はてなキーワード: の憂鬱とは
男女共同参画の考えと難しさを頭の隅に入れておいてほしい。
そういう話題があれば、少しでもいいから立ち止まって考えてみてほしい。
そして、愛する女性たちを大切にし、労ってほしい。
最近、大学で、理系分野で活躍する女性の育成に力が入れられていることを感じる機会が多い。
国が理系分野の女性社会進出にも力を入れているからだろう。ロールモデルの話もよく聞く。
ただ、講演会に行って思うのは、こういう後押しは決して、ウーマン・リブ的な思想に基づいているのではない、ということである。
大抵は「輝く女性」といった謳い文句が掲げられている。しかし、人口減少で労働力が足りなくなるので、どうにか女性を社会に進出させたい、というのが透いて見える。
そのためか、講演会に行って、しっくり来た試しがない。
先輩方の話を聞くと、いつもあるイメージが浮かぶ。
男性が女性におんぶだっこを求めて、女性がそれを広い心で受け止めている、というものである。
広い心という表現は少し違うかもしれない。要求されることに対して、腹をくくっている、だろうか。
自分の選択に責任を持つのではなくて、勝手にやってくるものすべてに責任を持つ、というイメージ。
ある種のタイプの女性が男性社会に入っていくというより、環境がそういう性格にさせるのである。
子供を産み育て、かつ、勉強、仕事も続けるというのは、非常に大変だと思う。
毎月の憂鬱な生理を抱え、男性と同等もしくはそれ以上を求められる。下手をすると足を引っ張られる。
子供を生むと社会復帰は、現実、容易でない。子供に問題がおこれば母親が矢面に立たされる。
育児休暇等の制度も整いつつあるのかもしれないが、全く追い付いていないと感じる。
労働力不足解消が背景にあるため、突貫工事的な側面があるのは仕方ないとは思う。
しかし、どこまで女性に求めれば気が済むのか、と思ってしまう。
専業主婦という選択肢を持つ人はどのみち減り、本人の意思意向に関わらず働く女性の割合は増える。
法制度は後からしか着いてこないだろうし、政治だけではコントロールできない問題だと思う。
ただ、今後確実に、働き方生き方の問題に直面する女性が増えると思う。
だから、である。自分の愛する人がいるなら、その人のことを大切にして、各々のやり方で労ってあげてほしい。
男性と同等を求められることの酷を少しでも知っていてほしいし、男女共同参画について頭の隅に置いて生活をしてくれたら嬉しい。
こういう話題が出たら、少し立ち止まって考えてみてほしい。
頭の隅にあるのとないのとでは大きく違ってくると思う。
まだ社会人経験もないくせに、ずいぶん生意気な文書になってしまった。
間違ったことも書いているかもしれない。投稿するか逡巡したが、少しでも多様な風通しの良い社会になってほしいので投稿することにした。
今日は初雪かな?空から白いものがチラチラして曇天の憂鬱も一瞬で歓喜に変わったよ!
正しいウォーキングをしないと、むしろ身体のバランスが崩れてしまうおそれがあるよ。
ダイエットに効果的と言われるながら運動は、体幹リセットがあってはじめて効果が出るんだ。
正しいウォーキングの話をする前に、どうして通勤ウォーキングが良くないかの理由を書くよ。
大きく分けると、汗に対する抵抗感、服装、荷物が、ウォーキングをすることに対する効果を打ち消してしまっているよ。
まずは汗に対する抵抗感。
そのまま出勤するということは、汗だくにはなりたくないよね。
一部の筋肉ばかりに負担がかかって、なかなか脂肪の燃焼にはつながらないんだ。
つぎに服装。
ウォーキングで大切なことは、無駄なく最大限身体を動かすことなんだ。
スーツはもちろんのこと普段着でさえ色々な抵抗が強すぎる。
ウォーキングをするにはやっぱり軽くて熱効率のいいトレーニングウェアか、最低でもジャージが必要だよ。
そして最後に荷物。
ウォーキングでダイエットに必要な体幹を正しく鍛えるためには、この荷物とういのがやっかいなんだ。
低負荷長時間の運動をするということは、つまり何百・何千という小さな運動の繰り返しだ。
つまりアンバランスな状態でウォーキングをするということは、それだけ影響が蓄積されてしまう状態といえるんだ。
持ち手を持ち替えてうんぬんなんて、気休め程度にしかならないよ!
