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2024-11-12

タイトル不適切でした、申し訳ないです

追記】「十二国記ってアンチ女性向けファンタジーなんだな」ってタイトルが良くないって言われて、その通りだって思ったから消す。

どう言えばいいんだろうな? 甘やかされる系ファンタジーに厳しいっていうか、自分が書いていることに自覚的って言うか。

男女問わず思春期空想しがちな「ここからどこか素敵なところに連れていってくれ」という願望やそれに基づいた創作に厳しいってことなんかなあ?

ブクマカの「登場人物すべてに潔癖で厳しい」って趣旨の指摘を見て、私が一番言いたかったのってこれだったんだって気づいた。

フェミニズム小説ではって指摘についてはその通りで、前のエントリではそれについて触れたんだけど、やっぱりリンク張るだけじゃ分かりづらいよね。

十代のころに背伸びしてラノベとか少年少女小説から遠ざかってたか偏見です、これについてもごめんなさい。

ファンタジー小説自分に都合がいいファンタジー空想って言葉もいい加減に使ってた。

ー以下追記前ー

ここでいうアンチってのは否定的とか叩いているとかそういう意味じゃなくて、対案とか批評的なとかそんなニュアンスね。

なんでそんなこと思ったのかっていうと、異世界に行って素敵な男性出会ってお姫様として幸せに暮らすっていう女性向けファンタジーシチュエーション(正確にはいかにもありそうだなーって偏見なんだけど)を話をひねった設定が多いって気づいたんだ。

「月の影 影の海」

例えばシリーズ最初の「月の影 影の海」ってのは、内気な女子高生である陽子が景麒ってイケメン男性異世界に連れて行かれる場面から話が始まるんだけど、よくある異世界ものと違って、向こうの世界については何の説明もされずにほぼ身一つで放り出されるんだよね。で、最終的には彼女が新しい王だってわかるんだけれども、彼女武器を持って立ちあがり、囚われのお姫様みたいに鎖につながれた景麒を救い出すところでお話が終わってる。

で、この世界の王様ってのは忙しくて、反乱が起きたら自ら戦場に立つし、妖魔と剣で切ったはったやるし、官僚トップと口でやりあわなきゃいけないし、美しいだけの世界じゃないんだ。

なんというか、「覚悟」を決める話なんだよ。

異世界他人に裏切られ続けて荒み切った果てに、「他人を信じるな」と嘲笑する謎の存在蒼猿(実は彼女自身の内なる声)と決別し、裏切られてもいいか他者を信じる道を選ぶシーンは超かっこいい。それに、陽子の元の世界父親は「女は女らしくしろ」という何かのカリカチュアみたいなキャラクターで、フェミニンものがこの話ではそこまで肯定的に扱われていないんだよね。女性として扱われたのは、売春宿に売られそうになったときくらいか。これ以降のストーリーでも彼女女王としての服装を窮屈だと感じ、街に出るとき男装を好むし、この世界女性妊娠出産をしない。

「風の万里 黎明の空」

他に批評的だなって感じたのは「風の万里 黎明の空」のふたりの副主人公、祥瓊と鈴だ。祥瓊は反乱軍に父王が処刑され、命こそ救われるのだが村では無能下働きとして虐待され、しかも正体が露見して危うくリンチされかける。安全のため隣国女王下働きになるも、そこの女王にも冷遇される。

一方、日本出身の鈴は言葉の通じない異世界仙人奴隷同然の暮らしをさせられ、ついに意を決して出奔する。二人とも、女王となった陽子に憧れたり憎悪を抱いたりして、陽子の治める国に向かって旅をする。

これだけ見ると、いじめられたかわいそうなヒロインが返り咲く話の序盤のように見える。読者はこう予想するだろう。いずれも二人とも陽子によって救われるだろうと。だが、中盤で二人はそれぞれ別の人物によって己の落ち度を諭される。祥瓊は長い華やかな王宮暮らしの中で、四十年も父の暴政を止めようともせず、自分の国のありようを知ろうともしなかったことを淡々と告げられる。外国人のほうが自分の国の歴史に詳しいのがどれだけ恥ずかしいことかわかるかと。

鈴は、自分けが不幸を我慢すればやり過ごせると思い込み、百年間何もしなかっただけであり、彼女の不遇の嘆きはただの不幸自慢であるのだと責められる(この世界では特定の条件を満たすと寿命がなくなる)。

このあたり、小野不由美が読者層の中高生説教かましている側面も感じる。

そして祥瓊と鈴が救われるのは陽子によってでもないし、イケメンによってでもない。自分の落ち度に気づき、目覚め、やはり剣を持って立ち上がる。

(ところで、祥瓊を冷遇した女王は気が強く悪役令嬢っぽさを持ちながら筋が一本通った倫理観の持ち主で「図南の翼」では主役を張っている。というか悪役令嬢もの起源の一つなんじゃないか?)

つまるところ、十二国記シリーズ前半は幻想に逃げる少女に対して戦うよう促しているのだ。そしてサポートキャラの最高の内面イケメン楽俊とは恋愛関係になっているわけではなく、対等な友人だ。「男性に過度に頼るな、対等たれ」と言っているように見える(あと、シリーズ後半になると時代小説政治小説っぽくなって、中高年の男性ウケる要素がどんどん増えていく感じだ。きらびやか幻想とたもとを分かったせいか少女向けレーベルからははみ出てしまっている。最新作「白銀の墟 玄の月」は講談社X文庫ホワイトハートから出てないよね?)。

はてしない物語

似ているなって思ったのがミヒャエル・エンデの「はてしない物語」だ。これは物語後半で主人公バスチアンが崩壊したファンタジー世界の救い主となって本の中に入り込み、高性能イケメンチート野郎になるんだけれど、チートを使うたびに元の世界ダメ自分のことをどんどん忘れていき、記憶喪失のまま永遠に物語世界に閉じ込められる危機に陥るんだよね。同じ末路を迎えた人間描写はぞっとする。児童文学の中でここまでいわゆる恐ろしい末路を描いたのも珍しい。

これってまさにやっていることが同じで、小野不由美少女小説フォーマットを使って女性向けフィクションに対して批評的な作品を書いたように、エンデファンタジー形式を使いながら現実逃避するポルノファンタジー批判しているのがすごい。アンチファンタジーだ。しかも、それがめっぽう面白いんだ。

私はポルノファンタジーダメだとは思わない。エッチものも含めてポルノってのは、なんでも願いが叶う世界の中で遊ぶことで、願いが叶わないことが多い現実と戦うためのパワーを充電する遊び場だ。ここが虚構だってわかって遊んでいる限り、心の健康を保つのにはプラスだ。

