はてなキーワード: 人知とは
「俺は不機嫌でーす、周囲にいるお前らが俺に気を遣ってなだめてくださーい」って身勝手な思いが透けてみえるから。
見たことない?誰か一個人にだけ不機嫌になる、ってパターンじゃない。
自分に都合の悪いことが起きると、不貞腐れて、ブスッと口をへの字に曲げて、見るからに不機嫌ってオーラ放つ奴。誰に対しても……いや、自分より目上の奴にはあんまりやらないか。
何考えてんだろうって思う。
周囲のまともな人達は、その人に対して気を遣って慰めてあげたりしてるのに、そういう奴はさもそれが当然のように思う。そもそも、自分の態度が人に気を使わせてる、不快にさせてる、重荷になってるってことすら自覚してないタチの悪い奴もいる。
その癖、放置したり、苦言を呈したりすると「機嫌が悪いんだ!仕方ないだろ!」とか激昂してくる。自分が異常だなんて微塵も思っちゃいない。
なのに、ケロッと機嫌が良いと、普通に話しかけてきたりする。周りは関わりたくないと思ってるのに。そして些細なことで一気に不機嫌になったりする。
これが神様とか人知を超えたものだったら敬い、捧げものでもしてなんとか宥めでもするが、ただの人間だ。何故気分を害さないようにこっちがビクビク気をつかう羽目になるんだ。何様だ。ていうか感情のコントロール出来ないとか赤ん坊かよ。それか認知症が余りにもひどくなった老人か。
別に人に愚痴ったり負の感情を出すなと言ってるんじゃない。いつも人前で完璧にできる人間なんているわけない。
ただ、常にいつでもすぐ、全く場を弁えず不機嫌になる、感情のコントロールをしようとしない奴はクソ喰らえってことだ。
病気とかならしょうがないとは思うが、改善する努力ぐらいはして欲しいと思う。
健常者でやってる奴は現実に二度と出てくるな。
しかし、その規模は彼らの期待に応えるような代物ではなく、小さい煙がもくもくとあがっているだけだった。
「燻り!」
「……って、単なるボヤ騒ぎじゃねえか。しょうもない」
「この程度でハシャげるかっての」
「まるで大火事みたいに言いやがって。ぬか喜びさせんじゃねえよ」
野次馬はすぐさま散っていった。
弟たちも帰ろうとするが、仲間のミミセンはその場から動かない。
何かを考えているようだった。
「どうした、ミミセン」
「いや……このボヤ騒ぎ、なんだか不自然だなって思ってさ」
弟たちは、しみじみと辺りを見渡す。
違和感の正体はすぐに分かった。
「そうか、火元だ」
「これだけ周りに燃えているものがないのに、今これは燃えている。つまり人為的な、しかも時間がそれほど経過していない状態ってことだ」
弟たちもそれには気づいたが、その意味するところが要領を得ない。
「私も違和感あるけど、その火元を作った人間が近くにいるはずじゃない?」
「野次馬が来たせいで居心地が悪くなって、どこかに行っちゃったとか? たき火って条例で禁止されているらしいし」
「それもあるかもしれないけど、気になるのはこの火の“目的”が謎ってことだ。焚き火で温まろうだとか、何かの調理に使うだとか、そういう類のものじゃないだろうし」
「私、不思議なんだけど、何だかただ燃やしているだけのように見える」
「或いは、別の何か……」
「“別の”って、何だ?」
不可解さに弟たちは頭を抱えて唸る。
その状況を打破したのは、意外にもドッペルだった。
「……この火を起こした人に聞いたら?」
消極的なドッペルは恐る恐るといった具合に喋る。
その言葉に弟たちはハッとする。
コロンブスの卵的発想のように感じたのかもしれない。
「そうだな、それが手っ取り早い」
「こういうのは、第一発見者から話を聞いて、手がかりを探るのが定番だ」
「『火事だー!』って騒いでいた人がいたよね。その人が誰か覚えている?」
「よし、その人を探そう」
「専業主婦基準」ではなく「子供が学校に行っている時間帯」「教師が仕事出来る時間帯」だと思いますがね
何も言わずとも空気読んで理解してアテクシに配慮してよね!っていう思想は、
狭い友人知人レベルの範囲では通用しても広い社会では通用しません
阿部さんなんとかしてよ
誰ですか?
何であなたの子供が通う学校の仕事、つまり間接的とは言えあなたの子供の為の仕事を「ほかのやつ」がやらなきゃならないんですか?
警察も暇じゃないので
その金誰が出すんですか
っていうかそもそもPTA会費って何に使われてるんだよ
校長なにやってんだよ
つーか日本国はここんとこ毎年赤字で国債発行してて余ってる予算なんかねえよって事すら知らないんですか、一般常識だと思ってたんですが
全生徒で年間150万くらいあるんじゃないの
それでベンチ何台買えるんだよ
買うものはベンチだけだと思ってるんですか
「パパやママはお給料何十万も貰ってるんだからボクのおもちゃ何個でも買えるよね」って言ってる子供じゃないんですから
企業でも組合費とか厚生費とかその手の名目でこの手の金取る所沢山あると思うんですが
制度見直せよ
ご自分でなさったら?何で赤の他人があなたの為に一肌脱いでくれると思ってるんですか?
あなたが役員しないという事は、他人があなたがするべき分まで役員をしなければならないという事になりますが
クライアントぶちってそんなこと
夏祭りどうとかこうとか
話しに行く社会人いたら怖いわ
だ・か・ら、ご自分でなさったら如何ですか?
「みんな」がいないと出来ないんですか?っつーか、あなた自身は何をする気なんですか?
トラバでも突っ込まれてますけど、自分が何もやらずとも「みんな」が都合よく動いてくれると思ったら大間違いですよ
どれだけ大変だと思ってるんだよ
じゃあ行事は行かないでその休みをPTAに回せばいいんじゃないですか?
