はてなキーワード: 人知とは
あなたの言う通り、私は「そんなの知ったことじゃないです」と思うので価値観の違いでしょうね。
あなたの意見に決定的に欠けているのは「故人の友人知人が嫌な思いをした」という部分の根拠だよね。それはあなたの想像でしかない。
たしかにそういう人もいるかもしれないけど、その想像を社会常識の根拠としたり、元増田を禁忌のように言う理由にするのはどうかと思う。まあ私はちょっと嫌な思いをするくらいどうでもよくない?って考えではあるんだけど。
客と店の例えにもどるなら、これくらいで店主をクサすような客ってロクな客じゃない、とも思う。
なんであなたはそう言うことをされると嫌だろうと思ったの?あなたはそう言うことをされると嫌なの?それはなぜ?
っていうかそういう憎悪自体が真の母性本能なのかもな。下の子にリソース割くために上の子を軽視するように脳が働いてるのかも。 - masudamaster のコメント / はてなブックマーク
他の増田が
とか書いてて、最近の彼は本当にどうしたんだろう、変わっちゃったんだろうか? といったん思ったりした。
しかしちょっと考えてみて、感情にまつわるもの・脳の機能に基づくものに、お説教でどうこうしようとするトラバやブコメが多くて、これははてなにありがちなモラハラ的状況なんだなと。
なんていうか、ちょうど自分も母性神話の信者感が強いトラバが多くてちょっとゲンナリしてしまったところだったので、「先生はいらない」とかやっちゃう彼としては、そういう分かりづらい形でしか表現できなかったんだろう。
インターネットを始めたころ、安易に顔が写った写真や本名が分かるようにインターネットにアップしてはいけませんって習った。私は今でもそれを未だに守ってる。
友人知人はツイッターで自撮を上げ、bio欄には高校名や大学名を書いてる。みんな怖くないのかな平気なのかなと心配になる。
特に晒されるような悪いことをするつもりはないけれど、以前頻繁に起こったバカッターと呼ばれる騒動の2ちゃんでの特定や凸を思い出すと自分はやっぱりそういう情報はできるだけ開示しないようにしようと思ってしまう。
一度自分のネットストーカーになって自分の開示してある情報を元にググったりツイッター検索すると自分のいろいろな情報が出てきた。
自分がどれだけ気をつけていても友人がアップした画像や、学校の広報誌に載ってしまった情報はもうどうしようもないんだね。
生きる意味とは。
はっきりとした答えが欲しい。
そんなものは、得られることがないと 分かっているけれど。
過去の忌々しい記憶を辿れば、それらしい症状は確かに出ていた。
自傷行為をしてみたり、自殺未遂をしてみたり、部屋に何日も引き篭もって外界との連絡を絶ってみたり。
ただ少し、酷くなっているだけなのだ。
初診とは実に厄介だと思う。
ハッキリとしたもの言いは出来ない。しかし、然るべきなにかをしなければならない。
いわゆる"精神科"というところは、そういう所だと、聞いたことがある。
いつか突き当たる病名まで、只管耐えねばならぬそうだ。
決して不満があるわけではない。
ひたすら耳を傾けてもらえるという、その事実だけで、少し、軽くなるのだろう。
軽くなった気分は、全くしていないが。
隙きがあれば、死んでしまいたいと思う。
少しずつ、死への道を作っているのだろう。
身辺を綺麗にしたら、きっとそれは簡単に訪れる。
今はまだ、しがらみが多すぎる。
でもそれらが全てなくなったら、迷うことなど無くなる。
自分の死んだあとの事に、なんの心配も無くなったら、それが行動の時。
目標に向かって使う時間だと考えれば、そう苦痛ともならないだろう。
努めを辞めて、人間関係を綺麗に整理出来たとすれば、あとは人知れず何処かで死んでしまえばいいのだ。
そうやって、冷静に 死への近道を 探している。
確かに残された者は悲しいと思うだろう。
実際、自殺をした友人の話を聞いた時は、ひどく動揺した。
でも、だんだんと、「どうして1人で死んでしまったのか。」「一緒に逝かせてくれれば良かったのに」と
思うようになった。
君は僕の超えられなかった一線を、簡単に超えてしまったんだ、と、泣きながら思った。羨ましいと。
向精神剤が処方された。
薬で何かが変わるのなら、そんな楽なことはないと、思ってしまう。
生まれながらの、性格上の問題だとしたら、薬品に頼ったところで、何の意味もない。
今の状態を他人に話すことすら、ひどく労力を使い、出来ることならしたくない。
説明を求められても、上手く話せる自信は無いのだ。
頭に浮かんだ項目を、纏められないまま垂れ流すようなもので、理解はされない。
そう考えると、伝える意義も見失う。
親しければ親しいほど、情けない状態を曝すことなど出来なくなる。
小さな小さなプライドを、後生大事に抱え込んで大切にしているようなもので