でも、ときどき自分に「これは嘘だぞ」って言い聞かせないと危ない。幸せイチャイチャラブラブアブノーマルプレイなしのポルノでも、これも本当のセックスと間違えたらいけない。相手気持ちいいところが全部わかって、自分気持ちいいところ全部責めてもらえるセックスなんてこの世にはなくて、「あれやってみたい」 「こうしてほしい」 「今のは良かった」 「ありがとう」ってちゃんと言わなきゃ伝わらない。

あいうイチャラブエロ漫画インスタグラムみたいにいいところだけ繋いで作った虚像なんだよ。小野不由美十二国記外伝魔性の子」で「異世界に逃げるな、お前の生きる世界はここだ」という話をしている(「帰山」の中の難民支援でも「自立する気概を失うレベルまで支援してはならない」って趣旨のことを言ってる)。

つまるところ、自分で欲しいもの能動的につかまなきゃダメなんだよな。

なんてことを日曜日ファミレスで友人にぶちまけてしまった。あー楽しかった。

おまけ

ハイスペックイケメンを素朴女子が救う話の起源について話題になったから書いたわけじゃないんだけど、「ジェイン・エア」は一つのオリジンよね。この話を裏面から見たジーン・リースサルガッソーの広い海」や批評ジェイン・エア幸せになれるか? 名作小説さらなる謎」も面白いよ。

おまけ2

陽子異世界に入るときに剣を授けられるので、これって男性原理象徴じゃないか冗談半分で書こうとしたんだけれども、実際に剣とは別に回復アイテムの玉(二つではないけれど)も授けられるし、鞘は失くしてしまう。鞘を女性原理と見るか包皮と見るかはともかく、フロイト的な解釈が全くのデタラメではない気がしてしまった。

鞘を女性原理と見るならば、作中でそれを無くす(機能を失う)ことは女性原理が弱まることを意味するし、包皮と見るならば、その喪失男子割礼・成人の儀礼意味していると読めなくもない。

ほら、作中でも過酷な旅でげっそり痩せて、身体から丸みが失われたともあるし。

こんなことを書いて申し訳ない気持ちもあるのだが、剣と同時に球も授けられるなんて話として出来過ぎているし、そうした作品を他に私は知らない。あったら教えてください。

以上だ! いつか男性向けハーレムもの女子向けの後宮もの差異について書きたいぜ!

→ 追記! 昔書いたやつ

https://anond.hatelabo.jp/20200609075504

生理妊娠出産がないとか逆に女性向けっぽいと感じた要素はここです

読み返して思ったけど、アンチ「一昔前の」とかアンチ世間的に女性受けしそうと思われがちな」ファンタジーアンチ童話から想像される」ファンタジーって気がしてきた。

2024-09-08

ごんぎつね児童侮辱した石井光太。恥じるべきはお前だ。恥を知れ!バカ

「『ごんぎつね』の読めない小学生たち、恐喝認識できない女子生徒……石井光太が語る〈いま学校で起こっている〉国語崩壊惨状」などという雑文がある。石井光太というバカが書いた文章だ。

石井光太は「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文に対し児童が死んだ母さんを煮ていると珍回答をしたことについて口を極めて罵っている。たしか母親を煮るのはおかしいだろう。それに違和感を覚えた石井は正しいよ。

でもよ。

おまえ、鍋の中で何を煮ているか、わかってんのか。おまえもわかってないだろ。わかってないならお前もお前がバカにした児童と同レベルなんだよ。なにかの煮物を作ってる?そんなわけないだろ。バカかよ。バーカバーカ。

鍋の中でグズグズ煮ているのはあぶらげ(油揚げ)だ。

油揚げを煮ていなり寿司を作ろうとしてるんだ。兵十と兵十のご近所さんいなり寿司を作ろうとしてるの。

いなり寿司とは限らないだ。なにか煮物を作ろうとしてるんじゃないの?」という意見があろうがこれは誤り。

兵十はかあちゃんが死んだら一人暮らし。参列者がそんな家に上がり込んで煮物を食べますか。食べないでしょ。キモいでしょ。兵十。独身中年だぞ。キモすぎてキモすぎるでしょ。独身中年だぞ。

兵十が出すのはいなり寿司以外はありえません。石井児童侮辱し、中年独身男性侮辱してる。最低だ。

ごんぎつねゴンと兵十の重なるようで重ならない想いを描写した児童文学であるが、同時に独身中年男性の悲哀を書いた文学でもあるんだよ。それがわからない石井には文学教育を語る資格はない。

 

お前なんかに人生児童文学を語る資格はない。恥をしれ!

2024-07-24

平成二年生まれオタクロマンス観(HL・BLGL)を形作った作品たち

もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分ロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。

目次

HL

タイトル シェーラひめのぼうけん
作者 村山早紀
挿絵佐竹美帆

筆者と同世代か、もう少し下ならば読んだことがあるかもしれない児童文学。たぶん、自分記憶の最も深くにある恋愛観についての思い出は、このシリーズとあるシーン。

当時、筆者はたぶんまだ小学生。隣町の図書館に足しげく通う図書館っ子でまだまだ児童向け書架常連だった頃だと思う。ローワンシリーズや、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ魔法使いシリーズハウルの動く城シリーズなどにハマっていた。佐竹美帆さんの挿絵が好きだったので、シェーラひめのぼうけんを手にとったのも、挿絵繋がりだったかもしれない(正直まったく覚えていない)。その中で、胸に響くロマンス表現出会った。

シェーラひめのぼうけんは、主人公少女シェーラが幼馴染でお供で子分少年ファリードを怪力で振り回しながら、大人でも解決が難しい問題を剛腕で切り開いていくような物語世界のあちこちへ旅をして、仲間たちとワクワクドキドキの冒険をしながら、悪い魔術師に石にされてしまった故郷王国を復活させる方法を探し出すシェーラたちの話が紡がれる。

恋愛表現に疎かった当時の自分にとって、魔法が使えるけどひ弱なファリードがひめさまとシェーラを慕い、シェーラは幼馴染の兄貴分として彼の面倒を見るという二人の関係性は友情のものとして好ましく感じられた。もちろん男女の恋愛ちびっこが見るディズニー映画の中でも散々と描写されていたので、なんか男の子女の子は仲良くなったらキスするんだ〜程度の認識はあった。だけどそれは「そうなるもの」であり、自分の中で情緒に紐づいて腑に落ちる描写ではなかった。だから、当時は恋愛でキャッキャするよりも、男女の友情関係の方がずっと自然に思えていた。ウブなボーイだったからね。(今から考えたら、ハイルミリアム辺りとかは恋愛描写があった気がするけど)。

そんな中で胸がドキッとするような出会いがあったのが、最終巻近く。記憶だけを頼りに書いているので、間違っているかもしれないけど、確か、最終巻の一つ前の巻で、それまで一緒に旅をしてきたファリードが、実はシェーラの王国崩壊に導いた邪悪魔法使い血筋で、彼もその強大で忌まわしき力を宿していると判明する展開がある。この時、確か、ファリード敬愛するひめさまをその力で傷つけてしまい、自分の力に絶望して力を開放してドラゴンとなって空の彼方へ消え去ろうとするけど、当のひめさまからあなた必要だと説得され、再び仲間になる的なエピソードがあった(はず)。

