はてなキーワード: ファンタジーとは
たくさんブクマいただいて恐縮です。
まず、文献を貼らずに・・・と何人かの麿が目を剥いていたので、ほぼ古典レベルのこの文献を貼っておく。
木下富雄(2002)リスク認知の構造とその国際比較, 安全工学 41 (6), 356-363
https://www.jstage.jst.go.jp/article/safety/41/6/41_356/_pdf/-char/ja
P.357これまでに日本で行われたほとんどすべての研究において、女性が男性に比べてリスクに敏感であることが知られている6)10)11)。そしてこの傾向は、科学技術のリスクだけではなく、BSE汚染や自衛隊の海外派遣のような、社会的な事態のリスクにも及んでいる12)。性差はさらに年齢とクロスしており、リスク認知が一番高まるのは、30~40歳代の女性であることが多い11)13)。これは、配偶者や子供など、身近に愛するものをかかえるこの年齢の女性が、リスクに過敏になるためではないかと解釈されている。
p.362ところが,中国では,たばこを除き男女差はほとんどない.さらにアメリカでは,レントゲンや麻薬において,男性のほうが女性よりも高いリスク認知を示している10).いずれにしてもリスクの認知が,文化の影響を強く受けていることだけは明らかといえるだろう.
この分野が面白いと思った麿は、最近の文献はGoogle ScholarやらPubMedで risk perception をキーワードに色々探してみて欲しい。
英語のPDF文献はShaper https://dream-exp.net/shaper/ で改行削除してDeepLで翻訳すると楽です。Shaper作ってくれた人ありがとう。
で、エントリを読んだ人にはほとんどわかっていただけたと思うが、自分は例のアンケートの元々の設計と結果の解釈が正直「まずい」というか「かなりまずい」と感じており、あのアンケートの結果をもって、
40代以降が萌え絵についていけてなくて価値観がアップデートされていないとか、
40代~の中高年層がやたらと「風紀委員」的になっているとか言ってしまっている人たちに、
いやいやちょっと落ち着こうやというつもりで今回のエントリを書いた。
仮説や解釈に言及しているひと、同業者の方だろうか、ありがとう。
自身のつらい体験や、大事な人のつらい体験を書いてくれている人も、共有してくれてありがとう。
良く分からないが「あれは絵だ」とか、「あの広告をなくしたところで痴漢は減らない」言っている人も、おそらくnot for meな長い文章をさいごまで読んだのはえらいなとおもった。とにかく読んでくれてありがとう。
どのコメントもすべてありがたく読んでいる。
特にn3922氏の
“周囲の大人は痴漢に怒ってくれる、という信頼感を自分にくれた恩人である。” この信頼感の絶対量がもっと多い世の中だったら、たわわも問題にならなかったんじゃないのかな〜と思ったりする“
というコメントは、自分が広告の表象よりは講談社の意図が気になった根底には、これがあったんだなと、気づきを得た。
信頼感は、リスクの評価や受容に大きくかかわると言われている。
これを今のニュースで例えると、製薬会社やそれを指導管轄する国への信頼が低ければ、ワクチンが危ないという気持ちが強くなり、ワクチンを受容しようという気持ちが低くなるという仕組みになる。まあワクチンの場合はもっといろんな影響因があるが。
今回の件の場合、○○への信頼の○○には、「社会」が入るだろう。
具体的に言えば、「この社会は市民を性的被害から守ろうとしてくれる」という信頼感である。
この信頼感が高ければ、たわわの広告が「まずい」と感じる人は減ることが予測される。(この論理については後段でもう少し詳しく説明する。)
「まずい」と思う人が減れば、広告表象等に係わるコンフリクトが減ることが期待される。
これはみんなにとって良いことだろうと思い、講談社の意図と社会への信頼感の関係性をみる実験を考えた。
講談社の意図については、ブコメでは以下のお2人が回答してくれていた。他に見落としていたら申し訳ない。
yujimi-daifuku-2222氏
可愛らしい女の子が出てくるギャグファンタジーを読んで、新入社員に元気になってもらいたい以外の何があるのだろうか。/強敵との戦闘を楽しむDBの孫悟空は通行人に面白半分に殴りかかる事を肯定しているのですか?
ruin20氏
漫画の中の彼女たちの巨乳を拝んでありがたいなあ(しみじみ)みたいな形で元気をもらってくださいねって話だと思うんだけど、それだったとして何なの? なんか問題あんの?
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可愛らしい女の子が出てくるギャグファンタジー。彼女たちの巨乳を拝んでありがたいなあ(しみじみ)みたいな形で新入社員に元気になってもらいたい。
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しかしなにかまだ足りない。
たわわには巨乳ヒロインが複数登場するが、そのうち、電車の中で会える女子高生のアイちゃんをわざわざ表象に選んでいる意図が抜けている。
それを加えて、ターゲットと提供する価値を明確にしてみたのが以下である。
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新入社員のみなさんへ。
憂鬱な月曜日、巨乳を拝んでしみじみと癒され、元気になりましょう。
1~4巻発売中。ぜひ買ってね!