それでもしないよりましって思うかもしれない。
もし本当に効果を期待するという点で考えると、この「しないよりまし」は本当に危ない言葉なんだ。
そういうときはこうやって置き換えよう。
「効果の無いことをダラダラ続けるより、効果のあることをびしっとする」
本当は勧めたくないよ。
でもちょっとでも効果を期待したいというなら、一つだけ大切なことを書くよ。
運動前にしっかりとストレッチをして、身体の可動域をできるかぎり広げておこう。
そしして運動が終わった後にもしっかりとストレッチをして、アンバランスにかかってしまった負荷を少しでも開放させてあげよう。
そうすることで、ウォーキング自体には効果が期待できないけど、その後の生活習慣における基礎代謝に期待がもてるようになるよ。
それぞれ最低5分。本当は10分くらいかけてしっかりとストレッチするのがオススメ。
もし負荷が均等にかからないウォーキングを続けているなら、それはむしろ身体に悪影響のほうが大きいよ。
それに、これを運動していると勘違いしてしまうと、余計なカロリー摂取を許してしまうよ。
続けていても体重が増えるということは、つまりそういうことだと思うよ!
半年くらい遠回りして40分近い通勤ウォーキングを続けたことがあったけど、その間はむしろ体重が増えたよ。
つまり、その理由を僕なりに分析したのが今まで書いた内容だよ。
全員には当てはまらないと思うけど、参考にして考えなおしてみてね。
燃焼に必要な物は、単純に考えて酸素だよ。中学生でも知っているよね!
だからしっかりと深く呼吸をすること。
これこそがウォーキングがランニングよりもダイエットに効果があるという理由だよ。
ちょっと眉唾っぽい話になるから流し読みしてもらって構わないけど、呼吸を深くする僕なりのコツを書くよ。
まずは口を閉じて鼻から息を一杯まで吸うよ。
そしたら今度は口笛見たく口を細くして息を口だけで吐ききるんだ。
これを繰り返すと呼吸が深くなるんだ。
酸素を沢山取り込む=身体の燃焼が促進されるってことだね。
さらに正しい呼吸を身につけるということは、日常生活にも数多くの恩恵があるよ。
大切なのは腕のふりだよ。
一回の腕のふりが消費してくれるカロリーなんて本当に微々たるものだよ。
でもそれを30分続けるとしたらどうだろう。
それが1年続いたらどうだろう。
そうして作られたインナーマッスルが身体にもたらす変化は計り知れないよ!
日頃の基礎代謝はもちろん、身体が欲するエネルギーに違いがでるよ。
この文章を書くにあたって、効果が期待できる人は運動不足の人だと仮定しているよ。
なぜなら、運動をしっかりとしている人は太らないからこうした情報は必要ないからね。
逆に、太っている人のほとんどはやっぱり運動不足が原因といえるんだ。
なにも消費カロリーの話をしたいわけじゃない。
運動不足がもたらす最大の問題は、体幹のバランスが崩れていくことなんだ。
その結果行動範囲は狭まり、もてあました時間は欲求の消費ばかりに費やされてしまうことになる。
その欲求の一つが食欲だったらどうしよう。
手元にはおいしいジュースとお菓子が常にあり、頭のなかは食べることでいっぱいだ!
まさに恐怖!
スポーツ選手がけがで引退した後に激太りしてる姿なんていやってほど見たはずだよ!
ところが何かしらの行動をしている時って言うのは不思議と欲求が浮かび上がらないことが多いよね。
つまり、脳はほうって置くと欲を育てるんだ。
そうさせないためには、行動の制限から抜け出す力をつける必要があるってことだよね!
