調べても藤井聡太のコピペみたいのは存在しないわけだ。
と言うわけで、仕方ないから書くことにする。
ただ、何せご本人がまだまだ未成年でありこれからバリバリ記録を作ることがほぼ確定。つまりこのコピペ擬きはあっという間に劣化すると思われるので、気が向いた人が語呂よく改善・改造していくようおねがいします。
・一年目の棋戦でいきなり名人・竜王を倒して優勝。ちなみに竜王はあの羽生さん。
・もちろん新人戦も優勝。
・あまりに勝ちすぎて5段昇段パーティーが7段昇段パーティーになる。
・なお5段だった期間は16日間。6段であった期間もわずか三カ月。
・あまりに勝つので将棋のフィクション作家がノンフィクションを名乗り始めた。
→ Twitter で医師を拾ってきて Google のソフトウェアエンジニアにするだけの簡単なお仕事 - 白のカピバラの逆極限 S.144-3
「超優秀な人間が、地方の劣った人間を見下すな」という趣旨だ。
元の文章に「田舎初段」という言葉が出てくる。素人よりは段違いに上手だが、その道のプロから見ると桁違いに下手、という真ん中を指して揶揄した言葉だ。頂上感が自尊心のコアになっている時に尊大な田舎初段を見ると、本物はどういう事か教えてあげるために、ちょっと捻ってみたくなる気持ちはよく分かる。
 ̄ ̄
聞く方は羽生名人が田舎初段を捻り潰すのを見るような後味の悪い感じがしてしまうものだ。
羽生名人はそんな事をしなくていい。あなたの優秀さはそんな事をしなくたって周りの人に伝わっているから大丈夫ですよ、と言いたくなる。
まったく低レベルの曲解なので、呆れてしまう。元記事のブコメも、同趣旨の理解が多いようだ。しかしそれらはすべて誤読である。では、正しくはどう理解するべきかを示そう。
「田舎初段」という言葉の意味は、「井の中の蛙、大海を知らず」というのとほぼ同義である。ただしそれに「自惚れ」「過信」という意味が加わる。
そして、その言葉で示されるのに典型的な事例は、「素人よりは段違いに上手だが、その道のプロから見ると桁違いに下手、という真ん中」ではない。つまり、「二流」や「一流半」ではない。
では何かというと、たとえば菅首相だ。
・ 自分はすごく頭がいいと自惚れる。
最後の一点に限っていえば、はてなーの好きな「トンデモ」という用語に当てはまる一種だ。しかも、自惚れの度が強い。
こういう人間が、周囲の反対を押し切って、「緊急事態宣言の解除」とか、「GoTo イート」とか、「ふるさと納税」みたいな自己流の方針を貫徹する。そして、そばにいるエリートが反対すると、そのエリートを左遷する。他人の言うことを聞かないのが絶対的に正しいと信じている。
ここまで言えば、わかるだろう。元のブログ記事は、「二流の人材を侮辱している」のではない。「一流の人間たるもの、田舎初段になってはいけない」というふうに、一流の人間に向かって「戒めの言葉」を示しているのだ。
なにかの分野では一廉でも別分野では田舎初段に容易になるということです。
学者とかでも、他分野に友人が十分にいれば、そう踏み間違えないが、孤独ならばどんどんおかしなことを言い始めます。
これを止められるのは、かなり簡単に狂うことを意識していることと分野を超えた人間関係があることが揃っている場合くらいでしょう。
普段から様々な分野の学者と話し合っていると、およそまともではない専門家の意見がネットで飛び交っているのがよく分かります。
ここでは田舎の二流人間が批判されているのではない。一流の専門家が批判されているのだ。どう批判されているかというと、一分野に偏ってタコツボ化した専門家だ。そういうタコツボ化した専門家が、
「なにかの分野では一廉でも別分野では田舎初段に容易になるということです。」
の事例となるのだ。
たとえば、Wikipedia の英語版にも掲載されるような、非常に優秀なプログラマーがいる。
→ https://en.wikipedia.org/wiki/Kohsuke_Kawaguchi
こういう超優秀なプログラマーでさえ、日本語をまともに理解することができず、見当違いな批判を書いてしまう。自分の分野から、ちょっとはみ出ると、まともに理解することもできなくなってしまうわけだ。これこそ、元記事で「あってはならない事例」として示された例だ。
――
元記事を「超エリートの自慢」「頂点に上り詰めた人が他人を見下す」「狭い領域で頂点に立って自惚れている」というふうに受け止めるのは、勘違いだ。
では、どう受け取るのが正しいか?
