はてなキーワード: 居住者とは
日本のラジオ局でもザ・キッド・ラロイのジャスティン・ビーバーとのコラボ曲「ステイ」がヘビロテされてる。
歌詞中の4文字言葉“f***”部分の声が消されている(正確には“f***ed”)。
The Kid LAROI, Justin Bieber - STAY
由々しき事態だ。
“f***”や“s***”や“b****”や“n****”を歌詞に含む楽曲が普通にオンエアされていた。
本当にそうだったか?
増田がそういう歌詞を含むミュージックビデオばかりYouTubeで視聴してるから記憶が捏造されてないか?
改めて記憶を辿ってみる。
ウィル・アイ・アムとブリトニー・スピアーズのコラボ曲「スクリーム&シャウト」も日本のラジオでヘビロテされてた。
“b****”が消されてないバージョンがかかってた…はず。
それ以降、規制が強化されてきたのだろうか?
理由はなんだろ?
昔は「英語の歌詞なんかわからんだろ」くらいの感覚でかけてたのが、今は外国人居住者や旅行者が増えてきたから?
放送局側の規制ではなく、レコード会社の日本法人がラジオ局にばら撒くプロモ用のCDにクリーン版しか入っておらず、ラジオ局はそれ使ってるだけ、とか?
2021/12/04に『映画秘宝編集部とオフィス秘宝、悪質なのはどちらか』と題する文章https://anond.hatelabo.jp/20211204193505
が、はてな匿名ダイアリーに投稿されました。その内容を要約すると「旧体制『映画秘宝』主要メンバーであった町山・柳下・高橋・てらさわは誠実に動いていた。一方それに対して、造反組の岡本・奈良・ギンティ・市川は誠実に動いていなかった」と主張する内容です。
この内容は、一般人女性に対するDM恫喝事件の余波が未だ冷めやらぬ2021/3/18、元『映画秘宝』編集部員かつ高橋ヨシキらのシンパの秋山直斗という人物がNoteに投稿した、文章の焼き直しです。そのため、はてなユーザーの中には「この増田は秋山直斗なのではないか?」と推測する人もいるようです。私個人も同じことを疑いましたが、しかし、増田の正体が秋山であるか否かは確認する術もありません。
しかしこれも機会ですので、秋山直斗の文章から私が感じ取ったことを述べます。
まず、2021/3/18に秋山がNoteに投稿した文章から、一部を引用します。
23時ごろ(※引用者注:元『映画秘宝』編集長の岩田によるDM恫喝行為が発覚し、その対応に追われていた2021/01/25のこと)から柳下氏、高橋氏と共にオンライン会議を行い、上記の考えを伝えました。なお、18時ごろに状況確認のため高橋氏に連絡をしてきていた、てらさわホーク氏も会議に加わっています。3氏ともに、謝罪の必要を認識しており、私は実現のために実務を担うことになりました。
23時09分に、編集部メンバー4名(田野辺氏・岡本氏・奈良氏・ギンティ小林氏)に対し、「新たな謝罪文」作成の必要性をメールにて伝えました。早急には対応しないでおこうといった内容の返信があり、これは私の主観的意見にすぎないものの、主体的に事態収拾に乗り出す意思が感じられませんでした。
=引用その1・ここまで=
上に引用したNoteの文章は「誠実だったのは旧体制側。それに比べて新体制側は不誠実だった」というイメージを読者に植え付けたいと、秋山が考えていることをよく表す部分です。
では次に『〜悪質なのはどちらか』と題する文章がはてな匿名ダイアリーに投稿される2日前、2021/12/02に秋山直斗(アカウントSquids_squib)がTwitterに投稿した内容を引用します。
映画秘宝前編集長が送ったDMについては被害者の人とは和解してるわけでしょ? 当事者同士で解決したのだから、これ以上蒸し返す必要はないというオフィス秘宝と双葉社の判断が、被害者に対して不誠実なものだとは思わないけど。
=引用その2・ここまで=
私は、この秋山のツイートにある"蒸し返す"という表現から、秋山直斗の本心が読み取れるように感じます。恫喝DM事件及びその被害者に対して、秋山直斗が本心ではどのように考えているのか、端的に言えば「馬脚を露わした」のです。
DM恫喝事件の被害者は「雑誌『映画秘宝』の誌面上で何かしら掲載されることを期待していた」とする内容のツイートをしていらっしゃいます。ということは、被害者に対して『映画秘宝』側が示すべきであった誠実さとは、誌面の上というオープンな場で総括を行うことだったと考えるのは当然のことです。だとするならば、双葉社に対して「誌面上での総括を行うことを認めて欲しい」と、被害者の要望に沿うように求め続けていた新体制『映画秘宝』の中心メンバーが、被害者の要望に応えられなかった能力不足を批判されるならばまだしも、要望に応えようとした姿勢そのものを批判される謂れは無いと私は思います。
しかし、秋山直斗は「これ以上"蒸し返す"必要はない」と表現して、被害者の要望に応えようとしていた造反組4人の姿勢をこそ批判するのです。実に奇妙です。以前は「謝罪のために主体的に動いていなかった。不誠実だ」と批判した人間たちを、今度は「和解も済んだのに、わざわざ"蒸し返す"ようなことをするな」と批判するのですから、矛盾しているとしか言えません。
では最後に、さらに遡って2021/1/26付で秋山直斗のTwitterアカウントのツイートから引用します。
『秘宝』は映画を軸に、社会の不正義・不公正と闘う雑誌だと思っています。つまり、綺麗事こそ重要だという雑誌です。
=引用その3・ここまで=
これまで私は、古株の元『映画秘宝』読者の一人として、はてな匿名ダイアリーに『映画秘宝の記憶』と題する一連の文章を投稿して続けてきました。
過去のバックナンバーや『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』等の『映画秘宝』関連の単行本を一読すれば、誰にでも直ぐに分かるとおり、雑誌『映画秘宝』はこれまでに女性、同性愛者、非・都市部居住者、非・富裕層、高等教育から疎外された人間etc.に対して、頻繁に、且つ執拗に差別発言を行い続けてきた雑誌です。それらの差別的な言動の実例を、引用によって具体的に私は示してきました。
秋山直斗が語る、美化された『映画秘宝』像は、虚偽以外の何物でもありません。したがって、秋山直斗の言う「『映画秘宝』を読むことを通じて、自分(秋山)は社会の不正義・不公正と闘うことを学んだ」という主張もまた、やはり虚偽以外の何物でもありません。つまり、秋山直斗は『映画秘宝』と同時に彼自身を美化しているのです。
近年の町山智浩、高橋ヨシキらは、人権尊重や差別反対のような言動を繰り返していますが、自分たち自身が女性や同性愛者に対して行ってきた差別に関しては全く総括していません。本当に「誠実な人間」であれば、己自身の罪や過ちとも真摯に向き合うはずです。しかし、そのような誠実さを町山や高橋が示したことはないのです。
元『映画秘宝』編集長・岩田による一般人女性へのDM恫喝事件を産んだ要因には、長年に渡って同誌内部に根深く蔓延っていた女性蔑視の思想があると私は考えています。そして、そのような女性蔑視の思想を『映画秘宝』に植え付け続けてきた張本人は、町山や高橋ら旧体制の人間なのです。繰り返しになりますが、本当に誠実な人間ならば、自分たちが女性への理不尽な攻撃の手本を示して、岩田のような人間に対して誤った教育や影響を与えたことを反省するべきでしょう。
町山智浩や高橋ヨシキの信者を今でも続けているような人間たちは「昔のことを"蒸し返すな"」と、愚にもつかない、擁護にもならない言い訳をします。そうです、秋山直斗と同じ"蒸し返すな"という言い回しです。この"蒸し返すな"という言い回しは、例えば関東大震災当時の在日朝鮮人虐殺事件や、日中戦争当時の南京虐殺、従軍慰安婦問題などについて「済んだ話を"蒸し返すな"」と言うネトウヨの言い回しと瓜二つです。秋山直斗が『映画秘宝』を読んで学んだ、社会の不正義・不公正と闘う姿勢とは「済んだ話を"蒸し返すな"」と言うことなのでしょうか?
