はてなキーワード: 生業とは
思いつきで返してるだけなのはそっちやろw
だからさあ、この女はレストランなわけ?芸をさせて対価を払うことを生業にしてんの?
物事に真摯に向き合えず、すぐ例え話出さないと思考できない奴って本当に馬鹿だよな
で、それがガイドってわけだ
人一人を数時間こき使う対価が「タバコ一箱」で十分だと判断してるわけだな、「物乞いだからその程度で十分だろう」と
本当に同じ人間、対等な立場であるんだとしたら取材協力費として妥当な金額を払うべきだよな
お前は差別ではない差別って言った方が差別って言いたいだけのアホじゃん
この女は大阪の就労支援NPOで働いてた経験があり、明らかに無知なわけではない
いつも読んでくださってありがとうございます。あのコメントは、彼女が10年に渡って大阪の現場で就労支援や社会復帰サポートのお仕事をされてきた経験があるから書けること(そうじゃない場合は同じことを出来ない)と思って書いていたのですが、言葉足らずで単純な賞賛として拡散してしまったなと(続 pic.twitter.com/81GCdUuP3n— 塩谷 舞 mai shiotani 💭 (@ciotan) April 15, 2021
はなから西成にいる人間をそういうものだと思ってるカスなんだよ
もちろん冒頭に出てくる西成が初めてという言及もおそらく大嘘なわけ
ローカスが言ってるように、そもそもあのエッセイ自体全部作り話、所謂「嘘松」の類であるってのが濃厚な線だと思うけどな
大阪市からPR仕事を受けて新今宮に行ったら僅か2日の間にたまたま奢ったり奢られたり銭湯に2度シャンプー持たずに行き2度とも見知らぬ人が察して貸してくれたり袋の中でなぜかジュースがこぼれて困ってたらホームレスの人が助けてくれてついでに100円せびられた流れでその人とデートをしたりした話。 https://t.co/OKcupTRB4g— ystk (@lawkus) April 13, 2021
『外交時報 第八十四巻』昭和十二年、外交時報社、pp.47-56
篠田治策
明治四十年(千九百七年)十月十八日海牙に於いて調印せられたる開戦に關する條約第一條によれば、一國が他國と戦争を開始するには理由を附したる開戦宣言の形式又は條件付附開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭且つ事前の通告をなすことを要す。故に現在北支及び上海方面に於いて進展しつゝある日支両國の戦闘は、理論上之を日支戦争又は日支戦役と称すべきものに非ずして、事變即ち北支事變、又は上海事變と称すべきものである。我が政府の公文にも新聞紙の報道にも総べて事變の文字を用ゆるは之れが為めであると思はる。換言すれば宣戦の布告を見るまでは、戦争又は戦役と呼ばずして軍に事變と称し、両國間の國交は断絶せざるのである。之れを先例に徴するも、明治二十七・八年の清國との戦、明治三十七・八年の露國との戦、世界大戦参加による青島攻撃戦等は、之れを日清戦争(戦役とも称す以下同じ)、日露戦争、日独戦争と称し、明治三十三年の義和団事件、近年に於ける済南出兵、上海出兵、満州出兵等は、総べて之れを事變と称したのである。
此の招呼は従来何よりて定まりしか詳知せざれども、現今に於いては確然明白に区別せらるるは、政府の公文或は法規等にも「戦時事變に際し」云々等の文字を用ゆるも明らかである。故に日支両國の何れかより
<四七>
宣戦の布告若くは條件附開戦宣告を含む最後の通牒あるまでは、如何に大部隊の衝突あるも未だ事變の域を脱せずと謂ふべきである。猶ほ八月二十三日ワシントン發の同盟通信によれば、アメリカ國務長官コーデル・ハル氏は、今回の北支事變に際しては終始冷静な態度を持し形成を注視しつつあつたが、二十三日午後聲明を發し、日支両國政府に対し「戦争行為に訴へぬよう」要請した由である。二十三日は我が陸軍の部隊が上海附近に上陸を開始した日である。即ちハル長官も現在の日支両軍の戦闘行為を以て、未だ戦争に非ずと見て居るのである。然れども、我が政府は最初に宣言したる事件不拡大の方針を余儀なく抛棄したるのみならず在外艦隊司令長官は支那船舶に対し沿岸封鎖を断行し、支那も亦縷々大部隊を動員して攻撃的態度を採りつゝあるにより、或は近き将来に於いて事變を変じて戦争となるべき可能性ありと信ずるのである。
我が國の國内法に於いては事變と戦争を区別せざる場合多く、例へば出征軍人の給奥、恩給年限の加算、叙勲に關する法規など総べて事變と戦争を同一に取扱ふも、國際法上にては事變と戦争は大なる差別がある。