みんなおんなじ仕事じゃないんだよ
みんな平日休めるわけじゃないんだよ
ですから、あなたのプライベートなんて他人は知ったこっちゃありません
飽きた
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/652828/
http://www.phnompenhpost.com/national/trio-arrested-trafficking-women-japan-sex-work
在カンボジア日本人です。ちょっと前にこんな事件がありましたが、カンボジア側で捕まった日本人の方がFBにヘルプメッセージを載せてました。
私は今、カンボジアにあるプレイソー刑務所に留置されている XXXと申します。ニュース等でご存知の方が多いかと思いますが、カンボジア人女性7人の人身売買容疑で私の婚約者と私の店のコック3人で拘束されています。
事の始まりはカンボジアでビジネスを始めたいと言う方の依頼を安請負し、コンサルタント的な安易な考えでとった私の行動によりこのような事件に巻き込まれてしまいました。家族、親戚、友人知人、関係者の方々に多大なる心配とご迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます。
今回の事件内容の人身売買や売春には私は一切関与していませんし当然、警察でも無罪を主張しました。
警察官に言われたのはライセンスも無しにパスポートやビザの申請書類を作成しただけでも犯罪だと言われました。その後、裁判所へ連れて行かれ起訴内容の書類を見せられ拇印を押せと言われましたが全てクメール語で何が書いてあるかも何と言っているのかもわからないので、日本語の通訳をお願いしました。
すると担当官が今日は無理だから後日に改めるので留置所に行って待っててくれと言わました。私な何日間かと聞きましたら答えはショートタイムと言われて来てみたらこの刑務所でした。中では全く囚人と同じ扱いを受けています。しかも今日で42日が過ぎましたが未だに裁判所からはお呼びがかかりません。
弁護士の話だと有罪だろうと無罪だろうと一旦この刑務所に入ったら簡単には出れないと言われました。どうすれば良いのか聞くと、裁判所へお金を払って刑期を短くしてもらうしかないと言われました。
金額はいくらか聞くと私のケースだと最低30000ドルは必要だと言われました。
到底そんな大金はありません本当に途方に暮れました。このままだと私達の刑期は10年以上だと言うことです。この投稿を見てくださっている方々、どうか私達を助けてください。いや、私は構いません彼女と彼の2人だけでも救ってください。
彼女達はただ私の店でスタッフとして一緒に働いて居ただけで逮捕されてしまいました。カンボジアでは覚せい剤を所持している人間と一緒に食事をしてその場に居ただけで逮捕されてしまうと言うことです。
とても理不尽ですが、今のこの国の現状です。
どうかこのメッセージを見ている心ある方がいらっしゃいましたら、2人を助けてください。コックの彼にはまだ8歳の息子と6歳の娘がいます。一家の主人を失い経済的にも窮地に立たされています。
どうかみなさんのお気持ちを少しずつで良いので恵んでください。
また、語学が堪能な方がいらっしゃいましたらこの内容を英語に翻訳して拡散をお願い致します。
振込先
XXXXX銀行
XXX支店(XXX)
XXX口座
口座番号 XXXXXXX
口座名義 XXX XXX
一つ断っておくと、私は彼のことを知りません。会ったことも話したこともない。ニュースで初めて顔を名前を知った程度です。そんな時にこのメッセージをFBで見て、なんかモヤモヤした気持ちになりました。
状況が状況なので仕方がないですが、支援を受ける上での必要なエビデンスが皆無。事実関係は不明。受け取ったカネがどういう動きをするのかもわかりません。このメッセージを見て「よし、保釈用のワイロを恵んであげよう」と思える、奇特な方はいらっしゃるんでしょうか。
>「故人の友人知人が嫌な思いをした」それはあなたの想像でしかない。
と言いつつ
…と言うからには、否定はできないのだよね。というか、いるだろうという想像の妥当性は認めてるんだよね。
増田が「ちょっと嫌な思いをするくらいどうでもいい」と思う寛大な人であるのは自由だが、増田が寛大であることと世の中の人に同レベルの寛大さを期待できるかってのは全然別な話なわけで、そういう見込みや期待の下に動くのは、あまりに世の中の人に対して楽観が過ぎると思うのだがどうだろう。
>これくらいで店主をクサすような客ってロクな客じゃない
そうだよ。世の中にはロクな客もいればロクでもない客もいる。当たり前の話じゃない?