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どうだろうか。キャッチ―とは到底言えないが、割と過不足なく講談社の意図と広告の中身を説明できているのではないか。
(ギャグファンタジーはちょっと違うのではと思ったので単に漫画とした。すみませんyujimi-daifuku-2222氏)
これを、朝の新聞の1ページいっぱいに32ptくらいのフォントで書いて出す。
絵は、「オタクや萌え絵への忌避感」の影響を避けるために載せない。
それを見た時、「この社会は子供を性的被害から守ろうとしてくれる」という信頼感はどう変わるだろうか。
おそらく、性的被害の経験者はそうでない者と比較して、信頼感が有意に下がることが予想される。
理由は、「電車の中の女子高生を性的コンテンツとして楽しむこと」と痴漢等の具体的な性的被害への危機感がリンクするのは、主に被害の実体験を持つ者だからである。
上記が納得いかない、という人もいるだろうから、その作用機作を証明するために同様の実験をするといい。
例えば、「痛みを伴うことを笑いの対象とする」バラエティー番組を宣伝する文章を掲示し、
「この社会は子供をいじめから守ろうとしてくれる」という信頼感の変化をみてみるのはどうだろう。
おそらく、いじめ被害者は、加害者と比較して、信頼感が有意に下がることが予想される。
いじめ被害者は「バラエティ番組で人を痛めつけることをコンテンツとして楽しむこと」といじめの具体的な被害への危機感がリンクしやすいからである。
ここまで書いて、なぜ私は1mmも自分の成果にならない実験の話をしているのだろう、と我に返ったが、まあいい。このまま投稿する。
夜中のテンションにまかせて書いたので、同業者諸氏に粗を指摘・改善いただいたうえで、この実験を例の計量経済学の先生にしてもらえると嬉しい。
たわわ広告への反応が、「風紀委員的な正義感」に基づいたものなのか、「被害経験に基づく社会への信頼感の低さ」に基づいたものなのか、より明確にできるだろう。
以上。
もう海外のNPOみたいに、重い発達障害と軽度知能障害はTPOが理解出来ないし、
だからこそ、子どもを性的な見ることを許さない社会的合意なんだよな
TPOとフィクションと現実の区別が付く人しか世界にいないのならレーティングもゾーニングも一切不要なのですわ
だけどTPOが理解出来ずフィクションと現実の区別が付かないポリコレで保護を必要としている人ほどその自覚は薄く、
ポリコレがどうたらと騒いだり、実在の人物や企業に実際に攻撃を仕掛ける、
一応日本にもいるけどな、実名で言い切ってる当事者(発達障害の性犯罪者)と性依存症の対応してるクリニック
<当事者 (発達障害の性犯罪者)>
「小児性愛障害以外にも、発達障害や双極性障害、アルコール依存症もある。身体的な疲れ、人間関係のストレス、いじめといったものをうまく解決できずに感じていた“生きづらさ”から解放されたい時の手段の一つだった。そして、やってしまった。こういう言い方は誤解を招くかもしれないが、どうしていいか分からずに、警察に助けを求めたのだと思う。自分の中に残っていた“良心のカケラ”というか、依存症治療で求められる正直さが必要だ、と思えたのだと思う。」。
「僕自身も心理的虐待を受けていたので、子ども心に“大人になったら子どもをいじめるような大人にだけはならない”と誓っていた。それでも、なってしまった。僕が立ち直るきっかけとなったのが、サバイバーの方たちの手記だった。それを読んで、自分がどれだけ深く子どもたちを傷つけてきたかと思った。例えば思春期前に、そういうことについて学んでいたら違ったと思う。また、ゲイ雑誌の中にある男児小児性愛のポルノの広告を見て、自分の居場所というか、“自分は少年愛者だ”という考えが強化されてしまった。一般化することはできないが、やはり自分はすごく刺激を受けたし、妄想を強化して自己正当化してきたことは間違いない。今の法律、規制は、不十分だと思う。たとえフィクションであっても、子どもに性被害を与える表現への規制は必要だと思う」と語っていた。
小児性犯罪の元加害者&専門家と語る【小児性愛障害のリアルと課題】
<性依存症の対応してるクリニックのご意見>
「現実とファンタジーの区別はついている。児童ポルノを見ても、実際の子どもに手をかけるなんてことはない」というのは、典型的な認知の歪みの1つです。自身が子どもに加害行為をしていなくても、それに加担している事実にふたをしています。
また、当院のデータでは加害経験がある者のほぼ100%がなんらかの児童ポルノを見ているという事実があります。
小児性愛障害と診断された者たちは、生まれながらにして子どもへの性嗜好を持っていたわけではなく、社会の中でそれを学習し、身に付け、強化していきます。児童ポルノはその「パンドラの箱」を開けるきっかけとなっている可能性がとても高いといえます。
もしこの社会に児童ポルノがなかったら――そんな“たられば”を言ってもしょうがないですが、子どもへの性嗜好に気づいたきっかけが児童ポルノとの出合いだったというのは、小児性犯罪の治療グループで聞かれる定番中の定番のエピソードです。
