はてなキーワード: 麻痺とは
これは免責事項だが、この文章はホッテントリに浮上しているほぼ同一テーマの増田とは一切関係がない。俺があれらを、例の増田とそれについての言及全てを読んだかどうかはお前らの知るところではない。そしてこれは単なる一個人の身に起こったことであって、白状するとタイトルは風呂敷を広げまくっている。誰かの子供が俺と同じIQと発達障害とを持っていたとしても、俺と同じ末路を辿るとは限らないし、おそらく俺は道を踏み外しまくっている。誰かがこうならないようにこの一瞬だけ適当に祈っておく。
まず具体的数値を挙げる。具体的数値というのは俺が中学2年の春頃に児童精神科で受けたWISCの結果の話だ。ちなみに俺の持つ発達障害というのはADHDであってそれ以上でもそれ以下でもない(数学的に言えばどちらでもある)。こちらにも責任というものがあるし、何よりもこれらを挙げずしてなんとなく高IQっぽさを示唆するだけというのは信憑性にもエンタメ性にも欠ける。
知覚推理:133
ワーキングメモリー:115
処理速度:118
どういう計算をすればこのような(例;なぜ下位分類4つの平均を全検査IQが上回るのか?)ことになるのかと言ったような、検査そのものに関する疑問には答えられない。それは俺も知らないしこれから俺が書かんとしていることには特に関係がない。標準偏差15の世界では70以下と130以上が異常値とされるそうなので非常にスレスレではあるがタイトルには高IQと入れた。だから何とかではなくこれから書くことにもこれらが密接に関わっているかと言われるとそんなことはない。深い意味はないし、インターネットではしばしば非・インターネット界との語彙の乖離が見られるので、これを読んでるお前が数値の高いか低いかを勝手に審査すればいい。オタクが勝手にMARCHをFラン扱いするようにな。
小学生の頃から勉強に困ったことはなかった。というか今でも小学生レベルの勉強に困る人間というのはちょっと想像し難いのでこれは何の自慢にもならないだろう。なので具体的なエピソードを挙げてどうこうというのは出来かねる。本当はこのタイミングで中学受験をするかあるいは駅の近くにあるような塾に通ってみるかすればよかったんだろうが自分の親はあまりそういうことを提案してくるタイプの人間ではなかった。のでそうしなかった。
中学に入ったばかりの頃はもう自分が無敵だと思っていた。受験も何もないただの公立中学での話でしかないのにだ。テスト勉強なんてほとんどしなくても学年1位を取った。一つのテストで5点以上失点はしなかった。書けることがあまりない。なぜなら何にもしてこなかったからだ。努力から逃げ続けてきたからだ。なのにそれを自分の能力のおかげだと思い続けてきた。実際には親ガチャだ。俺はSSRを引いて育成をサボった。本当に書けることはない。
これって俺が悪かったのか?(結論から言えばそうである)俺は勉強ができようができまいが怠惰な人間であることは確かだ。なぜなら俺は体育の成績が2だろうが3だろうが全く改善しようとしてこなかったからだ。五教科だって向き合い方としては変わらなかったはずなのに勝手に5が印刷されていた。じゃあなんで勉強ができるように設定されていたんだ? 初めからそこら辺の能力値を低く見積もってくれればよかっただろ。そうすれば俺は怠惰の対価として馬鹿を払うことができた。今は完全にそこら辺の感覚が麻痺している。
結局自分は恐ろしいくらいの怠惰と何かしらの何かが理由で学校を休むようになったし、授業を受けないのに家でも勉強しない(する習慣がない)からテストの成績もガタ落ちした(具体的に、いつ頃からどのように落ちたかすら全く記憶にない)。元から生活や人間関係は終わりまくっていた。ここでいう終わりとは発達障害の弊害として一般に思い浮かべられるそれとほとんど同じと考えてもらっていい。勉強ができるから優等生だと思われていただけで実際の人間性はゴミクズだ。勉強すらできなくなったので完全にそれが露呈していった。出席日数が足りないので地域で最も荒れていた公立のカスみたいな高校を受験するしかなかった。俺が1位を取り続けた間2位だった奴は県で一番の高校へ進学した。友達の、物分かりが悪いが努力家だった奴もそこそこの高校へ行った。俺がそこそことか評価する資格は別にない。二人ともめちゃくちゃ努力家だった。
俺はそのカスみたいな高校すらすぐに通えなくなって中退した。高校でのことはほとんど中学時代の後半と変わらない。
高認を取って今は受験を控えている。生まれてこの方努力というものをしたことがないので受験勉強もどう手をつけていいのか分からない。志望校も決めていないが多分落ちるだろう。もしくは高校と同じでカスみたいな私大にしか受からないだろう。模試も受けたことがないので判らない。申し込んだこともないしこれからそうしようとも特には思わない。結果が出たら自分の偏差値や全国順位みたいなものが出るんだろ。俺は何も模試の申し込み方法や受験会場を調べるのが億劫なわけじゃない。それらを目の当たりにするのが怖いだけだ。
努力するのが怖い。俺が今までに経験してきたのは「努力しなかったが上手くいった」場合と「努力しなかったので上手くいかなかった」場合だけだ。努力して上手くいかなかった場合にどうすればいいんだ? みんな、必死にテスト勉強をして、受験勉強をして、それで一位を取れなかったら、通える範囲内で最も偏差値の高い学校へ受からなかったら、どうするつもりだったんだ? どうしてたんだ? 俺はどうすべきだったんだ?(俺がすべきことが努力だったのは明白だ)
全ては個人の感想であって、もっと言えばこの文章は全て創作だと思っていただいても差し支えない。これが本当のことかどうかを確かめる術はお前らにない。ただ、もし自分のことを天才だと思っている中高生が、あるいは自分の子供がギフテッドだとか思っている親がこれを読んでいたら、考えを改めたほうがいい。それが難しければ孫正義育英財団でググって財団生紹介のページを上から下まで眺めてみればいい。そして学校にちゃんと通って、真面目に机に向かって、何よりも俺みたいにならないでほしい。それ以外に言いたいことはない。
