はてなキーワード: エントリーとは
果たしてこういうエントリーは世の中ごまんとあるかと思うけど、とりあえず書いてみる。
昔、といっても10年くらい前の事が原因で、自分には人間としての価値がないし、幸せになる権利がないと思ってる。
先日事故、という程のものでもなかったのだが、を起こして頭をぶって病院に担ぎ込まれた。
この時、相手方の人が「お身体の方は大丈夫ですか?」と聞いてきたのだが、私は「なぜそんな事を聞くのだろう」と心底不思議でならなかった。
私にとっては壊したと思われる相手の自転車の方がよほど価値があり、むしろ私が事故の後に何らかの障害が残ったとしても、それは大した問題ではなく、とにかく自転車の弁償をすべきである、と考えるまでもなく反射的にそう思っていた。
そんな私が今もをってして死んでいないのは、ただ一つ、自分の家族が健在だからである。
家族には数えきれない程の迷惑や心配をかけた。もうそんな気苦労をかけさせたくないし、家族が辛い顔をしているのを見るのは耐え難い。
だから常に「私は変わらずに、元気で毎日楽しく過ごしている」という事を言っている。
実際、私はそれなりに幸福で楽しく過ごしている。自分に価値が見出せず、また、誰かの唯一無二になれない、なってはいけないこと以外は。
宮崎駿が引退の時に「この世は生きる価値がある」と言っていたけれど、なるほど確かに世の中生きる価値はあるだろうと思う。
私がその中で生きていく価値がないだけで。
私のことを大切に思ってくれている人がいる事は理解しているし、とても有難く、本当に申し訳ないのだけれど、私は代用の効く人間であるという考えが頭にこびりついて離れない。消耗品のように、使い古されていつか忘れられることを望んでいる。
周りの人達が幸福になって、それをひとりで遠くから見つめることが自分の最低限望んでいいことだと思っている。
価値のない人間は幸福の渦中にいるべきではないので。それを遠くから眺めるだけでいい、そして私のことなどいつか忘れてしまえばいい、と、思っている。ずっと。
どうしたら自分を許せるのか、というか、許す気があるのか。
友人に「生きる価値がない」と吐露することもできない。きっと彼等は優しいのでそんなことはない、そんなこと言うなと言ってくれるだろうから。それを否定することは友人を信じていないのと同義になってしまう。
http://anond.hatelabo.jp/20130319161249
お前みたいな馬鹿の相手してると何の刺激も歯ごたえもなく
ただこっちの脳がじわじわ腐る。
久々にログインして返信があったのを見ました。よく考えもせず噛み付いてすみませんでした。
あなたが言いたいことは分かりました。論拠をあいまいにしてしまった所をこの記事では補足します。
今回は少しは「刺激的」になるようにします。あなたは頻繁に増田やってそうな気がするので、今更このトラックバックは見ないような気がしますが。
その前に脇道にそれますが、仮に元増田のようなエントリーを書くべきではないというあなたの主張はおいといて、
逆に、愚痴に「死ね」「馬鹿」って100%の攻撃性を持って反論・提案してるあなたが、愚痴で攻撃的なことを書いちゃダメだと思う理由は何ですか?
私の主張はそもそもあなたが元増田のエントリーを「自分も守ってないようなルールで他人を圧迫して」ると認識した前提がおかしいと思っています。
私がおかしいと思う根拠を以下に述べます。これは以下のようにあなたが返信の中で指摘した私が書いてなかった根拠です。
には感じませんでした。
感じなかったでちゅか。
そうでちゅかー。
「感じました」「感じませんでした」なんて話には
せめてお前なりの理由を添えてくれないと「そうでちゅか」としか言いようがありません。
あなたが元増田のエントリーの内容で問題にしてるのは東北の食品に対する不安を主婦がつぶやくことに対して東北出身の筆者
が嫌悪感を示し、嫌味を口にしたことですよね。
どのような不安の対象にも無数のステークホルダーが居るんだからよ。
あらゆる関係者達の気分を害さない為にどんな不安も口に出さず・避けないって言うなら
それはそれで筋が通ってる。ロックだわ。
でもそうじゃねーんだろ?
筆者は東北産の食品に不安感を口にした人々に対して、嫌悪感を示す一方で理解も示しています
「残念には思うけど納得せざるを得なかったりもするわけで」
「まぁ仕方ないか、とも思うけど」
「今の事態からそういう感想が出てしまうことがどうしても仕方のないことだってことも良く知ってる」と。
これはあなたが言うような「不安を口にした人々に対して一方的に糾弾してる」ことになるのですか?
他人に対して「もっと配慮してほしかった。私はつらかった」という過去の出来事に対しての感想であって、将来的にずっと「もっと配慮してほしい」と書いてはいないんじゃないですか?
筆者自身が言っていましたがこのエントリーは愚痴です。将来に対しての主張は示されてない。
「ほんの少しの思いやりくらいはあればいいのにと思う」というのはもはや「つぶやき」じゃないですか?
配慮せよって意味は含まれてますけどベクトルが世間へ向いた「要求」と表現するような大げさなものじゃなくて、個人の内向きな「願望」でしかないのでは。
ただ、あなたはその「願望」を自分への批判なしに持つこと自体が醜悪だと言ってるんですよね。
「周りに存在する無数の関係者に対してひたすら配慮を求めていく」人が、自分が配慮を求められる側に立つことを想定する覚悟・その時を想定した自分への批判精神を持っていないのは醜悪だというあなたの主張は分かりました。
その通りだと思います。
でも私は、元増田の記事は「ひたすら配慮を求めている」記事ではないと以上の理由で思いました。
http://anond.hatelabo.jp/20130807120927
以前こちらのエントリーを書かせていただいた者です.
たくさんコメントをいただき,とても参考そして励みになりました.
色々なことが一段落しましたので,今一度整理を兼ねてエントリーを書かせていただきます.
まず,大学院入試なのですが,現在在籍している大学の大学院ならびに他に希望していた大学の大学院
両方とも合格させていただきました.
正直,両方合格するとは思っていませんでした.
今所属している研究室主宰者の先生に相談することになると思いますが,
この点に関しては,自分が進みたい方をしっかり選択したいと考えています.
一方,相変わらず卒業研究はうまく進んでいません.
進んでいないというより,自分自身の問題が大きいのですが.
今日も進捗報告会がありましたが,相変わらずの叩かれようでした.
加えて最近は体調を崩して,研究室に通うことすらままならない状態です.
絞り粕のようなの根性でなんとか昼ごろには研究室に到着するのですが,
未だ,「やらないといけないのに,何もできない」状態が継続してしまっています.
一応進んでいるといえば進んでいる,と思います.
どうにかして卒業しなければいけないのですが,全くビジョンが見えてこないのが現状です.
やはり,根底に「自分は向いていない」という自信の無さが存在しているのだと思います.
大学院入試の口頭試問で,「自分という人間が研究に向いていると思う部分と,向いてないと思う部分」を聞かれました.
向いてない部分は次々と頭のなかに湧いてきたのですが,とうとう向いている部分は答えられませんでした.