そして児童ポルノを通して彼らは「子どもは性的な存在である」というメッセージを受け取り、認知を歪めていきます。見れば見るほど、それを利用してマスターベーションを繰り返せば繰り返すほど、問題行動は強化されていきます。
「児童ポルノがあるから現実の子どもにいかなくて済んでいる。なければ、子どもへの性犯罪はもっと増えると思うよ」というのは、まったく逆です。児童ポルノに触発されて実際の子どもに加害行為をする者もいる、と考えるほうが現実的ですし、そのように語る加害者に私は何人も会ってきました。
加害行為をする前には、トリガー(引き金)があります。クリニックに通院する者たちに「加害行為の前に何をしていたか、どんな状態かだったか」を振り返ってもらうと、子どもとのセックスを想起し過剰なまでにマスターベーションをしたというエピソードがよく出てきます。1日に8回もしていたという者もいました。言うまでもなく、そのときには児童ポルノがセットになっています。児童ポルノは確実にトリガーとなりうるものなのです。
児童ポルノに出合わなくとも、なんらかのきっかけで彼らが子どもへの性的関心を抱くようになった可能性はあります。けれど児童ポルノに出合わなければ、それが強化され認知が歪むプロセスをどこかで食い止められた可能性は無視できません。
児童ポルノと表現の自由について議論するときは、常にその背景に被害を受けている子どもがいることを忘れてはなりません。これを加害者臨床では「ダブルクライエント構造」と呼んでいます。
児童ポルノを愛好するほとんどの人が現実とファンタジーの区別がついていても、その中から1人でも現実に加害をする者が出てくれば、それは対策が必要だということです。小児性犯罪は特にその傾向が強いということが、世界でも明らかにされつつあります。
「長年の加害者臨床の経験から、性犯罪は学習された行動という要素が非常に大きい。普段、暮らしている日本社会の中で学習してきたという結論です。痴漢に関しても同じことが言えます。生まれながらの痴漢はいないし、将来痴漢になりたいという人もいません。社会の中で痴漢になっていくわけです。したがって、小児性愛障害者特有の認知の歪みというものも、日本社会の中にある前提となっている価値観(子どもを性の対象として消費する社会)との相互作用の中で強化されていったものだと考えています」(斉藤章佳さん)
https://withnews.jp/article/f0210824001qq000000000000000W0fp10101qq000023477A
<海外のNPO>
一部の人々は、セックスがどのようなものかを理解するためにポルノに目を向けます。
ただし、ポルノで描写されているセックスは自然でも本物でもないため、混乱や欲求不満を引き起こす可能性があることを理解することが非常に重要です。
例:
24歳の自閉症スペクトラムのゲイリー
ある日ゲイリーが年上のいとこのリックと遊んでいた時、リックはどんな仕事がしたいのかと聞いてきました。ゲイリーはネットで見た動画を思い出します。
その中には、ピザの配達人が女性の家に食べ物を届け、女性と性行為をするという内容のものがありました。
ゲイリーは「ピザの配達人になりたい」と答え、その理由をポルノビデオの描写を交えて説明しました。
リックは最初は笑っていましたが、ゲイリーが本気で言っていることに気づくと、気まずそうにゲイリーを見つめました。
ゲイリーは、彼のいとこがポルノビデオが偽物であったことを明示的に彼に説明するまで、何が間違っているかを何が悪いのかを理解していませんでした。
それ以来、ゲイリーはポルノビデオで発生するシナリオは偽物であることが多いと想定し、他のリソースからセックスについてもっと学ぶべきだと判断しました。
[OCR]SEX ED. FOR SELF-ADVOCATES:
お前らさ、いい加減にしなさい
30周年の2013年度以降、2018年度までの東京ディズニーリゾートは
毎年年間3000万人超えの異常事態
TDSオープン翌年の2002年度から2011年度まではずっと入場者数が年間2500万人程で安定推移したわけです(25周年の2008年度は2800万人)
アニバーサリーイヤーでもないのに年間2750万人を叩き出し、以降30周年から3000万人台に一気に水準が跳ね上がりました
色々なメディアに「東京ディズニーリゾートの満足度が急低下!」とか
書きたてられてバッシングされていた2010年代半ばの頃を思い出す
OLCも「満足度の向上」的な文言を新施設や施設リニューアルのリリースを出す度
「何が満足度の向上だよ!バーカ!」とオタク達から総ツッコミされていたことを
一気に快適なパークに変貌しました
いや、コロナが存在せず、あのままずるずると変わらぬ運営を行っていたら、
年間3500万人以上にまで入場者数の水準が上がり、混雑低下効果は出ず、焼け石に水だったんじゃないかと思います
それとオタク達!よーく聞け!