即ち現在の事變が変じて戦争となれば、日支両國は所謂交戦國隣、共に戦争放棄を遵奉する義務を生じ、同時に中立國に対しても交戦國としての権利と義務を生じ、中立國は皆交戦國に対して中立義務を負担するに至るのである。語を換へて言へば事の事變たる間は必ずしも國際法規に拘泥するの必要なきも、一旦戦争となれば戦場に於いて総べて國際放棄を遵守すべき義務を生ずるのである。然れども事變中と雖も正義人道に立脚して行動し、敵兵に対し残虐なる取扱を為し、良民に対し無益の戦禍を蒙らしむるが如きは努めて之れを避くべきは言を待たずである。此の點に關しては、皇軍は我國教育の普及と伝統的武士道精神により、毎に正々堂々たる行為を以て範を世界に示しつゝあるは欣快である。嘗て済南事變の際支那兵が邦人に
<四八>
対する残虐視るに忍びざる殺戮行為、今回の通州に於ける邦人虐殺行為等天人共に許さゞる野蛮行為に対しても、敢て報復の挙に出づることなく、飽くまで正々堂々唯だ敵の戦闘力を挫折するに留めたのみである。故に皇軍には戦場に於いて事變と戦争を区別する必要はない。何れの場合にも武士道精神に則り行動するが故に、戦争違反の問題を生ずることは殆んど無いのである。
従来我が陸軍は戦場に於いて戦時國際法適用の万全を期せんが為目に戦時國際法の顧問として日清戦争には故有賀長雄博士を、日露戦争には第一軍乃至第四軍に何れも二人づつの國際法学者を従軍せしめたのである。日清戦役後仏國の國際法学者にして同國大審院検事長たるアルチュール・デジャルダン氏は日本軍の行動を激賞し左の如くに曰つた。
東洋の僻隅に大事業を成就すべき一國あり、之れを日本とす。其の進歩は単に戦争の術に止まらず、戦時公法の理想に於いても欧州をして驚嘆せしむるものあり。國際法論は欧州に於いても漸を以て進みたるものなるに、日本は一躍して此の論理を自得したり。是れ果して高尚なる正義を感得したるに因るか將た又利害を商算したるに因るかは別論に属すと雖も、其の之れを寛行するや極めて勇壮にして、恰も自國の能力を覚知する心念の中より適宜に之れを節抑するの嗜好を自然に生じたるものの如し。是れ人類一般の利益として祝す可き所なり。
又仏國の國際法学者ポール・フォーシル氏も、當時日本軍の行動を評して左の如く曰つた。
此の戦役に於いては日本は敵の万國公法を無視せるに拘はらず、自ら之れを尊敬したり。日本の軍隊は至仁至愛の思想を體し、常に慈悲を以て捕虜の支那人を待遇し、敵の病症者を見ては未だ全て救護を拒ま
<四九>
ざりき。日本は尚ほ未だ千八百六十八年十二月十一日の聖比得堡宣言に加盟せずと雖も、無用の苦痛を醸すべき兵器を使用することを避け、又敢て抵抗せざる住民の身體財産を保護することに頗る注意を加へたり。日本は孰れの他の國民も未だ會て為さゞる所を為せり。其の仁愛主義を行ふに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民の租税を免じ、無代償にて之れを給養するに至れり。兵馬倥偬の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は擧げて行はざる無し。見るべし日本軍の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを、云々。
日清戦役にては敵軍は全然國際法を守らざるが故に、我軍にても之れを守るの義務無かりしも、然も四十餘年前に完全に之れを守つて先進國を驚嘆せしめた。日露戦役當時は海牙の平和條約調印後なりしが故に、陸戦法規を守るべき義務ありしも、尚ほ宣戦の詔勅中にも「國際法の範囲内に於いて一切の手段を盡し違算なからしむることを期せよ」と宣せられ、参謀総長は訓令を發して戦規遵奉の趣旨を周知せしめ、更に前期の如く各軍司令部に國際法顧問を配属せしめた。戦役中特別の任務を以て米國に派遣せられた法学博士男爵金子堅太郎氏が歸朝の後國際法学会にて為したる演説中に左の要旨の一説がある。
米國人は事實の真相を調査せず、動もすれば國際法違反を称するを以て之れに対する材料を蒐集中、新聞紙上にて我が第一軍乃至第四軍に國際公法専攻の学者二名宛を配属し、陸戦の法規解釈其の適用は参謀部に於いて國際法専攻の学士と協議せしめ、公法違反を生ぜしめざることを發見せり。是に於いて各種の集会に於ける演説或は新聞記者との会見に於いて余は毎に「米國人は國際公法を提唱す日本政府の決心は露國は大國なり腕力に於いては或は露國は日本に勝るならん、貴國人が露西亞の聲を聞き戦慄す
<五〇>