シェーラの目の前でドラゴンから人間の姿に戻った幼馴染のファリード。旅に出る前は少女自分より身体が小さくてひょろひょろしていたのに、旅の終わりに近づいた今では、自分の方が彼を見上げるくらいに彼が成長していたことに気が付く。その時、シェーラのなかで、ファリードが頼りなくて守ってあげなければならない幼馴染ではなくなった……的な描写がある(ったはず)。

これがクリーンヒットだった。ここで以後の人生に永劫に刻まれる体格差萌え発症してしまった。挿絵があったかは忘れたけど、自分の心の奥底には、ファリードと彼を見上げるシェーラの二人の姿が佐竹絵で深く刻まれている。

その後、図書館ティーンズコーナーで少女小説(主に小林深雪先生)にハマったり、同時進行で大人向けの棚の新宿鮫などのサスペンスあとがきでいつも自作を傑作と書く夢枕獏作品(闇狩り師とか陰陽師)を開拓していったりした。

実はシェーラひめのぼうけん2は途中までしか読んでいなんだよな〜。これを書いている今、サウードおじさまの便利キャラっぷりを最後まで確かめたくなってきてしまった。

2024-07-09

anond:20240709085107

どうしてあの人らはそうなるかマジで理解不能

まずは、カルト信者暴走コントロールしてからその妄想を抱くんだって思ってるよ

まさか感覚麻痺して暴言暴走をなんとも思ってないとかないよな?

 

あと、実績があってすぐに実現可能なことを選ぶメリットとしてアピールするのとは別に

理想目標を説くがある思うんだけど、そこの目線弱者にあたっていないのが意味不明でどういうアドバイス受けてんだ?ってなる

 

それから普段から弱者目線を合わせて、障がい者福祉施設子ども食堂のお手伝い活動とかできるよなぁ

めちゃくちゃ医療費掛かるのに難病認定されない人の支援とか、介護してる人の休息や就職支援とか、家を無くしてしまった人のハウジングファースト支援就職支援とか

無限にできる事はあるよなぁ

 

実務は政治家としての基盤が強い人が担うことになるだろうけど、席を確保するだけなら上記いくらでも可能なんだわ

 

それらをしないで、ネットカルト集団作ろうって理解範疇を超えているね

 

 

アイドル化ガーとかじゃ無くて、フツーにこのくらいのアピールはやるべきだと思う

あと、とにかく笑顔と朗らかアピール

それから、わかりやすさについては児童文学役員へのプレゼン並みに真摯に向き合う

ネットサーフィンしてた時に、なんか怖いこと言ってた人たちじゃないのに票を入れるも忘れないで欲しい

 

田中角栄の7金言 【日刊ゲンダイdigital・令和3年1月1日】より

 

①「子供が10人いるか羊羹を均等に切るってのは共産主義自由主義は別だよ。羊羹チョンチョンと切ってね、一番年少の子に一番でっかい羊羹をやるんだ」

 

②「我と思わん者は遠慮なく大臣室に来てください。そして、何でも言ってほしい。上司許可を得る必要はありません。できることはやる。できないことはやらない。しかしすべての責任はこの田中角栄が背負う。以上」

 

③「選挙で人の悪口を言っても札(票)は増えんぞ。勘違いするなよ。敵をたくさんつくってどうする。槍衾(やりぶすま=大勢の者が槍を隙間なく突き出して構えること)になるぞ」

 

④「(政治とは)事をなすことだ」「政治家学者評論家とは違う。実践するために行動することだよ」「いつまでもあると思うな親と金。ないと思うな運と災難」

 

⑤「有名大学の学長とか教授などそういう人ばかりに上級叙勲をしている。けしからん人間の基本をつくるのは、一番教育の難しい小学校教員にこそあるんだ。そこのいわゆる幼年期の教育を恵まれない環境でやっている先生に、最大の敬意を表して最高の環境をつくってやらなきゃダメだ。そうならなきゃ日本は良くならん」

 

⑥「一分考えて答えの出ないものは、一生かかっても答えは出はせんよ」

 

⑦「そこに困った人がいて、何かをしてやろうという気持ちが起きない人間政治家などになってはいけない」「国民に対して情を持たない者は、政治家になるべきではない。政治家はなりたくてなるものではない。政治家になって何をするかというものを持ってない者は、政治家になるべきじゃないんだ」

2024-07-08

anond:20240708033957

ネットDE真実は諸刃なので、ある程度まとまった票が取れる某党は安易に考えないで欲しいよね

自民憎しの人がネトウヨの如く暴れたことが、無関心層・自治体運営が止まらない限りセーフの穏健な現状維持派(見方によっては無関心)の得票に繋がらんかった自覚は欲しい

ネットサーフィンや該当演説で目に入った時に、怖い感じでは無かった・感じが良かったところに、こういう人たち入れるよ

 

あと、あの候補個人的に支持しているとかならその人の信条から『そうなんだ』だけど、

反自民の受け皿としてあの候補を選ぶのは、ニュースと長文を見ない層と考えて良いので読み違えないで欲しいよね

 

それから、わかりやすさには、嘘や過激さではなく、児童文学並みの誠実さが欲しい

2024-07-07

anond:20240707172453

『なんか笑顔で穏やかそうな人だから』、『自治体運営が止まるレベルの失態はおかしてないから現職でいいでしょ』、

こういう投票行動の人(無関心層と穏健な現状維持派)に焦点を当てないと意味がないよ

 

多少でも政治ニュースに興味がある層は、絶対自民系に投票しないか、明確に自民信者から、もうこれ以上この層の伸びしろはないよ

苛烈真実!!!!とかやんなくていいよ。ネトウヨじゃあるまいし。それで増やすのは敵とおかしな人だけだよ(ネトウヨと同じ仕組み)

 

『目の前のタスクに追われてニュース政治に興味がない人』と『ロクデモナイので不愉快な気分になりたく無くて、意図的ニュース政治を避けている人』

この2パターンは、どうやったってニュース見ないし長文見ないよ

常時笑顔で、朗らかで、声のトーンも優しい・頼りがいのある人に入れるよ

余裕が出来た時に見れるページはあった方がいいが、わかりやすさについては児童文学役員へのプレゼン並みに真摯に向き合って欲しいよ

 

anond:20240707165151

自民を信任しないと言ってるだけであって、ある程度票取れそうな某党を支持してるかとべつに言えばしてませんし(勝ち筋がある時は協力するが)

面白候補投票によって自民を信任しないという意思表示をしてるだけだぞ

 

あとこれですわね

 

本格的な分析をするまでもなく明らかなこと

 

  • 世の中は、目の前のタスクに追われてニュース政治に興味がない人が多いこと、ロクデモナイので不愉快な気分になりたく無くて意図的に避けている人が多いこと、
    もっと自覚が欲しいよね。『なんで😡』って言われても、『目の前のことに忙しいから😥』以外の答えないよね
    そういう人たちはなんか感じが良さそうだった人に入れるからよく覚えておくといいよ?