バカッターで有名な内閣参与様がまたピエロやってるらしいけど、そいつの言ってた緊急事態宣言の権限が弱いというミスリーディングに加担したいわけじゃなくて、
むしろ強い権限あるのに考え無しに乱発する事態を招くような政権に「政権担当能力」なんか無いと思ってる。
緊急事態宣言せざるを得ない状態になったという点には文句を付ける気は無いが、じゃあその緊急事態宣言下で「次また緊急事態宣言せざるを得ない状況ならないような長期的対策をなんかやってるの?」って問いには現政権は一つも答えられてない。
一年以上前からワクチン接種を迅速に勧める体制が必要なことなんか少しでも考える頭持ってたら分かるはずなのに、国と自治体の連携全然取れて無くて、
あげくの果てに自衛隊を便利なボランティアか何かと勘違いしてんのか、自衛隊に無茶振りしてゴミみたいなシステムのリリースで失笑させてくれるとかホントに「身内への利益供与しかまともに出来んのか?」と思わざるを得ない。
あ、いや身内への利益供与もバレバレだからまともに出来てないよな。
話が壮大にズレてしまったが、緊急事態宣言ってのは「間を置かずに緊急事態宣言の再発令しなくて良いように準備する時間を稼ぐために発令するモノ」のはずなのに、完全に「目先の問題から目を逸らすための一時的な逃げ」としてしか使われてないんだよな。
こんなんじゃどんどん感覚が麻痺していって、10〜20年も経ったらCOVID-19より遥かに感染力の低い一部地域の流行病でも緊急事態宣言使われるようになるよ
そんなことあり得ない、なんていうバカは国会ですぐバレる嘘を118回も平気で口にする総理大臣が出てくるなんて20年前に冗談ではなく真剣に思ったことあったかを考えてみて欲しい。
個人のその時の気分で急激な加速をしてみたり
反対にゆっくり過ぎる速度で走ったりなどをすると
(これ余談ですが車間を大きく空けると
常に交通状況を把握して次の展開、
更にその次の展開を
出来ないことをしようとして
事故を起こしては元も子もありません。
また老齢ドライバーなども致し方ありません。
いつまでたっても一人前になろうとしない
さて具体的な事例は書くことが出来ていませんが
もしもここまで読んでいただいたときに
新しい視点が芽生えたのならば
私としてはうれしいです。
あというまでもありませんが
安全運転が最優先事項です。
その部分は間違った受け取り方を
していただきたくはありません。
誰にも迷惑をかけず、痛くも苦しくもなくただひっそりといなくなりたいと願っています。
幼い頃からの記憶が、辛かった思い出だけがよく残っていて、何度もフラッシュバックして辛くなります。
脳が冴えていると悲しいことばかり考えるので、アルコールや音楽、動画、漫画で脳を麻痺させています。
誰かに相談したくても、批判されるのが嫌なので相談できません。
暗い人間だとばれるのも怖いです。
空気を読むことが苦手なので、余計なことを言わないようにできるだけ喋りません。
私がいると気分を悪くさせてしまうので、できるだけ1人でいようとします。
支配されるのが怖くて他人に攻撃的になったり、壁を作ってしまいます。
犬は一番の理解者です。
■優れた教師は、生徒の卓越性を、達成されたレベルではなく、どのような進歩があったかによって評価します。誰もが改善できるので、誰もが成功することができます。
「Assessment for Learning」より
■成功は手がかりを残すことを忘れないでください。成功する人を研究します。効果的な行動を一貫して行い、優れた結果を生み出す能力を高める重要な信念を見つけてください
「Unlimited Power a Black Choice」より
■努力が成功への唯一の鍵であることを認識しなければなりません。真夜中の油を燃やす人々は、成功の甘い果実を味わいます。
「Descriptive English」より
■己の成功する能力を過小評価しているために、すぐに諦めたり、決して試みなかったりする学生がたくさんいます。
「Encyclopedia of Special Education」より
■成功には勇気が必要です。どんなに偉大な人も完璧ではないことを考えると、成功する人は遅かれ早かれ彼らの内なる敵に正面から立ち向かう人です。
「6 Years UPSC Civil Services IAS Mains Topic-wise Solved Papers」より
■己のパフォーマンスについて考えてはいけません。失敗への恐れを高めます。もちろん、失敗しないようにすることは、成功しようとすることとは大きく異なります。前者の場合の努力は、ダメージコントロールを行い、リスクを最小限に抑え、通り抜けることに向けられています。
「Punished by Rewards: Twenty-fifth Anniversary Edition: The Trouble with Gold Stars, Incentive Plans, A's, Praise, and Other Bribes (English Edition)」より
■あなたはまだいつでも成功するチャンスがあります。他の努力と同様に、成功するための最良の方法は、成功した人々を研究し、次に彼らを成功させるものをエミュレートすることです。成功した人々の特徴を研究することは必ずしも彼らがそうであるようにあなたを成功させるとは限りませんが
「Breaking Into Acting For Dummies」より
■確かに、物事が変わらない場所に到達しようとするのは人間の本性です。しかし成功ほど失敗することはありません。人としてだけでなく組織としても、もっと空腹になる必要があります。上昇するほど、限界を押し上げるのをやめ、現状を維持しようとする力が働くからです。
「The Leader Who Had No Title A Modern Fable on Real Success in Business and in Life」より