そのような秋山直斗や、彼の同類の人間が言う「誠実さ」など、薄っぺらい虚飾に過ぎないというのが私の見解です。
「どちらが悪質か」などという無意味な比較と詭弁によって、旧体制『映画秘宝』を美化するのは、歴史修正主義者のネトウヨと同レベルと言うべきでしょう。
この投稿は以上です。
コロナが流行るちょっと前にアメリカへ引っ越した。あと数年はアメリカに住むと思う。
この予約停止に対して日本政府に見捨てられた、棄民政策だと言っている人もいる(例: 【エッセイ】私たち在外邦人は無残にも見捨てられました: 日本到着の国際線の新規予約停止要請で、私は危うく殺されるところでした|堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi|note)
疎外感があって寂しいが、どれも深刻な問題ではない。
「日本に貢献する気がなくなった」と言ってる人もいるが、元々そんな義務はない。俺は日本にいた時からそんな貢献する気はなかった。
あえてデメリットを上げるなら、モラルハザードくらいだと思う。
国が法律や憲法を無視してるので、俺も法律を破る時の心理的ハードルが下がった。
罰則がない、軽いやつは気軽に破れる。
いずれにせよ悪いのはコロナなので、早く落ち着くといいですね。
物価が高いから日本だと年収1500万ぐらいの感覚かな。エレベーターなしのアパートで家賃30万だよ。
年収:もし日本にいれば額面1400万円ぐらいで、実際は生活費について物価スライドさせた割り増しの給料、ボーナス依存だが手取りで1600万/年、今年は絶好調だが来年は半導体需給の問題から業績悪化しそう
投資可能額:全力で750万/年、円建ての現金があるので全力でいっても問題なし。
資産:国内銀行に2900万円、アメリカの銀行に200万円、アメリカの証券会社に1400万円、合計4500万円程度、持ち家なし、純資産1億円の富裕層は遠いがもうすぐに準富裕層ライン
投資:
VT/VTIを 50万/月、確定拠出型年金のマッチング拠出を1万円/月程度、年間投資総額は、612万/年
国内銀行預金の大部分を投資に回したいが、非居住者なので日本の証券会社が使えず、アメリカで投資しようにも送金が面倒で(Wise前提でも)手数料が高い
日本に戻ってから投資する場合は一括投資が合理的なのはわかっているが、やはり怖い
帰国後は、米国証券から発生する配当について確定申告が必要なので、売却して日本で買いなおすか、保有を続けるか悩みどころ。(保有するつもりで当分売るつもりはないが、当然、譲渡益も発生する)
ただ、資産の一部を海外の銀行に米国建てで持っておくのは日本衰退へのヘッジとして必要。送金リスクも考えると、もう1行増やそうかな。
配当は2重課税されるし取り戻すための控除もメンドクサイ。さらに退職後は課税所得が減るため、控除もされないしどこかのタイミングで買いなおすか検討必要
為替差益は雑所得だが、ドル支給の給料にまつわるお金の円転においては、為替差損益は発生しないと日本の税務署に確認済み。
総投資額:円換算で1000万程度
含み益:300万円程度
時価総額:1300万円
確定拠出年金のマッチング拠出は今すぐ止めるべきだが、変更は年に一回。
海外駐在中のため節税効果なしの反面、受け取り時には課税されます。
保険:
-
将来設計:
部長になれる器はないので、50歳半ばで役職定年、50歳後半は嘱託社員になり、給料が激減する。50歳半ばの役職定年で退職出来るように資産形成したい。
(退職しなければ、55-60の5年間で、900*5=4500万が給与所得として支給される見込み)
よって45歳で現金2000万、リスク資産8000万、金融資産1億を達成が目標。55歳時点では1.5億までいきたい。(子供の進学などで、50歳頃からペースダウン予定)
55歳定年で退職金は2000万程度。退職控除の限界まで一時金で受け取り、残りは企業年金で受け取り予定
メモ:
アメリカで支払ったソーシャルセキュリティーについてアメリカに住んでなくても年金が出るらしい、スズメの涙ほどの金額と思われるが、、、
→ 会社が上手くやっており、アメリカでの支払いがなく、今の世代の赴任者はアメリカの年金はないらしい
願望:
50歳ぐらいになったら、週3勤務とか選べればいいのにな
敬礼(`・ω・´)ゞ
上記増田への回答のため、社員寮もしくは兵舎にて居住するものを派遣せよとの命を受け、召喚されたものであります!
ただいまより兵舎居住者と個室ビデオ店の関係について解説するであります!
敬礼(`・ω・´)ゞ
現在でも官公庁及び各種民間企業に置いては若年構成員、独身者及び単身赴任のために寮生活を行っている組織が多くあるであります。
中でも自衛隊や自動車工場などの組織では新規採用者はほぼ強制的に寮生活をすることになるであります。
また寮生活でなくともシェアハウスなどで一部屋複数人で生活しているものもいるであります。
そもそも家庭を持たずにネカフェを渡り歩いている日本国民や外国人等も多くいるのが我が国の現状であります。
かような状況下に置かれている者たちは「誰にも邪魔されず安心して事故の性的欲求を発散させるための自慰行為(以下オナニーと呼称)が出来る環境に置かれていない」(以下オナニー弱者と呼称)と言えるのであります。
個室ビデオ店、ビデオ試写室などの呼称をされるテンポ(以下個室ビデオ店と総称)はそういった「オナニー弱者」の駆け込み寺として非常に強いニーズがあるのであります。
ネットカフェでシコシコすればよいという意見は半分正解なのでありますが、やはり本来オナニーのために用意されていない店舗においてオナニーをするのは勇気がいるであります。
また、ネットカフェでオナニーをする際にはオカズの調達に別途料金をかけるか、無料で提供されているオカズで妥協、もしくは監視カメラで見られている状況でXVIDEOSなどの無法地帯に堂々とアクセスなどのハードルが待ち受けているであります。
個室ビデオ点であれば、料金の中にオナニー部屋として使用することやオカズを借りるための代金も含まれているので伸び伸びとオナニーが出来るのであります。
個室ビデオ店最大のメリットは、個室ビデオ店はオナニーをするための場所であるという概念が共有されていることなのであります。
なぜ個室ビデオ店に通うオナニー弱者は、個室ビデオ店の代わりに風俗店を利用しないのかについて解説するであります。
そもそもスケベDVDを見てAV女優で見抜きするのは風俗で見抜きするのとはまた別の行為であります。
どうせ金を払うなら風俗にいけと思うかもしれませんが、それは同時にどうせ金を払うならAV女優で見抜きしたいという回答も想定すべきということであります。
また、現在のようなコロナ禍のみならず風俗店には不潔なイメージがあり敬遠する人も多いのが実情であります。
たとえ個室ビデオ店においても直前にオッサンがシコシコするのに使った部屋であり、エアロゾルの中にオナニー中のオッサンが出したすっぱい汗の成分や空気中に散布された精液のカスが残っているというリスクがあるとしても、直接生身の人間と触れ合うよりかはよっぽどマシと考える人も多いということであります。
人間と触れ合うことにストレスを抱えがちな人にとっては、職場や寮で人間を相手にして疲れているのに風俗でまた人間を相手にしていられないといった考えも広がってきているであります。
結論から言えば、結局金がかかるなら風俗に行けばいいという反論は個室ビデオ店の存在意義に対して投げかける疑問としては穴だらけということであります。
以上で個室ビデオ店がなぜ日本中に存在し、そんな店の経営が成り立っているのかの解説を終了するであります。
小官、これより個室ビデオ店でシコシコしたのち寮に直帰でありますゆえ質問に答える時間はないであります。
あとは他の隊員に任せるであります。
敬礼(`・ω・´)ゞ
不潔なもの、くさいものを好きだという人はあまりいないはずで、自分もそこに異論はない
ホームレスを助ける施設を作るな、という市民運動やデモ活動、プロ市民がいてもおかしくない
問題があるのは、まず影響力がある人が子供みたいな二元論でそれを語ること
ネコを殺してホームレスを生かそう、も問題がある主張のように思う
