はてなキーワード: ニューヨークとは
何度も読もうとするたびに最初の20ページ位で脱落した。村上春樹の翻訳版に変えたら結構スラスラ読めた。
途中本のタイトルに関する部分が出てきたけど、全然「ライ麦畑でつかまえて」じゃなくて「キャッチャーインザライ」だった。
主人公はどうしようもないくせにベラベラ口ばかり回って、なのに結構気軽に数年ぶりの知り合いに電話とかしちゃう行動力があるところがちょっと周りにいる特定の人物と重なった。
どうしようもないからあんま人に相手されないんだけど、最後のパートはずっと妹に受け入れられてる感じが良かった。
しかしまあ何というかすぐ電車乗って自分のことを誰も知らない土地に行こう…とか言い出すところがなんかアメリカっぽいなと思った。
結局行かないんかい!とも思った。
読み終わったところでどうしてこんなに有名なんだろうと思ってamazonの本の紹介文を読んでみたら、
「おとなの儀礼的な処世術やまやかしに反発し、虚栄と悪の華に飾られた巨大な人工都市ニューヨークの街を、たったひとりでさまよいつづける16歳の少年の目に映じたものは何か? 病める高度文明社会への辛辣な批判を秘めて若い世代の共感を呼ぶ」
とか書いてある。そうでもないだろ。主人公も割とやばめだし。
そんな感じ。
昨日スーパーポテサラアニメおすすめしたけどお前ら見とるんかって思ったしこのチャンネルマジおもろいから是非観てほしいけど私はスーパーポテサラアニメ本人じゃないからステマでもダイマでもないしただここの住人は年齢的に私の親と同世代でガンダムとかハンターハンターとか好きそうやから言ってるだけやけど私はそれわからんから以下のネタで笑ったんやけど。
【アニメ】もしもマネーの虎に新海誠監督が出ていたら…【衝撃の南原社長登場】
https://www.youtube.com/watch?v=NDs_M7cN1sk
岸辺露パンは耳をすまさない Part.1『岸辺露パンがやって来る!』
https://www.youtube.com/watch?v=JaFe2v7BkCY
岸辺露パンは耳をすまさない Part.2『岸辺露パン、杉村ペッシに出会う』
https://www.youtube.com/watch?v=c2FVi_DfalU
新海誠とジョジョはわかるから笑ったけどマネーの虎って番組は世代やないから私はわからんしでもつべの動画でおおよその雰囲気は把握して昭和世代はひでえ番組作ってたんやな思って見てたけど今のテレビがつまらんのはこういう暴力性を剥ぎ取った結果かもしれんしこれは悪しき大衆性に染まった日本の現代美術と時代を超え倫理や法律を超越した欧米の現代美術の歴然たる差に似てる気がするし私の一番好きな芸術家のアンディ・ウォーホルが未だに現代美術のトップに君臨してるのは高尚ぶってマスメディアを忌避する欧州の芸術家連中の逆手を取ってアメリカのマスメディアをハックしてそれを作品にも反映して有名になってしまえば二流イラストレーターでもこんな時代ではアート界で天下を取れるという汚らわしいけど疑いようのない事実にスポットライトを当ててアンチを増やしまくって急速に有名になり銃撃事件に巻き込まれたりしながらも軽薄極まりないポップアートというジャンルを人生を賭けて決まり手の一つとして浸透させて行き詰まりを見せていた旧来のアートを合法的に粛清し新たな道を開拓した第一人者として地球規模で見ればマジョリティである日本を含む新興国からもともすれば我々も成り上がれるのではと思わせるカウンターカルチャーとして支持されて未だに現代美術の王として君臨してるんやけど彼の手口を周到に模倣して次の王座に着こうとしてるのが村上隆であやつもウォーホルの手口を真似てまず日本のメディアで嫌われ者として手っ取り早く有名になりそれを欧米に輸入しつつ世界一教育が厳しいと言われる東京藝大の博士号持ちとしてアカデミシャンの肩書を振るいながら敢えてピエロとしての立ち回りを徹底しジャンクな漫画アニメや黒人カルチャーとコネクトしたりしてアウトサイダー感を出しつつもテクニカルな日本画由来のオリエンタリズム溢れる作品を発表し度々話題をさらいアジア圏では俺はニューヨークで実績を残したアーティストだぞとふんぞり返って欧米ではありえないようなハイロー交えた大規模な展示即売会を開き見事に実績を残し一方ニューヨークに帰ったら俺は世界最大のアート作品即売会を企画運営したやり手だぞと威嚇しながら独自のポジションを確立しつつその市場でしょうもない映画やアニメを作って欧米の芸術観を貶め揺るがしながら欧米人がエントリーしにくいアジア的な予備校ライクなテクニカルなアートを評価する市場をグローバルサウスに着々と拡大しつつあってそこに日本のアーティストたちも乗っかろうとしてる昨今ではあるが正直あんまりうまく行ってる雰囲気無いし最近の欧米のアートの流行はインターネット文化とそれにまつわる身体性への忌避と回帰とかめんどくさいテーマにフォーカスしてるしルシアンフロイドが描いたような人間の身体性へのトホホ感がまた再評価されてきてる感じがするけど日本が誇るぴえん文化こそフラットなネット上の美意識と肉体的な売春ODリスカ等の行為との対比で今の時代に忌避される人体の生臭さとそれに伴う肉体美の再評価的なカルチャーであるし病み系地雷メイクの平面性と人体の立体性を想起させるセルフクンニとの融合はまさに現代美術の最前線に渦巻く複雑なテーマを完結に表したものでありスーパーポテサラアニメの他にもShingo