はてなキーワード: ちゃるとは
ワイの部屋まで月1万円分持ってきてくれたら、抱いちゃるぜ
https://note.com/kirinuki_survey/n/n529b881d5d38
ホロライブ切り抜きCH・ゆにーん
ばーちゃるこれくしょん
Vtuber切り抜き/茶マフ
ホロライブの部屋(切り抜き)
こよりの部屋【博衣小より,Koyori,ホロライブ】切り抜き
・巨乳・巨尻は許すがくびれは許されない設計。多分人体を『円筒』として設計している
・くびれをタオルなどで駆逐後、スカート丈を合わせて巻きスカートしてから、上半身を整える
・着付けサイトとかで最初の方が意味不明なのは、「下半身だけ整える(=上半身はまだぐちゃぐちゃで構わん)」の概念が伝わってないから
・腰で1回蛇腹のように折りたたむ(おはしょり)ことで全てをそこで調整、不具合も全部そこに押し付けて和式コルセット兼ベルトである『帯』で隠す
・留め具としてボタンやバックル、チャック、マジックテープといった便利技術は使用禁止。紐のみ使用可。帯は「デカくてオシャレな紐」カテゴリ
・今の浴衣は最近のペラッペラの服より生地がしっかりしてるので、下着つけても響かない。下着つけないのは正しさではなくロマン
・でも「身八つ口から手を突っ込んで生乳揉みたい」とはみんな思うものだと思うんだ
・身八つ口(みやつぐち):前見頃と後ろ見頃が縫い合わされてない部分。袖と帯で隠れるので着付け後は見えない。乳を覆う前見頃とストンと落ちる後ろ見頃で体を覆う布の長さが変わるので、和裁では『縫い合わせない』という選択をした。なお巨乳であればあるほど前見頃のおはしょりがぐちゃる
・おはしょりって実は「インしないシャツの裾」くらいの意味合いしかない気がする。おはしょり出さない選択もできるけど、出した方が「かわいい」から出してるだけ説
・大体おはしょりくらいまで襟がある、が、大体正面からは見えない
・ぐびれ不可。円筒設計なので、ウエストが絞られるとシワだらけかつAラインになってしまう。あと多分摩擦で維持してる帯が落ちる
・浴衣でAラインは「はしたなさ」がある気がする。タイトスカートというか、裾が絞られてるくらいの方が「お淑やかさ」として好感度が高いイメージ
・円筒設計かつストレッチ素材ではないので、足が自由になるのが原則円周の範囲内。つまりウェスト100cmの人は一歩が大きく取れるが、ウエスト50cmの人は一歩が小さくなってちょこちょこ歩きになる。裾をさばいて歩く技術もあるらしいので、痩せ気味の人は事前に歩けるか確認の必要あり。下手すると階段の上り下りができない
シンエヴァで一番好きなとこ、「これまでのエヴァンゲリオン」なんだけど
ダイジンの要石抜く前、ノイズが入ってるけどダイジンから干渉されてない?
名前聞かれてダイジンとして通じてるとことか、神戸で人に見せてるところとか何等かの神通力あるよな。
相手に気持ちを伝えることはできるけど、相手が何考えてるかはわからないみたいな。喋れるし。
サダイジンはおばさんに憑依して思ってること喋らせてたけど自分では喋れないっぽい?
相手の考えも読めるんだろうな。東京の後戸でも干渉してたり…いやあれは普通に本心だな。
俺「達」閉じ師ってのにちょっと引っ掛かったけど、先代とか爺さんのこと言ってるだけかな。
病院に行きたがらなかったのは入院したら試験に遅れるからじゃね?と言われてたが…いやそのケガで試験行ったらドクターストップだよ!二次は面接だろうし
後戸が開くとミミズが出てくる…忘れなさい、の雑な情報開示、草太はそういう奴だからで納得しちゃったが、突き詰めると富野節みたいになるんだろうな
稔君が思ったより頼りになってた。芹沢のせいで霞みまくってるけど。
時間軸共有というか。
観覧車んとことか過去の自分と未来の自分が会ってるのを現在の自分が見てるというややこしい状況
魔が差して椅子で過去すずめ撲殺したらどうなるんだろう…いや、過去で行方不明として処理されるだけか
教職はやめとけ!ブラックだぞ!と思ったが小学校っぽいな?いや小学校もキツいぞ!
病室に骨壺の袋置いてる?