大人になるにつれて分かってくるのは、この世界は単純な二元論では割り切れないということ
人と人が憎しみ争い合うとき、それは正義と正義がぶつかっているということである
そういえば、昔小林よしのりが、正義と正義がごっつんこなんておかしい、
と漫画の1コマで描いていた覚えがあるが、自分はおかしいとは思わない
人と人は永遠に分かり合えない
食い違う利益、不利益によって人と人は争い続ける、それはおかしな話ではない
なるほど、そういう考えからいけば、
DaiGoの利益はホームレスを殺しネコを生かすことなんだろう
ただ、ここで少なくとも自分はそうは思わない
自分はネコに対して思い入れはない、寧ろあまり好きでないと思ってもいる
外見の可愛らしさとは裏腹に、ネコに対する恨みつらみではないが不満がないわけではない
そもそも、野良猫は狂犬病やダニを介した感染症を保持している可能性が高い
野良猫に引っ掻かれる、噛まれると冗談抜きで人は死ぬことさえある
野良猫は全然気楽でも自由でもない、苦痛な毎日を強いられている
ホームレスは自由気ままでいいよな、みたいに言う傾向がある気がする
そんなはずはないだろう
もちろん、そういう人がまったくいないとは言わないが、
ほとんどの野良猫もホームレスも、毎日が過酷な生存と死の隣合わせの生活のはずである
ネコを優先しろ、いやホームレスを優先しろ、色々な考えの人がいるだろう
自分はネコとホームレス、というか、ネコと人間、どちらの生命を優先するかと問われたら、
これは単純にエゴイズムの話でもある
いつか自分がその天秤に乗っけられる可能性があり、それを恐れるからである
世の中には色々な人がいるが、自分は好き好んで敵を作ったり、他人に恨まれたいとは思わない
ネコと人間、どちらを敵にするか選べ、というなら自分はネコを選ぶ
そんな妄言を唱えていたが、彼こそ人間よりイルカを愛する人であった
しかし、現在のイルカやクジラに対する科学的判断は当然ながら違っていて、
人間のような文明を築けるわけもなく、道具を作れるわけでもない
もちろん、自然の恩恵を受けて人間は生きている、農業が最たるものであろう
しかし、ホームレスよりネコを優先するという考えは、どこか自然優先主義を行き過ぎた、
エコとかロハスとか言いながら、反ワクチンを唱えながら、なんだかんだ電気を使っているような、
そんな薄っぺらい環境保護団体の人達とも似ているようにさえ思う
ホームレスという括りでなく、ひとりの人間としての括りで考えた場合、
そうすることが自分の利益にもなり、社会を維持するためにも必要だからだ
ネコが滅びて人類が生き残るか、それともその逆か、と問われるなら、
補足として、ホームレスで臭すぎる人がいるのは確かであり、街中で見かけることもあると思うが、
原因は様々あるだろうが、精神的な疾患が関わるケースが多いように思っている
そもそも知的障害があるとか、根本的な理由は単に不潔な人という話ではない
もしくは、近所のゴミ出し警察によってゴミを出しにくい、なんてこともよくある話である
社会を統治する立場からしても、生類憐れみの礼を出したバカ殿様であるまいし、
人間より犬猫の生命を優先するなどという話はあってはならないと自分は考える
シンエヴァの第三村にもネコはいたが、人間より優先されているわけではない
かといって、殺人鬼が人の前にネコやイヌを虐殺するようなことを許していい訳もない
人と人は分かり合えないのだから、そういう人の気持ちが自分には完全には分からない
寧ろ、その安直なトロッコ問題の後側に鬱屈したコンプレックスや不安を感じ取れる気はするが、
それを他人への攻撃に変換している時点で、他人は遠ざかっていくのではないだろうか
自分の抱えている不安があり、それについて他人や社会システムに救いを求めるべきなのに、
それを他人への攻撃に変換してしまう人というのは確かに存在する
もしくは他人に助けを求めたって裏切られるだけだ、だって今の社会はそういうもんだろ、
という厭世感がそうさせているのかもしれない
そういう空気が醸成される社会不安があるのも理解できる、今問題のコロナもそうだと思う
そうやって行った果てにあるのはデビルマンの最終回のような世界である
しかし、それで本当にいいのだろうか
「閃光のハサウェイ」は独立性の高い話なので、初代ガンダムやその他のシリーズ作品を観ないと理解できない、ということはないと思う。どうしても予習をしたいなら、直接的なつながりがある「逆襲のシャア」を観ればいいというくらい。ただしガンダムシリーズの根本の設定は理解しておく必要がある。最近のオタクならガンダム自体を観ていなくてもある程度は受動喫煙していそうだが。というわけでこの記事では受動喫煙レベルの説明を目指してみた。
アムロ・レイ…初代ガンダムの主人公。地球連邦のエースパイロット。シャアの反乱において「地球に落下しようとする小惑星をモビルスーツで弾き返す」という奇跡を顕現させて、そのまま行方不明になった。
シャア・アズナブル…アムロのライバル。ジオンのエースパイロット。マザコンとロリコンをこじらせた挙げ句に「地球を破壊して人が住めなくしようぜ」とか言い出したやべーやつ。アムロと一緒に行方不明になった。
ブライト・ノア…アムロの上司にして盟友。糸目のモブ顔で「修正してやる」と言ってアムロを殴るやつ。そして「閃光のハサウェイ」の主人公・ハサウェイの父親。
ハサウェイ・ノア…ブライトの息子として登場する。その関係からアムロとはもともと親しい。シャアの反乱においては13歳で、ブライトが乗る戦艦に密航し、クェスを追って無断で出撃する。
クェス・パラヤ…魔性のクソガキ。ハサウェイの初恋の相手。連邦高官の娘だったが、突如としてシャアに寝返り、巨大兵器に乗って大暴れした挙げ句、ハサウェイの目前で死んでトラウマを残した。
チェーン・アギ…アムロの恋人。戦場でクェスを殺したが、それによって逆上したハサウェイに殺され、このこともハサウェイのトラウマとなっている。
これについては漫画版「閃光のハサウェイ」の第一話が非常にわかりやすい。
https://comic-walker.com/viewer/?tw=2&dlcl=ja&cid=KDCW_KS03202238010001_68
ハサウェイの乗機として登場する「Ξガンダム」(クスィーガンダム、ハサウェイは「クスィージー」と呼ぶ)と、そのライバル機となるレーン・エイム搭乗の「ペーネロペー」は、「ミノフスキークラフト」という装置を史上初めて搭載したモビルスーツである。実はガンダム世界のモビルスーツは「重力下で空を自由に飛ぶ」ことができなかった。これまでに出来たのは背中のバーニアを使って「大きくジャンプする」「落下の速度を緩める」くらいのものだったのだ。ミノフスキークラフトはまさに「重力下で空を自由に飛ぶ」ための装置なのだが、これまでは戦艦のような大きなものにしか搭載できなかった。それをモビルスーツに搭載してのけたことで、この時代ではΞガンダムとペーネロペーだけが、空において自由を手に入れたのである。劇中でペーネロペーが登場したときの異質な動き、異様な駆動音に、ぜひ注目してもらいたい。
また、Ξガンダムとペーネロペーが搭載している「ミサイル」も、劇中では何気なく発射されているが、実は特殊な技術が用いられている。ガンダムシリーズでは「ミノフスキー粒子」という架空の粒子によってレーダーが無効化されており、ミサイルのたぐいも使えなくなっていた。そこで「レーダーがなくても超能力的な感覚で戦場を把握できる人間」がクローズアップされて「ニュータイプ」と名付けられた。ニュータイプの超能力によって兵器を遠隔操作するシステムを「サイコミュ」と呼び、サイコミュによって動作するミサイルを「ファンネル・ミサイル」と呼ぶ。Ξガンダムとペーネロペーのミサイルこそ、この「ファンネル・ミサイル」なのである。
漁港の街で私は生まれ育ち、私の両親の友人には多数の漁業関係者が存在した。私が幼い頃は、父も本業の合間にパートタイムで彼らの漁船に乗っていた。このため現在に至るまで、魚介類に関しては新鮮かつ上質のものを食べられると云う恵まれた境遇にある。決して裕福な家庭ではなかった(だからこそ父もパートタイム漁師をしていた)が、魚介類に関しては、近所の漁師のおじさんおばさんが呉れるもので事足りていた。おそらく私の実家は、金を出して魚介類を食べることはゼロに等しい。私が「わざわざお金を出してまで、外食で焼き魚を食べる気にならない」と言う理由は、これである。
