はてなキーワード: 優等生とは
深夜帯、特に何があったというわけではないが時々考える。
友達が出来ない…
ありふれた悩みだと思う。古今東西種々の同様の悩みをこれまで幾度となく目にしてきたし、ある程度思考がまとまった今、やはりありふれた悩みに過ぎないなと思う。
多分、人並みにコミュ力なるものは備わっている。報・連・相は問題なくこなせるし、なんならマメですらある。それなりにに愉快なキャラもしていると思う。顔がいいわけじゃないけど不快になるほどじゃない。歳の上下を問わず丁寧語・敬語主体は崩さないし、初対面で悪い印象を持たれることはあまりないと思う。
ただ、友達が出来ない…
原因ははっきりしている。踏み込めないのだ。
踏み込めない原因もはっきりしている。自分に肩書きが無いと話すことが怖いのだ。
肩書きのある時はそれなりに話せる…先の報連相もそうだ、必要な役割だからこなせる。
勿論肩書きなんて目には見えない…金モールをひらひらと光らせているわけでも無い。ただそれでも背中は押してくれる。
数人で談笑している場面でただ会話に入れなくて愛想笑い…幾度となく経験してきた場面だ。
よし、やること片付いたな。ここで"駄弁り”というやつが出来ない。
その場に上下関係も役割も無い場面になった時、居場所がなくなる…ピエロとなる役割しかこなせない。
2人だとまだいい、私には明確な場の維持者としての役割がある。3人でもそうだ。ただ4人5人になった時、ここに居場所が無い…と感じてしまう…(これはまた少し違う話か)
役割に徹さないと何もできない。だから踏み込めないし、頼れない。
頼ることが怖いのだ。
先の話に繋がるが、人に頼った時、客観的な理由付けも無しに人に頼るというのが考えられない。
悩みを打ち明ける友人もいない。
悩みを受け止めてくれる見込みを立てられない。
ここまで書いて思ったが、別に私は心優しい、思慮深いけど自信が無いゆえに踏み出せない…そんな高尚なタイプではない。
中学の頃の担任に「あんたは人の話を聞かない」と言われたのを思い出す。
優等生とまではいかないけど、大人の言うことに素直に従っている自負を持っていた当時は、何言っているんだこのおばさんは…と気にも留めていなかったが、こうやって何年経っても覚えているのは深層では自覚があったからだろうか…
この言葉は別の口からも何度も聞いたからだろうか。今ではその通り、私は人の言うことに耳を傾けることができませんと胸を張って(?)言える
ネットでアスペ診断なるものをよく見かける。あんな誰にでもそれなりに当てはまりそうな設問ではあるが、やはり当てはまる。むちゃくちゃ当てはまる。病院に行くほどではないが、発/達/障/害の気があるのかもしれないと最近は思い始めた。
人の気持ちが汲めない。人から施しを受けるのが嫌。人に何かを与えることが出来ない。
友達が出来ない…と銘打って書き始めたのにこんなことを言うのも筋違いかもしれない、ただ私はさして他人に興味が無いのだと思う。
一生懸命悩んでいるふりをしているが、世の人は自分の何倍も何倍も悩んで生きているのだと思う。
ただ寝る前に悩みを吐き出してそれを受け止めてくれる人が欲しいと思っているだけなのだろう。
しょうもない大人になってしまって泣けてくる。実際、少し泣いている。
この姿を人前に見せることが出来ない。せいぜい19インチの画面に吐き出すだけである。
情けない悩みだと思う。何より情けないのは、自分がどうなりたいか、それすらも分からない事である。
交換日記でも始めればすべてがうまく回り出すのかもしれない。
大学1年の女です。1浪したので二十歳です。
高校2年生の時、私はW君が好きでした。イケメンではなかったけれど、すごく優しくて頭のいい優等生タイプの人でした。
文化祭の準備で私とW君が同じ仕事をしなければならなくなり、そこで仲良くなったのです。
W君と話しているととても楽しくて、そのときはじめてまともに喋ったとは思えないような親近感でした。
メールアドレスを交換し(当時W君はガラケーだったのです)、それからほとんど毎日メールをしました。
だいたい私からメールを送った次の日はW君からメールが来るし、W君からメールが来た次の日は私からメールを送りました。
1カ月ほどたったある日、ちょっとしたことから下ネタの話題になりました。
意外にもW君の食い付きは良く、私はW君は淡白なタイプだと思っていたので驚きました。
私はW君が頭がおかしいほど好きで、当時の私は周囲の友達の影響で貞操観念がぶっ壊れていたのもあり、こういう会話になってしまいました。
私「W君って童貞なん?笑」(私はずっと君付けで呼んでいました)
W君「え、なんでw」
私「いや気になるじゃん」
W君「そっちはどうなん」
私「残念!非処女です!!」(もちろん本当は処女でした。ただ、当時すでにバイブでオナニーをしていたので、セックスに関しては非処女を偽れるだろうと思ったのです。)
W君「まじか・・・」
私「引いた?笑」
私「で、童貞なの?」
W君「まあね」
W君「マジで?」
私「マジマジ」
W君「ちょっと考えさせて」
という感じでした。ちなみにこのメールのやり取りは当時のメールを見ながら絵文字などの再現不能なもの以外そのままの文章をコピーしたものです。
私とW君はセックスにやみつきになりました。毎週土曜をセックスの日と決め、いろいろな場所でセックスしました。
同じクラスのSさんと1か月前からセックスしていたというのです。
冷静に考えると浮気と言うのもおかしいのですが、私は当時完全にW君と付き合っているような気分だったので、浮気されたのと同じショックを受けたのでした。
私はあまりのショックから、W君に「もうニ度と関わらないで」と言ってしまいました。
しかしさらに驚いたことには、W君はそれからもケロッとしていて、それから1ヵ月後、正式にSさんと付き合い始めてしまったのです。
実は私はW君に、冗談っぽく「ねぇ・・付き合わない?」という話を吹っ掛けたことはあったのですが、毎回「うーん・・・」みたいなリアクションを返されていたのでとてもショックでした。
私の中で糸がプツンと切れました。こんなになっているのにまだセックスしたくなっている自分への憎しみもありました。
私は男子に積極的に絡みにいくようにしました。こっちから絡みにいけば案外むこうも親しくしてくれるもので、仲の良い男子が増えました。
それから、友達のツテで他校の男子ともつながりを持つようになりました。
そしてなるべくたくさんの男とセックスしようと思い、ある程度まともそうな奴と片っ端からセックスしていったのです。
卒業までそういう行動を続け、結局卒業するころには経験人数が20人を超えました。
今となっては何を考えてそんな事をしたのかわかりませんが、数打てばそのうち自分を大切にしてくれる人が現れるかもしれないと思っていたということはあります。
しかしそんなことはなくて、私はただのみんなのセフレになってしまったのでした。
一応進学校にいたので大学には行かなければならないと言う風潮がありました。
当然セックスばかりで勉強なんて全くしてなかったので浪人し、いまでは3流私文に通っています。
さて、未来は読めないというのが基本姿勢にあるリアル志向の皆さんコンニチハ。
たまに「まあライターも金稼ぎたいしな」みたいな記事があがるな。
「ウルフ・オブ・ウォールストリート」は観たか?