そして、ロクでもない客であろうが、その店(元の話に戻れば故人)は受け入れてきた。そして、重要なことだが、その「客」はまだ生きている。
なんで増田は好き好んでそういう「ロクでもない人間」から悪意を買いたいと思うのかな。
元の店が気に入らないという理由なら分かる、と書いた。店に対する悪意があって、その悪意を広めたいというなら、動機としてはまだ理解の範疇にある。
でもそうでないのなら、好きこのんでそういう人の悪意を買うようなやり方をするのは、決して賢明なことではないよね。店の権利者もそのロクでもない客も、そして、そこに諍いが起こることで迷惑する周囲も。誰も得しないね。
そういう状況を避けるためにあるのが、これまでの歴史が生み出してきた「儀式」という名の知恵だろう、というのがそもそものこちらの話であって、誰も「俺はジョーシキなんてカンケーないね」っていう増田の人生観の話なんかしてないわけだよ。価値観はいろいろだろう、ってそりゃそうだろう。誰も価値観の話なんかしてなくて、「トラブルを避けるための知恵」の話をしているわけだよ。
そんなんトラブルなんか起きねーよ、特に仲良くもない人の感情なんか傷つけてもどうせ大したことねーよ、ってのが増田の話。
わざわざ人の感情傷つけるようなことをするより、それを避ける知恵が世の中にあるんだから知っておこうよ、というのが俺の話。
価値観の違いとかじゃなくて、増田はそもそも俺の話を理解してないだろってこと。
ちなみに、元記事は消されたようだ。
非常識が社会に広まることを少しでも防ぐという意味では、残しておいて欲しかったものだが、少なくともかような行動やその内心は隠すべき、と元記事の書き手が判断したのだとしたら、少しは結構なことだな。
やべえ、もれなく全部当てはまってる人知ってるわ。同じ人じゃねえか、ってぐらい。
スイーツやキャラグッズ大好き、女性陣と非常に仲良し。(男性としてモテるとかでなく)
週末はやたら上京してパーティーやらイベントに参加。(メンツや内容など詳細はなぜかぼやかす。)
流行に敏感でコミュニケーション能力高い。なのに女っ気皆無。その手の話の時だけ寡黙。
アイドルとかも好きらしいんだけど、「可愛いから好き」とかじゃなくて
マツコやクリスが中森明菜とかを熱心に語ってる時のあの感じなんだ。
楽曲の良さや衣装、ダンスやパフォーマンスにのみ言及する感じ。
ワキガ歴は15年くらいになるだろうか。何もケアしないとかなり匂うのが自分でも分かる。
昔からそれなりにデオドラント用品を試してみたが、どれも汗をかいたりして匂いが出てしまうという状況の時には効かなかった。
しかしなぜかひとつだけ体に合ったのか、Hミッテルという塗り薬?を3日以上塗り続けると汗をかいた状況でも無臭に近い状態でいられた。1~2日だけではほとんど効果が無く、3日以上続けないと効果が出なかった。
これはかなり自信があるが、自分がワキガな事に気づいてる友人知人はおそらくひとりもいない。
ワキガの友達には直接本人に言ってしまう関係性の連中だったし遠慮されてる感じもない。それぐらいその塗り薬は効いていた。
なので夏は毎日塗るから無臭状態が続くが、冬などあまり汗をかく危険性が無い時はついサボってしまい、厚着して汗をかくと匂いが出る時があった。しかし自分に合ったいい商品を見つけたが、ほぼ毎日塗らないといけないというのがネックだった。
このまま一生これを買い続ける費用と、塗り忘れた時の不安とワキガというコンプレックスを解消してしまおうとワキガ手術をする事にした。
方法を調べていたら剪除法(皮弁法)というのなら保険が効くらしく両脇で5万円ぐらいで済むことがわかった。
(自分は両脇二回づつだったので結局10万弱ぐらいかかった。)
しかも効果も他の方法に比べて高い効果が得られるようなので一択だった。
次は病院選びだが、田舎から都会に引っ越してきたので選び放題だった。
人気がある病院だったのか、予約がかなり取りづらく手術は平日の昼間ぐらいしか空いていなかった。
手術までの流れは
・診断
・手術&固定
・経過観察&消毒(手術三日後)
・抜糸(手術一週間後)
・塗り薬などで手術跡のケア
というのを左右ずつやる。計二回。
範囲が広いと片側を二回に分けてやるので計四回。
・診断
自分はここでアポクリン腺が広範囲にあるので片側二回、計四回に分けてやると言われた。
左 上部、右 上部、左 下部、右 下部 の順番。順番は選べる。
上部が特にアポクリン腺が多いとの事だったので、先に上部をやることにした。
四回に分けてやるというのは、かなりショックだった。
同じ場所は手術後に一年経ってないとできないので、全部終わるのに二年かかった。
・事前検査
血液検査をするだけ。
・手術&固定
手術は片方40分ぐらいかかった。日帰り。
最初に麻酔をワキに打たれるのだが、これが妙に痛くて嫌だった。
毎回二本ぐらい打たれたのではないだろうか。
感覚はすぐに無くなり、メスで切開されているのがワキをつたってくる血で分かる。
血が苦手なのでこの感覚も毎度苦手だった。
その後は切った箇所から指を入れて皮膚を引っくり返してアポクリン腺を除去していくのだろうけど見えないのでよく分からない。麻酔が効いているので全く痛くない。
皮膚を引っ張られている時も、手の甲の拳骨あたりの皮膚をつねられているぐらいだ。
手術が終わるとかなりワキをかなり圧迫されながら固定された。
これをタイオーバーといって、皮膚と肉をくっつける為にやるらしい。
脇を開くことができないので、基本的に衣服はシャツやジャケット前開きの服のみとなる。
Tシャツは着れない。伸びる素材で作られたタンクトップなどはギリ着れた。
パジャマがTシャツやスウェットの場合事前に、いつもよりゆったりしたサイズの前開きの服を購入しておかないとツラい。
ユニクロで投げ売りされてるシャツを二枚買ってパジャマにした。
ワキを閉めっぱなしにしないといけないので、煩わしく日常生活に支障が出るが片側は普通に使えるのでそんなでもない。
シャワーも当日から入れて、脇を濡らさないようにすれば頭も洗える。
寝る時はバンドを体に巻いてワキが寝てる間に動かないように固定する。
痛み止めを毎回もらったが、初日に麻酔が切れて痛みそうになる前に飲んでいたので術後に痛みを感じた事は四回の内一度も無い。
・経過観察&消毒(手術三日後)
