2024-11-16

anond:20241116004606

いくつかの皿洗いが嫌なパターンを考えてみる。

労働でとても疲れているケース

労働でも、他のことでもいいのだけれど、とても疲労感を感じていてタスクを実行することが億劫になっているケース。

このケースの場合、「皿洗い」というタスクが嫌なのではなくて、あらゆる雑事をする意欲を失っている。

から、このケースに当てはまる場合で「皿洗い」が嫌だ、と感じているのであれば、

それは逆に「皿洗いが嫌」なわけではないと言える。

簡単に皿洗いが終わらないケース。

一人や二人で暮らしている場合と、4人家族の洗い物を一度にやるのとではタスク負担感に差がある。

一人暮らしで、皿洗いなんてサッと終わるのになぜ皿洗いが嫌いなのかわからない。

と考えているのであれば、もっと洗い物の量が多ければどう感じるのかを想像してみる。

皿洗いというタスク時間のかかる大掛かりなものであれば、皿洗いのタスクは嫌に感じる。

食後の時間を楽しめなくなるから嫌だと感じるケース

皿洗いというのは、食後に行わなければいけないものだ。

人間、満腹になってしばらくの間は、雑事を行うのは嫌なものである

とくに夕食の後などは、ゆったりとした時間を過ごしたいと感じる人は多い。

そのような欲求に対して、それを妨げる皿洗いのタスクを疎ましく感じるのは理解できる。

時間がないケース

1日中、忙しい人は皿洗いのようなタスクを嫌う傾向にあるのは当然だ。

ただ、このケースは冒頭に書いたケースと同じで「皿洗い」に特化しているわけではないので、逆に皿洗いが苦手というわけではないと言える。

家事の分担に納得していないケース。

家族暮らしている場合で、自分ばかりが皿洗いをさせられていると感じている場合には皿洗いが嫌いになるのは当然だ。

ただ、このケースの場合も、その他の家事洗濯掃除などと比較したときに突出して「皿洗い」が嫌と感じるのでなければ、皿洗いが嫌いというわけではなくなる。

こうして書いてみると

「皿洗い」そのものが嫌い

というケースと、

単純に雑事を行うのが嫌だ

というケースに分けることが出来ることに気づく。

基本的に、家事という雑事が面倒に感じるのは人間として普通感情だ。

それは皿洗いであっても、トイレ掃除風呂掃除ゴミ捨て、なんでもそうだ。

その中で、突出して、「皿洗い」だけが嫌に感じているのでなければ「皿洗い」が嫌いということにはなりにくい。

逆に、皿洗いが億劫ではない、という人の場合家事全般がそれほど嫌いではない、あるいは家事を行うことがストレスの解消に繋がっている人というパターンもある。

掃除などをすることを基本、嫌いではない、という人が皿洗いなんて簡単なことだ、と感じているのであれば、それはその人が家事全般に対してストレスを感じていないだけだ、ともいえる。

とくに結論はないが、強いて言うのなら

「皿洗い」だけが嫌いな理由、というものを見つけ出さなければ

「皿洗い」が嫌いな理由にはならない、ということだろう。

から「手が荒れる」から嫌だ、などの理由は非常に説得力があるといえる。

記事への反応 -
  • 皿洗い嫌いな人って何が嫌いなんやろ?すぐ終わるし、ただ洗うだけやのに

    • いくつかの皿洗いが嫌なパターンを考えてみる。 労働でとても疲れているケース 労働でも、他のことでもいいのだけれど、とても疲労感を感じていてタスクを実行することが億劫にな...

    • てめーはいま全世界の洗剤湿疹の主婦を敵にまわしたやで あとSDGsのヘクターさんみたいなやつ

      • ゴム手しないの?

        • てめーはそれを全世界の洗剤湿疹の主婦に聞いて回りたいわけ?ナニサマ?

          • いやなんでゴム手しないの? 便利だよ

            • じゃあなんでお前は紙やすり製の服を着ないの?垢がかってにおちるから便利だよ。 いくら便利でも痛かったり怪我する結果になるならば、やらないほうが合理的というのが見えてない...

    • うちの夫は「皿洗いが出来ない病気にかかっている」と言っちゃうくらい、皿洗いが嫌いな人なのだけど、私が「手湿疹ができた」「手が割れてきた」など手の不調を訴えると、「食洗...

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