はてなキーワード: の憂鬱とは
神聖かまってちゃんの「23歳の夏休み」という曲を今年度通じて聞いていた。
特に今年度の夏休み(といっても実際に取得できたのは10月だったが)では何をするにもその曲を口ずさんでいた。
「23歳に〜なっちまったと〜」の部分は特に自分のお気に入りで、それこそシャワー浴びるときなんかは近所迷惑顧みず大声で歌っていたのだが
もう23歳どころじゃない、24歳なんですね。九十九里浜に叫んでる場合ではない。
きっと来年の25歳になるときにはまさしく「アラサー」であり、今日どころの憂鬱感、切なさではないのだろうけど
いや嘘だ。あのときは楽しくなかった。
終日「今日は自分の誕生日だ」ということを意識しながらも塾講のバイトをこなし
やっと終ったものの特に予定もなく、ファミマでファミチキを買って帰った。
確かあのときは前年の反省を踏まえて、自分で誕生日会を開いた。
星飛雄馬の誕生日会のようになってしまうことも危惧したが、案外自分には人望があったらしくそこそこの人数が集まった。
あれは楽しかった。3日後に震災が起きなければ更に良かったのだが。
地方大だったので、東京に単身赴任してる親父のところに赴き、就活のアドバイスを貰う体で飯をおごってもらった。
確かジョイフルのステーキだったと思う。あのときは就活のことで頭がいっぱいだったが、何故か誕生日だけは意識しながら行動していた。
一緒に旅行した友人から海外サイズのコンドームを貰った記憶がある。多分部屋を探せば未開封のまま出てくるだろう。
何故未開封かというと、使う機会がそもそもないというのもあるし、かなり嬉しかったからだというのもある。
もしかしたら両親以外から誕生日プレゼントを貰う体験が初めてだったからかもしれない。
何かがあった気がするけれど。
働き初めてから一年が早い。メイド・イン・ヘブンのようだ。
体感寿命の折り返しはいつだったか。そろそろ折り返し地点のような気もする。
学生時代の記憶は光り輝いているが、働き始めてからはそもそも記憶がそんなにない。
今日は合コンだった。もちろん合コンの面子には誕生日であることは伝えていない。
そんなことを言っても生暖かい「おめでとう」を言われるだけだ。
いや、嘘です。言いました。そして事実生暖かい「おめでとう」を頂いた。
俺は何がして欲しかったんだろう。
帰りの電車の中で推定40代のオッサンがミスチルの「Tomorrow Never knows」を聞いていた。
少なくとも一定の社会地位を得ている(ように見える)お前より、俺の方がよっぽどTomorrow Never Knowsだよと思った。
我ながら理不尽な思いだが、思ってしまったものはしようがない。
そして来年は25歳だ。
十代、二十代前半ほどの性欲はない。
でもどのように振る舞えば相手をその気にさせることができて、セックスまで持ち込めるかはわかる。というかちょろい。
でもぶっちゃけ性欲がない。
さらに酒飲んでると勃つは勃つけどイけない。
相手が満足するかどうかは実は相手がイクかどうかよりも、「男をいかせたかどうか」の方が大きいので、射精できない恐怖は大きい。
自慰ならまあまあいけるのに、あんま気持よくない相手だとほんとにイキづらいこの年頃。
この今の自分のスキルや戦略性の半分でいいから14歳の頃の自分にあげたいよ。
そしてスキルもたくさんあって性欲もあって性機能も万全だった二十代なかばはほんとパラダイスだったんだなと思う。
これが老いか。
そしてこれを受け入れず過去の残渣に突き動かされると将来バイアグラ的な薬を使うことになるんだろうな。
あーせつない。
散財する機会が爆減した。
スマホ、タブレットの普及期は「おらワクワクしてきたゾ!」という感じで手当たり次第ガジェット買えた。
泥も林檎も窓タブも買った。すごく興奮できた。
でもモバイルデバイスが一巡したあたりから急に市場がつまらなくなった。
格安スマホが出てきて「レイトマジョリティに訴求する」なんて小売業者が言い出したあたりから退屈で仕方がない。
Tizen、火狐・Ubuntu・Fire Phone。遅すぎる。アーリーアダプターはもうスマホ、タブレットにwktkしない。
電子書籍を含むオンデマンドのコンテンツ配信もイマイチ盛り上がりに欠ける。
Apple TV、Chromecast、Fire TVに至っては意味が分からない。テレビ観る人っているの?
たぶん今アツいのはIoTとかDMPとか、エンタープライズ向けのテックなんだよな。
コンシューマー向けだと、車載OSとウェアラブルがややホットだけど、まだ諭吉を盛大に使えるフェイズじゃない。
GoogleやFBやMSやAmazonがカネにモノを言わせてインフラ整備したり人工知能開発したりしてるけど、やっぱりまだ諭吉使えない。焦らしプレイ反対。ギーク生殺し罪深過ぎる。
もうiPhone 6とかどうでもいいよ。なんかこう、ヘイヘイヘ~イ!ってカネを使えるモノはないですかね?
セクシャルおじさんは憂鬱だった。セクシャルなランジェリーは華やかで、おじさんの心も晴れやかであるように見えたが、実際は憂鬱でメランコリーだった。
セクシャルおじさんには娘がいた。名をテリー美といった。おじさんは男の子が生まれたらテリーと名づけようと思っていたが、生まれた子供は女の子だった。しかしおじさんは諦めきれなかった。そこで苦肉の策として、テリー美と名づけたのである。妻は大反対だったが、おじさんは満足していた。やがて成長したテリー美は案の定、名前のせいでいじめられることになった。テリー美は父を恨んだ。どうしてこんな名前をつけたの。馬鹿じゃないの。死ねばいいのに。それに息もすごく臭い。おじさんは悩んだ。もちろん娘に罵倒されたからではない。思春期を迎えた娘が買ってきた下着をこっそり身につけてしまう自分の性癖について悩んでいたのだ。娘の下着でこんな破廉恥な真似をしていいものだろうか。だが悲しいかな、そんな罪悪感がおじさんをさらなる快楽へと導いていった。
破滅は突然やってきた。娘の部屋で下着を物色しているところをテリー美に見つかってしまったのだ。テリー美は無言だった。そして何も言わずに部屋を出て行った。父娘が、家族が、すべてが終わった瞬間だった。それはセクシャルおじさんが誕生した瞬間でもあった。おじさんはかつてない罪悪感と羞恥心と背徳感に襲われながら、盛大に射精していた。ドックンドックンと勢いよく噴き出す精液を眺めながら、これからはセクシャルおじさんとして生きていこうと決意したのだった。
あれから10年の月日が流れた。おじさんはもう50歳を過ぎていた。そんなおじさんが憂鬱な理由、それは街で娘の姿を見かけたからだった。成長した娘はすでに大人のレディになっていた。傍らには若くたくましい青年がいた。恋人だろうか。フィアンセだろうか。もしかしてもう結婚しているのだろうか。しかしおじさんには声をかけることができなかった。おじさんはランジェリー姿でゴミを漁っていたからだ。近隣住民の通報で駆けつけた警察官に頭を下げながら、おじさんは青年の声を聞いた。なあテルミ。――テルミ?テリー美じゃないのか。おじさんは一瞬にしてすべてを理解した。テリー美はテリー美という名前を捨て、テルミとして生きているのだ。テルミはどういう漢字で書くのだろう。照美だろうか。輝美だろうか。いずれにしても明るい未来が待っているような名前に思えた。
テリー美、いやテルミ。最後のお願いだから、もう一度だけあの頃のように、私のことをお父さんと呼んでくれないか。テルミ、Please tell me......