本心を言えば,大学院を変更して,新しい環境でやり直したい.なにか変わるかもしれないと思っています.
そのためには卒業しないといけない.でも,自分が卒業しているビジョンが見えてこない.下手くそすぎるから.
だから,また同じことを繰り返すんじゃないか.それが怖くて仕方ない.
我ながら情けないと思います.
「克服」の体験がなにかあれば,もう少し変わってくるかもしれないですが,
現状そんなポテンシャルは持ち合わせていません.
少しだけ変化したこと,気づいたこともあります.
まず,先輩には気軽に相談できるようになったこと,実験のやり方を教えてもらえるようになったことです.
一番距離が近い助教の先生はどうしても敬遠してしまっているのが現状ですが.
また,先輩曰く,「気の弱そうな子が毎年一人,意地悪っぽくされるターゲットになる」と教えていただきました.
どうやら先輩方の視点において4回生の中では私がそれに該当するようです.(自分でもそうだろうなとは思っていました)
「もうすこしハキハキ喋れば大丈夫」とのことですが,
これはどうなんでしょう.やはり人間である以上,相性というものがあるので我慢するしか無いのでしょうか.
もうひとつは,「想像力」が圧倒的に欠如しているということです.
「これはこのように計測すればいいんじゃないか」とか
「この論文はこうしているからアレンジしてこうすれば自分の実験にハマりそう」などの
予想が全く立てられないことに気づきました.
「何故ポジティブな結果が出なかったか」などの想像・考察もできないということなので.
経験もあるかと思いますが,もうそろそろ半年も経つのに,何をやっているんでしょう自分は.
このあたりを改善しないと,他大学院に行っても,同じことを繰り返すのだと思います.
あとは,コメントでアドバイスを頂いたこともあり,認知行動療法にかかることにしてみました.
結局根底に存在するのは私自身の思考パターンの問題がありますので.
少しでも考え方が変化すれば,見えてくるものも変わる.
そうなることを期待して.
大学院に入学した年に,休学するということを少しだけ考えています.
自分を見つめなおす時間が,どうしても欲しいのです.贅沢だとは思いますが.
(金銭的な面もありますが.割とジリ貧なので,その間にお金を貯めたりとか)
でもそれに対して,自分は研究というアプローチが最も適切なのか,
ということを考えてみたいのです.
今はもう,自分がどうしたいのか,さっぱり解らないので.
文章にすると,やはり少しだけ冷静になれます.
ここまで読んでいただいた方,ありがとうございました.
まあ、そもそも個人の「ブログ」だしな。日常で起こったことを書いてるだけなんだから当然だろうな。
だけど、その書き方が、前の会社を愚弄してたり、勘違いな意識の高い()転職だったりして、
それをさらにブクマで賞賛したりしてるのを見て気持ち悪さを感じるのはあるんだよな。
更に言うと、転職するのが当たり前、お前ら、同じ職場でくすぶってていいの?的な雰囲気が気持ち悪い。
なんというか、退職エントリーだから、と言うんではなくて、無駄に意識の高い()気持ち悪いエントリーで、はてなーがもてはやしてるのがもう見てらんない、ってなるんだと。
新着に流れて来て見なきゃいいっちゃいいんだけど、それでも見ちゃう時もあるから。最近は退職の文字が入るだけでもう見ないようにしてるけど。
2020年のオリンピック・パラリンピックの開催地が東京に決まった。決戦投票では97票中60票を獲得する大差での当選だったようだ。
はてブでもこのニュースは注目されているようで、今朝からずっと東京五輪決定を報じるNHKニュースがトップエントリーを飾っている。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20130908/k10014372361000.html
ブコメを眺めてみよう。ポジティブに捉えるコメントとネガティブなコメントが両方見られる。テレビメディア・ニュースサイトが祝賀ムードを漂わせていても、喜んでない人が相当数いる。実にはてならしい反応で、ぼくは大好きである。
さて、記事タイトルで「反対論」などと銘打ってしまったが、ぼく自身は東京五輪に反対ではない。準備に伴う再開発・公安強化のやり方に関して各論反対はしたくなるかもしれないが、地方民のぼくは東京五輪自体に反対する直接の理由はない。
というのも、この五輪開催、最も利益を被るのも、最も不利益は被るのも、東京であるからだ。(日本全体としては財政悪化の懸念があるが、それを補うだけの経済効果はあるだろう。利益の方が大きいと予想する。) ぼくは地方にいる限り、直接的な影響を受けることは無いだろう。
だからこそ書きたいのは、上記のブクマで多く見られるネガティブコメント及び東京五輪「反対論」は、特別異常でも無ければ、必ずしも斜に構えている訳でもない、十分理解できる反応ではないか、ということだ。
東京五輪開催決定のニュースは福音である可能性が高い一方、痛みを被る人間を発生させることも確実だ。(特に東京には多いだろう。) その層の人間がこのニュースに不快感を示すのは当然のことだし、場合によっては恨み言になるのも多少は理解すべきであろう。
また、地方民でも何らかの形で、経済的または社会的・精神的な不利益を被る人はいるだろう。それも不思議ではない。
ただ、一部に日本の開催能力を疑問視するコメントがあったが、この意見に関しては私は否定的である。
開催能力と言う点では、日本・東京は最も安定して信頼できる候補だったのではないかと私は予想している。(というか、開催能力は十分あるだろうと評価されたからこそ当選した訳だし。)
問題となるとしたら、それは、“能力”では無く、“不利益の皺寄せ”であろう。
とりあえず望むのは、「こんな楽しいムードに水を差すのは非国民」みたいな言説が跋扈しないこと。そして、不利益の極端な皺寄せがどうか行われないように、ということである。
そして願わくば、現時点でネガティブな印象を持っている人、「反対論」を唱えてる人でも楽しめる、誰も予想できなかったような東京五輪になればいいなと思う。
うちの会社でもエンジニアとしての流儀が合わず退職する人が後を絶たない状態ですが、
この手の業界は出来て日が浅いので、人材の流動が激しい分退職経験者はたくさんいます。
なので退職率が高いことはあまり問題ではないです。(業界平均より著しく高い場合は別として)
昔の人たちは辞めた後も会社の悪口は公然とはしない(やっても呑みの席でとか)ように心がけますが、