お前らの存在こそ2000年代後半以降のエンタメ予算削減の大戦犯だよ!
と言うけど
「地蔵糞オタクのせいで一般客が見られなくなった」から経費削減したんだよ〜!!!
震災を期に廃止された「カウントダウンパーティ」なんて、駐車場での「難民キャンプ」とあまりに危険すぎた、ワールドバザールの開園ダッシュがあったから
辞めるタイミングをずっと伺っていたんじゃない?っていう
何はともあれ、年パス廃止で地蔵糞オタクが絶滅してくれるのは最高ですね
一般客が「前に陣取ってる人が多すぎてまともにショーが見られなかった」という苦情は日常茶飯事
アメリカのディズニー本社から視察してきた人が、城前にレジャーシート敷いて場所取りしている光景見て唖然としたり…
2002年4月、TDLにおいて「場所取り1時間前ルール」を策定
「D-POPマジック」開催当時、プラザテラス周辺には1時間になるのを今か今かと待ち構えてるオタ達が集合して殺気立っていたそうですわ
そしてそのD-POPマジック開催期間中に行われた事と言えば「キャッスル・フォア・コート」の開発
これによってキャッスルショーの中央鑑賞エリアが大拡大、そしてプラザにおいて、キャッスルショーの鑑賞性が大きく向上
そして翌2003年、20周年のキックオフイベント「シンデレラブレーション」(以降シンブレと表記)から
抽選にしてもなお結構な割合を占めるし、中央鑑賞エリア"外"のいい場所は年パスオタクが埋め尽くすので
やっぱり一般客の不満は変わらなかったり
(マジックキングダムみたいに開始10分前にふらっと城前行ってショーを見られるぐらいにならないかねぇ)
そんなこんなで2006年から徐々にコストカット開始したわけです
この時の衝撃と言ったらもう…(※点灯式はキャッスルショーではない)
TDLのクリスマスキャッスルショーって当時は「伝統芸」みたいな存在になっていて
内容もその性質上、マンネリ気味だったけれど偉大なるマンネリになっていましたね
「お、今年は久々にこの曲使ったか」「この曲を今年はこういうアレンジにしてきたか」そんな具合
とにかくクリスマスキャッスルショーは大好きでしたね、特に3回目公演が(4回目よりも)
シンブレは2003〜2008年の6年連続公演で「ま た 今 年 も シ ン ブ レ か」と、当時多くのDヲタが思っていました、私もです
(言うまでもなくシンブレはTDRで歴代最高レベルのショー、この当時の感覚は今振り返ると贅沢極まっていた、#シンブレ復活して)
「フリフリオハナバッシュ」も2年連続公演で(今から思えばとやってくれるだけでありがたい)
でもこの頃は「25周年を豪華にするために今は節約しているんだ…きっとそうだ…」って思っていました
そして2008年、25周年到来
もう「終わった」その一言に尽きる
クリスマスキャッスルショーの良さの欠片もない「ミッキーのジョリースノータイム」
「スターライトマジック」序盤、サン=サーンス作曲の"動物の謝肉祭"に合わせて
シンデレラ城が徐々にライトアップしていくパートのリメイクバージョンなのですが、
そこでドナルド達による鍵の奪い合い、"鍵コント"と言うような小芝居を追加し、台無しになってしまったという…
この時期のTDRショーにありがちな悪い癖と言うべきというか…
「東京のエンタメ部門の質はこれ程までに落ちぶれたのか…」と唖然したのと同時に「わざと質を落としているのでは?」という疑念も生じました
そしてそれは後年、「D23EXPO JAPAN」におけるTDRの演目において実感することができました
「本当はできるんじゃん…」「やりたくでもパークではできないんじゃん…」
という嬉しさと同時に悔しくて歯痒い想いをしました
この25周年に対するDヲタからの評価を35周年の時によく見かけたのですが
「最低最悪の周年、財布よ、開けw」という散々な評価と
「25周年は最高すぎた…😭あの頃は豪華だったな…」という評価に二極化していた、と感じます
その後と言うとイースターワンダーランドという、あの時期としては奇跡的な良ショーも出したりして
なんやかんやで迎えた30周年、期待値ゼロだったので特に何も感じず
そして2014年、キャッスルプロジェクション「ワンス・アポン・ア・タイム」(以下ワンスと表記)の開始
これこれ!と思いました
プラザの全域で見られるこの満足感、これがTDLにおけるエンタメ改善の兆しと当時感じました
2017年のクリスマス期間に開催した「ギフト・オブ・クリスマス」なんて特に琴線に触れましたね
その当時、夏に城前でやっていたショー、雅涼群舞だっけ?