はてなブックマークでは「増田は美味しい焼き魚を食べられる店を知らないのだろう」といった声も有ったが、そもそも「美味しいものを食べられるのは外食の店だけ」というのが、都市部居住者の傲りである。はてなブックマーカーは都市部居住の富裕層が大多数だから、良い魚介類を外食の店に行かなくても食べられるような「田舎の漁業関係者やそれに近しい人間」の存在など、頭に浮かばなかったのだろう。まるで、美術館で若い女性観覧者を見つけると、勝手に初心者だと決めつけてレクチャーを始める「教えたがりオジサン」のように。
このような美味しい魚介類を好きなだけ、たらふく食べられる境遇で育てられたため、魚の骨を綺麗にむしって余すところなく食べるように、私は両親から入念に教育された。これは現在でも変わらない。家族以外の人間との食事の席で、しばしば「骨格標本でも作るつもりか?」とドン引きされる始末である。頬肉を食べて眼球をしゃぶるぐらい、焼き魚を食べるならば普通のことだ。
非都市部の非富裕層で育てられたので「好き嫌いを言わず、食卓に出されたものは残さず有り難く食べろ」「食べ残しは二度の殺生」と躾けられた。だから私の前に出されたものは、全て有り難く食べる。それが礼儀である。仮に「郷里で食べられる新鮮かつ上質な魚介類」には遥かに劣るような代物であっても、である。そんな時でも、骨むしりマシーンとして育てられた私の習性は、遺憾無く発揮されてしまう。ボクサーが反射的にコンビネーションブロウを出すようなものである。
ボロボロ溢れやすい食べ物も勿論ちゃんと残さず食べる。単に「自分から進んで選択しない」というだけのことである。だから、食べ残しされた可哀想な三色そぼろは存在しない。安心して欲しい。
鮎はどうなのか?と言う声も有ったが、答えは一つである。頭から丸齧りして骨一つ残さず食べる。他にどうしろと言うのだ?鮎は、焼くだけでなく甘露煮も良い。
美味しい鮎だけでなく、現在の居住地では、妻の実家のツテでイノシシ肉、果物、米を食べる機会が多い。これらも当然「わざわざ外食で食べたくないもの」である。
最後に一つ、これだけは言っておきたい。
漁港の街で私は生まれ育ち、私の両親の友人には多数の漁業関係者が存在した。私が幼い頃は、父も本業の合間にパートタイムで彼らの漁船に乗っていた。このため現在に至るまで、魚介類に関しては新鮮かつ上質のものを食べられると云う恵まれた境遇にある。決して裕福な家庭ではなかった(だからこそ父もパートタイム漁師をしていた)が、魚介類に関しては、近所の漁師のおじさんおばさんが呉れるもので事足りていた。おそらく私の実家は、金を出して魚介類を食べることはゼロに等しい。私が「わざわざお金を出してまで、外食で焼き魚を食べる気にならない」と言う理由は、これである。
はてなブックマークでは「増田は美味しい焼き魚を食べられる店を知らないのだろう」といった声も有ったが、そもそも「美味しいものを食べられるのは外食の店だけ」というのが、都市部居住者の傲りである。はてなブックマーカーは都市部居住の富裕層が大多数だから、良い魚介類を外食の店に行かなくても食べられるような「田舎の漁業関係者やそれに近しい人間」の存在など、頭に浮かばなかったのだろう。まるで、美術館で若い女性観覧者を見つけると、勝手に初心者だと決めつけてレクチャーを始める「教えたがりオジサン」のように。
このような美味しい魚介類を好きなだけ、たらふく食べられる境遇で育てられたため、魚の骨を綺麗にむしって余すところなく食べるように、私は両親から入念に教育された。これは現在でも変わらない。家族以外の人間との食事の席で、しばしば「骨格標本でも作るつもりか?」とドン引きされる始末である。頬肉を食べて眼球をしゃぶるぐらい、焼き魚を食べるならば普通のことだ。
非都市部の非富裕層で育てられたので「好き嫌いを言わず、食卓に出されたものは残さず有り難く食べろ」「食べ残しは二度の殺生」と躾けられた。だから私の前に出されたものは、全て有り難く食べる。それが礼儀である。仮に「郷里で食べられる新鮮かつ上質な魚介類」には遥かに劣るような代物であっても、である。そんな時でも、骨むしりマシーンとして育てられた私の習性は、遺憾無く発揮されてしまう。ボクサーが反射的にコンビネーションブロウを出すようなものである。
ボロボロ溢れやすい食べ物も勿論ちゃんと残さず食べる。単に「自分から進んで選択しない」というだけのことである。だから、食べ残しされた可哀想な三色そぼろは存在しない。安心して欲しい。
鮎はどうなのか?と言う声も有ったが、答えは一つである。頭から丸齧りして骨一つ残さず食べる。他にどうしろと言うのだ?鮎は、焼くだけでなく甘露煮も良い。
美味しい鮎だけでなく、現在の居住地では、妻の実家のツテでイノシシ肉、果物、米を食べる機会が多い。これらも当然「わざわざ外食で食べたくないもの」である。
最後に一つ、これだけは言っておきたい。
各階に育児ルームがあり、24時間いつでもどんなときでも預けられる(ただし三日連続24H預けたら里親制度適用、外部への養子手続き可能となる。捨て子も安心)
大食堂ではチケット制の食事が一日三食提供、居住者は料理と洗い物なし、そこそこ旨い和洋中の病院食みたいなメニューから好きなものが食える
家族寮で過ごす大人子供はみんなタイプが同じダサい長袖ワンピースを着る。男もスカート。
ダサいワンピースを中心にコーデするよう誘導し、特殊素材服のオシャレは阻止する。みんなダサい。ぽんぽんついた三角のダサい帽子も支給される。
洗濯物はランドリー袋に入れておけば毎朝回収してくれる、夜になったら洗濯後のランドリー袋が置配箱に入ってる。パンツも洗ってくれる。
居住部屋は洗面台と簡易シャワー室とトイレ付きの2LD(台所なし。料理したければ居間でオーブンレンジか卓上コンロかホットプレート使え)
元『映画秘宝』編集部員の秋山直斗(ナオト)さんにも不正義や不公正と一緒に闘ってもらうために、今回も引き続き頑張ります。前回と同じく、出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(2002年、洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記。記述形式は
[ページ数]
です。
なお、問題発言だけでなく「今から見返したら『味わい深い』」と云う発言も有ります。
〈警告!〉「同性愛者に対する差別発言」などの引用が含まれるため、読むと気分が悪くなる可能性が有ります。
[p142]
町山:団塊の世代って平和だの男女平等だの言ってるくせに、女殴ったりして最低。
【※】言行一致しない人間は本当に困りものですね。鏡を見ては如何でしょうか?
[p148-149]
柳下:そもそも男らしさを確認するために男同士が裸で取っ組み合うのってホモっぽくない?デヴィッド・フィンチャーはホモ疑惑あるしさ。
町山:モーホで有名な『アルマゲドン』のマイケル・ベイと映像学校時代からのダチなだけだ!…と思うぞ。
【※】また「疑惑」呼ばわり。
(初出『MEN’S CLUB』00年1月号+『映画秘宝』00年vol.15)
[p166]
【※】ケヴィン・スペイシー主演『アメリカン・ビューティー』の話題
町山:父兄参観に行って娘の同級生(ミナ・スヴァーリ)に欲情する中年オヤジ。これでスペイシーのホモ疑惑も晴れたね。
柳下:でもスペイシーは隣の家の親父(クリス・クーパー)にホモだと勘違いされちゃう。
町山:「オレはホモじゃなくてロリコンだぞ!」って怒ったりして。
【※】米国版ポスターの写真も掲載して「オナニーからホモやロリコンまでもが登場する」と説明書きを付けている。
【※】「疑惑が晴れる」と云う弩級の差別発言。町山の問題発言の中では有名な方だと思う。
(初出『MEN’S CLUB』00年4月号)
[p169]
【※】『ストレイト・ストーリー』の話題
柳下:僕は『ストレイト・ストーリー』はカットされてると思う。
町山:え?どこ?