TamagawaのPUPARIAも五十嵐大介の影響をガッツリ受けててわかる人には笑えるよとか私の区切らない文体はかつて横山裕一が提唱したものだよとか言いつつもう眠いので寝るわ
NYでは「オールジェンダートイレ」が当たり前? 日本人が知らない世界の新常識
https://telling.asahi.com/article/13083290
ニューヨークの公共の場から、女性用、男性用を示す見慣れたトイレのサイン(絵文字)が消えた。代わって現れたのは、「All Gender」(すべての性)、「Gender Neutral」(性的に中立、性別不問)などと書かれたサインと、男女混合のトイレ待ちの列。ニューヨークではオールジェンダートイレ(ユニセックストイレ)がスタンダードになりつつある。
人権意識の高い国から順にトイレはジェンダーレスになってるんだよね。
女性だけがトイレに長い列をつくる、差別的な扱いを解消するには、トイレをジェンダーレスにして、男女ともに並ばせるのが手っ取り早かったというわけ。
プラスサイズの女性が怒りのクレーム「飛行機内の通路が狭いのは『差別』」
https://courrier.jp/news/archives/326688/
プラスサイズのティックトッカーが、飛行機内の通路を「もっと広くするべきだ」と主張する動画が話題を呼んでいると米「ニューヨーク・ポスト」紙が報じている。
女性が投稿した動画には、ユナイテッド航空の飛行機の通路を歩く彼女の後ろ姿が映る。だが、座席にお尻が挟まれてなかなかスムーズに進まない。この動画には「正直、2023年に飛行機で広い通路を作れないのは差別だ」というコメントが添えられている。
今時は低身長の女性、高身長の女性、胸が大きい女性、プラスサイズの女性、それぞれをターゲットにした服のブランドがあるわけだし、大きくても安心して乗れる飛行機も需要があると思う。
昨日さ忙しいからお昼出損なってお弁当コンビニで買ってきてもらったんだけど、
お任せでね。
あんまり私電子レンジでチンするというかしなくても平気なタイプの人っているじゃない、
あれで笑っちゃうのが、
以前お手伝いしてもらっていた中国の女の子は鮨パック例のあれよ1ミリでも器が傾いて持って帰ってレジ袋に入ってしまったなら全部崩れるでお馴染みのあのお寿司パック。
あれを電子レンジでチンして温めようとしたのよ。
さすがにそれは止めたけど、
おにぎりとかも私大好物でお馴染みのニューヨークスタイルで食べつつなのはもちろんのこと、
そういうのも苦手らしいわよ。
そう話を戻すけど
その買ってきていただいたお弁当
私はそれでも無理矢理食べる派でどんどんお弁当を侵攻していったんだけど、
食べる食べないと言うより、
このお弁当自体なんか特殊な比較的長期保存通常よりできるであろうと私は睨んでいるんだけど、
そのお弁当の水分量がパッサパサで温めないとふっくらしない仕掛けの温め必須のお弁当で
パッケージにも絶対温めてくれよな!って書いてあるタイプのお弁当でそれ私後から見て気が付いたのよね。
冷たくてもわりとしっとりと保湿したご飯ならどんどん箸が進められるけど、
箸は刺さるけど!
そんでさ
ご飯は諦めておかずに!と思ったけど、
なんかカチカチのパサパサの温め前提仕上がりだったので、
まったく歯が立たなかったわ。
くどいようだけど、
箸は刺さるんだかんね!
そう言うものだろう!って先入観でいたらとんでもないものに出会ってしまったわ。
自力で単独で温めなしでも大丈夫なお弁当のサバイバル力というのは愕然として高いことを気付いてしまったし、
そう言ったものレンジ温め必須!マークは見逃さないようにしたいところだわ。
カチカチのご飯やおかずにはまったく歯が立たなくて食が進まなかったわ。
くどいようだけど
箸は刺さるんだかんね!
うふう。
ハムタマゴサンドと野菜サンドのハーフアンドハーフのタイプがあったので、
一挙両得的な一挙両得特区か!ってぐらいの両得さ加減だったわ!
好きなタイプのサンドイッチが2種類選べるタイプのそう言ったパッケージングも良いと思ったけど、
みんながみんな2種類のものを食べたいとは限らない季節かも知れないので、
やっぱり単品の方が強みがある強まった美味しさがあるのよね。
きっと。
水出しの反対語でいいのかしら?