それを失えば本当に自分の生きる意味も、意義も、何もかも失ってしまうのではないかと不安になる。
元々何も持っていないのに、些細なプライドすらも捨ててしまったら
一体自分には、何が残るというのだろうか。
残るものなど、有りはしないんだ。
死にたいと
でも、死にたいと思いながら、生きることを望んでいるのではないのだ。
そこだけは、違うのだと、理解されなくても、信用されなくても伝えなければいけないのだろう。
死にたいと思いながら、生きながらえているのは、死ねない理由があるからだけだ。
今はまだ、死ねない。だから、薬でもなんでも飲んで、やり過ごさなければいけない。
本当は今すぐにでも逃げ出して、死んでしまいたい。
この思考は一度思い付いたら止められない。
それしかないのだと、思い込んで、思考に囚われる。止まらない。
時々それをとても抑えられなくなるときもある。
準備が整ってはいないのだ。
それがなければ、医者になど行かず、どこかでふらっと死んでしまっているだろう。
僕を此処に繋ぎ留めているのが
以前じゃ考えられなかっただろうに。
本来はとても喜ばしいことだが、今は無性に、煩わしくも感じる。
もうあとは、海へ転がり落ちる石ころと同様に
止められないまま身を投げてしまうより他、無いのだろうな。
ずっと室内飼いだったから、外で生きられるわけがなくてもう死んでると思う。
うちの実家みたいに田舎だったら、どこか草むらとか人目のつかないところでひっそり死んでるかもしれんけど、自宅はいちおう住宅地だしな。
そんな細かなことまで、マニュアルに書いてやらないと分からない、同僚や上司に聞けない人間が多い。
だから彼らが入社後すぐに辞めないように、小さな困りごとを解決してやったり、上司や同僚の架け橋役になったり、気軽に声を掛けて居心地を良くしてやるのが私の仕事。
なんだけど最近つらい。辞めたくなってきた。
自慢じゃないがコミュ障だらけの会社、もともとその手の付き合いはほぼ絶滅している。
さすがに歓迎会、送別会くらいはあるものの、それすら自由参加。
今や我が社の飲み会は、酒好きな年寄りと数少ない女性社員の癒しの場として存在している。
そう問いただすと、「だって…」と彼は口を尖らせた。
最近ガチで、口を尖らせたり、にゃんとか言いだす男子が存在する。
「だってどうせ俺の悪口で盛り上がるんでしょう?陰湿なんですよ飲み会なんてー!」
はっ?ねえわ。
飲み会も僕タンの悪口でもちきりに違いない。そんな陰湿飲み会は廃止すべき!というのが彼の言い分だった。
いやいやいや、絶対にお前の話題なんて一言も出ないし、思い出しもしねーよ。
50キロ以下級でも、100キロ超級でもない、床掃いてんだろロングヘアでも、ハエがたかるような服を着ている訳でもない彼なんてほんと普通。
つか仕事が出来ればゴミ捨て場から掘り出してきたような服着てる人間でも許されるような職場で、アトピーごときでクスクス笑うだぁ?
会社は保育所じゃねーんだぞアホンダラ。そんなクソ甘いイジメがあるか!
人の動作一挙動を見ては給湯室で陰湿な悪口に盛り上がる…という設定になってたらしい。
あのさ、主婦である私はどっちかと言うとあんたの嫌いなそっちよりの人間なんですけど。
あんたが暇な主婦は…、って言うたびに、私が眉根に寄せるシワ、気が付いてない訳じゃないよね?
もちろん○○さんはあんな奴らとは違いますけど、って私あんた寄りの人間なの?
一緒にすんなクソガキ。
定時に上がるためには、時間内に仕事を終わらせなくちゃいけないわけ。
そのばたばた忙しい中で、新卒のにーちゃんのくしゃみがヘンだから給湯室で笑ってただぁ?
誰も見てねーよてめぇのことなんざ!
こういうガキみると、よっぽどチヤホヤされて育ってきたんだろうなって思う。
もし幻聴が聞こえる系やガチイジメだったら困るから、一応周囲や会社で契約してる精神科医の先生にも相談したけど、問題は何もナシ、だった。
つか、私はこんな化けもんだらけの会社で、自分が悪口の対象になる!注目に値する!だなんて無邪気に信じられる彼のお幸せさに軽く嫉妬した。
ちゃんと構われてきたんだよねアンタ。
よく、女の方が世界の中心だろって言う奴もいる。
『女はいいよな、化粧してかわいい服着てるだけでちやほやされて』
あのさ、そんなこと言う奴って大概本当の自分の方が価値があると思ってる傲慢野郎だから。
自分は男だから化粧やおしゃれが出来ないだけ。それさえクリアすればチヤホヤされる価値があると思ってる。
合コンなんて着飾って見た目だけじゃん、とか言い出す奴も同様。
虚飾を取り払った「本当の自分」にはちゃんと価値があるとか信じてんの。
言っとくけど、見た目やら知能やら、後付けされたもんを全部取っ払った本当の自分なんて言い出したら受精卵時代に戻るしかないから。
あんなキモイもん、カワイイなんて喜んでくれるのはテメエの母ちゃんだけだからな?