「また東京の後戸開けちゃるけぇの」は脅しとしてヤバいすぎる…
初見だとサダイジンがシームレスに要石に戻ったの気づかなかった
アメリカ人の友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議な結婚式に出たのよ」「それ、日本の標準的結婚式です…」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479
これはつまり「ブライダル業界の結婚式」だが、なんでこうなったのか?。
今主流のこういう結婚式の始まりは1970年代なんだが、その元は60年代にある。
日本のイエ制度は明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家と天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフトと国家有機体論の合体だ。
戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカが自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。
それで戦後も時代が下り生活レベルが向上すると段々と生活や人生上の自由が増大化していった。
イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子や次男以下も生き方が制限された。
長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合は勘当されて死ねと言われる。
次男以下は中学(尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。
こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者は会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーとかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である。
女子は妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良である。そもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族が村八分になる。
商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合いの相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。
戦後生まれの団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。
でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。
例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。
なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆきの深夜ラジオに送られて来たリスナーのハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである。
つまり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。
「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。
勉強を頑張って東京の大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。
集団就職に参加する。
一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳の年齢制限をクリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。
そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である。
一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放のテーゼだ。
人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきである。ロマンチックラブイデオロギーだ。
そういう訳で沢山のフォークソングで自由恋愛が称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争の挫折も相俟って現状肯定、恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。
有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペルで結婚式を挙げよう、というもの。
チャペルはキリスト教会の礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション系大学の礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求を惹起する歌だ。
もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会で結婚式を挙げました、という歌詞。
こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション系大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。
ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。
でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。
なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一に西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式、仏式でないから」だ。神式、仏式にはイエの因習の表象をまとっていた。
今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼで権威的なものを好むというテイストもあるだろう。
でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式は意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである。
「花嫁は夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。
それ以前の結婚式は仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。
それは「祝言(しゅうげん)として能の演目『高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である。
https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU
これをこの調子で仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。
これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。
ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭りの町内会名や祭りの神輿や山車の提灯なんかで出てきたりする。
でも昔は結婚式では「必ず」高砂の祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主が兵庫県の高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区の住吉大社の老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。
まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。
この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人が高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。
関東大震災で下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋、世田谷、杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村の人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。
でもその後字面が年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。
会場が教会だったり披露宴でフォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式に保守的な人らは憤慨していた。
どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴を批判したり、親戚のオヤジがマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。
しかし芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるから「ブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教式結婚式を提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。
ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しかし教会での式よりは断然高い。
だから団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコで新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。
だから「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味が社会から消えても形式と業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルやひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からのサブカルチャー的解放の意味があるんじゃないの」と言えばよい。
それとは別にやっぱあの形式の結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会も中途半端で教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。
https://togetter.com/li/1919788
AI: ソムニウム ファイルが面白かったので視聴者様から「打越鋼太郎の作品ならEver17がお勧めですよ」と言われたのでやってみようと思ったらプラットフォームがPS2とかドリキャスでどうやらPSP版も出てるようなのでVITAでやろうとしたら販売元が解散してるらしくストアではDL配信終了済でプチ詰み
馬鹿野郎。
こ↑こ↓で。
http://maginodrive.jp/item/MGS013.html
1480円。
Remember11も売ってるぞ。
金がなくて買えないという情弱はこれでも見とけ。
https://www.youtube.com/watch?v=vOKs7MuIV7I
ぶっちゃけ、今から30時間かけてプレイするのはしんどいから、この動画みるだけでいいと思う。
ぶっちゃけEVER17プレイした人の内、6割くらいは「超大型のギミック」の方だけ覚えてて「ブリックヴィンケル」について理解できてなかったんじゃないか?
このゲームが他のゲームよりすごいのは、ココをめぐる大型ギミックではなくてこの「ブリックヴィンケル」の方なんだけど、私はこれ「Remeber11」をプレイするまで全然わからんかったぞ。
少子化ってたぶんどうしようもないと思うんすよね
子を持つには、
・子を持つ気があって
・子作りの相手がいて
・身体的に子を産める
この三つを最低満たしてないとダメなわけじゃん
そういう、普通にその辺に大量におる属性を、ひとつでも持ってたらもうアウツなわけですよ
そんで、そういう人らを除いた分、子を持てる人で埋め合わせないと出生率って2にならねえじゃん
産める人が平均3人くらいは産まねえといけない感じなんじゃないですか
それはキツいよ
想像できなくねえ?
いくら子育て支援が手厚くなったところでさあ、「子を持つ気がある女性は平均すると3人以上子を産んでいる」とはならんやろ
言っても2人が限界やろ
政府が国立育児院みたいな謎施設を作って、成人まで面倒見ちゃる!ってなったとしても、純粋に3回も妊娠出産したくない人かなりいるやろ
つうか、むしろ、今までが異常だったんだ
どうやったら出生率2以上なんてことになるんだよ
そんなんロクな社会じゃねえだろ
韓国兄さんみたいに0.8とかになってくるとさすがにちょっと逆にマズイ感もあるけど、いまの2本くらいって、バランスええんちゃうか
子供が欲しくて欲しくてたまらないのに、制度のせいで作れない!って人、そんなにはいないやろ
選んでると思うんすよねえ 今くらいの感じを
子供増やす方向性は諦めて、老人減らす方向性で行った方がいいと思う、絶対!