今日は雨か。
ほのか「せんぱーい!」
僕とは直接部署が違うけど、社員食堂とかで同席することがしばしばあった。
僕「あぁ。おはよう。」
雨のせいなのか、会社に嫌気がさしてるからなのか、どことなく冷たい感じで返事をしてしまった。
ほのか「どうしたんですかぁ?元気ないですよぉ?」
こいつは嫌なことがないのか?と思うくらい天真爛漫。
まぁ、この子がいるから営業成績が毎回ワースト3位内でも会社に行くのだが。
ほのか「成績悪いからですかぁ?」
僕「ソレもあるけどね。まぁ事情があってね。。。」
ほのか「あたしには教えてくれないんですかぁ?」
僕「そのうちね。。。」
会社まで徒歩5分。
ろくに会話するネタもないし、気分的に憂鬱なのだが、ほのかはそんなことはお構いなく話し続けてくる。
本当に話題の尽きない人だ。
こんな僕に比べたら。。。
ほのか「今日もがんばろうねっ!」
僕「あぁ。。」
会社に着く。
PCを立ち上げ、メールチェックと同時に、僕宛のFAX、郵便物の確認。
まぁ、成績も良くないし、当然それに比例して仕事の依頼とか、そんなモノは他の同僚に比べたら少ない。
仕方がないか。。。
缶コーヒーを飲みながら、一通り目を通していると、課長から呼ばれる。
うわぁ。。やな予感。
岸田課長「これはなんだね。」
件名:打ち合わせの件について
前略
昨日のお約束の件、時間までお待ちしていたのにもかかわらず、一向にお見えにならないので、今回の契約の件は破棄とさせていただきます。
何卒、ご了承の程よろしくお願いいたします。
岸田課長「君、昨日そういえば15:00に先方と打ち合わせだったね。」
僕「はい。。。」
岸田課長「君は何をしていた?その時。」
岸田課長「君はコレで何度目だね。だからいつも成績が悪いんだよ。どうお詫びするんだね。。。」
僕「・・・・・」
岸田課長「今後の取引も無くなってしまったではないか!!!!!大きい損害だよこれは!!!」
岸田課長「もういい。上の方に報告させてもらう。これだけ大きくなると私では対処ができない。お詫びに行くときは同行することだ!」
僕「はい。。。」
すっかり忘れてた。
いや、忘れてたのだろうか。そんなことはもはやどうでも良くなってきた。
机に戻る。
ほのか「どうしたんですかぁ?」
僕「大きな失敗をしちゃってね。。。」
ほのか「そうですかぁ。。。元気出してって言ってもだめかなぁ。。」
僕「うん。。。かなり凹んだなぁ。。」
ほのか「あ。いってらっしゃぁ~い。」
当然外回りする気力なんかない。
この先を考えるには絶好の日だった。
考えるも何も、もう僕の中では答えは出てる。
僕「実家に、帰ろう。もう無理だろう。。ここでは。。」
気がかりなことはある。それは、ほのか。。。
正直うざい時もあったけど、彼女がいるから今まで叩かれてもがんばってこれた。
でも、もうソレも終わりだな。。。と空を見ながら考えていた。
親父に電話する。
僕「あの、、俺だけど、、、」
親父「おー僕くんか。どうした?」
僕「俺、、会社辞めるよ。」
親父「何だ何かあったのか。」
僕「でかい取引パーにしちゃってさ、、、もう精神的にも無理だから、帰ろうかと思ってる。」
親父「そうか。。。まぁ決めるのはお前だが、帰ってきて欲しいと思ってる。」
親父は体が半分麻痺していて、生活するのにはちょっと一人では難しくなってきていた。
それを母親が何とか支えてる感じだ。
僕「また帰る日が決まったら連絡するよ。」
そういって電話を切った。
タイムカードを押して帰る。
時刻は18時。長い1日の終わり。
翌日、退職届を持って出社。
駅の階段で、やっぱりほのかが声をかける。
ほのか「おはよぉございま~す。せんぱいっ」
僕「あぁ・・・」
僕「あーもううるさいなぁ!ほっといてくれよ!」
珍しくほのかが悲しい顔をした。
そしてそのまま立ちすくんだまま、動かなかった。
そりゃそうだ。ここまで怒鳴った事はもちろんない。
何てことをしてしまったんだ。。。
最悪な最後だけどね。。。
出社。
メールのチェックとかもうする気も起きない。
どうでもいいことなんだ。もはや僕には。
課長が来た。あとはコレを渡して終わりだ。すべて。。。。
岸田課長「なんだ?昨日の件はもう上に報告したぞ。」
僕「いや、、、コレを。。」
僕「はい。」
岸田課長「わかった。。。じゃあ君の担当の案件の引き継ぎは、、、そうだな。石井君にしてもらおう。」
僕「申し訳ございません。」
引き継ぎと言っても、担当案件なんて一番少ないし、今日だけでクライアントには回れるさ。
そして、一日石井君と同行。。。。ほとんど会話することはなかった。
すべてが終わった。
帰り道、普段は飲まない酒を飲んでいた。
周りは新年会?なのか?
にぎやかな店の片隅で、携帯をいじっていた。
言わなくていいのか?辞めること。帰省すること。
今朝、あんなこと言っちゃったしな。。。
いやもういいんだ。東京のことはもう終わりにしよう。
電車もなくなりそうなので、帰ることにした。
肩の荷が下りたはずなのに、何か切ない。
『仕事できる男それが彼女の好み 気合い入れて勤めたのだが 忙しいわ つまんないわ』
そんなことを思いながら、自宅に着く。
玄関の前に何かあるな?
と、、、、
そこにいたのはほのかだった。
僕「ほ・・・ほのかちゃん?」
ほのか「せんぱい・・・・」
ほのか「今朝のこと謝ろうと思って、、、、」
僕「そんなのメールでも電話でもいいじゃんか!何時間待ってたのさ・・・」
ほのか「4時間ぐらい。。だって、メールとか電話で謝るなんて卑怯者のすることだもん!」
いつもの天真爛漫なほのかじゃない。珍しく感情を顕わにしてる。
僕「っていうか、もう電車もないし、どうするのさ。。。」
ほのかは黙ってる。。。
この寒空の中に放り出すわけにも行かないし、駅まで距離あるし、駅前にビジネスホテルがあるわけでもないし。。。
ほのか「帰ります。。。ごめんなさいね。。。突然来てしまって。。」
そういって、ほのかは歩き出した。
僕はどうすることもできず、階段を下りていくほのかを見ていた。
どこまで僕は情けない男なんだ。。
頭の中にはさっきのほのかの顔が浮かんでは消え、浮かんでは消え。
僕「ああああああああああもう!」
玄関を飛び出し、ほのかの後を追いかける。
どこだ?そう遠くにはいってないはずだ。
10分ぐらい走っただろうか。
駅までの道のりにはいない。
タクシーでも捕まえて帰ったのかな。。それが一番なんだが。。。
とぼとぼと引き返す僕。
星がきれいだ。いつもよりもきれいだ。
と、その時、突然視界が閉じられた、と同時に、冷たい感触が目のあたりを覆った。
ほのか「せーんぱいっ!」
ほのかだった。
この公園にいたのだ。
僕「お前ってやつは。。。」
怒りたい気持ちよりも、無事だったということ、そして会えた喜びの方が大きかった。
ほのか「せんぱいなら来てくれると思いましたぁ。でもここにいるとは思わないだろうなーっておもってましたぁ。」
僕「心配させやがって。。。とりあえず、、、その。。。帰れないんだったら、、、、家に来ない??」
僕「できるはずがないよ。。。」
ほのか「ごめんなさい。。めいわくかけちゃって。。。」
家までの道、お互い無口。
何を考えてるんだこの人は。
4時間も待ってたり、突然目隠ししたり、よくわかんない人だ。
でもそんなほのかが好きなんだろうな。。。僕は。。
僕「ただいまっと。。」
ほのか「お帰りなさい^^」
びっくりした。そういえばおかえりなさいとかずいぶんと言われてなかった。
とりあえず、寝間着の代わりになるモノを貸してあげる。と言っても、ジャージだが。。。
ほのか「いいんですか?」
僕「外で4時間も待ってたうえに、風邪なんか引かれたらたまらない。。」
ほのか「せんぱいだって風邪引いたら仕事できないじゃないですかぁ。」
伝えてないんだっけ。。。
今言うべきか。どうするか。
今しかないよな。。。
ほのか「え・・・本当ですか?」
僕「本当だ。」
ほのかの顔がだんだん泣き顔になってくる。
ほのか「どうして!どうして私に相談してくれなかったんですかっ!どうして突然辞めちゃうんですかっ!うわあああああん!」
大声を出して泣き出すほのか。
化粧なんか落とさなくていいんじゃないかって位に涙がこぼれ落ちる。
僕「ごめんな。。。黙って去りたかったんだ。。それと、僕今週いっぱいで東京出るから。。実家に帰るんだ。。」
ほのか「うわああああん!せんぱいがいなくなっちゃうよぉぉおおお!」
火に油とはこの事だ。
泣き止む様子もない。
僕はただ、ごめんとしか言えなかった。。
ほのかは泣きながら布団のある部屋に入っていった。
壁越しにでも聞こえる嗚咽。
僕はその嗚咽が聞こえなくなるまで、黙って起きていた。。
翌朝、起きるともう10時過ぎだ。
ほのかが朝ご飯を作ってくれたみたいだ。
と、その横に手紙があった。
せんぱいへ
夕べはありがとうございました。
では行ってきます!
