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はてなキーワード: 現実とは

2024-08-13

中高生セックスしちゃいけないじゃなくてさ

中高生セックスしたいのは分かるけど我慢しようって方が健全なんじゃないか

どう考えても普通中高生相手でもセックスしたいだろ

今は18で成人だけど、17歳なんて子供全然性欲の対象になりませんなんてことあり得ないわけじゃん

ちゃん現実を捉えて対策しないと、意味ないと思うんだよね

大抵の場合男は未成年であっても性欲の対象になる

未成年は男の性欲を利用して接触してくるけどそこは我慢しなきゃいけない

これを前提にして具体的な対策方法を考えていかなきゃいけないんだよな

じゃないと何度も同じこと起きるよ

anond:20240813112735

ワード規制無意味さは、例えば、「アザラシ」を規制したところで、日本人はそれを「茶柱」と言い換えてくるからだよね。

連想ゲームが始まると、無限規制すべき言葉が増えてしまう。

からワード規制なんかやる意味がない。

総合的に判断して規制し、理由説明しないのが現実解となる。

理由説明すれば、それを回避しようとしてくるのは、欧米でもいくらでもあることだからね。

フェミ「この絵は性的搾取!」ぼく「絵じゃん」

フェミ「絵でも同じ人間だ!それにこれを見て影響されて性犯罪を犯したらどうする!」

フェミフィクション現実区別付かない子供だった

20代前半で人生はほぼ終わり

24歳。人生ほとんどが終わったような気がする。決して大げさな表現ではなく、20代前半にして、もう先が見えない。

振り返れば、学生時代希望があった。いや、希望があると思い込んでいた。中学生の頃は「高校に入ればきっと変わる」と信じていた。高校生になれば、新しい環境自分を変えられると。そんな淡い期待が、クソみたいな毎日を少しは明るくしてくれていた。「今は辛いけど、これは通過点だ」と自分に言い聞かせることができた。

大学に入っても、その思考パターンは変わらなかった。「就職すれば、本当の人生が始まる」そう信じていた。しかし、現実残酷だった。

就職してみると、その先に何も見えない。ただ死ぬまで、この地獄のような日々を過ごすだけなのだろうか。朝起きて、会社に行き、帰ってくる。そして寝る。この繰り返しに、どんな意味があるというのだろう。毎日灰色で、週末さえも喜びをもたらさない。

そして、さらに虚しさを深めるのは、人間関係空虚さだ。誰かに好きになられたことも、自分が誰かを好きになったこともない。恋人なんて、夢のまた夢だ。周りの人間が次々とパートナーを見つけ、幸せそうにしているのを見ると、自分孤独さがより一層際立つ。まるで異世界出来事のように感じる。自分には無縁の、遠い世界の話だ。

必死に何か楽しみを見つけようとした。運動を始めてみた。体を動かせば気分も晴れるかもしれないと思って。旅行にも行ってみた。新しい景色が心を癒してくれるかもしれないと期待して。創作活動にも手を出してみた。自己表現が生きる意味を与えてくれるかもしれないと。

でも、すべて一度やっただけで飽きてしまう。むしろ、これらの活動自分空虚さを際立たせるだけだった。

学生時代は楽しめていたゲームアニメも、今では全く興味が湧かない。ストーリーに没頭できない。キャラクター感情移入できない。ただ、過去自分が楽しんでいた記憶けが、より一層の喪失感を与える。

正直、安楽死できるなら今すぐにでもしたい。この意味のない人生を終わらせたい。でも、死ぬ過程が怖い。痛みが怖い。苦しむのが怖い。だから、この無意味人生を続けている。生きているというより、ただ息をしているだけだ。

きっと、私だけじゃない。同じような思いを抱えている人は多いはずだ。SNSを見れば、楽しそうな投稿で溢れている。でも、それは表面的なものだ。きっと多くの人が、私と同じように苦しんでいる。死ぬこともできず、かといって正気を保つのも難しい。ただ歳を重ねていくだけの人生

若いうちは何でもできる」と言う。でも、それは嘘だ。若さは、ただ自分の無力さを痛感させるだけだ。可能性は無限大どころか、むしろゼロに近い。

明日も、明後日も、来年も、10年後も。変わらない日々が続くのだろう。希望も夢も持てない。ただ、時間が過ぎていくのを待つだけ。そして、いつか訪れる死を、恐れと期待が入り混じった複雑な思いで待つ。