俺、老人になったら、つうかなる前に、いの一番に減ってやるからさあ
退職金よこせなんか言わねえし、なんだったら金は持てるだけ全部出しますよ
畳もう畳もう、こんな国、こんな社会
もう終わってんのに、無理矢理続けようとするからキツいことになるんだ
ワクチン3回目でちょっと発熱があるんだけど、ふとした瞬間に同棲時代の良かったところも辛かったところも思い出しちゃって情緒がぐちゃるの良い加減やめにしたい。もう30だぞ
良かったところ。こういう体調不良の時はいたわってくれたこと。同棲初め頃に寝込んだら、すごく優しく頭撫でてくれたりした。寝てたところを触られて覚醒したけど、撫でてくれる指先が優しすぎて泣きそうになって寝たふりしてた。すごく嬉しかった。最初の1年くらいは楽しかった。
辛かったところ。鬱とアルコールで相手がぶっ壊れていくにつれて、毎日機嫌が悪くて凄まじい意味のない叫び声(あ゛ぁぁ!おあぁぁ!!みたいな。怒り散らしてる感じ)をワンルームで聞いてなきゃいけなかったこと。ストゼロの空き缶とウイスキーのボトルが増えて転がっている光景を毎日見てたこと。吐瀉物を片付けたと言ってたけど壁とか床の汚れが取れてなくて、這いつくばって3時間かけて掃除したこと。3年くらい最初の優しさを思い出しながら付き合ってたけど、イネイブラーになってたし別れることにした。
好きだった人はあの人間の壊れた容れ物の脳みその中で、過労にやられて静かに死んでいたんだと思う。助けてやれなくてごめん。
はー。
良い思い出がふっと思い出されて、もう一回恋愛してみたいなとか考えるけど、やっぱ後半が圧倒的最悪だったことを思い出して、いややっぱ恋愛・結婚はもういいわとなる。それでいい。
電力不足やべえやべえって言われてますが、具体的に何がやばいかって話が可視範囲でどこにも見かけないので、新電力業界きらいなはてな民向けにその辺を説明するよ。
インフラに市場原理を導入したことに批判が集まりがちだよね。本質的にはそのとおりなんだ。でも建前上は「インフラは自由化してない」んだよね。
電力業界は2016年4月に小売が自由化したよ。どういうことかというと、電力事業を「発電」「送配電」「小売」に分割しちゃおうってことなんだよ。たとえば東電は東電ホールディングスになって、その下に東電パワー&フュエル(発電)、東電パワーグリッド(送配電)、東電エナジーパートナー(小売)の子会社ができたんだよ。
なんでそうなったかは色々な経緯があるというか、「原発でやらかした東電をなんとかせげんといかん!」って気持ちがあったのかもしれないね、と思ってるよ。でもこれは新電力サイドのポジショントークだから本気にしないでほしいな。複雑な経緯があると思うので割愛するよ。知識不足とも言うよ。
ここでのポイントは、「送配電」は自由化されていないってことなんだ。だから本当に本当の根元の部分では、新電力がつぶれても一般送配電事業者がみんなに電気を届けてくれるんだ。東電パワーグリッドさん、ありがとう! 詳しくは最終供給保障って単語でググってみるといいよ。だから新電力で契約してるからって停電が起きやすくなるってことはないんだよ。
「あれれー? おかしいなー、エルピオでんきに契約してる人h」
君のような勘の良いガキは嫌いだよ。
そのとおりなんだ。厳密には新電力になってもいままで通り、というわけにはいかないんだ。送配電と小売が分割されるとどうなるかと言えば、「どの家の電気を止めて、どの家の電気を供給するか」という判断をする主体が分割されるってことなんだ。
たとえば、想像してみてほしい。はてぶユーザーのあなたは旧一電(東電とか関電みたいなもの)のひとつ「はてな電力」から新電力会社「増田電力」に契約を変えちゃった。だけど、あなたは最近契約料であるはてな記事のはてブ登録を滞納しちゃってたんだ。
はてな電力に契約したままだったら、あなたははてなの親分はからこう言われるんだ。「おうおう、おどれ最近はてブ足りんのとちゃうけ? まあワイも鬼やない、一週間以内に50記事はてブしたらアカウント停止だけは見逃しちゃるわ」って。はてなの親分は自分の子どもには優しいんだ。直接契約してるからね、やさしいね。
でも、あなたが増田電力で契約してたらこうなっちゃうんだ。「増田ァ! 今月のみかじめはてブどないしとんじゃおどれぇ! けつの穴までほじくり返して取り立ててこんかい!!!!」そうやってあなたは東京湾に沈められちゃうんだ。はてなの親分はこわいね。
何が言いたいかというと、送配電と小売が分割した結果、イレギュラーな事態が発生したときに柔軟な対応が時々しづらいってことなんだ。エルピオでんきに契約してたら停電するかもってのはそういうことなんだね。