P.S
まぁそう思いながら食べた。
あぁ。。。。。うまいわこれ。。。
食べ終わった後、引っ越しの準備に取りかかる。
まぁ、幸いにして荷物があまりないからすぐに終わりそうだ。が。。。。
こういうときに限って、懐かしいモノが出てきて、それに浸っているうちに夕方になってしまうとか、よくある話だ。
そのよくある話に陥ってしまった僕。
あぁ、ほのかと初めて話したのはこの旅行か。。。
ほのか「もしもーし。せんぱいですかぁ?今夜もおじゃましていいですかぁ?」
僕「は?どしてさ。」
ほのか「いいですよぉ~」
せめて昨日よりはきれいにしておかないと。
ぴんぽーん
ほのかが来た。
ほのか「ただいまぁ~」
僕「おかえりなさい。」
何か僕がお帰りなさいって言うのもヘンな話だ。ちょっと照れくさい。
僕「何???」
ほのか「あたし、会社辞めてきましたー!」
僕「は?」
ほのか「辞めてきたんですよぉ。会社。」
ほのか「せんぱいがいない会社なんてつまらないんだもん。だからやめてきたの。だめ?」
僕「だめって・・・・で、どうするのさ、僕は実家に帰るんだよ?」
ほのか「あたしも一緒に帰っちゃだめ????」
僕「あのねぇ。。。旅行じゃないんだよ?わかる?向こうに住むんだよ?」
ほのか「うん。せんぱいと一緒に住むの!」
ちょっと押され気味だ。
僕「どういうつもりで言ってるんだ?君は。。」
ほのか「あたしね。せんぱいが好きなの!すごく好きなの!」
ほのか「だからね、せんぱいが会社辞めるって聞いて、居ても立ってもいられなくなって、辞めてきたの。賭けだよね。。。コレで振られたらあたし最悪だよね。。。せんぱいはあたしが嫌い?」
僕「嫌いとかそういうんじゃなくて、その、、、あー、、、んーと、、、」
ほのか「はっきりしてください!」
僕「好きだよ!くっそーもう!好きだよ好きだよ!」
ほのか「だと思った^^」
ほのか「せんぱいはあたしのことが好きになる!ってずっと考えてたの。信じてたの。願いが叶っちゃった^^」
開いた口がふさがらないとはこの事だ。
何か振り回された気分。
でも、何かうれしい。
すごくヘンな感情が心を巡る。
僕「で、どうするの?」
ほのか「何回も聞かないでください。あたしも一緒に行くの!」
僕「それでいいのね?」
ほのか「後悔してませんよ^^」
晩ご飯はほのかが作ってくれた。
今度はできたてだ。
ほのか「おいしいですかぁ?」
ほのか「2日ぐらいでおわるかなぁ。。。」
僕「ん?何が?」
ほのか「引っ越しの準備。」
僕「ほのかの引っ越し準備もしないとだめなのか、、そういえば。。」
ほのか「あたしは明日明後日で片付けちゃうから、せんぱいもそれまでに終わらしてね!」
僕「あぁそうだな。。でもその前に。。。。電話しないと。」
ほのか「誰に?」
僕「親父にさ。。。。もう一人、連れて帰るわ、ってね。。。」
ほのか「。。。。うん。そうだね。。。」
テーブルの上には、社員旅行で撮った2ショットの写真があった。
ぷるるるるるるるるるるるる ぷるるるるるるるるるるるる
がちゃ・・・
親父「もしもし僕ですが?」
僕「あー俺だよ。来週には帰れそうだ。」
親父「そうか。。。急がんでもいいぞ。」
僕「いや、ちょっと急ぎたくなったんでね。。。」
親父「なんでだ?」
「もう一人、彼女を連れて帰るよ。。。」
そう親父に言ったとき、ほのかが後ろから抱きしめてきて、こういった。
「ありがとう。大好き。」
叩く以外のコミュニケーションの取り方を知らない。
それは気づいた時にはもう治しようがなくなっていた俺のネット人格の悪癖だ。
何かを褒めたいと思っても気づいたら他の何かが踏み台にされている。
だが神だなんだと持て囃す事しか出来ない能無しやステマ野郎よりかは100倍はマシなはずだ。
でもいい加減それを卒業して次の段階に行きたい。
でもやり方がわからない。
何も傷つけずに発言するという方法をすっかり忘れちまった。
こういった愚痴はかけるがこれだって自分のやってきたことを否定することでなりたっている。
どうすれば誰も傷つけないで、踏み台にしないで話が出来るんだ。
ずっとこのパン工場で働いてきて、最近ようやく工場長にまで昇格した。
もし工場で何か問題があると全て俺の責任だ。この重圧、ハンパねーぜ。
勤めはじめてもう35年っつーとこだ。特に大きな問題もなく、こうして工場長にまで
還暦近くなって言う台詞でもねえんだがよ、最近、恋をしちまったんだ・・・。
へっ、笑っちまうだろ?この白髪のジジイが、恋とか言ってんだぜ?
でもよ、自分の心に嘘はつけねえんだ。
ずっと独身でパン工場一筋でやってきて、この立場まで上り詰めて、
あと少しで定年。だのに、この年でこの立場で、恋なんだぜ?