 

 

アイドル化ガーとかじゃ無くて、フツーにこのくらいのアピールはやるべきだと思う

あと、とにかく笑顔と朗らかアピールだよな

それから、わかりやすさについては児童文学役員へのプレゼン並みに真摯に向き合おうね

ネットサーフィンしてた時に、なんか怖いこと言ってた人たちじゃないのに票を入れるも忘れないで欲しい

 

 

田中角栄の7金言 【日刊ゲンダイdigital・令和3年1月1日】より

 

①「子供が10人いるか羊羹を均等に切るってのは共産主義自由主義は別だよ。羊羹チョンチョンと切ってね、一番年少の子に一番でっかい羊羹をやるんだ」

 

②「我と思わん者は遠慮なく大臣室に来てください。そして、何でも言ってほしい。上司許可を得る必要はありません。できることはやる。できないことはやらない。しかしすべての責任はこの田中角栄が背負う。以上」

 

③「選挙で人の悪口を言っても札(票)は増えんぞ。勘違いするなよ。敵をたくさんつくってどうする。槍衾(やりぶすま=大勢の者が槍を隙間なく突き出して構えること)になるぞ」

 

④「(政治とは)事をなすことだ」「政治家は学者評論家とは違う。実践するために行動することだよ」「いつまでもあると思うな親と金。ないと思うな運と災難」

 

⑤「有名大学の学長とか教授などそういう人ばかりに上級叙勲をしている。けしからん人間の基本をつくるのは、一番教育の難しい小学校教員にこそあるんだ。そこのいわゆる幼年期の教育を恵まれない環境でやっている先生に、最大の敬意を表して最高の環境をつくってやらなきゃダメだ。そうならなきゃ日本は良くならん」

 

⑥「一分考えて答えの出ないものは、一生かかっても答えは出はせんよ」

 

⑦「そこに困った人がいて、何かをしてやろうという気持ちが起きない人間政治家などになってはいけない」「国民に対して情を持たない者は、政治家になるべきではない。政治家はなりたくてなるものではない。政治家になって何をするかというものを持ってない者は、政治家になるべきじゃないんだ」

アイドル化ガーとかじゃ無くて、フツーにこのくらいのアピールはやるべきだと思う

あと、とにかく笑顔と朗らかアピールだよな

それから、わかりやすさについては児童文学役員へのプレゼン並みに真摯に向き合おうね

ネットサーフィンしてた時に、なんか怖いこと言ってた人たちじゃないのに票を入れるも忘れないで欲しい

 

 

田中角栄の7金言 【日刊ゲンダイdigital・令和3年1月1日】より

①「子供が10人いるか羊羹を均等に切るってのは共産主義自由主義は別だよ。羊羹チョンチョンと切ってね、一番年少の子に一番でっかい羊羹をやるんだ」

 

②「我と思わん者は遠慮なく大臣室に来てください。そして、何でも言ってほしい。上司許可を得る必要はありません。できることはやる。できないことはやらない。しかしすべての責任はこの田中角栄が背負う。以上」

 

③「選挙で人の悪口を言っても札(票)は増えんぞ。勘違いするなよ。敵をたくさんつくってどうする。槍衾(やりぶすま=大勢の者が槍を隙間なく突き出して構えること)になるぞ」

 

④「(政治とは)事をなすことだ」「政治家は学者評論家とは違う。実践するために行動することだよ」「いつまでもあると思うな親と金。ないと思うな運と災難」

 

⑤「有名大学の学長とか教授などそういう人ばかりに上級叙勲をしている。けしからん人間の基本をつくるのは、一番教育の難しい小学校教員にこそあるんだ。そこのいわゆる幼年期の教育を恵まれない環境でやっている先生に、最大の敬意を表して最高の環境をつくってやらなきゃダメだ。そうならなきゃ日本は良くならん」

 

⑥「一分考えて答えの出ないものは、一生かかっても答えは出はせんよ」

 

⑦「そこに困った人がいて、何かをしてやろうという気持ちが起きない人間政治家などになってはいけない」「国民に対して情を持たない者は、政治家になるべきではない。政治家はなりたくてなるものではない。政治家になって何をするかというものを持ってない者は、政治家になるべきじゃないんだ」

anond:20240707144358

常時笑顔でないからでは?声のトーンもキツいし

 

マジでイメージコンサルタントつけた方がええし、俳優的なアドバイス貰った方がいい

べつにれんちゃんに限らずだけどみんなね

 

目の前のことで忙しい人は、投票行ったら感じが良さそうな印象がある人(偏向報道だろうが荒い雰囲気を持っていないように見える人)に投票するよね

あるいは、ネットサーフィンしてた時に、なんか怖いこと言ってた人たちじゃないのに入れるよね

 

あと、世の中は、目の前のタスクに追われてニュース政治に興味がない人が多いこと、

ロクデモナイので不愉快な気分になりたくなて意図的に避けている人が多いこと、

自覚が欲しいよね

『なんで😡』って言われても、『目の前のことに忙しいから😥』以外の答えないよね

 

それからおかしな人に対抗して、過激で極端に単純化したこと言わないで欲しいよね

それで呼び込むのおかしな人だけだよ

わかりやすさについては児童文学役員へのプレゼン並みに真摯に向き合おうね

2024-07-05

百年の孤独関係なくただ逆張りがしたい奴に薦める海外文学5冊+α

https://anond.hatelabo.jp/20240703191053

https://anond.hatelabo.jp/20240704181200

岡田知子&調邦行 訳「現代カンボジア短編集2」(カンボジア)

早速だが大同生命がやってる“アジア現代文芸”シリーズマジですげえよ。インドネシアとかスリランカラオスイランみたいな東南アジアから南アジアくらいまでの、日本じゃ見過ごされがちな国の文学しか訳してねえんだからしか電子書籍として無料で読めるしな (https://www.daido-life-fd.or.jp/business/publication/ebook) この「現代カンボジア短編集2」なんかクメール・ルージュ以前から90年代まれまで、ガチ現代作家短編しか入ってねえ。マジでこんなん読んだことねえわ。将来、浪漫主義とかフランス現代思想とかじゃなくて「アジア現代文芸に影響を受けました!」って新世代の小説家、現れねえかなあ。

キンキントゥー/斎藤紋子「短編集 買い物かご」(ミャンマー)