でも、「電力を売り買いする」ってっどういうこと?って思うよね。そうだよね。私も最初戸惑ったよ。
このことを説明するには、考え方を変える必要があるんだ。逆に考えるんだ。「新電力会社は買った分を売る」んじゃなく、「新電力会社は売っただけの分を買わなきゃいけない」んだ。
どういうことか。さっき言ったように、送配電自体は送配電事業者がおこなうんだ。だから、たとえば「4月1日の電気を100万kWh買ったけど、契約者がその日は101万kWh使っちゃった」ってときに、1万kWhを使う家庭が停電になることはないんだ。そういう場合は、「電力会社が101万kWh分の電気を買う義務」が生じるんだ。電力小売は、需要を事前に予測して、101万kWhを買っておかないといけないんだ。
買わないとどうなるかって? あとで説明する「ペナルティ」が待ってるんだ。
16年4月に電力小売自由化とともに作られたのが日本卸電力取引所、通称JEPXだよ。JEPXでは一日を30分×48コマに分割して、各コマで電力を売買してるんだ。ニュースで話題になりやすい価格高騰は基本的にこの金額の話をされているよ。この価格は大体毎日18時に翌日価格が発表されるよ。
ただ、注意してほしいのは、別に全量をJEPXから買わなくてもいいってことなんだ。たとえば、100万kWhの需要が事前に予測できている場合は、前々日までに95万kWhを仕入れておいたりするんだ。仕入れ方は色々だよ。発電事業者と直接契約して、JPEXを介さずに95万kWh仕入れておく、という方法はあるよ。そして、残りの5万kWhをJPEXの翌日スポット市場で買うんだ。その方が市場高騰リスクを抑えられるからね。
実際は、スポット市場価格で5円/kWhのものを直接契約では10円kWhになる……という市場原理が働いたりするので、実際の案配は難しいね。ここは各社の分析能力の腕のみせどころなんだね。ただ安定供給という観点では、多少コストをかけてでも供給量を確保することの方が重要だと私は思うよ。
でもね、そんな事前予測、毎日成功するわけないんだ。毎日の供給で仕入れが多すぎたり、逆に少なかったりは当たり前なんだ。
でもそれを放置しておくと仕入れに意味がなくなっちゃうよね。だから、新電力市場には「インバランス料金」って仕組みがあるんだ。これは、仕入れに失敗すると予め定められたインバランス料金で電気を買うというルールなんだ。事前に100万kWh買っておいたけど、実際は需要家が101万kWh使っちゃったら、1万kWh分の電気をペナルティ料金で買わなきゃいけないんだ。
このインバランス単価は、予備率3%までは80円/kWh、予備率3%を下回ると200円/kWhが上限になるよ。20年度までは上限がなかったから200円オーバーになりまくって大変だったんだよ。
やっと本当に伝えたいことに入れるよ。
新電力が受付を停止したり、事業から撤退したりしてるのは、このJEPXのスポット市場価格が80円/kWhに達する日が22年の頭からずーーーっと続いてるからなんだ。
電力市場は市場だからね。電気が余っていたら入札価格は下がるし、電気が足りなくなったら入札価格が上がるんだ。そして、スポット市場はブラインド・シングルプライスオークションという仕組みで、「約定価格が一度決まると、すべての市場価格がその価格で取引される」んだ。増田さんが10円で入札しても、20円で入札する人が多かったら20円になるし、5円で入札する人が多かったら5円になる。
そして、さっきも言ったように、仕入れに失敗したら電力小売はインバランス料金を払わないといけないんだ。
するとどうなるか。「どうせインバランス料金の80円/kWhで買うんだから、80円で入札しちゃえ」、そう考える人がいっぱい出ちゃったんだ。スポット市場価格をわかりやすく表示してるエネチェンジのサイトがあるので、URLを貼るね。
https://insight.enechange.jp/markets
3月31日分は20円台だね。真っ赤だね。さっき言った80円よりは安いね。
んなわけあるか。
想像してみてほしいんだ。東電エナジーパートナーのスタンダードSプランは20~30円/kWhなんだ。わかるかな?20-30円で売るものを、20円以上、なんなら80円で仕入れないといけない。
25円で売るものの粗利っていくらだろう? 8円?5円?3円?仮に5円と置こうか。100のうち90が5円の粗利を出すとして、450円の収益なんだ。でも、原価80円のものを25円で売ると、55円のマイナスだよね。100のうち10がその価格になると、550円のマイナスなんだ。
450-550=-100。