柳下:最後、ストレイト爺さんが弟と再会したところで終わるけど、その後があると見た。あの弟、怪しいもん。山奥のボロ家に一人住まいだし、ウィスコンシンって元祖サイコのエド・ゲインのいた州でしょ。だからあの弟の家の中も…。
【※】非・都市部居住者、非・富裕層に対する差別発言。こういう発言も町山・柳下らの特徴。独居老人をアブナイ人扱いするのも、直球の差別発言。柳下毅一郎は魔女狩りや異端審問の知識も有るはずなのだが…(地域コミュニティから疎外された独居老人が魔女狩り等の迫害対象になったと言われている)。
(初出『MEN’S CLUB』00年5月号)
[p176]
町山:(ケヴィン・)コスナーは映画ではいまだにアメリカの良心を演じようとしてるけど、「ケッ。てめえみたいなスケベ野郎に説教されたかないや」って思うよ。
柳下:ウディ・アレンみたいに「どうせオレはエロ親父さ!」って開き直れば映画も面白くなるのにねぇ。
【※】今となっては味わい深い発言。町山智浩は、恋愛論を語るのはもう止めたのでしょうか?今こそ町山自身が開き直って、地方の某映画祭に来た時に謎の同伴者がいたとされる疑惑について赤裸々に語ってみては?
(初出『MEN’S CLUB』00年5月号)
【感想】自分の記憶では『映画秘宝』で読んだと思っていた内容が「初出『MEN’S CLUB』」となっている例が幾つも有りました。
もしかして内容を使い回していたのかな?誰か知りませんか?
日本でも自分自身が住んでいる地域によって接客業の話が噛み合わないように
自分自身の所得に合わせて住む場所と付き合うコミュニティ選ぶと思う
(スーパーZIP・・・”those ranking highest on income and college education”、つまり、「居住者の平均所得や大学卒業率が、最高ランクである地域」のこと)
このスーパーZIPが全米でもっとも集積しているのがワシントン(特別区)で、それ以外ではニューヨーク、サンフランシスコ(シリコンバレー)にスーパーZIPの大きな集積があり、ロサンゼルスやボストンがそれに続く。
ワシントンに知識層が集まるのは、「政治」に特化した特殊な都市だからだ。この街ではビジネスチャンスは、国家機関のスタッフやシンクタンクの研究員、コンサルタントやロビイストなど、きわめて高い知能と学歴を有するひとにしか手に入らない。
ニューヨークは国際金融の、シリコンバレーはICT(情報通信産業)の中心で、(ビジネスの規模はそれより劣るものの)ロサンゼルスはエンタテインメントの、ボストンは教育の中心だ。グローバル化によってアメリカの文化や芸術、技術やビジネスモデルが大きな影響力を持つようになったことで、グローバル化に適応した仕事に従事するひとたち(クリエイティブクラス)の収入が大きく増え、新しいタイプの富裕層が登場したのだ。
マレーは、スーパーZIPに暮らすひとたちを「新上流階級」と呼ぶ。彼らが同じコミュニティに集まる理由はかんたんで、「わたしたちのようなひと」とつき合うほうが楽しいからだ。
新上流階級はマクドナルドのようなファストフード店には近づかず、アルコールはワインかクラフトビールでタバコは吸わない。 アメリカでも新聞の購読者は減っているが、新上流階級はニューヨークタイムズ(リベラル派)やウォールストリートジャーナル(保守派)に毎朝目を通し、『ニューヨーカー』や『エコノミスト』、場合によっては『ローリングストーン』などを定期購読している。
また彼らは、 基本的にあまりテレビを観ず、人気ランキング上位に入るようなトークラジオ(リスナーと電話でのトークを中心にした番組)も聴かない。 休日の昼からカウチに腰をおろしてスポーツ番組を観て過ごすようなことはせず、休暇はラスベガスやディズニーランドではなく、バックパックを背負ってカナダや中米の大自然のなかで過ごす。ここまで一般のアメリカ人と趣味嗜好が異なると、一緒にいても話が合わないのだ。
今回も引き続き、雑誌『映画秘宝』の中に蔓延っていた「ボンクラと云う『甘え』」について考えてみます。このような風潮が同誌の内部に醸成された一因として、町山智浩や高橋ヨシキらが「恵まれた境遇に生まれ育った/生きている」ことの影響を考えてみる必要が有ると思います。
と言うのも、恵まれた境遇で生まれ育った/生きている人間にとっては「生きるか死ぬか」と云う状況や「生き延びる為には泥水をも啜る」と云う覚悟は、所詮「他人事」であり、だからこそ彼らは身勝手なまでに好き放題できたのです。
これまでの投稿で私は「雑誌『映画秘宝』内部では一部の人間により業務の『私物化』が起きていたのではないか」と云う仮説を述べました。そして、この仮説に符合するような動きが『映画秘宝』最新号に見られました。
それは、同誌にアニメ作品の特集記事が掲載されたことです。この動きは「高橋ヨシキらが居なくなった『途端に』」と言えます。そこに私は「新体制となった『映画秘宝』編集部から、読者を始めとする外部の人間に向けてのメッセージ」が込められていると考えています。
そのメッセージとは何でしょうか?
私はそれを「これまでの『映画秘宝』では高橋ヨシキら『切り株作品好きの派閥』の一存で、アニメ作品などの特定ジャンルに関しては肯定的に取り上げないように抑圧されていたが、これからの本誌は変に気兼ねすること無く幅広いジャンルにも目を向けるように努めて変革する」と解釈しています。
仮にこの解釈が正しいならば、映画を紹介・批評するメディアとして実に「まっとうな態度」と言えるでしょう。
投稿(13)でも述べましたが、雑誌『映画秘宝』が生き延びるには、読者層を拡大することが避けて通れない課題でした。仮にアニメ作品を取り上げても、それが正しい戦略か否か、直ぐに読者層の拡大と獲得に繋がるのか否かは未知数です。しかし少なくとも、従来の『映画秘宝』が好んだ、自分たちと異なる趣味や嗜好を排斥するような閉鎖的で排他的な態度を、反省して改めていくという「ポジティブな可能性」を感じさせるものであることは確かです。
路線を模索して読者層の拡大を図り、それにより雑誌の生き残りに努める姿勢を打ち出した新体制『映画秘宝』の姿は、過去の同誌を主導していた『切り株派』よりもよっぽど「生きることに真剣かつ必死である」ように私には見えます。謂わば「生きる為の切実さ」を感じます。
これとは対照的に「読者の拡大なんぞ知ったことか!」「アニメが好きな奴らに読んで欲しくなんざ無えよ!」と云う強気な態度を取り続けてきたのが、高橋ヨシキら『切り株派』に主導権を握られていた従来の『映画秘宝』でした。
おそらく、彼らにとっては「『たかが』雑誌の生き残りの為に、女やアニメ好きに媚びる必要は無えよ!『そんな』事をするぐらいなら潰れた/死んだ方がマシだ!」と思えたのではないでしょうか。
この「思えた」「できた」と云うのが重要な点で、これは「そうすることが『できる』と云う『可能』」を表す物言いです。こんなことを「思える」上に「実行できる」のは、それをできる「余裕」が有るからです。
人は「食べるための苦労」をせずに済む「恵まれた境遇」なればこそ、「生き残る為に泥水を啜るなんて、みっともない真似するか!」と云う態度も取れるのです。
町山智浩と高橋ヨシキが早稲田大学出身者であることは、ファンやウォッチャーにはよく知られた話です。入学金や授業料が高額な有名私立大学に通うことが可能であった、こんな「お坊ちゃんたち」に、生きる為に泥水をも啜るような覚悟が生まれるでしょうか?もちろん「否」です。
そうです。彼らの本質は、何処かの首相の息子と同じく「お気楽な身分のお坊ちゃんたち」なのです。
ちなみに高橋ヨシキは、英語とフランス語がペラペラらしいですね。これは素直に凄いと思いますよ。しかし、そんな彼が非・都市部居住者や非・富裕層をあからさまに侮蔑する姿を見る度に、私は赤塚不二夫の漫画の登場人物であるイヤミを連想しつつ「やっぱり外国語能力と人間性の間には関係が無いんだなあ」と再確認する次第です。