オタク向けのショーはもはや開き直ってショボく、
全ての層に向けた(オタクも含む!)ショーは予算をかけて豪華に!
35周年、これはとても良かったです
TDLのアニバーサリーとしては20周年以来に良いと思えました
数だけ揃えても全てがお粗末最低だった25周年が20点
もはやなにもしない30周年が10点
今の出来る範囲で最大限パワーを発揮した35周年は75点と言った所でしょうか
夜の「オー!サマ!ーバンザイ!」では城へのマッピングも融合!
城プロジェクションの良いと思う点として、昔のキャッスルショーと違って「遠くからでも楽しめる」これがとても重要
「こんな感じで古き良き時代のクリスマスキャッスルショーがまた見て〜!」とか
「東京のショーもようやく新時代に突入か」と思ったところにコロナがやってきました
「入場者数のコントロール」「客単価の向上」
バケパにも限界が出てきたことからいよいよショーの「鑑賞席」有料化の可能性が出てきたという吉兆が出てきました
90年代後半〜00年代前半のような豪華で質の高いエンタメが見たかったら
年パスの廃止は喜んで受け入れるのが本当のオタクである、と思います
2ヶ月に一度ワンデーで入って豪華なショー見るのと
満足度が高いのはどちらかと聞かれたら、私は前者だと大声で言えます
TDSについて
ポルトやミシカの様な世界中のディズニーオタクが絶賛するようなハーバーショーを…
ハーバー埋め立て後の季節ハーバーショーってキャラヲタが喜ぶだけ
WFPのステージョー これは永久に無理だと思います、どうやっても無理な広さです、あきらめましょう
稼働期間8年位ですか 4隅にスピーカータワーを備えた立派なイベント用広場ですが
今となっては持て余していますよね、そのうち開発されそうと感じる
興味深く読ませてもらった。 https://anond.hatelabo.jp/20220426
私は当該のTwitterスペースはほぼずっと聞いていた。
まず、この騒動は表現の自由の話ではない。表自界隈は回れ右。今回の件は要約すると以下である。
まず謝罪文 https://docs.google.com/document/d/1aXnVgq-yH1idOFUILt7dRNJlm33raLC_TVq2zKCCbgo/edit の中で書いてあるように
それは胸の大きな女性の主体的で自主的な自己表現が尊重され、尊重するべきだからです。その考えは、これまでもこれからも変わりございません。
という一点に付いて何の偽りもなく、 最初から最後まで同じ態度を貫いていた。ただしその「女性」に付いては実在する女性の話をしており、絵に描かれた実在しない女性は主体も何も無いので黒澤さんは強い意見を持たなかった。
スペース内では黒澤さんは繰り返し「日経新聞ではゴルゴ13や島耕作も広告を載せているが、日経は殺人や不倫を推奨してはいないし、空想の中の話なのでファンタジーで構わない」という趣旨の発言をしていた。
その文脈の中で「空想の中の話で未成年に性的な眼差しを向ける事だって殺人や不倫と同様にファンタジー」という流れで未成年を性的な対象とする風潮についてコメントしていた。
わかりやすく言うと「他人の内心の話なんだから咎めるのは無理筋じゃない?」という意味で、言い換えれば「デューク東郷による暗殺劇を楽しむのは犯罪ですか?」と同じ温度感で「未成年を性的に見て悪いんですか?」と言っていたのだが、最後の部分だけが切り取られてあたかも「児童ポルノを奨励している」とされていたのは明らかな誤解や悪意を感じる。
黒澤さんは実在する未成年が望まない性的な眼差しを向けられる事に対しては明確に反対している立場だが、絵のように実在しない存在や、そもそも本人が望んで性的な眼差しを受けたくて見せたくて見せている事例に対しては「女性の主体的で自主的な自己表現の尊重」と矛盾しないため反対していない。
また、ビジネス感覚も備えているので、未成年のグラビアが表紙になっている雑誌などをわざわざ叩きにいくような事もしていない。
何なら巨乳を肯定的に捉える一部の媒体に対してはtwitterでフォローすらしているようである https://twitter.com/___mumumm/status/1517769922411376640
HEART CLOSETは胸の大きな女性向けの服を扱っているブランドで、買って着た顧客が自身の写真をアップロードして交流するコミュニティがあったというのは元増田にもある。
当然胸の大きい女性の写真が出てくるので喜ぶ男性がいるのは想像に難くないが、それらの写真などに対して男性が性的な声掛けをするのを黒澤さんは「女性の主体的で自主的な自己表現の尊重」に基づき明白に反対している。