これが、20代前半で人生が終わるということなのだ。残された時間は、ただ生物学的な意味で生きているだけ。心はもう、死んでいるようなものだ。

そして、最も恐ろしいのは、この状態がずっと続くかもしれないという事実だ。死ぬことも発狂することもできず、ただ歳を重ねていく。

価値とはなにか

価値」は存在論認識論倫理学などの領域にまたがる複雑な概念であることがわかる。

存在論視点

価値存在本質にどのように組み込まれいるかを問うことは、存在論視点から探究である

価値宇宙の根源的な性質として存在するのか、それとも人間意識によって付与されるものなのかという問いは、存在のもの性質理解するための重要な鍵である

もし価値存在本質に組み込まれているとすれば、それは物理現実の一部であり、私たちがそれを発見することが可能である

これは、宇宙がある種の目的方向性を持っていることを示唆し、価値客観的存在する可能性を示す。

認識論視点

価値がどのようにして認識されるかという問題は、認識論視点から探究である

価値主観的ものであるならば、それは個々の意識文化的背景に依存することになる。

ここで重要なのは価値がどのようにして私たち認識に影響を与え、どのようにして私たちの行動や選択を導くのかという点である

意識価値を生み出すプロセスは、私たち世界をどのように経験し、解釈するかに深く関わっている。

倫理学視点

価値倫理学的側面は、私たちがどのように生きるべきかという問いに直結する。

価値倫理的判断の基盤となる場合、それはどのような基準原則に基づいているのかを問うことが必要である

価値普遍的ものであるのか、それとも状況に応じて変化する相対的ものであるのかという問題は、倫理的価値普遍性相対性に関する議論を引き起こす。

無と虚無の探究

価値探究は、無や虚無の概念とも密接に関連している。無価値状態を考えることは、価値がどのようにして創造され、維持されるかを理解するための重要視点提供する。

価値状態は、存在無意味さや虚無感を象徴し、そこからどのようにして価値を見出すかが問われる。

これは、価値が単なる人間幻想であるのか、それとも何らかの根拠を持っているのかを考える上で重要である

時間価値の変容

価値時間的な側面もまた重要である価値時間とともに変化するものなのか、それとも永遠不変のものなのかという問いは、価値の持続性や普遍性に関する深い疑問を投げかける。

時間の流れの中で価値がどのように変容するかを理解することは、私たちがどのように価値評価し、未来に向けてどのように生きるべきかを考える上で重要である

まとめ

このように、価値探究は、存在論認識論倫理学、無の概念、そして時間の影響を考慮しつつ、私たちがどのようにして世界意味を見出すかを示す。

2024-08-12

エロ漫画を描き続けた結果、女に嫉妬する化け物になっていた

俺はエロ漫画家だ。

と言っても専業ではない。所謂兼業作家で、エロ漫画イラストを描いている。

アカウントがバレたら本当に生きる糧を失うため割合はボカすが、本業作家業で去年は1300万円程度稼いでいた。それくらいの規模のアマチュアだ。

増田投稿しようと思ったのは、自分感情思考を吐き出せる場所をどこも作っていなかったからだ。俺の過失なのに、本当に申し訳なく思う。

女々しく、醜く、気持ちが悪いと自分でも理解しているが、感情吐露したくてこの日記を書いている。

結論から言う。俺は女創作者やそのファンが許せなくなった。

正確に言うと、女であることを武器にしている女創作者とそれに群がる男たちが許せない。

それは作家業に限らず、配信者やVtuberなど全てにおいてだ。

そして、それに嫉妬している自分自身が何より許せない。

ことの発端は、とある創作アカウントを見つけたことだった。

執筆の休憩がてらX(旧:Twitter)を覗いていると、ひとつのR18系の創作アカウント投稿が目に留まった。所謂ちょっと攻めた性嗜好の開示イラストだった。

その投稿からアカウント本体のページに飛んでみると、本格始動から三カ月程度で、フォロワー数は三桁台。先ほどの投稿フォロワーからすれば十分に伸びていた。

俺はメディア欄を漁り、そのほとんどが一次創作であることに驚いた。

いまどき、一次創作にこだわる奴は馬鹿だ。名を上げたければ二次創作をやったほうが遥かに効率がいい。YouTubeで有名な某絵師もそれを認めているし、推奨している。

からこそ、俺はこのアカウントに好感を持てた。

昔、一桁イイねがザラだった時代に数百のイイねがついたときを思い出した。その時はフォロワー数のエグい有名作家たまたま俺の投稿をリポストしてくれた影響が殆どだったが、それでも、俺の絵が認められたような気がして本当に嬉しかった。今では数百数千のイイねなんて当たり前だ。

から二次創作勝負しないなんて骨のあるやつだと。俺は勝手シンパシーを覚え、応援気持ちを込めて、フォローしてリポストもした。

それから1か月後、件のアカウントが気になり、メディア欄を確認した。

その中にネイルアートを施した色白で細い指の写真があった。

まぁ、分かっていた。描き文字の癖や画面の構成的に、女だろうとは予想していた。

俺は人じゃなくて、作品を観て評価しているのだから、こんな投稿別にどうだっていいはずだった。

不意に、自分の指を見た。ごつごつとした男の指。幼いころの習い事で出来た傷痕。冬場だったからか、少しささくれが目立つ。

俺が同じ投稿をしたらどれくらいの反応が貰える?

なんとなく、その投稿無視した。

俺の中でこと切れたのは、そこからまた1か月後のことだった。

そのとき、俺は1時間くらいかけたカラーラフイラスト投稿していた。

少し手心を加えたカラーラフは労力の割に結構伸びる。フォロワー勝手に完成形を想像、補完し、期待を膨らませる。

すぐさまイイねがつく。いつも通りの伸びだ。いまだに通知欄に溜まる数字を見ると心が高鳴る。この数字は俺の努力に対する報酬だ。

作品が売れるのも嬉しいが、拡散され、俺を知る人間が増えるのはもっと嬉しい。

肯定でも否定でも、コメントがつけば心が躍る。それがアンチでも、無視されるよりよっぽどいい。

通知欄を眺めていると件のアカウントもイイねをつけてくれていた。この前のネイル投稿以来、考えないようにしていたのだが、久々にアカウントを覗いた。

フォロワー数は四桁に達していた。ファンボックスなんかも始めている。いつも通りメディア欄を確認した。

そこには、セーターとスカート姿の首から下の自撮り写真があった。

どこぞのテーマパークに行ってくると、添えられていた。

300イイねくらいついていたか

俺が、それくらいのアカウント規模の時は、300イイねも貰えなかった。

俺は、その300イイねを貰うために、様々な努力を重ねた。

受験勉強に耐え、そこそこの大学に進学した。

学歴はある種のリスクヘッジになると考えていたから。

休みが多く経営の安定している大手メーカー内定を何とか勝ち取った。

安定した生活創作の基盤になると考えていたから。

二次創作はしてはならない。

それは才能のない弱者のやり方だと考えていたから。

創作者は自我を出さない。

消費者作品を求めるのであって作者を求めていないと考えていたから。

それなのに、コイツは生まれ持った性別だけでこんなにも注目されているように思え、心底妬ましくなった。

そして、コイツにとって創作とは人生の一側面に過ぎず、それ以外は幸せで満たされ、煌びやかで充実しているとさえ思えた。

瞬間、今までの人生で抱いた不満や違和感連鎖が始まり、俺の狭い世界は毒で溢れた。

どこもかしこも、脳死で女を持てはやすばかり。

女を強調したコンテンツばかりが伸びている。

卵子に群がる精子が如く、釣られた馬鹿な男たちが挙って金と時間を注ぐ。

自分に才能があると錯覚した女が調子づく。

俺のような男は才能があっても誰も見向きもしない。

結局は男の配下となり生きていくのに、どうしてそんな無慈悲なことをするのか?

大人しくしていろ。

卑怯だ、下劣だ、妬ましい、羨ましい。

全てが俺の妄想なのに、真実のように思えて仕方がなかった。

そして、憎悪と同時に俺は自己認知の歪みにも気がついた。

俺が努力と呼んでいた全ては、創作にとって何の関係がある?

俺が勉学に励んだこと、自身を抑圧することに一体何の関係が?