同じく大同生命の“アジア現代文芸”シリーズからなんやが、今も大変な状況にあるミャンマー文学もこのシリーズでは10冊くらい読める。特にオムニバス短編集がかなり出てて「ミャンマー現代女性短編集」やら「二十一世紀ミャンマー作品集」やらオススメなんだけども、より読みやすくかつ俺が一番最初に読んだって意味思い入れあるこの「買い物かご」薦めたいね市場って空間と買い物って行為を通じて、ミャンマーに生きる市井の人々の息遣いを知れるんだ。ニュース報道見ると同時に、こういう文学を読むのも重要やね。

カルロスフランス/富田広樹「僕の目で君自身を見ることができたなら」(チリ)

これはアレや、男と男のチンコ比べ本や。そしてその男と男ってのがドイツ人画家のヨハン・モーリッツ・ルゲンダスとイギリス人生物学者チャールズ・ダーウィンで、それだけでもスゲーのに、そのチンコ比べでチリ大地震まで起こるから超壮大や。体長の何倍もデカペニスを持つっていうフジツボまで出てきて、近年稀に見るほどのチンコ本だよ、コイツは。正直ミソジニーキツくてそういう意味じゃアカンけども、流麗華麗な文体で男たちのチンコ比べが描かれる様は一読の価値ありや。読んでどんな思いを抱いても責任は持たんけどな。

ジェス・ウォルター/上岡伸雄「ザ・ゼロ」(アメリカ)

この人はどっちか言うと、サスペンス小説方向性で受容されてるんだが、俺はこの本を“ドン・デリーロが書かなかった最良のドン・デリーロ作品”みたいに思ってる。テロリズムパラノイア不条理……訳者上岡伸雄、実際デリーロ訳者だしね。デリーロの「墜ちてゆく男」とエイミー・ウォルドマンの「サブミッション」と、この「ザ・ゼロ」で上岡9.11三部作や。中でも娯楽作に舵切ってるからこれがいっちゃん読みやすい、分厚いのにリーダビティ満載や。だが「美しき廃墟」以降、ウォルター作品が訳されてねえ。

レーナ・クルーン/末延弘子「スフィンクスか、ロボットか」(フィンランド)

レーナ・クルーンの本はね、読んでると涙ちょちょぎれちまうのよ、これが。この子供たちに向けて書かれた本なんかは少年少女の瑞々しい姿を描いていて微笑ましい一方で、俺ら大人が読むと、こう大人になるってこと、成熟するってことで失われる何かについて思いを馳せざるを得なくなってさ、それで俺、涙ちょちょぎれるんや。3つの短めな中篇が入ってるんだが、中でも表題作の「スフィンクスか、ロボットか」が一番いい。ラスト、マジ残酷すぎやろ。読んで言葉失っちゃったよ。

にしても児童文学ってのは扱いがムズいよ。児童文学ってのは何よりも子供たちに真摯に向きあうからこそ生まれる素晴らしい存在だが、その児童文学って括りが大人にとって読むに値しないように思わせる。かといって、例外的大人がその素晴らしさを語る際に「これは児童文学以上に“文学”だ!」とか言いそうになるが、こりゃ結局児童文学を下位のカテゴリーに入れてるからこその物言いだよな。児童文学出版に関わる全ての人々、そして何よりも子供たちに礼を欠く態度や。俺はこういうのに陥らんように、児童文学オススメしていきたいよな。

http://iuraichiro.com/perkthim.htm

あとイスマイル・カダレ、とうとう死んじまってこれまた泣けたよ。そんな今だからこそぜひともアルバニア文学翻訳者の井浦伊知郎のサイトを見てくれ。カダレの自伝小説「石の町の記録」や代表作「大いなる孤独の冬」の翻訳がこっから読める。他にもカダレに並ぶ大小説家ドリテロアゴリの「裸の騎士」とかアルバニア文学の名著がめちゃ置いてある。マジで信じられねえよ、これは。

2024-07-04

百年の孤独」読まんで逆張りしたい人に薦めるラテンアメリカ文学10

https://anond.hatelabo.jp/20240703191053

ワイ、昨日書いた増田が250以上ブクマされ、ビビり散らかす。まあ逆張り背伸びしたい勢は想像以上にいるってことなんだろうか。それにしても「百年の孤独文庫マジで見つからんな、4件本屋行ったが見つからん。だからまあアレだ、今度は“「百年の孤独文庫版売ってないのでもういっそ「百年の孤独」は読まないで逆張りしたい人に薦めるラテンアメリカ文学”というテイでお薦めするわ。逆張りしてる/したいやつ、そもそも百年の孤独」読まんよな。

アウグスト・ロア=バストス/吉田秀太郎「汝、人の子よ」(パラグアイ)

まず名前カッコよすぎだろ、アウグスト・ロア=バストスって。ラテンアメリカ小説家で一番カッコええよ。まあそれは措いといて、これはパラグアイ現代史とかそういうの描いてんだけど、語り方がめちゃ混乱してる。1人称で進んでたと思ったら3人称語りになったり、日記文章出てきたり。時間軸もめっちゃ変わる。何かググったらロア=バストス、映画脚本家でもあったらしいけど、脚本っぽさが違和感理由かもしんない。こういうわけで読んでて何回もは?とかなるけど、その錯綜っぷりがパラグアイ現代史なのかもね、知らんけど。

オスカール・ナカザト/武田千春「ニホンジン」(ブラジル)

そう、日系ブラジル人ナカザトさんが書いた日系移民についての小説月並みなんだが日本の知られざる歴史ってやつを、ある移民家族史を通じて教えてくれてめっちゃ面白いよ。これ読んでたら、戦前かにブラジルだけじゃなくパラグアイとかペルーとか、あと他の地域の国とかに行って生きたり死んだりしてた日系移民めっちゃ多かったんだろうなとかしみじみしてしまったわ。水声社から出てる現代ブラジル文学コレクションで一番好きやね、これが。

マリオ・レブレーロ/寺尾隆吉「場所」(ウルグアイ)

ある時起きたら見知らぬ部屋にいて、ドアを開けたらまた別の部屋が広がっていて、その部屋のドアを開けたらまた別の部屋が広がっていて……こういう悪夢みたいな状況を描いた作品がこれなんだけども、こっからまた別の意味で変なことが起こっていって、変なことのバーゲンセールが開催されながらも文章結構淡々としてて、この素っ頓狂さをどこまでも真顔で書いてる作者の顔面自然と浮かんでくる。訳者によるとウルグアイは“奇人の国”らしい。これ読むと、まあ納得や。

ソル・ケー・モオ/吉田栄人「穢れなき太陽」(マヤ/メキシコ)

これはラテンアメリカ先住民の1つ、マヤ人の小説家が書いた小説集。マヤ語とスペイン語の2か国語で、先住民社会とか女性差別とかそういうのを描いてる。マヤ人の社会やら文化やらについて当事者が書いた本は少ないし、そういう意味でもかなりオススメ。ていうか俺は、ラテンアメリカ文学の入門としてこの人の作品も出てる「新しいマヤ文学」がマジでうってつけだと思ってる。フェミニズムやら、ファンタジーやら、魔術的リアリズムやら色々てんこもりで、薄めでしかも字もデカいから読みやすい。図書館とかじゃスペイン語文学の棚じゃなくて、海外文学最後のその他の文学の枠に置いてある時多いから注意な。