沸かすには労力がいるので、
熱湯を沸かすは沸かしてそれでこしらえたルイボスティーウォーラーよ。
朝まで余熱を冷まして常温の冷え冷えではないけど、
明日の朝のには
充分冷えていると思うわ。
濃いめに作ったわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
28日に開幕するテニス全米オープンの予選3回戦が25日(日本時間26日)、会場の米ニューヨーク・ナショナル・テニスセンターで行われた。
女子シングルス世界ランク179位の加藤未唯(22)=佐川印刷=はスウェーデン選手に7―6、3―6、4―6で逆転負けし、初の本戦出場を逃した。
試合後、コート後方にラケットでボールを強く打ちつけ、ラケットをコートにたたき付けてへし折るなど大荒れ。電光掲示板の一部を破損してしまった。
最後は逆転負け。
カスで草
こりゃわざと当てたまであるな
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★主な登場人物
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シャロン(ターの内縁の妻・ベルリンフィルのコンサートマスター)
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フランチェスカ(ターの元愛人・指揮者見習い・副指揮者の地位を狙っているが現在はターのアシスタントに甘んじている)
クリスタ(ターの元愛人・指揮者見習い・現在はターに追放され(?)ニューヨーク在住)
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★シーン
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プライベートジェット(ベルリン→ニューヨーク)で眠るターを撮影しているのはフランチェスカ。チャットの相手は多分クリスタ
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冒頭のクレジットの背後で流れるのはターの実地調査先のペルー東部ウカヤリ渓谷の先住民の歌(この調査にはフランチェスカとクリスタも同行していた模様)。
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レコードを床にばらまいているシーン(ターの仕事部屋?)の足はおそらくフランチェスカ。
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講演会後に話しているファンの女性とターはおそらくこの夜密会している(女性のバッグが後にターの持ち物として出てくる)。
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指揮者がヘッドフォンをしているのは映像と合わせるためのガイド音を聴いているから。なおこのシーンはモンスターハンター(テレビゲーム)の観客コスプレ演奏会と思われる。
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クラウディオ・アバド…ベルリンフィルの元首席指揮者(故人)。
バーンスタイン…指揮者(故人)。愛称「レニー」。ターの師匠(という設定)。テレビ番組(ヤング・ピープルズ・コンサート)などを通して一般庶民にクラシックを普及した。
ジェームズ・レヴァイン…指揮者(故人)。セクハラ等の女性絡みのスキャンダルで有名。
シャルル・デュトワ…指揮者。セクハラ等の女性絡みのスキャンダルで有名。
マイケル・ティルソン・トーマス…指揮者。愛称「MTT」。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ…大御所チェリスト(故人)。ロシア人。
ジャクリーヌ・デュ・プレ…女流チェリスト(故人)。多発性硬化症で早期の引退を余儀なくされる。
ダニエル・バレンボイム…指揮者/ピアニスト。過去にデュ・プレの恋人だったことがある。
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★トリビア
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フリーボウイング…通常、弦楽器の同一セクションでは統一する弓のアップダウン(引き弓・押し弓)を奏者個人の判断に任せること
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ベルリンフィルを演じている(?)のはドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団。ホールはドレスデン文化宮殿。
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ほぼ全編に渡って音声は同時録音。つまりブランシェットは実際にバッハを弾いて、マーラーを指揮をしている。そしてオルガ役のソフィー・カウアーは実際のプロのチェリスト。
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海外から訪れてくる人の欧米的な人って街中で歩いているときニューヨークスタイルで林檎を囓り歩き闊歩しがちなのよね。
ちなみにニューヨークスタイルってのは私が提唱したいとはおこがましくてそんなこと一切思っていないけれど
特に恵方巻きの時期にはこのニューヨークスタイルで恵方巻きを片手に持ってご機嫌さんに無言で恵方巻きを歩きながら食べるってのが毎年の常となっているところから、
食べながら歩くってことね。
両手に持って食べ物を食べながら歩くと普通に食いしん坊さんが街を歩いている!ってだけになるから注意が必要よね。
まあそんなことどうでも良いんだけど、
インバウンド人のほとんどの10割の人が林檎片手に持って囓りながら歩いているのよ。
あれ日本人がやったらキザの記号か歯槽膿漏ではありませんの記号になるし
かっこつけてる記号でもあるからあんまり街中でニューヨークスタイルで林檎は囓り歩かないわよね。
インバウンドの人だと様になるというか。
あと水持ち歩きがち。
大抵はというかほとんどの場合これも10割2リットルペットボトルのペットボトルを持って歩いているのよ。
彼らは水と林檎で出来ているのかしら?ってぐらい
ちなみに日本で言うところのバーモンド的なリンゴとハチミツが恋をしたって慣用句と意味がいっしょなのかしらね?