その恋の相手だが、最近この工場に入ってきた「バタコ・カサンドラ・エミリア」、24歳だ。
若えだろ?俺と30以上も離れてやがんだ。
正直、顔が美人だとか端正だとか、そういうんじゃねえ。
言葉はわりいが本当に平均レベルの顔で、ちょっと面長で団子っ鼻な感じだ。
だがよ、そこじゃねえんだよな、この歳になっちまうとな。
尻なんだよな。尻。さいっこうの尻を持つオンナなんだよ。
オーバーオールから突き出たサイコーのシリがよ、俺の目の前にぐいぐいやってくるんだ。
ぐいぐいとやってきた魅力たっぷりのサイコーのケツがよぉ、工場長生命を脅かしてくるんだぜ。
まさかな、この歳でサイコーのシリに出会うとは思ってなかったぜ。
神よ、おめえも知ってるだろうが、世界中のパンを集めてきても、
そうさ俺は恋に落ちている。そして同時に憂鬱な気持ちにもなっている。
恋は激しく興奮をもたらし、そして同時に憂鬱をもたらす、。
憂鬱じゃなければ恋じゃねえ、なんつってな。
俺の人生のパンは、きちんと焼きあがんのかな。な。
例えば「うつ病」というのが言われているが、鬱が「病」になるのは、自分自身でもどうにもできないからだ。単に憂鬱なだけで、その憂鬱さがあっても構わないのであれば、「病」とは言わない。つまり、逆説的ではあるが、自分自身の感情をコントロールしようとし、そしてそれがうまくいかない(大概はうまくいくはずがないんだが)からこそ、「うつ病」になる。
自分の心身が異常な常況におかれているのに、その事態をなんともしないから、例えば「うつ病」になる。置かれている環境と自分の状態を無視して無理するから、なる。
だが、それでは「なぜ無理してしまうのか」という点にアプローチしないと解決しないと思う。
ひとつは、自己洞察をする余裕がない世の中だから、ということだろう。周囲の状況がめまぐるしく変わるし、周囲の人間の数が多すぎるし、仕事でも娯楽でもなんでも急がされる。刺激が大量にあふれている。例えば携帯端末に急かされる。いつでも連絡がつけられる。ニュースはあふれている。スキマ時間をすべて埋めようとする。
またひとつは、無理を強いられる職場、社会だからなのだろう。コストを下げて廉価に売ろうとすると、典型的には、人件費を削る。雇う人数を減らしたほうがコストが下がるから、ひとりの人間に対して過剰な労働量が課され、長時間労働や過密労働が起こる(長時間でなく短時間でこなせる有能な人間は過密労働になり、やはり過労になるよん)。雇う人数が多いと、例えば社会保険料も高くつくからね、厚生年金保険料の半分は雇用主負担だからね。研修費やデスクのある場所の不動産代(笑)だけではないです、むしろ社会保険料や福利厚生費は高いっすよ。ともかくそうして過剰労働を強いられる。過剰労働をこなすか、雇われないか、という二者択一になる(そういう二分論の選択肢しか用意のできないバカな社会。言い換えれば、全社会的なワークシェアリングがない)。必死にやりつづけて際限なく過剰労働をして無理をした結果、自分自身が破綻してしまう。
もちろん、そうした異常な職場では、労働者の多くが精神的に病んでいるので、捌け口を求めます、掃き溜めを求めます。ときにイジメが起こります。ときに職場外のプライベートで「モンスター」化します。ときに某巨大掲示板や某日記(笑)で誹謗中傷を撒きます。
文明社会においては、どうしても承認欲求が働いてしまう。貴族であれば文明社会において生まれながら階級というシステムにより、ある程度の承認欲求を満たしているが、ブルジョアやプロレタリアートでは社会システム上(階級上)、ピラミッドの中〜下層になるためコンプレックスとして承認欲求を持ってしまう。階級と言うのは、何だか無難な響きであるが、何の事はない、文明社会において、人間の質を決めている非常にえげつないものである。そしてこの階級という壁が想像以上に人間の心理に影響をおよぼし、隔てている。ニーチェやフロイトも所詮はブルジョア、プロレタリアートの憂鬱なのだ。対する貴族の憂鬱というのがゴータマシッタールダ、すなはち釈迦だ。釈迦の本来言わんとしていることが万人には理解しづらいのはそのせいだ。ちなみに釈迦は一般的に、ドロップアウトしたと思われているが、僧侶は階級的に貴族より上なので、それは大きな間違い。大変な反逆行為である。現代において、知的好奇心の大きさで、ブルジョアやプロレタリアートが貴族的思想、思考を理解するのは難しい事では無いだろう。しかし、生まれた時点、育った環境の癖というのは強力かつ、その個人をコントロールしてしまう。元増田の悲運は、貴族より下の階級に生まれながら、貴族の抱える憂鬱まで理解出来てしまった点にある。しかし、現代において、これはさほど珍しい事では無いだろう。シェイクスピアが今でも評価されるのは本質をついていて、未だにそれが変わってないからなのだと思う。さて、ここからやっと本題だが、いわゆる ”悟った人” はどうしたらいいか? である。 これが大問題なのだ。現代的な価値観ではとうてい憧れるロールモデルなど無いのである。一番最初に悟ったとしている釈迦においては、ず〜〜っと瞑想してただけと聞く。 極端に言えば、瞑想マスターになり、脳内麻薬出し続けのぶっ飛び状態になってたらしいのだ。多分コレが貴族より上の階級、僧侶の憂鬱を解決したということになるのだろう。。。ちなみに、知っての通り芸術家と言われる人達は、この階級ピラミッドから外れた人達であり、それ故、貴族より下の階級の人達が漠然と憧れるのであると言われている。で、元増田がどうすべきか? そんなことは百も承知だろうが、そんなものはない。元増田だろうが、誰だろうが、本来そんなものはない。逆にそれが救いとも言える。
プログラマといっても、大手ベンダーが作ったフレームワークに乗っかり
実際のフレームワークの仕組みがどうなっているかも全く知らない。
設計書を修正したりもするけど、言われたことを書き直すだけ。
SEなんて高尚なもんでもないし、
気が付けば来年もう30才になろうとしている。
正直言って、うだつが上がらなさすぎる。
そんな自分を変えたくて
女性声優画像bot(https://twitter.com/w_seiyu_bot)
笑いたきゃ笑ってくれ。
できる人には数十分でできる芸当だと思う。
それでもなんとか自分を変えたくて、
0を1にしたくてがむしゃらに頑張った。
いろいろ試行錯誤を重ねて1ヶ月以上かかったと思う。
分かる人にはすぐに分かると思うけど
少しだけ特徴を紹介してみる。
仕事ではJavaやC#でプログラミングしているけど(リーマンプログラマの9割はそうだと思う。)
小規模でもいいので何か一人でものを作りたくてLLなpythonに挑戦してみた。
twitterのAPIのラッパであるtwythonっていうライブラリを使っている。
僕の唯一の趣味といっても過言ではない大好きな女性声優さん達の画像は
最近のAPIは有料のものが多いみたいなので一部スクレイピングで画像を取得している。
5分おきにtwitterのAPIで画像をアップロードしてたら、途中でbotが止まってしまった。
APIの制限で1日の画像アップロード数に制限があるみたいだ。
仕方なく時間帯を分けてtwitterのAPIでアップロードするパターンと
twitpicのAPIでtwitpicに画像をアップロードして、そのURLをつぶやくパターンを用意した。
(このtwitpicのアップロードにしょっちゅう失敗する。。。なんでかわからん)
なんとか多くの人にフォローしてもらいたいと思い、
KLOUTのAPIを利用して取得したスコアが50以上の人をフォローさせてもらっている。
(KLOUTについては僕も知らなかったけど、ググれば分かります。)
さも簡単に実装してきたような書き方だけど
一つのことをやるのに何日も何日も頭を悩ませた。
実際に運用してみてどうかというと、これがまたとんでもなくひどい。
ありがたいことに、沢山の方にフォローしていただけてはいるが、
昨日は南條愛乃さんといって三森すずこさんの画像をつぶやいてしまい
自分のユーザー名で検索するとフルボッキにされててみれたもんじゃない。
(不愉快な思いさせた方には本当に申し訳ないと思っています。すいません。)
あんなに苦労して作ったものがこんな情けない結果で本当に泣きたくなる。
所詮こんなもんかと。
それでもとりあえず、なにか変ったのかもしれない。
0が1ではなくて-1になったのかもしれないけど。。。
別に弁解したいとかそういうわけじゃないけど、
なんとかワザとじゃない、僕は声優さん達が大好きなんだ
ということが分かってほしくてモヤモヤした気持ちを
書きなぐってみた。
とりあえずこのbotをどうするかは決めてないけど、
なんとか画像間違いだけは解消していきたい。
ご助言いただきたい。
さて、そろそろ仕事に戻ろう。
最後に一つだけ言わせてほしい。
_人人人人人人人人人人人人人人_
> あすみん、愛してるっ!! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
日光の強度も弱くなる。
脳内のセロトニンを増やしてくれるお日様が減って、鬱病患者には辛い季節がやって来る。
特に朝が辛い。
鬱病持ちは、朝・午前中に症状重い人が多い。
不眠症併発している人も少なくない。
早朝。外は暗い。
起きるには早すぎる。
でも、眠いたいのに眠れない。
おまけに、朝だから気分はどんよりとしている。
食欲はないけど、簡単な朝ごはんを無理して食べる。
信じられないほど重たく感じられるスーツに袖を通し、家を出る。外はまだ暗い。
今日も一日頑張ろうと、私はぼんやりとした頭で考えるのだけれど、駅員の声が嫌でも耳に入る。
冬、不眠、早朝、薄暗い空。
どんな人が飛び込んだのかな。
鬱患ってる人かな。なんでもない、健康な人かな。
そんなことを、春が来るまで何度も考えることになる。毎年。
はぁ、俺っていったいなんなんだろ……
これでもその界隈じゃ結構有名だったりするんだな
つまり何が言いたいのかというと、こっちが夜なべして必死こいてイラスト描いてんだから、シナリオ書いてる連中も魂込めろよ!