 

エリコ・ヴェリッシモ/澤木忠男「大使閣下」(ブラジル)

ラテンアメリカ文学好きは“三大独裁者小説”って聞いたことあるかもな。カルペンティエールの「方法異説」とロア=バストスの「至高の我」とガルシア=マルケスの「族長の秋」ね。この本はそこに並んでもいいようなブラジル小説だけど、またクソ分厚いわ、出した出版社がそこまで有名じゃないわで。日本じゃ全然知名度がない。てか翻訳過程オモロイ。訳者、実は三菱UFJ銀行の元理事で、若い頃にこの本読んで感銘を受けて、50年越しに翻訳したらしい。すげえ執念だ。まあこれは俺の文章より、ラテンアメリカ協会書評読んだ方がええ。https://latin-america.jp/archives/55186

ソル・フアナイネス・デ・ラ・クルス/中井博康「抒情詩集」(メキシコ)

前にスペイン語勉強してた時、メキシコの人に「スペイン語話者モテたいなら、この詩人を読んでスペイン語での口説き方を学べ」って言われてこの人を教えられた。で、図書館行ってとりあえず見つけたこ日本語版の詩集読んでみたんだが……いや全然そういうのじゃなくね!?一体全体何を以てこれ読んで口説き方を学べと言ったんか、それともジョークで言ったんか、マジ分からんが、詩を諳んじられればメキシコひいてはスペイン語圏でモテるってことかね?日本じゃ現代短歌読めればモテる、みたいな。

マヌエル・プイグ/木村栄一「このページを読む者に永遠呪いあれ」(アルゼンチン)

ブコメマヌエル・プイグの話が出てたが、プイグたらこれやろ。「このページを読む者に永遠呪いあれ」やろ、これくらい印象に残る本のタイトルないやろ。この本の表紙の写真と、何か一言だけつけてXで呟けば一発でバズるやろ。というか多分、もうバズってるやつはいるやろ。内容に関しては、忘れた。前の「ポーランドボクサーパターンのやつや。今回はタイトルだけ異常に際立って覚えてるやつ。だって「このページを読む者に永遠呪いあれ」やん、忘れられんやろ、これは。

サルバドールプラセンシア/藤井光「紙の民」(メキシコ/アメリカ)

これ、ラテンアメリカ文学として紹介されてるの見たことなくて不思議だわ。英語で書かれてるけども、著者がメキシコ出身主人公たちもメキシコから移住してきた家族だし、土星戦争みたいに常軌を逸した出来事の数々が起こってる感じ、ラテンアメリカ文学求めてる人に面白がられそう。だがこれが曲者なのが、内容や文章実験的なら、文字レイアウトでまで実験しまくりなことで、本引っくり返したりしないと読めない部分すらある。だから本のフリをした現代美術を楽しむノリで読むというか、体験すべきというか。

エリザベス・アセヴェド/田中亜希子詩人になりたいわたしX」(ドミニカ共和国/アメリカ)

これも英語作品だけども、作者がドミニカ共和国出身主人公も同じ境遇少女や。で題名通りに主人公詩人になろうと色々と頑張るんやが、それが詩の形式でめちゃ改行しまくって書かれてるんだよ。これ読んだ時、マジでビックリしたわ。そんな風に小説書いちゃっていいの?みたいな。内容と合ってるのはもちろん、ドミニカ共和国伝統音楽も出てきて、そういうリズムも感じられんだよな。もち読みやすいし、こん中じゃ一番気軽に薦められるやつ。みんな、児童文学も読めよ。それが周りの読書好きに対する逆張りや。

フェルナンドデル・パソ/寺尾隆吉「帝国の動向」(メキシコ)

すまんが、1冊まだ読み切ってない本を薦めるわ。ラテンアメリカ文学のクソデカ本の頂点はロベルトボラーニョの「2666」だけど、それには全然劣りながらもページ数880でしかも字がめっちゃ小さい。メキシコ第二帝政時代皇帝マクシミリアンとその妃シャルロッテのクソデカ悲劇を描いたクソデカ歴史小説で、マジで何度も読むの挫折してる。「百年の孤独」関連じゃ“読むの挫折した”って悲鳴をXで何度も見てきたが、俺にとってのそういう本だ。俺の代わりに読み切ってくれ、ホンマに。

あと友田とんの「『百年の孤独』を代わりに読む」もちろん知ってるで。でもいきなり早川再販されて、何かサンダンス映画祭でやりそうな面白いインディー映画作ってた監督が、いきなりMarvel作品監督に抜擢された感じで、嬉しいけど寂しい感じやな。その後にMarvel映画作んなくてもずっとハリウッドで大作作り続ける監督とかザラだし、今後はずっとそういう感じで新作も大手から出し続けんのかね?

2024-05-11

[] 他人意識して描くときはヒット作をそのままなぞると良いと言うが

趣味長編ラノベ(ライトノベル)を書きたい増田をみたので、ワイも考えてみた

(以前、カクヨムなどで長編を完結させたというすごい増田もあったけど、今回はそれ以前の問題の『何を書こう』)

 

ワイが他人意識せずに、自分自身のためだけに書けるのは、マンガでも小説でも、50ページくらいがエネルギー限界。このページ数はとても長編とは言えない

50ページ以上書き進めるには、外部からガソリン必要だが、他人に読んでもらうためには、他人を楽しませようと意識する必要がある

他人意識すると、へっぽこなのを誤魔化そうと見栄を張ることになり(なお、誤魔化せる訳がない)、結果として筆が進まなくなるので、長編作ろうが未達で終わる

 

趣味なのに自分技量無視して無駄な見栄を張ろうとする問題・・・まぁさておき、他人意識して描くとき(楽しませようとする時)は、ヒット作をそのままなぞると良いと言うが、

ワイが好きな万人向けヒット作はドラゴンボール以外に無いんだよなぁ・・・ドラゴンボール鳥山明の超画力でなければ成り立たない

ドラゴンボールを題材にせんでも、バトルもの空間認識能力が高く、人体構造を考えて描くのが楽しい人にしか向いてないが、空間把握能力が死んでいるのは元より、骨格や筋肉、関節にも死ぬほど興味がない

 

ワイは死ぬほど運動音痴なので、ダンス新体操を見て、人間本来はこうやって動くことも可能なんだなァ・・・ってなるのは好きだ。ついでに、映画時代劇ゲームで、たびたび魅せてくれる映え殺陣(たて)も見るのも好きだ。でも、骨格や筋肉、関節には死ぬほど興味がない。そのため、現実格闘技武術剣術には微塵も興味はない