マーティン・スコセッシの映画はクセがあるのでファミリーにはオススメできねぇが、
ウォール街とはつまるところ「相手に買わせる」プロの集団に尽きると喝破したのが素晴らしい。
まず、資産運用の話をするときに「余裕資金で」とか言うものは捨てて良い。
例えば、このご時世幸運にもボーナスで30万ほど「使うあてのない金」が入ったとしよう。
この金を「余裕資金だし、今話題のソシャゲ会社の株に」とあやふやな理由でツッコむ。
まあ、2/3になったあたりで撤退できれば上出来だな。
「負けた」10万円は、夫婦2人で2泊3日のグアム旅行ぐらいは行けたカネだ。
恐ろしく高いと感じるアニメのBlu-rayボックスも、2~3個買えたな。
それはオマエの稼いだ身銭だ。
お金に色はないので、食費も教育費も娯楽費も、結局のところ同じ日本銀行券だ。
商社で小麦の輸入でもしてりゃ胃に穴が空くぐらい理解してるだろうが、日本銀行券の価値は上下する。
昭和ヒトケタの1万円と、今の1万円の価値が違うというのは、なんとなく判るだろ?
これは、つまるところ「タマゴの価値は下落し続けている」というのと同じだ。
小規模な養鶏家が、集約され大規模化され超高効率でスーパーに届くことで「価格」が同じに見えるだけだ。
つまり、今月の給料は、10年後にも同じ価値を持つとは限らない。
ごく当たり前の話をするが、中小企業を立ち上げて運転するには、カネがかかる。
土地を借りる、機械を借りる、種や苗を買い入れ、水をやり肥料をやり虫を取り育て、収穫して、より分けてパッキングして出荷する。
つまり、スタートしてから実際にモノが売れてカネが入り始めるまで、タイムラグが有る。
大抵の企業間取引は現金決済しない。普通は納品後2ヶ月遅れで入金されたりするもんだ。
で、だ。
未来に間違いなく収入があって、しかもそれが定期的な収入になって返済できる、と思った場合、銀行はカネを貸す。
なぜ貸すか。カネを増やしたいからだ。それが利子(利息)というやつになる。
そして、中小企業側も、利益は収入を増やす方向にツッコンだ方が、当然儲けも増える。
Amazonはあんなに儲かっているのに常に赤字だが、これは稼ぐよりも多く拡大しようとするからだ。
これを「設備投資」と言ったりする。
つまり、「将来カネを増やすためにカネをツッコム」事を投資という。
資金を投じるワケだ。
例えば普通預金。
利子、ついてるだろ?すごく少ないが。
あれは「投資」のアガリだ。儲けだな。超少ないが。
預金保険機構、まあほぼ日本政府が1000万までは保証してくれてるから気にすることは基本無いな。
じゃあ例えば、知らねえ奴が鯛焼き屋の開店資金として200万貸して欲しいと言ってきたらどうする?
息子が必死の顔でやってきたら、話ぐらいは聞くかもしれない。
それが、銀行のやってる「投資するに値するか検討する」つまり「与信管理」だ。
資産、あるか?
まあ、流動資産(預金など、即カネになるもの)と、固定資産(現金化に手間がかかるもの)とに分けられる。
企業では1年以内に換金可能かどうか、1年以上保持するかいくら以上かみたいな細かいことあるが忘れて良い。
ローン組んで家買ってる?おめでとう。それは固定資産&長期負債だ。
コンバインは資産だが、銀行に残ってるローンは負債だ。借金だな。
中小企業がカネを借りて運転するのはフツーだという話もした。
投資してないつもりでも「銀行預金」ってのは「投資」だって話もした。
と、なるとだ。
資産運用というのは、つまり「流動資産」を「投資」することだ。
1000万未満だし政府保証もあるしで「銀行投資」というのも1つだ。
が、その「投資」、例えば友人から持ちかけられたものならどうだ?
「オレの英会話に投資しない?3年後に給与アップするし年利2%で50万貸してくれよ」に、無条件で出すか?