いや、わかるよ、わかってるよ
市場や今のユーザーに作風を合わせようと商業的な努力を必死にしてるのはさ
でもさ、それってただ労力割いてるだけでしょ
自分の魂を削ってる実感は正直ないでしょ
もしあるのなら、なんであんな中身すっからかんのシナリオができあがるの?
ねえ?ねえ?
はぁ、なんかもう疲れる……
いや、自分にそっちの才能がないのはわかってるんだけどさ
それでも、な……
前にさ、普段ラブコメに良く合うコテコテの萌え絵描いてる知り合いが、シナリオにがっつり力入れた作品の原画やってさ
ひきこもり気質のくせにはるばる東北まで取材旅行にまでいったりなんかして
ライトな作風に合わせてかわいいイラスト描くのが楽しくないわけじゃないけど
そればっかりじゃさすがにだれるって
俺は、土日にハナクソの記事を書いた者だ(ハナクソの記事→http://anond.hatelabo.jp/20130824122536)
もうここに降臨することは無いかと思っていたが、はてな匿名ダイアリーのトラックバック君が仕事を投げ出したので、拾わずにはいられない。
【はてなブロガーズサミット(サイバースペースにて)を開催すべきだ!!】
http://anond.hatelabo.jp/20130825202707
お前な、トラックバック君よ。
これ仕事でも通じることなんだけど、アイデアの丸投げはやめろ。
いいか。
なんて考えるのは楽なんだよ。誰でも色々妄想するんだよ。
あんなこといいな♪
できたらいいな♪
ってな。
お前の場合はアイデアを出して丸投げして、煽ってるだけで何も仕事してねぇじゃねぇか。
いいか。
まず、こういうのをやるときは、最初に自分で苦労して調べるんだよ。
「ブロガーと読者の関係について」、そのブロガー達が過去に言及していないか調べるんだ。
後でちゃんとまとめるけど、最初に見つけたのが
「あざなえるなわのごとし」さんの、
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/08/13/123407
という記事。
ちゃんと書いてるじゃねぇか。「ブロガーと読者の関係について」
お前は少しでも検索して、こういう記事があるか調べたのか?
自分で汗を流したのか?
それが大事なんだよ。
※調べた分は下の方にまとめる。まずはトラックバック野郎に説教しないと気がすまん※
あとな、ついでに言うと、鉄は熱いうちに打て。
意志も熱いうちに動け。
人の気持ちって、冬の体育みたいなもんなんだよ。動かないと体が冷えてくるだろ。
まず、動いてみることが大事なんだ。そうじゃないと、どんどん冷めてく。
じゃねぇよ。怖いとか言ってるうちに周りも冷めてんだよ。
ごまかしてんじゃねぇよ。スベったときは、スベったことを受け入れろ。
「負けたことがある」ということが、いつか大きな財産になるんだよ。
で、次。
次にやることは、自分なりに考えてみることだ。
ここから少しの間、「ブロガーと観客について」俺なりの意見を書く。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ブログってのは特殊なもんだ。
何に比べて特殊かっていうと、TwitterとかFacebookとか、昔流行ったmixiなんかと比べて、だな。
ブログの向こうには、たしかにその記事を書いた1人の人間がいるんだけど、どうもそれが意識されにくい。
要は、「書いている人間がいる」ってことがあまり意識されないんだな。
やまもといちろう氏とかイケハヤみたいに、顔出して書いてる人はまた別だぞ。
顔が見えないブロガーのことだ。
で、俺が考える「観客のあるべき姿」ってのは一言で言える。
コメントをつけたら読む人がいる。
ブコメというハナクソをつけても見る人がいる。
Twitterでつぶやいても書いた人は見ている。
そこにはたしかに「人」がいるんだよ。
なのにだな、「観客」の一部からは、「人」に対する敬意とか愛情とか、そういうのが全く感じられねぇんだよ。
とにかく「けなしたい」
とにかく「馬鹿にしたい」
とにかく「見下したい」
そういう気持ち、わかるよ。優越感、感じたくなるよ。
初期のドラゴンボールで、透明人間にボコボコにされてたヤムチャみたいに、弱い人間もいる。
そういう奴らを見えないところから殴るなよ。
記事の向こうにいる「人」を意識すること。
「人」が書いていることを忘れないこと。
それが、俺が思う「観客」のあるべき姿だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それに加えて、他のブロガーがどういう考え方をしているのか、まとめてみる。
まず冒頭で紹介した「あざなえるなわのごとし」さん。
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/08/13/123407
以下、簡単な内容の紹介(訳者:俺)
「知識もないし、何も語れもしないクセに偉そうにコメント付けるのだけは一人前」が多くてウンザリする。
ブロガーは言いたいことがあるから書く。そういう人が長く続く。確かにその通り。
でも、「読んで欲しい/いかに読まれるか」と「何を書きたいか」はイコールじゃない。
書きたいことを書いていると、夏のゴキブリのように次々湧いてくるバカは早くいなくなってほしいわ。
次、「かみんぐあうとっ」
【ブログは多くの人が読みたくなるような内容じゃないとダメなのか?読む価値がないのか?】
http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20130811/p1
記事の紹介(訳者:俺)
ある人に、「あなたのブログは多くの人が読みたいような内容じゃないよ、それじゃダメだよ」というようなことを言われた。
それ以来、
「ブログは多くの人が読みたくなるような内容じゃないとダメなのか?読む価値がないのか?」
ってことにずっと悩んでいる。
答えは出ない。私に価値はあるの?
次、「Hagex-day info」さん
【Hagex脳の恐怖!】
http://d.hatena.ne.jp/hagex/20101019/p4
Hagexさんは、読者(ファン)との関係を「Hagex脳患者」と呼んでいる。
Hagex脳患者には以下のような特徴がある。
・年収1000万円を超える人間がでてくるとエピソードは全て創作(と思う)
・2ちゃんねるや発言小町で文章が上手いエピソードは全て創作(と思う)
・配偶者は基本的に敵
【BLOGOSへの掲載をやめた理由】
http://hatena.fut573.com/entry/20130612/1371027920
BLOGOSへの掲載をやめた。
yahoo newsのコメント欄みたいなノリは個人的にはちょっとダメなんだ。
楽しくないからあまり読まなくなる。するとだんだんコメント読まないんだったら、わざわざ転載する意味あるのかなぁという気になってきて、最終的に寄稿をストップした次第だ。
次、「gothedistance」さん。
http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20101224/1293172379
自分の記事が誰かの役に立ったり、悩んでいる人の助けになったりするのは基本的に結果論。
役立つ or 役立たないといった二元論に思い悩んで「アウトプット熱」が下がってしまうのは大きな機会損失なので、そこについて考えたい。
僕は、誰かの笑顔が見たくてブログを書いたことは一度もない。でも。特定の相手を意識して書いたことはある。
誰かの笑顔を思い出しながら、書いたこともある。
(随時追記・・・)
・・・でだ。
お願いするんだよ。プライド捨てて頭を下げるんだ。
他の人のパワーをもらうときは、まずは自分で闘わなきゃダメなんだ。
そして最後に、「オラに元気を分けてくれ」って頼むんだよ。
【追記】
数日見てなかっただけで、投げんなよ!!ですかw どんだけ早漏なの?バカなの? 今日までに、返事が来るか待とうと思ってたんだけど、いいや。
久しぶりに見たらこんなトラックバックが。消えてたけど。
情けない。本当に情けない。なんなんだこいつは。こんなにダメな奴なのか?
見えない奴に期待すると、こんな気持ちになるのか。情けない。
お前は本当に馬鹿だ。
まずな、返事が来るのを「待とう」なんて時点で、終わってるんだよ。
お前は学生だとしたら、うだつのあがらない地味で退屈なヤツで、社会人なら窓際だと思うが、そんなお前が待っていて、誰か誘ってくれるか?