あ!でさ
もう1つ気が付いたんだけど、
リンゴ囓り歩きがちだけどその食べた後の林檎が街中に散らかってないところがまたそこはちゃんとしているのかも知れないわ。
いまそれやっていたらきっと日本中はリンゴの木だらけになっちゃってるじゃない。
たまーに
なんかこんなところになぜ突然果物のビワの木があって枇杷が実ってるの?ってなってるところあるじゃない。
あれのリンゴ版てーか
たぶん日本の昔のビワブームでニューヨークスタイルで枇杷食べ歩きながら闊歩していた私たちのパイセンこと先輩が枇杷食べた後の種をいろいろなところにポイポイ捨てていった今に至るビワの木の由来なのよ。
へーって思ったわ。
渋谷の街ってさ
夜とか深夜街がゴミだらけに道がなるけど、
なんか朝にはすっかり掃除されていて何事も無かったかのようになってるじゃない。
あれたぶんそのまんまだったら、
インバウンドの人たちが食べ持った歩いて捨てたリンゴのゴミだらけで
知らないけど。
なんか一時期はアジア圏の人たちが多かったけど
いま街を散策している人たちは見たところなんか欧米的なところからのヨーロッパだとかアメリカだとかそういう感じの人たちが多いのよね。
うふふ。
違うお店で買ってみました。
馴染みの味とはちょっと違う新鮮さがまた新鮮だわ。
朝のサンドイッチはやっぱり美味しくいただかないと!
水出しって言えないのは一旦お湯で抽出して冷やしているタイプだから厳密には水出しとは言えないかといって沸かしたとも言えないそんな感じなのよね。
一旦お湯でってのはその方が抽出成分がたくさんなんか出そう!って期待を込めてってところよ。
また味はどうかな?って楽しみよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://anond.hatelabo.jp/20230418134646
トランス女性が女子ロッカールームから退出するよう言われ、ニューヨークのヨガスタジオを500万ドルで訴訟「屈辱」
提出書類によると、経営陣はクラス前にマイルズに女性用施設の使用を禁止していたという。
ハンナ・パンレック ハンナ・パンレック 著 | フォックス・ニュース裁判所への提出文書によると、トランスジェンダーの女性が月曜日、ニューヨーク市のヨガスタジオで女性用ロッカールームから出るよう求められ、男性用の施設を使うように言われたとして、同スタジオを訴えた。
訴状によると、ディラン・マイルズとしても知られるアリ・マイルズは、ホットヨガ・チェルシーに対し、経営陣がヨガのクラス後に女子ロッカールームから退出するよう求めたとして、同社を相手に500万ドルを求めて訴訟を起こしているという。
提出書類によると、ホットヨガ・チェルシーの経営陣はマイルズに女性用施設の使用を禁止したという。
「マイルズはマネージャーとオーナーと面談し、マイルズの性別ステータスについて特にマネージャーに話し、マイルズが女性の性自認に最も近いこと、そしてマイルズが性別に関係のない専用のトイレとロッカールームを使用するつもりであり、使用したいと考えていることを伝えた」 .」と提出書類には記載されている。
提出書類によると、ヨガのクラスの後、マイルズさんが女子ロッカールームに入ると、他の女性たちがマイルスの「存在」について「苦情」を言ったという。
ニューヨーク・ポスト紙の報道によると、今回の提訴は、マイルズさんがこの13か月で起こした3度目の性同一性差別訴訟となる。
ホットヨガ・チェルシーの経営陣は、マイルズに女子ロッカールームから連れ出された後、男子用施設を使うよう指示したとされる。
「マイルズが男女別のロッカールームとトイレを「男性」とラベル付けされたことで使用したことにより、マイルズは恥、屈辱、そしてフラストレーションに苦しんだ。マイルズの希望と意図に反して、マイルズは、男女別のロッカールームとバスルームの使用を強いられた。マイルズの性別」と提出書類には書かれていた。
Fox News Digitalはホットヨガ・チェルシーとマイルズにコメントを求めた。
同様の事件が全国各地で起きている。ウィスコンシン州の高校で、18歳のトランスジェンダー女性が女子シャワーエリアに入り、体育の授業で水泳をした後にシャワーを浴びていた女子高校生3人と一緒にシャワーを浴びたという。
ウィスコンシン法と自由研究所(WILL)が4月に送った書簡は、トランスジェンダーの女性が4度の高音でシャワーに入った後、ウィスコンシン州サンプレーリー地区学区は生徒のプライバシー権侵害に「適切に」対処していないと主張した。その中には女子校生。
ウィルさんは、女子生徒らが洗い流すために水着を着たままシャワーエリアに入ったが、これは体育の授業で水泳をした後によく行われる行為だと主張した。さらに手紙には、トランスジェンダーの学生が女子シャワーエリアに入り、女子生徒に近づき、「ちなみに私はトランスジェンダーです」と告げたと主張されている。