いいか、女だって化粧してかわいい服着ただけでチヤホヤされる奴はほんの一握り。
大多数はばっちりメイクして、気合入れた服着てるはずなのに、ちゃんとメイクしろよーとかお洒落しろよーとか言われてますから。
あんたらの言う『化粧してかわいい服着てるだけで』チヤホヤされてる姫は、たとえブサイクだって男ウケいいメイクを勉強したり、頭がヤバいと疑われるような服で町を闊歩したり、常人には出来ねぇ努力をしてるんだよ。
自分に女になればチヤホヤされる価値があると思いこめるテメエの頭が一番イージーだわ。
ヤバい、本気で病んでる。
仕事辞めたい。
http://anond.hatelabo.jp/20161203165644
逆に、女が男に求めるものは、
「大酒、たばこ、ギャンブル、借金、大声をだす、癇癪、清潔感のなさ、人をバカにする」
のいずれの要素もない人だと思う。
しょっちゅうこういうの見るけど
「店員に偉そうにする」っていうのもNGリストでしょっちゅう出てくるけど、全く居ない。
強いて言うと、ゲハっていうかゲームオタクで一部のゲーム製作者に対してすごい熱をもって批判する奴なら1名いる。
結局女性が寄せ付けるのってテストステロン過多タイプの男だけで
その中ではそういう攻撃的だったり飲む打つ買う大声という欠点の持ち主が多いんだろう。
自分の友人達みたいなタイプは眼中に入って無いのでNGリスト全部クリアしてて落ち着いてて高学歴でも彼女居ない。
つまり何が言いたいのかと言うと
「女が男に求めるものは、」って話する人は
必ず足きりラインの話を省略している。そこで一番多く切ってるのに。
まあ「男が女に求めるものは、」の人もそうなんだろうけどね。
「家庭的で賢くて情緒安定してれば」って言いながらオンナ感全然ない人は選考以前のNGで切ってたり。
自分をかっこよく見せるために
今我々の前にある街は無意識の或いは無意識下に意識される共同体である
街は自然発生的な流れを持つごく自然な、なおかつ著しく人為的な共同体である
街は大きく曖昧な境界線の中で埋没しながらなお一層存在感を増し佇んでいる
私とあなた、あなたたちとの直接の関係性は減るが逆に間接的な関係性は増えその力は加速度的に増していく
私とあなた、あなたたちとの関係はある意味において密接なものになりある意味において分離したものとなる
分離されながらに密な関係を持つ私たちは街の中に認識できないシステムを成り立たせる
あまり意識されることがなく不明瞭な存在であるそれは確かにそこにあり人知れず大きな影響力を持つ
http://anond.hatelabo.jp/20161026210411
この意見を見て目が覚めた
>「ダラダラ残業」と「集中して定時上がり」の二択で話が進んでるけど「ダラダラして定時上がり」って選択はないんでしょうか。
>挑戦する前から諦めるなよ!頑張ろうぜ!頑張ってダラダラ定時を勝ち取ろう!
いつから守りに入ってたんだろう
確かにダラダラ定時退社してこそ真の生産性向上だと思う
ちなみに別にサボろうという話ではない
要は疲弊せずに余裕を持って仕事ができるように頑張ろうという話だ
しかしこれを実現しようとすると非常に難しい
>業務を効率化した結果、時間が余り、どんどん仕事がまわってきて、残業時間は同程度なのに、仕事量だけが増えていくクソ社会。
これがあるからだ
頑張って素早く仕事を減らしたと思ったら、その分仕事が増えるんだ
これは私の周りでもそうだ
より能力がある人は、仕事が早いし、その人にしかできない難度の高い作業があったりするから自ずと大変になる
その分高い給料を貰っているかといえばそうでもないから悲しい話だ
じゃあ適当にサボれば良いのかといえばそれも違う気がする
・定時で上がる
・疲弊しないようにする
・成果は落とさない
非常に難しいけど、これって「時間効率は変えずに疲弊しないように工夫する」ということだろうか?