そうして「モデルに対して性的な眼差しを向けないでください(これはそういう意図の写真ではありません)」と主張したことが、ハートクローゼットの一部の顧客に曲解されて「黒澤は男性からあらゆる物に向けられる性的な眼差しや内心を絶対許さない人だ」という事になった。
ハートクローゼットの服に対して残念だと言っているツイートをいくつも読んだが「これまでのハートクローゼットの服は黒澤代表が男性の性的な眼差しを糾弾してくれたから安心して着れたのに、黒澤が方針転換してしまったので汚物になってしまった二度と着ることはできない」という趣旨の物が主流であった。つまり黒澤さんに対する豪快な誤解が根底にある。
そもそもであるが人類の歴史の中で性的な眼差しを向けられないよう配慮して設計された服はいくつもあるし(メイド服、修道服、セーラー服、ブルカetc)その全てが結局性的な眼差しを向けられるに至ったわけで、服自体に対して性的な眼差しへの防護を期待するのは筋悪であるし、ましてやブランドイメージのお陰で性的な眼差しを防げるはずもない。
黒澤さんは男性がユーザーの写真を見ること自体に対しては禁止せず(というかできず)黙っている限りにおいては黙認していたようである。
試着者の写真もブランドイメージの醸成と宣伝に役立てていく戦略の一部のようなので鍵付きのクローズドなコミュニティでやるわけには行かず、ブランドの知名度が上がれば勝手に写真も拡散していき男性の目も増える一方で、顧客は男性の目が向かなくなる魔法の服を所望している矛盾があったので遅かれ早かれ破綻する戦略だったといえばそうかも知れない。
ハートクローゼットを叩いているアカウントの主張と黒澤さんの主張を並べると、黒澤さんは所謂正統派のフェミニストで女性の権利と尊厳を推進する立場として正しい活動をしている一方で、叩いている人達はオタクが喜ぶ内心を良しとしない「内心の自由反対派」であることが浮き彫りになる。
スペースで顧客の女性が泣きながら訴えていたのは「黒澤さんは一緒にオタクの内心の自由を制限する同志だと思っていたのに裏切られた」という要旨であり、黒澤さんは「フェミニスト」であって「内心の自由反対派」ではないので衝突が発生してしまった。
「解釈違い」と言っても良いし「推しの声優が処女じゃなかった」とキレてるオタクとレベル感は同じである。
他人の内心を制限したいという実現不能な願望を勝手にハートクローゼットに押し付けていたのはそういう一部の身勝手な顧客であって、それらの要望に合う服はoverEだろうが何だろうが今の地球に存在しない。男性の性的な眼差しを恨む気持ちはわかるがその恨みを特定の個人やブランドにぶつけるのは明らかな間違いである。
性的な眼差し全般を禁じたいのであれば、他人の内心を制御したいという時点で日本を含む大抵の国の憲法や法律とは相容れないので出ていって貰うほか無い。
さて今回の件、あなたは「フェミニスト」の味方ですか?「内心の自由反対派」の味方ですか?
追記:da099db98ca9da58133e9acf176766e9
後世のためと表現すると些か大げさ過ぎるけど、将来的に今回の件を振り返った際に「過激な女性向け作品をゾーニングした責任の所在」が求められた場合「特定の属性を持った人たちを犯人に仕立て上げる」ことは回避されなければならない。
つまりこのエントリはそういった捏造を防ぐためのアンカーだ。
2022/04/27現在の議論を見ると、老若男女性別不明からファンタジー生物に至るまで「過激な女性向け作品はR18ライセンス(マーク)の記載とR18へ基づく適切な設置位置での販売」を行うったほうが良いという主張が大勢だ。
決してこれは表現規制推進派による主張でなければ女性蔑視主義者の主張でもなく、何なら女性向け作品を愛好する当人たちも同意し主張している言説だ。
ただし、2022/04/27現在として異論も存在しており、無制限の表現の自由を推進する様な者は当然ながら現状維持もしくは拡大を主張しているし、女性向けは犯罪へ繋がりにくいのではないか?という仮設を立てて現状維持を訴えるという様な者も居て、完全無欠の大勢意見であったわけではないことは忘れてならない。
このエントリは記録を残すためのアンカーなので、はてなブックマークやTwitterなど他のSNSへ共有し記録として活用すると良いだろう。
というか作者自身がBLはファンタジーって言ってるのに頭悪すぎだよな
強いて言うなら『同性愛を当たり前のものとして肯定的に描いていない』『同性愛を非日常的なものとして描いてる』
そういう批判がなされている作品群を一般書扱いするのはどーかと思うわ
外資に勤めてたり海外で生活していれば同性カップルに出くわす機会は増えるが
日本でも同性カップルは当然いる。なぜなら当たり前のセクシャルだからだ
ただし、不動産投資の知識・コネ(建築デベロッパー勤め・不動産営業)がない限り、