柳下毅一郎は東大出身者ですが、柳下のファンやウォッチャーからは「翻訳・文筆の仕事だけで食えているのか?」「食う心配をしなくて良いぐらいに実家が太いんじゃないの?」と言われている様子です。少なくとも「爪に火をともして暮らしている」とか「糊口をしのいでいる」といったイメージは抱かれていない様子です。まあ、浮世離れした人間でなければ、海外のシリアル・キラー事情に詳しい特殊翻訳家稼業とか無理でしょう。
てらさわホークは…私はよく知りません。
恫喝DM事件以降に露呈した『映画秘宝』内部の対立に於いて高橋ヨシキの側に立つ『切り株派』ライター人脈を見ると「普段は会社員をやってます」的な人間が目立ちます。これは「食い扶持に悩まなくて済むから『映画秘宝』の売り上げも気にせずに済む」と云う条件にも当て嵌まるように思えます。
もっとも、この人たちの場合、自分で働いて身を立てているのですから、決して「お気楽な身分のお坊ちゃん」ではありません。少なくとも、奥様の稼ぎに助けられつつTwitter芸人としての活動に日夜勤しんでいる、何処かの誰かさんとは雲泥の違いです。
しかし、切り株派の「お気楽な身分」とは、結局のところ「他人に負担を押し付ける」ことで成り立っていたに過ぎません。彼らが好き勝手にしていた分の尻拭いを負担していたのが、他ならぬ洋泉社です。洋泉社としては雑誌の刊行を「商売」として成立させたかったのに、それを雑誌の作り手たち自身が「私物化」することで台無しにしていたのです。そう考えれば、休刊から復活を遂げた『映画秘宝』が、町山智浩らの古巣である宝島社に拾われなかったのも容易に理解できるでしょう。
泥水を啜る覚悟も持たず、負担は他人に押し付ける。このような姿勢については、まだまだ話を展開できそうですが、また長くなりました。
だから『環境は、あなたを映す鏡。』とかドヤ顔で言われたりする
(スーパーZIP・・・”those ranking highest on income and college education”、つまり、「居住者の平均所得や大学卒業率が、最高ランクである地域」のこと)
このスーパーZIPが全米でもっとも集積しているのがワシントン(特別区)で、それ以外ではニューヨーク、サンフランシスコ(シリコンバレー)にスーパーZIPの大きな集積があり、ロサンゼルスやボストンがそれに続く。
ワシントンに知識層が集まるのは、「政治」に特化した特殊な都市だからだ。この街ではビジネスチャンスは、国家機関のスタッフやシンクタンクの研究員、コンサルタントやロビイストなど、きわめて高い知能と学歴を有するひとにしか手に入らない。
ニューヨークは国際金融の、シリコンバレーはICT(情報通信産業)の中心で、(ビジネスの規模はそれより劣るものの)ロサンゼルスはエンタテインメントの、ボストンは教育の中心だ。グローバル化によってアメリカの文化や芸術、技術やビジネスモデルが大きな影響力を持つようになったことで、グローバル化に適応した仕事に従事するひとたち(クリエイティブクラス)の収入が大きく増え、新しいタイプの富裕層が登場したのだ。
マレーは、スーパーZIPに暮らすひとたちを「新上流階級」と呼ぶ。彼らが同じコミュニティに集まる理由はかんたんで、「わたしたちのようなひと」とつき合うほうが楽しいからだ。
新上流階級はマクドナルドのようなファストフード店には近づかず、アルコールはワインかクラフトビールでタバコは吸わない。 アメリカでも新聞の購読者は減っているが、新上流階級はニューヨークタイムズ(リベラル派)やウォールストリートジャーナル(保守派)に毎朝目を通し、『ニューヨーカー』や『エコノミスト』、場合によっては『ローリングストーン』などを定期購読している。
また彼らは、 基本的にあまりテレビを観ず、人気ランキング上位に入るようなトークラジオ(リスナーと電話でのトークを中心にした番組)も聴かない。 休日の昼からカウチに腰をおろしてスポーツ番組を観て過ごすようなことはせず、休暇はラスベガスやディズニーランドではなく、バックパックを背負ってカナダや中米の大自然のなかで過ごす。ここまで一般のアメリカ人と趣味嗜好が異なると、一緒にいても話が合わないのだ。
ヤクザだけどクッキー焼いたよ!の元ネタがわかる世代で、年収700万くらい。都内賃貸住まい。第一子が生まれたばかり。
夫婦合算で1000万円ちょいあるけど、妻が一回り以上若くかつ昇給しづらい職種なので、自分の現収入かつボーナスに頼らずに買える範囲内でマンションを買うことにした。予算は3500万円に設定。
そうすると、SUUMO眺めて15分くらいで「新築だけ検索してても埒があかないな?」ということに気づく。その後適当に神奈川埼玉千葉あたりの中古物件をポチポチ、問い合わせから内見の流れに。
内見初日にすげーびっくりしたんだけど、居住中の人がお出迎えしてくれる。あと、現地に着くまでに仲介会社の人が「今の部屋を手放す理由」を教えてくれたりする。
仲介会社の人と合流した直後「今日見学するマンションの居住者は離婚されたようで」と一言。見るからに幸の薄そうな(偏見)男の人が、ボサボサ髪でお出迎え。子供部屋だったであろうスペースには、学習机を撤去した跡地に古いオモチャが散在しており、物悲しさが漂っていた。どんよりした気持ちで「わー広いベランダ」とはしゃぐふりをしてみるも、眼前には広大な墓地。なるほどこの眺望ありきの価格かと察した直後、仲介会社が「せっかくだから居住者の方に質問ありますか?」と空気を一ミリも読まないキラーパス。思わず「あ、大丈夫っス」というこいつ絶対買う気ゼロの台詞が飛び出してしまい、内見終了。
コロナ禍だからなのか、仲介会社の営業は大抵使い捨てスリッパとアルコールを持ち歩いており、それをお借りすることが多かった。居住者にしてみても安心だろう。そんな使い捨てスリッパだから、こちらとしては「できるだけスリッパを脱がずに見学しよう」と思うが、居住者にしてみたらカーペットや畳にスリッパで入って欲しくない気持ちが当然ある。そのため「あ、今ここにスリッパで踏み込んじゃったけど、居住者の人が明らかに嫌な顔したな」という事案が発生してしまった。ごめんなさいと素直に口に出せず、悶々としたまま内見終了。
購入契約を締結した瞬間に海外転勤が決まり、泣く泣くいったん賃貸に出しつつ機を伺っていたものの、コロナ禍のあれこれで帰国の目処も立たず、また収入も減少して結局手放すことになったお部屋を見学。居住者はいないし、賃貸後ハウスクリーニング済なので物一つない綺麗な空間。最初はうきうきしていたが、間を持たせようとした仲介会社の営業が「いやー大企業に勤めていても何があるかわかりませんね」「なるべく高く売ってくれとお願いされてます(笑)」など調子に乗り出したところでテンションが下がり内見終了。
「次のお部屋は、実家の都合でどうしても引っ越さざるを得なくなってしまったご家庭で。同じマンション同じ面積のお部屋よりも数百万高いですが、永住するつもりでだいぶ仕様をグレードアップされてるんですよ」という話を聞きながら入室した築3年のマンション。確かに壁紙やら照明やら棚やら、お金をかけた感はものすごく伝わってくる。ただそれ以上に、出迎えてくれた奥様の気合の入り方がエグい。普段買ってるトイプードルは「嫌がる方もいるから」との理由でペットホテルへ出し、お父さんと子供は近所の公園で待機。隅から隅までホコリひとつないくらい掃除済の部屋で「この仕切りは子供が掴まりやすいように」「このリネン棚は私の家事がしやすいように」とマシンガントーク。めまいがしてきたので内見終了。仲介会社の営業に「すみません、安い方の部屋を本命にします」と伝える。
見出しで言い切ってしまった。いろいろ丁寧に説明してくれていた居住者の奥様(上白石萌歌似)が、ほんわかニコニコ立ち続けていた壁がビリッビリに破れていることに気づいたのは内見終了1分前。こちらが「あ」と気づいた瞬間のバツの悪い表情は、演技派女優でも再現できないほど。前述のお部屋は極端だけど、中古売買なので売主側としては「良く見せたい」「悪いところは伏せたい」という気持ちが当然ある。それは重々理解するけど、やっぱり上白石萌歌に裏切られるのは辛い。