頭空っぽにしてダラダラやっても同じだけの結果が出せればいいわけだ
ここからは業界次第になってしまうけど、ぱっと思いつくのはこういうのだろうか
次に何をするか考えると非常に頭を使う
そもそもミスが入る余地を無くすとか、そういう工夫の方に力を割くべきなのかも
「自分は一瞬でできるけど、他の人はすごく時間がかかる」ものを作っていく
この時に「私なら一瞬でできます」などと言わない
それやると仕事が増える
「得意です」も危ない
初めてやる仕事は疲れる
できるだけ依頼とかも寄せていきたい
まあやりすぎると「依頼書」とかになって、逆に周りが大変になるから注意が必要かも
質を上げるのは本当にキツイ
どこまでも時間を食うし、どれだけ早く仕事を終わらせても質にとられる
「このタスクをやってればとりあえず質上がる」が欲しい
全然成果が上がってないとか、間に合わないとか
ブルックスの法則ってあるじゃん(9人の妊婦を集めても、1ヶ月で赤ちゃんを出産することはできない)
そういう「いやこれ以上物理的に早くならないですから!」っていうのを最大限活かして納期を延ばす
やりすぎると競争力失うけど
時間的なボトルネックになりつつ、周りが絶対に逆らえないくらいの技術力を付ける
そういう人かっこいいよね
「あの人が動かないんじゃしょうがねーよ、帰ろ帰ろ」ってなる
アジャイル的な考え
細かく出していきましょうっていう(業界次第ではできないな)
ただこういうのもやりすぎると「その作業誰でもできるからバイトにやらせよう」とかそういう風になるよね
かと言ってタスクに拘泥すると、いつの間にか競争力をなくしていく
難しい
あと、こういうのが実現できても「定時だから帰る!!」ってしないといくらでも仕事できちゃう
そういう人知ってる
ちなみにアンチパターンも考えた
アンチパターンの方が多い気がする
他の人に頼むより早いんだもの
もちろん他社に勝つためには必要だけど、楽にはならない
半分の時間で終わるようになったら、その分仕事増えるだけじゃないか
定時が早くなることなんてたぶん無い
そんな現場知ってる
自分はいいかもしれないけど、周りがその分困ってるパターン多い
なんか違う気がする
シンガポールのPMの方のブログとか、ベルギーの実態書いたブログとか読んだことあるが
会社が社員の都合に合わせていて、上司がどうにかしてるみたいな
わかんねーな
イタリア人とかどうしてるんだろうな(失礼)
東京在住の30代男だがアルコール依存の治療開始から六ヶ月が経過し、一定の回復をしたのでその過程を記録してみたい。
γ-GTP 589→69 AST 84→31 ALT 106→68 TG 1015→178
まで回復した。
数字で言われても大多数の人はさっぱりわからないだろうから単純化すると入院レベルの人間がとりあえず正常な体になったと思ってもらえればいい。
さて多くの文章がそうであるように、大抵の人は最後まで読まないだろうから最初に自分なりのこの文章の結論を書いておくと
「アルコール依存から抜け出したいのなら自分の抱えた問題(アルコールに限らない)を率直に話す事ができる相性が良く優秀な精神科医を見つけ、よく話し合いながら治療を進めるといい。ただそれがあなたの人生を良くするかはわからない」という身も蓋もないものになる。できることなら「まだアルコールで消耗してるの?」「アル中は精神で克服できる」とか頭の沸いた自己啓発本でも出して一儲けしたい所ではあるが、残念ながら現実というやつは概ね散文的で面白みがない。
確かに肉体の調子は非常にいい。自分という存在からここまで充実感を感じ取れる日が来るとは思わなかった。
アルコール依存を抜けだした僕自身が未だに「抜けだしたのは良かった事だろうか?」と自問自答を続けている。だから他者に断酒を勧めたりはしない。この文はあくまでひとりのとあるアル中の回復記録として、参考程度に読んで頂ければ幸いです。
まずこの文章を書くにあたって自分がかかっていたアル中の定義をしておきたい。アル中は貧乏旅行なんかと一緒でγ-GTPの高さでマウンティングする人もいるし、wikiなんかでも色々と書かれているが、自分の場合は「アルコールによってQOLが下がっている」というシンプルなものにする。世間のアル中のイメージは吾妻ひでおのマンガのように連続飲酒をし、手が震え、幻覚をみたり暴れたりしている人のイメージが強い。
しかし自分はそれとは全く異なるタイプだったので自身がアル中であるという自覚すらなかった。仕事に普通に行き、帰宅するとビールの500ml缶を一日6~8缶淡々と飲み、翌日二日酔いで仕事へ行く、という事を繰り返していて入院レベルまでいった(似たような壊れ方をする小説の人物からとってユージーン型と呼んでいる)。世の中には様々な不幸な家庭があるようにアル中にも様々なタイプがある。