最近は、職場や会社の体制に関する話もオープンにする風潮が出てきた(特に、web系を中心としたIT企業)ので、
人事やマネージャーの人たちも契約書一枚で、退職後の発言をストップできるとは考えないほうがいいだろうなぁ。
辞めていく人たちが会社に不満を持っているのは当たり前だけど、
会社の悪評に繋がらないように対策を打ったほうがよいだろうなぁ。
1.世の中には、理不尽なこと、無理難題をふっかけてくる人が存在する
そのまま。相手がヤクザだったり悪質なクレーマーだったら、こんなものでは済まなかった。
相手が取引に応じる必要はまるでないときに、こちらから取引をもちかけてもうまくいくはずがない。
3.何か疑問をもったら、すぐその場で質問する
「それならどうしたらいいのか判らなく黙りこくるしかなかった。とにかく先生は「責任をどう取るんだ?」と言った。」
疑問をもったら、すぐ相手に聞け。「では、どうしたらよいのでしょうか?」と。この場合、相手は学校の先生
なんだから、何か教えてくれるだろう。
他にも、学ぶべき点は沢山あるだろうと思う。
この辺とか見てhttp://guideline.livedoor.biz/archives/52358205.html定期的に引っ越しのエントリーがあがるので自分の物件探して成功したケースを書いてみる。
前提として私はオタクなので荷物が多い。これでもかってほど多い。漫画・小説・同人誌。これだけで段ボール20箱は前後はあるし、サークル活動もしてるので多い時は+5箱という時もある。服もそこそこ多い方。
●メリット:新築、駅近、スーパー・コンビニ1分、人気エリアまですぐ(そこそこ閑静な住宅街)、東向き採光
●デメリット:高い。良くも悪くも普通。よくある典型的な1K。
駅近・憧れのコンクリ打ちっぱなし新築の人気物件で相場からすると安いくらいだったが前述のとおりなにせ荷物が多い。玄関に段ボールタワーがあるのは日常だったし、玄関外横のガスメータールームにも荷物を入れこんで注意されたこともある。まさに足の踏み場もないという状態でキッチンにもトイレにも本が詰まっているような部屋だった。キッチンも半分本に占領されているので自炊もほぼ不可能。いわゆる典型的な汚部屋。汚いというより荷物が多い。倉庫に住んでいるような感じとは友人談。
●メリット:角部屋3面採光(ただし南・西向き)、キッチン・風呂場に窓あり、隣人なし、コンビニ3分、壁際全面クローゼット、追い焚き
●デメリット:築年数、洗濯機置場がベランダ、大通り沿い(車の音が常に聞こえる)
若者向けの街ではない上に築30年越えが気になったが下見にリフォーム後なので古さは軽減されていた。それよりとにかく広い。古い物件なだけにキッチンもクローゼットも広い。何より安い。前回の部屋選びの失敗は自分の荷物の多さを把握してなかった事だったので決定。音が気になったけど幸い不眠の気はなかったのでこの際目をつぶることにした。
◆結果:広さを重視したのが正解。クローゼットに全部入りきらないものの部屋の隅に段ボールを積んでも圧迫感がない。32型のテレビを配置してラグをひいてソファの上で悠々とアニメも楽しめる。キッチンも窓があり広々と使えるので自炊もするようになった。客用布団の収納場所もできたので布団も購入。引越し前に「倉庫」と言った友人が遊びに来たときは見違えるようになって落ち着くとまで言ってもらえた。友人を気軽にうちに誘えるようになったのも嬉しい。
面白いのは自分の気持ちの変化。以前の家ではどんなに片付けても絶対量が変わらないために掃除が嫌でたまらなかったけど、今では片付ければ結果が見えるので掃除をすることが苦ではなくなった。キッチンも以前は流しに置きっぱなしだったのが、今では綺麗に使いたい気持ちが芽生えて自炊するにもかかわらずかなり綺麗に保たれている。ちなみに今の家に越してきて2年です。正直、物件が変わった程度で汚部屋脱出できると思わなかった。人によるだろうけどね。ちなみに新築じゃない今の部屋でもまだGと遭遇してないからホッとしてます。
今まで駅近とか新築とか室内洗濯機置場とかにこだわってたけど、その辺の妥協をして優先順位を変えたらそれが正解だった。あと個人的に譲れない点としては1階以外、飲食店の同ビルや隣接はNG(Gや鼠が出やすいから)、ゴミ捨て場が近く管理がきちんとされている、かな。
◆シャワーの水圧が弱くて泣きたくなったけどシャワーヘッド変えたら問題なし。この辺とか安いので十分。http://www.amazon.co.jp/gp/product/B005GYTU5G
◆生ごみは冷凍庫に入れて凍らせておくと臭くならなくていいよ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1773671.html
これなんだが。
俺はこの記事を読んで、こんなネット教育はまったく論外だしとんでもないやり方だと思った。
ところがはてブコメントを見ると、約半数が賛成しててびっくりした。あまりにも意外だったので、ぜひ賛成している人たちの考えを聞いてみたいと思い、この増田エントリーを書いている。
《はてなブックマークの現状》
まずはどんな具合に約半数が「賛成」なのか現状をざっとまとめる。
現状といいつつトップ10コメントだけだが、はてブページは 2013/9/3 12:40 時点でこんな感じ。順番もはてブページの通り。
賛成か反対かは俺の独断で分けてみた。
一部のユーザが大量スターしてるため(見たところ賛成派、反対派ともに各1名かな)、スター数と順番の関係がおかしなことになってたりするが、大多数のユーザは1スター、たまに2スター3スターといった感じなので、状況としては、賛成・反対でまっぷたつと言っていいのではないかと思う。
あらためて賛成コメントを抜き出してみると、「この程度の」「体験させる」「経験しといた方が良い」「一つの試みとしてあり」といった言葉から、コメントした人やスターをつけた人が、この授業での経験を軽くて大したことじゃないものと考えていることがわかる。同様に「試行錯誤」や「体験」「経験」「試み」といった言葉からは、やり直しのきくものだとも捉えているのだろう。
ほんとうにそうだろうか。「誹謗中傷したら実名さらされちゃう経験」って軽いものだろうか。その後の学校生活にたいした影響を及ぼさない経験?
そうじゃないだろう。自分が誰かの悪口を書いたら、それが自分の名前付きで相手に伝わってしまうのだ。そうやって損ねた友人関係は簡単にやり直し修復がきくものだろうか?