経過観察は異常が無いか見てもらい、ガーゼを変えて固定をやり直してもらう。
ここではじめて術後のワキと対面できるが、ワキ周りが内出血してたりしてちょっとグロい。
固定をしっかりやらなかったり、動かしてしまうと圧迫してる箇所がシワになってしまうらしい。
最初は固定に神経質になっていたが、徐々に意識が薄れてかなり適当に過ごしていても運が良かったのかシワにはならなかった。飲酒は止められたかどうか忘れてしまったが、ほぼ毎日飲んでいた。
・抜糸(手術一週間後)
・塗り薬などで手術跡のケア
抜糸をしても数日は薬を塗りガーゼを当てて軽めに固定する。しかしほぼ固定のストレスは無い。
ワキの下部の方が皮膚がくっつきにくいらしく、一回だけ抜糸後の経過を見て右の下部の固定が延長(三日)された。
術後のワキの色を改善する為の飲み薬を処方されたりする。
・左右の手術を終えて
上部が特にアポクリン腺が多かった為左右の一回目をやった時点でかなりニオイは軽減された。
ワキ毛はなくなった。術後一年経っている上部には、同じ穴から二本同時に太いのが生えていた毛は無くなった。
アポクリン腺の再生について先生に聞いてみたのだが、多少あるらしいがほぼ気にならない程度の多少らしい。
術後の色素沈着に関しては男だからかそんなに気にならない。
ただワキ毛も無いので、あまり大っぴらにワキを見せる気にもならない。
手術をして本当に良かったと思う。
「俺がお前の普通に会話が出来るのは、俺がお前に気を使って会話の内容を選んでるからだ」
家族構成は父母私弟の四人。十年以上前に離婚して私は母親に引き取られた。
お金の問題があったので両親は離婚しているだけで会っていたし、諸事情で離婚後に年単位で同じ家に住んでいたこともある。
父は切れやすく、母はその愚痴を私に話す。弟は、特に何もしてなかった気がする。
自立する前は両親の間にはいって仲裁をするのはいつも私の役目だった。
その代表が高校を辞めたことだ。国からの奨学金で高校に行ってた。払うのは卒業後の私だ。
田舎なので私立は滑り止めで受けてた。行きたかった市立高校には少しだけ偏差値が足りなかった。
じゃあ一つランクを下げようとしたら当事の担任から「お前の学力だったら受かるけど、ここを受験しろとは勧めらない。そういう校風だぞ」と止められた。ものすごくお世話になった担任だった。今でも恩師だと思っている。そんな人が止める学校を受けようと思えなかった。
結局ランクをもう一つさげた。すると運の悪いことに偏差値もガクンと下がった。
私は少し足りないだけなら挑戦したかったけれど、母親に「私立に行くお金は無い」といわれ結果として行きたくもない高校に行くことになった。
そのこともあいまって結局辞めてしまったのだと思う。私自身ここは後悔していない。
両親の猛反対を押し切って高校をやめたとき、約束を一つした。専門か短大が四年大、どれになるかはわからないけど、高認取って進学するよ。
最終学歴ちゃんと塗り替えるよ、と。
数年掛かったけどフリーターをしながらなんとか無事高認を取ったとき、弟が大学受験だった。
母親に言われた言葉は「弟が受験だから一緒に進学しないで」当事の私はもっともだと思った。
別に普通から逸脱してしまったのだから、一年ぐらい遅れてもいいや、と思った。「別にいいよ。私のまだ進路決めれてないし」と。
弟が受験を失敗した。滑り止めも受けていなかった。それはまぁ、仕方が無いことだとも思う。
来年チャレンジするよ、という弟。母親には「次は待たないからね」とだけ言った。
後に弟が「ほんとは大学受かる気なんてしなかったんだよね。受験の頃から専門学校行きたくてさぁ」と言い出したことに殺意を覚えたけれど、それは今回は流す。
犯罪心理学の勉強がしたかった私は家から通えそうな大学を調べ、受けたいところを一つ見つけた。
ここなら一人暮らししなくても実家からなんとか通えるだろう。家のこともできるし、なんとかなる。
偏差値は高く、しかし予備校に行くお金も無い私はとにかく友人知人に教科書や参考書を貰ったり、勉強を教えてもらったりしてた。
当事は大学キャンパスの中でバイトをしていたので大学生の知り合いに訪ねたりもしてた。
しかしバイトから帰宅してみると母親が電話越しに声を派って喧嘩している金切り声が聞こえてきた。相手は大体父親だ。
電話が終わった母親に呼び出されて言われた言葉は「うちは解散するので貴方たち二年後には自立してください」
当事は百年に一度といわれる不景気真っ只中。ことが順当に運べば二年後は私が大学二年の秋になる。
三年生から就職活動が始まるのに、そんな中で追い出されるなんて溜まったものじゃない。
「私四年大行きたいって言ったよね」と喉まででかかった言葉は「お母さんもうお母さんやめたい」と泣きながら溢した母には言えなかった。
結局私も弟も二年で終わる専門学校に行った。犯罪心理学が学べる専門学校は無く、まったく別に進路を選ぶことになった。
自分で決めた学校なので後悔はしていないが、母のあの言葉が無ければどうなってたのかな、と思う。
母を解放してあげなければならないのだ、と思ったあの頃の私に一言伝えるなら「お前が背負う必要はどこにもなかったよ」とだけ伝えたい。
なぜなら二年以上たち弟が正社員として働いているにも関わらず、家をでたのは私だけだったからだ。
専門学校の進学と同時に父親に頭を下げて家を出た私は、今も一人暮らしを続けている。
二年後の卒業との時「私はあなたの言葉に従って家をでたけれど、弟はどうするの?ちゃんと解散するんだよね?」と母に聞けば「弟ちゃんはまだ仕事が決まっていないから」
弟の就職が決まったときに「就職決まって何ヶ月だったの?家は解散しないってことかな?引越ししないの?」と聞けば「引越しはするよ!あんたも早く残してた荷物取りに来てよ」
弟を言い訳にし、次は飼っていた犬を言い訳にし、最終的に母が私に言った台詞は「お母さんはでていけなんて言ってない。あんたが勝手に出て行ったんでしょ」だった。
一人暮らしをして、知ったのは自分は母親に洗脳されていたことだった。
上京した友人は「いやーインフルかかったって親に電話したら次の日にはおかゆとポカリが黒猫で届きましたね」と言った。
別の友人は「奨学金は私の名前で借りてるけど、親が払ってくれてるよ」と学生生活を楽しんでいた。