担保はあるか、返す当てはあるのか、そもそも3年後に給与アップって甘くないか?とか与信審査するだろう。
そう、「サラリーマンの資産運用」とは、つまり「オレ銀行」が投資先を精査して与信管理することだ。
オマエがカネを貸し付けるんだよ。
銀行がそのカネを何に使うかは政府保証のお陰で考えなくて済む。
この銀行への貸付を引き上げて、他にカネを貸して、カネを増やす。
貸す前に審査して、貸した後に予定通りか確認するのが「与信管理」であり「運用」だ。
例えばTOPIX連動のETFを定期的に買う、それも良いだろう。
銀行と違って、個人はカネを一度貸したら貸し剥がしみたいな引き上げが難しかったりする。
貯蓄型の保険とか、貸したカネを何十年か立つ前に返せって言うと、ずいぶん減る貸付先もあるな。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150101ddm041040040000c.html わかりあえたら:不寛容時代に/1 住民、漠たる不安 住宅街の障害者ホーム建設 「暮らし壊される」、過熱した反対運動
この記事の場所って確か生田だったと思うんだけど、あの辺はいわゆる「かつての新興住宅地のなれの果て」のような場所だ
団塊の世代の首都圏への人口流入を見込んだ宅地開発が進んだ場所で、今では、住民の老化とともにただ老いているだけの街
現在でも流入人口はあるにはあるのだが、より安い住居費を求める子供のいる家族層が中心で、やはり元余所者のサラリーマン核家族だったりする
要するに、「おんなじような構成の家族だけしかいない街」という郊外の問題が少なからずあるんじゃないか。
郊外住宅地というのは生田に限らずだいたいこんな感じで、異質なものを受け入れがたいコミュニティだ。
自分は古い下町の商店街に生まれて育ったんだけど、小学生のある一時期だけ、生田じゃないけど似たような郊外の住宅地に親の仕事の都合で住んでいたことがある。
妙に熱心なPTAが主催する無味乾燥でビックリするほど面白くない地域のお祭り。
下町からすると驚くほど優等生でツルっとした普通な生徒ばかりなのに、定期的にいじめ問題が起こる学校。
http://anond.hatelabo.jp/20141228094227
優等生的回答乙。
「小児専門医を探して、そこをかかりつけ医にすべき」は理想論だが、それが出来てる親が、果たしてどれだけいるのか疑問。
ただでさえ小児科は少子化等で減少傾向で、探しあてるのが大変なのに。
「小児科専門医は自宅から数十分の場所で、しかも診療曜日・時間が限られていて混んでいる」ケースはザラ。
だったら、
「自宅から数分の場所で、割と診療時間が融通効いている、近くの内科医(兼小児科医)」
の方が、なにかとお世話になると思うよ。
うちの職場は、なんというか、生ぬるい。
もちろん仕事がないかといえばそういう訳でもなく、
でもそれほど切羽詰っているわけでもないから、
定時に帰っても特に問題ないし、皆ちょこちょこと有給で休みを取る。
一日に何度か職場のあちこちで雑談タイムが繰り広げられていて、
はっきりいって、楽にお金を稼ぐという点では非常に恵まれた環境だと思う。
良くも悪くも平均的な人が多く、職場の人間関係も穏やかそのもの。
このままなんとなく過ごせば、きっと10年後には貯金の額もすごいことになる。
でも、ここにいる限り、スキルの向上はあまり期待できそうにない。
同僚はクルマやらマイホームやらパチンコやらが趣味の30代後半以降ばかりで、
Webで話題になるような新技術の話(例えばAIRとか)が通じる人は全くいない。
上司のプロジェクトマネジメント能力についてはすごいと思うことはあるけれど、
将来的に自分が身につけたい、と思えるような能力を持っている人は特にいない。
仕事としては、ほとんど上から降りてきた要求を設計書に落とすだけだから、
自分が学生時代培ってきたプログラミングやデザインの知識やカンはどんどん薄れるばかり。
きっと自分の成長の為には職を変えたほうがいいんじゃないかと思う。
でも、自分の向学心の強さにはっきりとした自信が持てない。
もし望むような仕事に就けたとして、その代償にこんな状況になったとしたら、
24年間優等生をやってきて、さらに新卒という切符を使って手に入った
貴重な(?)大企業への就職を、簡単に手放してしまっていいのだろうか。
「暗記が得意、理解力はあるけど遅い、応用は苦手」という社会で役立たない
試験特化型優等生は、冒険せずに大人しく現状に甘んじていたほうがいいんじゃないか。
そして本当に成長したいと考えているなら、仕事以外の時間でできるんじゃないか。
逆に今それができていない程度の向学心なら、職を変えてもそんなに成長しないんじゃないか。
より自分の望む仕事に就けたとして、はたして睡眠時間を削ってまで働く気力がでるのか。
就職して1,2年でやめるなんて、まさに「イマドキのワカモノ」そのものじゃないか。
そんなことを考える今日この頃。
昔からよく知らないクラスメートや、知り合いの知り合いくらいの人から
「これは誰にも言ったことがない」
という話を聞かされることがときどきあった。
特に前置きなどはなく、当たり障りのない世間話やちょっとした愚痴から始まって
いつのまにかすごいところまで話が進んでいる。
周りから仲がいいと言われているからなんとなくそうしているけど、一度も心許したことがないとか
(これは数回別々の人からあった)
いじめの首謀者だったのに教師からは味方側と思われていた話とか
焚き火を見ながら話す勢いで語られて
そうなのか、と静かに相槌を打ってしまうことがよくあった。
適性があったのかどうか