正しいウォーキングはそんな自分に翼を授けてくれるってことだね!
これも一つ、なりたい自分になるための環境を整えるってことと一緒なんだ!
Twitterが140文字制限を撤廃するという話が広まっている。Twitterに1万字も投稿できるようになると、タイムラインの魅力は減じるのは免れないであろう。140文字に制限されているからこその創造性が失われる。一方で、Twitterに長文を投稿したいというユーザが現在不便を感じているのも間違いないだろう。
サービス提供者の理念の元、あえて何かをさせない/何かを強制することにより、サービスに特有の文化が生まれる、というのは当然あることだろう。問題はそのサービスが広まってしまい、人がいることこそが価値になったとき、元の理念とは相容れない利用法をしたくなる人が現れるということだ。
ユーザからすれば「人がたくさんいる」から使い始めるし、運営会社からすれば「人がたくさんいる」ことを強みにして、弱小のときとは異なる戦略がとれるようになる。そのとき、元の理念を強固に維持してユーザに不便を強いるか、あらゆるユーザの用途に合うようにして中心がぼやけたサービスにするか、難しい話だ。
この前pixivでイラストにコメントしてほしくないという人がいたが、それも似たような話であろう。「イラストによるコミュニケーションのサイト」という、ある種偏った理念を持っているpixivが「イラスト投稿サイト」としてのデファクトスタンダードになってしまったがための悲しみがある。
受験に両親の不仲、友達との不協和が私のちっぽけな肩にのしかかる
伊勢神宮にでも旅に出て半年くらい姿を消したら神隠しとかミヤネヤで取り上げられるのかな
ま、すぐに見つかっちゃうだろうけど
今年の抱負はこれ以上悪くならないこと
私自身はいたって普通なのに周りが混沌としすぎて渦に巻き込まれてる
なんとか脱出したいけど私の力じゃ無理
斜め向かいの家の兄弟みたいに世を捨てて生きられたらなんて思うけど、それはそれで辛そう
次男は似合わないグラサン、この前ジロジロ見られて気持ち悪かった
三男は神経質で近づけない
四男は陰気でそれこそ犯罪でミヤネヤだ
六男はひ弱で男らしくない
だけど、こんなおそまつな私が遊びに誘ったら気持ちよく歓迎してくれそう
そしたら笑ってこう言おう
「シェーーーーー!!!!!!!!」
手順は全て書き出してから作業にあたっているというのに、予期していなかった事態やミスが無くならない。
ミスの生じるところは「ここまでだったら大丈夫」というような境界が明確でなく、作業者の勘に依存するするところが大きい箇所であることが多い。そして自分にはその勘が備わっていないことはこれまで何度も思い知らされてきた。本当にただ「気をつける」くらいしか解決策が無いのが辛い。気をつける対象は明確に決まっているわけではない。そして失敗による工程の遅れを取り戻すために更に急いだ結果、これまでだったら問題なく進めていたところまで失敗するようになってしまった。
また、意図的かどうかに関わらず横槍が入ることもいつもの事のようになってしまっている。
昔からそういう体質なのか、所属する組織における面倒事の解決に当たらざるを得なくなることが多かった。その度に問題に対して真っ向から勝負を挑み、精神をすり減らしてきた。
それらを解決したからといって特別なスキルが身についたわけではない。日々の生活や立場を維持するために、多大な労力を支払ってきただけだ。他のことでもそうだが、そうすることでしか道は拓けないという脅迫観念が染み付いてしまっているのだ。やれるかやれないかではなく、やれたかやれなかったか。やれなかったらそこでおしまいという焦燥感が頭から離れない。それでもここまで何とかしてきた自分に自信を持つべきなのだろうが、次も何とかできるとは限らないという思いが心を支配している。
失敗や面倒事に巻き込まれる度に襲ってくる焦り、悲しみ、絶望感といった余計な感情を自己暗示と薬で何とか抑えこみ、心を鎮めて目の前の仕事に集中する。そんな毎日を繰り返している。いつも期限に追われており、仕事を追うということが出来ていない。