駄作だ失敗作だ黒歴史だ、と散々言われてるスーパーマリオの映画だけど、実際に見てみると思いの外面白い。
レビューサイトを見ると、「カネの掛ったB級映画」と称されているが、全体的な感想としては確かにそんな感じで。
コメディ要素が多くて楽しく笑えるし、全体的に勢いがあり話のスピード感もなかなか。勢いで誤魔化しているところも多いが、細かいところはいい。そして金は使っているので、頻繁に物が壊れ、無駄にアクションが派手であるのも見どころだな。
この映画はコメディ要素とその勢いはとにかくすごくて、例えばマリオとルイージが異世界に初めて降り立ったとき、困惑していると、傍にいた優しそうなオバちゃんから「ここは武器を持たないと危険なところだよ」と警告されるんよ。でもただの配管工のマリオは武器なんか持ってないし、正直に「いや、持ってない」と言うと、オバちゃんが間髪入れずに銃を向けて「だったら金を出せ!」と脅してきたり、クッパに捕まって手を縛られて死を覚悟したら、写真を撮られるだけだったりと、とにかく笑わしにくるイカれた展開が多い。
クッパやその一味は見た目は人間なのは、CGが満足に使えない時代のものだからしようがないにしても、クッパの暴君っぷりもちゃんと描かれてるし、敵としての描写は十分。俳優がなんとなくプーチンっぽい見た目もしていると、作中で言われているように独裁者、ファシストと言われるのも、それなりに納得がいく良いチョイスかもしれない。まあ、そんな独裁者クッパもやたらとピザを注文しようとしたり、コメディ要素もふんだんにある。
そして、この映画はマリオが頼れる兄貴分として描かれており、ヒーローとはまた少し違って描き方がされている。なぜか女を口説くのもうまいし、マリオ自身も誇らしげに言う。
口が悪いし、声がオッサンすぎるから、どちらかと言えば、こいつワリオじゃねえの?と思うこともしばしばあるが。
予定した攻撃が失敗しても、焦らずにまあいいかでスルーするし、映画の締め方を見ても、本当にこのマリオは頼りがいがある描写になっている。
ちなみに黒歴史呼ばわりされているけども、今公開されている「スーパーマリオブラザーズ ザ・ムービー」には、この実写版マリオ映画のオマージュと思われる部分もちょくちょくある。舞台がニューヨークのブルックリンであるのもそうだし、二人が配管工の仕事で使う車のデザインもよく似ている。そして冒頭で仕事に向かおうとすると、車が壊れるというところなんかも。
ザ・ムービーの方でマリオが弟思いという設定があるけど、それもおそらくこの映画からのオマージュじゃないかな。ゲームにはそんな設定はないし。
ちなみに本作ではルイージはマリオの養子という設定であり、実の兄弟でも義理の兄弟でもなかったりする。だからマリオはルイージは優しい。ただし、親子と呼べるほど年も離れていないから、母であり父であり兄である、と作中で言われている。
あと、この映画ではマリオの本名は「マリオ・マリオ」となっており、実にツッコミどころのある本名であるが、作中でこの名を語ったときは当然聞いた人から突っ込まれてる。続けてルイージが「ルイージ・マリオ」と名を語るので、「2人合わせてマリオは3つでいいのか?」と名を聞いた人が発言するのは、実に笑えた。ひょっとしたらこんなしょうもないネタのために、こんな名前にさせられたのか。
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーを見てきたので感想を残しとく。
[視聴環境]
[事前情報]
世界興収がスゴイらしい。評論家からの評価は悪いらしい。吹き替えはマリオが宮野守でルイージが畠中とかいう奴らしい。予告チラ見した感じ、声が微妙だったので字幕でみることにした。
[どんな話か(うっすらネタバレ)]
現代のニューヨーク在住の冴えないイタリア人配管工の兄弟が、ひょんなことから異世界(マリオワールド)に飛ばされ、キノピオ、ピーチ、ドンキーコングとともに悪者クッパを倒そうとするお話。
[総評]
普通に面白かった。良くも悪くもファンムービー。映像的な革新性、脚本の秀逸さ、思わず吹き出してしまう小気味よいジョーク、心動かす感動的なシーン、胸が熱くなる激アツ展開、などはない。
かといって出来が酷いわけではなく、一応どれも及第点は取れてる、と思う。(脚本はかなり雑で突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるけど、子供向け映画にマジになっても仕方ないよね)
[おすすめ度]
劇場で何度も見たくなるタイプの映画ではないけど、人生でマリオのゲームに触れたことある人なら一回は見といた方がいい映画だと思う。
[誰向け?]