■なぜ成功しているのか、なぜ失敗しているのかを知ることは、改善の鍵です。しかしほとんどの人は、拒絶や不承認の恐れ、または批判の恐れによって麻痺しています。顧客に尋ねたり、簡単な質問をしたりすることを避けるために、あらゆる努力をします。
「Advanced Selling Strategies The Proven System of Sales Ideas, Methods, and Techniques Used by Top Salespeople」より
■失敗した人と成功した人の違いは、後者がもう一度試みたことです。早いほど良い。これは間違いありません。アプローチを洗練し、目標を明確にし、インスピレーションを深めるためのレッスンと機会が必要です。
「The New Confessions of an Economic Hit Man」より
■ビジネスにおいて、販売とマーケティングを学ぶことは非常に重要です。しかし、本当の成功を収めるには、まず自分を成功者として頭の中で見る必要があります。これを自尊心と呼んだり、自分のイメージと呼んだりする人もいます。
「The Power of Consistency: Prosperity Mindset Training for Sales and Business Professionals」より
■あなたはあらゆる方法で失敗しようとしたので、残っている唯一の方法は成功する方法です。起業家にとってのそれは常に最後に来るようです。
「Little Bets: How Breakthrough Ideas Emerge from Small Discoveries」より
■成功と失敗の両方について建設的な見通しを立てる一貫した成功がモチベーションを高めるための鍵です。単に成功体験を提供するだけではありません。モチベーションを高めるために、成功を経験するだけでなく、それを称賛する必要があります。
「Sport Psychology for Coaches」より
■起業家クラブに参加し、ネットワーキングイベントに参加し、志を同じくする人々と交流してください。またはあなたが望む種類の成功を収めている人々の本や自伝を読んでください。メンターを探すのもよいでしょう。成功に必要な考え方を身に付けられます。
「The Millionaire Fastlane: Crack the Code to Wealth and Live Rich for a Lifetime」より
とりあえず一度書いておこう
「痲」も「痹」も「しびれる」という意味だ
「痹」の字がなんかピンと来なかったのか、似た字形の「痺」に置き換わってしまった
「痲」も似たような字の「麻」に置き換わる
ところがややこしいことに、いわゆる「麻薬」の原料の一つに「大麻」が使われることがある
「麻薬」の方は本来は「痲薬」なのだが、「大麻」は植物のことなので、そのまま「大麻」だ
偶然、「麻」の字が一致してしまった
これは、しびれるような花椒のからさと焼けるような唐辛子のからさを指すから、本来ならば「痲辣」となる
一方、四川料理の代表格の「麻婆豆腐」の「麻」は、あばたという意味だ
こっちも本来は「痲」の字だった
でも、麻婆豆腐が出来た19世紀後半には、既に「痲」ではなく「麻」の字に置き換わっていたので
フリーターって言ってるけど同じ職場でずっとバイトしてるやつの方がまだマシで、俺は派遣とか日雇いスポットを転々としてるバックラー。
1日働いて1週間引きこもってシコったりしてる。根性がなくて頭も弱い。そんな現実に受け入れるのがさらに苦痛で、感覚を麻痺させるために更にシコる負のジレンマに陥ってる。
ここ数年頑張ったことといえばアナル開発で、アネロスでドライオーガズムに挑戦したが結局ダメだった。
人と喋れなくなった。職場で説明を求められた時に頭が真っ白になってパニックになって、最近「えー、あー」「あっあっ、」って人と喋ると自然と出ちゃう。自分でも何言ってるのかよくわからん。
日雇いで工場行ったことあるけどあれは無理だわ、俺普通にミス連発しててゴミ扱いだった。
日雇い先でパートのおばちゃん達がExcelで誤操作し、マクロのボタンが消えて大騒ぎしてたので、「戻る」を押して復旧したら喜んでた。
社会復帰できる気がしないわ。
出来るならしたいけどね。
クソみたいな友人がかわいくて甘やかしてるからクソさがどんどん助長されてどうしようもない
マッチングアプリで出会った相手の悪口と一緒に「増田は予約とかやってくれたりいいお店探してくれたりするのに、その最低限やってくれる男が全然いない」とかよく来るんだけど、私は最低限じゃなくてかなりのレベルを友人にやってるから麻痺しちゃってるだけなんだよ
いいお店の予約するだけって言ってもチェーン店やだとか、なんでもいいよって言ってるけどイタリアンじゃなきゃやだとか、好き嫌い多いのに一回嫌いなもの言っただけで相手が全部覚えてるとか、そもそも予約が苦手な人有り得ないとか、自分好みの店探して予約してこいやって簡単に求めるけど友人自身ができないことを無言で強いてるからかなりクソ
私は予約苦手じゃないし友人との付き合いが長いから好みとか知ってるし普段から店とか宿とか安くていいところ探すのが趣味だからできてるだけよ
他にも自分はプレゼントほしいやつ察して探してこいみたいなことするけどあげるプレゼントは無料でもらったやつとか割引きのレターセットとか、毎度遅刻するけど人の遅刻にはキレるとか、特典目当てでたくさん買ったいらないやつ売りつけてきたりとかいろいろあるけど許してるのは私だからだよ
舐められてるなーとは思うけどかわいいからまーいっかって思ってるよ
人に求める基準が高くなってこのまま彼氏できないまま歳をとっていくのが面白いのも正直ある(クソ)
30まで長く付き合って結婚しないで別れる彼氏ってこんな感じなんだろうか
彼女の人生の責任取る気ないしいつも「男が悪いね」とか「もっといい人いるよ」とか言って何も指摘しないまま甘やかすのって邪悪なのかな
ずっと君に伝えたかったことがある。どうか俺たちも、ラップでバトルをさせてくれないだろうか。