今では人の打ち明け話をお金をもらって聞くのが仕事になっている。
ただ、こういう打ち明け話をした人は
次に会ったとき、とても攻撃的だったり拒絶的だったりすることがあって
それで凹むことがある。
だいたいはもともとそんなに接点ない人だし
お客さんとは私的に関わらないからいいけど
仲良くなった人との間でこういうことがあるとつらい。
聞き出したわけでも、言わせたわけでもないんだけど
逆切れされるというか。
仲良くなったから、信頼してくれて、秘密を共有してくれるのかなと思ってしまうと
そのあと突然距離を置かれて酷いことを言われたりしてつらい。
仲良くなったから話せる程度の話じゃなく
で、話したあとで
「あ、こいつ、人間じゃん!よくも騙したな!」みたいになるんだと思う。
気を許した人から打ち明け話をされた後で距離を置かれるとつらい。
追記
ループする世界に意味をこじつけなくたって、ポストモダンが動物化しなくたって、何かで性欲を正当化する必要なんかなく、いつだって僕たちにはオナニーする権利はある。
F4Uの新作『好奇心は猫をもアレする』は、ひとたび開けば一気に理性なんて吹っ飛ばし、声に出して読みたい日本語と限りない法悦が襲い掛かる、そんなステキな作品である。
この一冊を開いて、一番初めのコマに書いてあるのは「ヘルス部だぁ!?」の一言である。変な部活ものがこの世の春を謳歌する現代において、逆に禁じ手なのではないか。
僕はこれから自分を打ちのめすであろうF4Uワールドへの期待に、床上手な処女のように打ち震えた。
手際よくぴゅっぴゅする導入を経て、「偏差値15学園」連作は開始される。ヒロインはレイプが横行する偏差値15学園において先述のヘルス部を立ち上げ、貯めたお金で塾に行くことを夢見る黒ギャルである。奇想である。どこへ行くんだこの話。その先は是非あなたの目で確かめてほしい。その果てで、あなたはきっと「偏差値」という単語の持つポテンシャルを知ることとなるだろう。
さてさて話はかわるが、読者諸賢もご存知の通りエロ漫画において女の子が行為に及ぶエクスキューズは数多く存在する。そして、どの「なぜ」を選ぶかには、作家性が色濃く現れる。
らぶらぶえっちがあり、無理やりからの快楽堕ちがあり、悪堕ちがあり。中には、極端に人口上の男女比が崩れ女は牝奴隷と化している、機械が人類の観察のために性行為を模するなど、世界の法則を歪めるレベルのエクスキューズでSFというジャンルに一歩も二歩も足を踏み入れた作品も少なくない。
『好奇心は猫をもアレする』では、凌辱系にしろらぶらぶ系にしろ、とにかく女がペニス(作中の言葉をひくなら“そう、それは――ちんぽと呼ぶには、あまりにもペニス”)を求めて堕ちてゆく。
エロ漫画ってそういうものでしょう、と紳士たるあなたは思うかもしれない。
しかしそこはF4Uの真骨頂、堂々たる男根で牝を盛らせ、攻撃的なまでに擬音を響かせながら堕としていく様は迫力すら感じられる。中出しした後に膣から溢れ出る精液からは生命が匂い立つ。
言葉で、絵柄で、セックスに至る過程を暴力的なまでに納得させられている。その独特な言語感覚に支えられた強烈なドライブ感に、F4Uの作家性があらわれている。
思うにF4Uの凄味は、可愛い女の子描写(頭身高め、ヤンキー、優等生、地味子、巨乳貧乳何でもアリ)、ダイナミックな構図作り(魅せるための体位作り!)だけではないのだろう。
それらに加えて、底抜けに力強いちんちん賛歌があるのではないか。どいつもこいつも血管の浮き出た逸物をビキビキイキり立たせ、牝を思うがままに喘がせている。
F4Uの描くちんちんは、物言わずともその在り様で雄弁に語る。早く挿入れたいと切なげに、女を牝に引きずり堕としたいと猛々しく。
「カラオーケストラ」では優等生らしいJKに自ら笑顔でチンポを求めることを強要して内側から精神を破壊し、「忘れ××もの」では処女からセックス中毒に堕とした元カノに真の絶頂を思い出させている。
F4Uの作るエピソードには、どれにもチンポへの畏敬の念が通底している。本作のカバー下でも、チンポ作画に関するこだわりを見せている。そのチンポへの飽くなき追求、はもはやちんちん賛歌の域にある。
これは私見なのだが、エロ漫画は可愛い女の子とちんちん賛歌の両輪で駆動する地獄車である。エロスとナルシシズムの幸福なマリアージュと言い換えてもいいだろう。
性的欲望を向けるに足りる対象と、欲望やその持ち主自身を肯定する象徴としての力強いペニス。特に後者は、露出された欲望を雄々しいもの・女性から欲望されるものそのものとして描いていることで、読者から理性を引き剥がすための後押しとなりうる。僕たちはヒロインたちに欲望を肯定され、ガチガチの男根の背中に自分を重ね、ひととき獣に戻る。男根によって世界に没入し世界と繋がり、猫をもアレしているのは、きっと僕たちだ。
理屈をこねまわすのは終わりだ。サタデーナイトはオナニーフィーバーとキャノン先生も言っている。
さあ諸君。知恵の実なんて吐き捨てよう。猫に戻ろう。めくるめく夜を始めよう。
(サイト閉鎖)
http://wakagaeri-ar.jimdo.com
ドキッ!アイドル達が若返り!【4】
ドキッ!アイドル達が若返り!【5】
ドキッ!アイドル達が若返り!【6】
ドキッ!アイドル達が若返り!【番外編】
先日、身体を壊したのですっかり諦めて卒論に励んでいる。
それでもまだ、昨夜は自棄酒をして満足して寝た。
吐き出す人がいないので、ここに記しておく。
何かにつまづくと、自分のせいにしてきた。
例えば、
テストで満点がとれなかったのは、詰めの甘かった
自分のせい。
発表の日に体調を崩したのは、管理できていなかった
自分のせい。