万人向け。マリオのゲームをやったことある人なら、小さい子連れのファミリーから、デートムービー、友達グループ、独り身の暇つぶしまであらゆる層に対応してる。
[グロ度]
なし。ただしギャグ演出として暴力的なシーンが多用されている。痛々しい演出は多め。(例:手をピアノで挟む)
<良い点>
・キャラクターのモーションやSE、BGMが原作を忠実に再現していて楽しい
<悪い点>
それに加えて各シーンの演出や各エピソードの繋がりがとてもご都合主義的。
どのような「ご都合」かというと、「原作のこの絵を再現したい!」→「じゃあこういう展開でこういう演出にしましょう!」というのが明け透けに見えている。
たとえば、「ベビーマリオを出したい!」→「ルイージに幼少期を回想させよう!(何の脈絡もないけど)」みたいなのが盛りだくさんとなっている。
原作再現が最優先なため、伏線を先に引いて、後で回収する・・・というのがほぼない。
ピーチ姫がSWのレイみたいになってたり、キノピオが陽気な友人キャラみたいになってたり。どれもハリウッド映画に出てくるお決まりのキャラではあるけども。
<まとめると>
どのシーンにも「物語上の必然性」がない。かわりに「原作再現上の必然性」がある。
だからマリオを知らない人が見たら「なんでそうなる???」「唐突・・・」「最初からそうしとけばいいのに・・・」「無理矢理だなあ」「この人たち出てくる意味あった?」「え?なんでみんな普通に受け入れてハッピーエンドみたいになってるの?なんか説明合った?」「こいつは一体なんなんだよ」と突っ込みどころ満載かもしれない。
が、それもこれも原作再現を楽しみにしてるファンを思ってのことだと思うので悪く言うつもりはない。
ニューヨークのセントラルパークの2022年のアニュアルレポートを読むと(1ドル100円で計算)、87億円の運営費のほとんどを寄付金で賄っていた。寄付金収入だけでも107億円。ニューヨーク市からの財政援助は13億円程度。寄付金残高は300億円程度。何人が寄付しているのかは不明だがchatgptによると17万人程度。企業からの寄付も多いらしい。200人の雇用、3000人程度のボランティア。年間4000万人ぐらい来るがほとんど商業施設が無い。セントラルパークの周囲にスタバはたくさんあるが、セントラルパークのなかには一つも無い。自動販売機も無いのだろうか。神宮外苑にしろその他の公園にしろ結局それを使う人が負担しなければ成立しないのだと思う。
こちとら初代スーパーマリオをリアルタイムでプレイした40代のオッサン。
ネタバレありかつ、批判的かつ否定的な内容なので、これから観に行く人は読まない方が良いと思う。
これから観に行く予定がなく、ネタバレオッケーで、否定的な感想もオッケーな人達だけ読んでほしい。
で、正直言って、「ネタバレあり」とは書いたものの、大してバレできるネタがない。
1時間半トムとジェリーを見続けても、バレるようなネタはないだろう。これはそういう映画だ。
これが世界中で1000億円の大ヒットを飛ばしているというのが、オッサンにとっては最も不可解な点と言って良い。
評論家に酷評を受けつつ世界中で大ヒットしてるなら、評論家の方が間違ってるんだろうと思ってたのだが、
観終わってみたら、俺は評論家側だった。
なんでこれが大ヒットしてるんだ。
シン・仮面ライダーこそが今年見た最もつまらない映画だろうと確信していたのに、ワースト1位の座は本日更新された。
観ている間中、終始真顔だった確信がある。とはいえ子供の姿もないレイトショーの劇場中に、笑いも起きなければどよめきも起きなかったところから、多分周りのオッサンやニーチャン・ネーチャンの感想も似たようなものなのではないかと思う。
実に静かな1時間半だった。終わった後も、皆なにやら内輪でコソコソ話したり、ポップコーンをこぼしたのという話しかしてなかった。
実のところ、導入部分はそんなに悪くなかったと思う。
ニューヨークからキノコ王国に行くのは、異世界召喚もののようでちょっとワクワク感もあった。
正直、この筋立てを考えた脚本家に感心すらした。
が、キノコ王国に行ってからは、単なるゲーム実況動画以下の代物でしかなかった。
一つには、「この世界の人間が異世界に召喚された」際にあるはずの諸々の衝撃や葛藤が皆無だった事。
マリオあっという間に馴染んでたし、人間ではありえない身体能力を発揮しても、それが魔法的な力なのか、マリオの素のスペックなのかが区別がつかなかった事。
絵柄上、血もほぼ出ないし。ダメージ受けても効果音と共にパワーアップが解除されるだけである。この辺、ゲームに忠実過ぎて緊張感もクソもない。
キノコ王国もその他の国々も、街や民衆がかなりふざけた連中で、もともと国家の体を成してなかったので、クッパの侵攻を受けても遊園地が壊されてる程度の印象しかなかった事。
クッパ側も含めて、世界観がわけわからず「何この世界」という感があった。ディズニーランドがそのまま世界になってるような、とでも言えば良いのか。
でたらめな世界で、でたらめなキャラが、でたらめな事をしている。
それを楽しめるのは、よっぽど病んでるか、よっぽど健康な人だけだろう。
感情の起伏がほぼゼロ。ひたすらアスレチックで暴れているだけ。
そのまま最終決戦へ。
クッパと戦ってるんだから最終決戦なのだろうが、余りに何もないストーリーなので『まさかこのまま決着付けて終わるのか?』とうろたえていたら、
最終決戦の舞台はなんやかんやあってニューヨークへ。ここでまた印象は少し持ち直した。