このことを言いたくて言いたくてずっとモヤモヤしていたので、今日は匿名で吐き出せる場所をお借りして、ヒプノシスマイクくんへの思いを伝えたいと思います。
ここ数日(いや数ヶ月)、ヒプノシスマイクのオタク界隈はザワザワしている。バトルシーズンだからだ。
今でこそ、界隈はそれなりにザワついている。けれどヒプノシスマイクくんはバトルシーズンの手始めに、高いクオリティと圧巻のパフォーマンスと配信であることを生かしきった演出と、何より演じている方それぞれの魂がこもった素晴らしいライブを見せてくれた。
昨年3月、コロナウイルスの影響によって配信にならざるをえなかったライブだって、もちろん素晴らしいものだった。でも今回のライブは、バトルであるという特性上「勝ちたい」という演者の方々の思いがビンビンに伝わってきて、その熱量とか気迫にグワッと心を掴まれるものだった。画面越しなのに、こんなに熱くなれる、こんなに泣いて笑えるエンターテイメントがあるのか。そんな風に思わせてくれるライブだった。
この配信ではじめて聴くことになった新曲たちも、そのチームらしさが全開だったり、逆に今までにない曲調や歌詞だったり、心を鎮めないと冷静に聴けなかったり、逆に中毒になったように再生してしまったり、「待ってました!」と手を叩いて喜んだり、逆に「こんな風に来るの!?」と度肝を抜かれたり、どれも本当に最高だった。
それぞれのバトル曲も、言葉の応酬と韻の踏み合いとそれぞれの信念のぶつかり合いを感じられて、どれも違う味わいながらも、たしかな満足の得られる仕上がりだったと思う。
視聴期間中、毎朝毎晩繰り返し観てもまだ足りないぐらい、プロフェッショナルによる最高のエンターテイメントを存分に味わわせてもらうことができた。関係者ご一同には、本当に頭が上がらない。早く円盤購入という形で感謝を伝えたい。
そしてここでは、観た人がどちらかのチームに一票を投じることができた。ひとつのライブにつき一票。単純明快で、シンプルな仕組みだった。
「良すぎて選べない」という贅沢な悩みこそあれ、最終的に投じる票はひとつしかない以上、どちらかを選んでボタンを押すしかできなかった。
そしてこの時点で我々は、この一票が後に控えた投票形式での「一票」と同じ重みとして扱われるのかどうか知らなかった。(と、記憶している)いま思うと、それが不穏な空気の前触れだったんだろう。
最高なライブの余韻の醒めないまま、現金を投票券に換えてCDを積む形式のバトルが始まった。
前回のバトルでは、街からCDが消えたとか、相手チームのファンを装ったアンチが偽装工作をするとか、「〇〇のアニメイトにはもうCDがありません!」みたいな虚偽の情報が流れたりしたらしい。それは怖いな、と思っていたけれど、個人的な印象では、案外そうでもなかった。
後から判明したところによると、「サイレント投票」といって、相手方に悟らせないように黙々と積むことが推奨されていたらしい。投票期間が終わると、「微力ながら〇票を投じました」というCDタワーの画像がタイムラインに乱れ咲いていて、なるほどこれが令和のバトルか、と思った。
まあでも、外から見ている分には、比較的穏やかなまま過ぎていった期間だったように感じられる。
そのCD積みバトルが終わった段階で、中間発表をするのだと言われていた。
正直、なんでだろうとずっと不思議だった。戦いの火蓋が切って落とされた当時、我々は三次投票にあたる「VRバトル」の詳細を知らなかった。MAX一人6票らしい、というような情報はあったかもしれない。
とすれば、中間発表で僅差でも大差でも、ファンの母数が急激に変わらない以上、結果に大きな影響は与えられないだろうに。それなら、たくさんCDを積ませるためにライブでの投票が終わった時点でいちど結果を出せばいいのに。
不思議なことをするなあ、という疑念を抱きつつ、「VRで積めない可能性があるなら、実質CDで勝負するしかない」と覚悟して積んでいる方々を見て、そういうものだろうかとアッサリ流していた。
で、中間発表があった。大差のついた戦いと、僅差の戦いと、逃げ切り/逆転を狙いたくなるような戦いがあった。(これ、あまりにも綺麗な分かれ方だったけど、ヒプノシスマイクくんの予想通りだったんだろうか)
そして中間発表と前後して、「VRでも積める」ことが判明した。しかも、一票あたりの単価が最もお得だ。(ライブはたしか四千円ぐらい、CDが二千円、VRは千円)そして、金額によって票の重みが変動することはないらしい。たぶん。
阿鼻叫喚、ってこのことか、と思った。タイムラインを眺めていると、めちゃくちゃに人間の感情が乱高下していて、見ているだけで酔いそうな感覚になるほどだった。
すでに(単純計算で)十億円を超えるカネが動いていて、その上まだ、ヒプノシスマイクくんは人のカネと感情を動かすつもりらしい。
せめて少しでも巻き返したい、という気持ち。
なんとか逃げ切りたかったり、猛追して逆転したかったりする気持ち。
同じチームを応援する者同士の連帯感が高まる一方で、自陣への不信感を募らせたり、相手方への攻撃に転じたりする心情だってある。そして、今まで投じてきた票の意味を自問したり、疲れて何かが折れてしまう気持ち。
金銭によるバトルをはじめて間近で見る身として、ものすごい世界だなあと溜め息が漏れた。
中間発表の形式やタイミングは、ここまできて振り返ると、それなりの合理性があったのだろう。
単に「VRも始めたからみんな観てね」って言うよりも、ずっと効果的に多くの人にアプリのインストールやプラットフォームへの会員登録をさせられる。
「現金」や「CD」という物理空間での制約を受けない形式での投票は、よく言えばエコだし、わるく言えば金銭感覚をより麻痺させる。
「中の人」を表に出して結果を発表するグロテスクさだって、結果的にはこの札束バトルを過熱させる要因のひとつになっている。
ごく個人的見解では、収益化のうまいコンテンツは見ていて信頼できる。そういう意味で、カネの集め方や人の心理の誘導の仕方として、ヒプノシスマイクくんには一定の信頼を置いている。そのうえで、私は思うのだ。
ダッセーーーーー!!!!!