じゃあ、銃になら興味があるか?と言うとない。なぜなら基本的に銃には殺す以外の目的が無く(スポーツとしての銃もいちおうあるが・・・)、いままで書き連ねてきたことと比べると、人間身体ってこんな風に動くことも可能なんだなァ・・・ってなる要素が薄いかである

クレーン射的とか実際に体験したら、きっとスカッとはするのだろうけど、自分が描きたいか自分3Dキャラ操って楽しいか?と言われたら別だ

 

強いて言えば、人がそれぞれの自然姿勢で歩く様子を見るのも好きなので、その文脈なら骨格や筋肉、関節に興味が持てるが、それはバトルじゃないし、

スポーツテーマにしたマンガ小説映画で好きな作品ひとつもないので、競歩をやろうって気も微塵もしない(日記エッセイならいいだろうけど、長編を書こうの目的からは逸れる)

 

 

鳥山明以外では、ONE も好きだ。ONE も万人受けする大ヒット作家だ。ONE ならバトル描写のもの以外がメインになっているが、ワンパンマン村田雄介の超作画じゃないとマス受けはしなかったよなぁ・・・

というか、『マッシュル』の前に、ジャンプで『努力しすぎた世界最強の武闘家は、魔法世界を余裕で生き抜く。』という作品があって、ワンパンマンスタイルで描かれていたにも関わらず、ウケなかったもんなぁ・・・

なお個人的には『魔法世界を余裕で生き抜く』はとても気に入っている。イヤな奴、悪い奴がいっさい出てこないコメディで、めちゃくちゃ単純な話だから

主人公はサイタマと同じく何でもワンパンで倒せるチートフィジカルを持っているが、魔法に関しては絶望的に才能がない。それでも魔法が好きで、魔法使いを目指すという大変分かりやすストーリー

結局、主人公はすごい魔法使いになることはできないが、ささやか魔法は使えるようになる。主人公はそれにめちゃくちゃ喜んで満足し、今日よりも明日!少しずつでも能力を向上させよう!と前向きに努力を続けてマンガは終わる

追記:読み直したら、主人公はド派手な綺麗な虹魔法使ってた(効果は謎。綺麗なだけかも)し、書き下ろしで物凄い質量の杖を魔法で持ち上げられるようになってたので、すごい魔法使いになる夢は叶ったっぽい

(ただ、『魔法スターマジカルエミ(1986年) 』でも、主人公の舞が魔法を捨て去り、自分自身の力で本当のマジシャンを目指すみたいなのが、マス受けしてる感じしないし、作画以外の要素もありそう)

 

マッシュル』もワンパンスタイル作品かつ、海外で大バズりしている。魔法世界フィジカル全振り+すごい魔法使いになるっていうコンセプトは、『魔法世界を余裕で生き抜く』と共通している

ボーボボ彷彿とさせるギャグシーン/良いヤツばかりの日常パート差別や困難に立ち向かう前向きな姿勢ボースティング、これらはワイも超好き

ただ、主人公マッシュワンパンで敵を倒すシーン・ギャグで圧倒するシーン以外のバトルは、個人的にはあん面白いとは思えんのよな・・・

週刊少年ジャンプ作家なので、一定クオリティが保たれているから、見るのが苦痛とまではいかないけど、正直、マッシュ以外のバトルは別に無くてもよくね?みたいな・・・(まぁ、バトルなきゃこんなに売れなかっただろうけど・・・)

結局のところ、ワンパンギャグじゃない正統派バトル漫画は、超画力の選ばれし者にしか描けないよなぁ・・・と改めて思うばかりよ

小説でも多分同じだわね。ワンパンギャグではない、読んでて楽しい、映える正統派戦闘描写なんて、気が遠のくわ・・・

 

 

とりあえず、ワンパンスタイルは頭の片隅に置きつつ、バトル/アクション描写がメインではない自分の好きな作品について考えてみる

でも、やっぱ、マス受けしているヒット作の中で好きな作品ひとつもないんだよな・・・。まず、マス受けする恋愛ものが好きではないし、特定フェチ推したいという情熱も無い

バトル/アクションがメインでなく、ウケそうな恋愛描写もメインでなく、フェチ特に無いという時点で、かなり対象者が絞られる

何かないかな?と思うが、何度考えても何もない。昔のハリウッド作品2010年以前)なら、それなりに好きな作品があるけど、うぅ~ん・・・

なお、他人を楽しませようとして、マス向けヒット作を模倣しようとする理由は、対象者を絞った作品で作者の技術が極端に稚拙だと、最終的に読者との文通のような形になってしまうから

ワイがやりたいことは、稚拙・未熟ながらも、読者に何かを感じさせる"物語を書くこと"で、文通ではない。ついでに、日記や観察報告を誰に見せることでもない(趣味長編ラノベを書きたいと言っていた増田もたぶん同じだと思われる)

ちなみに、鳥山明ONE、昔のハリウッド作品以外で好きな作品は、モノクロ時代日本映画小津安二郎作品、重苦しかったり淡々としているインディペンデント映画アキ・カウリスマキケン・ローチフィリップ・K・ディック川端康成遠藤周作いがらしみきおsink/かむろば村へ/Iなど)、海外ヤングアダルト作品児童文学名作劇場系(日本アニメーション制作系)のアニメあたりがぼんやりと好きだ。つまり鳥山明ONE、昔のハリウッド作品以外は、対象者が絞られる作品が好き

いわゆる巨匠大御所/名作/お子様も観てOK以外では、トッド・ソロンズ岡部閏、明智抄奥瀬サキなど、やはり対象者が絞られる作家作品が好き

ワイがこれらの作家作品をそのままなぞったら誰かとの文通になります・・・

 

 

ワンパンスタイル、昔のハリウッドスタイルで、ワイがなぞれそうなのないかなぁ・・・は、まぁ暇な時に考えつつ、

 

なんかヒット作でワイも好きなのないかなぁで思い出した、岡部閏の『グッド・ナイトワールド』、対象者が絞られまくっている作品から、せっかくアニメ化したのになんかすげ〜無風だけど、脚本パトレイバー横手美智子なのよ。『ネトゲSFギミックになってるサバイバー再生物語り』で興味が持てそうな世界中の人に届いて欲しい

グッド・ナイトワールドの絵の作り方も印象に残ったけどね。プラネットAI幻想的で無機質な描写や、ピコちゃんプラネットオフった後の日常パート描写よかったし、キャラのお目目の表現良かった

クソのクソの解説演出も、中学生(の見た目だが実はそうではない)ってぽくて、とてもよかった

 