気がつけば日付が変わってから帰宅するのが当たり前になってしまった。
それでも、諦めたくない。諦められない。諦めたら今よりも更に辛く、苦しく、惨めな生活が待っているから。
諦めたくない。諦められない。
早く楽になりたい。
この憂鬱な気分を少しでも吐き出したいと考えてここに書き込んだ。
後になってからこれを見て「そういやこんな時期もあったなぁ」と思える日が来ることを祈る。
多少他のクイズゲームをやったことがあれば、全問正解したのにレア度の高いカードがないせいで負けたり、
色の引きが悪いせいで詰むといった現象には違和感を禁じ得ないのではないかと思う。
かくいう私も、昔QMAをやっていただけに、黒猫のリリース当初はずいぶん期待したものだが、
自分の好きなジャンルでガチャゲーをやるというのには耐えられず、あっさりやめてしまった。
ちなみに、流行っているとは言えないが、DMMのクイズオブワルキューレもそんな感じである。
QMAの迷走と衰退、アンアンの稼働終了と、この界隈に良いニュースはあまりない。
ガチャゲーばかり流行っている時点で、このジャンルは明らかに衰退している。
そして自分のようなプレイヤーが少数派であることも理解している。
美少女のガワがなくても、まともにコストを払って楽しく遊ぼうというプレイヤーが多数派なら、
こんなことにはならなかったのだ。
全ての本を電子化して、電子データを国立電子図書館で管理して、ネット経由で貸し出せばいい。
データ形式はpdf。DRMはかけない。(図書館で借りた本をコピーできないなんて事は無いわけだし)
未返却のまま除籍される図書館の本は全国でものすごい量に登る。そんな未返却問題が一斉に解決する。
図書館員の憂鬱な仕事の一つにその督促業務がある。それも一切無くなる。
また、本が破損したとか、汚れたとか、そういうことが一切起きない。
またそれに伴い、貴重な閉架図書もガンガン貸し出せるし、高額な本も余裕で貸し出しOKとなる。
図書館の大きな役割の一つに、知を広く市民に広めるというものがある。
だが、図書館は基本日中しか開いていない。サラリーマンは土日しか知に触れられない。
多くの図書館は月曜日が定休だ。月曜日は市民は知に触れられない。
人気のある本は何百人も貸出を待っている。待っている間はその本には触れられない。
図書館が遠くにある人は、図書館までわざわざ出向かないと知に触れられない。
運転免許が無かったら? 怪我をしていたら? 悪天候だったら?
そんな問題も一気に解決だ。
そして何より、「借りたいと思っていた本が図書館にない」なんてことがなくなる。
借りたい本が具体的に決まってるなら、他のどこよりも、この国立電子図書館にある確率が高い。
当然、借りたいと思い立ったらすぐに借りられる。
図書館の大きな役割の一つに、文化や知識の保存というものがある。
電子図書館ができれば、全国の図書館で同じ本を買う必要がなくなる。ここでまず購入予算が大幅に浮く。
そして、物理的な空間も一切不要となる。棚も不要。そもそも図書館という建物が不要になる。
全国にある公共図書館は3200以上。これらのほとんどがいらなくなるのだ。司書も大いに減らせる。
(都道府県に一つ中央図書館くらいは残しておくべきだとは思うが)
ただ、これまで日本全国で図書館に使われていた予算のうち相当な部分が浮くことになるのは間違いない。
そのお金で、世界中の本、地方の零細出版社の本、昔の本などをガンガン電子化していこう。
知識の森はどんどん豊かになる。
CDやDVD(やBD)も、一部は図書館にあり、貸し出されている。
だがそんな制約ももう無くなる。全国に一つだけの国立電子図書館で購入すればいいからだ。
これでまた知識の森が豊かになる。
が、これで彼ら彼女らは本来業務のレファレンスサービスだけに特化できるようになる。
Yahoo!知恵袋みたいな形でレファレンス履歴を蓄積していけば、優秀な司書も分かるようになるだろう。