と。
ダサい。あんまりにもダサい。やってることが格好悪い。ヒップホップってもっとイカした世界観じゃないのか?ここは昭和でも平成でもなくて令和、あるいはH歴じゃないのか?なんでこんなダサい商法を、君は性懲りもなく続けられるのか?答えてくれ、ヒプノシスマイクくん。
ヒップホップとか、ラップミュージックの歴史にあまり明るくない人間でも、少なくともこのジャンルは「富める者によって独占されるべき音楽」ではないんじゃないかと突っ込みたくなってしまう。資本主義が一番偉いから、カネや地位や権力のない人間は虐げられて一生地べたに這いつくばってるべきだっていう世界に反逆できなくて、何がペンは剣よりヒプノシスマイクなんだ?教えてくれ、ヒプノシスマイクくん。
私には純粋に、それが疑問なのだ。コンテンツの維持にはお金が必要なのは百も承知で、それでもなお、音楽(あるいは魂)の在り方と商法の相性が悪くて、これじゃああんまりにもダサいんじゃなかろうかと思ってしまうのだ。ダサすぎて仕方なくて、コンテンツとして廃れてしまうんじゃないだろうかと思って、そこに私はずっとヒヤヒヤしているのだ。
だから、私は提言したい。せめて、俺たちもラップで戦わせてくれ!と。言葉がいまやマシンガンであるなら、ライムが脳漿をかき回せるなら、金銭以外のフィールドでも戦わせてくれないだろうか。
たとえば、CDを買ってシリアルコードを使って普通に投票すると、それは一票としてカウントされる。でも、リリックを添えて投票すれば、それが二票としてカウントされる。そういう仕組みはどうだろう。
こういう仕掛けなら、お金はあるけど時間のない人は、CDをたくさん買って黙々と投票すればいい。逆に、時間はあるけどお金のない人でも、リリックを練り上げることで力添えができる。今までたくさんヒプ生で学んできた知識も生かせるし、日本語を母語としない人でも参加できるんじゃないだろうか。
日本語ラップは押韻判定が難しそうだけど、それを見極めるために人が雇われれば雇用の創出になるし、AI的なシステムを作ればラップの発展に貢献できるかもしれない。
今までプロとして歌詞提供してきた方々も、ひょっとしたら参戦してくれるかもしれない。それを見て、まだヒプノシスマイクに触れたことのなかったラッパーの方も、面白いと感じて参加してくれるかもしれない。総力戦である。
こうなってくると、同じ「二票」になるのなら、CD二枚を買うのではなくてリリックを考えることを選択する人も出てくるだろう。演じている方への愛を伝える手段としても、体温のこもった一票を投じることができるというのは、悪い選択肢ではないはずだ。
それで、できれば、そうやって集まったリリックを選び抜いて、それを楽曲に使ってくれないだろうかと思うのだ。
それもまた、想像すら及ばないほど難しいものなんだろうということは、今まで世に出てきたヒプノシスマイク楽曲を聞いていればわかる。一連の曲の中で無駄なフレーズなど一つもないほどに、リリックというのは緻密に組み上げられているのだ。
でも、たとえワンバースであっても、自分のリリックが使われるかもしれないという可能性が見えていたほうが、ずっと張り合いがあるしドリームがあるじゃないか。CD一枚、二千二百円に全身全霊をこめたリリックを乗せて票として投じて、それが「推し」のパンチラインになるかもしれない。そんなビッグドリームを抱けずして、何がヒプノシスマイクなのだろう。
ラップミュージックは、その人の人生を背負う音楽なのだという。だとしたらやはり、キャラクターへの愛やヒップホップへの造詣の深い人がより力を持つ投票の仕掛けとしても、リリックバトルをやってみてくれないだろうか。きっと面白いだろうから。それで盛り上がる世界を、私が見てみたいから。そんなムーブメントを巻き起こせるだけの力がヒプノシスマイクくんにはあると、私は特段の根拠もなく信じているから。
数年後には、「来たぜホンモノのDRB(絵文字) 燃やせ闘志入れてけよ気合い(絵文字) リリックバトルこれこそ新時代(絵文字)」みたいなフザけたお知らせとともに、本気でリリックバトルをブチ上げて欲しい。そういうヒプノシスマイクくんであってくれると嬉しいなと思っている、一人のファンの気持ちでした。
なんだかんだ言いつつも、私はこのバトルシーズンをそれなりに楽しんでいるので、まずは今のバトルの結果を最後までキッチリ見届けたいと思います。
少なくともこれに関しては、痛風発作を経験した私(男性)からすると、笑っちゃうような、でたらめな俗説だとわかる。
↓↓↓
女性は出産の際に、鼻の穴からスイカを出すような激痛に耐えて子供を産むらしい。その痛みに男性は耐える事が出来ず死んでしまうそうで、女性の方が痛みに対する耐性は高いそうだ。
↑↑↑
で、その鼻の穴からスイカを出すような激痛は何ヶ月続くんですか?
何ヶ月も続かない?では何週間続くのですか?
何週間も続かない?では何日続くのですか?
痛風の痛みは骨に五寸釘を当ててトンカチで打ち付けるような激痛であるが、呼吸する度に、心臓が脈打つ度にその激痛が走る。
首をちょっと動かしても痛い。口や顎をちょっと動かしても痛い。何もしなくても痛い。
それは場合によっては一ヶ月以上続く。朝も夜も。
痛すぎて「いてえよぉ、いてえよぉ」しか言えない。
20時間ぐらいそれが続くと、脳が麻痺してほんの少し痛みがやわらぐ。そこで気絶するように眠りに落ちる。そしてあまりの痛さに目が覚める。
それが一ヶ月以上続く。
一ヶ月以上続いた後、ようやく痛みが引いて起き上がると、枕の上に、抜け落ちた髪の毛の束が鳥の巣のような形になっていた。
ウマ娘をプレイすることに葛藤がある話 - とらじぇでぃが色々書くやつ
https://tragedy.hatenablog.com/entry/2021/04/24/071120
読後はもう「あのさぁ…」って呆れしか出ないんだけど。
「シンデレラグレイもどこも書店探しても無い!めっちゃヒットしてて流行ソシャゲに乗れて嬉しい!」ってウッキウキしてる癖に「競馬は悪!生まれてくる競走馬は可哀想!すぐに競走馬の生産はやめるべき!」ってさ……
そりゃあんたは現行の競馬を知らずに過去の名馬の物語の後追いしてるだけだからいいよなあ?なら未来の事は知ったこっちゃないってか?
だけどこっちは現行の競馬にウマ娘のようなエモさや感動を覚えてんの。
これ見ろや。こんな感じで10年前から毎週毎週競馬見てんだよ。
https://anond.hatelabo.jp/20210430113006
なのにウマ娘になった以前の競馬の物語消費は良くて、それ以降の競馬は馬が可哀想だから生産やめろってなんやねん。お気持ちでウマ娘ストップさせたい競馬ファンと同じじゃん。
てか「競馬はだめだけどソシャゲは綺麗なギャンブル」ってなんやそれ?