俺は、世界は常に公正で秩序があり、自身は報われるべき存在の一つである錯覚していた。

自身正当化するため、自分の置かれた現実さえ捻じ曲げながら生きていた。

時間にして数分だったと思う。何か夢を見ていたような気がした。

そして、今までの人生がとんでもなく惨めに思えた。

自分創作人生を顧みる。

エロ漫画家になりたいと思ったのは、学生時代寮生活で貸してもらったペンギンクラブというにエロ漫画雑誌に心を動かされたからだ。

エロ漫画家に憧れるなんて変な話かと思うかもしれないが、モテない男たちが漫画雑誌を片手に賑やかに談笑する様を見て、もし俺の描いた漫画でこんなに楽しいひと時を作れたらどれだけ幸せだろうと思えた。本当に当時はそう思った。

でもいつしか、その目的手段に成り下がっていた。

できない、やらない理由創作押し付け自分人生犠牲にして皆を笑顔にしているのだと本気で思っていた。

結果、エロ漫画を利用してチヤホヤされたいだけの、小さな世界に閉じこもった醜く浅ましいミソジニストに成り果てていた。

疲れても苦しくても、ネームを描き、作品を仕上げていたのは読者のためではなく、肥大化した自己愛をどうにかして慰めたかたからに他ならない。

俺はただ、誰かに認められ、愛されたい人間であることにようやく気がついた。

俺は今でも創作を続けている。もう習慣になってしまっているから。

自分で作った毒が消えない。いまだに女の作るコンテンツ直視できない。

承認欲求をこじらせた無名のうわ言に付き合ってくれてありがとう

企業認可の学校はなぜ流行っていないか

政府認可の学校は、一般に.ac.jpドメインを持っているような学校のことだ

政府に「大学」「専門学校」と認可されるには、さまざまな制約を満たさなければならない

これでは、企業が欲する人材の育成の足かせになる

では、なぜ「企業認可」のような学校造成されないのか

まり企業グループが集まって学校を作り、企業にとって必要人材を育成するカリキュラムを作るわけである

このような学校市場主義において非常に合理性が高いと考えられるが、私はこういったシステム流行っていない現状が不思議でならない

少子化も影響している気はする。子供偏差値の高い学校から順番に選ばれていくので、企業としては偏差値の高い学校の生徒を取るだけでよくなっている

まり企業能力の選別はするものの、大学には「教育の内容」を期待していないわけである

企業認可の学校存在しない理由として、企業教育への関与が薄いことが挙げられる

企業は、教育機関に対して高い期待を持たず、単に優秀な学生採用することに重きを置いている

まり企業教育の質よりも、学生の選別に注力しているのだ

また、企業が自ら学校設立しない背景には、教育事業に対するリスクコストがある

教育機関を運営するには、多大な資金時間必要であり、短期的な利益を追求する企業にとっては、魅力的な選択肢ではないのかもしれない

さらに、少子化の影響で学生数が減少している現状では、企業が新たに学校設立しても、十分な学生を確保できないリスク存在する

しかし、企業認可の学校があれば、企業は自社のニーズに合った人材を育成できる可能性が高まる

教育内容が企業要求に即したものであれば、学生卒業後すぐに戦力として活躍できるだろう

これは、企業にとっても大きな利点となるはずだ

このように、企業認可の学校が成立しない現状は、企業教育に対する姿勢や、教育事業への参入障壁が影響していると考えられる

しかし、今後の社会の変化や企業ニーズ進化に伴い、こうした学校が登場する可能性も否定できない

企業教育に対してもっと積極的に関与するようになれば、企業認可の学校現実のものとなる日も遠くないのかもしれない

 

追記: イメージとしては42tokyoとかかな 

anond:20240812171540

おれは元増田じゃないが、高気密高断熱、第一種換気の戸建てに住んでるが虫なんて入ってきたことがないな。もちろん玄関からは入るが。

読解力どうこう言われても、現実がそれだからなあ。

現実のガキは漏れなく騒がしい自己中浅慮のカスばかりなのにどうしてそう興味を持つのかね

まったく理解できないよ……

おれは自他ともに認める仕事のできないゴミカス無能底辺大学卒業ネットコミュニティでは嘲笑され貶される属性しか持っていない。

ネットリアルは違う」という謎の風潮が蔓延っていた時期があったような気がする。みんなそんな幻想を持っていてやりたい放題。罵倒も今よりひどいものばかり。でもこれはリアル人間を感じさせなかったからこそ書き込んだり見たりできていたんだよな。

幻想が崩れて「ネット現実の一部」が共通認識となった今、嘲笑現実人間から発せられるものと同等となってしまった。

から俺はお前らを許さない、許せねえ。

逆に女も男の匂い気にするんだって驚いた

例の女子アナ話題

観測範囲での話になってしまうけど、

隣の誰々が臭くて困る…とかお前の口臭えんだよ!とか風俗嬢のマ◯コが臭くてさ~みたいな「臭いdis」をするのはたいてい男性だった。

逆に女性から推しの(臭いイメージした)香水かにまり現実の男の体臭に関しても好きな臭いの話を嬉々として語られることが多く、

いわゆる臭いフェチの人も女性に多い印象。

なんでああいう形で女性炎上するというのは個人的には驚いた。

逆に言うとこだわりがある?からこそああいう余計なアドバイスと受け取られるような発言になったのかな?とも思う。

まあ観測対象は夜職界隈の人達なので偏りがあると言われたらそれはそうとしか言えないのだが…。

Web系ってなんでSIerや電機メーカに突っかかってくんの?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/zenn.dev/sta/articles/2024-08-10-sat-what_is_si

Web系とSIerネット上では対立してるって言ってるけど、Web系がSIerや電機メーカ(組み込み系)を馬鹿にする内容がほとんどだよね。

ソフトウェアで食ってるという共通点だけで、ビジネスモデルが違えば求められるスキルセットも全く違う(Web系はハードスキルSIメーカソフトスキルを重視しがち)のに、自分たち基準他人を測ることに何の意味あんの?

そんなにWeb系が賢くてSI馬鹿なら、SIの方が儲けてるんだからさっさと成り代わって代わりに稼げばいいじゃん。個人単位でも技術力軽視なSIer異世界転生して無双とか出来るんじゃないの?でも現実はそうなってないよね?なんでだと思う?