年末年始に犬の顔を見に帰った私が母親に言われた言葉は「あんたが帰ってくると金が掛かる」だった。服なんて強請ってない。化粧品だってねだってない。そんなもの買う余裕があるならご飯が食べたかった。食費を世話になって言われる言葉がこれなのかと思った。
スナックとコンビニでバイトしながらなんとか生活をやりくりして二年頑張った。付き合いが悪いといわれてもクラスの飲み会に参加する余裕が無くとも、なんとか卒業を目標に頑張った。
無事に卒業し、一人で生活を回していたけれど、体調を崩しどうにもならなくなった。
母に戻りたいんだけど、と伝えれば今までの喧嘩はどこへやら「戻っておいでよ」と言ってくれた。
泣きながら話し合った。
私は「弟にも許可取らなくてどうするの。貴方一人で決めても安心して戻れないよ。弟と相談しなくていいの」といえば「弟がなんと言ってもあなたが戻ってくればいい」と言ってくれた。
洗脳されてたなんて錯覚だったのかもしれない、私がひねくれてただけなのかもしれない、と思った。
後日母親に伝えられた内容は「弟ちゃんが貴方に戻ってこないで言ってるからうちにはこないで」だった。
泣きながらの話し合いはなんだったのかと思った。母が母であることを辞めれるようになんとか自立した私より、寄生している弟の方が優先されるんだな、と思うと情けなくて情けなくて一人で泣き喚いた。
一人暮らしをしてから、何かと私を助けてくれたのは父親だった。
月に一度は連絡をくれ「ご飯は食べれてるのか」「生活はやっていけてるのか」と心配をし、父も母にお金を渡しているので財布は厳しかったと思う。それでも、時には食費を送ってくれ、時には夜行バスの乗車賃を肩代わりしてくれ、何かと自主的に世話をやいてくれた。
母親から聞かされていた父は「浮気をする」「殴る」「すぐ怒鳴る」「すぐきれる」「女癖が悪い」他にももっとたくさん愚痴を聞かされていた。
そのうちのいくつかは私も目にしているけれど、少なくとも私に手を差し伸べてくれる父は、母よりもずっと親だったように思う。
「毎月やってあげれるわけじゃないけどね」「出来るときだけしかできないけどね」と言いながら、何かしら声をかけてくれたのは父だった。
今も現に父には金銭的にとてもお世話になっているので食事に連れて行ってもらうことが多い。
父は「お前が変だから母親も弟もどうしていいかわからないんだ」「俺がお前と会話できるのは俺が会話を選んでるからだ」となんの悪気もなく言われてしまった。
父から見た私は、私が変だから関係がおかしくなったんだ、と思っているんだなと思うと涙が止まらなくなった。
父は知らないのだ。私が本当は大学に行きたかったことも、それを諦めた経緯も。父がいなくなってからずっと、私は常に弟よりも優先順位が低かったことも。私がどんなに頑張っても、何をしても、何もしない弟の方が愛されていたことを。
父は知らないのだ。
私からすれば両親や弟の方がずっと変なんだよ。
私の知ってる親は、小学生の子供を残して毎日パチンコには行かないんだよ。
責任を問えば「またそうやってお母さんのせいにして!」と自身の発言や責任を認めない母親は変なんだよ。
私の影に隠れてなんの責任も背負ってこなかった弟が「言うことを良くきく子」と評価されているのも、私のとってはなんか違うんだよ。
でもこれを伝えても「お前が一番じゃないことが気に食わないんだろ」って言われてしまうことも変なんだよ。
追記:20170312
まさかこんなにたくさん反応されるとは思っていなくて驚きました。
トラバ(ここでは枝?になるのかな)やブックマークコメントでお言葉を下さった方ありがとうございました。
私とは違った視点の意見や、厳しい言葉などはっとさせられるコメントもありました。
また家族以外の言葉や意見を目にしたことで少し前向きになれました。ありがとう。
上記はあくまで私の視点であり、両親や弟から見れば私はおそらくろくでなしなのだと思います。
両親も変だな、と思いますが私もきっと変なのだと思います。変でも別にいいじゃんと思っているから家族の中で浮くのだと思います。
悔しくて悲しくてやるせなくて泣きながら書いた誤字脱字誤変換(今見返してみると本当に酷いですね。笑)まみれの吐き捨てでしたが、色々な意見をいただけて吐き捨ててよかったと思いました。
病気が治ったら(鬱等のメンタルヘルス系ではないです)バリバリ働いて家族とは少し距離を取ろうと思います。犬ももう死んでしまったしね。
なんというか、何回言うんだよって感じなんですけど、厳しいのも優しいのも、同調するのも、全部コメントありがとう。色々と救われました。
「○○み」は概念そのもの、「○○さ」は定量的な判断を加味している。
だから両方の表現があってしかるべきだが、「○○み」が使われない表現の方が多いような気がする。
「○○み」はマ行五段活用動詞の連体形接続を使っていると仮説を立てようと思ったが、明らかに
そうではない例もたくさんあるので、使う場合・使わない場合の合理的な理解が難しい。
「○○み」はそういった合理的な理解よりも、その用法がどれだけ長く使われているかの方が、言葉
として定着している度合いを左右しているのかもしれない。
知り合いで引きこもりニートにキャリアスマホ持たせてるド貧困家庭あるわ
SNSやブログで、仕事が上手くいかなくたって人生なんてなんとでもなるさというような主張を良く見る
そういう主張はだいたい「私は就活失敗したけど、こういう縁があってなんとか就職結婚して今に至っている」とか
「勤めていた会社をやめてしばらく無職だったけど、知り合いからの連絡で別の会社を手伝うことになって云々」とか
そういうのを見ると、あぁ人生なんとでもなるだなぁ。肩の力抜いて生きよう。という気持ちになるんだけど、
同時に自分が就活失敗したり仕事辞めたりしても、こんなに上手くいかないだろうなと思う。
人生なんとかなるという主張を読むと、だいたい共通して友人知人、インターネットの繋がりに救われてる。
私のような人間関係がひどく希薄な人間はたぶんこういう救われ方はされない。
仕事辞めたけどなんとかなったという話を読んでいても、そんな友人関係持ってないぞとどこか思ってしまうのだ。
この手の主張をする人は、ちゃんと人間関係を築いてきたから助かってるじゃないかな。
自分で築き上げたのか、あるいは生まれた環境がめぐまれていたのかは分からないけど、ちゃんと助かるべくして助かってるようにみえる。
苦境に立たされた時、こんな私でもなんとかなるんだろうか...