スポット市場価格が80円になったときのインパクトっていうのは、こういうことなんだ。顧客が万単位で存在したときに、毎日数百万が吹っ飛び続けるのが一ヶ月続くのを想像してみてほしいんだ。受け入れ停止や事業停止をする理屈が少しはわかってもらえるんじゃないかな。
もちろん、電気の調達コスト計算はこんなに単純じゃないよ。というか業務で仕入れた内側の話は守秘義務に抵触するから書けないよ。一般の人から金額が可視化されてるのがスポット市場だから、それだけでわかる範囲のことを書いたよ。よく考えたらすべてを話してないね。ごめんね。タイトル詐欺なんだ。
正直ね、新電力の中の人としても、この状況には困っているんだ。どうしてこんなことになってしまったんだ……。
本質論でいえば「そもそもインフラを自由化するな」は正しいと思うんだ。ただ多少のポジショントークを言うと、インフラだからって甘えた結果が福島原発の後処理における様々なあれこれだったり、柏崎原発での嘗めた対応だったりするんじゃないかな、あいつら一編シメた方がいいんじゃないの、そういうニュアンスはあるんじゃないかな、とも思うよ。
ただ、16年4月での自由化の時点で、制度設計者がこのレベルでの電力供給の不安定化を予測していたかって、想定してなかったとは思うんだ。需給ひっ迫警報でた時感動したよ。。「これが!! あの噂の!!!! 需給ひっ迫警報!!!!!!!」ってテンション爆上がりだよ私。「計画停電とか起きるわけないやろ!」「起きそうになっとるやろがい!!」
ただね、極論小売り事業者なんて卸売業で、卸売業の割に売ってる商材がどれもこれも代わり映えしないんだよ。大体、電気って商材にどう差をつけるってんですか。普通無理でしょ。価格勝負でしかない割に、付加価値がつけにくい。もちろんなくはないよ。プランとか脱炭素とかオプションサービスとかね。でも電気そのものに違いはない。そこに様々な新電力会社が群がったのは、結局インフラで確実に甘い汁が吸えるってことを確約された業種にハイエナが集まったツケが回ってきたんじゃないか……っていう指摘はありえると思ってて、それは何割はただしいんだよね。電気に対してどんな付加価値を与えるのか、っていうのはどの電力会社も模索してるんじゃないかな。
自分自身も昔バイトで窓口対応やってたし、接客業の9割は丁寧でまともってのもわかってるけど、1割ヤバいのがいるのは事実で。
で、今回一割に当たってしまった。
前回対応してくれた人は凄く丁寧に教えてくれて感動したくらいなんだけど、今回は違って。
書類を一瞥して、添付資料に不備がありますお引き取りください、とのこと。
悪いのは添付書類に不備があったこちらなんだけど、(1時間待たされて30秒で終わりとかマ!?と思いながら)では、再度持参します、つったら今日はもう来ないでください、だって。
単に面倒な案件だから関わりたくないだけじゃねーのか、とか、前相談した時はそんな資料聞いてねーぞ、とか言いたいことはあったが、向こうも悪意があるわけじゃないので飲みこむ
「ではこの件について少し確認したいことが」「その場合は予約を取り直して、日を改めてお越しください」「…!」
いや、丁寧に答えてくれた前の担当者がおかしくて、この人の対応が正しいんだろう。
いや、でもコレ前の担当者とか郵送なら普通に受付てくれたんじゃね…?不足分は事後提出とかで…つーか、不備がないか確認してもらったり教えてもらうのに窓口に来てるんだから内容も確認してくれよ…と思うが仕方ない。
ただ、最初はあんなヤツ二度と関わりたくね~!別の窓口探そ…と思ってたが、だんだん、意地でもアイツに書類受け取らせちゃる~!っつーよくわからん決意が沸々湧いて来ちゃってる
多分スゲー嫌な顔されるわ…
はなれていくホロライブ2
論文などの書き方と同様に、この怪文書の主軸として貫かれる結論を最初に提示しておく。
となる。
まず本文を始める前にVtuberとはなにかという認識を共通させておきたいと思う。
以下は自分個人の認識であり、またこの認識を前提として怪文書を記載していく。
なおVtuberを知っているという飛ばして読んでも問題はないし、
また私より詳しい方々は記載内容に文句もあったりするだろうが、そこは見逃してほしい。
・Vtuber
正式にはVirtual Youtuber(バーチャルユーチューバー)。略して現在はVtuber(ブイチューバ―)と呼ばれる。
基本的にはキズナアイを始祖として、イラストや3Dモデルを使い動画や生配信を行う配信者たちのことを総称している。
Youtubeなどでの動画配信を行い収益を上げて当時話題となっていたYoutuberに対して、
キズナアイが自分のことを「バーチャルユーチューバー」と呼称したことが始まりとなる。