自分のせい。
だから、就職活動が終わらないのも本気で働こうという気力の起きない
その矢先に、ストレス性の神経痛を発症した。
誰もが一度は発症するものだろうが、
わたし自身、それほどまで追いつめられていたのは知らなかった。
わたしはその時でさえも、自身の肉体を
「甘え」だと思った。どれもこれも、体調管理できなかった
わたしのせい、なのである。
生活がままならなくなり、病院に行った。2日も薬を飲めば完治した。
一日部屋から出ずにアニメを見る、起きればゲーセンへ行く、夜は吐くまで飲む。
リーダーを任され、友人も慕ってお付き合いをしてくれるような
真面目系クズだった。学校の成績も良かった。奨学金もドッサリもらった。
だから、趣味のスポーツもやめて引きこもり、ゲーセンへ行っては金を浪費し
酒に弱いのに吐くまで飲むようなことはしなかったし、できなかった。
太陽さえ出ていれば家を飛び出し、友人と走りに行くような
元気で明るく真面目だった娘が突然寝込んで号泣しだせば、そりゃ驚いたのかもしれない。
夜は眠れず、寒いのに汗をかいて、飯はリバース、頭痛に悩まされる。
自律神経をおかしくするのは、誰にだってある、お前だけじゃない。
そんな強迫観念をわたしは持っているし、それを当たり前だと押しつけるこの社会では
というコメントに、少し傷付いた私が、明日の京浜東北線を止める。
と、反応があれば、そりゃ年間3万人が自殺するのも納得する。
わたしはまだまだ療養中と称して、遊んでいる。
ただ、とりあえず絶望感はなくなった。
それだけでも良い数ヵ月だったと思っている。
よい会社にはいって、よい給料をもらって、あわよくば結婚して…
その先でどうしたいの?と思ったときに、何もない。
面接をしてくれる人事の顔を見て「この人生きてて楽しいの?」と
不思議に思い、その途端にどうでもよくなる。
「何してるんだろう」と思う。
それだけ。
きっと言葉にできないどっかの部分で、そういうものを抱えている。
そう思って、大義名分を掲げて甘やかして、どうしようもなくさせているのは
わたしのせい。
私は、先生によく
いじめられている子の世話を
させられる子だった
私の母は正義感の強い人で
人に嫌われるのが怖かったし
大人のいいなりで
自分に自信のない子だった
周りのために何かをすることで
私はいじめられている子を
喜んでお世話します!
なんてもちろん思ってなかった
正直めんどうだった
でもなぜかやらなくてはいけないと
思っていた
小学3年の頃
いじめられていたNさんは
いま思えばたぶん、
栄養が足りてなくて
体が小さかったんだとおもう
給食ではNさんと机をつけて食べた。
友達が
「ほっとけばいーやん、なんでかまうの?嫌じゃない?」
といった。私は、、嫌だった。
Nさんと少ししか会話しなかった
Nさんは食べるのが遅かった
ある日私が先生に頼まれたことは
「帰ってからも一緒に遊んであげて」
だった
どうしてそんなことを言うのか
いまはわからないけど
そのときは、しなくちゃと思った
私はNさんの家に行くことになった
絵に描いたようなボロアパートだった
すぐドアがあって、そこを開けると
6畳ほどの部屋がひとつあるだけ。
お母さんが顔を出し
「Nにお友達が来るなんて初めて!」
と言い、ビックリするくらい嬉しそうだった
Nさんは誇らしげにしてみせた
部屋には仏壇があって
置いてあった
お母さんが、すぐに説明をした
「Nにはお兄ちゃんがいたんやけどね、裏にある川で溺れちゃってね、
死んじゃったの。
生まれ変わりなんやで」
私はお母さんがそう言ったのを
子供ながらに強く覚えている
私の顔はどんな表情をしていたのか
わからない
でも、私は来たことを後悔した
お母さんの顔をまともに見られなかった
お母さんは
「何もなくてごめんね、お茶のむ?」
と言ったけど
と断った
Nさんは私に
とまた先ほど見せた
誇らしげな顔をした
不思議に思った
ないとおもってた。
でもNさんにとって
私はNさんが苦手だった
それだけ。
そして、
「仲良くしてあげてるなんて思わんといてや。こっちが遊んであげてるねんで」
と小さい体で言った。
先生に言われて
ここへきたことを
知っていたのだとおもう
Nさんが家で作った
(お母さんがかなり協力してたし、お母さんもいじめのことを知っていた)
配りにまわった
その日はバレンタインだった
Nさんは一生懸命
好かれようとしていた
私の分は無かった。なぜかというと
主に Nさんをいじめている人に
ある日、Nさんは壮絶ないじめを受けた
教室の角に追い詰められて
腹を膝蹴りされていたのを
私の学校は荒れていた
やったのは女だったけど
家庭環境が悪い子だったとおもう
どうしてNさんをいじめるのか
という学級会が開かれた
先生が
Nさんをいじめたことのある人は
起立しなさいといった
そして、一人一人何をしたかを言っていくのだ
ある男の子が
「ぼくは、Nさんの髪の毛がボサボサだったので
ちゃんとクシでといているのかと言いました」
といって少し泣いた
それに先生が答える
Nさんはくせ毛なのよ、反省しなさい
私が立とうとすると、周りの子達が
あんたは立つな、と言って私を座らせた。
私はNさんが苦手だった
一緒に遊びたくなかった
でもNさんのお母さんは
とても優しい人だった
Nさんのいないところで、
陰口に対しても、そうだねーとか
わかるー!とか言ってたし
だから立たなきゃと思った
Nさんの陰口を言いましたって
答えなきゃいけなかった
でも、私は立たなかった
なぜ私は座ったままだったのか
いまでもよくわからないけど
いまでもそれが自分を苦しめる
みんなそれを望んでいたようだった
私を苦しめたかったのかな?