大人でも大変なことなのに、学校が世界のすべてというような子どもにとっていかに重大なことか。
「誹謗中傷してはいけない」ということを伝えるのに、このような過大なコストを子どもに強いるのが適切だとは、俺にはどうしても思えない。
反対コメントでも指摘されてるように、別のメッセージが伝わってしまう可能性すらある。対人関係を教育するのに隣の席の児童の悪口を言わせて「ほら、○○君は嫌な顔をしただろう?誹謗中傷したらいけないよ」なんて教育はしない。別の方法がいくらだってあるだろう。
教師が実名ボタンを押す頃合いをちゃんと見てるからそこまで大変なことにはならないはず、とか、ネットでの失敗は結果が取り返しがつかないからこの程度の体験をさせることは必要、とか、そもそも誹謗中傷のような負の感情をもっている本人が悪いから自業自得だ、とか、そういう反論を受けるだろうか。
大変なことになるかならないかは属人的な要素が強すぎて、授業手法として一般化するには危険すぎるし、ネットでの失敗が取り返しがつかないことを伝えるという使命があるにしても、それと子どもの学校生活を引き換えにしてよいものではない。自業自得論については敢えてコメントすることもないだろう。
「この授業で伝えたいことは『誹謗中傷してはいけない』ではなくて『ネットが匿名だと思って調子に乗っているとひどい目に会う』ということだから、この手法で問題ない」
この意見は賛成する理由として少しは有望な気もするが、やはり子どもに負わせるコストが過大だという反論を覆すには至らないのではないか。
《まとめ》
当り前だが、俺はものごとには色んな意見があってしかるべきだと思っている。問題が複雑であればあるほど、正誤を判断するのは難しいし、そもそも何が正しく何が間違っているか確かなことは誰にもわからないことだってたくさんある。
消費税増税のタイミング、TPPの参加可否、移民受け入れ問題、原発再稼働か電気代値上げか、解雇規制緩和か派遣労働の拡大か、きのこの山かたけのこの里か・・・。
こういった複雑な問題は人によって意見が違うのは当然だし、さまざまな意見がぶつかりながら社会的コンセンサスを形成していけばよいと思う。
繰り返すが色んな意見はあるだろうとは思う。この授業のやり方にしたって一部の教育関係者が考えつくこととしては想定の範囲内かもしれない。考えついたことを実際に提案し、なんちゃら会議に諮り、そこで働くべきブレーキ機能が働かず実現に至ってしまった。今回の授業はおおかたそんな経緯かな?・・・そう思っていた。
それがたまたまメディアの目にとまり報道されたが、きっと世論でもはてブでも盛大な批判を浴びて、このような授業は二度と行われないに違いない。そんなことを考えながらはてブコメントを開いてみたわけだが、予想は大幅に裏切られ、約半数が賛成を表明していた。
俺が驚いたのはこのような授業が行われたことそのものではなくて、はてブの約半数の人間が賛成を表明していたことだ。
ごくごく少数ならば「えーーありえねーー」で済ますこともできるが半数だと理由を知りたくなる。こんな授業が当り前のように全国の小中学校で行われるような世の中にはなって欲しくないし、自分の子どもをそんな学校に通わせたくないからだ。
だからブコメ書いた人でもスターつけた人でもそれ以外の人でも構わない。
上の反対意見を見てもなお賛成なのか、俺が書いたことに対してどういう反論が成り立つのか、読んだ人、どうかよろしくお願いします。
id:salvatore8 「反対のトップは賛成意見」
反対のトップはid:nakex1氏のコメントことですね。このコメントは「全員に公開して相互不信のタネをまいてしまうのはやり方が雑」と書いており、この授業のポイントである「実名を公開すること」には明確にノーと言っており、俺の意見と近いという点で「反対」に分類しました。もっとも賛成反対は便宜上のものなので、異論があるのは理解します。
id:ktasaka 「誰に対するどういう方向の批判なのか不明。教師の学級経営がここまで信頼されていないものなの?自分でも簡単にできると思ってる?」
→わかりにくくてすみません。この授業手法の是非を「子どもに負わせるコストが過大だ」という俺の批判意見を読んでもらった上で、あらためて問いたいということです。教師の学級経営が信頼できるかどうかという属人的かつ大きな主語の話をするつもりはなく、あくまで今回の授業手法の是非の話です。どんな授業手法であっても結局は教師次第じゃないかと言うかもしれませんが、であればなおのこと、わざわざこのようなリスキーな方法をとらなくても、他にいくらでもやり方はあるんじゃないかという話をしています。「自分でも簡単にできると思ってる?」については「ネットリテラシー教育を自分でも簡単にできると思ってる?」という意味かな?「親として子どもにすべきことをしっかりしたい」と考えていますが、それはこの増田の主旨ではないです。
id:mizunons 「この人は、いったいどういうパーソナリティ傾向の人が「この学習で、うっかり他人を批判してひどいめに会う」と想定しているんだろう。その想定と、この懸案内容は一致していて妥当なんだろうか。」
→小学生くらいの年代であれば「この学習で、うっかり他人を批判してひどいめに会う」のは誰にでも起こりうることではないでしょうか。どのようなパーソナリティの子どもであれ、人を傷つける発言をしてしまうことはあるでしょうし(記事にも5分ほどで誹謗中傷が増え始めたと書かれています)、そうやって言われたことに傷つくこともあるでしょう。それが原因で当人同士の、あるいは友人まで巻き込んだ人間関係が壊れてしまうこともあるでしょう。もちろん全員がそうだという話ではありません。一般的に起こりうることとして想定可能な事態だと俺は考えてます。
Twitter @coneko 「匿名チャット実名表示授業への意見。締めに「自分の子どもをそんな学校に通わせたくない」と言っているんだけど、こういう状況になっても悪口を書かないような子供を育てる、という気にはならないのかな。」
→ここは誤解されているようなので補足します。俺も3人の子の親として、自分の子が匿名であれ実名であれ、事実であれ妄想であれ、悪口を安易に外に吐き出すような子になって欲しくないと思ってます。嫌いとか気に入らないという感情そのものは人として誰しも持ちうるもので悪いことではないけれども、それを外向けに表現するには配慮が必要だという、当り前のことを当り前に学んで育って欲しいと思ってます。この授業で問題なのは、そういうことを率先して教えるべき立場の大人が、チャットで実際に誹謗中傷が増えてきたのを確認してから実名ボタンを押し「ほーらみろ悪口なんてめったに書くもんじゃないぞ」という、俺から見れば最悪の方法で教えようとしているという点です。親としてなすべきこととは別に、こんな授業がまかり通ってしかも賛同を得ている事実に、俺は驚きを感じています。