元記事では、普通の人々は、まともに視野に入っていない。それらは言及外であって、良いとも悪いとも言っていないし、見下してもいない。もともと視野に入っていないのである。
視野に入っているのは、エリートクラスの人々だけだ。そして、そのなかで、どういうふうにあるべきかを考えている。
そのとき、彼自身は、自分を「エリート」とは考えていない。むしろ「エリートの中の落伍者」と考えている。元記事のそのまた元記事になった人もそうだが、「東大理3から、プログラマーに転じた」という経歴らしい。これは、医学の道でも、プログラマーの道でも、どちらでも大成しなかったということだ。筑駒や理3の卒業生の中では、(やや)落ちこぼれ組に入る。
はてなー中では、「グーグルに勤務して年収 3000万円」というのは、「凡人社会の頂点にいる」というふうに見えるのだろう。だが、筑駒や理3の卒業生の中では、医者としてもプログラマーとしても大成しなかったというのは、(やや)落ちこぼれ組に入るのだ。
ちなみに、私の知人(同級生)の多くは、国立大学教授や理研の研究員として大成している。世間的には超一流の肩書きを持つ。そういう仲間と比べると、今回の人々は、頂点どころか、(やや)落ちこぼれ組というしかない。威張れるのは、年収だけだろう。(公務員研究者は、年収が高くないので。)
元記事を書いた人や、そのまた元記事を書いた人は、非常に優れた才能の持ち主だ。(後者は高校時代に数学オリンピックに出たらしい。)しかし、その生まれ持った才能を生かすことには失敗しているのである。才能は素晴らしいが、才能を生かすことには失敗したのだ。
そして、そのことを、私は批判しているわけではないし、侮辱しているのでもない。「人生の選択肢で道を間違えたね」と感じて、「可哀想に」と憐れみを感じるだけだ。「私も道を一歩踏み間違えたら、こういう無駄な人生を送っていたかもしれない」と感じて、自分の幸運を感じることもある。
(蛇足)
たぶん、道の選択を間違えた人と、成功した人との違いは、周囲の人々の影響の差だろう。周囲に素晴らしい人がいれば、道をあやまたずに、正しい道を進むことができる。そして、そういう機会のなかったエリートには、同情を禁じえない。
私はグーグルのプログラマーなんかにならないで済んだが、それは本当に幸運だった。(そしてそれは、人生の最初に、素晴らしい女性との出会いがあったからなんだ。そしてまた、高校時代に、素晴らしい教師を知りえたからでもある。それは優しい親切な教師ではなく、星一徹のような鬼教師だったが。)
私あれ買ったわよ。
四角いフライパン。
片手装備ができて
もう片手に盾も装備できるから、
両手フライパンより攻撃力は落ちるけど盾装備できるからいっかなーって
違う違うそうじゃないの。
装備とかの話じゃなくて、
ドゥーイットヨアセルフしちゃいたいわけなのよ。
そんでね、
4つ玉子使ったけど、
結論多すぎたわ。
パサパサの厚焼き玉子が出来ちゃったけど
初めてにしてはまぁ60点ってところかしら。
60点満点中60点ってすごい良い点数叩き出したと思うんだけどね!
思った寄りでも上出来に初めての割りには出来たけど、
玉子4つって言うのがちょっと多すぎて小さな四角いフライパンから玉子が溢れちゃいそうな感じで
スエズ運河を迂回するようにニュースエズ運河を作れば解決!って思ってたけど、
なんとか船が動き出しそうだからよかったわよね!
そんで、
私が目指す半熟ふわふわクラブクアトロで食べたあの厚焼き玉子!
隠し味的なものにマヨネーズとかを混ぜて入れてみたら良いのかしら?
とも思うけど、
すぐに飽きちゃって買った方が美味しいわねってだけは避けたいわよね。
自分で好きなときに好きなだけ厚焼き玉子が作れたら幸せじゃない?