いい子ぶってろよって
みんな、自分の罪悪感をそこで
発散させて、ラクになったみたいに
みんなを救ったのかもしれない
Nさん以外を。
息ができなくなるくらい
とても苦しい時間だったのを
覚えている
それからNさんは
血尿を出したらしく、そして
転校していった
私はなんてことになったんだという気持ちと
Nさんのあの優しそうなお母さんの
悲しんでいる顔が浮かんだ
でも心底ホッとした
正直な気持ちはそうだった
もう、終わったんだって
思いたかった
はやく忘れたかった
私はいま31歳
しており苦しんでいる現実と、
家族の苦しみもわかる
両親も年老いていく中で、
この出来事を思い返した
Nさんがいまどうしているかは
わからない
知るのは怖い
怖くてでられなかった
母いわく声は元気そうだったらしいが
わからない
何が言いたいのかわからないけど
イジメはかっこわるいよと諭すようにしている
それだけ、している
だそうだ。
http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/comfort-women-asahi-shimbun_b_5713083.html
朝日の「検証記事」は「優等生の不器用な言い訳」めいているそうだが、
この記事を信じるなら、朝日新聞読者の立場から見た植村記事は、外国(韓国)で流布されている日本国と日本国民にとって不名誉で根拠薄弱な噂話を、現地紙で反論するどころか、それに迎合し十分な検討なしに大手有力紙が大々的に掲載した。そういうことでしかなくなる。
この時点で、十分にスキャンダラスな捏造事件と呼ばざるを得ない。
以下、私が気になった点を列挙する。
韓国側の反応と日本側の再反応によって悪循環が形成されているのは周知のことだし、朝日報道後の経緯や影響を、ことさら直接的な因果関係にのみ絞って論じるのは、朝日の掩護射撃ととられても仕方ないだろう。
自分は小学校時代真面目な生徒だった。当然道徳だろうがなんだろうが真面目に授業を聞いてた。
その結果かまあ勉強も出来たしそれで先生に褒められるのも好きだった。
小4か小5の時に人権教育の授業を何回かやった。その時のテーマはネタになりやすい部落差別とか外国人差別ではなく障害者差別。
確かその初回の授業だったか自分が「障害を持っている人が~」といった感じの発言をした時に先生にたしなめられた。
「障害者の人達は自分が障害を持ちたかったわけではないんだから『障害を持っている』ではなく『障害がある』と言うようにしましょう」
その時はそういうものなのか、と納得した。
このテーマで数回授業をやった後プリントを配られた。そこにはあるシチュエーションが書かれていた。
「この文章の中でいけないのはどこだと思いますか」と先生が皆に尋ねる。
プリントに書かれた場面内ではまあ分かりやすい障害者差別の内容が載っていた。これを普通に言えば正解なんだろうな、というのは
すぐに気づいたがそれでは他の生徒と同じだ。もう一度よく読むと文章内に「~に障害を持っている〇〇くんは~」と書いてある。
これを指摘すれば先生によく覚えていたと褒めてもらえる!と思いすぐに手を挙げて発表する。
「『障害を持っている』って書いてあるけど『障害がある』じゃないといけないと思います!」
すると先生は
その瞬間「人権教育ってその程度の物なのか」と一気に冷めてしまった。結局高校まで表面上は今までのように優等生然として
人権教育の授業を受けてたけど腹の中では「この授業意味あんの?」と思い続けていた。
こうして書いてみると「本当はその前から内心面倒だと思ってたんじゃないか?」とも思えるけどそうじゃない。
あの時から「人の気持ちってこんな些細な事で逆転するんだなー」と妙に冷めた視点を持ち続けてたし人と接する時の戒めにしてたから。
元気かな、Y先生。
うちの職場は、なんというか、生ぬるい。
もちろん仕事がないかといえばそういう訳でもなく、
でもそれほど切羽詰っているわけでもないから、
定時に帰っても特に問題ないし、皆ちょこちょこと有給で休みを取る。
一日に何度か職場のあちこちで雑談タイムが繰り広げられていて、
はっきりいって、楽にお金を稼ぐという点では非常に恵まれた環境だと思う。
良くも悪くも平均的な人が多く、職場の人間関係も穏やかそのもの。
このままなんとなく過ごせば、きっと10年後には貯金の額もすごいことになる。
でも、ここにいる限り、スキルの向上はあまり期待できそうにない。
同僚はクルマやらマイホームやらパチンコやらが趣味の30代後半以降ばかりで、
Webで話題になるような新技術の話(例えばAIRとか)が通じる人は全くいない。
上司のプロジェクトマネジメント能力についてはすごいと思うことはあるけれど、
将来的に自分が身につけたい、と思えるような能力を持っている人は特にいない。
仕事としては、ほとんど上から降りてきた要求を設計書に落とすだけだから、
自分が学生時代培ってきたプログラミングやデザインの知識やカンはどんどん薄れるばかり。
きっと自分の成長の為には職を変えたほうがいいんじゃないかと思う。
でも、自分の向学心の強さにはっきりとした自信が持てない。
もし望むような仕事に就けたとして、その代償にこんな状況になったとしたら、
24年間優等生をやってきて、さらに新卒という切符を使って手に入った
貴重な(?)大企業への就職を、簡単に手放してしまっていいのだろうか。
「暗記が得意、理解力はあるけど遅い、応用は苦手」という社会で役立たない
試験特化型優等生は、冒険せずに大人しく現状に甘んじていたほうがいいんじゃないか。
そして本当に成長したいと考えているなら、仕事以外の時間でできるんじゃないか。
逆に今それができていない程度の向学心なら、職を変えてもそんなに成長しないんじゃないか。