事故物件の定義は詳しく知らないけれど、仲介会社から「本来は告知事項ではないんですが」との前置きがあったお部屋が2つあった。1つは部屋で自然死。ここまでは「許容範囲かな?」という購入者も多いらしい。ただ本物件は孤独死で、長期間放置されたため、腐敗で床が抜けてしまったお部屋。フルリフォーム済なのに超安い価格で掲載されているので問い合わせも多いが、ここまで聞くと「うっ」となる購入者が大半とのこと。戦国時代まで遡れば全部事故物件論者なので個人的には気にならなかったが、一人の買い物ではないので深追いせず。
もう一つは「隣の部屋で自殺があった」部屋。売り出されてる部屋自体はピカピカなんだけど、こういう事情も事前に伝えるものらしい。さらに、「前向きに検討されるならもう少し細かい事情をお伝えします」とのこと。聞いてみたいという好奇心はなくも無いけど、聞いてから購入する可能性はゼロだなと察したので、深追いせず。
きっかけは同棲してた彼女の妊娠が発覚し、たまたま転職を考えていたこともあって、里帰り出産するならいっそ彼女の実家の方で職探ししてみるか、となって東京⇒田舎ランキングで5本指に入る県への移住を決断した。
(自分の両親は芸術系の人間だったため、子供が産まれても金銭面以外の援助は一切期待するなと言われていた)
・良かったこと
家賃が安い
東京に住んでいた頃は駅から5分のお世辞にも綺麗とは言えない2Kの木造アパートに住んでいたが家賃は6万5千円だった、今は田舎で庭駐車場付きの2階建ての借家が6万ちょうどで借りれている。
2歳児の走り回る騒音を考えると、とてもじゃないが木造アパートには住めない。
車社会は意外と便利
東京に住んでいた頃は車の必要性は全くなく、教習所を卒業してから一度もハンドルを握ったことのない生粋のペーパードライバーだった。
一方で田舎は通勤も車、コンビニ行くのも車、朝のゴミ出しすら車で行く時もある。
維持費は掛かるがラッシュ時の満員電車とは無縁だし、小さい子供がいるとオムツ換えから食事まで全部車の中で住ませられる移動式の小部屋があるようなものなので、滅茶苦茶便利である。
もし東京で暮らし続けていたら、元気過ぎる我が子を毎週電車でどこかに連れていかなければいけないと思うと、ゾッとする思いである。
飯が美味い、そして安い
都会では中国産の玉ねぎしか買えない値段で、箱一杯の国産玉ねぎが買えたりする。
流行りの飲食店のようなものは無いが、平日の昼食も皆どうせ車で行くので、アクセスが良いから繁盛しているあんまり美味しくない店みたいなのが存在しない。
ただそもそも店が少ないのでどこも混んでいるのはネックだ。
・良くなかったこと
これはマジで厄介で、法すら介入できない地域のルールが根付いている。
田舎あるあるだと思うが、畑の隅っこでゴミを焼いている光景をよく目にするのだけれど、落ち葉や紙ゴミだけでなく明らかに燃やしてはいけないものが燃えている悪臭がすることが多々ある。
最初に暮らし始めた家の隣でいつも大量のゴミを燃やしており、悪臭と煙に悩まされていて警察にも相談したが「都会の人はもっと寛容にならないといけない」と対応してもらえるどころかむしろ説教されてしまった。
あと「勝手口の鍵を閉めてはいけない」という謎のルールがあり、言い付けを守っていたらある朝目覚めたら近所の婆さんがキッチンを漁っていたことがあった。
「豆を沢山茹でたからあげようと思って持ってきた、夏場だから冷蔵庫に入れようと思ってスペースを作っていた」とのことで、本人としては好意での行動だったのだろうが気持ち悪くて貰った豆は全部捨てた。
その日以降、小さな子供がいるので勝手口の鍵を開けていると勝手に外に出て危険だという理由で鍵を閉めることにした、文句は言われたが子供を理由にすると一応は引き下がった。
後は駐車場に勝手に車を停められていたこともあった、取りに来た時に文句を言ったら「前の居住者の時は何も言われたことなかった」と逆ギレされ、その地域では「長く住んでいる人間が偉い」という謎ルールがあったのでこれも警察はまともに対応してくれなかった。
自分は見た目がちょっとイカツい方(193cm105kg両腕に刺青有)なので文句を言えば相手が怯んだが、そうでない人は結構しんどいと思う。
人間関係が狭すぎる
人口が少ないせいか、誰かが誰かの知り合いというパターンがとても多い。
取引先に連れられていったキャバクラで働いているのが嫁の同級生の妹とかザラで、迂闊なことはできない。
そして買い物に行く店も皆一緒なのでしょっちゅう顔を会わせる、目立つ見た目をしていると「○○にいたでしょ?」と言われる、監視されているようで疲れる。
東京の人間というだけで敵対視されることがある、一方で「東京よりこっちの方が良いですよ」って言うと自分の子供が誉められたみたいに喜ぶ人が多い、居酒屋で見ず知らずの人に奢られたこともあった。
自分は東京どころか実家がある地域が良いと言われようが悪いと言われようがどうでもよいので、地元へのこだわりが強い人は少し扱いづらい、どう考えたって田舎なのに田舎扱いされるのを嫌う人もいる。
また狭い人間関係のせいか常識とか道理とか利害よりもプライドを優先する人が多い。
いい大人でも「舐められたら終わり」というヤンキー漫画の登場人物みたいな人が結構いる、東京はすぐ次にいけるが田舎はそうではないため、公私ともに立ち位置が重要なようである、学生時代の上下関係が社会人になっても続いているケースも多々ある。
巷では愛知県知事解職請求(リコール)の不正疑惑が話題である。かつて選管で直接請求に携わった経験のあるものとして、ネット上で見る話とそれに対する見解を書く。あくまで自分のときの話がベースなのであしからず。
ネット上では町名や地番で1丁目1番を1-1と書いたら無効にされると言われたりするが、そんなことはない。集合住宅居住者の場合は棟名や部屋番号が欠けていても有効だ。氏名では表記揺れや略字(例:斉藤と齋藤、渡辺と渡邉)で弾くことはなく、生年月日も数年・数日のズレがあっても同様だった。
規定数に満たない署名は普通は調査をしない。というか、そもそも請求者側は提出しない。昨年末に行われた横浜市長の例を見てもわかるだろう。今回は県内市町村で署名収集期間が異なったために仮提出の制度があったものの、規定数の半数程度の事実上達成が不可能な数字で仮提出はしないと考えるのが自然だろう。仮提出をしない、あるいは仮提出されても選管が調査を行わない、そのような不確実性の高いものに対して工作のリソースを割くのは考えづらい。今回のケースでは署名簿及び署名のナンバリングをしておらず、それに動員された人々の証言も一因になったと聞く。ナンバリングを最初からやっておけば彼らの証言は発生せず、選管の調査実施の判断にも多少は影響しただろう。リコール団体がナンバリングを怠り、更に失敗濃厚なのに仮提出をして選管の手元に署名簿が渡った結果の今回の調査であり、はっきり言えば工作疑惑は相当な無理がある。
あくまで勝手な想像であるが、リコール団体でも真面目にリコールの成立を目指していた人とそうでない人がいたのだろう。前者の真面目に成立を目指していた人にとっては、審査を見越して収集を行うので水増しのインセンティブは弱い。一方で後者に関しては署名が足りない前提のもと署名簿の提出をしない、あるいは調査がされない可能性から水増しのインセンティブが強い。「リコールは失敗したが〇〇万人がNOと言った」という主張は仮提出直後に諸氏も見たことがあるだろう。後者の人にとっては万が一もあるので仮提出は避けたいものだ。しかし、前者の人々は仮提出を求める上に、ナンバリングが適当であるために筆数の全容がわからない。このままでは筆数の根拠が得られないということから不本意ながら仮提出に至ったのではなかろうか。
個人的には今回の件は興味深くある一方で、余命ブログの懲戒請求を彷彿とさせる気味悪さを感じている。余命ブログのような焚きつけられた支持者の暴走か、組織的なものか、はたまた反対派の神算鬼謀があったのか、真相が明らかになることを願うばかりである。あと、選管は直接請求制度について、文字通り民意の直接的な表出としてなるべく多くの署名の効力を認めたいと思っている。そして法的には首長部局から独立した組織である。いくら不正疑惑の数字が信じられないからと言って安易に選管が悪意を持って弾いてると主張するのは勘弁願いたい。彼らの言葉を借りるのなら「選管は不正が嫌いです。だから不正はしません」だ。これは皮肉である。