※ただし、伊達杏子などのバーチャル上でタレント活動を行う存在や、ウェザーロイドなどの3Dアバターを使って動画配信を行う存在は以前からあり、
ニコニコ動画ではモーションは無いながらもイラストのアバターを使ったり、ゆっくりなどを使い配信を行うといった形式も既に存在していて、
またVRChatで自作の3Dアバターを作っていた人たちも散見され、現在のVtuberの萌芽・類似する表現は既に存在していたと言える。
キズナアイは「バーチャルユーチューバー」という呼称を作り、その存在を一つの確固たるジャンルとして確立したことが貢献として大きいと言える。
当初におけるバーチャルユーチューバーという存在は、3Dモデル・声・アクション・ゲームはそれぞれ別々の人間が担当し、
バーチャル空間でYoutuber活動を行う仮想の存在として、「設定から話す内容までプロモートおよび演出されたタレント」であり、
理想をかき集めた存在であり、美しい3D・機敏なアクターの動き・プロゲーマーの腕前、声優の可愛らしい声・脚本家によって計算された台本という具合に、
・初期Vtuberたち
次第と3Dモデリングを使いYoutubeやニコニコ動画で動画配信を行うバーチャルユーチューバーを名乗る配信者が出現し始める。
2017年から企業および個人で3Dモデルを用意したものが登場し、富士葵やばあちゃる、のらきゃっとなど様々なVtuberが誕生するが、
主にバーチャルyoutuber四天王と呼ばれる以下のVtuber達が人気を博した。
・電脳少女シロ(2022年現在も活動中。TV番組「ガリベンガーV」などに出演している。) ・ミライアカリ(2022年現在も活動中。) ・輝夜月(企業と演者間で確執があり配信終了。) ・バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん(引退し、チャンネルをマルチチャンネル化。)
この中で最も異質な存在であり、現在のVtuberに大きな影響を与えたのは「バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん」と言っても良い。
「バーチャル美少女受肉(バ美肉)」を代表する存在としてVtuberの知名度を上げたこともあるが、それよりも大きな要素がある。
一つに演出され切っていない生身の人間の要素を動画で見せていたこと。
この二つを持ちながら人気を得たことによって、Vtuberの裾野が大きく広がり、
結果としてVtuber多くの参入者を呼び寄せた大きな要因となったと言える。
この辺りは後記する「リスナーと近いvtuber」でより詳しく触れるため、ここでは重要であったことを記載するにとどめておく。
・アイドル部およびゲーム部(企業:.Live)
3Dモデリングのアバター、および企業によって演出された動画配信、
という点でキズナアイの生み出したVtuberコンセプトを正当に受け継ぎ、進化させたのがアイドル部・ゲーム部だったと言っていい。
また企業ごとに一人だったVtuberをグループとして売り出して、
グループでVtuberをタレント売りし「関係性売り」するという基礎を作った点が大きい。
一時期にはもっとも人気のあったVtuberグループであったが、
・にじさんじ(企業:旧いちから→現えにから)
当時「3Dモデル」での「動画配信」が主流だったVtuberから、
「Live2D」などの一枚絵・イラストで「生配信」という大きな転換を行い、
現在のVtuberの主流となる形式で売り出したという点でVtuber界における大きな一里塚を造った。
比較的簡単に高品質に見える質を作り出せるLive2Dを使うことにより、
また生配信という「矢継ぎ早に次のコンテンツを供給できる」という特性によって
「月刊より週刊、週刊より日刊」といった供給の多さも相まって主流となる。
一部では3DではなくLive2Dであったことに「割りばし絵」などと呼ばれるといった批判もあったが、
むしろアニメやゲームに近い表現であったことが一般的なオタクにリーチして受け入れられていったと言える。
特に月ノ美兎のようなクリエイティブな配信者を起用して「目新しい動画・配信」を供給していくことことで
それまでニコ生のようなオタク文化的な動画をを見ていた層に売り出すことができたことで、
Vtuberが当時のオタク層へと強く広く浸透していく礎となったと言っても過言ではない。
またアイドル部と同様に期生やSEEDsといったグループ売りをしていくことで、
・ホロライブ(カバー)
カバー株式会社は四天王時代から「ときのそら」をVtuberとしてプロモートしていたが、