こねぇだろ。
雑魚は自分で動かなきゃ、誰も雑魚のために動いてはくれないんだよ。
人に注目されたくて色々とはしゃいでみたものの、ダメ出しされたら悔しくて言い訳する。
言い訳し続けて機を逸して、いつまでも何もしなかった結果が、お前そのものだ。
どうだ?自分を見て、自分が情けないと思わないか?ネットの世界で考えるなよ。
リアルなお前を見つめてみろ。
今回の件はもういい。
しかし、お前は社会に出るまでに一度、自分を見つめ直すことだ。
一度ひねくれたら終わりだぞ。指摘されたらそれをチャンスだと思え。年をとれば取るほど、リアルでは誰も注意してくれなくなるし、誰も相手にしてくれなくなる。
そして、このままだとお前がそうなる未来が見える。
あとな、「純粋にキモいわ」とか「ムカツクわ」とか、そういうのが通用するのはネットの中と、学生中だけだぞ。
筋を立てなきゃダメなんだよ。キモい、ウザい、腹が立つなんていうお前の感情には何の価値もねぇんだ。
そこ自覚してないってことはたぶんまだ働いていないんだろうけど、お前は仕事をする前に俺に説教されてよかったな。
子供に仕事を教えてやるつもりで頑張ったんだが、響かなければ空回りだな。
残念だ。実に残念だ。
今回学んだことは、スカスカな奴に情熱をぶつけても、肩透かしにあうということだ。
スカスカには何も響かねぇんだよ。
同じ土俵に立ってると思うなよ、観客風情が。
お前もまずは舞台に立って、矢面に立ってみるといい。
そこがお前の成長の舞台だ。
おまえ、やる気だけが空回りしてるって言われるだろ?w
お前、やる気があるやつを馬鹿にするなよ。
お前はリアルでもそういう態度を取っているのか?恥ずかしくないのか?
この文章を読むことがあったら、胸に手を当てt自分を見つめなおしてみてくれ。
自分に胸を張れるのか?
最近になってようやくハッキリ自覚したのだが、自分は病的にせっかちというか、短気な性格だ。
どれぐらいせっかちかと言えば、例えばバスを1時間待つ以外に代替手段がないという状況でさえ、凄まじくイライラする。
イライラしたところでバスが10分後に来るようになるわけでもないのに、完全にエネルギーの無駄というか、絵に描いたような空回りだ。
この性格で損をすることは色々あるだろうけど、直近で困っているのはスポーツや楽器等の技術習得の場面。
習得というのは教わることと身に付けることがセットになっているけど、自分の場合、教わったことを脇目も振らずがむしゃらに取り組み、動作を完全自動化するアプローチしか持ち合わせていない。
教わったことの要点をきちんと頭で整理し、消化するプロセスが欠落しているので、教わったことしか出来るようにならない。
普通の人が1教わったら自学自習を通して234くらいまで分かるようになる所が、自分は1教わって1だけ身に付く感じで、発展性ゼロなのだ。
即ち「せっかちなのに要領が悪い」と。あるいは「不器用な脳筋」か「無能な働き者」か。
最近だと、こういうせっかちさは「多動性」の発現の一つと言われているようだけど、集中力が持続しないとか、昔遅刻魔だったとかも加味すると、恐らく自分も当てはまると思う。
まあ本当に当てはまるかどうかはともかく、「せっかちな性分」が日常生活に悪影響を及ぼさないよう、何らかの工夫は絶対に必要だろう。
実際、遅刻癖は出かける準備の時から常に時計を持ち歩くようになって「5分前行動」くらいに落ち着いたし、待つときのイライラは常に暇つぶしのアイテムを携行し、それに取り組むなどしてどうにかなっている。
灼熱のコミックマーケット84参加の皆様お疲れ様。私も頑張った。
さて、コミケの度に繰り返される徹夜批判と徹夜組からのサーチケ組批判、まだわからんの?という感じで哀れですらある。
【悲報】徹夜多過ぎの為、始発組最前列で砂塵舞う砂利地帯 #c84 http://matome.naver.jp/odai/2137617165352999401
///徹夜は許されない
コミケの徹夜組なのだが、徹夜組の憂鬱を聞いてくれないか? #c84 http://matome.naver.jp/odai/2134491784101788301
まだこういう脳天気ぶりを発揮する輩が多い。
徹夜がダメでサーチケは黙認。最大の違いはサーチケはコミケの内輪の問題であって、徹夜はコミケと外側との問題になるからだ。
この違いは、両者が並ぶ場所がエアコンの聞いた館内なのか、灼熱または極寒の駐車場なのかの違いくらい決定的だ。
少なくともサーチケでは近隣に迷惑はかからないし、とりあえず人が死ぬ可能性もない。
徹夜を放置すると謎テンションで騒ぐ、ゴミを捨てる、気分が悪くなる、万が一には死ぬ可能性もある。まさかゴミみたいな死体を近隣の皆様に晒す訳にはいかない。
そのことすらわからずにぎゃーぎゃー喚くアホは小学校からやり直したほうがいい。
徹夜組が繰り広げ、また徹夜の「根拠」とするサーチケ組の開場直後のループ購入について、確かに徹夜組が買えない理由ではあるが、徹夜の「根拠」にならない理由を算数で考える。
コミケのサークル数は1日1万2000サークル程。それが3枚ずつサークルチケットを持つ。2人が店番、1人は買い出しとした場合1万2000人が既にビッグサイト内で並んでいることになる。(実際にはそんな単純ではない)
1万2000人はかなりの量だ。なのはの販売数ですら1万は越えない。
仮に東6館と西と企業で8分割したばあい、1館あたり1500人が先に並んでいることになる。(これもそんな単純ではない)
さて、今回問題になった2日目の徹夜は2000人を超えたらしい。これも凄まじいが、同じく8で割ると1館当たりの徹夜組は250人となる。
サーチケ組が徹夜組が突入してくるまでに全員2ループしたと仮定すると徹夜組が購入列の最後尾に並ぶ頃には1館当たり3000人が買い物している。
3000である。人気サークルに集中すれば一瞬で完売する人数だ。対する徹夜組は250。これはもはや誤差でしかない。買えるわけがない。
かように、徹夜の無意味さは並ぶ前から小学生レベルの算数で理解できる。
ちなみに、2000人は今回のコミケ二日目参加者21万人の中ではたった0.9%にすぎない。結局、徹夜でも始発でも変わらないのだ。0.9%しか変わらないものに命の危険を晒すのか?一度冷静になってみるべきだ。
それならば、ちょっと頑張って歩いて来られるホテルをとるだとか、奮発してタクシーで来場するなどして始発よりも先に列に滑りこむほうがはるかに賢いことが判る。
じゃあ、サーチケ組が悪いのではないか!!と、もっとすごい剣幕で怒り出すアホもいることだろうが、ことはそう簡単ではない。
上記のような算数も理解できずに徹夜してしまうような頭では追いつかないだろうが、ちょっと考えればサーチケの仕組みがそれほど単純ではないし直ぐに変えられるものではないことは理解できないのだろう。
ただ、サーチケの仕組みを簡単には変えられないのと同じくらい、徹夜規制もそうそうにはできないので、どうしても徹夜が生きがいだというMヲタは安心して野宿を続ければいい。但し、迷惑はかけるな。
///そういえば
2日目の要救護者数も偶然にも2000人オーバーだったそうですね。まさか全員徹夜組とは言いませんが、まあ、奇遇な数字ですよね。
(13.7.11追記) うわああああ気持ちわりーブクマいっぱいついてるううううー。
伊藤計劃の幻視したヴィジョンをJ・G・バラードの手法で描く、というが読後に感じたのはバラード的なものを読んだというよりは、90年代に読んだいくつかのサイバーパンク小説に通徹していた一種の非情や無常をはらんだ物語たちのことであった。バラードのテクノロジー3部作や『ウォー・フィーバー』に近いものがあることも確かだがそれらと比較するのは野暮であろう。これは21世紀に生きる我々の問題を扱った「今」を生きる小説なのだから。
政情不安、内戦、グローバリズムの暗部、といった人類の憂鬱な現在と未来。そこで生きる人々の日常とともに、「未来ガジェット」をも魅力的に描き出す。現代日本SFにとって亡霊のような存在になってしまっている伊藤計劃が、代表作『虐殺器官』で実現したこのスタイルを、宮内悠介はこの『ヨハネスブルグの天使たち』で踏襲しています。