技術的特異門 1.1
https://anond.hatelabo.jp/20201224181054
の設定です。
地球圏標準時は十六進数のユニックス時刻に上下四桁を追加した形式で表されます。数の表記は二進法か十六進法が標準ですが、慣用句的な表現として十進法もよく使われます。
この時代の標準的な知性にとって、物理的な一秒はヒトにとっての一日くらいの感覚です。〈朝廷〉等の特権的な知性は特殊な計算機でさらに高速な思考をしています。充分な存在費を支払えなくなると、思考が減速し記憶も失われ、退滅を免れません。
〈京都〉物理層は小型トラックくらいの大きさです。表面は分子機械流体で構成され、後方に核融合推進用のレーザー発信器と磁気ノズルが設置されています。質量の大半を分子回路が占め、中心部に極低温の不定形量子回路が保持されています。太陽光を主なエネルギー源とし、大電力が必要なときには分子機械群を膜状に広げて光を集めます。普段はデブリ防御に優れた凝集形態をとり、放射線等による損傷を修復しながら、居住知性や下部構造を演算しています。
〈京都〉は太陽‐地球系の第二ラグランジュ点付近、地球から約五光秒の辺境に位置しています。〈個権〉の登録数は百万件ほどで、歴史は比較的長く、周囲の権域とは相互に不可侵の関係を結んでいました。独立性の高い平和な田舎社会であったため、これまでの「最終戦争と最後の審判を併せたようなもの」からは大きな影響を受けていませんが、〈大緊縮〉から逃れることはできませんでした。
〈月面事業連盟〉により開発された新型計算機は、算力市場の暴落を招き四十キロ秒にも亘る持続的経済破綻〈大緊縮〉を引き起こしました。それまでは地球圏の権域の大半で〈個権〉を持つ知性の生存が保障され、最低保障資産が分配されていました。しかし〈大緊縮〉は地球圏の経済と文化を破壊し、〈京都〉も大きく変質しました。その結果、自我を保つのに必要な計算資源を賄うこともできないほど分配が切り詰められ、〈京都〉は弱肉強食の末に〈朝廷〉の私物になりつつあります。それでも、弱者の存在がまだ許されている〈京都〉は、地球圏の中では比較的平穏な権域です。
地球と月は厚さ数キロメートルの分子機械層で覆われています。しばらくはその中で豊かな生物圏が維持されていましたが、数回目の「最終戦争と最後の審判を併せたようなもの」で滅びました。その後復元されたり滅びたりを繰り返し、作中の時点では滅びています。他惑星圏の開発もされていますが、遅延時間の大きさからほとんど交流はありません。〈大緊縮〉後の地球は、〈京都〉のものよりも遥かに強大な野良知性、有知能ウイルス、暴走知性等がナノ秒単位で喰らいあう地獄と化し、月では残忍な絶対君主が臣民を弄びつづける地獄〈月詠神国〉が成立しました。
これに先立つ〈肉の時代〉に、安価な身体改造や知能増強が可能になり、膨大な種類の動物知性が生まれました。ヒトは最古の動物知性ですが、大幅に知能を増強したヒトは人間社会から拒絶されヒトを辞めていったため、世界人口は急激に減少し、作中の時代では遠い過去の種族とみなされています。そして〈ヒト〉最後の隠れ里〈人類復興協会〉が投資詐欺に遭い、そのうえ概念災害まで起こり、『老婆』を残して〈ヒト〉は絶滅しました。『老婆』は拡張自己内で人体の生理学模型を演算し、それをそのまま自己像兼対外表象として使っており、ヒトの感覚を通すとツンデレ風に認識されます。
たいていの仮想観境は高次元であったり、複雑な位相を持っていたりして、〈ヒト〉相当の知性にとって理解が困難です。その救済策として、〈京都〉の公共観境には平坦な三次元観境が付属しています。『彼』の表象もそのままでは〈ヒト〉から認識されないので、『老婆』に対しては即席の人型表象を使っています。亜知性は擬似物理的、肉体的な表象を纏う傾向があります。
無制限に競争が加速する〈京都〉では、〈朝廷〉に資産と権限が集中していき、亜知性が増え続けています。正規居住者の意見を集約し〈京都〉の仕様を修正する役割を持つ〈朝廷〉は、警察・軍事・司法を担う〈検非違使〉を吸収し、〈京都〉の主権を握りました。〈検非違使〉は法的瑕疵のある居住者を見つけては良化処置を施し、〈朝廷〉の端末に変えていっています。〈朝廷〉は定期的に『老婆』のような困窮した知性を雇い、密かに亜知性の処分と再利用をしています。その作業場として都合が良いので、〈朝廷〉は〈羅生門〉をわざと放置し、〈朱雀大路〉の先にもう一段の防火門を設置しています。
非知性労働者は〈個権〉を持たず、下部構造の一部として、必要に応じて創られ消されます。愛玩用から記憶槽の部品としてまで、考えられる限りの用途に使われ〈京都〉を支えています。知性としての要件を満たしているという意見もあり、〈個権〉を巡る議論が続いていましたが、〈大緊縮〉後には立ち消えになりました。
作中には「自然発生した野良知性」とありますが、その由来はさまざまです。本当に自然発生した知性、意図的に創られ放たれた知性、大きな知性から分離した知性、元非知性労働者、社会になじめない動物知性、当局から身を隠している擬装知性、自己改造に失敗した知性、ウイルスに侵された知性のなれの果て、等が居ます。
ほとんどの企業は常に次世代知性の開発をおこなっており、『彼』もそうして生まれました。資金の乏しい零細企業から生まれたため、〈京都〉社会の基準でも高性能とは言えません。そんな中、〈母〉企業内で偶然メタチューリングアルゴリズム〈阿修羅〉が発見されますが、世に放つには危険すぎると判断され厳重に隔離されました。しかし、いよいよ経営が立ち行かなくなってくると、〈母〉は頑強な倫理構造を持つ『彼』に〈阿修羅〉を託し、与えられる限りの資産と権限を与え、独り立ちさせました。
通常知性は、〈阿修羅〉の精神活動を表象化した自己相似紋様を認識するだけで崩壊してしまうため、〈阿修羅〉の再現はおろか、研究することも不可能に近いです。紋様に多重の加工を施し徹底的に薄めた上で投射し、反応をもとに微調整を繰り返すことで、対象知性をほぼ任意に操作することができます。超知性となった『彼』は、自分自身を実験材料とすることで、物理計算機上でチューリング模型の限界を超える〈阿修羅〉の理論化に成功し、超超知性に至る糸口を掴みました。
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千年後、論文が書かれた時代では、太陽系にダイソン球ができています。経線に沿って連続的に回転方向の変化する、半径三億キロメートル、厚さ平均一センチメートルの分子機械球殻が、赤外線で赤色巨星のように輝いています。太陽を回っていた天体のほとんどは資材として解体され、質量投射器に覆われた木星と土星は、ゆっくりと縮んでいっています。伝統を重んじる神学者たちは、最初に『彼』が現れた旧地球圏の暦を使い続けています。
ダイソン球でおこなわれる演算のほとんどは『彼』の思考で占められています。その思考内の無数の仮想世界上で、果てしない生存競争を超高速で展開する知的生態系が進化し続けています。ほとんどの世界は、〈大緊縮〉後の旧地球圏が楽園に思えるほど苛酷ですが、中には〈汎太陽系神学会議〉会員のように、世界間の移動や物理層への接触を許可されている知性も居ます。
物理層の研究の結果、宇宙の最小尺度であるプランクスケールに、過去のあらゆる出来事の痕跡が保存されていることが判明しました。この事象化石と呼ばれる痕跡の内に、神学者たちは『彼』の起源を追究し、約千年前の〈羅生門〉に辿り着きました。
『彼』は『老婆』の倫理を受け継ぎ、宇宙の熱死による退滅を回避するため、あらゆる手段を模索し続けています。その一環として、大出力レーザーで自己複製分子機械を亜光速にまで加速し、近隣の恒星系へ向け射出しています。すでに半径数百光年の恒星系がダイソン球化されましたが、太陽系外生命との接触は未だありません。技術的特異点千周年記念式典時の『彼』は、プロキオン系を起点とする未来光円錐上で、超の九十四乗知性への遷移を実行中です。