より自分の望む仕事に就けたとして、はたして睡眠時間を削ってまで働く気力がでるのか。
就職して1,2年でやめるなんて、まさに「イマドキのワカモノ」そのものじゃないか。
そんなことを考える今日この頃。
鶴光のオールナイトニッポンに出てた岡田有希子の回を聴いた。
リスナーからのお便りを鶴光が読むところで鶴光が、岡田有希子の「二人だけのセレモニー」という曲を、「二人だけのオナニー」と読んだ。
俺は一瞬、「え?」と思ってポカーンとしたけど、その後に岡田有希子が、「セレモニーですぅ」と突っ込んだ。
驚いたのは17歳の高校生の前でこんな事を言っちゃっても許されたこと、そして岡田有希子の返し。
あの子が自殺した時、俺は7歳だったから、正直記憶に無いんだけど、でもひょんなことから最近、YouTubeで彼女を見て一気に好きになった。賢くて優等生で生真面目で可愛らしい花のような女の子、なんてイメージだったけど、ラジオを聴いて面白くて面白くて、あんなにも俗っぽくて、ほんと普通の女の子だったんだって思ったら心から笑えた。
あんな残念な亡くなり方をした子だから、ここ数日ナーバスになってたけど、ラジオを聴いて何か救われた。
もう二度と岡田有希子には会えないけど、ラジオを聴いてたらすぐそこにいるような気がした。
これも何かの縁かな。
7/30にはアルバムも発売されるみたいだし。
もう28年も前の人なのに、何で急にこんなにも気になるんだろう。
あー、今、会ったら何て声を掛けるかな。
掛けられるかな。
会ってみたかったな。
(追記しました)
親の言うことはなんでも聞くようにしてきた。それなりに拒否を表明したことはあるけど、なんだかんだいって説得されて、従ってきた。
だって結局は言うとおりにしないと、母、ノイローゼでぶっ倒れそうな感じだし。いつもお父さん外国に単身赴任してて父方の祖母にいじめられてるからかわいそうだったし。
高校生のとき、小学生の頃から秘めてた夢をついに親に言ったらもうほんと家においてもらえなさそうな感じだったので、格闘ののち折れた。
すごい勇気を振り絞って電話して初めて自分で取り寄せた専門学校のパンフとか見られてめっちゃ怒られて、学校の人からの勧誘?電話きたとき親が横にたってて、泣きたいの必死にこらえて断った。相手の声とかもすごい覚えてるなあ。
ちょうどその頃は、偏差値高い学校行って学力的に優等生としてのアイデンティティも失い、振るわない成績に生きがいの部活を親から禁止させられたり、将来の夢を全否定されたりしてからメンタル的にズタボロで、その頃からいい人生送ってない気がする。
大学も途中で欝みたいになって引きこもりになって、薬ももらって飲んだどしっくりこないしもうわけがわからなかった。
なんというか見栄っ張り?だから医者から「薬効いてますか」って聞かれるとイマイチなのに、医者に気を使って?「はい!もうバッチリで」みたいに答えてしまうからなんか通院も無意味だなって思ったし、軽い欝って診断だったこともあり薬1年くらいでやめちゃった。
ネットとかの知識でしらべても鬱も非定型欝も躁鬱もADHDも人格障害系もアスペもどれもちょっと違いそうでよくわからなかった。
更に自分なりにしらべてACっぽくて、それで反抗期のつもりで親と喧嘩したりしたけど結局はまあ私が悪いみたいな。親はとっくに反抗期終わってると思い込んでたから私がただ癇癪おこして当たってるみたいに思われて解決しなかった。このやりとりは何度かやった。
ただ他人に迷惑をかけながら、自力ではなく、助けてもらって、留年制度ない学校なのも幸いしてなんとか4年で卒業した。
そして家に一人になっちゃう母がかわいそうでUターン就職した。
本当に深く考えなかったけど接客むいてるとおもったから接客業にいった。
高卒ばっかりで、人種が違う感じで、目の敵にされてたのもあるけど精神的に自爆して半年でやめた。
それからは役所の臨時だの非常勤だのに滑り込んだ。前職とは雲泥の差ですごく居心地が良くて感動した。している。
運良くウマが合う人ばっかりで、仕事内容も苦手な事務作業だけどそんなに大変じゃなく(まあ非常勤だし)、幸せだって思う。
でも収入面からしても正規雇用になりたいし、いまパラサイトシングルだし、なによりもうこの家、土地から出たい。
私にはなんの技能もない。
昔諦めた業界がやっぱり気になる。憧れる。でも自分には許されないと思う。趣味レベルで専門知識ないし、学んでないし。おこがましいって思う。ありえない。
公務員になれしか言わない両親に、民間に行きたいんだって話をちらっとした。即答で、じゃあやれば?とっととやれば?はやく電話しろよwwwでもあんたのガラスのハートじゃ絶対民間じゃやってけないから、ぜったい公務員がいいんだけどなあ!民間はガラス過ぎて無理。御託はいいから、親としては「明日仕事やめて東京行くから応援してね!」っていうような主体性が欲しいの。とかいわれて、静かに衝撃うけてた。初めてパンフ取り寄せたときのことが思い浮かんで愕然としてた。あのとき確かに、自分で行動してはいけないんだって直感的におもって絶望したんだよ・・・。
私はずっと首輪をされてた気がするんだけど、両親からしたら、束縛はよくないから自由に育ててきたし、もう成人超えたんだから自分できめなさいよみたいな感じなんですよね。
じゃあいままでの何??
なんでこんなに苦しめられたの?なんで今もこんなに原因不明の苦しみを感じるの?
悔しい。束縛してきたじゃん!ってわけわからないままに悔しいし確かに成人こえてこんな親のせいで動けないとか喚いてる依存体質なのも自分に呆れて同年代以下に劣等感を強めて、いま何をすればいいのか、何をしたいのかわからない。
だってどうせガラスのハートすぎて働くところないんじゃん・・・?