テロが頻発し、持つ者と持たざる者が極端に現れつつある現代社会の延長線上に待つものは何か?それを問うているのが本書である。(略)どのような宗教、民族、イデオロギーといった価値観は対立するものと表裏一体であることを、強く意識させられる。
「今を生きるための小説」「グローバリズムの暗部」「イデオロギーの対立」「民族紛争」「考えさせられた」…。
SF小説それ自体が社会を語るものであることは否定しないけど、
「とにかく作品を通じて社会を語らなければならない」という強迫観念が、同調意識として
ここ最近増しに増してるのはなんなんだよ。あー気持ち悪い気持ち悪い。
伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』といった大天才の大傑作があって、以後立て続けに批評家・レビュワーによる伊藤作品を踏まえた社会評が発表されて、
あーやべーSFスゲーじゃんめっちゃ社会語れんじゃん、俺が社会語れんじゃん!といった風潮ができて。
虐殺の文庫版が10万部を超えるベストセラーになり、SF野郎のみならず意識高い学生たちもここぞとばかりに殺到し、ぼくのわたしの社会評を発表する最高にダルい場所ができあがった。あー気持ち悪い。
しかしその死後気鋭の作家がポンポン表れるはずもなくて、ラノベ作家による駄作JA・Jコレの連発にガッカリしながらも
いかに救いようのないゴミを褒めちぎるかとか、イヤミスブームに乗っかったどうしようもない駄作でコミュニケーションを図ったりといったあたらしい遊びで時間を潰したり新時代を体現する新人作家を探していたのは読者も恐らく出版社も同じこと。
そこにようやく以後を書けそうな作家が現れた。それが「盤上の夜」で創元SF短編賞山田正紀賞を受賞した宮内悠介。
小説の腕それ自体は処女作がいきなり直木賞候補にノミネートされたことで折り紙つき。
そんな奴が地域紛争と911をテーマに連作短編集を出したもんだから既存の社会語りたいおじさんはもちろん、伊藤ウェーブに乗り遅れたぼくも社会を語りたいぼくがわたしが殺到して、結果こんなんになるよねーって感じ。
おまけにそのムーブメントを煽るような帯。”伊藤計劃が幻視したヴィジョンをJ・G・バラードの手法で描いた”。
何が言いたいのかさっぱりわからないが社会語りたいマンにはこれが何かの免罪符に見えるんでしょうかね。
やるせない。そういう思いが読後、胸の中を占め尽くす。登場する高層建築物と言語、宗教の問題はバベルの塔を彷彿とさせて。間違いなく、9.11後、世界の在り様は変わってしまったのだろう。作中で言うところの分岐点だったのかもしれない。DX9はそのままLARsの運用問題を問うているように思える。DXに人格をコピーすることは果たしてその一つの解になり得るのか・・・考えさせられる良作だった
こういう輩は「意識させられました」「考えさせられました」をいくら繰り返したところでなんの意味もないことを社会科見学で学ばなかったんだろうか。
んなもん「あなたの恋人が突然死んでしまったら、どうしますか?」系クソ映画の感想にでも垂れ流しとけばいい。
お前は著者が丁寧に羅列してる参考文献の一冊にでも手を伸ばしたのか?
せめてタイトルで検索をかけるくらいのことはしてるんだろうな?
最後に賢そうなことを言おうとして一番アホっぽく見える、最大公約数な感想を引用して終わる。あーイラつく全員死ね。
まず舞台がねー、ヨハネスブルグ、ニューヨーク、ジャララバード(アフガニスタンの都市)、ハドラマウト(南アラビアの一地域)、それから西東京とバリエーションに飛んでいるがそのいずれもがアフリカやら中東あたりのなんかとっても危なそうな地域と絡んでいる(すげー知能の感じられない把握の仕方だが)まずこの舞台設定が珍しいよね。
これは凄い。『ヨハネスブルグの天使たち (Jコレクション) http://d.hatena.ne.jp/huyukiitoichi/20130525/1369463211
追記。
補足で言いたいことはだいたいブクマで書いてもらってると思うんで、
ところで他人の感想をこき下ろした本人は”ヨハネスブルグの天使たち”を読んでるのかね?そしてなぜ自分の感想を書いて勝負しないの?作者である宮内先生にではなく、近親憎悪的に他の読者に当り散らすのはなぜ?つまり一番語りたがってるのは自分なのに、口に出すのが怖いの?やり返されるから?
青の零号 @BitingAngle https://twitter.com/BitingAngle/status/354620359674298368
A2.えっ…感想で勝負?wwwwしょwwwか、かか、かんそうで、しょ、しょうぶ?
感想ってあの?か、かんそうでww??しょうぶwwwwか、感想でしょwwww勝負www
ブハーッwwwwプッ…クハッ…ゲェェェェーッwwwww
褒めちぎり野郎が互いのレビューを舐め合うためのセルフプロデュース会場での相互オナニーの作法なんざ知るか。
小説はてめえの装身具でも承認欲を満たすためのツールでもねえんだよ。本から出てけ。
A3.俺が気持ち悪いと思っているのは作者でも作品でもなく読者だからです。
ブクマで「SF小説はそもそも社会を語るものだから~」とかいってるバカ共もそれくらい読み取ってください。
「お前は本当に気持ち悪い」という文章から「SFは昔からそうなんだ」とか「お前はどうなんだ」を導きだして「感想で勝負しろ!!!」とか抜かしちゃう人すごいなー。ボーグバトルじゃねえんだぞ。
あー気持ち悪い。
チェックシャツ、もう少し詳しく言えばワーク系のネル生地を用いたチェック柄のシャツは、ヲタ、キモメン、ブサメン、田舎モンなどなど、とにかくそういう冴えない系の男の定番と見なされている。
これがどうにも納得行かない。
勿論、髪型などがきちんと整っているのは前提で、その上で体にぴったり合っていて、自分に似合う色柄じゃないとダサいのは間違いないけど、そんなん他のシャツや他のアイテムでも同じじゃね?と思う。
あと、チェックシャツはワーク系なので、他のアイテムもワーク系にするのは「本物」臭が漂ってしまうのでヤバい。
例えばカバーオール、ペインターパンツ、ワークブーツなどと合わせてしまうと「○○工の朝は早い」というナレーションとともに再生されるみたいな。
しかしこれもまた他の系統のアイテム(バイカーとかミリタリーとか)でも言えることなわけで。
それなのにチェックシャツだけが不当に低く見られるのは何故なんだろう。
とにかく男視点だと、チェックシャツは私服における「気取らない、ラフなスタイル」として最適なのだ。
さほど流行り廃りもないし、傷みにくいし汚れにくいし、手入れも楽だし。
それに色柄をアクセントとして考えた場合、取り入れるならトップスの方が簡単なのは言うまでもない。
チェックのパンツなんて、老いも若きも着ているのが当たり前くらいに流行る時代が来ない限り、着るのは危険ですらある。
もちろん「気取らない」のが常に良い訳じゃなくて、デートや合コン()など、それなりにキメるときは無地のオックスフォードのボタンダウンにカーディガンとか、柄物であってもギンガムチェックとか、ストライプを選んだほうがいいとは思う。
でも逆に男同士つるむとか、男女など関係ない趣味の集まりのようなときは、ギンガムチェックやストライプ、ましてやカーデなんて「何アピールしてんだよ」感が半端無いので着るのが躊躇われるのだ。
なによりそこら辺のアイテムは傷みやすいし手入れも面倒だから、常時着るには数揃えないといけないけど、週5でスーツなのにそこまでは・・・という感じ。
そうした事情が、特に女性には伝わりにくいということだろうか。
まあそれでも、ここ数年のアメカジ志向もあって、だいぶチェックシャツは復権してきた気はしている。
ゼロ年代なんて今よりも更に風当たりが厳しくて、チェックシャツなど見向きもされなかった。
あの頃に比べたら今はマシになってきた方だけど、それでも偏見は根強く残っているというか。
田舎から都会に変われば「心が豊かになる」と考えることがそもそも上京志向強い学生のテンプレ的発想っぽい。そしてそれは過去の自分だけれども。
学校でもサークルでも人間関係うまくいかなかったさんを取り巻く環境、田舎でも都会でもほとんど変化ないよ。
心の豊かさに繋がる楽しみを、ぼっちが享受できるとでも?