る程の大國なれば、日本も恐れざるに非ず、然し國家の危急存亡に代えられざれば全滅を賭して最後の一人まで戦ふにあり、而して此の戦争に日本が國際法を破りしことあらば世界の歴史に汚名を遺すが故に假令戦に敗るるも國際法は遵奉する決心にて現に此の如く専門学者が各軍に配属せられあり、故に余は日本軍に國際法違反無きを保證す」と説明せるに、此の説は次第に傅播して後には日本同情者が各所にて演説等をなす時、日本軍が國際公法家を二名づつ従軍せしめたる事實を述ぶる毎に非常に喝采を博したり。又エール・ハーバード等の米國國際法大家と会見せる際彼等は各國共に今度日本が外國との戦争に國際法学者を従軍性せしめたる如き前例なし、将来日本の新例に倣ふべきことにして、右は一進歩を陸戦の法規に與へたるものなりとして大いに称賛したり。之れ實に日本陸軍の今回の處置は文明國の真價を世界に示したるものと謂ふべし。云々。
世界大戦の時は、青島攻撃軍に嘗て筆者と共に日露戦役当時第三軍に在勤したる兵藤氏が従軍したるを聞きしも、其の職名を詳かにせず。又浦鹽派遣軍には主として外交官をもつて組織したる政務部を置いた。此の政務部は主として外交方面の事務に従事したるも、亦國際公法の適用に關して其の権威たりしは勿論である(筆者も數ヶ月間此の政務部に派遣されて居つた。)
過去に於ける皇軍の行動は實に右の如く最も鮮かであり、所謂花も實もある武士的行動であつた。斯かる傳統的名誉を有する行軍の行動は今回の事變に際しても決して差異あるべき筈は無い。理論上事變は國際戦争に非ざるの故を以て、節制無き行動に出づるが如きは想像だに及ばざるところである。
唯だ、陸戦法規の適用に關し、茲に疑問の生ずるは領土の性質である。假りに之れを中華民國
<五一>
の領土なりとせば、國交断絶を来さず単に事變たる間は、未だ之れを敵國領土と称するを得ざるが故に、出征軍は如何なる程度に其の権力を行使すべきか、又南京政府の官吏は既に逃亡し、地方の民衆自ら自治政権を樹立したりとせば、國家として列國の承認無きも、戦闘地域を其の領土として取り扱ふべきか等の問題である。
宣戦の布告により事變が變じて日支戦争となりたる場合に於いて、北支一帯が依然として中華民國の領土なりとせば、問題は至つて簡単にして、我軍は之れを支配して軍政を施行し治安を維持するのみである。然れども事變として繼續中及び新政府の領土となりし場合には、其の地域に行使すべき軍の権力に多少の差異あるべきは明らかである。
日露戦役の際は戦闘の地域に性質を異にする三種類の領土があつた。即ち樺太の如き完全なる敵國領土と遼東半島及び東清鐡道沿線附属地の如き敵國の租借地と、満州一帯の如き第三國の領土があつた。樺太に關しては完全に我が占領軍の権力を行使したるは勿論なるも、租借地に關しては租借権其物の性質すら学者間に議論一定せず、如何なる原則に基きて之れを占領すべきかは問題であつた。筆者は遼東半島上陸後直ちに此の問題に直面し、又間も無く着手したるダルニー(大連)の整理に際して実際問題に逢着した(拙著日露戦役國際公法第二章三章)。又当時諸國は局外中立を宣言したるも、遼東以東は之れを除外し日露両國の戦場たらしめるが故に、所謂喧實奪主の観ありて、交戦國は任意に此の地域に活動したるも、其の権力の講師には純然たる敵地占領とは自ら異なるものがあつた。
今回の北支事變に於いても、其の交戦地域の領土の性質が曖昧なるに於いては、日露戦役当時の先例を参
<五二>
考にして之れに善処し、然も恩威併行、皇風をして六合に洽からしむるの用意あるを要す。
従来北支方面は日・満・支に微妙なる關係を有し、外交に政治に極めて複雑なる舞臺であり、事變の原因も一部は其処に在つた。故に平和克復の後は雨降って地固まり、明朗なる新天地を現出して再び颱雨の發生地たること無からしめねばならぬ。従って陸戦法規の適用に当たりても緩急宜しきを制し、傍ら戦後の政治的工作に關する其の地均しの役目を引受lくるを必要と考へられる。固より事變であり、戦争であるに拘らず、我が武士道の精神と殆んど一致する陸戦法規は完全に適用せらるゝは疑ひなきも、其の間事に輕重あり、絶大の権力を有する軍司令官に禁止事項の外は自由裁量の余地あるかは明かである。
陸戦法規の條項を北支の事情と敵軍の素質に対照して一々之れを論究するは、紙面の許さゞるところなるにより、筆者が茲に希望するところを一言に表示すれば、過去の二大戦役にて、克く陸戦法規を遵守して皇軍の名誉を輝かしたる如く、此の事變に於いてもこの點に注意を拂ひ、更に占領地住民に対しては軍律を厳重にし軍政に寛仁にすべしと謂ふのである。