みどりの窓口で、飛騨古川と高山行きたいんです、と行きと帰りの日程だけ伝えて出してもらった乗車券はなぜか一枚だけだった。
ただし、富山、高山、名古屋を経由して。飛騨古川とその翌日に訪れる高山は途中下車扱いだ。
すごく高級な山手線ゲームをやり遂げた気分だ。実際乗っていた時間も待ち時間を入れれば十週以上?富山の駅員さんは一瞬固まってた。名古屋の人もああ、一週して来たんですね、と理解に感慨深い様子。見慣れたはずの駅員さんにも珍しい切符ではあるのだろう。出すときの自分は悪戯っ子みたいな気分だ。
どうやって切符の計算中でしているんだろう。システム屋としてはそこも気になるところ。設計も運賃計算の作り込みもテストも辛そう。何でもない切符にどれだけの叡智が詰められてるんだろう。というか切符の運賃査定という仕様自体はどういう法則性なんだ?
色んな人にぺたぺた判子を押して貰った切符だ。持ち帰りたいなと思って窓口に寄ったら、無効目黒駅の判子がまた!えっ、もしかして無効用判子って各駅にあったりするの?全部集めようと思ったら人知れずバトルが始まったりするの?
飛騨牛食べながら追加でビール注文しようとして、ぱらのまという漫画と君の名はがどっかで連鎖反応を示した結果が今だけど、切符一つですごく楽しー。
感想は増田に投稿済みだし、最終考察も投稿をバリバリ編集中なのだけど、
先ほど、ずっと一緒に推理に付き合ってくれていた友人が、《原作の真相》に1つの答えを出してくれた。
私はこの解釈を読んで、江戸川乱歩まじすげぇ人なんだな、と思ったし、
「舞台の感想を聞いて原作を読み返した」という超間接的な位置に居る友人にまで影響を与えたこの舞台まじやべぇな、と思った。
この話は、やれBLだホモだと騒がれているが、こんなにも『人と人との愛の深い部分について書かれている』ことに萌えている感想は、まだ一度も見たことがない。
腐女子の皆さま、乱歩パイセンの名作は、想像を絶する至高のBL小説だったよ……(震え声)
観劇してから120時間。神経衰弱するほど友人と推理を重ねてきて、友人が辿り着いたこの結末に私は本当に感動したので、記念に最後にもう一度観劇しようと決めたのだけど、観劇前に今までのことを日記として残したいと思う。
(友人との推理に使用した部分以外は原作未読をまだ貫いているし、私の主観での希望的観測は友人とは少し違うのだけど、それは最終考察とあわせて観劇後にまとめたい。)
どうせ同じ高いお金を支払って観劇するのなら、楽しめた方が絶対にいい。
私はもう「視点を変えれば、世界が変わる」=「つまんなかったものが最高に面白くなる」という瞬間を短くない観劇人生で知っていたので、本作初見では何か視点を歪められてるような印象にすごくもやもやした。
今思い返すと、色々なテクニック…いや、ヒントが散りばめられていた。
作中の探偵二人が言う「常識ではトリックを見落としてしまう、視点を変えるんだ」というようなセリフが印象に残っていたり(大事なことだから2回言いましたの法則。一度だけならスルーしていた)。
ストーリーテラーがやけに観客の目をガン見してくる→目を見るというのは語りかけてくるということで。しかしその眼差しに乗るメッセージは無く、視点誘導にも思えるのに最終的にストーリーテラーを非難するような印象で終わる。この矛盾。
原作では『簑浦』という名前の主人公が『箕浦』であったり。同一人物に別の名前が与えられ『一人二役』であったり。
いかにも裏がある風で、どうしてもひっかけられてるような感覚があった。
「結局胸糞悪いだけだった」作品も結構観てきたけど、それらは完全に私との解釈違い…美意識というよりもっと恣意的な『美学』の違いで、どうにも受け入れがたいという点からくる胸糞悪さだった。
でも本作では諸戸に感情移入できてしまったし、そもそも異形とは何かみたいな問題提起の要素もあり、そんな乱歩の原作が『美学の押し付け』には絶対にならないという妙な確信があって。私は謎解きに踏み出していた。
推理小説は読まないけど、リアル脱出ゲームとかは好きなんです。
(一晩明けて昨日、一緒に脱出できた経験のある頼れる別の友人が、私の沼りっぷりを気にかけて舞台を観に行ってくれた。そして私が完全に見落としていた最重要ヒントを見つけてきてくれた。優しすぎるし天才すぎる。)
(そう言えば原作解釈の友人も、私にとっては自明の理すぎて結構雑に扱っていたヒントが友人にとっては盲点で、そのヒントがあったからこの解釈に至ったと言ってくれた。嬉しかった。)
(そして、盲点とは必ず存在するし、それは本当に自分には見えないだけで、他人から見たらこうも軽々と見えるものなのだなと、また一つ得難い経験をすることができた。人生って楽しい。)
終演後からすぐ調べ出して、最初のヒントには帰りの電車内でもう出会えていた。検索上位だった。有り難い。
だからそのまま寝ずに感想を書き上げて翌昼増田に投稿したのが初見感想。
なんで増田に上げたかと言うと、これが《私》の感想であると、他の友人知人に知られるのが恥ずかしかったから。お陰で普段以上に壁打ち感ぱなくて孤独だった。それを全部友人との推理にぶつけていた。この五日間付き合ってくれて原作真相にまで辿り着いてくれた友人マジで有り難う。
自分の感想の反応はサッパリだけど、各所に皆さまがどんどん感想を投下されるのでひたすら読み漁っていたのですが、どうにも自分の知りたい解がそこにはないように思えてきて。(感想を拝読させていただいた皆さま、失礼な物言いになってしまいすみません。今回が異例だったのです。通常の演劇作品の感想としてはとても楽しく面白く拝読させていただきました。公開してくださったことを心から感謝しています。これからも是非よろしくお願いいたします。鍵、イクナイ。)