サイゲなら散々モバマスが射幸性を煽る危険なゲームだってニュースになったやん。んでサイゲがその金を広告費にじゃんじゃん注ぎ込んでそのマスコミを黙らせたやん。
それに麻痺させられてソシャゲは大丈夫なギャンブルなんだ!ってなったんか?まあ爽やかCM打ってるJRAも大概やがお前のやってるソシャゲだって綺麗なギャンブルなんかじゃないぞ。
元ネタに敬意を払えとかみみっちい事は言わないけどよお、その元になったものをこき下ろして「でもウマ娘はやめられない」ってアホちゃうか。だったら最初から苦手意識のある競馬なんて題材を元にしたゲームなんてやるんじゃねえよ。
ウマ娘が流行してこういうオタクの動物愛護のお気持ち表明が出てくるのは想定してたけどよお、流石に表面に出過ぎだわ。
元ネタにモヤモヤ感じるなら垂れ流す前に辞めろ。そんでもって元ネタを貶すな。
家族は知的障害者であり、足も悪く歩き方が変だ。喋り方も変で、麻痺があって聞き取りにくい。話す内容もなんかおかしい。常に家族の服の裾を掴まねば歩けない。しかも想いきり猫背。一見一聴して「あ、この人障害者なんだな」とわかる。
身なりはみすぼらしい。髪もボサボサ(家族がどれほど手を入れてもこうなってしまう)、挙動不審。
今日、そんな家族と久しぶりに外を出歩いた。家族の醜態、一緒に歩いている自分が恥ずかしくて顔から火が出そうだったし、これ以上なくイライラして、家族にキツく当たり(なんでもっと早く歩けないんだよとか)自分の惨めさを嘆いた。何がアレかってね、家族に対してそんなことを考えている自分がもう最悪最低人間のクズっていうね。わかっちゃいるけど湧き上がる感情
爆発しそうなイライラと家族からの力ないヘルプコール。自分は自立できなくなったらすぐ死のうという思いが強まっていく
はーーーーーーワイ最低すぎワロリエンヌ
普段はまだ見ぬVTuberさんの新規開拓をしながら、3人くらいのVTuberさんの配信や動画を追いかけている。
しかし、最近複雑な思いから何人かのVTuberさんの配信を見れなくなった。
その理由をお気持ちとして書く。結論を言うと、私は彼らに自分を歪められたのだと思う。
普段は3人くらいのVTuberさんの配信や動画を追いかけている。彼らは皆万単位の登録者を持ち、自身の単独イベントを開催した人もいる。
一人は個人勢であるにも関わらず、イベントの開催に際して誰もが知っている企業やクリエイターと協力し、複数の企画を立ち上げ大規模な単独イベントを開催した。今思い返せば、それらはイベントから派生した企画ではなく、全てをひっくるめて一つのお祭りだったんだなと思う。
一人は自身の単独イベントだけでなく、自分たちのグループ全体の一大イベントにおいても中心的な役割を果たしていたという。自分が関わるものに対する熱意と責任感を持っており、人を楽しませることに命をかけている人である。体を大切にしてほしい。
彼らはとても頭がいい。つまり、コメントやコラボの相手、配信内での出来事に対して即座に、的確で、面白く、予想の斜め上を行く返しを出すことができる。私はそんな彼らの切り返しの数々を受けて笑い、時には驚いている。
また、彼らは自身のファンが求めているものをよく理解しており、多少回り道をしても最後には求めているものを提供してくれる。いわゆる解釈が一致しているという状態で、だからこそファンである私は安心して配信を楽しむことができている。この裏にはVTuber側のたゆまぬ努力とセンスがあるのだろうが、彼らはそれを口にしない。
彼らは最初からそうだったのかというと、部分的にはそうであるにしろ、配信を始めてから培った能力が大きいのだと思う。実際、彼らの初めての動画の投稿を見ても今の方がはるかに良くなっている。(昔は昔でよい)
そんな彼らと比べて私には何ができるのかというのが気になった。
私は話すのは苦手だし、話も面白くない。声もきれいな方ではないしすぐ声がかすれてしまう。この数年やっていたことといえば仕事とVTuberの配信や動画を追いかけること、ゲーム、お菓子作りくらいである。ゲームは好きだけれど、プレイは上手ではないし先を推理しながら進めるといったこともできない。
彼らは配信を通して自分の技術を高めVTuber同士のつながりを強めているのに、それを見ている私は数年間何も変わっていない。
そのことに最近気がつき、そのギャップを抱えていることがいたたまれなくなり、彼らを「眩しい」と感じるようになってしまった。その結果、彼らの配信を見ることに抵抗を感じるようになった。
単純なゲームプレイの配信であれば視聴できるが、彼らの非凡な考えや能力が垣間見えるような場面に出くわすと即座に配信を閉じてしまうようになった。特に、イベント後の振り返りの配信は今でも怖くて見ることができない。
数年前にVTuberというコンテンツに出会い、今となってはVTuberなしの生活は考えられなくなってしまったためとても困っている。
一方、不思議なことに、眩しいと感じる相手に対して「失敗してほしい」「これ以上高みに行かないでほしい」と思ったことは一度もない。彼らを応援する気持ちは変わらず、彼らが求めているステージと私が求めているVTuber像が合わなくなったならば私はファンを辞めるべきだと考えている。
配信を提供する人と私という構図は、映画を作っているピクサーとそれを見に行く観客の構図と同じで、観客がピクサーに引け目を感じてしまうということは普通あり得ない。
もしそこに何かしらの劣等感を感じているのだとすると、それは観客が映画を作る人である場合だと考えた。VTuberにどっぷりと浸かった結果、私は自身を配信する人の目線で評価したいのかもしれないと思いついた。
だから、一度配信をしようとして、配信に必要な機材(PS4だけでも配信できるんだね)やボイスチェンジャー、動画の作成方法、既存の配信者や動画投稿者の画面構成やリアクションを取り方を調べた。
その結果、お金で解決できるものについては問題ないことが分かった。ハイエンドなPCや回線は始めるだけなら不要だと思った。しかし、
2. 面白く話を話し続けること
は私にはなく、結局自分には向いていないと考えた。
1は根気の問題で、自尊心をマイナスからゼロに上げるために配信を続けるのは心を保てないだろう。