頼むから女は男向けのコンテンツに関わらないでくれ


こういうクソフェミお気持ち表明が最近多いけど、賛同してるやつも含めて大抵が女なんだよ

いや、お前ら男向けのコンテンツに関わんなよ、マジで

そもそもお前らは本来対象じゃねえんだよ プリキュアを見ているおじさんと同等な存在なわけ。

部外者勝手他人のものを楽しませて頂きありがとうございますという謙虚姿勢を持てよ。そんでひっそりと楽しめ。

それを事もあろうかその島のルールにまで口を出すって、どういう面の皮の厚さしてんの?恥ずかしいと思わないのか?

男に置き換えたらプリキュア乙女ゲーの内容に口出しているおじさんと同じなんだよ。恥ずかしすぎるでしょそんなの。

結局こういう厚かましい女ばかり生んだのは俺らにも責任の一端がある。男向けコンテンツに女が寄り付くことをステータスみたいに扱っていたことがこいつらの増長を生んだのは間違いない。

現実は「女が寄り付く=リスク」でしかない。チャイナリスクならずウーマンリスクだ。男たちが楽しんでいる場所にいきなり現れて、勝手に学級会開かれ女に都合の良い空間に作り替えられるだけなんだよ。

これに懲りたら女人気に頼ったコンテンツ作りなんて考えないことだ。

そして、女は男向けコンテンツに関わらないでくれ、頼むから

anond:20240812170613

「女は基本、男に好かれても恐怖でしかない」は常識なんだけど、これも発言したら仕事無くなっちゃうのかな……………………。

女って意中でない、関心のない、無関係な男に好かれても、嬉しいどころか恐怖を感じる。

これは動かしようのない現実なのに、表で喋ったら『異性の名誉毀損』になってしまいそう………。

anond:20240812161302

中学の頃から女性の関わり方として好かれるように振る舞うのではなく、嫌ってくる女性攻撃するスタイルの男は結構いましたよ。現実でまともな女づきあいが出来ない分、ネットで女を攻撃して憂さを晴らすんでしょう。

狼と香辛料アニメってデカくなったホロがめっちゃ柴犬じみててなんか迫力無いというか

現実に"brown wolf"で検索して出てくる姿よりのっぺりしすぎてて覇気というか畏怖に足る強さが感じられないんだよね

そこだけが不満

男性女子校ホモソに憧れ、女性男子校ホモソに憧れる」といった地獄ネットから現実世界漏れ出てくる今日日において、中途半端偏差値の共学でクラスちゃんコミットしてきた僕達だけが持てる良識を信じていこうな

もっと差別しようぜ

逆説的、皮肉で言うてるのではない、ガチ

世界もっと差別を推進すべきだ

肌の色、性別出自所得身分

世界基準カースト制をやるべき

 

俺も最初差別イクナイと思ってたんだよ

ところが調べれば調べるほど、考えれば考えるほど差別肯定派になった

 

差別がいけない理由」あたりでググってみ

理由」を記した文章なんてまったく出てこない、びっくりするよ

パーソナライズド俺環だが、トップアグネス・チャンのページが出てくる

差別意識はなぜいけない?」とタイトルされているのに

文章の中で「なぜ」は書かれていない

フワっとした抽象

他のどのページも「理由」を明瞭に解説した言説にはたどり着かない。

他人尊重できないなら出ていけ」米空軍士官学校校長ジェイ・シルベリ中将スピーチは有名だが

これもお涙頂戴の感動スピーチなんだが、冷静に聞くと

彼も一度も「何故差別ダメなのか」は語ってない

好意的解釈するなら「多様性が強さの源泉」とダメ理由を語っているように受け取れるが。

ロジックとして弱い、自明ではない

シバ差別やってた時代の方が経済科学文化も猛烈に進歩してたやん

 

そう、これなの、差別やってる国や時代の方が国家は伸びる

国民幸福の総量も上がるようにしか見えない

国家全体で幸せ増加率が上がるなら一部の犠牲は甘受すべき

 

結局ね、誰も差別ダメ理由論理的に構築できてねぇのよ、だって嘘だもん 

 

考えてみりゃ、差別イクナイと言い出してから世の中がおかしくなり始めた

 

クラスの中でイジメが起きる

イジメ媒介としてクラスがまとまり学級運営スムーズに進む

教師イジメを黙認

こんなもんいくらでもある

それが現実

一人の生徒を犠牲にすれば他の数十人の幸福度は上がる、学習効果も上がる

ストレス抱えたやんちゃ君がはけ口が無く学級崩壊してクラス全員がバカ

どっちがいい?

たった一人を犠牲にするだけだ、コスパ良すぎだろ

 

差別否定理由としてよく出されるのが

差別される人が可哀想

しらんがな

理由になってない

差別する俺はちっとも可愛そうではない、はい論破で終わってしま

 

俺は国際結婚第二次世界大戦戦勝国国民女性結婚

現在敗戦国日本暮らしている、

まり子供戦勝国敗戦国ハーフ

日本人と喧嘩になったら「黙れ敗戦劣等国民の分際で戦勝国の血を引く俺様に逆らうとは生意気だ、もう一度メッタメタボッコボコにされたいか?ああぁん?」

言うたれと教育している

日本人は惨めな被差別部落扱いで良いのだ、その方が面白いではないか

キモいオジサンランキング

ハゲデブなどのルッキズム差別なので除外します。

10ダジャレオジサン

常に面白くないダジャレを言う。本人は明るく陽気な人気者のつもり。いちいち反応するのがめんどくさい。話が長いのも特徴。無視すると怒る。キモい

9位 貧乏オジサン

気の毒だとは思うけど、貧乏はやっぱり色々アレなのでキモい

8位 オタクオジサン

オジサンなのに萌え絵とか好きだとキモい鉄ヲタラヲタキモい普通にゲーム好きとかアニメ漫画も見るくらいなら問題ない。

7位 汚オジサン

汚いのはダメ。これはルッキズムではなく、いい大人なのに身だしなみすら整えられない社会性の欠如の問題。かなりキモい

6位 無能オジサン

仕事ができないのはやっぱりキモいしか無能のくせに女性社員特に若い女社員バカにしているのもまたキモい存在邪魔

5位 ネット論客オジサン

増田にもたくさんいるけど、ネット政治の話とか熱く語るのガチキモいリアルでそんな話してるとさらキモいからネットに閉じこもっててくれたらいいんだけど、たまにリアルでも漏れ出すので絶望的にキモい