1000万程度の年収では投資価値のある物件を買うことは不可能なので、
資産価値が高い物件を親から引き継いだよとか、農家など一族経営の事業者でも無い限り、
基本的に持ち家はロマン(損得では無く満足感を追求)という位置付けです
ただ、自由が効く賃貸住まいであっても、言うまでもない単純な問題があって、
貯金が少なくなってきたら『それなりの物件』に住まなきゃいけません
『それなりの物件』は多くの場合、高齢者にとって現実的では無いです
加えて属性低めの人を受け入れる物件は隣人ガチャもヤバめになるし、寝タバコや壁ドン基地外に遭遇する確率も爆上がりします
国は老人向けに団地(RC造+風呂トイレ別+バリアフリー+エレベーター)頑張るべきでは?と思いつつ、
健康のために運動しようと何年も言いつつ、数年間ジムの幽霊会員で、ここ最近はウォーキングすら全くしていないワイですが
筋トレやストレッチや食(身体に悪いもの大好き+面倒で断食しがち)をがんばろうと思いました
たぶん、5年間で100回くらいは同じこと言ってます。カツマーではないですがトランポリンは好きです
あと、生涯INを得る方法についてもっと真面目に考えようと思いました
ついでにこういう漠然とした認識の仕方だと脳がネガティヴに捉えるらしいので
まぁ、3ー5行日記のアプリのダウンロードすら出来て無いんですけどね
とりあえず情報をいっさい収集せず、くぎゅがTS娘で出ているというだけで始めた、アソビモの N-INNOCENCE-(エヌ・イノセンス)はクソでした
アソビモはこういうソシャゲ作りたくないから苦しくてもMMO頑張って来たと違うんか?って思いました
純粋なMMOが予算的に厳しくても2022年に劣化版のFGO・チェンクロは無いと思うんだ
シナリオで魅せるとか広告打って効果があるのは、key とか TYPE-MOON とか、とにかく杵柄のある人たちだけです
ガチのSF作家の本でも賞を取ったり・映像化されない限り話題にもならない事からお察しいただければと思います
どうしても予算的に厳しいならもっとキャラ萌えゲーに全振りした方が良かったです
作中に登場するTS娘と男の娘と百合娘とおねショタはフツーに需要があるので、キャラゲーならそこそこ安定した気がします
まぁ文句を言いつつも、東方の二次創作でよくあった輝夜みたいなキャラ(cv:悠木碧)が引けるまでは続けるし、
恐らく生涯独身だけど近所のやたら行動力のある高校生と友達みたいな関係で、
性的な要素抜きで身寄りのない血の繋がってない可愛い小学生の女の子の面倒を見てて、その子はやたら大人びてて食べ過ぎとか運動不足とかをちゃんと注意してくれて、
その子達の友達の小学生集団にもめっちゃ慕われてて毎年一緒に旅行行ってクイズを楽しむくらいの仲良い関係で
趣味兼仕事である発明品やゲーム開発の完成品をその子達に披露したら多分めっちゃいい反応してくれて、
何気に家もめっちゃ良いところに住んでて忙しい様子もないから恐らく特許収入なんかがそれなりにあって生活の不安もない、
私はそんな存在になりたい
細田守監督といえば「時をかける少女」や「サマーウォーズ」で有名だし、
近年でも金曜ロードーショーで何度もリバイバルされたり、サブスクで定期的に見放題になるので知っている人も多いだろう。
私は細田守監督作品が好きだ、出会いは1999年の劇場映画「デジモンアドベンチャー」(20分映画)、
それに続く2000年の「ぼくらのウォーゲーム!」(40分映画)だ。
どちらも非常に短い上映時間にも関わらずそれを感じさせない魅力が多く、本当に大好きだ。
「サマーウォーズ」は「ぼくらのウォーゲーム!」のセリフリメイクとして、デジモンアドベンチャーを見ていなかったひとにも勧められる高品質な映画として大変嬉しかったし、絶対に映画館で観続けてやるぞと思うようになった。
しかし、「おおかみこどもの雨と雪」を皮切りに、細田監督はスタジオ地図という独立スタジオを立ち上げて映画を作るようになったのだが、どうにも様子がおかしい。
様子がおかしいというのは語弊があるかもしれないが、なんだか「感動路線」や「国民的映画」というのを意図して作り出そうとしている印象を受けた。
そして「バケモノの子」「未来のミライ」といった映画を世に送り出したわけだけれど、クレジットを見ると「時をかける少女」〜「おおかみこどもの雨と雪」まで脚本を担当していた奥寺佐渡子氏の名が消え、細田守氏が直接脚本を書くようになっていた。
おそらく観た人の評判から「未来のミライ」のことはご存知の方も多いと思うが、その他も脚本の質としてはかなり低品質に思えた。
具体的には登場人物の感情曲線が支離滅裂で、動機と行動に一貫性がなにもない。
作りたい展開を作りたいように継ぎはぎしている。
そういった印象を受けた。