凡そ遣外軍隊は一地方を占據すると同時に、軍隊の安全と作戦動作の便益を図るが為めに、無限の権力を有するが故に、軍司令官は其の占據地域内に軍律を發布して住民に遵由するところを知らしめ、軍隊の安全と作戦動作の便益を害する者には厳罰を以て之れに蒞み、同時に一般の安寧秩序を保持し良民をして安んじて其の生業に従事せしめねばならぬ。固より戦闘に關係なき事項は其の地従来の法規により、其の地方の官吏をしてその政務に当たらしめ、以て安寧秩序を回復維持瀬しむるを便宜とするも、事苟も軍隊の安危に關するものは最も厳重に之れを取締らざる可からず。假令ば一人の間諜は或は全軍の死命を制し得べく、一條の
<五三>
軍用電線の切断は為めに戦勝の機を逸せしめ得るのである。故に軍司令官は此等の危害を豫防する手段として、其の有する無限の権力を以て此等の犯罪者を厳罰に處し、以て一般を警めねばならぬ。故に豫め禁止事項と其の制裁とを規定したる軍律を一般に公布し、占據地内の住民に之れを周知せしむる必要がある。日清戦役の際は大本営より「占領地人民處分令」を發布して一般に之れを適用した。日露戦役の際は統一的の軍律を發布せず、唯だ満州軍総司令官は鐡道保護に關する告諭を發したるのみにて各軍の自由に任せた。故に各軍區々に亘り第一軍にては軍律の成案ありしも之れを發布せず、単に主義方針として参考にするに止め、第二軍には成案なく、第三軍にては確定案を作成したるもの総司令部より統一的軍律の發布あるを待ち遂に之れを公布するの機を失し、遼東守備軍は第三軍の軍律を参照して軍律を制定發布したりしが、後遼東兵站監は之れを改正して公布した。旅順要塞司令部は特に詳細なる規定を發布し、旅順口海軍鎮守府も別に軍律を發布し、第四軍にては一旦之れを發布したるも後に之れを中止し、その他韓國駐剳軍、及び樺太軍は各々軍律を發布した。
軍律に規定すべき條項は其の地方の状況によりて必ずしも劃一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるものは死刑に處すると原則とすべきである。
四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者
<五四>
六、一定の軍服又は徴章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者)
九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若くは隠匿したる者
而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戦地に於いては動もすれば人命を輕んじ、惹いて良民に冤罪を蒙らしむることがあるが為めである。軍律の適用は峻厳なるを以て、一面にては特に誤判無きを期せねばならぬ。而して其の裁判機関は軍司令官の臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである。
帝國政府が屢々聲明する如く、我國は決して北支を侵略して我が領土となすが如き意圖を有せざるも、今回の事變によりて北平天津地方より支那軍隊を駆逐し、現に事實上その地方を占據し、戦局の進展に伴日、占據地域を拡大しつゝある。而して此の地方住民が自治政権を樹立したるとするも、我軍の支援無くしては一日も安定し得ざるは明かである。故に如何なる外交辞令を用ゆと雖も、此の地方は一時的にもせよ事實上我軍の占領地である。勿論日支両軍衝突の一時的現象に止まり、永久に之れを占領するの意思無きが故に此
<五五>
我軍が一時的なりとも北支地方を占領したる以上は、我軍は其の地方の人心を鎮撫して Permalink | 記事への反応(1) | 11:41
火のないところに火をつけるのを生業としてるような人がどこにでもいる
https://note.com/mokonuco/n/n1fb67f09e252
をみての感想。まず結論から言うと、企業は研究を大事にしているし研究を大事にできてる企業が伸びてる。
というのが断念する理由んだけど、note主は単に「方針が変わった」としか書いてない。10年社会人やってれば多少はそれくらいの「風向き」は分かっても良さそうなのに、自社への向かい風、自分への向かい風を「研究者への風当たり」だと解釈してる。
まずサンプル1の風当たりを「研究者への風当たり」と一般化してる時点で、著者は研究者に向いてない。観測のセンスがない。
