2020-12-31

努力はしたくないが、ちゃちゃっとうまい絵を描きたい」は劣情か

件名のような気持ち (注:正確には 「コンピュータ支援などを使ってもいいから、自分の心の中のイメージを思い通りに絵で表現するような体験をしてみたい」 というような気持ち) を知人に話したところ、それは生業として絵に関わっている人(知人はそうであった)にとって侮辱であり、唾棄すべき考えである、というような答えをもらった。

しかに知人相手に、絵を例に挙げてしまったのは、いささか無神経であったかもしれない。

しかしながら、いくら議論をしても、私はこの気持ちがなぜ否定されるべきものなのかわからず、知人もなぜそのようなことをして嬉しいのか理解できない、という平行線だった。

 

私の主張をまとめておきたい。

 

以下、それに対する知人の考えを、断片的にではあるがまとめておく。

ただし、私の乏しい理解度により、知人にとっては不本意な内容になっているかもしれないことは承知願いたい。

 

これに対する私の考えはこうである

 

知人は結論いたこととして、このようなことを言った。

 

後者に関しては私もそう思う。体験提供においても、単なる一方的映像提示でなく、自分が起こしたアクション世界に影響を与えて返ってくる、というインタラクション大事だと思う。

とりあえずこれで終わりにしたいと思う。多分この会話は、上記に書いていない導入の部分から、すでに互いにすれ違いがあったような気もする。

 

私は最後に、知人に対して、絵を例にあげてしまたことを詫びた。

私自身も、絵や美術的なことに関して憧れがあったが、他のことへの鍛錬を積む代わりに、絵には何もしなかった経緯がある。

それによって成したものもあり、現状に納得はしている。

それでも素晴らしいイラストなどをみると、もし私もこのように、心の中にあるイメージを思い通りに絵にすることができたら、どんな気持ちになるのだろうか、と淡い不真面目な憧れを捨てずに持っていた次第である

 

最後に、これは特に知人には言わなかったが、アートスポーツなども、「そんなふぬけた考えは侮辱だ」などと言わずに、「あなたは私のそこが楽しいと思ってくれるのね、ありがとう」という風に、博愛的に受け入れてくれる心があってほしいな、と思った。

多分消す

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追記

  • 劣情の意味間違ってない?

  • ・塗り絵でもやっとけと思ったら自分で言ってた ・webに自動着彩サービスがある

  • 人生捧げて絵描いとるヤツに 「今から追い付きたい。あわよくば努力せず越えたい」という意を伝えたら拗れるに決まってるやろ 絵を描きやすくなるのは良くても、楽するのは重罪よそ...

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