Vtuberグループ売りとしての「ホロライブ」はにじさんじから数カ月遅れることになる。
「ホロライブ」としてはにじさんじの成功を受けたのかLive2D生配信を主体として、更にグループ売りをもった形式でデビューをしていく。
当時は男女の交流が当たり前だったVtuber業界で「女性のみ」のグループとして開始し、
初期こそ外部の男性と絡み、ホロライブサマーなどのエロ売りなどもしていたが、次第と「アイドル売り」へと専門化していき、
音楽ライブ配信を始め、Vtuberの中でのAKBや乃木坂的なポジションとなっていく。
ただし、その結果として「女性アイドル」として醜聞となりかねない男性との関わりは切り捨てていき、
例1:27とJK(社築{にじさんじ男性Vtuber}と夏色まつり{ホロライブ女性Vtuber}) https://www.youtube.com/watch?v=d_K1fJD5-CE 例2:大空家コラボ(舞元啓介{にじさんじ}男性Vtuberと大空すばる{ホロライブ女性Vtuber}そしてしぐれいうい{イラストレイター個人Vtuber}) https://www.youtube.com/watch?v=ZVhMFyc8DrUといった当初では人気であった男女交流を前提としたでのVtuber配信は少なくなり、
一般的なVtuber活動からホロライブは「離れていく」ことになっていった。
一部で男女での交流は残っているが全体としては避けられていっている。
例:みこ「ホロスタとのコラボは……無い、かなぁ」 https://vtuber-matome.com/vtuber-1704-8329.html
・Vtuber総
Vtuberはキズナアイが作り出した形式から様々な変化を遂げて次第と受け入れられていった。
しかし、どれだけ変化しても、総じてVtuberに共通することとして
~~~
簡略的なVtuberの解釈と、これまでの発展の流れを記してみた。
流れまで記載したのは、Vtuberと言うものが昔と今では大分違っているため、
どこかで離脱した人や殆ど知らない人には説明が理解しづらい物であるからだ。
(というのは建前で、貯えた知識や解釈の捨て所がなかったたために、ついでだからと書いたというのが本音だ。)
キズナアイが引退すると聞いたときに最初に思ったのは「はぁ?」って感じだった
ワンピースでいうなら、グランドライン半ばでルフィが「俺、船降りるわ」っていうようなものだったから。
キズナアイはVTuberの先頭ではなかったと思う。単純に数字で見ても瞬間風速と一番長い活動歴で築いたチャンネル登録者数以外、動画の平均視聴数や配信の同時接続数は他のVTuberに劣るからね。
それでも"バーチャルな存在"としての格は間違いなくトップで、ここにキズナアイの功績があると思ってる。
日本でVTuberが大流行し始めたのは2017年冬。キズナアイの切り抜きがバズると、すぐさま数少ない同様の形態である電脳少女シロやミライアカリ(あとばあちゃるとか)が注目を集めた。その後は雨後の筍のように様々な個性的なVが登場して、毎週のように現れる新人Vを特集する切り抜きが作られ、その中に輝夜月やときのそらがいた。人の言葉を話すバラエティに富んだバーチャルな存在が次々と出てきて、異世界の動物園で見たことない動物を見ていく時のような不思議な感覚で凄くおもしろかった。
年が明けてしばらくすると二次元アバターを利用した生配信中心スタイルのにじさんじが活動を始めた。これは2回目の大流行といってもいいくらい衝撃で、ここでVの進化経路というかスタイルが分化した感じがする。
にじさんじ登場後はVTuberのスタイルが動画勢、配信勢というような区別がされたけど、この区別はあんまり好きじゃない。Vtuberに限らずインターネット上に実名とは違う名前、容姿で活動するものに大きく2通りあると思ってる。
①現実とは一切関係がなく、インターネット上にのみ存在するもの
②インターネット上に存在するために3Dモデルや2Dアバター、ニックネームを利用するもの
①はまさにキズナアイが特に強く推し進めた概念で、徹底的なロールプレイ(※ひたすらキズナアイに徹すること(例:食べ物食べたことない))と何よりも説得力のある柔軟に動く3Dモデルによってもたらされた。
一方で、②はにじさんじを始めとして今現在のVTuberの多くがこちらに分類される。”バーチャルな存在”じゃなきゃいけなかったわけではなくて、ネットで活動するためにこれが適していたからこうした形式を選んでいるというタイプ。