先述の私の盲点にあったヒントを見つけてきてくれた友人との会話でも判明したのですが、私が求めていたのはどうやら『感想』ではなく『印象』だったのです。
感想とは『事象に対峙した発言者の想い』である。対して印象とは『事象に対峙して発言者が捕捉できた部分』である。
私は自分では見えなかった作品のありのままの姿を知りたかったみたいです。
その点では、原作を読んだけど舞台は見ていない友人と、舞台は観たけど原作を読んでいない私の探偵コンビはなかなか良いバランスだったのかも。
お互い違う表現を見ているから感想だけでは語れないけど、小説も舞台も作品の本質が同じなら、印象と事実も一緒に突き合わせることで対話が成立する。
書いていた続きが寝落ちたら消えていたので、ちょいちょい追記していく。
http://anond.hatelabo.jp/20170207224412
教育困難校のヤツ、遅ればせながら読んだ。
最近、自分の置かれた労働環境の悪さを嘆く増田が多いね。ネットニュースにも取り上げられたりしてさ。
この件に限らないけど、みんな仕事に要らぬ使命感持ち過ぎ。教育系とか医療系に多い。
あんま仕事を人生そのものとして重く考えすぎるな。過労死とかまさにその典型だ。
服とかアパート、クルマや家電を選ぶくらいの感覚で仕事を捉えた方が色々と楽だぞ。
理不尽な職場ならすぐ辞めろ。「私が居なきゃ・・・」ってのは大抵の場合、自意識過剰だ。
よっぽど替えのきかない奴じゃない限り、九割九分の場合「あの人辞めたんだ。へー。」で終わり。
上の奴らだって「替わりすぐ見つかるかなー。」ってなもん。イチ労働者なんて替えのきく歯車。
理不尽を押し付けられたら、とっとと「いち抜けた!」って大袈裟に辞表叩きつけて辞めちまえ。
そうすりゃ、それに続けとばかりに辞める奴が出てくるだろう。内心みんな不満だからな。
駄目押しで職場の労働環境の悪評を2chやSNS、転職会議に書いたり、親類・友人知人に全力で言ってまわれ。
この情報化社会だ。噂話ってのは想像以上に効力がある。その職場はチリツモで徐々に慢性的な人手不足に陥っていく。
最後まで残ったドM勢もさすがに耐えきれず、じきにくたばる。当然業務は立ち行かなくなる。
ここまで来ちまえば、職場側だって困るワケ。嫌々でも労働環境を良くせざるをえない。それか普通に潰れるか。
ほらな?ブラックな労働環境を駆逐するには、とっとと辞めて雇用の流動性を高めてくことが急務なのが、阿呆でも分かったろ。
だから、疑問点持ったらさっさと辞めちまえ。今置かれてる状況で即時判断しろ。待ってても良くならねえよ。貴重な時間を浪費すんな。
勿論、将来的に雇用の流動性が確保されればクビは切られやすくなるだろうが、再就職も容易になるだろうから問題ない。
辞めちまったからには少しでも恒久的なスキルが身につきそうで、ホワイトであろう次の仕事を血眼で探せ。
歯車は歯車でも、替えのきかないオンリーワンな歯車になれるように心掛けろ。そうすりゃ道は開けてくる。
なんなら知恵絞って自分で仕事作っても良い。そうすりゃ、歯車ワールドから一足早くおさらばできる。
こんなの理想論だ?うるせーよ。現にアンタら甘んじてばかりで何も行動起こしてねえだろ。受動的だから搾取されるの。
コミュ障・無能にはキツい?誰だって多かれ少なかれ、コミュ障・無能の因子持ってるっつーの。
バーナム効果だ、バーナム効果。(精神疾患とか発達障害とかは除く。)
せっかくだから、もうちょい頭使って人生有意義に過ごそうぜ。勿体ねえから。
こうやって書くとホリエモンやらイケハヤの受け売りとか言って叩かれるんだろうけどな。
一般的な脳ミソぶら下げてたら、これくらいは自明の理だと思うんだけどね。
家に帰って、日本社会ガー!老害ガー!格差ガー!労働環境ガー!と増田に書き殴るだけじゃ何も始まらん。それに全く建設的じゃない。
みんなでちょっとずつ賢くなって実際に動いて変えていかないと、我が国の労働環境は一向に良くなっていかんぞ。
「仕事ってのはこういうもんだ。」っていう固定観念を捨てて、草の根的に行動に移していくしかない。とりあえず仕事辞めろ。そんだけ。
確かに多いと感じる、
それに対して「調子に乗るな!」「恥を知れ!」的な発想は、いかにも日本人らしくも感じます。
しかしその批判はどれも表面的で、子供の感想文の様な稚拙さを感じます。
その時に何があったかと言えば、それは
日本中に衝撃が走りました、しかしそれは世界中にも衝撃が走りました。
そして日本が驚いた事、それは「何で台湾が一番寄付金が多いの?」でした。
台湾で日本がとても尊敬され、とても愛されている事を日本は知りませんでした。
でもその他の多くの国で、多額の寄付や援助、深い祈りを日本に向けて捧げてくれていました。
世界中で著名なスポーツ選手や文化人、アーティストなども一斉に心配や祈りをささげるメッセージを発してくれました。
その事を連日の報道で見聞きする中で、自分の周りの友人知人の中から少なからず出てきた言葉が、
昔、日本は戦争で世界中に迷惑をかけたと、教育でも大人からもそう聞いていました。
バブル期には、アメリカへの自動車の輸出やアメリカの不動産の買い占めからジャパンバッシングが起こり、
その連日の報道はまるで、世界中から日本が嫌われているかのような内容でした。
日本の働き方はアリだと揶揄され、七三分けに出っ歯にメガネが同じスーツ着て一斉行進、
それがジャパニーズビジネスマンスタイルだと風刺されているという報道に
天皇万歳は悪い事、日本万歳は悪い事、また昔みたいに迷惑かける国になるから。
多くの国で日本を手本にしようとしている事を知りませんでした。