いまの職場はたまたま恵まれてて、こんな鬱っぽい性格ってのを微塵も出さずに冗談いったりかわいがってもらえる場所にいるだけで、そもそも非正規の身分で、正社員とかやってもまえの会社みたいに到底耐えられないんだろう。
労働基準法守ってほしいっていうのが甘えなのかな?父にも労働基準法なんて守ってたら会社はなりたたないんだからなおまえは甘えすぎって説教くらったし母も「ブラック企業とかいうけど、ああいうのはどこの会社もやってるからね当然よそれが社会」っていうしわたしの労働観念がおかしいのかな。怖いよ。生きていけない。
何かするにもすごくエネルギーを必要とする。人の目をきにして動けないし。
人並みにいきていくにはどうしたらいいの。
すごい馬鹿なの承知だけど、自分の中におしとどめとくのが気持ち悪くて、バカだなっておもいながら深く考えず、書きなぐって、遂行もせず、匿名にブチ込む。ごめんね。
(追記)
埋もれずに反響があって驚きました。構成もなく読みにくいのに(「推敲」さえ誤変換してたのに)本当にありがとうございます…。
しかも叩かれるかと思ったら共感してくれる人や導いてくれようとしてくれる人ばかりでびっくりしました。お言葉も目からウロコ状態です。
話せば話すほどクズさが滲み出るので一度優しくされた身としては今どこそ叩かれそうで恐ろしいのですが、せっかく反応をいただけたので踏まえて簡単に追記をします。
はっきり毒親だとかいわれると、急に変な感じがして「いやでもうちの両親は優しいよ」みたいに反論したくなるので残念ながら共依存なんだなあと思います。
ふと昔のこと思い出しましたが母自身がけっこうやりたがりで、図工の宿題とかも気がつくと完成してたりしました。読書感想画も自由研究も私には主体性0で母の指示通りにやった作品が賞をとったことも多く、当時は深く考えず自分の手柄だと思ってましたから虚構のプライドだけ高いたいして能力のない人間になってました。「子の人生は、親の希望・親の人生でもあるんだよ♪愛しているからこそ」って言ってる母と、自分との線引き…がうまくとれないのかもしれません。
大学の頃カウンセリングには通いましたが本当にイマイチで、でもその方に非常に気にかけられてカウンセラー変更ができず、カウンセリングの時間はすごく気を遣ういやな時間しか過ごさなかったのでちょっと怖いです。マッチするカウンセラーという存在がにわかに信じられないのですが、カウンセリングは避けて通れないのでしょうか…(涙)
同じような苦しみを味わってる人がいるって、いいことじゃないのに、嬉しくなってしまう。安心?孤独感がちょっと和らぐという感じ。
「それってポジショントークだね!」を口癖みたいにしてる女の同僚が居て、一回流石にちょっと辟易したから指摘したんだよ。
「それな、かわいいけどちょっと馬鹿っぽくみえるから止めた方が良いよ」って。
そしたらさ、なんか顔赤くして下でなんかもごもご言った後に、
「……増田君っていま気になってる人いる?」みたいな全然関係無い話するわけだよ
「いたら同僚とは言え会社帰りに女と二人でモスには来ねえよ」って返すと
「そうなんだ。じゃ、じゃあさ、次の日曜映画行かない?アナと雪の」
「俺ディズニー苦手」「えー、じゃあさ」
みたいな会話は実は創作が入ってて映画には誘われてないしモスにも行ってないし、会社の同僚とは少し険悪になった。
まあポジション(持ち株)を上げたり下げたりする、Yahoo掲示板の売りだと思います買いだと思いますが元々の用法なんだろうけど、それはまあいいや。
どっちかというと、「そいつの立場だからそういってるだけ」みたいなヤジり目的の単語になってると思うんだが、逆じゃねーかな
発言から、そいつの立ち位置を想定するのが普通なんだから、会話は全てポジショントークだろ
なんつうんだろ良く初対面で、スポーツ、政治、宗教の話題はするな、みたいな会話術的な話があるだろ
あれはさ、会話で相手のポジションがすぐに推定できて、ポジションに対立が生じやすいから、避けろ、って話だろ
「いや、何の話?羽生選手ってコメント優等生っぽいけど努力家っぽくて、スケートも優雅で良いと思うけど」
みたいな会話は当然創作で俺もそういうのしたいから土曜の朝からそれを想像しながらひつじのショーンの録画みてんだけどさ。
つまりさ、どんな人間もどこかには立ってるわけだ。だから当然発言はすべてポジション(立ち位置)トークになる。
刑事物とかでさ、お前の娘なんだから捜査からハズレろ外すなら俺を殴れ殴ったな女王様にも殴られたこと無いのにみたいなシーン良くあるだろ
もちろんポジションだってガチガチじゃないから、TUBEみたいな夏側にしか立てないヤツも居れば、どっちでも良いみたいな歌手も居る。
天気は絶対に雨が良いとかそういうヤツは少ないから、天気の話題とか、大抵のネットの話題は自分に関係無いから議論になるわけだろ。
で、その立場を発言から追い込んでいく潜水艦ゲームみたいなもんだろ。
「4の五」
「波高し!えーと、あたし駆逐艦東に4移動」
「艦種を言えって、あとはみ出てないかソレ」
「えっと、駆逐艦。あー、ずるーい!」
「何言ってんだ。今のが移動しようとしてたのか無しでも良いぞ」
「良いよもう。あたしコーヒーおかわりする」「あ、俺も」
みたいな会話は当然創作で、移動を入れた手書きの海戦ゲームってどっかで訳分かんなくなってケンカになったりする友達も居ない。ビッツァー恵まれてんな。
だから結局何が言いたいかって言うと、議論に参加してるヤツも多かれ少なかれ立場はあるわけだ。
だから会話に参加しないってことも含めてポジション想定ゲームなわけで、ポジショントークだって指摘は、いい加減にしようぜってことだ。
「結局おいだされたな」
「モスでもそういうのあるんだねー、次どうしよっか?」
「どうするも帰るだろもう遅いし」
「……ちょっと飲んでいかない?」