そう思うのよ。
いずれかだと思うの。
まあ虎がぐるぐる回って厚焼き玉子になるとは思えないので前者の方ね。
でもさー
私気付いちゃったのよ。
例えばフレンチのシェフが10年20年と本場で修業するじゃない。
そうして都内とかでシャレオツなお店とか開いてコース料理を頂くとするでしょ。
一瞬ぱっと見パッと見なくても高価なコース料理ね!って思うけど
2万円で味わえると思うと安くない?
高いけど。
そりゃーパッと2万円のコース行きましょうってすぐにはならないけど、
そう言う話しじゃなくて、
シェフの修行した技をそれぐらいの料金で堪能できるってスゴくない?ってことなのよ。
正に時を味わって堪能すると言うか。
初見でパッとつくって一流料亭的な厚焼き玉子がいきなり出来るかつー話しよ!
私悟ってしまったわ。
だからカウンター寿司の寿司屋の大将の握る特上にぎり寿司コースが8000円でも
案外全うな値段というかむしろ安いぐらいよね。
まあ私たちがいきなり魚市場に行っていい魚貝類の目利きが出来ないじゃない。
そう言った意味でも
今回厚焼き玉子を作って見て、
料理人って偉大だわーって思ったし
逆に言うとセントラルキッチンで全部つくってお店で温めるだけというシェフ不在のお店もまたスゴいわって思うわ。
美味しいものを食べたいって欲は変わらないのね。
うわー
結論でたわー!
うふふ。
きっと美味しいはずよね。
そう思ったわ。
ミント見んと春が来ないっつってねー。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「LGBTは嫌いだ」と言う権利があるのかとか、それとも差別なのかとかあるけど、本当にしょーもない話。
だいたいこの法治国家で、裁判も経ずに素人がいいか悪いかを決めようってのが、本当にバカげている話でしょ。
日本は法治国家なんだから、相手の口をふさぎたかったら、裁判を起こせよ。それ以外これに関して言うことないっての。
一応最近、言論の自由に関する裁判があったからその顛末を書いておく。
内容は、あの竹田恒泰がツイッターで「韓国はゆすりたかりの名人」とか発言してたのを受けて、戦史・紛争研究家の山崎氏が竹田のことを「人権侵害常習犯の差別主義者だ」と発言したことで、竹田が名誉を傷つけられたとして山崎氏を訴えたという話だ。
結論としては竹田の請求は棄却。つまり裁判の結果問題なしとなったということだ。
もうこれで結論出てるでしょ。つまり「どっちの発言も許される」ってこと。
もちろん個人としてその発言を許す許さないは好きにすればいいよ。でもそれは個人の感想で、日本社会としてはどっちも許されるってことなんだよ。
一応補足しておくと、竹田の発言が許されるかはこの裁判の争点ではないから不明だし、これはあくまで東京地裁の判決だから、今後も同様の判決が下されるかはわからない。
・どういう人?