4位 若いつもりオジサン

氷河期世代に多い。いつまでも若者側のつもりで話すオジサン。元イケメンで今でも若い子にモテるのだと勘違いしている。いつまでも恋愛脳でモテるかどうかを気にしていてキモい。顔しか取り柄がなかったから、正しく年齢を重ねられなかったのだと思う。若者流行に敏感だったり、媚びてる感じがとにかくキモい

3位 偉そうなオジサン

なぜかわからないがやたらと尊大で態度が悪いオジサン。なぜかいつも不機嫌。店員や部下など自分より下とみなしている人間への態度がおかしい。キモいだけでなく大変不愉快なので、関わり合いになりたくない。こいつらは妻子がいるパターンが多いのだが、理解できない。定年離婚されるのがよくわかる。

2位 性欲オジサン

抜きん出てキモい。まともな性行為で発散できなくなったからか、変な溢れ方をしている。シモネタ連発したり妙に距離が近かったり触ってきたりオジサン構文LINE送ってきたり、脳が性欲を制御できていない。キモい若いつもりのオジサンや偉そうなオジサンと両立してるオジサンが多い。若い女にオジサンがまともに相手してもらえるわけないと知るべき。フィクションはオジサンの願望の反映なので、現実とは違うと理解しろ。とにかくキモい

1位 オジサン

色々言ってきたが、よく考えたらオジサンはみんなキモい

耐えられるレベルキモさに抑えてるオジサンと、キモさが溢れ出してるオジサンがいるだけ。

anond:20240811114621

昔は「夏色ハイスクル★青春白書 転校初日のオレが幼馴染と再会したら報道部員にされていて激写少年の日々はスクープ大連発でイガイモテモテなのに何故かマイメモリーパンツ写真ばっかりという現実と向き合いながら考えるひと夏の島の学園生活と赤裸々な恋の行方。」とか覚えやすかったのに、最近タイトルときたらねえ

フワちゃんやすオリンピックにまともに向き合っていただけ

フワちゃんやす子を嫌いではなくむしろ好きだったはずだ。だからやすオリンピック無意識に引き込まれていたし、相当好きだと思っていい。

やすオリンピックは生きてるだけで偉いくて全員強制優勝らしい、さすがにそれはおかしくないか現実整合性をとるために死んでください、と思わず論破しただけで、お前は(当然自分も他の人も)偉くないので死んでくださいというのは全員強制優勝とかいう訳のわからない状況に巻き込まれたことに対する救済でもあり十分フワちゃんぽいブラックジョーク範囲なのだが、やすオリンピックを前提にしないと単にお前は偉くないので死んでくださいというだけの、軽い気持ち誹謗中傷しただけになってしまう。これで傷ついたとか言われようものなら弁解は難しいだろう。

結局はよくわからん発言に対して無理に論破しようとせず誹謗中傷としてとられるような反応はしないように、という当たり前の教訓になる。フワちゃんアンチコメントがどうのとかコメントをしたが単に論破しただけだからなあ。フワちゃんやす子を嫌いでも見下していたわけでもないことについては擁護してあげたい。

anond:20240812093630

ネットの「弱者男性」という属性が「口実つけて煽り吊し上げして暴れたいカス」といういつものメンツに乗っ取られてるせいで現実性差問題の解消と別路線をひた走ってる感はある。

本当のいみで、金も仕事能力もない弱者男性が現れた土岐、ネットの連中は隣の社長イケメンと一緒に「弱者男性とか社会ゴミからはよ安楽死させろ一緒にするな」とか騒ぎ始める感じが否めない

「チー牛は差別意図した言葉ではない」は絶対に通じない。

ブーム最初から受容される経緯まで常にど直球の差別意図が含まれているので、まともな人間なら絶対に使うべきではない

それは原発人殺しの道具ではない、というくらいムダなことだ。 

せめてダイナマイトのように他に明確な使われ方が定着化したならともかく、チー牛が無害な言葉として認識されることはまずない。

https://shohgaisha.com/column/grown_up_detail?id=1814

https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%81%E3%83%BC%E3%82%BA%E7%89%9B%E4%B8%BC

301 風吹けば名無し 2018/07/19(木) 17:11:15.64 ID:0V7RAyaFa

就労移行支援面白かったのは利用者若い男が皆同じ顔をしてた事

ザ・陰キャって顔

眼鏡

黒髪

子供のような髪型

覇気のない抜けた顔

(悪い意味で)童顔

大人なのに中学生のようで気味悪い

10人いたら8人がそんな顔

https://i.imgur.com/akAJmjk.jpg

人間顔で分かるんやなって

就労移行支援は発達ガイしか使えない場所だけど利用者は本当に皆こんな顔してた。若い男の8割はこれや。発達ガイジは見ただけじゃ分からないっていうけど、ぶっちゃけ差別だのなんだのうるさいから言う奴がいないだけで、分かるでこれ...


https://anond.hatelabo.jp/20200504194247

2020年5月4日には、はてな匿名ダイアリーで「チー牛っていう煽り流行ってて悲しい気持ちになる」という記事投稿され、ある程度の話題を集めた。その後の6月5日には「黒人差別とチー牛」や「被差別者中にも身分がある」という記事が約300ブクマほどの注目を浴びる。これらの投稿から、この時期には「チー牛」が自虐ネタではなく「差別用語」と関連づけられている(あるいは、そのように受け止めているインターネットユーザー一定数いる)ことが明確になっている。

https://togetter.com/li/1567700

チーズ牛丼差別用語化し始めてる世界線怖すぎだろ 食いもんだぞ すき家の」というまとめが、200件近いコメントを集めるなど再び注目を集めた。

なお、2020年頃の時点ではあくま掲示板Twitterなどのオタク層を中心としたネットスラングしかなく、TikTokInstagramといった所謂陽キャ』の多い界隈やリアルではそれほど使われていなかったと思われる。

https://www.youtube.com/shorts/gpdtKfL8nZc

2024年8月現在では実に約1.7万件もの投稿がされている。ネットスラングとしての意味合いを念頭気持ち悪い男性を(恋愛面で)揶揄する投稿ダサいNGファッションを紹介する投稿などにもハッシュタグ使用されていることが確認できる。