モノと機会自体は都会の方が圧倒的に多いでしょうね。
でも、それを楽しむためには大抵金がかかる。楽しみを享受する為の金だけならまだ良い。
食費、居住費・・交通費除けばほとんどの項目が田舎だと信じられない感覚の額。気がつけばどんどん金が飛んでいく。
懐事情の余裕のなさは精神状態の余裕のなさに直結します、孤独だと余計に。
そして圧倒的な人の数。人が多い分、都会の方が孤独感を強く感じる人が多いんじゃないかな。
都会に来てビビったこと、それはあんなやつにもこんなやつにも「とりあえず」恋人がいること。田舎だと一人で来て問題ないような場所にも、大抵恋人や友達と一緒にやってくる。
なぜなら都会だと全体の人が多い分、孤独をより強く感じるから。孤独感を紛らわす為の恋人なら「とりあえず」で充分ですよね。
都会大学の学食だと「ぼっち飯」に纏わるエトセトラがよくクローズアップされる一方、田舎大学と問題認識に差を感じるのもこの孤独感が背景にあったりして。
このGW最終日の憂鬱な時間を何とか払拭したい、そんな気持ちで書いていこうと思う。
付き合ってだいぶ長い彼女がいる。
プロポーズもしていて、結婚に向けて順調に進むかと思っていた。
式場探しや一緒に住む家探しもした。
だけどそこから進まなかった。
連絡をとる回数も減って行った。
最初は、彼女の仕事が忙しいのと、長い間付き合っていたのもあって、
そういうものかな?と思っていた。
だけど、どうやら違っていたようで、他の男と浮気していたことが発覚した。
自分も混乱していて正確には覚えていないが、彼女の気持ちは以下のような反応だった。
「浮気したのは申し訳ない。」
「長く付き合いすぎて恋愛感情が薄れ家族みたいな存在になった。」
「今結婚してもうまくいかない。気持ちを確かめるために距離を置く」
そんなこんなで距離を置いている。
向こうは浮気していた相手ときっと連絡を取って色々しているのだろう。
・1つ目
大好きな気持ちは変わらない。これまでこんなに長く続く人なんていなかった。
浮気のことは忘れて、今いる浮気相手と完全に別れてもう1回続ける。
・2つ目
婚約したのに浮気するという相手の神経が考えられない、裏切られた。
仮に結婚したとしてもこういったことがまた起きるかもしれない。
好きだけどもう信用することができない、別れる。
まだ時間が経っていなくて、うまく気持ちが整理できていない。
不思議なものでプロポーズまでしている状態で浮気されたのに大好きな気持ちは変わらない。
でも距離を置いている状態から復縁になったとして今までのように続けられるだろうか。
GW最後の日を自宅でエンジョイしているはてなの皆さん、ごきげんよう。毎年恒例、5月の憂鬱の時間ですよ。
付き合って長くなる相手がいる。付き合う前に私は結婚をしない主義だと明確に伝えている。
すごくざっくり言うと「そろそろ胎を括って俺との結婚を考えたらどうだ」みたいな事を言われた。
私が当初伝えた結婚への考え方の事を綺麗さっぱり忘れているわけではないだろうが、「付き合いも長くなってきてお互いの事もすっかりわかっているし、最初に言ってたような強情な結婚観は解けてきて、もう今更女で一生独り身なんて非現実的な事は考えは捨てて、無難な落とし所ってものを分かってきている頃だ」などと都合よく思っているのだろう。
今の私達は、互いに仕事を持って住居をおのおの確保して非効率(何がとは言ってなかったけど多分、経済的な意味で)だ、
一緒になれば、いろんな事(何をとは言っていなかったけど多分、私が懸念している私の親の老後とか)を解決できるに違いない、
といわれた。
だが、私には結婚にそんな希望を見出せない。結婚に明るいイメージを持てない。
結婚をすれば、避妊具無しの性行為を受け入れるよう暗黙の内に強いられるだろう。拒否して相手の機嫌が悪くなれば、私の生活の拠点がストレスの源になる。嫌だ。殴られるかもしれない。嫌だ。離縁を申し渡されるかもしれない、戸籍に傷がつく。嫌だ。
かと言って、子供を持つのは嫌だ。妊娠しませんようにと祈りながら避妊具無しの相手を受け入れるなど、愚の骨頂ではないか。私に避妊具無しの相手を受け入れるという選択肢は無い。
子供を持てば、子育て自体が経済的にも肉体的にも大変な負担なので、衰えた親に手を貸すことが益々難しくなる。私は、自分の両親に安らかに老後を生きて死んでほしい。子供なんて要らない。あんな煩くて、大飯ぐらいで、不潔で、自己主張が強くて、躾のなっていない犬みたいな生き物。その上人権なんか持ってて扱いづらい。犬よりタチが悪い。自分の子供時代を思い出して冷静に分析しても、やっぱり躾のなってない犬同然だった。
結婚をして、万が一子供を作らずにすんだとしても、私の背負っているものを相手が半分背負ってくれるというイメージをまったく持てない。
結婚してしまったら、私が自分の親に心を砕けば、「君には君の人生があるのだから」「君は君の、この家の生活をまずちゃんとすべきだ、君には兄弟がいるんだし、君一人がご両親の事を背負わなくていいんだ」とか何か綺麗ごとを言いながら親を助けることを制限されてしまう気がする。そして結婚相手のいう「君のすべきこと」とは、食事の上げ下げや洗濯をしながら収入を家に入れて、義理の親の機嫌をとったり援助をしたりすることなのだ。
業を煮やした私がある日「私とあなたの親はお義父さんとお義母さんだけじゃないのよ。私には自分の生みの両親も大事なの」と言えば、「まあまあ、そう言わないでさ、今日は付き合ってよ。親父とお袋も寂しいんだって。君の両親にもいつでも電話してあげれば良いし、今度お土産もってゆっくり会いに行こうじゃない。車出してさ」となだめすかすのだ。
義理の両親は私達にニコニコ顔で食事をご馳走するが、私の中では「外食なんかする金なんかあるんなら、後生大事に貯金しておいてよね。将来介護つきの老人ホームに入る金くらい自分で何とかしてくれよ。お前ら、持ち家あって、嫁は専業主婦で、子供は一人だけで、世帯主はまだ現役サラリーマン。家計に余裕あるんだろうが」という本音が渦巻く。自分の2本の腕で、義理の親の下の世話と生みの親の下の世話、どちらかしか出来ないとなればどちらを選びたいかなんて決まっている。いらん娯楽に金費やすなボケが。
私は「私の親のこと、家族の心配事の負担を軽くするためにに力を貸してくれるんじゃなかったの? 新車なんかどうでもいい!そのお金があれば、少しでも私の親の先行きの不安を取って上げられるのに!!」と心の中で叫びながら食後の後片付けをしたりするのだ。
私は今、年金だけでは家を守れないから衰えた体に鞭打って働く父と、まだいくらか体力に余裕はあるもののフルタイムで働いてもすずめの涙ほどの収入しか得られない母親の家計を遠方から歯がゆい気持ちで見守っている。
母は私が一緒に暮らすのも選択肢の一つだと提案するとほっとした顔を見せるが、父はお前にはお前の将来があるからお前の将来に迷惑をかけられないと言って私の提案を固辞する。
私は、親が逝くのを最後まで見守りたい。そしてその後は出来れば介護や他人の経済的な支援が必要になる前に自分は都合よく居なくなってしまえたらいいなと思っている。親が死んだあとは、もう誰からも必要とされたくない。でないと、まだ生きないといけないから。