そのうち、利用者がレファレンス履歴を検索すれば望む本にたどり着けることも多くなるはず。
「本来のレファレンス業務がぜんぜんできない」などと嘆いている司書の皆様には、
是非競争原理のなかで切磋琢磨して生き残りを目指していただきたい。
連休初日という事で、一つ映画でも見ようかという事で「心が叫びたがってるんだ」を観てきた。
長文なので、ブログにでも書けばいいんだろうが、私のブログは極めてテーマを限定したもので、書くところがないので、増田に書くことにする。
あらすじを超ザックリ言うと、幼い頃のトラウマで上手く喋る事が出来なくなったオカッパと、空気マン、空気ガール、怪我で夢破れた金属バットが、地域交流会の出し物でミュージカルをやる事になって、その過程でそれぞれの問題と向き合っていく、みたいな話である。
意外とよかったので、皆さんの連休の過ごし方の一つのヒントになればと思い、見所と気になった所を列挙していこうと思う。
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見所1
「描写のエゲツなさ」
基本的には上記あらすじから想像できるような、爽やかな青春群像劇である。
まず、4人の主役の1人であるオカッパ、順のエピソードが物語冒頭で語られるのだが、それが画に登場した瞬間に、「こんなのイヤな予感しかし無いじゃん」という不穏さから、「うわー、これ見たくない見たくない」と見事に展開していくのだ。
序盤でいきなり物語に引いてしまうか、「ん、これは創った人、凄いぞ」となるか決まると思う。
次に、キャラ描写も「うわあ、妙にリアルでやだなあ」と思わされる。
ここでは、重要人物、順の母、泉を挙げよう。
泉は序盤とそれ以降で人の弱さを見せつけるように、結構キャラが変わる。
それが、「まあ、そうなっちゃうのもわかるよ・・・」という感じで、さらに妙な厚みを持たせるのが、彼女の職業だ。
一応、割愛するが、見た瞬間「うわ、有りがち!」膝を叩き、その職業であるだけで、なにか彼女の抱えている事情を説明するオーラのようなものが見える気がするのだ。
これは若い頃、その職業の方とイマイチうまくいかかった私自身の偏見かもしれ無いが。
もう一つあげると、作中で出てくる「怪我をする描写」だ。
ここは画の力が凄い。
見た瞬間に「うわあ、イタタタ」となるし、絵面が容赦なく汚く、怪我一つでその後の憂鬱さまで伝わってくる。
他のレビューで、「変に生々しい」というのを見かけて、その点は同意見なのだか、その方の、「アニメなのに現実に引き戻されて乗れ無い」というのと、私の評価は逆で、ここら辺でグイグイ掴まれてしまった。
見所2
「構成の上手さ」
順と、主役の1人、空気マンである所の坂上が劇中劇のストーリーについて話し合うシーンがあるのだが、終わってから振り返れば、これがまあまあ重要な伏線になっている。
また、後半でこの劇中劇と本筋が同時進行するシーンは、私調べでは最大の見所と言ってもいい。
クライマックスは「それは読めるよ〜」というベタな演出なのだが、「でもそれしか無いよね、待ってた!」という形になるのだ。
それというのもフリが効いているからで、「おっ」と感心させて、その上でクライマックスに期待を持っていかせる構成がうまい。
見所3
「秩父の美しさ」
管理はされてるがちょっと古びた神社や夜中にポツンと浮かび上がるコンビニは妙な実在感がある。
北関東の豊かな自然と貧しい娯楽、少ない溜まり場が、閉じて煮詰まりがちな人間関係をうまく演出していると思う。
見所4
「主人公格の2人の歳なりの幼稚さ」
主人公格4人の中で、オカッパ順と、金属バット田崎は、わりとナイーブに描かれる。
感情的になったり、恥ずかしいシーンが多い田崎は、「まー無理もないかなー」と思わされるくらいには置かれてる状況がちょっと気の毒な感じなのだが、順の方は「おいお前さ」と言いたくなる幼稚さで大問題を引き起こす。
しかし、それがいい。