現実世界に関しては学校でのいじめの中で直接的に言われたなどという書き込みも多く見受けられるようになっている。






「チー牛は差別意図した言葉ではない」を信じる人は陰謀論または詐欺にやられやす

例の妻は、今すぐ考えを改めないなら即座に離婚すべきだ。

根拠がなくても「自分がしっくりきて」「周りの友達がそういっていれば信じる」ということだから

誤情報に対する防波堤がないし、むしろ誤情報が多く飛び交っているクラスタ非常識人間が集っているクラスタに足を突っ込んでいる可能性が高い。

おそらく環境エコかなにかの詐欺に引っかかる可能性が高く、そうすると意見が合わないだけじゃなく金銭的にも家庭を破壊するリスクが高い。

さらに嫌な可能性として、そもそも夫が汚い言葉を使って人を罵倒するのを散々妻に見せている可能性を疑っている

ttps://anond.hatelabo.jp/20230717124220

このケース、何も知らなければ夫はただの被害者のように見えるが

この記事を書いている夫は日々はてな左翼として自分の思い通りにならない記事を各人に罵倒を浴びせている人物だった。

そのため、妻も反ワク・陰謀論クラスタに(どっぷりとではないが)浸かっており、元から誤情報に対する耐性が低い状態になっていた。

にも関わらず、記事の書きぶりからも夫はネット正義にご執心であり妻のことをそれほど気にかけていなかったか、少なくとも情報のやり取りが不足していた。

もちろん夫が直接の原因だとは言わないが、妻が反ワク・陰謀論に染まりつつあり、陰謀論に染まった妻を放置して夫がたしなめることはせず

はてな左翼正義治安活動にご執心だったというところまでは客観的事実だ。

息子をチー牛よびする妻について語っている夫は、自分のことを余り語らないので情報が不足しているが、この例を知っているので夫側がディープネット民であった可能性を疑っている。

意外とお似合い夫婦かも知れない。

[]【高橋源一郎にきく】今あえて社会内面化しない勇気

本書は、3年毎日に連載されている「これはあれだな」の中から選ばれた文章を集め、過失したエッセイです。

「これはあれだな」とはどのようなコンセプトのコラムでしょうか。

何か気になった事件や本、作品などがあったら、それについて書くのが普通ですよね。それだけじゃ面白くないので、過去に同じようなことがなかったかと探し当て、その二つを比べて何が変わって何が変わっていないかを考えるというのがコンセプトです。

まり、例えば文学作品であれば、文学作品と何かの映画とか、100年前に同じようなことがあったとか、こういう事件があったけど、50年前に全く同じようなことがあったよね、といったことです。だからジャンルが違う場合もあって、例えば映画と最新作のアニメでは、これどこかで見たことあるなと思ったら、80年前のあの映画と同じことをやってない?ということです。

パッと5、6個思いついて「これならできそう」と思って始めたんですが、途中で「大変だ」ということに気づきました。少なくとも二つは見つけなければならない作業であることに10回目くらいで気づいたんです。普通は一つの話題で済むところを、必ず二つ見つける必要がある。多ければ多いほどいいんですよ。例えば今と大正明治で同じようなことがあった、とか。

時代は変わらないね、というのは面白いんだけど、めちゃくちゃ手間がかかる。読み直しを結構確認しなければならないですからね。一応記憶に頼って「こんなことあったな」と思い出しても、記憶曖昧になってきます。でも、本当にこれ面白いんだと。途中からは大体ストックがあって、これは似てる、逆に今のこれがあれだけど、あれから発想する場合もあるんです。昔こんなのあって、こんな面白ものって今にはないかな、と。

そうやって見ていくと、最近若い人の旅に出た記録が1000年前の元神尚の記録に似てるとか、1500年前のものそっくりだ、とか。そういうふうにしていくと、結構いろんな時代に似たものがある。特徴性が被るものがある。だから時代にそういうものを生み出す必然性があるっていうことを考えると、話としては面白いんで、ただ手間がかかる。

今回本にまとめられたのも、別に今回が初めてではないです。これで3冊目です。毎週締め切りがあると憂鬱なっちゃう。まずこれを見つけるでしょ?で、あれがなきゃダメなので、どんなに面白くても「これ面白いんだけど、ペアになるものがいないよね」ってなると、できない。

そもそも、ご自身文学作品を作るっていうのも、アイデアを出さなきゃいけない。アイデアはひねり出すんですけど、あれを見つけるっていうのはなかなか難しい。でもやっぱりコンセプトが光ってますね。やっててうまくいったときは「これ、よく見つけたな、自分でも」って思います

あの、本書の前半では、2022年9月13日フランス映画監督ゴダールの死について書かれています高橋さんにとってゴダールはなぜこれほど特別存在なんでしょうか?

これは世代的なもので、僕の世代芸術音楽映画文学好きな人ゴダールに影響を受けていない人はいないと思います

皆さん結構しますね、やっぱり。

当時はSNSもないし、情報だって今ほどは入ってこなかったから、例えば映画ニュースもなかった。テレビニュースやらないから、どこで知ったかというと、映画雑誌とか、映画芸術とか、そういうところにちょこっと載っていて、新作が出たって今だったら全部SNSでお知らせが来るんでしょうが、そういうのがなかった。だから新作が出たって言っても、日本公開がいつかはわからなかった。

僕は映画だと、アートシアターというのに入っていました。60年代、相当幼い時から、そういう会の会員になって、中学入ってすぐそういう会に入った。だから映画クレイジーキャッツからゴダールまで一緒に見ていました。そもそもそれを分けて考えるのはダサいって感じだった。

しかも極端なことを言うと、芸術ばかり見ていると馬鹿にされるから、逆にクレイジーキャッツとかGS映画を見ないと恥ずかしいって感じだった。そういう背景の中で、ゴダール作品はかっこいいと思ってましたね。彼の即興スタイル特に印象的で、シナリオを書いていかないんですよね。当日、その場でセリフを持っていく。そして基本的編集映画を作るというスタイル

引用が多い。ゴダール作品は、引用が多くて、ただ引用しているだけのものもある。それはオリジナリティに対する嫌悪なんだと思うんです。オリジナリティではなく引用作品を作る。だから過去世代否定する度合が一番強いのが彼で、その影響を受けていると思います