キノコ王国で決着付けてたら、もはや擁護の余地もないほどの駄作だっただろう。
ニューヨークでクッパが暴れてくれたおかげで、おおっという場面がちょっとだけあった。
しかし、その後はお寒いもので、なんかもうクッパを倒しただけである。
脚本家は、書き上げた脚本を前に首をかしげなかったのだろうか。
ヒットして悪い事はないが、なぜこれが大ヒットなのか。
多分、この作品は元ネタのゲームを知ってれば知ってるほど楽しめるのだろう。
俺は初代のスーパーマリオくらいしかまともにプレイしてないが、その後のマリオシリーズを何作も何作もやってれば、
多分ニヤニヤできる場面も多かったのだろう。
130点ヤッター! 点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。多分世間では娯楽映画という評価であり、事実娯楽映画なんだけど、ゲームという文脈においてガチだった(この辺後で詳細語りますわ)で130点なのでした。
見終わった瞬間、あれ、この映画って存外、なんか手堅くまとまってて100点くらいなのかな? 娯楽映画としてよくできているけれど、やっぱ弱点はあるよね、とは思ったのです。
主人公マリオの悩みみたいなものも、その克服も描かれてはいたんだけれど深い描きというよりはあっさりと乗り越えたし、アクションシーンの出来はどれも良かったんだけどアクション娯楽映画にありがちな失点として、アクションシーンの連続になりすぎて、ドキワク感が全体でのっぺりしちゃったところは実際にある。
あと、これはフォローしがたいけどエンドクレジット後のおまけカットみたいなの(2種)は蛇足感があった。
でもそうやって、脳内で「映画減点表」みたいなのを作り、同時に「映画加点表」みたいなのもあり、合計計算して出てきたスコアは100点だったんだけど、見終わった感情的満足感は130点だったんですよ。ズレが有る。
こういう映画ってたまにあって、それは自分が言語化できてない、なにかスペシャルな要素があるって証拠だと思うんですね。
じゃあその+30点どこから出てきたんだよというのが、この感想を書いた理由です。
主人公マリオはニューヨークで配管工業を営む青年。作中はっきりとは語られてないけれど、イタリア系移民で大家族で暮らしていて、年齢は20歳ちょいなのかな。新卒で入った会社を飛び出して、弟ルイージを巻き込み、いきなり配管修理事務所を起業して、全財産を叩いてCMを流したところから物語は始まる。
会社を飛び出した経緯の詳細は語られていないけれど、「何をやらせてもダメ」「できることがない」とモラハラを受けていたフシがあり、マリオは「自分は役立たずなんじゃなかろうか」「いいやそんなことはない、やればできるはずだ」の二つの気持ちの間で揺れている。
おっかなびっくりだし、確信はないし本当は自信だってないんだけど、ルイージに対してお兄ちゃんぶりたい気持ちだけはあって、まぁ虚勢を張っている。
映画になって肉付けされたこのマリオ像ってのは、結構好感度ありました。
主人公マリオのもってる「自分は役立たずなんじゃなかろうか」なんて悩み、誰にでもあるじゃないですか? はっきり言っちゃえば、具体的な問題の表出は違えども、全人類の99%が成長過程の中で経験するものでしょう。
それにたいして「やればできるはずだ」っていう根拠のない自分自身の鼓舞だって、誰でもやるでしょう。
これらは映画を含む既存のストーリーメディアでは、勇気とか挑戦とか言われるたぐいのテーマの類型です。この類型は多くの、それこそほとんどすべての物語作品で見ることができます。内面の問題や弱気を乗り越える勇気の話は、物語作品の王道ですから。
歴史上、ストーリーメディアはそれに対して勇気づけるための物語を何千何万と語ってきた。美しくまたはおぞましく、ハラハラ・ドキドキするような物語をたくさん作ってきた。「勇気を出す理由」「その褒美」について、あらゆる物語が手を変え品を変え洗練したストーリーを紡いできた。
そういう歴史あるテーマの歴代傑作の洗練に対して、この映画のエピソードづくりや演出が最高峰かというと、そんなことはない。マリオの閉塞感もその打開も、徹底的に演出されているわけではない。もちろん赤点ではないんだけど、その部分で言えば「凡庸なファミリー映画」ですらある。
たぶん「それ」が、映画としての物語性や演出を厳密に評価した評論家と一般ユーザーの間で、この映画の評価が真っ二つに別れちゃった理由だと思うのです。
あらゆる人々の実際の人生における、自信のなさ、不安感、でもそのなかで勇気を振り絞って、はたから見ればどんなにくだらなくてもその当人にとっては難題である目の前の課題に挑んで見る――そういう勇気に対して物語メディアは物語としての洗練や感動をもって応援してきたわけですが、じゃあそれで現実の人々の不安感や自己否定をちゃんと払拭できたかといえば、そうではない。物語の大好きな自分は、それでも物語のない世界は暗闇だと思うわけですけど、世のすべてが照らされて現実の問題が駆逐されるなんてことはなかったわけです。
でも、全く同じ問題に対して、ビデオゲームは別の方法論で挑んできました。
それは成功体験です。
問題点がある。失敗する。ゲームオーバーしてしまう。つらいね、くやしいね。でも何回かやってみようよ。工夫してみようよ。ほら!さっきよりいい感じ!よし!一個クリア!先に進めた!すごい!ほら、つぎの課題が来たぞ!ジャンプだ!パンチだ!やったぞ!進めたぞ!!