なんか全レスに近いかたちになってきた。暇だなー俺。まあ誰に迷惑かける話でもないし「なげーよ」という批判には「ああなげーよ!」で返したいと思います。レスしてないブコメについては基本同意だったり、レスを必要としないブコメだったり・・・そんな感じです。同意してくれてるブコメにこそうんうんと頷いてレスしたいんだけど気持ちだけにしておきます。
トラバ「賛成: HNの相手に悪口いうことあっても名前だしていわないだろ」
http://anond.hatelabo.jp/20130903210843
→ブコメとトラバありがとう。そうだね。チャット上のやりとりまですべて匿名ならば少しはリスクは減ると思う。ちなみにどういったルール、どういった運用でやっているかは予測であれこれ書いてもしかたないと思ったので、実はいま岐阜聖徳学園大学附属小学校に問合せてる。まあ匿名ダイアリーの記事ごときで回答が得られるとは思ってないけどね(問合せは実名でやったよ)。
id:uduki_45 「万が一のシミュレーションにもなるし、何より問題を表面化させることが大事だと思う いじめに関しては手遅れになってから解決なんてまず無理な話なんだし」
→誹謗中傷はシミュレーションではないよ。そして、いじめの表面化の大切さについてはネット教育とはまた別の議論だよ。
id:kanjin30203 「小学生くらいの人間関係って陰口言っててもちゃんとゴメンナサイすれば大概元に戻る。中学生以上にやらせるのは確かに危なそうと思うけどね。先生の技量に大きく左右されるから全国でやるべきとは思わない。」
→「大概元に戻る」のが本当だとしても、この授業を実施する積極的な理由にはならないよね。
id:rx7502 「授業の手法にこだわってるけど、そんな小手先ではなくて、主眼が達成できているかや主眼が発達段階を鑑みて適切なのかで、授業を見るべき。成長させる上で、失敗させることも大切。」
→うーん、その失敗の重大さ、取り返しのつかなさを問題にしてるんだけどな。それからもうひとつは失敗のさせ方。友達との喧嘩やトラブルを通して子どもは人付き合いを学んでいくものだけど、だからといって大人が意図的に喧嘩やトラブルを発生させようとするのは無しでしょう。実名さらされてさ。自分がそういう目にあったらと思うと俺は笑えないよ。
id:akikan2 「少し関連記事を探せば、「特定のテーマ上で、特定の個人を誹謗中傷しないルール」で授業が行われたことが分かる。大して調べずに匿名ブログで物事を語る大人を産まないためにもこの授業は必要なのでは。」
→これかな。情報ありがとう。http://www.j-cast.com/2013/09/03182883.html?p=all ここには「特定の個人攻撃につながるものではありません」とはっきり書いてるね。いっぽうで日経記事には「5分ほどで相手を誹謗(ひぼう)中傷する言葉が増え始めた」と書いてあり、両者の記事は互いに矛盾してるよね。あなたは、なぜJ-CASTの記事が正しくて日経の記事が間違っていると判断したのだろうか。J-CASTの方が新しいから?でもこれは日経記事への反響をうけて教頭がインタビューに答えたものだよね。日経の記事は第三者である記者が授業を取材した事実が書かれており、J-CASTのニュースは当事者である教頭のコメントを紹介しているという点で、両者の言い分が矛盾しているならどちらを信じるかという問題だな。俺なら、第三者の日経の方に若干重きをおきつつ、予断ははさまずに態度保留するけどな。少なくとも後者を無条件に信じるのは少々危ういと思う。あとさ、具体的なテーマを与えるとなぜ特定の個人攻撃につながらないと言い切れるのか。俺にはなんの因果関係も感じられないよ。
id:QJV97FCr 「て言うか、あなたが何でこの授業に反対なのか書いてないよね」
→上記本文からコピペします。これが俺の反対理由→【「誹謗中傷してはいけない」ということを伝えるのに、このような過大なコストを子どもに強いるのが適切だとは、俺にはどうしても思えない。反対コメントでも指摘されてるように、別のメッセージが伝わってしまう可能性すらある。対人関係を教育するのに隣の席の児童の悪口を言わせて「ほら、○○君は嫌な顔をしただろう?誹謗中傷したらいけないよ」なんて教育はしない。別の方法がいくらだってあるだろう。】
id:tonapa 「多分に囮捜査的な手法だが、悪口はダメと理解していて当然の小六児童の間ですら、実際に「匿名前提の誹謗中傷が起きた」時点で意義ある授業だと思う。机上の知識だけで感情や悪意を抑え込める子供は意外と少ないよ。」
→その囮捜査は本職の警察ですら是非が問われてる(というか禁止されてなかった?)というのに、「机上の知識だけだと効果が少ないから」という理由だけで、その囮捜査を子どもにしかけるとは、それこそ問題では?
id:blue1st 「この人の論点とはちょっとズレるけど、「バレる可能性があるからダメだよ」的な方向での啓蒙は果たして正しいのかな、と疑問には思った。」
→コンビニ店長も同じ主旨のコメントしてたね。その通りだと思う。
id:kotetsu306 「"自分が誰かの悪口を書いたら、それが自分の名前付きで相手に伝わってしまう" ←「陰口たたいてたら『帰りの会』で晒し挙げ」なんて何十年も前からあるけど…?」
→ならやってOKということにはならないし、それを「大人が後出しで」やるのがどうなんって話よ。まったく別の問題です。
id:alph29 「そりゃベストではないけど、ただ「インターネットで人の悪口を書いてはいけません」と言う授業よりは(どうして駄目かを理解するためには)ベターだとは思うよ」
→ベターかな。どうだろう。そうは思えない理由は本文に書いたつもり。そこに同意してもらえないなら仕方ないな。俺の思い込みが強すぎる面もあるのかもしれない。実際にはそんな心配することじゃねーだろ、こんなんで壊れる人間関係なんてないよ・・・てことかな。
id:kain397 「例えば、生徒全員に対して個人面談を行うみたいな指導方法もアリだと思う」
→多いにありだよ。ただ学校にいる教師だけでは時間がとても・・・という話になって、結局は教育予算の話になる。この記事では私立小学校の話だけど、それでも予算ありきで動くのは変わらないし、なによりこの問題は最終的には私立公立関係なく、すべての子どもに共通する問題だからね。
ちょっと脱線するけど、現状では教育カリキュラムがネット社会に対応したものにないというのは、親として俺が日々痛感していることで、それ抜きにしても、親が子どものネットとの接触、エログロとの接触やゾーニングについて積極的に動かなければいけないと思ってる。だってさ、ファミコンしかなかった時代と、スマホやタブレットで隠れていくらでもSNSやエログロに接触できる時代とは、気を配らなきゃいけないレベルがまったく違うんだよ。小学低学年の娘に見せたくないコンテンツがいっぱいある。大げさな話じゃなくてさ、仮に積極的に見ようと思わなくたってスマホでウェブ閲覧すると下の方にアンアン言ってる広告がすぐ出てるよね。
もうここまで書いちゃうと何書いても嫌われるパターンかもな。俺ネットリテラシーなさすぎ。ごめんなさい。
id:fiiguy 載せたでー!
