2014-09-06

私のトラウマ

私は、先生によく

いじめられている子の世話を

させられる子だった

私の母は正義感の強い人で

いじめダメなことと教えられてきた

人に嫌われるのが怖かったし

大人のいいなりで

自分に自信のない子だった

周りのために何かをすることで

自分価値見出していた

はいじめられている子を

喜んでお世話します!

なんてもちろん思ってなかった

正直めんどうだった

でもなぜかやらなくてはいけないと

思っていた

小学3年の頃

いじめられていたNさんは

背がクラスで一番低くて、服もボロボロだった

いま思えばたぶん、

栄養が足りてなくて

体が小さかったんだとおもう

給食ではNさんと机をつけて食べた。

友達

「ほっとけばいーやん、なんでかまうの?嫌じゃない?」

といった。私は、、嫌だった。

Nさんと少ししか会話しなかった

Nさんは食べるのが遅かった

ある日私が先生に頼まれたことは

「帰ってからも一緒に遊んであげて」

だった

どうしてそんなことを言うのか

いまはわからないけど

そのときは、しなくちゃと思った

私はNさんの家に行くことになった

絵に描いたようなボロアパートだった

カンカン階段をのぼると

すぐドアがあって、そこを開けると

6畳ほどの部屋がひとつあるだけ。

から赤ん坊おんぶ紐で背負った

お母さんが顔を出し

「Nにお友達が来るなんて初めて!」

と言い、ビックリするくらい嬉しそうだった

私はお友達という言葉に胸がチクチクした

Nさんは誇らしげにしてみせた

部屋には仏壇があって

幼稚園制服を着た男の子写真

置いてあった

お母さんが、すぐに説明をした

「Nにはお兄ちゃんがいたんやけどね、裏にある川で溺れちゃってね、

死んじゃったの。

の子背中の子)はお兄ちゃんの

生まれ変わりなんやで」

私はお母さんがそう言ったのを

子供ながらに強く覚えている

私の顔はどんな表情をしていたのか

からない

でも、私は来たことを後悔した

お母さんの顔をまともに見られなかった

お母さんは

「何もなくてごめんね、お茶のむ?」

と言ったけど

はいいです!大丈夫です!

と断った

Nさんは私に

「Nって名前は、長生きする名前やねん」

とまた先ほど見せた

誇らしげな顔をした

私は名前長生きの意味があるとか

不思議に思った

子供だったから。

名前かわいいかかっこいいしか

ないとおもってた。

でもNさんにとって

長生きはとても大切なことだった

私はNさんが苦手だった

Nさんは私にだけすごく強気だったか

それだけ。

そして、

「仲良くしてあげてるなんて思わんといてや。こっちが遊んであげてるねんで」

と小さい体で言った。

先生に言われて

ここへきたことを

知っていたのだとおもう

その後、クラスの子達の家まで

Nさんが家で作った

(お母さんがかなり協力してたし、お母さんもいじめのことを知っていた)

さなお菓子

配りにまわった

その日はバレンタインだった

Nさんは一生懸命

好かれようとしていた

私の分は無かった。なぜかというと

主に Nさんをいじめている人に

配るものだったか

ある日、Nさんは壮絶ないじめを受けた

教室の角に追い詰められて

腹を膝蹴りされていたのを

私は震えながら見ることしか出来なかった

私の学校は荒れていた

やったのは女だったけど

家庭環境が悪い子だったとおもう

先生の前では優等生だった

その日からNさんが学校に来なくなった

どうしてNさんをいじめるのか

という学級会が開かれた

先生

Nさんをいじめたことのある人は

起立しなさいといった

するとクラスほとんどが立った

そして、一人一人何をしたかを言っていくのだ

ある男の子

「ぼくは、Nさんの髪の毛がボサボサだったので

ちゃんとクシでといているのかと言いました」

といって少し泣いた

それに先生が答える

Nさんはくせ毛なのよ、反省しなさい

私が立とうとすると、周りの子達が

あんたは立つな、と言って私を座らせた。

私はNさんが苦手だった

一緒に遊びたくなかった

でもNさんのお母さんは

とても優しい人だった

私は偽善者を地でいく人間

Nさんのいないところで、

陰口に対しても、そうだねーとか

わかるー!とか言ってたし

から立たなきゃと思った

Nさんの陰口を言いましたって

答えなきゃいけなかった

でも、私は立たなかった

そんな自分が最低だってわかってた

なぜ私は座ったままだったのか

いまでもよくわからないけど

いまでもそれが自分を苦しめる

みんなそれを望んでいたようだった

私を苦しめたかったのかな?

お前はいものように

いい子ぶってろよって

みんな、自分の罪悪感をそこで

発散させて、ラクになったみたいに

みえた、ある意味先生のやり方は

みんなを救ったのかもしれない

Nさん以外を。

息ができなくなるくらい

とても苦しい時間だったのを

覚えている

それからNさんは

血尿を出したらしく、そして

転校していった

私はなんてことになったんだという気持ちと

Nさんのあの優しそうなお母さんの

悲しんでいる顔が浮かんだ

でも心底ホッとした

正直な気持ちはそうだった

もう、終わったんだって

思いたかった

はやく忘れたかった

はいま31歳

その後、自分の姉も中学いじめ不登校になり

いまも社会と切り離された生活

しており苦しんでいる現実と、

家族の苦しみもわかる

両親も年老いていく中で、

姉への心配が日に日に増す毎日

この出来事を思い返した

Nさんがいまどうしているか

からない

知るのは怖い

一度だけ実家電話があった

怖くてでられなかった

母いわく声は元気そうだったらしいが

からない

何が言いたいのかわからないけど

職場で、いじめのような状況になったら

イジメはかっこわるいよと諭すようにしている

それだけ、している

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