最後作品についても書かれていますが、イメージばかりが連続してくる、写真バンバンバンと順番に来るような映画で、画質は必ずしも良くないのに、なんだか異様に綺麗な映像が印象的でした。

どうでしたか?その最終作に対する感想は?というと、ゴダール作品が好きだなって感じですね。もういい悪いじゃなくて、好きだって感じですね。ゴダールはずっと「映画テーマがどうとかじゃなくて、90分なら90分、じっとその映画館に座って見ていればそれでいい」と言っていて、ただ画面を見ていれば幸せ映画ってそれでいいんだ、という考え方を持っていました。

ゴダールは、自分映画自殺映画だと言っていて、主人公死ぬ映画が多いんです。「気狂いピエロ」もそうだし、「勝手にしやがれ」もそうだし、最後主人公自分で目を閉じて死ぬ。あれはすごいなと思う。しかも、あれがデビュー作なんですよ。最後自分意思表現する映画を撮るという意味で、彼の作品は一貫してそのテーマを持っているんです。

「映画史」という映画も撮っていますが、ゴダールという監督は、常に作品現実境界を取り払うことを考えていたんです。作品現実が別々のものではなく、その境界を取っ払って、映画館で観ている観客に語りかけるという姿勢がありました。

映画の中で、主人公が観客に話しかけるというのは珍しいことではないですが、それを堂々とやったのがゴダールアメリカでも10年くらい前に「ハウス・オブ・カード」とかで流行りましたけど、ゴダールもっとからそれをやっていた。それがかっこよかったんです。

また、魚くんの電気映画「魚の子」や、中村喜子の「女と刀」、植物学牧野富太郎の「牧野富太郎自伝」などについて書かれた箇所を読むと、一つの観念や興味に取り憑かれて、非論理的であろうが、非経済的であろうが、自分の道を進む人が高橋さんの好きなタイプなのではないかと思いました。そういう方にどんな魅力を感じるのですか?

いや、面白いですよ。単純に普通面白くないですか?ちょっと病的な感じさえありますが、頭おかしいんですよね。でも、そういう人は見ていて面白いですね。付き合いたいとは思わないけど。

でも例えば、魚くんだと、そこに書きましたけど、魚くんも面白いけど、お母さんがすごいですよね。僕も読んで「あ、そうなんだ」と思いました。魚くんの主人公はお母さんなんですよね。つまり、こういう人はいるんですよ、きっと。街を歩いても変な人はいます。変な人はいるけど、大体は困るんですよね。それが普通で、生きる人の知恵です。普通に生きてるとそうなるんですよ。

でも、時々そうは思わない人が出てくる。だから、変な人も大事なんだけど、その変な人を受け入れる人の方が自由だと思っています。お母さんがそうですね。お母さんは自分の息子だけど、そのおかしさを全面的に抱きしめる。

普通おかしいって言っても結局排除されるか、直されちゃう。「お前、おかしいか普通にしなさい」と。でも、そのおかしさを育てるというのがすごいなと思います。それは他者とか異業のもの尊重するってことなんですよね。つまりおかしくても存在意義がある。

これは結局、すべての人に存在意義があることにつながるんですけど、普通の人は存在意義があると認められている。でも、おかしな人とか、魚くんならいいけど、例えば身体障害者とか、知的障害者の人たちは見たくないと思うこともある。でも、それでも家族でも受け入れられない人もいる。

僕も色々調べました。障害ある子供が生まれると、受け入れられる家族と受け入れられない家族がいます時間をかけて受け入れられるようになる家族もいます特に父親最初は受け入れないんですよ。でも、母親はすごいなと思います。お母さんは何でも受け入れるんですよね。

魚くんも牧野富太郎も色んな人が出てきますけど、その面白さとは別に、それを誰が受け入れたのかが重要なんです。牧野富太郎変人だけど、奥さんが受け入れたんですよね。牧野富太郎植物愛に没頭する変人ですが、それを受け入れるのは大変なことですよね。

でも、それを受け入れたからこそ、彼の生存保証されたんです。だから、僕が書いた美方ククスとかも超天才だけど、あれ夫だったら困るよ。でも、受け入れた人がいたから、その生存保証された。

でも、どうですかね。例えば、牧野さんとか魚くんとか、みんな著名になって仕事に繋がって成功しているけど、そこまでお母さんが考えていたか奥さんが考えていたかは分からないけど、魚くんになれなかった魚くんや、牧野富太郎失敗版みたいな人も絶対たくさんいたはずです。

結局、成功者の影には1000人の失敗者がいると思います。きっとそういう人たちのところにも、お母さんがいたんですよ。でも成功しなかったけど、いいんじゃない、それで。

これでも、親もすごいけど、1000人の失敗した人を見守ってた親がいて、その人たちが不幸だったかっていうと、そうでもない。そういう人たちは必要なんですよ、ということをよく考えますね。

セコさんの漫画マダムたちのルームシェア」とか、信友直子監督の「ボケますからよろしくお願いします」、早川知恵監督の「プラン75」など、老いと向き合った作品が多数言及されています。今、世界で最も高齢化の進む国と言われる日本で、高橋さんは何を感じていますか?

自分が年取ってきましたからね。今年で73歳です。もうやばいです。あと2年で後期高齢者です。やっぱり、身体的な衰えを感じます。確実に老いていくのがわかります。それに対して色々と体に気をつけています

一つは、老いを新しい経験だと捉える感覚です。確かにそうですよね、経験したことないことですから、新鮮です。僕もそうですよ。ちょっと年を取ってきて体が辛くなってくると「こんなの今までなかった」と思うことがあります

例えば、鶴見俊輔さんという哲学者の方が「限界芸術論」を書かれたんですが、90歳を過ぎて、「今日1日転ばないことを目標に生きよ」と書かれていました。「あ、そういうもんなのか」と思って、わかりました。

転びそうになるんです。僕、スクワットして足腰を鍛えているから平気だと思っていたら、筋肉じゃないんですね。バランスが悪くなっている。神経が悪くなっていて、神経は鍛えようがないから転ぶ。僕は筋力鍛えれば大丈夫だと思っていたけど、そうじゃなかったという新しい発見がありました。

そんな老いを新しい経験だと思って、余裕を持って受け入れることが大事なんです。実際、この国、これは日本だけじゃないと思いますが、68歳、70歳、72歳になると社会の窓が次々と閉まっていく。つまり、色々なことができなくなってくるんです。