「最初は製品開発部門に配属されると聞いていましたが、いざ配属式に臨むと、同期の中でただ一人「研究所」と読み上げられました。 」
実はこのあたりでヤバみを感じる。内定者研修を通じて「こいつは…つかえない…」と判断された可能性がある。新卒なら、いわゆる稼ぎ頭の組織で修行を積むというのが定石。そうではないということは、大抜擢の可能性と最初から窓際に追いやられている可能性がある。可能性なのでどちらもありえるが、著者が干されている可能性を全く疑ってないのはやばい。
「それから共同研究と称し、某大学に一時的に常駐したり、研究のため大学病院に出入りしたりと、なかなか面白い日々を過ごします。」
ここも、上司がマネジメントしないでもいいという観点で、「干されてる」可能性がある。本当に欲しいのは共同研究というPRであって、著者に研究成果を期待していない可能性がある。
大学との共同研究という形がほしかったのであって、その教授の成果を自社で取り込める目処が「ついた」か「つかなかった」かのどちらか。
ぜーんぶだどっていくと、単に著者が新卒即窓際になっただけのようにしか見えない。
「 4月から研究者の身分を剥奪されるので、次の雇い主を探しています。 」
とあるが、研究者は「身分」ではない。生業としての研究者に失礼だ。すべての仕事はチーム戦であって、役割が別れていて、ベンチ入りできるメンバーが決まってる。ベンチ入りを外れた投手が「投手という身分を剥奪された」なんてぼやかない。ポジションをスイッチするか、別のチームのトライアウトうけるだけだ。
私は研究者が大好きだし、研究者と一緒に事業を大きくしたいと思ってるし、ただ研究者を身分だと言い切る人や、研究に投資する人の期待などを一切無視する姿勢は大嫌いだ。
私はプログラマだ。PCで動かすプログラムを書いている。何かしらの作業をプログラムにしてPCで動かすと、人がやるより効率的になったりするんだ。そのプログラムを書くことを生業とする、プログラマだ。
最近とある製品をほとんど一人で作らされて、作って、いろいろなところに納品した。
仕事は終わったので新しい仕事を振られた。また別のプログラムを書くわけだ。最近は大抵のプログラムはテキストファイルを編集して作るのだ。
プログラムを書くのは好きだ。性に合っているようだ。
そうやってシコシコ書いていると、くるわくるわ電話電話電話電話。
やれあれはどうする。やれこの機能はなんだ。やれネットワークにつながらない。やれ装置の接続方法がわからない。やれやっぱりあの機能がほしい。
ひー
ひー
ひーひーひー
手持ちの仕事も止まる。あれこれ対応すると一日二日がポーンと飛ぶ。
ひひひのひー
最近は電話が怖くなってきた。電話鳴るとビクって体が硬直するんですよ。電話取りたくない病にかかってしまった。取るんだけどね。
ひひーん
仕事やめたい。
ご無沙汰していた早朝増田です。
ほぼ一年前に書き込みしていた増田ですが、一時期、ここで言い寄られ続けるという待遇を受けました。
実に馬鹿ですね。何度も言い寄られるうちに絆されてその気になってしまい、会ってみたいと書いてしまった自分が情けないです。
しまいには嫁という人も現れて、勝手に言い寄られたのに勝手に泥棒猫扱い。さっぱり理解できませんでした。
事情をとにかく説明してもらいたかったのに、連絡先が分かってるのに連絡がこない。とにかく待ってほしいというから待ちましたが連絡無し。
とにかく直接のコンタクトが無く、増田でしか会話が成り立ちませんでした。
今にして思えば直接連絡が無いのは当たり前ですよね。複数人で人の事を落とせるかゲームしていたのですから。
いや、落とすのはできても、それ以降の責任が負えないから、直接の連絡ができる訳ではなかったのが真相だろうし、
それ以上に個人情報を聞き出して、何をしたかったのでしょうか?これまでの男の話を書けだの何だの言ってましたが、どういうつもりだったのでしょうか?
ネットでは偉そうな事を書いていても、もともとエロ創作ものを作る生業をしていた人間が、主犯格だったのだから気づくべきでした。
しかも、はてなにID登録した際に自己申告させられた生年月日が全て、増田に書き込まれる始末。
人が書き込むと一定の合図があるのも、運営でしか知り得ない情報の一つでしょう。
はてなの運営に関わる人間が介在していないと信じられるでしょうか。匿名ダイアリーのオーナーであるwanpark氏でも関わっていたのでしょうかね。
一時期、人が書き込むと年収祭りが始まったり、下方婚だのと書かれたりしましたが、
連絡が取れずに匿名書き込みでしか連絡の取れない相手と、どう下方婚しろというのでしょうか?