そして、満を辞して公開された「竜とそばかすの姫」は極力期待しないようにして公開日に劇場へ足を運んだ。
だが、自分は少しは期待していた、なぜなら舞台が「ネット上の仮想世界」ということで、原点回帰のような面が伺えたからだ。
独立後は自然派やファンタジーに寄った作品が多かったので、監督のオタク的心理を取り戻してくれると少しは期待してしまっていた。
しかしいざ観た内容は、「時をかける少女」と「サマーウォーズ」を足して薄く引き伸ばして再生産し、モヤモヤっとしたまま〆て終わりのような作品だった。
最後のスタッフロールで全国の日本テレビ各局番宣スタッフが長々と列記されている部分だけが色濃く脳裏に残っている。
もちろん、場面の絵作りとしては高品質なところもあるし、単純にミュージックビデオとして見ればそう悪くない場面もあることはあった。
しかし、それらを踏まえても、一本の映画として観た場合に違和感やモヤモヤばかりを劇場の外に持ち帰る脚本はいただけないなと思った。
「感動路線」「国民的映画」を目指しているそぶりは続いていたが、感情移入できるキャラクターも「観てよかった」「おもしろかった」と太鼓判を押せる要素も消え失せていた。
はてブで本論に対する反論をしない表現の自由戦士が多数いるの見て、やっぱ図星かと思った
jzhphy 「載せるべき」ではなく「載ってても別にいい」だからね。わざとすり替えてんだろうけど。月刊ムーあたりが「世界を切り開こう」みたいな良さげフレーズで全面広告しても疑似科学礼賛かなんて反応せずにスルーだよ。
本性あらわしたね
表現の自由戦士にとったら、「中韓ヘイト本が日経の一面広告に載ってても別にいい」らしい
まあ、表現の自由戦士の論理を突き詰めればこうなるのは当然ではある
jzhphyは問いから逃げた他の自由戦士に比べればまだマシな部類だろう
そう、
「『特定属性の人への嫌がらせを娯楽化した作品』の一面広告を許容するべき(批判するべきでない)」
と主張するなら、
「中国人や韓国人への嫌がらせを娯楽化した中韓ヘイト本の一面広告も許容するべき(批判するべきではない)」
と主張しなきゃいけなくなるんだよ
彼らの「直接に人を身体的に傷つけないなら、その表現は場所を問わず全て許容されるべきだ(批判するのは表現規制だ)」という主張は、差別発言(表現)を「人を身体的に傷つけない」という理由で肯定してしまうから
「『一部の人が不快になるだけで、身体的な被害は出ない表現』を批判するな」と言うなら、「土人は知能が低い」「チョンは近親相姦ばかりしてる」「チビには人権がない」といった表現も「一部の人のお気持ちが傷付くだけ」だから「批判してはならない」となる
jzhphyのコメントや、本論には全く反論せず重箱の隅をつつくことしかしない表現の自由戦士が多いのを見て、表現の自由戦士は結局、「場所を選ばず差別をする自由」が欲しいだけなんだと言うことがよくわかった
yujimi-daifuku-2222 ちなみに現実とは異なるセックスファンタジーは実在の人間への嫌がらせという基準を採用した場合、ほぼ全てのBLと理想化された男性が登場する女性向け恋愛ドラマや映画もまた、嫌がらせとして規制対象ですね。
女子高生に「頑張ったねクーパー靭帯」というLINEを送る性的嫌がらせ描写をなかったことにして、「セックスファンタジー=実在の嫌がらせ」という一切主張していない前提からお気持ち批判する国語力のない自由戦士
反論できないとこうやって嫌味を言うことしか出来なくなるのが表現の自由戦士
国語の勉強については読解力のないyujimi-daifuku-2222に言ってくれ
senbuu ヘイトスピーチは違法だ。比較するなら喫煙広告などにしろ。少年漫画雑誌にタバコのCMはありかなしか? 追記で2000字以内で答えなさい
君の言う「違法なものは違法なものとしか比較してはいけない」というメチャクチャな前提に乗ってあげると、
「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」がヘイトスピーチ対策法だと言いたいなら、
「本邦外出身者に対するものであるか否かを問わず,国籍,人種,民族等を理由として,差別意識を助長し又は誘発する目的で行われる排他的言動はあってはならない」とあるので、当然女性差別もヘイトスピーチ対策法の対象範囲にある。したがって女性への嫌がらせを娯楽化した漫画と中韓ヘイト本を比較するのは君のメチャクチャな前提に従っても問題はない
あとそもそも「違法なものは違法なものとしか比較してはいけない」は論理性が皆無なので君は反論できていない
jzhphy 「載せるべき」ではなく「載ってても別にいい」だからね。わざとすり替えてんだろうけど。月刊ムーあたりが「世界を切り開こう」みたいな良さげフレーズで全面広告しても疑似科学礼賛かなんて反応せずにスルーだよ。