例えば、家を借りようと思ってインターネットを引こうとしたら「72歳ですか、ではご家族契約になります」と言われたんです。「70歳とインターネット契約ができないってどういうこと?」と聞いたら、「こういう決まりなので」と言われて、「おかしいでしょ」と思いました。これってちょっと差別的ですよね。

プラン75もそうですが、年寄り不要だという考え方があるんですよね。これが寂しいです。今「シルバーデモクラシー」と言われて、年寄りが恵まれていると言われていますが、それは嘘だと思います。年を取ってみたら、社会の窓が閉じていく。シルバーデモクラシーという言い方で、年寄りが恵まれていると若い人に思わせようとしているんです。

でも実際には、全世代がそれぞれ抑圧を受けている。70代以上はこういう抑圧があるけど、20代30代も年金の支払いなど、みんなそれぞれ抑圧されているんです。だから、全世代連帯しなきゃいけないと思うんです。分断が一番都合がいいから、それをやめるべきです。

僕は政治テーマとして、全世代連帯すべきだと考えています。知らないかもしれませんが、70歳になったらインターネット引けないんですよ。72歳になったらローンもできないんです。なのに恵まれているなんて、ふざけているとしか思えません。

これは、土線(映画)とかでテーマになってもいい話ですよね。でもそれはなかなか声になりにくいんですよね。40代50代の時には知らなかったけど、68歳70歳72歳で新しい抑圧が出てくるんだな、と気づくんです。

社会ってさ、普通のことは知らせないようにしているんですよね。それぞれの世代とかジェンダーで、社会から抑圧されていることをお互いに調べ合って、連帯しなきゃだめです。

ジャニーズ問題玉音放送について、高橋さんテレビ局の幹部たちに「ジャニーズ問題無視するのか」と質問した時のエピソードについて書かれています。昨年末ジャニーズの性加害問題が巨大なテーマになりましたが、この間、どう感じていましたか

あそこにも書きましたけど、僕がちょうどBBC放送した直後に番組審査員を辞めて、最後番組で「これはダメだよ」と言ったんですが、沈黙がありました。その後、某テレビ局が漫画問題で騒ぎになって、それを良かったと思って続けました。

でも、やっぱりテレビ局は商業放送から視聴率が下がることが怖いんですよね。だから視聴率が下がる可能性があることはなるべく避けたい。僕は怯えすぎだと思うんですけどね。もうそんなに怖がらなくても、普通常識でやればいいのに、忖度している。忖度しない方が視聴者の指示を得るんじゃないかと思いますが、なかなかそうはならないんですよね。

今と昔を比較して、昔の方が保守的だったかというと、そんなことはなく、テレビ全体は進化している。ただ、メディア動画サイトSNSに壊れていく時にどうするかを同時に考えなきゃいけなくなっているので、やることも多いんです。

から、僕も言ったんですが、面白動画サイト番組テレビより面白いですよ。テレビバラエティなんてやめたらいいと思います個人で作っているものでも、ものすごくよくできた動画番組があるんです。それを見たら、テレビお金も人もあるんだからもっとできることがあるはずなんですよね。

Netflixドラマなんかも面白いですよ。コンテンツの中身も含めて、やれることがあるのにやっていない。同じようなラブコメばかり作って、誰が見るんだろうって思います

江戸川乱歩の「芋虫」を現代では取り上げることがかなり難しいということについて書かれていますが、以前、マルキ・ド・サド作品を絶賛されていた話もあります。今の時代言論空気感についてどう感じていますか?

メディアテレビラジオだけじゃなくて、小説も含めて、僕がデビューした頃に比べると、だいぶ書きにくくなっています。例えば「ピエロ」って言えないじゃないですか。今では「ピエロレフ」って言われることがありますが、検索しても出てこない。

一番怖いのはこれですよね。こういう名詞ごと削除されること。ポリティカル・コレクトネスで、こういう言葉を使いなさいというのは一つの考え方としてあるかもしれませんが、元々あった言葉が使えないというのは、歴史捏造じゃないですか。

今、「ジプシー」って言葉も使えないんです。「ロマ」とか言いますが、これは歴史捏造であり、存在させないという方向に進んでいるんです。例えば、ゴダールの「気狂いピエロ」も、僕はそれを見ましたからね。でも、「ピエロレフ」って言われてもわからない。

ポリティカル・コレクトネスについては、理解できるところもありますが、理解できないところも多いです。多分、それを推進している人も、やっていて変だと思っているんじゃないかと思います定義や限度が確定していないのが問題で、空気みたいなものから

ポリティカル・コレクトネスの一つの問題点は、日本が元々空気社会から空気で決めるというのはやばいポリティカル・コレクトネス空気で決められるようになっているのが、日本事情なんですよ。

上辺だけの議論が多く、社会的な不正義の問題は見ないで、言葉だけで物事判断する。ポリティカル・コレクトネスは、社会的な問題言葉だけで覆い隠そうとしているだけです。

その辺が、日本という国は忖度する社会から空気を読めということがずっと言われてきて、変わらなかった。変わるかと思ったら、ずっと空気を読んでいる。片方では多様性を唱えているけど、それは言っているだけで、実際には何も変わっていない。

大杉栄についても言及複数見られます思想生き方性格、私には高橋さんと似ている印象を受けましたが、大杉栄をどのように見ていますか?

大杉栄は、日本でも代表するアナキストですが、やっぱり感じがいいですね。友達になりたいなと思う。問題はいっぱいありますが、女癖が悪いとか、迷惑な部分も多いけど、その一方で愛すべき点がある。だから、あの人は人たらしなんです。

例えば、子育てをしていたんです。普通政治的な人は政治活動はするけど、家のことは見ない。でも、大杉栄は、伊東のと結婚して子供が生まれたら、赤ん坊選択をしたり、オムツを変えたりしていた。嫌じゃなくて、それが好きだったんです。

彼の中では、夫婦や男女の形は形式じゃなくて、対等であって、子供から自分 Permalink | 記事への反応(1) | 08:25

anond:20240812075012

その主人公の姿が既婚フェミニストの姿まんまだからでしょ?現実通りじゃん

独身フェミニスト名誉男性ガークソオスガー男児を殺せ!と連呼し続けるXによくいる感じの女さんが主人公の方が良かった?

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