しかも、どうやら私が一方的に悪者なのか、知りもしない人から揶揄されている最中に、人の個人情報をばら撒き、直接連絡が取れない始末。
自分の苦痛を創作小説で表したら、第三者の批評でしか反応を示さない。いや、私も馬鹿ですわ。ほんと。だってゲームだったのですからね。
もう、ほんと公衆の面前で複数人からレイプされている感覚でした。
そういった事を冷静になって見直し、増田を一時期遠のきました。
そして、改めて今日SNSに書かれているメアドにメールし、あれは何だったのかと質問したたところ、
やはりメールでは連絡が無く、こういった書き込みがされた次第です。
まぁ、こういった書き込みもたまに出ていたのだから、罪悪感からなのか仲間の一人が書いていたのでしょう。
でも、許す許さないでいったら許される行為ではないですよ。色々な意味で。問い詰めても知らぬ顔したはてなの運営も。
今回、ここに書くに至った理由は、
・はてなに自己申告した個人情報は、きちんと管理保護されている訳でもなければ、一部の人間の間で共有化されている
・匿名と書いておきながら一部の人間で共有化されている時点で、匿名ではない
・はてなのログイン履歴も合わせれば、運営側の人間なら生活場所も特定できる
差別撲滅を生業としている組織や運動家とか、探せばいくらでも見つけられるんだけど、
もし差別がなくなると、この人達の仕事がなくなり、収入が得られなくなる。
根本的な原因を挙げるなら、こういった人達が裏で手を引いているところにある。
みんなもSNSやネットニュースなどで見かけた差別関連の炎上案件を見て、
『なんでこんな横暴な事を?こんな事で差別問題が解決するはずがない』と感じた事がないだろうか。
それもそのはず、解決してしまっては収入が得られなくなるから当然の事。
もちろん何もしなかったら支持者達から反発を受ける事になる。
なので、自分達が仕事をしている風に見せかけた横暴な活動を行い、
その結果収入が得られるし、禍根を残す事で新たな差別の種を植え、新たな収入源を生み出す事ができる。
もちろんその新たな収入源は自分達が直接得るというわけではなく、
見た目は全くの別だけど体制だけは同じ組織を作り、収入を得るという流れになっていく。
ここまで読んで、そんなバカなと感じる人、たくさんいると思う。
一部の好事家に快楽を与えることと引き換えに対価を得ることを生業としていて、その商売のためなら社会に損害を与えることを厭わないもんね。
常連客になればなるほど周りを巻き込んで人生が破滅に向かうリスクが高まることを分かっていて通い詰める連中に対して、ニコニコした顔で破滅への片道切符を差し出し、その渦中で自分こそがまさに最も破滅的な結末に向かっていくことを知りながらも辞められない。
金が、生活が、自分にはこれしか、今まで積み上げたものが、そういった言い訳を積み上げては、他の職業で真っ当にお金を稼ぐ道を頑なに拒否し続けている姿なんてまさにそのものだよ。
客も自分もそれぞれの身内もまとめて人生終わっていいし、社会だって丸ごと巻き込んだって差し支えないんだよね?
目先の承認と利益のためなら、全てを差し出せるなんて「カッコイイ」よね。
そうだよね、そういうのが「カッコイイ」んだよね。
ごめん。
言い過ぎた。
「映画というかドラマなんだけど、最近は『不夜城の女』とか観てるのん。ウチにくるお客さん韓流とか観る人が多くて、私も話題作りのためにねん」
水商売といっても色々あるのだが、具体的に何の仕事をしているのか、その人はハッキリとは言わなかった。
ナリからして、たぶんティーンエイジャーの俺には縁のない職種だと思う。
それを客側も知ってか知らずか、随分と勿体つけた言い回しで冷やかしてくる。
「チャージって知ってる?」
「何かを貯めるんですか」
「あらやだ、“タメる”だなんて」
こんな調子に尋ねてきては、こちらが何を言ってきても笑ってくる。
若い女性を「箸が転んでもおかしい年頃」なんていうこともあったらしいが、この客もそんな感じなんだろうか。
いや、どちらかというと“意図的にそう振舞っている”ように見える。
「このテの映画やドラマとか見てると、欲望系のビジネスは反社会的に思えるかもねん。だけどコンプラにはメチャ厳しいのよん。下手な上場企業よりマトモなのん」
「そうなんですか。どうも不勉強で……」
「はあ……」
この人はなんというか、『若い女性』というパッケージに『水商売』という香水をふりかけているようだった。
その人工的な匂いは、俺が未成年ということを差し引いてもキツい。
この人は多分、こちらがそう感じることを分かった上でやってきている気がする。
「ホホホ、ウッフンアッハン」
“ウッフンアッハン”って。
実際に言ってる人間、初めて見たぞ。
13人の客、その6人目は紺色のスーツを着ていた。
正確には“スーツを着ていた”というより、“スーツに着られている”感じだ。
もしかしたらスーツ買いたての就活生か、新入社員とかかもしれない。
「今さらながら『トラック企業に勤めてるんだが、もうコレラ厳戒かもしれない』観たんだ」
「トラック企業とかが話題になってた頃ですね、その映画が出たの」
「あんまり評判が良くないこともあって当時は観なかったんだ。結末にモヤモヤするとかで」