映画に登場する高校生は「そんなまとまった思考するか?」となりがちで、「大人が考えた高校生」である事が多いように思う。でも、本来、高校生なんて劇中の順くらい自分が整理できて無いもののはずだ。
だから、一瞬「それ無くねえ?」と思わされる順の行動も、「いや、高校生はこれでいい」という風に感じられる。
物語に協力する為に大人な台詞回しや行動を強制されがちな「劇中のティーン」だが、これくらい幼稚な方がリアルだと思う。
見所5
「キャラの小物」
順の小物に注目したい。
そのショートメール機能でコミニュケーションをとるのだが、小さい彼女が一生懸命ポチポチやるので、さらに小ささが強調される。
また、彼女はリュックを背負っているんのだが、これがいい感じのダサさで、彼女の「他人とコミニュケーション出来ない」事をビジュアルでうまく説明しているように思う。
他にも空気マン坂上の高校生にしては小慣れたファッションや、田崎の中途半端なワイルドファッションも、こだわって創ったキャラを感じさせる。
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というわけで、本筋も良いんだが、その周辺も結構楽しめる。
では気になるところを。
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気になる所1
「バケモノの子」ほどでは無い。
この話のテーマの一つは「言葉」なので、勢いセリフが重要なのはわかるのだが、それでも心情に関わる所では、「ここは絵でほのめかして、あとで言葉にしてもいいんじゃ無いかなー」という点は感じられた。
気になる所2
「仁藤のキャラが薄い」
ここまで言及されなかった最後の主人公、空気ガール仁藤だが、彼女のキャラが薄すぎる。
ナイーブな順、田崎と、空気を読む坂上、仁藤が対称をなす中、坂上の空気っぷりに関しては、劇中で説明がなされ、そのことでキャラが立ってくる。
劇中で言及される「彼女特有のいやらしさ」や、仄めかされる「弱さ」について、もう少しエピソードがあれば、俄然魅力的なキャラとして立ち上がってきたと思う。
気になる所3
「クラスメートがみんないいヤツすぎ」
いい意味で幼稚な順や田崎が、物語を混乱させて見せ場を作る中、じゃあクラスメートはどうかというと、これがちょっとブーブー言うだけで、物語の進行に非常に協力的だ。
特に順に対する寛容さ、というか子供の世話でも焼くような態度は、「いや、高校生なんてもっと聞きわけ無いでしょう」と思ってしまう。
気になる所4
「主題歌」
主題歌の内容は映画の話と似ていて、両方とも「言葉によるコミニュケーション」を主題としている。
そこらへんは放送作家出身の、作詞家・秋元康らしいところで、企画ありきで行ったのだろう。
問題は曲のスピードで、テンポが急に早くなるように感じられるのだ。
直前までスタンダードの名曲でミュージカルをやって、それでこの早い四つ打ちの主題歌にはいるので、「え、そんなスピード感ではやってなかったでしょ」と戸惑う。
ユニゾンも綺麗で、まあまあハマってるんだが、そのスピード感だけ、入った時にちょっと違和感があった。
ただ、観客で立つ人はかなり少なかったし、大枠では大多数を不快にするような違和感ではなかったんだろう。人によってはどハマりという評価を下せるくらいの微妙なラインだと思う。
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さて、鑑賞後の気持ちが冷めないうちに見所と気になる所を挙げた。
この作品の売り文句が、「あの花のスタッフが送る青春群像劇」なのだが、私はあの花という作品を「存在している」こと以外知らない。
で、アニメは好きだが、最近のアニメにありがちな萌え声演技が苦手で、俺物語からも脱落してしまったくらいの、アニメライトファンである。
そんな自分からしたら、「思ったより全然いいじゃん」と感じられる作品だった。
