はてなキーワード: 純粋科学とは
科学っていうか工学の領域だから。社会においてリアルな問題として立ち上がるときに「科学」と呼ばれるものは。
原発(事故対応)は言うまでもなく核物理学だけでなく広範な分野に跨がるエンジニアリングの複合体。
抜き身の科学の原則を振りかざすことに意味があるという機会はそうないだろう。
それなのに、この世に純粋科学とそれ以外のゴチャゴチャしたおまじないしかないかのように「本来の科学的な姿勢とは〜」とか語る奴は学者馬鹿というか端的にモグリなんだろう。ガチなサイエンティストは嫌でも娑婆世間のリアルを相手に苦労を重ねているはず。
■「工学も科学だ」んなこた誰でもわかっとるわ。書き方が不十分だったかもしらんが。
科学全体の中の、現在進行形の社会との界面にある工学のレイヤー、政治や倫理が嵌入してくるその入り組んだシーンで起きてる問題において
基層から直接、基礎科学のプロトコルの断片を掬い上げてきて水戸黄門の印籠よろしくかざすことはなにか生産的ですか、ときに原理原則に立ち返ることの必要をいうなら「やれやれ、これだから一般人は」じゃなくインターフェース部分の科学コミュニケーションを本気で頑張らないと自己満足したいだけの説教バカかと疑われますよ
■「科学は当為を〜そうなの?」科学はまあなんのためというかそれ自体のために存在するとして、工学は人を幸せにしてなんぼなんだから当然そうだと思ってるけど?
身になる議論でとても面白いです。
申し訳ないですが、中段、「それを踏まえて、一点」以下は今回は議論を避けさせてください。今回僕のたてた日記のテーマの範疇を超えてしまい議論のコントロールができなくなる気がするのと、僕が国家のアイデンティティの一部に軍の保有が含まれるか否かは考えた事がなかったので少し考えてみたいということで。
それ以外の部分についてはご指摘の通りで、僕も「条件付きですが」戦争がない状態の方が望ましいと考えています。また、それを達成するための方法論として非武装主義は間違っていると考えています。いわゆる「サヨク」ではなく「まっとうな」革新/左翼/理想主義論者陣営が「理想論」として非武装を最終理念として掲げているというのは理解しています。しかし、その「理想論」のあり方も疑問に思っています。
なかなか議論を進められず申し訳ないのですが、これについては別に論を立てたいと思っているので短く返答します。
理由のひとつはは前エントリーにも書いた「かもしれない運転」であるべきだという事です。
僕は政治や経済といった、複雑さにおいて純粋科学の範疇を超えており、実験を行う事の出来ない分野においては保守的であるべきであると考えています。
なぜなら、「複雑すぎて人間には前提となるものの把握が困難過ぎ、いくら理論が正確そうにみえたとしても前提の把握が間違っており、結論が間違っていた」ということがあり得るからです。さらに実験でその理論が正確かどうかを確かめる事ができません。また、その理論を実行して失敗した場合に被害が非常に大きくなる場合があります(例としてはカンボジアなどどうでしょうか)。
ですので、「理論的に正しそうだから上手くいくだろう」運営ではなく、「歴史的にずっと残っているから必要なのかもしれない」運営、つまり保守的な運営をするべきだと考えます。
今回の事例に当てはめると、「非武装にしたら戦争がなくなるはずだから非武装にしよう」ではなく、「それぞれが武装しつつそれなりの小競り合いをしつつも世界は依然として続いているからそういった世界の方が持続性があるのかもしれない」ということです。