日本は世界中に、いろんな形で寄付や援助を戦後から長くしており、
その事に心から感謝している国も多く存在している事を知りませんでした。
日本の終戦後、アジアの国の独立の為に現地に残り、戦い続けた日本兵が
何千人もいて、その事に感謝をしている人たちがたくさんいる事を知りませんでした。
嫌われ者の日本と思っていたのに、世界中に感謝や尊敬をしている国がある事、
それが震災の時の寄付や支援で、日本がこんなにも世界と繋がっていたことに戦後初めて気が付いた。
そんな時でもあったと感じます。
今の「日本はすごいんだ」という番組がもてはやされているのは、
そんな「日本は世界の嫌われ者」と永く感じながら過ごしてきた、その反動だと感じています。
ただ、戦後初めての事なので、世界との距離感がまだつかめていないのも事実でしょう。
なので「日本人馬鹿じゃね?」と世界から思われるのも必然だと思います。
そうやって距離感を学んでいくのでしょう。
為政者の精神疾患については一般に、公益に重大な関わりがあるから、指摘されねばならない。暴露すること(アウティング)が必要である。
それに対して一般に、私人のプライバシーについては暴露されてはならない。「この人は境界性人格障害だ」とか「アル中だ」とかどころか、精神疾患に関わることですらない普通のこと、例えば「ゲイかもしれない」とか「親は生活保護受けている」とかも、あるいは「親は外国人だ」とか「ムスリムだ」とかも、暴露されてはならないのである。ちなみに、それをやっても憚らぬところに日本社会の異常と横暴がある。ついには国会にまで呼び出して「親は生活保護受けている」イジメをしたりする。吊るして見せしめにすることで「綱紀を引き締め」、民衆のストレス解消を解消し、腐敗し壊れた社会体制を維持するのであろう。
往々にして過去にも現在にも、侵略者や暴君は精神疾患をもっている。いまは既に殺されているカダフィにせよPTSDで統合失調だろうということは指摘されてしかるべきであったし、カエサル(シーザー)やチンギス・ハンやナポレオンにせよ精神的におかしいところがあったから飽き足らぬ侵略を行ったのである。たとえ既成権力構造を打破するという名分があったとはいえ、織田信長によるジェノサイドもいささか精神疾患じみている。ましてやアドルフ・ヒトラーについては言うまでもなくアタマがイカれている。
なぜそうしたイカれた侵略行為が野放しどころかむしろ支持されるのか、そのことにも反省が必要である。たとえばナチズムにせよ十字軍にせよ、主導者の精神疾患性ということのみならず、支持者や社会が精神疾患状態にあるのである。イスラミック・ステイトによる、統治におけるファシズムと、テロリズムも、同様に、壊れている。
アベ晋三にせよドナルド・トランプにせよ、狂信的であることは言うまでもないが、そもそも言動からして精神疾患をもっていることが明らかに見て取れる。ちなみに、その精神疾患性がゆえに狂信に至り、狂信がさらに精神疾患を高めるという悪循環である。
なお、その狂信も信仰であるにはあろうが、信仰を政治に持ちこんではならない。そもそもは信仰(シューキョー)というのが統治のための手段であったのだから、歴史的にみていわゆる「政教一致」は当然のことであった。なにせ信仰というのは、現実と関係がなく、「ダメなもんはダメ」が通用し、社会の既成構造を堅持することが容易い。そして、政治は意味不明になって腐敗してしまう。民は信仰により隷従させされ、国家の家畜になる。その闇(病み)を打破したのが西洋近代革命である。
ちなみに、その信仰の政治への持ち込み(政教分離違反)についても、日本人には自覚と反省がない。信仰(シューキョー)を信条だと強弁したり、儒教の教義を道徳だと強弁したりして、平然と政教一致の社会体制を堅持している。滑稽であるが、迷惑だ。実害がある。
話が逸れたので戻すが、首相や大統領のような為政者が精神疾患をもっているのに指摘されないのは危険なのである。「精神的にかなりおかしい人だけど政治家にする」という、判っていて敢えてやるのならばまだしも。首相や大統領だけではなく凡そ公権力の行使者について同様で、公費でたびたび県の反対側にまで温泉旅行に行ってそれを批判されたら泣いて自転車で逃げる県議とか、SNSで中高生の言動が気に食わないからって脅す議員とか、精神的にどこか来している。
精神疾患をもった為政者の多くはおそらく、首でもくくったり、飛び降りたり、アル中になって失職して孤独死したり、形態はさまざまあれど、可哀想な終わりになってしまう。だから放置しているのは当人のためにもならない。しかし稀にそうした結末にならずに祀り上げられて横暴のかぎりを尽くすことがあるから、先述の通りの暴君が出る。いずれも、ためにならない。
思うに香山リカとか和田秀樹だとかだって、アベやトランプが精神疾患なんだってことは手にとるように判っているだろう。けれども、判っていてもそのことを公言しない。それは、一般にアウティングを避けるべきだということが医師にせよ社会人にせよ必要であるからだろうし、真実を暴露してしまえば社会から狩られるからかもしれない。大概の人は、狩られるのが怖い。勇気をもって人生と命を懸けて行動しないのは、エゴイズムなんだけど、残念ながら可哀想なもので、怖いのだろう。
だがそうして「王様は裸だ」(自尊心が高いだけのアホの気狂いだ)ということを「ロバの耳」の如く人知れぬ山林の穴に叫んで埋めてくるようなことをしていていいのか。もしかするとそうしているうちに、王様は裸だということすら、誰にも判らなくなるかもしれない。そのとき、国家も社会も、自分自身のことすらも、自ら制御不可能になり暴走するのである。誰にも止められない