最初の流行直後の無数のVTuberは①が多かったけど、生放送中心のVTuberが登場すると、一気に風向きは①→②へと遷移していき、アイドル部が隆盛を極める頃にはキズナアイやミライアカリといった①のVは相当キツくて、唯一ゲーム部プロジェクトだけが成功していた。
VTuberの人気が増していく一方で低迷が続くキズナアイは、いくつかの炎上もあった後、ただの「インテリジェントなスーパーAI」だけでなく、「VTuberの親分」としての自身を強烈にプッシュする方向に進んだ感じがする。具体的には数字的には劣るものの、「VTuberの親分」としての看板と共に今の大人気VTuber(多くが②に当たる)とのコラボを沢山するようになったのだ。
そうしてある程度「VTuberの親分」に恥じない立場といって良いくらいには人気が回復した矢先の引退発表だった。
俺はキズナアイが生み出したネット上にだけ存在する生物のような、現実と隔絶された存在の仕方に魅力を感じている。今でも銀河アリスだったりおうまゆうのように①のタイプのVTuberは居て、自分が知らないだけで3Dモデルを利用してインターネット上だけの存在として活動(存在)している人はVRchatとかにいると思う。
キズナアイは「VTuberの親分」としてライブを終え、大勢のVTuberとそのファンがキズナアイを送り出す言葉を書く。その中に「あなたがいなければ今のVTuberは全員いなかった」みたいな書き込みがあった。それは嘘でしょ、と思った。今のVTuberの本流は②のタイプで、これはキズナアイというよりかは月ノ美兎とかのおかげだから。キズナアイがいなきゃありえなかったVTuberっていうのは昔のミソシタや春日部つくしのような存在なんじゃないか。
①の象徴のキズナアイを別にキズナアイの文脈じゃない人たちが多くを占める中で感謝と拍手で送る感じ。これがなんか歪で嫌だった。
上がってたエントリも読んだ。
結構なことでしょ。Vの価値はインターネット上っていう仮想空間だけに”存在”することにあるんだから。Vは既存のIP(漫画、ゲーム、絵、アート、映像、本)の一つなんかじゃなくて、存在の方法が新しかったから衝撃的で魅力的なんだよ。キズナアイが後世に残ろうとも残らなくてもどうでもよくて、ただ存在し続けてくれることが大事だったんだよ。
というかこのエントリはなんか鼻に付くな。なんでVTuberに中の人を見るのか。お前はアニメとかもいちいち声優気にするタイプか。昔アニメの声優がテレビに出ているのを見て物凄く失望した覚えがある。画面の中であれだけ活き活きと生きているキャラクターは私たちが演じてましたよつっておばさんおじさんが出てきて。アニメやゲームのように、人が幻想と分かっていても本気で入り込むものに急に現実を結びつけるのは大嫌いだ。現実に空想・ファンタジーが入り込む余地がどんどん失われて、現実に現実しかなくなるから。そういうものと離されているからこそVは素敵なのに。インターネットの中だけで存在できるから幸せなのに。
話が逸れた。要するにここまで書いたけど幼稚園児の駄々こねみたいなもので、言いたいことは
キズナアイが生み出した”バーチャルな存在”としての存在方法が魅力的で、これが確かな権威をもつ前にその先駆けであるキズナアイ自体が下りてしまうのが悔しいってこと。
人々をVに駆り立てたゴールド・ロジャーであり、自身がVであるルフィみたいな存在が下りられたら困っちゃうってこと。色々な黎明期のVが辞めてったけど、まだキズナアイがいるから、みたいな最後の一枚岩的な期待を勝手にしていた。
つい最近ホロライブで契約解除になったライバーがいた。そのキャラクターは死んだけど、いわゆる中の人はすぐに自分のyoutubeアカウントを作成した。その人にとってはVだろうが自分自身だろうがどっちでもよかったのだ。この瞬間、"バーチャルな存在”だったそのキャラクターは、中の人がインターネットで活動するための道具・手段だったことになってしまった。元々②よりのVTuberなので最初からVのキャラクターは手段だったかもしれないけど、このとき、明確に。
VTuberと密接な関係のある3DモデルにもNFTみたいな少しきな臭い利益を求める思想みたいなものが入ってきてるように思える。さっき挙げたミソシタとかは今はNFTにドップリだ。
俺が"バーチャルな存在”にすごく夢を抱いていた一方で、その文化が少しずつ思ってたものと変わっていく。そうした中で、キズナアイだけは変わらないものの象徴というか柱だった。
だからそんなキズナアイが引退することは”バーチャルな、バーチャルだけに存在する”という概念が潰えてしまうことも結びつくし、それに追従して生まれた幾千もの個人的Virtualな存在にとってなんか絶望的だ。