その2はこちら → http://anond.hatelabo.jp/20130904124430
このエントリについて。
彼の頭が良すぎて萎えて別れた
わかるような、わからないような。読んですっきりしない部分があったので少し考えてみた。
このエントリの続編で触れられているように、この話の出発点には「高学歴と低学歴の世界の溝」の問題がある。
そもそもの問題として、「低学歴」対「高学歴」の世界の話というのはなぜ「低学歴」ポジションからの発言が多いのだろうか。それも「高学歴の世界」をポジティブなものとみなして、自分の所属する「低学歴の世界」をネガティブなものとして演出するという態度で書かれてるものが多い。
こういうタイプの文章がはてブを集めて多く読まれているのは、それを読むと読んだ人が心地良く感じるからではないかと思う。「高学歴の世界」の人はこういうのを読んで単純に優越感を感じる。一方こういう文章を読む「低学歴の世界」の人は、「低学歴の世界」にいながらにして自分は「低学歴の連中とは違うんだ」という意識を持っているような人なのではないだろうか。だから「低学歴の世界」が「高学歴の世界」に対して否定的に書かれていることに溜飲を下げる。「低学歴の世界」を批判することで、自分がそこから離れて「高学歴の世界」に近づけるような気がするんじゃないか。「低学歴の世界」に満足している人は、おそらくこの手の文章を読んでもピンとこないだろう。
では、自分自身は、こういう文章と向き合う時なにを感じているのだろう、と思った。こういう文章を読んだ時、私の胸には優越感などの心地よく単純な感情ではなく、言うも言われぬ複雑な感情がこみ上げてくる。
私自身はおそらく「高学歴の世界」に属する人間だろうと思う。曽祖父の代から大学教授の家系で、女性も祖母の代から高等教育を受けている。私は大学付属の小中高に通ったが、クラスメートの父親はおおむね医者か弁護士、研究者、大企業勤務のどれかだった。大学に入るときは、東大、京大、早慶上智、国立医学部までしか選択肢になかった。実際にクラスメートの大部分はこれらの大学に進学した。残りのMARCHレベルに進学した人たちが、私にとってとんでもなく「低学歴」の人たちだった。親類のなかでは東大京大以外は大学ではない、というくらいの認識であったし、私自身、ちょっと勉強すればだれでもMARCHくらい入れるものだと思っていた。この認識が変わったのは、大学に入って予備校でバイトを始めた時だった。どんなに必死で努力してもMARCHはまだ夢の夢という生徒が大勢いるのに衝撃をうけた。
こうして書くと自分は嫌な人間だなと思う。けれどこういった「高学歴の世界」が居心地のいいものだったかというと、そんなことはない。「高学歴の世界」は息苦しいものだ。「高学歴の世界」を定義づけるのは「今日よりも明日」だ。今日よりも明日、より良くなっていなければならない。より良く、より賢く、より豊かになっていること、それが「高学歴の世界」が求めるものである。失敗は許されない。一度失敗したものは、この日々の前進のルートから脱落し、また追いつくためには絶望的な努力を強いられる。「高学歴の世界」は失敗に敏感だ。私の両親はよく「一事が万事」と言っていた。たった一度失敗すれば、それは全て失敗したのと同じ。このスローガンに、子供の私は恐怖しか覚えなかった。遊びも教育の一環だった。教育的でない遊びは排除された。常に成長することが求められた。それは大人になっても続く。昨日よりも今日、今日よりも明日、より成長して改善していること。「高学歴の世界」を統治するのはこの原理である。
このような世界が自分にとって当たり前だったのだが、それはまたひどく息苦しくもあった。そこには「明日」と「未来」はあっても、「今日」と「いま」はない。なにもかもが「明日のため」であるとき、いまここに生きているという感覚はどんどん摩耗していく。今、この瞬間どんなに成功していても、それを100%として認めてもらえることはない。明日さらに良くなること、明日さらに成功することが求められる。それは絶え間ない自己否定でもある。この自己否定がなければ、改善も成長も望めないから。
やがて神経衰弱のような状態になって、ふとある趣味をはじめた。そこには私と同じような育ち方をした人もいれば、そうではない人たちもいた。このとき私ははじめて「低学歴の世界」に触れたのだと思う。その「低学歴の世界」のひとたちは、多くが高卒で、男も髪を染め、女性はミニスカートや露出の多い格好をしていた。タトゥーを入れている人もいれば、道端でケンカをする人もいた。この仲間のなかに入って、私ははじめて「今を楽しむ」ということを知った。お酒を浴びるように飲んで、馬鹿な話をして、大笑いして、そういうことをしても、明日のためにはならない。明日に残るのは、二日酔いだけだ。けれどその瞬間は、ものすごく楽しい。彼らは遊ぶことがものすごく上手だった。季節ごとにいつも楽しい遊びを考えていた。バーベキュー、花見、キャンプ、スノーボード。「今、この瞬間を楽しんで生きてもいい」ということを知ったのは、自分の人生が大きく変わるほどの体験だった。
こういう経験を通して考えてみれば、「うちらの世界」の価値観も理解できる。「高学歴の世界」は未来の為にという価値観がとても強い上に、一度失敗するとその損失を取り戻すのが非常に困難であるという認識を共有している。彼らにとって「バイト先での醜態を公衆に晒すこと」は大変な過ちでありなんとしても回避されるべきものである。一方「低学歴の世界」にとって大事なのは今この瞬間である。今この瞬間を楽しむことが何より大切でなので、その行為が未来にもたらす影響は考慮しない。今、バイト先の飲食店で食材をおもちゃにすることが楽しくて、目の前にいる友人を楽しませることができるのであれば、そのことがなにより重要なのだ。
「明日のために生きること」と「今を思う存分生きること」は、本来両立しうるものであるけれど、どちらかにかたよるとそれぞれ問題をひきおこすのだなと思う。自分の生きてきた世界のことは、みなよく知っている。だからこそあらも見えるし、別の世界に憧れもする。それはもちろん幻想なのだ。どの世界にも光と影がある。ユートピアはいつだって「どこにもない場所」なのだ。
さて冒頭の「彼の頭が良すぎて萎えて別れた」というエントリーであるが、これを読んで再びなんとも言えない気持ちになった。この人はなぜこんなに彼との間に線を引きたがるのか、そこに溝を認めたがるのか。なぜそこに溝を認めた上でそれでも相手を受け入れることができないのか。この場合、二人の間にあるのは「学歴の溝」ではなくて彼女の方のコンプレックスなのだと思う。自分が手に入れたくて仕方がないものを、もう自然にもっているように見える相手への嫉妬なのだろう。けれどそれは「毎日より良く」という価値観のなかで研鑽されてきた結果なのであって、同時にそのなかで切り捨てられてきたものも存在するのだと思う。そういう自分が切り捨ててきたものを恋人に求める気持ちが、私にはよく分かる。私が強く惹かれるのは同じ世界の人ではなくて、別の世界の、ある種の「生きる智恵」を持っている人だ。多く笑い、気楽で、今を楽しむ人だ。この話で、彼は彼女にたとえばそういう魅力を求めていたのかもしれないのに、紋切り型の階級差を持ちだして自己完結する姿になにか割り切れないものを感じる。
一方で、このエントリーで語られている話自体がすでに紋切り型のものであるとも言える。語り口が現代風であるというだけで、話の中身は明治時代からでもありそうな話だ。とりわけ語り手を男にしてみると、既視感が強くなる。身分差のある恋をした男が、バックグラウンドの違いを感じて、女を捨てる。「彼女の頭が悪すぎて萎えて別れた」と男が語る。あるいは女が男を思って身を引く。でも私達が生きているのは現代日本だ。好きなように生きればいい。相性が悪ければ別れればいいし、よければ付き合えばいい。けれど「高学歴」「低学歴」という単純な構図に当てはめて自分の生き方を縛るのは、愚かなことだと思う。自戒を込めて。
なお、詳細な編集履歴が入ったPDFファイルはこちらに置いておきます↓
https://anonfiles.com/file/c8f3cb8733d4ee1bb6233bab021f02c3
ここ最近、本誌の記事を発端に多くの方を巻き込んだ炎上騒動が起こり、どのような形で本件についてコメントすべきか悩んでおりました。
オンラインオフライン問わず様々なご意見をいただき、大いに考えさせられました。スタートアップ界隈をお騒がせしてしまったこと、
および当該記事に関して何点か本稿にて謝罪いたします。
■問題の記事に関してランサーズ様への謝罪
①:私信を先方の許可なく記事で公開した点
この3点は様々な方にご指摘いただき、私の落ち度であると感じました。
①②の表現において、菅沼様、ランサーズ様にご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。
申し訳ございませんでした。
機会をいただけるようでしたら、直接訪問してお詫びさせてください。
この件につきましては、別途ご連絡申し上げます。
下記二点の記事に関しては、今後のランサーズ様の活動に支障をきたさぬよう、
・ランサーズ、The Startupに対して言論統制
・クラウドソーシング狂想曲:クラウドワークス vs ランサーズ
既にクラウドワークスCEO吉田浩一郎様がブログにてご説明くださいましたが、改めて私からもご説明致します。