フランス生まれ(1835-1921。七月王政~第一次大戦後)。小さいころは神童で、ピアノもオルガンも超一流で教養もあったすごい人。旅行も好きだった。オペラ、バレエ、合唱曲、あとは超絶技巧ものみたいな総合芸術が流行ってたフランスで、交響曲とかソナタみたいな堅苦しいジャンルをフランス人が書くならどうすればいいか模範を見せた。意識的に「フランス音楽」を作り上げた功績は大きいけど、長生きしすぎた(あと口が悪かった)せいで晩年は時代遅れ扱いを受けた。
・普通に有名な5曲
ザ代表作。交響曲とかいうドイツ語圏名産の重苦しい形式を、華、明快、節度が大事なフランス流の美学で仕立て直した金字塔。近いコンセプトのピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリンソナタ第1番を聴いてみると、編成に合わせてどう曲想を変えてるかも楽しめる。
www.youtube.com/watch?v=eTsbgDBC4_k
サン=サーンスといえば協奏曲。ヴァイオリン協奏曲第3番とかチェロ協奏曲第1番も名作だけど、この曲は重厚な第1楽章、軽くて無邪気な第2楽章、情熱的な第3楽章とそれぞれ対照的な雰囲気が一度に楽しめる。
https://www.youtube.com/watch?v=tk_eqKUjDXE&list=OLAK5uy_kFlhz7yMPIyXhc1pQ-5NDDtQL0XezyFz8
若いころのサン=サーンスは「現代音楽家」で、古典を大事にもするけれど、形式の堅苦しさからは脱出しようとした。交響詩は当時最新鋭のジャンルで、死神のヴァイオリンとか、ガイコツを描写する木琴とか、ちょっと品のない表現もたくさん使って悪夢的な情景を表現しようとした意欲作。「オンファールの糸車」「アルジェリア組曲」もおすすめ。
www.youtube.com/watch?v=k1s28gmLicc
本人は発表を嫌がったっていうのもわかるけど、言いたいことを短く言い切る発想力と技術、やっぱりサン=サーンスだからこそ書けた作品だと思う。神秘的な「水族館」と馬鹿騒ぎの「化石」が個人的ハイライト。
www.youtube.com/watch?v=7SjagpXeNhM
サン=サーンスの堅いところと砕けたところが両方いい感じに出たオペラ。全部聴くと長い(でもオペラとしては短め)から、オリエントっぽさ満点の「バッカナール」が入ってて最後も派手な第3幕をとりあえず聴くといいと思う。異国趣味だとピアノ協奏曲第5番「エジプト風」の第2楽章とか、本人なりになんとか日本っぽさを出そうとがんばった「黄色の王女」も面白い。
www.youtube.com/watch?v=GNa8HOMcDvk
・そんなに有名じゃない(好きな人はたぶん知ってる)5曲
20代半ば、1860年ぐらいはサン=サーンスが最初に輝きはじめた時期だと思う。自分はこの曲が一番好きだけど、序奏とロンド・カプリチオーソ、ピアノ協奏曲第1番、交響曲第2番、チェロとピアノのための組曲 作品16、冒険心と若々しい覇気を感じる秀作ばかり。
https://www.youtube.com/watch?v=J34_SiyzsUw&list=OLAK5uy_nfoGOwtSlxkICv6SpIOPGmTsLh7soAVnU
ドイツっぽいド根性(ベートーヴェンとかブラームスとかワーグナーとかそういうやつ)はサン=サーンスの持ち味とは違うけど、この曲は珍しくベートーヴェンっぽい激しさ、硬質なかっこよさが味わえる。普仏戦争でドイツに負けて、自分たちのとこでも交響曲とかソナタとか作ってやろうと奮起した時期の曲だからだろうか。いわゆる「精神性」「深み」みたいなのは、「糸杉」作品156とかクラリネットソナタの第3楽章とかにある。
https://www.youtube.com/watch?v=AU2Eq1jKJGE&list=OLAK5uy_najeRAiKZJwnS2_n9wzLaYdgzMiOZ1RtY
ピアノの名人だったからピアノソロの曲もたくさんあるけど、楽器が身近すぎたからか良くも悪くも一瞬のひらめきで書いてて、波長が合わないといまいちアガらない。むしろ2台ピアノのほうが頭を悩ませながら作ったみたいな感じがあって工夫を楽しめる曲が揃ってる。この曲は優雅なワルツが軸なんだけど、ちょっと気を抜くと不穏な世界があるみたいな前衛的なシュールさもあって面白い。
www.youtube.com/watch?v=wNc7UNFcPMA
「オルガン付」で一度総決算して一息ついたあとの60代(20世紀に入る前後)は完成した作曲技術をつぎこんだ、地味だけど傑作の森だと思う。ヴァイオリンソナタ第2番、チェロ協奏曲第2番、弦楽四重奏曲第1番とかを経てこの曲はヴァイオリンとチェロの二重協奏曲。どこをとってもいい音楽を聴いてるなあと思う。
www.youtube.com/watch?v=wDT21gGt9FQ
そして死んだその年の曲。年をとって無邪気になるというか、どっか遠いとこを見るようになる作曲家はいろいろいるけど、86の爺さんはやっぱり格が違う。もう思い残すことはなさそうな感じ。クラリネットソナタとファゴットソナタと合わせて三部作だからそっちもぜひ聴いてほしい。