2014-01-18

自分自身のことも自分でわからない人たちの社会

例えば「うつ病」というのが言われているが、鬱が「病」になるのは、自分自身でもどうにもできないからだ。単に憂鬱なだけで、その憂鬱さがあっても構わないのであれば、「病」とは言わない。つまり、逆説的ではあるが、自分自身の感情コントロールしようとし、そしてそれがうまくいかない(大概はうまくいくはずがないんだが)からこそ、「うつ病」になる。

自分の心身が異常な常況におかれているのに、その事態をなんともしないから、例えば「うつ病」になる。置かれている環境自分の状態を無視して無理するから、なる。

だが、それでは「なぜ無理してしまうのか」という点にアプローチしないと解決しないと思う。

ひとつは、自己洞察をする余裕がない世の中だから、ということだろう。周囲の状況がめまぐるしく変わるし、周囲の人間の数が多すぎるし、仕事でも娯楽でもなんでも急がされる。刺激が大量にあふれている。例えば携帯端末に急かされる。いつでも連絡がつけられる。ニュースはあふれている。スキマ時間をすべて埋めようとする。

またひとつは、無理を強いられる職場社会からなのだろう。コストを下げて廉価に売ろうとすると、典型的には、人件費を削る。雇う人数を減らしたほうがコストが下がるから、ひとりの人間に対して過剰な労働量が課され、長時間労働や過密労働が起こる(長時間でなく短時間でこなせる有能な人間は過密労働になり、やはり過労になるよん)。雇う人数が多いと、例えば社会保険料も高くつくからね、厚生年金保険料の半分は雇用負担からね。研修費やデスクのある場所不動産(笑)だけではないです、むしろ社会保険料福利厚生費は高いっすよ。ともかくそうして過剰労働を強いられる。過剰労働をこなすか、雇われないか、という二者択一になる(そういう二分論の選択肢しか用意のできないバカな社会。言い換えれば、全社会的ワークシェアリングがない)。必死にやりつづけて際限なく過剰労働をして無理をした結果、自分自身が破綻してしまう。

もちろん、そうした異常な職場では、労働者の多くが精神的に病んでいるので、捌け口を求めます、掃き溜めを求めますときイジメが起こりますとき職場外のプライベートで「モンスター」化します。とき某巨大掲示板や某日記(笑)誹謗中傷を撒きます

こうして、自分自身のことも面倒見られないひとたちの社会です。

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