クラウドワークス様から本誌に金銭が支払われたことはございません
②:クラウドワークス様とは過去に梅木個人として取引実績がございます
③:取引実績は単発であり、継続的な月額顧問契約などはございません
今回の関連記事は私の独断で書いたものであり、クラウドワークス様は一切関与しておりません。
The Startupの記事により、クラウドワークス様にご迷惑をおかけしたことを改めてお詫び申し上げます。
申し訳ございませんでした。
今回の騒動により、クラウドソーシング業界全体の信頼性や発展の妨げになるきっかけを作ってしまったことを
改めて謝罪致します。
先の二社様のみならず、業界関係者の皆様にもご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした。
本誌ではランサーズ様、クラウドワークス様に関する記事は今後掲載致しません。
過去のクラウドソーシング関連記事に関しましても削除致します。
■警察騒動に関して
一部メディアで警察が関係した騒動に発展しているという記載がございます。
GMO様の会議室を使用できないかご相談申し上げましたが使用できないとのことで、
警察署を話し合いの場として利用することとなりました。
オンライン上で攻撃的な方だったため、
私から被害届は出しておりませんし、今後も警察を絡めた事態に発展させる予定はございません。
■取引実績のあるニ社様との関係の疑惑について(追記:18:20)
私と過去に取引実績のある、ヴォラーレ様、Retty様に関しても本誌では以前記事を出しており
、その記事に対する報酬があったのではないかという疑惑もございました。
両社からThe Startupの記事に報酬が支払われたことはございません。
ヴォラーレ様からはApplivという媒体にてアプリ未来予想図という連載記事執筆のお仕事をいただき、
Retty様にはマーケティングに関するアイディアをご提供致しておりました。
疑惑を持たれた両社様にもご迷惑をおかけしたことをお詫び致します。
申し訳ございませんでした。
■今後のThe Startup運営方針
本件により、取引実績のあるサービスや企業様に対して、本誌で記事を書くことについて
金銭の支払が発生していなくとも、世間の誤解を生む可能性が高いことを認識致しました。
ご見識者の方々からすると当然の事かもしれませんが、本件を機に今後の運営方針を下記の通り明示いたします。
①:取引実績のあるサービスや企業についての記事を書く際は、取引実績がある旨を記載する
②:ポジショニングマップの使用に関しては、表現方法や対象数を今まで以上に吟味する
以上となります。
本件の事の発端は私の記事となりますが、思わぬ方向に発展し事が大きくなってしまいました。
元の私の記事がなければこのような問題を引き起こす事はありませんでした。
私個人に対しては実名匿名を問わず本件で多くのご意見をいただき、
自分では気が付かない視点に気づかされることも多く、勉強になりました。
多くの方にご迷惑をおかけしましたが、自分は誰に対して何を書くべきなのかを考えさせられました。
応援いただきました読者様方の期待を裏切ってしまったかもしれません。
この度は多大なご迷惑をおかけしたこと、重ねてお詫び申し上げます。
梅木雄平
心も体も限界で、続けることができませんでした
朝6時ぐらいに店を出て、終わるのが夜中の1時とか2時。
一切残業代はもらっていなかった。
https://pbs.twimg.com/media/BSvnrDpCUAAb6E4.jpg
https://twitter.com/miyamototooru/status/372646121236987904/photo/1/large
http://www.jcp.or.jp/akahata/web_weekly/2013/09/post-1133.html
タイムカードを組織的に偽装作成 だけど商品に嘘はまったくありません
そう考えるのが自然
会社が無法を続けるなら
事業所本部/〒160-0023 東京都新宿区西新宿3-20-1
事業所/〒336-8601 埼玉県さいたま市南区沼影3-1-1
お問い合わせフォーム
https://www.lotteria.jp/inquiry/form/
フリーダイヤル 0120-084-610 AM9:00-PM5:00
saiyou@lotteria.jp
http://anond.hatelabo.jp/20130813112034
http://anond.hatelabo.jp/20110605152806
http://anond.hatelabo.jp/20110605152806
ご指摘ありがとうございます。
前提の弱さ、特にそういった「サヨク」のひとがどれくらい実在するのか、という点についてはエントリーを書く段から自覚していますので、ご指摘への反論はありません。
ただ、僕の周辺にそういった人が多いと感じた事と、話の通じなさにフラストレーションを覚えた事が今回の日記を書いた動機です。「脳内」という批判は予想していました。
しかし、「どれくらい実在するのか」という疑問提起だけでなく、そんな「サヨク」の人は今はほとんどいないだろうというご意見を「左翼」的な立場の方からいただいたのは新鮮でした。今回指摘したような自己矛盾を内包する言説はやはり淘汰されて少数派になっているのでしょうか。
身になる議論でとても面白いです。
申し訳ないですが、中段、「それを踏まえて、一点」以下は今回は議論を避けさせてください。今回僕のたてた日記のテーマの範疇を超えてしまい議論のコントロールができなくなる気がするのと、僕が国家のアイデンティティの一部に軍の保有が含まれるか否かは考えた事がなかったので少し考えてみたいということで。
それ以外の部分についてはご指摘の通りで、僕も「条件付きですが」戦争がない状態の方が望ましいと考えています。また、それを達成するための方法論として非武装主義は間違っていると考えています。いわゆる「サヨク」ではなく「まっとうな」革新/左翼/理想主義論者陣営が「理想論」として非武装を最終理念として掲げているというのは理解しています。しかし、その「理想論」のあり方も疑問に思っています。
なかなか議論を進められず申し訳ないのですが、これについては別に論を立てたいと思っているので短く返答します。
理由のひとつはは前エントリーにも書いた「かもしれない運転」であるべきだという事です。
僕は政治や経済といった、複雑さにおいて純粋科学の範疇を超えており、実験を行う事の出来ない分野においては保守的であるべきであると考えています。
なぜなら、「複雑すぎて人間には前提となるものの把握が困難過ぎ、いくら理論が正確そうにみえたとしても前提の把握が間違っており、結論が間違っていた」ということがあり得るからです。さらに実験でその理論が正確かどうかを確かめる事ができません。また、その理論を実行して失敗した場合に被害が非常に大きくなる場合があります(例としてはカンボジアなどどうでしょうか)。
ですので、「理論的に正しそうだから上手くいくだろう」運営ではなく、「歴史的にずっと残っているから必要なのかもしれない」運営、つまり保守的な運営をするべきだと考えます。
今回の事例に当てはめると、「非武装にしたら戦争がなくなるはずだから非武装にしよう」ではなく、「それぞれが武装しつつそれなりの小競り合いをしつつも世界は依然として続いているからそういった世界の方が持続性があるのかもしれない」ということです。
先回のエントリー( http://anond.hatelabo.jp/20130830202223 )は好評だったみたい。
ブラウザの履歴消して、Google垢からログアウトしてから「専門学校 ラノベ」で検索したら、くだんのエントリーがトップに表示された(2013/09/01 午前現在)。
夏休み最終日、ラノベ専門学校への進学を検討している高3が見たら卒倒するね。虚淵玄の脚本より残酷。Google先生、大学に行きたいです。
以下、前回書き漏らしたことについて補足。
で、参加者は各校2, 3, 1人。私を入れてね。最後はマンツーマン。
イベントは各校のHPに、巨大なバナーで告知されてるのに、たったこれだけしか来ない。
とある学校のパンフに「在校生の約半数が体験入学に参加しています。ぜひ皆様もご参加を」って書いてあって吹いた。たった半分かよ。っていうかそんなこと書くなよ。
数だけじゃなくて、質も低い。
プログラムに「体験授業~プロットを書いてみよう~」ってあったから、ノーパソ持って行ったんだけど、PC持参してきたの私だけ。
他の学生は筆記用具さえ持ってきてない。あと、結局プロット書かなかった。
高校5年生を名乗る子がいて、「高専の方ですか?」って私が尋ねたら、「人には色々事情があるんです!」って講師が間に割って入ってきた。社会マジ闇深いわ。
2. 雇用の創出
体験授業の合間、メモ取るフリして講師の経歴調べてた。中身が無い授業だから所在なかったの。
作家・著述家・文筆家。普段何で飯を食ってるか分からない人たちばかり。確かなことは、その学校で教鞭を取って禄を食んでいることだけ。
「○○大学大学院人文科学科博士課程修了」なんてプロフ見た時は、「博士が100人いる村」を思い出した。村人の16人は無職、8人が死亡・行方不明だから、専門で教員やれる奴は勝ち組。やったね たえちゃん!