20代の半ばから不眠に伴う飲酒量の増加により、何件か精神科に通っていたが、自身の抱えた問題を率直に打ち明けられる医師に中々巡りあうことは出来なかった。
マッチョイストだのミソジニストだの差別主義者の豚野郎と言われればそのとおりなのだが、性格的にどうしても同年代の医師や、女性の医師に悩みを打ち明けられなかった。基本的に精神科医は患者の情報を当人の発言から得る部分が多いので、深刻な問題を抱えていても話せないとどんな名医でも対処が難しいのではないだろうか。
今回僕は精神科に通い始めてから八人目の精神科医の先生であたりを引いたわけだが、もし相性が悪いと思ったら拘泥せず別の医師を頼った方がいいのではないかと思う。
この先生は四十代半ばの男性で学校教師を経て精神科医になった異色の経歴の持ち主で、僕よりも遥かに精神的な地獄を抱えているが、持ち前の頭の良さでそんな自分にすら醒めているような超然とした空気をもった人で非常に問題を話しやすくてありがたかった。
■基本戦略
とりあえず入院は拒否し、通院で治療を選択。基本戦略は抗酒剤シアナミドの服用により飲酒の可能性自体を排除、アルコールに対する身体的な欲求は断酒補助剤レグテクトで抑える、いままでアルコールに頼って来た睡眠は睡眠導入剤で、アルコールでごまかして来た精神面の色々は精神科でぶちまけつつストレスを減らし、抗不安薬で抑えるというスタンスを取った。そしてこれらでどうしようもなくなった時は先生から勧められたレボトミンを飲んで長時間寝倒す「寝逃げ」を行っていた。これも自分の置かれた状況から選択したものなので、人によってはちゃっちゃと入院して治した方がいい場合もあると思う。
■登場薬品について
これも精神科医同様相性によって全く評価が変わるので自分に合っていたものを挙げるが、これらの評価は全て自分の体感だし、当然の事ながらそれが他の人の適解であるとは言えない。シアナミドにしてもアレルギーによって服用できない人はいるらしいし。とりあえず相性が悪いと思ったら我慢せず、状況を報告できるような関係を築けるような人を担当医として選ぶといいと思う。
本編の主役にして宿敵
一応は由緒正しい歴史を持つ薬でもある。精神、肉体両面に凶悪な依存症を持ちながらもコンビニ行けば変えてしまう恐ろしいドラッグ。歴史上の薬物による死の統計をとれたらヘロインコカインなんぞ足元にも及ばないぶっちぎりのトップになるだろうが、同時に文化的な面やコントロールできる人にとっては素晴らしく、評価が難しい方。政治家でいうならロバート・ムガベとかだろうか。自分は後述のゆれ戻しの時にアルコールが自分の肉体と精神を徐々に蝕む代償としてどれだけ精神深くの暗黒から目をそらさせてくれたかに気づかされたので愛憎半ばしている。
抗酒剤
簡単に言ってしまえば人を強制的に超下戸にする無味無臭の液体の薬。持続時間は人によって異なるが朝夕食時の一日二回の服用が基本。アルコールを飲むという選択肢自体をなくしてしまうので自分のような意思の弱い人間には非常にありがたい薬だった。僕の場合、仕事の後の飲酒欲求が強いので二度目の服用はまだ気力のある15時にしていた。懲罰効果によって飲酒を止める薬である以上、罰がどの程度の効果かわかりたかったので一度7時に服用した後、15時にビール1Lを入れてみた。効果は覿面で、悪寒、動悸が早くなる、湿疹、なにより全身の細胞が一斉に反逆を起こしたような気持ちの悪さで立ち上がる事すらできなくなり嘔吐をぶちまけた。寄生獣の後藤の最期の気分や喧嘩稼業で梶原さんに屍を入れられた工藤の気分を味わいたい人はやってみるといいかも。死んでも知らないけど。
脳に作用し、アルコール依存で高まっている神経活動を抑制することで「飲みたい」という飲酒欲求をおさえるお薬との事。初期は有り難みを感じなかったが、二ヶ月目くらいから地味に効果を自覚。なんだかんだで大変役に立ってくれていた。地味だけど。
影の主役。元々不眠からアルコール依存になった人間なので飲めば確実に眠れる安心感は何にも変え難かった。先述したように薬は人それぞれ相性があるが、以前の別の精神科で処方されていたマイスリーよりもこちらの方が朝、遥かに快適に目覚められた。
本来は向精神薬だが、睡眠導入剤の効き目を強くする効能もある。自分は、先述した「寝逃げ」用にサイレースと一緒に服用していた。その効果は絶大で昼に飲んでも落ちるように眠り、翌朝まで目を覚まさなかった。ただし朝のダルさと眠気が非常につらく、飲酒欲求が高まりすぎた時や、ネガティブな精神状態に呑まれそうなとき、そして翌日が休日である時意外はなるべく服用しないようにした。
・ホリゾン
一番軽度の抗不安薬。事務作業などに与える影響はほぼなし。自分はボクシングのジャブのように「とりあえずホリゾン」な感じの基本として使っていた。メタルギアソリットで狙撃時の手の震えを抑える為に出てきたアイテムのジアザパムでもある。
やや強めのお薬。事務作業においては能率が約20%低下する印象。