横道にそれたところでおわる・・・

2024-05-03

anond:20240503054113

D&D日本語訳すると「迷宮と竜」なわけだが、なんだか児童文学っぽいよなあ

2024-02-28

anond:20240228111954

いや、物語は伝わるんだけど、まあ、単に自分に刺さらないというのもあるけど、

言いたいことは、物語が主導過ぎて、キャラクターが死んでる、と思った

児童文学っぽいというか、いや、それも違うか…

教訓めいてるとか、そういうところかな…

物語とか教訓とかどうでもいい、キャラクター勝手暴走させる話とかあるんだろうか

作者がそれを描けるなら読んでみたい気がする

2024-02-20

anond:20240220143405

これは子どもが読む場所にあっちゃ流石にダメだけど、なんというか絵本か青い表紙の児童文学シリーズみたいにして後世に伝えたいなって思った。

まだあどけなさが残る特定少年たちが読んで、人生方針を決めるやつに使えそう。

2023-12-06

妹のクリスマスプレゼントはいつも自分よりも高いものだった

きれいな洋服と、なぜそれを選んだかよくわからない児童文学

そんな感じ。

とはいえ無料で育ててもらっておいて文句を言う筋合いじゃない、と思っているので、そのこと自体文句を言う気は無かった。

ただ、クリスマスプレゼントのすぐ後にもらうお年玉自分の方が少し多くなるのが、どうにも納得いかなかった。

 

クリスマスプレゼントは親からしかもらわないが、お年玉はいろいろな親戚からもらう。

皆、自分に妹よりも多くの額をくれる。

にもかかわらず両親だけが増田に妹よりも少ない金額をあげている、ということをどこかで誰かに知られたら体裁が悪い、と、両親はそう思ったのではないだろうか。

から世間体を考えて、仕方なく増田により多いお年玉をくれたのではないか

結局のところ、増田を育てていること自体世間体のためなのではないのか。

安いプレゼントと多いお年玉をもらうたびに、そう思ってきた。

お年玉プレゼントと同じように妹の十分の一であれば、自分は妹の十分の一は愛されているんだな、と思えたかもしれないのに、

少し多いお年玉をもらうたびに、この額は自分以外の人のために支払われているのではないか、と感じた。

 

楽しくないことは自然に忘れられる質なので、そんなことがあったのもすっかり忘れていたのだけど、がんで入院した親の看病で病院に泊まった夜、突然そんな子供の頃のことを思い出した。

2023-11-07

anond:20231106233825

元増田です

色々お薦めいただいて助かります

海外児童文学(ダレンシャンとかハリポタとかライラとかナルニアとかDWジョーンズとか)は自分が好きで買い集めてるので子供も読んでるんだけど、モモとかはてしない物語とかみたいな昔からの名作はなんかツボにハマらないみたい…

魔法使いは好きみたいで、ハリポタ映画海外の子供向けのドラマ魔法レシピとか、ミルドレッドとか)なんかも見てるから子供主人公魔法とか不思議な力の話も良いかも…と言う気づきがあった。

ありがとうございます

あと単純に自分夢水清志郎とかずっこけとかパスワードシリーズとか読んでたから懐かしい…

地獄霊界通信っていうちょっとホラー要素のあるシリーズが好きだったけど、今の子は銭天堂っていう不思議ホラーシリーズが人気みたいで、うちの子も好きでよく読んでるしアニメも見てる。

とりあえず挙げてもらったものの中に手持ちの本があったか子供本棚に置いてきました

どれか読んで気に入ってくれたら良いなと〜思います

検閲って言葉が腑に落ちない人がいるみたいだけど、子供主人公作品でも児童書じゃなくて文芸書のジャンルになるといじめ自殺とか性的虐待とかが主題になってるものがかなりあるから、さすがに読ませたくないのよ

児童書でも親に虐待されてるとかいじめられてるとかは出てくるけどそれがメインではないし、あと、海外児童文学キリスト教圏の影響もあるのか自殺すること少なくない?

親に付き添われなくても図書館に行くような歳なら、親に黙って親の本棚子供には開放してない)を盗み見る歳なら、なんでも勝手に読んでくれて構わないけど、小学二年生にはまだ早いというのが我が家方針なので今後も検閲しま〜す!

最後に、めちゃくちゃ読書大好き文学少女でも理系大学院卒業して工場に勤務したりするから読書好きと進路はマジ関係ないと思う

2023-10-27

緩募子供への読み聞かせに良い本、サイト青空文庫などなど

年長の娘が寝る前に読み聞かせをせがむのですが、寝るのが遅くなりがちなので、せめて灯りだけでも消して目を休ませようと思い、灯りを消してスマホで昔話を要約したサイトなどであらすじを読むということをしております。※スマホ子供には見せません。

↓こういうのとか。

https://arasujikun.com/

読み聞かせしながら、ちゃんと話理解してるのかな?と怪しんでいましたが、結構わかってるみたいで、子供スゴイ!と思う反面、これはちゃんとしないと…とプレッシャーも感じておりまして。

アニメ映画のあらすじを読むこともあるのですが、いい加減な日本語のものも少なくなく、できればちゃんとした日本語文章読み聞かせをしたいのです。青空文庫とかでもいいのかな~と思ってます。なんかあればお願いします。m(_ _)m

追記

5分以内で読める青空文庫短編児童文学作品 | ブンゴウサーチ

https://bungo-search.com/juvenile/authors/all/categories/flash/books

2023-10-25

anond:20231025095310

子供の頃に不思議存在出会う話」だよ

子供」という曖昧存在がふらりと異界に迷い込んで妖精怪物と仲良くなる

異界訪問譚とか言われるもの一種児童文学にはよくある類型

なんなら千と千尋なんかもこの類型に近い

2023-09-22

幸せは「手に入れる」たり「(幸せに)なる」ものではなくて、「見つける」もの。これは子供の頃に児童文学で教えられる。

はずなんだけど、なかなか共通認識として得られていない。

から幸せになりたい、って思う人がたくさんいるんだと思う。

幸せというのは基本的に、手に入れたい、なりたい、と思っている人には訪れない。

幸せを手に入れた!と思った次の瞬間には幸せは、その手からこぼれ落ちていくからだ。

から幸せというのは見つけるしかないんだ。

そこさえわかればだいぶ楽になると思うんだけど?

聞こえるかな?

2023-09-15

私を平仮名で「わたし」と表記する奴が嫌い

まだ漢字を習っていない一年生でもあるまいに敢えて意味もなくひらがな3文字無駄なスペースを取り、「ゆうるり」でもした雰囲気にしたいんだか、響きに拘って酔っているのか、少女ぶってあどけなさを出したいのか、モラトリアム感でもアピールしたいのか、とにかく鬱陶しい。

児童文学主人公気取りでもしたいのか?

あるいは自分だけ感性が鋭すぎてセルフイメージが揺れ動き定まっていないので敢えて変換しない一人称がしっくりくるんですとでも言われているようだ。

とにかく自分にとって都合のいい装置としてわざと余白を含ませているように感じられる。

小狡さと陶酔感にイライラする。

anond:20230915213343

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