余剰博士の幸せを祈った分、学費を納めずにはいられない。私たち専門学校生って、そういう仕組みだったんだね(CV: 喜多村英梨)。
3. 体系的な知識
講師の中には曲がりなりにも高等教育を受けた人がいるわけ。先述の博士出身者みたいな人たちが。
例えば自然科学で言えば、20世紀初頭くらいまでの知識は整理されている。
仮説に留まっているものもあるけど、理論化がある程度進んでいる。
もちろん、学習者と指導者が相応の能力を備えている必要はある。
ただ別の言い方をすれば、両者にそこそこの力があれば、誰もが一定水準まで学問を修めることができる。
でも、文章を書く営みって、そんな秩序立ったものではないですよね?
もっと柔らかくて、鵺のように捉えどころがない。そんなものを『教える』ことなんてできるんですか?
それで「いや、文章作法というものは手順があってだね……」と講釈を垂れるのだけど、顔が半分笑ってる。
~前回までの玉筋~
2. モバイルWi-FiルーターにSIMカードをぶっ挿そう。
3. ルーターは密林で、SIMは某プロバイダーのサイトで購入。←ココマデ!!
詳細は前回のエントリー( http://anond.hatelabo.jp/20130830195618 )を見て。別に見なくてもいいよ。
たったの17時間。お急ぎ便じゃないのに。密林の流通どうなってんの?
佐川と揉めた話って関係あるの? そういやこのルーターも郵便屋さん(死語)が届けに来たわ。
まぁいいや。
爆速で配達してくれたのは嬉しいけど、SIMが手元にないからなんもできない。
だけど、開封してみた。
以下、気になった点。
2. コンセントの形。
1なんだけど、これがすべてのトラブルの元凶。
届いたルーターに関する情報、メーカーのHP( http://www.sierrawireless.com/ )にほとんど載ってない。
面白いのが、検索するとPDFの説明書( http://www.downloads.netgear.com/files/aircard/2400097%20AirCard%20753S%20User%20Guide%20Rev2.pdf )がヒットすること。
メーカーはリンク爆殺したけど、ファイル自体は電子の海に残っていて、それをGoogle先生が見つけてくれたみたい。いい加減だな。
もっといい加減なのは説明書の中身。特に仕様(Specifications)の部分。
縦・横・厚み・重さ・アンテナ・動作(保管)温度。これだけしか書いてない。
駆動電圧、駆動時間、対応周波数帯域、通信速度。なんも書いてない。
だから昨日は、楽天(今はリンク切れてる)とヤフオクと密林の商品説明を参考にして買った。
他のサイトもまわったけど、駆動電圧と駆動時間は結局最後まで分からなかった。
本体に添付されてきた説明書はPDF版より情報少ない。仕様という項目すらない。
このメーカー、本社はカナダにあるんだけど、世界中でデバイス売ってる。それでこの商いはおかしいでしょ。
2のコンセント形状も買う前に調べたんだよ。でも分からなかった。
今朝、ブツが手元に届いてからOタイプなのを目視で(大袈裟)確認した。変換プラグ、ヨドバシでポチった。こいつは今日中に届くらしい。やっぱ日本の物流おかしい。
一番キツいのは3のバッテリー。
Min Capacityが1800mAhしかない。というより、Rating Capacity(定格容量)の記載がどこにもない。法的に大丈夫なの?
電池の出力は3.7V 6.66Wh
電池がMinの容量しかないとするなら、たった1時間しか動かない。
私、“モバイル"Wi-Fiルーター買ったんだよね? “モバイル"って和製英語で、海外では意味違うの? 1時間しか動かないルーターなんて聞いたことないわ。
http://www.youtube.com/watch?v=tQi3l4Jnv_I
ガジェット通信:みのもんたが『朝ズバ!』番組中に女子アナのお尻を触る? 過去の行為も反省せず
http://getnews.jp/archives/408604
なぜなら、「過去において、どうせ、そうだったろう」、「未来において、どうせ、そうなるだろう」という決め付けがある。
まず、みのもんたがセクハラをしたなら、これが最初のケースだったとは考えづらい。
そこで起こっているのは、セクハラであると同時に、手がでている以上、痴漢と同じ性犯罪だ。
きっちり司法の手にかかるべきだ。
犯罪者なのに。
でも、みのもんたと同じか、それ以上に憤りを感じるのは、TBSという会社に対してだ。
しかし、これが過去日常的に行われていたなら、現場のスタッフの目に入ったことがないと信じることは不可能だ。
それは、目の前で、性犯罪が行われているのに、だれも被害者の女性を助けない組織だということを意味する。
自分のキャリアのためか、性犯罪に堪える女性を、ずうぅぅぅぅぅぅぅっと、誰も助けない組織である。
でも、それは犯罪だ。
被害者がそこにいるのだ。
本来であれば、
・みのもんたは、司直の手にかかり、
っというのが、当然だと思う。
でもそうならない。
TBSは、みのもんたは、他者には似たようなことを求めるのに、そうはならない。
TBSのすることは、せいぜい、YouTubeに上がった動画を削除申請し、抗議のエントリーが上がれば、名誉棄損で訴えると脅しながらブログを削除させることぐらいではないか。
それは、まさしく下衆の所業だ。