かなり強めのお薬。事務作業の能率に関しては50%以上低下する印象なので特に精神的につらい時、仕事終了後に服用していた。
■治療記録
最初に断酒補助剤のレグテクトによる治療を試みるも、精神依存が酷かった為にあまり効果が感じられず失敗。一週間目でシアナミドを処方してもらう。使用開始から三日間は常に頭の中身を酒が占めているような状態だったが、「飲む」という選択肢自体がなくなっている為に飲まずにいられた。ちなみに肉体的なアルコールへの依存は断酒から三日目で、精神的な依存は約三週間である程度消えた。この時期は全ての気力を「酒を飲まない」につぎ込んでいたので基本食事は外食、もし家で食事する時は洗う手間を省く為に使い捨ての紙皿を使うなどして乗り切った。バランスのとれた食生活なんてする気力も残っていなかったがとりあえず楽に摂取できるリンゴやキウイなんかは食べるようにしていた、
・第二期(一ヶ月目~二ヶ月目)
断酒の継続により心身ともに調子が良くなり、ハイになる。この時期は今思い返すと穴に入りたい気持ちになるが、友人に酒のない生活の素晴らしさをドヤ顔で語りウザがられていた。定期的な飲酒欲求はあったもののレグテクトと気力で無事やり過ごすことができた。代わりといってはなんだが、甘いものに対する渇望が極めて強くなり、体重はそれなりに増加した。
・第三期(二ヶ月目~三ヶ月目)
NHKの集金のように頼まれもしないのにある日唐突に今までとは比較にならない負の感情が襲ってきた。ハイになっていた揺れ戻しと精神にかかっていた霧のようなものが晴れた事で自分のアル中になった根本の原因である「家族への憎悪」がどれだけ強烈だったを自覚する。全て投げ出してアル中に戻ってしまいたい誘惑に何度も飲み込まれかけた。もし家族ブチ殺しても罪にならない世界だったら本当に殺しかねなかったと思う。この時期はいままで週1ペースだった通院が最大で週3になり、薬の量も増え、診療時間中ずっと先生に対して家族への憎しみをぶちまけ続けていた。王様の耳はロバの耳ではないが、この時期の先生のサポートがなければアル中に戻るか、ムショ行きにでもなっていたかもしれない。アル中からの回復は三ヶ月がひとつの山らしいが、とにかくこの時期は本当につらかった。
・第四期(三ヶ月目~四ヶ月目)
揺れ戻しが終わったのか精神面の憎悪は小康状態に落ち着きある程度楽になるが今度は代わりに虚無感が強くなり、「なんで自分はさっさと対策をとらずこんなに人生を無駄使いをしていたのか」といった大量の「たられば」 に捕らわれることが多くなり、第三期ほどではないが飲酒欲求が高まるときは多かった。通院はほぼ週一に戻ったが、今度は先生に対して「たられば」の話ばかりしていた記憶がある。ただ小旅行をする気力くらいは戻ったので休日は鎌倉に行って観光するでもなくひたすら海を眺めていたりした。
・第五期(四ヶ月目~六ヶ月目)
「たられば」状態が少し落ち着いてきて気力もある程度戻った事もあり、これまでは考えもしなかったペットを飼うという選択肢を思いつく。僕個人に関してはこの選択はとても正解で、無聊が大分慰められ、大いに助けてもらった。自分のような一人で夜を過ごす時間をもてあますタイプには犬や猫、小動物でも爬虫類でもなんでもいいが、余計な事を考える時間を減らせる存在は大事なのかも知れない。そして大分生活も落ち着くようになった。家族への憎悪も「できるなら殺してやりたい」から夜寝る前に朝起きたら携帯に警察から「あなたのご家族がみんな死にました」という連絡が入ってくれますようにと願う程度には整理された。体調に関しては非常に良く、生活も充実している。時折強烈な負の感情が出てきているがなんとかやり過ごしつつ今にいたる。
■まとめ
アル中を回復して以来、めんどうくせえ事に友人知人に「アル中の事ならあいつに聞くといいよ」な感じで広められ、たいした面識もない人から相談を受けるようになったが、正直言ってこちらに言える事なんぞ冒頭に書いた「アルコール依存から抜け出したいのなら自分の抱えた問題(アルコールに限らない)を率直に話す事ができる相性が良く優秀な精神科医を見つけ、よく話し合いながら治療を進めるといい。ただそれがあなたの人生を良くするかはわからない」 という結論くらいしかない。世の中には「アルコールに逃げるのなんで心が弱い証拠、他人のせいにせず自分の人生を見つめなおし、責任は自分自身で追うべき」なこの糞馬鹿はよほどおめでたい人生を生きてきたんだろうなと思わせてくれる発言をかましてくれる人もいるが、もし自分の人生に率直に向き合ったら他殺や自殺に行く人間なんざざらにいると思し、その人の人生に責任を負うことも自分にはできないので積極的にお勧めはしない。自分に関しても肉体は問題なく健康になったが、精神面に関しては断酒前には起きることがなかった唐突に強烈な憎悪がとまらなくなるという事態が未だにある。ただ、自分が家族に全く愛情を感じた事がなく、憎悪しか持っていなかったという事に気づけたのは自尊感情の回復に非常に役にたってくれたし、これからの自分の人生にとって何よりの収穫であったとは思う。とりあえず、アル中から回復したいと考える人々がいい医師に出会え、回復して楽しく人生を送れるようになってくれるよう元アル中の一人として願っています。長文にお付き合いありがとうございました。
