例えば「うつ病」というのが言われているが、鬱が「病」になるのは、自分自身でもどうにもできないからだ。単に憂鬱なだけで、その憂鬱さがあっても構わないのであれば、「病」とは言わない。つまり、逆説的ではあるが、自分自身の感情をコントロールしようとし、そしてそれがうまくいかない(大概はうまくいくはずがないんだが)からこそ、「うつ病」になる。
自分の心身が異常な常況におかれているのに、その事態をなんともしないから、例えば「うつ病」になる。置かれている環境と自分の状態を無視して無理するから、なる。
だが、それでは「なぜ無理してしまうのか」という点にアプローチしないと解決しないと思う。
ひとつは、自己洞察をする余裕がない世の中だから、ということだろう。周囲の状況がめまぐるしく変わるし、周囲の人間の数が多すぎるし、仕事でも娯楽でもなんでも急がされる。刺激が大量にあふれている。例えば携帯端末に急かされる。いつでも連絡がつけられる。ニュースはあふれている。スキマ時間をすべて埋めようとする。
またひとつは、無理を強いられる職場、社会だからなのだろう。コストを下げて廉価に売ろうとすると、典型的には、人件費を削る。雇う人数を減らしたほうがコストが下がるから、ひとりの人間に対して過剰な労働量が課され、長時間労働や過密労働が起こる(長時間でなく短時間でこなせる有能な人間は過密労働になり、やはり過労になるよん)。雇う人数が多いと、例えば社会保険料も高くつくからね、厚生年金保険料の半分は雇用主負担だからね。研修費やデスクのある場所の不動産代(笑)だけではないです、むしろ社会保険料や福利厚生費は高いっすよ。ともかくそうして過剰労働を強いられる。過剰労働をこなすか、雇われないか、という二者択一になる(そういう二分論の選択肢しか用意のできないバカな社会。言い換えれば、全社会的なワークシェアリングがない)。必死にやりつづけて際限なく過剰労働をして無理をした結果、自分自身が破綻してしまう。
もちろん、そうした異常な職場では、労働者の多くが精神的に病んでいるので、捌け口を求めます、掃き溜めを求めます。ときにイジメが起こります。ときに職場外のプライベートで「モンスター」化します。ときに某巨大掲示板や某日記(笑)で誹謗中傷を撒きます。
良かったね~ニートには会社は関係ないもんね~
anond:20140118172915 さらに、患者を追い詰める「こうして、自分自身のことも面倒見られないひとたちの社会です」で台無しです。 「自分で自分のことを決められない社会です」ならまだね...