2は私にとって特に不適だ。調べる過程で色々な芸人さんやYouTuberさんの動画を見たが、過去のエピソードの大事な部分を覚えておくことと、それを適切なタイミングと順序で出すことが大事なんだなと思った。後、面白い人っぽい雰囲気を出すのも大事だと分かった。
3はいわゆる一芸に秀でるというもので、これまでメジャーな娯楽を漁っていた私が出せるものは特にない。一番詳しいものも人に説明できるほどよく整理できていない。
調べていく上で、いわゆる底辺配信者、底辺VTuberと呼ばれる人々の動画を見ることがあった。
彼らは登録者数が数十人であり(見ず知らずの数十人から注目されているというのはすごいと思うので感覚が麻痺している)、実際普段見ている動画と比べても確かにクオリティが低いなと思うところがあった。(例外は時々いて、完成度の高い動画を上げている人も多い)
しかし、出会った配信者さんの多くが数か月以上配信を続けており、きっと彼らはそれが楽しくて続けているんだろうなということが感じ取れた。
また、それができない自分はそれよりもはるかにレベルが低いんだなと思った。
一度この「眩しさ」に気がついてしまうと、あらゆるものが眩しく見えるようになってしまった。
他のVTuberさん、Twitterでよく見るイラストレーターさんやよく分からない謎のガジェットに詳しい人、ニコニコのランキングに載っている動画、バズったnoteやはてなブログの記事、そういったものをまとめてTogetterのランキングに載る人など、自分が面白いと感じるものから自分が責め立てられているように感じる。
ここでもよく告発や愚痴がある。勤務している人間の悪口とか特にそうだ。
NTTの退職と内部事情暴露なんかもちょい前に流行ったじゃないか。ああいうのね。
上の存在から「お前が書いてるのはわかっとるんやぞ。はよ消さんと法に訴えるで。」と脅されて渋々消すパターン、はてな運営に通報かなんかして消させるパターンとかね。
ネトゲで課金絡みのトラブルに自分の顔を焼いて訴訟した人も、ある日突然「和解しました。」とだけ書き残してブログ消した事があった、それもきっとそういうことだ。
今ウマでブンブン鳴らす天下のサイゲの裏事情書いた増田も、サイゲから訴えられて消されたそうじゃないか。いやまあ、これは又聞きだから話半分でいいよ、そういうのを増田で見ただけだから。
え?消えてない告発や暴露もあるって、そりゃまあ、一つは企業や政府から「取るに足らない」と判断され泳がされてるパターンね。
NTTの件は大体があんま立場の強くない人だったし。使い捨て可能な奴隷が何言おうと、誰も信じねーよと企業や政府が余裕ぶっこいてるパターン。
普段、文章を書きも読みもしない人間が、備忘録がてら書こうと思ったこと。その昔、10年ほど前のことを思い出したという話。
解離性健忘、解離性遁走、離人症、…多分一番取り上げられるのは、解離性同一性障害(DID)についてだろう。
今回は、そのどれでもなく、あまり語られないその他の解離性障害について、当時の経験を書こうと思う。
かなりの主観で書いているので、親サイドで見るととんでもない傲慢で独りよがりな子供の話であることだけは、免罪符として先に言っておこう。
少し自身のことを掻い摘んで記しておく。一つずつ語るとまぁ長いので、ざっくりと箇条書きで。
・少し裕福な家庭で育った
・きょうだいの一番上
なお、家族の名誉の為に表記しておくが、「家族から愛情を持って育てられていた」のは間違いなかろう。
家庭環境については、外から見れば良くも悪くも普通の家庭だった。自分にとっては、休まることのない家だったというだけである。
ここについては語るとキリがないので割愛。
中学、高校と相次いで不登校になり、高校で出席が足りずに退学した。
学校に馴染めなかったのが理由だと思っていた当時だったが、家庭環境が合わなかった、性自認やそれ関連のトラウマという理由も含んだものであることを、年が経つと共に察することになる。
朝起きられない、一日中寝ていて起きたら次の日の朝だったという日もあれば、朝まで眠れない日もあり、食事を受け付けないかと思えば、いくら食べてもお腹が満たされないこともしばしば、身体がひたすらだるい…と不健康極まりない毎日を過ごしていた。
出席が足りずに退学したとはいったものの、部活だけは好きだったので、時折顔を出していた。全然学校にも来てない、部活にも不定期にしか来ないのに受け入れてくれた。
あの時、不満を言わないでいてくれたばかりか、こちらの安否を心配してくれていた顧問の先生と友人には本当に感謝している。
同級生が引退する時期に、一緒に"引退"し、その年の冬に高校を辞めた。
この時期、何度か心療内科とカウンセリングに通っていた。親がドクターやカウンセラーと話をし、その後自分ひとりで話をする……はずだったのだが、毎回何を言って、何を伝えたらいいのか分からず、そのまま診察の時間は終わった。
心療内科のドクターからは「なんでもいいんですけど、自律神経失調症で診断書出しときますね」とダルそうに告げられ、カウンセラーからは「あなたが悪いわね」と言われたのは、よく覚えている。
当時、既に無気力ではあったといえ、大学進学という目標があった。高校の部活の顧問の先生がとても良い先生だったので、教師になりたいと思った。
教育学部に進学したいという、高校を辞めた身としてはなんともな目標ではあった。
高卒の資格がないと大学には進学できない。在学中に通信制や夜間への転入も考えたが、同級生と一緒に大学進学を果たしたかったので、高卒認定を受けることに決めたのが、18歳の夏。
その年の秋に高卒認定を取得し、センター試験を受け、二次試験に合格する……といった算段だったのだが、志望校はセンター試験できわどいライン。
二次試験はかなり難しい学科なのでほぼ無理ゲー。諦めて浪人することになった。
予備校に通うことになった。有名予備校でなく、個人事業主がやっているところ。何でそこを選んだかは覚えていないが、教える内容は"勉強"というより"思考"そのものだった。事務所には漫画が置いてあって、マスターキートンをハマって読んでいた。何故か13巻だけ無かった。
予備校には色々な人がいた。いわゆる陽キャな子、5浪ほどしている人、社会人から出戻りして大学進学を志望する人、モデルをやるといって辞めていった子、いつの間にか来なくなって近場のパチ屋で見かけたと噂が立っていた子。