■おまけ
読んだ本
「禁煙メソッド」でも有名なアレン・カーによる著作。もの凄く端折ると「酒は凶悪なドラッグなのだから自己管理するなんて無理。味が美味しいと思うのも広告会社の宣伝やら依存症状によりそう思っているだけ。断酒の禁断症状なんて少し耐えれば治ります。さっさとやめましょう」というある種の極論。周りにもこれを読んですっぱり酒を断ち切った人がいたが、その人は肉体的な依存はあっても精神面には深刻なトラブルを抱えていない、というかむしろ鋼鉄のメンタルを持った人だったので、そういう人には役に立つ本かもしれない。ただ精神面に問題がある自分のような人間にとって、医師に頼らずこれ読んで一人の力でで禁酒しようとすると、第三期の時のような強烈な揺れ戻しの時にいささかならずやばいことになるのではないかと思う。
大卒の人が大卒は正しいと喚く記事を読んで、学歴コンプレックスっていうコメントを見たわけだけど、これって学歴コンプレックスとは違う何かじゃないかなあ。
抽象的なはなしだけど、多分その記事の筆者は(そして多くの人は)「幸せが確定するチケット」を求めていて、この20年位、それは大卒の肩書だと思われていたし、購入者もそう信じていたのではないかな。
彼が記事の中で肯定しようとしたのは「大学卒業資格は人生を幸福にする」ということそのものではなくて、「過去自分が行ったチケット購入判断は間違っていない」ということなのだとおもう。
彼が守ろうとしたのはは「大学卒業資格は人生を幸福にする」という事実ではない。もちろん「幸福」ってのは主観的なものなので、統計で一刀両断にはできないんだけど、経済的な側面で言えば、大卒資格者のほうが高卒資格者よりも、生涯賃金が大きくなるというデータが有るのでそれですむ。示す必要すらなくて、彼自身がその統計を見て「そうだな」と思えばそれで済むので、そもそも記事を書く動機にはなりえない。
そういう経済面に限れば、大学卒業資格というものが、100%確定ではないにせよ確率論的にはある程度効果のあるチケットだったっていうのは有る。しかしそれは同時に、「確率論的」「ある程度効果のある」にすぎないわけでもある。「それを購入すれば購入者は確定した幸福を保証される」わけではない。効果の程は購入者によって程度の差がある。
(そもそも大学というのは研究/教育機関なわけで、そこに「幸せ」なんて主観的な、しかもチケット一枚で生涯を保証するようなものを求められても、大学側は「知らんがな、困るがな」でしかない。この件で大学が悪いわけではない)
筆者が守りたかったのは、「俺は大学を出て幸福だ」という以上の、もっと広範な「大卒チケットを購入した人間は幸福になれる」という「世界観」だったのではないか。それはすなわち「過去自分が行ったチケット購入判断は間違っていない」という保障でも有る。もうちょっと踏み込むと、「攻略法Xを実践すれば人間は幸福になれる」みたいな思想なんだとおもう。そして、これは、すごくわかる。
人間は日々を生きる上で脳みそ空っぽで生きるのは難しい。どうすればうまくいくか考えちゃうし、試行錯誤しちゃうし、うまく行けば嬉しいし、失敗すればなにが悪かったか考えてしまう。「セカイには攻略法が有るはずだ」って思想は人類進歩において巨大なアドバンテージだった。それは、自然科学分野においてはおおむね正しい。背景には物理法則があって、同じ入力には、同じ出力が返ってくる。技術研鑽や職人的な人生においても、概ね正しい。そういう態度で経験を扱えば、一定の知見が得られる。
だから「攻略法Xを実践すれば人間は幸福になれる」みたいな思想はすごくわかるし、自分を点検しても、この類型は形を変えていくつも発見できる。
でも実際問題、本当にこれが正しいかって言うと、ぜんぜんそんなことはない。人生という関数は入力が同じでもその個人ごとに出力がぜんぜん違うようだ。そもそも「同じ入力をする」ということ自体が人知では制御できないほど難しい。双子なのにぜんぜん違う人格になったり将来を迎えたりするわけで。人生という巨大関数はすくなくともワンチケットでフリーパスになるほどちょろいものではない。信用できるデバッガもない。
でも、その事実はかなり痛みを伴う。「人生に攻略法がない」というのは(もちろん確率論的にだが)「どんなに頑張っても不幸にしかなれない人間が存在する」ということを意味するからだ。
(※もちろんこれは一部宇宙の事実と異なります。瞑想とジョギングと野菜はすべての人生を攻略します。Yes、ぶくまますたー!)