そういう、課題と克服、工夫や練習での突破、つまりは直接的な成功体験で、「キミはできるんだ!」と全存在で訴えかけてきてくれるわけです。ビデオゲームをする人にはあまりにも自明で、やらない人には分かりづらいかもしれませんが、任天堂のみならずすべてのビデオゲームの本質はこれで、これでしかないんです。
何か挑戦すべき課題、突破するべきステージでも強敵でも生産目標でも集めるべきコインでもなんでもいいですけど、課題があって、それは最初は難しくて無理かもしれないけれど、ゲームの世界を調査して構造を知り、工夫して、練習すれば、達成していける。
「努力すればなんとかなる」。
そのことを、人間の子守では到底無理なほどの忍耐(なんせ機械なので)で、何千回でも、何万回でも人間の子どもたち、時には大人にも付き合ってくれた。それがビデオゲームの達成した最も尊い部分だと思います。「レベルを上げる」「レベルが足りない」という今や日常会話でも違和感なく使えるこのフレーズには、「いまは無理でもいずれできる」「できるようになるはずだ」という、生きる上で本当に重要な価値観が込められていることがわかるでしょうか?
スーパーマリオの歴史ってほぼイコール、家庭用ビデオゲームの歴史です。そして、ビデオゲームの歴史は、「挑んでみなよ!なんとかなるよ!」というメッセージの歴史なのです。任天堂こそは、それを声高く叫び続けるゲームデザインをしてきた企業でもある。
前述のように、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は既存の物語メディアの、少なくとも映画の文脈で言えばそのシナリオや演出が傑作に達していないかもしれない。でも、そこにビデオゲームという別の文脈が持ち込んである。そしてそのことに制作陣は自覚的です。
つまり、彼らはわかっていて、わざとそう作ったのです。マリオと任天堂と、そしてなにより地球で生まれて40年になるビデオゲームという新顔の娯楽を本気でリスペクトして作ったのです。
マリオは作中「諦めが悪い」「しぶとい」とピーチ姫などに評されます。実際、マリオは映画終盤になっても結構ミスをする。敵の攻撃を食らってパワーアップが解除される、しかも頻繁に。
それをマリオは「スマートに物事を解決できない」という評価だと受け止めてちょっとしょぼくれたりもするのです。が、とんでもない。
それは「ミスをしてもなげださない」という意味であり、「ゲームの主人公」として、そして「マリオを操るプレイヤーとしての我々」としても、それは最上級の素質です。
そう考えてみると、この映画の白眉は序盤、キノコ王国にたどり着いたマリオがピーチ姫への同行許可を得るために、練習用コースに挑戦した部分だったと思い出されます。
マリオは何十回も何百回もミスをする。回転する棒にビビって飛び込めない。移動する床をうまくジャンプできない。ブロックを壊そうとして目測を誤って落下する。
そういった失敗は『スーパーマリオブラザーズ』をプレイしたことのある人々にとっては、あるあるだし、わかるし、お前もか……。なわけですよ。
でも同時に、それを何十回も繰り返せば、あんなに難しいと思えた難所もクリアできるようになるし、ピーチ姫が疲れて寝ちゃった夜中もずっとプレイして、ミスを繰り返して、ヒャッフゥ!と突破できるようになるのもまた、自分自身のことのように、わかるわけです。
『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』における「課題と勇気、挑戦」はそのようなものなのです。だからブルックリンにクッパが現れたって絶望したり家族が死んでスーパーパワーに覚醒したりする必要はありません。映画的な意味での過剰なドラマ表現をしなくても、マリオは「やるぞ!」とちゃんと理解できるのです。
ビデオゲームが産まれ、親しまれ、市民権を得て、もはや一般的な共通理解となった現代社会において、視聴者の理解や感覚はもうその段階まで達している。だからこそ映画もドラマの形を拡張して、巨大なリスペクトを持ってゲームの文脈を抱きかかえることができた。
映画もゲームも大好きな自分として、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』はそのような映画であると受け止めました。
+30点はあるよ、ちゃんと実在するよ! 家族が死んだり国が滅びたり医師生命を失ったりしなくても、そんな悲劇がなくても、僕たちはちゃんと「攻略してやればクリアできるんだぜ」という、穏やかに前向きな価値観をゲームから予め受け取っているんだ。そういう意味で、とても良い映画でした。