神聖かまってちゃんの「23歳の夏休み」という曲を今年度通じて聞いていた。
特に今年度の夏休み(といっても実際に取得できたのは10月だったが)では何をするにもその曲を口ずさんでいた。
「23歳に〜なっちまったと〜」の部分は特に自分のお気に入りで、それこそシャワー浴びるときなんかは近所迷惑顧みず大声で歌っていたのだが
もう23歳どころじゃない、24歳なんですね。九十九里浜に叫んでる場合ではない。
きっと来年の25歳になるときにはまさしく「アラサー」であり、今日どころの憂鬱感、切なさではないのだろうけど
いや嘘だ。あのときは楽しくなかった。
終日「今日は自分の誕生日だ」ということを意識しながらも塾講のバイトをこなし
やっと終ったものの特に予定もなく、ファミマでファミチキを買って帰った。
確かあのときは前年の反省を踏まえて、自分で誕生日会を開いた。
星飛雄馬の誕生日会のようになってしまうことも危惧したが、案外自分には人望があったらしくそこそこの人数が集まった。
あれは楽しかった。3日後に震災が起きなければ更に良かったのだが。
地方大だったので、東京に単身赴任してる親父のところに赴き、就活のアドバイスを貰う体で飯をおごってもらった。
確かジョイフルのステーキだったと思う。あのときは就活のことで頭がいっぱいだったが、何故か誕生日だけは意識しながら行動していた。
一緒に旅行した友人から海外サイズのコンドームを貰った記憶がある。多分部屋を探せば未開封のまま出てくるだろう。
何故未開封かというと、使う機会がそもそもないというのもあるし、かなり嬉しかったからだというのもある。
もしかしたら両親以外から誕生日プレゼントを貰う体験が初めてだったからかもしれない。
何かがあった気がするけれど。
働き初めてから一年が早い。メイド・イン・ヘブンのようだ。
体感寿命の折り返しはいつだったか。そろそろ折り返し地点のような気もする。
学生時代の記憶は光り輝いているが、働き始めてからはそもそも記憶がそんなにない。
今日は合コンだった。もちろん合コンの面子には誕生日であることは伝えていない。
そんなことを言っても生暖かい「おめでとう」を言われるだけだ。
いや、嘘です。言いました。そして事実生暖かい「おめでとう」を頂いた。
俺は何がして欲しかったんだろう。
帰りの電車の中で推定40代のオッサンがミスチルの「Tomorrow Never knows」を聞いていた。
少なくとも一定の社会地位を得ている(ように見える)お前より、俺の方がよっぽどTomorrow Never Knowsだよと思った。
我ながら理不尽な思いだが、思ってしまったものはしようがない。
そして来年は25歳だ。
そのおっさん就職活動中なんだよ・・・
http://anond.hatelabo.jp/20150308010447 365日誰かの誕生日であり、お前が誕生日であろうとなかろうと遡って言えばお前がこの世に生を受けようが受けまいが明日は来るし、お前が誕生日を迎えた...