そんなわけで、件の記事はなんだか悲鳴のようにも聞こえた。「この世界に攻略法は有るよ、ぼくらが幸せになれるチケットは実在するよ! ボクの過去の努力コスト支払いは間違ってなんかない! なぜならボクはいまそのチケットで暮らしているからだ!」――あの記事で筆者が説得したかったのは、誰より筆者自身だったのではないかと思う。
同様の光景はあちこちで見ることが出来て、それが先鋭化すると、論理が逆流を始め「(大卒資格が幸福チケットであるという)世界観を守るために、高卒以下の人間は不幸でないとならない」な方向に拗れてしまう(連中は全員DQNみたいな発言)。そうなると地獄の二次生産だ。だがどちらにせよ、それは学歴コンプレックスと言われているものとは、隣接しているけれど、もっと何か違うものなのじゃないかと思う。
18歳の夏、父が自殺した。
反抗期真っ盛り、いつも夜遅くに帰って来て母と口論してばかりの父と話すことなんてないと思ってた。
仕事のトラブルから人知れずうつを背負い込み首を吊った彼は、棺の中で首元まですっぽり隠し、薄化粧の下でちょっと気弱そうな、いつもの父だった。
その顔を見た瞬間、思った。
「父を殺したのはわたしだ。」
もっと父の変化に気づいていれば、父を止められたかもしれない。
もっと父と話をしていれば、父は死のうなんて思わなかったかもしれない。
もっと父に笑顔を見せていれば、父はギリギリで思いとどまったかもしれない。
夜明けごろ、家族をかなぐり捨てても彼岸へ逃げたかった父は、どんな気持ちだったのだろう。
家族に自殺者がいると知られたら、どんな目でみられるんだろう。結婚や就活はどうなるんだろう。
自死遺族が自殺する可能性は、通常の3〜5倍らしい。私もいつか父と同じ死に方をするのではないか。
あの時から10年近くが経つが、後悔と自責と不安は消えない。時間が経ち、考える頻度は減っても、その重みは変わらない。
父と死別していることは周りに言えても、その死因は恋人にも友達にも話せない。
このように自死遺族にとって、死者の話はタブーだ。その人を懐かしんで語ることは、見殺しにした自分には許されない。家族を助けられなかった罰として、あけない喪に服し続け、自分を守るために自死遺族であることを隠して生きている人が多い。
そんな中、宇多田ヒカルの8年ぶりの新アルバム「fantôme」の「花束を君に」を聞いた。
朝ドラの主題歌で耳では知っおり、柔らかな曲調とドラマの内容からほのぼのした歌と思い込んでいたが、改めて歌詞を見て、涙が止まらなかった。久しぶりにしゃくりあげて泣いた。
「今は伝わらなくても
真実には変わりないさ
抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に」
それは、母を亡くした一人の自死遺族が、前を向く為に書いた言葉だった。
そして、わたしが10年間、どんなに探しても見つからなかった、自分を許してあげるための言葉だった。
いままで父を思い出すとき、「ごめんなさい」という気持ちばかりで「ありがとう」って思ったこと、なかった。
ありがとうって言ってもいいんだって、背中を押された気がした。
宇多田ヒカルさん。
ずっと、欲しくて欲しくて、でも自分では与えちゃいけないと思ってガマンしてた救いをあなたはくれました。
自死遺族の団体寄付をしたとかしてないとか一部報道がありますが、正直どっちでもいいんです。
あなたがまた歌をうたいはじめてくれただけで、ここで一人の自死遺族がやっと死じゃなくて生のほうを多く考えて生きていけるようになりました。
ほんとうにありがとう。
【追記】
いままでのいろんな感情が溢れすぎて、肝心の曲名で誤字をしていました…。
いろいろな反響をいただけ、とても嬉しいです。