果たして、先輩レビュアーが挙げた、「コアなアニメファンには覚めちゃうが、一般のライトファンには受けそう」という評の、肩翼を担う形になった。
さて皆様はどう評価するだろうか。
合コン怖すぎ。なにこの絵に書いたようなモテない男。/まあ、そういう男に好んで会いに行く合コン好きな連中もあれだが / “私に無理やり手を出すと自殺未遂しだすのでやめてください - おゆみパイの憂鬱” http://t.co/kbyLRopvek— 三沢文也@こっちは本気で遊んでるんだ! (@tm2501) 2015, 8月 22
いやさ、俺は前々から言ってるけどさ…。女の子が足切り文化で「キモい子とは関わりません」というスタンスならそこに徹しましょ♪女の子の中でセンサーが壊れている奴がけっこうな割合いて「合コンに行ったら酷いのが」「ヤリサーに参加してて潰れるまで飲まされ」とか聞くと「はぁ…」とさ…。— 三沢文也@こっちは本気で遊んでるんだ! (@tm2501) 2015, 8月 22
いやさ、壊れてる男は壊れてるしずれてるから男から見ても迷惑ですよ。そういう人が暴れたら暴れるほど女の人の足切りラインが上がって、原点法になって、性欲が背徳的価値観になっていくんだからレイパーやそうにしか見えないあれはくたばれよ?ただ、地雷しか行かなそうな会合に行く人はなぁ…。— 三沢文也@こっちは本気で遊んでるんだ! (@tm2501) 2015, 8月 22
kanoseセカンドレイプ。非モテこじらせてるやつって、どういう時でもとりあえず女側の文句をいう。女を叩きたいのでなくて男側を叩くなら語順が逆になる。こいつの本音はいつでも女への恨み。
自分は主にイベント系の映像や、CGなどを受注する会社で働いているのだけれど、最近同業者たちと飲むと、必ずこの話題になる。
全部ではないにしろ一部を必ず受注するだろうね、という会社は共通の認識として数社あって、誘致の際に受注していた3文字の会社や、3人組国民的アイドルグループの裏方を担当している会社、水族館で子供に絵を描かせる会社などなど。
全員で意見が一致しているのが、どの会社のパートも酷いものにしかならないという確信があるということだ。
まず間違いなくその時はやっているテック系の流行、たとえば今で言うドローンやVR、人工知能などを使いながら盛大にマスゲームをやり、まったく無意味なユーザー参加要素が作られるんだろう。
そういった数年で廃れるような流行に食いついては食い散らかし、広告代理店とグルになってクライアントや地方自治体を騙してきた壮大なブーメランが開会式で直撃するんだろうな、という絶望が我々にはある。
(余談だが1,2年前に地元の城にあからさまに手抜きで珍妙な絵をプロジェクションマッピングされたときは怒りで震えた。ああこうして僕らは東京に搾取されるんだ、と。親戚がすごいすごい、と喜んでいることにはもっと絶望した。)
同業者なんだからなんとかしろよ、と叱咤されるかもしれないが駄目なんだ・・・ もうすでに東京の業界内での勢力図から結果は見えているしそのために彼らも必死に赤字覚悟で根回しやロビー活動を行っている。
一生に一度しか経験しないであろう自国のオリンピックが無残な姿を世界に晒そうとしていることに、自分でも驚くくらい憤りや悲しみという感情が沸いてきていて、もしこのまま予想した通りの結末になるようであればまったく異業種に行ったほうが幸せになれるのかな、とも思う。
ここ10年間のWEBの流れを見てきて、主要ブラウザで HTML5/CSS3 の実装が進んで、情報と見栄えの分離が容易になったのは良い兆候だと思う。
とはいえ、実際のWEBサイトの中身がその思想にともなっていないことが多く
という問題が依然残っているのがとても残念に思う。
どうすればこの現状が良くなるか悶々と考えたんだけど、たぶんセマンティックウェブの良さが身を持って実感できるようなプロダクトが世の中に普及すれば良さそう。
例えば、セマンティックウェブの必要性を訴えるためによく視覚障害者のための音声ブラウザが引き合いに出されるけれど、視覚障害者だけでなくて