その客は映画について感想を語っていくが、それと同時に自分の仕事に対する価値観も吐露していた。
「一週周って、この映画にはリアリティがあるように感じたんだ」
その様子は達観しているというよりは諦念に近く、どこか物憂げな雰囲気を醸し出していた。
だが、それよりも気になるのは、この客のジェスチャーだ。
「企業をホワイトだとかブラックとかっていうけれど、仕事の在り方ってそんなに白黒はっきりしていないというか、マーブル調だと思うんだよ。そう思わない?」
「つまりケースバイケースとか、人によって感じ方が違うとか、そういうことでしょうか」
「う、う~ん、まあ、そうともいうかな」
こちらの顔をやたらと窺っては、こちらの受け答えによらず歯切れが悪そうに返してくる。
何の意図があってやってるのか、こちらを試すような真似をしてくる。
「映画とか、こういう腰を据えて時間を使う趣味はコスパが悪いかもしれないね~。最近そう思うんだ」
「そうかもしれませんね」
「うん……」
「……」
どうやら、この客は俺に何かを期待しているようだ。
それが何なのかは、ついぞ分からなかったが。
VTuberにスパチャしたけど読まれなかったとか最近反応してくれなくなったとか、その手のお気持ちで吹き上がっている輩を最近目にするけど、それはお前のコメントのタイミングがズレていて面白くないからだよ。
面白くないだけならまだマシだけど、配信者の活動の妨げになってることすらあるよ。配信者のファンだとか配信好きだとか名乗るなら、お前が熱を上げている対象が提供している「配信」という芸について理解しろよ。
配信者ってのは文字通り配信を生業として人生かけてやってる芸人(近年のお笑い芸人に限定した意味ではなく、広く芸事を職業とする人)であって、配信者の芸とは「面白い配信をすること」なんだよ。
配信者のトークが好調に回っている最中とか、ゲーム実況でボスに挑戦してるとか、そういうタイミングで投げられた無関係な内容のスパチャに反応なんか出来るわけないんだよ。「面白い芸の流れ」が切れるんだよ。
ミュージシャンでもお笑い芸人でも舞台役者でも何でも良いけど、なにか別の芸事に置き換えて考えてみろよ。
今まさに大勢の観客が盛り上がっている最中、流れに乗っている芸を、額面がどうであれ一人の客からの投げ銭が飛んできた程度で止める芸人なんか居るわけがないんだよ。
どんな場面でも「面白い芸」を見せる事ができるから芸人は芸人として生きていけるのだし、それをわかっているファンなら芸の邪魔をしないように観客席での振る舞いに気を配るもんだろう。
お前が配信をよく見ている人種なら、配信の内容に反応した通常のコメントが、場合によってはスパチャよりも優先して拾われている場面を見たことがあるだろ。
あれは内容に対して適切なタイミングで面白いレスポンスを返していて、「読んだら配信が面白くなる」コメントだから読まれてんだよ。
あの手のコメントの投稿者は「面白さ」とは何かってのをちゃんと理解してる人間で、配信内容を受けて当意即妙に面白い内容を考えて投稿しているし、配信者もその面白さが理解できるから反応するんだよ。
いわば即興大喜利のお題、ラジオの投稿コーナー、歌舞伎の大向うの掛け声みたいなもんで、熟練した観客が壇上の芸を受けて自らも芸を披露する、その相互関係が面白さを生み出しているんだよ。
その点、額の割に大した反応が貰えていないスパチャってのは、どれもこれも配信の内容とクソほど無関係な内容を意味不明なタイミングで投げていて、配信の面白さに寄与しないようなやつばっかなんだよ。
ただ一方的に愛をぶつけているだけだったり、個人的な事情を盛り込んだ私信的な内容だったり、配信内容とは全然無関係に〇〇と言って欲しい、〇〇やってほしい、みたいなやつだったり。
別にスパチャで配信者から反応してもらおうって考え自体は否定しない。元々そのための機能として用意されているものだし、自分の好きな配信者から直接反応がもらえたらそりゃ嬉しいだろうよ。その気持ちはわかる。
ただ、配信の盛り上がりどころでこの手の内容を投げ込むのは、「今のあなたの配信の内容には全く興味はありません」と言ってるようなもんで、完全に配信者の活動を蔑ろにした態度なんだよ。
お前は確かに少なからざる金額を配信者に支払った上客かもしれない。それでもあくまで大勢いる客の中のひとりでしかなくて、配信者はお前一人のために配信してるわけじゃないんだよ。
お前の「配信者への愛」とか「配信者にやってほしいこと」はお前一人の願望だけど、他の視聴者は全員「その配信者がやっていること」を見るために配信に来ているし、配信者はそんな視聴者全体の方を向いて配信をやっている。
配信者が「大多数の視聴者はこのスパチャの内容には興味がないだろうな」と判断したら、それでも他の視聴者が楽しんでいる流れを切って反応してやるか、それともスパチャ自体をスルーするか、どっちを選んでも損な二択を強いられているんだよ。
お前のスパチャを見た配信者自身が内心では「ちゃんと反応してあげたい内容だ」と思っていたとしても、タイミング次第では雑に対応せざるを得ないんだよ。それはスパチャを送ったお前にとっても、雑な対応をせざるを得なかった配信者にとってもすごく不幸なことだ。