人付き合いが苦手な自分は、ここでも浮いた。孤立も慣れたもんだと思いながら入校してひと月ほど経った頃に、それは起きた。
中学生の頃からの身体の不調も相まって、朝起きられないというのが常態化していた。
朝起きても、身体がだるくて昼過ぎまで布団に入って寝ている。夜は眠れないし、一度寝たら起きられないというのが中学や高校の頃の不登校事情だった。だが、その日は違った。
意識ははっきりしている。右手で携帯を探す。ここまでは良い。左足が動かない。痛い。神経が締め付けられているような痛み。じわじわと熱くなるような感覚が、上半身に上がってくる。
痛みと眠気でぼーっとする中、徐々に左腕が痺れる感覚に陥る。左半身が動かない。
起きないと、いつものように親に怒られる。そう思いながらも身体が動かない。案の定、怒られた。辛うじて、身体が動かないことを伝える。
呆れた顔をされたが、微妙な理解を得られたのは覚えている。この症状は、土日の間続いて、徐々に消えていった。
それから一週間ほど後、今度は予備校で自習をしていたところに同様の症状が出た。流石にヤバいと察されたのか、親が迎えに来て、大きい病院の緊急外来に直行した。
身体症状が出ていたので、最初に外科の検査、その後脳の検査(案の定だがここが一番検査に時間がかかった)、最終的に精神科となった。
どこの診療科に行ってもハンマーみたいなものでコンッとされて、「痺れてるのに動くやん…」となったのは覚えている。あのハンマー、なんかの授業の時に見たなぁとぼんやり。
入院して数日くらいで左半身の痛みや痺れは緩和され、日常生活に支障がないくらいに落ち着いた。
退院して帰ってもいいと言われたが、家に帰りたくないとわがままを言って、後一泊だけさせてもらった。後日、親にお金のことを口酸っぱく言われた。
入院中に、精神科の先生から小さいころの話を尋ねられた。心療内科やカウンセリングで言われた時と違って、妙に詳しく話せたことは覚えている。
それをふまえて、「一度別の病院で心理テストを受けてみませんか」と打診された。この時点で詳しい人は分かるだろうが、これは解離性障害のテストじゃない。
精神科の先生曰く、「まだ脳の病気の可能性があるので、身体症状については断言できない」ということで、とりあえず心理テストを受けに行くことになる。
ここで診察をしてもらった精神科の先生が、その後7,8年の間お世話になる人である。
心理テストを受けに行くまでに数ヶ月も間が空いた。単に初診の予約の問題だ。それほど、受診する人が多いということである。大変な職業だ。
この数ヶ月の間にも、再度MRIを受けに行ったり、なんかよく分からん検査を別の病院に受けに行ったり(これは本当に何だったのか思い出せない)したものの、結局何も異常がなかった。
結局何も異常なかったじゃんと言わんばかりに、この頃から親からの風当たりが更に強くなった気がする。
心理テストは小学校の時にやったものの延長といった感じで、楽しかった。
空間認識か図形かなんかのテストで高い数値を出したらしく、先生に「学会で発表していいですか!」と興奮気味に言われた。
結論を言うと、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だったのだが、なんか褒められたのが嬉しくて、グラフがギザギザな診断結果の紙はお守り代わりに取っている。(追記:嘘。今確認したら所在が分からなくなっていた)
色々と話が逸れた。
・うつ病
脳の検査や心理テストやカウンセリングやら色々やって、こういう診断となった。身体が動かなくなってからこの間、半年ほど。
発達障害については「ほーん」という感じで深く考えていなかった。人間関係だけでなく勉強の面でも思い当たる節があったので、どこか腑に落ちたのだろう。
解離性障害についても、この頃には既に左半身の症状も落ち着いていた。うつについては、中学生の頃からだろうという見解だった。
とりあえず受験が第一だったので、何か困ったことがあればまた来てくださいね~という感じで通院終了。
無理が祟ってうつが悪化し、更にストレスで声が出なくなり(これも解離だったそうで)、それによって教員への道も就活も諦めたり、再度病院のお世話になったりしたのはまた別の話。
教育実習を控えた直前のことだったので、担当の教授にめちゃくちゃ頭を下げに行ったらすごく慰められたのはある意味救いだった。
余談だが、身体が動かなくなったということで運転免許を取る時に適性検査がすごく面倒だった。大事なことなんだけどね。
いかんせんマイナーな例なので、免許センターの警察の人にも「?」という顔をされたし説明も難しい。これについては、今も忘れた頃に診断書提出に関しての連絡が来る。
解離性障害には、解離性健忘、解離性遁走、離人症、解離性同一性障害などあるが、一度解離の症状が出ると他の解離の症状も出やすくなるそうだ。
高校生の頃に友人に「たまに別人みたいになるよね」と言われたのも、予兆というか症状だったのかもしれない。
よく多重人格だとか言われる解離性同一性障害についても、自覚しているくらいにはある。ここでは「自覚症状がある」という程度でしか判断が出来ないので割愛する。
診察の直前まで「今日こそ言う」「今日こそ文章で書いて渡す」という意識はあるのだが、いざ診察室に入ると封印されるかの如く、忘れてしまう。そんな感じだった。
遁走・健忘については、覚えているだけで一度だけ「来るまでの記憶がない」といったことがあった。
過去の期間において記憶がすっぽり抜けているというのはちょいちょいとあるようだ。(10年前の脳の検査の話も最近思い出したところ)
過去についてはトラウマは鮮明かつ歪んで覚えているのに、全体としてみると「あの時しんどかったなぁ」とぼんやりしてしまうものだろうか。そこら辺は、ごくごくありふれたことなのだろうなぁ。
うつも寛解して数年。解離については麻痺したり、声が出なくなったりなどといったものはあれから出ていない。あれからどうやってこう生き延びているのか、不思議ではある。
ここまで書くのに余計な事をいちいち思い出さないで済むようになったという点では、丸くなったものだ。
また覚えていたら、今度は死生観について書こうと思う所存。
では、これにて。