配信者のファンだ、愛しているんだと主張するなら、愛の証明としてファン歴とか配信への張り付き度合いとか使った金額とかを誇るより前に、お前が愛する対象とその活動について理解すべきこと、想像して思いやるべきことがあるだろうよ。
愛する人の活動内容をしっかり理解して、最大限楽しい配信を出来るように気を使ってやれよ。反応を求めるスパチャを送るにしても、配信の流れを汲み取って然るべきタイミングにしろよ。そういう配慮があってこその愛だろ。
配信者が人生かけてやってる芸の性質も面白みも分かってねえ、今やっている内容さえどうでもいいと思ってる、そんな人間が一方的に好きだ何だと言い寄ったところで、配信者が良い反応を返してくれる可能性はゼロだよ。
少人数ベンチャーの求人や自己啓発系のセミナーとかで、仕事を通して成長しよう!だとか今より人間レベルを上げよう!なんて煽ってるやつ
あれ大嫌いんよ
ああいうのに引っかかる人というのは、常にコンプレックスや不安を抱えてる人、もしくは自分に自信を持てないような人かな
そんで、そんな煽り文句を言ってくる奴も実はコンプレックスの塊だったりするんだよな
ぶっちゃけ人間って根本的にそんなに変わらないし言うほど仕事なんかで成長したりなんてしない
仕事のコツを掴んで収入が上がったり社会的に成功したりすることもあるとは思うけど、それを成長とは呼ばない
そういうことって運とか周りの状況が良かったとか、自分とは別の次元での力が働いていたりする場合があるし
社会的に成功していたり、収入が多い人は人間として成熟しているか?と言えば全く違う
昔の知り合いに気功を生業とする人がいて、「本気で成長したい人」やら「自分を高める方法」なんて謳い文句で、高額で個人指導やセミナーを開き、生徒も数人集まって年収も数千万ほど稼いでいたけど、人間的にはとんでもない人だった
自分と違う意見を言おうものなら鬼の形相で怒り、既婚者を見下したり、差別主義者で異性や他人種について攻撃的なことを言ったり
極め付けは「俺の気功の技を会得できた生徒は今までに1人もいない!」なんてドヤ顔で語っていたこと。いやそれダメじゃない?ウチの予備校は東大合格1人もいません!って自慢げに語るか?
でもなぜか生徒は常にいる。人数は多くないが常にいる。それは多分完全に洗脳されてるから
「俺についてくれば成長できる!」「本物を体験して人間レベルを上げよう!」「本気でやりたい人だけ!」
こんな謳い文句を何度も何度も強い口調で宣伝されると、自信を持てない人は何となくここに行けば何かが変われるかも?なんて期待して行く
だけど指導者本人が実はコンプレックスだらけの弱い人間だったりするから、高いお金だけ払って何かを得てような気になるだけで実は何も得られていないなんてことになる
でも気づかないでずっと通っている人もいるんだよな。ある意味幸せなのかも
今の環境や状況を変えたいと思って、「成長」を謳う所へ行っても何もいいことはない
無理に成長なんかしなくたって、たとえずっとダラダラしたような人生を送っていたとしても、今ある命を最後まで生き抜くことが出来ればそれで十分なんじゃないか?
件名のような気持ち (注:正確には 「コンピュータ支援などを使ってもいいから、自分の心の中のイメージを思い通りに絵で表現するような体験をしてみたい」 というような気持ち) を知人に話したところ、それは生業として絵に関わっている人(知人はそうであった)にとって侮辱であり、唾棄すべき考えである、というような答えをもらった。
たしかに知人相手に、絵を例に挙げてしまったのは、いささか無神経であったかもしれない。
しかしながら、いくら議論をしても、私はこの気持ちがなぜ否定されるべきものなのかわからず、知人もなぜそのようなことをして嬉しいのか理解できない、という平行線だった。
私の主張をまとめておきたい。
以下、それに対する知人の考えを、断片的にではあるがまとめておく。
ただし、私の乏しい理解度により、知人にとっては不本意な内容になっているかもしれないことは承知願いたい。
これに対する私の考えはこうである。
後者に関しては私もそう思う。体験提供においても、単なる一方的な映像提示でなく、自分が起こしたアクションが世界に影響を与えて返ってくる、というインタラクションが大事だと思う。
とりあえずこれで終わりにしたいと思う。多分この会話は、上記に書いていない導入の部分から、すでに互いにすれ違いがあったような気もする。
私は最後に、知人に対して、絵を例にあげてしまったことを詫びた。
私自身も、絵や美術的なことに関して憧れがあったが、他のことへの鍛錬を積む代わりに、絵には何もしなかった経緯がある。
それによって成したものもあり、現状に納得はしている。
それでも素晴らしいイラストなどをみると、もし私もこのように、心の中にあるイメージを思い通りに絵にすることができたら、どんな気持ちになるのだろうか、と淡い不真面目な憧れを捨てずに持っていた次第である。
最後に、これは特に知人には言わなかったが、アートやスポーツなども、「そんなふぬけた考えは侮辱だ」などと言わずに、「あなたは私のそこが楽しいと思ってくれるのね、ありがとう」という風に、博愛的に受け入れてくれる心があってほしいな、と思った。
多分消す
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